重たい掲示板

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旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

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ハル 投稿日:2010/07/06 11:03

【30】[36]日本人と中国人

私はアメリカで15年生活して昨年香港へ移住しました。
副島先生の本から多くを学び、結果としてアメリカへの興味が薄れ中国への興味が増し結局家族をアメリカへ残し単身香港へ来ました。(本当は中国へ行きたかったけど言葉の壁に負け香港にしました)
中国に関しての投稿、[33]中国の内蒙古からと[28]上海世界博覧会を読ませて頂き、自分の体験と同じ事が多くあり、やはりそうなんだと思いました。私も書きたかったけどお二人のようにうまく表現ができないのが残念ですが、ただ今改めてここ香港の知人から聞いた話があまりにもうまい表現なので書きます。
(知人が言うには台湾の偉い方の言葉らしい)
日本人一人一人は虫けらだ。ただ3人寄れば龍になる。
中国人一人一人は龍だ。ただ3人寄れば虫けらになる。

*投稿に関して一部の方が意見されてましたが、私は過去に投稿した事は数回ありますが、ホームページがリニューアルされて、投稿の方法がわかりませんでした。少し探してもわかりませんでした。投稿されてる方がいるから探せばできると思い頑張りました。でも変わったんだったらもう少しその点を強調してお知らせしなければ分からないでやめる人も居るかもしれませんね。
**先ずログインしないと投稿の画面がでてきませんよ。注意書きはあるが分かりにくかった。

山頭火 投稿日:2010/07/06 03:44

【29】[34][27]の方へ

重掲の記事が6月25日以降まったく更新されていませんが、どういうことでしょうか?多忙のためか投稿なしのためかシステムエラーのためか解りませんが、他のブログと比較しても、怠慢の観が否めません。
有料ブログの自覚を持って、もっとしっかりやって下さい。

⇒貴方もこの掲示板で「しっかりやる」べき人に含まれているはずですが。ここは誰かの「有料ブログ」ではなくて、掲示板です。
私もHPが更新されて以降はまだ投稿していませんが、怠慢があるとすれば貴方も含めての怠慢ではないでしょうか。

