ふじむら掲示板

副島系掲示板の”補集合”としての役割
伊藤 投稿日:2024/07/01 10:57

【513】ウォーミングアップ(7月1日)封禅の儀に倭国王は列席したのか。

伊藤睦月(2145)です。

守谷健二君が、(3134)の投稿で、665年の封禅の儀に、劉仁軌が、倭の国王が参加した、という旧唐書劉仁軌列伝の記事を紹介しています。私、伊藤は、旧唐書の該当部分を確認していないのですが、関連資料をみていたら、次の記事を見つけました。

(引用はじめ)

(1)666年正月、唐の第三代皇帝である高宗は、中国第一の名山である泰山で、天地を祭る封禅の儀式を行った。・・・さらには、新羅・百済・タン羅、高句麗といった東アジアの国々の使者とともに、日本の「使者」も参加していたという。(川上麻由子「古代日中関係史」はじめに)

(引用終わり)

伊藤睦月です。いくつか指摘。

(1)守谷君は、封禅の儀を665年の出来事と言い、川上は666年、といっているが、どちらが正しいか。

(2)川上前掲本では、滅亡したはずの「百済」が登場するのはなぜか。

(3)封禅の儀に参加したのは、「国王」か「使者」か。

伊藤睦月です。以下、私の回答

(1)666年が正しい。ただし、各種史料は、太陽暦でなく、太陰暦で記載されているので、閏月とか、太陽暦に置き換えたときに、若干のずれが生じたものと考えられる。

(2)旧百済皇太子隆が参加していたため、百済もカウントされた。

(2-1)百済王国は、660年義慈王のときに、唐・新羅連合軍に滅ぼされている。665年に劉軌仁の仲介で、新羅王と旧百済皇太子との間で、講和の盟約を締結しており、旧百済皇太子は、唐の官職(熊津都督)を得ているので、その資格で参加しているのではないかと考えます。

(3)「国王」でなく「使者」であると考えられる。

(3-1)日本書紀によれば、665年に、劉徳高と郭務棕が来日し、その年の12月14日に帰国(旧百済か唐本国かはわかりませんが、皇帝への報告と、封禅の儀への参加のため、唐本国に帰ったと考えます)した際、小錦守君大石らを同行させており、彼らが封禅の儀に参加したと考えると、川上前掲書とつじつまが合います。百済方面軍担当の劉軌仁の紹介(随行の資格)で、参加したと考えます。

(3-2)但し、日本書紀には封禅の儀に参加した、という記事はげらありません。「大唐に遣わし、しかじかと、だけ記載されています。

(3-3)私、伊藤は、百済王、倭国王なら、戦争捕虜なので、封禅の儀のいけにえにささげられたのではないか、と推測したのですが、その時点で百済王は存在しない(王子とか貴族は連行された、という記事が、新唐書新羅に出ていますが)し、倭国王も、倭国=大和王朝説(通説)なら、当時の倭国王は、天智天皇なので、彼が「訪中」したという記事もないし、実際行っていないでしょう。

(3ー4)倭国王=九州王朝の王という説(副島説)をとるなら、その連行された倭国王の名前が不明なのはおかしいと思います。旧百済と新羅のような盟約も結ばなかったのも解せません。

(3-5)倭国では、元来「国王」は存在せず、白村江のときは、余豊璋の支配地だった、連行されたのは、「貴族」たちで「国王」ではなかった。という伊藤説

(3-5)結果的に、封禅の儀に参加したのは、大和王朝の「使者」である、という川上説と一致する。この伊藤説なら、つじつまが合うのではないかと考えますが、今のところ、私以外に支持者はいないようです(大汗)

伊藤睦月です。もう少しウォーミングアップします。

(以上、伊藤睦月筆)

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/07/01 09:29

【512】入院中の楽しみが増えた。

伊藤睦月(2145)です。かたせ2号さんが、紹介された本、地元の大型書店でも平積みになっていたので、関心はありました。

早速購入して(電子書籍やアマゾンでなく)、近日入院した時に読みたいと思います。

以上、伊藤睦月筆

 

