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件名_西郷どんにウィンク
かたせ2号です。
本日は2025年7月5日ですが、
「2025年7月5日に日本に大災害が起きる」という予想は、おそらくはずれるでしょう。
では始めます。
JR京都駅を降りて、そのまま京都市営地下鉄に、乗って、鞍馬口という駅で降ります。
鞍馬口とは京の七口といういわれる京の市街と周囲とをつなぐ道の玄関口の一つで、とりたてて有名な、観光地はありません。
強いていえば、上御霊神社くらいでしょうか?
この神社の境内には、京都市による以下の案内板が立っています。
(引用開始)
文正2年(1467)正月18日早朝、この付近、すなわち上御霊神社の森の合戦から、応仁の乱ははじまった。17日深夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約二千を率いてここに布陣した。翌18日早朝、政長と畠山家の家督を激しく争っている義就(よしなり)が兵三千余で攻撃をしかけ、18日は終日激しい戦闘が続いた。義就方には朝倉孝景、ついで山名宗全が加勢した。しかし政長方にはたのみの細川勝元がこの段階では動かず、まる1日の合戦ののち、政長方が敗退した。これが、応仁の乱の最初の合戦である。3月、年号は応仁と改まり、細川、山名両陣営ともに味方を集めて戦時体制をかため、5月から上京を中心に、東西両軍の全面的な戦闘にはいる。上京区上御霊鳥居前北入(御霊神社内)
(引用終わり)
この神社は、「かみごりょう」と読みます。この地から、当時の政治的中心であった関西地方の、戦国の世が始まったわけです。
「ごりょう(御霊)」とよみます。
丁寧語の「御(おん)」がついた、霊ですから、さぞ、尊い人物たちが祀られているに違いありません。
「そうだ京都行こう」のサイトから。
https://souda-kyoto.jp/guide/spot/goryojinja.html
(引用開始)
神霊を鎮めるために桓武天皇の勅願により造られた平安時代の御霊社のひとつ。祭神の御霊を鎮めると共に、参拝者の心も自然と静まる、「こころしずめ」の社として有名。政争で非業の死を遂げた高貴な方々の神霊を祀る御霊信仰の中心で、崇道天皇(早良親王)や橘逸勢など非業の死を遂げた八柱の神霊を祀る。畠山政長が陣をしき、応仁の乱の火蓋を切った場所でもあり、境内には「応仁の乱勃発地」の石碑が残る。
(引用終わり)
かたせ2号です。
創建当初は、以下の6名が祀られました。
すべて、桓武天皇と嵯峨天皇親子が関連します。
・崇道天皇(早良親王)_桓武天皇の実弟。藤原種継の暗殺に関与した罪により、皇太子の地位を廃され、絶食して没した。
・伊予親王と藤原夫人(藤原吉子)_桓武天皇の実子と夫人。謀反の罪に問われ、共に自殺。後に無罪が認められた。
・観察使(藤原仲成)_いわゆる「薬子の変」の際に、嵯峨天皇の手勢に捕縛、射殺される。
・橘逸勢_嵯峨天皇死去の直後、謀反の罪を問われ、伊豆への護送中、8月13日に遠江国板築駅で客死し同地に葬られた。
・文屋宮田麿_嵯峨天皇死去の直後、謀反の罪を問われ、伊豆に流罪。
かたせ2号です。
つまりは、御霊は、ごりょう。
御霊、
すなわち「ごりょう」というよみは、「おんりょう」からの言い換えでした。
じつは怨霊。
この御霊(ごりょう、おんりょう、怨霊)のスターが、上の時代を少し下るころの、
「天神様」、すなわち、 晩年を太宰府の地に流された、菅原道真です。
全国の天神社の総数は約12,000社です. これらの神社は、学問の神様として知られる菅原道真公(天神様)を祀っています。
天神社の総本社は、京都の北野天満宮と、道真公が亡くなった太宰府の太宰府天満宮の2社です。
天神社の多くは、北野天満宮から御霊を分けた神社であるとされています。
これも怨霊。
次は、崇德天皇。平安時代末期、保元の乱で、後白河に敗れ、讃岐に流され、現在は、サッカーの神様になっています。幕末になって、京都の地に、(赤峰ではなく)「白峯神社」の祭神として祀られました。
「白峯神社」のサイトから。
(引用開始)
保元の乱(1156)に敗れた崇徳天皇(第75代)は、讃岐国に御配流の悲運に遭われ、血書をもって京都への御還幸を願われたのですが、意の如くならず、憤怒の御姿のまま、長寛2年(1164)に46歳にてその地で崩御あそばされ、そのまま白峰山陵に奉葬されました。天皇の寵愛厚かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けてこの場所に一塚を築き亡き天皇の霊をお慰めしたと伝承されています。
(引用終わり)
このように、
「霊をお慰めした」、「祭神の御霊を鎮める」という由緒書きの神社の御祭神はだいたい、怨霊です。
以降の怨霊は、怨霊であるという風には、現代では、思われてないですが、紹介しておきます。
両人とも、島根県の隠岐の島に流された上皇と天皇。
まず、一人目は、後鳥羽上皇。
北条高時.comから。
(抜粋開始)
後鳥羽院が崩御する。配流後の後鳥羽院は当時は「隠岐院」と呼ばれていたが、ここに朝廷は後鳥羽院の怨霊化を防ぐために「顕徳院」という諡号が贈られたのじゃ。
そしてその3年後、今度は佐渡院(順徳院)が父の後を追うように崩御した。佐渡院は、京に帰れないのであればこれ以上は「存生無益」と断食して餓死したとか、頭に焼き石を置いて自害したと伝えられている。壮烈すぎて、いかにも怨霊になりそうじゃな。朝廷は佐渡院にも「順徳院」の諡号を行なっている。
四条天皇の死。皇統は後鳥羽院の子孫に
そもそも後鳥羽院は崩御前から生霊として都人に畏れられていた。天福元年(1233)には後堀川院の中宮藻璧門院竴子が出産時に落命し、続けて文暦元年(1234)5月には仲恭天皇が、同年8月には後堀川院がそれぞれ崩御している。さらに嘉禄元年(1225)には承久の乱で都に攻め上がるよう積極論を煽った大江広元が没し、続けて尼将軍・北条政子が落命している。
そして後鳥羽院が崩御すると、今度は怨霊として猛威を振い出す。まず延応元年(1239)末の12月、三浦義村が没した。ご存知のとおり、義村は承久の乱のときに後鳥羽院への合力を拒否し、弟・三浦胤義を見捨てて幕府についた鎌倉の重鎮である。そして直後の年明け正月、夜空に不吉な妖霊星(彗星)が現れた。すると1月24日、北条泰時公とともに京に攻め上り、初代六波羅探題をつとめた北条時房も死亡してしまうのじゃ。
きわめつけは仁治3年(1242)の四条天皇崩御である。なんと13歳の若さであった。四条天皇は女房たちを転ばせようと御所の廊下に滑石を撒くいたずらをしようとしていたが、自分が転んでしまい、それが元で亡くなったらしい。なんとも奇怪な、珍妙な最期と言わざるを得ず、宮中は後鳥羽院の怨霊に恐怖した。
まだ少年だった四条天皇に後継ぎがいるはずもない。皇位継承は揉めに揉めたが、執権・北条泰時公の意見により、承久の乱で中立的立場をとった土御門院の皇子が即位し、後嵯峨天皇となる。後嵯峨天皇は後鳥羽院の孫である。
