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Loginはこちら【500】[552]福島復興活動本部からの報告(6月2日)
5 月 23 日から福島復興活動本部に現地入りしている下仲もとゆきです。
福島に入って二週間になろうとしています。テレビや新聞では、「1Svのがれきが見つかった」とか、年間に浴びる放射線量の基準を20mSvにするのか1mSvにするのかでもめていたりと、脅かすようなことを日々報道しているようですが、福島の人たちは淡々と目の前の現実を生きています。
活動本部を拠点にして、様々な人の話をじっくりと聞きに行くことができました。それはひとくくりにして論じられるようなものではなく、実にいろんな人がいることがわかりました。
話をうかがう中で、ほとんど全員にたずねられたことがありました。それは、「いつ今回の事態は収束するのですか」ということです。緩く言っても仕方がないないので、私は「30年です」と答えています。すると、「えーっ」と驚き、「もう死んでるよー」というリアクションが返ってきます。
福島活動本部の周辺は、過疎化が進み、年配の方ばかりの地域です。小学校の全校生徒数は120人しかいません。その学校は閉鎖になり、子どもたちは全員別の学校に移っています。子どもを県外に転校させたが、不登校になりかかったので福島に戻ってきたという人もいましたが、新しい地域に適合できた人はそこでの人間関係ができ仕事を見つけるでしょうから、元のところには帰ってこないと思います。
これから20km圏内にできるであろう核廃棄物処理場で雇用がどれだけ生まれるかわかりませんが、福島第一原発ほどの雇用は生まれないでしょう。ということは、元には戻らないのです。
福島の人が話しているのは、「国民年金の免除申請をしたら、月1万円減、年間12万円減だと言われた」などという生活実感での話です。先の見通しの立たない不安の中で生きています。
当然全員と話したわけではありませんが、福島の人たちの多くは来年の春、長くても二年後にはまた以前と同じ生活に戻るだろうという希望で生きています。農作物の出荷制限が解除され、農作業が再開できると思っています。しかし、その希望は裏切られます。今はじっと耐えている福島の人の怒りが噴出するとしたら、そのときです。
以下に、私がSNSIのメーリングリストに書いた文章の一部を転載します。
(転載開始)
Subject: 5 月 30日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして8日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
本部でNさんと朝食を食べました。
しばらくすると、副島隆彦先生、他二名が到着しました。
本部の一階で、今週末の打ち合わせをしました。
それが終わると、二階の部屋に洗濯物をほせるひもをかけました。
副島先生らは車で本部を出発し、東京方面へ戻りました。
焼き鳥屋「天国」のYさんが車で来られました。
チラシをさらにもっていってもらいました。
夜になると、ガスコンロで食事を作って食べました。
食べているとき、突然電気が落ちました。
店舗証明だけでなく、二階も外灯も・・です。
外を見ると、古道地区の街灯はついています。
私一人になり電気はむしろ使っていないのにおかしいなと思い、台風の影響でブレーカーが落ちたのかなと思って、暗がりのなか配電盤を調べました。
するとブレーカーは上がったままです。
スイッチをあれこれ切り替えても、電気はつきません。
あれこれ調べていると、明日のことでKさんから電話がありました。
どうしたら直るかを聞きましたが、わからないとのことでした。
そこで、F電気工事店さんに電話をしました。
すると、建物の外側にあるブレーカーが落ちているかもしれない、そのブレーカーが入っている箱の鍵は大家さんが持っていると教えてくれました。
大家さんの電話にかけましたが、つながりません。
前にKさんが来たときは電話がつながらなかったのに家にいたことがあったので、雨の降るなか大家さんの家に歩いて行きました。
家に着くと、明かりは消えており、車もなく、玄関のベルを鳴らしても反応はありません。
犬が吠えるなか、歩いて夜道を戻りました。往復30分弱です。
再び、F電気工事店さんに電話をしました。
どうしたらいいかと聞いたら、今から来てくれると言ってくれました。
車が外に出ていたので、しばらくしてから本部に来てくれました。
暗闇のなか、懐中電灯をつけ、配電盤を見てもらいました。
外のブレーカーが入っている箱を鍵で開けようとしましたが、合う鍵がありません。
鍵穴がねじれているからだそうです。
それでもなんとか開けると、ブレーカーが落ちていました。
ところが、ブレーカーを上げても電気はつきません。
そこで、配電盤を再び見てもらいました。
スイッチをいろいろと切り替えた結果、店舗証明の配線が漏電している可能性があることがわかりました。
そこを落として他のスイッチを上げると、電気がつきました。
冷凍庫、冷蔵庫も復旧しました。止まったのは2時間弱なので、食料は痛んでいませんでした。
今のままだと、一階の店舗部分の蛍光灯がつきません。
今週末にイベントがあることをF電気工事店さんの方が覚えてくれており、それまでに直さないといけないね、と言ってくれました。
そこで明日もう一度来ていただいて、外回りをもてもらうようお願いしました。
台風で雨がたくさん降り、水が入ってしまったのだろうとのことです。
F電気工事店さんが帰ると、中田さんから電話がありました。
そしてレトルトのキーマカレーを食べました。
今日のところは以上です。
夜に電気が落ちたことで、懐中電灯などが何もないことがわかりました。
この日はF電気工事店さんがすぐに来てくれたので、事なきを得ました。
この建物は5年ほど前まではスーパーとして使われていました。
その後、スーパーでなくなったので、大家さんが50アンペアに落としたそうです。
F電気工事店さんは人がたくさん来て、電気をたくさん使うと落ちるかもしれないと言っていました。
ただこの日は電気の使いすぎが原因ではなく、水が入ったことが原因だろうということです。
副島隆彦先生が帰ってから、風が強くなり、電気が落ちました。地震も来るようになりました。
台風や地震の方が遠慮をするのかもしれません。
2011年5月31日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 5 月 31 日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして9日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
午前中に大家さんの奥様、Yさん、F電気工事店さん、Kさんが本部に来ました。
大家さんの奥様が軽トラックで、湯飲み茶碗やコーヒーカップを20ほどもって来てくれました。
焼き鳥屋「天国」のYさんご夫妻が車で来られました。
10以上のカップなどに加えて、お茶の葉などをもって来てくれました。
チラシをさらにもっていってもらいました。
昨晩に続いて、F電気工事店さんがご家族で来てくれました。
切れてしまった店舗証明の配線を調べてもらいました。
蛍光灯の心臓部である安定機というものが寿命をむかえたことが原因だとわかりました。
前に切れたときも、別の安定機の故障が原因だったそうです。
20年ぐらい前の設備なので、全体的に老朽化が進んでいるようです。
