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Loginはこちら【3111】最先端技術を直観的に理解する(2) - AIを理解するために必要な2つのことばは「機械学習」と「特徴表現」である
さて、ここでは私が昔書いた本、『物理学者が解き明かす思考の整理法』で記述した将棋のAI導入の方法を詳細に説明する。それによってAIとは何かが理解できる。
なぜ、将棋を扱うかというと、将棋のAIだけが、どのような数学的な技法をつかっているかが、よく理解できるからである。その他のAI、例えば画像解析もchatGPTもディープラーニングという方法を使っている。そのため、そのパラメーターが何をあらわしているのかが専門家でもわからない。もっと言えば、なぜよく解析できるかもわかっていない。したがって、その仕組みの説明を聞いても、しろうとには、さっぱりわからない。
そこで将棋である。
将棋はおよそ10の220乗の変化があるから、数十手すすむと、もう今までに指したことない未知の手が当然でてくる。ということは通常のデーターベースによるコンピュータープログラムでは、新しい局面がでてきて対処できない。
そこでゲームとして将棋をプログラミングする場合、次のようにプログラミングする。
①ある局面とその数手後までを数値化する。
②ある系統の中で最低値が最大になる系統をえらび次の手を選択する。
これを、ミニマックス探索、そして、ある系統の中で最低値を「ミニマックス探索値」とよぶ。つまり、相手がベストの手を指すと予測して、その中で一番いい手を選ぶようになっている。
だから将棋ソフトをつかっていると点数や勝利の確率が表示されるが、あれは、その時次にベストの手を指すと仮定した値が必ず表示されている。だから、いい手を指したとしても数値はよくならないし、悪手を指したときだけ相手の評価があがる。そういう仕組みになっている。
さて、上記の「①ある局面とその数手後までを数値化する」というのをもっと詳しく見てみよう。
この数値化の方法にはいろいろある。いちばん簡単な方法は、持ち駒の種類と数とか、自分の2つの駒の配置とかである。これを数値化してすべて足す。相手より点が多ければ、その差の点数だけ有利ということになる。
この数値化したものを「局面評価関数」という。これはどのゲームでも同じで、例えば、オセロという表裏が白黒の駒をひっくり返して、コマ数を争うゲームがある。このオセロでは、主に、同じ色の直線ができると高い局面評価関数が得られるようになっている。
将棋では、上に書いたように駒の配置と持ち駒が局面評価関数の指標となる。
この指標こそがAIで「特徴表現」と呼ばれるものである。
つまり、表現(representative = 代表)とは、ゲーム中の優勢劣勢を決めるために、数値化して代表した様々のパラメーターに他ならない。この指標の呼び方は、特徴表現だけでなく、評価パラメーター、特徴ベクトル、特徴量などいろいろある。ベクトルはその指標の数を次元として表せる。だから、十個の指標があれば「十次元のベクトル」として数学的にあらわされるのでベクトルと呼んでいるようだ。
この「特徴表現」は、持ち駒の種類とか、持っている2つの駒の配置とか、飛車や香車がどれほど動けるかなどの状況を得点としたものである。わかりやすく、例をあげておく。次図に示したのは、玉と金との関係で、王が8八(上)と9九(下)にある時の金の位置に対する得点つまり特徴表現である。見てわかるとおり、王に近いところに金がある、つまり守りが固いほど得点が高いということがわかる。
将棋が得意な人にはよくわかる図である。
さて、具体的に見てみる。今、図で王が8八にあるときに、金が6八から7八に移動したとする。すると、特徴表現のパラメーター値(特徴表現の数値)は-16から30に変化する。当然、他の特徴表現(金と銀の関係など)のパラメーター値も変化するから、それも合算する。つまり、このような特徴表現のパラメーター値がたくさんあり、指手により変化したすべての特徴表現のパラメーター値を合計して、局面評価関数とする。他には次のようなものが特徴表現となっている。
「王,他の駒2つの位置」、「王,隣接した味方の駒、他の味方の駒3つの位置」、「隣接しあった駒2つの位置関係」、「竜馬飛角桂香の利き上にいる駒の種類」、「竜馬飛角香が動ける枡の数」、「ピンされている駒の種類,方向,王との距離」、「角と同じ色の枡にいる味方の歩の数」、「歩桂銀が前進できるか」、「竜飛香の前・後の歩」、「王の周囲25枡の利きの配置」となっている。
これをすべて数値化して単純に足して局面評価関数とする。相手も同様に足して多い方が点が高く有利であることをあらわす。
実は、ここまではAIとはまったく関係がない。ここからがAIの出番である。
つまり、ここで問題がひとつでてくる。先ほどの図のパラメーター値(特徴表現の値)をどうやって決めたらいいのだろうかという問題だ。適当に決めてもいいが、それでは将棋の強いソフトとはならない。
保木邦仁氏という人は、「機械学習」という方法を用いて、これらの得点を決めた。具体的には、プロ棋士の対局データ六万局をもとにこの得点を決定した。つまり、「六万局の棋譜の指手を参考にして、プロ棋士が選択した指手が最良となるように特徴表現のパラメーター値(先ほどの図(王と金の関係)の得点)を決めたのである。」
このように過去のデータを自動的に処理させ、プログラムの機能を向上させる方法を「機械学習」という。これが2つめのキータームの「機械学習」である。
さて、さらに実際の特徴表現の得点の決め方を見ていこう。
6万局のプロ棋士の将棋対局、一局百手として約600万の指手がある。これについて先ほどの特徴表現を最適化してみよう。
下の将棋のある場面を見てほしい。
この局面でプロの指手が一手、 この局面でプロが指さなかった指手=数十手があるとしよう。そして、この局面でプロの指手よりも大きな局面評価関数(=ミニマックス探索値)を示した手の数を「目的関数」とする。つまりプロが指した手よりいい評価を示す指し手の数が評価関数である。通常プロがいちばんいい手を指すとすれば、0かあるいは1とか小さい値だろう。
これは上の局面だけであるが、同様に600万手についてすべて同じことを行い、600万手についてこれらをすべて足し合わせる。そしてそれを誤差関数とする。
今やりたいことは、プロ棋士が選択した指手が、他のどの指手よりも評価関数の値(ミニマックス探索値)が高くなるようにすることだ。これは、この誤差関数ができるだけ小さければいい。つまり、すべての特徴表現のパラメーター値をいじって変化させ、できるだけこの誤差関数を最低になるようにすればいい。
つまり、先ほどのすべての特徴表現のパラメーター値を少しずつ変化させ、この600万の指手について足し合わせた誤差関数が最小になるように特徴表現のパラメーター値を決定するわけだ。これは最小勾配(こうばい)法と呼ばれている。
すると、「プロ棋士が選択した指手が最良となる」ということは、「600万手について合計した誤差関数が最低値(停留値)をとるように特徴表現の得点を決定する」という数学命題に変わる。これなら、コンピューター計算でできる。
そして、一度、この特徴表現のパラメーター値が全部決定して完成してしまえば、それをつかって、まったく新しい将棋の局面でも、合計した値である局面評価関数値をミニマックス探索して、指手が決定できる。
現在ではプログラムの動作を決定づける1千万以上の特徴表現パラメーター値の最適化を行っていると書いてあるのを雑誌の記事で見たことがある。
まだ続きます。
下條竜夫拝
【3110】二つの『唐書』
守谷健二です。令和六年三月八日
マルコ・ポーロの証言
正史『唐書』は二つある。945年に成立した方を『旧唐書』と呼び、1060年成立した方を『新唐書』と呼んでいる。
『旧唐書』の日本記事は、「倭国伝」と「日本国伝」の併記で作られ、『新唐書』の方は『日本書紀』の記す「万世一系」の天皇の歴史として作られている。
『旧唐書』では、日本では7世紀後半に王朝の交代(易姓革命)があったと認識している。
一方『新唐書』は日本国は開闢以来唯一日本国(大和王朝)だけが存在し革命など一度も起きた事はなかった、と書く。
984年に成立した『太平御覧』は『旧唐書』の見解を踏襲している。つまり宋朝の時代になっても中国の学者たちは、7世紀後半に日本には革命があったと認識していたのである。
