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Loginはこちら【2864】[3327]イギリスのボリス・ジョンソン首相が、ここまで明確に、マスクとワクチンの強要(義務化)を止める、と発言した。
イギリスのボリス・ジョンソン首相が、ここまで明確に、マスクとワクチンの強要(義務化)を止める、と発言した。日本のメディアは報道しない。ジョンソン首相がどういう意図で、どういう立ち位置で、この発言をしているのかまだ分からない。
●「<拡散希望>イギリス:ボリス・ジョンソン首相 口オムツ(=フェイスマスク)義務化・ワクチン・パスポート 終了 これが、”実際のスピーチ” 日本はいつまで、567ごっこやってるの?」
YouTube から
JT3 Reloaded 2022年1月19日
【2863】[3326]次の天皇は、愛子(あいこ)さまである。愛子天皇で決まりだ。
副島隆彦です。今日は、2022年1月14日(金)です。
愛子さまが、次の天皇になるだろう。日本の国家体制として、このように決まったようだ。
「愛子天皇待望論」が、昨年末、12月から沸き起こっている。岸田内閣の意向が裏にある。
私、副島隆彦も、「現天皇の長子で長女である 愛子(この人たちには、名字、姓がない)が次の天皇になる」で、いいと思う。いやあ、実にめでたい。めでたい。日本国として大いにお祝いすべきことだ。
天皇の直系には、何とかの宮という呼び名もないので、「天皇家の愛子」と呼ぶのが正しい、ということになる。キング・ジョン(ジョン王)、ヘンリー7世、王女メアリーとか、女王(クイーン)エリザベス と同じで、国王の名は、ファースト・ネイムで呼び捨てにするのが、ヨーロッパの伝統である。日本はこれに倣(なら)う。
(ここに愛子の 普段着の写真と、ローブデコルテでの、12月5日の宮中成人の儀式の姿の写真を貼ってください)
ちょっと鼻が団子鼻で、鼻ぺちゃで、オカメ顔だが、丸々とふくよかな、お多福(おたふく)顔が、いかにも、日本人族の代表の立派な顔立ちをしている。一重(ひとえ)のすっとした細い目も日本人だ。お祖母(ばあ)さん(美智子上皇后)に似て、もう少し美人に育つかな、と、皆で期待したが、まあ、これぐらいでも、きれい、綺麗な日本女性だ。
母親の雅子(まさこ)皇后にもそっくりで、どっしりとした、ぽちゃを通り越した、堂々たる長い団子鼻だ。口元も雅子皇后にそっくりだ。父親の徳仁(なるひと)天皇にもそっくりで、ゆったりとした笑顔をしている。血統も、遺伝子もきちんと直接、直接、上皇の明仁(あきひと)天皇を受け継いでいる。
私が、明仁(あきひと)とか徳仁(なるひと)天皇と、尊号をつけずに書いたり、今上天皇(きんじょうてんのう)と書かないのは、不敬で、誤用の文だ、と言う者がいる。馬鹿を言うな。
明仁天皇は、諡号(しごう)、おくり名 であって、辞(いみ)な、イミナ、緯(この漢字の、言弁)だから、まだ生きている上皇に対して使ってはいけない、と、私、副島隆彦に、自分の知識をひけらかして、言ってくる者がいたら、私は即座に蹴倒す。その、お前の古式ゆかしい教養などは、もう、とっくに滅んだのだ。
今頃、天皇家への最高尊敬語など使う必要はない。陛下も、殿下も、猊下(げいか)も閣下も要らない。全部、使う必要はない。今や死んだ言葉だ。日本の大新聞たちも、この40年間で、天皇陛下、と書かないで、ただ、すっきりと天皇 とだけ書くようになった。
人間は皆、平等だ。日本人族の、劣性の表れである、ヘンな奇形の民族語である敬語はもう使わない方がいい。やたらと難しいヘンな敬語は、なるべく廃止すべきだ。誰も正しい丁寧語の使い方なんか、もう出来ない。やっていない。学校時代に、勉強ができなかった者たちが、わざと敬語を使おうとすると、全部、使い方が間違っているから、却(かえ)って恥をかく。
それでも、わざと旧式の雅語(がご)や、旧文の擬古文(ぎこぶん)の送り仮名を使い続けようとする、バカ右翼のヘンな男( 産経の「正論」とかの右翼言論誌の読者たち)が一時、居たが、もうこいつらも消えてしまった。日本語は、なるべく、すっきりと簡潔に平叙体で書くのがいい。
だいたい、国語学者というバカたちが、敬語を、謙譲語(けんじょうご)と尊敬語と丁寧語の3つに分けて、私たちに教えた。高校時代の国語の教科書に載っていた。ところが、敬語をこの3つに分けることは厳密には出来ないのだ。尊敬語と丁寧語の区別はつかない。「目上の者に遜(へりくだ)ってい言うコトバが謙譲語だ」など根拠はない。
国語審議会という体制派の威張り腐った国語学者という愚劣な学者たちの、理論やら論文やらは大間違いで、あちこち綻(ほころ)びが出て破綻した。その責任を取ろうともしない。恥を互いに掻きあったまま静かに消えていった。
2021年12月5日 皇居での成年行事 朝見の儀
左から雅子皇后、徳仁天皇、愛子内親王
2021年1月
このようにして、女性天皇、女系天皇を絶対に認めないと、この20年間、ずっといきりたって騒いできた、日本のバカ右翼、国粋主義者 たち の大きな敗北だ。
安倍晋三と、三浦瑠璃(みうらるり)たち、統一教会(Moonie ムーニー。本当の真実の反日人間たち)たちは、自分が天皇制翼賛(よくさん)右翼のふり をしながら、本当は、徹底した今の天皇家ぎらいの、反(はん)日本の奇怪な宗教集団だ。
だが、日本の反共右翼で、自分では、伝統重視主義者だと、言い張っているジジイ(爺)たちが、どんどん死んで、もうほとんど残っていない。
だから、私、副島隆彦が、一切の敬語を 天皇家に対して使わないで、平常の文体で書いても、もう私に向かって「お前の反天皇の言論 は、不敬(ふけい)だ」と言って、私を攻撃する者も、もういなくなった。いいことだ。不敬罪(ふけいざい)という刑事犯は、77年前の日本の敗戦で、刑法典の中から削除され、廃止された。
だから、今の日本国には、不敬罪というのは存在しない。 だが、天皇家への不敬(ふけい)は有る、と、バカ右翼たちは、もともと頭の悪い、学校の勉強が出来なかった低能(ていのう)たちであるから、思い込んでいる。
第2次大戦(WWⅡ、ワールド・ウオー・ツゥー)は、連合国(ユナイテッド・ネイションズ)側から、悪者、悪人の国家にされて、大きく騙されて嵌(は)められた、日、独、伊の3国(the Axis ジ・アクシス。枢軸国=すうじくこく=と言う)が戦った。そして大敗北した。