故障した安定機を回路から切り離すことで、店舗証明がつきました。
今後もだましだまし使っていくしかないでしょう。
Kさんが一階の畳の部屋用のゴザと机と座布団を買って来てくれました。
ちょうどいいサイズでした。
Kさんは野外のテントなどを支えるための土を10袋ぐらい、土のうにつめていました。
プラスチックのごみ袋が大量にあったので、Kさんの車で検問所の手前にあるごみ捨て場まで捨てに行きました。
10袋ぐらいありました。
回収日は明日の朝です。
他の人のごみ袋もあったので、持っていってくれるでしょう。
二階の石油ストーブが点火しなくなりました。
新品なのに、なぜか単二の乾電池二本が切れたようです。
寒いので、石油ストーブは必要です。
そこでごみ捨ての帰りに、ライターを買いに、いがらし商店に行きました。
いがらし商店の前では、たまたま自転車を引いて通りかかった年配の女性と話しました。
避難所から一時帰宅するところだそうです。
20人ぐらい入れるお風呂があったり、3Dのテレビがあって快適な面もある一方、部落ごとに教室に入っているが、悪い人もいて、イジメもあると言っていました。
本部に戻り、石油ストーブがつくことを確認し、Kさんと別れました。
夜は近くの旅館に行き、お風呂に入らせていただき、ご主人と9時すぎまで話をしました。
本部に戻ると、Oさんがバイクで東京から戻ってきていました。
懐中電灯を2つ買ってきてもらいました。
今日のところは以上です。
昨晩落ちた電気は、F電気工事店さんに来てもらい、本日直りました。
なんとか今週末まで持ってくれるでしょう。
2011年5月31日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 6 月 1日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして10日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
お昼すぎにキャリアカーで車が本部に届きました。
仙台から来たとのことでした。
早速、車に乗りました。
ガソリンが半分以下だったので、まずはガソリンを入れに行きました。
ちょうど5000円で満タンになりました。
船引のトヨタカローラに行き、ETCの登録をしました。
スーパーで食料と文具等を買い、帰り道にある温泉によりました。
窓口に学問道場のチラシが置いてありました。
Kさんがインターネットで注文したパイプ椅子と机が本部に届いていました。
夜はチャーハンを作りました。
今日のところは以上です。
昨年日本でもNHK「ハーバード白熱教室」でブレイクしたハーバード大学教授のマイケル・サンデルが、震災について語った新刊を読みました。
サンデルは日本人が混乱の中、秩序と礼節を持ち行動したことをたたえるニューヨークタイムズの記事を元に生徒たちと議論をしていましたが、私は違和感を覚えました。
これは物事の一面だからです。
昨晩、近くの旅館でご主人に避難所での人々の行動を聞きました。
「これは福島以外の人には言ったことないのですが」と、決まりを守らず物資を泥棒していく人がいて、そのことが本当に嫌だったと話してくれました。
誰だって、自分たちのところのみっともない姿は他人には語りたくないものです。恥だからです。
だから報道されるのは美談か、表面的に見えることになりがちです。
汚点はその地域の人たちだけがひそひそと話しているものです。
この話も私がここに住んでいるからこそ、話してくれたことだと思いました。
心理学では、「日本人だから」「アメリカ人だから」ということは言いません。
どんな人種であれ、日常が破壊されれば、不満がつのります。
その不満を解消するために、感情的になってケンカをしたり、暴動を起こしたり、人の物を奪ったりします。
福島の人たちも、他の国での避難民と同じ行動に出ている人がいると聞いて、サンデルらが取り上げる「秩序と礼節を持ち行動した日本人」という心理学的にはおかしい報道の嘘がわかり、腑に落ちました。
(人種の差を強調するのは、エリートとスピリチュアル系の差別主義者、血統(家柄)主義者たち。)
物資が足りなければ、人間は暴力的になります。
軍隊から帰ってきた人を差し引いても、戦後すぐの日本人は暴力的な人が多かったと聞きます。
犯罪者数の統計を見れば、それは明らかです。
今回の震災後、日本人がサンデルらの言うとおり「秩序と礼節を持ち行動」できたとしたら、それは日本人が優れた人種・民族だからではなく、救援物資が足りていたり、避難先の生活環境がそれほど悪くなかったからなのです。
2011年6月1日
(転載終了)
下仲もとゆき拝
【499】[551]フフホト通信番外編
中国は内蒙古の石井です。
このところ震災と原発に関する投稿が続いております。被害の状況を鑑みると当然のことですが、東電を巡る(或いは原発利権を巡る)政・官・財の癒着問題ことも紛糾しております。
少し論点がズレるかもしれませんが、先日日本の私の故郷の町の建設業に激震が走りました。以下、新聞を貼り付けます。
(貼り付け開始)
榊原建設談合事件で逮捕された同社営業部長が元暴力団員だったことが判明
倉敷市発注の下水管埋設工事をめぐる談合容疑事件で、同市堀南の建設会社「榊原建設」社長榊原修容疑者(47)=同市福井=とともに逮捕された元同社営業部長の千田広行容疑者(56)=同市広江=が、同市を拠点とする暴力団の元組員だったことが26日、関係者への取材で分かった。
建設業関係者らによると、千田容疑者は暴力団の威力を背景に、談合に応じない入札参加業者を脅したり、同社関連業者を下請け参入させるなど、榊原容疑者の指示で談合を取り仕切っていた可能性が浮上。
得た利益の多くは暴力団の資金源となっていたとみられ、岡山県警が慎重に裏付けを進めている。
県警は同日午前、同社事務所や両容疑者の自宅など数カ所を家宅捜索。
押収資料を分析し談合の実態解明を急ぐ。
山陽新聞(岡山県の地元新聞)
倉敷市の公共事業をめぐり談合したとして、県警組織犯罪対策2課などは25日、倉敷市の建設会社「榊原建設」代表取締役、榊原修容疑者(47)=同市福井=と同社元営業部長、千田広行容疑者(56)=同市広江5=を談合の疑いで逮捕した。
2人は、容疑を否認しているという。
逮捕容疑は、昨年8月23日に開札された倉敷市福田町古新田の下水道埋設工事で、入札に参加した25社の代表者らと談合したとされる。
参加業者は、落札する業者をあらかじめ決め、落札を狙う業者が一番安い値段で入札するよう打ち合わせており、2人が主導したとされる。
倉敷市の公共事業では、落札価格が予定価格の95%を超えると公正な競争だったかを確かめるため、市の調査が入る。
この工事の落札価格は3570万円で、予定価格3765万6150円の94・8%だった。
25社が集中する地区では、昨年1月~10月の間に27件の下水道管埋設工事があり、うち25件で落札率が94%台だった。
県警は昨年11月、榊原建設を含む31社を談合の疑いで捜索。
談合に暴力団が関与している疑いが浮上しており、県警は、談合で得た利益の一部が暴力団に流れたとみて調べている。
◇「入札制度を検証」倉敷市、事件受け
建設業者が逮捕されたことを受け、倉敷市は26日、総務局長名で「大変遺憾」とするコメントを発表した。
業者は、市の要領で指名停止の対象となり、近く市建設工事入札指名等委員会(委員長・三宅英邦副市長)を開いて停止期間を決定する。
