ふじむら掲示板
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Loginはこちら【462】「勉強不足というのは、決めつけだ」「そうです。決めつけです。でもそれが何か?」
伊藤睦月です。今日は、10月28日月曜日6時42分、です。退院しました。術後養生中です。私の入退院の顛末、ここ半年余りの悲喜劇については、話がひと段落したら、「医療掲示板」にでも投稿させていただきます。
さて、総選挙後の物情騒然としたなかだが、能天気な私は、病を養い、自身の生活をなんとかしながら、好きな学問(歴史学など)や文章修行を追求していきます。(私は「顔淵タイプの」貧乏書生らしく、もうこれは死ぬまでなおりませんね。でも後悔はありません)
そこで、以前、この掲示板でも、取り上げましたが、私の言だけだと「素人のたわごと」だと思われてもナンですから、プロの研究者(歴史学)の言葉を紹介します。そうしますとまた、「権威主義者」とよばれそうですが、なんの肩書もない私の発言を揶揄している人間のほうが、よほどの「権威主義者」だと思う。
(引用開始)
(1)歴史学は決して大学の専有物というわけではなく、すべての人に開かれた学問である。歴史の関心を持っている人や勉強してしてみたいと思っている人にとっても、本書が「学問としての歴史」とはどのようなものかを知るための断行になればうれしい。
(2)歴史学というのは、すでに知られている史料をよみなおしていく中で、それまで気づかったことに気づいたり、見落とされていたことがはっけんされたりして、歴史を見る新しい視点や切り口が見いだされ、進歩していくものだ。
(3)(学術論文は)まず先行研究を無視したものは、論文とは言えない。自分の思いや夢を語るのではなく、自分が取り組もうとしているテーマについて、これまで他の人がどのような研究をしてきたかを踏まえ、それに何を新しく付け加えることができるかが問われる。
(4)だから、そもそも現時点における研究の到達点を把握していなければ話にならない。
(5)とにかく、学問というのは積み重ねのうえになりたっている。これまで多くの人が積み重ねてきた研究成果には敬意を払いつつ、それを批判し、修正することで、学問は前に進んでいくものである。
(引用終わり:村上紀夫(奈良大学文学部史学科教授)「歴史学で卒業論文を書くために」(創元社2019年))
伊藤睦月です。この本は、卒業論文がまともにかけない、教え子に業を煮やした村上センセイが、毎年4月の卒業論文ゼミの冒頭で紹介していた、メモがSNSや学会で評判になって、単行本になったそうだ。同趣旨で、少し気取っているが東大生向きに書かれたのが、上野千鶴子「情報生産者になる」(ちくま新書2018年)がある。宮台真司なら、こちらの方を勧めるだろう。特に(3)は、譲りません。「いや、卒業論文書いているわけじゃねーし、学問道場に思い入れ強すぎね」とかほざいている輩(やから)には、「大喝」をいれてやろう。
とにかく、「私の決めつけ」の基準は、上記に尽きている。だから、以上及び本全体を読んだうえで(200頁ほどの小冊子で、アマゾンで簡単に入手可能。多分大学図書館や村上のブログでも見れるのでは?)なお私の指摘を、「決めつけ」といわれるなら、さらに詳細に指摘する用意がありますので、どうぞこの掲示板上に投稿してください。その際、私の指摘と同等かそれ以上の質量を求めます。そうでなければ・・・。私は「長い、しつこい、めんどくさい」オジサン、です。
以上、伊藤睦月筆
【461】}
【460】【どらえもん2さん】財務省の裏金_ BRICS首脳の晩餐会でも日本の裏金が話題に。
https://x.com/matsudadoraemo1/status/1848861798700880230
