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Loginはこちら【630】たまには、寄り道したっていいじゃない – 歩いて帰ろう / 斉藤和義
たまには、寄り道したっていいじゃない – 歩いて帰ろう / 斉藤和義
かたせ2号です。
以下ほぼほぼ全文転載します。
2025年7月以降の日本人も、いずれこういう気持ちに変わっていくでしょう。
題名_たまには、寄り道したっていいじゃない – 歩いて帰ろう / 斉藤和義
https://note.com/oto_doke/n/nbcea70bf3513
(ほぼほぼ全文転載開始)
斉藤和義の「歩いて帰ろう」は、1994年にリリースされ、子供番組”ポンキッキーズ”のオープニングテーマに使用されました。私自身も”ポンキッキーズ”で聞いた時に、キャッチーなメロディに惹きつけられ、大好きな曲です。
一聴してとても耳障りのいい曲なので、あまり歌詞を意識したことなかったのですが、改めて歌詞を読みつつ聞くと、めちゃめちゃ反骨精神のある曲でした。
走る街を見下ろして
のんびり雲が泳いでく
誰にもいえないことは
どうすりゃいいのおしえて
(努力だ、向上だ、生産性だ、これが本当の「道」だとか言って)
急ぐ人にあやつられ
右も左も同じ顔
寄り道なんかしてたら
置いてかれるよ すぐに
嘘で誤魔化して
過ごしてしまえば
たのみもしないのに
同じような朝が来る
走る街を見下ろして
のんびり雲が泳いでく
だから歩いて帰ろう
今日は歩いて帰ろう
—歩いて帰ろう / 斉藤和義—
これが1番の歌詞で、このあとは言葉の入れ替えが多少あるものの、パートが再び繰り返される形式になっています。
街の中でみんな必死に、何かについていこうと頑張っている。
本当に思ってることは胸にしまって。
あんなに雲はのんびりしてるのに、
なんでこんなに急いでいるんだろう。
急ぎたいなら急ぎなよ。
こっちは、自分のペースで行くからさ。
って感じで、安易に流されず、自分で決めた道をゆく!という歌だということに、今さら気づきました。
寄り道なんかしてたら 置いてかれるよすぐに
( ”後から来たの(=人たち)に追い越されて泣くのがいやならさあ歩け”)
と歌いながら、本当に言いたいことは、
寄り道したっていいじゃないか、なんじゃないかしら。
同じ内容が繰り返されると先ほど言いましたが、これは場合によっては「飽き」につながるかもしれません。それでもあえて繰り返すことで、隠れた反骨精神がみえてくる構造にしたようにも思えます。(=> 生きてゐた時の苦労にみちたあのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ、 ヌックと出た、骨の尖(さき)。中原中也)
心地よいメロディと演奏なので、さらっと気持ちよくなってしまえるけど、斉藤和義って、最終的にはざらりとした肌触りを残していくアーティストですね。
シングルリリース時のバージョンしか知らなかったのですが、2023年に再録された、めちゃくちゃロックなヴァージョンをこちらに挙げます。
歩いて帰ろう (ROCK’N ROLL Recording Session 2023)
歩いて帰ろう (ROCK’N ROLL Recording Session 2023)
こちらのバージョンは、「反骨精神」感がより浮き彫りになってると思います。
なんだかくさくさした気分の時に聞くと、じんわり心に響くし、元気でます。「斉藤和義がこう言ってんだもん」と。
たまにはロックな気分で、いつもと違う道を歩いて帰ってみませんか?
