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Loginはこちら【666】覇権アメの読み方。通読するより、TPOに応じて拾い読みするのが賢い。例えば、トランプの高関税政策は、今や、合衆国の古典的政策である。
1) 伊藤睦月です。本日は、2025年8月22日です。これまで覇権アメを手掛かりに、私なりのウンチクを披露してきた。凡庸なことは承知の上。さて、残りの章をどう読むか。
2)最初からザクザク読んでいくのも一法だが、かつての私のように、情報の洪水に溺れる人も多いと思う。
3)私が実践し、オススメの読み方は、TPO(自分の問題意識)に応じて該当部分を拾い読みする。一度通読したらそのままにしないで、ときどき本書を開き、辞書のように、読んでみること。どの部分を読むかは、注意深く記述している「小見出し」をとっかかりにすればよい。頭の負担もそれほどでもないし、自分の知見を高かめることができる。ただし、そうやって得た知見を他人に披露するのは、ちょっと考えた方が、良いかもしれない。
4)つまりは、覇権アメを「古典」のように読む、ということである。各記述は時代の制約下(1990年後半)にあることは否めないが、それは、どの古典も同様だ。
5)例えば、こういう記述がある。第3章から。
(引用開始)この立場(1980年代にネオリベラル派が唱えた、「産業政策論」のこと)は、外交面においては、アメリカの利益を積極的に追求する、エコのグローバリズム(経済覇権主義)の立場にたつ。・・・(中略)
6)彼ら(アメリカの大企業の大労働組合の幹部)の立場では、アメリカの労働者の生活を守るためには、外国の企業に厳しく課税してほしいし、アメリカの国内企業を倒産の危機から守ってほしい。
7)アイソレーションスト(保守派)のバットブキャナンは、すでにはっきりと、「アメリカは保護貿易(国内産業保護政策)に転じるべきだ」「アメリカは、覇権国(世界帝国)意識を棄てなければならない」とまで言っている。
8)ブキャナンとは犬猿の仲ながら、ネオ・コン派(民主党から共和党に転じた集団)のエドワード・ルトワックも『アメリカ衰退論』のなかで、「このまま行けばアメリカはもっともっとダメになり、まるで第三世界の都市のような荒れすさんだ国になる」と書いた。
9)民主党ネオリベラル派内からも、ロバート・カトナーが『自由放任経済の終わり』(1991年)を書いて、「もはやアメリカは自由貿易を言っている余裕などない。アメリカは管理貿易体制に移行して、輸入品に高関税をかけねばならない。
10)ヨーロッパや日本という国々は、もともとが自由貿易国家でなくて、重商主義(mercantilism マーカンティリズム、はく奪経済)国家なのであり、自分たちのことしか考えていない連中だから、アメリカが気前よく市場を開放しておくとどこまでも入り込んできて、勝手に商売をやってアメリカの富を盗んでいく」と言っている。これは明らかに、プロテクショニズム(保護貿易論)である。(引用終わり:覇権アメ144P-146P)
11)伊藤睦月です。トランプは1980年代に、民主党支持のニューヨーク財界人(不動産事業)としてビジネスキャリアを始めた人である。このころ、日本は、バブルにおごって、米国の不動産を買いまくった。若きトランプには、そのときのことが、しっかりと刷り込まれている、と思う。高関税政策は、半世紀前から、共和・民主共通のいわば挙国一致の「産業政策」のひとつ、であった。
12) ところで、今回の関税交渉の担当は、赤沢亮正(あかざわ・りょうせい1960-)である。彼のことはよく知らないが、赤沢は、鳥取の代議士一族の3代目であり、石破茂と臥薪嘗胆をともにした、盟友だそうだ。彼は国土交通省のキャリア官僚時代に米国コーネル大学のMBAをとっている。だから、英語による交渉は得意、そこまでいかなくとも、相手の言っていることや、部下スタッフの英語交渉は理解できている、と思えわれる。(これは意外と重要だと思う)
13)その赤沢が、テレビ(テレ朝)の朝のワイドショーで、「覇権国が貿易のルールを変えようとしている」と、いつものひょうきんな発言にまぎれて、しれっと言い放った。そのとき、一瞬だけど、司会者や他のコメンテーターの空気が明らかに変わった。凍り付いた、といってもよい。みんな本当はわかっているのだ。
(引用開始)日本としては、アメリカから、「言うことをきかないと、輸出させないぞ」「制裁措置(リタリエイションretalition)を発動するぞ」と言われたらどしようもない。日本の官僚たちが、いくら対等のふりをしても(そしてオールドメディアがいくらそのように演出しても:伊藤加筆)結局は、日本はアメリカの言うことをきくしかないのである。50年前の(敗戦のときの)ように、国が焼野原になりたくなかったら。売り手と買い手がケンカしたら、大抵の場合、買い手の勝ちなのだということを知らねばならない。自由貿易体制は日本の生命線である。(引用終わり:覇権アメ146-147p)
