重たい掲示板
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はじめまして。
山形県内陸の柴田寛喜(しばたひろよし)です。
このたび、学問道場の会員登録をさせていただきました。
よろしくお願いします。
会員になった動機は、福島県に家を買うという副島先生を応援したかったことです。
何が安全で何が危険なのか浅薄な知識では推し量れませんが、フクシマを立て直すという志しは意義深いと考え、共感しています。
公共の掲示板に書き込むのは不慣れですので、言葉に過不足があるかもしれませんが、ご指導のほどお願い申し上げます。
それでは皆様の今後のご活躍をお祈りして失礼いたします。
【296】[323]3月19・20日の報告文2
こんにちは。
石井 利明です。
引き続き、福島第一原発に関係する20日の出来事を報告します。
19日の調査では、郡山の西条(にしじょう)タクシーのKさんに、大変お世話になりました。
先生は、初日の調査が終わる際に、翌日、20日の調査もKさんにお願いしたのですが、一日交代の勤務シフトなので無理。そこで、同僚のEさんを紹介してもらいました。
お二人の協力がなければ、今回の調査は不可能でした。
ありがとうございました。
また、ありがたいことに、20日は、郡山在住の学問道場の会員で、先生の古くからの友人のTさんに、日曜日ということもあり、ご協力していただけました。
やはり、地元の土地勘のある方が、居ると安心できます。
昨日とは、雲泥(うんでい)の差です。
20日の調査は、郡山の北東に位置する伊達郡川俣町から始まりました。
災害対策本部を訪ねると、毛布・マスク・非常用飲料水が並んでいました。
・川俣町 非常用飲料水
隣には、会津交通のバスが待機中です。これから、会津方面に避難するのでしょう。
しかし、まだ、避難する人たちは乗車していません。避難するには、放射能に汚染されていません、という証明書が必要なのです。
その証明書をもらうために、体育館で測定が行われていました。
災害本部を離れる前に、本部長さんから話をうかがうことが出来ました。
「トラックの運転手が、福島に行くことを拒んでいるらしいので、物資がなかなか補給されない」
本当に困っている様子でした。
・川俣町 災害本部長と副島先生
実際、前日に、那須塩原駅でも栃木の地元の運転手は、先生が「郡山に行って下さい」と言っても。
「福島には行かない!」と、にべもなく断わられました。並んでいるタクシー全部にです。
川俣町を出発して、次に目指したのは、南相馬市です。
30キロ圏に達すると、昨日より凄いことに、看板は立っていましたが検問所すらありません。人が居ないのです。
今日は、北側から原発に近づくことにしました。
海岸線が近づくと、昨日同様、瓦礫(がれき)に埋め尽くされています。
私たちは、瓦礫を避けるように国道6号線を南下しました。
6号線は、いたる所に陥没(かんぼつ)や亀裂(きれつ)が生じています。
私たちは、それを避けながら、なんとか、浪江町(なみえちょう)に、ちょうど12時に到着。
・浪江町 河口付近
人の気配は全くないのですが、浪江町には、電気が通っている箇所もあって、お店の電気が、煌々(こうこう)と点いていて、半壊したお店からはスピーカーから音が漏れていました。なんとも、不思議な感覚に、またも、襲われました。
町の方は、本当に、取るものも取らず避難したのでしょう。
測定を開始すると、20~30マイクロシーベルト毎時(μSv/h)の値が表示されます。
原発からの位置は、昨日と同じ、8キロ位です。
写真では、23.08マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。
・浪江町 測定状況
私たちは、道が許す限り、ずんずん、南下して双葉町へ。
道路が隆起(りゅうき)して6号線では、これ以上、進むことが出来ない所で、初めて、100マイクロシーベルト毎時(μSv/h)の値を確認しました。
見づらいでしょうが、写真では、70.34マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。
・双葉町 国道6号線
ここから、6号線を離れ、双葉町の中心街を目指しました。5キロ圏内です。
さすがに、ここまで来ると、測定値は、常に100マイクロシーベルト毎時(μSv/h)以上を指します。
写真では、106.9マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。
・双葉町 市街地数値1
私が、確認した最大値は、240マイクロシーベルト毎時(μSv/h)でした。
わき道も、これ以上、進むことが出来なくなり、ここで引き返しました。
その時の数値は、133.3マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。
今日も、東電の発表の数値と私たちの測定した数値は一致した、と私は確認しました。
・双葉町 市街地数値2
ただ、地理的な関係で、原発を目視することが出来なかったことが残念です。
19日より、確実に近いところであっただけに、写真に収めたかった!