(ほぼほぼ全文転載終わり)
以上
【629】くだらない風説やデマは信用しないでください。
くだらない風説やデマは信用しないでください。
かたせ2号です。
みなさま、今年の7月5日の前後に、
(明治維新の震源地でもあった)「とある県」のほぼ全域(7~8割程度)が海中に沈む (2025年7月6日14時46分(JST))
(↑は、正確を期して、2025年7月7日の14時58分に記載内容を変更しています。じゃないと、県の特定や、時刻まで書けるわけないでしょう? 常識で判断してくださいね。頼みます。)
というのは完全なるデマですから、決して信用しないでください。
下記4にあるように、ここまで情報が拡散した場合には、決して実現はしません。あと1カ月を切りました。
1. R.E.M. It’s The End Of The World As We Know It (And I Feel Fine)
That′s great, it starts with an earthquake
とんでもねえよな、地震から始まるのさ
Birds and snakes, an aeroplane
鳥と蛇、飛行機
Lenny Bruce is not afraid
レニー・ブルースは恐れない
2. 藤井風 さよならベイベ
来んと思った 時はすぐに来た
時間てこんな 冷たかったかな
余裕のない 愛の言葉
空気の読めぬ 恋の歌
どうかしそうやこの胸は
なんとかしてや
3. 稲盛和夫と松下幸之助とダム経営と AIによる回答
稲盛和夫氏(鹿児島県出身)と松下幸之助氏(和歌山県出身)の関係は、稲盛氏が京セラを創業して間もない頃に、松下氏の講演会で「ダム式経営」の考え方を聞き、大きな影響を受けたというエピソードが有名です。
松下幸之助氏の「ダム式経営」とは、ダムが水を貯めるように、企業も余裕のある経営を行い、不景気などによる影響に備えるという考え方です. 稲盛氏は、この講演を聞き、松下氏から「まずダムを作ろうと思う気持ちがなければ絶対にダムはできない」という言葉に感銘を受け、その後の経営で「こうありたい」という強い願望を持つことの重要性を認識しました.
このエピソードは、稲盛氏の経営理念に大きな影響を与え、京セラの成長を支える基盤となりました. 稲盛氏は、松下氏の「ダム式経営」を参考に、京セラを「心のダム」を持つ企業として、全従業員の物心両面の幸福を追求する経営理念を掲げました.
このエピソードから、私たちが学べる教訓は二つあります。一つ目は、どんなに素晴らしい考え方や目標があっても、受け止めるだけの力量がなければ、それは無意味であるということです. 二つ目は、まず「こうありたい」と強く思うこと、そしてその願望を持つことの大切さです.
稲盛氏と松下氏のエピソードは、企業経営における「目標を持つこと」の重要性を教えてくれます。常に目標を持ち、それを実現するために努力し続けることこそが、企業成長の鍵であることを示唆しています.
4. Yahoo ニュース 「7月5日に日本で大地震が起こる」 うわさ拡散、火消しに乗り出した日本政府 (2025年6月4日記事)
うわさの内容は、今年2025年7月に日本で大規模な地震が発生し、日本の南西部が大きな打撃を受けるというものだ。漫画家のたつき諒氏が1999年に出版した作品『私が見た未来』が最近日本のユーチューバーに紹介されて脚光を浴び、それがきっかけでうわさが広がった。自身の予知夢を題材にしたというこの漫画には「2025年7月5日に大地震が発生し、東日本巨大地震(2011年3月)のときより3倍高い津波が日本の南西部に押し寄せる」といった内容が描かれている。この作品には「2011年3月に大災害が起こる」という内容も描かれ、これが東日本大地震を正確に予測していたと話題になり、うわさはSNS(交流サイト)で急速に拡散された。
昨年末には中国・台湾など中華圏にまでうわさが広まり、香港からの観光客は実質的に減少した。NHKによると、大地震が今年中に発生するという説が拡散され、4月の復活祭(イースター)連休期間に香港から日本を訪れたパック旅行の参加者は、前年同期比で半分に減った。航空会社の中には日本行きの旅客機を減便したところもある。
観光への打撃が予想されることから、日本政府も対応に乗り出したようだ。日本の気象庁は先月23日、SNSで「専門家は現在の科学的知見では地震発生の時期や場所、規模を予知することはできないと言っている」「関連の推測は信じるに値しないものだと考えるべき」と主張した。
5. Xから。
ネットフリックスの新作、シティーハンター、鑑賞。
