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Loginはこちら【3135】ふじむら掲示板に【3134】伊藤睦月氏に答える、に対するコメントをあげました。
伊藤睦月(2145)です。
守谷さんへ。今後はこれに対するコメントはふじむら掲示板にお願いします。
伊藤睦月(2145)筆
【3134】伊藤睦月氏に答える
守谷健二です
拙稿を読んでいただき感謝しております。その上批判までいただきうれしく思っています。
伊藤さんの私に対する疑念は、『(旧)唐書』は、663年の「白村江の戦」までを「倭国伝」で作り、703年の粟田真人の遣唐使の記事から「日本国伝」を始めている、と書いてある点だと思います。
しかしこの疑念は簡単に解消することが出来ます。『(旧)唐書』の劉仁軌伝に次の記事があります。
「仁軌、倭兵と白江の口に遭う、四戦して勝つ、倭の船四百艘は焼かれ、煙と炎は天に漲り、海面は真っ赤に染まった。***」
『(旧)唐書』は、倭国伝と日本国伝の併記で作っていますから、倭兵とあれば倭国記事と見做しただけです。
なお、劉仁軌伝には、665年の高宗が泰山で封禅を行った時、倭の国王を率いて参加した、との記事もあります。この時点では倭国には国王不在でした。
「列伝」の記事を倭国記事と見做して悪いのですか。悪いのでしたらその理由を教えてください。
宋初(983年)、太宗の勅命を受けて作られた『太平御覧』は、日本記事を『(旧)唐書』の認識を踏襲し、日本の代表王朝は倭王朝から日本王朝に代った、と書いている。
宋朝の学者たちも、『(旧)唐書』の認識を支持していたのである。
また、司馬光の編纂した『資治通鑑』(1084年完成)の唐代記事は、そのほとんどは『(旧)唐書』に依り、『(新)唐書(1060年成立)』をほとんど頼りにしていない。
『(新)唐書』は、成立当初から信頼性の劣る史書と見做されていたのである。
奝然は、普通だったら中国の皇帝に謁見できるはずがない。そんなことは誰にでも解ることだ。尋常でないことがあったのだ。尋常でない黄金を運んで行ったのだ。
これがマルコポーロの『東方見聞録』のジパング黄金伝説の元ネタになり、フビライハーンの日本に対する異常な執着(元寇)の原因となったのである。
【3133】
森谷健二
【3132】訂正とお詫び守谷さま大変失礼致しました
伊藤睦月2145です。表題を守谷論文に訂正します。大変失礼しました。
伊藤睦月
【3131】ふじむら掲示板に「柿谷論文を検証する」をアップしました。
伊藤睦月(2145)です。ふじむら掲示板に表題のコメント(第1段)をアップしましたので、よろしければご覧ください。もし、コメントなどいただけるなら、ふじむら掲示板に。伊藤が大変喜びます(笑い)
伊藤睦月拝
【3130】 70歳 資産1億7500万円 女性「金(きん)を30年以上コツコツ買い続けて」資産はどうなった?
私の知人から、allabout というウェッブサイトに、以下のような記事があるということを教えてもらいました。副島隆彦 先生 の本を読んで、金を買い続けて、大正解、資産を増やしているという 内容です。
「マネーtips! お金持ちになるための365日
https://allabout.co.jp/gm/gc/499587/
70歳 資産1億7500万円 女性「金(きん)を30年以上コツコツ買い続けて」資産はどうなった?
ここではAll Aboutが9月から募集している「資産運用の成功体験エピソード」から、ほかの方が資産運用にどのように取り組んでいるのかご紹介。 色々な方の資産運用エピソードを通して、ご自身の運用方針を決めたり顧みたりするきっかけになると幸いです。
40年間、金(きん)を買い続けた70歳女性の資産運用のきっかけと取り組み方
金(きん)投資 今回は兵庫県に住む70歳女性の資産運用エピソードを見ていきます。
家族構成 夫と2人暮らし
金融資産 世帯年収:本人250万円(パート・アルバイト)、配偶者500万円(自営業)
世帯金融資産:現預金2500万円 リスク資産1億5000万円
リスク資産の内訳 金地金(きんじがね) : 数十本
その他駐車場経営
40年近く前から金地金(きんじがね)をコツコツ購入してきたという今回の投稿者。
「30代になりマイホームも持ち、共稼ぎなので余裕のあるお金をどうしようかと」思ったのが投資のきっかけ。 金地金を選んだのは、「副島隆彦(そえじまたかひこ)氏の著書で今後、金地金は有力な資産となるだろうから毎年増やすようにとの提案に賛同」したからだそうで「30代から買い増してきました」とのこと。
結果的に「増やしてきて大正解。日々値上がりが楽しみです」とコメント。
70歳資産1億7500万円女性の具体的な資産運用の実践方法は?