伊藤睦月です。これって何年前の文章だろうか。だからこの人の本は繰り返し読まずにはいられない。
以上、小休止
伊藤睦月記
【665】覇権アメ第4章の次は、第2章を読む。「建国の父」次世代の大統領3人について
伊藤睦月です。本日は2025年8月21日です。相変わらず、暑いね。前回までで「建国の父たち」を紹介したが、その次の世代の3人の大統領を紹介する。これで、7代。よそ様の国の大統領とはいえ、アメリカの小学校レベルなので、名前くらいは知っておいた方がよいと思う。
1)ジェームズ・モンローJames Monroe 1758-1831バージニア州選出。ジェファーソンの子分、地方分権派。モンロー宣言(最近では教書Doctrine、と高校教科書では表記されていることが多い)(1823年)で有名「西半球はもはやヨーロッパ植民地の対象ではない」地方分権派だが、ジョンアダムス政権時の国務長官や第5代大統領時代には、フロリダやルイジアナなど、連邦の拡大に貢献している。
2)ジョン・クインシー・アダムズJohn Quincy Adams 1767-1848 第6代大統領。ジェファーソンの流れをくむ民主共和党最後の大統領とよばれた。マサチューセッツ州名門アダムズ家の当主で、父親は、第2代大統領。おぼっちゃまくんらしく、ポトマック川を裸で泳ぐのが好きだったそう。内政よりも、外交、ということで、モンロー大統領の国務長官も務め、モンローとともに、合衆国の領土拡大に貢献した。(現在の合衆国の半分くらいを版図に入れた)
3)アンドリュー・ジャクソン Andrew Jackson 1767-1845初の民主党出身、 第7代大統領「オールドヒッコリー」、「アンドリュー1世」の愛称、「ジャクソニアンデモクラシー」、議会から初の不信任案、初の暗殺未遂事件を起こす。事績については、覇権アメに詳しい。後世のトランプ大統領まで、つながる、元祖ポピュリスト大統領。
4)高校世界史教科書では、ジャクソンの後は、リンカーンAbraham Lincoin 1809-1865 第16代大統領まで、話が飛ぶことになっている。この間は、奴隷制度廃止問題や先住民(インデアン)政策の変遷、合衆国の領土拡大の話が中心となる。
5)「マニフェスト・デストニー」(1845年ジョン・オサリバン)、「ゴールドラッシュ」(1848年)、「大陸横断鉄道の開通(フロンティアの消滅)」(1869年)は覚えておこう。そして「連邦派」と「地方分権派」の対立は、南北戦争Civil War1861-1865、でとりあえずの、頂点を迎える。(これにつては、ほかの副島本で学ぶことになる。)
とりあえず、ここまで。伊藤睦月記
4)
3)
【664】覇権アメ第4章の次は、第2章を読む(3)「アメリカ建国の父」は何人いたか。また「建国の母」もいたらしい。
伊藤睦月です。本日は、2025年8月20日です。前回の続き。
問2)「アメリカ建国の父」は何人いたか。
答)数え方はいろいろだが、最大52人。アメリカ小学校教科書に取り上げられている、有名どころは、8名。
伊藤睦月です。
1)アメリカ独立の重要イベントして、①大陸会議、➁独立宣言、➂合衆国憲法、がある。英国からの独立をもくろむ13の植民地州は、それぞれに代表を数名送り込んだ。彼らは州の代表として、議決や署名を行い、英国との戦闘の際は、司令官や参謀として、活動した。この3つすべてに参加した者はほとんどいないらしい。
2)独立が達成され、政情が落ち着くと、彼らの大半は、地元に帰った。中央に残った者たちは、大統領になったり、連邦裁判所の判事になったり、中央政府の要職に就いた。その代表的な人物が8名いる。(この辺の状況は戊辰戦争後の状況に類似している、と思う。)
3)中央に残ったメンバーは、当時の超大国、英国の特に経済的圧力(経済封鎖)に対抗するため、各州の上に、連邦政府を置き、財政と外交・軍事面で各州をリードしようとした。これが、「連邦派」(フェデラリスト)。副島本にある「中央集権」志向の党派。
4)そういう、連邦政府の権限強化は、各州の「自由」を奪い取ろうとするもので、行政のトップである、大統領は「王(キング)になろうとしている」、その中でも「財政(通貨発行権)」は各州が持つべき。という考え、「ロックの自然権のキモは、財産権の保障だから、特に州の財産権である、「通貨発行権」を奪うのはけしからん」という考え。これが「地方分権派」の主張の骨子。
5)「中央集権派」の中心人物は、アレキサンダーハミルトン Alexander Hamilton 1755-1804。彼については、覇権アメ132ページ以下に詳しい。
