映画なんでも文章箱

◆メッセージ◆

 

この掲示板への参加資格は、『アメリカの秘密』と『ハリウッドで政治思想を読む』との2冊をお読みになっていること、のみです。
映画に関する皆様のお話しをお待ちしております。※作品のストーリーを書いて論じることなども、特に禁止しておりません。作品鑑賞の前にストーリーを知りたくない方々も、自己責任で、当掲示板とお付き合い下さい。
投稿日:2023/11/11 21:00

【67】櫻坂46『承認欲求 -Dance Practice-』

櫻坂46『承認欲求 -Dance Practice-』

 

 

投稿日:2023/11/05 21:27

【66】酒井法子「鏡のドレス(手話バージョン)」Music Video

 

酒井法子「鏡のドレス(手話バージョン)」Music Video

 

相田英男 投稿日:2023/07/07 21:25

【65】分岐点に立たされた山下達郎

詳しくは触れないが、山下達郎がジャニーズ問題の関連で、厳しい立場に陥っているようだ。所属するマネージメント会社内の揉め事の絡みから、7/9(日)の自信のラジオ番組で、ジャニーズ問題についての見解を語ることになったという。

私は山下のファンでもなく、明後日の山下のラジオ放送を聴くつもりもない。だけども、今回の山下の対応は、日本のポップス業界の将来を決める大きな分岐点だと、私は思う。80年代半ばに起きた、RCサクセションのアルバム「カバーズ」の発売停止事件に匹敵するイベントになるだろう。

最早40年も前なのだが、当時洋楽の聴き方を確立した大学生の私にとって、「カバーズ」の騒ぎは、大きな出来事だった。それまで、日本人でロックをやれる歌手など誰もいない、と、勝手に見限っていた私は、「ああ、日本にも本物がいたのか」と、初めて実感させられたからだ。

私が衝撃だったのは、清志郎の書いた反原発の曲の歌詞ではない。優れた表現者は、自らの理想と思いを追求する際に、周囲との大きな軋轢を、自覚なしに起こしてしまう。その、優れた表現者である故に、必然的に自らにのしかかる軋轢を、彼らはどのように乗り超えていくのか?その生き様を見届けるのが、ロックファンの宿命だと、大学生の私は、無自覚だが認識していたのだ。それまでの日本には、そんな表現者はいなかった。同級生が夢中になっていた、矢沢永吉も世良政則もアリスも松山千春もゴダイゴも、そんな人達では無かった。しかし、私が全く期待していなかったその様相が、初めて現実に現れた。それが私にとっての「カバーズ事件」だった。

それ以前では、例えば、ジョン・レノンが「俺たち(ビートルズ)はキリストよりも有名だ」と、うっかり発言したことで、アメリカ南部の保守派から大バッシングを浴びた騒ぎがあった。それをきっかけに、ビートルズはコンサートツアーを辞めてしまい、ファンを落胆させる事となる。一方で、ジョージ・マーティンのサポートを受けつつ、新曲の録音とアルバム作成に注力する事で、「サージェントペパーズ」「ホワイトアルバム」「アビーロード」などの傑作を提示するに至った。(どこが傑作なのかは、敢えて言うまでもない。そのうち書くだろう)

ビートルズ以外にも、ジェフ・ベックとか、リッチー・ブラックモアとか、ローウェル・ジョージとかの(何故か全員ギタリストだ)、周囲と軋轢を起こしながらも、紆余曲折の音楽活動を続ける連中が、海外にはいた。そのファンだった私は、「カバーズ」の騒ぎの際に、「清志郎も彼らと同じだ。日本のポップスも捨てたものではない」と、目から鱗が落ちるのを実感したのだ。

実際に「カバーズ」の、音楽業界へのインパクトは大きかった。あれ以降、日本のポップス曲の歌詞からは、メッセージ性が完全に失われた。何となく前向きな単語と、横文字片仮名が組み合わさって羅列されるだけの、意味不明な、日本語として全く成立しない歌詞ばかりになった。意味がわからなければ、叩かれる心配は無くなる。歌い手の方が勝手に萎縮して、問題が起きるのを避けようと、忖度する姿勢があらわになった。そして、そのまま今に至っている。

