ふじむら掲示板
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Loginはこちら【622】柿本人麿とは何者か、9
倭国(筑紫王朝)は、「夜郎自大」と云う病に侵されていた
「白村江(663年八月)の戦い」で言い表されている倭国の朝鮮出兵に関し、私は長年大きな疑問を抱いてきた。相手は、唐・新羅連合軍である、倭国の指導者たちには勝利の確信があったのだろうか。
勝利の確信も無しに海外派兵に踏み切ったのだろうか。丸二年にも及び三万余の大軍の派兵であった。
「滅ぼされた百済王朝を援け再興を計るため」などと云うきれい事で出兵事で出兵を決めたのではない。
新羅討伐は十年来の喫緊の課題であった。650年唐の冊封体制に入ったこと(唐の属国になった)が原因である。
それまで朝鮮半島の南部二国(百済王朝と新羅王朝)は倭国の属国であった。
『隋書』倭国伝より引用
新羅・百済、皆倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒に通使往来す。
引用終わり
『日本書紀』孝徳紀(在位645~654)より引用
白雉二(651)年、この歳、新羅の貢調使(みつぎたてまつるつかい)知萬沙飡等、唐の国の服を着て、筑紫に泊まれり。朝廷、恣(ほしきまま)に俗移せることを憎みて、呵責(せ)めて追い返したまう。時に、巨勢大臣申す、「まさに今新羅を討たずば、後に必ず悔いあらむ。・・・
引用終わり
新羅が唐の冊封体制に入ったことは、倭王朝に対する重大な裏切りであり、宗主国倭王朝にとって赦すべからざる行為であった。
倭王朝は、すぐにでも新羅討伐軍を派遣したかったが、背後に控える日本国(大和王朝)が近年目に見えて国力を充実させていた。両国の関係はあま良好とは言えなかった。
倭王朝は、何としても大和王朝の協力を取り付ける必要があったのです。
それにしてもどうして倭王朝が、中国統一王朝の隋・唐と張り合って帝国を目指したのでしょう。
二世紀の終わり漢王朝が滅びてから589年の隋の中国統一まで、中国には強力な統一王朝は成立しなかった。分裂王朝の短命政権の時代が続いた。周辺国家に中国を侮る気分が生まれていたとしても不思議ではない。
また隋朝・唐朝は漢民族の国家ではない、周辺民族・女真族の王朝だ。隋朝は極短命に終わっている。唐朝も短命に終わるだろうと、倭王朝は考えたのではなかろうか。
倭王朝は、中国統一王朝の隋・唐と対等と考えていたようだ。
『隋書』倭国伝より
大業三(607)年、その王多利思比孤、使を遣わして朝貢す。使者いわく、「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来たって仏法を学ぶ」と。その国書に曰はく、「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや、云々」と。・・・
引用終わり
(続く)
【621】柿本人麿とは何者か、8
『日本書紀』斉明紀(在位655~661)に登場する日本国(大和王朝)と倭国(筑紫王朝)
『日本書紀』斉明紀より引用
壱岐連博徳の書に曰く、斉明(659)五年七月三日、難波の三津浦より船出する。・・・閏十月三十日唐の天子に謁見を許される。天子相見て問いたまう「日本国の天皇、平安にますや否や」とのたまう。・・・
十一月一日、朝廷に冬至の会あり。参内している諸藩の使者の中で倭の使者が最も勝れて見えた。・・・
十二月三日、韓智興(倭国の使者)の従者・西漢大麻呂が我が客(日本国の使者)を唐朝に讒言して罪に落そうとした。(日本国の使節と倭国の使節の間で喧嘩が勃発したのである)両使節は喧嘩両成敗で刑を受けたが、壱岐連博徳の尽力によって許された。
事件の後、唐朝が言うには「唐は、来年海東(朝鮮半島)戦略を変える。(今まで陸路から高句麗討伐を優先していたが、海路から百済討滅を優先することにした。事実翌年(660)の八月、百済王朝は滅ぼされている)
それ故、使者たちが帰国する事は禁じられた。・・・
引用終わり
唐の都に、日本国の使節と倭国の使節が同時に滞在していたと云うのです。
日本の学者たちは、日本国と倭国は同じと云うのです。キチンと読んでいるのでしょうか、正常な読解力があるのでしょうか。
