重たい掲示板

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伊藤 投稿日:2024/06/09 20:54

【3132】訂正とお詫び守谷さま大変失礼致しました

伊藤睦月2145です。表題を守谷論文に訂正します。大変失礼しました。

伊藤睦月

伊藤 投稿日:2024/06/09 11:39

【3131】ふじむら掲示板に「柿谷論文を検証する」をアップしました。

伊藤睦月(2145)です。ふじむら掲示板に表題のコメント(第1段)をアップしましたので、よろしければご覧ください。もし、コメントなどいただけるなら、ふじむら掲示板に。伊藤が大変喜びます(笑い)

伊藤睦月拝

一会員 投稿日:2024/06/05 18:19

【3130】 70歳 資産1億7500万円 女性「金(きん)を30年以上コツコツ買い続けて」資産はどうなった?

私の知人から、allabout というウェッブサイトに、以下のような記事があるということを教えてもらいました。副島隆彦 先生 の本を読んで、金を買い続けて、大正解、資産を増やしているという  内容です。

「マネーtips! お金持ちになるための365日

https://allabout.co.jp/gm/gc/499587/

70歳 資産1億7500万円 女性「金(きん)を30年以上コツコツ買い続けて」資産はどうなった?

ここではAll  Aboutが9月から募集している「資産運用の成功体験エピソード」から、ほかの方が資産運用にどのように取り組んでいるのかご紹介。 色々な方の資産運用エピソードを通して、ご自身の運用方針を決めたり顧みたりするきっかけになると幸いです。

40年間、金(きん)を買い続けた70歳女性の資産運用のきっかけと取り組み方

金(きん)投資 今回は兵庫県に住む70歳女性の資産運用エピソードを見ていきます。

家族構成  夫と2人暮らし

金融資産   世帯年収:本人250万円(パート・アルバイト)、配偶者500万円(自営業)

世帯金融資産:現預金2500万円 リスク資産1億5000万円

リスク資産の内訳  金地金(きんじがね) : 数十本

その他駐車場経営

40年近く前から金地金(きんじがね)をコツコツ購入してきたという今回の投稿者。

「30代になりマイホームも持ち、共稼ぎなので余裕のあるお金をどうしようかと」思ったのが投資のきっかけ。 金地金を選んだのは、「副島隆彦(そえじまたかひこ)氏の著書で今後、金地金は有力な資産となるだろうから毎年増やすようにとの提案に賛同」したからだそうで「30代から買い増してきました」とのこと。

結果的に「増やしてきて大正解。日々値上がりが楽しみです」とコメント。

70歳資産1億7500万円女性の具体的な資産運用の実践方法は?

ではどのように運用を実践していったのでしょうか。いただいた情報を抜粋すると「貯金がある程度できたら金地金を1kgを買う」ことを続けてきたとのこと。

「凸凹はあったものの確実に値上がりしました。(読んでいた前掲の著書で)1kg1000万円になるとは数十年前からの主張でした。その通りになり」驚いている様子。

「利益確定はせず増やしていく方針」だそう。

40年間、金を買い続けた70歳女性の今後の取り組みは?  金地金以外にも不動産投資(駐車場経営)も行っている。

「株は長年取り組みましたが、あまり利益を生んでいません。金地金は大化(おおば)けしました。駐車場収入は安定しています。土地も上がりました」。それでも、「税金が増えそうな不安があります。あるいは金地金の個人売買の停止など不安は拭えません。不動産に変えようかとの思いもありますが、日本は天変地異の多い国。大地震も常に警告されているので不動産も安全というわけには行きません」 そのため「駐車場は日本固有の天変地異不安から売却を進めています」とも語ります。

なお投資に対する考え方としては、「株は森羅万象の世界であり、多数保有するより潰れそうもない信頼置ける銘柄を選んで売買すれば利益が出ると思いました」とコメントされています。

伊藤 投稿日:2024/06/05 14:25

【3129】副島推しとしての昔話風感想文(とりあえずのご挨拶)

 伊藤睦月(2145)と申します。

この掲示板に投稿するのは約20年ぶりになります。

 2001年~2005年にかけて、投稿させてもらってました。主な文章としては、ユダヤ本の「マックスウェーバーの犯罪」「ゾンバルトの資本主義ユダヤ起源説」に関する論考、「人類の月着陸はなかったろう論」の挙証責任論にかんする投稿、奧山真司氏の「地政学」に対する書評論文、です。今回あることがきっかけで副島先生から会員復帰を許していただき、改めて、掲示板を拝見していると、昔の副島推しとしての血がうずく(笑い)。で、少し今の副島推しの皆さんと議論したくなりました。もしよければ、おつきあいください。

 今回初出なので、重たい掲示板に書かせていただきますが、次回からはなるべく、「辣腕行政マン」か「ふじむら掲示板」に投稿しますので、よろしくおねがいします。私の投稿文は「叙情文」なので。ちなみに、私は65歳。元地方公務員。5年前に退職し、来年から年金生活に入ります。「辣腕」は公務員たちの暴きの場として設けられたものですが、十分盛り上がる前に、私がフェードアウトしてしまい、掲示板も開店休業状態で20年ほどたってしまいました。それにも関わらず、残してくださった副島先生に、感謝です。

 では、少しだけ。まずは、副島先生の偉大なところ、それは、下記70歳代の会員の方の投稿に関してです。添削指導をなさっておられるのですね。学問道場開設以来、延々と。驚きかつ敬服します。教育者として卓越されておられます。私が入門したころは、「書評論文トレーニング」というのがあって、弟子たちが読んだ本の中から、引用し、それにコメントを加える、という作業を通じて弟子たちの文章力、思考力の底上げを図る、ということをされておられました。

 先に挙げた私の「地政学」やユダヤ本にたいする論考も先生の添削を受けるなかで生まれたものです。その機会を享受しておられる、先達がうらやましい。また先達の文章も、先達と副島隆彦(の本)との出会い、そして先達の人生における影響を踏まえた評価などブレがない。先生は文章は直しても、本人の主張や考えはいじりませんので、先達のそういうぶれない記述が、先生の添削意欲を掻き立てたのではないかと勝手に推測しております。また先達の副島隆彦への入り方、「英文法の謎を解く」ですか。いいですねえ。私もそうでした。最も私は英語に関しては落第生で、ちっとも英語は上達しませんでした。英語部分より、日本語で書かれた部分に魅了されてしまったのです。

 次に「政治を科学する(決然たる政治学への道)」ですか、私もそうです。この本には、属国日本論の原型となった論考、吉田松陰の文章を手掛かりに日本の「国体論」の変遷をたどった文章、そして丸山真男の小論「政治の世界」を手掛かりに、我が国における「科学(サイエンス)としての政治学」の探求と挫折を描いた論考など、副島推しには外せないですよね。そして「アメリカ政治思想大研究」(覇権アメ)と「属国日本論」。この4冊はいまだに手元において、折に触れて参照しておりますが、まだまだ読み切ったとはいえません。

 あと、副島隆彦初期評論集「切り捨て御免」、好きです。英文法の謎を解くでは、渡部昇一、切り捨て御免では、佐高信といった、当時の大物たちに真っ向から議論を挑む、若武者ぶり(失礼)がなんか萌える(笑)先達と同じく私も蔵書を整理しておりますが、私には最低限、前記4冊は手放せません。私と先達とは同じニオイ、同類のような親しみを覚えましたので、ついうれしくなりました

。副島先生が偉大なことは、副島推しにとっては自明なことで、じゃどこがどう偉大なのか、アンチ副島や、副島隆彦って誰?とかいう不届き者にも納得させるような論拠を示して欲しいし。そして後進としては、「副島隆彦」という巨人の肩に乗っている者として、副島学の発展に少しでも寄与したい、そして、副島学によって残り少ない人生を楽しみたい、という身の程知らずの思いを持っています。副島隆彦先生、ありがとう。(以上)

守谷 健二 投稿日:2024/06/03 11:52

【3128】十世紀末期~十一世紀初頭(源氏物語の時代)の藤原道長ら高級貴族の最大の悩みは『(旧)唐書』の出現である

『(旧)唐書』の成立は西暦945年、当時日本と中国は民間貿易が盛んになっており、宋船が盛んに博多を訪れるようになっていた。

『(旧)唐書』は成立ほどなくして日本に齎(もたら)されただろう。平安王朝は、それに激しい衝撃を受けたはずである。

『(旧)唐書』は、日本記事を倭国(筑紫王朝)と日本国(大和王朝)の併記で作っている。

663年の「白村江の戦い」までを「倭国伝」で作り、八世紀初頭703年の粟田真人の遣唐使の記事から「日本国伝」を始めている。

『(旧)唐書』は、七世紀の後半に日本では代表王朝の交代(革命)があったと言っているのだ。筑紫王朝から日本国(大和王朝)へと。

日本の王朝の生命線は、「万世一系」の天皇の歴史です。日本には革命など一度も起きた事がなかった、と云う歴史です。その歴史だけが天皇(王朝)の日本支配の正統性を保証している。

『(旧)唐書』は、この生命線を侵し、天皇の正統性を否定する。貴族たちの高貴性の否定である。王朝を支える貴族たちが『(旧)唐書』の存在を放って置くことは出来なかった。

703年の粟田真人の遣唐使以来、度重なる遣唐使たちの一番の使命は、唐朝に「万世一系」の日本の歴史を何とか認めてもらうことにあったのです。平安王朝は、或る程度それが成功を収めているという思惑があったのかもしれない。

しかし、それは完全に裏切られた。裏切られたからと言って放って置ける問題ではなかった。「万世一系」の天皇の歴史こそが日本の王朝の生命線なのですから。

『日本歴史年表』(歴史学研究会編・岩波書店)から引用

982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。

983年、奝然(ちょうねん)、宋商人の船で宋に渡り、皇帝に拝謁。

988年、僧嘉因らを宋に派遣する。

(引用終わり)

『宋史』日本伝より

雍熙元年(984)、日本国の僧奝然、その徒五、六人と海に浮かんで至り、銅器十余事ならびに本国の『職員令』・『王年代記』各一巻を献ず。***

 

後数年にして、奝然その弟子嘉因を遣わし、表を奉じて来り謝せしめて曰く「***

(引用終わり)

奝然と云うのは、東大寺の一学僧でした。その一学僧が、宋に渡るや直ちに皇帝に拝謁を許されているのです。尋常なことではありません。

『宋史』の書き方は、銅器十余事の献上が主役で、『職員令』・『王年代記』などまるで付録のような扱いです。

銅器十余事の中には、982年、陸奥国に貢上させた黄金が詰め込まれたとみるべきです。

988年、奝然の弟子・嘉因に持って行った献上物の豪華であったことは空前絶後です。『宋史』は、その一々を記録しています。

道長ら日本の王朝人は、『(旧)唐書』に代わる新たな『唐書』の制作を嘆願したのだと思う。

次回は、宋朝の思惑を考えたい。続く。

 

