日本政界●情報メモ
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Loginはこちら【573】ETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久 吉岡忍~」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/110403.html より貼付ETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久 吉岡忍~」
教育/デジタル教育1
放送日: 2011年4月3日(日)
放送時間:午後10:00~午後11:00(60分)
大地震が襲った福島第一原発をめぐり、地元では何が起きているのか。二人の作家が現地で対談する。
福島県三春町在住の芥川賞作家・玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんは、事故発生以来、住職を務める福聚寺を守りながら放射線に翻弄される地元の人々の暮らしを見つめている。第一原発から45キロに位置する三春町は、避難地域に指定された20キロ圏内に住む人々の避難先となり、受け入れ限度をはるかに超える1000人以上が避難して来ている。津波により家族を亡くした人々の葬儀も出来ない状況となり、政府による野菜や牛乳の出荷停止措置に、このまま故郷が失われてしまうのではないかと懸念している。
ノンフィクション作家の吉岡忍さんは、地震発生後に三陸海岸に入りさんたんたる状況を取材してきた。吉岡氏にとっても大地震と原発事故の複合災害は取材経験のない未知の事態である。三陸から福島に移動してみると、被災地の様子が全く違うことに気づいた。30キロ圏外でありながら高い放射線量を記録するホットスポットで、自主避難の指示が出てもなお家を出ることがかなわない高齢者や、毎日自分で放射線量を計測しながら留まっている夫婦。原発や放射能に関する情報の不足に、福島の人たちはまだまだ未来を考えることが出来ないと痛感している。
見えない放射能に怯える現地に生きる玄侑宗久さん。阪神大震災はじめ多くの災害下で人々の営みをみつめてきた吉岡忍さん。福聚寺での二人の対談を軸に、今何が求められているのか、これからどう生きて行くのか、問題の核心に迫る。
【572】SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nuclear power plant, Japan
http://www.youtube.com/watch?v=70ZHQ–cK40&feature=related より貼付
投稿者: p4minamisoma | 作成日: 2011/03/26
Message from the Mayor of Minami-Soma City; filmed on March 24, 2011.
The mayor himself talks of how the city lacks supplies and how there
are no means to deliver the supplies to the citizens evacuating at
home.
Please give support to Minami-Soma!
2011年3月24日に撮影された南相馬市長からのメッセージです。
物資が不足していること、届いた物資を自宅退避している住民へ宅配する手段がないこと、などについて、市長自ら語っています。
南相馬にサポートを!
Minami-Soma City web site 南相馬市公式サイト
http://www.city.minamisoma.lg.jp/
【571】「国民生活第一」が聞いてあきれる“平成の棄民”
「国民生活第一」が聞いてあきれる“平成の棄民”
田中康夫衆院議員寄稿
「東日本大震災記」◆サンデー毎日11/04/10号
3月20日、南相馬市役所で再会した桜井勝延市長は語りました。「東京電力から、誰も訪れて来ません。電話一本、有りません」と。
南相馬市は、東京電力福島第1原子力発電所が位置する大熊町や双葉町と異なり、東電関係の原発交付金=原子力発電施設等立地地域特別交付金を1円も受け取っていません。“飴”とは無縁の自治体なのです。
が、市内の一部が30km圏内に掛かり、市全域の住民は「屋内退避」を政府から求められます。実測値の放射線量は、原子力安全・保安院や東京電力スタッフが「避難」した福島市の約3分の1にも拘らず。
「屋内退避を続けよ。但し、食料・物資は自己調達せよ」と矛盾に充ちた“鞭”を打たれ、運送会社も“被爆”を怖れ、何も届かぬ“平成の棄民”状態に留め置かれたのです。地震発生2週間後の25日に至って、枝野幸男官房長官は「命令」「勧告」ならぬ自主避難「要請」会見を行います。
「国民の生活が第一。」とは対極な、「避難指示を出せば住民の移動に多額の費用が掛かる。自主避難なら少しでもコストダウン出来る」発言を政府関係者から引き出した「共同通信」は、「首相も官房長官も安全な場所で学芸会の様に騒いでいるだけ」と被災者の慨嘆を同日付で配信しました。
直感力・洞察力、決断力・行動力を兼ね備え、潔き出処進退の覚悟も有する指導者の下、手続に拘泥する民主主義でなく、成果を編み出す民主主義を、我らが日本に根付かせねば!
