日本政界●情報メモ

投稿日:2010/06/16 06:32

【51】「日本にとって不幸中の幸い:極東戦争勃発ねつ造作戦失敗」

「新ベンチャー革命」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年6月15日 No.142
「日本にとって不幸中の幸い:極東戦争勃発ねつ造作戦失敗」

1.天安事件の意味するもの

 本ブログでは、米オバマ政権の動き、米戦争屋の動き、日本政治の動き、極東各国の動きなどをウォッチしています。その中で、筆者がどうしても引っ掛かるのが、3月26日に発生した天安事件(注1)です。

 中国、ロシアが疑っている通り、この事件の犯人は北朝鮮ではないと筆者も思います。この事件は、オバマ政権に追い詰められた米戦争屋が仕掛けて、大失敗した結果であると筆者は個人的に読んでいます。

 オバマは戦争屋の要求に屈して、アフガンへの米兵力増派を実施しているものの、アフガン戦争は起きていません。アフガン戦争を準備してきた戦争屋のあせりが手に取るようによくわかります。天安事件はその延長線上で勃発しています。

2.天安事件にみる米国戦争屋シナリオの顛末

 米戦争屋が、彼らの最優先市場(戦争ビジネスの市場)をまず中東(アフガン含む)に置き、次に、極東に置いていることは明らかです。中東で戦争できなければ、やむを得ず、極東で戦争を起こそうとします。戦争勃発が彼らの本業ビジネスだからです。

極東米軍は、北朝鮮の動きをスパイ衛星で逐一、監視しています。北の潜水艦の動きも当然、監視の対象です。北の領海近傍で米韓が合同演習すれば、北の潜水艦も動くことは、事前にわかっていたはずです。

 そこで、密命を帯びた米軍の艦艇もしくは潜水艇が、北の仕業と見せかけて、韓国艦艇を撃沈させた(原潜の意図的体当たりの可能性もあり)のですが、おのれも手負いとなって作戦自体は大失敗した(注1)。そのため、韓国の大手テレビ局KBSに危うく、この戦争屋による極東戦争勃発ねつ造作戦(第二トンキン湾作戦)がばれそうになった。そこで、戦争屋は韓国大統領を恐喝して、北犯人説でごまかそうとした。しかしながら韓国民にはうすうす見破られています。

以上が、筆者のみる戦争屋シナリオの顛末です。

3.戦争屋のシナリオが成功していたら

 それでは、もし、戦争屋の仕掛けたと思われる、この極東戦争勃発ねつ造作戦が成功していたら、今頃、極東はどうなっていたでしょうか。

想定されるシナリオとは、

 まず、3月26日、韓国哨戒艦艇・天安が真っ二つにされて沈没、極東米軍が即座にスパイ衛星の画像を公開、北の潜水艦艇が天安を攻撃したと発表、戦争屋直営メディアCNNがはでにこのニュースを世界中に流す。極東米軍が北朝鮮への報復空爆を開始、ただし、故意に、ポイントをはずして空爆し、大事な敵役キム・ジョンイルは絶対に殺さない。そして今度は、空爆を受けた北朝鮮が韓国や日本に向けて、ミサイル発射、こうして、極東戦争が起きていた可能性があります。ここで、中国・ロシアが出てきて、戦火の拡大防止のため、米朝両国に停戦を要請する。その結果、戦争の拡大は起きないものの、韓国、日本の一部にミサイル攻撃の被害がでて、日韓で多数の市民が殺傷される。

 世界中で戦争勃発の仕込みをしている米戦争屋は、その気になれば、世界中どこでも、このように、容易に戦争を引き起こせるのです。

4.極東各国の目まぐるしい動き

天安事件後、イ・ミョンバク韓国大統領訪中(上海万博に便乗して訪中)、キム・ジョンイル北総書記の訪中、ヒラリー・クリントン米国務長官(オバマ政権の代表)の訪中・訪日・訪韓、韓国済州島における日中韓首脳会談、中国首脳(温家宝)の緊急訪日、その翌日6月2日鳩山辞任発表、ロシアの天安事件調査団の訪韓など、目まぐるしい動きが極東で起きています。

 以上の動きから推測されることは、(1)米オバマ政権(アンチ戦争屋)、(2)中国、(3)ロシア、(4)韓国、(5)日本の5者にて水面下での戦争屋の極東暴発対策が練られ、(6)戦争屋の敵役・北朝鮮との調整は(2)の中国が行っているわけです。上記6者の共通目標はただひとつ、戦争屋の極東暴発をいかに抑え込むか、にあります。

ちなみに米国の場合、オバマ政権と対峙するかたちで、戦争屋がモンスターのようにオバマの眼前にたちはだかっているという構造です。

 天安事件という、戦争屋の陳腐でミエミエの常套手段“極東戦争勃発ねつ造作戦”の大失敗によって、今、極東で戦争屋が孤立したかたちになっています。天安事件に関して、戦争ビジネスを生業(なりわい)とする、あの凶暴な戦争屋が借りてきた猫(猫ではなくライオンか?)のようにおとなしいのは、そのせいとしか考えられません。

5.戦争屋にとってケガの功名

 米国の国家安全保障戦略の最高責任者・デニス・ブレア国家情報長官が、戦争屋一派(おそらく戦争屋配下のネオコン過激派)の暴発の責任ととって5月末で辞任していますが、この作戦失敗に、戦争屋にとってケガの功名がありました。それは、在日米軍の撤退を目論んでいた、日本の小沢・鳩山アンチ戦争屋政権を崩壊に追い込むことに成功したからです。天安事件の真相を秘密裏に知り、極東戦争危機に震え上がった鳩山首相(注2)が、一転、戦争屋にひれ伏して、従属忠誠を誓ったのです。こうなったら、普天間問題もへちまもありません。極東で戦争するのだけは止めてください、その代わり、戦争屋サマの言うことは何でも聞きますと。

 こうして、鳩山民主党政権は一夜にして、戦争屋従属政権に豹変してしまったのです。それを引き継いだのが菅政権です。戦争屋ロボットの大手マスコミは、やんやの大喝采、お手盛り世論調査のねつ造大サービスを頻発しています。いい加減にしろと言いたい!