その984年から、日本国には革命など無かったと書く『新唐書』の成立した1060年の間にいったい何が起こったのだろう。
984年、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が、銅器十余事と「王年代記」・「職員令」を持って宋朝を訪れている。
不思議なことは奝然が中国に着くや、直ちに皇帝への謁見が赦されていることだ。
奝然の帰国後(988年)に弟子の嘉因を宋に派遣している。その嘉因の持参した献上品がものすごいのだ。平安王朝文化の粋を極めた品々が数多く持って行ったのである。
それを正史『宋史』は一つ一つ記載している。とても東大寺の僧に準備できる規模ではない。平安王朝の全面的な支えがなければ不可能である。
前回奝然の持参した銅器十余事には、陸奥国から採れた黄金が詰められていたと書いた、奝然の僧訪問は平安王朝の命令で行われたものだろう。『旧唐書』は、945年に成立していたのである、宋との民間貿易は活発になり宋の商人はしょっちゅ博多を訪れるようになっていた。『旧唐書』は既に平安王朝の下に届いていた筈である。
平安王朝は愕然としたに違いない。703年の粟田真人の遣唐使以来、『日本書紀』の記す「万世一系」の天皇の歴史を日本の公式のものと認めてくれるよう事あるごとに唐朝に働きかけてきた。その効果を期待していた。
それが踏みにじられたのである『旧唐書』によって。しかしそれを放っておく訳には行かなかった。「万世一系」の天皇の歴史こそが、この王朝の正統性を支える根拠である。平安王朝の支配者は覚悟を持って決意した。何が何でも『旧唐書』を葬るのだと。宋朝の研究も真剣に行われたに違いない。北方の遊牧民国家の侵攻に悩まされている事、遊牧民国家をなだめる為に毎年膨大な金銀、食料、美女などを支払わなければならないこと。このため宋朝の台所は常に火の車であることなどを。
平安王朝は、『旧唐書』に変わる『唐書』の完成の暁には、奝然・嘉因の持って行った数倍の金銀の献上をほのめかして新たな「正史」の編纂を頼んだのではなかったか。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』に、ジパング(日本)は、黄金が溢れるように産出する国との記載がある。私はこの事を知った時不思議で仕方なかった。何を根拠にマルコ・ポーロはこんなことを書いたのか。
しかし、『新唐書』の成立事情を調べていく中で、984年に宋を訪ねた奝然の献上した黄金に根拠があった、と信ずるようになった。元の皇帝フビライの日本に対する異常な執着(二度に亘る元寇)も、奝然・嘉因の献上した金銀財宝に根拠があったのだろう。
『新唐書』が『旧唐書』に比べ杜撰でダメな『歴史書』なのは、宋の学者たちが真剣に、本気になれなかったからだ。当然の話である。
しかし、日本は中国正史の中に「万世一系」の天皇の歴史が正当性の根拠を獲得したのである。日本国内では『旧唐書』はないものとされた。それが二十世紀の第二次世界大戦の敗戦まで続いたのです。
【3109】最先端技術を直観的に理解する(1) - AI(人工知能、artificial intelligence)とは何か?、chatGPT(Chat Generative Pre-trained Transformer)は何か?
AI(人工知能、artificial intelligence)ということばは、ここ数年で本当に身近になった。ちょっとしたソフトやアプリであれば、AIということばが入っている。一日に何度も目にする。AIはあと数十年で、いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)を越え、人間の知能を身につけるともうわさされている。
ところが、実はAIとは何のことだか誰もわからない。「ちょっと賢い人間みたいなコンピューター」というのが多くの人の定義だろう。一般向けの解説本で何度か、この定義を目にしたことがある。しかし、これでは具体的な説明になっていない。
もちろん専門家ならAIとは何かがわかっている。しかし、ここには大きな問題がある。実は専門家でもAIが何かは、わかりやすく説明できないのである。
ちょっと古いが下の記事が昨年話題になった。ディープラーニングというAIの技術についての説明に関する記事である。
<引用開始>
「ディープラーニングは、原理的には単純な最小二乗法にすぎない」――2月18日付けで日本経済新聞電子版が公開した記事について、Twitterでは「ディープラーニング=最小二乗法」という解釈は異なるのではという指摘が相次いだ。19日には「ディープラーニング」「最小二乗法」といったワードがTwitterでトレンド入りし、波紋が広がっていた。
日経の記事では、慶應義塾大学経済学部の小林慶一郎教授がAI技術について解説。「近年、驚異的な発展を見せているAIのディープラーニング(深層学習)は、原理的には単純な最小二乗法(誤差を最小にする近似計算の一手法)にすぎない」と言及し、「ディープラーニングは『最小二乗法』」と題する図版が掲載された。
最小二乗法は、測定で得られたデータの組を、1次関数など特定の関数を用いて近似するときに、想定する関数が測定値に対してよい近似となるように、モデル関数の値と測定値の差の2乗和を最小とするような係数を決定する方法。ディープラーニングに詳しい東京大学の松尾豊特任准教授は、2018年8月に登壇したイベントで、「ディープラーニングは最小二乗法のお化けのようなもの」「従来のマシンラーニングは(階層的に)『浅い』関数を使っていたが、ディープラーニングは『深い』関数を使っている」と説明していた。
松尾氏は2月20日、Twitterの公式アカウントで「小林慶一郎先生はよく議論させていただくので、少し責任を感じています」とツイート。ディープラーニングを簡潔に解説するため「深い関数を使った最小二乗法」という言葉を使ってきたが、「深い関数を使った」という説明がいつも抜け落ちてしまうと嘆く。
続けて、「深い関数により表現力が革命的に上がり、アルゴリズム的な挙動も含め表現できるのは驚くべきこと」「『最小二乗法』は、損失関数を最小化することで、モデルのパラメータをデータから推定すること(略)深いことに比べるとそれほど重要ではありません」と投稿。経営者や政治家など、AIに詳しくない非エンジニアに正しく理解してもらうための解説は「大変難しい」と痛感しているようだ。Twitterでも同様に、AI技術について上司や同僚にどう解説すればいいかを嘆くエンジニアの声も見られた。
ITmedia NEWS
「ディープラーニングは最小二乗法」で物議 東大・松尾豊氏「深い関数の方が重要」より引用
<引用終了>
ここで、書いておくとこの小林教授の「ディープラーニングは最小二乗法」という発言は正しい。それに対して、松尾豊氏の「深い関数」という発言はよくわからない。
理科系の人間はこんな感じだ。「おまえがわからなくても、それはお前がわるいんだから、俺は知らないよ」みたいな感じで突き放して書く。上の記事は典型的なその例のひとつだ。
実は松尾豊氏のいう「深い関数」は誤訳である。本当は「×深い関数」ではなくて「〇厚い、多層の関数」というのが正しい。y=f(g(h(x)))みたいな関数だ(これだと3層)。実際、Deep learning ということばがあるが、これを「×深い学習」とはあえて訳さず、「〇深層学習」と訳してある。
さて、こんな感じで専門家でもAIが何かは(この場合はディープラーニング)、わかりやすく説明できない。いろいろな本や記事を読んだが、未だにAIとは何かをきちんとわかりやすく説明した文章はない。あるAIの専門家が「AIを学ぼうと思ったら5日かかりますから、きちんと全部勉強してください」みたいな高飛車なことを、大企業のお偉方に述べた記事を見たこともある。
そこで、AIとは何かを私が昔に書いた本の記事をもとに詳細にわかりやすく説明する。そして、いまはやりのAIのアプリケーションソフトであるchatGPTを有名なmathematica(マセマティカ)というソフトを開発したスティーブン・ウルフラムの解説文を参考に説明する。
しつこいようだが、AIとは何かをだれもわかっていない、専門家は説明できない。だから、もしこれを読んでいる方が、「なるほど、AIとは、こういうものなのか」と理解できれば、それは、その人の人生にとってものすごくためになる。