 

 

岸 義文 投稿日:2024/05/26 15:10

【3127】副島先生は素晴らしく偉大である

会員番号8659の岸義文です。初投稿です。

副島先生の素晴らしく偉大なところは,有史以来現在に至るまでの,日本を含む世界中の全ての思想・知識・学問・情報を分析・総合し,分かりやすく,短く,断定的に示し,生き方と未来への希望を,私達に与えてくださるところだ。

即ち,「金を買え」だ。

「神はいない。宗教はいらない。墓なんかいらない」だ。

「ブッダは『他人にたよるな,自分の力で生きろ』と言った」だ。

「エマーソンは『自分だけを信じて生きろ』と言った」だ。

「デカルトは『考えている自分の存在は証明できるが.神の存在は証明できない』と言った」だ。

「この世は,物質と霊魂でできている。霊魂とは,知識・思考のこと」だ。

「世界の諸悪の根源は,ローマ教会だ」だ。

「同じくらいの悪(ワル)は,英」だ。

「人類は五百年ぶりの世界の転換点に,今,生きている」だ。

「五百年続いた白人による支配は,もうすぐ終わる」だ。

「戦争や動乱を意図的に起こして,人々を恐怖に陥れて,支配しようとする奴らに気をつけて生きろ」だ。

「日本は,明治維新で英の属国になり,第二次世界大戦後に米の属国になり,これから中国の属国に戻って生きていく」だ。

「金融統制が始まる。自分の財産は自分で守れ」だ。

「国家は,五億円も持ってないような奴は相手にしない」だ。

「一億円も持ってない奴は,貧乏人」だ。

「貧乏人は,貧乏人らしく,あれこれ心配しないで,目の前のことをいっしょうけんめいやって生きていけ」だ。

「アジア人同士,仲良くしろ」だ。

「昭和天皇は,大正天皇の子ではない。次の天皇は,愛子様でいい」だ。

「東アジア人のために,未来を明るく希望を持って生きて行ける思想を創造する」だ。

副島先生に学ぶ人が増えれば,船井先生の言うところの「百匹目の猿」現象が起きる気がする。どんな現象かと言えば,「この世に何が起ころうが,明るく,楽しく,希望をもって、幸せに,毎日を生きて行ける日本人が増える」という現象。以上。

浅川 雅彦 投稿日:2024/05/22 22:25

【3126】 私の「副島学問」

会員番号6205の浅川雅彦といいます。初めてこの掲示板に投稿します。

(副島隆彦が、2024年5月26日に、割り込みで、浅川氏の以下の文章に手を入れて、読み易くした。私、副島隆彦の先生としての仕事で大事にしていることのひとつは、弟子たちの文章に、赤ペン(朱筆、しゅひつ)を入れてあげて、文章を明瞭、明確にすることだ。どんな私に反抗的な弟子でも、私がその者の横についてやってあげる、互いの問答をしながらの、文章への加筆、加除訂正には、文句を言わず、感謝する。「お前は、ここで何を言いたのか。そうか、それなら、そう書きなさい」と、言いながら文章を手直しする。以下の文の書き手の浅川氏は、私、副島隆彦と同じもう70歳代の会員です。 副島隆彦 記 )

私は、本を大切にする昔流の教育で育った。これまでに本の整理処分は一度行ったきりだ。昨年、自分の本の置き場もそろそろ限界なので、大量に処分た。古本屋に引き取り依頼して、段ボール数箱を、自分でも市の焼却場に軽トラックで持って行った。トラックに満載の量だった。

古本屋に出した分は、自分が好きだったものだった。廃棄処分するのも勿体ない気がしたので、誰かに読んでもらえればと思ったが諦めた。本の整理は結構時間が掛かった。一冊一冊に別れを告げる如く、不思議な感覚で、表紙の確認はせずに、ページをパラパラめくったりした。「ああ、こんな本を読んでいたのか」とかした。同一著者名での本は、副島先生の本だけがかなりあった。その全て処分したのではなく、現在も40~50冊残している。

先生の本で処分する分を段ボールに入れながら、書名に見覚えはあったが、内容は殆ど覚えていない。多少記憶があってもぼんやりしたイメージ程度の覚えでしかなかったものばかりだ。「まッたく、自分が読んだって結局忘れている。よくもこれほどの量を先生は出版したものだ。書いたご本人は全て覚えているのかな。やはや凄いことだ」と思った。

処分せず残してある分の副島本を、分散した場所の書棚から一つの棚にまとめて、ざ~っと表題を見たら、記述テーマ領域の広さにあらためて驚いた。

先生の本はこれまでに優に200冊を超えると聞き及ぶ。私が読んだのは処分した分を加えて70数冊程度だ。その量とテーマの広大さに畏れ入る。

更に、更に。この学問道場のサイトへの先生の寄稿文も数えきれないほどの膨大な量の著述だ。これもいつか数えて分類されるべき研究対象だろう。

処分整理後、暫く経って、部屋でコーヒーを飲みながら、一つの本棚にまとまって並んでいる本を何気なくぼ~っと眺めていたときだ。 これまでの先生の著書と寄稿文で論述されている領域の広さ・内容の深さは、とても常人一人の言論人・学者ではなし得ないものだ、と気づいた。その業績はこの国の人たちに知らしめられ評価されなければならないと私は思った。

いずれ先生の思想・著述を理解しているSNSI研究所や学問道場の人たちが、その内容領域を詳細に分類し、それぞれを深堀(ふかぼり)して究明し、他の学者たちの論文との比較も行い、この多岐に渡る領域内容の横の関連性を整理し、先生の学問領域の体系化がなされるべきだ。

私はこのように考えながら、副島先生に一度、感謝を述べておきたいと思っていた時に、ある人から道場の掲示板に投稿しなさいと勧められた。(副島隆彦加筆。私自身が浅川氏にメールへの返事で勧めた。加筆終わり)

この重たい掲示板には、先生と専門研究者たちの発表が多い。私は読むだけ会員であり、もう随分長い間、文章を書かないから、場違いなところに投稿することに躊躇した。しかし勧めてくれた人から、ゆっくり自由に気が向いたら書けばよい、とアドバイスもいただいたので、自分なりに考えてから投稿する。

私は、先生の論考の内容をきちんと理解さえできていないから、他の人たちのように専門的なアプローチでの投稿はできない。 だが、グジグジと思いあぐねているうちに、単なる一読者に過ぎない私でも、いや寧ろ、素人の読者であるからこそ、普通の読者としての感想雑文で、先生の学問業績について多くの日本人に伝えられるだろう、いや伝えたい部分があるのだ、と思うにいたり書くことにした。

先ず、副島本・副島論稿(ここからあとは先生への敬称は省略する。ご容赦願います)でカバーされている領域の広さと内容の深さは、私ひとりの読書経験からだけの物言いとなるが、他に類を見ないものと言える。 読んでいて、途中自分の知識の少なさ、理解力の低さを徹底的に感じさせられ自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。先生のどの著書・論稿にも知識の広さと深さが必ず表れている。それに基づく思考力の凄さに圧倒される。だから畏怖の念を抱かざるを得ない。決して大袈裟でなく、空恐ろしいという感覚もする。

余談ですが、時折、論稿の中で先生の言葉として、「こういう基本さえ分かっていないバカがいる」との叱咤の表現が出て来る。そういうときは自分が言われている気がすることよくあった。ひょっとしたら、先制の本の読者ターゲットは、あるレベルをクリアしている人々限定なのか、とかも思ったりする。それでも読み続けるのが勉強と思って続けてきた。

戻って。 副島学問の領域は広大無辺ともいえる、幅の広さと奥の深い総合的なものだ。こういう多領域を表す用語は何だろうか。それに匹敵する業績をこれまでに成し遂げてきた人物は誰かいるか、と考えたことが度々あった。だが適切な用語が見つからない。最初に浮かんだのは最近ではあまり使われなくなった「博物学(はくぶつがく)」なる用語だ。これは言葉のイメージから、これは自然科学 Natural Science の範疇(はんちゅう)を扱うから、Natural Historyと呼ばれているものの方だろう。

日本人でこれほどの幅の広い学問業績を成し遂げた人への畏敬の念を抱かせる学者は誰だろう、と何気なく浮かんだのは、江戸期の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の塙保己一(はなわ・ほきいち。盲目でありながら、国学・漢学・神道・仏教から律令、医学、歴史、和歌文学にいたるまでを渉猟した )がいる。それから明治から昭和にかけての南方熊楠(みなかた・くまぐす。本草学・菌類学・生物学・博物学・天文学・民族学・語学・他の人文分野も)だ。 それぞれの分野を直接対比できないが、分野の広さは恐らくこれら偉業を成し遂げた人に、副島隆彦は匹敵すると思われる。

私の読んだものの記憶から、試しに無理を承知で、対比可能な分野を拾ってみる。語学・政治学・法学・経済学・金融経済・会計学・歴史・哲学・社会学・文学・宗教学・物理学から芸能(古典・映画等)までが挙げられる。更に細分化すると、歴史でも、西洋史・東洋史・日本史と枝分かれし、更にそれはローマ史とかヨーロッパ史とかに及ぶ。時期においてさらに中世とか近代とかに分かれる。哲学ではギリシャ哲学からインド哲学や神学、近世哲学などに枝分かれする。

副島先生のそれぞれの分野での深堀りは上位分類にとどまらない。きちんと枝分かれした下位分類にまで踏み込んでいる。現在この国にも数えきれないほどの多くの専門家と称される学者また評論家たちがいる。多くは特化した専門分野でそれなりの深堀研究をしており、それはそれで大変意義ある。しかし、それらの人々が自分の専門の横の分野に、どれほど拡げて研究研鑽しているかと考えると、副島領域の広さに肩を並べる人の名を挙げろと言われたらきっと困る。それほどに副島学の領域の広さは群を抜いている。

また、それぞれの領域でのその掘り下げの深さでも、副島学は専門家諸氏のレベルに引けをとらない。歴史事象のテーマ一つとっても、その知識の深さと考察の掘り下げの深さは半端ではない。このことに副島本の読者は皆驚いていると思う。

今ここで具体的な事例を挙げることは控える。だが、副島論稿の中では、それらの細部の分類に属する部分でもかなり突っ込んだ研究がなされている。だからこそ検証と説明に充分に説得力のある箇所が随所に出てくる。これを一般化して言うならば、その広い領域での学問研鑽を通じて涵養(かんよう)された教養がベースとなっている。

それ故、副島本が論究したテーマを追究する際に、縦・横の糸を操(あやつ)るが如く優れた考察展開ができているのだと私は思う。その考察の結果は広く深い教養から判断判定され、かつ断言が為されている。中途半端な曖昧な表現はとらず明確に断言する。それも副島学(研究)が他の学者・評論家と一線を画している大事な特長だ。日本語を使う我々日本人は、曖昧な表現文化なので、学者や評論家は責任回避策として断定断言を避ける癖がある。だから先生の断言は一層光放っている。

