ふじむら掲示板
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Loginはこちら【452】2054さん、貴重なご意見ありがとうございます。守谷健二君、「副島先生に直接きいたら」みたいな居直りはダメ、ですよ。はだめ
伊藤睦月です。
(1)2054さん、貴重なご意見、ありがとうございます。ご指摘の数々は、今後の投稿の参考にします。2054さんのようなご意見いただけると、勇気わきます。ありがとうございました。今後も投稿が続きますので、もしよければ、ご指摘お願いします。
守谷君へ
(2)「ついにそこまで追い詰められましたか。それはお気の毒に」確かに、「副島隆彦の歴史再発掘」では、「邪馬台国論争」の文脈で、岡田英弘、が取り上げられている。
しかし、岡田英弘は、「日本史の誕生」で、邪馬台国論争で使える、史料は、「中国正史」と「日本書紀」とし、「古事記」は偽書だから、対象外、といった文脈で、「古事記」を偽書としている。(同書第一部。第二部第9章)それに対し、副島先生は、特段反対していないので、岡田説に同旨だと書いたわけ。もし違うなら、先生からなんらかのご指摘が、この先の著書等で、修正あるだろう。
ちなみに、私は、副島先生とメール、携帯でいつでも連絡可能です。さきほども私事で、メールで連絡とりあったところ。だからと言って守谷君の徴発にのって。副島先生に聞くことはありません。あくまでも、公刊された文章、言葉(ロゴス)をもとに自説を組み立てているだけだ。副島先生うんぬんは余計なお世話だ。それこそ副島先生の「重たい」思考のさまたげになるだけだ。守谷君こそ、「大野晋」の権威に寄りかかって、ろくに大野晋の著作を検討していないのだろう。2054さんみたいな建設的な意見もはけないくせに、思い込みだけはやたら強い、「守谷健二」とは何者か。
(以上、伊藤睦月筆)
追伸)2054様、温かい叱咤激励のお言葉、誠にありがとうございました。私事で申しますと、来週から手術のため、3回目の入院をします。2週間くらいかな。これに関する投稿は、退院後にさせていただきます。
ただ一つだけ、2054様のご指摘どおり、「古事記偽書論争」は当事者以外では、確かに退屈な議論です。でも当事者では、200年も延々やってました。私は、これまでを概観して、日本古代史を語る史料としては、「無意味」だと判断しました。それで最も筋の良い議論である、岡田説を支持し、副島先生も今までの著作等判断して、同旨だろう。と書きました。ただ両者が全く同じ、岡田=副島と見立てたことは、2014さんのいわれるとおり「書きすぎ」かもしれません。しかし、ニアイクオール、であることは間違いないと考えています。
2054様の今後ますますのご健勝、お祈りします。ともに、この掲示板を盛り上げていきましょう。
以上、伊藤睦月拝
守谷健二君、
【451】古事記論争における守谷氏への批判について
会員2054です。伊藤氏は入院するとはお聞きしておりましたが、しばらく投稿がありませんでしたので、心配しておりました。無事に戻られたようで、お元気そうで何よりです。
古事記論争に関する守谷氏への批判について、今回、伊藤氏に意見しようと思います。伊藤氏は守谷氏の勉強不足であると随分と批判していますが、勉強不足の根拠は明示されておらず、単に憶測で勉強不足と「決めつけた」としか読めません。
守谷氏が大野説を根拠に古事記本物説を述べられていることを批判していますが、伊藤氏の説明(長い!)を読んでも、大野説が覆るほどの論拠は見当たりません。それでは守谷氏が勉強不足と断言できる証明力が足りません。
守谷氏に「あれは知っているか?これは知っているか?かくかくこの情報からすれば、貴殿の見解は誤りがありませんか?」と、確認したうえで、守谷氏の不明が明らかになるのであれば話は別です。
しかし、伊藤氏は何ら守谷氏に確認していません。守谷氏が何を知り、何を知らないのか、この一連の投稿だけで理解することはできないように思います。
それに、守谷氏が勉強不足かどうかは、他の読者には関心の対象外です。伊藤氏は守谷氏の批判と自説の投稿を「切り分け」をされたらどうですか?