別に山下が明後日のラジオで、ジャニーズについて何も語らずにスルーしても、私はそれで良いと思う。山下にとっては、晩年になって、自分の不始末でもない事態に巻き込まれて、納得が行かない処もあるかもしれない。成り行きによっては、輝かしいキャリアを棒に振る可能性もあるだろう。しかし、今回の自分の対応が、清志郎のカバーズ事件と同じインパクトを、周囲に与えることを、充分に、よくよく認識して、意思表示をするべきと、私は思う。

相田英男 拝

投稿日:2023/05/06 00:12

【64】【長渕剛】REBORN TOUR2022 新曲「ダイアモンド」

【長渕剛】REBORN TOUR2022 新曲「ダイアモンド」

https://www.youtube.com/watch?v=6DowQzRag98

投稿日:2023/04/30 22:46

【63】Nogizaka46 " Hito wa Yume wo Nido Miru "

Nogizaka46 ” Hito wa Yume wo Nido Miru “

https://www.youtube.com/watch?v=DHea-Qcy9g0

投稿日:2023/04/17 12:13

【62】4回目のひな誕祭 動画

4回目のひな誕祭 動画 2023年4月2日

https://jpshowbiz.net/video/april-2-2023-the-first-anniversary-of-the-birth-of-the-birthday/

相田英男 投稿日:2023/01/14 00:08

【61】別に淋しくはないよ

ニュースを見て、まず「ああ、そうか」とだけ、僕は思った。
色々と心に込み上げてくるかも、と、前から予想していた。が、そうでもない。

多分僕が、2日に一度くらいの間隔で、ジェフの曲を聴いているからだ。大学時代から、ほとんど空気のように、ほぼ毎日、僕はジェフの曲に接している。ジェフは、僕の周りにずっといる人なのだ。だから、寂しさはあまり感じない。僕が死ぬまで、これからもずっと横にいるだろう。

そう思うと、親兄弟よりも、ジェフはずっと私の身近に居続けた人なのだ。死のうが生きていようが、関係ない。曲が流れてさえいれば、ジェフは僕の横にいる。彼の思いを、ごく自然に、曲から感じることが、僕にはできる。

そういうギターを弾く人だからだ。彼のファンは、全員がそう感じるだろう。

ジェフの人生を振り返ると、はっきり言って、不条理の縮図である。「あれだけの才能と能力があるのに、なぜ世間では評価が低いのだろう?商業的に大成功しないのだろう?」と、最初の頃は、僕はずっと疑問に思っていた。結局わかってきたのは、本物の才能を持つ「オリジナル」は、世の中では成功しない。どちらかというと、周りから疎んじられる、という事実だ。

「オリジナル」のトガった個性は、周囲をグサグサ突き刺したりして、傷つけることが多い。なので「普通の人」には扱いにくいのだ。そんな「オリジナル」を離れて観察している、能力の低い連中は、「オリジナル」が生み出す唯一無二の「作品」を、ちゃっかりと借用して、ダサいアレンジを加えて発表する。そうして得られたヒット商品から、周りの連中が、大金を儲けるのである。

ダサいアレンジでも、世間一般では、誰も目にも耳にもしたことがない「モノ」ならば、素晴らしく見えたりするのだ。世の中にに溢れるほとんどは、そのような「モノ」である。経済的合理性からは、そのような「モノ」を(パクリとも言うが)次々と作り出すのが、大正解であろう。ネットの世界でも、大勢見かける連中だ。「少しでも、他人よりも先んじて、セコく金を儲けよう」そんなセコさのアピールが、近代資本主義社会の常識だ。セコさの集団だ。

ジェフ・ベックこそは、そんな経済的合理性の、対極にいる人である。彼こそが真のオリジナル。しかし、世間的な成功者から見ると、ジェフ・ベックは単なるバカである。「あれだけの才能を持ちながら、成功を掴めていない。何とモッタイない」と、なるのであろう。