もし理解できれば(文系の人は特に)、今後、AIの話題が出てきたときに、「あーそうか、そうやって、応用することができるんだ」と仕組みまで納得することができます。本当です。
さて、AIを説明する前にAIを定義しておこう。キチンとことばの定義づけすることで、理解がすすむ。実は、AIとは、
『人間の経験を数値化するための数学的技法』
のことである。
数学的技法にいろいろある。高校で習う微分、積分、大学の時に習うベクトル解析もみんな数学的技法のひとつである。AIもそのうちのひとつである。だから賢いコンピューターとかそういうことではない。そして、そのやり方(アルゴリズム)が極めて、「最小二乗法」に似ているということに他ならない。
もし、この文章を最後まで読んで、「AIとは、実は、『人間の経験を数値化するための数学的技法』のことである。」ということばを、「あーなるほどなー、確かにそうだ」と素直に納得できたなら、あなたはAIを完璧に理解できたと考えることができます。
長くなるので、次回に続きます。
下條竜夫拝
【3108】二つの『唐書』
正史『唐書』は二つある。西暦945年に作られた方を『旧唐書』と呼び、1060年に成立した方を『新唐書』と呼んでいる。両方とも勅命で作られたれっきとした「正史」です。
日本では『新唐書』の方を『唐書』と扱い、『旧唐書』を徹底的に無視してきました。しかし本場中国では『新唐書』には誤りが多く、捏造記事すら混じっているとして『旧唐書』の方が正確で信頼性が高いと云う評価が確立している。
では『旧唐書』と『新唐書』の最大の違いは何か、それは日本記事の扱いにあるのです。『旧唐書』は、日本記事を「倭国伝」と「日本国伝」の併記で作ります。七世紀の半ばまで日本を代表していたのは、九州筑紫を中心とする「倭王朝」で、八世紀初頭(粟田真人の遣唐使)から近畿大和を中心とする「日本国」の記事が始められています。
つまり七世紀の後半に日本を代表する王朝の交代(革命)があった、と云うのが『旧唐書』の見解です。
これに対し『新唐書』は、『日本書紀』の記す「万世一系」の天皇の歴史が日本の歴史であると書く。ここに天武天皇によって作られた『日本書紀』の歴史が初めて正統性を獲得したのです。これは日本の王朝にとって画期的な大事件でした。天皇制に都合の悪い『旧唐書』を全面的に隠蔽して無視する事が可能になったのです。
984年に成立した『太平御覧』は、『旧唐書』の見解を踏襲している。宋代の学者たちも日本には七世紀後半に王朝の交代(革命)があったと認識していたのです。それが如何して『新唐書』に成って「万世一系」の天皇の歴史を採用したのか。『太平御覧』が成立した984年から『新唐書』が出来た1060年の間に何があったのだろう。
『新唐書』が「万世一系」の天皇の歴史を採用したのは、984年宋朝を訪れた東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が持って行った「王年代記」によると言われている。
『宋史』日本伝より
雍熙元年(984)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至り、銅器十余事ならびに本国の『職員令』・『王年代記』各一巻を献ず。
『王年代記』は、天御中主の神を祖とし、第六十四代円融天皇に到る系図です。日本では国家開闢以来革命など無かった、とする『日本書紀』の歴史です。その歴史を『新唐書』になって初めて「中国正史」が採用したのである。
中国の史官たちが、日本の王朝が主張する「万世一系」の天皇の歴史を知らなかったのではない。703年の粟田真人の遣唐使以来、日本の王朝は「万世一系」の歴史を、日本国の公式の歴史として唐朝が認めてくれるよう働きかけを続けてきた。
『旧唐書』日本国伝より
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいは云う、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいは云う、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国是(これ)を疑う。・・・
天武天皇が命じた歴史編纂は、703年(粟田真人の遣唐使)には、その原型が完成していたのです。当然「万世一系」の歴史です。しかしその歴史では唐朝を納得させることが出来なかった。
『太平御覧』の編者も『旧唐書』の見解を踏襲していた。それが如何して『新唐書』に成って日本の王朝の主張を受け入れることに成ったのだろう。
日本の僧奝然は、銅器十余事と『王年代記』『職員令』を献上したと『宋史』は記す。
奝然は、どうして中国に到達早々に皇帝に謁見する事を許されているのだろう。
奝然の持って行った銅器十余事とは一体何なのか。岩波書店の『日本歴史年表』の982年に、「陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる」と云う記事がある。銅器十余事の中身には、この黄金が詰め込まれていたのではなかったか。
【3107】『週刊ダイヤモンド』3月2日号で、古村治彦(ふるむらはるひこ)著『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』が紹介されました。
SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2024年2月26日です。
昨年12月27日に刊行した、私の最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を、佐藤優先生が『週刊ダイヤモンド』の「佐藤優 知を磨く読書」コーナーでご紹介くださいました。
バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる←青い部分ををクリックするとアマゾンが開きます
雑誌の86ページに掲載されています。コンビニでは場所によって置いていないところもありますが、駅のキオスク、書店にはありますので、是非お読みください。『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』の第3章で取り上げた、ウクライナ戦争に関する分析について「秀逸だ」「説得力がある」と評価していただきました。佐藤先生、まことにありがとうございます。
発売から2カ月が過ぎていますが、全国の大型書店ではまだ購入できます。以下の写真は、2月中旬に私が、東京・池袋にあるジュンク堂書店と東京・新宿にある紀伊國屋書店本店を訪れた際に撮影しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
ジュンク堂書店にて
紀伊國屋書店にて
(終わり)
【3106】私、副島隆彦 の次の金融セミナーが、3月17日に、東京であります。その宣伝をします。
副島隆彦です。 今日は、2024年2月23日(金)です。
私の恒例の “ 予言者金融セミナー ” の 開催のお知らせです。
来たる 3月17日(日)の東京 で です。
時間とお金に余裕のある人は、いらしてください。 オンライン受講
(インターネットでの講演の視聴)もあります。 詳細は以下の通りです。
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「副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー 第27回」
*会場:イイノホール&カンファレンスセンター 東京都千代田区内幸町2-1-1
*日時:2024年3月17日(日)
開場・受付/11:00~ 終了/17:30 (予定)
*受講料:15,000円(税込)/指定席 または オンライン
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お申し込みは、コチラから↓↓↓
- ホール受講
https://soejimayogen.cart.fc2.com/ca0/1/p-r-s/
- オンライン受講
https://soejimayogen.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/
