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Loginはこちら【546】[607]原子力機構が大気への放射性物質放射量がチェルノブイリの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。
下に貼り付けるのは、先週の土曜日(6月25日)に、日経にそっーと掲載された記事です。
この中に、さりげなく、
「大気に放出された放射性物質の半分が海側に流れて海洋に降下すると仮定。海に流出した汚染水と合わせて放出量は8450テラ(テラは1兆)ベクレルと見積もった。」ということばがあります。
大気に放出された放射性物質の半分をあわせても、8450テラベクレルですから、原子力安全・保安院が予想した37万ベクレル、原子力安全委員会は63万テラベクレルから、放射性ヨウ素をあわせても、遠くかけ離れています。海と大気が同じ量として、大気放出された放射性セシウムは約5000テラベクレル。放射性ヨウ素が放射性セシウムの10倍放出されたと仮定しても、520万テラベクレル放出したとされるチェルノブイリの1/100以下です。
1000テラベクレル程度と予想していた西村肇東大教授の勝利です。
この原子力機構は旧原研ですから、科学者・研究者のまじめな研究機関です。原子力安全・保安院とは違います。変な細工をしなかったということでしょう。
反原発の人に理解していただきたいのは、このように高い放射性物質が拡散されたことにされ、「最終処分場」ができてしまうと、原発は永遠に存続するということです。原発は一度できてしまうと、運転コストが安く、発電すればするほどもうかるので、経済的にはとめようというモチベーションは働かない。唯一ある経済的コストは、廃棄物がたまってしまうことであり、数年でどこも満杯になります。これはどうしようもありません。
ところが、「最終処分場」があれば、そこに廃棄物を持っていけば、原発をいつまでも稼動できます。原発をとめたかったら最終処分場を安易に作らせてはいけないのです。
<引用開始>
セシウム拡散予測 3年後ハワイ、5年で米西海岸に
原子力機構「海産物、食べても影響なし」 2011/6/24 20:54
原子力機構は放射性物質が海に広がる様子を予測
東京電力福島第1原子力発電所から放出された放射性物質が海を拡散して米国などへ広がる様子について、日本原子力研究開発機構が予測結果を24日発表した。3年後にハワイ、5年後に米西海岸などに到達。7年後には検出できないほど濃度が薄まるという。拡散後は海産物への影響は少なく「食べても健康への影響はない」(原子力機構)としている。
放射性物質のうち半減期が30年と長いセシウム137について予測。大気に放出された放射性物質の半分が海側に流れて海洋に降下すると仮定。海に流出した汚染水と合わせて放出量は8450テラ(テラは1兆)ベクレルと見積もった。
セシウムは黒潮や北太平洋海流などに乗って東側に広がり、1年後には福島沖から4千キロメートル弱離れた海域まで届く。このときの最大の濃度は1リットルあたり0.023ベクレル。これは事故前の濃度の14倍にあたる。
3年後にはセシウムを含む海水がハワイなど太平洋中央部に到達。5年後には北太平洋の全域に広がり米国西海岸やカナダ付近にたどり着く。ハワイ以南にはほとんど広がらないという。
ハワイや米西海岸などに到達するセシウム濃度は、事故前より1割高い程度。濃度が現在の2倍以上濃い海水は陸には届かず海域にとどまり、7年後の濃度は事故前と区別できないほど薄まると予測している。
日本人がマグロやイカなど魚介類や海草などを食べて内部被曝(ひばく)する量も試算した。1年後の最大濃度の地点で魚介類が育ったと仮定し、厚生労働省が調べた日本人の平均摂取量をもとに計算したところ、内部被曝量は事故前の約5倍にあたる年1.8マイクロ(マイクロは100万分の1)シーベルトとなった。
原子力機構の中野政尚技術副主幹は「内部被曝量は年間被曝線量限度の500分の1程度で、魚を食べても健康に影響があるレベルではない」と話している。
下條竜夫拝
【545】[604]放射能こわいこわいの心理を考える。
会員の衛藤です。初めて投稿します。
私は原発事故以来、参議院議員の森ゆう子氏のブログに何度か投稿しました。森議員の「年間1ミリシーベルトを超える学校は除染しろ、できないのなら子供たちを疎開させろ」という主張を批判しました。数千円のサポーター登録料で偉そうなことを言うつもりはないのですが、黙っていることもできない。
私の言いたいことは、「子供たちの恐怖心をあおるのはやめてほしい。放射能そのものよりも恐怖で病気になる可能性のほうが高い。」です。
私の投稿に対する批判が何通かありました。性別も住んでいる場所もわからないので私の想像に過ぎませんが、私の感じたことを書きます。
放射能こわいこわいの人達にも2種類いて、もう癌になるんだ、白血病になるんだと信じている人、もうひとつは良く分からない以上どんなに費用がかかっても子供たちを放射能から守れ、という人達です。
前者はもう放っておきます。私が関心を持ったのは後者です。
彼らは100ミリまでは健康被害はないとする説と、1ミリを超えたら健康被害がでる、直線的に増えるという説を知った上で、判断がつかなくて放りだしているようです。したがって、将来どんな被害が出てくるのか分からないから、今どんなに経済的損失があっても子供を避難させるべき、汚染された野菜等は出荷停止にすべきと言います。この人たちの文章から察すると、自分で福島の学校やホットスポットにいって除染作業をする気はないようです。森議員に訴えているだけです。私が「避難したければ自分の判断ですればよい」というと「自分には妻子がいて仕事を失うわけにはいかないから避難できない。」と言う。経済的損失は仕方ない、子供を救う為には(政府は)何でもしろという人が、自分の仕事は失いたくないという。勝手すぎる。
私は福島の事務所開きのときに副島先生から聞いた話を思い出しました。
「嘘でもいいから安全だと言ってくれてうれしい、と言われるんだ。」私はこれを聞いた時笑った。判断のつかない人をバカにしていました。しかし、遠くから危ない、危ない、政治家は早く除染しろ、避難させろ、と訴える人達にくらべると、現地で苦悩しながらも生きていく人間の本音、誠実さを感じ、尊敬します。
さて、この放射能こわいこわいの人達が、なぜこんなにバカになったのか。これが疑問でした。まず、その神経質さから神経症を疑いました。しかし、文面から察する限り精神の病は感じられません。では知性に問題があるのか。森議員のブログに投稿するぐらいだから政治的関心は高い。司法の問題も理解している。知的レベルが低いとは到底言えない。
ではなにゆえにこんなにバカになったのか?