この時、世界基準で、「ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒト (の世界の3大悪人) 呼ばれた。天皇裕仁(ひろひと)が、昭和天皇であるが、このように、戦争中も、その後の敗戦の後も、世界中ではずっと「ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒト」と 戦勝国側である圧倒的に多数の国々で言われたのだ。それでは、まずいなあ、と日本国内でだけは、それを、勝手に変更して、「ヒトラー、ムッソリーニ、トウジョー(東条英機大将、首相)」という呼び方に変えた。
昭和天皇を、裕仁天皇と、皆が平気で呼べるように、私たち日本人は、ならなくてはいけない。天皇に対する、ヘンな気の使い方や、遠慮やくだらない遜(へりくだ)った、下人(げにん)が這いつくばったような、ことば遣いは、もう、全廃にすべきだ。もうこのことに文句を言うような、偏屈(へんくつ)じじいたちは、死んでしまって、いなくなった。
この右翼ジジイたちは、本当は、自分は戦場で戦っていない、生き方上手の、ズルい臆病者たちだったのだ。いろいろ調べて分かった。私、副島隆彦は、日本の ごく普通の、平民(へいみん)の立場と感情から、天皇と天皇家についての自分の考えを、さらさらと書いてゆく。ただし、私が所属する佐賀の副島の家は、尊王(そんのう)の家系である。
昨年10月30日の総選挙に自民党が勝って、11月7日から岸田政権になった。岸田首相は、前の安倍晋三たちのような反共右翼で気色の悪い宗教団体の考えをとらない。だから、じわっと女性天皇を認める、という立場に変わった。岸田政権が続く間に、皇室典範(こうしつてんぱん)を改正できるか、はまだ分からない。
現在の憲法は、男女の平等(憲法24条。両性の平等)を定めているから、「天皇は男しかなれない」という現行の皇室典範は、憲法違反である。このような解釈を、内閣法制局は、すでにしているはずなのだ。だが、この内閣法制局の判断は、隠されていて、時期が来るまで公表しない、ということになっているようだ。
これは嘘(うそ)ではない、真実の国民調査で、「女性の天皇でいい」という数字は、つねに80パーセントを超えつづけている。この日本国民の圧倒的な多数意思を、愚劣な反対派が押しつぶすことが出来るわけがない。
だが、岸田に、そこまで一気にやりきる力はないだろう。むくつけき生来の右翼体質のごろつき人間たちが、まだまだ500万人ぐらいいる。だから、岸田は、不用意に「女性、女系天皇を認める」の法律改正の議論を、自民党内で簡単に始められないだろう。岸田は、優柔不断に決まっている。それでも、与野党合わせて、先を急いでいるように見える。
皇室典範は、敗戦で憲法(明治憲法、大日本帝国憲法)を始め法律体系が大きく変わったときに普通の法律になった。だから、この法律を国会で多数決で、改正、変更して、今の1条の「皇統は男系の男子が継ぐ」という文字を変更して、「女性および女系の皇統も認める」とかに、改正すればそれで済むことだ。
12月1日が誕生日で、愛子内親王(ないしんのう)は、儀式上の成人(20歳)になった。このあとの12月5日が、愛子の、大きなお披露目(ひろめ)となった。上記の写真は、実に堂々と、「次の天皇になる人はこの人だ」の、日本国民への公式の宣言だ、と受け止めることができる。日本の国家体制は、着々と次の天皇を愛子にする、で動き出している。
愛子はもう20歳(2001年12月1日生まれ)だからすぐに結婚の話が出て来る。愛子が、今から20年後ぐらいに 女帝になる(父親の徳仁=なるひと=天皇が、死去するか天皇定年(笑い)で退位したら)。
そのずっと前に、結婚をする相手を決めなければいけない。相手を、皇族の血を引く者にして、旧皇族らしき男を養子にして婚姻を結ぶ、ということにしようとしている。
そのように宮内庁と皇室会議は動いている。相手の男が、旧皇族(マッカーサー占領軍が、皇族から枝払いして廃止にした。いいことだ) の出であるなら、それで、男系天皇の血が繋(つな)がるから、それで妥協して、それなら愛子天皇を認めてやる、という風に、伝統重視主義の保守派の男たちは、すでに納得したのだろう。
だが、そのように愛子自身が、承諾して、妥協して、うまく運ぶか分からない。天皇家も普通の人間だから、好き嫌いがあって、かつ、自分の体調や、軽度の頭の病気の問題もある。
私は、これまでの20年間ですでに3本、天皇家の継承の問題について、論文を書いている。一本は、「雅子妃の頭のご病気問題について」である。もう一本は、「カルト・オブ・ヤスクニ(靖国)に怒った昭和天皇。天皇が、戦犯合祀を誰よりも一番嫌って、1978年以後、靖国参拝をやめたのだ」論だ。そのうち、ここの学問道場にも載せよう。私の天皇論を、ここで細かく書くことはしない。すでにかなりのことを書いている。
昨年まで、3年間ぐらい、天皇の弟の 秋篠宮(あきしののみや)の長女の眞子(まこ)内親王の結婚のことで、ドタバタした。コロナ、ワクチン騒ぎもなんのその、皇室の結婚問題になったら、大騒ぎになって、眞子が、小室圭(こむろけい)という大学時代の友人を好きになって、その小室の家が、釣り合いの取れない下賤の出のように、書かれ続けて、それで、天皇家は、散々に週刊誌とテレビで描かれて「大変な目に遭った」と自分たちでは思っている。
しかし、そこは日本の体制の頂点にいる人たちだから、眞子と小室の結婚の報告の儀式(ぎしき。リチュアル ritual ライト rite )に仕立てて、最後は上手に乗り切った(11月26日)。 内親王(女の皇族)が、結婚によって民間人に天下ることを、臣籍降嫁(しんせきこうか)と言って、それで、完全にその女子は皇族から離れる。眞子は、3億円ぐらいを嫁入りの経費として貰っただろう。このあとは、NY のリトルイタリー地区の、ワーフ(桟橋)近くの小ぎれいな高層アパートで暮らして警護の者がそれとなくずっと付くのだろう。
眞子の芯(しん)の強さが、最後の勝利を勝ち取った。あれほどに、さんざん悪口を書かれても、秋篠宮家は団結して、誹謗中傷に耐えて、乗り切った。見事だった。天皇両陛下への眞子だけの婚姻の報告の儀式があって、その後の記者会見で、小室圭が、ぼーっとではあるが、堂々と、「私は、眞子さんを愛しています」と言った。この瞬間に、日本国民は、一斉に和(なご)やかになった。
この瞬間に、全国の女たちが、少女も、若い女も、主婦も、老婆たちも「ああ、これが人間の幸せなんだー」と思った。女たちは、この時、眞子を許した。
あれほどまでに、身分が違う、ヘンな男を選んだ、とかで、眞子の悪口を、それこそ朝から晩まで言い続けた、生来、性格の悪い女たちは、全国で数百万人はいる。だが、彼女たちは、、咄嗟に、口を噤(つぐ)んだ。 以後、もう一切、小室圭と妻の眞子の悪口を言わなくなった。自分の非を、今は、ひとりづつ静かに認めているだろう。