仲恭天皇の廃帝により、後鳥羽院の子孫は皇統から永遠に排除されるはずだったのじゃが、これにより復活。現代の天皇家ももちろんその系譜上にある。こうなると四条天皇の命を奪ったのが後鳥羽院の怨霊であるという指摘は、妙に説得力が増すではないか。
執権泰時の死。猛威を振るう後鳥羽院の怨霊
そして同年6月には北条泰時公が没する。日頃の過労に加えて赤痢を発症したとされるが、世間は後鳥羽院の祟りと考えた。泰時公は承久の乱で京の軍勢を蹴散らした総大将じゃからな。
「執権殿の最期は高熱で苦しんで、かなり酷かったんだって」
「まるで『平家物語』の平清盛のような最期だったらしいぞ」
「そういえば北条義時も北条政子も大江広元も、みんなこの季節に死んだよね」
「顕徳院さん(後鳥羽院)が島流しになったのも、この季節だったっけ?」
「後堀河天皇(四条天皇の父)が20代の若さで崩御したのもこの時期だったな」
「祟りじゃ。これはまちがいなく後鳥羽院の怨霊のせいじゃ」
ここに至り、朝廷と幕府は怨霊の鎮魂に本格的に乗り出したのじゃ。
まず、朝廷は先に贈った「顕徳」という諡号を取り消し、あらためて「後鳥羽」の追号を贈った。諡号が改名された例は、歴史上後鳥羽院のしかない。「顕徳」は「崇徳」の例に倣って贈られた諡号だが、これが神仏の御意に叶わなかったと考えられたからじゃ。「顕徳」の諡号そのものが怨霊のレッテル貼りになり、後鳥羽院がお怒りになったったというのじゃよ。
後鳥羽院の離宮跡には御影堂が建立された。後の水無瀬神宮じゃ。さらに幕府は鶴岡八幡宮北方に後鳥羽院、順徳院を合祀する新若宮をつくる。世間は後鳥羽院の怨霊鎮魂に躍起となったんじゃよ。
(抜粋終わり)
かたせ2号です。
承久の乱の後、流罪となった、後鳥羽、土御門、順徳院の怒りを鎮める目的をもって、織りなされたのが、藤原定歌の「百人一首」といううわさがあるので、ご紹介しておきます。
「金谷武洋の『日本語に主語はいらない』」サイトから。
https://blog.goo.ne.jp/shugohairanai/e/2238971c9e38285cf10c4b2ea788eea1
(抜粋開始)
第76回 「百人一首の謎」
2012-05-16 20:41:13 | 日本語ものがたり
それでは、日本人にさえ意外に知られていない「百人一首の謎」を、お話ししましょう。
何を隠そう、ずっと昔からこの百人一首は謎に包まれてきた歌集なのです。選者は藤原定家(1162-1241)ですが、その定家が日記「名月記」にこんなことを書いています。「小倉山にある私の山荘のすぐ近くに住む僧の蓮生に頼まれて、障子に貼る色紙用に天智天皇から今日までの歌人100人の和歌を一首づつ選んでみた。私は達筆ではないので気が進まなかったが、仕方なく筆を取って書いた。それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」当時の知識人の習慣として、この日記の原文は漢文で書かれています。なお、蓮生というのは定家の息子の妻(つまり嫁)の父親のことです。ここで問題なのは、最後の「選んだ基準は私の心の中にある」という個所ですが、定家は何故こんな謎めいた言葉を残したのでしょうか。
それもその筈、定家は実に不思議で不可解な和歌の選び方をしています。これまで多くの研究者が指摘してきた疑問点は主に次の3点です。(1)当時の有名な歌人が多数選ばれていないのは何故か(2)多くの歌の中から、いかにも駄作、愚作と思われる歌を敢えて選んでいるのは何故か(3)同じ様な歌がとても多いのは何故か。(2)でよく槍玉に挙げられる例は22番の「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ」で、これは単に「山」と「風」を重ねると「嵐」になるという駄洒落にすぎません。(3)の例では1番の「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」と15番の「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」の下の句がそっくりですし、さらにこの15番は4番の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高ねに雪は降りつつ」と全く同じ終わり方をしています。かと思うと「ひとりかも寝む」で終わる和歌も二首あって、3番の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」と91番の「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」です。以上、(2)と(3)の問題点を調べると、定家が当時の有名な歌人の代表作を選んだとは、とても思えません。定家自身、「一体どういう基準で選んだんですか」と問われるのを予想した上での答えが日記に書いた「和歌を選んだ基準は私の心の中にある」だったと想像出来ます。ではその隠された基準とは何だったのでしょうか。
この問題に見事に答えたのが大阪市立大学名誉教授(経済学)の林直道(1923-)です。日本語のクラスでその答えを紹介したところ、教室には数秒間の沈黙が訪れ、その後全員の顔に恐怖と「それで納得した」という表情が浮かびました。出典は林直道『百人一首の秘密:驚異の歌織物』(青木書店1981)ですので、ご興味のある方は是非お読み下さい。また、自身も歌詠みで作家の織田正吉著『絢爛たる暗号:百人一首の謎を解く』(集英社1978)も大変参考になる一書です。
林は、百人一首は定家が後鳥羽上皇の怨霊・祟りを畏れ、上皇の愛した水無瀬川離宮の絵を描いたのだと、驚くべき主張をします。後鳥羽上皇と言えば1221年に鎌倉幕府打倒を目指したクーデターを起こした歴史上の人物ですが、結局これに失敗し、上皇は隠岐、子の順徳天皇は佐渡にそれぞれ流されました。そして、苦境の中で二人とも流刑地で亡くなります。後鳥羽上皇の場合、隠岐で18年後に崩御するのですが、亡くなる前によく京へ手紙を送りました。その中で、まだ定家が若かった頃、水無瀬川離宮にも招待し、様々な形で援助してやったのに、最近は自分の歌人としての力量に慢心し、都を追われた自分に対して敬意に欠いているという恨みの言葉があったのです。真っ赤な呪いの手形を押した置文まで残っており、「言霊」という意識がまだ生きていたこの時代、定家は上皇の呪いが何より怖かったのです。それで、同じ言葉が使われている和歌を集め、それを縦横に並べ繋げると一幅の絵になる一世一代の試みを企て、「文学的絵巻物」に仕立て上げました。つまり後鳥羽上皇がこよなく愛した水無瀬川離宮の絵を、絵筆の代わりに和歌で織り上げたのが百人一首なのです。そうすることで、過去にお世話になった恩人で、今は流罪の罪人と化した後鳥羽上皇を追悼、顕彰しようとした訳です。そしてその秘密は自分の胸だけに留めておきました。