6)ただ、覇権アメでは、「地方分権派」の代表として、アンドリュージャクソン1767-1845(第7代大統領)をあげているが、ジャクソンは、「建国の父たち」の次の世代。当時、ハミルトンにたちはだかった、地方分権派の大物は、トマス・ジェファーソンThomas Jefferson1743-1826、第3代大統領である。日本でいえば、西郷隆盛のごとき人物だ。(西郷は廃藩置県で中央集権化をすすめたが、ジェファーソンは違う)
7)ジェファーソンは、独立宣言の起草者として有名だが、ジェファーソンは、実は、アメリカ合衆国憲法(本文)を起草せず、署名していない。「大統領の権限が強すぎる」「財政権を州から取り上げるのは反対」というのが理由。
8)アメリカ合衆国憲法(本文)を起草したのは、ハミルトン、ジェームズマディソンJames Madison,Jr.1751-1836、第4代大統領、ジョン・ジェイJohn Jay1745-1829、の3人の連邦主義者たちで、彼らは「ザフェデラリスト、The Federalist,という、論文集を共同執筆して、その啓蒙普及に努めた。だから地方分権派のジェファーソンたが強く反対した。
9)2人は、それぞれ、会派(連邦党VS民主共和党)をつくって、政治抗争を続けたが、初代大統領、George Washington1732-17991732-1799の仲介で、とりあえず、和解した。アメリカ合衆国憲法の本文はいじらないが、ジェファーソンたちの主張は、修正条項で取り上げられた。以前私が、独立宣言は自然権的(ロック)、合衆国憲法は、自然法的(アリストテレス)である、といったのは、各起草者の思想の違いに注目したから。
10)ワシントン政権下で、ハミルトンは財務長官(財務担当)、ジェファーソンは、国務長官(外交担当)となって、とりあえず収まった。両派の争いは、国内問題に対する方針の違いによるものと思われ、外交では、ジョンジェイが、ジェファーソンのもと、英国との停戦(講和)条約締結に協力しているなど、大きな争いはなかったようだが、南部出身のジェファーソンは、英国との関係は宥和的であったようだ。北部出身のハミルトンたち、連邦主義者の方が、対英強硬派。
11)この両者の対立は、アメリカ建国のアイデンティティにかかわる根深いもので、その影響(しこり)は、現トランプ政権の政策にまで及んでいる。部外者(属国民)たる我々も、覇権アメを読んで、知っておくべきだ。
12)伊藤睦月です。以上を踏まえて「アメリカ建国の父たち8人衆」プラスについて、ザーッと紹介する。
①ジョージ・ワシントン(初代大統領)、バージニア州代表、独立軍司令官、基本、地方分権派だが、連邦派にも理解を示す。バランスが取れている。
➁ジョン・アダムJohn Adams 1735-1826、第2代大統領、マサチューセッツ州代表、アメリカ海軍の創始者、独立宣言起草者、外交担当として、フランクリンとともに、パリ条約締結に尽力した。どちらかといえば、連邦主義者より。彼の副大統領がジェファーソンで、再選を阻止された。奴隷制度には反対。第6代大統領、ジョン、クインシーアダムズ1767-1846は、彼の息子。
➂トマス・ジェファーソン(第3代大統領):既出
④ジェームズ・マディソン・ジュニア(第4代大統領):既出、「フェデラリスト」だが、合衆国憲法署名のときは、ジェファーソン側に味方した。自身が大統領になると、連邦主義的な政策を推し進めた。
⑤アレキサンダー・ハミルトン(ワシントン政権下の財務長官):フェデラリストの中心人物、覇権アメにも詳しく出ています。
⑥サミュエル・アダムズ Samuel Adams 1722-1803 マサチューセッツ代表、フランクリンとならぶ長老格。クセの強い13州をまとめて、独立戦争に導いた。連邦派、地方分権派どちらかは不明。
⑦ジョン・ジェイニューヨーク州代表 フェデラリスト、:既出、初代連邦最高裁長官、主に、外交担当、ワシントンの意向を受けて、調整した「ジェイ条約」は、英国に対して弱腰だと批判された。
⑧ベンジャミン・フランクリンBenjamin Franklin 1706-1790マサチューセッツ州代表 外交担当、当時から世界的に有名な学者、知識人。主にパリ社交界に出入りして、人気者になり、欧州各国とイギリスとの離間に貢献。戦費調達など、アメリカ独立支援の国際情勢を作り上げた。影の大功労者。長老格。ジェファーソンを助けて独立宣言の起草に加わった。
以上が、「建国の父たち」のメジャー(教科書レベル)な8人衆。ほかにも各州を代表して、独立戦争に貢献した「地元のヒーロー」が50人近く、いたようだ。ウイキペディアに掲載されている。ほかにも、「建国の母」とよばれた女性たちがいたようだ。関心ある方はウイキペディアをご参照ください。(後で紹介するかもしれない)
とりあえず、小休止
以上、伊藤睦月記
。
toiu
4)
【663】覇権アメ第4章の次は、第2章を読む(2)アメリカ小学生並みの歴史知識をチェックする。(独立13州、って何?)