ではどのように運用を実践していったのでしょうか。いただいた情報を抜粋すると「貯金がある程度できたら金地金を1kgを買う」ことを続けてきたとのこと。
「凸凹はあったものの確実に値上がりしました。(読んでいた前掲の著書で)1kg1000万円になるとは数十年前からの主張でした。その通りになり」驚いている様子。
「利益確定はせず増やしていく方針」だそう。
40年間、金を買い続けた70歳女性の今後の取り組みは? 金地金以外にも不動産投資(駐車場経営)も行っている。
「株は長年取り組みましたが、あまり利益を生んでいません。金地金は大化(おおば)けしました。駐車場収入は安定しています。土地も上がりました」。それでも、「税金が増えそうな不安があります。あるいは金地金の個人売買の停止など不安は拭えません。不動産に変えようかとの思いもありますが、日本は天変地異の多い国。大地震も常に警告されているので不動産も安全というわけには行きません」 そのため「駐車場は日本固有の天変地異不安から売却を進めています」とも語ります。
なお投資に対する考え方としては、「株は森羅万象の世界であり、多数保有するより潰れそうもない信頼置ける銘柄を選んで売買すれば利益が出ると思いました」とコメントされています。
【3129】副島推しとしての昔話風感想文(とりあえずのご挨拶)
伊藤睦月(2145)と申します。
この掲示板に投稿するのは約20年ぶりになります。
2001年~2005年にかけて、投稿させてもらってました。主な文章としては、ユダヤ本の「マックスウェーバーの犯罪」「ゾンバルトの資本主義ユダヤ起源説」に関する論考、「人類の月着陸はなかったろう論」の挙証責任論にかんする投稿、奧山真司氏の「地政学」に対する書評論文、です。今回あることがきっかけで副島先生から会員復帰を許していただき、改めて、掲示板を拝見していると、昔の副島推しとしての血がうずく(笑い)。で、少し今の副島推しの皆さんと議論したくなりました。もしよければ、おつきあいください。
今回初出なので、重たい掲示板に書かせていただきますが、次回からはなるべく、「辣腕行政マン」か「ふじむら掲示板」に投稿しますので、よろしくおねがいします。私の投稿文は「叙情文」なので。ちなみに、私は65歳。元地方公務員。5年前に退職し、来年から年金生活に入ります。「辣腕」は公務員たちの暴きの場として設けられたものですが、十分盛り上がる前に、私がフェードアウトしてしまい、掲示板も開店休業状態で20年ほどたってしまいました。それにも関わらず、残してくださった副島先生に、感謝です。
では、少しだけ。まずは、副島先生の偉大なところ、それは、下記70歳代の会員の方の投稿に関してです。添削指導をなさっておられるのですね。学問道場開設以来、延々と。驚きかつ敬服します。教育者として卓越されておられます。私が入門したころは、「書評論文トレーニング」というのがあって、弟子たちが読んだ本の中から、引用し、それにコメントを加える、という作業を通じて弟子たちの文章力、思考力の底上げを図る、ということをされておられました。
先に挙げた私の「地政学」やユダヤ本にたいする論考も先生の添削を受けるなかで生まれたものです。その機会を享受しておられる、先達がうらやましい。また先達の文章も、先達と副島隆彦(の本)との出会い、そして先達の人生における影響を踏まえた評価などブレがない。先生は文章は直しても、本人の主張や考えはいじりませんので、先達のそういうぶれない記述が、先生の添削意欲を掻き立てたのではないかと勝手に推測しております。また先達の副島隆彦への入り方、「英文法の謎を解く」ですか。いいですねえ。私もそうでした。最も私は英語に関しては落第生で、ちっとも英語は上達しませんでした。英語部分より、日本語で書かれた部分に魅了されてしまったのです。
次に「政治を科学する(決然たる政治学への道)」ですか、私もそうです。この本には、属国日本論の原型となった論考、吉田松陰の文章を手掛かりに日本の「国体論」の変遷をたどった文章、そして丸山真男の小論「政治の世界」を手掛かりに、我が国における「科学(サイエンス)としての政治学」の探求と挫折を描いた論考など、副島推しには外せないですよね。そして「アメリカ政治思想大研究」(覇権アメ)と「属国日本論」。この4冊はいまだに手元において、折に触れて参照しておりますが、まだまだ読み切ったとはいえません。
あと、副島隆彦初期評論集「切り捨て御免」、好きです。英文法の謎を解くでは、渡部昇一、切り捨て御免では、佐高信といった、当時の大物たちに真っ向から議論を挑む、若武者ぶり(失礼)がなんか萌える(笑)先達と同じく私も蔵書を整理しておりますが、私には最低限、前記4冊は手放せません。私と先達とは同じニオイ、同類のような親しみを覚えましたので、ついうれしくなりました