下記の動画を見てください。
http://www.ustream.tv/recorded/14451458
脳機能学者、苫米地英人氏がPsychology of a Crisisについて解説しています。以下に私が理解できる範ちゅうで要約します。
「米国CDC(疾病管理センター)は災害の際に政府がやるべきことを明確に書いている。
1 最悪の場合どうなるかを言う。
2 将来のことはわからないからpromiseはしない。その代り今どう対処しているか、processをはっきり言う。
3 恐怖があることを認める。
4 抽象的な文脈情報を出す。
4の抽象的文脈情報を出すことによって、恐怖を感じる進化の過程では古い部分の脳に前頭前野が介入できる。これによって恐怖が治まる。
この対処をしないと説明のできない身体症状が出てくる。
たとえばトラウマがあった場合、物理的に脳が傷つき、相関関係のある身体の部分に癌が発生する可能性があるとするイタリアの文献がある。
さらにarmchair victimという症状がでる。被害地にいないのに被害者であるかのように感じてしまう。日本でまさにこれが起こっている。」
苫米地氏のブログをみると、原発事故の直後から日本人がバカになったと指摘しています。興味のある方は見てください。
【544】[603]私は今から福島に行きますが、今来たメールを載せます。
副島隆彦です。 暑くなってきました。 私は、今から急いで福島に行きます。 出版社で、「原発事故、放射能、ケンカ対談」(幻冬舎刊、 武田邦彦氏との対談本) と、 「大災害から復活する日本」(徳間書店、私の定例の金融・経済本)の見本を受け取りました。 この 最近作の 2冊は、29日ごろには、全国の本屋に並ぶでしょう。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
From: ****************
Sent: Friday, June 24, 2011 10:48 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 副島先生、ありがとうございました。
はじめまして。仙台に住む相楽尚夫と申します。
実家が白河(しらかわ)なので3.11以降不安な日々を過ごしております。 白河の実家では震災翌日から皆が心配するからといって店を開けている両親がいます。三月後半、福島が一番助けを求めていた時、報道や政治は知らぬ存ぜぬ的な態度をとり、その他の国民は匿名で言いたい放題していた時、副島先生のサイトにたどり着き涙がでました。
この時期に福島から去らず、入ってきてくださる方がいた。一番危ない時に入って来てくださった方がいた! どれだけ感激した事か言葉では言い表せません。 今すぐ全福島県民に知らせたかったです。
数年後どんな結果がでようと副島先生の事は忘れません。唯一福島に入ってくださったかたですもの! 本当にありがとうございました。
乱筆乱文にて失礼します。
仙台市 相楽尚夫
PS どうしてもお礼を言いたかったもので。
相楽尚夫 さまへ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
相楽さまからの 原発事故、放射能漏れ大事件の私と弟子たちの福島活動への深いご理解をいただきまして、大変うれしく思います。 私は、日本人として自分がやるべきことを知っている人間です。
大津波のあと3月12日から原発事故が起きて、私は、自分が何をしたらいいかをはっきりと知っていました。 そしてとにかく原発のところまで行って、放射線量を自分で測ることが大事なのだと分かっていました。
ですからそのように行動しました。危難(きなん)に際して、日本人のひとりとして自分に出来ることが何かを知り、自分がやるべきことをするするという考えで常に生きています。
3月中は福島の人たちのことはあまり考えていませんでした。とにかく日本を救うために緊急事態では、どのように行動することが大大事かを
ずっと考えていました。 今もそうです。そうしたら、福島の人たちが、私からのネットでの報告文をものすごく大事にしてくれました。
私は、西郷隆盛が、西南の役(1877年、明治10年)で計画的に殺されたときに、最期(さいご)に言ったという、「おいは、後方(こうほう)じゃ死なんど (前線で死ぬ) 」 というコトバが好きです。
あとは、大塩平八郎の知行合一(ちぎょうごういつ)の陽明学が好きです。今日も今から福島に行きます。 共に日本人のために自分のできる限りのことをしましょう。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。私は、原発事故から丁度100日たちますが、この間に、100通ぐらいの、原発・放射能問題についてのメールをいただいています。
ほとんど返事を差し上げています。私のメールアドレスは、弟子たちと、GZE(ジー・ゼット・イー)と呼んでいますが、弟子たち10人ぐらいがいつも見ています。 それで必要な処理をします。 それらの100通ぐらいのメールでの読者とのやりとりも、誰かが整理して、そのうち載せてくれるでしょう。
私たちの福島復興活動を急いで軌道に乗せなければいけません。
副島隆彦拝
【543】[602]福島から報告します3
