ふじむら掲示板

副島系掲示板の"補集合"としての役割
伊藤 投稿日:2024/10/08 14:49

【447】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(14)古事記偽書論争を概観する(11)私の考え(3)

(74)怒り増幅中の「学問ごっこ」伊藤睦月です。

前回の続きです。私が論争史を概観するもう一つの理由は、これが「中二病君」の立論のアキレス腱だからだ。

(75)「中二病君」にとっては、偽書論争など、どうでもよいことなのだろう。彼の立論の目的は、古事記本物説を前提として、

①古事記の制作目的

②作者の一人とされる「稗田阿礼」の名前の由来と正体

③古事記と日本書紀との関係

などについて、彼自身の頭で考えだされた、オリジナルなアイデアを披露することにあるのだろう。

(76)しかし、古事記が偽書となったら、どうなるか。彼の議論は根底から覆り,せっかくのオリジナルアイデアも雲散霧消する。

(77)だから、古事記偽証説論争を十分に押さえておく必要があり。私のような少数説支持者ほど、これにエネルギーを注力せざるを得ない。

(78)一方で「中二病君」は、学会多数説(本物説)に準拠しているのだから、そんなに手間暇かからないなずだが、その論拠が「大野晋」の一般向けの本、しかもそれ1冊だけとは、手抜きもよいところ。

(79)せめて、1979年の太安万侶墓誌の発見という多数派の最大論拠をあげればよいのに、無視するとは、単純な馬鹿か、そうでなければ人文学をなめているとしか思えない。泉下の大野晋先生が嘆かれるだろう。

(80)以前の投稿で、フビライカーンがマルコポーロの「東方見聞録」をよんで、日本征服を企てたなどとトンデモ論を披露して「大恥」をかいた筈なのに、(「東方見聞録」が世に出たのは、クビライカーンの死後。「東方見聞録」には、元寇(弘安の役)の記事が載っている。)また性懲りもなく、でたらめ論をしかも「重たい掲示板」に投稿するなんて、「どうかしてるぜー」と叫びたくなる。

(81)私は、古事記全部偽書説をとっているので、それ以上の議論は無意味だが、ご希望なら、「中二病君」のオリジナルアイデアの問題点を指摘してさしあげましょうか。

以下、次回。以上、伊藤睦月筆

伊藤 投稿日:2024/10/08 13:07

【446】思いて学ばざればすなわちあやうし(13)古事記偽書論争を概観する(10)私の考え(2)

(71)伊藤睦月です。実は、我々が扱っている歴史学は、サイエンス(学問)ではない。「人文学」だ。人文学は世界のありようを記述する「学問」(というより、知識、知恵とでもいおうか)だが、その記述方法として、サイエンスの技法(創始者の代表がデカルト)が取り入れられ、およそ「学術論文」の形が出来上がっている、と私伊藤は理解している。

(72)だから、いくら「自分の頭で考えて、オリジナルなアイデア」を出しても、サイエンスの技法にそってなければ、無価値だ、クズだ。

(73)その技法の最低ラインが「卒業論文」で、大学のゼミでの演習やレポート提出は、結局、その技法を身に着けるための訓練、ということになる、と理解している。

(74)さきに、紹介した「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)は、まさにサイエンスの技法を用いた、副島先生とその弟子たちによる、最初の試みであり、たとえ稚拙であっても「学問ごっこ」の実例集でもあると、執筆に参加した、私、伊藤は自負しています。だから、改めて言いますが、「中二病君」は、私に向かって、「君はバカか」「自分の頭で考えろ」とののしったわけですから、きちんと説明、いや釈明してもらいましょうか。内容の賛否、適否は別にして、それがなければ、君は卑怯者だ。あえて期限は設けないが、こんなもの、ものの数分だろう。