それこそが「それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」と定家が書いた真の理由であることを初めて見抜き、定家の深い恐怖心と800年間闇に包まれていた意図を明るみに出した林直道先生の洞察力にはただただ驚嘆するしかありません。しかも、林先生ご自身の専門は経済学なのですから、百人一首研究は日本文学の研究者も舌を巻くアマチュア探偵の成果です。因みに、百人一首は99番が後鳥羽上皇、そして掉尾を飾る100番が順徳天皇の歌で締めくくられていることも決して偶然ではないでしょう。(2012年5月)
(抜粋終わり)
最後に、後醍醐天皇。
現在の関西地方の歴史では、最後にして最大の怨霊。
講談社学術文庫&選書メチエのサイトから。
https://gendai.media/articles/-/115842?page=3
(引用開始)
現世に恨みを残して死んだ貴人は、没後に怨霊となって、怨みの相手だけでなく社会全体にも災いをもたらすと考えられており、このような考えは、当時、御霊信仰(ごりょうしんこう)と呼ばれていた。
安定的な幕政を敷くためには、後醍醐天皇の怨霊が社会全体に災いなすことを防がねばならない。怨霊をコントロールすることは、都の治安を守る大事な幕府の仕事だったのだ。
こうして後醍醐天皇の御霊を鎮めるため、室町幕府は天龍寺(当時は暦応寺)という大寺院を建立したのである。
建立を企画してからも、反対意見や財源の問題など、天龍寺の建立には問題が山積みだった。困難を乗り越えていく一連の経緯からは、当時の幕府や朝廷のさまざまな様子を伺うことができる。早島大祐 著『室町幕府論』(2010年に講談社選書メチエ、2023年に講談社学術文庫で刊行)
早島 大祐 (著)を手にとってお読みいただきたい。
(引用終わり)
かたせ2号です。
日本史の教科書にも出てくる、「天竜寺船」とは、
後醍醐天皇の怨霊を鎮める費用を、ひねり出す目的で実施されたようです。
さあ、長い、前置きはさておき、
ここまで、日本の歴史の怨霊の歴史を縷説(るせつ)して(=ながながと述べて)まいりました。
ここまで怨霊の歴史を書いたのには、きっかけがあります。
政治学者の白井聡さんの著書「国体論」で、明治時代以降の日本は、勃興→興隆→破滅というサイクルをすでに2回繰り返していて、2018年(発刊)年は、ほぼほぼ破滅の時期に来ているという分析をしていて、それに触発されたから。
ご丁寧に、同じような経路を経て、同じような二度目の破滅をする
おバカな日本の歴史に対して、怒り心頭に発する歴史上の人物は誰かなと想像してみたときに、
「怨霊としての西郷隆盛」というワードが、ふと、心に浮かんだのでした。
以下は、西郷隆盛の人生を巡る、わたしの想像と仮説です。
幕末、新政府軍の軍隊を率いて、先頭を切って、ほぼ暴走気味に、江戸に進軍した西郷と、
西南戦争では、最高指揮官であるはずなのに、ほぼ動こうとしなかった姿は、あまりに対照的です。
そこにはなにか、意味や意図が秘められているんではないでしょうか?
NHKの番組で、「英雄たちの選択」という人気番組があります。
NHKサイトから。
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/
(引用開始)
歴史を大きく変える決断をした英雄たち。その心の中に分け入り、ほかにどのような選択肢があったのか?選択の崖っぷちに立たされた英雄たちが体験したであろう葛藤を、専門家の考証に基づいて復元。独自アニメーションなどを駆使してシミュレーションする。
スタジオには、異分野の専門家が集結。英雄たちに迫られた選択のメリットやリスクを検討し、歴史的決断の意味を深く掘り下げていく。
(引用終わり)
かたせ2号です。
本当は、この番組がとりあげるべき話題のはずですが、取り上げてくれないので、
「なぜ、西南戦争で、西郷隆盛は動こうとはしなかったのか?」を、
西郷の心理に分け入って考えてみます。
<わたしの仮説 開始>
「日本の邦を、当時の清国のような、列強の介入を許す状態にはさせない。このことを一番の優先順位とする」
この決断をして、覚悟を決め、西郷隆盛は、すべての行動を決めた。
だから、
まず、自分たちの勢力を、明治政府に敗北させる決断を、おこなった。
一方で、自分がその暴走を結局止めることができなかった、自分のことを心から慕う桐野利秋ら薩摩人の部下のことが、かわいくて、かわいくてしかたなかったはずです。
「囀り(さえずり)をこぼさじと抱く大樹かな」(星野立子)です。
西郷隆盛は、こういう人です。
大人物だと思います。あれだけの豪傑は日本の歴史でそんなにはいません、まあ゛楠(くすのき)゛、
巨大な楠、ということ。神社の前にでっかい楠の大樹、あんな感じ、どてっとした楠のような男。
それだから、かれは、西南の役の開始寸前にその行動を制御できなくなった薩摩人の部下に
「よろこんで、自分の命を差し出しました。」
「日本の邦のことを考えると、『おまえたちに勝たせる、あるいは、新政府軍をとことんまで追い詰める』ことはさせない、そのかわりにわたしの命を、あなたたち(薩摩人の部下)に差し上げる。本当に申し訳ない。」
これが、西郷が世間に決して表明できなかった、本当の政治的決断だったと思います。
そうして、西南の役の最終局面、鹿児島の城山の地で、西郷が別府晋介に告げた最期のことばです。
(故郷の鹿児島が西郷の終焉の地となりました。)
「晋どん、もうここらでよかろう」
ここに、ユーモアを感じ取ったのが、徳富蘇峰ですが、その解釈では、浅い。
「自分が自分にくだした政治的決断を、ほばほぼ、果たし終えた、あとは、自分の命を、ここで差し出せた終わり。」
こういうことではないでしょうか?
<わたしの仮説 終わり>
かたせ2号です。
西郷さんが鬼籍に入られてから、ほぼ150年。
今の日本を見て、さすがに、怒っているだろうな。
もしあの世があるとすれば、以下が本音かもしれない。
「おいどんは、おいどんの心情ば明かせば、もそっと違う時代に、もそっと大きか仕事して死にたかったです――。あげな、あげな、仕事ばするために、おいどんは日本人として生まれたんじゃあなか。おいどんはもっともっと大きか、仕事ば、やりたかった。」
だから、いまごろになってではありますが、2度目の敗戦を迎えた現在、その歴史の結末をみて、
怨霊になった西郷隆盛さんを、そろそろ本気で、日本人は鎮めないといけないと思います。
ここでエピソードを一つ。
https://www5b.biglobe.ne.jp/~honyomi/kokoro35.htm
(引用開始)
西郷隆盛という人を知っていますか?その人の、若い頃のお話です。
ある日のことです。西郷隆盛は忙しい用事があったので、朝食を済ませて外出しました。
その後、西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)が朝ごはんを食べようとすると、どうしたことかみそ汁に味がついていません。朝ごはんを作ったおばあさんが,付け忘れたのでしょう。
おばあさん、みそ汁にミソが入っていないじゃないか。
と、大きな声でおばあさんを叱りました。
おばあさんは、びっくりして「ごめんなさい」と言いました。
そして、その後、次のように言ったのです。
変だねえ。お兄さんにも同じみそ汁を出したのに。
さあ、ここで問題です。
お兄さんの西郷隆盛は、どうして気がつかなかったのでしょうか?