この観点も踏まえると、そのカバーされている領域を表現する用語は他にない。時代は違えども、上記に挙げた類似の偉人と比較してもその研究研鑽の取り組み度合には天才的な才能の共通性を感じる。この意味で現段階では「副島総合学」の呼称が相応(ふさわ)しい。

先生の業績として特筆しておきたいもう一つの分野として、「副島総合学」の内に入るべきものか、その外なのかの判断が私は点かないが、ジャーナリズムが挙げられる。一般的な表面をなぞるような、またそれぞれの利害関係者の思惑などを忖度しながらの無責任報道ジャーナリズムではない、真のジャーナリズムの姿勢だ。

先生は「真実暴き言論人」を標榜(ひょうぼう)しているとおり、それぞれのテーマで目を見張るべき論証・論述をしている。その膨大な量の情報を整理しようとすると、自己の判断を明確に述べるという一連の作業は、並大抵の能力と体力ではできない。それができているのは、「真実暴き言論人」という表現の裏に、それを支えているジャーナリストス・ピリットつまり「世の中の人々に真実を知らしめる」という使命感が張り付いているからだ。この分野では、メスを入れられた側からの妨害と敵対行為等も当然あるだろうから、これを貫いていくには並外れた強い使命感・精神力と勇気(ある時は闘争心)がなければ到底できない。この点においても畏敬の念を抱かざるを得ません。

私が副島本と初めて出合ったのは、今から30年ほど前になる。「英文法の謎を解く」という本だった。私は仕事上で英語を必要で使っていた。会話では対面で顔を見ながらですから間違いがあれば相手側からでもこちらからでも「それは違うよ」とサインが出るので、適度に修正しながら欧米人とのコミュニケーションはとれる。だが、レターとか文書でのやり取りになると会話上でのコミュニケーションとは違う。きちんとした文章でないとなかなか互角のレベルとは認められないんだなぁと感じた。これは文の内容の上手い下手というより、文章でのやり取りの常識的ルール、特に尊敬とか丁寧表現をわきまえているか。もっと言うと書く文に品格が備わっているか、が問われる。

自分の母国語でない外国語(この場合英語ですが)でやりとりせねばならないハンディキャップは、相手側も少しは理解している。だから、内容についてはやり取りを繰り返してるうちにロジックでの整合性が取れていけば、それなりにコミュニケートできる。だが、不思議なもので、ある程度のレベルまで上がった段階での文書でのやり取りとなると、文章上で常識的ルールの欠落やあまりの品格の低さと感じ取られた場合は、それはロジック以前に謂わば感情的に理解受け入れが難しくなる、という傾向があると感じ始めました。

「何言ってんだ。そっちは母国語でこっちはハンディがあるんだから」と息巻いたところで感情として潜在意識 subconscious)に刷り込み imprinting されてしまうから、簡単にはいかない。それを避けるのは、会話だ発音だというより、自分のような普通の学校教育での英語でしか学んでいない者にとっては、文法の理解だと思うにいたった。

そこで、一念発起して、一度忘れかけている学校英語教育をベースとした英文法のおさらいをしたのだが、昔高校の頃に使った文法書に近いものが見つからなかった。仕方なく二冊ほど新しい参考書を買った。だが、なかなかなじめず入っていけなかった。自分の時代とそれほど変わってはいないと思うのだが、高校時代の文法参考書のイメージがこれほど自分の脳に強烈に残っているとは思わなかった。不思議な感じだ。

そんな時偶然この「英文法の謎を解く」(1995,7,8年刊の3巻本。副島隆彦が加筆)が目に留まり新書版だがちょっと変わった感じだったので、買い求め読み始めました。

内容は、自分が求めていた所謂(いわゆる)教科書参考書の文法書とは趣を異にしていた。一般的な勉強用というものではなく、何か言語学(私には実のところこれが何なのかわからないが)の論文のような感じを受けた。だから、所謂高校程度の文法参考書によるような即戦力的な勉強用にはならなかった。古い学校英語が自分の脳こびりついているうえに、年齢もそれなりに来てしまったので頭の柔軟性はなく、おさらいの勉強は先に購入した文法参考書をざっと再確認しておしまいとした。

一方、「英文法の謎を解く」は、英文法に対する解釈の切り口がそれまで習った参考書とは大きく異なり、まるで何か小説のような優れた読みもののような感覚で読んだ。いろいろな事例の説明で「へ~ぇ」と驚いたり「そうなんだぁ」と納得したりするばかりだった。だが、30年前の当時、特に興味を強く持ち理解しようと努力して読んだ部分は、「不定冠詞 a / 定冠詞the」と「仮定法 / 条件節 」であったと記憶している。内容は既に忘却のかなただが。

それ以外でも、勿論(もちろん)面白く、今も参考にはなっているが、恥ずかしながら実際にその後の自分の英語に直接的に役に立てられたと胸を張って言える部分は殆どなかった。

ところが、このような副島隆彦の本の中の語学研究の本にも、前のほうで述べた「広い知識の横のつながりとしての教養」がベースとなった考察が随所に織り込まれていることにただただ瞠目(どうもく)した。例えば中世からのヨーロッパ哲学神学などからの文法体系への影響とか、実際の英米の辞典とか文法書も研究したうえで、それらからの説明もなされている。かつ他のヨーロッパ言語の文法とも比較検証されている。

こんな解説書は他で見たことがなかった。たかが新書版の、厚くもない本だが、実際この時、私は地鳴り衝撃ようなものを受けた感覚で「いやぁ、こんな人がいるのか」と驚きと興味で、別の著作を探してみたところ出合ったのが「政治を哲学する」(1990年刊)だった。

この「政治を哲学する」も、私にとってはこれまた衝撃的な本だった。この本ではそれまでの大方の日本の政治(御用)学者の説明・発言に慣らされていた自分にとって、新たな角度で日本や世界の政治を見る必要があることを初めて気づかされた本だ。彼らがいかにも専門家らしげな発言とは全く異なり、明確に(当時の)米国が世界を牛耳る帝国であるとの、歴史的背景から問題点、そして敗戦国としての日本がその帝国の属国(ぞっこく)であるということを解説していた。

ここでも論述に当たり検証・例証として、幅の広い横の学問知識からの内容がとても多く出ていた。再びその領域の幅の広さと深さに驚愕した。日本のみならず世界の政治学者や評論家の研究から、欧米の歴史、日本の歴史、また宗教論・論語から文学までの広大な領域のなかから関連性をきちんとひも解いての論述展開がなされていた。

ここで、ものすごく重要な副島総合学のキーワードは「米帝国と敗戦国日本の属国関係」だ。

この書が発刊されたのが約30年近く前でした。当時はこの属国という用語さえあまり目にしない時代だった。それから10数年後に、一部の識者・評論家例えば天木直人や植草一秀あるいは少し系統は違うが藤原正彦がWGIPの説明も併せ、ぼちぼち使い始めた。時代は進み今ではもはやSNSでの素人ジャーナリストでも日本属国と使っている。これ一つとっても副島総合学の先見性がうかがい知れる。

爾来(じらい)、この帝国ー属国関係論から延々とつながる、属国日本がどう国家として生き延びていくべきなのかという問いかけと提案、ヒントを時々の事件やトピックスに絡め研究発信を倦まず弛まず続けているのが副島政治学であり、副島総合学の根幹だと私はとらえている。

「副島総合学」としては、この根幹の政治学研究から派生的に生まれてくる、横の領域の研究深堀りで得た新たな究明と発見から、様々な異なる分野を主体としたものすごい量の著書・論稿がある。私個人は、金融市場、税金、株市場、資産保護運用といった分野での著書や論稿は他の分野に比べれば興味が薄く、あまり読んではいない。それ以外の分野でも、興味は強くあるが、たった一冊、たった一論稿を読んで理解するにも自分にとっては相当努力のいることだ。

大体に於いて、人は自分の能力というか力量の範囲を基準として、他(ほか)の人の努力度や負荷の度合を推し量るものだ。「副島総合学」を読み理解しようと努力しているときに、私はいつも思うことがある。 副島隆彦という人の頭の中はどうなっているんだろう、どういう脳をしているんだろう。考える力に於いても記憶力に於いても。どうしてそれほど異なる領域への勉強研究も行えるのだろう。 3.11(2011年の大地震、原発事故)で示された、原発事故の直儀に、現地にただちに行ったあの行動力(と放射能に関する勉強 )の源は何なんだろう。 国内でも世界中の出来事でも、その裏を取る情報把握が、どうしてあんなにできるんだろう。これだけの業績を生み出す時間の管理はどうやってできるのだろう、等々と。

どれ一つとっても遥か彼方の次元の能力の持ち主天才だ。だから、自分の力ではとてもイメージできないと諦める。副島思想というか論考は普通人にとっては決して容易に理解できるものでないことはわかっている。しかしアウトプットされたものがあるのだから、凡人の自分でも時間をかけて学んでいけばよいのだと、自分に言い聞かせている。

如何に副島先生の頭脳が柔軟で、ずば抜けているかの極(ごく)身近な例を挙げてみたいと思います。昨年でしたか、先生がギリシャ神話の全体像を書いた。

私も高校の頃からギリシャ神話の世界に少し入って読んでいた。ギリシャ神話をかじった人なら容易にイメージできると思うが、とにかく神々の関係が入り組んでいて複雑怪奇ともいえる。その神々の関係が絶えず頭を混乱させて、全体像は掴めなかった。ところが、先生の寄稿ではものの見事にそれらの関係性がまとめられている。

数え上げればきりのないほどの数の神々、少なくとも200~300 柱はいるといわれている神々の相互の関係性を、そのうちの重要なものを凝縮してまとめていた。若い時期のまだ柔軟さが残っている時でさえまとめられず理解中断せざるを得なかった自分と比べ考えると、驚くべきことだ。そのうえ神話の説明を続けるときでも、それらの主要な神々の名前と相互の関係性がポンポン出て来る。この頭脳の凄さに対しては、もう凄いの一言以外言葉が見つからなかった。この頭脳で、他の分野のこともどんどん研究解明するようだ。

副島本・論稿で一つ最近少しだけ気になることがある。まず大きな流れで全体像を掴(つか)むという点では問題はないのだが、時折、文章が流れの中で、いきなり飛ぶ。といいますか、車に例えると滑らかな道を走っているのだが、急に段差とかにあたりポコンと跳ね上げられるような感覚で、文章と文章の間に大きなギャップを感じることがある。すると途中の論理の説明が省かれ「えっ?? 何でかな?」と思う。

無論、結論的に矛盾をきたすものではない。 副島先生としては頭の中できちんとロジックは整理されている。そんなことは当たり前のこととして文を続けられているが、横の知識も不足している自分には少しわかりづらいということがある。読んでいるときに、一人芝居の如く「えっ、なんでそうくるんですか?」と思うとき、いや待てよ、質問でもすれば「お前は馬鹿じゃないの、他の基礎を学んでから出直せ」とでも叱られそうだ(苦笑)。だからなと自分を抑えまる。