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【542】[601]「日本人だって、自分たちの運命を自分たちで決めることぐらいはできるんだ!」副島先生の、魂揺さぶる大演説 2011年6月16日 文京区民センターにて
群馬のゆみこ(優美子)です。
2011年6月16日(木)午後6時から東京の文京区民センターで行われたシンポジウム「小沢一郎と日本の新しい政治」に行ってきました。副島先生が「福島の現場からの報告」という演題で20分間、大演説をなさいました。超満員の会場は、“インテリ“の「放射能危ない、子供を守れ派」がほとんどだったろうと思います(半分は意図的に煽(あお)っている人々かも知れません、また半分以上が白髪頭だったかな)。こんなところに来るぐらいですから、ただ家でテレビを見ている人たちではなく、本を読んだり、反原発デモなどに参加している人も多いでしょう。
テーマは「小沢一郎と日本の新しい政治」(副題:大震災と原発大事故により存亡の危機に立つこの國をどのように救うのか)、出演は森ゆうこ参議院議員、副島隆彦先生、川内博史(かわうちひろし)衆議院議員、辻恵(つじめぐみ)衆議院議員、植草一秀先生、平野貞夫さんでした。
文部科学省が4月に、福島の児童や生徒の被曝線量の上限を1mSv/年 から20mSv/年 に上げました。わたしはこれを、日本の国として良い判断をしたと思います。日本放射線影響学会は、実際には100mSv /年 以下の被ばくなら健康への影響はほとんどないと言っています。(普段みんながしている不摂生が健康に与える影響と同じくらいです。100mSvなら、野菜不足とおなじくらい。一人暮らしなら、たいていみんな野菜不足よね。)
【日本放射線影響学会 福島原子力発電所の事故に伴う放射線の人体影響に関する質問と解説 (Q&A) Q8】参照:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jrr/gimon/gimon.html
いまは平時ではなく、原発事故が起こってしまったのですから、人が人らしく生きていくために、また、国が機能不全に陥(おちい)らないために、国として被曝量の上限基準を上げるのは当たり前です。
しかし、これを、5月23日に文部科学省前に福島の父母が座り込んで撤回要求し、対応した渡辺格科学技術・学術政策局次長(中田安彦さんもblogに書いていましたが、こんなときにお役人を矢面に立たせるなんて、大臣、議員は情けないです)が「上限を1mSv/年 を目指す」と言いました。森ゆうこ議員と川内博史議員はこの撤回要求を推進したそうです。
この日は、森ゆうこ議員が一番始めに演説をやりました。検察審査会はインチキだという証拠が出てきたというような話と、菅直人のことが嫌いだ、という話をして、終わるとすぐにお帰りになりました。
次が副島先生の演説でした。森ゆうこ議員が副島先生のこの演説を聞かずに帰られたのは、とても残念でなりません。それでは、副島先生の魂揺さぶる大演説を、だいたいな感じで書き起こしましたので、お読み下さい。森ゆうこ議員も、ぜひ動画を見てください。
動画はこちらです。
【動画:副島先生の演説】シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」:http://www.youtube.com/watch?v=3oo_D11yy1E
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私は3月17日、18日に小沢一郎系の民主党議員に「現地に行きましょう!防護服を借りてください」と言ったが、誰も行くと言わなかった。議員が行くなら防護服を貸すが、一般人だけでは貸せないと言われたので、しょうがないから防護服なしで、弟子を一人(石井利明さん)連れて、3月19日に現地まで行った。
私は幽霊の正体を見た! 皆さんは見てません! 私は3ヶ月間、福島の現場を見てきた。 皆さんは見てません! 政治家たちも見てません! 残念ながら、我らが偉大な指導者、小沢一郎でさえ、世界最高情報(もう放射線は大して出ていないので、事故は終息する、日本は救われたということ)から遅れました!
日本初の女性首相になってもいいと思うくらいの森ゆうこさんも、そしてここにいる川内博史さんも、もう一度ご自分の見識や考えを、現場から、福島から見直していただけませんか。
福島県の玄葉光一郎や渡部恒三に挨拶しなければ、災害の現場に行けないなどということは無い!
皆様の脳くらいは、国家権力は、世界権力は簡単に操れるんだ! 私でも危なかった!
3月16日、17日で放射線物質の放出、拡散はもう終わったんだ!
私は3月19日に原発正門前に行き、放射線量を測り、真実を見た。(もう、たいした放射線量ではなかった。)
3月末からおかしな動きが始まった。
それまでボーっとしていた知恵のある、皆さんのような60年安保を闘い、70年安保を闘い、そのあとの闘いをやってきた人たちが、なぜ、本当の意味での知恵を、見識を、思想を持たないのか!「危ない危ない」で、どれほど日本国民が操られ、引きずられ、そして皆さん自身の脳が操られているか!
いま福島県が雇っている山下俊一長崎医大教授 放射線医学専門家が正しい。それを皆さんがいじめた!
皆さんは、絶対に福島に行かなきゃ行けないんだ!郡山市、福島市じゃだめだ!もっと原発の近くに、30km地点、20km地点に行かなきゃダメだ!なんで、おなじ日本人なのに、東京からたった200kmしか離れていない福島に行かないんだ!