でも、私のような、世間的な一般人とは、到底いえない人間にとって、ジェフ・ベックはどうしても必要な人だった。「合理的な生き方なんか、どうでもイイじゃん。そんな生き方をしてる連中には絶対に見えない、素晴らしい宝物が、道端にたくさん落ちているじゃないか。それを拾って集めていけば、俺達も多分、幸せになれるゼ」

そんな癒しのメッセージを、ジェフの曲から僕はいつも感じる。そしてこれからも、僕の横には、ジェフがずっと居続けるだろう。なので、あまり寂しくはないよ。

僕の中でのベストアルバムを挙げるなら、やっぱり「ラフ アンド レディ」である。最初に自分で買ったCDがこれだった。だから、ではなく、このアルバムでの演奏が、ジェフのベストだと思う。16ビートのリズムで、全曲押し切っているのは、このアルバムと「ブロウ バイ ブロウ」の2枚だけである。もうひとつの理由は、アレンジに他人を使っていないアルバムは、この「ラフ アンド レディ」だけだからだ。自身がアレンジを手がけたこのアルバムこそが、ジェフのエッセンスが一番凝縮されている作品だと思う。

つい最近まで、ジェフはライブも続けていたようなので、新たな音源がこれからも、継続して発表されるのだろう。それを楽しみにしたい。

相田英男 投稿日:2022/04/22 21:52

【60】或る音楽評論家との別れ

松村雄策さんが亡くなったニュースが、しばらく前に流れた。数日であっという間に、ネットから消え去ったのが、少し悲しかった。

松村さんは、作家(評論家)といえばそうなのだが、洋楽のファン、特にビートルズの大ファンで、そのまま生涯を終えた人、というのが正解だろう。渋谷陽一の友人で、雑誌「ロッキングオン」の創刊メンバーの一人だった。

その雑誌の中で、松村さんと渋谷の二人が、長年途切れることなく、延々と対談をやっていたのは有名だ。私が時々ここで書く対談文は、二人の対談のもろのパクリである。ぼやきの広報ページに東芝の原発の話を書いてくれ、とSNSIから頼まれた時に、私は、普通の論説文だと、いつまで経っても書き終わりそうにない、と感じた。それで苦肉の策で、松村さんと渋谷の対談を思い出して、あんな感じでやってみようと思った。そうしたら、あっさり書けたのだ。それ以来、私は渋谷と松村さんには恩義がある、と、勝手に思っている。

松村さんのエッセイはほとんどが、ビートルズの関係である。それでも、似たような内容であっても、毎回きちんと読ませる文章であって、40年もの間彼は書き続けた。それだけでも価値がある、と私は思う。

今でこそビートルズの曲は、日本でも聴くのが常識のレベルに広まっている。しかし、ビートルズが解散する前の60年代は、日本では一般に全く認知されていなかった。いい大人は全て、ビートルズのアンチだったのだ。俳優の高島忠夫が、夫婦で来日コンサートを観た感想で、「あんな失礼な態度の連中は見た事がない」と、言っていたそうだ。その記事を読んだ子供の頃の私は、「貴重なコンサートを見た後で、その言い草は何だ?おまえのコメントの方がよっぽど失礼だろう?」と怒りを感じた。

今では彼の息子(長男)の方が、キング・クリムゾンの大ファンであると公言し、音楽雑誌で時々語っていたりする。それを見ると、何ともいえない理不尽さが、今でも私の心中に込み上げてくる。「あんたは高級オーディオセットに囲まれて、ゆっくりソファーに座って、クリムゾンを聴いてるんだろうな。俺は自分の、なけなしの小遣いで買ったLPレコードを、知り合いの家に持って行って、46分のカセットテープにダビングしてもらって、実家にあったモノラルの、ボロいラジカセで、畳に寝っ転がって曲を聴いてたよ。カセットテープがノーマルタイプじゃなく、クロムテープだったのが、唯一の俺のこだわりだったよ」という風に。単なるひがみなのだが。

音楽を聴くことは(人によるのだが)単なる楽しみではなく、「どうしようもないと日々感じる、重たい現実を、綱渡りでもいいから、ぎりぎりになんとか、乗り越えてゆくための力を与えてくれる」ものである。この事実を、子供の頃の私に、最初に、言葉で教えてくれたのが、松村さんのエッセイでは、なかっただろうか?