同市は「入札制度を否定するもので、許されない」とし、「再発防止を徹底するため、入札制度の検証を行う」としている。
同市は、昨年10月に県警が談合の疑いで市内の数十業者を強制捜査したことを受け、同12月に土木工事の一般競争入札の参加資格を変更し、競争率を1・5倍程度高めた。
市によると、今回、問題となった地区では下水管埋設工事の予定価格に対する落札率は大半が94%台だったが、変更後は80%台前半に低下し、「効果があった」としている。
毎日新聞
(貼り付け終わり)
実は倉敷市福田町古新田というのは私の実家のある地域の名称であり、この記事は正にその地域に埋設される下水道管布設工事(公共工事)を巡る談合問題だったのです。
笑ってしまうのが、昨年27件の入札物件の内、25件の工事の落札率が94%台だったということです。
入札工事に馴染みのない方には判り難いかもしれませんので、簡単にご説明します。
例えば、予定落札価格(メーカー希望小売価格のようなもの)が1000万円の建設工事があったとします。その工事の入札に指名された(発注者である行政側によって)業者が20社であったとすると、その20社が集まり、当然のことの如く落札業者と落札金額を会議によって決めるのです(所謂談合ですね)。この会議によって決定された落札業者は、行政側の調査の入らないギリギリのところを突いて入札金額を設定し、件の工事を落札せしめます。その落札金額が948万円だったとして、調査基準が95%以上という規定になっていたとすると、予定落札価格に対して94.8%の価格で落札されたこの入札については、行政側の調査は一切入らないことになるのです。この予定落札価格に対する実際の落札価格の割合のことを「落札率」と言います。
岡山県倉敷市発注の下水道管布設工事では、その落札率94%の物件が、全27件中25件もあった、ということと、95%という基準はクリアしている為、調査は何れも免れていた、ということなのです。
こういった事実が、過去何十年と亘って延々と繰り返されてきた「実績」を持ちながら、倉敷市の総務局が「大変遺憾だ」というコメントを発表したのは、どう捉えれば良いのでしょう。「入札制度を否定するもので、許されない」のは、業者に対して言っている言葉なのか、それとも見て見ぬフリを数十年続けてきた役人自身(総務局長自身も含め)に言っているのか、或いはそのことを助長してきた地元市議会議員や市長に対して言っているのか、私にはさっぱり判りません。
今回の事件も、恐らく榊原建設という建設会社の社長と営業部長が逮捕され、談合に関わったとされる市内建設業者ら30社程度が、半年から1年の指名停止(倉敷市発注工事の入札に参加出来なくなる)処分を受けて終わるのです。これらはトカゲの尻尾でしか有り得ません。本体は別にあるのです。そしてその本体には、警察も中々踏み込もうとしません。
世の中には、このような「利権」と呼ばれるモノがゴマンとあります。冒頭述べた原発も巨大な利権です。そして、その利権に群がるハイエナ業者と、利権を演出し続ける泥棒役人達と、それらの間で絶妙なバランスを保っているバイキン政治家とで社会が構成されているのです。それが日本という国なんでしょう。
公共工事を巡る問題については、様々あります。また機会を改めて続報をお届け致したいと思います。
【498】[550]初めて投稿します
角山茂章福島県立会津大学学長の福島原発事故への見解を示す記事が福島民報に掲載されました。
副島隆彦氏の主張とほぼ同じような見解です。
ご参照下さい。
角山茂章
昭和42年 東京大学理学部物理学科卒業
昭和60年 工学博士
職歴
昭和42年 日本原子力事業(株)総合研究所入社
昭和50年 米国GEと共同研究のため米国駐在(1年間)
平成2年 東芝原子力研究所(平成2年日本原子力事業と東芝原子力事業部が合併)管理部担当部長
平成9年 東芝原子力システム社技監
平成13年 アイテル技術サービスフェロー
平成14年 会津大学産学連携センター教授
平成15年 会津大学副学長
平成18年4月 会津大学理事長兼学長就任
レベル7と国際風評被害(5月29日)
国際版英字紙に、白雪姫がリンゴを見て「日本から来たの?」と問う漫画が掲載され、批判を浴びた。国際的な風評被害の表れだ。
原子力安全・保安院は4月12日、福島第一原発事故の評価を国際原子力事象評価尺度に基づき、大きなリスクを伴う「レベル5」から、深刻な事故を示す「レベル7」に一挙に引き上げた。環境に放出した放射能の量が判断の理由となった。チェルノブイリ事故と同程度とされ、福島県のイメージは大きく低下した。
しかし、フランス原子力安全局は、大事故とされる「レベル6だ」、ロシアの国営原子力企業も「レベル7への引き上げは行き過ぎ」としている。今月になっても同様な意見が国際的に出ている。
チェルノブイリでは原子炉のコンクリートのふたが飛んだ。格納容器が本来ない構造のため、燃料や黒鉛が外部に噴き出した。その後、石棺と呼ぶコンクリートで覆ったため、熱がこもって再度爆発し、東西1200キロにわたり520万テラベクレルの放射性物質が飛散した。
レベル6の事故は旧ソ連ウラル地方のキシュテムで起きた。原爆製造用の原子炉五基と再処理施設を持つプラントで、放射性廃棄物タンクの冷却装置が故障、温度が急上昇して爆発した。廃棄物は北東方向に300~350キロまで飛散し、7・4万~18・5万テラベクレルが放出されたと推定される。レベル5には、米国のスリーマイル島事故、カナダのチョークリバー研究所事故、英国のウィンズケール火災事故が分類されている。
福島は保安院の推定で37万テラベクレルであり、キシュテム事故よりも大きい-としてレベル7となった。しかし、事故は福島県内のほぼ百キロ圏内に収まっている。最近はプラント建屋に作業員が入れるまでに環境は改善しつつある。汚染地域の面積を福島とチェルノブイリを比較すると、高濃度地域は800平方キロと1万平方キロ、低濃度地域は550平方キロと18万平方キロだ。大きな差がある。
評価基準で、レベル7は広範囲、例えば一国以上での統計的な健康被害や、死亡などの明確な健康被害を与えるような事故-との表現で定義されている。基準は国際的に共通の解釈がしやすいよう、レベルを放出放射能の約500、5000、5万テラベクレルで分けた。ただ、必ずしも量だけが重要ではなく、住民や近隣諸国の理解を図ることが目的と明記されている。
福島の原発では、原子炉を守る圧力容器、さらに外側を覆う格納容器に一部漏れがあるものの、依然本来の形状を維持しており、原子炉本体が爆発したチェルノブイリとは大きく異なる。しかし、国内はもとより県内の議論でも、しばしば「チェルノブイリのような悲惨な事故」として福島が引用されることが多い。
国際原子力機関の調査団が24日から来日している。また、原発では、これ以上の放射能放出を抑えるための献身的作業が進んでいる。今が、間違った国際的風評被害の元となっているレベル7の評価を正す絶好の機会であろうと考える。(角山茂章・会津大学長)
【497】[549]豪志、おぬしもワルよのう。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。一週間ほど前だったか、父とテレビの原発ニュースを見ていたときのことです。テレビでは、最初からメルトダウンしてました、とか、高濃度の汚染水が出てます、とか「危ない、危ない」を言っていました。