また、学会村の概説は、もう少しまとめられてはいかがでしょうか。さながらウィンドーショッピングに付き合わされたように感じ、読むほうも疲れます。(私の個人的意見ですが、学会村の議論の変遷などは、あまり興味がわきません)「簡潔明瞭かつ切れ味の良い」伊藤氏の投稿を期待しております。
なお私は守谷氏とは歴史観を異にしますが、守谷氏が今後も精力的に投稿いただくことを願っています。
【450】伊藤くんは、結局は権威主義者なんだよね!
守谷健二です
伊藤君が『古事記』偽書説に拘(こだわ)っているのは、岡田英弘先生の「古事記偽書説」を副島先生が一時期支持していたからでしょう。
しかし、現在の副島先生は、岡田先生の「古事記偽書説」を支持しているのでしょうか、小生は違うと思いますよ。疑問でしたら、直接副島先生にお聞きしてください。
現在は、古事記偽書説では、(岡田=副島)ではないと思います。
【449】思いて学ばざればうなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(12)そして誰もいなくなった?
(93) 伊藤睦月です。最初から申し上げているように、私は、「古事記偽書説」(岡田=副島)を支持している。だから、「中二病君」が主張する、古事記でなんらか日本古代史を語ること(古事記が日本書記の遺書だとか、稗田阿礼の正体など)は論ずることに意味はない、という立場である。それでも、たとえ、私と異なる見解でも、およそ学問的な論考である限り、人文学研究のルール(学問ごっこ)をやらねばならない。われながら厄介な性格だな、とは思う。
(94)前回からの続きでいえば、本物説を前提に、その後も国語学の立場から反論があり、それに対する三浦佑之の再反論、学会主流から、「稗田阿礼」の正体についても、学会主流では、すでに有力説が提起され、現在では、その検証が議論のメインになりつつあるなど、「中二病君」より、先に行ってるよ。世の中は。自分のオリジナルアイデアに陶酔して、かといって「稗田阿礼」の正体も思わせぶりで、特定できない、臆病者の勉強不足君には、わからない(わかろうとも思わない)だろう。
(95)なお、上記については、三浦佑之『古事記をよみなおす」終章「古事記はとはいかなる書物か」「あとがき」2010年ちくま新書、を参照のこと。
(96)伊藤睦月、です。では、これからは、古事記関係以外についても、目に余るので、「学問ごっこ」を始めていく。
(97)参考資料は、副島隆彦「歴史再発見」、「天皇とは北極星のことである」の2冊が、私の立論の「ネタ本」であることをあらかじめ、表明しておく。(しかし100%追随しているわけではない、のであしからず)
以上、伊藤睦月筆
【448】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(15)古事記偽書論争を概観する(12)ブレイク:岡田英弘の「災難?」
(81)少し怒りが収まってきた「学問ごっこ」の伊藤睦月です。今回は、私が、日本古代史の理解のベースとなっている。「岡田英弘」を取り上げます。
(82)まず、彼の略歴から。(引用はじめ)1931年東京都生まれ。1957年『満文労当」の研究で日本学士院賞。東京外国語大学名誉教授。その研究は、中国史、モンゴル史、満州史など広範にわたる。
(中略)2017年没(以上、引用終わり、「日本史の誕生」カバー裏から。2008年ちくま文庫)
(83)伊藤睦月、です。出版界、言論界では、日本史関連の著作等は、岡田の業績として認められていない。これは、同著者の「世界史の誕生」(ちくま文庫)とは大違いだ。この本は、よく、紹介され、引用もされている。それはなぜか。
(84)伊藤睦月は、最近までは、
①岡田が日本史や上代文学界隈からすれば、専門外の部外者だから。
②日本史関連の著作は、主に一般向けの雑誌(「諸君」や「正論」といったオピニオン誌に掲載されたものであるので、学問的な著作とはにみなされてはいないから。と考えていたが、この古事記偽書論争の経緯を調べていくと、第3の理由があると、考えるようになった。以下その文章を示す。