昔の洋楽の評論文も、変な知ったかぶりをかますか、適当なウソを並べるのが大半だった。まともな内容は少なかったように思う。前にも書いたのだが、クリムゾンのアルバムタイトル自体が「ポセイドンのめざめ」「太陽と戦慄」「暗黒の世界」である。「クリムゾン・キングの宮殿」も、よく考えたらおかしい気がする。courtとは「宮殿」ではなくて、「法廷」などの裁判に関する用語ではないのか?歌詞の内容から推測すると。結局、まともなアルバムタイトルは「リザード」「アイランズ」「レッド」だけだという。全てカタカナ単語の一言である。日本語の直訳ですらない。レベルがわかるよ、全く。

これは断言できるのだが、現在の日本で、きちんとした洋楽の評論が書けるのは、ブレイディみかこさんただ1人である。特に、70年代後半からのパンク以降、ニューウェーブから現在までの評論文が、きちんと書けるのは、彼女だけだ。

60から70年代のオールドウェーブロックについては、他の評論家でも何とか書ける。理由は簡単で、この時代のロックバンドは、他のバンドがやっていないことばかりやっていたからだ(日本語がおかしい)。それまで、未だかつて誰も聞いたことがない音楽を(ついでにLPアルバムのジャケットデザインを)、工夫して編み出して、演奏する(表現する)。他人のサル真似など絶対に、絶対に、しない。それこそが昔のロックの、オールドウェーブの真骨頂である。

大学時代に、キング・クリムゾンが、誰も客がいない福岡の会場で熱演した話を、私に教えて頂いた女性の方が、しみじみ語っていた。「昔のロックは、誰もそれまでやっていない音楽をやるものだったのよね。それが今では、誰かがやっているのと似たような、同じ音楽をやるのがロックになっちゃった。時代が変わったのよね」と。

なので、昔のロックについては、自分が感じた印象を単に綴るだけで、割と簡単に文章が書けるのだ。手間ミソであるが、私がジャックスとクリムゾンで書いたように。だって、早川義夫のように歌う人など、他には誰もいないではないか。(あれを歌だといえるかどうかは、意見が分かれる処だろうが)私は今まで、ジャックスの音楽がクリムゾンと同じ方向性で作られている、と書かれた評論を、不勉強かもしれないが、読んだ事がない。ジャンルが違うのでリスナーが被らかったのだろうが。「なるほど」と気付いた私は、あの文章がすらすらと書けた。

一方で、ニューウェーブロックの評論は難しい。どれも、どっかで聞いたような曲ばかりなので、すぐに内容が尽きて、文章に詰まってしまうのだ。例に出すにはどうかと思うが、レニー・クラビッツなどは、見た目も含めて、ジミヘンとストーンズとツェッペリンを足して、三で割っただけだ、と書いてしまえば、それで終わってしまうのではないのか?(聴かないで書いている・・・・)それ以上は、何とも書きようがない。あえて文章を続けるならば、音楽の内容とは無関係の自分の個人的な話を、無理矢理にこじつけて、延々と書くしかなくなる。

私がロッキングオンを自分で買って読み始めたのは、80年代に入ってからだった。そこで書かれている英国の新人バンドの評論を読んでも、私の頭に全く入って来なかった。バンドの情報よりも、筆者が自分の身近な出来事をひたすら語るだけ。そんな文章ばかりが、ニューウェーブの曲の評論だった。なので、松村さんが毎月載せていたビートルズのエッセイと、後は、まだ若かった市川哲史(いちかわてつし)が、時々書いていたプログレ漫談文くらいが、当時のロッキングオンで、私の読める箇所だった気がする。