もうひとつのシーンは、ご一家の別れの様子で、東宮御所の一角にある秋篠宮邸の玄関で、妹の佳子(かこ)と、姉妹の柔らかい抱擁(ハグ)をしたときの映像を見て、この家族愛にため息が出て、日本全国で、この立派な「娘が嫁入りして、実家を出て行くときの儀式」を見て、日本国民は大きく承諾した。これで眞子の大勝利となった。
(ここに、小室圭 と 眞子 の結婚の報告の儀式 のあとの記者会見の写真を貼ってください。11月26日)
しかし、考え方によったら、100年後には憲法が改正されて、体制変更が起きて、憲法が変わって、今の天皇制は国家制度の中から取り除かれる時代が来る。何事も、永遠に今のまま変わらない、ということはない。
言っておくが、日本の天皇は、国王である。皇帝ではない。日本は、帝国(エンパイア)ではないから、皇帝はいない。日本は、王国(キングダム kingdom )であって、その頂点に国王を置いている国である。そして、その内側が、かなり、接合面が悪くて、ギクシャクするが、民主政(デモクラシー)になっている。
このように、日本は、王政と、民主政が、2重の入れ子構造になっている、いびつな国だ。 この大きな真実を、私、副島隆彦以外は、誰も指摘しない。私は、このことの研究もしてすでに論文にしている。
日本国は、外側は、王政の、王国なのである。諸外国の、世界中の外国人たちから見たら、日本は、タイ国や、サウジアラビア国 と同じ、国王のいる王国、君主制国なのだ。ところが、、その内側が、民主政になっている、おかしな2重構造の国なのだ。
だから、女子中学生が、母親に向かって、「いいなあ。私も、眞子様のような、あんな、きれいなドレスを着たい。どうして、あの人たちだけ特別なの? 」と、 聞く。
母親は、「そんなことを言っていけません。世の中は、そうなっているの。特別な人たちがいるものなのよ」 娘 「でも、学校では、人間は皆、平等だ、と教えるよ」と反論する。
だから天皇家を嫌う、リベラル派の女たちが、「どうして、眞子に、結婚するときに、何億円も国のお金をあげるのよ。腹が立つ」となる。女は、カネのことにうるさい。
デモクラシー(民主政。代議制民主政体。平民たちの代表者が権力を握る体制。 X 民主主義という訳語は間違い。デーモス・クラティーア demos – cratiea は、主義ではない )は、共和政よりも、ヨーロッパで、その200年後に現れた政治体制だ。人類史に、初めて完全に民主政(かつ、共和政)が実現したのは、1776年独立宣言のアメリカ合衆国だ。アメリカは、英国王の支配を否定して、大統領(選挙で選ばれた指導者)の下に結集する民主国家となった。
日本が、形の上だけでも、民主政(これを、本当は、デモクラタイゼイションと言う)になったのは、ほんの77年前の敗戦のあとの、新憲法体制のときだ(1946年公布)。この新憲法の1条で、天皇を、国民統合の象徴(シンボル)だと、決めた。
この今の憲法体制を、いくら安倍晋三たちが、改正して徴兵令を憲法の中に入れたくて、あがいて策動しても、簡単には出来ない。日本は、戦争が出来る正常な国になるべきだ、という考えは、危険であり、大きなダマシだ。安倍晋三たちの、邪悪な憲法改正の策動に乗ってはいけない。
天皇は、日本国民の団結の象徴である、という考えで、このあとも、日本国民は、動いてゆく。天皇がいてくれたほうが、日本民族は一致団結して、国難に立ち向かえる、という素朴な、しかし強固な民族感情の上になりたっている。これを壊す必要はない。
日本の天皇家は、戦後は、ヨーロッパ各国の愚劣で、国民の評判が悪い王政国家とは違う。イギリス国王の藩屏(はんぺい)で、あるスウエーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも、国王たちは、ものすごく評判が悪い。 日本は、敗戦後の昭和天皇の深い反省をしっかり受け継いでいるから立派な王室だ。
慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇と美智子皇后
明仁上皇と、美智子上皇后 が、毎回、壇上の貴賓席から、厳しく睨みつけて、ずっと激しく怒っていたのは、安倍晋三に対してである。 安倍晋三たちぐらい、天皇家を蔑(ないがし)ろにして、昭和天皇の 「日本は、2度と戦争をしない。騙されて、愚かにも、戦争に引きづり込まされた。私は、バカだった」という固い不戦の誓いを、一番、毛嫌いして、一番、今の天皇を憎んでいるのは、安倍晋三たち、統一教会のキチガイたちである。
統一教会(帝都ワシントンでも猛威を振るっている)の世界最大の資金源である、笹川財団(英語では、the US -Japan Foundation 、ザ・ユーエス・ジャパン・ファウンデイション)は、朝鮮系の団体だ。 ドンの笹川良一は、統一教会と同様に朝鮮人である。このことは韓国、北朝鮮では公然の秘密である。誰でも知っている。現在は、日本財団、東京財団を名乗っている。
このように、私、副島隆彦が、書くと、ひどい人種差別の人間に私がなってしまうことを私は分かっている。だが、朝鮮人、韓国人を、あれほどに軽蔑して、見下(みくだ)して、チョーセン人、チョン公、嫌韓(けんかん)を言い続けた、日本のバカ右翼、言論人どもに、私は腹の底から怒っている。アジア人どうし尊敬しあって、仲良くしなけばいけない。
だから、私が、「お前たちの大親分の、笹川良一こそは、おまえたちが、大嫌いな、朝鮮人じゃないか。お前たちの頭は、一体、どうなっているんだ。 なあ、橋下徹よ、曽野綾子よ」と、私は、書く。だから、私は、安倍晋三たち、統一教会の バカ右翼たちに、大きなケンカを売る。
もう時間がない。残りを急いで書く。
その前に、日本の天皇制を、明治の初めに、創作したのは、イギリス王室(イギリス国教会 Anglican church アングリカン・チャーチ。聖公会 )だ。こいつらが、人類の諸悪の根源である、現在の ディープステイト deep stateそのものだ。ローマ教会(ヴァチカン)と並ぶ、人類の凶悪な、大悪魔たちだ。
今日は、もう詳しくは書かないが、英王室は、「父(パテル、デウス)と、子(フィリウス。イエスのこと)と、聖霊(スピリタス)」の、三位一体の、聖霊(ホウリー・スピリット)のところに、英国王を入れた。それが英国国教会(アングリカン・チャーチ)だ。だから、「父と子と英国王」と、三位一体(トリニティ)を作り替えた。つまり英国王は、神の一部、神そのものになったのだ。
そして、それを、明治の初めに、巧妙に、英国が、日本の天皇を創作したときに、同じように、日本の天皇を、現人神(あらひとがみ)にした。この時に、日本の天皇は、生神(いきがみ。living god リヴィング・ゴッド)さま になったのだ。そのように、イギリスが作ったのだ。それまでの日本の天皇は、御門(みかど)、スメラギであり、太陽の子である日嗣(ひつぎ)であり、中国式の天子とは違う天子だ、とされていた。