閑話休題(かんわきゅうだい。それはさておき)。 「副島総合学」との最初の出会いの初期の2冊に関することを話したが、そこから約30年の歳月が流れた。この間、私にとって衝撃の大きかった本に関して簡単な感想めいたものは、次の機会に投稿する。先生が学問道場に寄稿された論稿に関してはまだできない。個人的には暫(しばら)く時間がとりにくい時期になるので、投稿するのはかなり先になると思う。

自分が齢(よわい)を重ねる毎(ごと)に、理解力・記憶も加速度的に鈍っていくのも実感としてわかってきた。副島隆彦先生がいくら常人とは違う彼方の次元の能力者であっても、脳も含めた肉体的な老化は不可避でしょう。そういうことも考えると副島総合学が、どういう形で次世代に継承されていくかという問題になる。知の巨人、不世出(ふせしゅつ)の天才と呼ばれるに値する先生の思想・業績を、相当な知識のある人たちでも一人の人が継承していくのは難しいことだと私は思う。

であらば、幅の広い領域分野を複数人でそれぞれを役割担当し、それらを総合的に coordinateすれば、一人でなく複数で継承できていけるのではと考える。普通であれば、一人の天才的頭脳が成した業績は、残っていればそれなりに後世でも評価をされ役立ち、価値は生き続けるので、特段の人による継承がなくともよい場合も多いのだろう。

だが、副島政治学は普遍的な政治学としての論考にとどまらない。現状の世界(国内外を問わず)の政治問題へも踏み込み問題提起と目指すべき方向性を示唆すべく、そのためのSNSI研究所も主宰している。したがって、時代の流れに並行して必要と思われるそれぞれの時点での副島政治学アプローチがなされそして国民に発信していくことがこの組織のミッションであろうと思うから、継承の必要性があると私は考える。

それには現SNSI研究員たちや学問道場の関係者また会員で将来そういう役割を担っていこうとする意欲を持った若手人材の参加が望まれる。 現在の研究員の人員や組織構成も知らないし、学問道場の会員のデモグラフィーも知る由もないが、SNSI研究所と学問道場の認知度の向上度合はどんな感じとなっているのか。

副島隆彦ブランドの認知度は相当高まってはいると思う。だが、SNSIは未だメディアやSNSでも露出・喧伝は少な過ぎる。現在、SNSでも真実暴露や体制批判は検閲され、A/C取り消しされる世の中になっている。副島先生は元祖・真実暴き言論人としてマークされているからなのでしょう。

でもSNSIの方々や学問道場会員がそれぞれにこの道場サークル内にとどまることなく、外に向かって副島総合学について発信・喧伝していけば、今は若い世代も意識が高まっている人が増えているから、認知度も上がり学ぶ意欲のある人たちがより多く集まってくると私は思う。何か良い方法を模索したいものだ。今回はこれで失礼します。   浅川雅彦

副島隆彦 投稿日:2024/05/21 21:27

【3125】7月3日の新札切り替えを前に、金持ちたちが酷(ひど)く脅(おび)えている。やはり金(きん)を買うべきだ。

副島隆彦です。今日は、2024年5月21日(火)です。

私が、一番、初めに書くべきはやはり金(きん)のことだ。もう金(きん)の値段は簡単には下がりません。世界中で政治的な異変(いへん)が次々に起きているから、急いで金(ゴールド)を買わないといけない。

7月3日から新札(しんさつ)切り替えになるのに、私にも何の情報も入らない。奇妙な静けさだ。どうも現金(1万円札)を消してしまう、という急激な、お札(紙幣)の消滅策動、政策が実行されている。今、資産家(金持ち)たちが、焦(あせ)って自分のタンス預金(60兆円有る)の現金を、何とか実物資産(じつぶつしさ tangible asset タンジブル・アセット)に替えよう、と  いう動きが出ている。

この不安、恐怖は正しい。だから、出来るだけ早く余裕の現金は、「タンス預金の炙(あぶ)り出し」に遭う前に、どんどん金(きん)の地金(じがね)か金貨(ゴールド・コイン)に替えるべきです。これはもう一刻を争う事態になっている。

再度、ここに ネットで金貨を買える 野口コインの URLを貼ります。

(野口コインの店舗の写真も貼ってください)
(ここに野口コイン株式会社の HP を載せる)
https://www.noguchicoin.co.jp/


野口コインHPの表紙

副島隆彦です。私は、この一か月、ずっと苦しい思いをしていた。のたうち回っていた、と言うべきだ。それは、私に憑(と)りついた、怨霊(おんりょう)、亡霊との戦いだった。私は何とか、この苦難から脱出して現実の世界に戻って来た。こんなことを書くと、私の本をこれまで真面目に読んだことのない者たちからは、白(しら)けられることは分かっている。

それでも、女神さまたちが、大挙して、熱海に陸続(りくぞく)と到着している。このことは、そのうち公表します。私は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界から生還して、ようやく、自分の生業(せいぎょう、なりわい)である、世界政治、金融、知識、思想、学問に自分の生活時間を投入できるようになった。

●どうも世界情勢が、キナ臭くなってきた。政治動乱が今年中に起きそうだ。

NY発の金融崩れ(米国債の市場の崩壊)と米ドルの下落が始まるだろう。その金融恐慌を、日本政府(大蔵省と日銀)が察知して、日本国内に激しい金融統制(きんゆうとうせい)がすでに実施されている。私の友人が、銀行で、800万円を下ろそうとしたら、「何に使うのですか」と、銀行員がしつこく聞くだけでなく、警察官(生活安全課)を呼んだ、というよりも、必ず、警官が銀行や郵便局まで来る(4年ぐらい前からだそうだ)。

そして、この現金の使い途(みち)と支払先と、見積もり とかを言わないと「釈放」してくれない、という事態になっている。お金持ちたちが、3千万円とかを纏(まと)めて現金で下ろそうとすると、銀行で実際にこういう目に遭っている。仕方がないので、50万円ずつを、ATM自動支払機で毎日下ろして引き出しているいる、という人たちがたくさんいる。

私、副島隆彦の本の熱心な読者たちは、金貨を3,4枚買うぐらいの人たちが大半だ。読書人(どくしょじん)階級だから、頭でっかちだから、その程度の資金力だ。だが、その人の友人ですぐ隣りに金持ちたちがいて、私、副島隆彦の本の表紙を見だたけで、

「金(きん)は、これから3年で3倍になる」(去年の12月刊。半年がたった)をチラリと見ただけで、金貨を数十枚とか買う人たちがいる。 彼らは、この3月、4月の金の値段の大上昇だけでも、随分と儲かっただろう。

(ここに、私のこの本の表紙を小さく貼ってください)


金融恐慌が始まるので 金は3倍になる

副島隆です。金(きん)は、今も上昇を続けている。NYの金の先物(さきもの)市場では、ついに1オウンス(31グラム)=2,450ドルになった。日本国内では、卸し(TOCOM、トコム)で1グラム=12,000円になった、これに消費税10%付くので、小売りは、13,600円 ぐらいになっている。 この値段は今年の年末には、

18,000円近くまでゆくだろう。来年は1グラム=2万円になるだろう。私、副島隆彦の金融予測を、信じてこれまでに金(きん)を買ってきた人たちは、皆、喜んでいる。

7月3日の新札切り替え( 渋沢栄一の 「10,000円札」になる。これまでは、ずっと「壱万円」とお札に、書いてあった。 この 10,000円から、末尾の0ゼロ 一個が取れて、1,000円 になるのが、redenomination  「リデノミネイション」 である。通貨単位の変更である。

私、副島隆彦が、この5年間、私の本たちでずっと書いて来た予測、予言が当たりそうである。米ドルの25%(4分の1)の切り下げ ( devaluation  デヴァリューエイション)も実施されるだろう。だから、ドルの暴落はもう止められない。それに対応する、日本政府からの防御策としての、金融統制の動きが、ヒタヒタとジワジワと私たちの生活を締め付けている。ただし国民の9割の庶民層(貧乏なひとたち)には、こんな金融統制は何の関係もない。これからも、クツクツ貧乏生活をしながら、元気よく、誇り高く生きてゆけばいい。

世界を吹き荒れる動乱状況でも、私たち日本人は、足元をしっかり守って、軽挙妄動せずに着実に生きてゆけばいい。現在、何でもかんでも、買い物に「ポイントカード」を付けて、特に女たちをデジタル(スマホ)決済に慣れさせて、現金を消してしまおう、という動きに急激になっている。

なぜなら、リデノミが起きると、もう1円玉、10円玉、100円玉でさえ使いにくくして、すべて、SNS(ネット、デジタル)決済=支払いにしてしまうからだ。 ドイツ人だけは、2年前までヨーロッパ圏でも、現金のお札が大好きな国民だった。それが、去年からすべてカード決済になって、ドイツ国でもユーロ紙幣が消えつつあるそうだ。

5年前(コロナ騒ぎの直前。2019年7月)に、私は弟子たちと中国の深圳(しんせん)に行ったが、すでにその時、「100人民元札とかの紙幣を、最近、見たことが無い」と、中国人たちが言っていた。CBDC(シー・ビー・デー・シー)と言って、「中央銀行(セントラル・バンク 日本では日銀) デジタル通貨(カレンシー)」の導入が、もの凄い勢いで、目下、進んでいる。

今度の新札発行で、50億枚の新札を発行する、と政府は言っているが、私は、10億枚ぐらいしかお札を発行しないと思う。だから、今の一万円札を、どんどん吸収していって、現在、120兆円分 発行しているお札(紙幣)のうちの、半分の退蔵(たいぞう)されている、タンス預金 60兆円を、ジワジワと吸収していって、紙幣を消そうとしている。

この事態に、お金持ちたちが、本能(ほんのう、instinct  インスティンクト)で脅(おび)えて、「これは預金封鎖(よきんふうさ)だ。その始まりだ」と慌てている。この反応は、極めて正しい。私、副島隆彦は、日本国民の味方であり、小金持ち層(小資産家)の味方だから、彼らの為に、ずっと自分の言論で闘って来た。彼らの為に、「気を付けなさい。用心しなさい。警戒しなさい。政府は資産家層の余裕資金を狙って、世界の金融動乱に乗(じょう)じて、奪い取るつもりです」とずっと書いて来た。

今、その緊急事態が、現に始まったのだ。もう、あれこれぐだぐだ考えている暇は有りません。隠し持っている現金(お札)を、実物資産に替えなさい。自分が大好きな土地や住宅でもいい。食料品は蓄(たくわ)えても2年も保(も)たないからやめなさい。だからやはり、今のうちに出来る限り、金(きん)に替えるのが良策だと私は思います。