本日、2024年10月23日午前8時(JST)の、音声ファイルの投稿です。
(数分後から実際の音声が始まります)
【どらえもん2さん】財務省の裏金④ BRICS首脳の晩餐会でも日本の裏金が話題に。
この裏金の存在が、
日本で周知とされる前に、これから「(日本を除く)世界の常識」になっていくでしょう。
かたせ2号拝
【459】どらえもん2さん情報【財務省の裏金】日本政府の隠し資産はスイスに800兆ユーロ。ただし口座の名義はCIA関係者。
かたせ2号です。
どらえもん2さんが、
衆議院議員選挙中の、いまのタイミングを狙って、以下の爆弾を投下してきました。
https://x.com/matsudadoraemo1/status/1847354384075948356
午前4:09 · 2024年10月19日
(引用開始)
(泉)房穂さん。やっと見つけたよ。
私(どらえもん2さん)が(西暦2000年代前半に結成した)国会Gメンで(石井)紘基さんと探していた”財務省の裏金”。
国の隠し資産は、スイスでユーロ建にして隠されていた。その現在高800兆ユーロ。
(運用益の率は)2%以上で回っているから、運用益を一般会計に毎年入れるだけで、消費税はゼロにできる。
CIAからそのカギを取り戻す交渉が必要。
(引用終わり)
かたせ2号です。
上記の内容に
https://x.com/matsudadoraemo1/status/1846868629561934007
午後7:59 · 2024年10月17日
で、どらえもん2さんが述べていた内容を追加すると、概ね、以下のようになります。
日本の貿易で輸出超過の年度は、「外国為替特別会計」は黒字になる。
→長年の輸出超過によって黒字が累積される
→この口座を(どらえもん2さんが)ついに発見した(発見していた)。
→ここに、米国債の金利(運用益、約2%)も振りこまれる。
→国の隠し資産は、スイスでユーロ建にして隠されていた。
→その現在高800兆ユーロ。これが「財務省の『裏金』」
→運用委託先は三井住友信託銀行。
→口座名は、CIAの担当者名、CIAが管理している。
→当然ながら運用益も含め、日本国は自由には使えない。
(補足)中国は日本に次ぐ、隠し資産大国、その額、700兆ユーロ。
かたせ2号です。
事実ほど、恐ろしいものはありません。
どらえもん2さん、ありがとうございました。
自民党議員の「裏金」暴きに続いての、見事な、財務省「裏金」暴きでした。
そして、どらえもん2さんが、石井代議士のような横死をせず、無事にこの情報を日本国民に開示できたことに
時代の変化を感じます。
日本はおそらく、良い方向に進みつつあるのでしょう。
以上
【458】伊藤さんに唱和します。
伊藤睦月さんへ。
かたせ2号です。
ワタシも同じく、次の言葉に感銘を受けた人間のひとりでした。
副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』第4章(講談社アルファ文庫1999年、初出『現代アメリカ政治思想の大研究 世界覇権国を動かす政治家と知識人たち』1995年)から。
(引用開始)
「議論する」とはどういうことかをわかっていないのだ。
議論とは、相手を言い負かすことでなくて、自分の弱点を徹底的に考える、といことである。
(引用終わり。)
かたせ2号です。
ワタシは、上の言葉に出会ったせいで、自分自身を甘やかすこともできなくなり、かなりしんどい思いをしましたが、現在では、この訓練によって、分析力は自分の満足のいくレベルまでつけることができたなと感じている次第です。
なお、上記の内容は、ワタシの依って立つ人生観が(リンカーンの)「With malice toward none」であることにより、以下のワタシの考察内容と接合します。