石井裕之 投稿日:2010/07/06 00:21

【28】[33]中国の内蒙古から

中国の内蒙古の石井です。
いよいよ、アメリカの経済が混迷の度合いを色濃くしてきたり、参議院選挙を控えていたりで、非常に緊迫した雰囲気が日本では流れていることでしょう。安穏と内蒙古で暮らす石井からレポート第2段。上海万博ネタや中国思想ネタが続いていますので、それに対するコメントを入れさせてもらいます。
「上海万国博覧会」のよっちんさん。
ドイツ館に関するコメントで、レコードチャイナの記述を引用されています。曰く、中国人の模倣を批判したような記事です。
既に語りつくされているとは思いますが、先端技術や最新のファッション、デザイン等は一朝一夕で成されるものではありません。日本も戦後の高度成長時代に様々な国々の模倣を続けてきたお陰で、今の技術立国という国際的位置を確立出来たのです。今、正に中国は1970年代の日本と同じ場所にいると理解するべきだと思います。しかし、日本がその後20年掛けて熟成した技術を、今の中国人達は恐らく5~6年でモノにしてしまうのではないでしょうか。中国独自の規格なりデザインのモチーフのようなものが出てくるとしたらそれからだと思います。批判するのは気楽で良いものですが、もの凄い勢いでキャッチアップされた後、日本はどうするのでしょう?むしろ私はそちらの方が心配でなりません。
万博会場の所々でオシッコの匂いがする、とのことでしたが、これは日本と中国の習慣の違いです。中国では、乳幼児に対してもほとんどオムツを履かせません。赤ちゃんは、又の下を切り取られた格好のズボンを履かされ、尿意や便意を催すとほとんど所構わずその場でさせます。ですから、片言の言葉が話せるようになると(1歳くらいから)、いわゆる日本で言うところのオムツが外れた状態になります。私の子供は2歳になったばかりですが、オムツどころかオネショもしません。しかしそうは言っても、公共の場では(自分の家でも)あたり構わず用を足している子供をみますから、ちょっとしたカルチャーショックですね。これは地方に行くほど、田舎へ行くほど顕著になるようです。上海の街中の最新のスタイルは少し違うかもしれませんが、万博会場に集まるお上りさんにはいつも通りの習慣なのです。
また、よっちゃんさんの最後の処に、日本が中国に飲み込まれるのではないか、との感想を述べられております。
御承知の通り、アメリカの力が削がれていきアメリカが自分自身のことで手一杯になったとき(すでになっていますか?)日本はだれが守ってくれるのでしょう。戦後の高度経済成長が為されたのも、一つには国防関連の予算をほとんど計上する必要が無かった(アメリカが守ってくれていたから)ことも要因ではないでしょうか。アメリカの力を頼ることが出来ないとなったら、日本は独自に核武装しますか?戦闘機やミサイルを独自開発しますか?アメリカによって、それらの技術を上手に骨抜きにされてしまっているので、今更難しいと言わざるを得ないでしょう。その時、隣国に超巨大経済大国が突如現れた場合、我々日本人の採れる選択肢は非常に限られていると思います。
「和気から正気へ・・・」のジョーさん。
ジョーさんのおっしゃる「和気の思想」は、今の中国人には理解されないのではないでしょうか。以下に理由を書きます。
私は、2005年にこちら(内蒙古)で店舗を構えて50~60人位の中国人を使っていたことがあります。その時には一所懸命に日本式のビジネススタイルや商習慣を社員達に教育しようと随分沢山マニュアルも用意したものです。しかし、どんなに頑張って教育してみても、雇用契約書に条件として明記してみても、月給が50元でも良いところがあれば、その瞬間にオサラバです。名残惜しむような素振りは微塵もありません。どうも根本的に考え方が違うのです。我々日本人の精神構造の中には「for the team!」が刷り込まれています。全体の利益の前に個人を優先させるべきではない(というか、個人は犠牲にすべきだ、の方が適当ですか)、という考え方です。しかし、中国の人は違います。まず個人ありきです。己の利益を最大限追求します。その結果全体が良くなれば尚良かった、という考え方です。日本の中小企業が中国に進出していって中国人にダマされて失敗した、という話を良く聞きますが、根底にあるのはその違いです。繰り返しますが彼等は全体(この場合中国との合弁会社)の利益を考えません、己の利益のみを追求します。しかも、当たるかどうか判らないような商売に対して2年も3年も辛抱に待つ、ということをしません。その瞬間で損得勘定を弾いて行動に移しますから、中国人のパートナーに出資金だけ持って逃げられた、ということになってしまうのです。これを私は「中国人が悪い」と一括りにするのはどうか、と思ってしまうのです。要するに文化・習慣の違いであって、そのことを良く理解せずに安易に考えている日本人にむしろ責任があるのではないでしょうか。こう書くと、「泥棒されたのに、泥棒した方ではなく泥棒された方が悪いのか」というご意見も出てくるでしょう。正にその通りです。厳しい生存競争に勝ち残って行かなければならないのです。生易しいことではありません。成功するのに手段を選んではいられないのです。その辺りの精神構造は、温室育ちの日本人には逆立ちしても理解出来ないのではないでしょうか。中国人と付き合う(ビジネスをする)において、一番大変な部分です(では、私はどうなのか?というのは別の機会に)。
少々道が逸れたような気もしますが、以上のようなことから、中国人の気質の中に「和気藹々(わきあいあい)」は、絶対無いと言えるでしょうし、到底理解してもらえるようなものでもないと思います。彼等は、兄弟の中でも見栄の張り合いを平気でします。まず勝って立場を確立する!これが彼等の至上命題です。「死ぬ時は一緒だ」なんて、逆に気持ち悪いと言うのではないでしょうか。メロドラマと現実くらいの開きがあるように思います。

1018 投稿日:2010/07/05 23:46

【27】[32]Re:一般市民

素朴な疑問として、副島隆彦の本を5冊以上、読んでいることが前提とされるこの掲示板で「一般市民」という言葉を使って、何か言ったことになるのだろうか?

また、まともに耳を傾ける人がいるのだろうか?

いまひとつ、自信がないので、簡単な検索をしてみました。

Yahoo!辞書のすべての辞書にも「一般市民」は掲載されていません。
「一般大衆」ならある。「general public」もある。

この掲示板で「一般市民」として、何か言ってもねぇ・・・、と思うのですが。

自信がないので、「?」付きで、とりあえず書いておきます。

埼玉のオヤジ 投稿日:2010/07/05 21:44

【26】[31]消費税アップについて

副島先生の本は20冊以上読んでおります。

国家公務員の人件費を二割カットしても12兆円(消費税10%アップで歳入増を狙う額)は賄えないそうです。

ですが、今日の文化放送で森永卓郎氏がPM3時過ぎに話していた事です。
国家公務員以外に、地方公務員や、独立行政法人等のほぼ国家公務員の行政法人全部を入れると30数兆円だそうです。
昨年の税収は37兆円ぐらいだったんじゃなかったんでしょうか?