(85)(引用はじめ)・・・以上が私(大和)の知る本文・序文偽書説、序文のみの偽書説だが、江戸時代の序文偽書説論者の二人、序文・本文の偽書論者の一人を含めると、13人が述べており、私を含めて14人になる。まだ他にもいる。(引用終わり。大和岩雄「新版古事記成立考」(2009年)79-80頁)
(86)伊藤睦月です。ここから「岡田英弘」が登場する。最初この部分を読んだとき、思わず、瞳孔が開いた。引用を続ける。
(87)(引用はじめ)東京外国語大学教授の岡田英弘は、1976年に、文芸春秋社から刊行した『倭国の時代』に16ページにわたって、『古事記』を論じ、偽書とみている。更に、2001年に文芸春秋刊の」文芸春秋社刊の文春新書の1冊として、『歴史とは何か』二十数ページにわたって書いている主張については、三浦佑之が、古事記学会の機関誌「古事記年報47』掲載の「古事記『序』を疑う(2005年)」で書いているように、「岡田説」は大和岩雄説)『古事記成立考』1975年を踏まえて強調している」のである。
(88) このように、三浦佑之が指摘するように、私が、(2009年から起算して)33年前に刊行した『古事記成立考』に書いた見解を元にして書いているのに、『倭国の時代にも『歴史とはなにか」にも、私の名前は全く載せていない。したがって私説が、岡田説になっているので、岡田見解は紹介しない。(引用終わり。同書80頁)
(89)伊藤睦月です。最初、この個所を読んだとき、「岡田センセイ、やっちまったなあー」と思っていたが今では、違う見解を持つにいたっている。ヒントは、岡田見解を告発したのが、あの三浦佑之(彼はかなり策士っぽい)であること。岡田見解は、「村越憲三郎」説(序文、本文偽書説)を採用しているが、三浦、大和は序文のみ否定説であること、など。考えがまとまったら、また紹介する。
(90)伊藤睦月です。それでも、岡田ほどの高名な学者が古事記偽書説を採用してくれたことが、よほどテンションあがったらしい。岡田説は私説のパクリ、と書いておきながら、この章の最後に、私からすれば、未練たらしく、こう書き残している。
(引用開始)・・・岡田英弘も私説と同じ見解を述べていることを(重ねて)付記しておく。(引用終わり、同署80頁)
(91)伊藤睦月です。なお、岡田英弘は、ちくま文庫版「倭国の時代」2009年、の最終頁に、「参考にした資料について」として、「第6章」『古事記』批判のデータについては、鳥越憲三郎『古事記は偽書か』(朝日新聞社、1971年)と、大和岩雄『古事記成立考 日本最古の古典への疑問』(大和書房1975年)に負うところが多い、と付記し、同文庫の『日本史の誕生』にも同様の断り書きを挿入している。それにより、たぶん大和側と和解したのであろう。両書は、絶版を免れ、今でも書店やネット書店で売られている。(こういうパクリ疑惑で長期間絶版状態になっていた例として、高木彬光『邪馬台国の秘密』があるし、それをテーマにした松本清張の短編があったかと思う)
(92)伊藤睦月です。「世界基準に達していない」としばしば、副島先生から罵倒される、日本の人文学の世界でも、引用、出典に関しては、これほど厳しいものだと、いうことを紹介した。ということは、今後私が、どんな投稿を考えているか、わかる人にはわかるだろう。「先行業績」に注意を払わない「自分の頭で考えたこと」などゴミに等しい。
小休止。
以上、伊藤睦月筆
【447】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(14)古事記偽書論争を概観する(11)私の考え(3)
(74)怒り増幅中の「学問ごっこ」伊藤睦月です。
前回の続きです。私が論争史を概観するもう一つの理由は、これが「中二病君」の立論のアキレス腱だからだ。
(75)「中二病君」にとっては、偽書論争など、どうでもよいことなのだろう。彼の立論の目的は、古事記本物説を前提として、
①古事記の制作目的
②作者の一人とされる「稗田阿礼」の名前の由来と正体
③古事記と日本書紀との関係
などについて、彼自身の頭で考えだされた、オリジナルなアイデアを披露することにあるのだろう。
(76)しかし、古事記が偽書となったら、どうなるか。彼の議論は根底から覆り,せっかくのオリジナルアイデアも雲散霧消する。