福島原発は、核爆発=再臨界(チェルノブイリ)は起きない。これは御用学者、原子力工学者全員が知っていることだ。私は森ゆうこ議員にも確かめた。
私は原発の正門まで行って、自分で放射線量を測って「なんだ、たったこれだけだ」(3月28日 わずか860μSv/時)と分かった。
○○Sv/時に、単純に8765(1年分)をバーンと掛けたものと、現場の作業員が胸に付けている線量計の数字とはぜんぜん違うんだ。それを、知識があるフリをした多くの東京のインテリ、左翼、菅直人を引きずり下ろしさえすればそれで何事かができると思う人間たち全員が、パーンと脳をやられたんですよ!
急に3月末からおかしな気配になった。武田邦彦という恐ろしい、おかしな御用学者が・・・来週この男との『原発事故、放射能、ケンカ対談』という本が出ます・・・5月3日に郡山まで呼びつけました。この男がころっと態度を変えて、「危ない危ない」を言い始めた。
私たちは(原発事故から)救われたんだ。
恐ろしいIAEAの天野之弥さんたち、何者かの大きな力に支配された人々によって、日本は再占領されたんです!いま首相官邸の中に、オペレーションルームに、アメリカ人のIAEAの高官でありながら、軍の高官である人間が、すべてを指揮しています!第一、第二原発の中にいるガトリングという軍人がテレビ電話で毎日のようにホワイトハウスと連絡を取り合っている。
だから、日本人ごときが日本国の運命を決めているのではないんだ!
「11,500tの汚染水、こんなの雨水だ、流せ!」「燃料棒に触れた800tの水をタンクに入れろ!」こんなことを日本人ができるわけがない。だからアメリカ、ヨーロッパから批判が出ないでしょう。3月18日にはもう株を上げると(支配者たちが)決めた。円も、G7で1ドル76円まで落ちたのを82円に戻してたでしょう。
世界を管理する者の力の大きさに、私たちごときは操られるんですよ!このことの恐ろしさに気づかずに、なぜ、小沢一郎という政治家を支える、日本のもっとも見識のある私たちが騙(だま)されなきゃいけないんだ!
この中にもいろんな派閥の、いろんな種類の、いろんな団体の活動家がいるけれども、私の目の黒いうちは、小沢一郎が育てたまだ若く知恵と経験と能力の足りない政治家たちの周りに、おかしな集団を秘書として潜り込ませることは許さない!
自民党の政治家をボロボロにしたのと同じような集団が、小沢一郎の若い政治家たち、これから私が立派な政治家にしていこうとしている連中を、同じようにボロボロにすることは、副島隆彦の目の黒いうちは、絶対に許さない!
子どもを人質に取って、なんと言うことをする。70km圏まで子どもたちを集団疎開させると言ったバカがひとりいて、私は怒り心頭に発する。福島の人たちがどれくらい脅(おど)されて、怖い思いや嫌な思いをしているか。「しかし、わたし達はここで生きていくしかないんだ」という福島人の切実さを、東京の人間は理解していない。東京にいる皆さんはあまりにも傍観者でありすぎる。たった2ヶ月で、みんな何を吹き込まれたんだ。
『ショック・ドクトリン』というナオミ・クラインが書いた本がある。政治テロと大災害で民衆を、国民を、恐怖で支配しようという思想によって、いま動いてるんです。皆さんもそれにやられてるんだ。
【動画 ナオミ・クライン インタビュー 5:32】ショックドクトリン(抜粋版):http://www.youtube.com/watch?v=6iGLifiaUmE
だから、私は安全宣言を出して、天皇陛下までが原発正面まで行って、「さあ、復興するぞ!こんな微量の放射能はなんでもない。日本国は復興するぞ!」という掛け声の下で復興しようと思ったら、4月になっておかしな弾がパンパンパンパン飛んできて、結局、福島第一原発付近に核廃棄物処理場を作るという計画が着々と進んでいる。
ここにいる皆さんが、自分が騙されているかもしれないと、もしかしたら自分が間違っているかもしれないということを考えなければならない。いったい何のために、私たちは小沢一郎をここまで支えてきたんだ!なぜ、小沢一郎とわたし達が切り崩され、おかしな後退をしなければならないのだ!
悪巧(わるだく)みをする連中は、ものすごく悪いんだ!
私たちはすぐ騙(だま)されるんだ。小沢派の若い政治家たちはまだまだ経験が足りないし、最高情報を与えられている枝野や仙石に勝てるわけが無い!
こういう汚い、恐ろしい本当のナマの政治を語らないで、いったい何を政治だと思っているんだ!
あのバカ(菅直人)を操っている人間たちがいることを、なぜ分からないのだ!あんなやつら(菅直人)が何かを判断しているのではない!もっと大きな、アメリカ、ヨーロッパの、世界を握り締めている連中が、日本国の運命まで支配している。そこから何とか身を振りほどいて、部分的に独立していかなきゃいけない。きれいごとじゃありません。
小沢先生の政経フォーラムで話そうと思っていたこと、国民一人ひとりが自覚する政治が大事だということ。それは小沢一郎政権ができたとしても、この現実は簡単には変わらないんですよ。働いている人の現実が少しでも良くなるかどうか、そんなことは分からない。しかし、責任を取らなくてはならない。それを小沢先生は分かってる。現実政治できれいごとを言うな、夢を言うな、理想を言うな、希望とかいうな!それを小沢一郎は私たちに言っているということが、わたしには分かっている。
誰かに期待して、あてにして、小沢一郎が政権に着けばこの国が理想の国になるなどということは無いんだ!がしかし、自分たちの運命を自分たちで決めることぐらいは出来るんだ、日本人は!
