重たい掲示板
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Loginはこちら【343】[376]後の放射能汚染について 3
被ばく 放射能について 医学博士 崎山比早子さん
http://www.ustream.tv/recorded/13453891
【342】[375]会津若松市民から
会員番号6171番の会津若松市民磯貝太(いそがいはじめ)です。
会津若松市では福島原発事故(政府や東電は原発事象という)で、体育館、県立高校など行政施設、民間のホテル旅館を合わせて約3万人、会津全体では5万人を超える避難民がこられています。
本日4月4日には、会津若松市に原発難民の福島県大熊町の町民約1万人以上の方が会津若松市に避難されてきました。
ところで、4月3日の福島第一原子力発電所から20~30km圏内の放射能モニタリング測定値(4月3日測定結果)による、文部科学省原子力災害対策支援本部の発表資料では、
http://www.pref.fukushima.jp/j/20-30km-monnka0404.pdf
となっています。
福島第一原発周辺の測定値は浪江町を除けば、栃木、茨城県よりも低い値です。
原発の周辺住民を、放射能漏れという風評とう名目で避難させ、今、生きている福島原発5、6号機を生き返らせたりするという恐ろしいことになれば、福島県民は、東京電力のために今まで当たり前にあった生活や人生を捨てろということになります。
また、原発周辺住民の避難場所の分断は、副島先生がご指摘されるとおり国、福島県の事実誤認の責任隠蔽を助長することにもなります。このあたりの認識に間違いがあればご指摘下さい。
私も一介のサラリーマンなので平日仕事がありますが、週末にはできる限り、福島原発近くまで頑張って取材に行ってきます。
時間とお金に余裕がある方は是非とも現場に行き、皆さんで情報を提供することで、今、福島県の会津、新潟県、埼玉県に訳もわからず避難され、車もなく、情報も遮断されている方々へ情報提供をすることが大切な事だと思います。よろしくお願いいたします。
私は会津若松にいますので、福島県会津に避難された方のお話、情報をお聞きしたい方がいらっしゃれば可能な限り時間が空けますのでご案内します。
福島県自体風評被害で大変なことになっていますので、ご遠慮なくお申し出下さい。
副島先生もお話されていますが、まず、現場に来て下さい。見て下さい。
国からのデータも発表されています。
福島県のほとんどが、お陰様で発表データでは安全です。
一度来て、体験され、そこから、おっしゃりたいことを思う存分お話して下さい。
よろしくお願い申し上げます。
それから、放射能被害の専門家のご意見も頂ければ幸いです。
脱サラして福島県で農業を志した友人は自殺してしまいました。
これ以上福島県がおかしくならないよう、皆様のお力添えよろしくお願い申し上げます。
【341】[374]「どうして原発周辺が安全」???
[372]「どうして原発周辺が安全」??? 投稿者:山頭火
私は大学も出ていません、原子力についてほとんど知りません。
だから、ただ安全といわれてもその言葉を信用できないのです。
先生は、どうして今の現状でも安全、
住めといえるのですか?
【340】[373]いわき市中心部(原発から約42km地点より)
東京在住28歳。本日お店を休業にし、福島県 いわき市小名浜花畑町10-1「小名浜グリーンホテル」より投稿しております。原発より約42kmの地点です。
『原 正寛さまへ
副島隆彦から
今は、忙しいですから、お相手できません。アイデアなどは、どうでもいいですから、貴兄が、自分で現地にゆくべきです。 それ以外は、無意味です。副島隆彦拝3/25』
『原 正寛さまへ
副島隆彦から
私は、弟子たちと 福島から戻って来ました。 原発の正面入口まで行って、線量を計ってきました。四ッ倉は、使い物になりませんでした。 私は、以後は、郡山から、原発の現地を往復します。
原様は、勝手に、動いて、自分の出来るだけのことをしてください。 双葉町か、大熊町に住まなければ、どうにもなりません。副島隆彦拝3/31』
お忙しいなかこのようなメールをいただきました。やっと現場にこれました。
私にできること。私は残念ながらガイガーカウンターを用意できなかったので「数値」を公表することはできません。
しかし「ビデオカメラ」と「デジカメ」をもってきたので、「現実」を発信することはできるかと思います。20km内が制限される前に、「現実」をとってきたいです。
また「避難所に行かず、自宅で普通に暮らし、物資が不足してきている方。外にでたいが手段がなくとどまっている方。などに物資を渡せれたらと思います。
「現場に来てから物を言え」といわれれば、確かにそうだと思います。それ以外は「無意味」であり、それを実行して情報を伝えてくださっているのは副島先生のみです。ありがとうございます。
不服な人は、まずご自分で現地までこられるといいと思います。
いわき中央ICを降りてからこのホテルまでの道のりは「東京と変わらない風景」でした。(むしろ節電している雰囲気がなく、こちらのほうが明るいのではと思います。)
まだ被害の大きかった地域に行けていないので、明日はぜひそちらにむかいたいと思います。
【339】[372]「どうして原発周辺が安全」???
