近代医学・医療掲示板


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伊藤 投稿日:2025/01/15 09:10

【196】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(10):準備(2)蔵書の整理を学問道場にお願いする。

伊藤睦月です。前回の続き

1 後心残りは、蔵書たちのこと。

1-(1)学問道場に参加するようになってから、20年、関連の和洋の学術書や一般書、もちろん副島先生、小室直樹、山本七平の著書など、200冊あまり。一時期は2000冊を越え、自宅の床が落ちそうになったこともあった。

1-(2)独居生活の際、200冊に絞って、持ってきたが(ほかはブックオフ送りになった。購入時は1冊数千円~万単位だった本も、ブックオフに係ると全部で数万円にしかならなかった。それでも、余命4か月には多すぎる。

1-(3)そこで、ダメもとで、学問道場にメールして、私の病状報告とともに、蔵書の引き取りを打診した。20年ぶりのメールで少し不安だったが、断られたり、無視されたら、そのときは、ブックオフに送ろう。

2 副島先生からメールをいただく。

2-(1)返事は、翌日には来た。古村さんからだ。20年前のスタッフさんは、いないようだ。副島先生に転送されており、引き取りを快諾された。

ただ、事務所スペースの関係で、分量の目安を知らせてほしいとのこと。すぐに知らせた。また、副島先生の意向で、会員復活となった。会員番号も当時のまま。私のために作ってくださっていた、「辣腕公務員掲示板」もそのまま。数日中に蔵書(ゆうパックの中サイズで7箱)を発送した。

2-(2)副島先生から、長文のメールをいただいた。何度も何度も読んだ。先生から「10月に福岡の講演会で会おう」と言ってくださったが、4月時点で余命4か月。会えるかなあ。、間に合うかなあ。という思いしかなかった。

2-(3)後日、10月時点で私はまだ生きていたが、検査手術の翌日だったので動けず、結局はお会いできなかった。でも、「副島激推し」としては、これで十分だ。「私淑」のだいご味を味わっている。

2-(4)その後の蔵書だが、現在、私のワンルームマンションは本であふれている。寝るスペース確保がやっとだ。その後、ふじむら掲示板への投稿をする資料として、購入していたら、整理前よりもあふれかえってしまった。誰から頼まれたわけでもない。自業自得だ。これでは、当分処分できそうにないな。やれやれ。

以上、準備の話でもう少し書きます。

伊藤睦月筆

 

 

 

伊藤 投稿日:2025/01/14 16:45

【195】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(9):準備(1)「終活」をする。

伊藤睦月です。

1 がん専門病院への外来の前に、しておくことがあった。いわゆる終活。入院・手術となれば、万が一のこともあるし、その後の抗がん剤治療もある。転院してもがんのあるなしの判断は変わらないだろう。いつの間にかそう思い込んでいた。

2 終活、とっても子供たちに残す財産はない。葬式代程度の生命保険があるくらい。むしろマイナスの方が多いかもしれない。だからと言って、何も言わずに死んでしまっては申し訳ない。

3 そこで、死んでからの初手続きについて、メモを作った。前年に実母と実弟が亡くなって、各種手続きを行ったので、その時の記憶をもとにメモを作った。

4 項目としては、

(1)マイナンバーカードの、パスワード

(2)スマホのピンコード

(3)預金口座の暗証番号(残高確認。正規手続きをしようとするとかなりややこしい)

※金融機関に死亡届を出すとその瞬間、預金が凍結される(マイナンバー登録している口座はすべて)支払いのめどがついてから、届けるのが賢い。

(4)サブスクの暗証番号

(5)公共料金の顧客番号

(6)生命保険等の顧客番号(これとマイナンバーがあれば、証書がなくても請求できる)

(7)葬儀社の指定(小さなお葬式、家族葬プランを、オプションの指定)

※葬儀は、いわゆる葬儀屋に払うものとは別に火葬屋に払うものがある。通常の「葬儀費用」とは、葬儀屋に払う費用のこと。それ以外に火葬場に払うものがある。地域によって、違う。例えば東京では、火葬場は民営で、骨つぼとか指定(つまり彼らから購入しなければならない)してあったりする。葬儀屋にあれこれ聞いたら良い。葬儀屋の支払いはクレジット払いができるが、火葬場は現金払いが原則。意外と盲点。お金に余裕がないなら、なりふり構わず聞くしかない。

