日本政界●情報メモ

投稿日:2010/08/28 06:18

【343】「【小沢首相になれば事態はどう変わるか】官僚支配を復活させた霞が関も刷新される」

「ゲンダイ・ネット」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年8月27日
「【小沢首相になれば事態はどう変わるか】官僚支配を復活させた霞が関も刷新される」

 小沢出馬に慌てているのは、霞が関の官僚たちも一緒だ。
 操りやすい菅首相、何でも聞いてくれる仙谷官房長官、ヒヨッコ同然の大臣たちを相手に、せっかく官僚支配を復活させたのに、小沢政権になれば、再び力関係がひっくり返る。それが分かっているのだ。
 小沢といえば、昨年の幹事長時代、宮内庁長官をどやしつけたことがあった。天皇と中国副主席の会談にからんで、ブツブツ言った羽毛田長官に「一役人が内閣の方針に文句があるなら、辞表を出してから言え」とやった一件だ。子供時代から一度も怒られた経験のない宮内庁長官は震え上がったと、今でも霞が関の“伝説”になっている。
 小沢は事務次官会議廃止、内閣法制局長官の答弁禁止、天下り禁止なども主導してきた。公約の「政治主導」のためにはどんな偉い官僚にも容赦ない。だから元厚生事務次官だった宮内庁長官を平然と罵倒できる。こんな度胸のある政治家はいない。
 ある官僚がこぼした。
「霞が関が一番嫌いな政治家は間違いなく小沢。手ごわいし、官僚の手の内を知り尽くしている。人事にも介入してくる。検察とだって闘おうとしている。幹事長時代はあまり内閣のことに口出ししなかったが、首相になったら、ガツーンとやって、『政治主導復活』を印象づけるでしょう。霞が関は戦々恐々ですよ」
 菅首相は、元社保庁長官とか元ロシア課長などいわくつきの官僚まで復権させて、霞が関にコビを売っているが、小沢は違う。従わない官僚はバッサリやる。
 埋蔵金を隠す一方で、「景気対策をやる財源はない」なんてホザいている財務官僚や無策の日銀幹部のクビが飛ばされる日が来るだろうから、待ち遠しい。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/27 10:20

【342】「「日本一新運動」の原点(12) ── 西松・陸山会問題の真相」

「THE JOURNAL」の「平野貞夫の『永田町漂流記』」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

20108.25.
「「日本一新運動」の原点(12) ── 西松・陸山会問題の真相」

 民主党代表選挙に小沢一郎氏が出馬する可能性が強まるにつれ、党内外から暴論・珍論が噴出している。「検察審査会の結論が出る前に出馬すべきでない」という意見だが、これがマスメディアも交えて「小沢排除」の世論づくりに利用されている。

 そこで、坂本龍馬の「四観三元論」を活用して、西松・陸山会問題を私の立場で総括しておく。

■西松・陸山会問題の真相

 今年4月、私は『小沢一郎完全無罪』(講談社刊)を緊急出版した。その目的に、自民党政権と特捜検察、そして巨大メディアがタッグを組んだ「検察ファッショ」であり、これでは日本の議会民主政治は崩壊すると警告しておいた。

 特捜検察は、西松事件で1年間にわたり10億円を超えると言われる税金を使い、総力を挙げて小沢一郎を逮捕起訴すべく捜査を行った。結果は、逮捕起訴できず、政治団体「陸山会」の収支報告書の虚偽記載で、秘書を逮捕起訴した。従来の政治資金規正法の運用では、問題にされなかったことだ。起訴となった案件について、総務省の担当から何の注意も行政指導もなかった問題である。

 しかし、敢えて強制捜査を行ったのは、特捜青年将校の暴走である。官僚支配政治を改革し、検察の特権を縮小しようとする小沢一郎を葬ろうとする政治的謀略であった。さらに、麻生元首相らが、政権交代を阻止するために「指揮権発動的」なことを行ったが、それでも賢明な国民は、昨年8月の総選挙で、政権交代の民意を明確に表明した。

 そして本年1月、特捜は水谷建設がらみで石川知裕衆議院議員(元秘書)を逮捕し、小沢の「政治とカネ」は新しい事態を迎える。月が変わった二月四日、特捜は「小沢不起訴」を決定した。

 これで一段落かと思いきや、翌5日には、ある人物たちが地検判断を不服とし、東京第5検察審査会に「審理の申立て」を行ったが、あまりにもその手際の良さというべきか、事前に謀られたと邪推すべきか、胃の腑に落ちない思いをするのも私一人ではないだろう。

 そして4月27日、「起訴相当」を全会一致で議決し、小沢を「絶対的独裁者」と、その理由書に書いたことが話題となり、小沢の「政治とカネ」が再びメディアからの攻撃の標的となる。私は「指揮権発動的行動」の傍証を得ており、5月22日、高野孟氏が主宰する、「THE JOURNAL」に『西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!』を寄稿した。これはネット上で大反響を呼び、その余韻は今でも残っていて、グーグルで検索すると、3万件強もヒットするとのことである。

 実はこの問題に関して、6月2日は民主党の「司法を考える会」に招請され、詳細な説明を行う手筈になっていたが、折悪しく鳩山首相の辞意表明で会合は中止となった。

 話題の中心は「第5検察審査会」の奇っ怪な動きである。いずれ真相は明らかになろうが、専門家が現在問題にしていることを紹介しておく。

1)陸山会の職員宿舎建設のための土地購入を「利殖目 的のための土地購入」と誹謗し、政治資金を利殖のための土地購入代金にあてるという反社会行為を断罪するために東京地検特捜部は起訴すべきであるとする名誉毀損の誣告によって小沢一郎と陸山会の正当な政治活動の妨害を図ることを策した人物は、反社会的活動団体所属であり、かかる「申し立て」を受理したことそのものに問題があったこと。

2)市民代表の審理補助員に、米澤俊雄弁護士という人物を選任した経緯や行動に問題があるといわれていること。

 漏れ聞くところによると、関係当局は検察審査会のあり方を含め、小沢問題の処理に困惑しているとのことである。

 以上が「西松・陸山会問題の真相」であり、「検察審査会の実体」である。小沢一郎の代表選出馬について、渡部恒三前顧問、岡田外相、蓮舫大臣らが検察審査会がらみで、小沢氏の出馬を妨害・阻止する発言を繰り返しているが、じつに滑稽である。さすがに原口総務大臣が「推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」として、検察審査会の政治利用を批判している。認知症が心配されている渡部老人の発言は評の外に置くとして、岡田外相と蓮舫大臣の発言は憲法の原理に反する。このことは、彼らよりも数倍の年月、そして、彼らよりも深く、強く憲法と向き合ってきた私からの警告でもあることを明記しておこう。

 国民から多数の負託を受け、聡明であるべき民主党国会議員が、これらの讒言に影響されるようでは近代政党とはいえないし、負託された国民への裏切りであることも明確に指摘しておく。

■小沢氏が「政治とカネ」で追求される理由

 小沢氏は、田中角栄、金丸信、竹下登の後継者といわれる負の遺産を背負いながら、自民党政治を崩壊させてきた。その恨み・辛みと、嫉妬の固まりが虚像となって、いわれなき攻撃を受けているのが、「小沢攻撃」の本質である。

 小沢一郎の政治資金についての考え方は、父親・小沢佐重喜氏の信念に基づいており、誠実に法を守っている。

政敵やメディアが垂れ流す情報は断じて事実ではない。政治団体が不動産を購入することも、法に基づいた浄財の有効活用のためであり、俗説・風説に惑わされるべきではない。

 「政治とカネ」で小沢氏が批判される切っ掛けとなったのは、平成十二年四月、自由党が保守党と分裂した時である。政党助成金を含む党の資金を保守党にも分配するという小沢党首の意向に、私が強く反対して分配できなかったことがその要因である。

 強い批判を受けたが、すべて自分の責任として一切弁解しない。こういうことが誤解されて、メディアの標的になり続けているのである。

■民主政治を危うくする情報操作

 8月23日の夜から、小沢一郎の代表選出馬はないとの情報が流され始めた。菅支持派からのもので、鉢呂氏を入閣がらみで選対本部長にすることで旧社会党を取り込んだ。仙谷官房長官と川端氏の関係で旧民社党の支持を取り付けたというものだ。