ここは、2ちゃんねる等の「スレッド」ではない。
↓こんなこと↓をいちいち書く場ではない。
[371]どうして原発周辺が安全 投稿者:すがわら 投稿日:2011-04-04 19:31:40
副島先生はどうして原発が安全といえるのか、科学的な根拠を
出して言うべきと思います。もしかして電力業界と黒い付き合いしているからですか!
それでも↑こういうこと↑を書くのであれば、せめて
「自分はこんなこと、あんなことを学んできて、その結果これを科学的な根拠として、こう考える。あなたはどうなのか」
という内容にすべきではないか。
そもそも、「原発が安全」というくだりはどこから来ているのか? そんなに最適化された論調を副島先生が書いているだろうか?
しかも、たった2行にもかかわらず支離滅裂な投稿をわざわざしてくるのは、一体何のつもりか?
【338】[371]どうして原発周辺が安全
副島先生はどうして原発が安全といえるのか、科学的な根拠を
出して言うべきと思います。もしかして電力業界と黒い付き合いしているからですか!
【337】[370]福島に首都機能移転を
元祖一般市民です。緊急投稿の上に失礼してぼやかしていただきます。
首都機能移転論は古くは1959~1995年からあった。その後紆余曲折があったものの,1999年12月に「国会等移転審議会」が候補地として3地域を選定し,現実味を帯びた。その1つが北東地域の「栃木・福島地域」であった。
賛否両論があったが,小泉純一郎首相在任中に首都機能移転凍結が決まり,その後,実質上道州制へと政策転換され,ついに今年(2011年),国土計画局の担当部署「首都機能移転企画課」は廃止となったようだ。
しかし,今回の東日本大震災を教訓に,首都で大規模な地震が起これば,いかに甚大な被害を被るかは,首都圏に住む者の間でも実感をもって想像ができたはずである。反対論の主な理由は推計12兆円にも及ぶ移転費用であったが,広大な範囲を更地にして復興せねばならない被災地に移転させれば,復興と同時であるから移転費用の見積りはその限りではないはずだ。
復興のグランドデザインは,首都機能の移転による,現在の首都の過密化の緩和とリスク分散,そして雇用を促進しながらの被災地の復興の両輪である。日本の行政官僚は世界一優秀であり,彼らが福島(もしくは一部宮城)にまとまって移転すればすばらしい復興ができると信じている。この際,福島県を日本版Washington D. C.では言い過ぎだが,特別地域として世界に誇れる復興を成し遂げてもらいたいものである。
【336】[369]緊急です。福島第一原発の20キロ圏の住民までも立ち入り禁止(罰則付き)にする急な動きがある。阻止しなければならない(報告文 11)。副島隆彦
副島隆彦です。 今は、2011年4月4日 午前9時半です。
緊急で書きます。 福島第一原発から、20キロ圏内に、住民たち でさえ立ち入れなくする 法律を、政府(枝野官房長官)が、急に作ると言い出し
ている。
原発推進をしてきた、今の福島県知事の佐藤雄平(ふくしまゆうへい) が、急に、国に要請して、 20キロ圏以内の、浪江町(なみえまち)、双葉町(ふたばまち)、大熊町(おおくままち)、富岡町(とみおかまち)、楢葉町(ならはまち)の 住民たちを、永遠に、自分の家に、帰ることが出来なくする気だ。この動きを、皆で阻止しなければいけない。
私、副島隆彦は、どういう目に遭ってもいい。扇動罪ででも逮捕してくれ。 上記の町の住民の皆さん。急いで、この法律が出来る前に、車の運転のできる人に頼んで、自分の家に、数時間でいいから、今すぐ、帰って来なさい。 福島の 原発からの避難者たちの考えと、現状が、たくさん寄せられて、私にも真実がどんどん分かってきました。
避難者たちは、自分の家と、残してきた動物たち(今、餓死しつつある)のことが気がかりで気がかりで、ならない。だから、私、副島隆彦の現地調査の文章 をあちこちの避難所で皆が回し読みして、少し安心して、ほっとしてくれた。このことが、私にとっても一番うれしいことだ。