まだまだ原発は危ない派の父が「ほれ、見ぃ。お父さんが言うてた通りや!な、最初からお父さんがあかんて言うてたやろ。今頃なに言うてんにゃ」と言いました。わたしは「でもさ、最初は大丈夫、安全ですってゆってて、3月末か4月の初めに、危ない、危険だ、に変わったんでしょ。そういう転換期があったん?」と聞くと、父は急に真剣な顔になって「んー・・・細野豪志が出てきてからやな・・・」と言いました。
それを聞いて、わたしは頭の上のほうがピカっとしました。そうか、細野豪志が「危ない」言い出したんか。豪志は原発屋やアメリカと手を握ったんだな。20km圏内に核廃棄物処理場を作ることにしたんだな。さすが、豪志。「わたしは好き嫌いで政治をやっていない」と言っていた豪志。よく分かんないけど、なんか大人の政治家っぽいやね。ヒロシマ・ナガサキ後遺症で、「放射能」と聞けばちっとんべぇでも許せない精神年齢12歳の日本土人とは違うな。(12歳ってさ、ティーンにも入れてもらえない、まるっきり子ども扱いだよね。)
現に日本に56基も原発があって、そこから出る核廃棄物はどこかで処理しなくてはならない。青森県六カ所村の中間貯蔵施設の計画も、高知県東洋町(とうようちょう)の処理場の計画も頓挫(とんざ)している。日本人は、すぐに感情的になり、まともに冷静な議論なんかできない土人ばかりだ(わたしもできないけど)。処理場を作る話し合いを持ちたいと思っても、「話しなんか聞いたら負けだんべ!」てな感じだぃね。
核廃棄物はどんどん出る、処理場を作らせてくれる場所は無い、そこへ3.11で福島原発が壊れて放射能が漏れて住民を避難させた。さあ、あなたが日本国を運営する立場なら、どうする。日本人の精神年齢が20歳になるまで待ってたら、使用済み燃料棒がプールからあふれちゃうよ。
「あたしは甘ちゃんじゃぁないんだぜぇ」と思いながらこれを書いたけど、どうなんでしょう。わたしの頭がピカッと光ったところからは、ぜんぶわたしの想像です。すごい情報収集と冷静な分析は中田安彦さんの「今日のぼやき」【「1220」「日本再占領」”Re-Occupied Japan”という現実と向きあうこと(1)国家が統治能力を失うということの意味 2011年5月27日 中田安彦・記】をお読みください。 以上です。
【496】[548]「福島原発敷地を放射性廃棄物の貯蔵施設に」
松尾雄治です。今日は2011年5月27日です。
昨日、ブルームバーグに、「福島原発敷地を放射性廃棄物の貯蔵施設に」という記事が出ましたので、貼り付けます。
(貼り付け始め)
Wire: BLOOMBERG Japanese News (in Japanese) (JBN) Date: May 26 2011 9:14:21
福島原発敷地に放射性廃棄物の中間貯蔵施設を-原子力学会で浮上
【記者:佐藤茂】
5月26日(ブルームバーグ):東日本大震災で被災し放射能漏れを
起こした東京電力福島第一原子力発電所の敷地内に、放射能に汚染され
たがれきなどを中間貯蔵する施設を建設する案が日本原子力学会で議
論されている。
東京大学の諸葛宗男教授(原子力・エネルギー環境政策専攻)が25
日、ブルームバーグ・ニュースのインタビューで明らかにした。同学会
は原子力研究者、エンジニア7000人からなる団体で、原子力政策につ
いて政府に助言する。
諸葛教授は「われわれは福島第一原発の汚染除去や、そこに核廃棄
物の貯蔵施設を建設する案を集中的に討議している」と述べた。同教授
は50人から構成される汚染除去委員会の一員。東電や経済産業省関係
者もオブザーバーとして分科会に参加している。
諸葛氏によると、貯蔵施設の建設には数兆円かかり完工までに少な
くとも10年かかる。核廃棄物を貯蔵する前に除染作業に5年かける必
要があるという。
東電は、福島第一原発1~3号機でメルトダウン(炉心溶融)があ
ったと発表した。3月11日の東日本大震災に伴う大津波で、原発に想
定以上の打撃があったことがデータで裏付けられつつある。東電の松本
純一原子力・立地本部長代理は24日の記者会見で、炉心の損傷状態に
ついて「1、3、2号機の順番で大きい」と述べた。
4月17日に発表され、その1カ月後に改定された原発事故収束に
向けた「工程表」では原子炉を安定的に停止させる「冷温状態」への移
行について、6~9カ月程度をめどにするスケジュールとなっている。
東電広報担当の岩下恵氏は電話で、「福島第一原発をどうするかや
除染後のがれきをどう処理するのかは決まっていない。政府の助言に従
って適切な時期に決定する」と述べた。
福島第一原発では1986年のチェルノブイリ原発事故で起きたよう
な原子炉爆発は起きていない。しかし、炉心溶融などによる放射性物質
が外部に漏れ、「レベル7」のチェルノブイリと並ぶ史上最悪の原発事
故に位置付けられている。福島第一周辺20キロ内は避難地域に指定さ
れ、約10万人が避難生活を送っている。
近畿大学原子力研究所の伊藤哲夫所長は「福島第一をどうするか、
集中的な討議が必要だ。政府が最終的な責任を取り決断すべきだ」と語
った。
(貼り付け終わり)
松尾雄治 拝
【495】[547]川内村 獏原人村
TV Bros 5月28日号より
川内村 獏原人村
思いによって数値は変わる 反原発活動家が当事者になった日
「この測定器だと、放射線の数値がいつもの3倍くらいあるのね。
で、実際に当事者になってみてわかったんだけど、どう思いたいかに
よってこの数値の解釈が違ってくるんだ。俺はここに住みたいから、
ここが好きだから、どうしてもちょっと甘くなってしまう。これな
ら住めるだろうと思っている」
なるほど
「ところが、現場から遠くなれば遠くなるほど、数値を見る目が厳
しくなっていく。原発に興味がなかった人がパニックになってるん
だ。俺も最初の頃は緊張感でピリピリしてたけどさ」
数値に振り回される?
「夫婦の間ですら変わってくるんだよ。妻は俺に比べて厳しいし。観
測者のポジションによって変わってくる。相対性理論みたいだよね」
確かに。
「自分たちの安全のために、独立した理想郷を築きたくてここを拓
いたけどさ、どんなに文明を否定したところで、自分だけが矛盾か
ら逃れることはできない人だな。なぜ自分が当事者になったのか。
『やっぱ俺たちの言ってた通りじゃないか』と元気に反対運動が
できない今、ニュアンスが変わってきた」
というと?
「今、文明のありようが問われていると思うんだ。これまではひた
すら開拓しては壊し、使い捨てできた。ある程度まではそれでやっ
てこられたんだけど、それが一定のスケールを超えて大きくなると、
質が変わる。汚水だってそう。自然の浄化作用を超えれば犯罪にな
るでしょ」
そうですね
「そのやっていい範囲というラインを研究している人がいないんじ
ゃないかな。もう呑気な時代は終わったよ。これからは自分自身で
勉強していかなくちゃ」
おっしゃる通りだと思います
「逃げまくったところで何の解決にもならない。誰も信じられない
なら、自分を信じられればいい。自分がいいと思える最初の人にな
ればいい。渋滞にはまって、なんで詰まってるんだよ!と他人のこ
とを言う前に、『俺がいるから渋滞しているんだ』と思えるように
なればいい」
その発想はありませんでした。
「じゃあ、ここに留まるためにはどうしたらいいのか。こないだ、
表土の除去を自分でやってみた。放射線は下がるね、やっぱり。絶
望ばかりではないよ。それに、「ごれから一体どうすんのか?」
っていうみんなの怒りを受け止める場所が今ないよね。ここでは毎
年7月か8月の満月の夜に「満月祭」をやっているんだけど、今年
は入場無料にして、その受け皿になれればいいなと考えているよ」
とても楽しみにしています!