(8)それ以外の注意事項

(9)一般論的には、市販のガイドブックに大体書いてあるので、1冊は読んでおくこと。

(10)相続放棄の手続きのポイント(アトランダム)

①まず、所管地方裁判所に、「期間延期申請」をする。(これは、ガイドブックには載っていない)

②通常、死亡後3か月だが、「被相続人の債務調査」という理由で、3か月なら無条件に延長できる。それ以上なら具体的な理由が必要みたいだ。

③その間、遺産等整理をして、負債が資産を上回れば、放棄の手続きをすればよい。なければそのままにして期間が過ぎるのを待つ。

④手続きは司法書士や弁護士に頼めばやってくれるが、有料。裁判所職員に相談すれば、無料でいろいろ教えてくれる。申請書には、書き方の注意点まで書いてある。

⑤これに限らず、役所系は、手続き完了まで、1か月くらい、かかるので、すぐに相談に行く。

(12)その他。

⑥年金関係(社会保険事務所)も同様。早めに動く。

⑦役所関係の手続きは、まず、葬式が終わったら、市区役所の窓口にすぐに行くこと。受付部署を含め、いろいろアドバイスしてくれる。ぼんやりしている暇はない。

⑧相続放棄の可能性があるなら、早めに相談するのがよい。司法書士や弁護士に依頼するかどうかは、自分で調べてから、判断すること。

⑨例えば、相続財産になるものとならないものがある。(金額の多寡ではない)うっかり受け取ると相続したものとみなされ、放棄できない場合がある。

⑩きょうだいなど、相続人が複数あると、一人だけ放棄すると、他の相続人が被ることになるので、そこは、関係者全員で手続きが必要。そういう細かい話も、裁判所職員に相談する。裁判所の彼らは教えたくてうずうずしている人が多い。下手(したて)に出てうまく教えてもらうとよい。

⑪ あ、それから、郵便局への転送届。用紙は窓口にある。窓口で手続きするのは、本人でないとできないので(亡くなっているのでできない)、本人名義で、指定の住所に、郵送で依頼するのが、コツ(葬儀屋からおしえてもらった。弁護士などがやっているそうだ。彼らは正規だと思う)請求書など、1年間は、指定の住所に届く。ガッツな悪知恵。

以上、アトランダムに書いた。特にスマホのピンコードは盲点。恥ずかしい動画の視聴がばれるかもしれないが、どうせ死んだ後だ。かまうものか。

もちろん、お金に余裕のある人は、弁護士任せにするとよいが、一応勉強はしておいた方がよい。後見人とかが絡んでいる場合は、素人では間違えやすいので、専門家に任せるのが、吉。いずれにしても、やることが多い。嘆き悲しむのは、手続きがすべて終わってからでよい。1周忌が目途。

以上、伊藤睦月筆

 

 

伊藤 投稿日:2025/01/14 11:53

【194】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(8)予習(2):「セカンドピニオン」より「転院」を選ぶ

伊藤睦月です。前回の続き

1 がん専門病院のホームページを読んでみる。

1-(1)最初の病院でがんの診断を受けた時点で、職場にカミングアウトした。この先不定期に休みそうだし、入院したら、いつ退院になるかもわからない。

1-(2)2023年から1年更新の嘱託契約になっていたので、来年の更新は無理、と判断して、早めにカミングアウトした。(今となっては、早まったか、と思うが、がんでないとわかる前に、後任がみつかってしまった。もう遅い、汗)

1-(3)職場や関係先にカミングアウトすると、実は、家族や知人ががん患者だった、と教えてくれた人が結構いた。

1-(4)そういった人の中に、地域の国立がん専門総合病院の受診を勧めてくれた人がいた。なんでも、知人の奥さんが、地元の病院で、がんと診断され、がん専門病院で検査したら、がんでないと判明したという。ダメもとで、セカンドオピニオンを受けてみたら、と言われた。少しその気になって、その病院のホームページを読んでみた。

2 がん専門病院への転院を決意する。

2-(1)がん専門病院というだけあって、最初の病院よりも充実していた。

①がん治療は、抗ガン剤が、主流。手術はよほど初期で根治の見込みがないとやらない。患者の身体への負担軽減が主な理由。

②最初の抗がん剤が効かないときは、他の抗がん剤、放射線治療を検討する。

③抗がん剤の副作用は避けられないが、副作用軽減を最優先で処置する。

④がんの種類によって、チーム(主治医、副主治医、研修医、関連医科、看護師、検査技師、療法士、栄養士など)」を作り、患者の情報を共有しながら、治療を進めていく。

(糖尿病を放置されることはないようだ。入院して分かったが、研修医まかせではほとんどなかった)