ニューウェーブが似たような曲ばかりとはいえ、当時の(英国の)若者達の支持を受けてはおり、流れた時代の世相を映してはいる。音楽の内容の差が小さい分、社会情勢の影響はむしろ強いだろう。しかし、それゆえに、日本人が、ニューウェーブロックと英国の社会情勢を正しく分析して、文章にするのは、相当に難しい。単に音楽が好きで、英語も読めて、文章もそれなりに書ける、では、ニューウェーブ評論にはならない。その曲が流行る彼の地の状況、政治や経済状況がきちんと理解できて、わかりやすい文章にして伝えなければならない。

一方で、日本人の音楽評論家のほとんどは、単なる音楽ファンの延長でしかない。英語が出来たとしても、英国の政治経済状況を調べて理解し、語れる音楽評論家など、誰もいない。そりゃそうだろう。

仕事の都合でロンドンに在住し、現地の生の情報が送れる、だけでも、多分ダメだ。大手企業の駐在員(又は大学教員)、並びにその奥様や家族の方々では、無理である。ロンドンの街中での、狭いコミュニティの生活では、低所得者層の生活が肌感覚でわかる、までにはおそらくは行かない。

ニューウェーブロックを語るには、リスナー達が生活する、現地の下層レベルの環境で、長年生活した経験が必要だと思う。でも、外国の下層階級に溶け込んだ日本人で、きちんとした日本語の評論文が書ける方は、まずいないのではないのか。

そのように考えたら、ブレイディみかこさんだけが、正しくニューウェーブロックの評論ができる理由がわかるだろう。

彼女は音楽ファンであり文章が上手いだけではない。彼女は(おそらくは何処かの大学の夜学などで)大学院レベルの経済学を学んでいる(公言はしないが)。政治についても、恐らくは独学で、本に書ける程度まで勉強している(実際に本を出版している)。なので、ブレイディさんには、政治、経済について正しく語る実力がある。さらに彼女は、言わずもがな、貧乏な(私と同じ)家の出であり、ブライトンという郊外の街で、下層階級層として今でも生活している。ニューウェーブを語るのに文句無し、である。

私は、ブレイディさんの書いた音楽エッセイを読みながら、「ああ、モリシーとはこんな人だったのか」と、しみじみ感じた。それまで、ロッキングオンに書かれたスミスの記事を、何度読んでも全くピンと来なかったのが、初めて腑に落ちた。ブレイディさんと他の論者では、文章の説得力がまるで違うのだ。

パンクやニューウェーブロックは、実は、尖ったセンスの、浮世離れした人間だけが聴くような、取っ付きにくい、偏った音楽ではない。普通の人でもわかるように、平易な文章で、正確に内容を語る事が出来る。そんなことが出来るのを、ブレイディさんの文章から私は初めて知った。

ただし、そんな文章を書くのには、相当な知性の持ち主ではないと無理である。アホではパンクを語れないのだ。残念な事に。単に文章の中でツッパるだけが関の山である。「俺はこんなにイケてる曲をいつも聴いてるんだぜー、イエイ」てな感じで。(こんな奴は流石にいないかもしれんが)

まあ、とにかく、だ。音楽評論家の中で、やたらとツッパる文章を書くのは、全てアホだとみなしてよい。相手にする必要などない。

ぶっちゃけ言えば、洋楽の評論については、ブレイディさんが一人で書くだけで十分なのだ。彼女とその他大勢では、内容のレベルが違いすぎる。他の十ぱ一絡げ(からげ)の評論家などは、全てAIに替えてしまえ。それで全く問題ないではないか。

私は真剣にそう思う。

でも、そうなったらなったで、日本の洋楽評論家の全員が失業してしまう。それはそれで問題か・・・・・・・。なので、武士の情けかどうかは知らんが、ブレイディさんもあまり、音楽の文章を積極的に書こうとしないようだ。誰よりも上手く書けるのに、だ。

「まあ、あの人達にも、生活があるやろうけんねえ」という事なのだろう。

松村さんのエッセイはどれも、気負いやツッパりが全く無い、優しい平易な文体である。彼の訃報のニュースのコメントで、誰もが「ロッキングオンの文章で一番理解しやすいのが松村さんだった」と記していた。洋楽の入門者への優れた手引きとして、松村さんの一連の文章の価値は、薄れずに残り続けると思う。