いずれにしても、不幸中の幸いで、当面、極東戦争が回避されたのです。単に、結果オーライにすぎませんが。

中長期的には、小沢民主党は、大手マスコミのねつ造世論調査を逆手に取って7月参院選で大勝利して、政権安定化を図り、体制を立て直して、日本の独立目指して再挑戦です。

注1:本ブログNo.135『韓国哨戒艦艇「天安」事件:第二のトンキン湾作戦の失敗だった?』2010年6月1日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/14656817.html

注2:本ブログNo133『極東戦争危機に震え上がる鳩山首相』2010年5月29日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/14536231.html

ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm

テックベンチャー投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/16 06:29

【50】「名護や宜野座の「地元住民」は、負けない!!仲井真弘多県知事が、菅直人首相に会った」

「渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ 日記」」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月16日
「名護や宜野座の「地元住民」は、負けない!!仲井真弘多県知事が、菅直人首相に会った」→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163565-storytopic-53.html 

15日、その日の琉球新報のWEBサイトに、次のような記事を発見した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163596-storytopic-5.html
以下に全文を引用紹介する。
                        *

日米合意撤回求め意見書 宜野座村議会2010年6月15日
 【宜野座】宜野座村議会(小渡久和議長)は15日に開会した村議会6月定例会で、米軍普天間飛行場の県内移設を盛り込んだ日米合意の撤回を求める意見書案を全会一致で可決した。
 意見書では、同飛行場の辺野古崎移設を盛り込んだ日米合意について「県民の総意を踏みにじる合意は断じて容認できるものではない」と批判。基地を抱える村内の状況を挙げて「代替施設が辺野古に建設されれば基地被害はさらに増大し、これまで以上に生命の危機と騒音の被害にさらされることは明らか」として、日米合意の撤回を求めている。
 あて先は首相や外務大臣、防衛大臣、駐日米国大使など。 【琉球新報電子版】

                    *

県外の皆さんのために念のため申せば、宜野座村は名護市東海岸のすぐ南に隣接する村であり、辺野古新基地建設が強行された場合、やはり大きな被害を受ける「地元」である。その意思表示の意味は、重く大きい。

新基地計画の直接の地元地域とされる、いわゆる久辺3区(辺野古、豊原、久志)のうち、久志区の行政委員会が《移設に反対する稲嶺進名護市長の考え方を支持する決議を全会一致で可決した》のは、つい最近のことだが→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163481-storytopic-53.html、政府による露骨な「地域分断工作」にもかかわらず、「辺野古新基地建設の日米合意」を絶対に認めない、という声は、つまり、名護市周辺でますます高まりを見せているわけである。

新基地計画を断固阻止しようと、長年地道に住民運動を続けている人たちが存在する一方で、「どうせ基地ができるのなら、被害をガマンする代わりにカネを貰いたい」という人がこの地域にいるのは残念ながら事実である。わたしはその人たちに対しては、「哀しさ」を覚える。

しかしそれより何より、旧自民党政権が長い間行ってきた「アメとムチ」政策を、菅直人・民主党新政権がそのまま引き継いで、地域をズタズタにしようとしていることに対して、激しい怒りを禁じえない。

日米合意を踏襲するという答弁に終始した、昨日の菅首相の国会答弁は、悲惨極まりないものだった。

東京は涙雨。真夜中のボヤキでありました。おやすみなさい。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/15 07:09

【49】「日本振興銀行をめぐる黒い霧」

植草一秀の『知られざる真実』

(転載貼り付け開始)

2010年6月14日 (月)
「日本振興銀行をめぐる黒い霧」

日本振興銀行が検査忌避をはじめとする法令違反により金融庁から刑事告発され、犯罪捜査が始まった。刑事捜査の最大の焦点は日本振興銀行を実質支配してきた木村剛氏の関与である。「木村銀行」と呼ばれてきた日本振興銀行であるから、経営上の重大な方針決定に木村氏が深く関わったと推察するのが順当であろう。

今回俎上に載せられているのは検査忌避や出資法違反などの七つの法令違反であるが、そもそもこの銀行の設立自体が黒い霧に包まれていた。

2002年10月、小泉政権は内閣改造を実施した。小泉政権発足後、日本経済は景気崩壊-株価暴落-金融不安拡大の一途をたどった。経済財政政策担当相として民間人から起用されたのが竹中平蔵氏だった。風評では内閣改造で竹中氏が更迭されると予想されていたが、実際には竹中氏が経財相に加えて金融相を兼務することになった。

この人事は米国の指令によるものだと見られている。この後に日本株価が暴落し、りそな銀行が自己資本不足と認定され、2兆円もの公的資金投入で救済されたのが、いわゆる「りそな疑惑」である。「疑惑」と称する理由は多岐にわたるが、

①自己資本算定における繰延税金資産の取り扱い問題が急浮上したこと、

②りそな銀行だけが繰延税金資産5年計上を認められなかったこと、

③この問題を強く誘導した木村剛氏は2003年5月14日段階で、なおゼロないし1年を強硬に主張したが、結果が3年計上になったこと、

④その木村剛氏がゼロないし1年以外の決定を示す監査法人は破たんさせるべきとの強硬論を訴えていたのに、3年計上が決定されたのち、木村氏が一切の批判を示さなかったこと、

⑤竹中平蔵金融相が2003年2月7日の閣議後懇談会で株価連動投信ETFについて、「絶対もうかる」と発言したこと、

⑥朝日監査法人で自己資本不足認定によるりそな銀行監査委嘱辞退決定に強く反対したと見られるりそな銀行担当会計士平田聡氏が2003年4月24日に、自宅マンションから転落死したこと、

⑦政府がりそな銀行を救済したのち、りそな銀行幹部が一掃され、新たに政府近親者がりそな銀行幹部に送り込まれ、自民党に対する融資を激増させたこと、

⑧2006年12月18日の朝日新聞朝刊にりそなの対自民党融資激増のニュースをスクープで報じたと言われる朝日新聞記者鈴木啓一氏が東京湾で水死体になって発見されたと言われていること、

⑨りそな銀行が標的にされた理由が、りそな銀行最高幹部が小泉竹中経済政策を厳しく批判していたことにあるとの疑惑が存在すること、

⑩りそな銀行処理の基本スキームが米国から竹中氏に伝授された疑いが濃いこと、

など、疑惑の総合商社状態になっている。

2002年10月に発足した小泉改造内閣の下で、竹中平蔵金融相は直ちに金融再生プロジェクトチーム(PT)を編成し、10月末に「金融再生プログラム」をまとめた。

このプロジェクトのなかで、木村剛氏は銀行の自己資本算定時の繰延税金資産計上を米国並みのゼロないし1年に圧縮するとの提案を示した。PTはその制度変更を2003年3月期決算から適用する考えまで示唆した。

猛反発したのが銀行界である。ゲームの最中にルールが変更されたのではゲームを行えないというのが銀行界の主張であった。正当な主張である。

米国の場合には貸し倒れのリスクに備えて引当金を積み立てることが無税で認められていた。その代わり、繰延税金資産の計上が制限されていたのだ。日本の場合、貸倒引当金の無税償却は認められておらず、その見合いで繰延税金資産計上が相対的に多く認められていたのだ。木村氏はこのような基本事項さえ理解していなかったものと考えられる。

銀行界で最も強烈な反発を示したのが三井住友銀行の西川善文頭取だった。しかし、西川氏の姿勢は2002年12月を境に急変した。西川氏は同年12月11日に竹中氏、ゴールドマン・サックス証券のCEOポールソン、同COOセイン氏と密会し、ゴールドマンからの資金調達と竹中氏からの2003年3月決算クリアの保証を確保したのだと見られる。

金融庁は2002年10月30日に「金融再生プログラム」を発表した。

このなかに、ひとつの条文が潜り込まされていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.新しい金融システムの枠組み

