ふじむら掲示板

副島系掲示板の"補集合"としての役割
伊藤 投稿日:2024/11/24 08:08

【498】かたせ2号さんの投稿は、昔の記憶を思い出させてくれます。ありがとう。

 伊藤睦月です。かたせ2号さんの投稿を一読して、思い出したことをいくつか。

(1)プラトンの「哲学王」をはじめとするエリート思想(ヒトラーを含む)を批判したものとしては、カール・ポパー(1902-1994)『開かれた社会とその敵』(1945年)があり、その

手法を用いて、現代政治史を回顧したものに、佐々木毅(1942-)の『プラトンの呪縛』があります。

(2)伊藤睦月です。ポパーの本は岩波文庫、佐々木の本は講談社学術文庫に入っているので、比較的手に入りやすいと思います。私は途中で挫折してほどなく、ブックオフにひきとってもらいました(苦笑)

(3)マルクスとポルポト(カンボジアの独裁者。「キリング・フィールド」という映画は副島先生の本にも出てきます)との関係ですが、むしろ毛沢東思想との関連を指摘する向きが多かったような。

(4)ソクラテスについても、ほとんどすべてが、プラトンの著作によっているので、ソクラテスの考えなのか、プラトンの考えなのか、よくわからない、というのが、現時点での感想です。

(5)篠原信氏の考えもまた、「祖述」されたものだとおもいますので、彼の考えより、彼の「種本」はなんだろう、と気にしてしまうのは、「アタシの悪いクセ。ウインク。(杉下右京)」ですね。

かたせ2号さん、いろんなことを思い出させてくれて、ありがとうございます。

以上、伊藤睦月拝

 

 

かたせ2号 投稿日:2024/11/23 18:56

【497】プラトンはソクラテスとは、違う思想の持ち主のようだ。(篠原信さんのポストから)

プラトンはソクラテスとは、違う思想の持ち主のようだ。(篠原信さんのポストから)、の件について

かたせ2号です。
プラトンとソクラテスの思想の違いって何なんだろう?
という問いが頭の中に立ち始めて、数年がたちます。

この件に対して、考えを寄せてくれているポストをみつけたので紹介します。
京都大学法学部には、高坂正堯やら前原誠司やら、(弁護士を食えない職業にしてしまった)佐藤幸治やら、ろくなのがいませんが、他の学部の出身者はまだ頭の大丈夫な人がいるようです。

篠原信(しのはらまこと)さん。
実務教育出版のサイトから。

https://books.jitsumu.co.jp/book/b487336.html
(引用開始)
1971年生まれ、大阪府出身。農学博士(京都大学)。農業研究者。中学時代に偏差値52からスタートし、四苦八苦の末、三度目の正直で京都大学に合格。大学入学と同時に塾を主宰。不登校児や学習障害児、非行少年などを積極的に引き受け、およそ100人の子どもたちに向き合う。本職は研究者で、水耕栽培(養液栽培)では不可能とされていた有機質肥料の使用を可能にする栽培技術や、土壌を人工的に創出する技術を開発。世界でも例を見ない技術であることから、「2012年度農林水産研究成果10大トピックス」を受賞。著書に『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』(文響社)、『子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法』(朝日新聞出版)があるほか、「JBpress」や「東洋経済オンライン」などに記事を発表している。
(引用終わり)

前フリとして、以下のポストを引用します。

https://x.com/wanpakuten/status/1858592831889436746
午前4:27 · 2024年11月19日(JST)
(引用開始)
立花孝志氏「バカな人たちをどうやって上手く利用するか。犬とか猫と一緒なん。バカに(票を)入れてもらう方法を考えるのが、本当に賢い人かな」
この人に感化されて(2024年の兵庫県知事選挙で斎藤元彦さんに)投票した人おる?w
(引用終わり)

かたせ2号です。上のポストを引用して、篠原信さんがNoteに投稿しているので、以下に抜粋します。
下線はかたせ2号がつけました。

https://note.com/shinshinohara/n/n7bc686e38d2e?sub_rt=share_sb
(抜粋開始)
題名_哲人国家はアホ国家 2024年11月22日 11:38

立花氏のこの発言は、典型的な「哲人国家」。
https://x.com/wanpakuten/status/1858592831889436746
国家は賢い人たちに運営してもらったほうがうまくいく、という考え方。プラトンが「国家」という本で提唱したもの。ソクラテスのような賢い人が支配者になった方がうまくいくに決まってるやん、という考え方。しかし私は、
哲人国家は結局うまくいかないと考えている。そのあたりを今回は言語化してみたい。

私が思うに、プラトンはソクラテスの弟子だけど、ソクラテスの真意を見誤っていることの多い人物。ソクラテスは民主主義の基礎を作った人、プラトンは独裁主義を生んだ人、という意味で、好対照。

ソクラテスは、誰よりも深く物事を考える人だったが、どんな人間にも敬意を抱き、話を聞くのを楽しんだ人物だと考えている。ソクラテスは無知な若者にも問いかけ、話を聞くのを楽しみにしていた。すると面白いことに、若者の口からとんでもないアイディアが生まれることしばしば。

「メノン」という本には、無知な者同士が対話して新しい知を発見するというとんでもないエピソードが紹介されている。
ソクラテスが友人宅を訪問し、そこの召使いに声をかけ、図形を前にして「ここはどうなっているだろう?」と問いかけ、召使いに答えてもらった。すると、ソクラテスにも召使いにも数学の知識がなかったにも関わらず、まだ誰も発見していなかった図形の定理を発見する、というシーンを描いている。
この記述は、とんでもない革命的なもののように思う。知識のない平凡な人間でも、問いかけ、答えるという問答をすれば、新しい知を創造できるという発見!