(77)だから、古事記偽証説論争を十分に押さえておく必要があり。私のような少数説支持者ほど、これにエネルギーを注力せざるを得ない。
(78)一方で「中二病君」は、学会多数説(本物説)に準拠しているのだから、そんなに手間暇かからないなずだが、その論拠が「大野晋」の一般向けの本、しかもそれ1冊だけとは、手抜きもよいところ。
(79)せめて、1979年の太安万侶墓誌の発見という多数派の最大論拠をあげればよいのに、無視するとは、単純な馬鹿か、そうでなければ人文学をなめているとしか思えない。泉下の大野晋先生が嘆かれるだろう。
(80)以前の投稿で、フビライカーンがマルコポーロの「東方見聞録」をよんで、日本征服を企てたなどとトンデモ論を披露して「大恥」をかいた筈なのに、(「東方見聞録」が世に出たのは、クビライカーンの死後。「東方見聞録」には、元寇(弘安の役)の記事が載っている。)また性懲りもなく、でたらめ論をしかも「重たい掲示板」に投稿するなんて、「どうかしてるぜー」と叫びたくなる。
(81)私は、古事記全部偽書説をとっているので、それ以上の議論は無意味だが、ご希望なら、「中二病君」のオリジナルアイデアの問題点を指摘してさしあげましょうか。
以下、次回。以上、伊藤睦月筆
【446】思いて学ばざればすなわちあやうし(13)古事記偽書論争を概観する(10)私の考え(2)
(71)伊藤睦月です。実は、我々が扱っている歴史学は、サイエンス(学問)ではない。「人文学」だ。人文学は世界のありようを記述する「学問」(というより、知識、知恵とでもいおうか)だが、その記述方法として、サイエンスの技法(創始者の代表がデカルト)が取り入れられ、およそ「学術論文」の形が出来上がっている、と私伊藤は理解している。
(72)だから、いくら「自分の頭で考えて、オリジナルなアイデア」を出しても、サイエンスの技法にそってなければ、無価値だ、クズだ。
(73)その技法の最低ラインが「卒業論文」で、大学のゼミでの演習やレポート提出は、結局、その技法を身に着けるための訓練、ということになる、と理解している。
(74)さきに、紹介した「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)は、まさにサイエンスの技法を用いた、副島先生とその弟子たちによる、最初の試みであり、たとえ稚拙であっても「学問ごっこ」の実例集でもあると、執筆に参加した、私、伊藤は自負しています。だから、改めて言いますが、「中二病君」は、私に向かって、「君はバカか」「自分の頭で考えろ」とののしったわけですから、きちんと説明、いや釈明してもらいましょうか。内容の賛否、適否は別にして、それがなければ、君は卑怯者だ。あえて期限は設けないが、こんなもの、ものの数分だろう。
以上、怒りの「学問ごっこ」、伊藤睦月筆
【445】思いて学ばざれば、すなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(9)私、伊藤の考え
(66)「学問ごっこ」大好き。な、伊藤睦月です。
今回は、古事記偽書論争に対する、私の考え、を示します。もうわかりますよね?まず、結論から。
(67)古事記は、序文、偽書とも、平安時代初期(9世紀)に執筆された、「偽書」だから、8世紀以前の日本史を記述する史料としては、採用できない。(同旨。岡田英弘「日本史の誕生」「倭国の時代」「歴史とは何か」、副島隆彦「歴史再探訪」、村越憲三郎「古事記は偽書か」)
(68)伊藤睦月です。結論だけ言えばこれだけ。です。本当にこれだけ。ではなぜ、今まで長々論争史を述べてきたか。
(69)それは、この「古事記全部偽書説」が学会主流(古事記学会、上代文学会)では、超マイナー説だから。学術系論文(「中二病氏」のいう「学問ごっこ」も同様)では、学会多数説に反対するからには、それなりの理由、根拠を示さねばならないからだ。
(70)そのためには、論争史を概観するのが、日本基準で求められるからだ(おそらく世界基準でも同様だろう。こういう学問的態度を「反証可能性」(ポパー)という。サイエンス(「学問」、「科学」は誤訳に近い。これも副島先生の本から学んだと記憶している。ちなみに、ナチュラルサイエンスでは、これに「再現性」が加わる、と理解している)