だから、日本の天皇は、明治の初めに、イギリスによって作られたものだ。この理論を、私はもっと、もっと、これから徹底的に書く。
最後に。 日本の昭和天皇 はじめ、4人の 皇族の 本当の父親は、誰か。
それは、日本国民に嫌われた、極悪人の政治家だった、 山県有朋(やまがたありとも)である。長州閥を作った張本人だ。長州閥(ちょうしゅうばつ)の政治家たちが、現在に至るまで、日本の政治を、本当に悪くした。戦後も、まさしく今に至る、岸信介、安倍晋三の血統だ。長州閥を、今こそ、私たちは、根絶やしにしなければいけない。
(ここに、例の 画像を一枚貼ってください。)
【2862】[3325]ウクライナ、カザフスタン、地球規模の世界政治
2019年末頃に国際金融が起こした、中国のコロナデマが、実質的な第三次世界大戦への誘導の契機だと考えています。2023年のワクチン治験終了まで、悪質な財政支出を行い、2024年の世界的なデフォルト(国家債務踏み倒し)は、やはりデープステイトの計画でしょう。
現状、英米強硬派が、ウクライナやカザフスタンで戦争誘導を始めていますが、プーチンがうまく対処している。3大帝国の最高指導者の習、プーチン、トランプは、世界政治の最高レベルの駆け引きにおいて、それぞれの自国民を最小被害で守ろうとしている。
しかし日本にとって最大の問題は、地球規模レベルで世界政治を把握している政治家がいないことです。具体的な戦略を立てるには、まず冷静で的確な全体像の把握が必要不可欠ですが、やみくもに中国を敵視する危険な政治家ばかり目立ちます。
「鬼畜英米!」で民族消滅の危機まで突き進み、敗戦後は「米国様様!」の愚行をまた繰り返すつもりなのだろうか。
【2861】[3324]ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の謎を解く(2)
前回はヴィトゲンシュタインが哲学の成立する範囲と境界を決めることに成功したことを述べた。
以下にこれによって解決した哲学問題を記しておこう。
1)17世紀から18世紀にかけての近代哲学には、認識を「経験」に求める英国系の議論(イギリス経験論)と、「理性reason」に求める欧州大陸系の議論(大陸合理論というらしい)の2つがある。イギリスチーム(ロック、ヒューム、バークリー)対大陸チーム(デカルト、スピノザ、ライプニッツ)の議論だ。人間のreason(理性)と経験では、どちらが重要かという問題でもある。
ウイトゲンシュタインによればイギリスチームの圧勝である。なぜなら、命題のかたまりがその人の思考だからだ。だから、経験(事実)によって思考が形成される様子がはっきり描かれている。ヒュームの「causality(原因)とはただの経験による推測に過ぎない」もバークリーの「知覚の束」も見事にその中に取り入れられている。
2)ドイツ哲学といえば、カントとヘーゲルが有名だが、この二人の理論(弁証法的論理学とanalytic propositions)も事実に基づかないから無意味となる。
3)エルンストマッハの言った「感覚できるものだけが正しい」という科学哲学の最先端の思考法も前回の考え方で理解できる。感覚として得られた経験的事実から、「射影」されない命題は「語ることができない」。
4)ウィーン学団(Vienna Circle)のつくった科学哲学とは、すべてヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からのパクリである。このことが前回の文を読むとよく理解できる。
3人の主要人物がいる。シュリックは物理学者だから、ヴィトゲンシュタインの思想に忠実だったが、ルドルフ・カルナップとオットー・ノイラートはヴィトゲンシュタインの思想を捻じ曲げた。ただし、現代の自然科学はカルナップの思想に、社会科学はノイラートの思想に従っているように見える。
5)同様に考えると、ポパーの「反証可能性」もヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からのパクリであるとわかる。だから、このことを知っていたヴィトゲンシュタインは火箸でポパーに殴りかかった。自分の理論を改悪したのが、よほど腹に据えかねたのだろう。
さて、もう一度前回のせた図を見ていただきたい。
3つの括弧がある。
事実のかたまりが現実で、命題のかたまりが思考である。したがって、右の括弧には「現実」が左の括弧には「思考」が入る。
命題のかたまりがその人の思考をつくる。だから「私の世界」とは左の括弧である。ここに「思考」が存在する。一方、現実は(reality)は右の括弧の中に存在する。
ただし、「私の世界」は左側にしかない。そして、命題のかたまりがその人の「思考」だから、命題を表現する言語が、その人の世界の限界を決める。
哲学では、右の括弧の世界から、左の括弧の中の世界を作る人はノミナリスト(唯名論者)、左の括弧の中でのみ思考するひとはイデアリスト(理想主義者))と呼ばれる。大雑把にいえば、左の中の括弧に存在する猫がa catで、右の括弧の中に存在する猫がthe catとなる。こうすれば日本人でも冠詞と定冠詞のちがいがわかってくる。
以上です。
下條竜夫拝
【2860】[3323]結果」には必ず「原因」がある。
1年の計は元旦にある。
2022年1月4日テレビ東京WBS(朝のワールドビジネスサテライト)から。
アメリカ国債10年物(金利) 1.635% プラス0.137% しょっぱなからこれだ。
経済評論家が4人登場。2022年の経済の悲観論をテーマに4人の経済のプロが出席。なのに、誰ひとりアメリカ国債の暴落の事を発言しなかった。
債権の金利の急上昇は 債権の暴落を意味する。こんなことは経済の素人でも分かることだ。
去年の暮れの12月20日に ここの(3310)で私は「コロナ集団ヒステリーと検閲と言論封殺」の中で、大本営メディア筆頭のNHKをこき下ろした。
だが、東京12チャンネルの日本経済新聞もなかなかどうしてディープ・ステイト(陰に隠れた世界エリート層)やカバール(バチカンのイエスズ会、ローマ教会、及びにイギリス王室を始めとするヨーロッパ王室)のちんころ(手先)ぶりは徹底している。
話は戻って、1月7日朝のWBSでは米国債の10年物金利はなんと 1.75%に急上昇(ザラバ)。それでも”国債暴落”の言葉は箝口令(かんこうれい)で一切報道されなかった。
去年2021年の11月10日 祥伝社から副島先生の本「コロナ対策経済で大不況に突入する世界」の33ページから。
「金利がじわじわと上がり出している。これが危険信号だ」