。副島先生が偉大なことは、副島推しにとっては自明なことで、じゃどこがどう偉大なのか、アンチ副島や、副島隆彦って誰?とかいう不届き者にも納得させるような論拠を示して欲しいし。そして後進としては、「副島隆彦」という巨人の肩に乗っている者として、副島学の発展に少しでも寄与したい、そして、副島学によって残り少ない人生を楽しみたい、という身の程知らずの思いを持っています。副島隆彦先生、ありがとう。(以上)
【3128】十世紀末期~十一世紀初頭(源氏物語の時代)の藤原道長ら高級貴族の最大の悩みは『(旧)唐書』の出現である
『(旧)唐書』の成立は西暦945年、当時日本と中国は民間貿易が盛んになっており、宋船が盛んに博多を訪れるようになっていた。
『(旧)唐書』は成立ほどなくして日本に齎(もたら)されただろう。平安王朝は、それに激しい衝撃を受けたはずである。
『(旧)唐書』は、日本記事を倭国(筑紫王朝)と日本国(大和王朝)の併記で作っている。
663年の「白村江の戦い」までを「倭国伝」で作り、八世紀初頭703年の粟田真人の遣唐使の記事から「日本国伝」を始めている。
『(旧)唐書』は、七世紀の後半に日本では代表王朝の交代(革命)があったと言っているのだ。筑紫王朝から日本国(大和王朝)へと。
日本の王朝の生命線は、「万世一系」の天皇の歴史です。日本には革命など一度も起きた事がなかった、と云う歴史です。その歴史だけが天皇(王朝)の日本支配の正統性を保証している。
『(旧)唐書』は、この生命線を侵し、天皇の正統性を否定する。貴族たちの高貴性の否定である。王朝を支える貴族たちが『(旧)唐書』の存在を放って置くことは出来なかった。
703年の粟田真人の遣唐使以来、度重なる遣唐使たちの一番の使命は、唐朝に「万世一系」の日本の歴史を何とか認めてもらうことにあったのです。平安王朝は、或る程度それが成功を収めているという思惑があったのかもしれない。
しかし、それは完全に裏切られた。裏切られたからと言って放って置ける問題ではなかった。「万世一系」の天皇の歴史こそが日本の王朝の生命線なのですから。
『日本歴史年表』(歴史学研究会編・岩波書店)から引用
982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。
983年、奝然(ちょうねん)、宋商人の船で宋に渡り、皇帝に拝謁。
988年、僧嘉因らを宋に派遣する。
(引用終わり)
『宋史』日本伝より
雍熙元年(984)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至り、銅器十余事ならびに本国の『職員令』・『王年代記』各一巻を献ず。***
後数年にして、奝然その弟子嘉因を遣わし、表を奉じて来り謝せしめて曰く「***
(引用終わり)
奝然と云うのは、東大寺の一学僧でした。その一学僧が、宋に渡るや直ちに皇帝に拝謁を許されているのです。尋常なことではありません。
『宋史』の書き方は、銅器十余事の献上が主役で、『職員令』・『王年代記』などまるで付録のような扱いです。
銅器十余事の中には、982年、陸奥国に貢上させた黄金が詰め込まれたとみるべきです。
988年、奝然の弟子・嘉因に持って行った献上物の豪華であったことは空前絶後です。『宋史』は、その一々を記録しています。
道長ら日本の王朝人は、『(旧)唐書』に代わる新たな『唐書』の制作を嘆願したのだと思う。
次回は、宋朝の思惑を考えたい。続く。
【3127】副島先生は素晴らしく偉大である
会員番号8659の岸義文です。初投稿です。
副島先生の素晴らしく偉大なところは,有史以来現在に至るまでの,日本を含む世界中の全ての思想・知識・学問・情報を分析・総合し,分かりやすく,短く,断定的に示し,生き方と未来への希望を,私達に与えてくださるところだ。
即ち,「金を買え」だ。
「神はいない。宗教はいらない。墓なんかいらない」だ。
「ブッダは『他人にたよるな,自分の力で生きろ』と言った」だ。
「エマーソンは『自分だけを信じて生きろ』と言った」だ。
「デカルトは『考えている自分の存在は証明できるが.神の存在は証明できない』と言った」だ。
「この世は,物質と霊魂でできている。霊魂とは,知識・思考のこと」だ。
「世界の諸悪の根源は,ローマ教会だ」だ。
「同じくらいの悪(ワル)は,英」だ。
「人類は五百年ぶりの世界の転換点に,今,生きている」だ。
「五百年続いた白人による支配は,もうすぐ終わる」だ。
「戦争や動乱を意図的に起こして,人々を恐怖に陥れて,支配しようとする奴らに気をつけて生きろ」だ。