私は、今回の調査を行い、改めて、“事実を知れば強くなる”という言葉を実感しました。
以上
石井 利明拝
【295】[322]22日、23日、双葉に行ってきました。
差し障りがあって、本名を書くことができません。どうか、お許しください。
22日、23日と双葉で活動をしてきました。
入るとき、現地から35km地点を封鎖してあって、バスが一台止まっていて、
入ろうとすると防護服の人が出てきます。
「これから現場ですか?」
だまって笑顔で頷くと、あとはことさら何事もなく、
「十分気をつけていってください!」
と、これまた笑顔で送り出された。すごい拍子抜けでした。
現場、といわれたのがものすごく可笑しかったので、しばらく、
「現場です!」というのが口癖になりそうです。なんやねん、現場って。
双葉から4~5km離れたところから、アスファルトの道路の地割れが始まり
ます。2kmくらい近づくと、いたるところ地割れで、ほんとうに慎重に
走らないといつタイヤを損傷するかわからないくらいの道になります。
封鎖されている35kmから中は、携帯電話はずっと圏外なので、救援を呼ぶ
ことができません。パンクしたらアウトなので、とても気を遣いました。
封鎖圏内にはもちろん電気が通っている所もあるのに、電波だけはずっと
圏外だった、ということに、帰ってくるときに気づきました。あれは、
停電とか、機能不全なのではなくて、わざと電波を遮断しているのだと
いうことがわかりました。
だから、現地から通信するには衛星回線がいるでしょう。でも、衛星回線は
使用したことがないのでわかりません。よく、山で仕事する林業の人とかが
使っているとかいうあれです。
町からちょっと離れると、北海道の3000人規模の村落みたいにのどかな
風景の広がる、とても和む風景が広がるのが双葉町でした。
22日の朝に原発で爆発があって?すぐに引き返せとかいうメールが携帯に
いっぱい入ったけど、もう決めたことなので、そして先を急いでいたので
とにかく突き進みました。現地に入ったらあとはもう、ネットも携帯も
ないので、実際情報はなにも入ってこないので(ラジオは鳴るけど)
かえってよかった。よけいな不安材料がないからです。
町役場の周辺は電気が通っている。無人のガソリンスタンドが、
ネオンサインでガソリンの値段を表示してピカピカ光っているのが
印象的。作業場の蛍光灯もついたままだ。たぶん、電気が消えたとき
そのままにして逃げて、電気が復旧して逃げたときの状態で明かりが
灯っているのだと思われました。
帰ってきたら、1ミリが限界の線量系が振りきれたとか言ってたけど、
特に放射能酔いはなかった。放射線従事者の線量限界とかがあるけど、
実は、もっと近くで何時間も放射線を浴びる仕事もある。でも、その人
たちには特に線量限界なんか定められていない。何時間もの作業が
終わると、「放射能酔い」する。頭がぼーっとする感じです。アルコール
に酔ったのと近い感じだけど、顔も赤くならないし、思考力も同じ
だけど、ちょっと頭がもやっとする感じ。でも今回は町で2日間作業した
けど、そういうレベルの放射能酔いもなかったです。
22日は、ほとんど車とすれ違わなかったけれども、それでも一般車両を
1、2回見かけました。23日は、22日の何倍もたくさんの一般車両を見た。
1時間に一回くらいの割合で見ました。都合、5台は見た。こんなにたくさん
の人がこの地区で居残っているか、外から入ってきて作業しているんだと
思いました。軽トラックなんかもいました。
22日と、23日、一回ずつ、地区内を巡回する自衛隊車両を見ました。
22日は1台。23日は3台連ねて巡回していた。
ベースキャンプがちょっと高台だったので、町が見渡せた。音が遠くから
響くので、車がくるとすぐにわかる。音がしたら隠れて観察した。
隠れる必要があるのか、ないのかわからないけど、とにかく隠れた。
無人の街なので、動くものがあるとすぐにわかる。音も遠くから響く。
不謹慎だけれども、戦争ってこういう環境でやっているんだな・・・と
思った。今回自分の見えない敵は放射線と、余震だったけれども、戦争は、
こんな中でいつ、誰から発見されて撃たれるかわからない恐怖と戦うのだ、
と、静かな中で隠れながらしみじみ思った。
22日の夜の余震がひどかった。ゴオオという音が響いて、それから周囲の
建物がびりびりと音を立て始める。あわてて車庫から車を離した。