私は、3年前から気づいていたのですが、どうも台湾人の金持ち(富裕層)が、東京の湾岸の高層鉄筋アパート(タワー・レジデンス tower residence と世界基準では言う。中国語は、大夏=ターシャ 。気持ちの悪い、× タワマン という日本語の品の無い言葉は、廃止にするべきだ)を、買いに来ている。

台湾人たちは、台湾有事(たいわんゆうじ)を心配して、日本に政治亡命(political asylum ポリティカル・アサイラム)ではなくて、「日本が安全だから日本に住む」と 避難民 ( refugees レフュジーズ)となってどんどん来る準備をしている。彼ら台湾人の金持ち層は、床面積100㎡(30坪、これが世界基準のアパートの広さ)に2億円でも3億円でも出す。中国人もいる。香港人もいる。韓国人もいる。

だから東京の中古のタワー・レジデンスの激しい値上がりが起きている。これが日本全国の大都市部の住宅価格の上昇の原因になっている。

どうやら、中国とロシアの同盟(アランアンス alliance  )の勝利のようだ。

5月16日に、プーチンが北京に来て習近平と会談した。この中ロの首脳会談で、これからの世界の基本骨格が出来たようだ。 もう、アメリアによる世界支配は終わる。歴史的な大きな転換点となった。それが今年の後半に起きる世界政治変動だ。このプーチン・習近平会談の  記事を一本だけあとの方に貼ります。

日本人は、世界史を支配している 「帝国 ー 属国」理論 の 原理に従い、強い方に付く、という原理で動く。そうあるべきだ。勝ち組の付かないと、自分の人生も大変なことになる。 ロシアと中国が、どんどん強くなっている。そして世界中が、どんどん親(しん、pro-  プロウ)ロシア、親(しん)中国の態度をはっきりさせている、世界中の各国の指導的政治家たちで親ロシア中国の者たちが、最近、次々と殺されている。あるいは不審な事故死をしている。

この動きがどんどん加速している。 世界は、動乱状況になっている。それを察知して金融恐慌と、それを統制する金融統制が各国政府によって実施されている。日本もその例外ではない。

いろいろの危機(危険)が、一気に今年の後半に、まとめて起きそうな気配だ。アメリカのデープステイトの勢力(超財界人 と 軍産複合体 と 法曹)は、自分たちが厳しく追い詰められた、と感じたら、自暴自棄になって、第3次世界大戦(WWⅢ)に打って出る危険が有る。そのことを、中国とロシアが警戒している。 サウジとインドとブラジルもこの不安を共有している。  私たち日本人も、このことに留意しないといけない。

私たちは、いよいよ恐ろしい時代に突入してゆく。皆、警戒心を高めて自分の生き残りを図ってください。 それでも世界全体の危機の中では、日本の危機は、比較相対的(comparatively コンパラティヴリー)に小さい。私は、このことをいつも自分の思考の基本のところに置いている。何が起きても、日本は大丈夫だ、みんな安心しなさい。そして注意深く自分の安全と資産の保全を真剣に考えなさい。 一本だけ、前述した新聞記事を載せる。 副島隆彦記

(転載貼り付け始め)

〇 「 習氏、訪中のプーチン氏を12時間超 厚遇 関係深化、米への対抗誇示も」

2024年55月17日 (金)  毎日新聞

(ここに、この記事に付いている写真を貼る)


中国指導部が執務する政治の中枢「中南海」で、お茶を飲みながら懇談するロシアのプーチン大統領(左から2人目)と中国の習近平国家主席(右端)=北京で16日、スプートニク通信・ロイター

中国の習近平国家主席は、16~17日の日程で訪中したロシアのプーチン大統領を厚遇し、米国への対抗姿勢をアピールした。ロシアのウクライナ侵攻が長期化する中、中露首脳は5月16日に北京で「さまざまな形式で12時間以上」(露タス通信)を一緒に過ごしたといい、絆をさらに深めた形だ。プーチン氏は17日には、ロシアと国境を接する黒竜江省ハルビンも訪問した。

習氏は16日の公式会談などの後、指導部が執務する北京の政治の中枢「中南海」にプーチン氏を迎えた。ウクライナ問題など「戦略的な課題」について深く意見を交わしたという。中国国営中央テレビは、両氏が通訳だけ連れて敷地内を散策したり、お茶を飲んだりする親密ぶりを伝えた。

中国外務省の5月17日の発表によると、中南海での小規模会合で、習氏は「ウクライナ問題の政治的解決を促進するため、建設的な役割を果たしていく」と述べ、和平の「仲介」に前向きな姿勢を改めて強調した。  習氏は根本的な解決策として「新たな安全保障の枠組みの構築を進めるべきだ」と主張し「ロシアとウクライナの双方が承認し、公平に議論する平和会議を適切な時期に開催することを支持する」とも述べた。

プーチン氏は「中国の公正な立場を高く評価する」と応じたという。 中国としては米国との長期的対立を念頭に、国際社会からの視線も意識しながらウクライナを巡る外交を展開しているとみられる。  6月中旬には、スイス政府がウクライナのゼレンスキー大統領の要請で「平和サミット」を開催する。ロシアは不参加の見込みだが、中国がどのように対応するのかが注目される。

一方、プーチン氏は17日、ハルビンに移動し、中露企業が出展する「中露博覧会」の開幕式に出席した。演説で「ロシアに進出し現地生産する中国企業に対して優遇措置を用意する」などと語り、投資を呼びかけた。  第二次大戦で対日参戦して死亡したソ連軍兵士の記念碑も訪れ、献花した。日本軍と戦い、戦勝国となった歴史を共有する中露の関係を強固にする狙いがあるとみられる。 【北京・岡崎英遠】

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

副島隆彦 投稿日:2024/05/06 12:34

【3124】 当面は、1ドル=120円台まで円高になるだろう。それを支える大きな構図。

副島隆彦です。今日は、2024年5月6日(月)です。

 私は、4月27日の新(しん)神戸での講演会のあと、京都に行って、大(だい)作家の谷崎潤一郎の墓を見て来た。銀閣寺の南隣の、法然院(ほうねんいん)という観光客を全く相手にしない静かな寺の墓地の一番、上(奥)にあった。ひっそりと苔(こけ)むしていた。谷崎の墓碑(ぼひ)に、ただ「寂(じゃく)」とだけ書いてあった。

 隣りの重子(しげこ)夫婦の墓の「寥(りょう)」の字と合わせて、「寂寥(せきりょう)」となる。この侘(わび)しさ、と寂(さび)しさが、京大阪の豪商たち(武士ではない)と、禅宗と天台宗(てんだいしゅう)比叡山の僧侶たちが突き詰めた思想だ。そうか、京都には、これしか無いのだ、と私は、分かった。谷崎は、突き詰めたら、京大阪の思想は「寂寥(せきりょう)」なのだと分かったのだ。谷崎は東京に戻る気はなかった。

 突き詰めた思想である 「 見渡せば、花も紅葉も無かりけり」(定家、ていか)の歌は、その奥 は、「神も仏もなかりけり」 で、何もない、の思想だ。これが日本の思想だ、と。 京大阪の豪商たちが、「侘(わび)、寂(さび)」に行き着いて、入れ上げたのも分かる。他にない。この「寂び」から、寂(さび)しい、淋(さみ)しいが出て来た。 

 人間は、皆、ひとりっきりになって、さみしいのである。 男の場合は、あんまり「僕はさびしい」と言ってはいけないことになっている。 だが、あの宮沢博行(自民党安倍派、防衛副大臣を辞めた。まだ50歳ぐらい)が、28歳の女性と付き合っていたことがバレて(安倍派内からの復讐だ。宮沢が、私が、安倍派を介錯(かいしゃく)する、と言ったものだから)、さっさと宮沢は議員辞職した。

 宮沢は偉い。でも自分が介錯(首切り、自裁)されてしまった。あの時に宮澤は、「さみしかったんです。出来心です」と言った。他に言葉がない。おそらくどんな人にも、日本人ならこの二言(ふたこと)しかない。私は静かに分かった。 

 それで。気分を変えて。えへん。4月29日から、日本政府(大蔵省と日銀)が、1ドル=160円を機会に、一気に「円安阻止介入」に出て、5日には、1ドル=151円まで円高(えんだか)になった。それで世の中は騒いでいる。 日本政府の金融官僚たちは、一致団結して、「なにくそ。NYの投機筋(博奕打ちたち)どもめ(その裏にアメリカ政府がいる)。日本国を舐(な)めているのか」で、5兆円規模の介入(円買い、ドル売り)を連続3回、世界中の 外国為替市場で、やった。もっとやるだろう。

私、副島隆彦の予測は、日本政府は、当面、今年は、1ドル=120円台に戻す、だ。

それ以上の事ではない。

なぜ、120円/ドルなのか、と言うと、50年間の長期のドル円の為替のグラフを見たら、一目瞭然だ。
なぜなら、この120円前後、というのは、1980年代からの、日本の為替水準の 定型(ていけい)であって、
この1ドル=120円を基準として上下に10円ずつ動いていい、というのは、欧米(G7)との密約なのだ。
秘密の合意事項 が有る。だから、120円前後なのである。

 私は、為替の動きで、右往左往している、FX(エフ・エックス)取引、をやっているような、簡易な博奕打ちたち
とは付き合いたくない。このFX取引というのは、外国為替証拠金(しょうこきん)取引、と言って、馬鹿みたいに簡単なバクチだ。パチンコや競輪、競馬を半分本業にしているような者たちが、やっている。そして、CFD(キャッシュ・フォー・ディファーレンス)と言って、差金(さきん)決済というが、勝ち負けの資金の動かし方を、その日のうちに終わらせるような単純ギャンブルだ。投資倍率(レヴァレッジ)が25倍とかできるから、100万円で2500万円の取引が出来る。ドル円の値動きが激しいときは、それなりに大きな儲けになる。生来のバクチ好きだけが嵌(はま)る取引だ。普通の人は近寄らない。

 日本政府には、今以上の、世界の金融を動かす力はない。アメリカからの厳しい監視を、何とか逃れて、少しずつ新しい世界勢力(すなわち、「 貧乏大国同盟 」グローバル・サウス )の方へ擦(す)り寄って行く、という動きになる。

それしかない。

 

今の日本政府の「円安阻止のための介入」の動きで、一番大事なのは、今から12日前の、以下の日経の記事だ。

 「 円買い介入の上限どこまで 鈴木財務相「(日本政府は)米国債を売却できる」 」 2024年4月22日   日経新聞 

である。ここで、鈴木俊一財務大臣が、はっきりと、 「日本は、米国債(までも。ドル預金だけでなく)を売却できるのだ」と言っている。日本の外為特会(がいためとっかい)=外貨準備高(がいかじゅんびだか) に積み上がっている、1300億ドル(200兆円)の8割以上を占める米国債までも、日本は売ろうと思えば売れるのだ。そのように 大蔵省(私は、もう日本財務省というコトバがいやになった。大蔵省と書く。1999年まで使われていた大蔵省に戻せ。アメリカが大蔵省というコトバを潰したんだ。 )と日銀の官僚たちは、腹の底からアメリカに怒っている。

