ふじむら掲示板
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Loginはこちら【435】思いて学ばざればすなわちあやうし(4)古事記偽書論争を概観する(2)
伊藤睦月です。小休止終わり。
(7)古事記序文偽書説を最初に提起したのは、江戸時代の国学者のビッグネーム、賀茂真淵である。京都の陰陽師の家柄だと思う。「ますらおぶり」や「たおやめぶり」のコンセプトで有名。知らない人は高校教科書(日本史、倫理、日本文学史)を復習してください。
(8)この賀茂真淵が、当時古事記研究をしていた、本居宣長(これも超ビッグネーム)にたいする書簡のなかで、「古事記序文は偽書だ」と断定した。
(9)本居宣長は、賀茂真淵と面識はなく、手紙で情報交換する関係だったが、宣長はこの書簡を受け、「序文」を無視し、本文だけを読み解いて、「古事記伝」を完成させた。これが大当たりした。
(10)実は、古事記はもともと漢字オンリーで、それを現在のような、漢字仮名交じり文に「翻訳」したのは宣長だ。
(11)さらに言えば、古事記序文は、四六駢儷体(しろくべんれいたい)という、平安初期の日本人(空海774年~835年が有名)が好んだ漢文(但しネイティブではないので、不自然な漢文)、古事記本文は、変体漢文(万葉仮名といって、日本語の音に一定の法則で漢字をあてた、漢字だらけの文)からなっている。
(12)賀茂真淵は、どういう理由かは不明だが、「序文」を偽書だと断定し、本居宣長は、「序文」は「漢文(カラゴコロ)だから、不純。本文は。漢字を使用しているとは言え、日本語だから、本文こそ、ヤマトゴコロを体現している(「儒仏以前」といって、外国文明に毒される以前の日本人の清純な精神世界を表している)として、古事記伝を完成させた。
(13)古事記伝は多くの学者や文化人に受け入れられ、定説化したために、「序文」「本文」ともまとめて、「偽書」と主張されなくなった。
(14)約200年ぶりに、古事記序文、本文偽書説が主張されたのは、昭和に入り、中沢見明の「古事記論」だが、太平洋戦争が勃発すると、中沢は「非国民」だと憲兵隊に拘束され、その著書は禁書扱いになり、絶版に追い込まれた。
(15)そして、終戦を迎え、そういうタブーはなくなったはずだが、「偽書説」は学会主流にはならなかった。
(16)学会主流は国語学の成果を取り入れ理論武装を強化したのだ。
次回につづく。以上、伊藤睦月筆
【434】思いて学ばざればすなわちあやうし(3)古事記偽書論争を概観する。
伊藤睦月です。今回は、古事記偽書論争を概観します。この論争は江戸時代(17世紀)から歴史上の有名人も巻き込んだ大論争ですから、ある程度詳細は知っておくべきと考えます。まず、偽書説の概要について、本物説の代表的論者である、倉野憲司(1902~1991、福岡女子大学名誉教授)の説明を引用します。
(岩波文庫解説文1963年から引用はじめ)
古事記は、8世紀初頭に成立した我が国最古の転籍である。ところが、古事記(序文、または序文も本文も)和銅(711年)成立に疑いを抱き、これを後の偽作であるとする説をなす者がある。それを列挙すると次の通りである。
①賀茂真淵(1697~1769)(宣長宛書簡)
②沼田順義(ぬまたゆきよし1792~1850)(「級長戸風」の端書)
③中沢見明(「古事記論」(1929年))
④筏勲(いかだいさむ「上代日本文学論集」(1955年)
⑤松本雅明(史学雑誌第64編第8、9号)1953年