伊藤睦月です。本日は、2025年8月19日です。アメリカの政治思想を把握する前提として、アメリカの歴史をチェックする必要がある。意外と知らないのでは?私も、高校世界史教科書(山川)程度の知識は持っていると思っていたが、高校卒業後、50年の月日は・・・。情けない。(冷や汗)
そこで、初心に帰って、覇権アメ第2章を理解するのに、必要な歴史知識を整理しよう。これから紹介することは、アメリカの小学校レベルだから、誰でもついていけるはずだ。では・・・
問1)アメリカ独立戦争を起こした、英国植民地(13)を北からあげよ。
1,北部(ニューイングランド)
1)ニューハンプシャー州State of New Hampshire(イングランド南部の州名から採用)
①州都 コンコード、最大都市マンチェスター
➁独自の州憲法を持った州として最初。
➂大統領選挙の予備選挙が最初に行われる州
④州のモットーは「自由に生きる、もしくは死を」Live Free or Die
2)マサチューセッツ州 Commonweaith of Masaaachusetts(先住民のマサチューセッツ人に由来)
①州都 ボストン、州西側の中心が、スプリングフィールド
➁1620年、メイフラワー号のピルグリム(清教徒)が上陸して、プリマス植民地を建設。アメリカ建国神話となる。
➂ハーバード大学、MITなど歴史と伝統ある名門校がある。
④独立戦争の震源地の一つとされ、「自由の揺籃(ゆりかご)」と呼ばれた。1775年同州のレキシントンで、独立戦争が開戦した。
3)ロードアイランド State of Rhode Island(当時の開拓地の名前から採用)
①州都 プロビデンス
➁ロジャーウイリアムズ(?~1683)というバプテスト派の創始者の一人とされる神学者が活動した。
4)コネチカット州 State of Connecticut 「長い川」という意味の先住民の言葉に由来
①州都 ハートフォード、最多都市 ブリッジボード
➁オランダ人の入植地が起源、北アメリカ最初の憲法を作ったとされる。
➂金融、保険業が伝統産業
④トマスフッカーというピューリタンの神学者による入植活動が有名
2,中部
5)ニュージャージー州State of New Jersey イギリス海峡の島の名前に由来
①州都 トレントン、他に、プリンストンが有名
➁オランダ人が最初に入植
➂アメリカ独立軍の宿営地となり、トレントンの戦い、モンマスの戦いなどで有名「革命の交差点」ともよばれた。絵画「デラウェア川を渡るワシントン」が有名。
6)デラウェア州 State of Delaware 先住民デラウェア族の名が由来
①州都 ドーバー、最大都市ウィルミントン
➁オランダ人、スエーデン人、フィンランド人が最初に入植。
➂独立戦争時は、やや日和見的
7)ニューヨーク州 Stete of New York
①州都 オールバニ、最大都市ニューヨーク
➁最初に、オランダ人が入植、ニューアムステルダムと呼ばれたが、のち買収、ニューヨークとよばれる。
➂独立前から、商業、貿易の中心。
④1776年ロングアイランドの戦い、1777年サラトガの戦いなど、独立戦争の激戦地、であった。
8)ペンシルベニア州 Commonwealth of Pensyulvania クエーカー教徒である、「ウイリアム ペン(1644-1718)の土地」という名称に由来。「苦痛なくして勝利なし、威張らなくして王座なし、受難亡くして栄光なし」という名言が残っている。
①州都 ハリスバーグ、最大都市フィラデルフィア
➁フィラデルフィアにおいて、1775年第2回大陸会議が開催され、アメリカ独立宣言が起草、署名が行われた。
アメリカ合衆国憲法も、この地で起草された。「アメリカ合衆国誕生の地」とされる。
9)メリーランド State of Maryland ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の王妃の名前が由来
①州都 アナポリス 最大都市ボルチモア、
➁英国王室ゆかりの州だが、独立戦争では、イギリス軍に頑強に抵抗したことでも知られる。アメリカ国歌のルーツとなった。後世の南北戦争でも、北軍側について奮戦した。
3、南部
10)ヴァージニア州 Commonwealth of Virginia「処女王」エリザベス1世が名称の由来
①州都 リッチモンド、最大都市 バージニアビーチ
➁ウォルター・ローリー1554-1618が、最初に植民地建設。
➂1781年、ヨークタウンの戦い、が有名
11)ノースカロライナ州 State of North Carolina 英国王チャールズ(カルロス)2世1630-1685に由来
①州都 ローリー、最大都市シャーロット、
12)サウスカロライナ州 State of South Carolina 清教徒革命で処刑された、チャールズ1世1600ー1649の名に由来
①州都コロンビア、最大都市 チャールストン、
➁13州のうち最初に独立を宣言した植民地、南北戦争の時も最初に離脱表明、大規模プランテーション
13)ジョージア州 State of Georgia 英国王ジョージ2世1683-1760の名が由来
①州都 アトランタ
➁いわずとしれた南部の中心、「風と共に去りぬ」
伊藤睦月です。以上、13州の名称を列記した。各州の詳細を上げだすときりがないが、位置関係だけでも押さえておきたい。(詳しめの、高校世界史教科書や、中学、高校で配布された地図帳が使える)
今回はここまで。伊藤睦月記
1)
