重たい掲示板

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ゆみこ 投稿日:2011/03/20 16:40

【274】[299]明日、群馬に帰ります。

京都に避難している、群馬のゆみこです。

副島先生、石井利明さん、命がけの調査をして報告してくださって、本当にありがとうございます!お二人の勇敢さと冷静さは素晴しい!心から感謝します。報告を読んだ人たちみんながほっとしていると思います。わたしは京都の叔母に「ほっとした顔してるわ」と言われました。

わたしは数日前、崎谷博征さんの【[275]原発は最悪の選択である】を読んで、また広瀬隆さん出演のテレビを見て、日本は原発がなくてもやっていけることを知りました。それでわたしは原発がとても不憫(ふびん)に思いました。利権のために建てられて、自分自身がすごく危険な存在だと知りながら40年間働いて、今ほんとうに危険な姿をさらしている。わたしは観音さんになって、原発を抱いたろうと思いました。二晩、観音さんになって、原発と原発の悲しみを抱いて眠りました。
そもそも女の人はみんな観音さんです。たぶん。
これからまだしばらく原発が静まるまで、女の人みんなで原発を抱いてやりましょう。原発さん、いい子ね、大丈夫よ、あなたが身を挺(てい)して人々にもっと違う安全なエネルギーを使うことを考えさせてくれた、ありがとう、って、なだめてやりましょう。

わたしは明日、群馬に帰ります。嬉しいです。
先生、石井さん、本当にありがとうございます。

崎谷博征 投稿日:2011/03/20 16:40

【274】[298]神風が何度も吹くことを祈る

崎谷です。

今朝、以下の記事のように1、2号機の配電盤兼変圧器に外部からの送電線を引き込み接続する作業が完了したという記事がありました。

この冷却装置を稼働させるまで(あるいは稼働できるかできないかを確認する作業)にもさらに1週間くらいはかかるのではないかというコメントが福島原発の原子炉格納容器設計者で元東芝の後藤政志工学博士からありました。

これであとは冷却システムが電気を送ったときに稼働するかにいまや世界中の耳目が属していると思います。

津波の影響や海水注入などによって、原子炉内部はかなりの損傷を受けていると想像されますので、冷却装置が生きていれば「神風が吹いた」といえる事態だと思います。

(転載開始)
1、2号機に送電線接続…20日から通電作業
読売新聞 3月19日(土)18時29分配信
 東日本巨大地震で被災した東京電力福島第一原子力発電所で、冷却機能が喪失した1、2号機の配電盤兼変圧器に外部からの送電線を引き込んで接続する作業が完了した。

 20日朝から2号機内部の機器を点検し、その後、緊急炉心冷却装置(ECCS)などの系統につながる大容量のポンプを動かし、原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールなどを効果的に冷やす冷却システムが稼働するかを確認する。

 同原発では、地震によって停電したほか、ECCSなどを作動させる非常用ディーゼル発電機も津波の影響などで破損した。

(転載終了)

崎谷です。その後、以下の記事のように福島第一原子力発電所3号機の原子炉格納容器の圧力が再び上昇を始めたことが報道されました。圧力があがったということは、開けていた弁が閉じたか、あるいは原子炉格納容器内の温度が上昇していることを意味していると考えます。

したがって、燃料棒が露出する可能性が高まっているのではないか(実際はすでに露出しているかも知れない)。

3号機にはウランより放射能が高いプルトニウムが核燃料として使用されています。しかし、圧力がこれ以上高まり、格納器が破損すると大惨事になるため、以下の記事のように別のバルブを開く可能性があると報道しています。これによって、再度高濃度の放射能が大気中に放出されることになります。このときも神風が陸から海に吹いてくれることを祈るしかありません。

この圧力を下げる作業のため3号機の電源の復旧作業や放水作業などは中断されますので、3号機原子炉内の温度が再び上昇していく懸念が出てきました。

(転載開始)
福島第一3号機格納容器、圧力降下策で蒸気放出
読売新聞 3月20日(日)12時58分配信
 東京電力は20日、福島第一原子力発電所3号機の原子炉格納容器の圧力が再び上昇を始めたとして、格納容器内の蒸気を外部に放出して圧力を下げる操作を再度行うと発表した。

 圧力は同日午前1時10分には約2・8気圧だったが、同4時30分には約3・4気圧になった。現在、所内で行われている電源の復旧作業や放水作業などは中断する。

 3号機は13日午前8時41分から蒸気を放出する弁を開けたままで、圧力が再び上昇した理由は不明。この弁が閉じてしまっている可能性があるため、復旧作業員などが退避した後、弁を開ける操作を試みる。

 それでも圧力が下がらなければ、別の弁を開けるが、冷却水を通さずに排気するため、強い放射能を帯びた物質が外部に放出される可能性がある。
(転載終了)

崎谷です。そして使用済みの核燃料が冷却貯蔵されている4号機の現状について、以下のように日米の見解の相違があることも報道されていました。

(転載開始)
福島第1原発 「4号機プール」見解相違 米「壁に穴」、日本「水位ある」
産経新聞 3月20日(日)7時56分配信

福島第1原子力発電所4号機の使用済み核燃料貯蔵プール(約1400立方メートル)をめぐり、日米で見解の違いが鮮明化している。日本側は19日、自衛隊による放水準備を進めたのに対し、米専門家らはプールに亀裂が入り冷却水が漏れ、「打つ手のない」(米物理学者)状況に追い込まれる可能性を指摘している。

 4号機では15日早朝に爆発音が確認された。5階にあるプール付近で爆発が起きたとみられ、建屋が大きく破損した。計測機器が電源喪失で使えないうえ、建屋内は放射線量が高く、東京電力はプールの水位や温度を確認できない状況となっている。このことが日米間の食い違いを生む要因となっている。

 米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は18日、米原子力規制委員会の複数の専門家の見解として、プールの壁に亀裂か穴が開いていると報じた。地震が起きた後の事態の推移のほか、事故発生時に同原発にいた米国人から得た情報をもとに判断したという。

 原子力企業幹部も同日、米紙ニューヨーク・タイムズにプールが壊れており、水の補充が極めて困難になっていると語った。

 4号機の危険性を最初に指摘したのは規制委のヤズコ委員長。16日の下院エネルギー委員会で「水はもう完全になくなり乾いている」と証言した。日本側は否定したが、同氏はすぐに「情報は信じるに値する」と反論した。

 これに対し、北沢俊美防衛相は19日の記者会見で「米側の見解は聞いている」としながらも、4号機の表面温度が100度以下であるとして、残っている水により冷却の効果があらわれているとの認識を示した。