自分の気にくわない相手なら、傷つけてもいい。そういう心得違いをした人間が、世の中にはたくさんいます。しかし、だからと言って、彼らの言っていることが百パーセント間違っているわけでもありません。彼らの言っている言葉の中にも酌(く)むべき言葉はあるはずです。彼らは、立っている場所が、考え方の立脚点が違っているかも知れませんが、しかし彼らの言う意見の中にも一片の真理はあるのです。それはそれで反省材料として、受け止めなければならないはずです。こうしたものだと思います。
ワタシはこういう心がけで生きてきました。
まあ、これは、これで、いいのですが、
しかし、副島先生の説く政治的枠組みに従って世界を読む解くうち、
世界を覆うような強烈な「悪意」の存在に、うすうす感づいていくにつれて、
最近になって思い至ったことがあります。
「100%の間違いを言える人など世の中にはいない」、
これが、世の中の真実であるからこそ、
世界に降りる「闇の帳(とばり)」は、ますます深く、かつ、濃くもなってしまうのです。
そんな中に、「本来悪なし」(谷口雅春)なんて到底いえなくなるような、巨大な「悪意」が、伏在してきたからです。
難しいところです。
そんなことを最近になって思い至り、副島隆彦先生の思想に接してから怒涛のごとくに過ぎ去った、直近30年近くのワタシの人生を、呆然としながら、振り返っているところです。
かたせ2号拝
【457】しばし、小休止します。運が良ければ、執筆再開します。そして、私の「座右の銘」について
伊藤睦月です。本日は2024年10月13日午前6時45分です。(この書き方も久しぶりだな)
この掲示板でも、ちらちら書いてきましたが、明日から入院します。執筆再開時期はわかりませんが、
早くて、来月になると思います。2054さん、温かいお見舞いの言葉ありがとうございます。私の入院のことは、副島先生にも報告済みで、それで1昨日、先生から激励のメールをいただいたところです。というようなことを書くと、また守谷のような馬鹿から、「権威主義者」とよばれそうですが。そうなると、「権威者」は副島先生ということになりますが、苦笑するしかない。なぜなら、副島隆彦ほど、この40年間、そして今も、世の中の「権威者」と闘い続けている人はいないから。私は、1990年の「英語辞書大論争」以来の、「副島ファン」です。読者というにはおこがましい。私は、「副島学」に傾倒していても、「副島教」には帰依していないので、守谷のような発言に接すると、どうも「既視感」がぬぐい切れないのです。またか。私が20年間サボっていた間でも、副島先生は、倦まず飽かず相手されてきたのか、と思うと、おもわず背筋が伸びます。
それはともかく、今回は、私の座右の銘、2本紹介します。まず、1本目
子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば、殆(あやうし)。(論語為政第二)
日本語訳は、宮崎市定訳が一番好きです。
(宮崎訳)子曰く、教わるばかりで自ら思索しなければ、独創がない。自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ、大きな落とし穴にはまる。
伊藤睦月です。この言葉、この宮崎訳に出会ったのは、私が20歳のとき、45年前です。注釈はしません。論語自体2500年前の書物と言われていますから、私が苦笑しているのも、わかる人には、わかるでしょう。
また、これには、宮崎にしては珍しく、注釈をつけています。のでそれを引用します。これ以上付け加えることはない。
(引用はじめ)この言葉は教育、研究の妙諦(みょうてい)を言い当てたもので、千古に通ずる真理である。教育とは要するに全人類が進化してきた現在の水準まで、後生を引き上げてやる手伝いをすることである。言い換えれば個体が系統発生を繰り返すに助力することである。もしこういう助手の存在意義を軽視して、全く独自の力でやろうとすれば、大きな時間と精力のロスに陥る危険がある。