以上、怒りの「学問ごっこ」、伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/08 12:00

【445】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(9)私、伊藤の考え

(66)「学問ごっこ」大好き。な、伊藤睦月です。

今回は、古事記偽書論争に対する、私の考え、を示します。もうわかりますよね?まず、結論から。

(67)古事記は、序文、偽書とも、平安時代初期(9世紀)に執筆された、「偽書」だから、8世紀以前の日本史を記述する史料としては、採用できない。(同旨。岡田英弘「日本史の誕生」「倭国の時代」「歴史とは何か」、副島隆彦「歴史再探訪」、村越憲三郎「古事記は偽書か」)

(68)伊藤睦月です。結論だけ言えばこれだけ。です。本当にこれだけ。ではなぜ、今まで長々論争史を述べてきたか。

(69)それは、この「古事記全部偽書説」が学会主流(古事記学会、上代文学会)では、超マイナー説だから。学術系論文(「中二病氏」のいう「学問ごっこ」も同様)では、学会多数説に反対するからには、それなりの理由、根拠を示さねばならないからだ。

(70)そのためには、論争史を概観するのが、日本基準で求められるからだ(おそらく世界基準でも同様だろう。こういう学問的態度を「反証可能性」(ポパー)という。サイエンス(「学問」、「科学」は誤訳に近い。これも副島先生の本から学んだと記憶している。ちなみに、ナチュラルサイエンスでは、これに「再現性」が加わる、と理解している)

小休止。以上、伊藤睦月筆

 

伊藤 投稿日:2024/10/08 09:41

【444】思いて学ばざればすなわちあやうし(11)古事記偽書論争概観する(8)大野晋の業績について(続き)

「学問ごっこ大好き」な伊藤睦月です。今回も大野晋を取り上げます。

(57)大野晋の業績は、①文法論(「係り結びの研究」1993年岩波書店)、②「日本語タミル語起源説」③一般読者向け国文法知識の啓もう普及(「日本語の年輪」「日本語練習帳」など)だ。この3つ。

(58)伊藤睦月です。人文学の学者の業績価値は本人が亡くなってから、のちどれだけ後進に参照、引用されたかで決まる、と私伊藤は考えている。

(59)この観点からすると、大野の業績は、①の文法論だけで、これは先に挙げた「日本語全史」にも引用されています。いわゆる「上代特殊仮名遣い」は、橋本、宮坂の論文はちゃんと引用されているが、音韻論の分野で、大野の論文はもとより、名前すらもでてこない。

(60)②の日本語タミル語起源説については、大野在世中から、比較言語学者やタミル語学者からの批判が強かった。大野は、「日本語の起源」を新版(1994年)にしてまで、(旧版で「上代特殊仮名遣い」で古事記本物説を主張していたのだが)がんばっていたが、「クレオールタミル語説」に転じ、事実上起源説を撤回した。クレオールタミル語とは、私の理解では、「ピジン言語」で、言語系統に関係なく、ただ類似した語彙を多数並べて見せる、ただそれだけのこと。現在この説を支持する研究者は、学会には皆無なようだ。(在野の研究者には存在するかもしれない)

(61)なお、友人で源氏物語などの対談集もだしている、丸谷才一(英文学者、芥川賞作家)は、この惨状について、「大野の手法は、現代日本語とタミル語の単純比較だから、失敗した。古代日本語と古代タミル語の比較から研究をやり直すべきだ」と忠告していたらしいが、古代タミル語の収集分析に協力する研究者はいなかったそうだ(ウィキペディア情報)

(62)③については、「日本語練習帳」(1999年岩波新書)がベストセラーになり、日本語ブームが起きたが、ブームが落ち着いた、現在ではどうだろう。誰か評判聞いたことがありますか。

(63)伊藤睦月です。「中二病君」があげた中公文庫の紹介では、「上代特殊仮名遣いの研究」をもって「橋本理論を発展させた」旨のことが記されている。しかし、私見によれば、単に紹介しただけであり、本来価値中立、政治性のないはずの「音韻論」の成果を「古事記偽書論争」に巻き込んだ弊害の方が大きいと思う。

(64)なお、古事記序文偽書論の代表者、三浦佑之にも、大野と同様の「におい」がするので、少し警戒している。

(65)これで、大野晋編を終わる。次回は、古事記偽書論争に対する私の考え、立場を説明する。もう察しがついている人もいるだろうが、もう少しおつきあいください(これは「中二病君」以外の方に申し上げている)