次の3つの中から選んで下さいね。
①わざと、知らないふりをしたから
②急いでいたので、言うヒマがなかったから
③実はみそ汁を食べていなかったから
正解は、①です。弟の従道は、兄さんがみそ汁を食べていないのだと思いました。しかしおばあさんは、次のように言いました。
「お兄さんは、おいしそうに、少しも残さずに召し上がりました。」
兄さんの西郷隆盛は、実は気がついていたのでした。そこで、初めて弟は兄の心遣いを知りました。
「ああ、何という立派な兄さんなのだろうか。おばあさんへやさしさで、黙って食べたのだ。」
西郷隆盛は、人間としても立派で思いやりがあったのですね。
(引用終わり)
かたせ2号です。
これだけ優しい心根の人だからこそ、
「自分たちの勢力を、明治政府に敗北させる」という非情の決断を下すことができたんじゃないかなあ。
そんなことを思ったりもします。
最後に。
怨霊としての役割を背負わされた西郷隆盛さんも、今後、
西南の役のときと同様に、「身を殺して仁を成す」でしょう。
以上
【644】「今日を生きている これで夢がかなった」 と思えるようになれば、人生なんて、これで十分です、等。
件名_「今日を生きている これで夢がかなった」 と思えるようになれば、人生なんて、これで十分です、等。
かたせ2号です。本日は、2025年6月29日(日)です。では、始めます。
自分の生き方を長年、考えてみて、
「今日を生きている これで夢がかなった」 と思えるようになれば、人生なんて、これで十分です。
そういう結論に至ったのが、10年前のことでした。
そういうのを、改めて痛感した映画「ノーカントリー」を最近視聴したので、その映画を紹介します。
以下の一場面がとくに印象になりました。
「ノーカントリー」(5)台詞 その3、から。
https://ameblo.jp/masa20012010/entry-12599207777.html
(抜粋終わり)
殺し屋 コイン投げで負けて失った最大のものは。
おやじ はい?
殺し屋 コイン投げ。それで失った最大のものは?
おやじ さあ分りません何だったか。(ここで殺し屋はピーンとコインを投げカウンターにバシッと置きます)
殺し屋 さあ当てろ。
おやじ どっちか?
殺し屋 ああ。
おやじ 何を賭けて?
殺し屋 早く当てろ。
おやじ だけど表か裏か言う前に何を賭けるか決めないと。
殺し屋 お前が言うんだぞ。俺が言ってやる訳にはいかない。フェアじゃなくなるからな。
おやじ まだなんも賭けていません。
殺し屋 いやあ賭けたさ。もう大事なものを賭けてる。気づいてないだけさ。このコインは何年のか分るか。(おやじさんの命が懸ってたですね)
おやじ いえ。
殺し屋 1958年。22年旅をしてここに辿り着いた。だから今ここにある。さあ表なのか裏なのかさっさと言え当てろ。
おやじ いやあでもあのうこれに勝ったら何をもらえるんです?
殺し屋 全てをだ。
おやじ と言うと。
殺し屋 勝てば全てを拾える。当てろ。
(抜粋開始)
かたせ2号です。
このシーンの動画は以下の通り。
あなたがコイントスで一番負けたのは?| ノーカントリー | 映画シーン
あなたがコイントスで一番負けたのは?| ノーカントリー | 映画シーン
かたせ2号です。
コメント欄から以下を拾っておきます。
・店主さんには普通会話はこう進むだろうという常識がある。だからシガーの質問に戸惑いを隠せない。
この映画を観る私たちも、普通ストーリーはこう進むだろうと予測して観てしまう。だが予期したシーンは見事に無い。私たちは戸惑いを隠せない。
・この店主はあと一歩のところで人生が終わることを避けたことに気づかずに生きていくだろうな
客観的に見れば、店主がラッキーなのは一目瞭然なんだけど、当人の視点からすれば、変なのに絡まれた程度にしか思えないのがリアリティがあるよ
・「勝てば全てを得られる」というセリフが、負ければ全てを失うという答えになっているんだよな。ちょっと勘のいい人間ならこれはやばいと気づくところだと思う。
かたせ2号です。
わたしたちは、
「いやあ賭けたさ。もう大事なものを賭けてる。気づいてないだけさ。」
「(殺し屋) 勝てば全てを拾える。当てろ。」
そういう舞台で、この本日の今日を、生きているかもしれない。
そのような寓意が織り込められた映画であると、わたしなりの解釈を施すと、
「今日を生きている、これで夢がかなった」 と思えるようになれば
人生なんて、これで十分だ、
という、わたしなりの人生の結論とうまく接合できると気付いた次第です。
日本人は、もう少し、緊張感を持って生きた方がいいし、
じきに、持てるようにはなるでしょう。
——————————–
後半に入ります。
かたせ2号です。
2025年の6月10日に、以下のように、この掲示板に書き込みました。
(引用開始)
みなさま、今年の7月5日の前後に、(明治維新の震源地でもあった)「とある県」のほぼ全域(7~8割程度)が海中に沈む (2025年7月6日14時46分(JST))
(↑は、正確を期して、2025年7月7日の14時58分に記載内容を変更しています。じゃないと、県の特定や、時刻まで書けるわけないでしょう? 常識で判断してくださいね。頼みます。)
(引用終わり)
かたせ2号です。
ところが、7月5日説の「たつき諒」さんが、この説をひっこめてしまいました。
産経新聞サイトから。
記事名_「7月5日に大災害」予言の作者「何かが起きる日ではない」と軌道修正 新たな著書出版
2025/6/24 12:56(JST)
https://www.sankei.com/article/20250624-Q5SUQVPCZFDOHFNF6GCP5456ZI/
(抜粋開始)
今年、2025年7の月に、日本で大災害が起きるという科学的根拠のない「予言」が香港からの観光客減少の原因の一つになっているとされる女性漫画家、たつき諒さん(70)が今月、新たな著書を出版した。「7月の大災害」は取り下げていないものの、具体的な日付としていた「7月5日」について「何かが起きる日というわけではない」と軌道修正した。また、産経新聞にコメントを寄せ、「高い関心は防災意識が高まっている証拠」などとした。
(抜粋終わり)
かたせ2号です。
困りましたねえ。
というわけで、わたしの2025年6月10日の投稿内容に対して、以下の通り、コメントをつけくわえておきます。
すなわち、
「おそらくはずれるでしょう」。
これで、おしまい。
(補足)
映画「ノーカントリー」のいちシーンの動画のコメント欄を、追加でひろっておきます。
・原因と結果をリアルに描いたワンシーン、店主の起こした原因と最後に起こる結果をシガーは見たかったのだ。この映画は基本的に自分の招く原因と結果で構成されている。
以上
【643】2025年の日本のプロ野球(セ・パ両リーグ)の順位を予想します。(2025年6月26日時点)たぶん、当たります(笑い)。
件名_2025年の日本のプロ野球(セ・パ両リーグ)の順位を予想します。(2025年6月26日時点)たぶん、当たります(笑い)。
かたせ2号です。
本日は2025年6月26日です。
では始めます。
先にワタシの属性をお伝えしておくと、「ちなC」です。
すなわち、一番好きな球団は、われらが広島東洋カープです。
一番好きな選手は、北別府学投手。正確無比なコントロールで、213勝をあげた、カープで一番偉大なピッチャーです。
ちなみに、一番キライな球団は、もちろん、「ポダム」読売ジャイアンツです。
さて、結論を申しあげます。
2025年は、ペナントレースが終わった時点での最終的な順位は、以下の通りとなります。
————————
<パ・リーグ>
1位-ソフトバンク
2位-日本ハム
3位-オリックス
4位-西武
5位-ロッテ
6位-楽天
<セ・リーグ>
1位-広島
2位-阪神
3位-中日
4位-DeNA
5位-読売 (通称_巨人)
6位-ヤクルト
—————-
かたせ2号です。
まあ、とあるデータから引っ張ってきただけの順位予想なので、
あたるはずもないですが、ひとりの、カープファンの糠喜びしているアホな姿を、
今後も引き続き、生温かい目で観察いただければ幸いです。
(ちなみに今年、2025年の日本プロ野球日本一は、約40年ぶりで、広島東洋カープ。
もつれにもつれた第7戦、おそらく福岡の敵地のドームで、劇的な逆転優勝で成し遂げます。それを決めるのは、いままでにいろんなことがあった(笑い)、中村奨成。
奨成、たのむぞ!!!)