⑤ニューズウィークの世界のがん病院ランキングにも入っているそうだ。(海外に弱い私には刺さった)

⑤一番刺さったは、胃がんの年間手術件数が数十件あることだ。最初の病院はゼロだった。

⑥手術は結局は経験がものをいう。この病院は専属の医師が中心。最初の病院は、掛け持ちのようだった。こちらは、がんは「不治の病」と思っているから、あとは医師や病院を信頼できるかどうかだ。病院システムの面では、信頼できそうだ。医師とは相性が多分にある。

2-(2)セカンドオピニオンより転院。

①さらに、セカンドオピニオンだと、最初の病院からのデータのみを元に判断する。そして、元の病院に戻されるのが原則。

②がん専門病院で追加の検査をしたくても、原則できない。「転院」してその病院の「患者」になるしかない。

③制度の建前はどうあれ、最初の病院への不信、不安感から始まっているので、セカンドオピニオンの後、また、あの病院の医師たちと対峙するのは、申し訳ないが、遠慮したい。

④また、組織検査はその病院でやるのではなく、検査機関に依頼して、そこのスタッフが判断するようだ。ならば、がんのあるなしの判断は、変わらないのではないか。

⑤結局、セカンドオピニオンは、がんのあるなしでなく、治療法に関する、オプション呈示にとどまるのではないか。私が知りたいのは、がんであるかないか、その進行具合なのだ。そうなると「転院」するしかない、と思った。

2-(3)転院手続きを進めてもらう。

①消化器外科の外来の冒頭、手術日程を提案する、消化器外科の医師に、がん専門病院への転院を申し出たら、あっさりOKになった。

②むしろ、態度が変わった。慌ただしくなった。なんでもその病院への転院手続きは、患者でなく、病院側がしないといけないそうだ。

③入院後に知ったことだが、その病院は、前の病院のデータに自由にアクセスできるそうだ。いわば、がん治療のラスボスなので、転院元の病院は最大限協力の義務があるらしい。

④一方で、その病院でもダメ、となれば、自由診療の病院は別として、ホスピスを紹介されるようだ。

⑤待合室で、30分ほど待っていたら、外来日程が3週間後に決まった。手術を急ぐ、という割には、えらいゆっくりしているな、と正直思った。

小休止、以上伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2025/01/14 09:55

【193】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(7)予習(1):病院ホームページをチェックする。

伊藤睦月です。

1 糖尿病かかりつけ医受診から帰宅した後、検査を受けた病院のホームページを開いて読んでみた。がんについて、臓器(部位)別に、がんの形状、症状、推奨する治療法、進行(ステージ別、余命いくら)などが図解交えて掲載されていた。

2 スキルス胃がんとリンパ転移について、読んでたた。なんとなくわかったのは、

2-(1)スキルス胃がんは、進行、転移が速いので、早期の治療が大事なこと。入院・手術・退院まで、1週間くらいであること。

2-(2)標準治療法は、摘出手術が基本、それに抗がん剤を併用する。

2-(3)悪性リンパ腫は、抗ガン剤治療で、ほぼ「完治」する。

2-(4)この病院では、過去1年間、胃がんの手術例がない、(ほかの部位は数件から十数件ある)こと。ここに一番引っかかった。

3 「標準治療」は「平均的な治療」ではない。

3-(1)この病院の他に複数の病院、闘病記を読んだが、「標準治療」の意味が医師と患者(一般人)では理解が違うのではないかと思った。

3-(2)我々、一般人は「標準治療」を「平均的、平凡、効果普通、保険適用で負担が軽い」と受け取る(少なくとも、私はそう思っていた)。

3-(3)病院側の理解は、「現時点で最もリスクが少なく、患者への身体的負担、費用負担が軽い、おススメの治療法」ということらしい。

3-(4)「先進医療」は要するに「強力な放射線治療」のことで、動かないがんには有効だが、そうでない場合は効果が薄いどころか、健康な細胞をも破壊するリスクがある。兵器に例えれば、小銃でなくて、大砲やミサイルのようなものらしい。誰にでも有効、というわけではないらしい。