かたせ2号 投稿日:2024/07/01 06:29

【511】まじで、成瀬あかりが天下を取りにきている。

かたせ2号です。
この本はオススメです。ワタシは読みました。

冒頭
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

滋賀県大津市在住の女子、成瀬あかりの物語。
第1作「成瀬は天下を取りに行く
第2作「成瀬は信じた道を行く
(ともに、新潮社)

2024年の「本屋大賞」を受賞。すでに70万部を突破。

主人公の成瀬あかりに共感する日本人たちが多いことから、日本の姿が透けて見える気もします。

ワタシの分析では、
「『無規範(正しさを拠り所としない)』のまま、「周りに迷惑をかけるな!」だけで、「世間」を成り立たせ国を成り立たせてきた、日本の歴史の限界が到来した」。
(こんな無粋な分析を書く、成瀬あかりファンは他にはいないだろう。)

関西地方での反響は以下の通り。
滋賀県大津市内では、すでに『聖地巡礼』が始まっています。

(フジテレビ系列 関西テレビでの紹介)
https://www.youtube.com/watch?v=remi9usm1IE
【滋賀愛に溢れた本】「成瀬は天下を取りにいく」全国の書店員が「一番売りたい本」本屋大賞受賞 滋賀・大津市在住の作家・宮島未奈さん「まさに近江商人の三方よしですね」〈カンテレNEWS〉

(TBS系列 MBSテレビでの紹介)
https://www.youtube.com/watch?v=VRdnnF1s1ZA
作品に出てくる塩パンも人気!本屋大賞『成瀬は天下を取りにいく』の舞台・滋賀は盛り上がり 作者の宮島未奈さんに“裏話”も聞く!(2024年4月18日)

かたせ2号です。

個人的には、広島から滋賀にやって来た同世代の高校生、西浦くんが、成瀬あかりに恋をするあたりが、、、
ああ、せつない。
こんなけったいな成瀬あかりに恋をした彼が、不憫でならない。

だって、
遠回しの告白をした西浦くんに、成瀬あかりは
「そのような質問をするということは、西浦はわたしのことが好きなのか」と直接聞いて、

(引用開始)
「この短時間でわたしのどこに惹かれたのか教えてくれないか」
成瀬さんが俺の目を見て尋ねる。
「だれにも似てないところかな」
考える前に口から出ていた
(引用終わり)

かたせ2号です。

でも、西浦くん、しかたがないよな。
恋をするって、
こんなけったい子であっても、
女の子を好きになるって、
そういうことだもの。わかるよ。

西浦くんの恋心の行方が楽しみだ。

なお、成瀬あかりシリーズの第3作は、
大津市内から、京都市内に舞台を移すらしい。
京都左京区(京大周辺)から、小説の舞台を別に移すのに約10年かかった、森見登美彦の逆パターンになる。
作者の宮島未奈さんも、森見登美彦さんも「変人養成大学」の、京大出身。

第3作も楽しみだ。

以上

かたせ2号 投稿日:2024/06/30 21:44

【510】マイク・ジョンソン下院議長(共和党)の本日の発言(2024年6月30日)

“They don’t really know what their option is,” said Johnson about the possibility of Biden quitting the race. “I don’t think they (Democrats) have a ‘Plan B.’ For us – I mean the American people – I think that’s a good thing.”

「彼らは自分たちの選択肢が何であるかを本当には知らない」とジョンソン氏は、バイデン氏がレースをやめる可能性について語った。「彼ら(民主党)が『プランB』を持っているとは思わない。我々、つまりアメリカ国民にとって、それは良いことだと思う」

かたせ2号です。
民主党バイデンの、(次期大統領選への)退場はないだろうという観測。
プランBはない、との発言から明らか。
ほんまかな?
さあ、どうなることやら。
(ぼんやりしたことしか言ってなくてすみません。)

(補足1)
この、MAGA派議員多数から非難されている「得体のしれない」マイク・ジョンソンの声が、
とても、いいなと動画ではいつも聴き惚れてしまう。
しかしながら、上の動画での(特に登場時の)マイク・ジョンソンは「ひどい表情」をしているから、
笑けてしかたがない。