松村さんの推しは、バッドフィンガー、ニック・ロウなどの優しい、軽いポップスが殆んどだ。バッドフィンガーは、ビートルズが作ったレコード会社のアップルで活動していたのだが、リーダーのピート・ハムが首を吊って自殺してしまうという、悲劇で終わったバンドだ。きれいな曲を作りながらも、心に深い深い闇を抱えていたのか、というやるせなさを、誰もが感じた出来事だった。

ハリー・ニルソンという歌手が昔いて、「ウィズアウト・ユー」というヒット曲を持っている。実家で姉がしょっちゅう聴いていたので、私もカラオケで歌えるレベルまで、曲を覚えてしまった。この曲は、元はバッドフィンガーの曲だった。私は一度だけ、ラジオで、バッドフィンガーのオリジナルが掛かるのを聴いたことがある。

ニルソンの、「さあこれでヒットを飛ばしちゃるぜ」といった、ウケ狙いのあざとい熱唱とは全く違い、ピート・ハムの歌う「ウィズアウト・ユー」は、恋人と別れた悲しみを抑えようとして、それでもダメだ、という辛さが淡々としみる曲だった。切ない気持ちになるのは、ピート・ハムの方だと思う。

松村さんのエッセイで、まとわりつくヤブ蚊を手で払いながら、「人の生き血を吸って太るニルソンのようなやつだ」と毒づく箇所があり、笑った記憶がある。あと、ロンドンまでポールのインタビューに行って、会って自己紹介する際に「ヤー、クリティック、オーケー」とだけ言われて終わってしまい、後で一人でホテル泣いた、とかの、悲しいエピソードも思い出される。ジャックスを私に教えてくれたのも松村さんだった。

ありがとう、松村さん。これからも、ビートルズを聴くようになる日本の若者達の全員が、あなたの文章に触れると思うよ。

相田英男 拝

追伸

松村さん唯一の小説「苺畑の午前五時」は、青春小説の名作である。ビートルズを聴かなくとも一読の価値がある。主人公が高校を退学になる過程も、ほぼ実話だと思う。60年代後半の世相を丁寧に描かれている。少なくとも村上春樹の「ノルウェイの森」よりは、ずっと良い。

村上のあの本は、やたら売れたみたいだが、やっぱりいかん。喫茶店で友人と語っている最中に、クリームの「ホワイト・ルーム」が掛かっていた、と書かれていた。そうすると私の頭の中には、イントロでジンジャー・ベイカーが叩く5/4拍子のティンパニの音と、クラプトンのワウワウを掛けたギターの名演が流れていっぱいになり、文章が全く入って行かなくなった。

あんた事を平気でする村上春樹は、洋楽を舐めている。もしくは、洋楽を真面目に聴いておらず、単に小説のテクニックとして、曲名を使っているか、の、どちらかだと思う。松村さんと喧嘩した小林信彦のように。

あれ以来私は、村上春樹の本に全く触れていない。苗字が悪いのかもしれんとも思える。

相田英男 投稿日:2021/08/09 00:01

【59】Wasted Time

 しつこいと思われるだろうが、小此木圭吾の問題で、ロッキング・オンの社長であり、ロック評論家の渋谷陽一が、何事かをコメントするかどうかが、私は大変関心があった。それで、渋谷陽一のブログの “社長はつらいよ” を日々眺めている。が、そこで更新される記事は、ストーンズがどうした、とか、ディランの息子がどうした、とか、クリムトの絵がどうした、とかの話ばかりであって、小此木についての話は、出てくる気配が全くない。

 渋谷陽一が、小此木の話に未だに自分では触れない理由について、幾つかの可能性を私は考えてみた。

1. 小此木の音楽に、渋谷陽一は全く関心が無い。興味もない。なので、小此木がどれほど批判されようが、音楽活動に支障が出ようが、別にどうでも良い、と渋谷陽一は思っている。

2. 自分の処の雑誌の記事よりも、別の雑誌の記事の方が、より詳細な過激な内容だったので、自分の雑誌の責任は、あんまりない。だから、自分のブログでは別に触れなくてもいい、と渋谷は思っている。