「日本は,明治維新で英の属国になり,第二次世界大戦後に米の属国になり,これから中国の属国に戻って生きていく」だ。
「金融統制が始まる。自分の財産は自分で守れ」だ。
「国家は,五億円も持ってないような奴は相手にしない」だ。
「一億円も持ってない奴は,貧乏人」だ。
「貧乏人は,貧乏人らしく,あれこれ心配しないで,目の前のことをいっしょうけんめいやって生きていけ」だ。
「アジア人同士,仲良くしろ」だ。
「昭和天皇は,大正天皇の子ではない。次の天皇は,愛子様でいい」だ。
「東アジア人のために,未来を明るく希望を持って生きて行ける思想を創造する」だ。
副島先生に学ぶ人が増えれば,船井先生の言うところの「百匹目の猿」現象が起きる気がする。どんな現象かと言えば,「この世に何が起ころうが,明るく,楽しく,希望をもって、幸せに,毎日を生きて行ける日本人が増える」という現象。以上。
【3126】 私の「副島学問」
会員番号6205の浅川雅彦といいます。初めてこの掲示板に投稿します。
(副島隆彦が、2024年5月26日に、割り込みで、浅川氏の以下の文章に手を入れて、読み易くした。私、副島隆彦の先生としての仕事で大事にしていることのひとつは、弟子たちの文章に、赤ペン(朱筆、しゅひつ)を入れてあげて、文章を明瞭、明確にすることだ。どんな私に反抗的な弟子でも、私がその者の横についてやってあげる、互いの問答をしながらの、文章への加筆、加除訂正には、文句を言わず、感謝する。「お前は、ここで何を言いたのか。そうか、それなら、そう書きなさい」と、言いながら文章を手直しする。以下の文の書き手の浅川氏は、私、副島隆彦と同じもう70歳代の会員です。 副島隆彦 記 )
私は、本を大切にする昔流の教育で育った。これまでに本の整理処分は一度行ったきりだ。昨年、自分の本の置き場もそろそろ限界なので、大量に処分た。古本屋に引き取り依頼して、段ボール数箱を、自分でも市の焼却場に軽トラックで持って行った。トラックに満載の量だった。
古本屋に出した分は、自分が好きだったものだった。廃棄処分するのも勿体ない気がしたので、誰かに読んでもらえればと思ったが諦めた。本の整理は結構時間が掛かった。一冊一冊に別れを告げる如く、不思議な感覚で、表紙の確認はせずに、ページをパラパラめくったりした。「ああ、こんな本を読んでいたのか」とかした。同一著者名での本は、副島先生の本だけがかなりあった。その全て処分したのではなく、現在も40~50冊残している。
先生の本で処分する分を段ボールに入れながら、書名に見覚えはあったが、内容は殆ど覚えていない。多少記憶があってもぼんやりしたイメージ程度の覚えでしかなかったものばかりだ。「まッたく、自分が読んだって結局忘れている。よくもこれほどの量を先生は出版したものだ。書いたご本人は全て覚えているのかな。やはや凄いことだ」と思った。
処分せず残してある分の副島本を、分散した場所の書棚から一つの棚にまとめて、ざ~っと表題を見たら、記述テーマ領域の広さにあらためて驚いた。
先生の本はこれまでに優に200冊を超えると聞き及ぶ。私が読んだのは処分した分を加えて70数冊程度だ。その量とテーマの広大さに畏れ入る。
更に、更に。この学問道場のサイトへの先生の寄稿文も数えきれないほどの膨大な量の著述だ。これもいつか数えて分類されるべき研究対象だろう。
処分整理後、暫く経って、部屋でコーヒーを飲みながら、一つの本棚にまとまって並んでいる本を何気なくぼ~っと眺めていたときだ。 これまでの先生の著書と寄稿文で論述されている領域の広さ・内容の深さは、とても常人一人の言論人・学者ではなし得ないものだ、と気づいた。その業績はこの国の人たちに知らしめられ評価されなければならないと私は思った。
いずれ先生の思想・著述を理解しているSNSI研究所や学問道場の人たちが、その内容領域を詳細に分類し、それぞれを深堀(ふかぼり)して究明し、他の学者たちの論文との比較も行い、この多岐に渡る領域内容の横の関連性を整理し、先生の学問領域の体系化がなされるべきだ。
私はこのように考えながら、副島先生に一度、感謝を述べておきたいと思っていた時に、ある人から道場の掲示板に投稿しなさいと勧められた。(副島隆彦加筆。私自身が浅川氏にメールへの返事で勧めた。加筆終わり)
この重たい掲示板には、先生と専門研究者たちの発表が多い。私は読むだけ会員であり、もう随分長い間、文章を書かないから、場違いなところに投稿することに躊躇した。しかし勧めてくれた人から、ゆっくり自由に気が向いたら書けばよい、とアドバイスもいただいたので、自分なりに考えてから投稿する。