(2)中小企業貸出に対する十分な配慮

 主要行の不良債権処理によって、日本企業の大宗を占める中小企業の金融環境が著しく悪化することのないよう、以下のセーフティネットを講じる。

(ア)中小企業貸出に関する担い手の拡充

 中小企業の資金ニーズに応えられるだけの経営能力と行動力を具備した新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化や中小企業貸出信託会社(Jローン)の設置推進などを積極的に検討する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 注目される部分は、

「新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化・・などを積極的に検討する」という表現だ。

 木村氏は中小企業金融銀行設立の意向を有していたと見られる。金融再生PTのメンバーになった地位を利用して、金融再生プログラムのなかにこの文言を潜り込ませたのだと思われる。

また、木村剛氏はりそな銀行を自己資本不足に追い込むために、りそな銀行の監査法人である朝日監査法人への働きかけを行ったと見られる。そのひとつの表れが、2003年3月17日の木村剛氏と朝日監査法人亀岡義一副理事長とによる会食である。

会食の直接的な理由は、亀岡氏が木村氏に株式会社オレガの代表取締役落合伸治氏を紹介するためだったという(「月刊現代」2009年1月号佐々木実氏論文)。

木村氏は将来利益の計上が困難視される状況の下では、繰延税金資産の計上を認めるべきでないことを、りそな銀行を念頭に置いて説得したと考えられる。

上記論文執筆者の佐々木実氏は、4月16日に朝日監査法人が速報ベースのりそな銀行決算見通しを受け取って以降に朝日監査法人最高幹部が示した見解が、木村氏の主張と瓜二つであることを指摘している。

朝日監査法人は2002年3月にKPMGと提携契約を締結している。木村氏はKPMG関連の日本法人の代表を務めていたのであり、木村氏は竹中平蔵氏との強い関係とKPMG関連法人代表の立場を利用して、朝日監査法人にりそな銀行を自己資本不足に追い込むことを強く要請したのだと考えられる。

日本振興銀行問題に戻すと、同銀行の設立までの経緯は以下の通りである。

2003年 4月    落合伸治が準備企画会社「中小新興企業融資企画株式会社」を設立し社長に就任

2003年 8月20日 銀行免許の予備申請

2003年10月31日 予備申請認可

2004年 3月15日 本免許申請

2004年 4月13日 金融庁より銀行免許交付

2004年 4月21日 開業

2005年 1月 1日 取締役の辞任が相次ぐ中、創業メンバーで、取締   役会議長(社外取締役)の木村剛が自ら社長に就任

 最大の特徴は、金融庁が異例のスピードで新銀行設立の審査、認可を行ったことである。上記の通り、2003年8月に銀行免許の予備申請を行って、翌年4月には銀行を開業している。

 創業者である落合伸治氏は木村氏を含む役員に銀行役員を解任され、木村氏が社長に就任したのだが、結果からみると木村氏は落合氏などに銀行を設立させて、設立させた銀行そのものを乗っ取ってしまった形になる。

 金融再生プログラムに私的な営利活動のための条文を忍び込ませ、銀行設立を申請し、金融庁が異例の迅速さで審査および認可するとの行動は、行政の私物化以外の何者でもない。法令違反の有無を詳細に検証する必要がある。

 政権交代が実現し、金融担当相に亀井静香氏が就任して、初めて日本振興銀行の黒い霧にメスが入れられることになった。さらにりそな銀行疑惑に対しても真相究明の力が波及することになるだろう。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」

 真相の徹底解明が求められる。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/15 07:06

【48】「予想できなかった鳩山の裏切り」

「エレクトリック ジャーナル」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月15日
「予想できなかった鳩山の裏切り」(EJ第2834号)
 
 すべては小沢氏のシナリオ通りに動いたのです。ただ、ひとつ
の計算外のことを除いてです。
 小沢氏のシナリオでは、6月4日に鳩山首相と小沢幹事長が辞
任して、その日のうちに新首相で組閣し、翌日5日に認証式を終
える──すなわち、挙党態勢で電撃的に新体制に移行するという
シナリオです。しかし、5日は土曜日であり、天皇陛下の健康状
態も含めて、スケジュール的に可能であるかまで調べているので
す。5月28日のことです。
 ここで大切なのは挙党態勢ということです。代表選をやると政
治空白ができ、猟官運動がはじまって、誰が代表になるにしても
グループ間に亀裂が起きる──選挙前にそういうことを起こした
くないと小沢氏が考ええたのです。
 5月31日に、鳩山首相は小沢幹事長と輿石参院幹事長に面会
を求められたのです。このとき、小沢氏はシナリオを首相に打ち
明け、首相にこう話しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 鳩山さん、新体制になれば、起死回生になる。僕も退くから、
 鳩山さんも退いてくれないか。──『週刊文春』6/17より
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、いきなり退陣要求を突き付けられた鳩山首相は、煮え
切らない態度を取り続けたのです。しかし、輿石幹事長から「参
院議員の命を預かる代表ではないか!」と一喝されると鳩山首相
は、「しばらく考えさせて欲しい。その方向で考えますから」と
いったので、小沢氏と輿石氏は引き揚げたのです。もちろん、小
沢氏が鳩山首相にこのことは誰にも喋るなと念を押したことはい
うまでもないことです。
 そして次の6月1日、2度目の3者会談が行われ、鳩山首相は
辞任を了承したのです。ここまではシナリオ通りだったのです。
しかし、小沢氏の想定外の事態が起こったのです。それは、前夜
の3者会談の内容をすべて菅氏に喋っていたのです。
 「あとは菅さんがやってくれるか」と鳩山氏がいったところ、
菅氏は「条件がある。非小沢でやりたい」と鳩山氏に提案したと
いうのです。ここで、小沢シナリオは一気に崩れ、代表選の流れ
ができてしまったわけです。
 小沢氏は裏切られたのです。その怒りは相当のものであったと
いわれます。その証拠に小沢氏の関係者は、鳩山氏側にわざわざ
次のように通告しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 小沢が怒っていることは2つある。約束を違えて喋ったこと、
 菅への根回しは小沢がやるつもりだった。次に小沢外しを陰で
 画策していること。     ──『週刊文春』6/17より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは何を意味するのでしょうか。
 これは完全に小沢氏に喧嘩を売っています。小沢氏としては菅
首相を中心とする反小沢グループに加えて、鳩山氏も許せないで
しょう。しかし、これは政治の世界というものなのでしょう。小
沢氏は党内の権力抗争を避けようとしたのですが、結果としては
民主党の首脳陣が小沢氏に喧嘩を売り、権力抗争になってしまう
ことは確実です。
 6月4日の代表選の朝のことです。衆議院第一議員会館の会議
室に一年生議員が続々と集まってきたのです。その数は約60人
ほどです。菅支持グループが前日からFAXやメールで一年生議
員に連絡を回したのです。菅氏を支持する総決起大会への誘いな
のです。彼らは小沢チルドレンの切り崩しを画策したのです。
 会議室に入ると、数人がマイクを手に自分の思いを喋り始めた
のです。「今までは自由な政治活動ができなかった」とか、「暗
い気持ちで過ごした」とか話し始め、それは小沢批判集会そのも
のになったのです。
 6月7日の両院議員総会のあった日のことですが、奇妙な情報
が党内を駆け巡ったのです。それは民主党本部の金庫を開けたら
空っぽだったというウワサであり、間もなくそれは根も葉もない
ガセネタとわかったそうです。
 しかし、この一件は、今回の執行部人事で、日頃小沢氏に批判
的な発言を繰り返す小宮山洋子議員が財務委員長に就任したこと
に関係があります。小沢氏のカネの使い方を調査し、公表するぞ
との牽制であるとの見方もあります。次元の低い話です。
 しかし、民主党の前途は多難なのです。せっかく小沢氏が選挙
前に党内にそういう波風を起こさないように自らの身を捨てて選
挙に勝利するよう考えたプランを踏みにじり、逆に党内を反小沢
で結束させるなど最悪の選択といえます。一体誰のお陰で万年野
党の民主党が政権がとれたと思っているのでしょうか。そこに小
沢氏に対する少しは感謝の念はないのでしょうか。
 ところで、支持率が回復した民主党ですが、果たして参院選は
勝てるのでしょうか。目標は3つあるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.単独過半数 ・・・・・・ 60議席
     2.改選数維持 ・・・・・・ 54議席
     3.改選第一党 ・・・ 自民党を上回る
―――――――――――――――――――――――――――――
 現時点の分析ではっきりしていることは、「単独過半数」は難
しいということです。社民党が連立離脱をしなければ、現在の支
持率があれば単独過半数も可能だったのですが、今となってはよ
ほどのことがない限り、困難です。
 菅政権は「改選数維持」を目標としていますが、選挙戦が最も
うまくいってこのレベルです。しかし、これもギリギリの目標で
あり、ハードルは高いといえます。
 結局達成できそうなのは、3の「改選第一党」です。自民党が
獲得できそうな議席は最大で46議席であり、これ以上は伸びな
いと考えられます。民主党は少なくともこれを上回ることは可能
であるといえます。     ──[ジャーナリズム論/38]