 これに影響されて、各メディアも口を揃えて「小沢の出馬はない」とのコメントを始めるようになったが、これほど議会制民主政治を冒涜するものはない。このメルマガで幾度も述べてきたが、代表選挙は理念・政策で争うべきであり、旧来の手法である人事で離合集散をくり返せば、これこそ官僚支配に終始した自民党政治の復活でしかない。

 菅民主党政権が発足して約3ヶ月、この間、政権交代の党是を放棄し、官僚支配の自民党政治より一層悪質化した。代表選は、菅首相のままで国家と国民の存立ができるか否かを問う唯一の機会であるとともに、大多数の国民の意思である政権交代の大義を全うするのか否か、政権与党を構成する人々の覚悟が問われている。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/27 09:38

【341】「小沢 VS カンさんの構図を見ると、やはり民由合併時のゴタゴタがよみがえってくる」

2010/08/27(金) 09:05
「小沢 VS カンさんの構図を見ると、やはり民由合併時のゴタゴタがよみがえってくる」

鳩山さんが小沢支持を打ち出す時に次のようにコメントした。

「民由合併の時からの同士としての協力が得られるなら出馬したいと、仰られた。私の一存で小沢先生に民主党に入っていただいた。その経緯からして、私としては応援すると、それが大義だろうと思っています」

今の「小沢 VS カンさんの構図を見ると、やはり民由合併時のゴタゴタがよみがえってくる。

鳩山さんが持ちかけた民主党と自由党の合併話は、政権交代に向けて大きな一歩になると、小沢さんと一致したものだった。

それを仙石、枝野などの反小沢などの議員が大反対し、この話は一度頓挫し、その責任を負って鳩山さんが代表辞任に追い込まれた。

その後、代表についた菅直人は、無かったかのように合併話は遅々として進まず、業を煮やした鳩山グループが離党をしてまでも自由党と合併する動きを察知して、カンさんが突然、小沢さんに合併話を再び持ちかけることになる。

そこには大義も何もない。

ただ、民主党と代表の地位と権力を手放したくないという、義も何もない個人的欲望だった。

以前、≪民由合併時で菅さんが見せた「大義なき小手先政治」が姿を現した≫で次のように書いた。
(2010/06/17)   

≪すったもんだした挙げ句に、ようやく合併にたどりつくわけだが、自由党・民主党それぞれの議員たちは、そのほとんどが反対だった。特に自由党議員の大部分は、合併というより、民主党に吸収されるという「不平等合併」であったがゆえに大反対だった。

民主党内には、かなり小沢アレルギーが蔓延していて、自由党との合併話を持ち掛け発表した党代表を辞任に追い込むくらいだった。

現在でもその構図は変わっていない、ということがよくわかる。

そのゴタゴタ時の民主党の印象が、自由党支持者としては非常に悪く今も少なからず残っていると思う。

自由党との合併を打ち上げた鳩山さんが辞任に追い込まれ、2002年12月に新たに代表になったのが菅さんで、民由合併反対の代表が党の代表になった、ということもできる。

ここではっきりしておきたいのが、民由合併はあくまでも民主党側から言い出した、ということだ。

一説には、当時の鳩山由紀夫代表がある経済人から「総理大臣になりたかったら小沢と手を組め」とのアドバイスがあり、鳩山さんから小沢さんに合併の話を持ちかけた、ということだ。

一度は失敗したかに見えた合併話を再び遡上にあげたのが、菅直人だった。

自由党は当時、衆議院議員が22人で合併話がなくなり、2003年11月に行われる総選挙を控え、その準備に大忙しであった。
この人数ではとても政権交代など望むべくもなく、小沢さんは野党結集は呼びかけてはいたものの、民主党との合併は諦めて選挙モードに入っていた。

第42回総選挙で自由党は600万票の支持を得ていて、次の選挙では党勢拡大は確実だった。
この600万票は、そのほとんどが小沢さんを支持し、ちょっとやそっとではブレない、政治を見る目も確かな、熱烈な支持層である。

そんな選挙を控えた年の8月、ある日突然、菅さんから「合併について話しあいたい」との連絡があり、この時の小沢さんの返事は次のようなものだった。

「こちらに呼びかけておいて、白紙にもどしておきながら、また話しあいをしたいといっても、もう話し合うことはない。あのときは断ったけども、考え直し、やはりいっしょになりたいと腹を決めたなら会ってもいいですが、わけのわからない話では……」

といって突っ返している。

その後、菅さんから「腹を決めました」という連絡があり、合併交渉に入って9月に発表することになる。

では、何故、あれだけ反対し、党の代表まで辞任させておきながら、再び自由党に合併話しを持ちかけたのか?

この謎を解くカギは11月に迫った選挙にある。

民主党の党勢は、当時、衆議院137、参議院67の204人で、野党第一党、党勢は自民党に次ぐ2番目で、当然、次の選挙の結果次第では政権交代が起こり得る、最も可能性がある政党であった。

そんな政権交代一歩前の民主党内は、総選挙を控えた8月には暗雲が立ち込めていた、というのだ。
支持率が低迷し11月の選挙では議席を大きく減らす、という選挙分析が出ていたのである。

ここら辺が旧民主党の限界だったと思う。

それであせった民主党執行部が、再び自由党との合併を再燃させたという、あくまでも党内事情によるものであった。
鳩山さんが民由合併をぶち上げたときには、その先に「政権交代」という大義名分があり、自由党支持者にもそれなりに理解はできた。

しかし、菅さんが持ちかけた合併話の背景には、自身が党代表として戦う選挙で負けないための方策をまず考えた、というフシがある。あくまでもその動機は選挙に負けないため、代表としての責任を問われないため、という”木を見て森を見ず”の器の小ささが透けて見える。

そこには理念も大義もない。

その年の第43回総選挙では、菅さんの思惑どおり改選前を大きく上回る40議席をプラスでき、党勢は一挙に衆議院177議席になって大きく躍進した。
この選挙で、比例区においての得票数で、自民党をはじめて上回った。

政権交代が現実的になった瞬間だった。≫

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また、鳩山さんが詳しくその辺のところを語っているので転載させていただく。

政権交代へ走り出した新・民主党 いま明かされる衝撃の合併秘話
(2003年10月「政界」10月号掲載) 鳩山由紀夫HP  

(転載開始)

聞き手 大下英治(作家)

――平成十五年七月二十三日、民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が会談し、九月までの両党の合併で電撃合意しました。そのレールを敷いたのは、民主党前代表の鳩山さんです。そもそも、鳩山さんは、なぜ自由党との合流構想を進めたのですか。

鳩山:我々は、自民党から政権を奪い取るという目的で七年前の平成八年九月に民主党を立ち上げました。政党というものは、政権を取らなければ鼠の取れない猫と同じです。しかし、平成八年十月、平成十二年六月の総選挙では、政権を奪えなかった。しかも、平成十三年四月に発足した小泉政権は国民の支持率は高い。民主党が次の総選挙で政権が取れなければ、どうなるか。たとえ議席を伸ばしたとしても、政権に届かなければ、民主党にいても駄目だという気持ちが起こり、どんどん遠心力が働いてしまう。民主党が単独で政権を取ることがもっとも望ましいが、どうもその可能性はきわめて薄い。下手をすると党が瓦解するかもしれない。それでは、国民に対して無責任なことになります。そうならないための最大の戦略は何かを考えたとき、自分なりに決断したのが小沢自由党との合流だったわけです。

――自由党と合流すれば、政権を取ることができると。

鳩山:それだけですべてうまくいくとは思っていなかったし、いまでも十分かどうかということになると、かならずしもそうではないと思います。ただし、必要条件としては、これだけはクリアしないといけない。民主党と自由党の考えは、それほど離れていない。合流しようと思えばできる。これを阻んでいるのは、小沢さんに対する好き嫌いの感情です。しかし、感情論だけで国民に大きな失望感を与えるのであれば、政治家をやっている資格はありません。みなさん、いろいろな思いはあるでしょう。しかし、その思いを越えて行動すれば、かならず合流はうまくいくのではないかと思いました。合流さえうまく導くことができれば、小泉人気を引っ繰り返せるという確信もありました。

