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近江太郎(おうみ たろう)です。本日は2010年7月7日です。重掲2本目の投稿をさせていただきます。
本年6月2日の鳩山退陣後、鳩山、小沢ダブル退陣の意味について様々な意見、解説が試みられていました。
私は主にネット上に現れた意見を追っていましたが、初期において最も楽観的で素晴らしいとさえ思えた解説は鳩山、小沢、菅の3氏による共同謀議説でした。
つまり、民主党の支持率が低下し、参議院選挙に重大な影響が出そうな状況下、鳩山、小沢の二人が退陣し、小沢色を完全に消し去り、その上で菅代表で参議院選を戦おうというものです。
そのために菅氏は、「小沢さんはしばらく静かにしていただいたほうがいい」というような発言まであえて行い、世間を欺こうとしているのだという解釈です。
投稿サイト阿修羅のコメントを見ていても、この芝居説が3~4割を占めていた時がありました。
私自身もそうであってほしいという希望をいだきながら記事を読んでいました。その後代表選挙、執行部の人選、組閣と日時が進むに従い、この希望的解説は消えて行きました。
6月8日重掲NO7における副島先生の「反小沢クーデター」という一文が出てからはネット上ではクーデター説が多数を占めています。
しかし、一般的にはこのことは知られてはいません。この事実は大変重大です。
かって、中南米のラテン諸国においては軍事クーデターといわれるものが頻繁に起こっていました。
選挙によって選ばれた政権が、戦闘機と戦車によってつぶされるということが繰り返し行われてきました。その裏にはアメリカの意思が働いていたのでしょう。
日本では、さすがにそのような乱暴であからさまなクーデターはできません。
しかし、もっと巧妙で一見合法的なやり方でこのクーデターが行われたのです。
政権発足以前から執拗に行われた、検察とマスメディアを使った圧力で小沢、鳩山を痛めつけ、最終段階ではアメリカの意図を汲む官僚と政治家を動かしてこのクーデターは静かに、巧妙に、かつ合法的に行われたのです。
ラテン諸国の軍事クーデターの様なことが行われたのであれば、日本国中大騒ぎとなり、おとなしい日本国民も黙ってはいないでしょうが、余りにも巧妙に行われたため、大半の国民は気が付いていません。
試しに自分の周りにいる人で余り政治に関心を持たない人に、このクーデターについて話して御覧なさい。「クーデター?」「 ? 」という反応が返ってくるでしょう。
次に小沢と検察の対立についてです。
この一年以上にわたる小沢一郎と検察、官僚との対立構造について、私が最初に納得のいく解説に出会ったのは、ライブドアニュースの佐藤優の解説でした。
(http://news.livedoor.com/article/detail/4466372/)
「特捜検察と小沢一郎」というタイトルの記事の中で「誰が日本国家を支配するか」ということについて佐藤はこう述べている。
(貼り付け始め)
特捜検察は、資格試験(国家公務員試験、司法試験)などの資格試験に合格した官僚が国家を支配すべきと考えている。明治憲法下の「天皇の官吏」という発想の延長線上の権力観を検察官僚は(恐らく無自覚的に)もっている。
これに対して、小沢氏は、国民の選挙によって選ばれた政治家が国家を支配すべきと考えている。その意味で、小沢氏は、現行憲法の民主主義をより徹底することを考えている。民主主義は最終的に数の多い者の意思が採択される。そうなると8月30日の衆議院議員選挙(総選挙)で圧勝した民主党に権力の実体があるいうことになる。
(貼り付け終了)
つまり、選挙によって選ばれた政治家が国の代表であるべきか、それとも難しい国家試験によって選ばれた官僚が国の代表であるべきかという争いを延々と続けているのだというのです。
そのつばぜり合いが時々国民の目にも見えるのですが、例えばそれは小沢に対する強制捜査や小沢の秘書の逮捕や一か月ルールをめぐる小沢と羽毛田宮内庁長官との対立という形で我々国民の気がつくこととなるのです。
ここで特記すべき事は一般国民(つまり官僚でもなくエリートでもないごくごく平凡な人)の中にも小沢よりも羽毛田長官を、政治家よりも官僚を支持する人がかなりの割合で存在しているのではないかと感じられることです。
もうひとつ思い出したのは、確か小泉政権の時代だったでしょうか、岡崎久彦(元外務官僚)という人がサンデープロジェクトに出て田原総一郎を相手に、こう言いました。
「日本は欧米の意見とくにアングロサクソンの言うことに黙って従っていればいいのです。それが日本の安全と経済発展にとって最善の道であり、国益に最もかなうことです。」と言い切りました。
これを聞いて私は唖然としたことを思い出しますが、このような意見は一般にもかなり有って、かっての私の友人にも「日本はアメリカの51番目の州になったほうが安全で楽でいい」と平気で言う人がいます。