私は、先生の論考の内容をきちんと理解さえできていないから、他の人たちのように専門的なアプローチでの投稿はできない。 だが、グジグジと思いあぐねているうちに、単なる一読者に過ぎない私でも、いや寧ろ、素人の読者であるからこそ、普通の読者としての感想雑文で、先生の学問業績について多くの日本人に伝えられるだろう、いや伝えたい部分があるのだ、と思うにいたり書くことにした。
先ず、副島本・副島論稿(ここからあとは先生への敬称は省略する。ご容赦願います)でカバーされている領域の広さと内容の深さは、私ひとりの読書経験からだけの物言いとなるが、他に類を見ないものと言える。 読んでいて、途中自分の知識の少なさ、理解力の低さを徹底的に感じさせられ自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。先生のどの著書・論稿にも知識の広さと深さが必ず表れている。それに基づく思考力の凄さに圧倒される。だから畏怖の念を抱かざるを得ない。決して大袈裟でなく、空恐ろしいという感覚もする。
余談ですが、時折、論稿の中で先生の言葉として、「こういう基本さえ分かっていないバカがいる」との叱咤の表現が出て来る。そういうときは自分が言われている気がすることよくあった。ひょっとしたら、先制の本の読者ターゲットは、あるレベルをクリアしている人々限定なのか、とかも思ったりする。それでも読み続けるのが勉強と思って続けてきた。
戻って。 副島学問の領域は広大無辺ともいえる、幅の広さと奥の深い総合的なものだ。こういう多領域を表す用語は何だろうか。それに匹敵する業績をこれまでに成し遂げてきた人物は誰かいるか、と考えたことが度々あった。だが適切な用語が見つからない。最初に浮かんだのは最近ではあまり使われなくなった「博物学(はくぶつがく)」なる用語だ。これは言葉のイメージから、これは自然科学 Natural Science の範疇(はんちゅう)を扱うから、Natural Historyと呼ばれているものの方だろう。
日本人でこれほどの幅の広い学問業績を成し遂げた人への畏敬の念を抱かせる学者は誰だろう、と何気なく浮かんだのは、江戸期の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の塙保己一(はなわ・ほきいち。盲目でありながら、国学・漢学・神道・仏教から律令、医学、歴史、和歌文学にいたるまでを渉猟した )がいる。それから明治から昭和にかけての南方熊楠(みなかた・くまぐす。本草学・菌類学・生物学・博物学・天文学・民族学・語学・他の人文分野も)だ。 それぞれの分野を直接対比できないが、分野の広さは恐らくこれら偉業を成し遂げた人に、副島隆彦は匹敵すると思われる。
私の読んだものの記憶から、試しに無理を承知で、対比可能な分野を拾ってみる。語学・政治学・法学・経済学・金融経済・会計学・歴史・哲学・社会学・文学・宗教学・物理学から芸能(古典・映画等)までが挙げられる。更に細分化すると、歴史でも、西洋史・東洋史・日本史と枝分かれし、更にそれはローマ史とかヨーロッパ史とかに及ぶ。時期においてさらに中世とか近代とかに分かれる。哲学ではギリシャ哲学からインド哲学や神学、近世哲学などに枝分かれする。
副島先生のそれぞれの分野での深堀りは上位分類にとどまらない。きちんと枝分かれした下位分類にまで踏み込んでいる。現在この国にも数えきれないほどの多くの専門家と称される学者また評論家たちがいる。多くは特化した専門分野でそれなりの深堀研究をしており、それはそれで大変意義ある。しかし、それらの人々が自分の専門の横の分野に、どれほど拡げて研究研鑽しているかと考えると、副島領域の広さに肩を並べる人の名を挙げろと言われたらきっと困る。それほどに副島学の領域の広さは群を抜いている。
また、それぞれの領域でのその掘り下げの深さでも、副島学は専門家諸氏のレベルに引けをとらない。歴史事象のテーマ一つとっても、その知識の深さと考察の掘り下げの深さは半端ではない。このことに副島本の読者は皆驚いていると思う。
今ここで具体的な事例を挙げることは控える。だが、副島論稿の中では、それらの細部の分類に属する部分でもかなり突っ込んだ研究がなされている。だからこそ検証と説明に充分に説得力のある箇所が随所に出てくる。これを一般化して言うならば、その広い領域での学問研鑽を通じて涵養(かんよう)された教養がベースとなっている。
それ故、副島本が論究したテーマを追究する際に、縦・横の糸を操(あやつ)るが如く優れた考察展開ができているのだと私は思う。その考察の結果は広く深い教養から判断判定され、かつ断言が為されている。中途半端な曖昧な表現はとらず明確に断言する。それも副島学(研究)が他の学者・評論家と一線を画している大事な特長だ。日本語を使う我々日本人は、曖昧な表現文化なので、学者や評論家は責任回避策として断定断言を避ける癖がある。だから先生の断言は一層光放っている。