主要各国の10年物国債の利回りの一覧が出ている。そのなかで2021年10月5日のアメリカの10年物金利1.57%とある。(ブルームバーグのデータから)
国債利回り(=長期金利)に異変が起きている。お札と国債を刷りすぎたので 金利が上がりだした。(福松割り込み。これが正しく「結果には必ず原因がある」ということだ。割り込み終わり。)
インフレ懸念に対抗して、中央銀行は政策金利(=短期金利)で、この舵取りをする。この舵が壊れたら、船(国家)は漂流する。
以上、引用終了。
「”結果”には必ず”原因”がある」
コロナワクチンの副作用についても、これが言える。以下のことで反論があるなら 「自分はこう考える(思考)」をはっきり明示して、根拠を示して反論するべきだ。
去年2021年ネット上の日経平均のコメント欄(ワクチン接種強要派と反ワクチン接種派の決戦場のようになっている)で、ハンドルネーム「考えるな感じろ@俺は…」氏のコメントから。
12月18日。ワクチンに入っている成分の一部。
・ホルムアルデヒド、ホルマリン……毒性の高い全身性の毒物及び発ガン性物質。
・ベータプロピオラクトリン……有害な化学物質、及び発ガン物質。死亡、永久障害を引き起こす可能性あり。腐食性化学物質。
・水酸化ナトリウム、りん酸アルミニウム、アルミニウム塩……神経毒。長期的な脳の炎症、腫れ、神経障害、自己免疫疾患、アルツハイマー病、認知症、及び自閉症のリスクを伴う。
それは脳に浸透し、無期限に持続する。
・チメロサール(水銀を含む防腐剤)……神経毒。細胞の損傷を誘発し、酸化還元活性、細胞の変性、及び細胞を減少させる。神経障害、アルツハイマー病、認知症及びに自閉症に関連。
・ポリソルベート80.20……血液脳関門を通過し、アルミニウム、チメロサール、及びウイルスを運ぶ。それが脳に入ることを可能にする。
・グルタルアルデヒド……熱に敏感な医療機器の消毒剤として使用される有毒化学物質。
・牛胎児血清……屠殺前に妊娠中の牛から採取した牛の胎児から収穫。
・ヒト2倍体線維芽細胞……流産した胎児細胞。(略)
・アフリカン・グリーンモンキー腎臓細胞……既に約3.000万人のアメリカ人を汚染しているSV-40発ガン性ウイルスを運ぶことが可能。
・アセトン……腎臓、肝臓、神経の損傷を引き起こす可能性あり。
・大腸菌
・豚サーコウイルス1型からのDNA
・ヒト胚性肺細胞培養……流産した胎児から(略)
↑電通の”宮崎 勤”はこれ(の)否定コメントをしてみてwww
とある(笑い)。以上引用終了。
「カバール(世界人類の99.99を支配する)の正体」 副島先生の監修 西森マリー氏著 2021年7月10日 秀和システム発行
裏帯から引用。
諜報機関が報道機関を使って偽情報をばらまいているわけではなく、報道機関自体が元々カバールにとって都合のいい情報を流して世論捜査をするために作られた組織であり、そこから国家諜報機関が生まれた。
以上 引用終了。
【2859】[3322]あーろんるっそ
謹賀新年。今年もよろしくお願いします。
アーロンルッソと云う人へのインタビューです。内容が面白いので紹介します。下記URLから行ってください。
http://www.youtube.com/watch?v=WiTY5lf9Cxg
因みに僕はこのアーロンルッソ当人のことは全く存じません。偶然見つけました。
【2858】[3321]ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の謎を解く(1)
新年あけましておねでとうござます。今年もよろしくおねがいします。
さて、少々昔であるが、副島先生が「今日のぼやき」の中でルードビッヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889- 1951)について書いている。ルードビッヒ・ヴィトゲンシュタインとはウィーン生まれの20世紀最大の哲学者である。哲学の問題すべてを一挙に解決したともいわれている。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889~1951)
私は前からヴィトゲンシュタインに興味をもっていたが、このぼやきの文章を読んでなるほどなあということがいくつかあった。ここでは、ヴィトゲンシュタインが用いた用語の解説をし、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』がなぜ重要なのかを、副島先生のぼやきの文章を補完する形で説明しようと思う。
というのは、既存の『論理哲学論考』の解説書では、どの哲学問題を、どう解決したのかという点について、なにも説明していないからだ。ある解説書の表紙には「哲学の問題すべてを一挙に解決するという野心的な試み」と書いてありながら、中ではこれについて言及していない。したがってヴィトゲンシュタインが何をやったのか、やろうとしたのかは、さっぱりわからない。
ちなみに、副島先生のぼやきでは、「精神と物体の二元論の問題について」解決したことがわかる。ここでは、別のことについてふれる。
さて、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』という本の中で、命題(proposition)、表現(representation)、射影(projection)、演算(operation)ということばを用いている。これらのことばは、実は数学用語である。特に表現(representation)は、数学で用いられる特殊な用語である。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』はなかなか理解されていないが、それは数学との類似性を使わないとうまく説明できないからだ。
表現(representation)というのは、表現論(representation theory)という形で数学の理論で用いられる。表現論は空間の線型変換を研究する数学の一分野である。例えば、高校の数学の範囲で言えば、三次元空間の平面や形を、別の空間に写像する場合が一番簡単な表現(representation)である。
ヴィトゲンシュタインは、この数学の「表現」を用いて、言語と事実で構成された「論理空間」を構築しようとしたが、実はそれは線型写像の行列による表現と非常に似通ったものである。
今、三次元の空間を行列で変換する場合を考えよう。式で表すと次のようになる。
3つの括弧がある。実は、この真ん中の3行3列の行列が「表現」である。