【662】覇権アメ第4章の次は、第2章を読む(1)だから、副島本はやめられない。
伊藤睦月です。本日は2025年8月18日です。私の好みでは、第4章の次に第2章を読む。この2章で、巻頭にある「アメリカ政界の思想派閥の全体図」の、共和党の保守主義のコアな部分を知ることができる。学校教科書からの延長線上で、飲み込みやすい。この第2章「共和党保守本流という存在」と第4章はなかなかおいしいところで、ほかの章の理解もだいぶ進みやすくなるだろう。
1)第2章の前半で、まず目についた部分。
(引用開始)ここで説明しておかねばならない重要なことがある。それは、エドモンド・バークのようなイギリスの18世紀の「クラシカル・リベラル」Clasical Liberal(古典的自由主義者)の思想は、現代のアメリカに移し替えると、「トラディショナル・コンサバティブ」Traditional Consaervathive(伝統保守)になってしまう事実である。ここで「リベラル」と「コンサヴァティブ」という言葉の意味が、正反対に入れ替わってしまうのである。
(引用終わり:覇権アメ第2章87ページ:「リベラル」と「コンサバティブ」の本来の意味)伊藤睦月です。この後、先の投稿で、私が書いた、不器用な説明より、さらに洗練された説明がなされている。あー恥ずかしい。でも今更格好つけても、しょうがないよな、この覇権アメも20年ぶりに読み返しているから。こういうことも起きるさ。私は私のレベルでしか、思ったこと書けないから。これからも、なんとかの上塗りをやり続けるだろう。これも「ふじむら」だから、ええんとちゃう(苦笑)
伊藤睦月です。というわけで、次回から、第2章を読んでいきます。
以上、伊藤睦月記
【661】覇権アメ第4章を読む(6)その他、第4章の次にどこを読むべきか。
伊藤睦月です。本日は2025年8月17日です。さきほど、大河ドラマ「べらぼう」を見終わったところ。時代は田沼時代末期の世情、「浅間山噴火」「天明の大飢饉、大洪水」「天明の米騒動」に対し、当時の為政者や庶民がどう対応していったかなどを描いており、現代の世情を想起させるものとなっている。大河のテーマは、2年前には決まっているから、当時から現在を予見していたのか、あるいは、ある種の「誘導」が行われているのか、よくわからん。ドラマの今後の展開が楽しみ。
1)これまで、覇権アメ第4章を読みながら、気になるところを書いてきた。これ以上書くと,第4章すべてを引用しなくてはならなくなるので、この辺でやめておこう。
2)そもそもこの本は、高校社会科書(倫理、政治経済、世界史、日本史)程度の知識しかない者を対象に、アメリカ政治思想の全体像を、わからせようとするもので、1995年の初版以来、この本を超えるテキストは、まだ出現していない。
3)それだけに、他の政治思想本とは際立った特色がある。
①この本で取り上げられた、政治思想は、あくまでも「世界覇権国アメリカ」で受容された思想、しかも「英語」で理解された思想を、現代の「日本語」で説明した本。
➁そのため、欧米の政治思想の各テーマの取り上げ方、説明の仕方は、かなり、メリハリが効いている。高校教科書の記述とはかなり、異なったものになっていることがある。ただし、「間違って」いるのではない。「世界覇権国アメリカではこのように理解され、説明されている」ように執筆されているのだろう。
➂例えば、フランス(デカルト、モンテスキューなど)やドイツ(カントなど)といった、教科書定番の思想や人物は、ほとんどふれられていない。欧州思想との関連については、フランシスフクヤマの「歴史の終わり」を取り上げているが、この本で扱われているのは、ヘーゲル、ニーチェ、くらいだ。
④でも、アメリカ政治思想の全体像を把握するためには、大変すぐれた記述法だと思う。副島先生は、このことに関して、次のように説明している。
(引用はじめ)日本人は、世界帝国(覇権国、ヘジェモニック・ステイトhegemonic state)という考えをきわめて軽視している。アメリカは現在、世界覇権国なのであり、日本は、他の多くの国々と同じように、その属国である。覇権国であるアメリカの、文化と政治と知識と社会の動きを軽く見てはいけない、と私は思う。
とりわけ政治思想や政治哲学において、いつまでたっても、フランスとドイツが偉いなどと考えていること自体大間違いだ。フランスもドイツも、それからイギリスも、実はこの数十年の間にアメリカに負けて、あらゆる意味で現在はその支配下にある国である。・・・(中略)このことに、どうして日本の知識人たちは気づこうとしないのだろう。それとも政治思想なら何が何でもフランスとドイツが一番で、アメリカの優位に気づきたくないのか。明治以来の、独仏=高級思想の構図が否応なく崩れてきているのだ・・・
(以上、引用終わり:覇権アメ第二章134ページ)
4)伊藤睦月です。私が第4章から読んでいるのは、高校教科書に加えて、大学法学部の教養科目のテキスト(法思想史、政治思想史)を読みかじっていたからであって、必然性はない。読者諸兄の、知識レベルに応じてどこからでも、ザクザク読んでいけばよろしいかと。でも高校世界史、倫理、政治経済の教科書や共通試験レベルの参考書は、読んでおいた方が、この本も読みやすくなるであろう。(詳しすぎるとかえって混乱するかも)教科書に出てこない、人名やトピックがてんこ盛りで出てくるのに戸惑わないために。ウィキペデイア情報もかえってわかりにい場合が多いように思える。