この壱岐連博徳の書で分かるのは、倭国の使者が、日本国の使者に敵意を持っていたことです。
と言う事は、日本国の使節が出発した斉明五年七月の時点では、日本国と倭国の間には同盟が成立していなかったと言う事です日本国は倭国の働きかけ(一緒に百済を討とう)に応じなかったのです。倭国は、唐朝も隋朝と同様短命に終わるなどと調子のよい事を言っていたのでしょう。
日本国は自分の目で確かめるために遣唐使を送ったに違いありません。
この遣唐使が早急に帰ってこなかったために日本国(大和王朝)に迷いが生じたのでしょう。
続く
【620】本当は、「勝ちに不思議の勝ちあり」も滋味があるコトバなのだが。
日本人以外ならばむしろ、勝ちに不思議の勝ちあり、のコトバに、神さまからの盛大な恵みを感じいることだろう。
以下はすべて引用。
https://ksien.com/2021/10/07/no_wonder/
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
肥前国第9代平戸藩主、松浦清の言葉。
東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督、野村克也氏の座右の銘として話題になりました。
「負けるときは、負けにつながる必然的な要因がある(不思議な点はない)」
しかし、「勝つときには、(どうして勝ったのかどうも思い当たらないという)不思議な勝ちがある」ということである。
負けにつながる必然。
偶然に負けることはない。
事業承継にも当てはまるのではないか。
そんな思いを確認しるために、大学院で研究することにしました。
世界には、有史以来無数の企業が存在しています。
その中で、現存している企業数は少ない。
それぞれの企業が、事業承継の時期に事業を引き継がなっかた、もしくは、引き継げなかった何らかの原因があるのではないか。
その原因の一端がわかることで、望まない廃業が減少できるのではないか。
そんな思いが私を研究に駆り立てています。
世界最古の企業は、西暦578年創業の金剛組。
四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光により創業。
少なくともこの時代以降、企業は存在していたし、いろいろな企業が創業し、廃業している。
そのすべてを明らかにすることはできないが、少しでも、ほんの数例でも明らかにできれば、意味があるのではないでしょうか。
先行研究で明らかになっていることもありますが、事例研究をするのは一人の研究者では難しい。
幾人もの研究者が、時代を超えて、事例研究を重ねることが重要であると思います。
事業承継支援を、事業として行っているからこそ、その事例研究に参加するのは、ある意味義務ではないかと。
失敗の原因は、個別に見れば、相関性や類型化は難しくても、事例を積み重ねることで、精度の高い研究になると思います。
「失敗」のとらえ方は人それぞれかもしれません。
しかし、事業を継承できなかったという事実は、その通りでしょう。
時代・環境・運等、いろいろな要因はもちろんあると思います。
単一の要因ではなく、複数の要因が重なった結果というのも、そうでしょう。
だからこそ、一つ一つの事例を検証し、確認していくこと、その作業を継続していくことが重要だと思います。
先行研究を通じて、過去の先輩たちと会話をし、研究結果を残すことで、後輩に託すことができる。
研究のだいご味はこの点ではないでしょうか。
どこまでできるかわかりませんが、自分自身の可能な範囲で研究を続けていきたいと思います。
【619】柿本人麿とは何者か、7
『日本書紀』斉明紀に登場する日本国と倭国
斉明天皇の在位は西暦655年から661年の七年間、661年正月六日、天皇は筑紫行幸の旅に就く、その二日後大田皇女が船上で女子(大来皇女)を出産した。この事は前に論じた。
今回論じるのは、斉明紀には、日本国(近畿大和王朝)と倭国(筑紫王朝)が別々の存在として登場していると云う事実である。
斉明紀には「壱岐連博徳(いきのむらじはかとく)の書に曰はく」と云う引用記事が長々と載せられている。
壱岐の連博徳は、斉明四(658)年に大和王朝(日本国)から派遣された遣唐使の通訳に採用された人物であった。