≪画像および関連情報≫
 ●民主党が改選議席数を下回わるとどうなるか
  ―――――――――――――――――――――――――――
  与党が改選議席数を下回り、参院で過半数割れに陥ると、衆
  参ねじれ国会となり、民主党はかつての自民党と同様に国会
  運営に行き詰まる。この場合、公明党と連携を探る必要が出
  てくるが、「民主党幹部で公明党とパイプがあるのは小沢氏
  ぐらいです。小沢氏は連立組み替えの窓口役となることで、
  復権のきっかけをつかむのではないか」(伊藤氏敦夫氏)
  ―――――――――――――――――――――――――――

鳩山・小沢体制の終焉

(転載貼り付け終了)

注―6月14日の記事の続きですので、EJ第二八三三号もお読みください(直)。

投稿日:2010/06/15 06:58

【47】「熊野を歩いた小沢一郎の心境」

「永田町異聞」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月13日(日)
「熊野を歩いた小沢一郎の心境」

渡辺乾介という政治ジャーナリストがいる。変り種である。

「小沢一郎以外の政治家のインタビューには興味がない」と言い切る。いまの世の中の風潮では、袋叩きにあいそうだ。

小沢一郎が海部政権の自民党幹事長だったころから20年にわたってインタビューを積み重ねてきた。もっとも小沢を知るジャーナリストといえる。

おそらくこういう人は、東京のテレビ局からお呼びがかからないだろう。小沢の本質を語ることが、ほとんどの場合、企画に沿わないからである。かく言う筆者もこの方の顔を見たことがない。

「小沢一郎嫌われる伝説」という本を昨年12月に出版した。その最初のページ「『小沢』の序」に、渡辺氏ならではの小沢評が書かれている。

小沢は政治に臨む発想とその行使と手法において自分にも人にも厳しく、それでいて手抜かりがあり、甘く、なお冷たく、政治思想を生み出すときは鉄壁の印象を抱かせる一方で、老婆心ながら何とかしたらいいのにと口を挟みたくなるほどに不用意で、なおかつ人がいい。端から見ていると驚き、あきれるほどに用心深いかと思うと、簡単に人を信じて、狐に化かされたのかと唖然とするほどの騙され方をする。そういうときの小沢は決まって「騙すより騙されるほうがいい」と言いつつ臍を噛むのが通り相場である。

いったい何が言いたいのかと苛立つ読者もいよう。しかし、筆者はこの長ったらしい分かりにくい文章に、強く惹かれた。一種のポエムのようにも感じた。

小沢一郎という人物の彫像に、細かな陰影をつけようと思えば、このような表現がぴったりといえるのではないか。

剛腕、独裁、口下手、壊し屋・・・マスメディアは、さまざまなレッテルを貼り付けるが、それはいわば「記号」のようなものであって、実体ではない。

どんな人にも、多面性、複雑性があり、時とともにその様相は変化していくものだが、小沢はとくにその振幅が大きいのかもしれない。

政治改革の構想力、実行力、指導力、あらゆる面から、卓越した政治家である小沢一郎という人物は、同時に不器用で、不用意で、弱さも人のよさもあって、騙されやすい。しかし、寡黙で言い訳をせず、説明不足のために誤解も受ける。

昨年来、東京地検特捜部の小沢とその周辺に対する常軌を逸した捜査に疑問を感じ、小沢一郎に関する多くの書物や資料を読みあさったが、その過程で筆者のなかに浮かび上がってきた小沢像は、渡辺乾介がジカに見続けてきたそれとほとんど一致する。

小沢が、自民党の中枢にいるころから、自民党政治を「足して2で割る日本的コンセンサス社会」と批判し、政治改革を志したことは周知の通りだ。

中選挙区制のぬるま湯につかっていた議員たちは本音では小沢の導入しようとする小選挙区制に反対だった。海部政権、宮沢政権、ともに「政治改革」を唱えながら実現できなかった。

小沢は同じ経世会の竹下登への反発もあって自民党を飛び出し、非自民連立の細川政権を誕生させて、衆院への小選挙区比例代表制導入、政党助成法、政治資金規正法改正など、いわゆる「政治改革4法」の成立にこぎつけた。

こうした新しい政治の動きが、自社なれあいの55年体制に風穴をあけ、脱官僚支配を掲げた昨年の歴史的政権交代につながっていく。

ところが、どういうわけかその立役者、小沢一郎はつねに「悪役」なのである。しかし、同時に「小沢vs反小沢」という対立軸の中心として、この国の政界のど真ん中に存在し続けている。