「今いるところを良くしていく、
それが世界を良くすることとイコールだと信じているんだ」
話を聞き終え、僕らは村の敷地に出たり春爛漫の土地の緑は鮮や
かで、菜の花が咲いていた。
【494】[546]会員の方からのメールの転載
※以下に転載する文章は、副島隆彦先生宛てにいただいたメールです。公共に益する内容ですので、副島先生の御指導を受け、こちらにも転載します。※
(転載はじめ)
**さまへ
副島隆彦から
**様の 文と情報は、ものすごく重要です。 この「Aさん、Bさんやらが一体何者であるかを」 を、 アルル君とかが、探ってください。 おそらく *** などが、からんでいますから、やっかいです。
**様。私は、ものすごく忙しいので、私宛に、このような貴重なメールを送ってくださいましても、これをうまく処理して、重掲に乗せるのは、大変なことなのです。
どうか、以後は、ご自身で、重たい掲示板に、うまく どんどん書く、というのはどうでしょうか。何を書いてもかまいません。
恐れる必要はありません。 よろしくお願いします。
副島隆彦記
—– Original Message —–
Date: Thu, 26 May 2011 21:07:46 0900
From: **
Subject: [fukushima:00002] Re: [fukushima:00001] Re: [ml:00335] **の住民用の
ミニ講演会 の チラシ
To: **
お世話になっております。
福島県在住の**です。
仕事で今日一日、郡山市役所近くにある勤務先の**で会議をしていました。
社内の人間が集まると放射能の話が日常会話になっていますので自然にでてきます。
最近、線量計を持つ人も増え、福島県民では一家に一台、体温計のような存在になってきました。
福島県内の**あたりにいる私は危機感もほとんどなくなり購入していませんが、福島、郡山あたりの小学生の子持ち同僚(大体40代)は心配なので、3~5万円程度のものを購入しています。
福島だと大気中が1マイクロ、室内が0.5位、側溝や水たまりが出来やすいところが10ぐらいでるそうです。
郡山で、同僚と一緒に見ましたが、室内だと0.5位。屋根の樋から水がたまるところあたりになると、やはり10ぐらいでています。
面白そうなので、今日は、仕事の合間に線量計3種ほどでいっしょにはかり比べをしました。
測定器は色々あるようですが、2万円ぐらいの差(ロシア製と中国製に国籍不明)でしたが、安物と高価なものでも数値はほとんどかわりませんでした。
安物でも一応OKのようです。
ところで、福島、郡山の住人で、測定値が高くて気になった側溝、吹きだまりなどは、みなさん水で洗い流しています。
特に、洗車用の高圧放水の効きがよいそうです。
普通のホースで10から1ぐらいまで下がる。高圧洗車用放水(ホームセンター当たりで売っているホースの先端を絞るものですが)を使うと0.1から0.05位に劇的に下がるそうです。
福島県の郡山、福島あたりの皆さんが本気になって流した水は阿武隈川を経由して仙台湾に流れていきます。
宮城県の方はどうなるのでしょうか。
福島市在住の小学生2人の子持ち同僚(40代)がPTA大好きなので、文科省へデモに付き合わせられそうになったりしたり、山下俊一教授(二本松)の講演にも行ったそうです。
ここだけの話になりますが(このあたりからから掲示板に掲載するかどうか迷ってしまう境目になります)、福島県に全く関係がない中年男性(Aさん)、中年女性(Bさん)(福島市在住の同僚PTA大好きで会長になったI君が話していたので間違いはありません)が、目立ちたがりらしく、福島の郡山、福島あたりの保護者を扇動(になりますか)しているとのこと。
どうやら扇動者はこの2人のようです。
なんたら「被害者の会」あたりになると必ず出てくるおかしな輩のようですが、Aさん、Bさんが頑張ってしまうので、地元の人にとっての具体的に本当に心配な事が質問出来なかったと嘆いています。
Aさん、Bさんらが福島で開かれた専門家講演会の質疑応答から文科省前あたりでのわめきたてていることには地元民が唖然としています。
地元民とAさん、Bさんやらが講演会の質疑応答などで乖離してしまい、浮きまくってくると「あなたたちのために代わって質問しています」とか「あなたたちがしっかりしてないからこんなことになっています」とかはじまるようです。
Aさん、Bさんやらが一体何者であるかを時間と暇とお金があったらじっくりと調べあげようと思っています。
これは明確にしたいので、どうすればよいのか皆様方からのご教示を頂ければ幸いです。
地元民からは「あのおかしなやつらは一体全体何様か?」という素朴な疑問から、はっきり言ってAさん、Bさんは軽蔑の対象になっています。
Aさん、Bさんと、いっしょになって騒いでいた国会議員の方は第三者なので、具体的な事情はよくわからなかったと、個人的には好意的な行動と一応解釈はしています。
本題ですが、私、個人として、「福島復興活動本部」が、AさんとかBさんとのように福島県民から呆れかえられている意味不明の無様なやつらと同様に扱われると大変残念です。
副島先生のここ一番の行動力に期待しています。
当方できる限りご協力しますが、一つ間違えると「売名ソエジマ」になります。
売名か、本気かは、福島県民にとっては、紙一重(よりも薄いと思いますし、時勢でその厚さも日々変わります)です。
とはいっても、お弟子さんも頑張っていらっしゃるようですので「福島復興活動本部」開所は盛会になるでしょう。
仮に一般的な誤解があっても、福島県民一同、風評被害(実害ですが)で肝が据わっていますので、ここ一番のご活躍を期待しております。
よろしくご指導のほどお願いします。
Aさん、Bさんについては冗談抜きで許せないので、是非皆様方の情報提供をお願いいたします。
(転載おわり)
【493】[545]警戒区域の報道は疑問(メールの転載)
※以下に転載する文章は、副島隆彦先生宛てにいただいたメールです。公共に益する内容ですので、副島先生の御指導を受け、こちらにも転載します。※
(転載はじめ)
** さまへ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
現在は 東京のお住まいの、小高出身(ここは、一面、津波でがれきの山です)の**様から、緊急で、重要なご指摘がありました。ありがとうございます。
私は弟子たちと 学問道場というサイトをやっています。ご存知のことと思います。
どうか、会員になっていただいて、**様ご自身が、自分で、重たい掲示板に、以下の文をそのまま投稿してください。
私、副島隆彦 宛てに、知らされましても、このあとどうすることもできないのです。
あなた自身が、発信人になって、一日5万人が見に来る 私たちのサイトで、どんどん書いてください。 あなたの見識は、私の考えと全く同じです。 よろしく。
副島隆彦拝
—– Original Message —–
From: ****
To:
Subject: 警戒区域の報道は疑問
Date: Thu, 26 May 2011 11:03:19 0900
はじめまして、****と申します。南相馬市小高区の出身です。
5月25日に南相馬市の一時帰宅があったが、NHKの報道には失望した。
防護服を着せられた一時帰宅者は放射能が少ないことは当然気がついているはずだが、
批判や不満は一切報道されない。もう二度と戻れないという意見ばかり放送される。
国民から受信料を取って、警戒区域は放射能が充満していると国民を洗脳している。
添付資料
岡田幹事長が原発19.9Kの工場を視察し、警戒区域にも例外措置を認めるとし、それに対する枝野の回答であるが、何者かに直ちに削除された。
桜井市長や工場員が普通の作業服なのに、岡田側は防護服だった。
これに関してYahoo質問箱が選んだベストアンサーは「放射能に対して無防備過ぎる。市長は市民を皆殺しにする気か。」だった。Yahooの正体は何なんだ。
正解は「防護服を脱ぐと、民主党が放射能がないことを認めたことになるから」だよ。
菅首相は村長や市長の言い分を一切聞かなかった。
小高区や浪江町の町うちから海岸までは放射能はわずかである。
住民2,3万人はすぐにでも帰せるはずである。万が一の時(緊急時ーーそんなことはないだろう)は避難すればいいだけである。
帰したほうが地域のためであり、東電の負担を減らし、国のためになるのである。
菅社会主義的全体主義者は何を考えているのか。賠償金は東電が払えばいいと思っているらしい。
マスコミは警戒区域内の人々を見捨てた。マスコミの薄情さに愕然としている。触らぬ神に祟りなしと。
この活動を知り、救われた思いです。警戒区域の不当をマスコミが取り上げてくれることを望んでいます。
住所:****
(転載おわり)
【492】[544]陸前高田市へボランティア活動
※以下に転載する文章は、副島隆彦先生宛てにいただいたメールです。公共に益する内容ですので、副島先生の御指導を受け、こちらにも転載します。※
(転載はじめ)
—–Original Message—–
From: ****
Sent: Friday, May 27, 2011 11:07 AM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 陸前高田市へボランティア活動?