東北地方太平洋沖地震発生の3月11日に時計の針を戻します。骨盤と脚骨の間の軟骨が摩耗し、左足を引き摺っていた僕は次年度当初予算が衆議院通過後の2日、金属製人工股関節を填め込む手術を受け、選挙区の尼崎市で入院中でした。兵庫県立尼崎病院の建物も長時間揺れ続けます。
病室で点けたTVには程なく、津波が名取川を“逆流”し、田畑や家屋、車両を呑み込むヘリコプターからの映像が映し出されます。若しや、阪神・淡路大震災を遙かに上回る大災害ではないか。胸騒ぎを覚え、即座に退院が叶わぬ自分の体調を恨みました。
新党日本が与党統一会派を組む国民新党の下地幹郎幹事長と連絡を取り、2点を官邸に提言しました。
災害対策基本法に基づき、NHKラジオ第2は福島・宮城・岩手・青森の県域毎にライフラインの情報に徹せよ。NHKが関東広域放送の茨城では、ラジオ単営の茨城放送に人員・経費を投入すべきと。
TVは被災地以外の視聴者向けに情緒的「報道」を繰り広げ勝ち。他方、神戸が本社のラジオ関西は地域密着型情報提供を続け、信頼を得ました。地震発生4日後に大阪で50ccバイクを買い求め、後部座席のプラスチック箱とリュックサックに物資を詰め込み、半年余り、避難所やテント村、仮設住宅を“御用聞き”として回った16年前、38歳の記憶が蘇ります。
併せて、飲料・食料、毛布、防寒着、手動式充電ラジオ、充電済み携帯電話等を梱包した物資袋を、低空飛行の自衛隊ヘリコプターから集落毎に投下を。有効な初動対応の筈です。
が、実行されませんでした。法律で禁止されている、義務付けられている、と平時には国民に強いる行政機関は、一旦緩急の際には、前例がない、と躊躇するのです。前例がない事態たればこそ、民主主義を護る為に踏み出す消防隊や自衛隊の気概とは対極です。
2日後の13日、亀井静香代表が菅直人首相に4項目を提言しました。
日本共産党も含めた全党3役クラスが震災対策本部に参画し、機動的決断を。救援に当たる陸海空自衛隊3隊の陣頭指揮を統合幕僚長が現地で。仮設住宅と用地を10万戸単位で確保せよ。国、自治体に加えて経団連傘下企業も1社10名の緊急雇用を。
家族も住居も職場も喪失した今回、最後の提言こそ肝要です。経済同友会や連合も各社、単組で応じ、首相と財界、労組の指導者が合同会見に臨み、嘗ては世界屈指だった太陽光関連の事業所を被災地で展開すると発表したなら、国民に勇気と希望を与えます。
なのに、1つとして実行されず。切歯扼腕し、医師の許可を得て退院を早め、杖を片手に19日深夜、トレーラーとワゴン車にスタッフと分乗。東京から先ずは仙台へと向かいます。沖縄1区選出の下地氏の下へ、ミネラルウォーターや黒糖飴を満載のコンテナが、災害に毎年直面する沖縄の方々からフェリーで到着します。僕も資生堂の池田守男相談役に頼み、1週間以上も風呂に入れぬ被災者の為にドライシャンプーを調達。
営業所2ヶ所が水没し、トラック70台が流された仙台市若林区の大衡運送で、複数の2トン車に積み替えます。足立盛二郎副社長の陣頭指揮下、被災地の日本郵政グループ事業所が地域集落で展開する被災者支援の物資を補給すべく。
津波で壊滅状態の同区荒浜地区を通過し、民間金融機関はATMも含めて全てシャッターを降ろす中、窓口業務を唯一続ける相馬郵便局に到着したのは20日14時過ぎ。自ら志願下さった大衡運送の青年が運転するトラックは、津波の痕跡も生々しい国道6号線を更に南下します。冒頭の述懐を桜井市長から聞いたのは夕刻でした。