 経済産業省原子力安全・保安院の担当者も19日、産経新聞に対し、プールの水位について「16日に目視した時点よりも下がっていると考えられるが、水がなくなっているという情報はない」と強調した。

 16日に陸上自衛隊のヘリが原発上空で計測した放射線量は250ミリシーベルトと高い数値だったが、専門家は「燃料棒が露出していればもっと高い数値になるはずだ」と指摘する。

 東電と保安院も4号機より、プールの水が蒸発して白煙が上がり続けていた3号機の方が緊急性が高いとして、3号機への放水を優先した。

 北沢氏は「(3号機で)一定の効果をあげたら4号機に移る」と語った。
(転載終了)

崎谷です。以上からは、現場では今できる必要最小限の作業を行っていると同時に、新たに噴出した問題に緊急対処しなければならないという大変恐ろしい緊張状態がずっと続いていると思います。まだ予断を許しません。

スリーマイルの事故では偶然、格納機の底にメルドダウンして溜まったウランの反応が停止し、それ以上の大惨事を経験しなくて済みました。なぜ反応が止まったかはその後の専門家の検証でもまだ明らかになっていません。

これは、自然現象も含め世の中の出来事は正確な予測不能な「複雑系」物理現象だからです。物理現象がコントロール下にないときは、少し条件の違いによって180度違う結果が出ても不思議ではありません。

今回の原発事故も復旧した電源で冷却システムが“偶然”うまく稼働する、あるいは圧力が上がっていた格納機の圧が“偶然”に下がっていくといったかなり予測不能な偶然に依拠せざると得ない状況はしばらく続くでしょう。

そのギリギリのところにまだ私たちがいることを直視し、最悪の事態に備えるという「予防原則」の知恵を働かさなければなりません。現在の「予防原則」は、福島原発が制御不能になったときを想定して避難する準備をすることです。最悪の事態が起こらなかったらそれで安心したら良いのです。

私は今回の事故が起きた1週間前に福島近辺の住民は西日本へ避難させることが「予防原則」だと考えていましたし、今でもそうです。西日本には不況のあおりで空き室だらけの不動産やホテルが山ほどあります。ここを買い取るなり借りるなりして事態が落ち着くま避難させればよい。

日本政府のリーダーが「私は米国の暗殺部隊に殺されるかも知れない。しかしそれでもよいから積みあがった米国債の一部を売却して、そのお金に充てる」と国民に早い段階公の場で宣言すべきだったと思います。米国債を売却できなければ、それを担保に海外の金融機関で借款してもよい。

それを、政府は子供手当を廃止して復興資金にあてるなど相次ぐ増税策を話し合っているという報道がすでに出ている。とんでもない連中である。これ以上国民に増税すると日本の経済は奈落の底に落ちることは小学生でもわかることだ。それほどアメリカ、いや自分の保身だけが大事なのか。

このように日本という国は、明治維新以降は太平洋戦争までずっと現場の人間や国民だけにしわ寄せが来ていたのです。とくに太平洋戦争以降は、米国に心身を売り渡してしまったさもしい人間たちが、国民の上に立ち、散々搾取してきた。今もそうである。

また原発被害だけでなく、地震被災で両親を一瞬にして亡くした孤児たち(重度のストレス性心的外傷をこれからも負う)の問題も山積している。この子供たちを助けられるのは、今被害のない地域の余裕のある家庭だけなのだ。私の周りにも政府が声をかければいつでも孤児を引き取るという方がおられる。私も引き取れるものなら引き取りたいと思う。

日本がこの緊急事態に変わらなければいつ変われるというのだろうか。これから日本国民は、もう者分かりのよさそうな「大人」の言葉(米国という長いものに巻かれておけ)には耳を傾ける必要はない。国民の多くが現実を直視して自立していくこと、そして何度も神風が吹くことを切に願っています。

茂木 投稿日:2011/03/20 10:41

【272】[297]流域思想について

会員番号1149番の茂木です。

東日本巨大地震で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また復興に従事する皆さまに深い敬意を表します。

福島原発事故が提起するこれからの日本のエネルギー政策に関連して、以前私のブログ
http://celadon.ivory.ne.jp
に書いた、「流域思想」と「流域思想 II」の記事を転載させていただきたいと思います。21世紀型産業システムであるところの多品種少量生産、食の地産地消、資源循環と整合するこの「流域思想」については、以前転載した「内需と環境技術」(旧サイト[1425])でも触れたことがあるので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

————————————————-
流域思想(5/11/2010)

 これまで「内需主導と環境技術」や「牡蠣の見上げる森」などで紹介してきた流域思想(もしくは流域思考)について、“環境を知るとはどういうことか” 養老孟司・岸由二共著(PHPサイエンス・ワールド新書)の「あとがき」から、岸由二氏のお考えを紹介したい。その前に、本のカバーから同書の紹介文を引用しておこう。尚この本はすでに「内需主導と環境技術」の項でも紹介した。

(引用開始)

大地を構成する流域から考えよう。
———————————————–
生物学者・岸由二氏は三浦半島の小網代や、都市河川である鶴見川の環境保全活動に尽力し確かな成果を挙げてきた。小網代は源流から海までまるごと自然のままで残っている、全国的にも稀有(けう)な流域である。本書で岸と養老孟司は共に小網代を訪れた後、「流域思考」を提唱する。自分が暮らす流域のすがたを把握することから、地球環境に対するリアルな認識が生まれるのだ。後半では元・国土交通省河川局長の竹村公太郎も鼎談に参加する。

(引用終了)
<同書カバーより>

 次に、岸由二氏の「あとがき」からの引用に移る。

(引用開始)

 環境を知るということはどういうことか。<脳化>社会の常識でいえば、それは、温暖化や、生物多様性の危機や、さまざまな汚染指標について、あまたの理論をまなび、技術や指標をマスターし、危機の現状と未来について知識をためこむことといって良いかもしれない。しかし本書に通低するテーマは、そういう知り方以前の知り方、生まれ、育ち、働いて死んでゆくヒトが、だれとどんな場所を生きてゆくと了解するのか、そういう意味での「生きる場所」としての世界の知り方の問題でなければならない。

(引用終了)
<同書「あとがき」(岸由二)より>

ここで岸氏は、自分を環境から外さない思考の重要性を述べておられる。これは、私が以前このブログで紹介したアフォーダンスの考え方と親和性がある。「アフォーダンスについて」の項からその部分を引用する。

(引用開始)