昨年の2月ヒラリー・クリントンが来日した折、小沢一郎民主党代表(当時)に会見を申し込みました。この時小沢は「極東におけるアメリカ軍のプレゼンスは第七艦隊だけでいい」と言いました。
つまり、横須賀の海軍基地以外の基地は沖縄も含めていらないのだということに繋がるわけですが、小沢に代表されるような日本のことは日本でやるという自主独立の主張とアメリカの言いなりでいるのが安全で楽だ(自分にとって経済的利益になる)とうい対米隷属的な考えをよしとする岡崎久彦的な日本人が国民の中に曖昧模糊な形で多数存在しています。
以上述べた3つの事柄をもう一度繰り返します。
①6.2反小沢クーデターを知る国民は少ない
②普通の国民の中には小沢よりも羽毛田長官を、つまり政治家よりも官僚を支持する人がかなり多く存在する
③自主独立路線を危険な道と考え、対米従属で十分と考える国民がかなりの割合で存在する
これらの現実を認め受け入れた上で、私たちは何をすべきなのかを問いたいと思います。
近江太郎(おうみ たろう)です。本日は2010年7月7日です。重掲2本目の投稿をさせていただきます。
本年6月2日の鳩山退陣後、鳩山、小沢ダブル退陣の意味について様々な意見、解説が試みられていました。
私は主にネット上に現れた意見を追っていましたが、初期において最も楽観的で素晴らしいとさえ思えた解説は
鳩山、小沢、菅の3氏による共同謀議説でした。つまり、民主党の支持率が低下し、参議院選挙に重大な影響が
出そうな状況下、鳩山、小沢の二人が退陣し、小沢色を完全に消し去り、その上で菅代表で参議院選を戦おうというものです。
そのために菅氏は、「小沢さんはしばらく静かにしていただいたほうがいい」というような発言まであえて行い、世間を欺こうとしているのだという解釈です。投稿サイト阿修羅のコメントを見ていても、この芝居説が3~4割を占めていた時がありました。私自身もそうであってほしいという希望をいだきながら記事を読んでいました。その後代表選挙、執行部の人選、組閣と日時が進むに従い、この希望的解説は消えて行きました。
6月8日重掲NO7における副島先生の「反小沢クーデター」という一文が出てからはネット上ではクーデター説が多数を占めています。
しかし、一般的にはこのことは知られてはいません。この事実は大変重大です。
かって、中南米のラテン諸国においては軍事クーデターといわれるものが頻繁に起こっていました。選挙によって
選ばれた政権が、戦闘機と戦車によってつぶされるということが繰り返し行われてきました。その裏にはアメリカの意思が働いていたのでしょう。
日本では、さすがにそのような乱暴であからさまなクーデターはできません。しかし、もっと巧妙で一見合法的なやり方でこのクーデターが行われたのです。
政権発足以前から執拗に行われた、検察とマスメディアを使った圧力で小沢、鳩山を痛めつけ、最終段階ではアメリカの意図を汲む官僚と政治家を動かしてこのクーデターは静かに、巧妙に、かつ合法的に行われたのです。
ラテン諸国の軍事クーデターの様なことが行われたのであれば、日本国中大騒ぎとなり、おとなしい日本国民も黙ってはいないでしょうが、余りにも巧妙に行われたため、大半の国民は気が付いていません。
試しに自分の周りにいる人で余り政治に関心を持たない人に、このクーデターについて話して御覧なさい。「クーデター?」「 ? 」
という反応が返ってくるでしょう。
次に小沢と検察の対立についてです。
この一年以上にわたる小沢一郎と検察、官僚との対立構造について、私が最初に納得のいく解説に出会ったのは、ライブドアニュースの佐藤優の解説でした。
http://news.livedoor.com/article/detail/4466372/
「特捜検察と小沢一郎」というタイトルの記事の中で「誰が日本国家を支配するか」ということについて佐藤はこう述べている。
(貼り付け始め)
特捜検察は、資格試験(国家公務員試験、司法試験)などの資格試験に合格した官僚が国家を支配すべきと考えている。明治憲法下の「天皇の官吏」という発想の延長線上の権力観を検察官僚は(恐らく無自覚的に)もっている。
これに対して、小沢氏は、国民の選挙によって選ばれた政治家が国家を支配すべきと考えている。その意味で、小沢氏は、現行憲法の民主主義をより徹底することを考えている。民主主義は最終的に数の多い者の意思が採択される。そうなると8月30日の衆議院議員選挙(総選挙)で圧勝した民主党に権力の実体があるいうことになる。
(貼り付け終了)
つまり、選挙によって選ばれた政治家が国の代表であるべきか、それとも難しい国家試験によって選ばれた官僚が国の代表であるべきかという争いを延々と続けているのだというのです。そのつばぜり合いが時々国民の目にも見えるのですが、例えばそれは小沢に対する強制捜査や小沢の秘書の逮捕や一か月ルールをめぐる小沢と羽毛田宮内庁長官との対立という形で我々国民の気がつくこととなるのです。ここで特記すべき事は一般国民(つまり官僚でもなくエリートでもないごくごく平凡な人)の中にも小沢よりも羽毛田長官を、政治家よりも官僚を支持する人がかなりの割合で存在しているのではないかと感じられることです。