翌21日昼、普段は大手町や表参道の街角でエスニック味の無添加弁当を販売するアジアンランチと連携し、炊き出し2000食を旧相馬女子高の避難所で敢行。都合6種類の料理から2品を選択頂き、ヴェトナムの米麺フォーが入った丼に盛り付けます。10日振りの温かい食事。被災地に於いても、お仕着せの支援でなく、自分で料理を選び、味わい、喜びを分かち合ってこそ、活力を得るのです。
巨大電機メーカーが暴力団系組織を暗躍させ、建設を企てた産業廃棄物最終処分場計画に一市民として敢然と闘い、昨年1月、市長に就任の桜井氏とは10年来の知己。その彼が「屋内退避」指示を知ったのは東京発のTVを通じてでした。政府と県から「連絡」が有ったのは地震発生6日後。僕がメールで伝えた官邸直通電話に“直訴”し、松本龍防災担当大臣が19日に短時間訪れます。
が、同行のマスメディアは皆無。公共放送のNHKも逸早く南相馬駐在記者を「避難」させ、取材は地元紙の記者のみでした。全国紙が現地入りして報ずるのは24日付紙面からです。
その24日に「各党・政府震災対策合同会議」で質しました。福島第1原発の内部を日本政府の要請を受けて24時間態勢で米空軍の無人偵察機「グローバルホーク」が上空から撮影した、「車のナンバーが読み取れる程に鮮明」な映像を、米軍は公開も認めた上で日本側に提供と19日付「毎日新聞」が報じたにも拘らず、分析結果すら国民に報告しないのは何故、と。翌日の回答は、「機密保持の観点から解像度を下げて公開する事も検討」でした。「情報公開」を掲げて実現した政権交代が泣きます。
東京電力の「説明責任」も、“木で鼻を括る”醜状です。2002年、炉心部ひび割れを隠蔽した歴代トップ4名が総退陣後、東電社長に就任し、経団連副会長をも務めた勝俣恒久氏は電力事業連合会会長だった06、07両年、柏崎刈羽、福島第二で連続発生の重大事故を公表せず、データ改竄をも黙認しました。今回の炉心溶融、無計画停電の遠因を生み出した人物です。
なのに、取締役会長に留まる彼は黙して語らず。直撃取材のマスメディアも寡聞にして知りません。地震発生時、“側近”が毎年企画する中国「視察」旅行に複数のマスメディアの編集幹部が勝俣氏と参加していた“負い目”でしょうか? 或いは、取材現場さえも東電の「接待」攻勢に“感電”したのでしょうか?
原発群に隣接の福島3区選出の玄葉光一郎国家戦略担当大臣は25日、「今、大切なのは東京電力への批判でなく、決死の作業員を日本国民全員で激励し後押しする事だ」と奇妙な“一億総懺悔”論を会見で展開しました。
太平洋戦争時も今回も、最前線の人々は純粋で一生懸命。が、その真心と責任とは別物。“ノーブレス・オブリージュ”の欠片すらない政官業の指導者では、日本再興は夢物語です。
とまれ、出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り。その哲学を抱き、行動し、発言し、行動する。微力ながら、今週末も被災地に入る僕の覚悟です。
http://www.nippon-dream.com/?page_id=3168 より貼付
【570】平成の“棄民”を見捨てるな!南相馬からの報告 guest桜井勝延氏(南相馬市長)
【569】副島隆彦がゴーストタウンと化した 福島県双葉町に入って
光文社FLASH
2011年4月12日号
通巻1138号
2011年3月29日発売
特別定価:400円(税込み)
東日本大震災 全力取材号
副島隆彦がゴーストタウンと化した
福島県双葉町に入って見た!感じた!