これらの説は、その論旨や論拠は必ずしも一様ではないが、一応もっともな疑問と思われる点を含んでいる反面、明らかに誤りと認められる点や論拠の薄弱な点も多く、今日これらの偽書説を(学会内で)是認する人はほとんどないといってよい。殊に上代特殊仮名遣からすれば、古事記が奈良時代の初期に成立したことは疑いないところである。但し偽書説が提示した正当と思われる疑義については、これを十分に取り上げて解明する努力が必要であろう。
(以上、引用終わり)伊藤睦月です。以下コメントします。
(1)古事記偽書説には、「序文のみ偽書」、「序文、本文とも偽書」の2パターンがあることに注意。
(2)倉野があげた1700年代から1950年代までの「偽書説」は中沢見明を除き、すべて「序文のみ偽書説」である。
(3)しかし古事記の成立事情や稗田阿礼の存在を示す史料が、「序文」しかないものだから、もし序文が偽書とすれば、本文も偽書である可能性が高くなる。
(4)そうなれば、いわゆる「古事記」研究村(伊藤の造語)が崩壊するため、学会主流は、「序文偽書説論者」も併せて、敵視した。それでも、1950年代はまだ余裕かましている。また倉野校注の岩波文庫は100万部のベストセラーとなり、一般読者にも「本物説」が普及した。
(5)なお、「偽書説」が提示した「正当な疑義」についてはその後、学会主流で検討されたかどうか不明です。
(6)さて、(1)にもどります。
小休止
以上、伊藤睦月筆
【433】1 思いて学ばざれば、すなわちあやうし(2)検証個所の特定
伊藤睦月です。最初に守谷論文の検証個所を、摘出します。(重たい掲示板3150)
(引用はじめ)※番号は伊藤
①『古事記』は日本書紀と比べるとコンパクトで『日本書紀』のダイジェスト版のような印象を与える故にに、②『日本書紀』より早く成立していたのはおかしい、としばしば③『古事記』偽書説が唱えられてきた。
④しかし現在では、『日本書紀』が先で『古事記』が後にできたという『古事記』偽書説は、国語学の観点から「完全に」否定されている。(⑤大野晋『日本語は如何にして成立したか』など参照)
(引用終わり)
伊藤睦月です。今回の守谷君の論考の目的は、上記にあるのではなく、古事記本物説を前提に、次の議論に進みたいのだろうが、特に「古事記偽書説」を採用している副島隆彦先生の掲示板に投稿するにしては、議論が簡単すぎます。これは副島先生にも失礼だろう。
だから少し足踏みに付き合っていただく。
さて、話は、②、③から入ります。①については、古事記偽書説をとる研究者(大和岩男、三浦祐之、岡田英弘、副島隆彦など)も、大野晋のような古事記本物説をとる研究者(古事記学会に所属する研究者の大半)も、「古事記」が「日本書紀」のダイジェストのような印象を持っている、という研究者の存在を知りません、むしろ「古事記」を「日本書紀」とは違う特別な存在、と見做している研究者が大半です。で終わり、で、むきになるのは大人げない気もしますが、これについては、②、③を概観してから、再度戻りましょう。
では、次回また。
以上、伊藤睦月筆
【432】思いて学ばざればすなわちあやうし(論語から)
伊藤睦月です。1か月ほど入院して、退院したので、学問道場の当掲示板を開いてみたら、かたせ2号さんの投稿がすべて、ごっそり消えていた。ちょっと驚いた。(その間スマホで見れたはずだが、自分の病状とオリンピック中継で、上の空だった)
また、「重たい掲示板」を開くと、国内外情勢の激動に真正面から切り結ぶ、副島先生の長ヘビーな投稿に圧倒されながらも、守谷君の相変わらずのイタイタシイ投稿に、あきれて、さてどうしようかと思案していた。
私、伊藤は、実は守谷君の発想はきらいではない。
ただ、我々がいくら上代日本文学や、日本古代史の門外漢(アカデミックな世界の住民ではない。もし守谷君がそうであったとしたら、驚きベきこと)といっても、最低限踏まえておくべき、「掟」があって、それを能天気に無視する、彼にいらつく。それは、そういう多少とも学問的な議論をするにあたり、最低限ふまえておくべき、文献、そして正確、適切な引用を踏まえた議論展開だ。
