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Loginはこちら【594】[656]福島本部活動日誌です17
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年8月8日の日誌です。
台所を掃除してくれたのはKさんでした。大変有難うございました。
朝6時に起きたら、床にスーツで寝ていました。
朝ごはんは、Kさんから頂いたスイカだけでした。
Fさん、Hさん、Iさんが朝に電車で帰りました。
大変お世話になりました。
午前10時20分にNさんが来ました。
10時30分に先生が駅から帰ってきました。
パン、おにぎり、いなり寿司、豆腐を買ってきました。
午前11時に外に調査に出発しました。事務所の車とNさんの車に分乗して、10人でした。
まず、南相馬市の石神第一小学校に行きました。
Hさんが炊き出しの時に拠点にしていた所です。
半分に減ったとはいえ、まだまだ避難民の方が残っていました。
昼食は、南相馬市の検問所近くの食堂でとりました。冷やし中華を頼む人が多かったです。
私は味噌ラーメンでした。600円とメニューの中では安かったからです。
昼食を食べ終わった後、原町の検問所に記念撮影にいきました。やはり先生が警備の警察官を言い負かしました。
「お前達は木と一緒なんだぞ。邪魔するな」と言っていました。・・・その方が、警察官にとってもいいのではないかと思いました。
原町の海岸に行きました。まだまだ撤去はすすんでいませんでした。
飯館村に行きました。
空気中が5μSv/hで、地面が45μSv/hでした。
以前にIさんが行った時よりも、地面の積算量が少し減っていました。7月8日時点では、地面は50μSv/hでした。
帰る途中、飯館村とかかれた石碑が、下3分の1ほどが草に隠れてしまっていました。
帰り道でIさんから電話がかかってきました。ずっと草刈りや看板設置の仕事をされていました。
大変有難うございました。
かわうちの湯にはいけませんでした。かわりに、10時に家の子供用プールに皆でお湯を溜めて入りました。
夕食は9時からでした。
Hさんにお酒を大量に飲まされて、あの世に旅立ちそうでした。
ダンディーで格好良いおじさまという最初のイメージは吹っ飛び、チョイ悪おやじを飛び越して、ウルトラ不良中年でした・・・。
有難うございました。ただ、私は2次元に行くまで死ねません。
どうか次の機会では、お手柔らかにお願いいたします。
泥酔した後、アルル先生に酷いセクシャルハラスメントをしてしまいました。
アルル先生すみません。散々な目に遭わせてしまいました。
酔っ払って泥酔した後、8月8日午前2時くらいにソファーで寝ていました。
歯医者の予約を10日に延期しなければなりませんでした。次は必ず行きます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月9日の日誌です。
午前9時から朝食を食べました。
インスタントラーメンにもやしや豆苗やキャベツが入っていました。
昨日の夕食もそうだったのですが、Hさんの料理はとても美味しくて悔しいです・・・。
午前10時にKさんが来て、シャワーの増設について打ち合わせをしていました。
何から何まで本当にお世話になっています。
午後12時、先生も含め7人が帰りました。
先生が帰った直後、Yさんの奥様が尋ねてきました。
看板を見て「これより良いことはない」と言っていました。
午後1時に、会員ではないですが、Kさんという方が夫妻で尋ねてきました。
麦茶と来客用のゼリーを出しました。アルル先生が主に対応しました。
午後2時、疲労が限界までたまったので、ソファーに寝てしまいました。
Kさん、アルル先生、下仲さんは、かわうちの湯に行きました。
話によると、川内村の立派な温泉です。
私は疲れが溜まっていたので、ベッドで眠り続けていました。惜しいことをしました。
夕食は各自が適当に食べました。
私は3日前に余っていたご飯を気合で全部、アルル先生はカップラーメンとサトウのご飯を、下仲さんはラ王というカップラーメンを食べました。
最後になってしまいましたが、合宿に参加された皆様、大変お世話になりました。
一杯、御礼を申し上げなければならないことがあるのに、多すぎて書ききれません。
また、日誌に書き忘れたことも多々あります。
どうか、ご容赦ください。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月10日の日誌です。
今日からしばらく、下仲さんとアルル先生が福島にいます。
朝6時に起きて、ご飯をセットし、皿を洗いました。
朝食は、ご飯、肉、納豆、卵、でした。
洗濯物をし、布団を干し、風呂に入って体を洗いました。
今日は天気が良くてよかったです。
午前10時半に歯医者に行きました。正しい歯の磨き方のレクチャーを受けられて儲け物でした。
正午過ぎに、会員のIさんが来ました。
この前の講演会、金融講演会、ともに参加したそうです。
また、宮城に向かう途中で寄られたそうです。
Iさんには、ビール3本と麻婆豆腐、トマトとチーズのドレッシングがけを出しました。Iさんは2時半に検問所を見に行きました。今日は福井県警だと言っていました。
午後3時からひまわり畑に行って、鍬で表に出ている草を8分の1だけ刈り取りました。
効果があるかは疑問ですが、やらないよりはましだと思います。
同時に、岩風呂に使えそうな石のある場所を見て回ったのですが、草が生い茂っていて、川へ下りられそうな場所がなかなか見つかりませんでした。
午後5時半、工事現場から川に降りられました。
丸い石を集めたので、自転車の籠に2杯分しか集まりませんでした。
持ち帰るのも含めると、2時間半かかりました。
石は子供用プール側に置いてあります。
アルル先生が転倒して負傷しました。痛みが引かなければ、立川に戻らざるを得ない感じです。
その影響で、アルル先生は夕食を食べずに、ソファーで休んでいます。心配です。