ソクラテスは、この手法を「助産術(産婆術)」と呼んでいる。無知な者同士でも、問いを発し、答えるという問答を繰り返せば、新しい知を創造できるという「発明」は、民主主義の土台を築く上で極めて重要なものだったと思う。ソクラテスは民主主義の土台を築いた人、と私は考えている。

しかし、プラトンはソクラテスの弟子であるのに、どこか思い違いをしたらしい。先ほど紹介した「メノン」という本も、実はプラトンが書いた本。どう考えても、ソクラテスは民主主義的な発想がとても強い人物だったように思う。なのにプラトンは「国家」という本を書いてしまった。

「国家」では、ソクラテスのような賢明な人間に国家を運営してもらえば、理想の国家になるとプラトンは唱えた。それもよりによって、師匠のソクラテスにその構想を語らせるという形で。この「哲人国家」の発想だと、賢い人間以外は愚民であり、賢人に従えばよいだけ、という話になる。

プラトンの「国家」やマキャベリの「君主論」には、庶民の暮らしや民意に心を砕くという姿勢が見えない。「賢い人間が国家を運営したほうがいいに決まっているやん」で思考が停止しているように感じられる。庶民のため、という発想が非常に薄弱。

このために、哲人国家、賢人国家に憧れる人って、どうも「俺達って賢いよね、愚民どもと違う人種だよね」と自己満足に酔って、庶民のことなど無視する、民意を「愚民どものわがまま」とみなして軽視する、という傾向を強める。

自分を哲人だ、賢人だと考え、「愚民どもとは違う人種」と捉えてしまうと、庶民を同じ人間とみなせなくなってしまうのだろう。そのために、庶民の意見を「愚にもつかぬ、聞き入れる必要のない言葉」と解釈し、無視するようになってしまう。そして、自分たちだけで政治を決そうとしてしまうようになる。

必然的に、「賢人である私たちのためになることだけ考えればよい、愚民どもは野垂れ死にするがいい、愚かであることが悪いのだから」と考えるようになり、自分の利益しか考えなくなる。

ではなぜ今、一部の人たちからこの「哲人国家」構想がウケるようになっているのだろう?私が思うに、2つ理由がある。80年代からイギリスやアメリカで新自由主義が広がり、2000年代に日本でも新自由主義がはびこり、富裕層優遇を当たり前と考える思考が広がった。このため。

カネという権力を握った富裕層は、「おカネを稼げる俺達って賢人といえるんじゃない?だとしたら、俺たち賢人が国家を運営したほうがうまくいくよね?そしたら国家はますます繁栄するよね?その邪魔をするだけの愚民は野垂れ字ねばいいよね?自業自得だし」と考えやすくなったのかも。

もう一つは、「自分は賢人側」と考える人の支持。「俺は愚民とは違う」と考えることで自分を慰めたい人が、哲人国家、賢人国家に賛成することで、賢人側に回りたい、という欲望をかきたてているのかも。たぶん富裕層からはその人たちも「愚民どもめ」とみなされているにも関わらず。

つまり、現在増えている「哲人国家」ファンは、カネという権力を握った富裕層が自分を賢人、哲人とみなしたいという欲求、あるいは富裕層でないんだけど自分を賢人とみなすことで一発逆転の発想を持とうとする欲求を持っている人たちなのではないか、と思う。まあ、幼児的。

しかし、「哲人国家」は、やはり崩壊する宿命にあるように思う。ジャレド・ダイヤモンド「文明崩壊」では、人口が一定数以下になると、知識や技術を維持することができなくなり、新石器時代にまで技術が退化することがある、と指摘している。私は、哲人国家もその運命をたどるように思う。

たとえばプロ野球選手が「有力な新人が生まれたら自分たちの地位が危うい」と考え、高校野球や社会人野球を破壊しようと企んだらどうなるだろう?プロ野球を目指す人間がいなくなる代わり、ファンもいなくなり、プロ野球を目指す人もいなくなって、プロ野球という制度は成り立たなくなるだろう。

プロ野球という職業が成り立つのは、高校野球や社会人野球だけでなく、草野球や少年野球などの「すそ野の広さ」があるから、プロ野球という頂点が高くそびえ、憧れの存在でいられるのだろう。そうしたすそ野が失われれば、プロ野球も存在し得なくなる。

哲人国家もそうした面があるように思う。もし自分たちだけを哲人、賢人と捉えると、やがて、「愚民」とみなしてきた庶民から「賢人」として這い上がってくる人間を煙たがり、嫌うようになるだろう。すると、賢人だった人たちも次第に愚かな子弟の世代に代わり、アホボンばかりになっていく。

結果、自分たちの利益のことしか考えない人間ばかりが為政者となり、愚民とバカにしてきた庶民の手によって駆逐されることになる。哲人国家、賢人国家は、無言のうちに「自分以外はバカ」とみなすシステムであるために、こうした宿命をたどることになるように思う。

ところで、日本の政治が機能不全に陥り始めているのも、こうした面があるように思う。明治維新、そして戦後昭和の日本は、官僚がかなりの役割を果たしてきた。当時、官僚は地方の優秀な人材が集まっており、地方の夢を託されたという使命感に燃えた人たちが活躍した。

だからある意味、それぞれの地域の「民意」を受けた人たちが国家を運営するというシステムになっていたのだろう、と思う。ところが時代が移り、地方からは人がいなくなり、大都市に人口が集中するようになると、地域の民意を受けて、使命感を持って官僚になった、という人は減ることになる。

国家というのは、常に政治の中心に「民意」への配慮を欠かさないようにすることが、秘訣なのだと思う。なのに、「哲人国家」は、庶民を視野の外に置く。アウト・オブ・視野。哲人国家が機能しえないのは、人類が経験してきたあらゆる政体と比べても民意を無視しがちだからなのかもしれない。