原発5キロ圏決死リポート
http://www.kobunsha.com/shelf/magazine/current?seriesid=101002
【568】youtube福島第一原発 現状と今後とるべき対応策 (大前研一ライブ580)
福島第一原発 現状と今後とるべき対応策 (大前研一ライブ580)
【567】武田邦彦教授 緊急インタビュー (関東エリア未放送)
武田邦彦教授 緊急インタビュー (関東エリア未放送)
【566】福島の原子力 科学映像館
福島の原子力
科学映像館
科学映像館 館長 折茂 肇
NPO法人 科学映像館を支える会
1985年 27分 (カラー)
【製作者の声】
1966年12月から建設が開始した東京電力の原子力発電所。
原子力発電の仕組み、建設工程を詳細に記録した劇場上映用映画。
この時代、映画館で盛んに上映されていたことが伺える。
この作品は埼玉文化振興基金助成金によりデジタル化、配信
【565】2010年2月8日佐藤栄佐久元福島県知事インタビュー
@iwakamiyasumi
3月20日に行われた、佐藤栄佐久元福島県知事の緊急インタビューは大きな反響をいただきました。動画と共に、有志によるサマリーテキストを掲載しています。ぜひご覧ください。http://bit.ly/eSa779
http://iwakamiyasumi.com/archives/7682 より貼付
・福島県知事時代、原子力発電に反対ではなかった。プルサーマル計画に疑問をもったのは、燃料廃棄についてどこに捨てるかが未決定だったから。
・エネ長長官が関連法規を二点変更したことなどを評価して、その時点でプルサーマル推進には賛成。しかし、四つの条件をつけた
1.Mox燃料の品質管理
2.作業員の被爆低減
3.使用済みMox燃料対策の長期的展望の明確化
4.核燃料サイクルに関する国民会議
これらの条件は、翌年より裏切られ続け、東電との間にも軋轢が生じた。
・1989年、福島第二原発のボイラー事故が起きた際に、地元に情報がまわらないなど、隔靴掻痒の事態に。同様の事故が、三年後、美浜原発でも起きて、疑問が深まった。
・原発一基検察に一兆円程掛かる。その1%が地元に落ちる。財政悪化している地方自治体が、原発誘致に心が動くのは無理が無い。
・使用済み核燃料のプールも大変な危険となることが、この度の問題で取り沙汰されている。自分が知事時代には、それに気付かなかった。使用済み核燃料の貯蔵庫を原発内に作ると東電から連絡があり、承諾してしまった。
但し、当時も使用済み核燃料の今後の展望を国にも確認してほしいと要望し、通産省から「2010年には専門の施設に移転。」と説明を受けた。しかし、半年後には、「2010年に、再検討」という説明に変更。不信感を持った。
・原発というものは、大臣や国会議員でもさして知る事ができないのでは?電力事業社や官僚が集団的に決めている。
・エネルギー関連のとある安全会議に参加した際、議論が安易ではないかと問題提起したことがある。会議中、住田弁護士(TVにも出ている女弁護士)より「三回も真面目な議論をしているのになにか?」と避難された。
そこで、「(こういった内容の討議については)ドイツでは15年掛けて会議してから結論を出した。フランスは二十年掛けて結論を出してない。
日本は、三十人ほどの人間で、しかも、参加者の多数が身内である電力事業者や官僚である会議をたかだか三回行って、決めようとしている。国民的な議論にすべきではないか?」
・国会で国民の代表たる議員によって成立されるエネルギー基本法には、原子力という言葉すら入っていない。
エネルギー基本法が通った後に、実務レベルで官僚が主体となって計画を建てるのがエネルギー基本計画。
そこには、原子力の計画が入っている。これでは公論に載せることすらできない。
・使用済み燃料に関して、疑問を糾すと、当時の通産省の課長クラスの方には、福島と(再処理施設を持つ)青森で相談して下さいと言われる始末だった。
・一方、福井県敦賀の高速増殖炉もんじゅ計画が進んでいた。安全な核燃料サイクルに必須な計画であったけれど、1995年にナトリウム漏洩事故が起きた。疑問はまた拡大。
・1999年には、JCO東海村原発事故も起きた。上述の四つの条件がちっとも守られない、原発推進自体に疑問符がつけられる状況になったと判断し、福島のプルサーマル計画も白紙に戻すべきと主張した。