3. 小此木が語った程度の反社会的な内容は、ロックアーチストならば全然許されるもので、特に騒ぎ立てるような物ではない。あのくらいのいじめの話で、騒ぐ連中の方がおかしい、と、渋谷は思っている。

4. 部下の山崎陽一郎が謝罪文を載せたので、それで済んだ、と渋谷は思っている。山崎と同じく、小此木の記事の内容は問題だったとは、渋谷も考えてはいる。

5. 自分が今更、小此木について何かしゃべると、雑誌の売り上げが落ちたり、イベントの集客が減ったりして、会社の収入が減り、従業員達が動揺するので、うかつな事は書けない、と、渋谷は思っている。社長としての責任から、小此木の問題に触れるのを渋谷陽一は避けている。

 だいたいこんな処であろうか。もっと色々あるか、と思っていたが、書き下すと意外と少なかった。推測するに、この件で渋谷陽一は、自分が批判される事を極度に恐れている、としか、私には思えない。渋谷の頭がボケて、小此木の問題を全く忘れてしまった、のならば話は別だが。

 語るに落ちた、と、私はただ思う。

 小此木が散々に叩かれ続けて、音楽家として抹殺されても、渋谷は何も感じないのだろうか?自分には、全く関係ない話だと、無視して過ごせる話なのであろうか?

 一人の人間としての考えでは、そうではあるまい。私にもそれくらいはわかるよ。

 組織の社長としての渋谷の判断は正しいのであろう。が、小此木の問題を無視続ける渋谷の現状は、社会評論家としては自殺行為である。自民党の代議士連中や、原子力村の連中の行為と、渋谷陽一の行いは全く同じではないか。どの面下げて、他人の振る舞いを批判することができるのだ?!

 才能ある人間には、おかしな性格の持ち主や変態が多い。しかし、彼ら変態達の作り上げる作品の中から、多くの聴き手の胸を打つ名作が生まれて来たのも、無視できない事実だ。映画「ボへミアン・ラプソディ」で、はっきり描かれていただろう。その矛盾に対して向き合い、一般の方々への啓蒙を広げる絶好の機会ではないのか、今回の小此木の問題こそは?何故、そこから逃げるのだ?!

 比べればいい、というものではないが、超名曲の「いとしのレイラ」の、クラプトンと共作者になっているドラマーのジム・ゴードンは、莫大な印税を受け取るようになったせいか、精神を病み、実母の額をハンマーで割って撲殺して、終身刑を食らっている。これなど小此木の所業とは、悲劇のレベルが違う。我々洋楽のリスナーは、こんな理不尽さを頭の隅に置きながらも、曲を聴き続けている。渋谷もよく知っているだろうが。

「悪かった、反省しています」等と、いまさら謝罪しなくても良い。渋谷自身が、あの記事が掲載された時にどう考えていたのか、そして、今の小山田の状況を見てどう思っているのか、その事実だけを正直に語れば良いのだ。洋楽評論家のパイオニアである渋谷が、事実と正直に向き合わないならば、物事は全く先に進まないのではないのか?

「あんたの言いたい事はわかってはいるけど、書けないんだよ」と、渋谷陽一は、内心つぶやくのだろうか。左翼の論客ならば、もっと矜持を持って欲しかったが、所詮はこの程度か。

 左翼連中は攻める時には強気だが、守りに弱い。弱すぎる。鳥越俊太郎も、広河隆一も、上杉隆も、米山隆一も、女問題で脆くも敗れ去った。左翼は女問題に弱いのか、寛大なのか?渋谷の場合は女絡みではないが、私から見て、渋谷の情けなさの度合いは、それ以上の酷さである。

相田英男 拝

(P.S. 間違えた処をしれっと直しました。「警視庁捜査一課長」のドラマに、いつの間にか復帰していた斉藤由貴のように。私はあのドラマのファンである。ちなみに、NHK Eテレの高校物理の授業の番組に、斉藤由貴が出演しているのを見た時には、流石に目が点になった。家内が纏めて録画していた数回分を続けて見たら、笑いが止まらなくて困った。この位攻めた方が面白いではないか)

