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Loginはこちら【681】「第五列」というコトバの実質は古く、約二千年前の事実が突き止められる。
件名_「第五列」というコトバの実質は古く、約二千年前の事実が突き止められる。
かたせ2号です。本日は2025年12月21日(日)です。
「第五列」の作られ方としては、中国の三国志演義で一番有名な場面
「赤壁(Red Cliff)の戦い」での出来事が思いだされます。
これくらいの芝居(苦肉の計)を打てないようじゃ、第五列にはなれない。😇
さて、
すごいね、最近のAIは。。。
「赤壁の戦い 黄蓋(こうがい)」で検索した結果を、以下に転記します。ご参考ください。
(転記開始)
赤壁の戦いにおける黄蓋(こうがい)は、周瑜(しゅうゆ)の「苦肉の計」を立案・実行した、呉の孫権(そんけん)配下の老将です。
魏の曹操(そうそう)の大軍に対し、黄蓋は、自らが罰を受けて傷ついた姿を見せ、偽りの降伏を装って火船で敵船団に突入。
油と薪を積んだ船団が曹操の連環(れんかん)の船に命中し大炎上、孫劉(そんりゅう)連合軍の勝利を決定づける大功績を挙げました。
黄蓋の役割と「苦肉の計」
献策: 曹操軍の密集した船団に対し、火計(火攻め)が有効であると周瑜に進言しました。
計略: 策を成功させるため、自ら周瑜に逆らい、棒打ちの刑を受けることで「周瑜を恨んでいる」と曹操に思わせる芝居をしました。
潜入: 闞沢(かんたく)の助けも借りて曹操軍に投降。曹操はこれを喜び、歓迎します。
実行: 東南の風が吹いた機に、油を染み込ませた薪を積んだ火船を放ち、曹操の船団に突入させ、火を放ちました。
戦いの結末と黄蓋のその後
火計により曹操軍は壊滅し、天下統一の野望は潰えました。
黄蓋自身も負傷しましたが、味方に救出され生還。後に病没するまで、孫権に仕え続けました。
まとめ
黄蓋は、知勇兼備の老将として、赤壁の戦いにおける火計の立案から実行までを担い、その「苦肉の計」と火船による突入は、兵力で劣る孫劉連合軍を勝利に導く最大の要因となりました。
(転記終わり)
かたせ2号です。以上でこの投稿を終わります。
何がお伝えしたいか、わかってくれたかな? 😇
【680】第五列というコトバの出典を調べてみました。
件名_第五列というコトバの出典を調べてみました。
かたせ2号です。本日は2025年12月21日(日)です。
さて、政治や戦争の世界には、「第五列」ということばがあって、
「味方のふりをして中に入り込んだ裏切り者」という意味に使われます。
ほぼほぼ 「偽旗」と同類のことばです。
このコトバの出典は、おそらく共産主義運動かなにかから出てきたのだろうと思ってたら、違ってました。
1930年代のスペイン内戦の最中(さなか)に飛び出したコトバでした。
以下、あるサイトの情報を引用します(一部情報を訂正・加筆)。
(引用、一部訂正、加筆を開始)
「第五列」という言葉は比較的新しいものです。
1930年代のスペイン内戦、あるいはむしろスペイン反革命の際に、フランコ軍が首都マドリードに進軍したとき、「第五列」というコトバが生まれました。
フランコ麾下の将軍の一人であるエミリオ・モラが
「マドリードは(我々4個軍団に加えて)第五列(Quinta Columna)によって占領される」と発言したことから広まった言葉で、敵に内応するスパイや協力者を指します。本来の軍隊(4個軍団)のほかに、内部から敵に味方する秘密の組織という意味で、第二次世界大戦中にも多用されました。
このイメージは人々の心に響きました。
この言葉は大成功を収め、世界中に広まりました。この言葉は世界のすべての言語に採用されました。
たとえば、ヒトラーの軍隊がヨーロッパの国々を征服し始めたとき、フランコ将軍の軍隊がマドリードに進軍したときのように、すでにそこにいた友好的な要素によって歓迎され、支援され、助けられているように見えたため、「第五列」という言葉がこれらの「敵の中にいる友人」に適用されたのはごく自然なことであり、しかも当然のことでした。
歴史の知識が世界にあまり広まっていないため、気づかれなかったことですが、この言葉は新しくても、それが示す社会現象や軍事現象はそれほど新しいものではありませんでした。あるいは、全く新しいものではなかったのです。
(引用、一部訂正、加筆終わり)
かたせ2号です。
以下、追記します。
「第五列(The Fifth Column)」とは、アーネスト・ヘミングウェイが1937年のスペイン内戦中に執筆した戯曲のタイトルでもあり、作品自体はマドリード攻防戦での反ファシスト活動を描き、「味方内部の敵」「内部の破壊者」を指す言葉(「第五列」)を有名にした作品です。ヘミングウェイはこの戯曲を通じて、戦争の現実とスパイ活動の緊張を描き、この「第五列」という言葉は第二次世界大戦中にも広く使われるようになりました。