もうひとつ思い出したのは、確か小泉政権の時代だったでしょうか、岡崎久彦(元外務官僚)という人がサンデープロジェクトに出て田原総一郎を相手に、こう言いました。「日本は欧米の意見とくにアングロサクソンの言うことに黙って従っていればいいのです。それが日本の安全と経済発展にとって最善の道であり、国益に最もかなうことです。」と言い切りました。これを聞いて私は唖然としたことを思い出しますが、このような意見は一般にもかなり有って、かっての私の友人にも「日本はアメリカの51番目の州になったほうが安全で楽でいい」と平気で言う人がいます。
昨年の2月ヒラリー・クリントンが来日した折、小沢一郎民主党代表(当時)に会見を申し込みました。この時小沢は「極東におけるアメリカ軍のプレゼンスは第七艦隊だけでいい」と言いました。つまり、横須賀の海軍基地以外の基地は沖縄も含めていらないのだということに繋がるわけですが、小沢に代表されるような日本のことは日本でやるという自主独立の主張とアメリカの言いなりでいるのが安全で楽だ(自分にとって経済的利益になる)とうい対米隷属的な考えをよしとする岡崎久彦的な日本人が国民の中に曖昧模糊な形で多数存在しています。
以上述べた3つの事柄をもう一度繰り返します。
①6.2反小沢クーデターを知る国民は少ない
②普通の国民の中には小沢よりも羽毛田長官を、つまり政治家よりも官僚を支持する人がかなり多く存在する
③自主独立路線を危険な道と考え、対米従属で十分と考える国民がかなりの割合で存在する
これらの現実を認め受け入れた上で、私たちは何をすべきなのかを問いたいと思います。
【36】[44]参議院選挙を前にして
2009年に民主党が打ち出した先のmanifesto(政権政策)は,ぼくの考えじゃないもん!っていう顔してる幹事長さん、今日、民主党のwebsiteで見ましたよ。Manifesto 2010!
これって毎年出るんですか?
そんでもって、いつのまにか内容をすり替えたり、
都合の悪いことはなかったことにしちゃうんですね。
どうせばれやしねえよっ! って声が聞こえてきちゃいますよ、幹事長さんっ!?
一般市民のぼくはね、すばらしいmanifestoを打ち出すなら素直に受け止め支持していこうって思うんですよ。最初から「できるはずがねえ」なんていいません。でもね,裏切りだと判定できたときにも素直に受け止めようとも思ってるんです。一般市民のもつ権力を発動できるのって選挙のときだけですからね。
なんか、最近,共産党の言ってることが不思議と心に響いてくる気がするのはぼくだけでしょうか? 確かな野党ねえ。確かなだけいいかな。
さて,ここが思案のしどころだ。
【35】[43]Re:Re:中国の内蒙古から
よっちんさま。
上海万博のレコードチャイナの記事に対する私のコメントの仕方がまずかったですね。勿論、よっちんさまを批判するようなつもりは毛頭ありません。あの記事に私が敏感に反応してしまっただけのことです。私も時々件のサイトを訪れて記事を読むことがありますが、サーチナと比べても中国に対する批判的な立場を強く取っているような気がしてなりません。日本のTV各局との連携も強いようですしね。考えすぎでしょうか。
あの記事の元となっている新聞のモトネタを、私はみていませんからその確度についても言及は避けるべきなんでしょうが、どうも地元の新聞を翻訳しただけですよ、としかとれないような記述の仕方が鼻について仕方有りません。
ただ、株式会社レコードチャイナは、間違いなく日本の法人であり日本のメディアです。我々には中国のメディアにしか見えないところがまたミソなんですね。私の指摘したかったことはそういう事です。
中国の近代自動車産業の大きな転換は、1985年に起こりました。上海汽車(第三汽車)がドイツのフォルクスワーゲンと合弁会社を立ち上げ、サンタナというとてもオーソドックスなセダンの生産を開始したのです。この車、時を前後して日本でも日産がノックダウン生産をしており、その意味ではフォルクスワーゲンの世界戦略車種だったのでしょう。競合他社に先駆けて中国市場にデビューしたフォルクスワーゲンのシェアが広がっていくのは自明の理です。勿論、中国政府は同時期、トヨタやホンダに対しても市場参入の打診をしていたようですが、レクサス立ち上げに忙しいトヨタは、アメリカべったりで、聞いた話では子飼いのダイハツを遣わしてお茶を濁したとか・・・。最近めっきり見かけなくなりましたが、ちょっと前まで小さめのタクシーの中に、古いシャレードのセダンタイプのものが随分沢山見受けられたのがその証左ということでしょうか。それも、北京オリンピックを前に、古いタイプのタクシーを新車に交換するように、との政府の号令に一気に市場から姿を消してしまいました。フォルクスワーゲンのサンタナは、その生産開始から20年以上経った今でも新車購入することが出来ますが、シャレードの新車は今ではどこにも売っていないでしょうね。