相田英男 投稿日:2021/07/24 17:14

【58】渋谷陽一は小山田問題について自らの考えを語るべきだ

 相田です。

 サブカル関連の文はあまり書くまい、とは思う。だが、小山田圭吾の一件で、ロッキング・オン側が、以下の一文を載せるだけで、沈黙しているのが、私にはどうしても気になる。

(引用始め)

ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して

 小山田圭吾氏が東京オリンピック・パラリンピックのクリエイティブチームの一員に選出されたことを受け、94年1月号のロッキング・オン・ジャパンに掲載されたインタビューで、氏が話された中学時代のいじめエピソードが、各方面で引用、議論されています。

 その時のインタビュアーは私であり、編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての、倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。

 27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。傷つけてしまった被害者の方、およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に、深くお詫び申し上げます。

 犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全なメディア活動を目指し努力して参ります。

 ロッキング・オン・ジャパン編集長 山崎洋一郎
2021/7/18

(引用終わり)

 問題の記事の内容については、「インタビュー当時の時代では、許される雰囲気もあった」という主張と、「当時から看過できない酷い内容だった」という反論が出されて、ネットで紛糾している。前者の意見の方が、かなり分が悪い様子であるが。

 私が思うに、インタビューアーの山崎氏は、本心では反省などしていないのではないか。「反省してお詫びします」と書いても、口先(筆先)だけではないのか、と疑われても仕方ない状況に思える。

 ロッキング・オンのリーダーの渋谷陽一の考えは、どうなのだろうか?該当雑誌が出版されたという事実は、インタビューの内容を渋谷自身が了承していた事を示している。今の時点でも渋谷陽一は、インタビューの内容を「あれでよかった」と、思っているのだろうか?

 福島原発事故の後で渋谷は、原発事故の責任を体制側に激しく追求する記事を、自らの雑誌に盛んに掲載していた。立場が追求される側に変わった今回、渋谷は、上の山崎の一文を自らのサイトに載せただけで、ダンマリを決め込むのであろうか?

 私自身は、「あの当時は、小山田のインタビューを載せても許される雰囲気があった」と、正直に認めても良いと、思っている。洋楽を長い間聴いていると、演奏者達は皆、非道徳者と性格破綻者ばかりである。昨日のオリンピック開会式で曲が使われたジョン・レノンも、麻薬中毒者で、不倫者で、かつ息子(ジュリアン)への精神虐待者である事実は有名だ。ポール・マッカートニーとその取り巻き連中も、何度も麻薬で逮捕されたり、死んだりもしている。それなら、ビートルズの曲は永久に封印するべきなのか、となると、流石に誰もが考え込むだろう。

(あのイマジンという曲も、天国は無い、神もいない、国境もない、という無神論[エイシズム〕の、マルクス、レーニン、スターリン様万歳、の内容だと、かねがね私は思っているが、堂々と合唱曲で使われていた。あと、あの故黛敏郎氏の正当な後継者といえる、反中国、嫌韓国の、偏屈右翼思想の爺様が作曲した、ドラゴン・クエストの曲が、選手入場時に使われたりして、よく中国共産党から怒られなかったな、と、感心したりもした。結局は、みんなテキトーで、どうでもいいと思っていることが、私は非常によくわかった。単に因縁をふっかけた者の勝ちである)

 それで、であるが、渋谷陽一は自らの責任で、小山田の記事を掲載するに至った経緯を、当時の社会情勢も含めて調査して、自らの考えを交えて、詳しく報告するべきではなかろうか。あれは、山崎が勝手にやった事で、俺には関係ない、とは、流石に言えまい。

 これまで、体制側や原子力村の不誠実な対応について、散々非難して来たならば、自らが招いた混乱についても、誠実に対応するのが、正しい大人の対応ではないのか。当事者達の正直な考えを、きちんと記録として後世に残すべきである。そうでなければ、渋谷達の、これまでの体制側への激しい非難についても、説得力が全く失われてしまう事を、重々覚悟する必要があるだろう。

相田英男 拝