以上
【642】【備忘】 来月、2025年7月の、満潮の潮位が高いのは、7月13日と7月26日。
件名_【備忘】 来月、2025年7月の、満潮の潮位が高いのは、7月13日と7月26日。
本日は、2025年6月26日です。
かたせ2号です。以下、備忘として。
ワタシはいったい、どこに向かっているかな?
(1)
以下、ほぼほぼ、AI による概要
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」の句切れは、四句切れです。
(にき「たつき」 ふねのりせむと 「つき」まてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな)
解説:
この歌は万葉集に収められた額田王の歌で、熟田津(現在の愛媛県松山市付近)で船出のタイミングを待つ場面を詠んだものです。句切れとは、和歌の句の切れ目、つまり言葉の区切りを指します。
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮も かなひぬ 今は 漕ぎ出でな」
この歌の場合、「潮もかなひぬ」で一度意味が完結し、その後「今は漕ぎ出でな」と続くため、四句切れと判断されます。四句切れは、それまでの叙述を受けて、結論や決意を述べる形式で、この歌では「潮も良くなった、さあ漕ぎ出そう」という決意が強調されています。
(2)
別に日本であればどこでもいいのですが、枕崎港で調べてみると、
7月13日(日) 8時15分と21時29分
7月26日(土) 7時44分と20時52分
でした。
「要チェックやね!」 (<= 漫画「スラムダンク」にあるセリフ)
(3)
2025 年ツール・ド・フランスは、次回で 112 回目となるツール・ド・フランスです。例年とおり来月、すなわち2025年 7の月に開催されます。
https://www.jsports.co.jp/cycle/about/introduction/role/
から引用します。
(引用開始)
ロードレースにおいては、エースをサポートするアシストの働きなくしては勝利はあり得ません。ツール・ド・フランスのようなグランツールでは、 各チーム9名が出場しますが、基本的にエース以外の8人は全員アシストとなります。
アシストには、いくつもの仕事があります。その最たるものは、風よけです。エースの前を走り、自らが風よけとなることでエースの体力を温存するわけです。 そのほか、レース中に集団からサポートカーまで下がり、ドリンクボトルや補給食を運ぶのも大切な仕事です。
また、エースの脚質によってどのようなアシストを揃えるかも重要な戦略のひとつです。山岳に強いエースであれば、峠でエースを牽引できる実力を持ったアシストが求められますし、エーススプリンターを勝たせるためにゴール直前まで猛スピードでエースの前を走りエースの“発射台”となれるアシストは不可欠です。
(引用終わり)
(4)
昨晩、Youtubeで、OASISの以下の曲を初めて知りました。シングルのB面の曲だそうで、全然、その存在に気づきませんでした。
【和訳】Oasis – (I Got) The Fever (Lyrics / 日本語訳)
https://www.youtube.com/watch?v=Bn3ekyx852Y
【和訳】Oasis – (I Got) The Fever (Lyrics / 日本語訳)
(5)
これは、実はさきほど、知って、びっくりしたんですけど、
有名な以下の曲は、「記念すべきMTVの第1曲目」だったそうです。
動画の(コメント欄)の記載よると
「もう今はPVが当たり前の時代。53歳の私達の中学世代は、洋楽をラジオやレコード(←古い!)でなく、映像で見れることだけで歓喜の世界だったなー。」
AIによる概要説明。
MTVは、1981年8月1日にアメリカで開局しました。具体的には、ケーブルテレビで24時間ミュージックビデオを流すチャンネルとしてスタートしました。
MTVの開局は、音楽業界に大きな影響を与え、音楽を「聴くもの」から「観るもの」へと変えるきっかけとなりました。
だから曲名が「Video Killed The Radio Star」だったんだ、なるほど。
Video Killed The Radio Star – The Buggles(日本語歌詞付き)
https://www.youtube.com/watch?v=RVGoD9LghmE
Video Killed The Radio Star – The Buggles(日本語歌詞付き)
以上
【641】「すべてのジュネーブ」で思いだしたこと2題。
件名_「すべてのジュネーブ」で思いだしたこと2題。
かたせ2号です。
本日は2025年6月24日です。それでは始めます。
なんで、すでに忘れられて20年以上経過する、ノストラダムスの予言詩に、2025年にもなって、こだわるのか、私自身もよくわからないですが、正直、書いていてイヤになります。憂鬱になる。
<その1>
「すべてのジュネーブから逃げ出せ」
という詩句は、ある年齢層以上の人には、ピンと来る詩句でしょう。
これって、五島勉さんの誤訳の部分が含まれているそうです。
正確な訳は、
「離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。」だそうです。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2648.html#google_vignette
から引用します。「ノストラダムスWIKI」。
(抜粋開始)
すべてのジュネーブ
「すべてのジュネーブ」は、詩百篇第9巻44番に登場するとして、日本で広く知られる語。
だが、実際にはそれは五島勉の『ノストラダムスの大予言』によって広まった誤訳に過ぎない。
原文と翻訳
該当する原文と、当「大事典」が提供する訳文は以下のとおりである(詳しい異文や語註などは詩百篇第9巻44番の記事を参照のこと)。
Migres migre de Genesue trestous,
Saturne d’or en fer se changera,
Le contre RAYPOZ exterminera tous,
Auant l’a ruent le ciel signes fera.
離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。
黄金のサトゥルヌスは鉄に変わるだろう。
レポの反対が全てを滅ぼすだろう。
到来の前に、天が徴を示すだろう。
五島勉『ノストラダムスの大予言』の訳と解釈
五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)では、この詩の1行目が
逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ
と訳されており、
ジュネーヴの特色と同じ条件をもつ都市全部、言いかえれば国際性のある商業と銀行と教育のさかんな、水のほとりにある都市全部をノストラダムスは「すべてのジュネーブ」という言葉で一括したのだろう。とすれば、そのなかには、現在の世界の有名都市の八割ぐらいまでが入ってしまう。もちろん、東京も大阪も神戸もふくまれる。
これら「すべてのジュネーブ」から、「逃げだせ」と、ノストラダムスは三回繰りかえして警告している。(略)どんな大事件や大災害にたいしても、淡々と、客観的に、冷酷とさえ思われる筆で予言を進めてきたノストラダムスが、ここにいたって、そういう態度をいっさいかなぐり捨て、「逃げろ」と、しつこく未来の人類に向かって呼びかけているのだ。
と煽ったのである。
訳の検証
trestousはtous(みんな、全員)を強調しているだけで、ジュネーヴにかかっているとは、到底見なせない。
英語訳との比較
過去の英語圏の論者たちの訳語を見ておこう。
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)
Go forth, go forth out of Geneva all,*4
ロルフ・ボズウェル(1942年)
Flee, flee all ye of Geneva,*5
アンドレ・ラモン(1943年)
Escape, escape, all those of Geneva (League of Nations).*6
ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)
Leave, leave, go forth out of Geneva, all*7
この訳は、娘夫婦(1982年)や孫(1994年)による改訂でも変更はなかった。
エドガー・レオニ(1950年頃?)