ヘミングウェイが書いた唯一の戯曲で、日本語訳は、1970年代以前に出版された全集に収められています。
以上
【679】おそらく、古谷経衡(ふるやつねひら)くんとわたしとの政治的立場での一致点を発見できた。
件名_おそらく古谷経衡(ふるやつねひら)くんとわたしとの政治的立場での一致点を発見できた。
かたせ2号です。本日は、2025年12月21日(日)です。
古谷経衡(ふるやつねひら)くんとの政治的一致点は、さきほど、言語化ができたので、報告する。
結論、どんな英雄であれインフルエンサーであれ、脊髄反射で信頼を預けてしまうような行為は現代においては自殺行為に等しいと思う。
これです。😇
ちなみに、トランプ応援派のアメリカのおけるインフルエンサーの中で、わたしが、情報を信用できているのは、リン・ウッドさん。アメリカの弁護士。
長年、じっと観察した末ではあるが、この人は、どの組織とも、そして、トランプ本人とも、裏ではつながっていない人物と判定した。自分の判断で、勝手にトランプと連帯しているだけ。
ロッキード事件の渦中にあった田中角栄さんを、勝手に擁護した小室直樹先生のようなものです。
いわゆる「勝手連(かってれん)」。
<横路(よこみち)に逸れて申し訳ないが、勝手連(かってれん)とは、日本においてあるテーマに賛同する者が自発的に集まって支援する市民活動の様式。 1983年の北海道知事選挙に際して、候補となった横路孝弘を支援する団体が「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」を名乗ったことに由来する。>
リン・ウッドさんを観察していると、「勇者は一人ある時に最も強し。」という格言を思いだす。
この格言は、ドイツの詩人・戯曲家・思想家のシラーによるもの。内村鑑三が著書「基督信徒のなぐさめ」の中で引用しているコトバでもある。
さて、以下に、
谷川一巳さんという、カリフォルニア住の中年サラリーマンのNOTEの文章の一部を引用する。
トランプ応援派のアメリカのおけるインフルエンサーの動きがよくまとまっています。ぜひご参考ください。谷川さんが、2023年10月28日 に投稿した内容です。
(いいですね、このネット社会においては、組織に紐づけられていない、中年サラリーマンのひまつぶし活動が、最強なのかも)
全文は、リンク先からどうぞ。😇
⇩
https://note.com/agree2disagree/n/naad9698cea16
(引用開始)
結論、どんな英雄であれインフルエンサーであれ、脊髄反射で信頼を預けてしまうような行為は現代においては自殺行為に等しいと思う。ペンス、ポンペオ、ディサンティス、シドニーパウウェル、ロジャーストーン、アレックスジョーンズに加えフリンまでもが偽旗だとわかったのだから。
そもそも「偽旗」とは「トランプの味方のふりをした裏切者」のことだ。何故そこまでトランプだけが狙われるのか?そして、今現在トランプの味方だと自称する者は、本当に信用していいのか?もう答えは出ていると筆者は思うし、ディサンティスの教訓を知るのならナイーブな考えは現代では命取りだと思う。
耳に心地よい言葉も、センセーショナルな言い方も、ショーの様な話題の盛り上げ方も、それに触れたとたんに「疑惑センサー」が働くくらいの心構えと徹底的な合理的思考と識別力を我々は持ちたいと思う。そうでないとグローバリズムを打倒出来ないのではないかと危惧するからだ。
最後の最後に、「フリンどころかそもそもトランプも偽旗だ」的な意見に遭遇することにあるが、その場合は是非、誰が「こっち側」の人なのかもその意見に含めて教えてほしいのだが、これは過度なお願いだろうか。「こっち側」に該当者がいない場合、我々には味方がいない。ならば文字通り終わりだ。2016年にヒラリーとトランプの一騎打ちになった時から7年も経っているのに、いまだにグローバリストがちんたらちんたらしていることの説明が全然つかないが、終わりだ。終わりなら、筆者には死ぬか家畜化される前にやりたいことがある。だから、誰がこっち側なのかご教示願いたいのだが。
(引用終わり)
かたせ2号です。
以上で、わたしの投稿を終わります。
【678】それでも、古谷経衡(ふるや つねひら)くんに一理あると、わたしは考える。
件名_それでも、古谷経衡(ふるや つねひら)くんに一理あると、わたしは考える。
かたせ2号です。本日は、2025年12月20日(土)です。
参政党と神谷宗幣
という本が、今年2025年の10月に発売された。
著者は、古谷経衡(ふるや・つねひら)さん。祥伝社が出版元。
わたしがあまりこれまで興味を抱くことがなかった右翼系言論界隈の状況が知れて、参考になった本です。
以下、抜粋する。
最初にわたしから申せば、