それ以外にも、公共事業以外の国の事業を合計すると90兆円程の歳出が昨年度の予算で支出されているんだそうです。
その二割を削減すると18兆円です。
実際はそこまでは無理でしょうが、10数兆円の削減が出来る事になります。
なので、消費税を上げずにすみます。

でも、メディアは違ってますね。
「公務員の人件費は5兆円だから12兆円の歳出増は無理だから、消費税アップは必然だ」と、いろんなチャンネルでやってるようですね。
人のよさそうな、実直そうな、真面目に見える、それなりの肩書のある人に解説させてます。

国民はそういう洗脳報道を、本気で見てるんでしょうかね?

洗脳された国民は、自民と結託した民主とみて、どこに投票しようと動くんでしょうか。民主過半数を阻止できればいいという動きなんでしょうかね、
良くわかりません。

一般市民 投稿日:2010/07/05 21:20

【25】[30]参議院選挙を前にして

 参議院選挙まで1週間を切ったが,野党自民党総裁の谷垣氏の度重なる指摘を受けても,新政権の民主党は先の衆議院選挙で掲げたmanifestoを撤回していない。
 本当に「民主党の5つの約束」の1つ「地域主権」の項の「高速道路の無料化」は撤回しないのであろうか?

 高速道路無料化については,マイナー路線のほんの一部だけを実験的に無料化ししただけであるうえ,社会実験という名目でさらに国民のお金を1000億円単位で使ってしまうという始末。さらに休日1000円は値上げで2000円などと息巻いた。おいおいmanifestoはどうなったんだ?
 そもそも,すべての高速道路をたとえば平日の0時から4時まで無料化にするという方法も考えられた。この時間帯なら飛行機にも新幹線にも,そしてフェリーにも影響はでないし,休日ドライバーによる交通渋滞もなかったはずだ。一方で,生活に直結する物流コストが下げられるために国民にあまねく還元されたはずだ。それを足がかりにその先を模索していくのが本来の手順であったろう。
 深夜全国一斉無料化というインパクト,他の交通機関への配慮,交通渋滞への配慮もし,また,無料だからといって出てくる暴走族もこの時間帯にまとめて検挙できるので,普段「停止線から1cm出ていたから一時不停止だ」といちゃもんをつけて善良な市民のお金を巻き上げて点数を稼ぎをしてきた下っ端警察官(司法巡査)も,正々堂々とならず者の撲滅という本来の志を全うできたであろうに。

 約束を守らず,さらにしらばっくれる恥知らずに投票すべきかどうか,私はいま思案中である。

ジョー(下條) 投稿日:2010/07/05 18:07

【24】[29]和気(わき)から正気(せいき)へ、正気から空気へと変わっていった日本の思想

副島先生が、ちょうど2年前に出版した本に『時代を見通す力』という本があります。

この本の中で、いちばん初めに取り上げられているのが、文天祥(ぶんてんしょう)が作った「正気(せいき)の歌」です。そして、副島先生は、この「正気(せいき)」こそが、江戸幕末の尊王攘夷(そんのうじょうい)の思想であり、2・26事件の思想背景、そして太平洋戦争の特攻隊の思想にまでつながっているのだと論述しました。

この正気(せいき)は、戦後、アメリカによって徹底的に消され、今はその残りカスだけが残っています。つまり正気の思想がなくなった後は、「正」が無くなり、ぼんやりとした「空気」のみがのこりました。この空気を「ニューマ」といいます。小室直樹・山本七平という言論人が日本の思想をあらわすのに使ったことばです。日本の言論には絶対的な規範がなく、個々の状況でその場の雰囲気に左右される、それを「空気」として表現したのです。

KY(空気が読めない)とはよくいったものです。最近、はやった流行語ですが、現代の気の思想を見事に表現しています。

つまり、江戸時代から昭和初期までは「正気」、その後は「空気」の気の思想があったといっていいでしょう。

さて、では、この文天祥(ぶんてんしょう)の正気の思想が入る前の日本の本当の気の思想とは何だったのか?

それは、実は「和気(わき、わけ)」だというのを、ここに書いておきたいと思います。人々が和(なご)やかに楽しんでいる風景を描写した「和気藹々(わきあいあい)」の和気です。

以前、この掲示板で、あの邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)が仕えた鬼道(きどう)とは、本当は五斗米道(ごとべいどう)のことであり、この五斗米道の思想が我々日本人の現在の「道(天道)」や「気」の思想につながっているのだということを書きました。

この五斗米道もたらした気には「陰気」と「陽気」の2つがあります。現在の中国、韓国でも、この2つの気によって世の中が成り立っていると考えているようです。よく陰と陽が半円になって混ぜっている図がありますが、これは韓国の国旗の絵柄にもなっています。「陰気」と「陽気」のふたつは、東アジア全体の大切な思想のひとつです。