3-(5)「免疫療法」は、標準治療が効かない場合に、最終手段として、厚労省が指定する病院、治療法にのみ、保険適用になる(厚労省HPに掲載されている)

3-(6)健康保険適用外の自由診療については、病院としては、効果が確実でなく、費用も高くて、治療も長期にわたるため、推奨できない、としている。

3-(7)免疫療法を勧めている医師のHPをみると、免疫療法は、最期ではなくて、最初に試してみるべき、として、厚労省の方針を批判している。

3-(8)ちなみに、年間費用(自己負担)は、300万円以上、らしい(森永卓郎氏の例から推定)。関連費用は別にかかる。それが、5年間は続く(5年生存率で治った、治らないを判断するらしい)

3-(9)これに関連して、ググってみると、スキルス胃がんの有名人の記事が出てきた。失敗例2件、成功例1件。

①失敗例①は、元テレビアナウンサー(40代)だった人。がん公表から3か月で死亡した。その間、摘出手術と放射線照射を繰り返したけど、効果なかったらしい。

②失敗例(2)は、男性ボーカルグループのパフォーマーだった人(20代)。推しの知り合いにも聞いてみたが、少しやせたねーと思っていたら、ライブを休んで3か月ほどで、死亡記事が出たそうだ。

③成功例は、プロ野球監督(60代)の例。シーズン途中だったこともあり、手術を即決。都内の大学病院で、当時最新の手術だった、「腹腔鏡手術」で胃を全摘。経過も非常によく、1週間で退院。現場に戻ったという。際立った成功例として、大学病院は学会発表し、記者会見まで行った。それから、10年以上たっているが、再発はせず、痩せてはいるが、80代の今でも、球団社長として、現役である。この手術技術が、「標準治療」メニューの主流となった。

4 以上ことから、スキルス胃がんは全摘か。検査よりも早く手術かな、と思い始めていた。次の消化器外科外来まで、10日余りだった。そんなとき、職場の同僚から、ある話を聞くことになる。

小休止。以上、伊藤睦月筆。

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/12/30 22:15

【192】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(6)予兆(2)スキルス胃がんの疑いがある、といわれた。

伊藤睦月です。

(1)CTスキャンや腹部レントゲンを撮っても、明らかにがん細胞だという所見はでなかった。消化器内科・内視鏡科の医師は、胃の組織を採取して、調べたいというので、入院して組織を取った。組織を取るときに、うまくいかなくて胃が出血したので、血止め手術をして、翌日再度組織を採取した。1泊の予定が2拍になった。

(2)2週間後、検査結果の説明があった、よくわからんが、スキルス胃がんの疑いは、あると言い、もう消化器内科では、これ以上やることがないので、外科に行くよう言われ、その日のうちに、外科の外来を受診した。消化器内科の医師は、小声で、検査に時間を費やすと手遅れになるかもしれないから、早く治療した方がよい、とささいた。

(3)外科の医師は、開口一番、自分は一般外科で専門じゃないから、消化器外科を受診してくれ、と言い、その場で外来予約を取ってくれた。その医師にセカンドオピニオンを受けたいと言ったら、もちろん協力するが、消化器外科の先生に話してくれ。

(4)外科の診療室を出ると、部屋付きの看護師に呼び止められ、セカンドオピニオンは、全て手続きを自分で行わなければならない。また費用は保険対象外ですからお金がかかりますよ、もちろん資料提供は協力しますよ、とだけ言い残して去っていった。

(5)その日の夕方にかかりつけの糖尿病外来に行って、状況を話したら、驚いていた。実は、総合病院に紹介するとき、私の、既往症について詳しいレポートを作成し、糖尿病の治療方針まで、提案していたのだ。しかし、実際は糖尿病関係の治療は一切しなかった。入院中に担当の看護師に問い合わせると、確かにかかりつけ医の紹介状は、先生のパソコンにスキャンされているから、ご覧になっているはずです。もう一度私からも確認します、とのことだった。しかし何も連絡がないまま退院した。糖尿病治療はおよそ、1か月間放置されたことになる。

’(6)かかりつけ医は、総合病院で糖尿病の治療(彼女は、管理、と言っていた)をやってくれるものとばかり、思っていたらしく、放置されたことを知って、あせりまくっていた。そして、これからは、糖尿病に関しては、今後こちらですべて、対応します。と言い、そのとき、ヘモグロビンA1Cが、入院前の9.5→12、になっていたので、(大変まずいレベルらしい)即日、インスリン(トレシーバ、リスプロ)を処方された。まず、ヘモグロビン値を7くらいまで下げる必要があるとのこと。