さて、なぜこんなことを書いているかというと、小沢氏が昨日、熊野古道を短時間だが歩いたという、ただそれだけの報道に触発されたからである。

毎日新聞の記事に小沢氏の談話が載っている。

「私個人も民主党も、もっと辛抱強く我慢して努力を重ねると、また国民の皆さんの信頼を勝ち取ることができる。身も心も洗われ、再生する」
 
「ポジションには固執していない。私を捨てて、あらゆることに取り組むことが改めて大事だと分かった」

20分間、背広に革靴姿の山道散策だったという。これを筆者は自らに言い聞かせる言葉と解釈した。

辛抱、我慢、努力。私心を捨て、やるべきことをやっていく。それによって、とらわれた心は解放され、心身の自由を取り戻し、再生する。

これはまさに、「禅」の精神そのものである。

97年、臨済宗円福寺で得度を受け、仏門帰依した稲盛和夫氏が小沢氏と親密な間柄であることはよく知られている。

異なる分野ながら互いに「辣腕」をうたわれ、激しい戦いに身をさらした者どうし、心の平穏と自由を求め続けてきただろうし、今もそうであろうことは想像に難くない。

民主党の再生のため、鳩山首相とともに身を退いたあとの空虚感を、怒りや怨嗟で埋めるのは愚かなことだ。

小沢氏はもはやそういう次元から離れ、「私を捨てる」すなわち「無心」の境地を求めつつ、これからなすべきことを自らに問いかけているのではないか。

毎日のように、政治評論家と呼ばれる人物がテレビに登場し、「小沢は民主党を割り政界再編に打って出るかもしれない」などと、いまだに小沢すなわち権力闘争の権化のような見方を語りたがる。

そのあまりに皮相な鑑識眼に、一人の視聴者としてただただ暗澹たる気持に落ち込むばかりである。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/15 06:54

【46】「テレビ・新聞から消えた「普天間」報道」

「ゲンダイ的考察日記」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010/06/14(月) 21:28:50
「テレビ・新聞から消えた「普天間」報道」

鳩山首相のクビを取ったら解決なのか
沖縄県民は「利用された」と怒っているぞ
何だかおかしくないか。あれだけ大騒ぎした沖縄の「普天間基地移設問題」報道が、鳩山前首相の辞任以降、バッタリやんでしまった。基地問題は片付かなくても、首相が辞めたから一件落着というのか。

「沖縄県民の民意を尊重しろ」「怒りを知れ」とテレビ・大新聞が声高に叫んでいたのは、つい2週間前のことだ。5月28日、日米両政府が合意に至ったといっても、移設先に「辺野古」が明記され、沖縄県民の県外移転の期待を裏切られた。沖縄の怒りは続いたままだし、だから社民党は政権を離脱した。その日米合意を菅政権は「継承」の方針だから、大マスコミに信念があるのなら、民主党政権を叩き続けないと筋が通らないのだ。

ところが、政治面から社会面まで埋め尽くしていた普天間問題の新聞記事は、首相交代できれいサッパリ消えてしまった。テレビに至っては、「鳩山さんは沖縄県民の思いをどう受け止めているのか」なんて力説していたコメンテーターが、今はヘラヘラしながらサッカーW杯の勝敗を予想しているから呆れる。
自ら「米国と官僚の手先」を証明
基地移設に反対する4月の県民大会に出席した名護市民がこう言う。
「『5月決着が最大の焦点』『基地問題を考える転換期』と大々的に取り上げられた嵐のような報道がウソのようです。だいたいマスコミは、世論調査で菅政権の支持率がハネ上がったことばかり報じているが、鳩山前政権であれだけ騒いだ『普天間問題』は設問に含まれてもいなかった。結局、マスコミは鳩山前首相を辞めさせるために県民を利用したのです」

米政府高官は早々と「日米共同声明を評価する」と言い、菅内閣は8日の閣議で、沖縄米海兵隊が「抑止力の重要な一つとして機能している」とする政府答弁書を決定し、従来の対米従属関係にカジを切り戻した。

自民党時代と同じ方向に戻ったから、「もう報じなくていいんだ」という大マスコミの姿勢は、報道機関としてあまりにデタラメだ。鳩山政権の「県外移転」に反対だったアメリカや外務・防衛官僚、地元推進派の手先に過ぎなかったことを、大マスコミは自ら白状したようなものである。

近く「さらば日米同盟」(講談社)を上梓する元大使の天木直人氏がこう言う。
「沖縄の基地問題解決には、本土で議論が高まる必要があります。でも、メディアが報じなければ難しくなる。米国も外務官僚も大笑いでしょう。菅首相が鳩山前首相を反面教師にすればするほど、対米従属型の新自由主義政権になり、日米同盟はますます固定化していくことになりますよ」

アメリカのために、沖縄県民の怒りを利用して、鳩山首相のクビをとった大マスコミは、一体どこの国の連中なのか。

(日刊ゲンダイ 2010/06/14 掲載)

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鳩山内閣が発足してから、毎週のように世論調査が実施され、内閣支持率が下降して行った。普天間問題での、首相や閣僚の苦労よりは、発言のぶれを取り上げ「迷走」だとマスコミは批判し、世論調査を連続した。その結果、鳩山首相は辞職し、外相、防衛相ら関係閣僚は再任された。結局、普天間基地問題は重い閉塞感と共に沖縄県民に残り、沖縄新報などを除き、マスコミは基地移設問題で、日本のため、沖縄のための報道をしたか。沖縄を売り、日本を売るために、邪魔者を排除するネガキャンをしたのではないか―。
普天間問題だけじゃなく、鳩山・小沢を追い払った後は、政治ニュースが激減した。

※W杯。前大会ブラジル戦でのボロ負け以来、すっかり関心が薄れてしまいました。さすがに日本戦は見ますが、やめて欲しいのが“ブルゼラ”の音。FIFAは禁止するつもりはないようですが、凄く憂鬱です。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/14 07:10

【45】「「沖縄差別」とは、つまり、こういうことなのです。」

「渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ 日記」」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月13日
「「沖縄差別」とは、つまり、こういうことなのです。」

昨夜は、神田駿河台の明治大学で、沖縄タイムス論説委員・屋良朝博さんのトークを聴いてきた。

有意義な時間だった。

沖縄だけが理不尽かつ過重な基地負担を押し付けられてきた歴史と現実、県民の意識をおもんぱかると沖縄タイムスの社説でも「差別」という言葉を使わざるを得ないと判断しているという現状認識、「海兵隊の抑止力はユクシ(ウソ)」である理由等、盛りだくさんの内容を、パワーポインターとやら(でよかったかな。昔はスライド映写だったよね、、、苦笑)を駆使し、図解と写真を交えつつ、手際よくわかりやすく説明してくれていた。

仕事部屋に戻ってから、大変遅ればせながら、会場で購入した屋良氏の著書『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』(沖縄タイムス社、09年7月刊)を読んだ。著者本人の話を聞いたあとだけに、理解は深まった。普天間問題を考える上で、これは必読の書。皆さんも、ゆたしく、です。

結論的な感想のみ述べれば、普天間基地の代替施設を沖縄に造らなければならない必然性は皆無であるし、決して造らせてはならないという思いを強くした。というより、現在ののような日米政府の「甘い考え」を、沖縄県民が許すことはもはやないだろうという認識を新たにした。