すると、韓国出張中に、東電の副社長から、福島の火力・水力発電所建設計画をストップすると連絡をされた。
帰国途中に、大臣、東電関係者などが、空港で待っていると連絡を受けたが、福島のプルサーマル計画中止は決定事項と議論をしなかった。
その後、一ヶ月ほどで、福島の火力・水力発電所建設計画は問題なく推進すると連絡が来たので、特に問題にはならなかった。
・福島県として、失敗学の村上先生ほか有識者を集めて、原子力および電力事業の安全についての会議をもった。福島県庁内にリスク管理の専門部署も置いた。
・2001年には、エネ長が力づくでも原子力を進めるといっていたほど。
わたしは、「原発をブルドーザーのように進めないでください」と申し入れた。重要な問題であるから、しっかり国民的議論があってしかるべきと私は考えていた。
・1999年、JCO東海村原発事故では、最高の技術、安全管理のもとに実施されていると思った原発が、あまりにずさんに運営されていると知って、実にショックだった。
中性子線が検出されたにもかかわらず、マスコミがヘリコプターで取材していた。中性子線は、コンクリートさえ通り抜ける。だから建屋外だろうと、上方だろうと危険。
この取材方法を、欧州のメディアは嘲笑したほど。日本では一般的に原子力問題に無知であるとも言えないか。
・その後、浜岡原発で東電のデータ改ざん問題が起きたことは、さらにショックだった。同様の装置を使っていた福島原発でも検査依頼が保安院から来たが、「運転に支障がないように検査せよ」というお達しがあって、頭に来た。まず止めて、問題がないと判ってはじめて、運転を再開すべきだからだ。
・保安院に原発に関する内部告発が寄せられたことがあった。原発の格納炉にひびがあった由。それを保安院は、東電にすっかり情報開示してしまった。これでは内部告発した者は、自分の立場を守れない。首になったり、仕事を打ち切られたりするだろう。
東電だけの問題ではなく、官僚・保安院も含めて、問題を作っていると考えるようになった。
・その後、福島原発でも、さまざまな事故があり、その記録改ざんがあったと知った。もろもろ知って行くに連れて、国(官庁)自体が隠秘構造の中心にあると判った。
・産業廃棄物の不法投棄などに関しても、東京のゴミを安く引き受ける業者が、福島の炭坑跡地に捨てているだけといった問題がある。東京の必要を地方で解決する構造、地方の貧しさが汚れ仕事も引き受ける構造、こういった都会と鄙の関係が指摘できる。原発でもこれは同じこと。
・昨年、現在の福島県知事(名字は同じく佐藤さん)が、プルサーマル推進を承諾した。その際、県議会はろくに議論せずに、知事に一任してしまった。知事の判断を云々するつもりはないが、県議会が議論をしなかったことはどうかと思う。
・この度の福島の原発問題で、プルサーマル発電について、通常のウラン燃料の危険性と違うことが、ほとんど言及されていないと感じている。それが大変不思議だ。
・役所は、一旦道が引かれると、止まらない。誰にも責任を取らせないし、取りたくないが故に、みななぁなぁでその道を進んで、止めらない。原子力の問題を通じて、このことが判った。
・日本の原子力政策がスタートした時点から、不明瞭な点が多い。(国際政治的にもいろいろあんでしょうなという話。おおざっぱなので省略。)
・わたしが望むのは、なるべく環境を汚さずに、いち早く今回の問題が収束して、みながまたふるさとに戻って、暮らす事ができること。
・現地の自治体も、住民も、政府の説明をすなおに聞いてきたのです。事故など一切無いという説明を信じて、推進に協力して来た。それで今回の事故です。ちゃんと解決して欲しい。
・使用済み燃料の怖さは、私も今回の事故で始めて感じた。
・この話の詳細をもっと知りたければこちらをご覧下さい。
知事抹殺-つくられた福島県汚職事件-佐藤栄佐久
http://www.amazon.co.jp/dp/4582824544
【564】佐藤栄佐久元福島県知事 2011年3月20日
岩上安身 http://iwakamiyasumi.com/ より貼付
2011年3月20日、佐藤栄佐久元福島県知事に緊急インタビューをしました。
福島県知事時代に経験した、地方を置き去りにした原子力行政などを中心にお話していただきました。
後段に、昨年2月8日の佐藤栄佐久氏のインタビューも掲載しています。是非ご覧ください。