副島隆彦です。 昨日22日に、日経平均が、3万9000円に乗った。同じく、今朝(昨日のNYの終わり値)、NYのダウ平均株価も、39,000ドルに、一時、載せた。
だが、これらの 作られた株高はもうすぐ終わる。だから、これらの値がさ大型株の、飛びつき買い(追っかけ買い)はやめなさい。大損をしますよ。
それよりは、着実に、いざという時の為に、「大恐慌が来ても大丈夫な株」を、私は推薦します。
(転載貼り付け始め)
〇 「日経平均株価、終値も史上最高値 836円高の3万9098円 」
日経新聞 2024年2月22日
22日の東京株式市場で日経平均株価が史上最高値を更新した。終値は前日比836円(2%)高い3万9098円だった。企業の稼ぐ力の回復や脱デフレの期待などを背景に、海外マネーが流入した。バブル期の1989年12月29日につけたこれまでの最高値(3万8915円)を上回り、初めて3万9000円台にのせた。(以下略)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。金(きん)を買いなさい。これからは、まだまだ金の地金(じがね、ingot 100グラムや50グラムの板)か、金貨(ゴールドコイン)を買いなさい。実物資産(じつぶつしさん tangible asset タンジブル・アセット )の王者は金(きん)です。
これからの金融、経済で怖いのは、アメリカの金融市場(米国債 と 商業用の不動産市場)が大きく崩れることで、金融統制(きんゆうとうせい)が始まることだ。それが、日本にもすぐに伝わるから、日本政府(財務省と金融庁と日銀)は、それに備えて周到に準備をしている。このことを分かることが大事だ。
私が、今度の 金融セミナーで強調したいことは、「みんな、もっと自分に向かって正直になって、自分の資産が、本当はどれぐらいあるのか、を厳しく点検しなさい」ということだ。バブル経済は、必ず復活し再開します。 今から35年前だ。若い人たちは知らないだろう。生まれてもいない。 今から35年前の、1989年の狂乱地価、株式バブル(だからあの時、日経平均株価が3万9千円弱の最高値を付けた。上記の記事 ) が、1990年に入ったら、崩壊して、大暴落して、本当にヒドいことになった。あの時からの10年間で全国の中小の建設会社(土建屋、どけんや)と、不動産会社のほとんどが倒産、消滅した。株も地価もずっと大きな下落を続けた。
それでも、 日本の バブル経済 economy babble は、再び、奇妙な形で復活する。アメリカの国内で起きるだろう金融恐慌と政治動乱を尻目に。35年前の日本のバブルがまさしくそうだった。ソビエトとアメリカの対決の狭間(はざま)で、日本はひとり勝ちのように、バブル経済に浮かれた。そして案の定、叩き潰された。 だから、次の日本のバブルは、35年前とは異なる相貌(そうぼう)、顔つきをしている。人口の激減も大きな要素だ。
私、副島隆彦は、今度の金融セミナーで、これまでとは違った角度から、多くの予言をする。きっとこれまで参加した人たちに驚かれるだろう。今日、ひとつだけ強調したいのは、
「迫りくる(7月3日)、新札切り替え(新しい一万円札。左端(ひだりはし)がピカピカとホログラム で光っている) で、資産家の皆さんの 金融資産 が、 政府に奪い取られる、その準備段階に入る」 ということだ。 今度の新札切り替えは、新聞情報がほとんど無くて、あまりに少ない。 以下の記事ぐらいのものだ。
目先のことで浮かれることのない、深慮遠謀(しんりょえんぼう)の金持ちたちは、今度の新札切り替えを、警戒して恐れている。この事が、一番、大事だ。株とか、生成(せいせい)AI(これはインチキだ)で浮かれている者たちは、愚か者だ。
彼ら資産家は、決して政府やメデイア(テレビ、新聞)が言うことを信用しない。だから、彼らは、これまで自分の資産を着実に守って来れたのだ。私、副島隆彦の本の真の読者たちは、この人々だ。だから、この人たちが、私を信用して私の金融セミナーに集まってくれる。
私は、これまで自分が書いてきた本たちでも、これまで、投資家や、企業家や、資産家たちに、損をさせたことがない。 これが、私の自分に向かっての誇りと自信だ。
新札切り替えについての報道は、政府(財務省)広報を元にしたこの記事、一本しかない。このことをどうも怪しい、裏に多くのことが隠されている、と思いなさい。
(転載貼り付け始め)
〇 「 「こんにちは渋沢栄一」新紙幣、2024年7月3日発行 」
2023年12月12日 日本経済新聞
(ここに 新紙幣の写真を貼る)
1万円札の肖像画は40年ぶりに福沢諭吉から変わる
日銀と財務省は12日、新紙幣を2024年7月3日に発行すると発表した。デザイン刷新は04年以来20年ぶり。1万円札は「日本の資本主義の父」と称される渋沢栄一(しぶさわいえいち)をえがいた。5千円札は樋口一葉から津田梅子(つだうめこ)、1千円札は野口英世から北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)に変わる。
渋沢栄一は第一国立銀行(現みずほ銀行)はじめ数多くの企業を設立した。1万円札の肖像画の変更は聖徳太子から福沢諭吉になった1984年以来となる。裏の図柄は1万円札が東京駅舎、5千円札が藤(ふじ)の花、1千円札が葛飾北斎の名画「富嶽三十六景」のひとつ「神奈川沖浪裏」とする。
新紙幣には肖像画を立体的に見せるホログラム技術を導入する。紙幣では世界初だ。視覚障害者に配慮し、触ることで識別しやすくした。金額の表記は漢字より洋数字を大きくした。紙幣の大きさは変わらない。
新紙幣の発行後も、現在の紙幣は引き続き使用できる。今の紙幣の製造は既に終了している。日銀の金沢敏郎発券局長は12日、3種類の新紙幣について24年3月末までに45億3000万枚を備蓄する計画を明らかにした。前回の刷新時の備蓄(約50億枚)と同程度という。その後も備蓄を進める。
新紙幣は日銀から金融機関に配布される。消費者は、発行開始日以降に金融機関の窓口やATMなどで順次新紙幣を入手できる。タイミングはばらつきが生じるため、消費者が実際にいつ手にできるかは「発行開始日が近づいたら金融機関に問い合わせてほしい」(金沢氏)と説明した。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このような次第です。刻々と、世界の金融変動、政治動乱の時期が迫っている。 私、副島隆彦は、自称、民間人の国家戦略家(こっかせんりゃくか)としての自分の職責の重さを自覚して、いよいよ自分が登場する時代が来た、と身を引き締めている。
ですから、私が、5時間、ずっと話し続ける、金融、経済のこれからの見通しと世界の動きをしっかり見て聴いてください。再度、今度の私の金融セミナーの広告をします。皆、集まってください。
===============================
「副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー 第27回」
*会場:イイノホール&カンファレンスセンター 東京都千代田区内幸町2-1-1
*日時:2024年3月17日(日)
開場・受付/11:00~ 終了/17:30 (予定)
*受講料:15,000円(税込)/指定席 または オンライン
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副島隆彦 拝
【3105】法律学とは、スピリチュアルである
「自分だけを信じて生きる スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ」を読み、重要な気付きを得たので、書き込みます。
重要な気付きとは、この世は物質と霊魂で出来ており、「霊魂とは思考である」という事。そして、私見では、法律とは、スピリチュアルである。なぜなら、法律学を構成する用語や価値観、国家や社会や権利や義務や責任、平和や福祉や国際貢献、契約やコンプライアンスやポリティカルコレクトネスは、全て思考により出てきたものであり、質量が無い。物質ではない。よって「スピリチュアル」である。
世の法治主義者は誰一人としてスピリチュアルをバカには出来ない。お前らこそガチガチのスピ系じゃ!