 アフォーダンス理論では、我々の住むこの世界は、古典幾何学でいうような、直線や平面、立体でできているのではなくて、ミーディアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの個体的物質)、そしてその二つが出会うところのサーフェス(表面)から出来ているとされる。そして我々は、自らの知覚システム(基礎的定位、聴覚、触覚、味覚・嗅覚、視覚の五つ)によって、運動を通してこの世界を日々発見する。(中略)

 この論理の重要な点は少なくとも三つある。一つは、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということ。私は「集合名詞(collective noun)の罠」で、行為主体として自己の重要性を指摘し、自己言及性に富んだアフォーダンスとの親近性に触れた。(後略)

(引用終了)
<「アフォーダンスについて」より>

残りの二つの重要な点については全文をお読みいただくとして、ここに引用したアフォーダンスにおける環境の捉え方や自己言及性は、岸氏のいう“「生きる場所」としての世界の知り方”と極めて近い考え方であることがご理解いただけると思う。

 続けて岸氏は、“「生きる場所」としての世界の知り方”の歴史を振り返る。

(引用開始)

 思い切って単純化すればそのような知り方は、実は数種類しかないというのが私の感想である。足もとの大地を生きものたちと共に生きる場所として、採集狩猟民のように知るという知り方。足もとの大地を耕作すべき場所として農耕民のように知る知り方。そして足もとの大地から地球製を剥奪し、大地そのものの生態的な可能性や制約とますます離れた様式で、ひたすらに経済的な功利性・技術的な可能性に沿って空間を分割し、極限的にまったくの人工空間、デカルト的な座標世界として世界を構成することこそ成熟と考える都市文明的な知り方。これまでの歴史は、おおむねこの三種類の知り方を時系列として展開されてきたのではないか。地球環境危機は、その展開が、足もとのリアルな地球の限界によって、いよいよだめ出しされている状況と考えるほかないと、私は思うのである。

(引用終了)
<同じく「あとがき」(岸由二)より>

ここで氏は、地球環境に対する人類の歴史を俯瞰している。日本列島の歴史に引き付けていえば、縄文文化、弥生文化、都市文化、という流れだろうか。その上で氏は、次のように自らの「流域思考」を定義する。

(引用開始)

 苦境からの脱出は、たぶん新しい文明を模索する脱出行となるだろう。それは都市からの脱出ではない。宇宙への脱出ではさらにない。むしろ都市の暮らしの只中において、採集狩猟民の「知り方」、ときには農民の「知り方」を駆使して、足もとから地球の制約と可能性を感性的・行動的に再発見し、もちろん都市そのものの力も放棄することなく、地球と共にあるエコロジカルな都市文明を模索する道なのだろうと私は考えている。採取狩猟民時代の人類は足もとの地表にすみ場所をさだめる地表人であった。産業文明の都市市民は足もとにますます暗く、<家族と家>というまるでスペースシップのような人工空間暮らしと、さらには実現するはずもない宇宙逃亡さえをも妄想する宇宙人となりつつある。その宇宙人たちが、採集狩猟の地表人のように足もとから地球=環境を知る暮らしを再評価し、地表人の幸せの中で子供たちを育てはじめ、やがて宇宙人+地表人=地球人となってゆく。百年かかるのか、二百年かかるのかわからないが、<流域思考>を手立てとして、人類はそんな道を選んでゆくことができるのだろうと私は信じているのである。

(引用終了)
<同じく「あとがき」(岸由二)より>

 いかがだろう。新しい環境の知り方は、これまでの採集狩猟民的、農耕民的、都市文明的、という三つの「知り方」の上に立脚し、さらにそれらを発展させたものでなければならない。それがこれからの「流域思想」であると岸氏は云うのである。

流域思想 II(5/18/2011)

前回「流域思想」のなかで、流域思想とアフォーダンスの考え方の親和性に触れた。「アフォーダンスについて」の項では、アフォーダンス理論の重要な三点を挙げたので、流域思想についても、同じように重要だと思われる点を三つ挙げてみたい。その前に、「アフォーダンスについて」から、アフォーダンス理論の重要な三点を復習しておく。これは前回飛ばしてしまったところだ。

(引用開始)

 この論理の重要な点は少なくとも三つある。一つは、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということ。(中略)

 二つ目は、環境と知覚とが、運動を通して表裏一体とされる点である。(中略)表裏一体ということは、お互いの交換価値が等しいということである。私はこの価値等価性を「通貨とは異なる価値基準の鼎立」として、さらに展開・深化できないものかと考えている。これまでの経済理論では、生産と消費とは別々の場面で、それぞれ異なった動機で行われ、その価値は通貨という客観的な価値基準で決まるとされている。このようなアフォーダンス理論の経済学への適用は、まだあまりなされていないのではないだろうか。(中略)

 さて、アフォーダンス理論の重要な点の三つ目は、「知覚システム」には終わりがないということだ。どういうことかというと、我々は、世界の何処で何をしていようが、常に世界全体を(一挙に)把握しているということである。知覚システムは常に環境からの情報をそれまでの情報に重ね合わせて修正を加え続ける。たとえば、今あなたはPCの画面を覗いているが、画面の後ろにある壁、部屋全体、家や街、そして世界全体を(一挙に)把握している筈だ。あなたの頭の中にはあなたがこれまで体験してきた世界の全てが同時にある。アフォーダンスではこれを「異所同時性」と呼ぶ。つまり、脳は常に「現在進行形」なのだ。

(引用終了)

 さて、それでは流域思想に戻ろう。まず重要な点の一つは、アフォーダンスと同じように、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということである。これは前回「流域思想」の項でも述べたところだ。環境の内側から自己を捉えることが流域思想の重要な点の一つ目である。

 二つ目は、多様性の尊重である。ひとつの流域は、水の流れに沿って一つの纏まりを形成する。「内需主導と環境技術」の項で紹介した“環境を知るとはどういうことか” 養老孟司・岸由二共著(PHPサイエンス・ワールド新書)によると、日本には「一級水系」と呼ばれる流域が全部で109あるという。同書から引用しよう。

(引用開始)

岸 日本には一級水系が一〇九ありますが、どの水系に対応する流域でも基本構造は同じです。生きものの体の単位が細胞で、細胞がわからなかったら生物がわからないのと同様、大地のことを知るためには、その構成単位である<流域>のことを知らなければならない。(中略)
 私はグーグルアースが、ワンクリックで地球の全表面を流域に分けるプログラムをつくってくれないかなとつねづね考えています。プログラムは難しくないはずですし、そうしたら全世界規模で大地の認識が激変すると思いますね。(後略)