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/07 17:20

【443】思いて学ばザれば、すなわち、あやうし(10)古事記偽書論争を概観する(7)国語学者の自己批判?(大野晋の「業績」について

「学問ごっこ」の伊藤睦月です。今回は、大野晋をとりあげます。その前に、国語学について。

(48)「国語学」と一言で言いますが、いくつかの研究部門に分かれているようです。まず、このことを書く。あくまで門外漢の私の理解です。(もし、過誤あればご指摘いただければありがたいです。多分最新の著作である、沖森卓也(立教大学名誉教授)「日本語全史」(ちくま新書2017年)から。

(1)文字表記論

(2)音韻論

(3)語彙論

(4)文法論

の4分野がある。国語学は「日本語学」の意であり、言語学の一分野です。古事記偽書論争で、1979年までは、本物説の主要論拠「上代特殊仮名遣い」は音韻論の大業績である。発見者は橋本進吉(1882-1945)、「橋本文法」という、私たちが中高校でならった「国文法」で有名です。現代国語学のビッグネームです。

(49)古代、日本人は文字を持ってなかったので、日本語の「音」を中国文字で表そうとした。「変体漢文」(万葉仮名)といい、その規則性に最初に気づいたのが、あの「本居宣長」とその弟子、石塚龍麿(たつまろ)という江戸時代の国学者、橋本はその石塚の研究を精査して、「国語仮名遣研究史上の一発見ー石塚龍麿の仮名遣奥山路」(1917年)を発表し、橋本の弟子、有坂英世(1908年ー1952)はそれを受け、古事記だけの使い分けを発見して、「上代特殊仮名遣い」と命名した。

(50)有坂は、橋本進吉の一番弟子で、「天才」と言われて、橋本の後継者に指名されていたが、結核のため、40代で没した。橋本も1945年に没したため、彼の後継を指名したのは、同僚の金田一京助(1882-1971、アイヌ語の研究や国語辞典の編纂で有名)だが、有坂の早世をのちのちまで惜しんだという。(ウイキペディア情報)さきの橋本論文の概要は、講演集「古代国語の音韻について」(1980年岩波文庫、大野晋解説)で誰でも読むことができ、この本は国語学を志す者の「必読文献」だそうだ。(ヤフー知恵袋)

(51)伊藤睦月です。このように、「上代特殊仮名遣い」は国語学のなかでの「音韻論」の業績であって、それ以上のものではない。それを「古事記偽書論争」に持ち出したのが「大野晋(1919-2008)」である。

(52)大野は「上代仮名遣いの研究ー日本書紀の仮名を中心として」(1953年岩波書店)を著して、橋本=有坂の論文を紹介、解説者として登場した。続いて「日本語の起源旧版」(1957年岩波新書)で、上代特殊仮名遣いを正確に書き分けられたのは、奈良時代初めの人間であって、平安時代の人には書き分けは不可能だと主張して、古事記偽書説を否定した。それに反論したのが、大和岩雄(1928-2021)「旧版古事記成立考」で、それに対する大野の再反論が、「日本語の成立 日本語の世界1」(1980年中央公論社)、それを改題したのが、「日本語はいかに成立したか」(2002年中公文庫)であり、この文庫本は「中二病君」が唯一、取り上げている文献である。

(53)この大野説は多くの賛同者を得て、古事記本物論者の理論的支柱となった。そういう意味では「中二病君」が「(古事記偽書説は)国語学により完全に否定された」と断じるのは無理はない。

(54)しかし、大野=大和論争が進むなかで、国語学者のなかにも、大和に賛同する学者も増え始め、偽書説を認めないまでも、古事記序文や本文には、明らかに平安初期のものが混在している、という指摘も現れ、古事記偽書論者も、序文は偽書だが、本文は本物という、論が多数派になるにつれ、本物説との実質的違いがなくなってきたところに、1979年、太安万侶墓誌が発見されることにより、これまでの議論が事実上、消えた。