(補足2)
北条司先生の、シティーハンターの主人公・冴羽獠は「プランBで行きますか?」って余裕かましてるのに、
アメリカ民主党はプランBをもしも、用意してなければ、冴羽獠が、「ウデはより確か」ということになる。
https://www.youtube.com/watch?v=P_NoGRiyXrU

以上

伊藤 投稿日:2024/06/30 10:55

【509】そろそろウォーミングアップ(6月30日)としての補足説明(封禅の儀、唐の「すりより」について)

伊藤睦月です。「副島歴史テーゼ」を展開するにあたって、学会通説と少数説(有力な反対説)をチェックしておこう。対象となる文献は、次の2冊。

1 「古代日中関係史」川上麻由子著、中公新書 2019年

2 「天智朝と東アジア 唐の支配から律令国家へ」中村修也著 NHKブックス 

   2015年

それぞれ、どんな主張をしているのか。帯カバーのコピーをとりあえず、引用する。

(引用はじめ)

1 「古代日中関係史」 日本は対等を主張し続けたか。

宋(南北朝:伊藤)、隋、唐、五代十国に日本は何を求めたのか

607年、日本は隋の煬帝に「日出る処の天子」で名高い書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった・・・。こうした通説は事実なのか。日本はアジア情勢を横目に、いかなる手段・方針・目的をもって中国と交渉したのか。本書は倭の五王の時代から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらには派遣後まで、500年間に及ぶ日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描く。

2 「天智朝」と東アジア 唐の支配がもたらした律令国家への道筋とは?

   もう一つの「占領下」を描く

 古代東アジアに起こった一大戦役・白村江の戦。通説では、唐・新羅連合軍に敗れた日本は以後、唐の律令に学び、国家体制を整備していったと言われる。だが、この通説は果たして本当か?敗戦国の日本が、唐の支配を全く受けずに友好関係を保つことが可能だったのか?

本書は、中国・朝鮮側の史料、最新の考古学の知見、古今東西の「戦争」における常識など、多角的な視点から「日本書紀」を再解釈。白村江後に出現した唐の日本「支配」の実態、さらに、それがのちの律令国家建設に与えた影響を鮮やかに描く。(引用終わり)

伊藤睦月です。岡田英弘が「日本史の誕生」所収の諸論文で「世界史からみた日本」の視点を打ち出したのが1970年代。副島隆彦先生が、「属国日本論」を提唱したのが、1995年前後、岡田説から50年、副島説から30年、やっとここまできたか、時代が副島隆彦においついてきた、と感慨にふけっている場合ではない。彼らは「属国」というキラーワードを使わずに、自説を展開している。実際、彼らの参照文献には、岡田や副島先生からの引用が全くない。(その間の事情をあれこれ詮索はあえてしない)そこで、副島学の成果の一つである、「属国」ワードを十二分に活用しながら、この2作をチェックしていく。

その前に、「日中関係史」に関する、私、伊藤の現時点での見解を示す。上記2書をチェックするなかで、若干の修正、はあるかもしれないが、大筋では変わらない、と思う。

(伊藤説)

 702年の第7回遣唐使(粟田真人)以来、日本はなんとか唐と対等の外交関係を結ぼうとしたが、失敗。それ以降の各王朝からも相手にされず、国内的には、対等であるふりをして、特に武士階級から利用された。両者が対等の関係になったのは、形式的には、1871年「日清修好条規」、実質的には、1895年、下関条約(日清戦争に勝利)のとき以降である。

伊藤睦月です。上記の議論に行く前に、守谷君や2054さんからあった指摘について、補足説明をします。(暫時休憩)

(以上、伊藤睦月筆)

 

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/06/28 19:01

【508】ちょっとブレイク(7月28日)