そして、この式をじっくりと眺めてほしい。今、右のx、y、zというのは普通は座標である。3つしか入っていないが、実際は、空間でなくてもいいので、拡張していくらでも大きくすることができる。また、右と左の括弧には、座標以外の何が入ってもいい。ベクトルが入る場合を「ベクトル空間」、関数が入る場合を「ヒルベルト空間」という。
ヴィトゲンシュタインはこの右の括弧に事実(facts)を入れ、「論理空間」と名付けた。つまり、右の括弧に事実(fact)を入れた。これをatomic facts、つまり「原子のように無数にある、これ以上分解できない事実のかたまり」という。人間は生まれてから死ぬまで様々な経験をする。そのひとつひとつを拾い集めた経験的事実がこのatomic factsである。
このatomic factsを先ほどの行列という「表現」をつかって左側に変換する。
左側には1つの命題(proposition)がくる。図にすると下のようになる。
命題が「赤」とか「高い」とか、単純な単語である簡単な場合を考えてみよう。小さいころから我々は様々な赤いものを見てきている。赤い旗、赤い血、赤で塗られた皿・・・・・・。これらが原子的な事実である。そしてそこから、「赤」ということばが命題として構成される。「赤」という概念を抜き出しているわけだ。つまり、経験的事実から、「赤」ということばを抽出しているわけである。
このことをヴィトゲンシュタインは「射影」(projection)と名付けた。三次元のベクトル空間なら、球を平面に押し付けてつぶして二次元上で円にすること、一次元上で線分にすることを「射影」という。この性質の類似性をつかって、多数の事実(fact)から、「赤」という一次元のことばを「射影」しているわけだ。これがヴィトゲンシュタインのアイデアである。
ここまでは数学がわかっている人ならばなんとなくわかってもらえるだろう。問題はなぜこんなややこしいことを考えなければならないかということである。
それは、数学で、きちんと射影できない場合、「潰れている」と表すからである。逆にきちんと射影できた場合faithful(忠実)であるという。
この類似を使って、ヴィトゲンシュタインは諸事実からきちんと「射影」できた場合、その命題文は真(true)であるとした。逆に「射影」できない場合、それは偽(false)であるとした。
つまり、この方法で真偽が判定できる。
ただのことば遊びに見えるかもしれない。しかし、科学はこれと同じ仕組みで出てきている。例えばF(力)=m(質量)×a(加速度)という命題を考える。この物理の命題は様々な実験的な事実(experiments)や経験的事実(experience)から抽出して得られた式である。物が落下する、物体を動かすなどの多くの実験的事実から、この式(命題)が得られるわけだ。ヴィトゲンシュタインはこれを抽出ではなく「射影」という数学用語で表した。
つまり、事実からきちんと導出される命題のみが真である。様々な実験事実から理論を導く。このとき、諸事実からきちんと射影できれば、その命題は真である。逆に矛盾があれば偽(false)となる。例えば「風が吹けば桶屋が儲かる」という格言がある。それ格言自体は論理的におかしくない。ではそれが真かというと、その事実がない。だから、これは、論理的に正しくても真とはならない。
簡単にいえば、ヴィトゲンシュタインはこの数学の表現(representation)をつかって、「真と偽はどうやってきまるのか=論理とは何か」についての答えを導いたことになる。
ヴィトゲンシュタインはラッセルとフレーゲが「論理とは何か」に悩んでいるときに、数学に興味を持ち、ラッセルの追っかけみたいなことをやっていた。困ったラッセルにヴィトゲンシュタインは「私をきちがいだと思うか?」とラッセルに尋ねた。その時、ラッセルは「わからない、何か文章を書いて見せてくれ」といった。その時に書いた文章がこの「論理とは何か」についてだといわれている。
さて、この「諸事実が射影されている(反映されている)命題だけが真である」というのは、様々な諸学問を否定している。だからものすごく重要な概念である。
特に、数学にとってこれが意味することは非常に重要だ。数学では1 1=2になる。1 1=2となるのはそう決めた(公理)からではなく、ひとつのリンゴとひとつのリンゴをあわせるとふたつのリンゴになるという事実から発生していることを意味する。この考え方からすると「無限」「4次元空間」などはみんなあやしいものとなってしまう。諸事実が反映していない(射影されていない)命題は偽となってしまうからだ。
ただし、真の命題から別の命題を導くことは可能である。ウィトゲンシュタインはそのために、どのような場合にこれが成立するかもきちんと議論した。事実からえられる命題を基本的命題とか要素命題(elementary proposition)という。基本的命題を発展させれば別の命題を証明することができる。例えばF(力)=m(質量)×a(加速度)から、衛星は恒星のまわりを回転しているという別の命題が導ける。
しかし、それでも決まらない場合がある。つまり事実から「真」と「偽」が決まらない場合がある。これは、「真」か「偽」を決めるための事実がなにもない場合だ。「神が存在する」「無限は存在する」などがこれにあたる。
この場合は、「沈黙しなければならない」。これがウイトゲンシュタインが『論理哲学論考』の最後に述べたことば、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」の意味である。すべてここに帰着できる。
そして、これによって哲学が扱える範囲と境界が明確にできたわけだ。
つまり、ヴィトゲンシュタインはこのように哲学の成立する範囲と境界を決めることに成功した。このことを、「ボトルの中にいるハエを外に出して飛ぶようにする(To show the fly out of the fly bottle)」と表現する。ハエ(fly)は飛ぶ(fly)からハエ(fly)である。哲学も知識を愛するのだから、わからないことを議論していては哲学にならない。
以下続く
【2857】[3320]ぼやきに、副島隆彦が書き加えました。
副島隆彦です。今日は、1月2日です。
学問道場の会員たちに、新年のご挨拶をします。今年もよろしくお付き合いください。 私は、今、今日のぼやきの方に私の加筆文として、私の、今の考えを書きました。そっちを読んで下さい。
どんな苦難が私たちの前にやってこようと、それに立ち向かって、それに正面からぶつかってゆく気力を養いましょう。私も、歳のせいで、体と頭がかなりキツくなってきました。それでも気力を振り絞って闘い続けます。皆さんも自分の人生を闘って切り開いてください。今年もよろしくお願いします。 副島隆彦拝
【2856】[3319]60年前の若者たちはどのように考え/行動したのかを理解する