津波で家と家族を失った、一番、悲惨で不幸な皆さまには、私は、今は、敢えて言いません。 それ以外の、原発避難者に皆さん。以下の 福島民報 の記事を読んでください。自分のことなのだから、真剣に、読んで皆で考えてください。そして、一刻も早く、動き出して、自分の家を見に帰ってください。
検察の検問なんか恐(こわ)くないです。今なら、「住民です。家に帰って、荷物を取って来たい」と言えば、通してくれます。必ずすぐに、通します。 今すぐならまだ間に合いますから、すぐに動いてください。
地元の警察官も、消防も、東電 の巡回の職員たちも、皆、優しい。どこの国でも、どんな時でも、下っ端の、現場で働く、人間たちは、優しいのだ。皆、同じ被災者なのだ。 それに対して、官僚組織を上に登ってゆくほど、残酷な人間になってゆく。
第一原発の中で必死で、働いている東電の現場の人間や、作業員や、協力会社の社員たちは、皆、いい人たちだ。彼らは、既に死も恐れない。それに対して、人間は、「組織の上の方の人」ほど悪くなって、自己保身になる。
「原発から20キロ圏内は 立ち入り禁止の 法律で『警戒区域』に指定」になったらもう入れなくなります。以下の記事だと、数日以内で、この法律を通す、と枝野官房長官が言っている。
そんなことになったら、本当に、原発避難民は、悲惨だ。私は、たくさんの住民たちと直接、話をしている。彼らの願いと、声を代弁しているのです。皆、自分の家のことが心配で心配でならないのです。 それから、置き去りにしてきた動物たちが可哀想だ。
放射能のことは、問題ない。そのように、私、副島隆彦が、何の権限も資格もないのに、書きました。私が、3月21日と、4月1日に、この学問道場のサイトの、「今日のぼやき 1207番」に載せた文章の通りです。
以下の新聞記事の、 「避難指示地区に入ると、被曝の危険がある」というのは、ウソだ。 もうそういう危険は無いのです。高濃度の放射能が大気中に漏れ出る、という問題は、解決したのです。私が、国に代わって安全宣言を出した。 ですから、上記の5つの町の住民は、急いで、自分の家を見に行ってください。
枝野官房長官に告ぐ。 その「20キロ圏への立ち入りの『警戒区域』指定。罰則有り(すなわち、入ろうとすると誰でも逮捕される)」の緊急の法律を作るのをやめてください。 現状のまま、住民が、自分の家に帰るのを許してほしい。
以下の新聞記事にある通り、「枝野幸男官房長官は27日、20キロ圏内への一時帰宅を検討する方針を示し、県内外の避難者から歓迎の声が上がった。」 のままにしておいて欲しい。それが、住民たちの強い強い願いだ。
それから、日本の大新聞、テレビ局、週刊誌、雑誌の記者、カメラマンたちに告ぐ。どうして、皆さんは、地震、津波、原発事故の発生から3週間も経(た)つのに、まだ30キロ圏内の、現場に入らないのか。入って、住民たちにインタヴューしないのか。彼らの本当の声を聞かないのか。 それが報道、ジャーナリズムの仕事だろう。
それとも、広告、宣伝 からの収入が大きいから、東電や電通(でんつう)から睨まれたくないから、それで、記者やカメラマンを現地に入れないのか。なんという卑劣な連中だ。
以上、緊急で書きました。以下の新聞記事を読んで、政府の危ない動きを、国民は、しっかりと見つめましょう。避難民 を、各所に 散り散りバラバラにして、彼らに声を挙げさせず、責任追及の動きを鈍(にぶ)らせ、この巨大な凶事の人災の 証拠隠滅(しょうこいんめつ)を図ろうとしているのはないか。
福島県の人たちは、会津若松市も、福島市も、郡山市の人たちも、今度の原発巨大事故に至る大きな真実を、皆、知っている。ボソボソと話している。そして、20キロ圏の住民たちは、今も原発の中で働いている職員たちが、友人であり、仲間たちだ。東電の幹部たちが、地元でどのように傲慢(ごうまん)に振る舞っていたかも全部、何でも知っている。
日本政府は、原発避難民を、これ以上、苛(いじ)めることをするな!