震度5強ってラジオが言っていたけど、その前の震度4の方がすごいビリビリ
と揺れた。ガスヒーターとか、ホワイトガソリンのランタンを慌てて
建物の外に出すことが何回かありました。
今回、「地震酔い」という言葉が言われますが、揺れてないのに揺れている
ように感じる、といいますが、ほんとうに地面が揺れています。それを
いちばん感じられるのは、しゃがむことです。地面でもいいし、屋内なら
床でいいので、しゃがんでみるのです。すると、ときどき地面がゆさゆさ、
と震えるように揺れます。決して、「酔い」ではないのです。
橋の上とか、鉄骨の建物の2階とかで、近くを重量級のトラックが走ると
ゆさゆさゆさ、と揺れるのを感じたことがあると思いますが、あれと同じ
感じです。地面がゆさゆさゆさ、と跳ねています。
23日も、朝方、そういう地面の揺れを何回も感じました。
22日はお天気がもったのですが、夜からかなりの雨が降りました。
23日は、雪が降り始めました。ああ、雪か・・・季節外れだなと、
思いました。今回、原発がやばくなると必ず雪が降りました。
雪雲は北西から押し寄せるので、ああまたこの風、と思った。
23日午前中はずっと降ったり止んだりだったけど、午後から晴れました。
天気がよくなかったのと、余震が続いたり、かなり体力的にもたいへん
だったので、予定から半日ほど早く撤収してきました。
帰りは、かなりたくさんの車と封鎖圏内ですれ違いました。
来るときに通った封鎖の場所の、バスも同じところにいましたが、
出るときは誰も出てくる気配もないので、そのまま素通りでした。
おいおい、残留の放射線とか測ってもいいんじゃ~とか思いましたが、
テレビで見かけるのは結局、プレス向けのパフォーマンスだったりする
だけなんだな、と思いました。
帰ってきて、車をコイン洗車でよーく洗い流し、身につけていたカッパや
帽子やマスクの「なんちゃって防護服」を廃棄処分。「核廃棄物」です。
ようやく帰宅して、荷物を仕分けして、廃棄するものは庭先に隔離して、
風呂に入ってようやく一段落しました。
体験したことで視野が広がりました。逃げることだけ考えていたけど、
どこにも逃げる場所なんか、ない。ずっと逃げることを考えていた人間が、
爆心地から3kmまで行って2日間作業をした。これで、怖さが消えました。
これが、正面突破、ということなんだとわかりました。津波に船を立てて
突っ込んで乗り切るのと同じですね。
まだ明けて一日目の朝ですが、こまかいことがどうでもよくなっている
自分が、自分でおかしいです。体験ってほんとうに、大事ですね。
体験こそが財産です。以上、ご報告でした。
【294】[321]お土産と福島と原発と
群馬のゆみこです。3月21日(月)に避難していた京都から群馬へ帰ってきました。
避難していた一週間、わたしは所かまわず(電車の中、大通りを歩きながら、ネットカフェなど)ぼろぼろ泣いてばかりいました。たぶんきちがいだと思われたでしょう。関西はお店から乾電池が無くなるくらいで平和なものですから、わたしのような切迫感はなく、それで孤独感が増していたとき、この掲示板がよりどころでした。ありがとう。(迫感のない関西を責めているわけではありません。原発から700km離れていれば切迫感がなくて当たり前です。)京都から群馬に向かう新幹線の中で、自分がぐんぐん元気になるのを感じました。高崎に着くころには、3月11日の最初の地震すらなかったような、晴れやかな気持ちになっていました。やっぱり群馬はいいです。
翌3月22日(火)から出勤して、課のみんなに謝りながら、「もう炉心の爆発というような危険はなくなりましたので帰ってきました」と言うと、にやにやして許してくれる人、顔をしかめながらも許してくれる人、声を上げて笑いながら(受けてる)許してくれる人とさまざまに、みんな許してくれました。帰りに京都駅で急いで買ったお漬物と阿闍梨餅(あじゃりもち)を職場に宅配便で送ってもらってあり(すごく重たい)、それを課のみんなに配って許してもらいました。
「一人だけ助かろうなんて思っちゃだめだよ!」と言ってくるいつも正しいおばさん(ペットボトルのキャップを集めたりしている)もお漬物と阿闍梨餅のお土産で懐柔(かいじゅう)。わたし今までお土産をばかにしていたけど、すごく効果がある。勉強になりました。
さて、わたしは先生の「福島県産の生鮮食料品を食べましょう」運動に賛成します。やっぱり副島先生はすごい!