 この1300億ドル(200兆円)は、最後に載せる、日経の4月12日の記事の最後に書いてある。「 財務省によると(2024年)3月末時点での日本の外貨準備の残高は1兆2906億ドル(およそ199兆円)」と。

そして、この外為特会の米国債のほかに、もっと膨大の米国債を、日米の 裏帳簿(うらちょうぼ)で買わされている。ほとんどは、100年物の米国債だ。それでアメリカにこの40年間、貢ぎ続けている。その金額は・・・・だ。あまりにも膨大なので、今でも、誰も信じてくれない。私、副島隆彦の本にだけ、この金額は書かれている。

この数年だけでも、どれぐらいたくさんの、日本エリート官僚たちが、「それは出来ません。そんな法律は日本にはありません」と、アメリカ政府に逆らって、近年だけでも殺されたことか。大蔵・日銀だけでなく、外務省も、総務省も死んでいる。ほとんどは、過労が原因の病気で死んだことにされているが。

この日経の記事の 「日本は、手持ちの大量の米国債までも売ることができるのだ」が重要。この記事は、私のこの文の最後に載せる。

4月29日(月。日本は祝日)からの世界中の為替市場での日本政府の「ドル売りによるこれ以上の円安を食い止める介入(インターヴェンション)」について、この記事を無視して、あれこれ語ることは出来ない。

 日本政府は、これからも(2022年10月に一度やったときは米国債を売った)ガンガン、保有する大量の(膨大な)米国債を世界の主要国の為替市場で、売ればいいのだ。 140兆円分(1000億ドル)売れ、280兆円分(2000億ドル)売れ、いくらでも持っているゾ。

 今こそ、アメリカのドル(すなわち米国債を、無限に発行している )支配体制を、打ち壊せ。日本が最先頭となって。そうすれば、1ドル=100円を軽く越えて、80円、60円、40円と、円高になって行く。と、私、副島隆彦は書きたいが、そんなことを、日本が出来る訳(わけ)がないのだ。これから、私が書くことを、皆、しっかり読みなさい。

そうすれば、サウジや他の貧乏大国のブラジル、インドたちが、日本に拍手喝采(はくしゅかっさい)してくれる。アメリカと大きく睨(にら)み合っている大国のロシアと中国も黙って喜んで、日本を見直す。

だが、そんなことが日本に出来るわけがない。おととい、私は、ここまで書いて

不愉快になってやめた。 そうしたら、昨日(5月5日)、私の読者から、次のような質問と情報提供が有った。

(転載貼り付け始め)

 

****さまへ  副島隆彦から

  以下の貴兄からの 貴重な 情報をありがとうございます。

「 サウジ金塊(きんかい)引き出し要求 【本文】 いつも、学問道場拝見しています。中国のウィチャットを見ると、サウジや中東各国とアフリカ主要国がアメリカに金塊の引き出しを要求しているとの報道があります。ドルの信用失墜が進んでいるのですか? 」

副島隆彦です。そのとおりです。私は、中国の SNSである、ウイチャット(トニー・マーのウイチャットペイの トウイッター機能ですね)を知りません。中国語も読めませんので。**さんは、中国文を読めるのですか。この情報は貴重なので、皆に知らせないといけません。もうすこし詳しくこれらのネット上の会話のやりとりの文 を、私に教えてください。

 サウジたち 新興国(貧乏大国の同盟) が、IMF=世銀 体制(ブレトンウッズ体制)の条約の条文どおりに、「我が国が保有する、この大量の米ドルを、金(きん)の地金(じがね)に換えてくれ、アメリカ政府よ 」と要求するのは、自然です。 
今の金ドル体制は、1971年8月の「ニクソン・ドル・ショック」で大きくぐらついた。アメリカ政府が、金とドルの兌換(だかん)を政府間で、停止したからだ。その原因は、英と仏の財務省が、「うちに溜まっている、この大量の米ドルを約束どおり、金(きん)に換えてくれ」と要求したからだ。アメリカ政府は、「それは出来ません」と断った。それがドル・ショックだ。これが、もうすぐ起きる、ということだ。
今度は、その役目を、サウジや中東産油国と、インドやブラジルの貧乏大国たちがやる、ということだ。それが上記の「手持ちのドルを金塊に換えてくれ」の要求だ。 同じことが今、起きている。

 もっと古くは、その40年前の1931年に、イギリス銀行(バンク・オブ・イングランド BOE)に対して、アメリカ財務省が、「これらのポンド紙幣を、金に換えてください」とお願いした時に、イギリス銀行はそれが出来なかった。もう新興国のアメリカの方が実体の経済力でイギリスをはるかに追い抜いていた。だから、この1931年に、正式に金ポンド体制が、壊れた。その時までの大英帝国を中心とする世界通貨体制が終焉(しゅうえん)した。これで、今、何が起きているか、皆さんの頭(知能)でも、分かるでしょう。アメリカさまに、脳の芯(しん)の部分から、やれている(洗脳されている)者たちを除いて。

本当にあと少しで、おそらく今年の10月の、ロシアのエカテリンブルグでの BRICS首脳会議で、新(しん)世界通貨( BRICS通貨。 ただし政府間だけ。その他にBRICSボンド(債券)を発行する。これは世界中の金持ちが買う)が出来ることが、受け皿になるでしょう。 中国は、自分が先に手を出して、米国債を売ることをしません。このことを嫌がっている。中国が NYの債券市場で、米国債を、たとえば、1000億ドル(7000億元、14兆円分)も売れば、現在の世界ドル体制は、一気にガラガラと崩れます。

 これを、“金融核(かく)爆弾である ”と、私はずっと呼んでいる。

  それを怖れて、つい先週も、イエレンと、ブリンケンが必死で、北京まで行って、「もし、中国がこれをやるなら、アメリカとしては、中国を SWIFT(スウイフト) から締め出す」と脅している。 この手は、ロシアに対して、2022年2月24日(ウクライナ侵攻の日)に実施した。これと同じ手だ。あの時、英米のワルたちは、世界中の中央銀行に預けてあった ロシア政府のドル預金を、強制的に差し押さえた(forefeiture  フォーフィチュア) した。

 

日本では、あのマイケル・グリーンが米大使館職員を引き連れて、日銀に乗り込んで、大声で「そのロシア政府の外貨預金、5兆円をアメリカに渡しなさい」と喚(わめ)いた。日本の官僚たちが、「そんな法律は有りません。日本はロシアと戦争していません。敵性国の資産没収の法律は、今の日本にはありません」と抵抗した。 こういう闘いだ。

 

 習近平は、困った顔をして、不愉快そうに、「バカだなあ、お前たちは。今、中国が、お前たちを追い詰めたら、お前たちは、何をするか分からない(核を撃つかも)。だから、中国からは先に手を出さないよ」という返事をしているはずです。 

「でも、どうせ、他の 新興国(貧乏大国の同盟たち。70カ国ぐらい )が、もう黙っていないだろうな」という顔を、習近平はしている。 取り敢えず、以上です。 貴重な情報をありがとうございます。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。今、世界はこのようになっている。だが、私がいくら書いても、皆、(少数の私の熱心な読者たち以外は)分かろうとしない。世界は今も「強いアメリカ、強いドル」で動いている、と信じて疑わない。

私は、毎日、不愉快になって、「ほらみろ、バーカ、アメリカと デープステイトども」と呪詛(じゅそ)しています。が、なかなか、一冊の本にしようとしない。何故なのか、自分でもわかりません。 

 日本国内の大量の馬鹿たち(アメリカの手先ども。一緒にアメリカと心中しろ)を、私は、もうこれ以上、説得する気が無くなっている。  編集長だけが、「早く本を書いてよ」と、せっつく。これがまた本当にイヤだ。 これが私の日常だ。「日本では、唯一、私が、正確に世界を解釈、説明している」という自負から出て来る、不愉快さだ。他に言いようがない。 

来年でWWⅡ(第2次世界大戦)の終結(日本は敗戦)からの戦後80年の周期の終わりとなる。そして次の新しい新世界体制 (ニュー・ワールド・オーダー)が始まる。世界民衆に夢と希望を持たせるために、「新しい世界が始まる」とだけ書いてもいいのだが、そういう訳(わけ)にも行かない。冷酷で厳しい世界の新体制が始まる。それは、新(しん)通貨体制でもある。

今のアメリカが世界の一極支配体制(パクス・アメリカーナ。アメリカの力による世界秩序 )である時代が終わる。いいことだ。実に良(よ、い)いことだ。 よーい、よーい。それで、よーし、よーし、だ。

副島隆彦が、この5年間(5年前からの私の金融本で)書き続けただろ。「2024年に、世界の金融経済が変わる。アメリカのドルによる支配(ドル覇権)が終わる」と。

今頃になって、「ああ、そうか。やっぱり、副島隆彦が、2024年にアメリカで大きな金融危機が起きて、アメリカが没落する、の予測のとおりだったんだ」と、分かる人たちがどんどん増えている。だが、これを書くと、私が、威張りん坊の、自己満悦(まんえつ)の人間になるから、あまり書きたくない。だから次の本のすぐには書きたくない。「私が言った(書いた)とおりだろ」と、何十回も言うと嫌(いや)がられるのだ。それでは私は、どうしたらいいのだ。

今年の3月からの、金(きん、ゴールド)の地金(じがね、インゴット)の価格の大上昇があった。金は、今、ドル建てて 1 オ(ウ)ンス = 2,300ドルだ。日本国内では、卸(おろし)で、1グラム=11500円。小売りなら、12,600円だ。もう少し下がるの私は期待しているのだが、下がらない。「下がったら、(そこが買い場だから)買いなさい。今からでも間に合いますよ 」と言っているのだが。だからまだまだ、金(きん)を買いなさい。 

私が、今書いている金融本の、骨格(こっかく)は、まず、 Ⅰ.  「アメリカは米国債(の支払い、償還)を踏み倒す。居直り強盗だ」 である。

これを、英語では、上品に、 sovereign debt restructuring  「ソブリン・デット・リストラクチュアリング」という、これは、「国家債務(ソブリン・デット)」の 「再編(リストラクチュアリング)」と訳されるだけで、このコトバの重大性を、日本の専門家たちは、誰も説明しない。この恐ろしい言葉の本当の姿を、分かりやすく説明しない。

 だから、皆、ポカーンとしている。そのくせ、偉そうに、難しそうな経済(学)議論を、したり顔でやっている。一番、大事な、超重要な、この「ソブリン・デットのリストラクチュアリング」が、「借金の踏み倒し」であることを、誰も言わない。この ことの重要性を、私は、3月17日の、自分の金融セミナーで、大声で怒鳴りながら説明したのだ。今度の私の金融本で、詳しく、丁寧にやる。それをどう書いたらいいのかで、私は目下、苦しんでいる。 