小休止。以上、伊藤睦月筆
【444】思いて学ばざればすなわちあやうし(11)古事記偽書論争概観する(8)大野晋の業績について(続き)
「学問ごっこ大好き」な伊藤睦月です。今回も大野晋を取り上げます。
(57)大野晋の業績は、①文法論(「係り結びの研究」1993年岩波書店)、②「日本語タミル語起源説」③一般読者向け国文法知識の啓もう普及(「日本語の年輪」「日本語練習帳」など)だ。この3つ。
(58)伊藤睦月です。人文学の学者の業績価値は本人が亡くなってから、のちどれだけ後進に参照、引用されたかで決まる、と私伊藤は考えている。
(59)この観点からすると、大野の業績は、①の文法論だけで、これは先に挙げた「日本語全史」にも引用されています。いわゆる「上代特殊仮名遣い」は、橋本、宮坂の論文はちゃんと引用されているが、音韻論の分野で、大野の論文はもとより、名前すらもでてこない。
(60)②の日本語タミル語起源説については、大野在世中から、比較言語学者やタミル語学者からの批判が強かった。大野は、「日本語の起源」を新版(1994年)にしてまで、(旧版で「上代特殊仮名遣い」で古事記本物説を主張していたのだが)がんばっていたが、「クレオールタミル語説」に転じ、事実上起源説を撤回した。クレオールタミル語とは、私の理解では、「ピジン言語」で、言語系統に関係なく、ただ類似した語彙を多数並べて見せる、ただそれだけのこと。現在この説を支持する研究者は、学会には皆無なようだ。(在野の研究者には存在するかもしれない)
(61)なお、友人で源氏物語などの対談集もだしている、丸谷才一(英文学者、芥川賞作家)は、この惨状について、「大野の手法は、現代日本語とタミル語の単純比較だから、失敗した。古代日本語と古代タミル語の比較から研究をやり直すべきだ」と忠告していたらしいが、古代タミル語の収集分析に協力する研究者はいなかったそうだ(ウィキペディア情報)
(62)③については、「日本語練習帳」(1999年岩波新書)がベストセラーになり、日本語ブームが起きたが、ブームが落ち着いた、現在ではどうだろう。誰か評判聞いたことがありますか。
(63)伊藤睦月です。「中二病君」があげた中公文庫の紹介では、「上代特殊仮名遣いの研究」をもって「橋本理論を発展させた」旨のことが記されている。しかし、私見によれば、単に紹介しただけであり、本来価値中立、政治性のないはずの「音韻論」の成果を「古事記偽書論争」に巻き込んだ弊害の方が大きいと思う。
(64)なお、古事記序文偽書論の代表者、三浦佑之にも、大野と同様の「におい」がするので、少し警戒している。
(65)これで、大野晋編を終わる。次回は、古事記偽書論争に対する私の考え、立場を説明する。もう察しがついている人もいるだろうが、もう少しおつきあいください(これは「中二病君」以外の方に申し上げている)
以上、伊藤睦月筆
【443】思いて学ばザれば、すなわち、あやうし(10)古事記偽書論争を概観する(7)国語学者の自己批判?(大野晋の「業績」について
「学問ごっこ」の伊藤睦月です。今回は、大野晋をとりあげます。その前に、国語学について。
(48)「国語学」と一言で言いますが、いくつかの研究部門に分かれているようです。まず、このことを書く。あくまで門外漢の私の理解です。(もし、過誤あればご指摘いただければありがたいです。多分最新の著作である、沖森卓也(立教大学名誉教授)「日本語全史」(ちくま新書2017年)から。
(1)文字表記論
(2)音韻論
(3)語彙論
(4)文法論
の4分野がある。国語学は「日本語学」の意であり、言語学の一分野です。古事記偽書論争で、1979年までは、本物説の主要論拠「上代特殊仮名遣い」は音韻論の大業績である。発見者は橋本進吉(1882-1945)、「橋本文法」という、私たちが中高校でならった「国文法」で有名です。現代国語学のビッグネームです。