落語の「親子茶屋」で、ある若旦那が「もし火事で焼け出されたら」という話をする場面があります。
「そら、焼け出された当座はみな親切にしてくれはります。うちへ来てお泊り、これ持って往(い)んでお使い、と言うてくれるが、これは続かん。そのうちあっちへ行っては嫌がられ、こっちへ行っては嫌われして・・・」
これが世の中です。自活できない大人は厄介者。そんなの当たり前。カフカの『変身』のグレゴール・ザムザです(『日本のタブー』18頁参照)。だから福島の人たちが仕事ができるように、商売ができるようになることが大事です。一時の義捐(ぎえん)金では完全な復興はできません。わたしたちが福島県産の商品の消費者になろう。もう始めてる人もいて、すばらしいですね。
副島先生が、ついこの間は西へ逃げろ、今度は福島に住むとおっしゃるので、その変わりようについて行けないという人もいると思います。でもね、君子は豹変(ひょうへん)するんですって。養老猛(ようろうたけし)が『バカの壁』で書いてたでしょ。
語源由来辞典 「豹変」:『易経(革卦)』の「君子豹変す、小人は面(つら)を革(あらた)む」に由来する。これは、豹の毛は季節によって抜け替わり、斑紋が鮮やかになるように、徳のある君子は過ちを改めて良い方に移り変わるが、小人(徳のない人)は表面的に改めるだけで本質は変わらないといった意味である。
http://gogen-allguide.com/hi/hyouhen.html
この場合、西へ逃げろというのが過ちというわけではなく、あの時点では正しいご判断であり、原発の状況が変わった(落ち着いてきた)ことが先生と石井さんの命がけの調査とそのほかの世界の動きの分析から、今度は「福島へ」という風にお変わりになったのだと思います。
「信念がない」と見る人もいると思いますが、信念とはただの凝り固まった考えのこともあります。先生はもっと広い視点からの信念でお考えなんだと思います。
今後の日本の原発について、わたしなりに考えました。やっぱり原発は減らしていって、終(しま)いには無くすのがいいと思います。原発が無くてもほかの安全な方法で電力は十分まかなえるそうですから。
しかし、56基もある原発をどうやって無くしていくのか、途方にくれてしまいます。そこで、まず、こんなにたくさん原発があるという現実は、自分にも責任がある、と日本中の人が認識することが大事だと思います。
福島の原発で発電された電気は全部東京へ送られているかもしれないけど、原発を推進する佐藤雄平福島県知事を選んだのは福島県民です。そして息子さんや娘さんが東京の学校に行ったり、東京で就職している人もたくさんいるでしょう。
今は疲れきっているけれど、立ち直ったら福島の人もその責任を考えたほうがいいと思います。これは、別に福島の人を責めてるわけじゃないんです。「責任を持つ」というのは「自分を責める」のとは違います。「あいつが悪い!」と言っているうちは、あなたの人生は始まらないんです。ぜんぶ自分に責任がある、と思って初めて人生を動かせるようになる。つまり、結果を変えたければ原因を取り除かなくてはならない。人生は自分の意思とは関係なくふらふらとあてどなく流されていくように思えるのは、いろいろなことを他人(ひと)のせいにしてしまい、本当は自分が原因だと気づいていないからです。
とても偉そうなことを書きました。こんなことを、いま公(おおやけ)に書いてはいけないかな、とも思いました。でも、書かないと忘れちゃうので、書きました。わたしもまだぜんぶ思い通りに人生を動かせているわけではありません。練習中です。でもね、何事も訓練です。だんだん出来るようになる。 以上です。
【293】[320]どうせなら・・・
大七(だいしち)酒造の生酛(きもと)純米酒は、超下戸な私も愛飲してきました。
詳しい方には誤りを指摘されてしまうかもしれませんが、大七は優秀で頑固な杜氏さんが伝統的な仕込みである「生酛造り」に一貫してこだわり、孤高の道を歩んできた蔵と言われています。
その結果、全国新酒鑑評会でも、確か生酛純米酒で金賞を獲得しています(たいていの蔵は、アルコールを添加して香りをつけたりするので、純米酒の受賞自体が少ない)。
また、近年見直されてきた生酛造りを志す蔵人を数多く受け入れ、輩出してきたことでも知られています。
最近では首を傾げるような高価格のものも出てきましたが、それでも「生酛といえば大七」として全国に知られる名醸です。
ちなみに、他にも「山廃(やまはい)仕込」を得意とする「末廣(すえひろ)」、他にも「喜多の華(銘柄は「蔵太鼓」)」等、福島には良い純米酒を作る蔵がたくさんあります。
古き良き物を見直す象徴としても、大七の生酛純米酒はうってつけだと思います。
どうせなら、福島県から副島先生に感謝状が出るくらいに(笑)、福島やその周辺の良いものを評価して買っていくようにしませんか?