対義と類義を並べてみよう。spiritualの対義はphysical。潜象に対しての現象。唯物に対しての唯識。空に対しての色。そして法律は「世の中の設計書」であるからして、物理的に空即是色を起こす。思考が現実化する。間違い(罪)は確実に輪廻転生を起こす。
ところで、思ってる事と言ってる事とやってる事をバラバラにして世の中の設計をやったら、どうなるのだろうか?現に、法案を書いているのは「出世したい」官僚であり、それを通しているのは「票が欲しい」代議士である。政官財学、与えられた知識のフィールドで、受験競争、出世競争、経済競争、口達者で秀でた秀才エリートどもが、「社会という偶像」の中で、ヨロシクやって、綺麗事を掲げ、下心(カネ、票、出世、性欲)に基づいて法律を制定し、結果として、下心が現実化しているのが現実だ。私が考えるに、法治主義(律法主義)で新たな法を公布するとは、どこぞの福音書にあるように、書いた法案の内容と違う事(出世したい、収入を得たい、自分の地位を守りたい)と、「思うだけ」で、「姦淫をやったのと同じ」である。起こることは、色即是空、空即是色。これは、マグダラのマリアが気付いた、究極の呪い(のろい)の呪文である。意味が解らん奴はとりあえずありがたがって唱えとけ!が、般若心経。
今の現実を見ると、グローバリスト・秀才エリート達は、受験競争、出世競争、経済競争。そこで行き詰った処で、新手の「ご破算願います」手法に飛びついた。私に言わせれば、秀才エリート達の、ジンルイの叡智とやらは、究極に間違えたと見る。カネ出世黒字経営に飛びつき、病気を怖がらせ、訳の解らない汁を注ぎ込む姦淫に耽った上に、国際政治では、負け組にオールイン。私に言わせれば、見せかけ違うだけで、戦前と同じことを繰り返している。
私には歴史上の政治的謀略というものには目的性が見えるのだけれど、前の戦争では帝国を壊し、国民国家を創設した。今回のは、国民国家が行き過ぎた福祉国家になったので、壊すのだ。歴史を通し、主権には、余計な生臭坊主どもがつきまとう。それこそが余剰である。
「主なる神のものだ」と言って税をかすめ取るのと、「主権者の福祉の為だ」と言って税をかすめ取るのと、何の違いがあるだろうか?
しかし「信じさせる側」だけに問題があるのではない。大多数の、主権者でありながら、肩書立派そうなもんを「信じて従う」事こそが、原罪である。そもそも主権は、「主なる神」のものであったものを、王様に降ろし、国民に降ろしたものである。ニッポンでは、戦前の現人神の権威を譲り受けた。私が考えるに、主権者とは、「主なる神」の意識で生きなければダメだ。肩書名声、見せかけ立派そうに取り繕った偶像を「信じて従う」ではダメなのである。ところで日本の法体系は面白い事になっていて、諸悪の根源は、憲法の中の「論理的に無効な条文」に書いてある。「勤労の義務」「納税の義務」「教育の義務」という、「かえるのような」土下座姿勢の、「3つの汚れた霊」である。(これについてはここでは論証しない)
法学とは、ミシマの終活論文四部作のように、問題の「原因」を取り除く根本治療、「空を悟る」の追求でなければならない。罪あるものは生まれ変わり、罪なき清浄なるものは生まれ変わらない。今の文明は、始めの一歩の邪悪な蛇ペテロ(と偽預言者パウロ)が、下心で嘘を吐いた事から始まった。(この事の論証についてはここでは書かない)多数決で始まった文明は、騙された事への恨みによる、多数決で閉じるだろう。私は成り行きを眺めている。
「そうしてあなたがたは、私が主である事を知るようになる」である。
【3104】ディープ・ステイトをDS(ディ・エス)と略記する者たちを、強く疑い警戒せよ。
副島隆彦です。今日は、2024年2月7日です。
今日は、ディープ・ステイトという言葉の意味と、それが使われ出した歴史について説明する。
6年前ぐらいから、ディープ・ステイト The Deep State という言葉が当たり前のように使われるようになった。私、副島隆彦も6年ぐらい前から使うようになった。その前は、私は、グローバリスト(globalists 地球支配主義者たち)を使っていた。
いいですか。あるコトバ(単語、word ワード)を、誰かが使い始めて、それが世の中に広まって、そして受け入れられてやがて当たり前のように通用するようになる。世の中から受け容れられないコトバ(ワード)は消えてしまう。あるいは廃語(はいご、obsolete word アブソリート・ワード)として消える。
言葉というのは、そのように、作られてゆくものだ。 強いて言えば、そんな現実はないとか、事実に当てはまらない、のだが、それでも仕方なく存在する抽象語や観念語が多くある。 たとえば歴史学の用語である、明治維新とか、産業革命とか、フランス革命とかも、「そんなものが本当に有ったのですか」と疑えば、疑うことが出来るのだ。なぜなら歴史用語も、学者たちが勝手に作って、それで大事件を総まとめにした、だけのことだからだ。
コトバというのは、そういうものなの。
ディープ・ステイトを今の副島隆彦は、ハッキリと定義して、次のような意味だ、と使っている。それは、英米と西側(にしがわ the West ザ・ウエスト)の超(ちょう)財界人たちのことで、パリのシャンゼリゼ通りのほとんどを所有とか、ドイツのフランクフルトの大都市の高層ビル群の3分の1を持っているとかいう巨大地主(ランドロード)たちだ。彼らは本当に政治の表面(代表、政治家。国家指導者)には絶対に出て来ない。それから、いわゆる軍産(ぐんさん)複合体(この言葉はアイゼンハウアー大統領が1961年に辞任するときに、怒りに任せて初めて使った)と、それから、アメリカの法曹(ほうそう。リーガル・ギルド Legal guild、法律エリートで高級官僚たちの集団)の連合体である。
そして、これにローマ・カトリック教会と、イギリス国教会(アングリカン・チャーチ。聖公会==せいこうかい=とも自称する)でイギリス王家が主宰するロンドンのウエスト・ミンスター大聖堂が本拠地。その裏側にあるのがビッグベン。イギリス議事堂だ。ここも、ディープ・ステイトに入る。
私が今日、どうしても強調するのは、このザ・ディープ・ステイトを✖「DS(ディーエス)」と略称、略記する者たちがいることだ。この者たちを、絶対に信用してはならない。この者たちを強く疑って、警戒せよ。
DSと略称する者たちのほとんどが、統一教会(ムーニー Moonies )の構成員か、その手先、及び別動隊である。評論家で言えば、馬渕睦夫(まぶちむつお)と、及川幸久(おいかわゆきひさ)である。私は、このバカヤロー2人と一緒に、気楽に行動している者たちに警告しておく。原口一博(はらぐちかずひろ)議員よ、及び、田中宇(うー、たなかさかい)君よ、君たちはこの奇怪な者たちに騙されるな。一緒に行動するのは止(や)めなさい。自分の身をしっかり守りなさい。
それから、コロナ・ワクチンの危険性について、優れた見識と深い知識を持っている、と評価されている吉野敏明(よしのとしあき)医師へ。貴方が、ようやく昨秋、参政党(神谷宗幣=かみやそうへい=という、極めて危険な男が代表。この党が得票した175万票は、そっくりそのまま幸福実現党から移ってきたものである)から、吉野敏明が彼らの本姓を見抜いて、対立しケンカ別れした。吉野敏明医師の判断は極めて正しい。
あの京大の宮沢孝幸(みやざわたかゆき)准教授( 彼がコロナ・ワクチンは人工兵器、生物兵器 であるとはっきり証明した。偉い )の周りにいて、一緒にビラ配りしている者たちが、参政党の活動家たちである。宮沢は馬鹿ではないから、彼らに騙されることはないだろう。だが、気をつけなさい。