そして僭越な感想を述べれば、屋良氏は、「辺野古新基地建設を許さない」という、沖縄側の真っ当な世論をリードしていくことのできる一人に違いないと実感した。

話は前後するが、じつは、屋良氏のトークは、沖縄以外の国民の意識を嘆くところから始まっていた。沖縄で世論調査をすれば、普天間基地の「県外・国外移設」を望む声は、8~9割にも達するわけだが、それに引き換え、、、、という話。

菅新政権が誕生した途端、「辺野古新基地建設」の日米合意を踏襲するとした首相の考えを肯定する人間が、約半数も生まれた、その世論調査の結果について、屋良氏は、大いなる怒りを胸のうちに隠しつつ、静かに嘆くことから、トークを始めたのである。

わたし個人は世論調査というものについては、その方法も含めて疑問がないわけではないし、結果が常に正しく民意を表しているとは思っていないけれども、次の2例ぐらいは、事実としてご紹介しておこう。屋良氏のあらわした嘆きを理解するためにも。

朝日新聞・2010年6月10日・世論調査結果記事
http://www.asahi.com/special/08003/TKY201006090513.html
《沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題で、菅首相が日米合意を踏まえて対応するとしていることについては「評価する」は49%で、「評価しない」26%を上回った。》

毎日新聞・2010年6月10日・世論調査結果記事
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100610k0000m010112000c.html
《8月末に工法などを決める期限を迎えるが、菅首相は沖縄県名護市辺野古周辺に移設する日米合意を引き継ぐ考えを示している。世論調査では、合意通りに「進めるべきだ」との回答が51%と半数を超えた。5月調査では辺野古移設への賛成は41%で反対の52%を下回っていた。》

蛇足的解説を、ひとつ。

多くの国民にとって、鳩山前首相の「普天間問題」への取り組みを批判していた理由は、「普天間移設問題は、代替基地を辺野古に押し付けて、さっさと解決しろ」というものだった、ということが判明したというべきか。大手メディアの確信犯的「思考停止」に、まんまと付き合わされ、誘導されている人びとがいかに多いか。そのことが察せられる、おぞましい結果ではある。

アメリカの意向ばかり尊重する外務・防衛官僚、タフな外交交渉をする気のない関係閣僚や首相&官邸、そのような権力にベッタリ癒着した大手マスコミ。しかし彼らをわらうだけではすまないのだ。国民一人ひとりの意識、つまり「あなたの中の、沖縄に対する意識」こそが、大問題なのである。

もう「普天間問題」は、終わりにしたい、なんぞと「あなた」は、言うつもりなのだろうか。

しかしどっこい、そうはいかないのである。
何度でも書くが、沖縄をなめてはいけない。

追伸:
しかし、昨夜はびっくりしましたなぁ。
今年2月に、石川真生さんが那覇市と沖縄市で写真展を同時開催したというのはご記憶の方もおられるでしょう。で、そのとき石川邸で合宿状態だったメンバーの一人、真生さんの友人で娘婿の母でもある、加藤賀津子さん(その節は、毎朝おいしいご飯をありがとうございました!!)が会場におられてわたしに気づき、声をかけてくださったのだ。

でもよく考えてみたら、不思議ではない。
6月26日には、宜野湾市長の伊波洋一さんを東京・文京区民センターに招き、普天間基地を抱える自治体の首長としての思いを、たっぷり語ってもらうとのこと。賀津子さんは、日ごろから、そういう活動にも熱心なフリー編集者なのでありました。

沖縄県民のみならず、むしろ全国的規模でいろんな立場の人びとが、ゆるゆるしっかり、繋がっていくことは、とっても肝要でありますね。そのための力にならんとして、入れ替わり立ち代り沖縄からヤマトへやってきてトークを繰り広げる、複数の政治家、ジャーナリスト、文化人、市民の存在があると知り、ホッと安堵もいたします。「沖縄の底力」を感じます。皆さん、お疲れさんです。

では、わたしもまた、今週、ささやかな歩みを前向きに歩んでまいりましょう。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/14 07:04

【44】「高野論説で気づいたオリジナル民主党の台頭と小沢氏排除の論理」

「日々坦々」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010/06/13(日) 10:49
「高野論説で気づいたオリジナル民主党の台頭と小沢氏排除の論理」

「脱小沢」を前面に出した菅政権に対する、民主党支持者の複雑な想いがネット上の情報を通じて伝わってくる。

昨年の衆院選挙で民主党(社民・国新含む)に投票した人の中で、一連の「政治とカネ」問題で早々に見切りをつけられた浮動的な人たちを除き、検察とマスコミが強風を吹かせた嵐の中でも民主党を中心とする連立政権を支持し続けた「コアな人たち」が、菅政権に対する評価に微妙な違いを見せてきた。

まず、分類として大別すると

1.民主党結党以来のコテコテな支持派
2.とにかく非自民政権維持してもらいたい派
3.シャキシャキの小沢一郎支持派

ということになる。かなり、荒っぽい分けかたではある。

まず、現政権を思いっきり支持しているのが、1の民主党結党以来の支持者層の方々だろう。

それから、不本意ではあるが、とにかく非自民政権を維持してもらいたいという、現政権に対しては消極的な支持層が全てにいて、とくに3に多い。

そして、今までどんなことがあっても支持してきたが、民主党自体の支持を撤回し、次の参院選は別の党に入れるつもりでいるという、見限った人たち2.3の中にいて3が特に多いと思う。

この1の「民主党結党以来のコテコテな方々の中から、最近よく小沢批判ともとれる発言が見られる。

「ドラエモン」の名を勝手に使っている、あの民主党ゴロ・松田光世元秘書である。
菅内閣が発足してから、本性を現し小沢氏をコケにするツイートを日々エスカレートさせている。このブログでも、この御仁の発言を引用・転載し、参考にさせていただいてきた。最近では、自分が自分がと首相秘書官になりたくてしかたがない病に陥っているようで、人の取材による情報も自分が以前から取材してきたような書き方をしていたり、思い込みで間違った情報をかなり流している。また、人が語ってもいないことでも、自分で創作していたりして後でバレてそのツイートを削除までしていたりするので、今後は参考にしないほうが無難である。

こんな小粒なかたは、あの生方ではないが、無視するのが一番いいとして、もっと影響力がある方が、とうとう「カミングアウト」している。

『インサイダー』編集長の高野孟氏である。

高野氏はブログサイト「THE JOURNAL」を主宰していて、いつも参考にさせていただいている。

つい最近の三日連続ですばらしい論説が掲載されている。

●平野貞夫氏の「菅民主党新政権に感じること」(6/8)だ。

この中で、菅さんが代表選挙の記者会見で「小沢幹事長は国民の不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいた方が、ご本人にとっても、民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と発言したことを激怒。
≪人間は基本的人権として、言論と行動の自由をもっている。まして与党の幹事長を勤め、党の代表として政権交代に自己を犠牲にして貢献した小沢一郎という政治家に「日本のためにも静かにしていろ」との暴言は見逃せない。この発言は、政治家の言論・活動の自由を侵害するという憲法上、由々しき問題である。日本の有識者、政治家がこのことに気がつかないことが、日本の知的危機といえる。・・・率直にいって、菅氏の性格は他人を利用して自分の地位や利益向上に利用するというきわめて自己本位で人間としての礼や信や道に欠ける態度であった。「脱小沢」の選挙劇場を演ずる役者としては適当かもしれないが、日本の社会や国民の生活を一新させることは無理である。≫と三行半をつきつけている。