(55)伊藤睦月です。1979年の時点で、古事記全部偽書説を主張しているのは、鳥越憲三郎(1914-2007年)「古事記は偽書か」(1971年朝日新聞社)、岡田英弘(1931-2017)「倭国の時代」(1976年)「日本史の誕生」(1994年)だけになった。ひとり、大和岩雄だけは、反論を続けたが、学会からは無視され続けた。(そのやりとりを含め、大和が関係する論争は「新版古事記成立考」という600頁を超える本にまとめられている)そして、2004年に三浦佑之(1946ー「口語訳古事記」が有名)が大岩の説を復活させ、古事記偽書論争は、新たな展開が始まっている。

(56)伊藤睦月です。「中二病君」の勉強不足を指摘するのにこれだけの時日を要した。彼にとっては、「学問ごっこ」だろう。しかし、わが国の人文学の世界では、この最低限、「学問ごっこ」を押さえてておかないと、「この人わかってないよね」で、後何を言っても、相手にされないだろう。これは、副島隆彦先生の論がしばしば論壇から、無視されるのとまったくレベルの違う話(副島先生がきちんと基礎文献を踏まえていることは明らか)である。そこは勘違いしないよう。(ま、そういう人はいないか)また、この「学問ごっこ」が何か、については、村上紀夫(奈良大学教授1970-)「歴史学で卒業論文を書くために」が参考になる。老婆心まで。また「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)もよかったらどうぞ。

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/07 12:56

【442】学問ごっこ、上等。

 伊藤睦月です。そういえば、20年前も守谷君みたいな言葉を私にぶつけてきた会員さんがいたな。いつの間にか学問道場から、いなくなったな。私程度の「学問ごっこ」にもついてこれない、ひとりよがりのたわごとなど、なにほどのものか。

 それでも、私にとって、守谷君の投稿がきっかけで、関連資料を勉強するきっかけとなったので、そういう意味では、守谷君の投稿に感謝しています。本当にいじりがいのあるひとだな、「中二病君」。

 だから、中二病君の反応いかんにかかわらず、投稿はしますので、関心ある方はご高覧いただき、適切なご指摘いただければ、幸いです。(そのときは、「ふじむら掲示板」にお願いします。)

 最後に、中二病君、君が「重たい掲示板」に投稿するなんて、百年早い、と「学問ごっこ」のおっさんは思います。投稿はまたのちほど。

以上伊藤睦月拝

守谷 健二 投稿日:2024/10/07 07:57

【441】伊藤君は、君は馬鹿か?少しは自分の頭で考えろ!

守谷健二です。

君と学問ごっこする気はない。そんな体力も時間も持ち合わせていない。

伊藤 投稿日:2024/10/06 16:06

【440】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(9)古事記偽書論争を概観する(6)(その後の顛末;国語学者の自己批判?)

(43)伊藤睦月です。今回は、守谷君が古事記本物論の唯一の論拠である、大野晋「日本語はいかに成立したか」など、国語学の分野において、異変が起きているらしい。これに関する三浦佑之の説明を紹介する。

(44)(引用開始)・・・ここ数十年のあいだに木簡類の発掘が膨大に集積され、その結果、近年になって日本語の表記に関する考えが根底的に変化したのではないかと思うからです。日本列島に渡来した文字の使用について、従来の、純漢文体の使用を経て変体漢文や音仮名表記の用法が可能になったという表記史の流れは、否定されてしまいました。「日本語の文を書くための基礎技術はな7世紀のうちに開発済みであった」(犬飼隆「文字から見た古事記」)というのですから、古事記の変体漢文がいつ書かれたのかという認識の幅は、以前では考えられないほど広くなったのです。

 (45)テキスト研究を通して古事記研究をけん引してきた神野志隆光(こうのしたかみつ1946-東大大学大学院教授)でさえ、従来の文字表記史を「自己批判」せざるをえなくなりました。(「漢字テキストとしての古事記」2007年東京大学出版会)。これはとても大きな出来事ではなかったかと私にはおもえます。ことは日本語をどのように書くかという日本語表記史の根幹にかかわる前提が崩壊したといってもよいのですから。それを古事記に限定していえば、古事記の表記がどのように成立したかという道筋が、根源からくずれてしまったわけです。(三浦佑之「古事記を読み直す」282頁 2010年ちくま新書)(以上、引用終わり)