5)伊藤睦月です。覇権アメの次に読むべき本、英語力のある方は、この本に紹介されている、英語本や雑誌に直接当たられるのがよいと思う。また、私のようにそこまでの学力がない者は、そういうレベルの読者のために、副島先生が用意している本にアクセスすることだ。私もそうやってきた。具体的な紹介は、また後日。
以上、伊藤睦月記
5)
【660】覇権アメ第4章を読む(5)なぜ、ロック「市民政府二論」の第一論文が、日本語に訳されてないのか。
伊藤睦月です。本日は、2025年8月16日です。トランプ=プーチンのトップ会談が始まった。やはり、まず、「大国」どおしで、大親分通しで、話をつけるのである。ゼレンスキーは、なんだかんだ言っても、それに従わざるを得ない、「小国」の悲しさ、である。日本も程度の差はあっても、同じ立場である。現に、北朝鮮には、手をださせてもらえないではないか。
1)さて、自然権の採用については、覇権アメ第4章には、こう書かれている。
(引用はじめ)ロックのこのナチュラル・ライツの思想は、その後、近代政治革命家たちによって、「コンスティチューショナルconstitutionalな(憲法典に定められた、憲法体制としての)権利、right」、つまり「憲法条文の中で保障を宣言された諸人権」となっていった。これがアメリカ独立革命戦争の成果である「アメリカ独立宣言」(1776年)であり、フランス革命の動乱の中で生まれた「フランス人権宣言」である。アメリカの建国の父たちは、フランスの革命家たちは、ロックの思想を自分たちの思想のお手本として、嬉々として採用したのだ。
(引用終わり)伊藤睦月です。上記の副島先生の説明は、一言一句、すべて正しい。正しいのだが、それではなぜ、バークの両者に対する評価が、正反対になったのか。私なりに考えてみる。どーも細かいことが気になるタイプなので。前項で述べた、「ホイッグ党」つながりのほか、フランスは王様の首をちょん切って、「自然の決まり」を台無しにしたので、大混乱がおきた、(1種のアノミーが起きた)ということもあるかもしれないが、それ以外の要因を探してみる。
2)ロックの自然権思想は、「社会契約説」という仮説(フィクション)のうえに、人工的に(演繹的に)作られたもの。したがって現状変更の哲学になる。自然の決まりをあるがままに認める、自然法思想は、そういう仮説にはたっていないので、現状変更の哲学にはなりえない。(漸進的に、少しずつ改良、改善していく、ことがせいぜい)
3)社会契約説は、ホッブス由来、ロック由来、ルソー由来、ヘーゲル由来、マルクス由来、とさまざまあるが、人工的に、人間の頭の中で考え出された、という点では共通している。もっと、おおざっぱな分類をすれば、プラトン由来。プラトンは、シラクサの僭主(王)のブレーンとして、自分が思い描く「哲人王」を作ろうとして、独裁者をつくってしまい、大失敗した。後世、このプラトンの考えは、代々継承されて、この失敗も性懲りもなくくりかえされて、「呪縛」となったという論者もいるくらいだ。
4)伊藤睦月です。アメリカ独立戦争のリーダーたち、(建国の父たち)は、独立宣言では、ロックの社会契約説を採用したが、アメリカ合衆国憲法という、具体的な人権カタログや統治機構を作る際には、そのまま採用しなかった。アリストテレスの「ニコマコス倫理学」や「政治学」主張された、自然法的なシステムを採用した。これでバークの思想と根っこのところで途切れなかった。
5)ところで、バークの思想を強く批判したのが、生粋の革命家(18世紀のチェ・ゲバラ)であった「トマスペイン」(コモンセンス)」である。彼は、アメリカ独立後、過激すぎて、アメリカを離れ、謀反人として、出身の英国にも入れず、コロコロトップが変わっていた、フランス政府にも受け入れられず、欧米周辺をうろうろして、憤死している。
6)フランスの革命家たちは、アメリカと違って、王制打倒後のプランはなにもなかった。勢いあまって王様の首をちょん切ったり、ロックやルソーの社会契約説やアメリカ独立宣言を参考にして、それよりも先進的な(過激な)人権宣言を作ったが、すぐに、無効化した。そして、きちんとした理論的根拠をもたないまま、派閥抗争(殺し合い)をくりひろげ、ナポレオンによって、混乱を収められた。プラトンの失敗を繰り返したともいえる。アリストテレスは、王制の失敗の行きつく先は、独裁制、だと喝破したが、ナポレオンの台頭で、それが現実になる。バークの「省察」はナポレオン登場以前に執筆されたが、フランス革命の失敗とナポレオンの登場を予言した本、とされている。(と、私、伊藤はみている)
7)ここで、表題の問いに対する、私伊藤の考えを簡単に述べる。「羊頭狗肉」もはなはだしいけど。
①ロックの市民政府二論の第一論文は、「父権について」という表題である。当時の有力な政治思想であった「王権神授説」を聖書(当時は歴史的事実と考えられていた)の記述などを根拠に主張した論文だ。ロックはこれを徹底的に批判した。その要旨は、簡単に言ってしまえば、「聖書の記述は歴史的事実と違う。嘘っぱちのフィクションだ」というもの。そのため、当時のピューリタン革命失敗後の反動期(王権が優位)に、この本は、ヤバい本となって、匿名で執筆され、名誉革命(1688年)が成功して、やっと初版が出版された。という本である。
➁そして、第二論文は、第一論文で現体制(当時)を否定した後の、新しい「市民政府」の統治機構や、人権カタログを提案したもの。経験論たる、ロック哲学の「白紙:タブラ・ラーサ」(素質より環境だ)というコンセプトを基礎にしている。そして、このアイデアは、広く現代に浸透している。例えば、「未成年」(子供は小さな大人ではなく、未熟な存在だから、教えておげなければならない)という考え。(ルソーが最初ではない)など。など。