実は、陰気と陽気の2つにあわせて、もうひとつ別の気(qi)が五斗米道と同時に日本に入ってきています。英語でmixed qi とかblended qi といいます。日本語にそのまま訳すと、「混合気」となって、なんのことかだか分かりません。

どうやらこれは「和気(わき、わけ、he qi)」のことらしいです。この和気は、もともとは、体内の気の流れを説明することばですが、どうやら思想をも表現することばになったようです。

五斗米道が用いたと言われる老子の解釈テキスト「老子想爾注(ろうしそうじちゅう)、あなたを想ってつくった老子の注釈」には、「道貴中和」、すなわち「道は「中和」または「中庸と和」をもっとも高く評価する」ということばがあります。このテキストでは道と気が、ほとんど同じことばとして扱われているので、ここから和気を重要視していることが分かります。

ちなみに、聖徳太子の十七条の憲法の冒頭部分「和をもって貴(とおと)しとなす。」は、孔子からきているとされていますが、こちらの老子想爾注からきているとする方が私にはしっくりきます。

この「道貴中和」(仏教でも道教でもキリスト教でも混ぜてしまうことがいちばんいいという考え)こそが、日本宗教の最大の秘密のように、私には思えます。ちなみに、一向宗の使っていた『仏説無量寿経』は、この老子想爾注と共通性があるそうです(福永光司による)。『老子想爾注』こそが、日本の聖典(カノン)ではないでしょうか?

では、この和気の思想とはなんでしょうか?それは、俗っぽいことばですが、やはり「和気藹々(わきあいあい)」だと思います。互いに争うことなく穏やかな話し合いによってものごとを解決する、あるいは、和(なご)やかにみんなといっしょになって楽しむ、これらが最上の善であり幸福であるとする考え方(アリストテレスの定義による)です。

副島先生も、以前、男はふんどし、女は長襦袢(ながじゅばん)とうちかけを着て、車座になって話し合うようになれば日本はいい国になると言っていました。これこそが、まさに和気の思想だと思います。

さて、正気(せいき)がなくなったあと、現代になって、再びこの和気(わき)の思想が一部、復活しました。その成果が、日本が世界に誇る発明「カラオケ」であり、外国人に人気のある「温泉」であり、日本の大切な年中行事となった「お花見」です。

また、日本のテレビドラマやマンガの特徴ですが、必ず、ラストシーンに登場人物が一同に打ち解けて話し込む場面があります。まさに和気藹々(わきあいあい)です。日本のテレビ番組の典型は「サザエさん」だと思っていますが、日本の庶民の思想は、本当に和気藹々(わきあいあい)です。

さて、重要なのは中国思想との関係です。中国では桃園(とうえん)の誓いを源にした「義」の思想が支配する国です。

劉備、張飛、関羽の三人が義兄弟の誓いをしたのが、この桃園(とうえん)の誓いです。ここから、義の思想のはじまったとされており、場所は河北省です。そして、そのすぐ近くの陝西省四川省あたりで、五斗米道の運動が同時期にありました。ここが事実上、「和気」の思想が生まれたところでしょう。

つまり日本の思想と中国の思想は出自の場所と時代をほぼ同じにしながら、二千年の時を経る間に、それぞれ独自の思想に変遷してきたとも言えます。ここに歴史の妙というか、不思議な歴史の仇(あだ)が見え隠れしています。

プラトンのイデアの思想がバチカンを中心とするヨーロッパの思想の土台であり、そのプラトンの弟子のアリストテレスの思想が、アメリカの土着の思想、つまりリバータリアンの思想となって対立しているようなものです。

いつか、この「和気」の思想を中国人に紹介して、どんな感想をもつのか見てみたいと思っています。

ジョー(下條)拝

よっちん 投稿日:2010/07/05 13:53

【23】[28]上海世界博覧会

よっちんと申します。

「中国赤い資本主義は平和な帝国を目指す」、「あと5年で世界を中国が制覇する」などの副島先生の著書があり、世界から注目されている万国博覧会が、中国(上海)で開催されているので、どのような感じになっているのか、まずは行ってみました。

上海には、国際空港が2つあり、成田空港からでしたので浦東(プートン)国際空港に到着。{羽田のチャーター便は虹橋(ホンチャオ)国際空港}
やはり日本より暑く、梅雨に入っているのか蒸している、当然車は右側通行で、車と歩行者では車の方が優先との事。
車の信号は赤でも、常時右折が可能なので、歩行者用の信号が青で、横断歩道を渡っていても、車が左から容赦無く向かってくるので、注意が必要。
自転車(電動も以外と走っている)やバイク(これも電動あり)は、信号無視や逆走が当たり前の交通事情なのには、思わず目が?になるが、見慣れてくると、何とも感じなくなるから不思議なものだ。
13億とも15億人いるとも言われる、中華人民共和国側からしてみれば、多少車で轢かれて人口が減っても、全くと言っていいほど関係ないのかも知れない?。