断じてするな!
(新聞記事の 転載貼り付け始め)
「原発20キロ圏、 立ち入り禁止 県が国に「警戒区域」設定要請 」
2011/03/31 09:14 福島民報 (副島隆彦注記。福島県 を代表する地方紙)
東京電力の福島第一原発事故で、福島県は30日、避難指示の半径20キロ圏内を原子力災害対策特別措置法に基づく立ち入り禁止の「警戒区域」として設定するよう国に求めた。
要請を受けて枝野幸男官房長官は同日午後の記者会見で、「警戒区域」設定を検討する考えを示した。住民に一時帰宅の動きがあり被ばくする恐れがあるための対応。指定されれば罰則規定が生じる。県の要請を受け、国の原子力災害現地対策本部は、20キロ圏内での綿密な放射能濃度測定調査を開始した。結果を基に、政府は数日中に是非を判断する見通しだ。
記者会見で枝野氏は「県の申し出を含めた措置を検討している」と説明。判断材料とするため、20キロ圏内で放射性物質の監視を強化したことを明らかにした。
県によると、20キロ圏内に立ち入った場合、本人に被ばくの危険が生じる上、避難先に持ち込んだ家財から放射性物質が拡散する懸念があるという。
現在の避難指示のままでは立ち入りを規制する強制力がない。このため、道路封鎖などが可能となり、罰金、拘留の罰則規定がある警戒区域の設定が必要と判断した。
国の放射能濃度調査は、福島第一原発から20キロ圏内の約30カ所で実施している。31日までにデータを集計し、被ばくの危険性が高い地点があれば、警戒区域設定に向けた動きを急ぐ。
一方、安全性が確認されれば、国が住民の一時帰宅を認める可能性もある。その場合、住宅から持ち出す家財や車などは、放射性物質の付着の有無を確認するスクリーニングを行う必要がある。混乱を防ぐ態勢づくりも求められる。会津若松市に全町移転する大熊町のように、一時帰宅を県に強く要望する動きも出ている。
警戒区域設定を要請した佐藤雄平知事は30日の県災害対策本部会議で、「住民は着のみ着のままで避難している。政府が正確に情報を出さなければ大変なことになる」と訴えた。
◇ ◇
枝野幸男官房長官は27日、20キロ圏内への一時帰宅を検討する方針を示し、県内外の避難者から歓迎の声が上がった。しかし、翌日には本人自ら撤回し、場当たり的な政府の対応に批判が高まっていた。
県は30日、福島第一原発から半径20キロ圏内の避難指示地域への立ち入り禁止について、県内全避難所に文書で周知した。法的根拠に基づく対応でなく県民への要請。
文書では、立ち入ると本人の汚染に加え、子どもたちを含めた避難所全体に汚染が拡大するリスクがあると指摘している。県は31日以降、避難者に文書を配布する。
■※警戒区域 災害対策基本法では、災害で人の生命や身体に対する危険を防止するため特に必要があると認められる場合、市町村長が「警戒区域」を設定し、災害応急対策に従事している防災関係者らを除き設定区域への立ち入りを禁止したり、退去を命じたりできると定めている(63条)。
同法に定めた「避難勧告・指示」には強制力がないが、警戒区域に関しては従わない場合に罰則規定がある。長崎県・雲仙・普賢岳の噴火で1991年、同県島原市などに警戒区域が設定されたことがある。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【334】[367]支配者がもっとも嫌がることは何でしょう
群馬のゆみこです。
副島先生、石井さん、ほかのお弟子さん方、福島原発の現地調査と報告をどうもありがとうございます。本当になんと勇敢な方たちだろうと思います。日本にこんな素晴らしい男の人たちがいて、本当に嬉しいです。
写真もたくさんで、嬉しいです。わたしは特に動物が好きなわけではないのですが、豚が自由に走り回っていた話とか、牛が野良牛になってる写真にすごく惹(ひ)かれます。