➂ところで、ロックの自然権思想は、明治初期に福沢諭吉らによって、日本に紹介された、とされている。(天賦人権説)、そして、第二論文は、戦後の日本国憲法の人権カタログの一部に採用されたため、日本語訳(鵜飼信成訳、岩波文庫)が出たが、第一論文はなかなか出ず、2000年代になって、やっと完訳(加藤節訳、岩波文庫)が出た。覇権アメが世に出た、1995年前後には、まだ完訳がでていなかった。(時代を感じるね)
④では、なぜ第一論文の翻訳が遅れたのか。それは、第一論文は、天皇制(明治憲法=大日本帝国憲法体制)を否定する内容だからだ、と私伊藤は考える。当時の明治憲法は、当時のプロシャ憲法を参考に、天皇大権(主権)を前提に、臣民として、適用制限のかかった、ロックの自然権(人権カタログ)を採用したもの。天皇関連は、自然法的、人権カタログは、自然権的、といった、シロモノであった。当時はそれなりに機能していたのだろう。だから、今でも明治憲法の支持者はすくなからず存在する。
⑤だから、第一論文は、ほとんどフィクションである、第二論文より、危険な書、ということになる。革命の書の本命は第一論文の方である。副島先生の見立てによれば、明治憲法下の天皇制は、プロシャ式だが、内実は、イギリス王室をモデルにしたものだという。そうであれば、結果的に英国王室の存在を否定しかねない、第一論文は、存在できなかった、のではないか、と私、伊藤は考える。
⑥2000年に入って、完訳がでてきたのは、第一論文の危険性が薄まったため。それは、天皇家の代替わりにも関係ある、のではないかと思うが、今のところ確信はない。これについては、ゆっくり考えることにする。多分急ぐこともあるまい。とも思っている。今回は、ここまで。
以上、伊藤睦月拝
【659】覇権アメ第4章を読む(4)アメリカ合衆国は、「近代思想」による世界初の、そして成功したほとんど唯一の人工国家である。(続)
伊藤睦月です。本日は、2025年8月15日です。朝7時過ぎくらい。
1)この項で、お伝えしたいのは、226ページの「ヨーロッパ政治思想の全体構図」という、1枚のポンチ絵。30年前、この絵を見たときの衝撃は、今でも忘れない。この本を第1章から順番に読んできて、感心しつつも、頭にストレスが溜まってきたところで、この絵をみて、スッキリさせられた、というもの。思想を「微分」するという、アイデアはとても新鮮だった。ここで、「ヨーロッパ政治思想」、というのは、「世界覇権国(アメリカ)の保守思想」、だろうという、重箱の隅をつつくことしかできないが。
2)ここで、確認しておきたいのは、アメリカ政治思想対立の本命は、自然法派(バーキアン)対人定法派(バーキアン)だということ。自然権派(ロッキアン)、人権派(現代リベラル派)、動物の権利派(アニマルライツ派)は、自然法(人間の意思を超えるものがある)を前提している、という点で、自然法から展開されたもの。外見や事象はずいぶん違うが、根っこは同じ。ああ、そうか。
3)しかし、現実の社会や政治世界を形作っている政治思想は、自然権と人権であり、これによる人工的な、国造りに最初に成功したのが、アメリカ合衆国、(人工ではない、という意味で)自然国家を人工的な改造手術(これをソーシャル・エンジニアリング、社会工学というらしい)を施して、大成功を収めたのが、わが国、日本、であるらしい。中途半端な結果に終わったのが、フランスとドイツ(ワイマール共和国)それぞれ明暗が分かれ、悲喜劇を繰り返している。違う改造手術を施されたのが、ロシア。後、イタリアとかスペイン、ギリシャの例もあるが、そこは、置いといて、おおざっぱなくくりでとりあえずは、十分かと思っている。
次からは、少し、重箱、というかウンチクに入らせていただく。悪しからず
以上、伊藤睦月記
【658】覇権アメ第4章を読む(4)アメリカ合衆国は、「近代思想」による、世界初の、そして、成功したほとんど唯一の人工国家である。(イントロ)
伊藤睦月です。本日は、2025年8月14日です。これからは、私が覇権アメ、特に第4章を読んで、あれこれ思いついたことを書く。その大半は、副島ファンや政治思想史を多少ともかじった方なら、当たり前すぎて、「それが何か?」と言われそうな内容だ。ちょっと気恥しいが・・・
1)この本は、20世紀、21世紀前半の「世界覇権国」である、アメリカ合衆国の政治思想ガイドブックである、当たり前だろ、といわれそうだが、実はあたりまえでない。現在わが国に、流布している。「政治思想本」は、この本を除き、すべて、「欧米」(古代ギリシャ・ローマを含む)の政治思想本である。アメリカ合衆国のそれにフォーカスした本は、すくなくとも、この本の初版本(現代アメリカ政治思想大研究)が出現した1995年以前には、一般向けの本としては、存在しなかった。と、あえて言い切ってしまおう。
2)この本の第4章は、バーク由来の「自然法思想」とロック由来の「自然権思想」という、二大保守思想の対立から、話が始まっている。ここであえて、問うが、なぜ、バークなのだ。バークは、アメリカ独立戦争には理解を示したが、フランス革命は否定した。それはなぜか。バークは、英国のホイッグ党の政治家として、活動した政治家だ。英国では、彼は保守政治家とはみられていなかったのではないか。では、なぜ米国では保守、とみなされているのだろうか。(この答は、覇権アメのどこか、に書いてありますが、わかりますか?)