副島先生、おはようございます。初めてメールをさせていただきます。会員番号****番の****と申します。私は、奈良県明日香村で農薬や化学肥料、除草剤、生長促進剤等を使わないで肥料は発酵肥料のみ与えるという限りなく自然農法に近い栽培方式と取り入れながら、百姓をやっております。そして、自ら仕留めたイノシシの肉や自然蜂のハチミツ、養鶏による卵なども含めた総合的な農産物販売を目指しています。今年8月、37歳になります。
さて、***という組織に入っている私は、この5月9日~13日にかけて陸前高田市へボランティア活動をして参りました。その折りに作成し***へ提出したレポート(若干改編しています)を、副島先生にもご報告したいと考え、思い切ってメールさせて頂くことにしました。まだまだ、世の中のことやいろいろな見識も備わっていない私ですが、今後とも先生の講演や書物でご指導して頂き、そして自分なりに考えながら生きていきます。
陸前高田市ボランティア活動
レポート?
****です。陸前高田市でボランティア活動をして参りました。主な活動は、炊き出しです。報道やいろいろな情報からおおまかには被災地の状況を把握していましたが、実際現地に到着して感じたのは、想像を通り越していました。そして、幼い子供がいる自分が同じ状況下であればどのような思いで生活しただろうか?というのを考えながら、ボランティア活動に臨みました。
とにかく、支援物資についてはいわき市の嫁の友人の友人に送り届けたりしていましたし、情報を精査していますと行き届いている被災地と行き届いていない被災地が相当数に上ることが想像できます。そんな中で、炊き出し(豚汁とおでん風煮物)という活動をするわけですが、現地に向かう前から私なりに味付け等のシュミレーションしていました。50人分や100人分の食事なんて作ったことがありませんし、おいしくて温かい料理を食べていただきたいですしね。また、現地の交通状況も行ってみないとわからないところがありますし、限られた時間内で作業することになるかもしれませんから。。。
そして、その当日。**さん達と相談しながらスムーズに作業を進め、みんなで切った食材を大鍋にぶっこみながら、味を合わせていきました。特に、困難だったのは最終日の100人分のおでん風煮物でした。料理の提供までに1時間弱しかない状況でしたので、とにかくみんなで切った火が通りにくい堅い野菜を先に大鍋にぶっこみ、水をひたひたにした状態で沸騰させ柔らかくさせてから、順次野菜やお肉を入れていき、と同時に味を合わせていきました。時間内ぎりぎりのフィニッシュでしたが、まずまずの味が出せてホッとしました。
被災された方々は、楽しそうに食べていらっしゃったし、私もそれを見ていて何かうれしくなってしまいました。食事が終われば、帰り際に何度も元気にありがとうありがとうとおっしゃっていただいたし、こちらこそ、逆に元気をいただいてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになりました。秋、田んぼでイノシシとの格闘が終われば、また被災地に支援活動に出向きたいと考えています。今度は、子供たちと野球をしたいな~。
H23/5/15 ****
(転載おわり)
【491】[543]ウクライナの首都キエフからチェルノブイリの今。キエフ在住の読者からのメールを載せます
副島隆彦です。ウクライナの首都キエフ在住の読者からのメールを載せます。ウクライナの首都キエフから、チェルノブイリの今がわかります。よく読んでください。
—–Original Message—–
From: ***@***.com
Sent: Thursday, May 05, 2011 8:00 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 真摯な心に敬意を表します(ウクライナのキエフ市より)
初めてメールを差し上げる者です。
私は石田朝子と申します。現在ウクライナのキエフ市に住んでおります。当地に住んで15年目になります。
福島第一の事故以来、副島様のサイトを拝見するようになりました。福島のかたがたと痛みを分かち合う副島様の真摯な姿勢に深く共感するとともに、これについてまったく誰も発言しない、無関心を装う私の祖国の内情に大きな驚きを覚えています。
当地ではチェルノブイリ原発での事故から25周年ということで、私もいろいろな新聞記事を読みました。しかし、私が見た範囲に限って申し上げれば、25年前に住み慣れた土地を強制的に追われた人々の当時の苦しみ、あるいは彼らが今どんな暮らしをしているのかということについて触れた記事は、ただの一つもありませんでした。
唯一の例外は、先週地元の書店でやっと見つけた本です。著者は女性民俗学者で、チェルノブイリを含む周辺地域をフィールドワークした結果をまとめた内容なのですが、避難民のお年寄りを避難先に訪ね、当時の思いを聞き書きした文章もふくまれているのです。家族や祖先の記憶がしみこんだ土地を離れ、そこに永久に戻ってこられない、見ることさえかなわないということがどんなに恐ろしく悲しいことであるか。読みながら涙が出ました。
この本によれば、プリピャチ( 副島隆彦注記:ウクライナの北部にある市。チェルノブイリ原発から4キロ離れた街だ )周辺の農村から避難させられたお年寄りは、今でも知らない土地に与えられた湿気の多い粗末な家に住み、ガスもなく、わずかな補償は最初のうちだけで後はなしのつぶて、肉親も知り合いもいない、という暮らしを送っています。15年ウクライナに住んでいる私も、今回関心を持ったがゆえに避難民のことを「思い出した」のであって、それ以前は彼らがどこにいて何をしているのか知ることもなく、知ろうとすらしなかったのです。
私は仙台の出身なのですが、祖先が福島の出で、農家の知り合いも福島におります。彼は桃農家で、今年の出荷の見通しもないまま、黙々と果樹の世話をしています。
今や私が上に書いたお年寄りの痛みを味わっています。福島を「なかった」ことにされるわけにはいかないと感じています。土地というのは私たちの記憶、よりどころであり、生活です。言葉に出来ないほど重いものなのだと思います。鉄条網で囲んで、あたかも存在しなかったかのごとくにしたり、あるいは逆に洗浄して「はい、これでクリーンになりましたよ。あなたのお子さんは安全ですね。よかったですね」などというものではないと感じるのです。このように言う人たちは、なぜあくまで物質的なレベルで考えることしか出来ないのか。私には理解出来ません。
独白のような見苦しいメールをどうぞお許しください。日本から遠く離れてはおりますが、ご健勝をお祈りしています。最後にもう一度、副島様の自己を顧みない真摯な心に深く敬意を表します。
2011年5月5日 在キエフ市 石田朝子
ウクライナ国の キエフ市にお住まいの 石田朝子さまへ
副島隆彦から
早くにメールをいただいており ありがとうございます。