*****政治ブログ***********

●田中良昭氏「政界再編が準備されつつある」(6/9)
これもよかった。

●二見伸明氏 「動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し」 ── 孫子の兵法
この論説は何回か読み込んだ。さすがに新進党が無くなって後、公明党から自由党に移籍したツワモノである。当時公明党=創価学会からかなりの妨害を受けただろうけど、小沢さんに魅せられ妨害を絶ち切り、創価学会とも絶縁して小沢さんのもとに駆けつけた人が言うことは内容が深い。今は引退してしまったが、平野氏といい惜しい人が小沢さんの周りにいたいことが気になるところだ。
予断だが、同じく公明党から移籍し、公明党の数々の嫌がらせを受けつつ選挙にも落とされつつも復活してきた、東 祥三議員が民主党にいる。気骨のある猛者である。

このお三方が掲載された後の高野氏の論説は、「とうとう本音を言い始めた」という印象だった。

●ダブル辞任はどちらが仕掛けたのか? ── それはともかく、さあ、菅政権! 

これはじっくり読んでいただくとして・・・。

高野氏は民主党結党の仕掛人であり、立役者であることを考えれば、この論説も理解できる。

高野氏は結党にまだ消極的だった菅直人(当時さきがけ)に、自分で書いた「民主党基本理念」を鳩山由起夫と一緒に見てもらい、二人に了解を取り付け結党に至っている。

オリジナルメンバー中の中心メンバーなのだ。

この中で高野氏はリベラル色を前面に打ち出し、古い政治家像からの脱却を標榜しているように聞こえてくる。小沢氏とはそもそも相容れないものがあることがよくわかる。

「脱小沢」を打ち出した菅政権において、民主党結党当初の理念を、今こそ実現できる絶好の機会と捉えた、と高野氏が考えている、とみることができる。

菅さんは考えてみれば、あの「自社さ政権」に乗った、いわば日本の政治を歪めた張本人である。
権力のためなら何でもありの権力志向の自民党的政治家といえる。

この政権は、選挙管理内閣ではなく、初期民主党の理想を実現させるための本格政権を目指している。

仙谷氏が小沢さんに対して、週刊文春で「彼は民主党にいるべき人ではない」と公然と語っていることからもわかるように、もはや、小沢さんの居場所は民主党にはない。

今まで高野氏は折に触れ、小沢擁護の発言を繰り返してきた。

別の言い方をするならば、高野氏をはじめ「民主党オリジナルメンバー」達は、民主党が政権交代を実現するために小沢さんをうまく利用してきた、ともいうことができる。

今後、菅民主党は、益々小沢排除に動いていくだろう。

そのためには野党の「反小沢」勢力とも結託していくだろうし、検察・マスコミともガッチリ手を結ぶかもしれない。

何せ、権力のためなら村山さんを総理にかつぎ上げ、自民党と社会党を結びつけることに協力することができるくらいの感覚の持ち主であるのだから。

高野氏の論説で、そのことがはっきりわかったことは大きな収穫だった。

参照

最後までお読みいただきありがとうございます

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/06/14 06:59

【43】「「世論」は思考停止でつくられる。政策が真逆になっても…」

「世相を斬る あいば達也」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月14日 | 日記
「「世論」は思考停止でつくられる。政策が真逆になっても…」

「国民の生活が第一」、「コンクリートから人へ」、「脱官僚・政治主導」、「日米同盟の深化」を標榜し、民主党が有権者の圧倒的支持を受け、衆議院で308議席と云う議席を得、政権与党になってから1年も経っていない。

民主党は鳩山、小沢が辞任したと云うだけで、次に登場した菅直人と云う市民派を看板にする政治家は、その昨年の政権交代時に民主党が掲げた国民へのマニュフェストの基調理念を一夜にして無きものにした。いや、真逆の政策さえも実行しようとしている。

国民が抗議の声も出せないほどの電光石火で、かなぐり捨てたのである。見事な変身の術である。政治家個人が変身・変心・変節することは、その政治家の信条の問題なので特に異論はない。 しかし、一定のマニュフェストの基調理念を変えるのであれば、それはあらためて選挙の洗礼を受けるのが筋である。

勿論、菅直人にその洗礼を受ける誠実さなどは微塵もない。良いじゃないか、直近の参議院選で国民の洗礼は充分に受けられる。とやかく言われる筋合いではないと思っているだろう。

野党は自民党をはじめ全党あげて、民意を問えと怒っている。たしかに正論であるが、声は小さい。本来マスメディアのジャーナリスト精神が健全であれば、当然この野党の「民意を問え」を大きく扱い、それこそ「世論を喚起すべき」問題なのだろう。しかし、その兆候は見られない。

それどころか、マスメディアはこぞって菅直人政権に注文をつけながらも、世論を喚起させるどころか、菅直人政権の支持率アップに貢献さえしているのだ。その理由が又単純なもので「官僚と仲良く」「米国の言う事を聞いて」「財務省の財政再建に尽力する」政治を行いますと「踏み絵を踏まされた」からである。第二小泉純一郎政権が誕生したのだから、特に世論喚起の必要はなくなったと云う事である。

この1年数カ月、政治的世論の中心は小沢一郎の資金問題に集約されていたと言っても過言ではないだろう。検察の度重なる小沢ターゲットの強制捜査がなされ、マスメディアが「小沢一郎=金権政治家」と云う大キャンペーンを敷き、死に物狂いでたった一人の政治家の政治生命を断とうと画策した。

検察の行動がどのような意図で行われたかここでは触れないが、マスメディアが「小沢一郎は悪だ」と云う世論を誘導する為に、全マスメディアが血眼になったのだけは事実として闇に消えずに残っている。 検察の恣意的捜査過程は事実関係の検証が容易ではないが、マスメディアが「小沢一郎は悪だ」と云う世論形成に、重大な役割、否、主役を演じた点だけは歴然とした事実である。

その意図を探る事も重要だが、事実か否かに関わらず「小沢一郎は悪だ」と云う世論が一般的国民に浸透した事実こそが重大だ。これは筆者が小沢一郎が好きだからと云う理由だけではない。右左関係なく、時には一般人を含め、マスメディアが一定の意図を持って恣意的に報道を繰り返せば、政治家すべて、否芸能人すべて、否国民すべてが「悪人」に仕立て上げられると云う事実である。

「世論」とは人々が共有する意見ってことだが、個人生活主義が蔓延し、村社会的な人間関係を失った現代人にとって、共有する意見を自発的に持つことは、ごく限られた人々の間でしか起きない。

多くの国民が共有の意見とか意識を持つ動機づけはマスメディアの情報が核となっている。その核が発する様々な情報の色づけによって、人々はどっちが良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとかを決める事になる。