(46)伊藤睦月です。では神志野が「自己批判した」と三浦が指摘した部分を、その著書から引用する。少し長くなるが、大事なところ、日本国語学史上、「歴史的発言」といっても過言ではない部分なので、ついてきてください。(三浦は、ページ数まで明記していなので、てこずったが、私が該当部分と思うところを記す。専門家のご指摘を期待する)

(47)(引用開始)2「古語」「古伝」という根拠と「誦習」

(稗田)阿礼は、「古語」を伝え、「古伝」を保持した人ではなかったのかと、問われるかもしれません。いまも、そうした阿礼のイメージは強いと思われます。伝えられた「古語」「古伝」というとらわれから離れるために、この「誦習」の問題に相対さなければなりません。

(古事記)序文は、「稗田阿礼が誦める勅語の旧辞を撰ひ録して献上れ(たてまつれ)とのりたまへば、謹みて詔勅の随(まま)に、子細に採りひりひつ。しかれども、上古の時、言と意と並びに朴にして、文を敷き句を構ふること、字においてはすなわち難し」といい、安万侶の書くことが、阿礼の「誦習」を受けたものとして言われているのですから、本居宣長が(中略)『古事記』に「上代の意言」を見るべきだという立場がここに確立させましょう。

「誦習」は、字義としては文献によって誦することの繰り返しの謂いであり、安万侶の述べるところ、すでに「記載」された本文があり、阿礼はこれに沿って正しい「よみ」を伝えたことになります。(小島憲之「上代日本文学と中国文学 上』塙書房1962年)文字テキストはあったのです。そのよみが阿礼の役割です。語り部のような、ただ「古伝」を伝えた人として、序文自体からして、言っているわけではないのです。まず、このことをはっきりさせましょう。

(以上、引用終わり。『漢字テキストとしての古事記』178-179頁))

伊藤睦月です。稗田阿礼は、まだ文字のなかった時代の物語を超人的な記憶力で語りつくし、それを太安万侶が聞き取って、文字に直した、と思い込んでいたのは、私だけ?故大和和雄や三浦佑之たちって、よほど器量が大きいのかな。それにしても1962年とはひどすぎる、とは素人ながら思います。

気持ちを落ち着かせるため、小休止します。

以上、伊藤睦月筆

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/06 08:58

【439】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(8)古事記偽書論争を概観する(5)(その後の顛末:古事記本物説の現在)

(35)伊藤睦月です。では、古事記本物説の代表者の見解を紹介する。なお、この古事記偽書論争は、現在では「古事記成立論」の文脈で語られることが多いらしい。

(36)(引用開始)古事記には上表文がある。これによって編纂の経緯に具体的な手がかりがあたえられるが、反面、あやういところもある。(上表文の)解釈いかんによって成立の問題が大きく左右されるからだ。まして上表文に疑いがあれば、解釈そのものが無効になりかねない。

 (37)古事記の成立論は、上表文の信ぴょう性を問うことから始めなければならない。その点で古事記偽書説の果たした役割は大きかったといえよう。上表文の真偽をめぐる論争は、そのまま古事記の成立論であった。のみならず、その成否はすぐさまわが国最古の古典に黒白をつける事態をもたらす。論争には、「ただならぬ」気配があった。少なくとも私(当時院生)には、そのように感じられた。けれどもこの論争は、太安万侶の墓誌が発見(1979年)されたことで速やかに幕が引かれたのである。論争がほぼピークに達したとき、よりによって、墓誌が出現したのだ。

 (38)むろん、安万侶の実在が証明されたこと自体に対して新味がない。墓誌が上表文の真実を直接保証するものではないからだ。しかし偽書説を裏付ける材料はなかった。かえって墓誌はその有力な根拠のいくつかを奪い取ったのである。かくして古事記の名誉は挽回され、これがわが国最古の古典であることに疑問を挟む余地はなくなった。