福島の原発事故のことに強い 関心をお持ちで、私の弟子たちが運営しています 学問道場のサイトをお読みくださいってありがとうございます。 地震・大津波、そして原発事故から2か月が経ちまして、大分、日本は落ち着いてきました。
福島からの放射能漏れと広がりのことも、 一部の国民以外は、気にはなるけれども、目先の自分の仕事に追われて、テレビで見る程度で、それほどの関心を示さなくなりました。 被災地と血縁でつながる人たちは、友人、親戚を助けるために岩手、宮城を訪れるようです。 しかし、福島の 原発のそばには、この5月の連休にも、あまり人が近寄りません。
住民たちでも、まだ、避難したままの人が多いです。とくに小さな子供たちや、小学生、中学生は、50キロ離れた学校に間借りして、そこの空いている 教室を貸してもらって、授業をやっています。30キロ圏内の 南相馬市は、小学校も、中学校も開いていません。 住民は 6割ぐらいは帰って来ているようです。
石田さまがお住まいのキエフ市は、チェルノブイリから南に100キロのところであり、国の首都であり、ウクライナ民族の誇り高さでは、モスクワ(ロシア人)たちが、タタールの頸木(くびき)で、モンゴルに屈服して、モンゴルの言いなりになって繁栄したことへの反感 で成り立っている ウクライナ人 の 反ロシアの 民族感情が今も強いところだと、私は理解しています。自分たちウクライナ人が、この 東ヨーロッパ地帯の 本当の 中忍民族なのだ、という気持ちがあるのだろうと推察いたします。私はまだ行ったことがないので、遠くからの勝手な知識です。
チェルノブイリの原発事故から25周年の 記念日が、4月26日に 、日本のフクシマ事故があったことで、ものすごく注目を集めたということだけは、日本でのニューズ報道で チェルノブイリの原発前での 式典の様子を チラリと見ましたので、それぐらいの理解しか私にはありません。
チェルノブイリの事故で、果たして何千人の 作業員が、現場の封じ込め(石棺づくり)作業に参加して、5年後くらいから白血病や癌で死んだのか、私なりに調べましたが、 まず 「4000人の作業員 が 5年後ぐらいから発病して死んだ。決死隊で炉心に近づいて応急の 制御棒の挿入作業をやったのですぐに死んだ、急性の放射能障害の死者は、 26人と それから 16人である 」 という事実しか知りません。
作業員たちは、事故の後、現場で数年間働いていますから、きっともっと多くて、2万人ぐらいは、10年以内に発病して死んだのではないか、とう私は勝手に推測しています。 彼らの話は、探しても 表に出ません。
米軍の兵士たちで、1950年代の ネバダ砂漠で ずっと続けた核実験 を 直接 並んで座らされて 爆発を 目撃して、被曝して光線や爆風を浴びて(遮蔽物もなく) そのために、 5年後、10年後に死去した 米兵たちの 放射能の人体(生体)への健康被害の資料(データ)も、私たちは、この フクシマ原発事故で大騒ぎしていた2か月間に、少しも出て来ません。 放射線医学の専門医たちも誰も 何も発表しません。
それなのに、 彼ら、放射線医学の専門家たちの発言を、原子炉学者と同列に置いて、”御用学者”の焼印を押して、冷静に聞こうとしません。
「 放射能は、ほんのわずかでも危険だ、危険だ、非難しなければ」の 集団ヒステリーの、頭の悪い 人間たちの 狂騒(きょうそう)が、4月に入ってから、突如、起きまして、それへの 防戦で、私は、疲れ切りました。
この 放射能恐怖の 集団ヒステリー を扇動した人間たちを、私は、一人ずつ摘発して、今から、筆誅を加えます。
今の私、副島隆彦は、「体制派(保守)からも政府批判派(反体制)の 両方から 危険人物扱いされている」されて完全に無視されているのだそうです。 私は、そういう低劣な評価など全く気にしません。
大事なことは、「どれぐらいの 放射能なら安全で、どの基準値(限界値、上限)を超えたら 人体に危険なのか、の冷静な議論である」はずなのです。 集団ヒステリー派は、あとしばらくは、この冷静さを取り戻さないでしょう。
それでも、いくら東京も危ない、で 九州まで逃げて、熊本市の喫茶店に溜まっている、この扇動された,考えの足りない人々もお金がなくなれば、戻って来ます。
石田さまがお書きの、ウクライナのプリチャピ市は、チェルノブイリから 10キロぐらいの町だったでしょうか。今はゴーストタウンになっているのか、それとも、コーカサス(チェチェンやグルジアなどのある地方)から戦争や内乱を逃れてきた農民たちが住んでいるのでしょうか。チェルノブイリ原発から30キロ圏は、今の 厳しい立ち入り制限があるのか、それとも割と 緩やかになって勝手に戻ってきている人々がいるのか、私たち には分かりません。
石田様。 出来ることなら、ご自身で、チェルノブイリまで行って、実情を観察して、本当のところは、今はこうなっていると、日本に居る私たちに、お伝えくださいませんでしょうか。そして、その報告文を、私たちの 学問土壌のサイトで 公表させてください。
それが、日本人を勇気づけます。真実だけが人間を 感動させ、そして、勇気づけます。
メールを いただきました御縁だけで、まことに勝手なお願いをいたします。
この 20キロ、30キロ圏の 強制避難、立ち入り禁止の問題は、現在、福島でものすごく重要な 喫緊の 焦点となっています。
チェルノブイリの 強制立ち退きと 30キロ圏の金網による完全封鎖 が、日本政府の フクシマ での 先例になってしまって、頭の固い 日本のバカ官僚たちが、その世界事例の 先例 に拘束されて、それで 、福島の避難住民を 地獄の苦しみに陥れています。
石田様。 どうか、私の希望を、福島の原発近くの 住民たちの 叫び声 の代理だとお考えくださいまして お聞きください。
どうせ ウクライナ国でも、普通のウクライナ人たちや、ウクライナ政府の役人たちでも、日本のフクシマの悲劇は知っていても、それに、チェルノブイリの 前例が どれほど重大に関わるかまでは、全く考えないでしょう。日本からの 原発担当役人たちが、応急でチェルノブイリの封鎖(立ち入り禁止)の様子の 現地視察をしに来ているでしょうから、その動きも、出来れば お伝えいただきたいです。
勝手なお願いをして申し訳ありません。
遠く日本から、キエフに在住なさる 石田様に、今後とも「副島隆彦の学問道場」サイトを よろしくお願い申し上げます。更に ご連絡ください。
副島隆彦拝
—–Original Message—–
From: Asako Ishida
Sent: Monday, May 16, 2011 10:22 PM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: 現在のチェルノブイリに関する記事翻訳(キエフ市の石田より)
副島隆彦様
こんにちは。1週間ほど前にサイト「学問道場」を通じてメールを差し上げた
キエフ市在住の石田朝子です。
心のこもったお返事、ありがとうございました。