例えば、副島先生の日本古代史理解のベースは、岡田英弘と関裕二だ。この二人はアカデミックの世界では、異端の論者といってもよいが、それだけでなく、栗原や西嶋といった、研究者、いや真面目に勉強している学部生なら必ず、ふまえておくべき研究者の業績、文献を押さえたうえで持論を展開されている。(栗原、西嶋と言って、ピンとこない人は、この分野でまともに論じ合う価値はない)だから、副島日本史学は強靭であり、信頼できる議論となり、私も傾倒している。
守谷君の論考には、それが欠けている。だからこういう言い方をして申し訳ないが、「残念なダメ論文」で、いつも議論の入り口でつまづく。
今回の「重たい掲示板」に投稿された古事記に関する論考もそういう落とし穴に陥っている。少ししつこいかもしれないが、今後のこの掲示板での投稿で少し、突っ込みいれさせてもらう。
その前に、今回のポイントをいくつか。
1)守谷君の今回の古事記に関する論考の目的は、古事記と日本書紀という比較的近い時期に編纂、執筆された日本最古と言われる2つの歴史書の関係性
2)古事記の作者の一人である、「稗田阿礼」という人物の正体
についてだと理解しているが、その前提として、
1)古事記は日本書紀のダイジェスト版である。
2)古事記が日本書紀より古いことは、国語学によって、解決済み。したがって古事記偽書説の否定
ということを前提としているが、その論拠に問題がある。
まず、1)については、明らかに間違い。むしろ学会の方向は、両者がいかに違うか、という議論がトレンド。
2)については、1970年から2000年代にかけては、有力な説だったが、現在では学会では、古事記本物説の論拠として無意味化している。
2)ー2むしろ古事記本物説は、国語学の成果ではなく、考古学の成果、すなわち実際の編者「太安万侶」の墓誌の発見を根拠にして、1970年~2000年代まで、「古事記偽書説」を封じてきた。ところが、2000年代に入り、(もっと露骨に言えば、大野晋といった、学会の大物が死去してから)、有力な反対説(古事記序文偽書説)が現れ、活発な議論が今なお続いている。素人目には、偽書説の方が有力に思える。だから「決着済み」の議論ではない。守谷君は勉強不足である。
伊藤睦月です。守谷君がまたやらかした。彼の「自由奔放な発想」を全面否定はしないが、その前にやるべきことがある。勉強不足も甚だしい。三流大学の日本文学科の学生よりひどいと思う。
それに、守谷君が「重たい掲示板」に投稿しているのも問題だ。なぜなら、先述したように、副島史学の基盤学説は、「岡田英弘説」で、「古事記全面偽書説」(「日本史の誕生」、「倭国の時代」、「歴史とは何か」など学術書でなく、一般向けの著書で古事記偽書説を展開している)であり、副島先生も「古事記偽書説」に準拠しているのは明らか。そうであれば、守谷君は、副島先生主宰の掲示板で自説を披露する以上、副島=岡田説を論破、少なくとも言及するべきだが、あまりに議論が薄い、薄すぎると、私、伊藤は考えます。
以上議論の入り口部分だけで、守谷君の論考は大いに問題あり、と考えます。
以上、私の考えのポイントを提起した。今後は、多少細かい議論にも入っていきたいので、特に守谷君、ついてこれますよね。お楽しみはこれからだ。
以上、伊藤睦月筆
【431】他の副島系掲示板も、盛り上げませんか。
伊藤睦月です。かたせ2号さんが元気すぎる。そのパワーには敬服します。
とりわけ、アメリカ(世界)政治ネタや、日本政界ネタが面白いが、量が半端ないので、ふじむら掲示板があふれかえっている。