”XYZ”は、“世界の終わり”の始まりのしるし。
冴羽の「プランBだあ!」からの香の「元からAなんてないでしょ!」のお約束はグッときた。ハードボイルドでどこかトレンディな痕跡も令和仕様にアップデートする。鈴木亮平の屈強なポテンシャルをフルに活かし切るエンタメ快作に。
以上
【628】丁寧な書評をありがとうございます。
会員番号「8279」さま
SNSI・副島隆彦の学問道場の研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。
今日は2025年4月19日です。
この度は丁寧な書評を掲示板とアマゾンに掲載していただき、
ありがとうございます。
たいへん励みになります。第5章にご注目いただき、ありがたいです。
トランプの返り咲きによって、アメリカの世界覇権国の地位からの
撤退が進むと考えます。
以下の記事も合わせてお読みいただければ幸いです。
※ブログ「古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ」2025年4月8日付記事:「最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)の書評が日刊ゲンダイに掲載されました」
https://suinikki.blog.jp/archives/89565898.html
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
古村治彦拝
【627】柿本人麿とは何者か、11
天武天皇の子供の年齢
天武天皇の子供は、二つの群に分けることが出来る。
一つは、天智天皇の娘との間に生まれた子供たち。
二つは、高市皇子、十市皇女、など天智天皇の娘以外の妃に産ませた子供たちです。
一と二の群の間には顕著な相違があります。一の群の子供たちの最高年齢者は、斉明天皇の筑紫行幸(661年正月八日)の際、船上で生まれた大田皇女です。
「壬申の乱(672年六月)」の時点では、まだ十二歳にすぎません。一の群の子供たちは、皆これより幼いのです。
二の群の十市皇女は、天智天皇の長男・大友皇子(弘文天皇、壬申の乱で滅ぼされた)に嫁ぎ、皇子(葛野王)を産んでいた。少なくとも十代の後半にはなっていたのではないか。
また高市皇子は、「壬申の乱」の首謀者で、父・天武天皇に代わって軍を指揮し勝利に導いています。
天武朝・持統朝(天武の皇后)でも、本当の実権者は、壬申の乱を勝利に導き、軍事を握っていた高市皇子でした。(柿本人麿が高市皇子に奉げた挽歌『万葉集』巻第二199は、そのように歌っている)
その高市皇子の母は、宗形君徳善の娘と『日本書紀』は記す。北九州の宗形である。
「壬申の乱」の指揮ぶりなどを見るに、高市皇子は、既に立派な成人になっていたと考えるしかない。
十市皇女は、高市皇子より年長と『日本書紀』は記すから、この二人は、二十歳を過ぎていたようだ。
一の群の年長者、大来皇女(母・大田皇女)は、筑紫行幸の海路で生まれ、その弟・大津皇子は筑紫で生まれている。
天武天皇が筑紫王朝(倭国)と密接な関係があった事は否定して否定できるものではないのです。
(続く)
【626】本田宗一郎と藤沢武夫の人間関係がすばらしい。
本田宗一郎と藤沢武夫の人間関係がすばらしい。
山本祐輔『藤沢武夫の研究 本田宗一郎を支えた名補佐役の秘密』かのう書房〈人の世界シリーズ〉、1993年1月、236頁。
(引用開始)
舞台や音楽鑑賞を趣味とした藤沢に対し、本田はゴルフなどの行動的な趣味を持っていた事から、不仲説が浮上したことがあった。しかし当人たちは、互いが当時住んでいた地名の「下落合」(本田)、「六本木」(藤沢)と呼びあうなど良好な関係だった。「いつも手をつないで一緒にいるのを仲良しとは呼ばない。私達は離れていても、今この瞬間、相手が何を考え、どうするかが、手に取るように分かる。」とも語っている。藤沢の死後、1989年に本田が日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たした時に、本田は授賞式を終えて帰国したその足で藤沢邸に向かい、藤沢の位牌に受賞したメダルを架け「これは俺がもらったんじゃねえ。お前さんと二人でもらったんだ。これは二人のものだ」と語りかけた。
(引用終わり)
以上
【625】古村治彦氏の新刊「トランプの電撃作戦」を読んだ感想。
はじめまして。
会員番号8279の者です。
古村治彦氏の新刊「トランプの電撃作戦」を読みましたので感想を投稿します。