このような熱心なお手紙を受け取るとは、正直思っておりませんでした。
たいへん感激しております。
副島様から、「ぜひチェルノブイリへ行ってみてほしい」というご提案がありました。
実は、福島の事故が起こるかなり前から、プリピャチには行ってみたいものだと考えていたのですが、いまだに実現できないでいます。
プリピャチ市には誰でも行くことが出来ます。キエフから出ているツアーに参加するのが条件ですが、それがかなり高額だというのが理由です。
ただ、あくまで経済的な問題ですから、そのうちにひょんなきっかけで解決するかもしれません。その時には行って、自分の目で見てくることが出来るでしょう。
ただ、今のところは「必ず行きます」とはお約束できません。
副島様は大変真摯な方ですから、私もメールとはいえ、いい加減な口約束だけはしたくないのです。今ご期待に添えないのは残念ですが、どうぞこちらの事情をご理解ください。
そこで、いつになるか分からない私のプリピャチ訪問よりも、今ご提供できる情報のほうが有益かもしれないと考え、ある雑誌の記事で興味ぶかいものがありましたので、こちらを翻訳してお送りいたします。
”Vokrug sveta” という、ロシアの雑誌からの記事です。ナショナル・ジオグラフィックの ロシア版とでもいうような雑誌で、原文はロシア語です。
本文の図版もご覧いただけるよう、ページをデジカメで撮影したものを添付しました。
・“Vokrug sveta”誌の画像(1)
・“Vokrug sveta”誌の画像(2)
・“Vokrug sveta”誌の画像(3)
福島の方々にとってじかに参考になるかどうかは分かりませんが、些細であっても何がしかのヒントが得られましたら幸いです。
ところで、数年前、在ウクライナ日本大使館で働いていた日本女性が「プリピャチに行ってみた」と話をしてくれたことがあります。
その話の内容とは、
・プリピャチは現在無人である。人っ子一人いない。
・町全体が事故当時のまま。時間が止まったような感じ。
・日用品などは何も残っていない(略奪にあったから)
というようなものでした。
プリピャチには決まった「観光コース」のようなものがあり、それに沿って参加者を案内する、という風になっているのかなと私は想像しています。
副島様が推測しておられるような、ロシアでの紛争を逃れてきた難民が住み着いている、
という事実は、少なくとも私は聞いたことがありません。
プリピャチはまったく無人であり、自主的に戻ってきて住み着いている人々は、主にその周辺の廃村で、ほそぼそと自給自足の生活を送っているウクライナ人のお年寄りたちです。しかも、チェルノブイリで生まれ育った土着の人々であり、たとえばよその食い詰め者が流れてきて住み着いている、という話はないようです。
ウクライナの農村生活は過酷で、手間ひま惜しまず働かなければ生きていけませんので、 いくらか生活の楽な都市部においてさえ生きて行けなくなった者が農村を、しかもライフラインすらないチェルノブイリをめざす、ということは、私の生活実感としてちょっと考えられません。
その土地に愛情があって、どうあってもよその土地で死ぬ気にはなれない…
そういう人たちがチェルノブイリに住んでいるのでしょう。
ついでながら、チェチェンの難民について私が聞いたことがあるお話を書きます。
姑の甥っ子が、ドニエプロペトロフスク州のとある村に住んでいるのですが、彼が言うに、近くには「チェチェン人ばかりが住んでいる村」があるそうです。
もちろんロシアから逃れてきた人々ですが、彼らはものすごくお金持ちで、家一軒にトラクター1台は当たり前(一般的なウクライナ人農民は手でたがやしています)、衛星テレビもちゃんとあるという具合だそうです。
どこからそんなお金を得ているのかは分からないそうですが、不幸な難民というイメージからは遠い、それは事実のようです。
話をチェルノブイリに戻します。
副島様はメールで「これまでに蓄積されてきたはずの、放射能が人体に与える影響のデータは今回の事故でも全然出てこない」と指摘されていますが、私も同感です。
ただ、私の疑問はもっと素朴で、たとえばウクライナには今でも毎年のように広島大学あたりから専門医がやって来て、チェルノブイリ被爆者の検査にあたっている「らしい」のに、なんでそういうお医者さんたちが福島のことでいろいろ言ってくれないのかな、というものなのですが。
ウクライナ人にとっては、日本は頼りがいがある存在ということになっています。
広島・長崎の惨禍をくぐりぬけ、膨大なデータと経験を蓄積しているはずだから。
しかし、本当にそうなのか。これを考え始めると、不快になってきます。
退避区域○○キロという問題についてですが、チェルノブイリでは30キロ圏内が一般立ち入り禁止になっています。
しかし、聞いた話によれば、これは厳密なものではないようです。
今現在は、定規で引いたように30キロ圏内を金網でおおっている、というわけではないそうです。
しかし、これ以上のことは残念ながら分かりません。
退避区域内に住み着いている人の経験談として、ときどき民警(警察官)がやって来て 出て行くように説得しているという話も聞きました。
たぶん90年代半ばのことです。たぶん、上司に言われておざなりに来ているだけだったのではないかと思われます。今でも民警が訪問しているかどうかは不明です。
私が読んだ新聞記事の中には、事故当日のキエフ市(原発から直線距離で120キロほど)の放射線量は
34マイクロシーベルト/毎時 だったと書かれてありました。風向きの関係で、大部分の放射性物質は北のベラルーシに流れた、というのは周知の事実です。
今、私がいる部屋の中は0.07です。外は0.10くらいでしょうか。
私の夫の職場には、事故当時キエフ市の小学生だったという同僚がおります。
「逃げられる人はみんな逃げていったけど、私たちはキエフに残った。がらんとしたキエフが印象的だった」
と、夫に話していたそうです。
私はこの人に会ったことがありませんが、子供もおり、健康で快活な方のようです。
4月に地元で「チェルノブイリの25人」という写真展があり、見に行きました。
事故収拾作業にあたった人25人と、事故当日にキエフ市で生まれた人25人の顔写真とその言葉を展示したものです。
前者はすでに老人で、後者は若者たちです。
若者たちは、特に健康被害もなく、今を楽しく生きるのに一生懸命という印象でした。
もと軍人であった老人の一人が 「放射能とは奇妙なものだ。ある者の命はすぐに奪い去る。また別の者はしばらくの間生かしておく」 という言葉を残していたのが印象的でした。
さらに、複数の老人が、「チェルノブイリの事故はソ連崩壊を誘発するために仕組まれた人為的事故だった、と私は信じる」 と証言していました。
内容にまとまりがなく、読みづらいメールで申し訳ありません。
私が見聞きしたことが、少々でもお役に立てましたらうれしく思います。
副島様にありましては、くれぐれもご自愛ください。
在キエフ市 石田朝子