なお、プラトンの提唱した哲人国家思想がナチスを生んだ、と私は考えている。「賢い人間が運営する国家は素晴らしく機能する」という発想が、ヒットラーを賢人とみなし、ナチズムを哲人国家として捉えることを成立させたのだろう。そしてナチスは、国民を愚民とみなす代わりに、「身代わり」を選んだ。
それがユダヤ人だったのだろう。ナチスはユダヤ人を徹底して愚民としてみなすことで、同じ人間としてみなすことを放棄し、「虐殺しても構わない存在」と心理的な処理をしてしまった。これがユダヤ人大虐殺につながったのだと思う。

哲人国家の恐ろしいのは、かなり高い確率で誰かを愚民とみなし、人とみなさなくなり、その人たちが命を失ってもなんとも思わない組織になってしまうことではないか。でもそんなことをしたら、必ず深く恨まれ、それが国家転覆の原因を生むことになるだろう。

ちなみに、プラトンはなぜ哲人国家という構想を生み出したのだろうか。
リュクールゴスという伝説上の人物を知ったからだ。リュクールゴスは、プラトンと暮らしたアテネと並んで、古代ギリシャの強国だったスパルタを、強国に育て上げた中興の祖として知られている人物。

スパルタは少数の貴族によって支配されていた。貴族は子どもの頃から厳しく育てられ、軍人として、将軍として鍛えられた。プラトンはここから着想を得て、哲人国家を構想したようだ。
ところで、哲人国家のモデルとなったスパルタはその後、どのような経緯をたどったのだろうか?

スパルタは一時、古代ギリシャの支配者になるほどの隆盛を見せた。ところが、少数の貴族による支配にこだわったために、支配しきれなくなった。スパルタの強さの理由だった、貴族で構成された軍隊統制システムも、維持できなくなった。自分たちだけを賢人とみなすシステムが機能しなくなった。

ところで、昨今「民度」という言葉をよく耳にする。民主主義がうまく機能するかどうかは国民の民度で決まる、という話。もし国民の民度が低ければ愚民化し、民主主義は崩壊する、という論だ。でも私は、「民度」なんて言葉を作ったから存在するように思いこんでるけど、そんなものないと考えている。

身体と細胞にたとえると分かりやすいように思う。皮膚の細胞や筋肉の細胞は、それぞれ与えられた仕事をきちんとこなしてくれている。だから私たちの生命は、身体は、問題なく健康に暮らしていける。でももし身体全体が不健康な環境に身を置くとどうなるだろう。睡眠不足とか栄養バランスの悪化とか。

一つ一つの細胞は元気を失い、うまく機能することができなくなってしまうだろう。この時、「お前ら細胞の『民度』が低いから全身の健康が損なわれるんだ!」と罵ったからといって、健康を取り戻せるだろうか?否。身体全体が、健康を維持できるような環境条件に置かれないと、細胞は無力。

細胞が活性化した状態になるのには、二つの方法があるように思う。一つは覚せい剤を使い、無理やり活性化する方法。この方法なら、睡眠不足だろうと栄養失調であろうと、一時的に健康を取り戻したかのような元気を出すことが可能だろう。その代わり、その反動が後で必ずやってくる。身体ボロボロに。

もう一つの方法は、身体全体が環境条件(睡眠や栄養、運動など)との「関係性」を改善し、全体としての健康を少しずつ取り戻す方法。この方法なら時間はかかるが、細胞一つ一つが元気を取り戻し、活性化するようになるだろう。

私は、「民度が低いから国家が悪化するのだ」というのは、為政者の責任転嫁だと思う。それは、細胞一個一個の活性度の低さを、身体全体の健康を失った原因とみなすような愚を犯しているように思う。細胞の元気は、身体全体の健康を取り戻さねばムリなのに。

なのに、哲人国家を目指す人々は、国家がうまくいかない原因を「愚民のせいだ」と責任を一方的に決めつけ、それによって自分たちが支配者になろうとする。でも恐らくこの人たちは、支配者になってもなお「愚民のせいで」と、責任転嫁をやめることはないだろう。功績はすべて自分のものにするけど。

そう考えていくと、哲人国家は、自らを哲人、賢人とみなす「愚か者のくせに傲慢な人間によって運営される国家」ということになるだろう。つまり、哲人国家とは愚昧国家ということになるのだと思う。

私は実は、民主主義にこだわっているわけではない。民意に常にアンテナを張り、国民の生活を慮ることを怠らないのであれば、君主国家でも封建主義でも民主主義でも構わないと考えている。民意を探り、国民の生活を考えるシステムなら、国民は(比較的)幸せに生きていけると思うからだ。

しかし、民意を無視し、国民の生活を顧みない国家は、どんな社会体制であろうと衰え、崩壊する。細胞一つ一つの元気さ、活性度を顧みずに身体をいたぶれば健康を損なうように。身体を健康に保ち、細胞一つ一つを元気に保つ。それと同じことが、国家にも言えるように思う。

プラトンは、ソクラテスというとんでもない人間が存在したことを後世の人たちに伝えたという非情に大きな功績を遺したけれど、他方、哲人国家という愚かな構想を生み出すことで、ヒットラーをはじめとする勘違い人間を後世に生み出すという副作用ももたらした。功罪のある人だなあ、と思う。

私が思うに、為政者とは、支配者ではない。民意に常にアンテナを張り、国民の生活を慮って諸事を決めていくのが仕事の人。そういう「役割分担」を担う人でしかない、と考えている。重要だけれど、特別視する必要はないと考えている。庶民のほとんどは、自らの役割である仕事を果たしているのだから。