(引用終了)
<同書69-72ページ>

東京周辺の主な一級水系を挙げてみると、利根川、荒川、多摩川、鶴見川、相模川などなど。さらに二級以下の水系には、渋谷川、目黒川、呑川、帷子川、大岡川、境川、引地川などがある。自分が暮らしている水系を人々がもっと意識すれば、流域独自の文化と共に、全体の多様性について認識できる筈だ。

 三つ目は、資源の循環。「牡蠣の見上げる森」の項で述べたような食物連鎖とエネルギーの循環が、流域思想の重要な柱の一つだと思う。自然に理に適った流域ごとの発電・供給システムはもっと検討されて良いのではないか。同じく「内需主導と環境技術」の項で紹介した“本質を見抜く力”養老孟司・竹村公太郎共著(PHP新書)から引用しよう。

(引用開始)

竹村 日本はどうしたらよいのでしょうか。私はやはり、エネルギー源を日本列島内で分散化すべきだと思います。「国土の均衡ある発展」などという建前ではなく、各々の地方地方が自立したエネルギー獲得システムとしく食料自給システムを作らないといけない。そうやって自立した地方には、今後必ず、都会から逃げ出す人が出てきます。地方にそのときの受け皿になってもらいたいです。
たとえば電力会社が大発電所を作り、全国津々浦々に送電するのは無駄が多い。そこで、たとえば過疎地は地元の川で水車を回してエネルギーを作ることにする。夜は水車で発電し、余った電気で水を分解して水素を作り、昼間はその水素をチャージする。そんな新しい文明を、国家として構築することが大事だと思います。(後略)

(引用終了)
<同書45-46ページ>

 以上、流域思想の重要点を三つ挙げた。これからも様々な角度から流域思想について勉強していきたい。

高岡亮一 投稿日:2011/03/20 08:43

【271】[296]ありがとうございました!

今朝起きてすぐ東京消防庁レスキュー隊の会見の様子を見た。これまで出てきた人たちとまるで面構えが違っていた。胸が熱くなった。そして副島重掲板の副島先生の報告を読んだ。「助かった」ことを知った。

17日の時点でわかっていたのだとのこと。円安への転換、仙谷の副官房長官起用はリンクしていたのだ。このままでは日本は「属国からの脱出―独立」の大切なチャンスを逃す。立ち上がるべき秋(とき)だ。何をすればいいのか。

大東亜戦争の死者、兵員230万名、民間人80万名 合わせて310万名、この犠牲の上に日本の戦後はあった。夢のように65年有余を過ごしてきた。今さら何事もなく3.11以前の暮らしに戻れるとは思わないほうがいい。3.11地震と大津波、そしてその後の原発の恐怖は、日本独立運動開始のきっかけを与えてくれる天の配剤と考えたい。このたびの震災の数万に及ぶ犠牲者の無念の思いを「日本の独立」によって晴らす。副島先生にはその流れをつくる役割が与えられていると確信した。お願いします。

高岡亮一拝

副島隆彦 投稿日:2011/03/20 06:39

【270】[295]強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。

副島隆彦です。 今は、2011年3月20日 午前12時10分です。 すなわち、19日から20日に変わったばかりです。

 私は、福島第一原発から8キロメートルのところまで行きつけました。
下の、「292」番で、アルル君が、私からの電話連絡を、緊急の報告文にして載せたとおりです。

 私は、この原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h) であることを、自分の目で目視し、確認しました。

 ですから、3月11日から、日本民族に襲い掛かった危機である巨大惨事の大事故は、大きなところでは終息に向かうと確信しました。 地震・津波の惨事よりも、放射能汚染と、被曝が、日本国民すべての体に襲い掛かることが、ものすごく恐ろしいことでした。この巨大な日本民族の存亡の危機から、私たちは、何とか逃れることができました。

 学問道場の、会員のみなさん、喜んで下さい。もうこれ以上の放射能の飛散は、ありません。微量の放射能の拡散には、私たちは、健康のままあ、耐えて行けます。全国の空に広がっている、こんな微量の2~10マイクルシーベルト毎時(2~10μSv/h)の 放射能なんか、私たちは、がぶがぶ食べて、慣れきってゆけばいい。いちいち、微量の放射能の飛散になど、もう、私たちは、怯(おび)えてはいけない。 私は、自分の体で現地まで到達し、このことを確信しました。

 私と弟子の勇敢な石井利明(いしいとしあき)君は、無事、郡山市(福島第一原発から、真西に55キロの地点にある 大きな都市。新幹線が停まる) のホテルに帰着しました。

 副島隆彦は、弟子の石井君と、 19日、早朝から、動き出して、死ぬ覚悟で、福島第一原発を目指しました。 放射線量(ほうしゃせんりょう)250ミリシーベルト毎時( 250mSv/h)までは、突き進む、と私は密かに決めていました。

 私は、自分が言い出した、福島第一原発の4つの事故原子炉に向かう一般国民の決死隊の運動を推進するために、(副島隆彦です。このあと、激しいし睡魔が来て、今、午前3時に起きました。)

 自分が責任者として、事故現場の状況を把握するために、原発の現場に向かいました。事故原発の現地までの到達して、真実を把握するまでの経緯を、ぼろぼろに疲れ切っていますが、報告します。

 私、副島隆彦が、福島第一原発の巨大事故を、3月12日の午後6時に、日本民族の存亡に関わる重大事だと判断したのは、それは、飛散して空中に広がる強い放射能が、事故現場から200キロメートル離れている東京(および首都圏)まで、到達することがあると、500万人ぐらいの日本人の幼児、子供、青少年、とくに少女たちが、甲状腺異常や、白血病に罹(かか)って死亡する、という大凶事になると考えたからです。私は、この一週間、このことを考えると、全身が震えていました。

 そして、私は、自分の 現地視察で、この事態は、避けられて、この凶悪事故は回避されたのだ、と鋭く、判断しました。私自身が持つ、予言者と、霊能者と 占い師・呪(まじな)い師としての、才能によってです。

 16日に、アメリカ政府が派遣した原発事故の調査団34名、とIAEA(アイ・エイ・エ・イー・エイ、国際原子力委員会)の調査団12人は、この真実を、17日の夜には確認したようだ。 フランス政府派遣のの検査官たちはまだ知らないようだ。

 私は、自分の体を現地に投入することで、自分で放射能汚染と被曝のモルモットになる覚悟で、真実を知りました。それが、私が、19日の午後1時43分に、富岡町(とみおかまち)まで到達して、福島第一原発から8キロの地点で、現認確認した事実です。 