東北地方にお住まいの会員の皆さんは、(「それどころではない」という方もおられるでしょうが)ぜひ福島の名産品等をご紹介下さい。
※ただし、私の投稿も含めて「重たい掲示板」が相応しいのかどうかは微妙なところではありますが・・・
【292】[319]BUY福島
今日、「大七 純米生酛(きもと)」を買いました。
福島二本松のとてもおいしい日本酒です。日経新聞の美味しい燗酒ランキング1位になった日本酒の傑作です。
福島産の米があれば買うつもりでしたが、ありませんでした。
出来るところから始めたいと思います。
【291】[318]食品は放射性物質の減衰という性質を利用して加工して消費を
会員の黒瀬祐子(PN)です。3月11日以来、副島先生からの発信を固唾を呑んで読み続けてきました。副島先生の勇気と行動力に深く感動しています。
福島復興支援につながる、具体的な情報を見かけたので投稿します。
◆◇牛乳はチーズに、野菜や果物は缶詰やジュースに◆
放射線防護の日本のパネオニア、吉澤康雄東大教授の片腕だった
佐久大学教授の小西恵美子さんから:
出荷制限したり廃棄したりという政策は賢明とはいえません。
加工食品の材料として買い上げ、
牛乳はチーズ、野菜や果物缶詰やジュースに加工し、
市場出荷時に、製品を抜き取って放射能測定をし
安全確認をして市場にだす、ということをするべきです。
放射性物質からでる放射線の強さは、時間とともに減ってゆきます。
たとえば、放射性ヨウ素の半減期は8日。8日たつと半分に、
1月たつと7%に、2カ月後には、0.5%にという風に激減します。
核種が何であれ、加工食品にして、「製品出荷時の測定をして安全確認」
という「管理・監視の政治」が大事がと思います。
牛乳や野菜を廃棄しても、その物自体は、下水やごみ捨て場など、
環境に存在していることは変わりありません。
放射性物質の減衰という性質を利用して加工し、
消費するのが賢い判断です。食べ物は食べられてこそ、です。
◆◇理不尽な、卑怯な、キャンセルに怒り◆
農家を救おうとした相模野病院長、内野直樹さんから:
22日朝のNHKテレビで「会津中央乳業」という、乳製品を作っている会社が、原乳中の放射性物質濃度は全く問題ないのに、首都圏の販売店からキャンセルが相次ぎ、存亡の危機に瀕していると言う報道を見ました。
私は本当に腹が立って、小さな病院ですが、相模野病院で使う全ての乳製品を、福島県の業者から買おうと決めて、自分で電話しました。
回答は、「福島県から出荷停止命令が出たので、工場を一旦閉鎖した」ということでした。
私は体が震えるほどの怒りを覚えました。
何故このような、くだらない決定がなされなければならないのでしょうか。
恐らくこれは氷山の一角で、報道されない被害者が山のように存在するのだと思いました。
このような極めて理不尽な、卑怯な、人間の屑(私はこれ以上罵る言葉を知りません)注文をキャンセルした企業は公表され、社会から制裁を受けるべきです。
支援策は一瞬では無意味で、継続が鍵だと思っています。
社会保険病院グループによる支援策につづいて、相模野は今、職員から義捐金を集め、何年間かに及ぶ、息の長い支援を行いたいと考えています。
何とかしてあげたいのです。
ゆき注:熱血漢の内野さんについては、以下のサイトを。
http://www.yuki-enishi.com/challenger-d/challenger-d53.html
以上は「福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」ネット」
http://www.yuki-enishi.com/
のメーリングリストから抜粋しました。
【290】[317]葉野菜の放射能について
藤沢市で開業している者です。今朝、当ブログに記した記事を、参考までに転載させていただきます。
2011年03月23日
【葉野菜出荷規制 の 理不尽さ】葉野菜から規制値以上の放射能が検出されたから出荷停止、これは法律で決められているからやむを得ない。