為政者が自分を支配者だとみなすのは、身体で言えば、脳細胞が「俺が身体の支配者だ」とみなし、皮膚や筋肉、腎臓や肝臓、心臓などの細胞をバカにするようなものだ。でも、それらの細胞がきちんと働いてくれているから、脳の細胞が生きていける。脳は他の細胞に依存して生きていける存在。

皮膚は外からの菌の侵入を防ぎ、筋肉は運動をつかさどって口に食事を運ぶ役割を果たし、胃袋は食べ物を消化し、肺は酸素を取り入れ、血管は全身に栄養と酸素を届け、肝臓は解毒し、腎臓は外へ廃棄する。それらの仕事をきちんとこなすから、身体は健康でいられる。

もし脳細胞が「あいつらは全身をどう操作するかを全然考えない」といって、身体の他の細胞をバカにしたとしたら、「アホじゃないか」と思わないだろうか。それぞれの細胞は自分の仕事を果たしている。脳細胞は脳細胞の仕事をきちんとやれ、という話。これは為政者もそう。

なのに哲人国家に憧れる人間は、まじめにコツコツ働いている人たちをバカにし、愚民と罵り、自分たちの責任を転嫁する。「アホじゃないか」と思うのは私だけだろうか。哲人国家構想は、アホ国家なのではないか、と私なんかは思う。
(抜粋終わり)

かたせ2号です。
ソクラテスとプラトンの思想の違いなんてテーマの文章を見たことがなかったので、上記の文章は大変に貴重でした。篠原信さん、ありがとうございました。

(余談)
かたせ2号です。
あとは余談です。この国(日本)では「歴史は思い出である」(小林秀雄)だそうなので、わたしも同じように無責任に、歴史という思い出について語ってみようと思います。

ワタシがプラトンの「家族制度否定論」を知ったのは、中学生のころに読んだ古谷光敏さんの漫画「だめおやじ」からでした。それから、プラトンの著書はたいがい読書経験のあるワタシも、この家族制度否定論が記載されている「国家」には、いまだに手を伸ばすことができません。

なのに、こんなばかな結びつきをどこまで言っていいのかわからないのですが、
「ポルポトの思想は、マルクスの思想(私有財産否定)の後継でもあり、かつ、プラトンの思想(家族制度否定)の後継でもある」のではないでしょうか?

この考え方を逆転させて表現(解釈)してみると
「プラトンの思想(家族制度否定)の思想が実現させるとこうなることを証明するために、『歴史の神』がポルポトに表舞台に上がらせてそれ(家族制度の否定)を実行させ、その成立のために、あらかじめ、マルクスなる人物を登場させて、補助線を引いた(私有財産否定の共産主義思想を唱えた)」のではないでしょうか?

10ミニッツのサイトから。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4710
プラトン『ポリテイア(国家)』を読む(10)男女平等、家族廃止、財産共有論
(引用開始)
「中心巻」と呼ばれる『ポリテイア』第5~7巻は、これまでの「正義とは何か」という議論に対する脱線部として、「不正とは何か」という議論の前に置かれる。理想のポリスを考える上で「コイノーニアー(共同・共生)」というキーワードが出てくるのだが、ソクラテスは「コイノーニアーをめぐって3つの大波が来る」と言う。その1つ目は「男女同業」、2つ目は「妻子共有と私有財産の廃止」である。かなり過激な提案だが、それぞれどういった意味なのか。
(引用終わり)

かたせ2号です。
なんだよ、マルクスは、経済学的な分析(『資本論』)がどうしても目立つから、見えにくいけど、
目をこらしてよくみると、プラトンの「私有財産の廃止説」を「祖述」しているだけにすぎない。
祖述とは「師や先人の説を受けつぎ、それにもとづいて学問を進め、述べること。」

そしてカンボジアのポルポト政権は、プラトンの「家族制度の廃止」すなわち、普通の男女同士の愛は“肉の子ども”を生むための愛、そして、たった二人の親だけに養育されるより、より多くの親たちに教育されたほうがもっと豊かな人間になれる、の説を忠実に実行してみせた。

だから、プラトンの忠実な弟子は「マルクス」と「ポルポト」。

結局、ソクラテスからすれば「『無知の知』のことを一番言いたかった相手は、実はプラトン、お前にじゃったんじゃ」くらいの気持ちじゃったかもしれん。それだけのことじゃ(方言)。

もう少し書きたいけど、プラトンのイデア説が、カトリックの思想にどのように取り込まれて血肉化したかについての勉強ができていないので、書けません。残念。

以上、「『歴史という思い出』を語った戯言」として、聞き捨てておいてください。

かたせ2号拝

伊藤 投稿日:2024/11/23 04:01

【496】ブレイク:小林恵子説もまた、無視すべからざるものである。

伊藤睦月です。2054様、お心遣い、ありがとうございます。

 三笠宮は昭和天皇の弟君でしたね。オリエント学の大家として、国内より海外での名声が高かったと聞いております。三笠宮レベルになると、こだわりや偏見がうすくなるのでしょう。三笠宮もまた後進のために、尽力された方だったのですね。感銘を受けました。

 ところで、小林氏の主な主張をコンパクトにまとめたものとして、『古代倭王の正体』(祥伝社新書)が便利で、時々参照しております。それによると、彼女は、江上波夫(騎馬民族征服王朝説)の

実証、展開がメインテーマのようです。なるほど、それならよくわかります。小林氏の主要著作は「小林恵子 日本古代史シリーズ全9巻」で復刊されていて、一定数の支持者を獲得している、ということは、それに対する賛否は別として、「異端の説」として無視してよいものではない、と思います。松本清張や、古田武彦、岡田英弘、副島隆彦、井沢元彦、たちの説を無視してよいものではない、と同様です。魏志倭人伝の記述に素直に従っていけば、邪馬台国が奄美大島にある、という結論になることは自明ですから。なお、私は小林説は採りませんが。

2054様の投稿、楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願いします。

伊藤睦月拝

追伸:私の入院の経緯については、今後、「医療掲示板」に書き込んでいくつもりです。

 

 

 

かたせ2号 投稿日:2024/11/22 21:17

【495】日本の民間航空機の定期便が原則、通過することのできなかった「横田空域」で、今月、2024年11月には、通過できるようになりました。

日本の民間航空機の定期便が原則、通過することのできなかった「横田空域」で、今月、2024年11月には、通過できるようになりました。

1.
日本共産党の機関紙「新聞 赤旗」のサイトから。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-01-12/2020011203_02_0.html
(引用開始)
なんだっけ「横田空域」って?