――そこで、昨年の十一月二十九日、自由党などとの新党結成構想を表明されたわけですね。しかし、党内で猛反発にあい、その四日後の十二月三日に代表辞任を表明された。いま振り返ってみて、ほかに方法があったと思いますか。それとも、どうやっても、あの時点では難しかったでしょうか。

鳩山:おそらく、どうやっても駄目だったと思います。私が合流構想を出したから「唐突すぎる」「うまくいかないから辞めろ」という話になっていきましたが、結論は、私を辞めさせたいということだけなんですよ。それに、私自身も、合流の話があろうとなかろうと、辞めるつもりでいました。

――鳩山さんは、九月の代表選で菅(直人)さん、横路(孝弘)さん、野田(佳彦)さんを破って三選をはたしましたが、中野寛成さんを幹事長に起用したことで党内で批判を浴び、求心力を失いましたね。

鳩山:幹事長人事は、その流れに拍車をかけたわけです。私が代表選を戦った三人の陣営からすれば、私が再選することは最悪のシナリオなんです。要するに何の変化もないということでしょう。私自身は「新しい民主党の姿を作っていこう」という意欲はありましたが、彼らからみれば、結局、何も変わらない。私が当選した瞬間、大変な不満が積もったわけです。

――爆発寸前のマグマがあったと。

鳩山:ええ。私が「幹事長は、中野さんにお願いする」といった瞬間にパッと火がつきましたが、そうでなくとも何らかのきっかけでマグマは火を噴いていたはずです。民主党の支持率が低迷するなか、私が今でも大事にしたいと思っている若手議員の前原(誠司)君、玄葉(光一郎)君、樽床(伸二)君、手塚(仁雄)君、武正(公一)君たちが、それぞれ私に会いに来て「このままいったら代表に退陣を求める署名運動をやることになるかもしれない」というわけです。
自民党は、利権が絡み、権力闘争に明け暮れています。従って、民主党は我欲で支配される政党であってはならないという思いで立ち上げました。それなのに、そのような権力闘争が起これば致命的です。リコール運動のようなことが起こり、強引に乗り切ったとしても不満は残る。私を支援してくれる人たちから「そんなブラフに負けてはいけない」と励まされましたが、痼はさらに大きく残ってしまう。この状況を打開するためには、自分が辞任するしかないと決断しました。

――それは、いつの時点ですか。

鳩山:十一月の時点です。前原君たちには「君たちのいうことはよくわかる。だけど、わたしが辞めた後、どうやって民主党をうまくまとめ、国民に期待感を持ってもらえるようにしていくの?」と訊いても、誰も明確に答えられない。ただ鳩山を辞めさせなければいけないということだけで、その先の戦略を描いていないわけです。私も、権力闘争ではない形で国民に期待してもらえる方法を自分なりに模索しました。そして導き出されたのが自由党との合流でした。二つの政党を一つにして新しい器を作る。そうしたうえで、私の後の新代表に「どうぞ」と渡せるようなシナリオができれば、国民のみなさんにも「足の引っ張りあいではなく、プラスの話だったのか。それならいい」と思ってもらえる。しかも、結果として自由党と合流できれば大きな期待感が起こる。これなら、一石二鳥どころか、三鳥も、四鳥にもなると思い、小沢さんの懐に飛び込んでいったわけです。

――小沢さんの反応は、どのようなものでしたか。

鳩山:小沢さんは「君がそこまで覚悟してくれるなら、私も覚悟しよう。私も、何も求めない。二人が何も求めなければうまくいくだろう」という話でした。ところが、周りの人たちは「この構想は、鳩山の延命工作だ」と見たわけです。しかし、私は代表に留まるつもりは百%なかった。それでは、小沢さんに対する背信になりますから。それなのに私心があると取られたのは、自分に徳がなかったということでしょう。

――このときは、両党が解党し、新党を結成するという発想だったのですか。

鳩山:私は、合流は対等でやるべきだと思っていました。民主党は、自由党よりも大きな政党です。それだけに、むしろ謙虚でなければいけない。「小さな政党のあなたたちを仲間に入れてあげるのだから、ありがたく思えよ」といったような態度はおくびにも出してはいけない。そして、たとえば「民主自由党」という新党をつくり、いったんみんなが新党に入る。しかし、「民主自由党では、自由民主党と紛らわしい」ということで、その翌日に「民主自由党」改め「民主党」にしてもいいわけです。そのことについては、小沢さんもまったくこだわっていませんでした。

――うまくいくと思いましたか。

鳩山:小沢さんたち自由党、民主党の仲間たちとどうやったらうまくいくか、いろいろと考えました。年内に合流するつもりでいましたから連日協議していたのですが、私がまだ権力に執着しているかのような幻の人事のペーパーが出回ったりして、なかなかうまくいきませんでした。

――それは、まったく関知していなかったのですか。

鳩山:少なくとも、私も小沢さんも、関知していませんでした。しかし、そのペーパーが火に油を注いでしまった。結局、民主党の役員会でも了承されず、頓挫した。

――合流構想は、これで終わったと思いましたか、それとも、種を残したわけだからまだ成功すると思いましたか。

鳩山:内心、非常に難しくなったと思いましたね。なにしろ、当時の執行部のほとんどが賛意を示してくれなかったし、新しい執行部にも慎重な人がいますから。統一会派あたりの話で落ち着かれてしまったら、えらいことになると思いました。しかし、これは我欲で提案した話ではないし、やり遂げなければ政権を取れない民主党のままで瓦解してしまうかもしれない。危機感を共有する仲間のみなさんが集まってくれて「とにかくこの問題は成就させようではないか」ということで行動を起こしてくれた。ただし、それが逆にブレーキをかけてしまったことも事実です。「反執行部が勝手な行動をして自由党との合流を進めている。けしからん」とますます執行部は固くなってしまいました。

――今年の五月二十六日、菅・小沢会談がおこなわれ、菅さんが統一会派を呼びかけたが、小沢さんが拒否し、合流問題は白紙にもどりました。これで、ますます難しくなると思いましたか。

鳩山:じつは、執行部が結論を出さないのであれば、自分たちだけで自由党と合流しようという話をしていました。

――ということは、離党を覚悟していたということですか。

鳩山:その通りです。今年の一月か二月に小沢さんと二人だけで会ったとき、「私は、もう結論を決めています。世間から『鳩山はフラフラしているのではないか』と思われるのは不本意ですし、自分が言い出しっぺで行動した以上、私と自由党さんとの間では、契約をさせていただいたと思っています。菅さんが合流に踏み切ればいいですが、それができなかった場合には、私はその責任のもとで小沢さんと行動を共にします。そこだけは信じてください」ということを申し上げていました。小沢さんとしても、民主党全体とうまくいかなくても、私たちとは協力できると思って辛抱強く待ってくれたのではないでしょうか。そうでなければ、おそらく民主党との合流を投げていたかもしれませんよ。

――それは、初耳ですね。

鳩山:これもまたあまり表には出ていない話ですが、執行部が決断しない半年の間に、ある意味で肚をくくり、決断していた私たち民主党議員二十数名と自由党議員十数名の三十数名は、二週間に一度くらい会っては「なんとか合流をなし遂げましょう」と信頼関係を醸成していました。

(転載終了)

大義もなく、義も無いカンさんには、歴史も人もついてはいかない。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/27 06:25

【340】「菅直人は四面楚歌:仲介案に乗りたかったが乗れなかった深い事情」

「世相を斬る あいば達也」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年08月27日
「菅直人は四面楚歌:仲介案に乗りたかったが乗れなかった深い事情」

拙コラム(8月21日付け)においては、フライング予測で「第95代内閣総理大臣は小沢一郎に決まっている!」と決めつけていたのだが、鳩山由紀夫前首相の友愛の仲介運動などで、一時ヒヤヒヤさせられた。しかし結果的に、おさまるべき処におさまり安堵している。

小沢一郎の出馬の決心、そして代表選勝利は天地がひっくり返っても揺るがぬ事実であり、腐れメディアの「党を二分」等と捲し立てているがプロパガンダに心乱れる必要はない。小沢シンパの皆様ご安心ください。拙コラムは朝日新聞や毎日新聞、テレビ局と違い、嘘は申しません。(笑)