Leave, leave Geneva every last one of you,*8
これは草稿と思われる文書での訳だが、のちに正式出版された版(1961年)でも、改題版(1982年)でも、変更はなかった。
エリカ・チータム(1973年)
Leave, leave Geneva everyone,*9
のちの最終版でも変更はなかった。
ジョン・ホーグ(1997年)
Leave, leave Geneva everyone!*10
リチャード・スモウリー(未作成)(2006年)
Flee, flee, all from Geneva:*11
ピーター・ラメジャラー(2010年)
Flee, flee Geneva, each and every one!*12
リチャード・シーバース(2012年)
Flee, flee, O Geneva, every last one,*13
以上、17世紀の信奉者ガランシエールから、21世紀の仏文学者シーバースまで、時代や立場を超えて、「すべてのジュネーブ」などという意味に捉えていないことは明らかだろう。
はずされていたハシゴ
五島勉は『ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)でも、「すべてのジュネーヴから逃げ出せ」と訳している。
ところが、解説の中で触れる時には、1度を除いていずれも「すべての」をカットして「ジュネーヴから逃げ出せ」としか引用していない。
そして、「すべてのジュネーブ」と引用した箇所でも、実際の都市ジュネーヴにしか触れていないのである。
つまり、全世界の8割の大都市が「すべてのジュネーブ」だ、という当初の解釈は、なしくずしに撤回されていたのである。
世界で五島以外にそう訳している論者がおらず、当の五島自身がなしくずしに撤回した「すべてのジュネーブ」という読み方には、もはや支持すべき理由は全くないだろう
(抜粋終わり)
かたせ2号です。
この「ジュネーブ」には、あまり良い意味が持たされていないようですが、
「離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。」
これが正確な訳です。
———————————————————–
<その2>
以下、私的な解釈をざっくり垂れ流しておくと、
「ジュネーブ」って、諸悪の根源だから、離れなさいと、ノストラダムスは言っているように思います。
さて、いきなり話が飛んでしまって恐縮ですが、
「ジュネーブ」という都市において有名な世界史的人物といえば、カルバンです。
今からカルバンの悪口を書きます。
カルバンが「予定説」を唱えて、勤勉な生活態度を身に着けたカルバンの信徒たちの影響で、資本主義がヨーロッパで勃興した、というのが「通説」です。
マックス・ウェーバー 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によるものです。
(1905年に発表された論文を基に、1920年に刊行)
この説があたりまえになりました。大塚久雄さん(経済史家)、小室直樹さん等の強力な支持もあります。
この題名、じつは、くさっていて(笑い)、本当は、
「カルバンの『予定説』の思想と資本主義の精神」がより正確な題名。
この本の内容をどれだけ読み込んでみても、
マルチン・ルターと資本主義の勃興とは、直接は何の関係もありませんから。
さらには、カルバン思想のもう一つの枝葉である「勤勉な生活態度」を身につけることと資本主義とは何の関係もないはずです。
この点は、すでに副島隆彦先生が冷静に暴いておられます。
「1755」 『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ (祥伝社新書) 』(副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著、祥伝社新書、2018年7月1日発売)をご紹介します。 2018年6月26日
(引用開始)
プロテスタンティズム(カルヴァン派)の「勤勉(きんべん)の哲学」が、近代資本主義をつくったのではない。ということになると、日本の江戸時代の「勤勉の哲学」(二宮尊徳(にのみやそんとく)やら鈴木正三(すずきしょうざん))が、日本の近代資本主義を準備したのだ、という山本七平(やまもとしちへい)氏と、私の先生の小室直樹(こむろなおき)先生、そして大塚久雄(おおつかひさお)の学説「大塚史学」は大間違いということになる。ガラガラと崩れ去る。今や崩れ去るべきである。
コツコツと勤勉に働いて、普通の人の三倍努力すれば金儲けができ、富裕者になれるのなら、それはたいていの人にできることである。ところが現実にはそういうことはない。勤勉だけで人は金持ちにはなれない。
(引用終わり)
かたせ2号です。
それなら、何が「資本主義を勃興させたか?」というと、
これも、副島先生がすでに暴いておられる通りで、「ユダヤ人の行動様式」なわけです。
すなわち「利子をつけてお金を貸しこむことを容認する態度」。
これが、ヨーロッパに全面的に解禁になったわけです。
誰が、そのことをしでかしたか?
それこそが、カルバンです。
「予定説」をベースに、
彼は、「キリスト教徒がキリスト教徒に『利子をつけてお金を貸しこむ』」ことを容認したわけです。
そのことが本来は一番、大切な事実のはずです。
この事実こそが、資本主義の勃興の直接原因です。
ウェーバーの著作は、このことを覆い隠す役割をこれまで果たしてきました。
なお、上記の分析視点に沿って書かれた著作の系列が、以下の通りです。
ゾンバルト 『ユダヤ人と経済生活』(1911年)
⇩
羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊―」(2002年9月ミネルヴァ書房)
「499」 『マックス・ヴェーバーの犯罪』を読む。20世紀最大の社会学者・思想家の業績を厳しく批判した本を紹介します。伊藤研究員の「書評論文」。2003.11.27
⇩
副島隆彦先生+SNSI副島国家戦略研究所「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ (祥伝社新書)」
かたせ2号です。
だから、繰り返しになりますが、真実は、
「予定説」というカルバンの「キチガイ妄想」を突破口に、
「利子をつけてお金を貸しこむ(ユダヤ人の行動様式)」こと、その後ろめたさを解消させただけではなく、むしろ模倣することまで、イエス=キリストの名のもとに、カルバンが奨励した。
これこそが資本主義がヨーロッパに起きた十分条件。
そしてこの話について、ウェーバーは「勤勉な生活様式」というカルバン思想のこの、もう一つの柱の部分に、その原因をすり替えたわけです。
「自分は救われる側の人間なんだ」と(傲慢にも)自分で勝手に判断し、そのキチガイ信者が実践する、それが「勤勉な生活様式」です。
(=> 勤勉な生活様式で救われるのなら、イエズス会士は全員が、まっさきに救われてるよ、勘違いも甚だしいぞ、馬鹿野郎!)