Q 羽田空港の新飛行ルートが一部通過する「横田空域」ってなに?
A 正式には「横田進入管制区」。東京都にある在日米軍横田基地や神奈川県の米海軍厚木基地に離着陸する米軍機などを管制する空域として米軍が管理しています。

Q 空域の範囲は?
A 東京、埼玉、群馬、栃木、神奈川、福島、新潟、長野、山梨、静岡の1都9県にまたがっています。最低で高度2450メートル、最高7000メートルまでを米軍が管理下に置いています。

Q 日本の民間機は飛行できないの?
A 日本の民間航空機が同空域を飛行するのには米軍の許可が必要で、空域内に飛行経路を設定するのにも米軍との協議・調整が必要です。

Q 羽田空港や成田空港を利用する旅客機の飛行に支障があるのでは?
A 民間機の定期便は、米軍の許可をその都度うけなくても済むように、横田空域を避けて飛行することになります。2008年9月の日本側への一部返還で緩和はされましたが、羽田空港から北陸・西日本方面へ飛行する民間機は、東京湾上で旋回し急上昇して横田空域を越えなければなりません。

Q 民間航空の円滑な運航の障害になっているということですね。
A 首都圏周辺の広大な空域が、米軍の許可なしには日本の航空機が飛行できず、管制も日本側ができないこと自体が、安保条約の下で日本の空の主権が侵害され、米軍が日本を戦争の拠点としている証しです。

(2020・1・12)
(引用終わり)

かたせ2号です。
少し古いですが、2006年の防衛白書から引用します。

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i42c5000.html

(引用開始)
(解説)横田空域
横田空域は、新潟県から東京西部、伊豆半島、長野県まで広がり、12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の高度に上る空域であり、現在、この空域においては米軍が管制業務を行っています。この空域内には、米軍の横田をはじめ、空自の入間、海自・米軍の厚木などの飛行場があり、これらの飛行場を利用する航空機に対する進入管制業務(航空機に対し出発・進入の順序、経路、方式の指示などを行う業務)を行うための空域として利用されています。
羽田空港や成田空港から西日本方面などへ向かう航空機は、関西空港および大阪空港へ向かうものをのぞき、横田空域を避けて飛行しています。現在2009年中に羽田空港において4番目の滑走路の供用開始が予定されており、同空港の再拡張後は、発着容量が現在の年間約29.6万回から、約40.7万回へと大幅に増加することが見込まれています。
横田空域については、日米合同委員会の下の枠組みにより日米両国政府が協議を行い、これまで7回の一部返還が実現していますが、日本政府として求めてきた横田空域における進入管制業務の米軍から日本政府への移管(以下「横田空域の全面返還」という。)については、米軍は運用上の理由により応じられないとの立場でした。
(引用終わり)

かたせ2号です。
まとめると、
羽田空港や成田空港から西日本方面、北陸方面などへ向かう日本の民間航空機の定期便は、関西空港および大阪伊丹空港へ向かうものを除き、横田空域を避けて飛行する状態が長年続いていた
そういうことになります。

どうやらこの「禁制」が今月(2024年11月)になって、解禁となりました。

笹原俊さんのXを抜粋します。
https://x.com/shun_sasahara/status/1858742299196617194
(午後2:21 · 2024年11月19日(JST))
(抜粋開始)
2024年11月17日、(島根県の)出雲(地域)でお話会を開催しました。
私はスタッフとともに、前日(の11月16日の)夕方、羽田空港から飛行機に乗り、(島根県の)出雲(地域)へ向かいました。

羽田を離陸した飛行機は、上空を旋回してそのまま水平飛行に移り、東京と埼玉の県境を水平飛行していきました。
私の住んでいる埼玉県、川越や所沢・入間の夜景がよく見えました。
私は驚愕しました。この航路は、1945年以来、先月まで、絶対あり得ない飛行ルートだったからです。

東京西部の福生市や瑞穂町などにまたがり、横田基地が存在します。

横田基地上空には「横田空域」と呼ばれる空域が存在し、ここは米軍の管轄下におかれて、日本の航空機は進入禁止となっていました。

これまで、羽田を離陸して、(関西空港および大阪伊丹空港向けを除く)西に向かう定期便の航空機は、千葉方向に大きく旋回して、一気に上昇し、13000フィート上空まで上がってから、水平飛行に移っていました。

これはもちろん、横田空域を迂回するためです。

私は何度も飛行機に乗っていますが、飛行機の窓から川越の夜景を見たのは初めてでした。
これは、「横田空域(への飛行禁止)が消滅した」ということを意味するのです。

通常はこの時点で高度は10000フィート(約4000m)を超えているので、川越の町は絶対に見ることができなかったからです。
夜景が見えたということは、雲の下ということなので、この時点で高度は3000m以下です。
かつての横田空域のど真ん中をつっきって、飛行したことになります。

かつて日本のど真ん中に位置し、日本の航空機の飛行を拒んだ、悪名高き「横田空域」は、既に存在していないのです。
これはおそらく、トランプ大統領当選の影響と思われます。
マスコミでは一切報道しませんが、かつては考えられなかったほどの、すさまじい変化が、水面下で進行しているのです。
(抜粋終わり)