伊藤睦月です。

 〇禁酒を命じられた日、スーパーの酒類コーナーにて。

 コノサカズキヲ受ケテクレ

 ドウゾナミナミツガセテオクレ

 ハナニアラシノタトエモアルゾ

 サヨナラダケガ人生ダ

 〇ふと我に返って口ずさむ。

 遊びをせんとや生まれけむ

 戯れせんとや生まれけん

 遊ぶ子どもの声聞けば

 わが身ざえこそ揺るがるれ

 〇深夜、スマホの天気予報の警報に接して。

 時により

 すぐれば民の嘆きなり

 八大龍王雨やめたまへ

以上、井伏、後白河、実朝でした。

伊藤睦月筆

 

かたせ2号 投稿日:2024/06/28 11:29

【507】最近思うこと 「Qはどこに消えたの?」

かたせ2号です。

ワタシにはこの謎が解けません。
「Qはどこに消えたの? 消息がわからない。」

最初から、いたのかね? こんな人たち。。。
今、どこで何をやってるのでしょうか?

(参考) 以下は、単なる連想ゲームです。

1.伝説になったガチャピン事件
https://www.youtube.com/watch?v=_Dlg4SWCp0c
ガチャピンの姿が本来の緑色から、透明に染まり、かつ、その後、青色に変化。
放送事故動画。

2.黄鶴楼にて孟浩然を送る <李白>
故人西のかた 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見る長江の 天際に流るるを

楼上から眺めると、ぽつんと浮かんだ友の乗る舟の帆影が青い空のかなたに消えてゆき、
あとには長江の水が空の果てまで悠々と流れていくのが見えるだけである。

以上

伊藤 投稿日:2024/06/27 18:25

【506】ちょっとブレイク(6月27日)の続き(私の全体像について)

 伊藤睦月です。以前2054さんの投稿で、「(伊藤の)全体像がみえない」旨のご指摘をいただきましたが、私、伊藤の意識としては、シンプル、です。

一言でいえば、「副島歴史学を実証する」です。

(引用開始)日本は本当は、この2000年の間、中国の歴代王朝・中華帝国の属国としての地位にあった。しかし、表面上は、絶対に中国に屈服しないで、少なくとも政治的に対等であるというフリをして、やせ我慢をしてきた国である。「英文法の謎を解く11ページ」(引用終わり)

 伊藤睦月です。これを私は勝手に「副島歴史テーゼ」と称しております。このテーゼを実際の史料に即して語る、語りつくす、というのが、私の目標であります。とんだビッグマウスです。しかし、私は、酒を飲んでいませんし、酔ってもおりません。今、2054さんや、守谷君、と議論させてもらっているのは、すべてその準備作業で、私にとって非常にありがたいことです。改めて御礼申し上げます。

 それに少し、焦りもありまして、この「副島歴史テーゼ」が1995年前後に明らかにされてから、学会主流にいつの間にか取り入れられて、気づけば、当たり前の話になってきそうなのです。歴史学分野でも、時代が副島隆彦に追いついてきた。彼らは、「属国」という言葉を使わずに、たくみに自説を展開する。盗作とまでは、言いません。少なくとも、歴史分野における「副島隆彦」の爪痕を何か残したい。モデルは頼山陽「日本外史」、副島版「日本外史」を書いてみたい、という夢をもっています。

 伊藤睦月です。もちろん、この夢は本日初披露であり。副島先生にも話してなく、了解も得ておらず、ちょっとドキドキしながら書いています。しかし、弟子として思うのです。

 今、副島先生の相手は、現実世界のすべて、全てに向き合って、思想戦を闘っておられると、私、伊藤は思うのです。その主戦場は、著作群と「重たい掲示板」「今日のボヤキ」。だから、能天気に「重たい掲示板」に「副島先生は偉大だ」などという投稿が載ると、どうしても我慢できなくなってしまうのです。副島先生にとって、眼中になく、余計なお世話であり、お叱りを受けるとわかっていても、副島推しの血が騒ぐ。つい熱くなってしまうのです。だから、自分の好きな分野(私にとっては歴史分野)について、副島テーゼで語ってみたいのです。すでに副島先生は、日本史の主要時代、古代、戦国・江戸時代、幕末・明治、戦前戦後の昭和、平成、において作品をものにされています。それらをベースとし、「巨人の背中に乗った小人」よろしく、何事かを加えたい、そう願う未熟なビッグマウスにとっては、この「ふじむら掲示板」、副島先生によって与えられた、小さな、小さな、公共の言論アリーナ、こそ、私の主戦場なのです。