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以下に、シンポジウム後のわたしから副島先生へのメールの部分を載せます。
(はりつけはじめ)
先生のきのうの演説はすごかったです。そして、ほかの人たちの演説を聞いて、また聴衆の反応やらを聞いて、雰囲気を肌で感じて、やっと先生が「東京の人間は冷たい」とおっしゃっていることが分かりました。
問題意識を持っている人たちが、ましてや国会議員が、なんで200kmしか離れていないのに、現地に行かないんだという先生のお言葉に、情けなくて悲しくて本当に涙が出ます。そして、この日本再占領の危機を分かっていないなんて・・・。
大前研一さんも、この原発のことで議員に呼ばれて何度も説明したが、結局、彼らは大前さんの言っていることが理解できない、ということが分かった、と言っていました。政局とかスローガンを言っているだけのレベルの人たちだと。
『大前研一のBBT757ch』 16:30くらいから:
http://www.youtube.com/user/BBT757program#p/a/u/3/Y9NnRRYiHes
でも、ちょっとくらいバカでも、現地に行けば分かることがあります。
本当に、事故直後の先生が国会議員に「一緒に現地(原発)へ行こう」とおっしゃった時に、どうして誰も行ってくれなかったかなあ、と思います。
(はりつけおわり)
以上
【541】[600]1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし」 東京の放射性物質降下量
続けて、会員の平田裕子です。
先の[599]川内博史議員とお話しして思ったこと、で紹介した、2011年4月28日の産経新聞の記事を貼り付けます。
(転載貼り付けはじめ)
●「1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし」 東京の放射性物質降下量」
2011年4月28日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110428/trd11042823060023-n1.htm
東京電力福島第1原発の事故で現在、東京の地表から検出される放射性物質(放射能)の量は事故前の数万倍に上る。しかし1960年代初頭にも、海外の核実験の影響で、日本でも同レベルの放射性物質が検出されていた。それでも健康被害が生じたことを示すデータはなく、専門家は「過度な心配は不要だ」との見方を示している。(小野田雄一)
<パニック起きず>
研究機関「気象研究所」(茨城県つくば市)によると、これまで放射性物質が国内の地表から最も多く検出されたのは63年(昭和38年)6月。東京で放射性セシウム137が、1カ月間で1平方メートル当たり550ベクレル検出された。
米国や旧ソ連が繰り返した大気圏内での核実験で拡散した放射性物質の影響によるものだ。以降、数年間、1カ月に1平方メートル当たり数十~数百ベクレルを観測した。
その後、60~70年代の中国などによる核実験やチェルノブイリ原発事故(86年)で放射性物質の降下量が一時的に増えたものの、90年代以降、1カ月の地表への降下量はピーク時の1万分の1以下となる0・01ベクレル程度に落ち着いていた。
「雨が降ると、親や先生から『放射能が含まれているのでぬれないように』と注意された」。都内に住む男性(61)は小学生当時をそう振り返る。ただ、社会がパニックになった記憶はないという。
1962(昭和37)年度の厚生白書などによると、相次ぐ核実験を受け、国は61年、「放射能対策本部」を設置。同本部は「汚染はあるものの人体に影響はない」と判断していた。このため、水や食品の摂取制限などは行わなかった。
<4月は数百ベクレル>
都内の放射性物質を測定している「東京都健康安全研究センター」(東京都新宿区)の4月1~28日の観測によると、同区の1平方メートル当たりの降下量は、最大値が11日の170ベクレル、最低値が12日の4ベクレル。降下量は降雨など天候で大きく増減するが、単純計算すると、月間数百ベクレルとなる。
同センターは「健康に影響が出ることはないと考えている」としている。
原発周辺の福島県の1平方メートル当たりの降下量は、測定結果がまとまっていない日も多く、月間降下量が不明で、これまでのところ過去との比較はできない。
<過度の心配不要>
「放射線医学総合研究所」(千葉市稲毛区)も、現在の東京の地表から60年代と同レベルの放射性物質が検出されていることについて「望ましいことではないが、健康への影響はないと考えられる」とする。
「このレベルの放射性物質が健康に影響するなら、50~60年代を生きた世代のがん発生率や死亡率が他の世代に比べ高くなっているはずだが、そうした統計的なデータはない」と理由を説明した。
ただ、インターネット上には放射性物質とがんの因果関係を結びつけるような書き込みもある。
「日本人の死因は長らく(1)脳卒中(2)がん(3)心疾患-の順だったが、81年にがんが首位になり、がんで死ぬ人の割合は右肩上がりに伸び続けている。50~60年代に放射性物質を多くの日本人が取り込み、がんの発症率が高まったためだ」
この指摘に対し、同研究所は「長寿になるほど、がんの発症率は上がる。がんは複合的な要因で発症するが、がんが増えた一番の理由は、日本人が長寿化したためだと考えられる」と否定。その上で「ストレスがたまると免疫機能が低下し、がんなどの発症率が上がってしまう。神経質になりすぎるのも禁物だ」と過度の警戒に注意を促している。
(転載貼り付けおわり)