そこで、他の掲示板、「アメリカ政治情報メモ」とか「日本政治情報メモ」とかにうまく仕分けしてもらうと見やすくなると思うのですが、いかがでしょう。
「重たい掲示板」には、投稿告知をして、他の掲示板に引き寄せる。
「ふじむら掲示板」は、副島系掲示板の「補集合」なので、他の掲示板になじまない文章を投稿する。(芸能系や歴史系は、ないので、ふじむらに投稿せざるを得ないが、専用掲示板があると、うれしいな、とコスト度外視で、思っています。(汗)
そうしたら、掲示板全体盛り上がるのにな、と思います。
ご検討いただければ幸いです。
伊藤睦月拝
【430】かたせ2号さんのファンタジー、上等じゃないですか。
伊藤睦月です。かたせ2号さんの、トランプ暗殺未遂関係の書き込み、興味深い。
(1)ご本人は。「孤立無援説」とか遠慮しているが、そんなことはない。私は、ファンタジーとして楽しませてもらっています。私がアクセスできない情報を真偽織り交ぜて、たくさん紹介してくれるから。
(2)私のいうファンタジーとは、「直接証拠がなくて、間接証拠、情況証拠しかない、もしくは乏しいなかで、推論、推理、想像を展開しているオピニオン」といった、文章のことをいいます。
(3)そういう意味では、私の投稿、かたせさんの投稿、そして副島先生の投稿、も広義のファンアタジーです。
(4)ただ、副島先生の文章は、トランプの例にあるように「自分の考えを書く」と明記され、「これが事実、、真実、真相だ」とか言っているようで実は、安易に言わないところが魅力です。
(5)以前もこの掲示板に書きましたように、推論、考えが論理一貫してて、最期まで破綻がないものは、「真実」とか「有力説」、支持者が増えれば、「通説」といわれ、(もしくは、副島発と言わずに、いつのまにか共通理解になっている)
(6)また、論理的に破綻したり、新事実が確定するまでは、「妄想」「空想」「著者独自説」「トンデモ説」とか言われ、
(7)事の真偽は別として、話として面白ければ、「物語」「ミステリー」とか言われます。だから、かたせ2号さんご自身がそう思っていないのに、「自虐」しなくてもよいのではないですか。
(8)副島先生の考えと違うのなら、その点を明確にして論じればよい。
(9)ふじむら掲示板は、まさにそのためにあるのだから。
(以上、伊藤睦月筆)
(追伸)
(10)私は、漣肪、という人、嫌いです。あのホワイトニングかインプラントか知らないが、歯が白すぎる。(これは、言いがかりです(笑))
(11)東京都知事選といえども、しょせんは地方選なのに、住民に近い選挙公約が、我々都民でない者にもほとんど見えてきません。神宮の森伐採も、「住民投票」を提案する、なんて馬鹿だと思う。どうして賛否を明らかにしない。これじゃ公約にならない。彼女は地方政治をなめている。行政改革なんて、ほとんどの都民は関心ないだろうに。いつまで、アイドル気取りなんだろう。落選は当然です。
(12)また、石丸某もメディアで見ている限り、アバターみたいで気持ち悪い。彼は本当に実在しているのですか。
(13)そもそも、地方政治(予算)の95%は、知事がだれであれ、使い道は決まっている。残り5%位でいかに特色をだすかだ。そこを訴えないと住民には刺さらない。また前明石市長のように、使い道がきまっていても。使い方(運用)に工夫をすることにより、特色を出すとか。漣肪からは、他県民としても、メディアを見る限り、何も伝わらなかった。
(14)まだ、小池百合子の方が、現職だけに地に足のついた議論をしていると思います。さすが、現代の「西大后」だ。貫禄負け。
(15)いささか脱線しましたが、これからも、かたせ2号さんの海外情報、楽しみにしています。
(以上、伊藤睦月筆)
【429】トランプ暗殺未遂事件(続き)今更なんですが・・・