その後、日本が重い腰を上げるのが、中国がWTOに加盟した2001年前後の話です。本来日本のお家芸である筈の家電や携帯電話といった工業製品についても同様ですから、中国における日本の製品のシェアは低空飛行を続けています。ついでに申し上げると、カメラのフィルムでは世界的に有名なフジフィルムなど、中国では見る影もありません。コダックがその市場を独占してしまっているからです。日本企業の対応不足ですね。
前述したように、親方(アメリカ)の顔色を伺わないといけない日本以外は、結構中国と仲良くしているようです。お隣の韓国も、政治的背景は日本と似たり寄ったりだと思いますが、サムソンも現代も随分頑張っているところを見ると、やはり国民性の問題なのでしょうか。
自動車の話題でもう一つ。
フォルクスワーゲンとの合弁で生産技術を身につけた上海汽車は、イギリスのローバーの生産設備をデザインスタジオを買い取ります。そうあの有名なレンジローバのローバーであり、ローバーミニのローバーです。悲しいかな、ローバーは1980年~90年代に経営難に陥り、そのブランドは解体されてしまいますが、乗用車の生産設備が上海汽車の元に転がり込んだと言う訳です。そこからラインオフしてくるセダンのデザインはとても良く、品質も間違いなく一級品です。私など、内蒙古の自宅近くのショールームにふと立ち寄った際、思わず衝動買いしてしまった位ですから。
また、最近自動車雑誌を賑わせている新車の中にも、優れた自動車が沢山現れ始めています。それも、それぞれの中国メーカーが外国の合弁先の企業の力を借りず(あまり借りず?)に作った自動車が少しずつ出て来始めているのです。前回掲示板で、後5~6年もすると、完全に日本は中国に追い付かれてしまうのではないか、と書いたのはこの為です。日本の優秀な頭脳が沢山中国に吸収されていっている、という話も聞きます。
産業どころか、日本そのものが空洞化を始めているようで怖いですね。
【34】[42]Re:中国の内蒙古の石井
中国の内蒙古の石井さま
よっちんです。
わたくしが見てもらいたいのは、アドレスの貼り付けをクリックした時に見れる、ドイツ的カラオケ?などの画像ですが、それだけでは物足りないと思い、そこにあった一緒の記事も貼り付けました。あれは、中国青年報(地元のマスコミ)が、ドイツ館と自国のパビリオンとを比較して、ドイツ館の素晴らしさ(見ただけでも力を入ているのは判ります)を、あのように表現しているとの認識でした。確かに、中国の政府の教育方針などを批評(批判、皮肉)もしているようですが、あくまでわたくしではなく、中国のメディアですので。
それと、中国とドイツとの関係は、ドイツの技術により、上海トランスラビッド(磁気浮上式鉄道)が、430Kmの速度で営業運転している事や、走っている車の割合(比率)でもドイツ車が多い、と感じられることからしても、今のところ悪くはないようだし、以外と友好的な国交なのかな、とも感じてはいます。
よっちん拝
【33】[41]三国時代の道教、桃園の誓い、関羽信仰
中国ネタが続き、興味深く拝見しました。私も触発され、調べたこと、考えたことなどを書いてみたくなりました。
1 三国時代の道教の日本への影響
ジョー(下條)さんは、[29]で以下のように書いています。
(引用開始)
劉備、張飛、関羽の三人が義兄弟の誓いをしたのが、この桃園(とうえん)の誓いです。ここから、義の思想のはじまったとされており、場所は河北省です。そして、そのすぐ近くの陝西省四川省あたりで、五斗米道の運動が同時期にありました。ここが事実上、「和気」の思想が生まれたところでしょう。
つまり日本の思想と中国の思想は出自の場所と時代をほぼ同じにしながら、二千年の時を経る間に、それぞれ独自の思想に変遷してきたとも言えます。ここに歴史の妙というか、不思議な歴史の仇(あだ)が見え隠れしています。
(引用終了)
確かに、ウィキペディアで「五斗米道」を検索すると、この道教教団は、蜀(四川省)で起こったとある。
蜀(四川省)は、劉備、関羽、張飛が治めていた。蜀から華僑として海外に出て行った人たちの一部も日本に流れ着き、(副島先生あるいは岡田英弘教授の説のように)日本人に同化していったかもしれない。このとき、道教、義や和気の思想が日本に入り込み、日本人の性格や文化形成に大きく影響したと考えられる。
なお、日本では、中国人のほか、朝鮮人やポリネシア系、中東系など様々な人種が流れ着いて混合、共存したため、和的な、なんでも混ぜる思想が一層普及したのかもしれない。
余談ですが、諸葛孔明(諸葛亮)も道教の人だったのでしょう。『三国志演義』で彼は、綸巾(かんきん)という帽子を戴き羽扇(うせん)を手にして四輪車に乗り、鬼神や天候をも操り、敵の意図を全て事前に察知し、天文をもって人の生き死にを知る事が出来る様々な占いや呪術などを使う。道士のイメージです。
2 桃園の誓いについて