この観点も踏まえると、そのカバーされている領域を表現する用語は他にない。時代は違えども、上記に挙げた類似の偉人と比較してもその研究研鑽の取り組み度合には天才的な才能の共通性を感じる。この意味で現段階では「副島総合学」の呼称が相応(ふさわ)しい。
先生の業績として特筆しておきたいもう一つの分野として、「副島総合学」の内に入るべきものか、その外なのかの判断が私は点かないが、ジャーナリズムが挙げられる。一般的な表面をなぞるような、またそれぞれの利害関係者の思惑などを忖度しながらの無責任報道ジャーナリズムではない、真のジャーナリズムの姿勢だ。
先生は「真実暴き言論人」を標榜(ひょうぼう)しているとおり、それぞれのテーマで目を見張るべき論証・論述をしている。その膨大な量の情報を整理しようとすると、自己の判断を明確に述べるという一連の作業は、並大抵の能力と体力ではできない。それができているのは、「真実暴き言論人」という表現の裏に、それを支えているジャーナリストス・ピリットつまり「世の中の人々に真実を知らしめる」という使命感が張り付いているからだ。この分野では、メスを入れられた側からの妨害と敵対行為等も当然あるだろうから、これを貫いていくには並外れた強い使命感・精神力と勇気(ある時は闘争心)がなければ到底できない。この点においても畏敬の念を抱かざるを得ません。
私が副島本と初めて出合ったのは、今から30年ほど前になる。「英文法の謎を解く」という本だった。私は仕事上で英語を必要で使っていた。会話では対面で顔を見ながらですから間違いがあれば相手側からでもこちらからでも「それは違うよ」とサインが出るので、適度に修正しながら欧米人とのコミュニケーションはとれる。だが、レターとか文書でのやり取りになると会話上でのコミュニケーションとは違う。きちんとした文章でないとなかなか互角のレベルとは認められないんだなぁと感じた。これは文の内容の上手い下手というより、文章でのやり取りの常識的ルール、特に尊敬とか丁寧表現をわきまえているか。もっと言うと書く文に品格が備わっているか、が問われる。
自分の母国語でない外国語(この場合英語ですが)でやりとりせねばならないハンディキャップは、相手側も少しは理解している。だから、内容についてはやり取りを繰り返してるうちにロジックでの整合性が取れていけば、それなりにコミュニケートできる。だが、不思議なもので、ある程度のレベルまで上がった段階での文書でのやり取りとなると、文章上で常識的ルールの欠落やあまりの品格の低さと感じ取られた場合は、それはロジック以前に謂わば感情的に理解受け入れが難しくなる、という傾向があると感じ始めました。
「何言ってんだ。そっちは母国語でこっちはハンディがあるんだから」と息巻いたところで感情として潜在意識 subconscious)に刷り込み imprinting されてしまうから、簡単にはいかない。それを避けるのは、会話だ発音だというより、自分のような普通の学校教育での英語でしか学んでいない者にとっては、文法の理解だと思うにいたった。
そこで、一念発起して、一度忘れかけている学校英語教育をベースとした英文法のおさらいをしたのだが、昔高校の頃に使った文法書に近いものが見つからなかった。仕方なく二冊ほど新しい参考書を買った。だが、なかなかなじめず入っていけなかった。自分の時代とそれほど変わってはいないと思うのだが、高校時代の文法参考書のイメージがこれほど自分の脳に強烈に残っているとは思わなかった。不思議な感じだ。
そんな時偶然この「英文法の謎を解く」(1995,7,8年刊の3巻本。副島隆彦が加筆)が目に留まり新書版だがちょっと変わった感じだったので、買い求め読み始めました。
内容は、自分が求めていた所謂(いわゆる)教科書参考書の文法書とは趣を異にしていた。一般的な勉強用というものではなく、何か言語学(私には実のところこれが何なのかわからないが)の論文のような感じを受けた。だから、所謂高校程度の文法参考書によるような即戦力的な勉強用にはならなかった。古い学校英語が自分の脳こびりついているうえに、年齢もそれなりに来てしまったので頭の柔軟性はなく、おさらいの勉強は先に購入した文法参考書をざっと再確認しておしまいとした。
一方、「英文法の謎を解く」は、英文法に対する解釈の切り口がそれまで習った参考書とは大きく異なり、まるで何か小説のような優れた読みもののような感覚で読んだ。いろいろな事例の説明で「へ~ぇ」と驚いたり「そうなんだぁ」と納得したりするばかりだった。だが、30年前の当時、特に興味を強く持ち理解しようと努力して読んだ部分は、「不定冠詞 a / 定冠詞the」と「仮定法 / 条件節 」であったと記憶している。内容は既に忘却のかなただが。