3)英国政治史において、ホイッグ党対トーリー党の対立は、高校教科書レベルのトピックスだ。後世、自由党対保守党の英国二大政党制、自由党の代表的政治家は、グラッドストーン、保守党の代表は、ディズレーリ、2人はライバル、とセットで覚えたものです。
4)そして、自由党は、いつしか労働党にその地位をとってかわられ、「自由民主党」という少数政党になってしまっている、まるでわが国の「社民党」みたいだ。
5)英国では、18世紀に、スコットランドを併合して、「連合王国」となるまでは、「イングランド王国」であったが、英国に限らず、欧州の「保守派」というのは、王制支持者、つまりは、「王党派(トーリー)」のことだ。ホイッグ党は、王権制限派であって、長年、トーリー党と対立抗争を続けていた。
6)ホイッグ党(派といったほうが、正確かも)、の最過激派集団が、クロムウェル率いる「清教徒」’共和制派)で1649年に時の英国王の首をちょん切った。クロムウェルの死後、1660年に王制が復活したが、1688年にホイッグ党の穏健派とトーリー党(当然、英国国教徒)とで、カトリック教徒の王様を追放して、オランダから王様を擁立した。(名誉革命)
7)だから、当時英国では、ホイッグ(山賊という意味の俗語らしい)は由緒正しい保守派(トーリー)からすれば、かつて、王様の首をちょん切った「反逆者」の末裔で、とんでもない連中だ。その仲間である、バークが保守、であるはずがない、ということになる。なるが、新大陸では、違うのである。バークが生きた時代には、ホイッグが穏健化して、王様の存在は認めて、穏健化してきた、ということもあるだろう。名誉革命を主導した政治思想は、ロックの「自然権思想」である。
8)新大陸では、英国本国では、「反逆者」扱いである、ホイッグたちが、迫害を逃れてきて、植民してきた。彼らが新大陸の先住者(ここでは、ネイティブアメリカンの存在は無視・迫害された)、支配者層になった。そしてホイッグの思想、バークの思想が、米国の由緒正しい政治思想(保守思想)のひとつ、となった。だから、独立戦争の時、バークは、植民地側に理解を示した。だって元は思想的には、仲間だもの。それに、フランス革命のような混乱がなぜか起きなかったからだと思う。もし、そのようなことが起きれば、バークは、独立戦争にも反対したであろう。
伊藤睦月です。次は、ロックの「自然権思想」にかかわるお話になる。以前にも述べたが、以上のことは、ほとんどすべて、副島先生か、小室直樹博士の本を読めばわかること。高校教科書を注意深く読めば、わかるレベルだ。その程度なので、悪しからず。次から、本題。
以上、伊藤睦月記
【657】覇権アメ第4章を読む(3)ちょっと気になることが・・・「青山直篤」という人物。
伊藤睦月です。本日は2025年8月13日です。
1)先日、NHKBSをチラ見開いていたら、イーロンマスクを特集していて、彼の背後にいる理論家、という位置づけで、カーティスヤービンの紹介、インタビューを放送していた。ヤービンについては、「暗黒啓蒙主義」とか「君主制」といったキーワードで、今日のボヤキや重たい掲示板で、副島先生や、古村さんが以前に紹介していたような。さすがに早いな、と感心していたところ。
2)で、たまたま、今朝コンビニで買った朝日新聞(総合2:時々刻々)に「トランプ主義亀裂」という大見出しに「旧来支持者vsテック右派」、「移民やAI政策 保守派も応戦」「暗黒啓蒙」思想家ヤーレビン氏影響力増す」「民主主義を否定」「王が必要」という、中・小見出しが踊っていた。
3)また、テック右派の人物として、カーティスヤービン、イーロンマスク、マークアンドリューセン、ピーターディール、「多様な人物が混在する「トランプ主義」」に連なる人物群として、スティーブ・バノン(MAGA),JDバンス(副大統領)、マージョリーテイラーグリーン(トランプ側近の強硬派議員)、パトリックデニーン(カトリック保守)が紹介されていた。これらの人物については、すでに、副島=古村の観察、分析が始まっているだろう。のでそれを楽しみにしよう。
4)私が気になったのは、この記事の執筆者「青山直篤」と」いう人物。「なおたか」「なおあつ}とでも読むのだろうか。
5)朝日新聞のhpによると、1981年生まれ、東京大学法学部卒、現在朝日新聞ニューヨーク支局長。記事書署名には、(バークリー=青山直篤)となっているので、バークリーが人名でなく地名なら、カリフォルニア(ucla)で書かれたものだろうか。
6)青山氏は、高校生時代に「プルデンシャルクラスルーム」というプログラムに参加して、渡米してしている。このプログラムの詳細は知らないが、将来、「アメリカ帝国と属国日本とのカウンターパート候補」として育てられている人物なのかな。
7)大学時代は、北岡伸一のゼミにいたようだから、そういったつながりがある人物なのだろう。あくまでも「候補」として、育成、観察されているようだ。
8)こういったことを「世代交代」というのだろうが、日米とも新しい担い手が胎動し始めている、ということなのだろう。
9)まあ、私のできることは、「覇権アメ」を読み返して、あれこれ思いめぐらすことぐらいか。
福岡は、豪雨過ぎて、また猛暑復活のようです。ご自愛を。
(以上、伊藤睦月記)