今は、2011年で測定が始まってからフォールアウトの最大値を検出した1963年から48年が経ちました。副島隆彦先生は、1953年生まれですから、1963年は、ちょうど10歳でした。成長期に放射性物質が多い中で育った、ということになります。しかし現在も、お元気です。
さらに、日本の全人口に占める割合において、1960年代前半の人口が極端に少ないということもありません。もし、特に赤ちゃんにとって、放射性物質が脅威でガンの原因ならば、1960年代前半に赤ちゃんだった人は、今頃はガンになって、元気に健康に暮らせていないでしょう。でも、私はそういう事実を知らないし、60年代前半に生まれた知人もたくさんいます。
だから、今、「赤ちゃんや小さい子どもにとって放射性物質は特に危険」ということは、一概に言えないと私は思います。
「放射性物質の恐ろしさ、健康への影響は、時間の経過がないと分からない」と言われています。でも、最大だった1963年と今が同じぐらいの量であるということは、やっぱり、気にしすぎが一番カラダに悪い、という結論も導き出されます。
やっぱり「病は氣から」を私は第一に支持します。セシウムとか、ストロンチウム、プルトニウムが検出されたって、そんなの気にしないで、いつもの日常を過ごしましょう。人間のカラダは、そんなに軟(やわ)にできていない。
【540】[599]川内博史議員とお話しして思ったこと
会員の平田裕子です。
私は、さる6月16日に開催されたシンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」に参加しました。その会場で、民主党の川内博史衆議院議員とお話しする機会がありました。以下に、私が川内議員とやりとりしたことを、ご紹介します。なお、立ち話で、メモをとっていたわけではありませんので、言葉は一字一句そのままというわけではありません。予めご了承ください。
平田「私は放射能や放射線が人体に与える影響について、自分なりに調べて勉強しています、平田と申します」と、まず名乗りました。川内議員は、国会議員らしくニッコリうなずいてくれました。
平田「1963年が、米ソの核実験の影響で、日本にも降ってくる放射性のチリ、フォールアウトの量が最も多くて、今の福島の原発事故で降っている量と、同じぐらいだと、という発表(2011年4月28日の産経新聞の記事)があります。でも、1960年代に生まれた人や、その前から生きている人は、今も元気な人が、ほとんどです。だから、やみくもに、放射能が危険だ、と、恐れてばかりいても、しょうがないのではないですか?」
川内議員「政府は(国は)、そのデータを認めていません」
平田「でも、そのデータを発表しているのは、気象庁の気象研究所なんですよ」と、反論してみた。
川内議員「政府は、そのデータを認めていないんです。今回の福島は、広島の原爆の100個分のストロンチウム(だったと思う)が放出されているんです。広島・長崎で原爆にあっても、大丈夫だった、という人がいますが、今回の量は、広島の原爆の100個分なんですよ」
平田「あー、そうなんですか。いろいろな意見がありますね」
川内議員「ボクは、いろいろと調べて勉強しています。それと、コワイ・キケンだは、言っていません。確かなデータは、ないんですよ。だから、不確かなことは言えないんです。国は認められないんです」
平田「分かりました。これからも、また、いろいろと調べて、資料をお送りします、平田です」と言うと、川内議員は、握手を求めてきたので、私もニッコリ笑顔を返して、握手しました。
そのとき私は本当に、放射線が今のレベルなら怖くない、大丈夫だということをもっと調べて、川内議員の事務所へ資料を送ろうと思いました。
その後、帰ろうと、友人のOさんとKさんとエレベーターを待っていると、川内議員がお手洗いから出てきて、また、会いました。私は、数分前に彼に意見を言ったばかりなので会釈すると、ニッコリして、私の友人に握手しようと、川口議員が近づいてきました。
Oさんが日本放射線影響学会の発表している資料を川内議員に見せて、説明すると、「これはウソ(間違い)です」というような、否定することを言いました。いきなり否定されてしまったので、ちょっとOさんも驚いて呆れていました。でも、その資料を手渡したら受け取って、川内議員は見もしないで、折りたたんでいました。
それから、Kさんが「ICRPは、100ミリシーベルトは、大丈夫。ガンになる確率が0.5%上がるだけだ、って言っています」と言うと、
川内議員「ICRP、国際放射線防護委員会は、そんなことは、言ってません。よく、読んでください」と、和やかな雰囲気から、ちょっと怒っているような感じの態度に変わりました。
今、この場で川内議員に、いろいろと意見を伝えても通じないと、私は思いました。
彼の脳の中は、人体に対する放射線の量は、「国際機関が決めた量を絶対に守らなければならない」の1点張りなのでしょうか。「今は非常事態だから、臨機応変に対処することも必要だ」、という余裕がないのかもしれません。
言い換えれば、「放射線なんて、年間100ミリシーベルトでも大丈夫だ」と言って、後から「大丈夫だって言われたけど、やっぱりガンに、病気になったじゃないか」と、責任追及されることを、恐れているのでしょう。自己保身だと、私は思います。
国会議員として、国民に不確かなことは言えない、という気持ちは理解できます。でも、あまりにも厳しすぎる放射線量の規定を重視しすぎて、そのことでかえって冷静さを失っている国民(とくに小さい子どもを持つ母親)に与える悪影響の方が大きいと私は考えます。
このシンポジウムで川内議員は「1ミリシーベルトは、60兆個の細胞全部、1コ、1コに放射線が突き刺さって、キズをつける、20mSvなら、20本刺さる」というようなことを言いました。