「壱岐連博徳の書」は、その博徳の大和王朝に提出した業務報告書で、日本書記の編者はそれを引用して『日本書紀』斉明紀を創ったのである。日本の歴史学者たちは、斉明紀に日本国と倭国が同時に書かれていることを、皆知っていたのである。『旧唐書』と『新唐書』のどちらが正しいか、みんな判っていたのだ。
『旧唐書』は、七世紀の日本を倭国と日本国の並立王朝の時代と書く、一方『新唐書』は、日本では開闢以来大和王朝しか存在せず、大和王朝の天皇が万世一系(王朝の交代など起らずに)で日本を統治して来たのである、と書いている。
『旧唐書』も『新唐書』両書とも中国の正史である、しかし日本認識では甚だしく異なっているのだ。
続く
【618】柿本人麿とは何者か、6
大海人皇子(天武天皇)を倭国の人物と考える根拠(その2)
『日本書記』
天智三(664)年春三月の記事より
天皇、大皇弟に命じて、冠位の階名を増し換ふること、及び氏上・民部・家部等のことを宣りたまふ。
(注)その内容は、冠位十二階を増設し、各氏上に大刀・小刀・盾や弓矢などを賜り、それぞれの封戸を定め与えた記事である。
この天智三(664)年二月は、倭国軍が白村江で唐・新羅連合軍相手に大敗北を喫してまだ半年後である。
白村江の戦いは『旧唐書』の劉仁軌伝に次のように書かれている。
「仁軌、倭兵と白江の口に遇う、戦うこと四度、皆勝利した。倭船を焼くこと四百艘、炎煙は天に漲り、海水は真っ赤に染まった。・・・」
倭国の百済救援の戦いは、壊滅的大敗北に終わったのです、倭王朝は、この戦いに二年に亘り三万もの大軍を朝鮮半島に派兵していたのです。それが完璧な失敗に終わった。王朝が被った打撃がどれほどのものであったか、想像もつかない。
そんな中での「冠位十二階の増設、各氏に対する報奨の贈与である。この記事が何を意味しているのか容易に理解できると云うものだろう。
当然国民は怒り狂っていたはずだ。肉親の多くが海外に帰らぬ身になっていた。王朝は何とか国民をなだめる必要に迫られていた。
この戦争で得たものは何もなかった。王朝の官位を増設して与えるしか手がなかった。これがこの記事の意味する所である。
しかしこんなことで国民の怒りが収まっただろうか、何の実体のない報奨である、王朝に権威信頼があれば収まりもついただろう。しかしその権威は地に堕ちていた。倭王朝は存続の瀬戸際に立たされていた。
この記事は、天皇(倭国王)に代わって大皇弟(大海人皇子、後の天武天皇)が宣言した、と書かれている。天武天皇は、大皇弟として『日本書紀』に登場する。これが天武の『日本書紀』に於ける初出記事である。
大和王朝(日本国)の斉明天皇は、斉明七(661)年七月、筑紫の朝倉宮で崩御された。朝鮮出兵は、その翌月の八月決行されている。
おかしなものだ、まるで斉明天皇の死を待っていたかのように断行しているのだ。
大和王朝の皇太子である中大兄皇子は、斉明天皇の喪(亡骸)を護り、大和に帰還している。
『日本書紀』より
冬十月、天皇の喪、帰りて海に就く、ここに皇太子(天智)、ある所に泊まり、天皇を偲い
君が目を 恋しきからに 泊(は)て居て かくや恋ひむも 君が目を欲り
二十三日、天皇の喪還りて難波に泊まれり。
中大兄皇子(天智)は、早々と大和に帰ってきていた。中大兄はすぐには即位せず、皇太子のまま政治を見た称制時代と呼ばれ、天智が即位したのは称制七(668)年の正月である。
冠位十二階を増設した天智三(664)年には、大和王朝には天皇不在である。
『日本書紀』の斉明紀と天智紀の前半は、倭国と大和王朝(日本国)の合成記事で創られている。斉明紀には倭国と日本が混在している。
(続く)
(
【617】戦後日本における統一教会の反共運動でこれまで一番得を人たちは、実は中国共産党です。
戦後日本における統一教会の反共運動でこれまで一番得を人たちは、実は中国共産党です、の件。
かたせ2号です。
中国にきちんと文句をつける言論を、統一教会に約半世紀、長年に独占され、コントロールされたことが、戦後日本の歴史にとって痛恨の極み。
統一教会の原点は、「反共」ではなく「反日」です。
「反共」は日本人からお金を巻き上げるための、悪魔教団とCIAによる口実に過ぎません。