 このことを、弟子のアルル君に、携帯電話で伝えて、急いで、学問道場の重たい掲示板に書き込んでもらいました。それが、重掲の午後3時27分の報告文です。

 ここに行き着くまでに、事故原発(4基)から30キロ地点で、完全な放射能防護服を着て車両を運転して、事故現場から全速力で走ってくる車などとすれ違いました。20キロ地点でも、まるで、月光仮面のような、イスラム教徒のブルカのような別の防護服を着た乗員を載せた警察の車が、すれ違って行きました。私たちは、それらの厳しい任務を帯びた緊急車両からは、まったく規制されませんでした。

 私たちは、チャーターしたタクシーで、どんどん東に東に向かい、事故原発から丁度30キロ地点にある大滝根山(おおたきねやま、1192メートル)が、「ここが、NHKが、映像を送り続けている、あの4基の原発を映し出している高性能の望遠テレビ・カメラの設置場所だろう」と感づきました。

 そこには、自衛隊の電波通信塔があります。私は遠くからその大滝根山の全貌の写真も取りました。その山を目指しましたが、途中で通行止めになっていて、中腹以上には行けませんでした。それで、そのあたりの行政区分である滝根町(たきねちょう)を通過して、さらに東を目指しました。

 次の川内村(かわうちむら)は、30キロ圏から、20キロ圏にまで差し掛かっています。地図帳で確認しながら、進みました。あたりは過疎の村で、住居が散在していましたが、避難地区に指定されているので、次第に人影はなくなってゆきました。30キロ地点で、熊本県警から派遣された警察官に、制止されましたが、決して、「それ以上、行ってはゆけない」とは言われませんでした。

 「現地調査の為に来た」と言ったら、なんと、あっけなく通してくれました。ですから、そこから先は、富岡町(とみおかちょう)でした。そこは、福島第一原発のある大熊町(おおくまちょう)の南隣で、そこから10キロ南の海岸線に、福島第2原発があります。

 富岡川の渓谷に沿って原発専用道路を走り抜けたら、突如、渓谷に架けられた大橋が現れて、その向こうに、福島第一原発そのものが遠景として出現しました。私たあちは、オウ、と感嘆しました。それを、望遠レンズ付きの高性能カメラで、撮影しました。地点は、原発から8キロの地点です。

 ここでも、月光仮面のようなサングラスをかけた防護服を着た乗員の車両が通り過ぎました。私と石井君は、これらのすべてのポイントを、手持ちのガイガーカウンターで、放射能の線量を計測して、写真に収めました。それらを、石井君が、どんどん、私のこの文の途中、途中に張り込んで載せるでしょう。
 
 私たちは、「もうこれ以上は、緊急車両ではない普通の国民では、現場に接近できないだろう」と判断して、この8キロ地点から、南に向かって、被災地である いわき市を目指しました。やがて、30キロ圏の外側に出ました。いわき市の平(たいら)という商業地区を通り過ぎて、海沿いに向かいました。

 そこには、延々と、海沿いに 自動車と家の残骸が散乱し、多くの漁船までが、陸地に横たわっている、例の光景でした。そこから海沿いに、北上して、再び、原発を目指しました。道路は応急で復旧しており、風向明媚(ふうこうめいび)の景勝地(けいしょうち)を激しく破壊しているなかを、どんどん北に向かいました。

 第2原発から20キロ、第一原発から30キロの地点の、久ノ浜(ひさのはま)の不明昨(ふみょうさく)という地点で、警察の検問があり、ここで通行止めでした。3人の、ここも福岡警察からの派遣の警官たちが緊急車両以外の通行を封鎖していました。

 多くの被災者は、避難場所か、親戚の家に、避難していますから、30キロ圏から内側は、ほとんど蛻(もぬけ)の殻(から)で、あたり一面は、ガラーンとしていました。そこから、南に向かい、小名浜(おなはま)の大きな漁港に行きました。

 ここでは、遠洋航海用の、おそらく500トン・クラスの大型漁船が、何十隻も、あたり一面に、護岸や、波止場のコンクリートの護岸の上にまで、乗りあげている例の異様な光景でした。 日没と共に、暗くなりましたので、私たちは、目的を達成したとして、国道49号線沿いに、郡山(こおりやま)市まで約70キロメートル引き返し、途中で電話予約したホテルに到着しました。

 前日から、この19日の現地調査の朝までは、「自分は、放射能汚染で被曝しても構わない。それでも原発事故の現地で、行けるとことまで行く」と決心していました。それでも、100ミリシーベルト毎時(100mSv/h)の数値が、自分のガイガー・カウンターにあらわれて、激しく、ガーガー鳴るようだと、同行してくれた弟子の石井君を守るために、現地から、即座に退却するという計画でした。

 この事故現場の50キロ圏の現地入りが、出来たのは、ガイガー・カウンター(15万円)を私が数年前から所持していたからです。この「放射能に対してガーガー音がする計測器」が有ったので、現地で出会って、事情を話して、チャーターした地元の郡山の最大手の西条(にしじょう)タクシーの運転手の**さんを、説得できなかったでしょう。

 「原発の近くまでは、ものすごく危険だから行かないよ」と、誰でもが言うことを、彼も初めは言っていました。それを、少しずつ説得して、原発の事故現場の近くまで接近できたのは、やはり所持したガイガー・カウンターがあったからです。車を走らせながら、試標(サンプル)となっている、これも持参したラジウム鉱石で、「ほら、このように、健康浴場のラジウム温泉のラジウムでも、80マイクロシーベルト毎時( 80mSv/h) ぐらいの数値が出ているでしょう。

 だから、この辺の 8マイクロシーベルト毎時なんか、ちっとも怖くない。私は、このラジウム鉱石をベッドで抱いて寝ている」と、運転手を説得しながら、どんどん原発まで近寄ってゆくことが出来ました。

 普通の車は、あたり一帯で、ガソリン不足で、悲惨な感じになっていました。巨大地震が襲った3月11日の午後2時46分から、1週間がたっていました。ガソリン不足は、東京でも深刻でした。スタンドの前には、どこも数百台の車が並んでいました。

 ひどいところでは、おそらく10時間以上も待つしかない、という場所が、東日本の被災地のほとんどで見られた光景です。ですから、私と一緒に来てくれた弟子の石井君の車を使って、行くわけには、ゆかないのです。普通の車両だと満タン状態で、300キロぐらいしか走れません。

それに対して、タクシーは、LPガス(液化プロパンガス、石油から作る)だと、満タンにして80リットルで、500キロぐらい走行できる。タクシー業界は、一般自動車が、ガソリン不足で、今も、ひどく苦しんでいるのと違って、それぞれの地区のタクシー業界で、LPガスの供給量を、強靭(きょうじん)に 確保している。さすがわ、プロウの 輸送業界である。