先週からロイター通信社発でエプスタイン島の件の報道がなされた以上、
「エプスタイン島の秘密は存在したのか、しないのか」という論点については、
古谷さんの明らかな敗北である。
おそらく彼は、このことには、口をつぐんで鬱屈(うっくつ)する他ないだろう。
<抜粋開始(241-246ページ)>
(2020年ころ、知り合いのG子さんから以下のような質問を受けた)
「なあ、古谷君。エプスタイン島って知ってる? エプスタインっていうおっさんが、児童買春をしていたんだって。その客には、ヒラリーとがが かかわっているらしい」
(中略)
私はG子の陰謀論には到底付き合えなかったが、(中略)
(G子のような篤志の自分の著作の)読者は貴重だったので、私はG子の弁を全面否定することに躊躇した。その代わり、次のように伝えた。
「たしかにエプスタインの疑惑は本当だと思う。でも、もしそれが本当であれば、日本のメディアも大々的に報道するのではないか。それがないということは、眉唾の情報なのではないか」
しかしG子は自説を曲げない。
「いやでもさ古谷君。日本のマスコミはトランプさんが嫌いじゃん。で、ヒラリーが好きじゃん。だからヒラリーに不利になるような事実を報道することはないんじゃないかな」
こう言って聞かなかった。
(中略)
私は陰謀論者を批判する記事の執筆や投稿を繰り返していた。G子とはXで相互フォロワーの関係にあるから、このような私の活動を知らないわけがない。自身が在日朝鮮人という出自ゆえに、差別の問題に敏感だったG子は、かつては進歩的言論人のアカウントをフォローして賛同していたが、このころにはネット・右翼的系言論人のリツイートで埋め尽くされていた。
やがて2024年になると、G子からフォローをはずされたことが明らかになり、完全に私とG子は没交渉になった。それでもG子のアカウントを覗いてみると、参政党と陰謀論者関連のリポストで埋め尽くされていた。(中略) 悲しいがこれが現実なのである。
<抜粋終わり(241-246ページ>
かたせ2号です。ここまで、抜粋をしてはきた。
しかし、わたしの本心を言えば、
エプスタイン島の件で敗北を喫した古谷さんのこれまでのスタンスが100%間違いとは思えない。
彼の視点がすべて間違いとは、私には思えない。
なぜ?
おそらく、トランプが、統一教会支持の姿勢を一度も撤回していない点において、
わたしが、一人の日本人として、トランプを許せない部分があるのが、わたしをそのように判断させる理由・根拠だろう。
要は、
トランプ支持層の中に、統一教会が入り込んでいて、そのままになっていることが、
ものすごく、わたしに警戒感を抱かせるのだ。この件は、いまだに解決していない。
そもそも、戦後の日本の歴史で、統一教会を「仲間のひとり」として容認してきた右派的な言論が、わたしは昔から嫌いでしたし、いまでも嫌いです。
「統一教会は絶対の『悪』」、わたしはこの認識を起点に、世界や日本の情勢を考察しています。😇
言い換えるなら、トランプがいくら偉大な救世主であろうが、シランガナ、そんなコト。
ですから、エプスタイン島の件の告発を正しく信じた層の人たちが、
日本においては参政党支持に回ってしまいがちなのは、
やはり、なにかが、おかしく、なにかがうまい具合に、歪められているように感じる。
その違和感は古谷くんとわたしが共有するところになるだろう。
その違和感の正体は、わたしにははっきりしているけど、この投稿では書かない。
もう少し、様子を見ます。
さて、
以下が結論となります。
(結論)
エプスタイン島の件の告発の件での敗北が確定した古谷くんではあるが、
それでも、
エプスタイン島の件の告発を支持する層に、警告を発する言動をこれまでしてきた古谷くんの姿勢がすべて間違いだったとは、わたしには断言できません。
とはいえ、一方で、わたしは、2020年時点において、エプスタイン島の話は事実だろうと冷静に判定してきた。
そしてその判定は正しかった。だって、ロイターが言ってるんだもの 笑い
こんな、中途半端な感のあるわたしに、なにか、すわりのいい政治的な立場がないか探していますが、なかなかいいのがないですねえ
。。。
以上
【677】いよいよ、エプスタイン事件の真相について、ロイターでも報道がなされた。
件名_エプスタイン事件の真相について、ロイターでも報道がなされた。
かたせ2号です。本日は、2025年の12月20日(土)です。
エプスタイン・ファイルの件で、現在、アメリカのトランプ大統領が守勢に回っているのだが、
エプスタイン事件の真相について、ロイター通信でも先週から、報道がなされた。
この意義は大きい。
ロイター通信が発表した事実であれば、それは、公の場で話題にしてもいいと「刻印が押された」のも同様です。
それは日本においても同様です。
さあ、世界の人々は、どう動くのかな?