昔ある農村の青年が非常に数学が好きで、小学校を終えたあと、農業に従事しながら十年かかって数学上の大発見をしたと、町の中学の教諭に報告してきた。なんとそれは二次方程式の解き方であった。中学へ入って習えば、1時間ですむことなのだ。独力でそれを発明する力をもっと有効にほかに使えば、本当に有益な研究ができたかもしれない。
(引用終わり。『現代語訳論語』(岩波現代文庫2000年、初出『論語の新研究』1974年))
伊藤睦月です。2本目です。
(引用開始)「議論する」とはどういうことかをわかっていないのだ。議論とは、相手を言い負かすことでなくて、自分の弱点を徹底的に考える、といことである。
(引用終わり。副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』第4章(講談社アルファ文庫1999年、初出『現代アメリカ政治思想の大研究 世界覇権国を動かす政治家と知識人たち』1995年)
伊藤睦月です。この言葉は、35歳の時、今から30年前に出会って以来、ずっと私を公私両面で支えてきた。そのおかげで、時には、つらい目にもあったけど。(苦笑) この言葉に会えて、本当に良かったと、65歳を超えた今、そう思います。
皆様のご多幸をお祈りします。
伊藤睦月拝
【456】(2)守谷論文は、実証史学の立場からすれば、「不可」である。(2)遣隋使、遣唐使の「不都合な真実」
1)伊藤睦月です。当時の世界覇権国中国と属国群(東アジア世界)において、王権の正当性を認めてもらうためには、
(1)宗主国(歴代中国王朝)に「朝貢」する。(あいさつに出向く)
(2)宗主国から冊封を受ける(官職を授かる、ハンコをもらう(印綬))
(3)中国正史に記載してもらう。(現時点では私、伊藤が初出)
ことがいわば必要条件、武力とか財力、呪術力などは、十分条件
2) 伊藤睦月です。当時の王権(大和王朝)は、すでに冊封を受けた、「倭の五王」の後継政権を称していたこと、国王(スメラミコト)は、国内豪族に姓(かばね)を与えて自らの姓をもたなかたっとされる(つまり、国内的には至高の存在として認知されていたこと)、ことの成否はともかく、天皇家だけが、訪中し、中国皇帝に拝謁が実現していること)から、少なくとも、遣隋使以降王権の正当性はすでに確立していたもの、とみるのが妥当。したがって、守谷の見解は最初から破綻している、と私、伊藤は判断します。
3)では、前回の続き、なぜ、「中国皇帝」の前で「天皇」号が使えなかったか、もうおわかりであろう。その時の702年第7回遣唐使で、粟田真人が拝謁したのは、「則天武后」という人物、「天皇」号を初めて名乗った女帝だ。いくらなんでも、ご本家の前で、「日本天皇の使者」を名乗ることは、さすがにできなかった。下手すれば粟田は、生きて故国の土をふめない。では、なんと名乗ったのか。
4)その前に、粟田真人の第7回遣唐使が、なぜ702年だったのか。守谷はその時点で「日本書紀」の大半が完成していたので、それをもっていったのだと言っているが、実証性(記録)がないので、採用できない。西嶋をはじめとする、実証史学は、もっと実証性のある、見解を出している。
(5)それは、701年に「大宝律令」が完成したからだ。大宝律令の「儀制令」には、いわゆる天皇称号を使える時と場合を定めている。同令によると、いわゆる天皇の称号として、「天子」「天皇」「皇帝」「陛下」「太政天皇」「乗輿」「車駕」の7種があり、中国、新羅、に対する国書には、「天子」「天皇」「皇帝」の3種のなかから、選ぶ」と決まったのだ。これで、遣唐使に持たせる国書が決まった。これが中国側に受理されたら、中国から使用許可がでた、ということにはならなかった。どうなった?