私、副島隆彦のこの文章を読んで、「えっ、そんなことってあるの。参政党って正しい人たちでしょ」と思い込んでいる程度のバカどもは、自分の知能の低さを恥じなさい。 私、副島隆彦の判断力と政治思想の理解の高さが分かかるなら、私の言うことに従いなさい。私の本をこれまで、一所懸命、読んで来た人たちに対しても、私は、厳しい態度を取る。あなたたちを私は甘やかさない。私の弟子たちの中にもバカが多い。
ここで、私が以下に4枚、私の本からのページを貼り付ける。この文章をしっかり、何度も何度も1時間ぐらいかけて読め。これが読めないようだったら、もう学問道場に近寄って来るな。ただでさえ、最近は、創価学会系の者たちと、ちょっとアタマの足りないリベラル派の連中が、ここを見に来なくなった。そんなことは私は構わない。
以下の文は、私の主著である『 世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち 』(1999年刊、講談社+α文庫。初版は1995年、筑摩書房刊 )から、そのまま画像で貼り付けて載せるものだ。これは、私の主著(しゅちょ)だぞ。今から30年前に私が書いた文章だぞ(私はこのとき42歳だった)。お前たちに、いくら言っても何十度、私が力説しても、この本を読むことができないままの者が多い。立派な読書人で、知能も高い者たちなのに。
今のこの私の言葉が脳に突き刺さったら、今度こそこの本をアマゾン中古本で手に入れて、以下の4ページを読んだ後、は、なんとか、この難解な本の世界に、皆さんは、入って行けるから、読み始めなさい。
出典(P99)
出典(P100-101)
出典(P108)
出典(P186)
『 世界覇権国アメリカ を 動かす政治家と知識人 たち』
副島隆彦です。私のこれらの文章が「何だか難しいなあ」で、読めないようなら、それは、政治思想や知識を学ぶには、やっぱり自分の知能が生まれたときから高くないのだ、と自覚しなさい。
「それでも、いいもーん。私は、私だもーん。副島隆彦、威張るな 」と言って、私の文を敬遠するのは自由だ。みんな、自分の人生が忙しい。毎日の自分の生活で大変だ。私はよーく分かっている。 それでも、ここに来る皆さんの多くは、世界政治情勢や、社会、政治問題に興味があって、毎日のように寄ってくる人たちだ。
とりわけ副島隆彦の本に、これまでに心底、嵌(はま)って、これまで読んできた人たちだ。私は、皆さんを同志として評価している。
それでもだ、私がつい最近書いて出版した、私の初めてのスピリチュアル本である 『自分だけを信じて生きる ―― スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ』(幻冬舎、1月24日刊)を何とか読みなさい。こっちは全く難しくない。きっと頭がスッキリする。3時間で読める。 「スピリチュアリズムは宗教ではない」という言葉を本気で考えなさい。ルネ・デカルトという偉大なフランスの思想家が『方法序説』 ” Discours de la methode ,1637”
「ディスクール・ド・ラ・メトード」 で、
「この世界は、物質(マテリエール)と霊魂(エスプリ。れいこん。副島隆彦がさらの注記。これは人間の思考、知能のことだ )だけで出来ている。ゆえに神(宗教)は要(い)らない。僧侶、坊主、神父たちはもう要らない 」と宣言した。
このことの凄まじいまでの激しい宣言の重要性を分かりなさい。デカルトが、なぜ近代以降で、最大級に 偉大かを、副島隆彦がついに解明した。このことで、皆が知っている、デカルトがこの本で宣言した
「私は考える(思う)。ゆえに私は存在する (我レ思ウ。故(ユエ)ニ、我レ有リ)」
Cogito ergo sum.コギト・エルゴ・スム
英語でなら、 = I think, therefore I am .アイ・スインク・ゼアフォー・アイ・アム(私は、存在する)」
「私は考える(思考する)。だから、私は存在する」
だから、「もう、神が人間を創ったとか、を、私は信じない。もうキリスト教(および、すべての宗教)は要らない。消えて居なくなれ 」と 力強く宣言した。それにヨーロッパ中の知識層の人間たちが、死ぬほど、感動した。
このことが、どれほど重要か、日本人のすべてが、あれから、387年経(た)った今こそ、本気で分からなければいけない。このことだけは、私は、今日、ここで、はっきり書いておく。
私、副島隆彦が再度、はっきり書く。✖DS(ディー・エス)と 書く者たちを、絶対に信用するな。彼らに近寄るな。こいつらは、まさしくディープ・ステイトの下僕(げぼく)で、手先で、日本国民を洗脳し、苦しめるためのディープ・ステイトの先頭(せんとう)かつ戦闘(せんとう)集団である。こういうのが私の周りにも何人かいる(出版社の編集者とか)から、私はこうやってカリカリして書いている。だから、上の方に私が画像で載せた私の主著からの4ページを本気で読みなさい。
今では、日本でも割と平気に多くの人たち(それでも、およそ200万人ぐらい)が、ディープ・ステイトという言葉を、使うようになった。このコトバを、アメリカで、一番初めに使い始めたのが、まさしく、上記の私の文に出て来る、ジョン・バーチ・ソサエティ John Birch Society なのである。
このことを知らないで、勝手に、いいかともって、自分の大したことのない頭(知能、思考力)で、いい気になってディープステイトというコトバを使っている者たちは、反省しなさい。 私、副島隆彦の学識に、素直に従いなさい。なぜなら、このことを知っているのは、日本では、私だけだからだ。あとは誰も知らない。ホントだぞ。
私が、自分の本から、画像を貼り付けて載せたとおり、ジョン・バーチという人物は、朝鮮戦争(1950年)の時に、米軍の情報将校で、表面は、従軍牧師(チャプレン)で、北朝鮮の金日成(キム・イルソン。ロシアによってつくられた指導者。その少年時代の背景。満州と北朝鮮の国境の松山(しょうざん、まつやま)教会に母親と通って、奇妙な奇怪なキリスト教徒になった人物)を調べていた。
この松山教会のカルト宗教から、その後の、金日成主義(チュチェ思想)が生まれ、そして、統一教会(Moonies ムーニー)の狂った、狂気の宗教も生まれた。
それをジョン・バーチは、アメリカの情報将校として探っていたのだ。そして中国共産党軍に殺された。だが、さらに奥の真実は、この統一教会というクレチニズム(現地化して奇怪になり尽くしたローマ・カトリックの思想)を、反共右翼思想として許して、育てたのは、まさしくローマ・カトリック教会(ヴァチカン)である。それと、CIA(アメリカ中央情報部)である。このジョン・バーチという反共保守の米軍人を記念して、その名前を冠(かんむり)にした団体である。 このことは、敗戦直後のドイツで、若いヘンリー・キッシンジャー(ドイツ人だから生まのドイツ語が出来る) が、米軍の情報将校として、現地に居残って ナチス・ドイツの トゥーレ協会と、シュヴァルツ・ゾンネ(黒い太陽)などの、秘儀を行うカルト(cult 邪教)の恐怖の団体(これが、今の狂ったウクライナのアゾフ連隊のネオナチの思想になった)を、ずっと調査していたことと等しい。
だから、キッシンジャーは、早くから、プーチンと、習近平と、トランプに、「いいか。古代バビロニアの悪魔たちが復活したぞ。気を付けろ」と、何回も、老骨に鞭打って(100歳で去年の暮れに死んだ)飛行機で飛んで、教えに行ったのだ。
このジョン・バーチ協会のことは、画像4枚をしっかり読めば分かる。読んでも、全く分からないのだったら、どこかへ 行け。私は、お前みたいな馬鹿を相手にしない。このようにハッキリ書く。
今の日本で、私、副島隆彦だけ が世界基準(ワールド・ヴァリューズ)の欧米の政治思想の、最高度の理解水準に到達している。他のやつはバカばっかりだ。東大教授や京大教授を名乗っていたって、私には、ヒヨコどもにしか見えない。私の目の前に現れれば、張り倒されることを覚悟せよ。私が、お前たち程度の知能と学力の低さを見抜かないわけがない。30分間も話したら、すべて能力測定をしたあと、私のコトバで撃滅してやる。