それ以外でも、勿論(もちろん)面白く、今も参考にはなっているが、恥ずかしながら実際にその後の自分の英語に直接的に役に立てられたと胸を張って言える部分は殆どなかった。
ところが、このような副島隆彦の本の中の語学研究の本にも、前のほうで述べた「広い知識の横のつながりとしての教養」がベースとなった考察が随所に織り込まれていることにただただ瞠目(どうもく)した。例えば中世からのヨーロッパ哲学神学などからの文法体系への影響とか、実際の英米の辞典とか文法書も研究したうえで、それらからの説明もなされている。かつ他のヨーロッパ言語の文法とも比較検証されている。
こんな解説書は他で見たことがなかった。たかが新書版の、厚くもない本だが、実際この時、私は地鳴り衝撃ようなものを受けた感覚で「いやぁ、こんな人がいるのか」と驚きと興味で、別の著作を探してみたところ出合ったのが「政治を哲学する」(1990年刊)だった。
この「政治を哲学する」も、私にとってはこれまた衝撃的な本だった。この本ではそれまでの大方の日本の政治(御用)学者の説明・発言に慣らされていた自分にとって、新たな角度で日本や世界の政治を見る必要があることを初めて気づかされた本だ。彼らがいかにも専門家らしげな発言とは全く異なり、明確に(当時の)米国が世界を牛耳る帝国であるとの、歴史的背景から問題点、そして敗戦国としての日本がその帝国の属国(ぞっこく)であるということを解説していた。
ここでも論述に当たり検証・例証として、幅の広い横の学問知識からの内容がとても多く出ていた。再びその領域の幅の広さと深さに驚愕した。日本のみならず世界の政治学者や評論家の研究から、欧米の歴史、日本の歴史、また宗教論・論語から文学までの広大な領域のなかから関連性をきちんとひも解いての論述展開がなされていた。
ここで、ものすごく重要な副島総合学のキーワードは「米帝国と敗戦国日本の属国関係」だ。
この書が発刊されたのが約30年近く前でした。当時はこの属国という用語さえあまり目にしない時代だった。それから10数年後に、一部の識者・評論家例えば天木直人や植草一秀あるいは少し系統は違うが藤原正彦がWGIPの説明も併せ、ぼちぼち使い始めた。時代は進み今ではもはやSNSでの素人ジャーナリストでも日本属国と使っている。これ一つとっても副島総合学の先見性がうかがい知れる。
爾来(じらい)、この帝国ー属国関係論から延々とつながる、属国日本がどう国家として生き延びていくべきなのかという問いかけと提案、ヒントを時々の事件やトピックスに絡め研究発信を倦まず弛まず続けているのが副島政治学であり、副島総合学の根幹だと私はとらえている。
「副島総合学」としては、この根幹の政治学研究から派生的に生まれてくる、横の領域の研究深堀りで得た新たな究明と発見から、様々な異なる分野を主体としたものすごい量の著書・論稿がある。私個人は、金融市場、税金、株市場、資産保護運用といった分野での著書や論稿は他の分野に比べれば興味が薄く、あまり読んではいない。それ以外の分野でも、興味は強くあるが、たった一冊、たった一論稿を読んで理解するにも自分にとっては相当努力のいることだ。
大体に於いて、人は自分の能力というか力量の範囲を基準として、他(ほか)の人の努力度や負荷の度合を推し量るものだ。「副島総合学」を読み理解しようと努力しているときに、私はいつも思うことがある。 副島隆彦という人の頭の中はどうなっているんだろう、どういう脳をしているんだろう。考える力に於いても記憶力に於いても。どうしてそれほど異なる領域への勉強研究も行えるのだろう。 3.11(2011年の大地震、原発事故)で示された、原発事故の直儀に、現地にただちに行ったあの行動力(と放射能に関する勉強 )の源は何なんだろう。 国内でも世界中の出来事でも、その裏を取る情報把握が、どうしてあんなにできるんだろう。これだけの業績を生み出す時間の管理はどうやってできるのだろう、等々と。
どれ一つとっても遥か彼方の次元の能力の持ち主天才だ。だから、自分の力ではとてもイメージできないと諦める。副島思想というか論考は普通人にとっては決して容易に理解できるものでないことはわかっている。しかしアウトプットされたものがあるのだから、凡人の自分でも時間をかけて学んでいけばよいのだと、自分に言い聞かせている。
如何に副島先生の頭脳が柔軟で、ずば抜けているかの極(ごく)身近な例を挙げてみたいと思います。昨年でしたか、先生がギリシャ神話の全体像を書いた。