日本はエヴァの邦(くに)。
渡部昇一も、谷口雅春もそれをあえて見逃した人たちということになります。
そして、悪魔教団の統一教会と共闘できないと、マトモな判断をできた日本人たちは、中国共産党に対して物申すことが長年、立場上できなくなった。
日本人は思考停止に陥いってしまった。
その昔、ソ連共産党と中国共産党という左翼の大物同士で大喧嘩してたんだから、日本の左翼も、中国共産党にほんとはきちんと文句を言ってもよかったはずなのにね。ましてや、中国共産党は、経済面では国有化路線を完全放棄しているのだから。
それらの思考回路を、櫻井よしこらに独占されてしまった。
返す返すも痛恨の極み。
それでも、一歩引いて考えるならば、悪魔教団の統一教会と共闘できないという、マトモな判断が尊重してしかるべきです。
世界救世教や手かざし教を邪宗と非難する人は、熱海や信楽にある彼らの美術館には、たとえ自分の興味を引くような展示がされても行かない。
そういう態度と同じです。文句のつけようがありません。
ですから、中国共産党に文句をつけないという態度が、このような健全な判断に基づく反射的な効果、もしくは結果であるならば、それはそれで受忍する他はない。
今まではこういう流れになっていたはずです。
ただし、これから、こういった前提条件が崩れていくはずですから、そのときには自由にものを考えて、かつ、言えるようにしておきましょう。
自由の中で今ある選択肢の中で悩むのではなくて、自由の中からこれからの選択そのものを作りあげていくのに重点を置くべきです。
以上、
連合赤軍のような「総括」をするつもりは毛頭ありませんが、
現時点での総括をしておきます。
<ご参考>
小説「バビロンの王」(著者_高橋将)から抜粋します。約20年前に手に入れた本で、いまだにワタシの手元にある本です。
新興国バビロニアの王、ネブカドネザルに征服された直後の、エルサレムの様子。
「偉大なるエルサレム」を偉大な国・日本、
「新興国バビロニア」を共産主義国、
「バアル信仰のような邪宗」を統一教会に置き換えて読み直すと、
戦後日本の反共運動の様相(ワタシから見たときの)と、ほぼほぼ重なります。
よろしくご参考ください。
あなかしこ、あなかしこ。
(抜粋開始)
翌日の夕、二人(旧約聖書の預言者エレミヤとその弟子のバロク)はエルサレムに帰ると、街の変貌に驚いた。大声で演説している者があちこちにおり、それを聴衆が取り囲んでいる。その容姿、口調はそれぞれ異なっていても、内容はすべて判を押したように同じであった。
「偉大なるエルサレムが新興国バビロニアなどに征服されていてはならない。我々は断固として独立を宣言すべきだ」というものである。
エレミヤとバロクはその中でもひときわ大きい集まりの所に行った。その若き演説者は真剣な顔で、イスラエルの神の名をかたり、人々に熱心に説いている。
「人々の心を一つにして、この国を守っていかなければならない。確かに国民一人一人は、それぞれの立場は異なり、信仰する神も異なっているであろう。しかし、一つのこと、あのバビロンを倒すということ、それだけは、国民すべてが祈り続けなければならない。
バアル信者はバアルの神に、天后(てんごう)信者はアシュタロテの神に、イスラエルの神を信じる者はイスラエルの神に。
皆、それぞれの神に祈ろうではないか。」
その言葉が終わると一斉に拍手が鳴り響く。涙にむせいでいる者も少なくない。
彼らの興奮が少し収まった時、エレミヤが自分の感情を抑えきれずに爆発した。
「イスラエルの神はこのようなことを絶対にお許しにならない。
子供をいけにえとして炎の中に放り込むバアル信仰や、性欲の虜(とりこ)となって神殿で情事に耽(ふけ)るアシュタロテ信者となぜ一緒になれるか。
悪魔と義人が手を組むことは、絶対にない。
なぜそんなことが分からないのだ。」
(抜粋終わり)
以上
【616】副島先生のサイトを、1日に何度もリロードしてしまう。
副島先生の重たい、重たい本当に重たい掲示板の更新がないかを毎日、毎朝、毎晩とリロードしまくっている。
財務省解体せよなどと盛り上がっているんだけど、本当にそこなのかな。
金の出所を握ってるのは財務省なんだろうけど、本当は、税を握っている国税庁を解体せよなのではないのかな?