チョイと考えただけで明白なのだ。仮に地方議員・党員・サポーター票が五分五分乃至は若干小沢不利に働いたとして、今回は411人・822ポイントの大所帯政党だけに、議員票が雌雄を決する。菅・仙谷がどれ程マスメディアに擦り寄り、官房機密費を湯水のごとくバラ撒こうと、小沢勢力の民主党議員への影響は軽微だ。オリジナル民主党議員の資質は「日和見性が強い」のが良くも悪くも特長なので、プロパガンダで心が揺れる確率は菅勢力側にある。

菅勢力の議員票を分析してみる。菅直人50人、前原40人、野田30人 アルファー。全員固めても120票・240ポイントだ。実は菅、前原、野田グループ在籍の議員の中から、15人程度が樽床グループに席替えしている。つまり100票・200ポイント前後と云うのが実数。まぁ多くて120人・240ポイントにしておいてやろうじゃないか。

かたや小沢一郎勢力は如何か?小沢150人、鳩山60人(怪しい奴がいるので50と読んでも構わん)羽田15人、樽床30人(固く見て20人)。つまり 固く見積もって230人は確実、負けたくても負ける要素がないじゃないか。(笑)

菅勢力120人、小沢も勢力230人。現在民主党議員の衆参議員数計は411人。61議員数が不足だが、これは旧民社党30人と旧社会党グループ30人の議員達を留保したからだ。あまりにも決定的数値を出すのも面白くないからモラトリアムにしておくが、このグループの8割は間違いなく小沢勢力。開けてびっくり玉手箱ではないが、国会議員においては、400人:100人(800ポイント:200ポイント)なんて笑い話にもならない結果さえも見えているのだ。

しかし、それでも菅直人は鳩山の仲介を拒絶したわけだ。菅直人が男らしく玉砕を覚悟したと評価したいところだが、過去の彼の言動に鑑み、それは絶対にあり得ない。出来たら、鳩山の言う正真正銘の挙党態勢の誘いに乗りたかったに違いない。しかし、菅はそれをしなかった、いや出来なかったのだろう。

これは何か闇の部分があると考えるべきだ。おそらく推測だが、鳩山と小沢の「挙党態勢仲介案」は仙谷と枝野・安住の更迭に主眼が置かれていたと思われる。特に、反小沢の頭目・仙谷官房長官と参議院選敗北の責任者・枝野幹事長の人事が目玉だったろう。鳩山の友愛で菅直人は小沢一郎の傀儡として首相の座を許してやる温情のある御沙汰だったに違いない。

本来であれば、二つ返事で呑める挙党態勢仲介案だ。それが呑めなかった、答えは仙谷官房長官だ。菅が仙谷に政治生命を一遍に奪われるほどの弱味を握られているとみるのが正解だろう。その弱味は、過去の事犯かもしれないし、ここ3カ月以内のことかもしれない。仮に直近の弱味だとすると、法務省関連の権謀術策に仙谷共々共謀していた弱味だろう。つまりは、小沢一郎への東京第五検察審査会への関与ではないかと思われる。一気に小沢一郎の政治生命を絶つ謀略に加担、引くに引けなくなっている可能性が高い。

国際金融マフィア・D・ロックフェラーとシティーバンクと仙谷由人の関係からの致命的恫喝と云う憶測も成り立つが、話が拡がり過ぎるのでやめておこう。(笑)それよりも、小泉純一郎とメディア担当の飯島勲氏の関係を思い出す。菅直人と仙谷は、それを単に真似たのか、その流れのご指導を仰いだのか判らんが、非常に近似しているのは気味が悪い。

実は筆者は一つだけ気になっていることがあった。それは菅政権が「ねじれ国会」の運営に奇妙に楽観的な部分だ。是々非々で法案ごとに野党の協力を仰げば切り抜けられる等と平気で語っているのが奇妙だった。歴史的にみて、そう簡単に事が進むなどあり得ない。衆議院の2/3もないのだから予算関連法案など一切通らないにも関わらず大丈夫だと思っている点だ。まさかそこまでノーテンキな馬鹿と云うことはない。(笑)

となると、どういう事だ?仮に菅・仙谷ラインで代表再選の暁には、自民党との大連立構想があったとするとすべての説明がつく。その接着剤的キーマンが自民党と仙谷の握りの仲介の労を取っていたのではなかろうか?勿論そのキーマンの奥の院には小泉純一郎が座っているのかもしれない。なかなか「阿波の狸」も権力闘争では侮れぬ存在だ。今後も、この男には要注意だ。小沢陣営も仙谷由人からは目を離さない方が良いだろう。

最期になるが、今夜も憐れな朝日新聞が、ジャーナリスト魂を捨て、プロパガンダ社説に精を出していたので、引用しておく。(笑)内容は酷いもので読まなくても構わない。「民意」と「世論」の違いすら気づかずに書きなぐった社説である。省略するが読売新聞の社説の方が抑制が効いた社説になっている。いと憐れな朝日新聞、この新聞社一番初めに潰れるのかも?

≪ 小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない
 どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。多くの国民が、あぜんとしているに違いない。
 民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。
 政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。
 いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。
 鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。
 二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。
 民主党代表はすなわち首相である。党内の多数派工作に成功し、「小沢政権」が誕生しても、世論の支持のない政権運営は困難を極めるだろう。
 党内でさえ視線は厳しい。憲法の規定で、国務大臣は在任中、首相が同意しない限り訴追されない。このため「起訴逃れ」を狙った立候補ではないかという批判が出るほどだ。政治とカネの問題をあいまいにしたままでは、国会運営も行き詰まるに違いない。
 より重大な問題も指摘しなければならない。
 自民党は小泉政権後、総選挙を経ずに1年交代で首相を3人も取りかえた。それを厳しく批判して政権交代に結びつけたのは、民主党である。
 今回、もし小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の首相となる。「政権たらい回し」批判はいよいよ民主党に跳ね返ってくるだろう。より悪質なのは どちらか。有権者にどう申し開きをするのか。
 それとも小沢氏は代表選に勝っても負けても、党分裂といった荒業もいとわずに大がかりな政界再編を仕掛けようとしているのだろうか。
 金権腐敗政治と決別し、2大政党による政権交代のある政治、有権者が直接政権を選ぶ政治を実現する――。そんな政治改革の動きの中心に、小沢、鳩山両氏はいた。20年余の歳月を費やし、ようやく目標を達成したと思ったら、同じ二人がそれを台無しにしかねないことをしようとしている。
 ほぼ1年前、新しい政治が始まることを期待して有権者は一票を投じた。その思いを踏みにじるにもほどがあるのではないか。しょせん民主党も同じ穴のむじ な、古い政治の体現者だったか――。政党政治自体への冷笑がさらに深まっては取り返しがつかない。
 代表選をそんな場にしてはならない。有権者は政権交代に何を託したのか、根本から論じ直し、古い政治を乗り越える機会にしなければならない。(朝日新聞:27日社説) ≫

*ニヤニヤしながら朝日ちゃんの社説読み直したが、無茶苦茶酷いね。酩酊したどこかのオッチャンの愚痴のようだ(笑)

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/27 06:21

【339】「NHKニュース9の偏向報道」

「植草一秀の『知られざる真実』」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年8月26日 (木)
「NHKニュース9の偏向報道」

8月26日の「NHKニュース9」で、キャスターの大越健介氏による小沢一郎元代表と菅直人代表の両陣営議員へのインタビューが放映された。
 
 テレビ局は画面を構成する際に、上手、下手の区別、出演者の座席位置などに極めて大きな神経を使う。テレビ界の常識でもある。
 
 小沢一郎氏陣営の山岡賢治議員へのインタビューの際には、大越氏が上手に着席し、山岡氏が下手に着席してインタビュー収録が行われた。
 
 菅陣営の寺田学議員へのインタビューの際には、寺田氏が上手、大越氏が下手に着席してインタビューが収録された。
 
 NHKでは政治部エリートがワシントン勤務、経済部エリートがニューヨーク勤務を経験するとされている。とりわけワシントン勤務、あるいはワシントン支局長経験者は米国と強い関係を構築することと伝えられている。大越氏はワシントン支局長を務めた経験を有する。
 