かたせ2号です。
にわかには信じがたい情報だったので、このポストのリプライを拾ってみました。

https://x.com/DoerhMmMnXsgytN/status/1858814123796226365
(引用開始)
トランプ大統領になって以後、羽田への着陸便が確かに変更されています。今まで横田空域の中央の階段を使って都内密集地を抜けていましたが最近はとても静かなので不思議でした。コレで納得です!
午後7:06 · 2024年11月19日
(引用終わり)

https://x.com/hasibiro_maga/status/1858854251646296203
(引用開始)
先日空を見ていたら、見たことない東京上空の空域を民間飛行機が飛んでいて、おかしいと思っていた。
横田空域があるのに、なぜあそこを飛べる(のか)と不思議に思っていた。
(民間飛行機が)東京都心上空を南から北に飛んでいた。
自分の目で確かめてください。
午後9:46 · 2024年11月19日
(引用終わり)

https://x.com/nekosaburos/status/1858766532635189412
(引用開始)
となると、これはトランプさん就任後、冗談抜きで在日米軍の撤退もありえるかもしれませんね。 日本が自力で防衛するのは大変だと思いますが、日本の真の独立のためには在日米軍と日米合同委員会にはお引き取りいただくことが必須となりますから。
午後3:57 · 2024年11月19日
(引用終わり)

かたせ2号です。
一気に在日米軍撤退完了ということにはならないとは思いますが、それにしても、東京オリンピックも終了して数年後の現在、防衛省がお願いしても通らなかった、(関西空港、大阪伊丹空港以外の)西日本の空港への通過が、しれっと、できるようになっているのは、とんでもないできごとです。
ですから、この出来事はたしかに、在日米軍撤退の一連の流れの「さきがけ」になっていくのかもしれません。

以上

会員番号2054 投稿日:2024/11/22 18:48

【494】商業ルートの出版物について

2054です。近代医学・医療掲示板を拝見したところ、伊藤氏は「平癒」されたとのこと。精力的な投稿も続き、お元気そうな状況ですので、安心いたしました。今年の夏前(前回の入院前)にやり取りをしていましたが、返答をするのを控えておりました。伊藤氏の投稿の邪魔をしないタイミングで、少しずつ以前の質問や疑義への回答をしてまいりたいと思います。

今回は、商業ルートでの出版について伊藤氏による「ブレイク(閑話休題?)」の投稿がございましたので、便乗します。【491】の投稿では「一番金になりそうもない地味な学問系にとって、出版社とつないでもらえるということが、どんなにありがたいことか」とありました。

私が支持している小林恵子の場合は、三笠宮崇仁殿下が紹介して下さったようです。宮様が自ら風呂敷に包んで原稿を出版社に持ち込み、それに発奮して彼女は自ら「新規開拓営業」をしたようです。

(引用はじめ)

日本オリエント学会に入って、はや五十年近くになった。入会して間もなく学籍のない私を 気の毒に思われたか、会長の三笠宮崇仁殿下が宮内庁書陵部のご自分の研究室にお招き下さった。そこで宮様の御蔵書や書陵部の本を手当たり次第、読破した。宮様の研究室は教師のいない私の学校だったのである。

それから、かれこれ十年経た一九七二年に高松塚が発掘された。この頃、高松塚を話題に研究室で宮様とお話をしていたところ、宮様が本を出版したらどうかといわれた。初めは思いもかけないお言葉にとまどったが、やがて、その気になり、『東アジアの古代文化』などという今は廃刊になっている同人誌に小論を提出したりして自分なりに出版の準備をした。そのうち原稿がたまったので、宮様にお目にかけると、宮様は講談社や学生社にお持ちくださった。今も唐草模様の風呂敷に私の原稿を包んで、手ずからお持ちいただいたお姿が目に浮かぶ。

しかし両社共に断られ、私はそこで、始めて人事のように宮様のご好意を傍観していた自分に気づいた。

宮様のご好意を無にするわけにはいかないと決意し、私の本を出版しそうな傾向があるとみた当時の現代思潮社の石井恭二氏に電話した。一面識もなく、紹介者もいなかったが、原稿を見てもよいという返事だったので、三~四ヶ月かけて原稿を書き改めて石井氏のところに持ち込んだ。石井氏は私の電話のことはすっかり忘れていらっしゃったが、その場で刊行が決まった。それが今も出版中の『白村江の戦いと壬申の乱』である。一九八七年の暮のことだった。(引用終わり:『海翔ける白鳥・ヤマトタケルの景行朝』現代思潮新社p266~267)

2054です。『白村江の戦いと壬申の乱』(現代思潮新社)は、40年近く経過した今も、新刊で販売しています。商業的に成功はしていない(はず)ですが、アマゾンでもワンクリックで即入手できます。これは驚異的なことで、現代思潮新社という出版社の見識と矜持に、私は敬意を抱いています。

伊藤 投稿日:2024/11/22 09:37

【493】ブレイク:学問系を世に出すときのメインルート、学会ルートと「科研費」という名の「自費出版」

  伊藤睦月です。またまた自分の記憶便りで恐縮ですが・・・

 学問系を世に出そうとするときのオーソドックスなルートとしては・・・

(1)大学院の過程を終了して、どこかの学会に属する。

(2)その学会誌寄稿したり、学会で発表する。

(3)自分が属している、出身の大学の紀要論文に発表する。

(4)いわゆる「科研費」に採用されて、論文や著書を世に出す。(大多数が「自費出版」のようなもの)