(49)古代、日本人は文字を持ってなかったので、日本語の「音」を中国文字で表そうとした。「変体漢文」(万葉仮名)といい、その規則性に最初に気づいたのが、あの「本居宣長」とその弟子、石塚龍麿(たつまろ)という江戸時代の国学者、橋本はその石塚の研究を精査して、「国語仮名遣研究史上の一発見ー石塚龍麿の仮名遣奥山路」(1917年)を発表し、橋本の弟子、有坂英世(1908年ー1952)はそれを受け、古事記だけの使い分けを発見して、「上代特殊仮名遣い」と命名した。
(50)有坂は、橋本進吉の一番弟子で、「天才」と言われて、橋本の後継者に指名されていたが、結核のため、40代で没した。橋本も1945年に没したため、彼の後継を指名したのは、同僚の金田一京助(1882-1971、アイヌ語の研究や国語辞典の編纂で有名)だが、有坂の早世をのちのちまで惜しんだという。(ウイキペディア情報)さきの橋本論文の概要は、講演集「古代国語の音韻について」(1980年岩波文庫、大野晋解説)で誰でも読むことができ、この本は国語学を志す者の「必読文献」だそうだ。(ヤフー知恵袋)
(51)伊藤睦月です。このように、「上代特殊仮名遣い」は国語学のなかでの「音韻論」の業績であって、それ以上のものではない。それを「古事記偽書論争」に持ち出したのが「大野晋(1919-2008)」である。
(52)大野は「上代仮名遣いの研究ー日本書紀の仮名を中心として」(1953年岩波書店)を著して、橋本=有坂の論文を紹介、解説者として登場した。続いて「日本語の起源旧版」(1957年岩波新書)で、上代特殊仮名遣いを正確に書き分けられたのは、奈良時代初めの人間であって、平安時代の人には書き分けは不可能だと主張して、古事記偽書説を否定した。それに反論したのが、大和岩雄(1928-2021)「旧版古事記成立考」で、それに対する大野の再反論が、「日本語の成立 日本語の世界1」(1980年中央公論社)、それを改題したのが、「日本語はいかに成立したか」(2002年中公文庫)であり、この文庫本は「中二病君」が唯一、取り上げている文献である。
(53)この大野説は多くの賛同者を得て、古事記本物論者の理論的支柱となった。そういう意味では「中二病君」が「(古事記偽書説は)国語学により完全に否定された」と断じるのは無理はない。
(54)しかし、大野=大和論争が進むなかで、国語学者のなかにも、大和に賛同する学者も増え始め、偽書説を認めないまでも、古事記序文や本文には、明らかに平安初期のものが混在している、という指摘も現れ、古事記偽書論者も、序文は偽書だが、本文は本物という、論が多数派になるにつれ、本物説との実質的違いがなくなってきたところに、1979年、太安万侶墓誌が発見されることにより、これまでの議論が事実上、消えた。
(55)伊藤睦月です。1979年の時点で、古事記全部偽書説を主張しているのは、鳥越憲三郎(1914-2007年)「古事記は偽書か」(1971年朝日新聞社)、岡田英弘(1931-2017)「倭国の時代」(1976年)「日本史の誕生」(1994年)だけになった。ひとり、大和岩雄だけは、反論を続けたが、学会からは無視され続けた。(そのやりとりを含め、大和が関係する論争は「新版古事記成立考」という600頁を超える本にまとめられている)そして、2004年に三浦佑之(1946ー「口語訳古事記」が有名)が大岩の説を復活させ、古事記偽書論争は、新たな展開が始まっている。
(56)伊藤睦月です。「中二病君」の勉強不足を指摘するのにこれだけの時日を要した。彼にとっては、「学問ごっこ」だろう。しかし、わが国の人文学の世界では、この最低限、「学問ごっこ」を押さえてておかないと、「この人わかってないよね」で、後何を言っても、相手にされないだろう。これは、副島隆彦先生の論がしばしば論壇から、無視されるのとまったくレベルの違う話(副島先生がきちんと基礎文献を踏まえていることは明らか)である。そこは勘違いしないよう。(ま、そういう人はいないか)また、この「学問ごっこ」が何か、については、村上紀夫(奈良大学教授1970-)「歴史学で卒業論文を書くために」が参考になる。老婆心まで。また「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)もよかったらどうぞ。
以上、伊藤睦月筆