拙い文章になりますがよろしくお願いします。
トランプ分析に関する本として非常に優れていると思います。
まず2024年のトランプ当選の功労者であるイーロン・マスクの分析はもとより、
彼と関係の深いピーター・ティールについても「詳細」に分析されているのがいい。
(彼らの生い立ち、経営してる会社、誰が彼らをトランプと引き合わせたのか?の分析がある)
個人的に好きな章は第5章の「トランプ率いるアメリカから離れ、ヨーロッパはロシアに、アジアは中国に接近する」である。
気にいった理由は本書のサブタイトルの箇所にも含まれてるが、アメリカの世界覇権からの撤退、
脱ドル化に向かうアメリカとそれ以外の国の近未来の分析及び予測がされているから。
(特にインドネシアの分析は日本の衰退を鈍化させるためにも重要だと思っている)
P271には、2024年に中国の最高指導部の要人たち(習近平を含む)と会談できた某アメリカ人の名前及びその分析がある。
(習近平には一国の首脳でも会うのは難しい。またアメリカは衰退国家で中国は上がり調子の国なので中国抜きの政治分析は精度が低いものとなる)
P122~126ではCIAとDNIの閣僚人事を分析することでトランプが「大きい戦争を起こさない」という決意をしている事がわかる。
また本書P173~185になるが、現時点での情報はかなり少ないはずなのに
2028年の米大統領選に立候補しそうな人物やその周辺情報についても分析もある(笑)。
あと本書の情報量は膨大なので、将来、トランプ関係のニュースがあった時の手引書的な
資料として購入し、本書と照らし合わせるのもいいと思う。
(英文の記事等を読みウラをとるのはかなりシンドイ)
世界(日本を含む)の政治・経済に興味のある方には必須の書籍であると思う。
最後になりますが、今回投稿した本文とほぼ同じ内容のものをamazonのレビューに投稿しようと
した所、レビューが反映されず、翌日にレビューのサポートにメールで問い合わせた所、
レビューの承認に1週間ほど、時間をみといて下さい、という回答でした。
試しに過去私がamazonで買った中古の商品のレビューを書いたところ20分程度で反映されました。
権力者(達)の共同謀議を感じました(笑、冗談です)
以上です。
【624】柿本人麿とは何者か、10
天武天皇の結婚の異常さについて
『日本書紀』は、天武天皇を天智天皇の「同母の弟」と明記します。同じ両親(舒明天皇と皇后・後の皇極天皇、重祚して斉明天皇の間)から生まれた兄弟であると。
『日本書紀』は、天智天皇の娘を十人と記している。その十人の内、四人も天武天皇は娶っているのだ。また天武の長男・高市皇子も一人、皇后(天智の娘・後の持統天皇)の間に生まれた草壁皇子の妃も天智の娘・阿部皇女(後の元明天皇)である。高市皇子の妃は、安部皇女の実の姉・御名部皇女(みなべのひめみこ)である。
まるで天智天皇の血を、天武天皇とその子供で独占しようとしているように見える。
少しでも品種改良に関心を持った人間から見ると、全く系統の違う(性質の異なる)個体から新しい性質を持つ個体を作り出す際の交配のように見えてしまうのです。天智と天武は「同母の兄弟」などではなく、全く系統の異なる人間だったのではないかと。
『日本書紀』の言うように天智と天武が「同母の兄弟」であったなら、どうして天武は天智の娘を四人も娶り、子供を作る必要があったと云うのです。
天武はペドフィリア(異常幼女性愛症)であったとでも言うのだろうか。
ふたりを「同母の兄弟」とすれば、これらの結婚は全く異常です。歴史学者たちは、この異常さに気付かないのでしょうか。
私が最初に天智と天武が「同母の兄弟」とすることに疑問を持ったのは、天武結婚を調べた時からです。どのように考えても実の兄の娘を四人も娶るのは異常に思えたのです。
(続く)
【623】外にも出よ 触るるばかりに 春の月
https://sakuramitih31.blog.fc2.com/blog-entry-5152.html
外にも出よ 触るるばかりに 春の月
中村汀女
(とにもでよ ふるるばかりに はるのつき)
意味・・赤みを帯びたそれはそれは大きな月が山の端に
上りました。それを見つけた作者は人々に呼び
かけます。こんなに佳(よ)い月が上がっている
のに、家に籠っているなんてもったいない。外
に出て共に月を仰ぎましょう!
単に外出するというだけでなく、自分の殻から
出ませんか?という意味が含まれているように
も思えます。いつもの場所、いつもの自分から
飛び出して、月に花に親しんでみませんか?