一度に、1ミリシーベルトを浴びれば、確かに、細胞にキズをつけ、DNAに損傷を起こすかもしれません。でも、積算の1ミリシーベルトでは、同じ影響が出るとは、私には考えられません。そもそも、人間の体の細胞の数は、80兆個という説もあります。人間には自己治癒力があります。
私は、自分の人生は、人や国のせいにしないで、自分で選択し、判断して生きていきたいと思っています。自分が蒔いた種は、自分で刈り取るということです。
運命を受け入れ、そのとき、そのときの選択を自分のアタマで考えて、最善だと思うことを選んでいきたい。もし、判断に迷うときは、自分が師と仰ぐ人ならば、どのように選択するだろうか? 天は、どのように判断するだろうか? と、自分と置き換えて考えてみることにしています。
今ある現実に対して不平不満を言っても、ただ言っているだけでは何も変わりません。
放射線、放射性物質に対して、怖い、ガンに、病気になるかもしれない、と不安を抱いても何も変わりません。それよりも、自分のカラダに取り込んでしまったかもしれない放射性物質をいかに排出させるかを調べて、その方法を実践する方が効果的です。
私は、ただただ遠くから、放射線が危ない、放射性物質がコワイと言って騒ぎ立て、不安をあおるのではなく、現実にどのように対処したらいいのか、何に気をつけたらいいのか、自分のカラダを守れるのかを、発信していくべきだと思います。また、そのことを実践していきたい。
【539】[598]東北被災地支援ボランティア体験談
会員番号6984番・高田 聡と申します。
こちらの掲示板には初めて投稿させていただきます。私は副島隆彦先生のことは以前から国内外の政治について書かれた本を読んでおりました。
東日本大震災のすぐ後に福島原発についてのコメントを出されて以来、こちらの掲示板を拝見するようになりました。副島先生の政治についての膨大な知識と卓越した世界の動きを読む力から、私もその潮流を学ばせて頂いております。
私は3月末より知人と被災地(仙台市)に出向いております。もう報道でその多くが流されていると思いますが、私がお会いした被災者の方についてを投稿致します。
4月24日の東北方面ボランティアは、青年とベテラン合わせて8名で行ってきました。
仙台市宮城野区〇〇という場所を対策本部で聞いて、ナビを頼りに現地へ向かいました。
現地は、まだ田畑に車が流れ着いたままになっているところで、道路は自衛隊によってきれいにされていましたが、個人の敷地内は津波が運んできた泥、瓦礫、根から引きぬかれた樹木が山積みになっていました。
家屋は、倒壊したり、壁に大穴が空いていたりしていました。所々では、屋根と柱を残して全て取り除かれてしまっている家もありました。まるで、解体工事の現場みたいです。一軒一軒の土地も広くて、家も昔ながらの立派な家が多い地区でした。
私達がナビで到着したお宅は、一階の床が剥がされていました。近くに汚泥処理場があったので、そこの汚泥が床下に入っていると聞きました。剥がした床下からは、真っ黒なヘドロがバケツで外へ運びだされていました。
私たちは、すぐ近所にあったそのお宅の幼なじみの家に案内されました。私達が到着したときには、すでに東京から泊りがけで来ていたボランティアが家の中の泥を運び出していました。床、戸棚、押入、タンス、全てが水に浸かって畑のものらしい泥が至る所に溜まっていました。窓ガラスを見ると、ちょうど浸水した高さまでが汚れていました。
およそ190センチくらいでした。190センチの線から下は、泥が溜まって、木材は水に浸かった跡でしたが、その線から上の天井、照明、障子、カーテンなどは、全く綺麗なままでした。私たちは、押入れに造りつけであったタンスが開かなくなってしまったので、開けて欲しいと頼まれました。8人が4人ずつに別れて、若手で泥を運び出し、ベテランでタンスのこじ開けをしました。泥の運び出しといっても、戸棚に積もっていた泥を掻いて、戸棚の中に元々あったそのお宅の物を分けながらなので、すこしずつしか進みませんでした。棚の戸は、木が水を含んで膨張しているので全く動きません。スコップでレールを壊してやっと戸が外せました。缶詰や醤油の瓶がそのまま出てきました。
戸棚が終わると、部屋を移り、他の飾り棚に取り掛かりました。引き出しを一つづつ外しながら、中身を分けて、泥を掻きだしました。
ベテラン組は、タンスに苦戦していました。正面からバールでこじ開けようとするのですが、こちらも水を含んだため一向に歯がたたない様子でした。作戦を変えて、上から順番に壊していくことにしました。うえから、ベニヤ板をはがして一番上のタンスの中身を出しました。通帳、お財布、孫のおもちゃ、洋服、着物と3月11日までの生活していたそのままの状態が出てきました。家の人は、あーもう使えないね。としか言いませんでした。タンスの中まで水が入り、中身を出すと水が滴り落ちました。着物もタンスの奥に大切にしまってあるものだったのでしょう。一段目の中身を出してから、大きな木槌とバールでどんどんと解体していきました。途中、昼休みが入り、道路際に座ってお弁当を食べました。元は美しい田園風景と大きな家が並ぶ場所だったのが、一面流れ着いて横たわっている木や泥、草、壊れた車、半分だけのブロック塀の光景です。その頃には慣れましたが、到着したときは生臭さが辺りには漂っていました。あまり食事をしたいとは思いませんでしたけど、身体を動かすために食べました。周りのボランティアの人とも色々話ができました。
午後から、若手も加わって、例のタンス解体を続けました。タンスが2ヶ所完全に解体が終わる頃には、予定時間の3時になっていました。現場の責任者が、時間を伝えに来てくれて、終了しました。私たちは、その家の奥さんに挨拶をしました。