 偏向報道を繰り返してきたNHKであるから、民主党代表選に向けての放送についても、十分な監視が必要である。NHKがビデオ収録を行う際に、上手、下手を意識しないことはあり得ない。
 
 本日の放送では、意図して、菅陣営を上手、小沢陣営を下手に着席させてインタビューを行ったものと推察される。視聴者に目に見えぬ印象を与える手法である。この事実ひとつを取り上げても、NHKの偏向は明らかであり、主権者国民はNHKも悪徳ペンタゴン支配下にあるとの前提で報道に接する必要がある。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/27 06:18

【338】「それでも小沢一郎を支持する理由」

「反戦な家づくり」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010-08-27(Fri)
「それでも小沢一郎を支持する理由」

昨日は、祖母の葬儀があった。日帰りで横浜まで向かう新幹線の車内で、小沢一郎の出馬を知った。

祖母とは小学校前の一時期同居していたこともあり、まるであの歌を彷彿とさせるような愛するお婆ちゃんだった。
幸いにして多くの人に囲まれながら老後を過ごし、少しずつ老いを深め、享年95歳で亡くなった。
亡くなる1ヶ月前に会いに行ったときにも、私を分かってくれ、話をすることができた。
その時の、たくあんを美味しそうに食べる顔が、さいごの思い出になった。

なんだか、今でも上空50kmくらいから、こちらを見ているような気がする。
数年前までは、かくしゃくとして新聞を読み持論をぶっていた。
明るくて、自分も楽しみ人を楽しませることの好きな祖母だった。

そんな祖母の思い出に浸りながら、やはり大事なのは気持ちなんだな と改めて思った。
気持ちのない言葉や約束は、なんの意味もない。むなしいだけのあだ花だ。

気持ちのこもったものは、何十年経っても、その過程で良いことばかりじゃなくても、やはり気持ちは伝わり残る。
論理的に定義はできなくても、長い年月の中で抽出され人の心に蓄えられる。
そういう物語を、南イタリアではストーリアというのだと 最近読んだ小説に書いてあった。

民主党の代表選は、日本の、つまり私たちの最高権力者を決める場だ。
もし祖母が元気だったら、テレビにかじりついて見ていただろう。
その重要な選挙に、どんな気持ちを持った人が出てくるのか。

きれい事は言うつもりもないし空しい。
誰でも、自分が一番大事だし楽しくしていたい。
けれども、自分も楽しくできれば他人も楽しくしたいのか、生き馬の目を抜いて自分だけ楽しくしたいのか、その差は大きい。

小沢一郎の手法を批判する人は多い。豪腕と言われる所以である。
あと一歩間違えれば、阿久根の竹原市長のなりかねないところを、徹底的な民主主義の原理主義で踏みとどまっている。

小沢一郎の考えを、一番集約的に表現したのは、今年1月の村上龍のテレビ番組だろう。
カンブリア宮殿の動画は今は見られないようだが、詳細を記録してくれたブログがあるので紹介する。

ニコブログ 2010.1.5
カンブリア宮殿「村上龍×小沢一郎~ニュースが伝えない小沢一郎~」 メモ&感想

小沢一郎を理想化する気は毛頭ない。
が、以下の論点は、小沢の少なくとも15年来の一貫した主張ではないかと思う。

(以下引用 ①などは明月の付番)

村上龍
「党と官邸の関係は本当に重要だと思うんですけども、結局、決定権と責任をセットにして、ここにあるということがなかなか分からないですよね」

小沢一郎
「そうなんですよ。誰が責任者なのか誰が決定したのかが分からないと。だから全部日本の仕組みっていうのは、政界、官界、民間でも、あらゆるところで責任を取らない仕組みになっているんですね。だからそれが僕はいけないと思っている。自民党政権は半世紀続いたんですけど、当初の頃は別にしても、経済復興も発展も順調になってきて、どんどん官僚におんぶに抱っこの政権になってきちゃいましたから。だから、単なる官僚の皆さんに頼んでおこぼれをもらうみたいな、感じの役割しか政治家はしていなかったんだ。それでも、うまくいっている時は政治家は余計な口を出さない方がいいんですけれども。それが高度成長時代が終わって、世界が変動の時代になると、政治家が1番そういう時に必要なわけですね。政治家が決断し、自分の責任で実行すると」


村上龍
「僕は今、13歳のハローワークという子供のための職業図鑑みたいなの改訂版みたいなのを作っていてですね、そこに政治家っていうようなコーナーもあるんですが、小沢さんが13歳の子供に向かってですよ、政治家がどういう仕事ですかって聞かれたらどういうふうに答えますか」

小沢一郎
「そうですね、みんなが自分の能力を生かして、いい人生を過ごせるような、社会の仕組みを作ることでしょうね」

村上龍
「もうちょっと具体的にお話しいただいてもいいですか」

小沢一郎
「あんたがたが勉強して学校出ても就職できなきゃ困るでしょ。就職できても途中でクビになっちゃ困るでしょ。就職できるように、仕事がちゃんとあるようにすること。あるいは、病気して働けなくなった時でもちゃんとみんなでケアできるようにすることとか。農家で言えばね、農業をやってても“将来は展望はある”と安心できる、政治家がそういう具体的な仕組みを説明すれば分かると思いますがね」

村上龍
「古いパラダイムを現在に合ったものにするということが基本的に小沢さんのゴールですか」

小沢一郎
「そうです。それがみんなのためだ、僕はそう思ってるということです。制度はですね、仕組みは多数決で変える気になれば変えられますけど、頭の中が、意識が丸っきりその時代から変わってないですよ。それが最大の問題で、民主党の中でも、今までと同じような意識を持っているのがけっこういるんですよ」


村上龍
「普天間基地を巡る問題で、移設先はどこかどこかってみんな言ってますよね。僕はこれに関しては、どうしてメディアはもっと前の疑問を議論をしないのか。というのは、そもそも、冷戦が終わった今でも、沖縄にアメリカ軍の基地は必要なのか。日本の国益上必要だったら、どんな手を使っても沖縄の人に納得してもらわなきゃいけない、説得しなきゃいけない。もし必要でなかったら、アメリカ軍がちょっとへそを曲げても、必要ありませんから出て行ってくださいとアメリカを説得する、この2つしかないような気がするんですが、どうですか」

小沢一郎
「基本的にそうですね。これは政府が決めることですけれども、1番の問題点は、日本政府、日本内閣がアメリカにものを言えないことですね。特に自民党はずーっとそうだった。外務省が何も言えない、アメリカに。そういうことで私はアメリカがイライラしているんだと思うんです。僕も日米交渉に何度か臨みましたけれども、“日本人は嘘つきだ”ということから始まったんですよ。“なんだかんだいいようなことを言って全然実行しない”と。そういうのがものすごく嫌われるんですね。やっぱり自己主張はきちんとして、お互いに議論をぶつけ合って、それで譲り合うところは譲り合って、決めたことは守ろうというのが彼らのやり方ですから。日本の場合はあんまり言わない、自分のことを。それでいて実行しないからイライラしちゃう。だから、今の日米関係を心配する人がいますけれども、僕は民主党政権下でもっとアメリカにざっくばらんに話して、ただ、米軍の基地がそんなにいっぱい兵隊さんが前線にいる必要がないということであるならば、それはそれできちんと言って、“自分たちの国の守りはちゃんとやります”とか“国際貢献はこうします”とか“心配いりません”とか、そういうことを言えばいい。僕はそう思います」

(引用以上)

・ほっといても国民みんなが食っていける時代ではなくなったという時代(パラダイム)認識
・その時代に、普通に働いて普通に生きていけるにはどうしたいいのか
・官僚主導のこれまでのやり方では、絶対にうまくいかない
・アメリカにもの申さなくては、生きていけない

私なりに要約すれば、そういうこと。
この点において、(先々では不一致が目に見えているけれども)小沢一郎を、私は支持する。

全部一致しなければ支持できない、という贅沢な御仁は、自分で政治家になり実現していただくしかない。
少なくとも、こうした認識と思いを持っているという点で、私は小沢一郎を応援したい。

自分の権力維持のためには、国民の生活なんて一顧だにしない官から菅の政権は、一日でも早く潰えて欲しい。
原発や集団的安全保障など、いろんな問題が出てくるのは承知のうえで、この民主党代表選では、断固「小沢ガンバレ」と言いたい。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/26 17:07