そこには思いがけない出会いや答えが待ってい
るかもしれません。
作者・・中村汀女=なかむらていじょ。1900~1988。
高浜虚子に師事。
出典・・句集「花影」(黛まどか著「あなたへの一句」)
【622】柿本人麿とは何者か、9
倭国(筑紫王朝)は、「夜郎自大」と云う病に侵されていた
「白村江(663年八月)の戦い」で言い表されている倭国の朝鮮出兵に関し、私は長年大きな疑問を抱いてきた。相手は、唐・新羅連合軍である、倭国の指導者たちには勝利の確信があったのだろうか。
勝利の確信も無しに海外派兵に踏み切ったのだろうか。丸二年にも及び三万余の大軍の派兵であった。
「滅ぼされた百済王朝を援け再興を計るため」などと云うきれい事で出兵事で出兵を決めたのではない。
新羅討伐は十年来の喫緊の課題であった。650年唐の冊封体制に入ったこと(唐の属国になった)が原因である。
それまで朝鮮半島の南部二国(百済王朝と新羅王朝)は倭国の属国であった。
『隋書』倭国伝より引用
新羅・百済、皆倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒に通使往来す。
引用終わり
『日本書紀』孝徳紀(在位645~654)より引用
白雉二(651)年、この歳、新羅の貢調使(みつぎたてまつるつかい)知萬沙飡等、唐の国の服を着て、筑紫に泊まれり。朝廷、恣(ほしきまま)に俗移せることを憎みて、呵責(せ)めて追い返したまう。時に、巨勢大臣申す、「まさに今新羅を討たずば、後に必ず悔いあらむ。・・・
引用終わり
新羅が唐の冊封体制に入ったことは、倭王朝に対する重大な裏切りであり、宗主国倭王朝にとって赦すべからざる行為であった。
倭王朝は、すぐにでも新羅討伐軍を派遣したかったが、背後に控える日本国(大和王朝)が近年目に見えて国力を充実させていた。両国の関係はあま良好とは言えなかった。
倭王朝は、何としても大和王朝の協力を取り付ける必要があったのです。
それにしてもどうして倭王朝が、中国統一王朝の隋・唐と張り合って帝国を目指したのでしょう。
二世紀の終わり漢王朝が滅びてから589年の隋の中国統一まで、中国には強力な統一王朝は成立しなかった。分裂王朝の短命政権の時代が続いた。周辺国家に中国を侮る気分が生まれていたとしても不思議ではない。
また隋朝・唐朝は漢民族の国家ではない、周辺民族・女真族の王朝だ。隋朝は極短命に終わっている。唐朝も短命に終わるだろうと、倭王朝は考えたのではなかろうか。
倭王朝は、中国統一王朝の隋・唐と対等と考えていたようだ。
『隋書』倭国伝より
大業三(607)年、その王多利思比孤、使を遣わして朝貢す。使者いわく、「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来たって仏法を学ぶ」と。その国書に曰はく、「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや、云々」と。・・・
引用終わり
(続く)
【621】柿本人麿とは何者か、8
『日本書紀』斉明紀(在位655~661)に登場する日本国(大和王朝)と倭国(筑紫王朝)
『日本書紀』斉明紀より引用
壱岐連博徳の書に曰く、斉明(659)五年七月三日、難波の三津浦より船出する。・・・閏十月三十日唐の天子に謁見を許される。天子相見て問いたまう「日本国の天皇、平安にますや否や」とのたまう。・・・
十一月一日、朝廷に冬至の会あり。参内している諸藩の使者の中で倭の使者が最も勝れて見えた。・・・
十二月三日、韓智興(倭国の使者)の従者・西漢大麻呂が我が客(日本国の使者)を唐朝に讒言して罪に落そうとした。(日本国の使節と倭国の使節の間で喧嘩が勃発したのである)両使節は喧嘩両成敗で刑を受けたが、壱岐連博徳の尽力によって許された。
事件の後、唐朝が言うには「唐は、来年海東(朝鮮半島)戦略を変える。(今まで陸路から高句麗討伐を優先していたが、海路から百済討滅を優先することにした。事実翌年(660)の八月、百済王朝は滅ぼされている)
それ故、使者たちが帰国する事は禁じられた。・・・
引用終わり
唐の都に、日本国の使節と倭国の使節が同時に滞在していたと云うのです。
日本の学者たちは、日本国と倭国は同じと云うのです。キチンと読んでいるのでしょうか、正常な読解力があるのでしょうか。
この壱岐連博徳の書で分かるのは、倭国の使者が、日本国の使者に敵意を持っていたことです。
と言う事は、日本国の使節が出発した斉明五年七月の時点では、日本国と倭国の間には同盟が成立していなかったと言う事です日本国は倭国の働きかけ(一緒に百済を討とう)に応じなかったのです。倭国は、唐朝も隋朝と同様短命に終わるなどと調子のよい事を言っていたのでしょう。
日本国は自分の目で確かめるために遣唐使を送ったに違いありません。
この遣唐使が早急に帰ってこなかったために日本国(大和王朝)に迷いが生じたのでしょう。
続く