 そして、次に、 Ⅱ.「米国内にあるドルの、20倍のドルが海外に流れ出している」 この世界中に存在するドル(これを、ユーロ・ダラー euro dollar  と総称して言う)膨大なドル (アメリカ政府は、これらを管理できない。残高だけは分かる)を、アメリカ国内に還流させようとしている。だから日本政府が、秘密で、貢がされてきたアメリカへの資金援助の、その見返りが、100年物(100年後に返します)の米国債」の山なのだ。

そして、この世界中に垂れ流されているドルが、高金利に引かれて、NYの金融市場に戻って来るのを、今、実行している。だから、ドルだけが、他通貨に対して高い(強い)という政策が行われている。ドル高円安の動きの根本は、ここなのだ。

 NYの金融博奕(ばくち)人間たちがこの、外国から還流(かんりゅう)してくるドルを大歓迎して使っている。だからアメリカのワルたちは、「金利を上げろ。もっと上げろ。FRBのパウエル議長よ。今の政策金利5.5%では足りない」と喚(わめ)いている。こいつらを、金融タカ派(hawk ホーク)という。表面上は、いつも、(アメリカの)インフレがコワい。だから引き締めるために金利を上げるのだ、と言っている。そういう説明ばっかり、日本人も金融解説で、読まされる(テレビもこればっかりで説明する)。だから皆、金融のことが分からない。

 それに対して、アメリカの金融制度が壊れることを本気で心配している人たちは、金融ハト派(dove  ダブ)と呼ばれる。彼らは、金融緩和を続けるしかないのだ。もっと金利を下げて、かつ、財務省とFRBは、もっと財政支援をしないと済まない(もっと米国債を発行し続けるしかない)」と言っている。

 このハト派の方が大人(おとな)だ。ポール・ボルカ―(デイヴッド・ロックフェラーの金融経済の大番頭)の系統の米財務官僚たちだ。このボルカ―の若い頃、愛人だった、ラエール・ブレイナードが、今、NEC(大統領直属の国家経済会議)の責任者で、アメリカの予算を組んでいる。日本では、木原誠二(きはらせいじ)と島田隆(しまだたかし)たちが、「ああ、ほんとうにキツイなあ。こんなにアメリカにふんだくられると、予算も組めないよ」と、日本の予算を最高度で組んでいる。だから「日本は、金利を上げれないんだよー。10年物の国債が、1%を越すと、もう利払いの計算が出来なくなって、財政破綻するんだよ。

 だから、日銀植田と一緒になって、マイナス金利から脱却した、といいながら、今も、ゼロ金利のママなのだ。日本はこれでいいのだ。ガマンにガマンで生きる。日本国民に多大の苦労を掛けながら、日本の為政者(いせいしゃ)たちは、頑張っている。このことを日本国民が分からない。アメリカの手先どもが、日本政府(岸田政権)を腐(くさ)すことばっかりやっている。日本は、アメリカの金融市場が崩れ落ちるまで、我慢に我慢で、待っているしかない。これでいい。

金利(インタレスト)というのは、とにかく、低い方がいいのだ。産業資本家(経営者たち)にとっては、金利は低い(安い)方がいい。銀行から借りている融資金の金利が上がるのが、経営者は、とにかく嫌いだ。この「経営者(産業資本家)にとって、金利は安い方がいいのだ」という経済の原理(プリンシプル)を、まずしっかり分かりなさい。産業資本家は、もの作りをして商品を作って、お店を経営して、その売りと利益から、従業員の給料を苦労して、払っているのだ。このことが分からないと、他の偉そうな議論をいくらしても無意味だ。世の中の仕組みの根本が分かったことにならない。 

 だから、それに対して、金儲けにだけ執着する、強欲人間たちである、金融博奕人間たちは、その歪んだ精神で、博奕の種銭(たねぜに)にするために、金利は高いほうがいい。 それが今の世界帝国の金融の城であるNYに集まっている。そして、彼らが、度を越した金融博奕(ばくち)をするものだから、やがて、市場が破裂を起こす。彼らは、先物(さきもの)と言って、「自分が持ってもいないものを、売る」この理屈をどこまでも拡張する。

 おカネが何十倍にでも膨らむ。それが世界に災いをもたらす。現在、世界中の債務(世界借金 world debt  ワールド・デット)は、377兆ドルにまで膨らんでいる。 これが2010年には、80兆ドルだった。これらの膨大な、生まれてしまった借金の残高このことを、世界中で、真面目で頭のいい人間たちは、心配している。どこまででも、どれだけでも、通貨(ドル)を刷って、政府の予算が足りなかったら、どれだけでも米国債(ナショナル・ボンド、TB 米財務省証券)を 刷ればいいんだ。それが、ケインズ経済学の教えだ、となっている。ケインズ博士が、墓場の陰で、「馬鹿ども目が。やっぱりこういうことをしたか。私には始めから分かっていたよ、お前たちがやるだろうことが 」と嘆いている。

アメリカの強欲人間たちは、 Ⅱ.の「海外にある、アメリカ国内にあるドルの20倍のドル」を、NYに呼び戻して、それを使いたい、と考えている、アメリカのゴロツキの、金融博奕人間(金融ユダヤ人)どもが、タカ派であり、「もっともっと金利を上げろ。金融市場を過熱させる。それが(人間の欲望を肯定する)資本主義というものだ」と騒いでいる。

それに対して、これ以上の国家債務(米国債の発行)には、堪えられません、と真面目な米財務官僚(ボルカ―派)は分かっている。 

だから、なぜ、こんなに円安(160円まで行った。他の国々も同じ)になるのかが分かるだろう。日本で借りられる「年率0.1%の 安価な資金を使って、米国の年率5.5%の高利の債券を買って運営」すれば、その差額で自動的に儲かる。これを、「円キャリー・トレイド(取引)」という。こういう金融博奕(ばくち)を山ほど、やっている。ただし、この動きが、どこまで出来るか、だ。

すなわち、 Ⅰ.のあまりにも摺り過ぎた(発行して、垂れ流した)米国債を、どうやって返済するか、償還できるか。その前に、信用崩壊が起きないか、だ。ここのところの闘いを、今、人類はやっているのだ。だから、皆、分かりなさい。

Ⅲ.(3つ目)が、前述した、新興国(貧乏大国たち)70カ国ぐらいも、国内が大量の自国の国債(借金証書)を抱えて、その償還が出来ず、今にも国家破産(デフォールト)しそうだ。この貧乏国たちは、強国であるアメリカのように「謝金を踏み倒す」ことは出来ない。IMF=世銀から借りている膨大な借款を、「もう、返せません。返す気が有りません」と宣言して、アルゼンチン(もう9回、これまでに破産した)を筆頭にして、「外国からの借金をチャラ、パーにしてくれ」と、騒ぎだそうとしている。これらの貧乏国の債務(借金)も、ほとんどは米ドル建てになっている。

それをわざと捻じ曲げて、貧乏諸国への中国からの借款を「債務の罠(わな)」だとか、盛んに書いている日本人の専門家や記者たちは、アメリカの手先を通り越して、統一教会(Moonies ムーニー)どもだ。

私の、今度の金融本では、2015年に起きた、ギリシアの国家破綻の時に登場した、バルファキスという勇敢な経済学者が、ツイプラス左翼救国政権の財務相(ファイナンシャル・ミニスター)になって、「ギリシア国は、破産しました。ですから、民間企業と同じく、破産手続きを取ります。外国からの借金は、ほとんど返しません」という経済理論を、本当に、実行しようとした。そして、怒りを買って辞任させられた。このバルファキスの優れた宣言が、これから、世界中で起きて来る。

 今、G20で、「この国家が破産した時に、どうやって債務をパーにすることを認めるか」の議論を始めている。 「パリ債権者会議」という世界の支配者たちが、隠然(いんぜん)と作っている、”Paris Club” 「パリ・クラブ」が壊れる、ということだ。もう、欧米白人たちが世界を支配している時代ではなくなるである。

 アメリカは、借金を踏み倒すが、小国たちは、夜逃げ(run away ランナウエイ)することを考えている。それでも借金を返せなかった、国民は、塗炭の苦しみを味あう。「娘が、女郎屋(ソープランド)に売られる。男なら、マグロ漁船に乗って来いや」の世界だ。 このことが分かって、始めて、世界の金融も分かるのだ。

 Ⅳ(4つ目)は、アメリカ国内の不動産と、NYなどの大都市のアパート価格の下落、暴落が始まっている、という事実だ。私の次の本に載せるが、FTの記事で、NYでは60%の下落をしている。全米の住宅地では、33%の下落をしている」が、事実だ。 これは、RMBS (住宅抵当証券)や、商業ビルのCRBS などの、マネタイズ(証券化)した、ボロくず債券(ハイリスク・ハイリターン債)の金融市場と直結する。これらの大親分が、Ⅰ.の米国債だ。

そして、Ⅴ.(5つ目)が、アメリカ国内の政治の動乱状況だ。もし、11月5日のアメリカ大統領選挙が、まともに行えないなら(きっと、また、巨大な不正選挙 voter fraud ヴォウター・フロード をやる) 、その前から、アメリカは、内乱、内戦状態になるだろう。 トランプ派の国民が、もう黙っていない。おそらく数万人の若者が、両方穂勢力で、銃撃戦となって死ぬだろう。

その前に、8月19日(?)から、始まる、米民主党の党大会(ナショナル・コンヴェンション)、ミシガン州(大都市シカゴが有る)の南の都市でのようだ。 この会場は、数万人の、怒れる貧しい若い労働者と学生たちが押し掛けるだろう。デープステイイト(超財界人と軍産複合体と法曹)に対する憎しみが限界まで来ている。ロバート・“ボビー”・ケネディJr (71歳、父親は殺された)が、この会場に来るかもしれない。やっぱり騒乱状態になるだろう。警察(ライオット・ポリス。機動隊)だけでなく州兵(ナショナル・ガード)も出動するだろう。FEMA フィーマも?