こうして、「羊頭狗肉」のうちの「羊頭」(勤勉な生活様式)を掲げて、ウェーバーは、「狗肉」の部分(ユダヤ人の行動様式模倣の奨励)を隠蔽したわけです。
さらに、ところで実は、それまでのユダヤ人の金貸したちにもできなかったことを、カルバンは独りでやりとげてしまっているんです。
ユダヤ教・キリスト教の経典である旧約聖書のレビ記、申命記には「異邦人に貸しつけるときは利子をつけても良いが、あなたの兄弟から利子をとってはいけない」という旨の記述があります。これは、親戚とユダヤ人以外からは利子をもらっていいということ。
ユダヤ教とキリスト教のカトリックは、この判断に従います。
キリスト教の後継宗教で、同じ神を奉じているイスラム教でも、
コーランの第2章275節に、商売は許すが利息は禁じるとの記述があることから、利息を介在させた金融取引が不可能になっています。
これらの宗教的な判断の伝統をぶったぎって、じつは、カルバンは、「異邦人ではない、あなたの兄弟から利子をとってもよい」と教義を改ざんしたのです。
この、ウェーバーが隠したかった事実命題によって(わたしの頭の中では)以下の命題が導かれます。
(1)ユダヤ人にとっては、ユダヤ教徒であるよりも、改宗キリスト教徒(蔑称、マラーノ(豚))になった方が、おそらく「実入りはよかった」だろう。ロスチャイルドもすでにユダヤ教徒ではなくなっていただろう。
(2)マルチン・ルターの宗教思想上の「『最大の』敵」は、カトリックではなく、カルバン。
(3)勤勉な生活様式の体現者としての、ベンジャミン・フランクリンが食わせもの。カルバンの教義をさらに先を行かせて「富に至る道と徳に至る道とは一致する」路線の思想にまで進めてしまった。アメリカ人が「小児性愛」の大金持ちを非難できないのも、フランクリンが生涯をかけて実践したこの路線が大きな原因。
カルバンも
ウェーバーも
フランクリンも
許さん、許さん、許さんぞ!!!
以上
【640】Deep Purple(ディープ パープル)の代表曲「Smoke On the Water」が最近、リニューアルされていたので、紹介しておきます。
かたせ2号です。本日は、2025年6月21日(土)(JST)です。
では、始めます。
Deep Purple(ディープ パープル)の代表曲「Smoke On the Water」が最近、リニューアルされていたので、紹介しておきます。ちなみに、この曲のリフは、ジャズのSWINGにすでにあったようですね。
こういうリフは繰り返し使われるようですね。
角度を変えると曲が変わる偉大なリフ
角度を変えると曲が変わる偉大なリフ
以下、
https://ameblo.jp/mei-you-0416/entry-12845482248.html
から引用します。
さあ、
「すべてのジュネーブから逃げ出せ」
【引用開始】
<トランペット Smoke On the Water トランペット>
“Smoke On the Water”(スモーク オン ザ ウォーター)は、スーパー デラックス エディション”Machine Head”(マシーン ヘッド)に収録されています。
このアルバムは、海外では、昨年の、2024年3月29日、日本では4月24日にリリースされました。
アルバムのリリースにともない、アニメーション ミュージックビデオも公開されました。
“Smoke On the Water”(スモーク オン ザ ウォーター)は、Deep Purple(ディープ パープル)の代表作のひとつでもあります。
Deep Purple – Smoke On the Water (Official Music Video)
Deep Purple – Smoke On the Water (Official Music Video)
この歌詞は実話で、1971年に 元ロックバンド MOI(マザーズ オブ インヴェンション)のメンバーで シンガーソングライターFrank Zappa(フランク ザッパ)が次のアルバム”Machine Head”(マシーン ヘッド)のレコーディングのため スイスのモントリオールを訪れた時、コンサート中に火災が発生し それを歌詞にしたとの事。
ザッと和訳をしてみました
Smoke On the Water (スモーク オン ザ ウォーター)
[Verse 1]
We all came out to Montreux
(俺たちは みんなでモントルーに出かけたよ)
On the Lake Geneva shoreline
(ジュネーブ湖の境界線までね)
To make records with a mobile
(移動可能なスタジオでレコーディングするために)
We didn’t have much time
(時間があまりなかったからなのさ)
But Frank Zappa and the Mothers
(だけど フランクザッパとそのバンドが)
Were at the best place around
(まわりで一番いい場所にいたんだ)
But some stupid with a flare gun
(だけど バカなやつが照明弾で)
Burned the place to the ground
(その場所を焼き払(はら)ってしまったよ)
[Chorus]
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込め)
And fire in the sky
(空に向かって燃え上がる炎)
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込めた)
[Verse 2]
They burned down the gambling house
(彼らは カジノを焼き払ってしまったよ)
It died with an awful sound
(ひどい音と共に焼け落ちたよ)
Funky Claude was running in and out
(ファンキーなクロードは行ったり来たり)
Pulling kids out the ground
(子供たちを地面から引きずり出して)
When it all was over
(すべてが終わったあと)
We had to find another place
(ほかの場所を探さなくちゃいけなかた)
But Swiss time was running out
(だけど スイスにいる時間は少なくなっていて)
It seemed that we would lose the race
(レースに負けそうだった)
[Chours]
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込め)
And fire in the sky
(空に向かって燃え上がる炎)
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込めた)
[Verse 3]
We ended up at the Grand Hotel
(グランドホテルに着いてた)
It was empty, cold and bare
(そこは 人気がなく 寒くて何もなかった)
But with the Rolling-truck-Stones-thing just outside
(でも 外にはローリングストーンズの移動式スタジオがある)
Making our music there
(そこで 俺たちの音楽を作ることにしたんだ)
With a few red lights, a few old beds
(いつくかの証明と いくつかの古いベッド)
We made a place to sweat
(そこでスタジオを作った)
No matter what, we got out of this
(どんな事があったとしても 俺たちはこの状況から抜け出した)
I know, I know we’ll never forget
(俺たちは決して忘れないだろう)
[Chorus]
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込め)
And fire in the sky
(空に向かって燃え上がる炎)
Smoke on the water
(水面には煙が立ち込めた)
【引用終わり】
以上で「終わり」です。
【639】俳優・えなりかずきさんの新作落語「京都旅行」が面白い
件名_俳優・えなりかずきさんの新作落語「京都旅行」が面白い
かたせ2号です。本日は、2025年6月18日です。では、始めます。