(7)かかりつけ医に、総合病院の対応の適否について聞いてみた。彼女は、おそらく専門の胃がんを見つける、ということに集中していたのでしょう。それで、糖尿病のことは、考えてなかったのでしょう。大体専門医なんてそんなものですよ。私たちは、町医者ですから、専門外でも、気にはしますが、彼らはそうしません。彼らは、胃がんオタクですね。だから専門医になったとも言える・・・。

(8)かかりつけ医は、専門医を批判するような言辞は一切はかなかった。むしろ、自分たちとは種類が違う生き物だ、普通のよくある話だ、みたいな口ぶりだった。私は、帰宅して、すぐに、パソコンを開いた。

 小休止、今後も、こんな感じでゆっくり投稿させていただきます。それでは、よいお年をお迎えください。

 伊藤睦月拝

 

(7)また、最高血圧も120~150くらいをランダムウオークしていた。

伊藤 投稿日:2024/12/16 15:18

【191】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(5)予兆(1)血糖値コントロールがきかなくなった。

伊藤睦月です。

(1)昨年の10月あたりから、血糖値が上昇して、下がらなくなりました。

(2)それまでは、ヘモグロビンA1Cが、6台だったのが、7を突破。それから1か月の定期検査のたびに、7.5、8、8.5となり、年明けには、9を越えました。そこで、2月に腹部と頸部のエコー検査を実施。

(3)3月に検査結果が出て、胃部周辺に異常がみられるので、総合病院での検査を進められ、連携している総合病院(消化器内科・内視鏡科)を紹介され、CTスキャン検査をしました。

(4)4月には、大腸内視鏡検査。胃部の組織検査のため、2泊入院しました。

(5)当初は1泊だったのだが、組織をとるのに手間取って、麻酔が切れて暴れたりしたらしく、2泊する羽目に。

(4)その結果、「スキルス胃がんの疑い」と診断され、消化器外科に移され、早期の全摘手術を勧められました。

(5)そこで、地域のがん専門病院への転院を決意しました。

小休止:伊藤睦月筆

 

伊藤 投稿日:2024/12/09 13:53

【190】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(4)嵐の前の静けさ

伊藤睦月です。

(1)私の糖尿病が重症化し、インスリン注射を始めたのが、53歳の秋。さすがに本庁勤務は無理、と観念して、人事当局に、持病をカミングアウト。翌年度から出先事務所勤務を希望し、出先事務所長として転出しました。

(2)自ら希望して本庁を出たということは、自分で自分の出世を断念したと同じこと。遺留なんて当然ありません。私の異動が判明した時の周囲の反応は、最初の1日目はお通夜でしたが、翌日から、もう私は事実上存在していませんでした。

(3)当時の私は、自分の命優先、家族最優先、とにかく定年まで頑張る(居座る)と決め、出世は考えない、という構えでしたが、出先に出て数か月後、用事で、本庁の古巣に行ったとき、見知らぬ新人から「どちら様ですか」と言われたときは苦笑いするしかありませんでした。私に気づいた元同僚たちが慌てていたのがおかしかった。

(3)とにもかくにも、出先事務所を3か所勤め、60歳で定年。65歳までの約束で、公益法人の役員に就任。役員といっても、後年の年金相当をいただくという程度でしたが、それでも定収入があるのはありがたい。定年迎えてまもなく「熟年離婚」して、退職金の大半を献上して、独居生活にはいるという、おまけつきでしたが(大汗)

(4)糖尿病の方は、出先に出て1年後には、ヘモグロビンA1Cが、7台にもどり、インスリン(トレシーバ)の注射をやめ、投薬(メトグルコ、ジャヌビア)治療に移行し、服用量は変わりませんでした。

(5)ほかに60歳になってから、不眠がちになったので、ゾビクロンを処方され、逆流性食道炎の症状が出たので、ランソプラゾールを、63歳ごろから、血圧が130から下がらなくなったので、グラクティブを処方されました。

(6)私の糖尿病の特徴は「合併症の兆候」がないこと。これには、歴代(今3人目)の主治医がみな首をかしげていました。血糖値だけが上昇し、他の合併症関連の数値は、全く正常。血圧だって特別高いわけではありません。「伊藤さん、あんたおかしいよ」と言われてもねえ。そんなに異常がないのが「異常なのか」