伊藤睦月です。今更時機を失した感はあるけど、備忘録として。
(1)トランプが負傷した個所から推定して、「やらせ」ではなく、「仕留め」にかかったのだろう。
(1-1)耳を貫通したのなら、本来は、頭部とか、首、肩(頸動脈)を狙ったのだろう。まさにJFKが銃弾を撃ち込まれた箇所だ。あのとき脳髄が飛び出して、奥さんのジャクリーヌがそれを拾い集め、ジョンの頭に戻していたシーンがよみがえる。
(1-2)そういえば、射殺された容疑者は、オズワルド(ケネディ暗殺犯とされた男)に顔かたちや雰囲気似ているような気がする。
(1-3)もしやらせなら、手とか足とか、傍にいたSPとか、演台とか、近くの聴衆とか、を狙いますね。あの個所はリスク高すぎると思う。
(1-4)それでは、暗殺未遂だったとして、トランプは、それに「神の意志」を感じたはずだ。
(1-5)佐藤優氏によるとトランプはカルバン派らしい。カルバン派といえば、「予定説」。暗殺が失敗することは神の意志。
(1-6)トランプさん、ますます自信をつけ、神から与えられた自分の使命として、大統領選に臨んでいくだろう。全能感すら持っているかも。
(1-7)ちなみにカルバン派(ピューリタリズム)は、ユダヤ教と相性が良い。(ゾンバルトの考察)そういえば、娘婿さんが正統派(穏健派)ユダヤ教徒の指導者だったですね。ネタニヤフのような過激派と話しが、合うのかしら。
(以上。伊藤睦月筆)
【428】トランプ暗殺未遂事件
伊藤睦月です。これに関し、副島先生のコメントを読んだり、自分の投稿をしている間に・・・
かたせ2号さん、「やらせ説」から、「暗殺失敗説」に改説されていたのですね。うーん。早い。
私のような、読むのが遅くて、パソコン苦手で、語学力貧弱な者でもついていけるような、投稿がありがたいな。
(以上、伊藤睦月筆)
【427】
伊藤睦月です。下記(15)親魏倭王から漢委倭国王にすり替わった理由について、下記では、話つながらないので慌てて補足説明します。すべて私のファンタジーです。
(1)いわゆる(南北朝の)「宋書(倭の5王)」時代から、100年以上国交がなかったため、隋の史官が倭に関する情報を更新できず、やむなく魏志倭人伝を多用した。
(2)「後漢」と「魏」を比較した場合、「後漢」(光武帝)の方が「格上」(魏は親魏倭王の時点で全国統一していない)だったため、唐の史官は、「漢委倭国王」のほうを採用した。
(3)また、倭国の使者が自己紹介の中で、みずから「奴国」の末裔(属国の中でも由緒正しい属国?を強調したかった)と名乗った可能性もある。
(以上、伊藤睦月筆)
【426】中国から相手にされなかった、「日本国は倭の別種なり」
伊藤睦月です。今回は中国正史から見える「属国日本」のすがたを取り上げます。まず、今から引用する史料にご注目ください。
(1)倭国は・・・「魏志」に謂う所の邪馬台(やまと)なる者なり。(「隋書東夷倭国」)
(2)倭国は古(いにしえ)の倭の奴国なり
(「旧唐書東夷倭国」)
(3)日本国は、倭国の別種なり。・・・「日本、」古くは小国なれども、倭国の地を併せたり」と。
その人、多くは自ら大を誇り、実をもって応えず。故に中国はこれれを(どこまで真なりやと疑う)
(「旧唐書東夷日本))
(4)日本は、古(いにしえ)倭の奴なり。・・・「日本はすなわち。小国にて倭の併(あわす)ところとなる」と。使者は情をもってせず(真相を語らず、)、故にこれ(使者の説明)を疑う。(新唐書東夷日本)
(5)日本国は、本倭の奴国なり。
(「宋史外国日本国)
(6)日本国は東海の東にあり。古には倭の奴国と称す。(「元史外夷日本」)
(7)日本は、古の倭の奴国なり。
(「明史外国日本」)
(8)伊藤睦月です。魏志倭人伝以降晋書~隋書まで、中国は倭国を邪馬台国(親魏倭王)の末裔とみています。