だが、どうせ、お前たちは、私を怖れて、私の目の前に現れることはない。そして、私が死ぬのを待っている。私が死んだら、「こんなこと(副島が書いていたことたち)は、みんな知っていたことだよね」と、血塗られた自分の唇(くちびる)を手で拭いながら、私、副島隆彦の業績を、葬(ほうむ)りたいのである。たかが、この日本土人(どじん)どもの、日本語で書かれた政治知識の集合体 ぐらいで。だから私は、簡単に死んでやらない。あと10年は生きるからな。
ディープステイトどもが、捕まって、ペドフィリア ( pedophilia 幼児を性欲の対象にする性的倒錯)の犯罪で、幼児たちの大量殺害の事実がはっきりして、証拠がたくさん挙がって、そして、アメリカの軍事法廷で裁判に掛けられて、処刑されるまで、見届けてやる。ヒラリー・クリントンや、ジョージ・ソロス(もう死んだようだ)や、ダボス会議のクラウス・シュワブ 以下、まだ生きているディープ・ステイトの表に出ている者たちは、裏に隠れている悪魔たちも含めて、すべて処刑されるべきだ。
このザ・ディープ・ステイトという言葉を初めて使った(作った)ジョン・バーチ協会というのは、極めて特異な、奇妙な、だがある意味で、ズバ抜けた頭脳をしたアメリカの知識人集団である。簡単に言えば、反共右翼の団体である。そのことは上記の4枚の画像の文を読めば分かる。
もっと複雑な話になると、このジョン・バーチ協会の現在の大幹部の1人が、コーク(Koch)兄弟(ブラザーズ)という、アメリカのカンザス州で石油掘削機械を作っている大企業の一族である。チャールズ(父)・コークである。 このコーク社が、資金源(政治献金)になって、今の共和党の中の下院議員30人ぐらいを動かしている。こいつらを「フリーダム・コーカス」 freedom caucus と言う。この者たちまでが、リバータリアンを名乗る。リバータリアンの一種である。そのくせ、トランプ大統領に逆らったりして、おかしな行動を取った。
私、副島隆彦、日本に、リバータリアニズム Libertarianism (アメリカの開拓農民の魂 から生まれた。独立自尊の気風をもつ思想。連邦政府の言うことを聞かない。反税金、反官僚制。反国家)を紹介、導入するためにもう40年もがんばってきた日本知識人である。私は、リバータリアンなのだ。
この複雑さが、例えば英語で、サラサラとアメリカの政治記事や文献を読んでいる、西森マリーさんでも分からない。アメリカの政治党派(セクト)の思想分析が、きちんとできていない。 そういう人間たちには、人類の政治思想(ポリティカル・ソート political thoughts )の の脈々たる流れと全体像が何か、を分からない。
簡単に言えば、アメリカ共和党を構成している8派の思想派閥の分類ができてない。米民主党は4派の思想派閥からなる。こういうことが分からないようなら、政治知識人なんか気取るな。消えていなくなれ。どうせバカなのだ。いくら言っても、私のこの本を読まない。
私のこの主著である略称『覇権アメ』を、死ぬほど赤ペンを入れて読み込んだ、例えば、東大教授でディープ・ステイトの手先である、あのバカ野郎 の藤原帰一(ふじわらきいち)のような者たちがいる。 藤原は、私のこの本をハーヴァード大(イエール大か?)留学時代に 読んで、「ネオコンとは何か」が初めて分かって、それで大(だい)ビックリして、それで大論文を書いた。このことが、私にバレていないとまだ思っている。
「覇権アメ」の 冒頭にある 「アメリカ政界の思想派閥の全体像 」
「覇権アメ」から 米共和党7派 と 民主党4派
藤原帰一の他の学者どもも、50代から下は、みな似たようなものだ。皆、私のこの主著の「覇権アメ」を隠れて読んでいる。 こいつらは、ハーヴァード大学や、プリンストン大学に留学して、そこの日本語の政治学文献の中に、私のこの「覇権アメ」があるのを発見して、死ぬほど驚いて、ペロペロ熱心に読みふけった。こいつらがアメリカ留学で一番勉強になったのは、私の本からだ。要するに、日本の政治知識人と言うのは、バカが揃(そろ)っているのだ。あるいは、全員、私の弟子だ。
それに比べれば、赤ちゃんのときから英語をしゃべって、ナマの実感で、英語が分かり、後にLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)や、ハーヴァード大学で学んだ、木原誠二(きはらせいじ)官房副長官(辞めさせられた)のような男が、ホンモノの政治家(国会議員)だ。 木原は、日本に来ているゴロツキ・ユダヤ人の頭目の、ラーム・エマニュエル大使と激しく口喧嘩して、「これ以上、日本はウクライナ支援金を、払えません」と言っている。木原が偉い。だから、岸田首相が絶対に木原を手放さなのだ。いくらCIAの手先の文春が。文春大砲で、木原を狙い撃ちにしても、却(かえ)って、大塚署の 高卒の刑事(けいじ)警察官の下っ端たちが勝った。木原の妻の前夫を下したのが、奇怪な公安(こうあん)警察官で、妻の父親だ、ということを、犯罪地の家の前の道路での実行犯の姿が映った動画(16年前の)を公開した。このことで、文春大砲の方が破壊されたのだ。だから木原は守られた。 こんなことも、お前たちは、まだ分からないのか! 張り倒すゾ。
木原に比べれば、お勉強秀才の成れの果ての、日本の国際政治学の学者どもや アメリカの手先の新聞記者あがりの欧米政治の紹介文を書いている程度のテレビ有名人どもは、たかが知れている。かつ、フジ産経新聞と笹川財団(ここも統一教会の片割れ。橋下おさむ が、そのピエロの広告塔)の、統一教会会員や、シンパ(共感者)どもが多くいる。その名簿の一覧表 を、今度、私が、こんど貼り付けてやる。
慶応義塾大学の 総合政策学部の廣瀬陽子(ひろせようこ)たち、おまえたちを、私は絶対に許さない。お前たちこそは、ディープ・ステイトの手先、そのものだ。旦那が**だ。慶応義塾大学の理事会(ボード・メンバー)とも多くが重なる 三田会(みたかい) は、まさしく日本のディープ・ステイトの出先(でさき)そのものだ。お前たちは、恐ろしい儀式(リチュアル)にも参加して、一生逃げられない立場の人間たちだ。筑波大のあの公然たる統一教会員の キチガイの中村逸郎や東野篤子なんかとは比べものにならない。。
もう、これぐらいで止める。私がこれ以上、喚(わめ)くと、お前たちは不愉快になるだろう。こんなことを、言われると人間は不愉快になる。あるいは、完全に無視して聞こえなかったふりをする。
私も同じく不愉快だ。私は、こんなに30年間も、日本社会で認められないで、苦労に苦労で、我慢に我慢で、不遇を囲(かこ)って、多くに重要な真実を書いて、たくさんの本にして伝えて来た。ここまで耐えに耐えて生きてきた。この私の人生を、私は最近は、ギリシア彫刻の姿をした女神さまたちの霊魂(スピリット、レスプリ。l’esprit ドイツ語なら Geist ガイスト)が守ってくれている。だから、私は、どんどん仕合(しあわ)せである。
ドイツ語のGeist ガイスト(英語のゴースト ghost 幽霊 と語源が同じだ)を、もう、✖ 精神(せいしん)と訳すのをやめよう。これは、スピリット(フランス語ならエスプリ)と全く同じもののだ。
だから 精神病院(せいしんびょういん。 ドイツ語で、ガイステス・クランク・ハイテン・ハオス)を、これからは、霊魂病院(れいこんびょういん)と訳すべきだ。なぜならい霊魂(思考、知能)の方が、精神よりももっと大きくて、すべてを包摂するコトバだからだ。
私、副島隆彦が、何を言っているか、分からない人は、前記の、「自分だけを信じて生きる」を読みなさい。 偉大なるニーチェが、「キリスト教は精神病院(ガイステス・クランケ・ハオス Haus )である」と言い切ったのだ。