「関羽伝」(新潮選書)今泉恂之介 著(2000年11月発行)から引用します。
(引用開始)
三国演義の開幕を飾るおなじみの「桃園結義」。この有名なエピソードは完全なフィクションとされている。p47
・・・三人は帽子を被り、袖の長い着物姿で、枡のような四角い箱を杯として酒を酌み交わしている。真ん中のテーブルには果物が置かれており、のどかな酒盛り風景といったところだ。
しかし三国演義には「天地に白馬と黒牛を捧げ」という日本人にはなじみにくい言葉も記されている。宴会のご馳走に肉が必要というなら別段の抵抗感はないが、神に捧げる生贄なのである。その昔の中国では、祭礼的な儀式に際して馬、牛、羊などを殺し、その首を飾ったり、血をすすったりする風習があった。おそらく遊牧民から伝わったものだろう。p47~48
義兄弟という男同士の関係もまた遊牧民に由来し、当時は武士の間に流行していた風習とされている。現代の一般的な友人関係や企業内の人間関係とはかなり異質なものといえるだろう。「家族を上回る濃密な関係」「義兄弟になれば家族は捨てなければならない」「義兄弟の命はまとめて一つ」――。何人かの中国人から、そんな説明を受けた。現在の中国では、その実態は一般社会の影に隠れた裏社会に存在するという。日本でいえば「一家のためには身命を捨てて尽くす」というやくざの親分子分、または兄弟分の関係と似通っているようだ。p48
(引用終了)
3 関羽信仰には裏があるのではないか
ウィキペディアで関羽を検索すると、以下の記述があります。
(引用開始)
彼の出身地は中国最大の塩湖である「解池」の近くにあり、その出身地から塩の密売に関っていたといわれている。また、暴利をむさぼる塩商人を殺したともいわれている。
民間における関羽人気の広がりには、山西省出身の塩商人が関羽の評判を伝えて回ったため人気が広がった、とする説もある。
(引用終了)
また、関羽伝 (新潮選書)今泉 恂之介 (著)には以下の記述があります。
(引用開始)
山西商人が扱った主産品は当初、運城の解池で産する塩であった。漢代以降、塩は時の政府の管理下にあったが、密売して巨利をむさぼる秘密結社が出来上がっていった。ほぼ全土に及んだそのネットワークは、後に上海などに発生した「幇(パン)」という組織にもつながっていく。幇は英語ではギャングと訳されているように暴力団的な性格ももっており、現在、香港、マカオなどのやくざ組織に隠然と存在する関羽信仰はこの流れと考えられる。p247
(引用終了)
もしかしたら、関羽は秘密結社のネットワークをもち、塩の密売を他の勢力から守って、それを資金源にしていた。だからこそ商売の神様にもなったのではないか。
この結社の利益を守るため、劉備を利用したのではないか。このとき、劉備は劉姓を名乗り、漢王朝を復活し、逆賊、悪政を打倒するという大義名分をもち、天下を狙う地元の野心的な有望人物だった。彼を表に立て、彼と結社の契りを結んで時の権力者に対抗したのだ。などと想像してしまいます。
桃園の誓いの物語もフリーメイソンなどの秘密結社と同様の何らかの儀式を暗示しているのかもしれない。
一方、敵役の曹操は、中国人には評価が高いと聞いたことがある。自己の利益を優先する中国人らしいキャラクターから支持されているのでしょうか。
劉備らは、宦官の養子の子である曹操という官僚的な組織力がある(また能力主義的、覇権的、好戦的すなわち非平和的)勢力に対抗した。
もっとも曹操も宦官退治をしているが、曹操は皇帝の地位を利用した悪人であると演義では描かれている(副島先生の近著『小沢革命政権で日本を救え』でも、現代の日本の官僚が天皇を利用しているという、似たような構図の指摘がある)。
上記のように、桃園の誓いなどによる三国志の英雄たちのイメージは、私にとって、日本的な和気藹々とは、まったくかけ離れたものです。
【32】[39]Re:参議院選挙を前にして
「一般市民」様、ご説明をありがとうございます。
私も良く、「一般に」とか、「大抵は」とか使いますが、自分で言いながらも、「架空のものを、さもあるような前提に話すと、なんでもいえるんだよな」と一方では思いながら話していて、そのせいか、論説の際に使うには、やはり抵抗があります。
まあ、「共通市民」とか、「基礎市民」とか、「普通市民」とか、よりもいいかなとは思います。
なお、小沢一郎氏が同様なことをいわれている記事がありましたので、日本政界・情報メモの掲示板に貼り付けておきます。
【31】[38]参議院選挙を前にして
参議院選挙投票日まで1週間を切ったが,野党自民党総裁の谷垣氏の度重なる指摘を受けても,新政権の民主党は先の衆議院選挙で掲げたmanifestoを撤回していない。
本当に「民主党の5つの約束」 の「子育て・教育」の項の「中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。」は実行されるのであろうか?(10年後にやるというのでは、あなた詐欺ですよ!)