(以上、伊藤睦月筆、少し頭を冷やしてきます)

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/06/27 13:38

【505】ちょっとブレイク、頭の整理(6月27日)

伊藤睦月です。ここで、2054様との議論の中で、補足します。拡散型の議論展開で、恐縮です。

1 岡田英弘説は、663年時点では、倭国=大和王朝説(通説)を採用している。

(1)但し、当時の全国統一の時期を、天智天皇の正式即位後670年ごろに、華僑と原住民が協働して、統一し、「日本」という国号に改めた、としている。

(2)この見解は、隋書倭国伝の裴世清の来倭記事などの分析から導き出されたもの。

(3)統一前は、倭国=大和王朝は、近畿を中心とする王国であって、全国各地の華僑王国と連合体を組んでいた状態。

(4)岡田説では、史書にもとづき、出来事の経過を記しているのみで、それ以上はなにも語られていない。(以上「日本史の誕生から、伊藤要約)

2 (482)で2054さんが、提示された小林恵子「白村江の戦いと壬申の乱」については、小林説が提示した、根拠史料については次のように考えます。

(1)旧唐書:一次資料として検証の必要を認めます。(すでに表明)

(2)新唐書:中国正史であり、一次資料として、私もすでに引用して論じています。

(3)百済本紀:三国史記の百済編。三国史記は12世紀ごろの成立で、史料的価値は、(1)、(2)と比較して低いですが、朝鮮半島初の正史なので、参考にはします。(小林氏はあげていないが、「日本書紀」も同様」)

(4)通鑑:「資治通鑑」(司馬光著)のことかと思われます。これも名著ですが、史実の多くを旧唐書から採用しており(これは守谷君の指摘です。感謝)、史料的価値は低いです。

(5)元亀:「冊府元亀」のことです。これについては、11世紀に編纂された類書(資料集)。二次史料集なので、史料的価値は低いです。

(6)なお、冊府元亀、太平御覧など類書は、学者からほとんど言及されていませんが、彼らがそれらを読まなかったわけではなく、一次史料にたどり着くまでのインデックスとして活用されていた(いる)、そして一次史料が見つかれば、それをあげればよいので、自然と類書への言及は、なくなっていったと思います。

(7)伊藤睦月です。小林氏が提示した根拠のうち、まともに検証すべきは、

(1)、(2)の旧新唐書と、参考として、三国史記、日本書紀、のみで、他の本は、たぶんまともな学者は(裏で参考にはしていても)論拠としてあげないと思います。

いわゆる「にぎやかし」というやつで、あの本にも書かれている、この本にも出てる、といいたいだけの、素人だまし、といってもよいかと考えます。

(8)伊藤睦月です。2054さんが、(473)であげられた、小林恵子の引用文は、その前提として、タシヒリコ王朝=山背倭王朝説を前提としており、(これも小林ファンタジーです)この説の正否を論ずるだけの材料をもっておりませんので、保留といたしますが、正直いいまして、あまり説得力を感じません(すみません)

(9)伊藤睦月です。2054さんあg、(493)で引用された、小林恵子・井沢元彦の対談を読んでいますと、どうやらこのお二人は、

(ア)邪馬台国九州説

(イ)邪馬台国東遷説

を前提とされているようです。それならば、東倭、とか、高句麗東川王とか、冊府元亀とか、持ち出す前に、上記(ア)、(イ)を十分論証しないと、二人の立論は、できの悪いファンタジーの域を超えないと思います。

(以上、伊藤睦月筆)

 