どれだけの、有能な経営者を脅し、殺してきたのか。
森永卓郎ぎ持ち上げられるのはわかるが、副島隆彦先生の理論が先だろう。
なぜこの世はまだわからないんだ。
Xでも、ブログでも、歌手の皮被ったあの人も副島隆彦先生の本を読んでるに違いないんだ。
俺は勝手に泣いてます。私が、私のちっぽけな人生を必死で生きてきて、やっと、佐藤優先生から副島隆彦先生にたどり着いた。
この強烈な思想と行動力が私を救ってくれた。
先生の勧めで、金もないのにゴールドも買えた。
経営者でもないのに、セミナーにもでて生で声を聞いた。
先生の言ったように世の中は動いてるじゃないか。
この期に及んで、日本は副島隆彦先生の言説をトップに出さない。
日本ではいまだに剽窃した人間の勝ちなんだ。
なぜ国税庁解体とか、税務署解体と叫ばないんだ。
お前ら、副島隆彦先生の税務署と戦うを見ろ。
なんで、いま財務省なんだ。
金出せ金出せはわかる。
誰に操作されているんだろう。
一般人は、簡単に操作されてしまうんだろう。
集団発狂がこの先2年くらい続くんだろう。
疲れて飽きて、普通の生活がいいなぁとか言って、財務省解体とかも騒がなくなるんだろう。
そして、税の徴税体制だけはしっかりと強化されるんだろう。
森永卓郎は、本当は国税庁を刺したかったんだろう?
でもできなかったんだろう?
私はこの盛り上がり方はおかしいと感じる。
国税庁の隠れ蓑にしかならない。
私はじっと、副島隆彦先生の発言、本が出るのを待ってる。
行動はそれからでもいいんだと思う。
副島隆彦先生の集団が一番冷静じゃないか。
これで終わりにします。
乱文を失礼します。
【615】昨日(2月22日)は「猫の日」だったそうです。まったく、知らなんだ。
かたせ2号です。
さて、ドナルド・トランプは相変わらず、統一教会との関係がズブズブのまま、世界の解体にとりかかっています。
それでも、Donald Trumpは、地上世界での「最後の審判」の実行役、「Trumpet」(トランペット、ラッパ)なのでしょう。
第2期トランプ政権での、仕事ぶりを冷静に見て、ワタシには、そうとしか考えられない。
「ゆったりと物事を最善の方法で裁く」、今がそういう時期なのでしょう。
そして、話を変えますが、
「猫の日」というものがあるそうで、いくつかあるそうなのですが、
日本の「猫の日実行委員会」が1987年に制定した記念日は、猫の鳴き声「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで2月22日に定められています。
ワタシは、さきほどまで全く知らなかった。
昨日、2025年2月22日がまさしく「猫の日」でした。
以上のことから思い出した、もしくは連想したことを書いておきます。
(本題開始)
書物「老子道徳経」の有名な一節を、「最後の審判」思想と重ねて解釈すると、
老子という思想家が、小春日和に、飼い猫と一緒に縁側で日向(ひなた)ぼっこするおじいちゃんから、
おそろしい相貌を持った思想家に変貌します。
以下の二つの命題が、おそらく同値です。
1.
天網恢々疎にして漏らさず。
「悪事を行えば、天罰を逃れることはできない」という意味です。 老子の言葉が元になっています。
天網は「悪人や悪事を逃がさないように 天が張り巡らした網」という意味です。
「老子道徳経」 第73章の一部
天之所󠄃㆑惡、孰知㆓其故㆒。是以、聖人猶󠄄㆑難㆑之。天之道、不㆑爭、而善勝、不㆑言、而善應、不㆑召、而自來、繟然、而善謀。天網恢恢、疎而不㆑失。
〈天の惡む所󠄃、孰かその故を知らんや。是を以て、聖人も猶󠄄ほこれを難しとするがごとし。天の道は、爭はずざるも、而も善く勝ち、言はざるも、而も善く應じ、召かざるも、而も自ら來り、繟然たるも、而も善く謀るなり。天網は恢恢なれば、疎なるも而も失はざるなり。〉
〈しかし天の判断するところを誰が知ることが出来るのでしょうか。 この点から、聖人と言われる人にとっても判断は難しいのです。 天の道は争わずして勝ち、言わずとも応答し、呼ばないのに到来したり、ゆったりと物事を最善の方法で裁くのです。 天の法網といわれているものは大変大きく、目も粗いのですがしっかりと見ていて、何事も捉えられないことは無いのです。〉
かたせ2号です。
よく読めば、別に、最後の審判という裁きの形式を否定するものではありません。
2.