何を話すのかな?
そもそも、この件につき、話題にすることができるのか?
体はちゃんと動くのだろうか?
わたしとしては、この点について、興味津々です。😇
先週、すでに写真の一部が先行で公開されていましたが、
昨日の2025年12月19日にも、追加で写真が公開されたようです。
ロイター通信のサイトから。
https://jp.reuters.com/world/us/BR3I4JQCNNN2TC7XEFHLBG7PJU-2025-12-19/
(引用開始)
米民主党、エプスタイン氏関連写真公開 新たに68枚
Nolan D. McCaskill
2025年12月19日午前 9:13 GMT (午後6:13 JST)
[ワシントン 18日 ロイター] – 米議会民主党は(アメリカ時間の)2025年12月18日、性的虐待罪で起訴された後に死亡した富豪ジェフリー・エプスタイン氏の遺品から新たに数十枚の写真を公開した。
最新の一連の画像には、12歳の少女への男の執着を描いた小説「ロリータ」の文章が女性の胸、足、首、背中など体中に黒いインクで書き込まれたクローズアップ写真や、ロシア、モロッコ、イタリア、チェコ共和国、南アフリカ、ウクライナ、リトアニア出身の女性の一部黒塗りされた身分証明書のほか、「j」という人物に1人当たり1000ドルで少女を送るという深夜のテキストメッセージのやり取りが含まれている。
今回公開された写真は、エプスタイン氏の遺産管理団体が下院監視委員会に公開した約9万5000枚のうちの68枚。
同委員会は先週、「19枚」を公開。
その中にはトランプ大統領が写っているものも含まれていた。
最新の写真にはマイクロソフト創業者ビル・ゲイツ氏や、教授で政治活動家のノーム・チョムスキー氏、トランプ氏の元側近スティーブ・バノン氏らも写っている。
(引用終わり)
かたせ2号です。
トランプ大統領も火の粉をはらうのに懸命。どうなっていくのか、心配です。
なお、
なお、先週の記事では、スティーブ・バノン氏の写真がすでに、出てましたけどね。
以下、補足です。
ノーム・チョムスキーの正体については、
今日のぼやきで吉田研究員が、17年前の2008年の10月に、その正体を暴く記事の日本語訳を掲載しています。以下に抜粋しておくので、ご参考ください。
この優れた内容の記事の真偽につき、17年後の現時点において、昨日の「ロイターお墨付きの記事」によって、「正解だよ」と判定されたと解釈することも可能ですね。
https://snsi.jp/boyaki/0976/
記事名_「976」 リバータリアンの論客、ジャスティン・レイモンドが暴く。グローバリズムの批判者として世界的な名声のあるチョムスキーはとんだ食わせ者である。「異議の捏造」という記事を全訳紹介します。2008.10.2
(抜粋開始)
(吉田研究員のコメント)
日本ではチョムスキーの思想は一面的にしか紹介されていない。しかし、私が紹介する、リバータリアンのジャスティン・レイモンド氏の主張を見れば分かるように、チョムスキーが日本で理解されているような単に善良な左翼知識人ではない、一癖ある人物であることは理解されるでしょう。
以下に訳文が続きます。
—-
(中略、以下はすべて訳文(の一部))
●帝国への道
私らが超大国の状態を嘆く者はだれでも、チョムスキーが言ったように、第二次世界大戦が世界のヒノキ舞台でのデビューであると認めざるを得ない。眠れる巨人アメリカは目を覚まし、戦争の終わりまでには、私たちの軍はヨーロッパの半分を占領し、日本に対しては帝国であり続けた。半世紀経っても、そこには古代ローマ軍隊でいうところの「百人隊長」が駐屯している。
そして、帝国はいまなおアジアの中心地域へと支配権を拡大し続けている。
チョムスキーが、最初のうちの自然な成り行きのみを支持して、その後の起きた不可避の結末を否定するのは、極端に不誠実である。二度の世界大戦が、アメリカの国家安全保障状態を捏造して、本来「孤立主義者」であるアメリカ人を、国際的な多忙屋、真面目な帝国建設者に変えたのだ。このままだと、最後にアフリカのフツ族とツチ族の紛争を解決するまで、「新世界秩序」が君臨するまで休息できなくなるだろう。
●同じ毒のふたつのブランド
アウトサイダーにはほど遠く、左寄りのスタンスにかかわらず、チョムスキーは国際主義者のコンセンサスの一部となっている。彼の新世界秩序はアメリカ合衆国ではなく、地球合衆国によって成し遂げられるだろう。そのための勘定を支払っているのはアメリカ人の納税者なのだが。