【337】「菅直人続投の強力内閣・役員人事案が仙谷由人の公設秘書問題でオジャン、小沢一郎が代表選出馬を発表!」

「板垣英憲『マスコミに出ない政治経済の裏話』」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年08月26日 16時13分08秒
「菅直人続投の強力内閣・役員人事案が仙谷由人の公設秘書問題でオジャン、小沢一郎が代表選出馬を発表!」

◆鳩山由紀夫前首相が25日、菅首相に提示した「菅首相続投、強力内閣・役員人事案」に仙谷由人官房長官が強く難色を示して抵抗したため、99%実現すると思われた人事作業が土壇場でオジャンとなり、菅首相と小沢前幹事長が激突することになった。
 鳩山前首相が提示したのは24日夜、ホテルニューオータニ6階ダイニングバーの個室で小沢前幹事長と約3時間会談し、「菅首相続投、強力内閣・役員人事案」として作成したものだった。「菅首相、小沢幹事長」を軸に、連立する予定のたちあがれ日本の与謝野馨共同代表、みんなの党の渡辺喜美代表代表、新党改革の舛添要一代表、国民新党の亀井静香代表らが入閣する強力政権の布陣であったという。小沢前幹事長は、公明党との連立も考えているので、この人事案に公明党の幹部名が入っていた可能性があるが、不明である。一方、このなかに岡田克也外相、前原誠司国土交通相の名前はあったのに対して、「脱小沢」の急先鋒・仙谷官房長官と枝野幸男幹事長の名前はなかった。
 枝野幸男のはともかく、仙谷官房長官が外されたのは、単に「脱小沢」の急先鋒であるというのが原因だったわけではない。仙谷由人官房長官の公設第2秘書・矢野清城氏に問題があった。矢野清城氏は公明党の矢野絢也元委員長の長男である。2009年11月に第2公設秘書に登録されているが、それ以前は、矢野元委員長の長男を伏せて私設秘書として務めていたという。
◆矢野元委員長はこれまで公明党の支持母体・創価学会と訴訟事件を抱えて、「仏敵」と呼ばれており、公明党との連立を模索してきた小沢前幹事長にとっては、矢野元委員長の長男を公設秘書にしている仙谷官房長官を閣僚のまま温存しておくのはなんとしても都合が悪い。小沢前幹事長が2月26日夜に公明党の支持母体である創価学会前会長の秋谷栄之助・最高指導会議議長と東京都内 のホテルで密かに会談したのは、仙谷官房長官を牽制する目的があったとも見られていた。
 なにより英国ロスチャイルド-ローマ法王庁(バチカン)-創価学会が連携して、小沢救済に当たり、ディビッド・ロックフェラーやブッシュ前大統領側から放たれる刺客によるテロを未然に防ぐため、欧州から小沢一郎前幹事長護衛組織が日本に向けて続々送り込まれつつあると言われてきた緊迫した状況の下で、小沢前幹事長の目には、仙谷官房長官は極めて危険な存在に映っているのである。
◆それでも、仙谷官房長官は「菅首相続投、強力内閣・役員人事案」を一目見た瞬間、不快感を示しながらも、そこは告示までに何回か折衝を繰り返していけば、閣内に残れるものと考えていた。ところが、案に相違して、人事案を持ってきた鳩山前首相は、一発で認めて受け入れるよう要求した。思惑が外れた仙谷官房長官が、暴力団や総会屋を弁護して鍛えてきた経験から、ヤクザまがいの凄みのある恐ろしい形相で「とても飲めるような人事案ではない」と猛烈に反発した。菅首相は、仙谷官房長官を切ることもできず、鳩山前首相の仲介は、この瞬間に失敗したという。
 マスメディアは、菅首相側が「脱小沢」の旗を降ろそうとしなかったことが原因で、鳩山前首相の仲介が失敗に終わったと報道しているけれど、実際は、菅首相が反創価学会側の仙谷官房長官を外す、つまりは「仙谷切り」ができなかったためというのが、真相のようである。
◆せっかく鳩山前首相と小沢前幹事長が、苦心の末に「菅首相続投、強力内閣・役員人事案」により、強力布陣を築こうとしたにもかかわらず、菅首相が仙谷官房長官を切れなかった裏には、何があるのか。「菅首相は仙谷官房長官に尻尾を握られている」という見方が、永田町界隈で取りざたされている。いずれはっきりしてくることであろう。いずれにしても、菅首相と小沢前幹事長が死闘を続け、両陣営がキャンダル合戦を華々しく展開しているうちに、噴出してくることが予想される。楽しみである。
(マスメディアからの理不尽な小沢叩きを浴び、また官僚の抵抗にあい続けた小沢前幹事長が代表選出馬を発表するまでには、幾多の紆余曲折があった。だが、米欧の国際金融機関からぐるりと包囲された日本が、まさに国難に直面しているなかで、救国内閣を樹立できる政治家は、小沢前幹事長しか見当たらない。この意味で私は、実に感慨深く、小沢前幹事長の代表選出馬を心から喜びたい。この勢いで是非とも当選して、小沢一郎救国内閣を実現して欲しい。我田引水をいうならば、これまで17年間に「小沢一郎」をテーマにした書籍11冊をものにし、このうち、4冊が「小沢一郎のホームページ」に掲載されている立場では、小沢一郎救国内閣誕生の暁には、12冊目を是非とも上梓したいと考えている)

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/26 15:02

【336】「小沢一郎政権実現妨害のマスゴミ粉砕が最重要」

「植草一秀の『知られざる真実』」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年8月26日 (木)
「小沢一郎政権実現妨害のマスゴミ粉砕が最重要」

小沢一郎民主党元代表が民主党代表選に立候補することを表明された。熟慮の末の決断である。9月14日の民主党代表選は日本の歴史を画する最重要の行事になる。主権者国民は主権者国民政権樹立に向けて代表選を正しい姿勢で見守ると同時に、主権者国民勢力を代表する小沢一郎氏の当選に向けて総力を結集しなければならない。
 
 民主党代表選は主権者国民と悪徳ペンタゴンの闘いになる。昨年8月30日の総選挙で主権者国民は主権者国民政権の樹立を希求して民主党を大勝させた。主権者国民が大勝させた民主党は、「国民の生活が第一」を掲げた鳩山-小沢体制の民主党だった。
 
 政権交代によって実現すべきことは、米官業が支配する日本政治構造の刷新だった。
①対米隷属からの脱却
②官僚利権の根絶
③大企業と政治権力の癒着排除
の三つが最重要課題である。
 
④取り調べ過程の全面可視化
⑤市場原理主義から共生主義への転換
も重要課題である。
 
 鳩山政権は普天間基地の県外、国外移設を模索したが、岡田克也氏、前原誠司氏、北澤俊美氏の関係主要閣僚が対米隷属の行動を強め、辺野古移設の流れを作られてしまい、辺野古移設案を決定してしまった。この決定の責任を負う形で鳩山政権は総辞職した。
 
 この機に乗じて民主党を乗っ取ったのが民主党内の対米隷属悪徳8人衆であった。菅政権は反小沢政権を樹立すると同時に、国民主権政権を根本から変質させ、政権の基本性格を国民主権政権から悪徳ペンタゴン政権に変えてしまった。
 
 菅政権が示していた方向は、
①対米隷属外交
②官僚利権の温存
③大資本との癒着継続
④取り調べ過程の全面可視化撤回
⑤市場原理主義・財政再建原理主義の経済政策
だった。
 
 7月11日の参院選に向けて消費税大増税を公約として掲げ、参院選に大敗した。消費税大増税公約は民主党内の民主的な意思決定手続きを経ないで菅首相が独断で打ち出したものであった。
 
 菅首相は参院選に際して、参院選が菅政権に対する信任投票になるとの見解を明示した。国民の民意を受けずに首相に就任したことについての批判への回答だった。その参院選で民主党は大敗した。国民は菅政権に不信任を突き付けたのである。
 
 したがって、菅首相は自分自身の言葉の責任から参院選後に辞任しなければならなかった。それにもかかわらず、菅首相は総理の椅子にしがみついた。そのうえで、民主党を二分し、小沢氏グループを排除する姿勢を維持し続けた。
 