 (39)古事記にとってこういうなりゆきは喜ばしいところだが、上表文の信頼度が強められたことで、その後の成立論が衰退の方向をたどったのは、歓迎すべきことではない。安万侶がこの文書を書いたことは、事実だとしても、古事記の編纂経緯にはまだまだ不明なところがあるからだ。(引用終わり。西條勉「偽書説の上表文1初めに(「古事記の文字法」(2012年)笠間書店所収)

 (40)伊藤睦月です。西條勉(1950ー2015)は現時点では他界している。現在では、三浦の著書を見る限り、守嶋泉(1950ー青山大学名誉教授)が学会主流の見解を代表しているようだ。森嶋の著書については、アマゾンで注文中だから、入手できれば、紹介する。

(41)伊藤睦月です。この三浦と西條、両方の論者を読み比べて、1979年までは両者は拮抗、むしろ偽書説有利で、本物説は防戦一方だ。守谷君が依拠する国語学も、先に紹介した大野晋の文庫本でも、「序文はともかく、本文は本物だ」論に終始し、偽書派がそれを受け入れ、序文のみ偽書論が多数派になると事実上無力化した。

(42)1979年の太安万侶墓誌の発見は、それこそ学会主流にとって「神風」となった。上記文章をよく読んでみると、三浦が回想するように、かなり本物派に有利だともいえず、西條は比較的正直に認めているが、「勝者の余裕」のように思える。いずれにしても、学会主流は本物論で決着済みで、この論争は終わりにして、偽書論、本物論者とも、次の成立史の論点に進みたいようであるが、もう少し、紹介する。

小休止。以上、伊藤睦月筆

(43)

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/06 07:14

【438】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(7)古事記偽書論争を概観する(5)その後の顛末

伊藤睦月です。

 (32)江戸中期の賀茂真淵から、200年にわたって繰り広げられた、古事記偽書論争も、そろそろ終わりに入ったようだ。まず、2000年以降、論争の当事者の大半が、この世を去って論争を展開する論者がほとんど存在しなくなった。こういう、特に人文学の分野では長寿も実力のうち、というか、「生きてるだけでまるもうけ」(明石家さんま)ということが多く起こるらしい。また、守谷君が論拠としているらしい、国語学からの支援も事実上なくなり、新しい展開が始まっている。以下、古事記偽書説、本物説、両方の代表的な見解を示す。両説の違いがほとんどなくなっていることを読み取っていただきたい。

(33)古事記(序文)偽書説(三浦祐之:みうらすけゆき1946年ー)(引用はじめ)「序」の執筆者には古事記本文に対する認識不足があって、本文を筆録したのと同一人物であるとは到底感じられない、私にはそう感じられます。そのために古事記「序」は、本文とは別に、のちに付け加えられたのではないかと考えるようになりました。おそらくその時期は、大和岩雄(1928-2021)が主張するとおり、和銅5年(712)よりも100年ほどのちの9世紀初頭のことで、(新版「古事記成立考」)、太(多)氏またはその周辺に伝来していた書物を権威化するために、天武天皇の誦習命令から始まったとする「序」が偽造されたのではないかと考えています。その実行者をあえて挙げるとすれば、前に弘仁の講書で名前の出た多人長ということになるでしょう。

(33)(古事記本文について)誤解のないように言っておきたいのですが、「序」は9世紀に書かれたのに対して、本文は和銅5年より、数十年前、7世紀の半ばから後半には成立していたのが私の見解です。その理由は、上代特殊仮名遣いと呼ばれる音韻の研究によって、明らかにされている「も」という仮名の二種類の書き分けや神話・伝承にみられる古層的な性格などによって、本文の古さは保証できると考えるからです。出雲神話を大きく取り上げるのも、古層の歴史認識とかかわっています。(引用終わり。「古事記を読みなおす279-280頁(ちくま新書2010年)

伊藤睦月です。次は本物説を紹介します。少し小休止