(6)「天子」「天皇」、「皇帝」いづれの称号は国書に書かなかった。これらは、中国の恐ろしさを知らない癖に、国内だけで虚勢を張っている「内弁慶君」がきめたのであろう。こういう無意識に国を危うくする、「馬鹿者」は、いつの時代でもときどき出現する。苦労するのはいつも現場、である。ともかく、「天子」は遣隋使でしくじっている、「天皇」は則天武后に殺されにいくようなもの、ましてや「皇帝」とはもってのほか、と粟田以下、遣唐使スタッフは、考え、知恵を絞った結果、当初国書に記載されていた、「明神御宇日本天皇」を「明神御宇日本主明楽美御徳」と書き換えた。「主明楽美御徳」と「スメラミコト」と読む。そう「天皇号」ができる前の王に対する尊称である「スメラミコト」に漢字の音を当てたのだ。粟田選手、大ファインプレーだ。そしてそれに対する中国側の回答国書には「勅日本国王書」とある。「勅」とは宗主国が属国に対する命令のこと。「国王」は宗主国が属国の王に授ける官位のひとつ。もっともこの名称が記載された文書は、日本側の記録にはないし、中国正史(旧唐書日本)には、謁見した則天武后が機嫌よく粟田を歓待したという記録しか残っていない。
(7)なお、その後、遣唐使に対する中国皇帝の国書は、「勅明神御宇日本主明楽美御徳」と表記されているが、たまに中国側から出てくる、「勅日本国王」という国書は「勅日本国皇(こくおう)」と書き換えられている。
(8)また、中国に対しては、上記のとおりであるが、新羅に対しては、「天皇」号を使用しているから、相も変わらず、隣国を見下した、「ダブルスタンダード」の二枚舌外交をしている。
(9)伊藤睦月です。私は「日本書紀」も少なくとも遣唐使は中国に持ち込まなかったであろうと考えている。なぜなら、「天皇」という称号を使用しているからだ。「年代記」のような歴代天皇の名簿くらいは持参した可能性はある。
(10)「新唐書日本」には、神武、綏靖、安寧、・・・光孝天皇(平安時代)までの名がみえるが、それらはすべて、「その王の姓はアメ氏、自ら言う、・・・」から始まっている。彼らが「天皇」と表記されるのは、次の「宋書」からだ。唐が滅んで、則天武后の呪縛が解けたからであろう。
(11)私伊藤は、第6回遣唐使(670年)から、第7回遣唐使(702年)まで30年の空白の理由を「白村江のほとぼりが冷めるまで見送った」としたが、それに加えて、律令制度が整った時期にあわせて、派遣した、という実証史学の成果にも賛意を表する。したがって、守谷論文は、言い過ぎを承知でいえば、少なくとも現時点では、実証性に乏しい、「個人の妄想」にすぎないと断ずる。(12)伊藤睦月です。これで守谷論文の根幹は崩壊した、と考えるが、次回からはそのほかの不都合な個所を指摘、批判することにする。
以上、伊藤睦月筆
【455】守谷論文は、実証史学の立場からすれば、「不可」である。(1)遣隋使、遣唐使の派遣目的
「権威主義者」とよばれた、伊藤睦月です。守谷健二が私を権威主義者とよんでいるが、もしそうなら、副島隆彦先生はさしづめ、「権威者」となるだろう。もしそれを先生が知ったらどう思われるだろう。もう30年以世界レベルの知識人として、世の「権威者」と闘ってこられた、副島隆彦先生が「権威者」とは。想像するだに身震いする。
それはともかく、守谷健二のお笑い論文(重たい掲示板(3152,3150)以下「守谷論文」と表記する。)を題材にして、私の考えを述べる。
(1)守谷論文は、粟田真人をトップとする、遣唐使の派遣目的を「天武天皇に始まる王朝の由来(日本の歴史)を唐朝に説明して、(王朝の正当性を)認めてもらうことであった」とするが、西嶋定生を筆頭とする「実証史学」(以下総称する)は、そうとは考えない。①王朝の正当性を認めてほしいなら、なぜ、過去の「倭の五王たち」のように、「冊封」を受けなかたったのか。(西嶋たちは、冊封を日本側が断った、としている)➁唐朝に説明した歴史書は、守谷論文では、この時点でほぼ完成していたとする「日本書紀」とするが、それなら、その史書献上の記事が、中国側、日本側双方の記録にないのはなぜか。➂粟田真人が、初めて中国正史に登場するのは、「旧唐書日本」だが、そこに「日本書紀」の献上ないし説明したという記事が全く出てこないのは、なぜかについて、実証的に説明することができない。(なお、後代の「宋書日本国」では、日本の歴史書を北宋皇帝に提出、説明したという記事が掲載されている)