これはネオコンによって設立された外交政策「慈善のグローバル・ヘゲモニー」派と同じだ。問題はただ誰が覇権者となるかだ。チョムスキーの世界では、それが国連なのだ。クリストルの世界では、それがアメリカ合衆国なのである。どっちの場合も、結局は永久の「平和」のための戦争と、増大するグローバルな圧制となるだろう。どっちの場合も、合衆国憲法が死文となり建国者たち(アメリカだけでなく他国の)が忘れられ、政府のパワーが国際化されて無限に拡大されることになるだろう。
ジャスティン・レイモンド
(抜粋終わり)
かたせ2号です。
以上で、この文章を終了します。
【676】「君側の奸(くんそくのかん)を除く」というワードについて、その出典を確かめてみた。
件名_「君側の奸(くんそくのかん)を除く」というワードについて、その出典を確かめてみた。
かたせ2号です。
本日は2025年12月20日(土)です。
さて、日本史の中で「君側の奸を除く」というタームが出てくる場面が、一度だけあって、それが2・26事件です。
「君側の奸 二・二六事件」に関するAI回答
(引用開始)
「君側の奸 二・二六事件」とは、1936年(昭和11年)2月26日に陸軍皇道派の青年将校らが決起し、「君側の奸(奸臣)」を排除して国家改造を試みたクーデター未遂事件で、首相官邸などを襲撃し、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らを殺害しましたが、昭和天皇の激怒と軍の鎮圧により失敗に終わり、その後、軍部が政治的影響力を増し、日本が戦争へと突き進む転換点となりました。
(引用終わり)
かたせ2号です。
この事実そのものは、よく知られているので、それはそれでいいのですが、
そういえば、この「漢語」の出典は、どこなのか、知らないよなあ、と先週、気づいてしまいました。
調べてみると、以下のようなことだったので、ご紹介しておきます。
明の永楽帝の「靖難の役(せいなんのえき)」が出典でした。
「世界史の窓」のサイトから。
https://www.y-history.net/appendix/wh0801-025.html
(抜粋開始)
靖難の役(せいなんのえき)とは
1399~1402年の明の洪武帝死後の帝位継承の争いのこと。
南京の第2代建文帝に対し、北平(後の北京)の叔父燕王朱棣が
「君側の奸を除き、帝室の難を靖んずる」ことを口実に挙兵し、
最終的に燕王が勝利し、1402年に永楽帝として即位した。
靖難の変ということもある。
燕王は太祖洪武帝の第4子で、武勇に優れていたので、対モンゴルの要衝である北平(現在の北京)に封じられていた。洪武帝は長男の朱標を皇太子としていたが、その皇太子が先に死んでしまい、その子を皇太孫とした。1398年に洪武帝が死去し、皇太孫が即位し、建文帝となった。建文帝は皇帝権力の強化を図り、有力者の領地の削減を打ち出したのに対し、北平の燕王が反発して挙兵した。燕王が挙兵の理由として、「君側の奸を除き、帝室の難を靖んずる」、つまり建文帝の側近の奸臣をとり除き朝廷の危機を乗り切るということを掲げたので、「靖難の役」(役は戦争の意味)という。要するに叔父と甥の戦いであるが、まる4年間を要する内戦となり、1402年に南京城が陥落し、建文帝が敗れて自殺、燕王の勝利で終わった。燕王は同年即位して成祖永楽帝となった。
なお、靖難の役と「靖康の変」(1127年、金が北宋を滅ぼした戦い)を取り違えないこと。
靖難の役の実情
靖難の役は、勝利者となった永楽帝のイメージから、短期間にその圧倒的な勝利で決着した、と捉えられがちであるが、実情はそうではなかった。北平で挙兵した燕王朱棣は、南京の宗家の皇帝に反旗を翻したのであるから、儒教の理念からすれば「大義名分」のない、叛逆でしかなかった。そこで朱棣は「君側の奸」を除くのが挙兵の目的であると言わざるを得なかった。当時の価値観から言えば、圧倒的に建文帝側に正義があったのであり、燕王の立場には弱いものがあった。しかし、建文帝自身にも弱気な性格からか、叔父である燕王に対する遠慮と、その武勇に対する恐れがあったため、決然たる態度をとれず、北伐軍に対しても「燕王の命を取ってはいけない」と命令する始末だった。双方に戦争に対する正当性と、勝利への自信がないまま始まったため、この内戦は3年以上かかることとなってしまった。<靖難の役については、寺田隆信『永楽帝』中公文庫が詳しい。>