かたせ2号です。
ワタシにとって、「最後の審判」思想の相貌をもっとも顕わにしたのが、以下の映画の一場面です。
映画「仁義なき戦い」シリーズの中での
神戸・山口組 山本健一さん(梅宮辰夫さん)と 広島・共政会 服部武さん(小林旭さん)が対峙する場面が、個人的にはしびれます。
その中での小林旭さんのセリフを引用します。
「ほいじゃあ、言うといたるがのう、
広島極道は芋かもしれんが、旅の風下に立ったことは一遍もないんで。神戸のもんいうたら猫一匹通さんけん、おどれらよう覚えとけや」
「猫一匹通さんけん、おどれらよう覚えとけや」
かたせ2号です。
おそらく、地上世界の「最後の審判」Trumpet役のドナルド・トランプも、おそらく悪人に対してなら、
「猫一匹通さん」でしょうね。
老子という思想家も、2000年以上も前から、「猫一匹通さん」覚悟のほどだったようです。
以上、昨日の猫の日(2月22日)にちなんだお題で、感想をならべてみました。
まあ、単なるエッセイですけえ、、「網の目の粗い」ところは、大目に見てつかあさいや。笑い
(だから、「ふじむら」掲示板への投稿となります)
以上
【614】柿本人麿とは何者か、5
守谷健二です、今回は『万葉集』中大兄(天智天皇)の三山の歌(巻一・13~15)について論じます。
香具山は 畝火雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき(13)
反歌
香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原(14)
わたつみの豊旗雲に入日見し 今宵の月夜さやに照りこそ(15)
古来、中大兄の三山の歌は大和三山に譬えた妻争いの歌と理解されて来たようです。
額田王(ぬかたのおおきみ)は、最初大海人皇子(天武)と結婚していました。二人の間には十市皇女が生まれています。彼女は、天智の長男・大友皇子(明治に追号されて弘文天皇)と結婚し葛野王(かどののおおきみ)を産んでいる。
しかし、天智七(668)年では、額田王は天智の後宮に入り妃の一人になっていた。ここから天智と天武は、額田王をめぐって争った、と云う話が創られ(13)の歌は、その事を歌ったのだ理解されている。そのように考えると、香具山と耳梨山は男性と為り、畝火山が女性と言う事になります。
しかし歌の最初の部分は「香具山は、畝火雄々しと・・・」となっている。原文は「雲根火雄男志等(うねびおおし)」と書かれている。男らしい、勇ましいと云う意味だろう。是では畝傍山が女性では都合が悪いだろう。
私はこの歌を妻争いの歌ではないと考える、畝傍山を近畿大和王朝と、香具山と耳成山は倭国(筑紫王朝)と新羅と。大和王朝は新羅からも味方に付くように働きかけを受けていたのではなかったか。
そう考えると反歌二首の意味も生きてくる。(14)の歌の意味する事は、当時の倭国と大和王朝の勢力の境界が印南国原(明石市と高砂市の間)であったと言う事だろう。倭国の方が圧倒的に強勢であった。
(15)の歌も、本歌が妻争いの歌だとすると、全く意味をなさない。そうではなく、大和王朝が倭国に付くことに決め、筑紫に向け船出する前夜、これからの幸運を願い、旅の無事の祈りの歌と理解すれば、これ以上の秀歌はあるまい。この歌は『万葉集』だけにとどまらず日本の名歌の一首である。
【613】オールドメディアに「特攻」をかけつつある、日本国内の統一教会関係者たちを憐れむ。
オールドメディアに「特攻」をかけつつある、日本国内の統一教会関係者たちを憐れむ。
かたせ2号です。
一応、伝えるべきことは伝えておきます。
滅ぶべき人たちにのみ「世界の終わり」が訪れる。
1. (ルカによる福音書 23:34)
そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』
2. (マタイによる福音書 8:28-34)
イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。
二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。 突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」 はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。
そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。
すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。 豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。
吉井和哉 – 世界の終わり(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT Cover)
吉井和哉 – 世界の終わり(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT Cover)
以上