 菅氏の行動は私的な利害得失だけを考えたもので、そこには、公益、国民の利益を考える姿勢、国民の意思を尊重する姿勢は消失していた。

このなかで小沢一郎元代表が代表選出馬を決断したことを心から歓迎したい。正義と大義は小沢一郎氏の側にある。
 
 鳩山由紀夫前首相が小沢一郎氏支持を表明したことも正当である。悪徳ペンタゴンは検察権力とメディアを総動員して小沢一郎氏攻撃を展開し続けてきたが、主権者国民は正義と真理がどこにあるのかを正しく見極めなければならない。
 
 9月14日の代表選まで、メディアは小沢一郎氏に対する激しい攻撃を展開することになるが、メディアの情報は完全に歪んだものである。米官業が支配する日本政治構造を維持することだけを目的とするものである。
 
 小沢一郎氏周辺の刑事問題が繰り返し攻撃材料に掲げられてきたが、その内容はメディアがわざわざ取り上げるべきようなものでない。チンピラが因縁をつけているようなものである。
 
 小沢一郎氏陣営は、毅然とした姿勢でチンピラの因縁をはねつければ良いのである。
 
 民主党代表選を通じて、民主党から対米隷属悪徳議員を排除することが求められる。これらの反党分子が民主党内に存在し続ければ、国民主権政権による国民本位の政策遂行は今後も妨害を受け続けることになる。
 
 強制起訴を避けるために代表選に出馬したとの悪質な誹謗中傷に対しては法的な措置も含めて厳しく対応する必要がある。小沢一郎氏を見事に当選させ、日本政治を刷新しなければならない。
 
 主権者国民と悪徳ペンタゴンの闘いであることを正しく認識し、主権者国民勢力を全面支援しなければならない。マスゴミは悪徳ペンタゴンの手先であり、闘いはこの悪徳マスゴミとの闘いでもある。主権者国民勢力はネットから真実の情報を発信し、口コミで情報を拡散し、悪徳ペンタゴンとの闘いに必ず勝利しなければならない。
 
 小沢一郎元代表の勝利が日本の新時代を切り拓く大きな扉になることは間違いない。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/26 11:38

【335】「小沢氏「不肖の身ではありますけれども、代表選に出馬する決意をいたしました」」

「日々坦々」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010/08/26(木) 09:08
「小沢氏「不肖の身ではありますけれども、代表選に出馬する決意をいたしました」」

昨日は休みで、本を読むつもりでのんびりしようと思っていた。

が、やはり小沢さんの講演が気になり、ツイッターをチェックしていると、The Journal が速報ツイートをしていた。

他のツイートも見ていたら、法務大臣政務官の中村哲治参院議員の下記のツイートが目に入った。

≪今日は小沢一郎塾で小沢代議士が10時から講演。予定を変更して聞きに行くことにしよう。事務所に寄ってICレコーダーを取ってこなければ。 #ozawa≫

そして4時間後、MP3がアップされていた。

≪小沢一郎政治塾。小沢先生の講演は講演部分がマスコミフルオープン。質疑のところはクローズド。講演部分は途中までのファイルがアップできた様子。これから公務のため帰ってからキチンと上げ直します。http://data.tezj.jp/2010-0825ozawa.MP3

ここから聞きながらメモを取るようにキーボードを打っていたら、決意表明ならぬ想像力を書き立てる小沢さんのスピーチにのめりこみ、結局45分以上あった講演全て掘り起こしてしまった。(笑)

読みたいと思っていた本も読めず、ほぼ5時間以上これにかかりっきりになった。

これは”写経に近い”というのが感想で、その精神状態に近くなった、ということもできるかもしれない。(笑:やっぱり小沢信者だとチャカされそうだが)

中村てつじ(中村哲治)民主党参議院議員ツイート http://twitter.com/NakamuraTetsuji

小沢一郎講演録@小沢一郎政治塾 2010.8.25
●MP3 : http://bit.ly/aia6OT  
●動画:http://bit.ly/awnMnE
●テキスト:http://bit.ly/bYpWJy

マスコミがこの小沢塾での講演の一部をとって批判しだし、また前後の文脈を無視して批判するマスコミの常套手段かと、俄然、キーボードを打つ指にも力が入ったが、読み返すと文字通りに言った事は確かだった。

ただ、その真意は全然違うと思っている。

≪民主・小沢氏「米国人好きだが単細胞」-党代表選は言及避ける≫(ブルームバーグ 2010/08/25 15:34)

≪小沢氏「米国人は単細胞、英国は紳士面してる」≫(読売新聞 2010年8月25日19時20分)   

主旨としては、映画「戦場に架ける橋」でイギリス兵の捕虜を例に出し、日本兵が捕虜になった時との対比をしている。
日本兵は捕虜になった途端に、軍事機密から聞きもしないことも全てペラペラしゃべり、将校も一般兵の区別がなくなり、タガが外れる。
これに比べ、イギリス兵は捕虜になっても規律を守り、上下の区別もしっかりとしている。

この違いは何か、小沢さんは語気を強めた。

イギリスは、軍隊も組織も階級もイギリス国民自身の手で作り上げてきたもので、日本は上から押し付けられ、自分の意志ではない、という自立心の違いをこの捕虜の兵を例に取っている。

また、アメリカでのオバマ大統領の就任とスクールバスなどを例にとって、日本の民主主義との違いを浮き彫りにさせている。

あまりにイギリスとアメリカを持ち上げ、日本をこけ落としているので、そのバランスを取るために上記の言葉をそのフォローとして出している、というのが真意のような気がする。

********** ******

この後の非公開の質疑応答の様子を中村てつじ(中村哲治)民主党参議院議員がツイートをしている。

≪ここからはクローズドの質疑応答の部分。文責は全て私(中村)にあります。表に出したらまずそうなこと(は、ほとんどないですが)以外を書きたいと思います。小沢一郎という政治家の理念を感じて頂ければと思います。

質問「将来は政治家をめざしています。何が大切ですか?」小沢「私は「百術は一誠にしかず」という言葉を座右の銘にしています。選挙もパフォーマンスに終わってはなりません。40何年間、その思いで通してきました。」

質問「小沢先生は好かれ方・嫌われ方がハッキリしています。先生を好きな人は滅茶苦茶好き!という感じの人が多いです。自己評価は?」小沢「自己評価はと言われても…。田舎育ちのせいもある。話もパフォーマンスも下手だし嫌い。だから自分で会ったり話したりできるだけ努めている。」

小沢「今は選挙期間も二十数年帰っていない。自民党を出る時も何する時も支援者にも妻にも相談したことがない。若い時に十数年間地元で日常活動を徹底的にやった。道路一つ、人間関係一つ、一番知っている。支援者の皆様は今何を言わなくてもひたすらついてきて下さっている。」

小沢「そんな支援者の皆様には本当にありがたいと思っている。自分の信念を持って貫いていくこと。それと誠の心。その生き様を全国にいらっしゃる支援者の皆様には評価して頂いているのかな。」

小沢「一部ではえらく嫌われているけど、会ったこともない人から何でそこまで言われなくてはならないのでしょう…」と発言があった時には、会場から笑いが。

質問「選挙に勝つための秘訣は?」小沢「選挙とは国民主権を採る近代国家で主権者が主権を行使する唯一の場。とても大切。「選挙至上主義」という批判もあるが、選挙を軽視することは国民主権を軽視することだ。主権者の皆さんの信頼をどれくらい得ているのかということ。」

小沢「選挙にうまい方法なんてない。基本は一人でも多くの人と意見を交わして信頼を勝ち取ること。直接会って話をしなければ有権者が何を考えているのか、分かるはずはない。」

小沢「イギリスでも外務大臣と会った時、月曜日に地元から戻ってきた時に会った。金帰火来(きんきからい:金曜日に地元に帰り土日に活動をして週明けに来ること)そのもの。英国外相は「民主主義のコストだ」と仰っていた。」≫