Episode 靖難の役の番外編
明が靖難の役で内乱状態になったことは、周辺諸国にも影響を与え、北方のモンゴルが再び優勢となった。また、遠く西アジア一帯を征服しティムール帝国を立てたティムールは、明がモンゴルを討ったことに対し、復讐の機会をねらっていたが、靖難の役が起こったことを知り、明を叩く好機ととらえ、1404年、急遽20万の大軍を率いて明遠征に出発したが、翌年、途中のオトラルで急死し、ティムールと永楽帝という両雄直接対決は実現しなかった。
靖難の役と東アジアの情勢
国際的な認知を得る必要のあった、室町幕府第三代の将軍、足利義満は、倭寇禁圧を条件に明と国交を開こうとして、1401(応永8)年に「日本准三后道義」と称して使節を派遣した。
その時の皇帝は建文帝だったが、すでに南京で朱棣が挙兵、靖難の役が始まっていた。建文帝が義満を「日本国王」に冊封した使節が日本に着いた頃には既に建文帝は追いつめられていた。義満は再び国書を送ろうとしたが、建文帝と永楽帝(朱棣)のいずれが明の覇権を握るか判断がつかなかったので国書を二通作って使者を派遣した。
その使者がついた1402年には永楽帝が即位しており、早々と義満が国書を提出したことを喜び、国交を開き、勘合貿易を開始することになったのだった。
(抜粋終わり)
かたせ2号です。
世界史において、ティムールと永楽帝と足利義満が同時代の人物であることを、
容易に理解、納得ができる、良い文章だと思います。
ちなみに、靖難の役における、永楽帝と建文帝は、叔父と甥っ子の間柄で、奇しくも、日本の壬申の乱における天武天皇と大友皇子との関係と同じです。こちらも叔父と甥っ子の関係。そして、叔父さんが勝利した事実は、どちらの戦役にも共通しています。
以上、ご参考まで。
【675】ひとこと。
ひとことだけ。
かたせ2号です。本日は、2025年12月20日の土曜日です。
以下、なんのことかわからない人は、そのままご放念ください。
時間がある程度、経過してしまい、
「おそらくはずれる」が確定しました。
大変に残念なことです。
以上
【674】ニデックの創業者が昨日(2025年12月19日)辞任した件について考察してみた
記事名_ニデックの創業者が昨日(2025年12月19日)辞任した件について考察してみた。
かたせ2号です。
本日は、2025年の12月20日(土)です。
以下、ある程度の詳しい経緯を知っている人への文章となるので、あしからず。
さて、ニデックという会社の創業者である、永守重信さんが、昨日、2025年12月19日に、その代表取締役と取締役の地位を辞任しました。
ニデックHPから引用
https://nidec.g.kuroco-img.app/v=1766131658/files/topics/19025_ext_2_0.pdf
(引用開始)
「代表取締役、取締役の辞任および役職変更に関するお知らせ
当社は、本日(2025年12月19日)付で、代表取締役、取締役の辞任および役職変更を下記の通り実施することとなりましたので、お知らせいたします。」
旧役職 代表取締役 取締役 グローバルグループ代表(取締役会議長)
新役職 名誉会長(非常勤)
辞任後、永守重信は、同日付で名誉会長(非常勤)になります。 今後は、永年にわたり培ってきた創業精神の伝承をはじめとし、ニデックグループの永続的な価値向上に尽力してまいります。」
(引用終わり)
かたせ2号です。
結局、先週からの文春、次に東洋経済新報、最後にダイヤモンド社の三段跳びの記事で、
永守さんも観念したということだろうね。
昨日、2025年12月18日のダイヤモンド・オンラインの記事名
【独自】ニデック永守氏側近が会計処理を「工夫しろ」と指示!売り上げ先食い、費用先送り…疑惑の「3大手口」を元幹部が激白
https://diamond.jp/articles/-/379777
でとどめをさされたんでしょう、おそらく。
リーダー的立場の人が、「念ずれば、花開く」を悪用して、部下に強要すれば、こういう結末となります。
経営数値のみならず、
これも、(「過度のプレッシャーは不正の温床」という実態への)デコレーション「粉飾」の一つ。
さて、今後の永守重信さんの身の処し方について考えてみます。
こうやって発表がなされた以上、「法律上は」、会社への影響力はなくなるはずだけど、どうなるかな?