(2)この「遣唐使」の派遣目的は、実証史学の立場で、答えが出ており、ほぼ定説化している。
すなわち、遣唐使、その前の遣隋使もそうだが、派遣目的は、①「中華帝国と対等の関係を構築すること」その手段として、702年の粟田真人訪中以降は(第7回)➁日本が自主的に決めた「日本」という国号、と「天皇」という称号使用を認めてもらうこと、である。
(3)その努力は、836年(第15回)の遣唐使まで続けられた。粟田は、「日本」国号使用許可を取ることには、成功したが、「天皇」称号使用許可は失敗して、「天皇称号問題」は、次の北宋時代まで認められることはなかった。
(4)では、どうやって、粟田が「日本国号」使用許可をもらったのか、粟田が登場する「旧唐書日本」では、守谷が記すように、中国側から種々疑われながら、中国正史に掲載されているが、粟田の外見や人柄に好感持たれたようだ。それでも、天皇号使用は認められなかった。なぜか。これも実証史学の立場からは答えが出ている。それは、粟田が拝謁した「中国皇帝」はだれだったかを考えれば簡単にわかる。ヒントは、粟田は「天皇号」使用を認められなかったのではなく、怖くて「天皇」と言えなかった、「中国皇帝」の前では名乗れなかったのである。それを1980年代の実証史学が証拠付きで解明したのである。
次回に続く。以上、伊藤睦月筆
【454】では、改めて、「守谷論文」を批判する。(イントロ2)
副島説を採用したら、「権威主義者」と言われてしまった、伊藤睦月です。
今回は、表題を行うのに使用する「文献リスト」を投稿します。本来は、守谷論文の一行、一行に、参考文献を参照、引用しながら、事細かに論じたいところですが、そうなると、また「長い!」とお叱りをうけそうなので、最初にリスト(いわば、私、伊藤のネタ本)を公開して起き、注釈の代用とします。
文献リスト以外の、文献を使用したり、伊藤独自の見解を示すときは、その都度明記しますが、それ以外は、賛否はともかく、文献リストのどれかがネタ元なので、あしからず。
では、始めます。
(1)日本書紀(1)~(5)坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋(岩波文庫)1995年
(2)全現代語訳日本書紀(上下)宇治谷孟(講談社学術文庫)1988年
(3)「倭人伝」藤堂明保。竹田晃、影山輝國(講談社学術文庫)2010年
(4)「倭人・倭国伝全釈 東アジアのなかの古代日本」 鳥越憲三郎(角川ソフィア文庫)
2020年
(5)「副島隆彦の歴史再発掘」副島隆彦、(ビジネス社)2019年
(6)「天皇とは北極星のことである」副島隆彦、斎川眞、(PHP)2017年
(7)「日本史の誕生」岡田英弘、(ちくま文庫)2008年
(8)「倭国の時代」岡田英弘、(ちくま文庫)2009年
(9)「歴史とは何か」岡田英弘(文春新書)2001年
(10)「盗まれた神話 記紀の秘密」古田武彦(朝日文庫)1994年
(11)「失われた九州王朝」古田武彦(朝日文庫)1993年
(12)「謎の九州王朝」若井敏明(祥伝社新書)2021年
(13)「秦漢史の研究」栗原朋信(吉川弘文館)1960年
(14)「上代日本対外関係」の研究 栗原朋信(吉川弘文館)1978年
(15)「中国古代国家と東アジア世界」西嶋定生(東京大学出版会)1983年
(16)「古代東アジア世界と日本」西嶋定生、李成市(岩波現代文庫)2000年
(17)「日本歴史の国際環境」西嶋定生(東京大学出版会)1985年
(18)「古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで」河上麻由子(中公新書)2019年
(19)「天智朝と東アジア 唐の支配から律令国家へ」中村修也(NHKブックス)2015年