わたしはこの一連の報告を印刷してファイルに綴(と)じ、わたしの住む地域に福島県から避難してきている人たちに差し上げました。浪江町から避難してきている奥さんが、「そういえば、どなたかが原発の近くまで調査に入ったと雑誌で読んだ」と言っていました。わたしは、おそらくその人が副島先生だ、と言いました(実際雑誌に載ったそうです。なんていう雑誌ですかね。知っている方教えてください)。皆さん、興味を持ってページをめくっていて、写真が出てくると、その奥さんの無口な東北の旦那さんが乗り出して見ていました。
ファイルをあげる前は、受け取ってくれないということもあるかな(他人は思いもよらない反応をすることがあるでしょ)、と不安でしたが、杞憂(きゆう)でした。行動してよかったと思います。これからも情報が更新されるたびに印刷して持って行きます。
わたしは3月14日から3月21日まで京都に避難していましたが、そのときしみじみ感じたのは「やることがない」ということです。そりゃ、避難先(親戚)の家の掃除をしたりしましたが、ままごとみたいなものです。やる仕事がない、役割がないということがとても苦痛です。自分が何のために生きているのか、分かりませんでした。だから、避難所暮らしというのは、自分が必要とされていなくて虚(むな)しくなるものだろうと想像します。副島先生のおっしゃるように、一時でも自宅に帰って様子を見るというのは、生きている感覚を取り戻せる行為だと思います。そして、避難所でも避難者がみな何らかの役割を持って、人の役に立っている感覚が得られると心身に良いと思います。
京都に避難したことで、わたしが得た大きなものがあります。それは自分が自由になった感覚を得たことです。わたしは両親と三人で暮らしていますが、避難するときその両親を群馬に置いて、一人で避難しました。父は「もう、お父さんええわ。死ぬんやったらここ(自宅)で死ぬわ。」と言って、母はいつものことですが優柔不断で決心がつかなくて、群馬に残りました。
19日に副島先生と石井さんが決死の調査をしてくださり、「もう大丈夫だ」と教えてくださったので、群馬に帰ってきました。その後、普通の生活をしているのですが、そのなかで、自分が自由だという感覚が出てきました。それは「両親を捨てることができた」ということに拠(よ)って出てきた感覚だと思います。ふとしたときに、体の底からふつふつと「自由」を感じます。わたしは自分ひとりで「避難する」と決断し、両親がそれぞれに自分の決断をすることを邪魔しなかった。「一緒に行こう」と言わなかった。両親に「どうする?」と聞いただけでした。つまり、わたしが両親に決断の自由をあげたら、自分も自由を得たのです。わたしが「一緒に行こう」と強く言ったからといって、両親がそれに従うということではありません。それぞれに決めると思います。これは、わたしの中の変化です。わたしがもし両親に「一緒に逃げよう」と強く言っていて、結果的に一緒に行かなかったとしたら、わたしは今これほどの自由を感じていないと思います。この話、説明が難しい。分かる人は汲(く)み取って分かってください。
それで、タイトルの「支配者がもっとも嫌がることは何でしょう」という問いですが、答えは「人々が自分で考え、自分で決断し、行動してしまうこと」です。たぶん、絶対に、これです。こういうことはニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』に書いてあったと思います。
支配者は、わたしたちが自分で考えず、おとなしく言うことをきいている状態がいいのです。親と同じだ。親は子どもが言うことをきいていれば嬉しいでしょう。子どもが自分で考えて行動しだすと、親は不機嫌になる。
わたしは両親、とくに母親という支配者を捨てることができました。もう、あとは怖いものはないな。母親って、無自覚に娘の人生を乗っ取りにくるからね。恐ろしい。でも、もうわたしは自由だ!おめでとう、ゆみこちゃん! おわり