代表取締役、取締役の辞任後の身の処し方は2つあって、一つは、
本田技研の創業者、本田宗一郎さんのパターン。
相方の藤沢武夫さんとともに、一切、会社の業務から身を引いた。
もうひとつは、京セラの創業者、稲盛和夫さんのパターン。
ここで、稲盛さんに関しての記事を引用します。
これもダイヤモンド社の記事。
https://diamond.jp/articles/-/310266
(引用開始)
「京セラ創業者であり「経営の神様」と評される稲盛和夫氏が2022年8月24日に死去した。稲盛氏の経営の引き際は潔く見えたが、京セラの山口悟郎会長によれば、つい最近まで経営への影響力が厳然として存在し「本当の意味で稲盛の影響力がなくなったのはほんの5年ほど前のことだ」という。」
(引用終わり)
かたせ2号です。
永守さんと稲盛さんの経営スタイルは、「経営する動機」とところだけは、なぜか真逆だけど、
その他の仕事の猛烈ぶりとかは、まったくそっくりで、ほとんど「一卵性双生児」といえるくらいだからね。
それに、ともに京都で発展した会社で、お互いの本社ビルも、お互いが見える場所にあるくらいに近いし。
親族に後を継がせることをさせなかったし(たぶん松下幸之助さんの失敗を見習ってのことだとは思うけれども)😇
地元に自分の名を関する施設を寄付する点も同じだし(京都市左京区の稲盛記念館、向日市の永守重信記念会館)。
ただし、わたしの意見としては、
結局、この両名に言えることだけど、創業者と同じ熱量で、従業員を働かせるスタイルは、どこかに問題があると思うよ。
戦争中の兵士じゃあるまいし。
命かけるな、わずかな金儲けに。。。
話がそれてしまいましたが、
たぶん、永守重信さんは、辞任後も、影響力を行使したいんでしょう、稲盛さんのように。
再び、ニデックのHPから引用します。
https://nidec.g.kuroco-img.app/v=1766137969/files/topics/19027_ext_2_0.pdf
(引用開始)
「グローバルグループ代表、代表取締役及び取締役会議長を辞する。そして、名誉会長になる。」
(引用終わり)
かたせ2号です。
この、辞任に関する永守さんご自身のコメントからは、
本田宗一郎さんのような、いさぎよさは感じとれないね。
ワンピースのルフィのように、「海賊王にでも俺はなる!」つもりかよ?
というくらいの気迫を感じます。笑い
要は、わたくしが思うに、
こころからの「反省」というものが、いかに難しいか、ということの証左にも、結局、なっていますね。
まるで、元松竹芸能の芸人だった、TKOの木下さんも見ているようだね。
実は、これこそが、「日本電産(現・ニデック)」という会社の歴史および今回の結末から得られる
本当の教訓です。
「反省するふりは簡単だけど、本当に反省するのは
実は『本当に難しい』。
反省は、内面で起きるできごとなので、他人には目撃ができないから。
それゆえに『滅びに至る門は大きく、その道は広い』」
以上
【673】参政党の基本戦略は「雌伏」
1)伊藤睦月です。本日は2025年10月20日です。明日にでも髙市政権が誕生しそうな情勢です。中央政局の動向については、よくわからない。その一方で、地方(福岡)で気になる動きが少々。
2)先々週のローカルニュースで、次回の総選挙(福岡二区)で、元佐賀市長(現大学教授)が参政党の推薦、公認で立候補する、という記者会見が報道されていた。
3)この大学教授は、昨年まで、ローカルラジオのコメンテータをしていて、アメリカ大統領選挙の見通しについて、当時の副島先生の予測をそのまま紹介していた。話の具合からすると、当時の東京の講演会にも参加したらしい。
4)それだけなら、良くある話だろが、「参政党」から出馬する、と聞いて、少々気になった。
5)神谷代表は、参院選の翌日の記者会見で、10名以上(法案提出権のある)当選者を出したが、まだまだ力不足、現状では法案提出どころか、国会質問もろくに作れない、そのスタッフもいない、と自己分析。今後は、目立った活動はせず、レベルアップに注力する、旨の発言をしていた。神谷代表は、なかなかの戦略家だと思う。
6)先の大学教授は、元農水省のキャリア官僚出身であり、自治体の首長でもあった。もし、当選すれば、上記の参政党のニーズに合った人材だと思う。