(20)「日本史年表第5版」歴史学研究会(岩波書店)2017年
(21)「世界史年表第3版」歴史学研究会(岩波書店)2017年
(23)「日本史年表・地図」児玉幸多(吉川弘文館)2024年
(24)「標準世界史年表」亀井高孝、三上次男、林健太郎(吉川弘文館)2024年
(25)「詳説世界史研究」木村靖二、岸本美緒、小松久雄(山川出版社)2017年
(26)「詳説日本史研究」佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鳥海靖(山川出版社)2017年
(27)日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典、広辞苑第7版など(電子辞書カシオXD-
SX4800に搭載)
伊藤睦月です。以上が「学問ごっこの権威主義者」伊藤睦月の標準装備です。確かにリストアップだけでも長いね。(苦笑)
以上、伊藤睦月筆
【453】では、改めて、「新守谷論文」を検証する。(イントロ1)
伊藤睦月、です。では、投稿を続けます。
1)守谷健二が「勉強不足」なわけ。
さきほど。2054さんのご指摘がありましたが、守谷が、「勉強不足」である理由は、今までの彼の投稿をざーっとみれば、わかります。
2)そもそも、歴史学や文学、といった人文学の分野の論文では、特に「引用、参照文献」リストが非常に大事です。
3)古事記もそうですが、数百年の研究、論争の積み重ねがあって、しかも些末なまでに積み重なって、現在の見解があるのですから、それらをチェックして、そのうえで、従来の学説の問題点を指摘して、自説を展開しなければ、評価されません。(これを査読さどく)といいます。
4)法律学では、判決に「却下」と「棄却」というのがあるのをご存じですか。「却下」は裁判をするだけの「形式的要件」を審査し、それにかなわなければ、却下、となります。いわば門前払い、です。先に進めません。内容審査(実質裁判)まで行って、不可、となればそれは、「棄却」となります。これは、学問分野によって多少異なりますが、おおよそ「学問(サイエンス)」的論文を評価する王道セオリーです。(また長くなりそうです。恐縮です)
(5)以上からして、守谷の投稿を見ると、文献は、「大野晋」の文庫本1冊しかありません。それだけで評価としては十分不可です。2054さんは、内容まで見られて、判断されているようですが、学問の世界では、そこまで親切に検討してくれません。問答無用で、「却下」です。
(6)これでは、およそ人文学の論文たりえません。
つまり、「却下」。内容を検討するまでもない。私が長々と、いや丁寧に、2054さんが辟易するくらい書いてきたのは、守谷に対するサービスなのですよ。私が述べてきたことは、そのほとんどすべて、守谷がろんじなければならないことだ。といっても本人はわからないようだけど。この会員の中で、卒論とか多少とも学問的な内容の論文執筆経験のある方がいらっしゃたら、ぜひご指摘いただきたい。(私も素人なので、ご指摘いただければありがたいです)
この副島系掲示板では、学術論文ほどではないけれども、「学問道場」だから、学問のルールをできるだけ尊重しようという考えで、私、伊藤は、今まで投稿したり、執筆に参加したりしてきたつもりです。
(7)ちなみに、副島先生や岡田英弘の本のような公刊本では、そこまで、厳密なリストは求められておらいないが、それでも本文になんらかの形で織り込まないと、「盗作疑惑」がかかって、最悪絶版になってしまいます。副島先生は、そういう厳しい「戦場」で戦っておられるわけで、私ごときが「聞いてみる?」とんでもない。その前にやることがある、ということです。
(8)ちなみに、海外のビジネス書や学術書には、ときどき、本文よりページ数多いんじゃないか、というくらい、注釈や文献リストがついていることがありますが、それが本来あるべき姿です。
(9)もちろん、副島先生はそれを踏まえたうえで、日本の業界ルールの範囲で対応されています。と私、伊藤は考えています。
以上、伊藤睦月筆