万博会場の入場口は数箇所あるのですが、わたくしが選んだ場所は、直接会場に乗り入れ可能な、地下鉄13号線である。
地下鉄9号線、馬当路(ばとうろ)駅にて、地下鉄13号線へ乗り換えなのですが、一旦地上に出てから、万博の専用(間に合わせで造ったような広場)の入場口(X線と金属探知機によるチェック)を通過後に、万博の入場券(ここで実質入場)を改札に投入してチェックインとなる。

時間は夕方の5時、現地では夜間のチケットが販売されていて、ちょうど夜間の入場が5時で、それの入場組がゲートで並んで入場していたのであるが、わたくしが手にしていたチケットは、事前に日本にて購入していた1日券だったので、「係員に、この先この先?」と、指で指示され、全く並んでいない(この時間で1日券は事前購入者位だろう)所より入場する。
世博大道駅の改札は、万博の会場内にあるからからかフリーパスで、地上に出た所の交差点から遠くに、中国国家館が見える。

名古屋の愛知万博より、やはり、パビリオンは大きいし、規模からすると、2倍から3倍はありそうな感覚だ。
中国としては、40年前に、日本の大阪で開催された万博の記録を塗り替え(参加国や入場者数など)て、1位(一番)の称号を手に入れることが、至上命令(世界覇権国を目指す中国としては)になっているのでは、と感じられた。

さて、中国国家館は遠いので、ヨーロッパ方面のパビリオンに向かう。
天然の材料で造られた様に見える外装の建物(スペイン館)、とにかく大きい。
それと同時に並んでいる人の多さ!
それを見ただけでも、日本から、ここ、上海まできた価値があると感じた。

ところ所で、オシッコの臭い(子供などは我慢出来ずに、その辺にさせるのか、大人も漏らしているのか?)がするし、ゴミは散乱しているわ、日本人もマナーが悪くなったものだ、と思いきや、話す言葉を聞いていると日本語ではない(当たり前なのであるが)。
ザッと眺めた感覚からすると、九十数パーセント(99%位か)が中国の人で、たまに韓国や欧米系の人がいるな、という状況である。
日本人はどうかと言えば、日本語も耳にしたので、「あっ、日本人もいるな」という程度だ。

人気のスイス館も、外から眺めるだけで、そのお隣のフランス館も、スペイン館と同様に長蛇の列!列!列。
全く、並ぶ気にさえなりません。
ところが、反対側のドイツ館には人が並んでいません!
今日は休みなのだろうか?、もしかして、本日の営業は終了いたしました?という事か、解らずに歩いていると、何を話しているのか理解できない、中国語の場内アナウンスが放送されたと同時に、駆け足で走り始めるではありませんか、その集団の流れに乗って向かった先は、何と、ドイツ館の入場口に列を成して並び始めている姿が!
ここからは、先を競うようにダッシュ(遠慮していたら負け)です。
有名になった中国の割り込みも、目の前で目撃出来て感激、警備員(警官)が必死で静止する光景は、日本では見ることが出来ない、と勝手に楽しんでいる自分がそこにいた。
50m走(駆け足)を数十本こなした様なものであるというのが、適切な表現ではないかも知れないが、4~50本位としてみても、距離にしてみれば、2km以上は、歩いたり走ったりした計算になる。
割り込みも、以外と強引ではなく、間隔が開いたら入られる、というような割り込みの仕方であったので、筆者もそういう場面が幾つかあったので、割り込みの体験をしてみたが、悪い事をしているという意識にはならない(周りも、悪い事をしているという意識が芽生えないのだろう)不思議な感覚であった。
偶々(たまたま)運良く、1時間以内にクリア(入場)出来たが、そうで無かったらと思うとゾッとする。
あの状況で数時間並ばされ続けたら、大人でもトイレ(思わず、大人用の紙おむつを着用して、並ぶ覚悟も必要かもと)の不安が頭を過ぎるほどの混雑(混乱もあり)ぶりだ。