約束を守らず,さらにしらばっくれる恥知らずに投票すべきかどうか,私はいま思案中である。
[32]のご指摘に対して
ご指摘はごもっともです。
しかし、私は「一般大衆」なんていうそんな「大」それたペンネームよりも「一般市民」の方を選びますね。
それに「一般市民」の方が新しい風を感じません? ちなみに、本サイトの「ぼやき」の中で検索してみたのですが、本邦知識人最高峰の副島隆彦先生やアルルの男・ヒロシ氏も1回や2回ではなく、下記に示す「ぼやき」の中で使用されている言葉です。ところで、あなたは生涯この言葉を使用しないでいられるでしょうか?
「1126」 日本政府の取るべき「バザール型対米交渉」。こうすれば米軍基地を確実に追い出せる。著名なジャパン・ハンドラーズの1人、ケント・カルダーの『米軍再編の政治学』(日本経済新聞社)を読み破る。(1) アルル筆 2010年5月13日
「122」 「小沢一郎 対 検察(オール官僚)の闘い」(8) 「事業仕訳け」に対する反動派(官僚の味方)朝日新聞の嫌悪記事。 2010.3.15
「1042」 世間では「陰謀本」ブームである。しかし、ここで冷静になってconspiracy theory の訳語の正しさについて考えてみたい。 アルル記 2009.6.2
「1041」 豚インフルエンザは、アメリカがメキシコに向けて放った人造化学兵器だろう。副島隆彦記 2009.06.01
「1025」 “竹中平蔵”を生み出した日本の構造を読み解く(1) 2009.3.22
「1008」 落日の覇権国アメリカでどのような政治思想の変動が起こっているのか? 2009.1.20.
「997」 田母神論文の大論争を実は“歓迎”しているアメリカ 2008.12.12
「948」 〔洞爺湖サミット一ヶ月前〕 SNSIが地球環境問題に総力で切り込む(1) 吉田研究員の「排出権取引の矛盾を突く」 2008.6.8
「940」 なぜ日本の警察は誰でも彼でも呼び止めて職務質問するのか? 警察官の「職務質問ノルマ」が日本を警察国家に駆り立てているらしい。2008.5.12
「932」 〔書評〕 イスラエル・ロビー論文に対する、ロビー系学者の反論を検証する。エイブラハム・フォックスマンの『最低最悪の嘘の数々』(未邦訳)という書籍を手がかりに、「差別される集団の論理」が暴走すると、建設的な議論が壊れる危険性があることを示す。(その2) 古村治彦 記 2008.4.7
「68」 ネパールというヒマラヤ山脈の南側の国の政治の動きをまとめて載せておきます。2007.12.19
「892」 アメリカの大統領選挙に立候補しているロン・ポール共和党下院議員という人物は、すばらし人ですから、私は、彼を徹底的に応援する機になりました。たとえ泡沫候補であっても、私たちが日本から心から声援を送り、全面的に連帯できる候補者を持てることは嬉しいことです。副島隆彦 2007.11.1
「51」 真実のニュールンベルグ裁判の全体の概要を解説した文章を載せます。
「844-2」ここから「844-2」として、うしろに加筆で、春の甲子園で常葉学園(とこはがくえん)菊川高校が優勝したことへの感想を書きます。 2007.4.24
「823」 昨日から公開されている、痴漢冤罪を扱った映画「それでもボクはやっていない」を見た。『裁判の秘密』(山口宏/副島隆彦・著)で描かれた、日本の司法制度のデタラメぶりが現実に即して暴かれた。周防正行監督の手腕に感服した。アルル記 2007.1.21
「795」 「ウィキペディア」という世界規模のネット上の百科辞書運動がある。そこで私の書いた本「人類の月面着陸は無かったろう論」がどのように議論されているかを読んだ。それを載せます。このネット上の百科事典の私への悪意と中傷を今後は注視します。彼ら参加者の人間的な成長を見守ります。2006.10.5
「772」書評『連邦準備銀行制度による陰謀』 国立銀行など存在しない (3)止 運命の瞬間、1913年12月22日午後11時。連邦準備制度(FRS)が産声を挙げた。その翌年、第一次世界大戦が始まる。マネーを生みだす怪物を利用したロックフェラー家の世界支配が猛威を振るった20世紀後半の世界史。そして、現代へ。2006.7.4
「767」 書評『連邦準備銀行制度による陰謀』 国立銀行など存在しない (2) ジェファーソン-ジャクソンの“人民権力主義”(ポピュリズム)の伝統とハミルトンの中央集権・連邦主義(フェデラリスト)の陰謀が紙幣発行権を巡り、死闘を繰り広げていた。これが真のアメリカの歴史である。「カネに踊らされつつある」無知蒙昧な現代日本人よ!恥を知れ!!!2006.6.15
「720」 教科書が教えない世界史。クレオン・スクーセン著、『世界の歴史をカネで動かす男たち』という本を紹介します。戦争と革命は世界の金融資本によって人為的に作り出されていると、クリントン大統領の師匠である人物がはっきりと書いている。これを「単なる陰謀説」として葬ることはできない。2006.1.4