(9)そして、旧唐書倭国では、倭の奴国(漢委倭国王)の末裔。という見方に変化
(10)旧唐書日本では、「倭の別種」にさらに変化。
(11)しかし、「新唐書日本」では、奴国の末裔に戻り、以後、宋史、元史、明史、と続きます。私伊藤は。これはなにかある、と思い至りました。伊藤ファンタジーの始まりです。
(12)伊藤睦月です。中国正史の我が国の分は、いわば自己紹介文、であり。中国側からみれば、こちらの国情(地理、人口、習俗、歴史など)を記したインテリジェンスリポート、でもあります。
(13)ところで、我が国を紹介するときの一番手っ取り早い方法は。中国側も知っている、過去の例になぞらえて、「あのね、日本はね、昔は奴国という国だったんだよ」と説明する方法です。これは、今でも、個人でも会社でも役所でもよく使われる手法だと思います。
(14)しかし、問題は、中国側が「奴国」をどう認識しているか、です。「漢委倭国王」つまり中国の属国、という認識です。日本=奴国=属国日本、です。
(15)それでは、隋書までは「親魏倭王」なのに、いつの間に「漢委倭国王」にすり替わったのか。
(16)そうです。旧唐書日本からです。直前の倭国では、「奴国」の末裔だと認めていたのですが、「日本」になると「別種(別の血筋、別系統、無関係)」とおそらくは、白村江以後最初の遣唐使である、粟田真人あたりが、中国側に、上表文か何かで主張したと思います。中国側は、それを一旦は受理した。
(17)中国側は、いったんは受理したが、「日本が倭国を吸収したのだ」という主張したときに、「ほら吹き」だと、怪しまれ、信用されず、結局は、「やはり、奴国の末裔、俺たちの属国なのだろう」ということになったと思います。
(18)伊藤睦月です。この「別種」という考え、実は副島説(倭国=山門国(大和王朝)+倭国(九州王朝)と親和性が高い。「我々、山門国は、奴国の末裔とは全く関係なく、別種の独立した存在。そして奴国の末裔を併合した、全く新しい、統一政権です。だから対等につきあいましょう」と言いたかったのでしょう。心の中では。実際は、こちらの言う通りなのに。それを信用してもらえない。粟田真人は心折れたと推察します。
(18)逆に、日本ではなく、奴国が日本を併合したのだろう。お前たちは本当は倭国(奴国)なのだろう、と逆のことを言われても、「真相を語らない」ので、ますます信用されなくなった、と「新唐書日本」に記されてしまいました。(これを「公開処刑」といいます)
(19)伊藤睦月です。せめてもの矜持は、朝貢はするが、柵封は受けない、ということでした。しかし、中国側からは属国扱いされる。やせ我慢の始まりです。そして、政治外交よりも、留学僧や留学生による、仏教を含む、中国文明の受け入れ作業にシフトしたのではないかと思います。
(20)これが北宋時代になると、留学生もやめて、留学僧の学術交流と民間レベルの経済交流だけになってしまう。このあたりの状況を河上麻衣子は、その著書のなかで、もう少し上品に語っています。
(20-1)河上は言います。「中国に使いを出した時点で、何を主張しても、中国側から、朝貢した、柵封体制に入った、と受け取られる。これを日本はどうすることもできなかった」(伊藤による敷衍、まとめ)
(21)そして、蒙古襲来という、貿易圧力(開国要求)があり、倭寇による一時的反抗を経て、ついに、明から武家が柵封を受け、貿易交流をはじめます。
(22)しかし、その間、ずっと中国歴代王朝は、日本を朝貢国(すなわち属国)として、扱い続けます。日本も琉球王国を仲介にするなどして、やせ我慢を続けます。この我慢大会は、明治30年代まで続きました。
小休止。ファンタジーが続きます。
(以上、伊藤睦月筆)