トランプ大統領の、生き残っている側近たちは本気で考えている。もし、彼らデープステイトがすんなり大統領選挙の結果を認めて、権力を明け渡すなら、その日のうちに、戒厳令(マーシャル・ラ=)を発令して、デープステイトの主要な人間たち、数万人を、ただちに国家反逆罪で、逮捕、拘束するだろう。

そして、金融政策としては、ただちに、ドルの切り下げ(まず20%とかを切り下げる)を実行しようとしている。この構想はすでに周囲に知られている。その時は、「ドルは暴落する」では済まないのだ。 これらのことを、日本人は分かりなさい。

Ⅵ.(6つ目)が、ロシアと中国の動きである。5月にプーチンが北京に行って、習近平と話し合う。ウクライナの停戦のことも当然だが、ここまで私が書いて来た、「アメリカの金融崩れから、自然に世界通貨体制が変わる」の話もするだろう。 

副島隆彦です。以下は、昨日、私が書いていた文だ。これももう、そのままここに載せる。内容は繰り返しだ。

  「ドルの下落」。その背後に、米国債の世界的な、暴落(金利は上昇)、投げ売りの始まりがある。 今の為替の変動は、アメリカの金融崩れの第2段階だ。日本ごとき、今や世界政治の実力では、アメリカの属国(従属国、朝貢国)をやり過ぎて、準(じゅん)大国にまで落ちてしまった国が、 アメリカを相手に、NYの金融市場で、ドルと 米国債を、大量に売り払って、それで、アメリカのドル覇権(the USdollar  hegemony  ザ・ユーエス・ダラー・ヘジェモニー)を突き崩(くず)すなど、出来るわけがない。このことも、重々、承知の上で、私、副島隆彦は、書いている。 

 日本政府(大蔵省と日銀)が、米国債をNY金融市場で一気に、1兆ドル(150兆円分)売ったら、本当にアメリカの金融市場(NYとシカゴの先物市場)は崩壊する。この時は、アメリカ政府(金融市場の監視当局)は、ただちに、サーキット・ブレイカーどころか、国家緊急金融統制令(こういう法律が有る)を発令して、金融市場を、その取引を、一瞬で、凍結(とうけつ、フリーズ)する。 そして、「市場での大量のドル売りを無かったことにする」をする。その特別な法律のことを、私は、すでに、自分の本に〇年前に、詳しく書いている。今度また書こう。

 

アメリカのトランプ大統領の、まだ生き延びているスタッフ(忠実な側近)たちは、11月に、順調に(当然のこととして、アメリカ国民の80%の支持を受けている)自分たちが大統領選挙に勝って、正当に権力の座に戻ったら、ただちに、「ドルの切り下げ(dollar round down)20% 」 とかの大胆な決断をし、ただちに実行する気でいる。

 このことは、公然たる事実である。そうなれば、1ドル=100円を割る、どころではない。米ドルは、80円、60円、40円と、どんどん崩れてゆく。今のアメリカは、そのような内向き政策しかできない。これが、America  first ! 「アメリカ・ファースト !」政策である。このアメリカ・ファースト ! を、私、副島隆彦が、もう10年前から、ずっと「バカ、こら。これを、アメリカが一番、とか アメリカ第一主義と 訳すのは、誤訳(ごやく)を 通り越して、低能(ていのう)、低知能の翻訳だ」とずっと、怒ってきた。正しくは、アメリカ・ファースト ! は、「アメリカ国内優先(こくないゆうせん)主義」と訳せ、と、私が、ずっと強調してきただろ。 アメリカは国内問題が山積していて、とても、もう、諸外国を支配し管理している(世界の警察官。ワールド・ポリスをやる)暇(ひま)も余裕もない。だから、トランプたちは、世界中に置いている米軍基地も、全部、アメリカの領土(国境線内。領土、領海の内側。太平洋ならグアムまで)に戻せ、と言っている。米軍の軍人たちも、「もう帰りたい。外国になんかいたくない。自分の国を守るためなら頑張るけど、外国のことなど知ったことではない」と思っている。米軍人はもう戦争をする気がない。だからウクライナに軍事支援で、山ほど、武器弾薬を送っている。自分たちはもう外国で死にたくない。これがアイソレイシオニズム(isolationism ✖孤立主義。本当は、アメリカ国内優先主義。外国のことは2の次主義 )である。

今日は、もうこれぐらいにしましょう。 

(以下が、冒頭に書いた、重要な日経の記事。転載貼り付け始め)

〇 「 円買い介入の上限どこまで 鈴木財務相「米国債を売却できる」 」 

広瀬洋平記者  2024年4月22日   日経新聞 

「米国との関係で売却できないということはない」。円買い・ドル売りの為替介入の原資として米国債を売却し、ドルに換金するのは難しいのではないか。鈴木俊一財務相は12日の衆院財務金融委員会で問われると、こう言明した。

市場では政府・日銀が22年10月以来の円買い介入に動くとの警戒感がくすぶる。好調な米景気を背景に米金利の先高観が強まり、対ドルの円相場は下落が続く。足元では1ドル=154円台と34年ぶりの円安水準にある。

円買い介入に踏み切る際は、ドルを売る元手として「外貨準備」を充てる。政府と日銀が保有する預金などの外貨建ての資産だ。財務省によると3月末時点での日本の外貨準備の残高は1兆2906億ドル(およそ199兆円)ある。

実際に介入に動く場合は、まずは総額の1割を占める預金を使うとみられてきた。7割以上を占める証券の多くは米国債とされる。売却してドルに換金すれば介入に使えるものの、利回り上昇圧力となるため米国の理解を得にくいとの見方があったからだ。

ただ政府と日銀が22年秋に9兆円超の円買い介入を実施した際は、米国債を売却したようだ。直後の外貨準備は証券が減り、預金残高はほぼ動かなかった。財務省の神田真人財務官は当時、原資は「無限にある」と市場をけん制したこともある。

介入規模は天井知らずなのか。BofA証券の山田修輔氏は「国内総生産(GDP)の2%が上限になる」とみる。

一般的に米財務省は、相手国が自国貿易に有利な通貨安方向への為替操作をしていないかを分析している。その基準の一つに「過去1年のうち8カ月以上の介入かつ総額がGDP比2%以上か」がある。

直近の22年秋の介入は円買いだったが、山田氏はそれがこの範囲に収まる規模だったとして「通貨高誘導の介入だとしても、当局は意識する」とみる。いまのGDP比2%は12兆円ほどになる。

仮にこの水準が上限だったとしても、財務省はそう受け止められないメッセージを発信する可能性が高い。介入はタイミングや規模を見透かされればされるほど効果が薄まるからだ。ある財務省の幹部も「2%なんて意識したことはない」と強調する。

鈴木氏の発言も額面通りには受け取れない。今はわずかな米国債の売却でもインフレ退治に苦しむ米国を刺激しかねないのは事実だ。市場を疑心暗鬼にさせる戦略とも解釈できるが、通貨政策の戦略の要諦は「言わぬが花」なのかもしれない。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝 

守谷 健二 投稿日:2024/05/03 12:24

【3123】天武天皇は「倭国(筑紫王朝)」の大皇弟であった。

『旧唐書』は、日本記事を「倭国伝」と「日本国伝」の併記で作っている。西暦663年の「白村江の戦」までを「倭国伝」で作り、703年の粟田真人の遣唐使の記事から「日本国伝」が始められている。

つまり、唐朝は七世紀の後半に「倭国(筑紫王朝)」から「日本国(大和王朝)」に日本の代表王朝の交代があったと認識していたのである。

661年八月に始まる倭国の朝鮮半島出兵は、唐・新羅連合による百済侵攻から百済王朝を救うため、と一般に言われているが、それは正しくはない。

倭王朝の新羅征伐は、650年にすでに決断されていた。

 (日本書紀より)

 白雉二(650)年、新羅の貢調使(みつぎもののつかい)、唐の国の服を着て、筑紫に泊(とま)れり。朝廷、恣(ほしきまま)に俗移せることを悪(にく)みて、呵責(せ)めて追い返したまふ。時に、巨勢大臣、奏上して申さく、「まさに今新羅を伐(う)ちたまはずは、後に必ず悔い有らむ。***

 

650年、新羅王朝は全面的に唐の臣下に入ったのです。服装から儀礼、暦に至るまですべて唐の制度を採用して筑紫に来たのです。これは倭(筑紫)王朝に対する裏切りでした。

 『隋書』より

 新羅・百済、皆倭を以て大国となして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒に通使・往来す。

 

新羅と百済は、倭国を大国と敬い、臣下の礼を取っていた云うのです。中国統一王朝の隋朝がそれを認めていた。倭国は、新羅・百済に対し宗主国であった。

倭国は、650年には新羅討伐を決断していた。しかし、倭国が実際に新羅討伐軍の派兵に踏み切ったのは661年の八月でした。十年もの歳月が過ぎていた、その間に徐々に百済の旗色が悪くなっていったのです。

 なぜもっと前に新羅討伐に踏み切れなかったのか。考えられるのは、大和王朝(日本国)の存在です。

 新羅のバックには唐が控えていた、生半可な覚悟では新羅討伐に踏み切れなかった。倭王朝は、大和王朝の全面的な協力を必要としたはずである。

 それに対し大和王朝の意見は割れていた。孝徳天皇(在位645年~654年)らは倭国に協力すべしと主張し、斉明天皇(在位655~661年)、皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)は、協力に慎重派であった。大和王朝は一つにまとまらなかったのであった。結果、慎重派の方が勝利を収め、孝徳天皇は、孤立して憤死している。

 新羅討伐を決行する為、倭国はどうしても大和王朝の協力を必要とした。

661年正月六日、斉明天皇は筑紫行幸へ難波の港を出発した。教科書が、「新羅討伐への親政」と書く出来事である。しかし、この二日後、大田皇女(天智天皇の娘)が兵庫県と岡山県の県境の海路で大来皇女(おほくのひめみこ)を出産している。船上での出産であった。(日本書紀)

大田皇女は大海人皇子(後の天武天皇)に嫁いでいた。天武天皇は、661年の一年前あたりには大和王朝に居た事になる。

朝鮮半島戦況は、風雲急を告げていた百済が追い詰められていた。新羅討伐の決行は一刻の猶予も許されない情勢に成っていた。そんな中、倭国の大皇弟(天武)が、交渉の切り札として 大和に派遣されていたのではないか。大田皇女との結婚、懐妊は大和王朝との交渉の成功を意味している。斉明天皇、中大兄皇子は、倭国への協力を約束したのだろう。

661月正月六日の斉明天皇の筑紫行幸の目的は、懐妊している大田皇女を無事筑紫へ送り届けることにあった。大田皇女の解任は、倭国と日本国の同盟が成立した象徴であった。

倭国内にも、新羅討伐軍の派兵に疑問を持つ勢力もいただろう。それらの者たちを黙らせるためにも、日本国との同盟は必要であった。

斉明天皇が出発して二日後、兵庫県と岡山県の界の海路で大田皇女が出産したと云う記事は『日本書紀』のものです。私はこの記事を初めて読んだ時ビックリした。何故臨月の皇女を連れてゆく必要があったのだ、と。迷信深い船乗りたちが良く赦したものだ、と。通常あり得ない事件だ。

『日本書紀』の記す天武天皇の子供達には、極めて特徴的なことがある。長男の高市皇子と額田姫王(ぬかたのおほきみ)の間に生まれた十市皇女の二人だけが「壬申の乱(672年)」時点で成人であとの子供たちは、661年正月八日に生まれた大来皇女が最年長でまだ十一歳にすぎない。

高市皇子の母は、宗像君徳善の娘・尼子娘(あまこのいらつめ)です。筑紫に由来の人物です。

天武天皇が筑紫の人物であったことは疑いのない事と考えています。(続く)