「688」 夏休みの読書感想文。ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』を読む。日本はやっぱり明治からイギリスの属国で、60年前の米日戦争はイラク戦争と同じくアメリカによる日本侵略戦争だったんだなあ。吉田(Y2J)筆 2005.8.27
「647」 アポロ疑惑のその後。人類の月面着陸はなかったろうの英語評論文の翻訳を載せます。それから、最近発掘された、アポロ11号月面着陸のスタジオNGテイクの衝撃映像を公開。根尾研究員 筆 2005.3.17
「626」 漫画家の本宮ひろ志氏を擁護し、彼への言論弾圧に対して抗議する。副島隆彦 2005.1.10 文末に副島隆彦が追加で転載加筆しました。 2005.1.13
「560」 アメリカ帝国を動かす、ネオコン知識人・財界人を「体制転覆(レジーム・チェンジ)カード」遊びをしながら覚える方法。 これだけで、今のネオコン派の人物たちの総陣容と全体像がわかる!その(3) 財界人編 その1 へのまえがき 2004.5.18
「497」 新シリーズ「副島隆彦の人生道場」。若いサラリーマンに不可欠な「人生の知恵」を副島隆彦が伝授します。1回目は「サラ金業界とは一体どういう業界なのか」です。2003.11.22
「485」 ある書籍にのった依頼原稿。 「ヤクザ・リセッション」と「アメリカ金融マフィア」 アルル筆 2003.10.09
「番外」 ネット上から拾ってきた文章。 2003.5.10
「424」 宮台真司 氏と 副島隆彦のケンカ対談を実況メモによって再現しました。4月8日発売の写真週刊誌「フラッシュ」に短く載っています。 2003.04.09
「420」天国太平論文「戦後山口組周辺からみる民族派運動史」後半 2003.3.29
「411」 緊急記事。 対イラク攻撃の開始日が決定した。2003.3.6
「390」 会員の根尾君からのメールを転載します。アメリカの大学で学位を取って帰って来ます。彼も何の恵まれた環境にもありません。2003.1.9
「376」 米国が世界の裁判所になりつつある。『司法占領』(鈴木仁志著)が暴いた司法改革の真相を、情報貼り付け文の形で紹介する。 2002.12.11
「350」 小泉改造内閣発足。私の『金融鎖国(せよ)』戦略との関連性。日銀の銀行保有株式買い、も公的資金投入政策も。 2002.10.1
【30】[36]日本人と中国人
私はアメリカで15年生活して昨年香港へ移住しました。
副島先生の本から多くを学び、結果としてアメリカへの興味が薄れ中国への興味が増し結局家族をアメリカへ残し単身香港へ来ました。(本当は中国へ行きたかったけど言葉の壁に負け香港にしました)
中国に関しての投稿、[33]中国の内蒙古からと[28]上海世界博覧会を読ませて頂き、自分の体験と同じ事が多くあり、やはりそうなんだと思いました。私も書きたかったけどお二人のようにうまく表現ができないのが残念ですが、ただ今改めてここ香港の知人から聞いた話があまりにもうまい表現なので書きます。
(知人が言うには台湾の偉い方の言葉らしい)
日本人一人一人は虫けらだ。ただ3人寄れば龍になる。
中国人一人一人は龍だ。ただ3人寄れば虫けらになる。
*投稿に関して一部の方が意見されてましたが、私は過去に投稿した事は数回ありますが、ホームページがリニューアルされて、投稿の方法がわかりませんでした。少し探してもわかりませんでした。投稿されてる方がいるから探せばできると思い頑張りました。でも変わったんだったらもう少しその点を強調してお知らせしなければ分からないでやめる人も居るかもしれませんね。
**先ずログインしないと投稿の画面がでてきませんよ。注意書きはあるが分かりにくかった。
【29】[34][27]の方へ
重掲の記事が6月25日以降まったく更新されていませんが、どういうことでしょうか?多忙のためか投稿なしのためかシステムエラーのためか解りませんが、他のブログと比較しても、怠慢の観が否めません。
有料ブログの自覚を持って、もっとしっかりやって下さい。
⇒貴方もこの掲示板で「しっかりやる」べき人に含まれているはずですが。ここは誰かの「有料ブログ」ではなくて、掲示板です。
私もHPが更新されて以降はまだ投稿していませんが、怠慢があるとすれば貴方も含めての怠慢ではないでしょうか。
【28】[33]中国の内蒙古から
中国の内蒙古の石井です。
いよいよ、アメリカの経済が混迷の度合いを色濃くしてきたり、参議院選挙を控えていたりで、非常に緊迫した雰囲気が日本では流れていることでしょう。安穏と内蒙古で暮らす石井からレポート第2段。上海万博ネタや中国思想ネタが続いていますので、それに対するコメントを入れさせてもらいます。
「上海万国博覧会」のよっちんさん。
ドイツ館に関するコメントで、レコードチャイナの記述を引用されています。曰く、中国人の模倣を批判したような記事です。