 原発から周囲50キロの地域は、多くの人が避難していて、生活基盤(ライフライン)が壊れていますから、途中でガソリンが無くなることは、その車と共に立ち往生して、移動・活動の死を意味します。それで、タクシーをチャーターすることにしたのです。

 いくつもの幸運(検問所を、上手に越えられたことを始め)に恵まれて、原発から8キロの地点まで行って、目撃できました。そして、放射能の数値を計測できました。このガイガーカウンターが無かったら、とても原発まで、前進できなかったでしょう。
 
 私は、今度の凶悪な原発事故は、終息に向かうと確信しました。消防と 自衛隊による放水による使用済み核燃料プールへの給水と、電源盤を設置してECCS(イー・シー・シー・エス、緊急の炉心冷却装置、エマージェンシー・コア・クールダウン・システム)を回復する東電やほかの電力会社の電気工事人たちの頑張りで、危機は19日に、峠を越しました。

 もう、核分裂の進行も、メルトダウン(炉心溶融)の進行も、再臨界(さいりんかい)も、水蒸気爆発も起きないでしょう。日本国民は、存亡の危機から救われました。

 私は、巨大事故原発の現場まで来て、そのことを体で確信しました。なにごとも現地までまできて、実際に自分の体で調べないと分かりませ。もっと早く、あと2日、はやく、現地に入(はい)るべきだと、あとで反省しました。

 しかし国会議員たちを説得して、現地視察をすることの重要性を分かってもらうことと、防護服を手に入れようと手を尽くすことで、私は、17日、18日の 丸2日間を、使ってしまいました。しかし、この準備期間も仕方がなかった。

 東京にまで、飛散して、空から襲ってくる「目に見えない凶悪な物質」である放射能( レイディオ・アクテビィティ。それに対して、放射線=ラジエイション や、中性子や、プルトニウムの微粒子は、事故の現場でほとんど消滅する)の拡散ぐらい怖いものはない。

 福島第一原発から200キロ離れた地点にある東京にまで、1986年のチェルノブイリ事故と同じような、強度の放射能が降り注ぐようだと、本当に、特に幼児・子供と少女たち、数百万人が、ひどい病気を抱える。チェルノブイリ事故では、ウクライナから、さらにベラルーシ(白ロシア)に、まで、300キロも強度の放射能が飛散した。

 それで、事故から10年たって、何千人ものたくさんの少女たちが、喉(のど)と首のあたりを手術して、肥大した甲状腺を切除手術するという、悲惨極まりない最悪の凶悪事となるところであった。日本国民は、すんでのところで、救われた。 

 この事故を起こすに至った、東電幹部たち(は、その歴代の幹部たちを含めて)の責任は、どうせ、このあと厳しく追及される。「15メートルもの高さの津波が、堤防を越えてくることには、備えと対策が考えられなかった。1000年に一度の大災害だ」という言い訳(責任逃れ)ではどうせ済まない。

 今度の放射の漏れの事故の 恐怖 の凶悪事は、戦争が始まる ことよりも恐るべきものだった。国家間の戦争は、人間が起こすことだから、なんとかなる。戦争は、職業的な戦闘員(兵士)たちが多く死ぬだけだ。それに対して、今度の原発事故は、すべての人間に、放射能漏れによる 核汚染と被曝(ひばく)が、襲い掛かる、という、人間世界にとっての最悪の事態だった。

 「民間人の国家戦略家」をずっと自称してきた私としても、この異常事態には、本当に参った。この1週間、本当に悩み苦しんだ。そして、この凶悪事は、すんでのところで回避され、やがて過ぎ去ってゆく。日本国民は、地獄の淵から救われた。

 放射能汚染は、福島県の現地だけで、事故原発の周囲、20キロぐらいの範囲で、大きな悲劇として今後も続いて行く。福島第一原発のある大熊町(おおまちょう)の北隣りの双葉町(ふたばちょう、原発から丁度10キロ以内)は、行政機能ともども、埼玉県のおおみや市に、19日から移動してきた。

 この町の人口が1万5千人ぐらいの町だが、そのう今後も放射能の汚染が続いても、現地に居残ると決めた老人たち半数を残して、3千人ぐらいが、さいたまアリーナに、“原発避難民“となって集団で移動してきつつある。この巨大スポーツ施設は、被災者一万人を収容できる。そして、このあと、大きな災害対策の問題が続いて行く。大地震の余震(よしん)は、まだ日本全土で、恐怖されている。

 福島県は、日本国内だけでなく、世界中から、「放射能で汚染された県」という偏見と、「風評被害」で、これからも苦しんで行く。 福島産の魚貝類と、米・野菜・果物は、売れなくなる恐れがある。そのことが、今後、ものすごく怖いことだ。 

 私は、今、福島県の現地にいて、「この原発事故から、福島県は、すぐに立ち直らなければいけない」と、強く思った。 「福島県が、今も、味わっている、そして、これからも長く味合うことになる、 放射能漏れは、たいしたことないのだ」 と、私は、まず自分が、急いで、言い始めることが、大事だと、今、強く感じている。 空中や雨の中に飛散している放射能の、2.5マイクロシーベルト毎時ぐらいは、人間の生存と、生活にとって、どうということないのだと、私は、敢(あえ)て断言する。

 私が、時々、抱いて寝ているラジウム鉱石は、88マイクロシーベルト毎時(88μSv/h)も ある。 だから、2~10マイクロ(μ)シーベルト毎時 ぐらいの放射能は、幼児や少女であっても、普通に背負って、健康に生きて行ける 数値なのだと、私たち、日本人は、今後は、居直って、生きて行く国民になるべきだ。

 そうしないと、日本国民全員が、今度の原発事故で、「日本人は、放射能汚染された国民だ、民族だ。日本は放射能で汚れた国だ」と世界から言われ続けることになる。私たち日本人は、強くならなければ生きて行けない。

今も大地震の余震が、全国各地で、続いている。震度3ぐらいは平気だ。 震度4でも5でも、6でも、家は壊れないと日本人は皆で、分かったののだから、もうそれを恐怖しないで、平然と生きて行ける民族、国民にならなければならない。 

 今度の大地震の 激甚被害 は、岩手・宮城・福島(ほとんどはこの東北3県だ)だ。福島県の人たちは、今も、平然として生きている。震度6でも木造の家でも、ほとんど何事もないように耐えている。津波の被害も海岸線の住宅や港湾に対して凄(すご)い。しかし、地震と津波の自然災害にも、私たちは、平然と耐えてゆくしかない。