激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 池上彰 佐藤優 講談社現代新書 2021/12
会員の六城です。2ヶ月前に”真説日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960”の感想 を投稿しました。
我々が正しく左翼を理解しないかぎり政権交代の気運など盛り上がるはずがない
その続編”激動日本左翼史”の紹介です。書評と呼べるものではなく、あくまでも簡単な感想文としてお読みください。
自分は現在の社会集団としての日本に対しては悲観するほどではないですが、虚無的な感覚を持っています。
『人間を幸福にしない日本というシステム』と同じ現状認識
30年近く前のカレル・ヴァン・ウォルフレン の書名そのもの。そして平成から令和となった今では、その度合いがさらに酷くなっていると感じています。
なぜこんな不条理に民衆は怒らないのだろうかと不思議でなりません
それの回答として、本書では六〇年代の過激派の功罪として、政治的関心までも危険であると社会がみなしたことにある。いわゆる総ノンポリ化です。
同時代(1968年)にパリで起きた左翼勢力による五月革命は現在までもフランスの政治スタンスに影響を与え続けているのに対して、日本の新左翼運動は完全な裏目となってしまった。
そしてこの状況は日本の為政者にとって、とても具合の良い結果となっている。
頭の良い奴は既に爆発して発狂するか引篭もっているんだろうなあと同情します。
自分は頭の回転が良くないから、なんとか精神が保っているだけなんだと思います。
まあ歴史において平民が幸福であった国や期間なんてのも、過去一度もないのですが。
それにしてもなんか全土に覆う生ぬるいボヤ~とした、怒りが”漂白”された今の日本の現状が大嫌いです。
安倍晋三(と麻生太郎)の虚言漬け内閣による陰湿な隠蔽、国家統計の偽装と悪事とこれだけあり、それに続く公明党の元財務副大臣のリベート事件と政治に対する怒りが渦巻いてしかりな状況にあるにも、です。
60年前なら暴動が起きてますよ、絶対に。
副島隆彦先生の怒りのエネルギーの原点は高校時代に体験した新左翼運動です。
本書では従来のマルクス・レーニン主義を標榜する左翼思想から、戦後にスターリンと訣別しトロツキーの世界革命論を掲げて、自壊していく新左翼の時間経過が対談形式で解説されています。
また本来であれば武力革命を率先するべき共産党においても、武力闘争を放棄したことで各ブント(独:同盟)や赤軍派が飛び出していきます。
重要なことはなぜ若者たちが、次々に武力も肯定した新左翼運動に加わっていったと言うことです。
大学生は小ブルジョアジー(プチブル)と共産党は白眼視していた
かけ算も怪しいのが大学生になれる現代において想像しがたいのですが、大学への進学率は1割程度で裕福な家庭しか行けなかったからです。
その学生たちもやがて労働者側になるという発想が当時の共産党にはなかった。
資本家ではなくても知識や才能で必死に喰っている人たち(学者や芸能人)もブルジョアとして非難の対象としたのです。
だから大学生たちが抱える「ノブレス・オブリージュ」(高貴な者が宿命的に負う義務)のエネルギーがすべて新左翼運動へと集まっていたのです。
うん、なんとなくわかる。
世間知らずなのに、義憤に駆られるというのは若さの特権です。
でもそれ自体が「仁義なき戦い」そのもののような内部抗争を生み出していくということまでは想像できなかったのです。
それでも大学生の若い熱気はやがて全学連という組織として具現化して、労働者に代わって六〇年安保闘争で表舞台に立っていきます。
六〇年安保闘争は反米運動なのか、アンチ岸という反ブルジョア運動なのか?
池上と佐藤両氏が指摘しているのは、反安保運動も左翼内では所属によって糾弾相手がアメリカなのか国内の資本家と手先の岸内閣なのかと標的が異なっていたということ。
そして驚くことに共産党は対米従属を是としていたことです。(安保改正を進めた岸内閣だけを悪とした)
アメリカの力により天皇制を打倒してから民衆蜂起でアメリカを出し抜こうという戦略です。
この共産党の唱える二段階革命論は六〇年安保で急展開し、とつぜんナショナリズムを前面に出し始め、反米愛国主義に切り替わります。
(抜粋はじめ p75)
■共産党が「対米従属論」に固執したワケ池上 なるほど。ところで共産党の対米従属論に話を戻すと、六〇年代といえば日本の資本主義は確かにまだまだ未成熟な部分がありましたし、その時代状況で「日本はアメリカの従属国であり、日本政府はアメリカの傀儡政権なのだ」と聞かされて納得してしまう人は共産党支持者でなくても一定程度はいたでしょう。正直なことを言えば、私自身も若い頃にそう思っていた面があったような気がします。
ですから私も学生時代に非共産党員の友人と、「日本は対米従属の半植民地国家なのか、それともアメリカの意向とは無関係に日本政府は対外進出を企てているのか」について論争したことがあります。
でも翻って、六〇年代とくらべてずっと経済的に発展した現在の日本が果たして米国に従属しているだけの国なのかどうかを考えると、これはなかなか難しいですね。
つまり従属国でないのであれば、日本は今日に至るまでのどこかの段階で独り立ちした帝国主義国になっていなければいけないはずですが、果たして今の日本がそういう国なのかというと、そうと見えるめんもあればそうではない面もある。この問題は現在においても曖昧で答えを出しにくい問題のように思えます。佐藤 そうですね。ただ、帝国主義国だからといって完全に自立するとは限らないのも事実です。たとえば現在のドイツはアメリカの核の傘の下に入っている完全には自立していない国のひとつですが、ドイツがアメリカと組んでいるのは別にアメリカの属国だからではなく、単にドイツの政治エリートと資本家にとってそのほうが経済合理的だからです。しかし対米従属という見方に囚われると、そうした大国の傘に入りたがる(相対的)小国の主体的意思は見えなくなってしまいます。
またこの属国論は、陰謀論と結びつきやすいのも問題です。日本がひどい目に遭うのはすべてアメリカの陰謀であり、しかもそのアメリカを陰で動かしているのはユダヤ系のネットワークやフリーメイソンのような秘密結社である、といった妄想と実に容易に結びついてしまう。池上 田中角栄がロッキード事件で潰されたのはエネルギー政策に関して対米自立を唱えたからだ、という説が未だにそれなりの数の人に信じられているくらいですからね。対米従属論に囚われると、「アメリカに逆らった総理大臣は潰される」といった、根拠のない話が独り歩きしてしまうのはたしかにそのとおりかもしれません。