(5)そういったものが、学会賞金とかとって、出版社の編集者の目に留まる。

(6)出版社だけでなく、いわゆるマスコミから出演依頼が来たり、歴史学者であれば、時代考証とか頼まれたりして、本を出すきっかけをつかむ。

などがあると思う。(あくまでも私の推測)

 伊藤睦月です。以上のようなことは、業界(学会)ではあたりまえのことかもしれないが、我々のようなアマチュアの部外者にとっては、とんでもない高い壁、ガラスの天井だ。

 ただ少数の突き抜けた人だけが、松本清張とか、副島隆彦先生のような「名伯楽、目利き」の支援を受け、テイクオフしていくのだ。いわゆる芸能界やスポーツ界ではよくあることで、システム的にもある程度確立されているが、学問系ではまだまだだ。

 「ユダヤ本」を出していただいたとき、今は亡き実弟が、彼はいわゆる「ポスドク崩れ」だが、頭の良さも学歴も私よりはるか上で、普段めったなことでは私に嫉妬しない彼が、珍しく、嫉妬した。本の内容ではない。この本が多少なりとも、印税が発生する「商業ルート」に乗った本だからだ。紀要論文を何本か発表し、指導教授の翻訳本の下訳をしたあげく、大学のポストが得られなかった彼は、副島先生のやっておられることの、すごさ、をしみじみと実感していたらしい。当時の私はそこまで考えず、ただ、嬉しくてはしゃいでいただけだった。私なんぞ、せいぜいその程度だ、と20年たった今しみじみ思う。自分のやっていることなんて、昔も今も「学問ごっこ」にすぎない。誰かさんからいわれなくても、その程度のことはわかってますがな!。

だんだん、暑苦しい話になってきたので、一旦、小休止します。

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/21 10:49

【492】またまた訂正

伊藤睦月です。前稿で紹介した、柳田國男(やなぎた くにお)1875年~1962年、ですが、

「農商務省」(現在の農水省、経済産業省)出身で、貴族院書記官長(参議院事務総長に相当、というかもっと偉い人)、枢密顧問官、まで歴任した、エリート様でした。

 自分の記憶のいい加減さに、自分でも嫌になる・・・

以上、伊藤睦月筆

 

伊藤 投稿日:2024/11/21 10:12

【491】ブレイク:在野の有望な、アマチュア研究家をかわいがった「松本清張」と、弟子の業績をパクリまくった「柳田国男」のこと。またまた偏った記憶で恐縮ですが。

伊藤睦月です。もう思い出ばかり、それも偏ってて恐縮ですが。

(1)松本清張(1909-1992)、といえば、言わずと知れた戦後を代表する、推理作家だが、本職の社会派ミステリーのほかに数多くの歴史ものを残していることで有名。「黒い霧」とか「昭和史発掘」(副島先生の最近の歴史本の表題も、松本に対するオマージュだろう)とか現代史だけでなく、古代史でも数多くの著書や発言をしている。

(2)それをいちいち紹介していてはきりがないのでやめるが、私が覚えているのは、在野の研究者、アマチュア愛好家のなかで、清張が見込んだ人には、援助を惜しまなかったようだ。特に出版社をよく紹介したという。

(3)我々もそうだが、アマチュアにとって一番欲しいのは、そういう出版社とのつながりだ。ある種の漫画家のようにSNSから見いだされるわけでもない、音楽関係のように素人の有望株を、売り出す、ビジネスモデルがあるわけでもない。そういったなかで、アマチュアしかも一番金になりそうもない地味な学問系にとって、出版社とつないでもらえるということが、どんなにありがたいことか。

(4)副島先生もそういうことをやってらっしゃる。この学問道場が実は、そういうアクセスルートのひとつだということは、なんとなくわかっている人もいるのでは。もちろん、そういう下心だけでは、通用しないのは当然ですが。

(5)そういう清張が育てた、「アマチュア」の一人に大和岩男という「古事記偽証説」をとなえた、在野の研究者がいた。

(6)この大和という人、大和書房という出版社のオーナーで「青春出版社」という出版社も持っていて、50歳以上の世代にとっては、この出版社の「試験に出る英単語」とか、「ビッグトモロウ」という若手サラリーマン向け啓発・情報月刊誌、の方が記憶にあるだろう。それで大もうけした、と思われる。ちなみに私は「試験に出る英単語」その他、が覚えられなくて挫折した、という苦い思い出しかありあません。(汗)

(7)大和は、古事記偽書説の発想を松本清張の著作から受けて、自説を展開した、と自著で告白している。

(8)大和は、出版社のオーナーとして、清張とも原稿料を払う関係にあったようだ。親交もあったらしい。で、清張も『古事記成立考』の初版本(1970年代)を読んで、大和に増補改訂版を出すように勧め、大和の会社から本を出しても「自費出版扱いになるから」といってわざわざ、ほかの出版社への紹介状まで書いてくれたそうだ。大和は、そのことを自著で回想している。

(9)ちなみに、大和の本の改定版は、30年後(清張の死後)結局、自社から出している。清張の死後では、「紹介状」の有効期限が切れたようだ。

(10)また、清張は、江上波夫(騎馬民族日本征服説)や大野晋(国語学者)らと、大和を引き合わせ、宴席まで設けている。(たぶん費用は大和が出したであろう)

(11) 大和は、日本歴史学会古事記部会の正会員となっているが、これは清張が江上や大野に仲介を頼んで実現したのであろう。(しかし、学会では発表の機会は与えられたが、徹底的に批判されたそうだ)

(12)大和は、大野のタミル語研究のためのインド調査旅行のスポンサーにもなっていたようだ。しかし、大和説を大野が批判、さらに大和が反論するにおよんで、両者はお互い死ぬまで口も利かなくなったようだ。