(7)そういうわけで、63歳の時から、脳ドック、頸部、腹部エコー検査を年1回することにしました。毎年1回の職場健康診断(一日人間ドッグ)は、いつものとおり。

(8)それでも、血糖値以外の数値、検査所見は「正常」が続いたのですが、65歳を目前にした、昨年12月に、「待望の?」異変が現れました。

小休止。以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/26 09:41

【189】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(3)予兆の予兆、の続き

伊藤睦月です。誤って、投稿ボタン押してしまいました。前回の続きです。

(4)同僚が騒ぎ始めたのは、3年ほど前に、私の前前任者(管理職)が、私と同じように、糖尿病が悪化して倒れ、救急搬送され、3か月の入院を余儀なくされたことがあって、そのときの様子によく似ていたそうです。とんだブラック職場ですが、役所にもそういう職場があるのです。役所内では、「事業系の花形」で、若手からの人気もありました。本音では、お役所仕事の典型のような職場に配属されると、よいなーと思っていたのですが。そう、うまくはいかないようです。

 とりあえず、小休止。この投稿は急ぎません。ゆっくりゆっくり書いていきます。

伊藤睦月筆

 

伊藤 投稿日:2024/11/26 09:22

【188】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(2)予兆の予兆、糖尿病の重症化だった

 伊藤睦月です。それでは始めます。手元に資料のないまま、書いているので、間違い等あれば、ご容赦を。レスを返していただければ、大変喜びます。

(1)私は、糖尿病の投薬治療を始めてから、10年以上たちます。

(2)その間、53歳のとき(現在65歳)、それまで10年ほど「境界線」(朝食後2時間の血糖値140くらい)だった血糖値が、上がり始め、600になり、これ以上、食事療法と投薬(メトグルコ500ミリグラム×3回)では、抑えきれないと診断され、直ちにインスリン(1日1回6単位)に切り替えました。また、血糖値が下がって、(ヘモグロビンA1cが7台)、投薬治療にもどるまで、12か月かかりました。

(3)伊藤睦月です。血糖値が爆上がりした原因はいまだに不明です。ただそのときは、以上に仕事が忙しくて、月150時間以上の残業、土日祝日休みなしで4か月連続出勤していたら、さすがに異変が起きました。どうしても生活が不規則になり、間食も増え、当時体重70キロが1か月で80キロを超え、3か月を過ぎると、急激に体重が落ち始め、どんだけ甘いものを食べても落ち続け(なぜか尿はにおわなかった)60キロまでおちたところで、同僚たちが騒ぎ始め、半ば強制的に休まされ、受診しました。

 

伊藤 投稿日:2024/11/17 09:01

【187】副島先生、私の胃袋は、いまだ健在です!(1)ごあいさつ

 伊藤睦月です。65歳。公益法人の嘱託のような仕事をさせてもらっています。主に「ふじむら掲示板」や「辣腕行政マン掲示板」に投稿させてもらっています。 

この掲示板に初めて投稿します。どうぞよろしくお願いします。

 さて、私、伊藤は今年4月末に、「スキルス胃がん、リンパ節転移、ステージ4、余命4か月」の診断を受けたあと、他の専門病院で、6か月にわたり、入院検査を繰り返した結果、11月(先週)正式に「がんは見られない。治療継続必要なし」との診断をいただきました。

 そこで、この間の経緯を、この掲示板に少しづつ、投稿させていただきたいと思います。

 医療知識ど素人で、日記もつけていない記憶に頼っていますので、正確性には自信がありませんので、思いつくまま、エッセイ風になると思います。

 また、これは、個別の医療機関や個人を批判する意図はありません。私の経験したこと、体験したこと、感じたこと、愚痴、など「そこはかとなく」書きつけることになるので、固有名詞はできるだけ、避けていきます。

 なお、表題にもありますように、副島先生には、概要をメールさせていただいております。副島先生からは、鼓舞激励のメールをいただいており、感謝です。またこのテーマで書くことを勧められたわけでもなく、自分で勝手に決めて勝手に投稿させてもらうだけですので、もし、文責というものが発生すれば、それはすべて私、伊藤睦月にあります。

 それでは、不定期にぼちぼち始めさせていただきます。しばらくお付き合いくださいませ。

以上、伊藤睦月拝