 たとえ今度の津波の死者は3万人を超えるだろうが、この事実を平然と乗り越えて行くしかない。だが、放射能の拡散による数百万人の若い国民への重大な健康被害(発病)という恐るべき ‘人災’凶事に対しては、私たちは、本気で、「原発による発電を、徐々に減らしてゆく」という選択をしてゆくしかない。

 アメリカ合衆国に 日本( 政府、大企業・金融機関、そして金持ちの個人)が貸し付けている1千兆円のうちの 「200兆円ぐらいを、すぐに返してくれ。復興資金として、どうしても必要なのだ」と、アメリカに要求しなければならない。

 ところが、ヒラリーと仙谷由人が、さっさと、17日に、「日本政府は、アメリカ政府に対して、日本が保有する米国債を売却しない。その代りに、アメリカは、日本に、最高度の核技術の大支援を与える」という密約が成立したようだ。 それで、仙谷由人は、突如、官房副長官となって、復帰した。

 それと、G7(ジー・セブン)による、為替市場での「円買いドル売り」の各国の中央銀行による協調介入が行われた。これらの動きは、すべて連携されている。

 アメリカの最高度の政治権力と金融財閥たちは、17日に、福島第一原発の危機は去った、と知った。 私、副島隆彦が、福島の現地で、19日に、自分の体を使って、現地投入して、体感と霊能者としての能力で、この真実を知った。どうしても、このことは公然と書いておかなければならない。私は、日本の国家戦略家として、先に、先に、事態を読んで、予測してゆくしかないのだ。

 強度の放射能による東京(首都圏)汚染と言う巨大な凶事の、地獄の淵から、寸(すん)でのところで、 とりあえず逃げ延びた日本国と日本民族  万歳。 苦難は、これからも続いて行くが、それでも私たちは、雄々(おおおお)しく、生き延び続けなければならない。 私も、生き伸び続ける自信が湧いてきました。福島の現地で、淡々と生きている福島県人の強さに、一番、大切なことを、私は、自分の体で学びました。 

地獄の淵から逃れた、日本国、万歳。   副島隆彦拝  

アルルの男・ヒロシ 投稿日:2011/03/19 15:27

【269】[292]福島県内に調査に入った副島先生からの電話の内容

アルルの男・ヒロシです。現在は2011年3月19日14時半ころです。

 副島先生から、たった今連絡がありました。「現在、福島県双葉郡川内村(ふたばぐんかわうちむら)から、いわき市平(たいら)に向かっている」とのことです。

 副島先生は栃木県の石井さんと一緒に福島県が実際どうなっているかを確かめに行きました。昨日のうちに栃木県那須塩原(なすしおばら)からタクシーで福島県白河市(勿来の関で有名)に入って、そこから福島第一原発の近くまで調査するべく、自宅にあった「ガイガーカウンター」(ラジウム鉱石の放射線度を測るために買ったもの)をもって双葉郡に入りました。

「日本の内外のテレビで報道されていた危機的状況が本当のことなのか、東電は放射線数値について嘘を付いているのか」ということを確かめるためというのが理由です。

 副島先生を載せたタクシーは、まず白河から郡山を通って、滝根村というところに入った。そこでNHKがここ数日、福島第一原発の様子をライブ映像で望遠撮影していた、大滝根山(おおたきねやま)に近づこうとしたそうです。ところがここは自衛隊の基地(大滝根山分屯基地)があるので接近できませんでした。

 そこで、タクシーに乗って、双葉郡川内村に入り、最終的には原発から8キロの富岡町(とみおかまち)に入って、海岸線の見えるところまで行き、そこで遠くに見える原発の黒焦げた姿を視察したそうです。写真もとったのでそれは後で載せるそうです。

 富岡町で放射線の濃度を測ったところ、今日の13時43分の段階でガイガーカウンターは15マイクロシーベルトの数値を示したそうです。また、郡山では1マイクロシーベルトの値が出ていたと言っています。

 最新の報道では例えば以下の新聞記事が次のように伝えています。

(貼りつけ開始)

放射線量、依然高い値 福島・中通り 東電第1原発

 福島県内では18日も、東京電力福島第1原発から放出されたとみられる放射性物質が検出され、福島市や飯舘村などでは放射線量が高い状態が続いた。

 県災害対策本部によると、18日午後3時の測定で、福島第1原発から61キロ離れた福島市で11.20マイクロシーベルトの放射線量を計測。前日より2.2マイクロシーベルト低かったものの、通常の300倍近かった。原発から40キロ離れた飯舘村でも22.30マイクロシーベルトに達した。
 福島市と同じ中通り地方の郡山市は2.40マイクロシーベルト、白河市は2.60マイクロシーベルト。前日よりそれぞれ1.35マイクロシーベルト、0.40マイクロシーベルト低下した。
 浜通り地方では、原発の北24キロにあり、屋内待避の対象地域が含まれる南相馬市で3.38マイクロシーベルト、南へ43キロのいわき市は0.98マイクロシーベルト。会津地方は、会津若松市で0.42マイクロシーベルト、南会津町で0.09マイクロシーベルトだった。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110319t63044.htm
(貼りつけ終わり)

 副島先生や石井さんによれば、川内村のあたりでは屋根が崩れ落ちたり、墓石が倒れたりする光景が各所でみられたそうです。また、30KMの地点で、東京電力の人がアナウンスで通行者に「現在は一マイクロシーベルトですから安全です」と流していたとも聞きました。また同じ地点で他県から応援でやってきていたパトカーがいて、その中におまわりさんが普通の制服姿で座っていて、二人の乗ったタクシーに向かって「気をつけていってください」と話しかけただけで特に通行規制もなかったそうです。周辺には東電のものと思われる放射線測定車もあったということです。

 ただ、ガソリンが不足しているのは深刻なようで、いわき市平付近のガソリンスタンド(国道399号線沿い)では、車がずーっと行列をなすようにガソリンスタンドの前に止まっており、そのなかでは疲れて寝ている感じの人がガソリンが来るのを待っているという様子だったそうです。

 副島先生によれば、「ここから分かることは、ジャーナリストたちや突撃カメラマンたちが実際に現場に入って正しい情報を伝えていないので「風評被害」だけが拡大していることであるということと、少なくとも放射線の数値に関しては、東電は正しい情報を伝えている、ということでした。(放射線を測定したのは先生個人所有のガイガーカウンター)。

 また詳しい続報がはいりましたら、先生みずから投稿するかもしれませんし、あるいは電話で聞いた内容を私かが書き取って、お知らせしたいと思います。とりあえずここでは聞いたままの情報をお伝えしました。