だが、10日間ほどのうちに、根から吸収された放射性物質は微々たるもの:ホウレン草の出荷まで 6ヶ月かかるそうで、仮に水に溶けた放射性物質が効率的に根から吸収されたとして、葉実質に含まれる放射能は、測定された値の 5.6% ほど(10日÷180日x100)。大半は、葉表面に付着した放射性物質である。ならば、野菜を水で洗えば大半を除去できる。
同じ葉野菜でも、キャベツや白菜は、外側の葉をむいて出荷するから、放射能が規制値に達しないだけの話。
【289】[314]ラジオ福島 「福島県放射線健康リスクアドバイザー」長崎大学院教授2名 福島地元公演 3/21録音
ラジオ福島 「福島県放射線健康リスクアドバイザー」長崎大学院教授2名 福島地元公演 3/21録音
3月21日「放射線と私たちの健康との関係」講演会パート1 高村,山下 両教授
3月21日「放射線と私たちの健康との関係」講演会パート2 地元民質疑応答
上記録音リンクお聴き下さい。
「福島は安全、安心である」を放射線の専門家として強調されています。
質疑応答では地元県民の悲痛な訴えがあります。
今は誰にも非難を向けるつもりはありません。
津波が押し流してくれた町の復興が始まります。
安全安心をうたうのであれば、首都機能、国会の機能を福島に持って来て来て下さい。
土地は安いです。被災者へも貢献出来ます。
ご承知の通り福島の東電が発電した電気は地元では使われていません。
安全原発、東京湾大阪湾じゃダメなんですか?_田舎者は犠牲になっても良いと云う思想です。
東京電力は本社を福島第一原発に隣接。近くて便利です。
そして一緒に復興を死ぬ気で協力していって下さい。
そのくらいの事はたやすい。
それでも足りない謝罪です。
泉 浩樹 Ⓒ
slg123@mac.com
【288】[313]福島の復興を願う
始めて投稿させていただきます。本名を伏せさせていただきますこと、お許しください。
(東京新宿在住、5歳の男児の母)
ここ数日の重掲を読ませていただきますと、会員の皆様の心の動揺が伝わってきました。日々、状況が大きく変わる中で、副島先生のお言葉を頼りに生きている会員の方がどんなに多いことか、実感いたしました。もちろん、わたくしもそのひとりです。副島先生を慕う会員の方々にとって、先生の存在、思想ごと、お守りです。先生が無事に、福島視察から戻られて本当に良かったと思います。
[309]の副島先生の投稿文の中で、[地元の人が言った。 「東京のテレビのアナウンサーが、『今日は、南風(北のように吹く)です。安心してください』と言ったのよ。福島県民のことなんか、東京の人たちは何も考えてくれないんだ。東京の為に、電力を作って、そして、私たちはこんなひどい目にあっているのに」 と。 ]
これを読んで、本当にドキッとしました。
福島の原発は、東京のために作られたものなのです。こんなことさえ考えたこともなかった自分が恥ずかしいです。東京のために福島県に作られた原発なのに、東京の人たちだけ上手く放射能から逃れて、そればかり必死になって考えて、福島県民だけ見殺しにしていいのか・・。いいわけがないです。私は言葉も有りません。
先程、会社でFMラジオを聞いていましたら、福島のある農家の人がインタビューに答えていました。「福島の野菜のほとんどが東京へ出荷されます。東京のための野菜でした。東京の人たちが今後福島の野菜を食べられないとなると、東京人の多くが野菜不足になるのが心配です。申し訳ないです。」というコメントです。なんと、この場に及んで東京人の野菜不足を心配してくれている?驚きました。わたくしたちはここ数日、福島を完全に見捨てていました。何て酷いことを考えていたのでしょうか。
皆さん、今日から「我良し」の考え方は捨てましょう。これまで長い間、福島は、東京のために、東京人ために、電気を作って送り、野菜や肉や魚を作って届けてくれていたのです。深く深く感謝します。決して忘れてはいけません。
心から福島の復興を願います。