(13)松本清張は戦前の高等小学校卒。そこから這い上がって、作家になった人だから、「有望なアマチュア」に対するまなざしは優しかったのだろう。

(14)彼の出世作ともなった小説『ある小倉日記伝』(芥川賞受賞)は、そういうアマチュア研究家の悲喜劇を描いたものだ。清張は、主人公には、「松本清張」を遣わさなかった。その点、清張はリアル、である。

(15)一方の、柳田国男は、逓信省(郵政省→総務省に統合)のキャリア官僚出身で、いわば「脱サラ」して学者になった人だ。民俗学者としての名声が高まるにつれ、全国に弟子ができた。

(16)民俗学はフィールドワークが大事だから、柳田のもとには、全国から、そういう民俗学の情報や、地方のアマチュアたちの論文が多数集まった。

(17)柳田は、それらを存分に活用し、「自分の名前で」論文や著作をたくさん出した。そうやって「柳田学」が出来上がったという。

(18)私、伊藤はそんなエピソードを、岩波版柳田全集の月報での対談かなにかで、読んだ記憶がある。あくまでも自分の記憶ですよ。キ・オ・ク。

(19)柳田の弟子たちの中には、自分の名前が出なくても、柳田先生の役に立ったというだけで、十分満足、という人もいただろうが、そうでない人もいたようだと、その対談者は遠回しに言っていたような「記憶」がある。勘違いならごめんなさい。

(20)伊藤睦月です。以上、とりとめのない、「それって誰得?」みたいな、お話でした。寒くなると、そういうことばかり、思い出してくる。今から春が待ち遠しい(ちと早すぎるか?)

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/11/20 10:01

【490】訂正:すみません。

 伊藤睦月です。渡辺昇一「国民の歴史」は『国民の教育』(扶桑社)でした。扶桑社はフジサンケイグループの出版社で、『正論』というオピニオン雑誌を今でも出しているのかな。若き日の副島先生も「左旋回」前は、何回か、登場されていたような・・・どうでもよいか・・・(ため息)

以上、伊藤睦月、でした。

伊藤 投稿日:2024/11/20 09:50

【489】ブレイク:田中英道には、偏見をもっています。

 伊藤睦月です。先日地元の大型書店の日本史コーナーで、下條氏の「物理学者が解き明かす邪馬台国の謎」が平積みで売られているのを見て、なんかうれしくなった。著者が主張する、「卑弥呼と道教との関係」など、もっと関係者間に広まればよい、と思います。

 そんな中、少し気になったのが、下條氏が「田中英道」を取り上げていることだ。もちろん、引用は正確だし、指摘に間違いはないのだが、なんか気になってぞわぞわする。そこで、彼に関する記憶を思い起こすことにした。

(1)田中英道氏の西洋美術研究者としての評価はよく知らないが、2000年前後に「天平のミケランジェロ」という本で、奈良平城京をルネサンス期のフィレンチェになぞらえて讃えていて、なんか違和感を持ったこと。

(2)写楽の正体を葛飾北斎とする説を唱えていたこと。

(3)関東の古墳から、出土された、埴輪がユダヤ教正統派の恰好にそっくりなことから「ユダヤ埴輪」と名付け、日本には大量のユダヤ人が渡来してきて、その代表が山城の秦氏だという説を展開。

(4)「新しい教科書を作る会」の教科書編纂メンバーとして、渡部昇一(国民の歴史:教育勅語教育の復活を主張)、西尾幹二(国民の歴史:日本民族として誇りが持てる歴史にするべき、と主張)とならんで、「国民の芸術」という大部の本を執筆したが、その中で絶賛した「旧石器」が捏造だと判明したこと

などが、2000年前後の記憶にあります。

(5)また、日本史関連では『日本国史』という百田尚樹『日本国記』の内容とほぼ同趣旨(という私の印象)の本があり、縄文弥生のルーツは関東にあり、そこから西へ広がった、というような説を唱えておられるようです。(現在、同書をアマゾン注文中であり、確認出来たらまた報告します)

(6)下條氏引用の本の主旨は、氏の言われる通りなのですが、私が本屋で立ち読みした印象では、どちらかと言えば、小冊子的な作りで、「魏志倭人伝はいんちきだ」からさらに一歩を進めて、「だから、古事記、日本書紀の書いてあることは真実だ」と主張されているように思えました。(日本書紀には卑弥呼のことも書いてあるのに・・・)

(7)また、田中氏は、『日本国史学会』(任意団体。学会登録はしていない)の会長でもあります。

(8)また、田中氏は政治的立場も明確、で最近『虚構の戦後レジーム』という本を出し、東京裁判否定、「歴史修正主義」の考えを鮮明にしておられます。

(9)この本のアマゾン説明文の一部を紹介しますと、「・・・戦後レジームからの脱却を目指していた安倍晋三元首相が凶弾に倒れてしまった今、日本国民一人一人がこの問題に対峙しなければならない。・・・「美しい国・日本」を取り戻すために、歴史・美術史の知の巨人・田中英道がまやかしの戦後体制を一刀両断する一冊!」

(10)伊藤睦月です。田中氏の主張、歴史観は、岡田英弘博士や副島隆彦先生とは、対局にある、と私、伊藤は考えます。いくら自説への導入のための「つかみ」とはいえ、これはちょっといただけない。

(11)「新しい教科書を作る会」騒動から、四半世紀近く経過しているので、忘れたり、知らない人達もふえているのだろう。ので備忘録として書いています。これに関しては、当時、副島先生も、「ぼやき」や「重たい掲示板」でかなり発言されていた、とかすかに覚えています。

(12)それにしても、「知の巨人」とは、立花隆や佐藤優だけではなかったのですね。いくらなんでも、こういう「知の巨人」の肩には乗りたくないものだと、ぶつぶつ言ってる今日この頃です。

以上、伊藤睦月筆