家に住めるようになるまで、どのくらいの時間と仕事があるのかは誰も計れませんでした。奥さんは丁寧に御礼を述べていました。
私たちは、有難うございました。と言いました。これだけしかお手伝いができない。その残念さを感じていました。一人が、また来させてもらいますから。と言いました。できるなら、家に住めるようになるまではお手伝いしたい。そんな気持ちでした。床を剥がしていた最初の家で手や靴を洗っていると、今回のボランティアの代表者が、挨拶に来てくれました。
私は携帯番号を交換して、今後も継続的に来たいことを伝えました。彼は、東北だけでは何ともならないし、この先半年くらいでは全然片付かないでしょうから、ぜひお願いしたい。と言いました。その後に家主さんの希望で、ボランティアに来ていた人と記念写真を撮りました。家主さんは、全員入って欲しいと言って、もう一度写真に入らなかった人と撮りました。
写真を撮り終えると、家主さんがみんなに挨拶をしました。皆さんが来てくれるその気持ちがとても有難い。と言って、深々とお辞儀をしていました。有難うございました。と何回も言って、泣きながら御礼をしていました。私は頑張ってください。と家主さんに声をかけるよりも、自分が頑張りますと言いたい気分でした。私たちは、大変な災害現場に足を運んで行っても四時間ばかり車で走れば、安心できる家に帰って来られます。でも、今日会った方々は、近くにアパートを借りて、毎日毎日泥だらけの家と庭に積み上がった泥と瓦礫の山を少しづつ片付けています。〇〇地区はライフラインが復旧しました。とニュースではあるけど、ライフラインの復旧から先は、被災者自身でやらなければいけない事が沢山あることがわかりました。
お金(義援金)、労力(ボランティア)の両方を継続して、被災地に送っていかなければいけない現状が、ハッキリと分かりました。
支援が、一時期の流行りみたいに、数ヶ月で忘れてしまう事がないようにと思いました。
【538】[597]東京中心の体制を即やめる必要がある
世界最大の『いなかもん(が集まる)』都市
東京を中心とする体制が続く限り、日本人は決して幸せになれないと
考えます 徳川家康の上方(京・大坂)に対するコンプレックスが
災いして、江戸幕府を開いて(1603年)から今年で408年
1853年 ペリー来航
1945年 広島と長崎に原爆投下
2011年 福島原発大爆発
アメリカにまたしても、『やき』を入れられてしまいました
なぜ、そうなるのかといえば
欧米人の脅しにやすやすと屈したうえに
無理をしすぎた『東京(江戸)を中心とする体制』を
単細胞よろしく、思考停止状態で継続していることが原因です
昨年(2010年)中国が世界の中心になりました
東京は北京・上海から遠すぎます
大阪が適度な距離に位置します
福岡は規模が及ばない
名古屋は(位置・規模とも)少し中途半端
東京を中心とした体制に傅(かしず)いてきた方たちには
俄(にわ)かに受け入れられないとは思いますが
大阪を中心とする体制に変えていく必要があると考えます
これからはアメリカと中国の『W隷属国家』として
もう少し『ましな国』にしていこうではありませんか
『まともな国』にする話は、来世紀になってからでしょう
それぐらい、時間がかかります
日本人ひとりひとり一から出直しです
【537】[596]日本では甲状腺への影響は出にくい。
壮快 2011年8月号の一部分
日本では甲状腺への影響は出にくい。
東京電力福島第一原子力発電所の事故が、日本全体に深刻な被害をもたらしています。日々放出され続けている放射性物質が健康に与える影響を、懸念されているかたも多いでしょう。
放射性物質を含む飲食物を摂取する場合、放射性物質の吸収をおさえて、放射線による影響を軽減することができます。その工夫の一つが、食生活です。
旧ソ連(現在のウクライナ) で起こった、チェルノブイリ原発事故を例に考えてみましょう。
チェルノブイリ原発事故では、近郊のキエフなどで、子供たちに甲状腺ガンが多発しま
した。
一方、ポーランドでも大量の放射能を感知しましたが、ポーランドの子供は、ほとんど甲状腺ガンを発症していません。
これはなぜでしょうか。
甲状腺には、ヨウ素が多く存在します。このヨウ素が不足していると、体内に入った放射性ヨウ素が甲状腺にたまって、ガンを引き起こすのです。
海から離れたキエフでは、ヨウ素が豊富な海藻などを摂取する習慣がなく、慢性的にヨウ素が不足していました。しかし、北部が海に面したポーランドでは、ヨウ素を摂取する機会に恵まれていました。この食習慣の違いが、ガンの発症率に影響した可能性があるのです。
このほか、旧ソ連は事故の情報をしばらく公にしなかったため、放射性物質によって汚染された牛乳を、住民が数年間飲み続けていました。
また、ポーランド政府は、原発事故後にヨウ素剤をすぐ住民に配布したのに対し、旧ソ連ではそうした配慮がなかった点も、明暗を大きく分けたと考えられます。
日本でも、コンプなどの海藻は非常に身近な食材です。また、厚生労働省の定めた暫定基準値を超えて放射性物質が検出された食材は、出荷が制限されるため、市場で流通していません。
このため私は、食品による内部被曝(呼吸や食事によって体内に入った放射性物質から放射線を浴びること) に限っていえば、日本ではキエフのような甲状腺への影響は出にくいのではないか、と考えています。
前川和彦先生
昭和42年、東京大学卒業。
(独)放射線医学総合研究所緊急被ばくネットワーク会議委員長。
放射線事故医療研究会代表幹事。
1999年9月に起こった茨城県東海村でのJCO臨界事故の際、救急医学の専門家として
被曝した作業員の救急治療に当たった。