ドイツ館かあ、と思いながら、パビリオンに入る。
青色の光のトンネルがお出迎え、エスカレーターで上に上がって行く。
物つくりのドイツ、というイメージを彷彿させるような、仕掛けや展示方法,さらには創造力や発想力など、思った以上に、自分の中のドイツに対する印象が格段に良くなってゆくし、演出方法も、好感の持てるものであった。
メインは、一番最後の所にあり、上から吊り下げられていて、そこにいる人の声に反応して光方が変化し、動く球体のアトラクションなのですが、わたくしの心温まったものは、そのアトラクションの前にある、ドイツ的カラオケ?。
音符と文字(ドイツ語?英語?)が映っているモニターを見ながら、マイクに向かって歌ってみたが、数行で挫折。
それを見ていた、クルー(crew)のお姉さんが「リクエスト」と一言。
ん、リクエスト?、まあ歌ってみようか、と思いつつ、下手糞(へたくそ)なカラオケ?を披露したのが、良い思い出となった。

この場所に居られた女性の係員の人に感謝したい。どんな感じの所なのか、「ドイツに行って見たい!」、という気持ちになったのですから。
あ、「ありがとう」のひと言を言い忘れてきてしまった。

(レコードチャイナより転載貼り付け開始)

ドイツ館が見せつけた中国との「格の違い」創造力で大きくリード―中国紙

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=43192&type=6&p=1&s=no#t

2010年6月23日、中国紙・中国青年報は、上海万博のドイツ館と中国館を比較し、「創造力の違いは歴然だ」と論じた。中国は国内総生産(GDP)や輸出額でドイツを追い抜いたが、「格の違い」をまざまざと見せつけられたというものだ。

記事は、ドイツ館の創造力の素晴らしさについて、どこかのパビリオンのように巨大スクリーンや文化財などで安易に来場者の気を引こうとしていない、パビリオン全体がロマンチックで神秘的な空間になっていると絶賛。「世界の工場」に過ぎない中国とは100年の差があると言っても過言ではないと指摘した。「製造」は設備や設計図をそろえて作業員を配置すればできることだが、「創造」には長い間の積み重ねが必要。スローガンを叫んだり政策で優遇したりするだけではかなわない。

創造力豊かな中国人を育てたければ、現在の詰め込み式の教育方法を変え、創造力のある人材を尊重する雰囲気作りをする必要がある。ドイツには教授から熟練工まで、その道のプロを尊敬する風潮があるが、中国は権力にひれ伏し、金もうけに貪欲な社会。金と権力への執着は知識や労働に対する共感や尊重をはるかに上回り、パクリや偽造の流行でさらに創造力を奪っていく。

記事は、上海万博で見せつけられた格の違いを中国人は認識すべきだとした上で、中国とドイツの間には「製造」と「創造」という大きな隔たりが横たわっていると指摘した。(翻訳・編集/NN)

(転載貼り付け終わり)

外に出ると、周りは夕闇に包まれ始め、パビリオン群のライトアップなどで、昼間とは違った雰囲気になりつつあった。

おや、フランス館の人の流れに動きがある。
入れるかもと思い、並んでみたら、20分程度で入れた、超嬉しい。(愛知万博の時は、30分位待った)
フランス館は、シトロエン(PSAプジョー)のフラグシップモデル(Flagship Model)であろう、ガンメタリック色の高級車がお出迎えです。
エレベーターで上まで行き、そこから、昔のパリの映像などを見て回りながら下ってくる、というような流れのパビリオンである。
ガラス越しに、フランス料理を作っているのが見れる場所があるのだが、まるで、厨房までアート(art)。要するに美術作品にまでレヴェルを高めて、演出が出来るセンスの良さは流石だ。
目玉は、ロダンの「青銅時代」銅像や、セザンヌの「女とコーヒーポット」、ボナールの「化粧室」、ゴッホの「アルルのダンスホール」、ミレーの「晩鐘」、マネの「バルコニー」、ゴーギャンの「ミール(バナナ)」など、オルセー美術館から提供(貸し出し)されている、美術作品のようだ。
中庭は、フランス式の庭園になっており、ゆとりのある設計になっていた。
そして、外観は、最先端技術である、繊維コンクリートが使われて、圧迫感が感じられない、開放感溢れるパビリオンだった。

(上海万博公式ホームページより転載開始)

http://jp.expo2010.cn/a/20100321/000004.htm
外観:

「感性の都市」のデザインはシンプルで、地面から離れたような感じがあり、フランス風の庭園・水の美しさが際立っている。デザイナーはバランスあるデザイン理念で、フランス的なイメージと魅力を表した。科学技術によって、省エネ・持続可能などの分野において上海万博のテーマ「より良い都市、より良い生活」を示した。  

ハイライト:

1.すべての建築が水面に浮かび、外側は繊維コンクリートからなるネットで支えられている。

2.キャラクター 可愛い小猫のLéonはもう7歳になった。いつも元気いっぱいで、時には笑わせるようなこともする。来館者は、Léonとリアタイムの交流ができる。

3.名画 フランスの画家・ミレーの『晩鐘』、マネーの『バルコニー』、ヴァン・ゴッホの『アルルのダンス・ホール』、セザンヌの『Woman with Coffee Pot』とオーギュスト・ロダンの『青銅時代』などパリ・オルセー美術館の7点のフランス国家収蔵品が展示される。

4.香水  L’eau de Par fum Pavillon France・「フランス館」という名の香水。フランスの味をなじませる精粋、意義の深いスペシャルな香りが、フランス館と名付けられたのは、そのイメージが上海万博フランス館だからだ。香水のパッケージには、フランス館の独特な網状構造が見え、ロマンチックなフランスの感じを作り上げている。香水の主な香りは、上海市の市花である白玉蘭の香りである。「フランス館」香水は、女性用のPavillon Franceと男性用のPavillon France (for Men)に分けられ、新鮮、上品でセクシーな香りが特徴だ。

5.レストラン・「第六感」  地中海の特徴を基にして、フランスの高級シェフのJacques & Laurent Pourcel氏が料理を作り、ゲストにフランスらしいグルメを提供する。Jacques & Laurent Pourcel氏の創作の霊感は、フランス南部のもので、大陸と海洋のグルメをカバーし、コントラストの組み合わせがそのハイライトだ。

6.フランスのロマンチックな結婚披露宴 ロマンチックなフランス館内の特別なフランス庭園で、トゥール市長が介添えとなり、一生の縁を結ぶ披露宴を開催する。

7.パリについての映画 パリについての映画は立体的で真実なパリを展示する。

(転載貼り付けおわり)

喉が渇く。
給水所があり、水が飲める様になっているが、ペットボトルを売っていたので、価格を確認。
水が3元、ジュースが15元(レートは、1元は約13円でしたが、両替時には、手数料がかかるので約15円)。
迷った末、水を購入したのだが、温(ぬる)くて不味(まず)い。
冷えている、と期待していたのであるが失敗(このよな所でも、日本と違うな、というのを実感)。
給水所の水を、ペットボトルに入れて売っているのでは?、というような代物だった。

2つもパビリオンが見れると、欲が出てくる。
夜の8時も過ぎると、人込み(本当に人ゴミに見えた)で溢れかえっていた、スペイン館もすぐに入れそうだ(10分程で入場)。
壁伝いに海の映像の演出。
展示物を横目で見ながら、足早に駆け抜けると、そこには、バカでかい、赤ん坊の動くオブジェ(objet)があり、それを写真に収めて退場です。
このパビリオンは、藤で編んだかごをイメージした巨大な建造物(面と線の使い方が非常に匠で上手い)には、圧巻の一言。
上海万博の公式ホームページによると、色がそれぞれ違う8524枚の藤の板は、鋼管とガラスからなる最先端の技術で作られた構造で覆われており、陽光が、藤の隙間を通って、展示館の内部を照らし、観光客に、夢のような幻像をもたらすようなのですが、生憎(あいにく)夜の為、確認出来ませんでした。

(上海万博公式ホームページより転載開始)

http://jp.expo2010.cn/a/20100327/000010.htm
 テーマ:世代を超えて生活する都市

 デザインチーム:Benedetta Tagliabue

 ハイライト:大きな藤の籠

(転載貼り付けおわり)

さて、次はベルギー・EU館。
ゴディバ(Godiva Chocolatier)のチョコレートが配布される、と放映されていた所なので思わず入館。
太陽電池でゆらゆら動く、お花の飾り物が目に付く、風力発電のミニチュアなどの模型など、グリーンエネルギー(緑のビジネス)を意識していますよ、というアクションを見せつつ、さり気なくベルギーの宝飾品やチョコレート産業の、歴史や技術も披露して展示されているような、パビリオンであった。
最後に、海宝(ハイパオ)君を模(かたど)ったチョコレートを、写真に撮って退場。

(上海万博公式ホームページより転載開始)

http://jp.expo2010.cn/a/20100326/000019.htm

ベルギー館のテーマ:運動と連動
 デザインチーム:JV Realys(AOSグループ)

 EU館のテーマ:インテリジェントヨーロッパ

 ハイライト:脳細胞

(転載貼り付けおわり)

時間は9時近く。
せっかくここまで来たのだから、思い切って、メインパビリオンの中国国家館を目指す。
15分位歩いただろうか、人が入っているということは、まだ開館(中国省区市共同館)している(中国国家館の方は、予約が必要らしい)。

各省毎に、展示スペースが設けられており、豊かな省~貧しい省、都会の省~田舎の省、というように、様々な民族が混在している様子が映し出されていて、中国という国は、このような民族の集合体なのである。というのが、筆者が受けた感想であった。