たしかに、ネットメディアの普及などにより、マスメディアに登場しない真偽織り交ぜた情報に接することは出来るが、共通の意識である「世論形成」にまで至る事は現状ではあり得ない。やはり、現代において「世論形成」に最も影響力があるのはマスメディアである。

ただ残念なことは、様々なマスメディアがそれぞれの立ち位置によって、情報に色づけがなされれば、人々は考える、感じると云う自主的思考を持てるのだが、すべてのマスメディアが同一の色に染まり、同一の解説を加え始める最近の風潮は、マスメディアがジャーナリストとしての思考を停止したことであり、それを読み聞く人々の思考をも停止させてしまっているのだと思う。

突きつめて考えるなら、日本と云う国家が全国民・全組織を巻き込んで「思考停止」と云う状態に陥っているのかもそれない。思考停止状態だとの認識があれば、それはそれで救いがあるのだが、困った事にその意識すらもない。

反論を怖れずに言い放つなら、マスメディア各社は個性を失い、何かに感服、敬服、ひれ伏し畏敬をもって従属している。それを情報として思考停止状態で耳にする人々は、右にでも左にでも烏合の衆となって大移動する。集団自殺に嬉々として従う野鼠のようである。

昨日発表された朝日新聞の世論調査によると、参議院選の比例区投票先が民主党43%、自民党14%だそうである。これはどういう事を意味しているのだろう。世論調査が捏造か誘導によるものか別にしても、あまりの激変ではないか。到底国民が思考状態で答える能力を失っていると言っても過言ではないだろ。

過激な言い方をすれば、国民の多くが準禁治産者状態と云う事かもしれない。ひたすら風潮に流され、右に左に流されているだけのように思える。 霞が関では国民等と云うものは「有象無象」思考能力など無きに等しいと云う官僚世界の共通認識があるらしいが、現状を見せつけられると、うっかり納得してしまいそうである。(笑)

ウィキペディアによると、『世論と対外政策形成過程の関係についてはカナダの国際政治学者ホルスティがいる。ホルスティは先進国における世論の形成者である国民を、国際問題に強い関心や知識・意見を持つ関心層、関心はあるが知識がないために政党やマスコミの意見を受け入れることで自らの意見を持つ中間層、知識がないため意見が持てない無関心層に分類し、政策形成の過程において関心層の影響力が大きいとした。一般的な国際関係理論ではこのように無知な大衆を軽視し、少数エリート集団が 対外政策過程に影響しているように考える傾向が強い。現実主義的な世界観が国家を統一的な政治共同体として認識していることが関係しているため、内部的な 意見対立を研究対象としない場合もある。』としているが、最近の日本はもっと凄い事になっている気がする。

世論形成において、その絶対権力的存在のマスメディアが、右に左に動かして世論を誘導し、その結果生まれた「世論」を盾に政治家や政党に「世論政治」を強要する。しかし、このようにして形成された「世論」をもって、議会制民主主義が左右されるのであれば、単なる世論迎合政治が跋扈するだけのことである。菅直人がそのシンボル的政治家に今まさになろうとしている。そして、マスメディアは「世論政治」に抱きついた菅直人を愛い奴として扱いだしている。

政治的に、このマスメディアの世論誘導を徹底的に止めることは出来ないだろう。言論・報道の自由の壁は厚い。最終的には、自らの思考を停止させない人々が増えることだが、益々思考停止国民が増える傾向さえある昨今、果たしてどんな10年後の日本の姿が見られるのか怖ろしくもあり、僅かに愉しみでもある。

(転載貼り付け終了)

会員番号4781番 投稿日:2010/06/13 23:36

【42】渡部恒雄氏 「自身で平和守る覚悟を」

 6月12日北海道新聞夕刊に、渡部恒三議員の息子である渡部恒雄氏の文章が掲載されたので、全文を転載します。

(転載開始)

「鳩山前政権の問題提起」 東京財団上席研究員 渡部 恒雄

 日米同盟と沖縄基地のハンドリングを誤ったことが、鳩山由紀夫前首相の辞任の大きな原因の一つだったことは、政権交代により日本政治が新しい時代に入っていることを如実に示している。
 1960年代に岸首相が日米安保条約の改正とそれに対する抗議の声の中で辞任した後は、自民党中心の政権下で、日米の同盟関係維持は所与のものであり、争点となるようなものではなかった。
 実のところ、自民党時代が長く続いた理由は、それが東西冷戦構造と関係している。野党は非同盟中立を日本の選択肢として示したが、日本の現実的な選択肢は米国との同盟と自由主義陣営への参加以外に考えられず、国民はそれを選択した。
 そもそも自民党という政党は、社会主義に対抗して米国を中心とする自由主義陣営に参加するために、保守・自由主義の政党が55年に合同し結成された政党なのである。
 自民党時代が終わって登場した鳩山政権は、これまでの日米関係のバランスをより日本の自主性が高まる方向に変えようとし、具体的には普天間飛行場の代替施設を沖縄から県外に移設することで一歩近づこうとした。それ自体は、決して誤った方向性だとは思わないが、問題は米国側がその交渉に応じるかどうかの現実的な分析をせずに安易な交渉を始めたことが命取りになった。沖縄県民はそのような「中途半端な」鳩山前首相のハンドリングに怒り、国民の多くは、これまでの自民党政権では所与のものであった日本の対外政策に大きな不信感を持つことになったからだ。
 しかし、鳩山政権の問題提起により、これからの日本の政権は、単に日米同盟維持ということだけを唱えて、思考停止をしているわけにはいかなくなった。自国と地域の安全保障環境を損なわずに、同時に沖縄の負担を軽減していくという難しい二兎を追うことが求められる。沖縄県民の合意なしに、5月の日米合意を実行できないのはあきらかだからだ。
 実は、日米普天間移設合意と鳩山前首相の退陣会見には、今後の日本の方向性への大きなヒントがある。日米合意にある在日基地の日米共同使用という将来の方向性と、鳩山前首相の「日本の平和を日本人自身で作り上げていく」覚悟である。
 日米共同使用の先には、より自立的な日本の防衛の姿があり、それは反米的なものではなく、日米協調的なものとなろう。鳩山前首相の「米国に依存し続ける安全保障が50年、100年続いていいとは思わない」というのは、米国が5月に発表した国家安全戦略の、将来的に米国は信頼できる同盟国やパートナーに地域の安全保障の負担を分かち合ってもらう、という方向性と符合する。
 日本の安全保障政策の歴史的な矛盾の中で短命に終わった鳩山前首相のメッセージを真摯に受け取らなければならない。
 鳩山氏自身もまだまだやるべきことがある。元首相として、日米同盟と沖縄の負担軽減の方策を研究するための超党派の基盤をつくることだ。米国には、大統領任期中は不人気だったが引退後、「カーターセンター」というシンクタンクを立ち上げ、朝鮮半島の軍事的緊張を緩和し、ノーベル平和賞を受賞したジミー・カーターのような存在がいる。そうなって初めて、歴史は鳩山前首相の未完の試みを評価することになろう。

(転載終了)