7)2チャンネルのひろゆき氏は、もともと参政党は偏差値55以下の頭の悪い人達が支持している政党だから、今回の参院選で議席とりすぎて、自己崩壊するだろう(政策立案能力がないため)、と予測している。しかし、神谷はそもう布石を打ちはじめているように見える。
8)副島先生の見立てによると、参政党は「幸福実現党」(5千票)の地盤を引き継いでいるらしい。当該選挙区では、当落線上が9万票くらいだから、どこまで増やせるか、
9)参政党候補者(主婦)は1万9千票獲得している。参院選では、福岡全県区で、38万票とって、1名当選した。選挙不正はどれくらいからんでいるのだろう。他の地方の情勢はどうなのだろう。
10)今回の連立協議で、衆院比例区の議員定数削減を掲げているが、それが実現すると、参政党も、打撃を受けることになる。
11)副島先生の見立てを参考にすると、ムーニーズ旧派(高市、維新)による、ムーニーズ新派(参政)への嫌がらせのように思える。彼らの内部抗争も相当激しそうだ。
12)地方にいても、なかなか油断できないね。
以上、伊藤睦月記
9)他の地方選挙区では
【672】「地政学」という学問(サイエンス)は、実は存在しない。
伊藤睦月です。本日は2025年9月16日(火)です。
1) 前回投稿の関連で、改めて指摘しておきますが、日本と米国で、「地政学」という学問分野は存在しません。世の中には「地政学」の名を使った書籍があふれかえっておりますが、執筆者の大半は、「シロウトさん」です。私の知る限り、「地政学」をきちんと収めた人は、「奥山真司」という人です。
地政学というのは、「古典地政学」といって、国際政治論を背景として、実際の外交や軍事に応用されている実践のスキルです。佐藤優氏のような外交官、軍事関係者、ジャーナリスト(一部)、国際政治(国際関係論)、現代史の研究者などが執筆している書物は、すべからく「古典地政学」を踏まえていて、一応「専門家」と考えてもよいと思いますが、ネット上の書き散らし、とか、エコノミストや、はたまた予備校の先生とか、我々の「シロウト談義」と大差ない議論があふれかえっています。
名前は忘れましたが、1990年年代に、CSIS(ジョージタウン大学戦略国際問題研究所:ネオコンの牙城)に留学経験のある、元朝日新聞記者の回想によると、米国大学に「地政学」が教えられているところは一つもなかったそうです。しかし、「地政学」は、国際政治分析のツールとしては、ポピュラーなもので、このことは、覇権アメにもでてきます。
さきほど、名前を挙げた、「奥山真司」ですが、私の知るところによると、奥山氏はもともと、大学時代は、地理学を学び、英国の大学(英国は、地政学発祥の国)で、学ばれ、帰国後は、地政学の古典的な文献を翻訳、解説する、ということをされているようです。入門書も執筆されているようですが、「古典地政学」の範囲にとどまっているようです。20年前の記憶なので、最近の消息はよく知りません。
「地政学」にはもう一つ、「批判地政学」という分野があって、これは、学問(サイエンス)としての「地政学」を構築しようとする試みですが、成功したかどうかは、私にはわかりません。ただ世に出回っている「地政学」本の大半は、「古典地政学」の範囲を超えていないように思います。
「地政学は学問ではない」と断言したのは、1950~70年代に活躍した、リアリストの大物学者、ハンスモーゲンソーです。彼についても、覇権アメ、で言及されています。彼の主著「国際政治」のなかで、「地政学は似非学問である」、とこき下ろしています。ナチス地政学が念頭にあったものと思われます。
ただ、「政治地理学」という学問分野は、地理学の一部門として、日米欧の学会も存在しています。「地政学」は「地理学的知見を加味した政治学」でありあますが、「政治地理学」は、「政治的トピックを地理学で解明する」学問です。
例えば、「地理的条件や、選挙区割変更による、市民の投票行動の変化」などを計量的に分析します。古典的なトピックとしては、「ゲリマンダー問題」があります。これは、副島先生や、私のような世代の、高校政治経済の教科書には、必ず取り上げられていましたが、最近では、教えられてないように思います。
とにかく、特にわが国では、「地政学本」があふれかえっていて、通俗化が進んでいますようです。この手の本は立ち読みで十分だと思います。素人談義にはうんざりです。
以上、伊藤睦月記