(上海万博公式ホームページより転載開始)

http://jp.expo2010.cn/a/20100504/000032.htm

中国省区市共同館は平らな台の形態により中国国家館を囲んで造られており、真ん中から昇り、一層ずつ積み上げる中国国家館と一体になっています。中国省区市共同館には31の省・自治区・直轄市が展示されています。上海万博のテーマである「より良い都市、より良い生活」に基づき、各省区市はさまざまな視点からテーマを表現し、各自治体の特色を生かした文化や都市の姿や将来の良い都市生活への憧憬を展示しています。

(転載貼り付けおわり)

時間は9時45分。ガイドブックによると、地下鉄の営業時間が10時半頃までとの事なので、駆け足で駆け巡った、というのが本当に正直なところである。
帰りはメインゲートより退場し、地下鉄7号線に乗って宿泊先のホテルに向かうのであった。
時間にして、約4時間半。こうして上海万博の旅は終わりを告げた。

「雑感」

今、上海では、森ビル(上海環球金融中心、492m)の近くで632mの高さの建物を、2014年の完成を目指して建設中である。
中国は、上海を2020年を目標に、金融の中心にする計画をしていて、やる気満々の元気あるエリアのようだ。

日本の本土からは、距離にすると、沖縄や台湾と同じく位の位置関係という近さから、このまま上海が発展し続ければ、何れ、日本も台湾のように、中国の一部のようにすらなってしまう可能性もあるのでは、と錯覚すら覚えた、上海万博探訪旅行であった。

よっちん拝

堀江 秀雄 投稿日:2010/07/05 12:48

【22】[27]問い合わせ

会員番号2882の堀江です。
重掲の記事が6月25日以降まったく更新されていませんが、どういうことでしょうか?多忙のためか投稿なしのためかシステムエラーのためか解りませんが、他のブログと比較しても、怠慢の観が否めません。
有料ブログの自覚を持って、もっとしっかりやって下さい。

近江太郎(おうみ たろう) 投稿日:2010/06/25 00:57

【21】[26]国民の政治

滋賀県在住の60歳の会員です。副島先生の本は20数冊読んでおります。

印象に深く残っている2冊は「属国・日本論」と「人類の月面着陸はなかったろう論」です。この2冊を読んでからなんでもかなり疑い深く考えるようになった気がします。

過日30年ぶりに宇治の平等院を訪れた時のことです。平等院を見ての帰り道、宇治川の中之島にかかる橋を渡り、対岸の堤を川沿いに散策していて見つけた喫茶店に入りました。
隣のテーブルには90歳近くの高齢の女性と付き添いの女性が、宇治川の豊かな水の流れを見ながらお茶を飲んでいました。
私と会釈を交わしたのがきっかけで、その方たちと会話がはずみ、平等院の話をしている時、平等院の近くに花やしきという大きな料亭があり、そこが山宣(やません=山本宣治 1889~1929)の生家なのですよ と教えてくれました。

ところが、不勉強の私は山宣の名前も初めて聞く名前であり、どういう人なのかも全く知りません。(山本宣治は京都府選出の国会議員であり、1929年治安維持法の反対演説を唯一人国会で行い、その後テロリストにより刺殺された政治家であるということをその後知る事となりました。)

その二人の方はそれはそれは丁寧に山宣のことを教えて下さり、まるで身内の敬愛する人を紹介するようにお話しになったのが、大変印象に残りました。
お二人は親子であることも話しているうちに分かりましたが、娘さんのほうは生前の山宣を知っている年齢ではないので、お母様から伝え聞いた山宣の話からの影響により、郷土の立派な政治家として敬う気持ちを持たれているのだなと思い、また、本物の政治家とはこのように世代を超えて愛されていくものだなと感銘を受けました。

貧しい小作農を守るために生物学者になる道を諦め政治家に転じ、特高警察の弾圧にも負けず、治安維持法反対の最前列に立った民衆政治家山本宣冶は1929年にテロに斃れました。

さて、2010年の日本です。参議院選挙が始まりました。
私たち国民は国民を守るために行動する本物の政治家と自分の利益のためなら、魂さえ悪魔に売ってしまう政治屋を厳しく見分けなければなりません。
そして、自分の周りにいる人で、政治に余り関心のない人に対して、優しく根気強く日本の政治状況を話合っていくという行動を実践したいと思います。

50年後100年後にも国民から愛されるような本物の国民政治家をあまたの国会議員の中から、厳しい目利きの目をもって選別しなければなりません。

さらに今、そのような立派な国民政治家の命を真面目な国民である私たちが守らなければならない時が来ているのかもしれません。