既に語りつくされているとは思いますが、先端技術や最新のファッション、デザイン等は一朝一夕で成されるものではありません。日本も戦後の高度成長時代に様々な国々の模倣を続けてきたお陰で、今の技術立国という国際的位置を確立出来たのです。今、正に中国は1970年代の日本と同じ場所にいると理解するべきだと思います。しかし、日本がその後20年掛けて熟成した技術を、今の中国人達は恐らく5~6年でモノにしてしまうのではないでしょうか。中国独自の規格なりデザインのモチーフのようなものが出てくるとしたらそれからだと思います。批判するのは気楽で良いものですが、もの凄い勢いでキャッチアップされた後、日本はどうするのでしょう?むしろ私はそちらの方が心配でなりません。
万博会場の所々でオシッコの匂いがする、とのことでしたが、これは日本と中国の習慣の違いです。中国では、乳幼児に対してもほとんどオムツを履かせません。赤ちゃんは、又の下を切り取られた格好のズボンを履かされ、尿意や便意を催すとほとんど所構わずその場でさせます。ですから、片言の言葉が話せるようになると(1歳くらいから)、いわゆる日本で言うところのオムツが外れた状態になります。私の子供は2歳になったばかりですが、オムツどころかオネショもしません。しかしそうは言っても、公共の場では(自分の家でも)あたり構わず用を足している子供をみますから、ちょっとしたカルチャーショックですね。これは地方に行くほど、田舎へ行くほど顕著になるようです。上海の街中の最新のスタイルは少し違うかもしれませんが、万博会場に集まるお上りさんにはいつも通りの習慣なのです。
また、よっちゃんさんの最後の処に、日本が中国に飲み込まれるのではないか、との感想を述べられております。
御承知の通り、アメリカの力が削がれていきアメリカが自分自身のことで手一杯になったとき(すでになっていますか?)日本はだれが守ってくれるのでしょう。戦後の高度経済成長が為されたのも、一つには国防関連の予算をほとんど計上する必要が無かった(アメリカが守ってくれていたから)ことも要因ではないでしょうか。アメリカの力を頼ることが出来ないとなったら、日本は独自に核武装しますか?戦闘機やミサイルを独自開発しますか?アメリカによって、それらの技術を上手に骨抜きにされてしまっているので、今更難しいと言わざるを得ないでしょう。その時、隣国に超巨大経済大国が突如現れた場合、我々日本人の採れる選択肢は非常に限られていると思います。
「和気から正気へ・・・」のジョーさん。
ジョーさんのおっしゃる「和気の思想」は、今の中国人には理解されないのではないでしょうか。以下に理由を書きます。
私は、2005年にこちら(内蒙古)で店舗を構えて50~60人位の中国人を使っていたことがあります。その時には一所懸命に日本式のビジネススタイルや商習慣を社員達に教育しようと随分沢山マニュアルも用意したものです。しかし、どんなに頑張って教育してみても、雇用契約書に条件として明記してみても、月給が50元でも良いところがあれば、その瞬間にオサラバです。名残惜しむような素振りは微塵もありません。どうも根本的に考え方が違うのです。我々日本人の精神構造の中には「for the team!」が刷り込まれています。全体の利益の前に個人を優先させるべきではない(というか、個人は犠牲にすべきだ、の方が適当ですか)、という考え方です。しかし、中国の人は違います。まず個人ありきです。己の利益を最大限追求します。その結果全体が良くなれば尚良かった、という考え方です。日本の中小企業が中国に進出していって中国人にダマされて失敗した、という話を良く聞きますが、根底にあるのはその違いです。繰り返しますが彼等は全体(この場合中国との合弁会社)の利益を考えません、己の利益のみを追求します。しかも、当たるかどうか判らないような商売に対して2年も3年も辛抱に待つ、ということをしません。その瞬間で損得勘定を弾いて行動に移しますから、中国人のパートナーに出資金だけ持って逃げられた、ということになってしまうのです。これを私は「中国人が悪い」と一括りにするのはどうか、と思ってしまうのです。要するに文化・習慣の違いであって、そのことを良く理解せずに安易に考えている日本人にむしろ責任があるのではないでしょうか。こう書くと、「泥棒されたのに、泥棒した方ではなく泥棒された方が悪いのか」というご意見も出てくるでしょう。正にその通りです。厳しい生存競争に勝ち残って行かなければならないのです。生易しいことではありません。成功するのに手段を選んではいられないのです。その辺りの精神構造は、温室育ちの日本人には逆立ちしても理解出来ないのではないでしょうか。中国人と付き合う(ビジネスをする)において、一番大変な部分です(では、私はどうなのか?というのは別の機会に)。
少々道が逸れたような気もしますが、以上のようなことから、中国人の気質の中に「和気藹々(わきあいあい)」は、絶対無いと言えるでしょうし、到底理解してもらえるようなものでもないと思います。彼等は、兄弟の中でも見栄の張り合いを平気でします。まず勝って立場を確立する!これが彼等の至上命題です。「死ぬ時は一緒だ」なんて、逆に気持ち悪いと言うのではないでしょうか。メロドラマと現実くらいの開きがあるように思います。