「渡る世間は鬼ばかり」のTVシリーズが代表作の俳優えなりかずきさんは、お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのツッコミ担当の上田(うえだ) 晋也さんと親しくしています。
上田さんは(別の動画で)「えなりくんとは五分五分の対等のつきあいのつもりだから」といっていますが、えなりくんは、かなり上田さんのことを尊敬はしているようです。
俳優・えなりくんが、
「(上田(うえだ)さんと) おつきあいさせていただく期間が長くなってくると、これはほんとに、ありがたい話なんですけど、ガチでちゃんと怒られるシチュエーションもあって、、、これは僕がわるかったんですけど、」をまくらにして始まる新作落語を披露する動画があります。
上田晋也さんと、太田光さん(爆笑問題)の番組「太田上田」でのトーク(2023年6月30日)。
これが面白い。
新作落語「京都旅行」。
以下の動画の最初から6分30秒あたりまでです。お楽しみください。
【太田上田#397②】クイズ番組収録後、えなりさんは衝撃を受けました。
【太田上田#397②】クイズ番組収録後、えなりさんは衝撃を受けました。
コメント欄から。
「えなり君は本当に上田さんの事を尊敬していて
大好きなんですね
上田さんは一緒に居て
心地いいんでしょうね
早くマブダチになれるといいですね」
「えなりさん、帳尻合わせて最後は落とす技術
喋りも上手い」
「えなりさんが一生懸命準備してきたのだろうなと配慮して太田光さんは絶対に邪魔しないだろうと安心して聞けます。もちろんそれはえなりさんにまかせて大丈夫と信頼できるからでしょう。」
「えなりくんの上田漫談オチ 動画4分50秒あたり。
太田上田、スタッフ全員の笑い声、拍手が
巻き起こるえなりくんのトークよ!w」
以上
【638】マルスが幸福の名のもとに支配するだろう (【諸世紀】第10巻 72)
件名_マルスが幸福の名のもとに支配するだろう (【諸世紀】第10巻 72)
かたせ2号です。
「マルスが幸福の名のもとに支配するだろう」 (【諸世紀】第10巻 72)
は、
「『戦いの星』が、『世界を不幸の元から救い出す』という動機のもと、世界を支配しするだろう」
という風に解釈しておきます。
いつもながら、まったくの意味不明な解釈で恐縮です。ワタシにも全く意味がわかりません。
とにかくわたしがいいたいのは、予言詩の「1999年」は2025年なのではないか、ということ(だけ)です。
以下、イランとイスラエルとの間で「事変」(宣戦布告のない戦争状態)にいよいよ突入しました。
これまでに、お互いの邦へのミサイル攻撃で、すでに数百名の死者(民間人含む)が出ていますから。
朝日新聞(ネット版)記事から引用します。
時差を考慮すると、この投稿の日時の約6時間前の出来事のようですね。
記事名 イスラエル、イランの国営放送を攻撃 生放送中断、スタジオに轟音
2025年6月17日 1時39分 (JST)(本日)
https://www.asahi.com/articles/AST6J5GJHT6JUHBI01QM.html?iref=comtop_7_02
(引用開始)
イスラエルのカッツ国防相は2025年6月16日夜、イランの国営放送を攻撃したと発表した。首都テヘランの市街地にある国営放送は、放送中のスタジオが爆撃されたり、建物から黒煙があがったりするような映像を伝えた。
2025年6月16日午後6時半ごろ、国営放送のテレビでは、アナウンサーが周囲の爆発音について「侵略者による私たちの母国への音です」と叫ぶように繰り返した。その直後、攻撃の音とみられる轟音(ごうおん)が「ドカーン」とスタジオ内に響き、画面が灰色の煙で覆われた。
AP通信はイランメディアの報道をもとに、国営放送の生放送が一時中断したと報じた。
イスラエル軍の報道官は2025年6月16日、これに先立ち、SNSで、テヘランの一部地域の住民に退避を要求していた。軍事目標を攻撃するとしたが、この一帯は市街地で、国営放送やレストラン街、日本企業のオフィスもある。
(引用終わり)
(補足)
かたせ2号です。
「赤い星」といえば、機動戦士ガンダムで影の主人公、「赤い彗星」シャーの有名なこのセリフを連想します。
「見せてもらおうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを」
どうでもいい話で恐縮です。
以上
【637】
こんばんは。
突然の投稿大変失礼致します。
みなさんご存知だと思いますが、ぜひ、次のブログを読んでください。
https://note.com/bold_rue955/n/n5385f9cb84ba
ブログサイトnoteに『熱海ギリシア彫刻の美術庭園」応援サイト』という、副島隆彦先生を応援するサイトがあります。
学問道場を読み、ブログも読むことでさらに知識力・知能が上がります。
この場に投稿できること感謝いたします。
以上です。
ありがとうございました。
【636】明治維新の元勲は「西郷隆盛と勝海舟」の2名である。
件名_明治維新の元勲は「西郷隆盛と勝海舟」の2名である。
かたせ2号です。本日は、2025年6月14日です。
では、始めます。
さて、
西郷隆盛さんが、西南戦争で、積極的には一切動こうとしなかったのは、薩摩人の部下たちへの「裏切り」です。
これって、
勝海舟さんが、その後半生で、徳川士族が反乱を起こさないように、徳川慶喜を静岡県に謹慎させた、徳川士族への「裏切り」と
まったく同じことです。
そして、勝海舟の「裏切り」の匂いをするどく感じ取った、福沢諭吉が、
「瘠我慢(やせがまん)の説」で、海舟の無節操ぶりを、公に非難することをいたしました。
それについて、勝海舟は、その上記の真意を述べることなく(当然ながら述べることはできず)、
以下のように、覚悟を決めていいきったわけです。すなわち、
「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候(ぞんじそうろう)。各人へ御示(おしめし)御座候(ござそうろう)とも、毛頭(もうとう)異存(いぞん)これ無く候(そうろう)。」
かたせ2号です。
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」
(『神の微笑』(芹沢 光治良(せりざわ こうじろう) 著、新潮社、1986)
このような、最後には沈黙を守った、西郷隆盛さん、勝海舟さんに言葉を与えるとするならば、
どんなコトバを用意しておけばよかったでしょうか?
おそらくこんなところでしょう。
「あの頃の日本は、天国でも地獄でもない、『煉獄』(れんごく)の状態にあった。」と。
なお、この想像上の回答の元情報は、以下の通りです。
ポーランドと言えば、ワレサ書記長率いる「連帯」労組への弾圧を強化するようソ連がポーランド政府に大圧力を掛けている時期がありました。
1981年12月に、当時のポーランドのヤルゼルスキ首相は戒厳令を発して、「連帯」を非合法化し、ワレサなどの活動家を逮捕、事態を沈静化させました。
後に、ポーランドのヤルゼルスキ首相は、あの頃のポーランドは天国でも地獄でもない、煉獄の状態にあった、と述懐しています。
というのも、当時のポーランド政府が「連帯」労組への弾圧を拒んだら、ソ連は軍事侵攻していたことでしょう。1968年のチェコ・スロヴァキア「プラハの春」のときと同様の事態を防ぐこと、すなわち、ソ連の軍隊を国内に招き入れないことを、ヤルゼルスキは優先させたということです。
だから、当時のヤルゼルスキ首相は、ポーランドが「煉獄」にある、と観念する他はなかった、ということです。
勝海舟だって、当時の明治政府が良い政府だったなんて、思ってもいなかったはずです。
「氷川清話」を読めば、わかることです。日本も「煉獄」でした。
ここで、補足しておきます。
「煉獄」(れんごく)とは、カトリック教会の教義で、小罪を犯した死者が天国へ行く前に、罪の浄化のために苦しむ場所のことです。また、その状態を指す言葉でもあります。地獄と天国の中間に位置すると考えられています。
かたせ2号です。
さて、こんな2人、西郷隆盛と勝海舟は、一致協力して、江戸の街(東京)が火の海になるのを、
1868年3月から1945年3月まで、約80年近く、より厳密には77年ほど後ろにずらすことに成功しました。
ふたりともやはり、大したものでした。
明治維新の元勲は、この二人に間違いない。
最後に。
西郷隆盛さんの、人生の最後における悲痛な心境を推測し、下の曲を、西郷さんに託します。
お疲れ様でした。
〔和訳〕誰が王になりたがる? Viva La Vida-Coldplay
〔和訳〕誰が王になりたがる? Viva La Vida-Coldplay
以上