伊藤 投稿日:2024/06/26 20:49

【504】「晋書」について:小林恵子のファンタジー爆発につっこみを入れてみる

伊藤睦月です。2054様が、ご提示いただいた、小林恵子+井沢元彦の対談本の記事「「晋書」にみえる東倭の国」は、その根拠とする、「晋書・宣帝紀」と「冊府元亀」をその根拠としており、原文の該当部分を確認できていないので、正否は保留します。しかし、特に小林氏の発言をファンタジーとした場合、突っ込みどころ満載です。

まず、「晋書」の基本情報から。(鳥越健三郎「倭人・倭国伝全釈・東アジアのなかの古代日本」角川ソフィア文庫)

(引用はじめ)「晋書」は、帝紀10巻、志20巻、列伝70巻、載記30巻、合計130巻からなり、西晋4代・59年、東晋11代・120年間のほか、載記として5胡16国に関しても記している。編集の期間は、646年から648年のわずか3年に至らず、房玄齢、褚遂良、許敬宗(いずれも唐太宗皇帝の重臣。貞観政要の常連)の3人が監修にあたり、そのほか18人が参画して執筆した。多くの人の手によることで、前後の矛盾や錯誤をはじめ、手落ちも指摘されているが、唐代以前にあった晋書20余種が消失・散逸しているだけに、貴重な文献である。(もちろん1次史料)(引用おわり)

伊藤睦月です。宣帝紀は、所持していないが、手持ちの史料(巻97・列伝東夷倭人)を示す。

(1)倭人は、倭人は帯方東南の大海の中にあり、山島によりて国をなす。

(ここでいう国とは、「郭」と同じで、城郭、つまり城壁をめぐらした都市のことである:岡田英弘)

(2)地には山林多く、良田なく、海物を食す。

(3)旧百余国の小国ありて、相摂し、魏の時に至り、30国ありて、通好す。(朝貢使を送ってきた)

伊藤睦月です。小林=井沢の対談では、邪馬台国のほか、倭には他の国があるのが、さも大事そうに発言しているが、対談はいつのことだろう。倭地域には魏の時代には、30国余りが存在し、それぞれ、魏に貿易代表として、エントリーしていたが、結局、邪馬台国が「親魏倭王」になった、というだけのこと。

(4)(倭国は)もと男子をもって王となす。漢末に倭人乱れ、攻伐して定まらず、すなわち女子をたてて王となし、名づけて、卑弥呼という。

(5)宣帝(司馬仲達)の公孫氏を平らぐるや、(238年に公孫淵を滅ぼすと)(239年に)その女王(卑弥呼)は、使いを遣わして帯方に至り朝見し、(朝貢し)その後は貢聘絶えず。(貢物を絶やさなかった)。

(6)泰始のはじめ、(266年)、(台与が)使いを遣わして、重訳入貢す。(邪馬台国最後の通信)

伊藤睦月です。小林発言に突っ込みます。

(1)なぜ、「東倭」の場所が、「丹後から大和にかけて」とわかるのか。(手前の邪馬台国でさえ、わからず論争になっているので)

(2)239年に、邪馬台国が「親魏倭王」の金印を受けている。もう、倭国代表の指定は終わっているのに、240年に「YOUは何しに魏にきたの?」戦勝祝いなら、時機失してる。

(3)「東倭」が重訳を連れてきたのではなく、「台与が」というのが、素直な読み方。それに重訳を「通訳」としているが、ほかに用例があれば、納得しますが、よくわからん。

(4)高句麗の東川王が、台与を押し立てて、東遷したという説を自説のように紹介しているが、なにか、そんな記事が宣王紀にあるのだろうか。そういう倭国内の事情は本紀よりも、この東夷倭人編にかかれてこそ、ふさわしいと思う。

(5)266年は、台与が大和に移っていると考えているけど、それも(4)と同じ。

(6)ここで突然、冊府元亀がでてくるけど、なんの論拠としているのだろうか。266年の使いなら、すでに「晋書」に書かれているのだから、2次史料である、冊府元亀を取り上げる意図がわからない。

伊藤睦月です。小林氏のファンタジーは、ファンタジーとしても、破綻していると思う。

(以上、伊藤睦月筆)