アルルの男・ヒロシ 拝、

地図

ジョー(下條) 投稿日:2011/03/19 14:58

【268】[291]東京電力のレポート

昨日 東京電力が現状のレポートを出しました。これが真実かどうかはわかりませんが、現状では一番信頼できる東電からの情報です。下は要約したものです。

http://www.hattori-ryoichi.gr.jp/blog/福島第一原発概況#09.pdf

私は原子力の専門家ではありませんが、わかる範囲で簡単に述べたいと思います。

まず、格納容器、圧力容器です。原発には2つの容器があり、内側の核燃料が入っている容器を圧力容器、そのまわりを覆っているのを格納容器といいます。圧力容器はかなり頑丈で80気圧でも耐えられるようです。一方、格納容器の耐圧は4~8気圧。

福島第一原発で今問題になっているのを一号機、二号機、三号機ですが、レポートをみるとどれもきちんと存在しているようです。だから、3月13日、14日の爆発を私はずっと「水蒸気爆発」(核燃料がメルトダウンを起こし、それが水に落っこちて激しく水蒸気になって高圧で爆発する現象)だと思っていましたが、確かに、報告のとおりの「水素爆発」(高温のジルコニウムにより生成した水素が酸素と混ぜって反応した現象)のようです。

この一号機、二号機、三号機の圧力容器(炉心)には、すべて海水が入っている。確か東芝の技術者の方だと思いますが、「圧力容器に海水を入れることなど可能なのか?」と述べていました。しかし、この文章をみるかぎり、やったようです。ここから、長時間停電の非常時には、圧力容器の高圧ガスを抜いて、海水を入れることがマニュアル化されていたことがわかります。この後、自衛隊の特殊部隊が撤退していますから、彼らがやったのだと思います

しかし、どうやら、この高圧ガスを抜いた時に、すべての発電機で爆発が起きている。どうやっても停電時には、うまく安全には、高圧ガスを抜けない設計のようです。

しかも、この高圧ガスを外に抜いた時に大量の放射性ガスが漏れたとみるのが、各地方の放射線モニターから想像できることです。

ただ、このときには、風はずっと西から東に吹いていた。3月15日以外はずっと強い西風です。だから本当に「神風」が吹いたといっていいでしょう。

http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_dispersion_rejets_17mars.aspx

一号機の格納容器圧力は不明。二号機、三号機は2気圧以下になっています。私は専門家ではないので、はっきりはいえませんが、「格納容器破損」とありますから、高温化するに従いガスが外に漏れている可能性が高いです。そうなら、二号機、三号機のまわりの高い放射線線量はここに起因していることになる。一号機は不明です。

圧力容器(炉心)の温度はわかりませんが、以上をみると、圧力容器がどんどん熱くなっているのがわかります。冷やすしかありません。。

副島先生の言ったように、電力を復旧して、そとからだんだんと冷却していくしか方法しかありません。東芝の原発技術者が福島第一原発に集合しているようです。日本の現場技術者を恐ろしいほど優秀です。彼が知恵を集合して、あらゆる手段をつかって、ひとつひとう電源をつなげ、冷却器を復活させ、必ず冷却してくれるだろうということを私は信じています。

石井 投稿日:2011/03/19 14:26

【267】[290]空気中濃度限度

科学技術庁の空気中濃度限度は以下のとうり
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09040215/01.gif

計算式は、以下のとうりです。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-04-02-15

この表は、cm3ですからこの表を10の6乗すると世田谷の計測値と比較できます。
3/15の午前10~11時には、セシウム137は、限界値の約2倍をヨウ素131は、約10倍以上しめしています。
これは、空気中濃度限度は、計算式を見ると時間積分なので、瞬間的に超えても、時間平均が下回っていればいいことになります。
3/16からは、ここで記載された限界値をは下回っていますから、たとえば10日平均すると限界値以下になります。
ということは、風向きが変われば、限界値を持続的に超えることがありえることがすでに証明されたわけです。

六城様
セシウム137は、ヨウ素131は、自然界に存在しません。ラドンとは異なります。

六城雅敦 投稿日:2011/03/19 14:15

【266】[288]RE:[286]教えてください

会員番号2099 六城雅敦です。

小川様のおっしゃるベクレル(空間線量)の解説に誤解を招かないように追加させていただきます。

一般的な日本家屋でもベクレルは10~20程度あります。これは宇宙線やコンクリートや土壌から発生しているラドンなどが空中に常に漂っているからです。ヨーロッパの古い石造の地下室などでは数百ベクレルという値も珍しくありません。ですから欧米の建築基準では必ず換気扇をつけて換気が義務づけられているそうです。

御影石などを貼ったビル内でも80から100ベクレルあるところもありますからそれほど目立つほどの空間線量ではありません。当方が施工した岩盤浴部屋は1200~2000ベクレルです。それでも健康被害のレベルではありません。

ちなみにラドン治療で有名なオーストリア・バドガシュタインの坑道のベクレル数は30000以上と言われています。

ご参考までに

小川清司 投稿日:2011/03/19 11:49

【265】[286]教えてください

ご存知の方も大勢いるかと思いますが、東京都産業労働局のHPに、「都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果」を掲載しているページがあります。
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html

この中の、3/15の結果を見ますと、午前10~11時の測定結果の値が異常に高くなっています。(ヨウ素131=241ベクレル、ヨウ素132=281ベクレル、セシウム134=64ベクレル、セシウム137=60ベクレル)

同ページの説明によると、ベクレルという単位は、1立方メートルの空間の中に、1秒間に放射線を出す能力のある放射性物質の個数を意味するようです。(おそらく何も異常がない場合の個数は、値がゼロに近いと思われます)

つまり、3/15の午前10~11時、測定場所の東京都世田谷区深沢では、ヨウ素131だけでも、1立方メートルの空間の中に、241個も都内では浮遊していたということです。
放射線量(シーベルト)の怖さと、放射性物質を体内に取り込んでしまう怖さは、別の問題であることは、[274]で崎谷さまがご教示されております。

そこで、放射性物質の影響について有識者の方がいらっしゃいましたら、以下お教え願います。
1) 測定された結果から、我々は既に放射性物質を取り込んでしまっていると考えてよいのでしょうか?
2) 取り込んでいても、この数値なら大丈夫なのでしょうか?それとも、微量であっても、それなりの影響は避けられないのでしょうか?

広く皆様も知られた方が良いと思いますので、回答できる方は、この掲示板に掲載のほど、よろしくお願いします。