佐藤 そしてこの対米従属論がなにより問題なのは、日本国内の権力者を論理的にアメリカの一方的な被害者にしてしまうことです。つまり、日本の政治家や財界がアメリカという巨大な悪の帝国の意のままに動いているという世界観で世の中を見始めると、今度は日本の政権の不作為や資本家の悪行まで「アメリカのせい」となってしまい、日本の権力の事実上の免責になってしまう。
池上 アメリカというものすごく強大な悪の帝国が上からコントロールしている以上、日本の政治家などは所詮何もできないのだというエクスキューズになりやすいというわけですね。
佐藤 アメリカとくっつくことで甘い汁を吸っている人以外は、誰であろうと被害者という構図に共産党の見方ではなっていまうわけです。
私が思うに、六〇年代の日本共産党が対米従属に固執したのは、おそらく外国の共産党の意向に振り回されてきた彼ら自身の意識の裏返しでもあったのでしょう。
(抜粋おわり)
共産党が「六一年綱領」で反米愛国主義へと転換すると、社会党も(資本主義から)社会主義への転換(革命)という方向性をはっきり打ち出していきます。
ところが64年の春闘ではゼネストを訴える社会党と、資本家の挑発に乗るなと反ストの立場をとる共産党とみごとに左派が二つに割れてしまいました。(この経緯で宮本顕治が誤りを認め書記長を辞任しています)
前著でも三池闘争をはじめとした労働争議が尻つぼみになっていったことは解説されています。
結局、社会主義を理想とする共産党は社会党やその他左派政党とくらべて、組織の維持拡大のみに特化するあきらかに異質な政党であったわけです。
■全学連から全共闘の時代
全学連が六〇年代の安保以降は分裂によって徐々に勢力が下火となり、代わりに出現したのがベトナム反戦運動を契機に発生した全共闘(全学共闘会議)です。
分裂した派閥をふたたび集約するための代表者会議であったのが、反ベトナム戦運動や東大安田講堂占拠などの学園紛争の主役になっていきます。
興味深いことに、このような状況下でも共産党は学生のゲバルトを「ニセ左翼暴力集団の挑発行為」として非難に終始しています。
1968年(昭和43年:前年にアポロ月面着陸)の頃が全共闘の盛り上がりのピークです。それは大学の大衆化が進み、ノブレス・オブリージュの気概もなく、就職予備校化していったことです。
また全共闘も内ゲバで自滅に向かい、共産党は新左翼=ニセ左翼暴力集団として、けっして歩み寄ることがなかった。
テリー伊藤の斜視が投石が当たったからであることは有名な話ですが、当時は共青同や中核、革マルらの機関紙も神田神保町((東京の書店街)のみならず個人書店でも購入することができたそうです。
だから左翼活動家は基本的に文筆力があり、作家や出版になっていった人も多い。そしてカリスマも多く政界にも輩出していったことは事実です。
私にとって身近なのは太田龍(1930-2008)で元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長です。
革命家からユダヤ陰謀論を展開したオカルトの教祖様です。
ただし70年代からはご存知のように論調が行き詰るに従い、よど号ハイジャックやあさま山荘、テルアビブのテロと過激な行動へと飛躍していくことになります。
自分が30年前の頃は、まだゲバ文字が躍る立て看板が学食などにあったり、マルクス経済が主流の帝大系ではジグザグデモの練習をさせられただのと、名残らしきものはありました。
それに、両親からは学生運動と統一教会(原理研)にだけは絶対関わってはならないと言われてました。
当時の若者たちもそろそろ後期高齢者を迎えるようになり、駿河台周辺、早稲田や慶応を歩いてみても、かつての学生運動の残渣はほとんど見かけません。
しかしながら、幼稚ながらも『革命』を目指したそれぞれの論理は、今に生きる我々にも”教養”として知っておくべきことなのではないでしょうか。
【2855】[3318]支配する者と支配される者
世界の超富裕層1%、4割を独占 コロナ影響、格差拡大に拍車(共同通信)
https://nordot.app/847731571357138944?c=65699763097731077
>世界上位1%の超富裕層の資産が今年、世界全体の個人資産の37.8%を
>占めたことが、経済学者ら100人超による国際研究で分かった。
>特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1490兆円)超を占め
>富の集中は鮮明。研究報告書は「不平等は今後も広がり続け、巨大な水準に
>達する」と懸念し、富裕層や巨大企業への課税強化が不可欠だと訴えた。
連続の投稿ですみません。ご容赦ください。
マックス・ウェーバーの「経済と社会」によると世の中は、支配する者と支配される者に大別されることになります。
世界の超富裕層の1%が4割の富を独占して、格差拡大の報道がありました。メディアも「1%の人々」などと曖昧な表現ではっきりと名指しで報道しないのもミソです。それほどの超富裕層なら、きっと有名だから隠す必要もないはずです。
俗に言う「陰謀論」ですが、企業レベルで考えても守秘義務契約を交わして、秘密裏に進めている計画はあります。ましてや世界の支配層が推進する計画は漏洩しないように証拠もなるべく残さないように管理しているはずです。世の中は秘密裏に行っていることだらけです。「世界に秘密や陰謀など存在しない」と考えるほうが無理筋です。
格差を無くして平等に分配する社会を創るなら、人口は少なく、貧困層が多いほうが、その障壁は低くなります。1億人より、5000万人のほうが分配原資は少なくて済みます。また全体的に低所得であるほど、分配量が少なくても理解が得られるからです。
紙幣は、ある意味いくらでも供給できま。
一方、食料の供給量は急には増やせません。また天然資源においては有限なので、供給量に制限があります。
これから、世界がベーシックインカムを伴った資本主義と共産主義のハイブリッドな体制に移行することを支配層が考えているならば、人口削減と格差の拡大の2つは至上命題とも言えると思います。
東京大学名誉教授をの上野千鶴子が、「平等に貧しくなろう」と主張していながら、自分自身はタワーマンションで暮らし、高級外車に乗っていると批判されたことがありました。上野氏の発言は特段否定するものではないと思います。誰しも利権や財産を手放したくないのが本音です。
資本主義であろうと、ナントカ主義であろうと、体制側にいる支配層は豪華な生活を享受している構図はどこまで行っても変わらないはずです。ベーシックインカムを配って平等にしたと、大衆を上から見下ろす支配層の存在はボスザルの存在と同じで世の中の縮図や宿命かもしれません。