私も高校の頃からギリシャ神話の世界に少し入って読んでいた。ギリシャ神話をかじった人なら容易にイメージできると思うが、とにかく神々の関係が入り組んでいて複雑怪奇ともいえる。その神々の関係が絶えず頭を混乱させて、全体像は掴めなかった。ところが、先生の寄稿ではものの見事にそれらの関係性がまとめられている。
数え上げればきりのないほどの数の神々、少なくとも200~300 柱はいるといわれている神々の相互の関係性を、そのうちの重要なものを凝縮してまとめていた。若い時期のまだ柔軟さが残っている時でさえまとめられず理解中断せざるを得なかった自分と比べ考えると、驚くべきことだ。そのうえ神話の説明を続けるときでも、それらの主要な神々の名前と相互の関係性がポンポン出て来る。この頭脳の凄さに対しては、もう凄いの一言以外言葉が見つからなかった。この頭脳で、他の分野のこともどんどん研究解明するようだ。
副島本・論稿で一つ最近少しだけ気になることがある。まず大きな流れで全体像を掴(つか)むという点では問題はないのだが、時折、文章が流れの中で、いきなり飛ぶ。といいますか、車に例えると滑らかな道を走っているのだが、急に段差とかにあたりポコンと跳ね上げられるような感覚で、文章と文章の間に大きなギャップを感じることがある。すると途中の論理の説明が省かれ「えっ?? 何でかな?」と思う。
無論、結論的に矛盾をきたすものではない。 副島先生としては頭の中できちんとロジックは整理されている。そんなことは当たり前のこととして文を続けられているが、横の知識も不足している自分には少しわかりづらいということがある。読んでいるときに、一人芝居の如く「えっ、なんでそうくるんですか?」と思うとき、いや待てよ、質問でもすれば「お前は馬鹿じゃないの、他の基礎を学んでから出直せ」とでも叱られそうだ(苦笑)。だからなと自分を抑えまる。
閑話休題(かんわきゅうだい。それはさておき)。 「副島総合学」との最初の出会いの初期の2冊に関することを話したが、そこから約30年の歳月が流れた。この間、私にとって衝撃の大きかった本に関して簡単な感想めいたものは、次の機会に投稿する。先生が学問道場に寄稿された論稿に関してはまだできない。個人的には暫(しばら)く時間がとりにくい時期になるので、投稿するのはかなり先になると思う。
自分が齢(よわい)を重ねる毎(ごと)に、理解力・記憶も加速度的に鈍っていくのも実感としてわかってきた。副島隆彦先生がいくら常人とは違う彼方の次元の能力者であっても、脳も含めた肉体的な老化は不可避でしょう。そういうことも考えると副島総合学が、どういう形で次世代に継承されていくかという問題になる。知の巨人、不世出(ふせしゅつ)の天才と呼ばれるに値する先生の思想・業績を、相当な知識のある人たちでも一人の人が継承していくのは難しいことだと私は思う。
であらば、幅の広い領域分野を複数人でそれぞれを役割担当し、それらを総合的に coordinateすれば、一人でなく複数で継承できていけるのではと考える。普通であれば、一人の天才的頭脳が成した業績は、残っていればそれなりに後世でも評価をされ役立ち、価値は生き続けるので、特段の人による継承がなくともよい場合も多いのだろう。
だが、副島政治学は普遍的な政治学としての論考にとどまらない。現状の世界(国内外を問わず)の政治問題へも踏み込み問題提起と目指すべき方向性を示唆すべく、そのためのSNSI研究所も主宰している。したがって、時代の流れに並行して必要と思われるそれぞれの時点での副島政治学アプローチがなされそして国民に発信していくことがこの組織のミッションであろうと思うから、継承の必要性があると私は考える。
それには現SNSI研究員たちや学問道場の関係者また会員で将来そういう役割を担っていこうとする意欲を持った若手人材の参加が望まれる。 現在の研究員の人員や組織構成も知らないし、学問道場の会員のデモグラフィーも知る由もないが、SNSI研究所と学問道場の認知度の向上度合はどんな感じとなっているのか。
副島隆彦ブランドの認知度は相当高まってはいると思う。だが、SNSIは未だメディアやSNSでも露出・喧伝は少な過ぎる。現在、SNSでも真実暴露や体制批判は検閲され、A/C取り消しされる世の中になっている。副島先生は元祖・真実暴き言論人としてマークされているからなのでしょう。
でもSNSIの方々や学問道場会員がそれぞれにこの道場サークル内にとどまることなく、外に向かって副島総合学について発信・喧伝していけば、今は若い世代も意識が高まっている人が増えているから、認知度も上がり学ぶ意欲のある人たちがより多く集まってくると私は思う。何か良い方法を模索したいものだ。今回はこれで失礼します。 浅川雅彦