昨日はそういう意味ではどっぷりと小沢さんに使っていたが、さて、代表選である。

********** ******

鳩山さんの仲介を突っぱね、カンさんは完全に「脱小沢」を今後も前面に出していくことを決めたようだ。

ここまで書いているときに動きがあった。

本日8/26、8時から始まった小沢・鳩山会談が、8時21分現在、小沢さんと鳩山さんの2回目の会談が終わり、今、建物から出てきたということだ。

フジテレビ「特ダネ」は、小沢さんが、ぶら下がりでインタビューを受けているのに、なんと絵だけでマイクで音声がとれてない。んー、このヘッポコレポーターめが!と悪態をつくが、すぐに速報が流れた。

ニュース速報流れる「小沢前幹事長、鳩山前首相に代表選出馬の意向伝える」とすぐにツイート

チャンネルをテレ朝に替えると、ぶら下がりがちょうど報じられていた。

小沢氏
「今日、鳩山さんと会い、『もし出馬するなら、協力し支援していきたい。』というお話をいただきましたので、今日、ただ今、鳩山前総理の前で不肖の身ではありますけれども、代表選に出馬する決意をいたしました」

まあ、これは昨日のカンさんの「脱小沢」を修正しない、という時点で小沢さんの出馬の方向が決定的となり、民主党分裂も現実味を帯びてきた、といえる。

全てはカンさんの蒔いたタネによるところが大きい。

鳩山さんにしても折角、挙党一致体制をとろうと”伝書鳩”と化して、行ったり来たりしたのに、カンさんは全て突っぱねた。

これで、鳩山さんも小沢支持にまわることになる。

追加:鳩山ぶら下がり会見:
「民由合併の時からの同士としての協力が得られるなら出馬したいと、仰られた。私の一存で小沢先生に民主党に入っていただいた。その経緯からして、私としては応援すると、それが大義だろうと思っています」 5秒以内前

株式市場からも信用を失い、多くの民主党支持者の信用を失っているカン政権は、あとは謀略と策略でなんとか打開しようとする手しか残っていない。

ここは、仙谷などの動きを注視していかなければなるまい。

(転載貼り付け終了)

投稿日:2010/08/26 07:11

【334】「鳩山由紀夫の仲介大失敗:小沢一郎VS菅直人の戦闘開始!」

「世相を斬る あいば達也」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年08月26日
「鳩山由紀夫の仲介大失敗:小沢一郎VS菅直人の戦闘開始!」

今週になって「小沢一郎、代表選出馬困難か?」と云う事実無根の怪情報が実しやかにマスメディアから垂れ流されている。テレビ朝日の報道ステーションが最悪の悪意プロパガンダを古舘が喚いていた。西松建設捜査の検察リーク情報を垂れ流しに構図が近似してきた。驚く事に、小沢一郎本人への事実確認の取材など努力した形跡すら見えていない。

今回の垂れ流し情報のリーク元は巡り巡って仙谷由人に辿りつく。マスメディアに直に伝聞したのは、その支配下のもの達であることは明白だ。

24日の各マスメディアは
*「旧社会党グループと話がついた」(筆者注:横路衆議院議長が曖昧な態度でいるのは、小沢の出馬が決まっていないからに過ぎない。最悪でも自主投票が決着点だ)

*「旧民社党グループとも話がついた」(筆者注:まったく着いていない。小沢が出馬していない段階で何も決められないだけだ)

*「衆議院1年生議員も納得した」(筆者注:強制召集で新人議員半分強しか集まらん首相なんて、この世にいるのか?)

*「鳩山グループも党分裂回避で一致、小沢氏の応援は難しい」(筆者注:そもそも鳩山グループは二つ三つに分裂している。その一部15人の考えに過ぎない。平野、樽床の二大勢力は代表選で力を発揮するだろう。勿論小沢にとって)

*「小沢派内にも自重の動きあり」(筆者注:一部自重の意見もあるが、大将が出るといえば、そりゃ死に物狂いでと話が続いている)等々事実確認が難しい内部情報を自分達に都合よく解釈し、官房機密費で薄汚れた口から「外堀は埋まった。流石の小沢さんも、これでは出馬出来ないだろう」、と朝日・読売・毎日とその傘下のテレビがまくし立てている。

しかし、25日夜のNHK、報道ステーションの報道スタンスが一気に変わった。民主党代表選問題をシカトするが如き態度に出たのである。(笑)どうしてだろう?簡単な話だ、小沢一郎の代表選出馬が確定的になった事による混乱である。

話が違うじゃないか、「小沢出馬困難に」で嬉々として喋りまくった大越、古舘キャスターらが前日と異なる事実を報道する「面」を作り切れなかったと云う事情で第三番目ニュース程度の扱いで逃げたわけである。(笑)

鳩山の「挙党態勢」で一致団結と云う子供じみた試みは、24日の小沢一郎との3時間に及ぶ話し合いで既に頓挫していたようだ。まさか25日の菅首相との会談をスルーするわけにも行かず、時間つぶしをしたに過ぎない。菅直人は既に悪の枢軸に呑み込まれた存在であり、鳩山が知る友人・菅直人ではなくなっているのである。魂を抜かれた口の軽い、只の神輿に過ぎない。25日夜のぶら下がり取材における菅直人の表情を見たか?もうすべてを投げ出して、お家に帰りたいと叫ぶ寸前である。闘う前から涙目になっている、まさかうつ病にはならんでくれよ。

一方25日、小沢グループから直接出馬要請を受けた小沢一郎は「今の政治状況を見ると立ち向かわなければならないと思っている。私にも考えるところがある」、「皆さんの期待に応えることができるような、そういう自分の気持ちに納得できるような結論が得られればいいと思っているが、自問自答するところも残っている」と若干の猶予を残したが、不出馬で国家国民がどれ程の不利益を菅直人らによって齎されるか百も承知な言は、出馬を認めているようなものである。

小沢一郎が代表選出馬を決めさえすれば、代表選勝利は疑う余地のないことだ。しかし、縄文の心で政治を行ってきた小沢一郎と云う政治家は、自分の勝利が日本の民主主義の定着、ひいては国家国民の為に本当に正しい選択なのか迷っているかもしれない。決断するまで、小沢一郎は迷うに違いない。しかし、一旦決断したら、絶対勝利の方程式を作り上げるだろう。今回は選挙の小沢に徹して貰いたいものである。

上記のような小沢の心境とは別に、クールな政治家・小沢一郎は内閣総理大臣になった場合の安定した政権運営を希求する。この際、仙谷・前原・野田グループは党内野党化するわけで、宮沢内閣における「嘘つき解散」なる不信任決議案のシーンを小沢一郎も思いだしているに違いない。

不信任決議案などと云うもの、そうそう可決されることはない。日本国憲法下で可決されたのは4回、吉田内閣が2回、大平内閣が一回だが、共に与党議員の欠席による可決だった。しかし、宮沢内閣における不信任決議案の可決は、与党造反組の賛成票によって成立した。若き小沢一郎もその賛成票を投じた一人である。

こう云うことが起きるのが政治だと肌で知っている。それだけに、内なる敵を抱えながら内閣総理大臣に就任する危険は百も承知している。 そう云う意味で、安定政権を維持することも重要な代表選出馬のポイントになる。

この場合、内なる敵で造反劇に積極的に加担する連中が何人居るのか、50人程度なら問題ないが、100人となると連立などで手を打つ必要が出てくる。勿論、参議院におけるネジレの解消も視野に入れなければ、09年マニュフェスト・国民との約束を迅速に粛々と実行する法案の提出と成立を期さなければならない。おそらく、小沢一郎は代表になる以上、安定した政権の構築が可能と云う条件もクリアーさせようと模索している可能性がある。

鳩山グループが離反しても、議員票で小沢は上回っている。何故か?前原・野田グループの議員数は水増し。今月末立ちあげ樽床グループ(40人規模)の顔ぶれを見るがいい。平野グループも見逃せない。党員・サポーター票も断然小沢リードである。それ故に、菅直人は強制召集令状を出す破目になっているのだ。鳩山、菅一派で勘定的に勝てるはずだが、実は勝てない。所属議員数の勘定間違いがある(笑)

いずれにしても、鳩山由紀夫の訳の判らん仲介が徒労に終わったことは恭悦至極だ。しかし、皮肉なもので、鳩山の仲介劇が一層小沢対菅の構図を一層浮き上がらせ、将来的政界再編は不可避と云う方向性を見せはじめている。

(転載貼り付け終了)