だから、これからは、精神(障害者)病院は、 霊魂(=知能)(障害者)病院に、言い変えて、コトバを替えるべきだ。 霊魂病院 という コトバは、素晴らしいコトバだ。だから、深く長ーく(30年ぐらい)掛かった思索(しさく、沈思黙考)の後で、私が作った。このことを、よーく、考えて見なさい。
何で私が、馬渕睦夫(まぶちむつお)が大嫌いかと言うと、これまでに、私の本からの大量の泥棒をやって、そのことを恥だとも思わずに、本を出し続けているからだ。それをDSと発語する、反共右翼どもが、わずかだが買っている。あんな見るからに、コケコッコーの鶏のような、軽薄な男のパー が、外務省のウクライナ大使をやっていたことが信じられない。どうせ、周りの者たちからも嫌われているだろう。誰もお前の本なんか読まない。
と私が書いても、こいつは、私を名誉棄損で訴えるということをしない。出来ない。真実がどんどんバレるから。最後まで、ヘラヘラした態度のままで終わるジジイだ。いつまでも私がお前の盗文、剽窃(ひょうせつ)を許すと思うな。
それから、及川幸久(おいかわゆきひさ)。お前は、あの東京の 港区 白金(しろがね)1丁目の、御殿のような、お城のような、高層のお化け屋敷 の、幸福実現党の本部の中で、恐らく殺されたのだろう、教祖の大川隆法(おおかわりゅうほう)から、年に毎年2000万円ぐらいもらって、幸福実現党外国部長? の職名 でずっと、ネット・テレビに出ていた。ところが大川が死んだものだから、お金がもらえなくなって、幸福実現党からも追放された。及川幸久よ、統一教会の片割れのくせに、自分が、何か公正な世界政治言論を日本に伝えているように、いつまでも思い込むな。私、副島隆彦が、お前をいつまでも放置すると思うな。
さぁ、ここまで私がハッキリ書いのだから、分かる人は、ちゃんと分かりなさい。 分かりたくない人は、どうせ低能(ていのう)だから、どこかへ行け。
私が、ここまで本気になって、書いても。どうせほとんど相手にされない。恐れられ、遠巻きにされたままだ。実に寂しいことだ。だが私は、これからも、ずっと今のまま闘い続ける。 副島隆彦 記。
【3103】『隋書』倭国伝の倭国は筑紫王朝である
「源氏物語は藤原道長の人生そのものだ第2回」を読ませていただきました。
隋書の記す倭国は近畿大和王朝ではありません。九州の筑紫王朝です。中国の正史で大和王朝が日本の代表王朝になるのは、八世紀初頭(703年、大宝三年)の粟田真人の遣唐使の記事からです。
日本では『旧唐書』を徹底的に無視し、『唐書』と云えば1060年に成立した『新唐書』を指しました。『旧唐書』は、唐末の混乱、その後の短期王朝の乱立で史料に欠落が多く不完全な史書であるとされ、(北)宋と云う本格的な王朝の成立で唐代の埋もれた資料が多く発掘され故に、より完成され信頼に足る史書として作られたのが『新唐書』であると言われている。また『新唐書』編集責任者の一人は、欧陽脩と云うビッグネームであった事も『新唐書』を重視し『旧唐書』を軽視した理由かもしれない。
おそらく亀井勝一郎、和辻哲郎、唐木順三などの戦前の教養で育った先生方は『旧唐書』の内容など全く知らないのです。
中国の歴史小説を多く書いた陳舜臣さんは唐代の歴史小説を書くため『旧唐書』と『新唐書』を調べたのです。その結果、『新唐書』の方があまりにも誤りが多いことを発見したのです。陳舜臣さんも戦前の教養で育った方ですから、後で作られた『新唐書』の方が優れた史書であると信じていました。それが裏切られて「どうして後で作られた方が杜撰なのだ」と慨嘆しておられました。
日本では平安時代から第二次世界大戦の敗戦まで『旧唐書』を徹底的に無視して来たのです。その理由は『旧唐書』は日本記事を「倭国伝」と「日本国伝」の併記で作っています。七世紀半ば(663年白村江の戦)まで倭国記事で作り、703年の粟田真人の遣唐使の記事で日本国伝を始めている。
それに対し『新唐書』は『日本書紀』の書く天御中主神を祖に持つ「万世一系」の天皇の系図と同じものとして「日本国伝」を作っている。皇統の断絶はなかった、王朝の交代など起きなかったと云う歴史です。『旧唐書』を無視し、『新唐書』を唯一正統な「正史」と扱ってきたのは当然でした。日本の天皇制にこれほど都合の良いものはなかったのです。
しかし中国では『新唐書』の成立当初からこれに対する評価は厳しかったのです。『新唐書』の成立直後に制作を開始した司馬光の責任編集の『資治通鑑』は、唐代の記事を『新唐書』に依らずに『旧唐書』を基に作っている。また考証学が盛んになった清代でも『旧唐書』の方が『新唐書』より正確で信頼性が高いと評価されている。
日本の歴史学者が『旧唐書』を公開するようになったのは第二次大戦の後だ。それも渋々いやいやである。『旧唐書』の倭国伝と日本国伝の併記は編者たちの「みっともない勘違いによる誤り」と解説に付け加えることを忘れない。
隋の役人裴世清は、大和王朝には来ていない。
【3102】一柳 洋 氏の死を悼む
会員番号1855のもう(青柳)です。2023年12月20日、本学問道場会員で副島先生に長く師事し、ご自身でも活動されていた元横須賀市議の一柳 洋氏が亡くなられました。1年前から咽頭がんを患われ、化学療法、放射線治療などで緩解していたものの、10年前に手術をした腎癌、食道がんの影響で飲食が困難になり肺炎などで入退院を繰り返しておられました。ご遺骨はご本人の希望により1月27日に東京湾沖に散骨されたそうです。
氏は18歳でベトナム反戦運動(べ平連)に参加、反公害運動などにも携わりながら市民運動を起こし、1991年から2015年まで社会党から立候補して6期横須賀市議を勤められました。基地の街である横須賀の環境保護、東京湾の保全など積極的に活動される一方で、人為的地球温暖化説には早くから疑問を呈し、近年の新型コロナ感染症、ワクチン強制による市民生活の破壊に強く反対し警鐘を鳴らす活動をされてきました。
特に副島先生の「巨大資本を背景にしたグローバリズム(ディープステート)に、政治とメディアが支配されており、日本は右だけでなく左も堕落している」という教えに共感する所が多く口癖の様に「日本の政党は右も左もダメだ。」と評しておられました。市議として活躍されている時から、体制反体制に関わらず、米軍基地問題などでは、自衛官とも広く交流して市民のための情報収集と活動をされてきましたが、引退されてからは「ディープステートによる支配とメディアの偏向」に一人でも多くの市民が気付く事を活動の中心にされてきました。
私は防衛医大出身で師団司令部勤務経験のある元陸上自衛隊医官ですが、1980年代であれば一緒に活動することはなかったと思われる社会党元市議に、コロナやワクチンに対する疑問、副島先生の著作や思想と考えを同じくすることからお声を掛けて頂き、「温暖化とコロナに流されない市民の会」代表、副代表という立場で短い間でしたが一緒に活動させていただきました。この掲示板を活動の宣伝に使う事は本来の目的に叶わない事なのですが、一柳氏が亡くなる直前まで計画実現を願っておられた講演会について触れさせて下さい。
来る3月9日土曜日13:00から日比谷公園内日比谷コンベンションホールにて「混迷する世界情勢とメディアの情報操作」と題して外交評論家の孫崎 享氏の基調講演、後半に経済評論家の増田悦佐氏、植草一秀氏と私4名で今回のテーマについてそれぞれの専門分野を踏まえて短い講演の後パネルディスカッションを予定しております。(https://ondan567.peatix.com)で予約ができます。一柳氏ご本人の参加は叶わなくなりましたが、真の国士であられた氏の志に沿うよう実りある講演会にしたいと思います。当学問道場の皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げております。