副島先生の仰っていた通り、風呂の写真、看板の写真、集合写真を画像掲示板にうpしました。
宜しければご覧ください。
下仲さんと昨日、今日と話しているうちに、彼こそはthe last manそのものなのではないかと思うようになりました。
私はとても及びません。下仲さんこそは新世代の人間です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月11日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを出しました。
昨日もプラスチックごみを出していたのですが、なんだか余裕がなく、日誌に書いていませんでした。
やっと普通の日々に、ある程度は戻れた感じです。
下仲さんの朝ごはんは桃でした。
アルル先生はお茶のペットボトルを朝食代わりにしました。足を冷やすための保冷剤もアルル先生の居る二階に持って行きました。
私は麦茶の残りでした。
男の食事なんてこんなもの、です。
アルル先生は足の痛みが引かないので、都路診療所に行こうかと言っていました。
その後にアルル先生は、明日も痛いようだったら診療所に行って、明後日も痛いなら帰るしかない、と方針転換しました。
朝の9時位に、コミケの前日設営で拍手がそろそろあがったころかなぁ、と遠い有明に思いを馳せました。
洗濯機でシーツを洗いました。
先日の講演会の資料を壁に画鋲で張りました。
途中で画鋲が足りなくなりましたので、amazonで注文しました。
もう一つ貼るように指示されている、アルル先生の今度出版されるグラビア本は、スペースが足りないので、悩んでいます。
午前10時50分、大家さんの奥様が車でいらして、お茶菓子のお礼を伝えに来ました。
奥様は「副島先生に宜しくお伝えください」と言ってすぐに帰りました。
ほとんどの時間で、アルル先生は2階で研究を、下仲さんは1階で「石川日本史B講義の実況中継」を読んでいます。
アルル先生は足を負傷しているので、ずっと2階で落ち着いているしかなさそうです。
夕食前に下仲さんが「今日は勉強したー、よかったー」と言っていました。
お二人とも福島で、はかどるのなら嬉しいです。
12時半、「福島88 や 40-62」のセメント車が、裏にある畑のそばで車を洗っていました。
問題はないとは思いますが、セメントの薄いわずかな分が、こちら側の地面に落ちていました。
昼食は、蕎麦を煮て、大根、ネギ、天かす、納豆で頂きました。
アルル先生は、カップ麺のどん兵衛の方がいいそうなので、2階の湯沸かし器でお湯を沸かしていました。
下仲さんが使う扇風機がamazonから届いたので、組み立てました。
2階にある扇風機より組み立てが明らかに簡単で、少し心配になりました。
明日に捨てるビンの分別をしました。ワイン類や日本酒はこれが面倒、且つ、難しいです。
午後4時に洗濯物の取り込みをしたのですが、シーツのたたみ方が下手で頭を抱えてしまいました。
午後5時から鍬を持って、ひまわり畑の雑草を駆除しました。
まだまだ残っていますが、手にマメができそうなので、暫く自重します。
ついでに工事現場を降りて、川で石を取りました。
アブと薮蚊が襲い掛かってきたので、昨日の3分の1ほどで切り上げました。
戻ってきて、体についた砂などを洗い流すために風呂に入って、体を洗いました。
その後に、負傷したアルル先生のお世話をしました。
夕食は、私は余りものの蕎麦を処分しました。下仲さんには、さとうのごはんになってしまいました。
すみません・・・。仰るとおり、明日は3人でみや古旅館にご飯を食べに行きます・・・。
他には、下仲さんがウインナーを茹でてくれました。
2階のアルル先生には、ウインナー、パイン缶、プリン、カルピスゼリーを持っていきました。
夜でしたが、洗濯機を回しました。タオルケットや枕カバーを洗濯したかったからです。
物を買わない、物を減らす、という方針でいるのに、どうしても物が増えてしまって、ストレスが溜まります。
自分が情けないです。
今日は一時帰宅は行われていませんでした。
8月8日~10日まで行われていたので、物寂しい気分です。
また、その間は合宿だったので、写真を撮りにいけなかったのが悔しいです。
(転載終わり)
えと、この後、コミケ訪問があるのですが、・・・18番目で書くべきでしょうか?私にとっても、例のないコミケでしたが。
【593】[655]南船北馬
会員番号1149番の茂木です。
以前、学問道場のどこかのサイトで、“飲食男女”福永光司・河合隼雄共著(朝日出版社)の紹介がありました。その時に入手したこの本が、震災を契機に出てきたので読み直したところ、福永氏のいう「南の船の文化と北の馬の文化」という分類が、生命形態学(三木成夫氏)における「体壁系と内臓系」の分類と整合することを見つけました。
見つけたといっても、既に誰かが指摘しておられるかもしれませんし、私の解釈に誤解があるかもしれません。皆さんのご意見を伺いたいことと、“飲食男女”を紹介下さった方への感謝の気持ちを込めて、先日私のブログ
http://celadon.ivory.ne.jp
に載せた文章をここに転載させていただきます。
「南船北馬」(5/23/2011)
先日の東日本大地震で、書棚の本が多少崩れ落ちたのだが、片付けるとき一冊の本が目に止まった。“老子”金谷治著(講談社学術文庫)である。パラパラと頁を開いてみると、昔読んだので忘れていたが、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」「其の雄を知りて、其の雌を守る」など、このブログで書いていることの参考になる内容があった。
これはまた後日じっくり読むことにして、とりあえず老子や荘子の思想を復習してみようと思って手にしたのが、これまた本棚に奥に埋もれていた“飲食男女”福永光司・河合隼雄〔聞き手〕共著(朝日出版社)である。
この本は、臨床心理学者の河合隼雄氏が、中国哲学者の福永光司氏に「老荘思想」についていろいろと聞く内容となっている。目次を見ると、
第七章 道とはなにか
第八章 命の哲学――生老病死と飲食男女
第九章 万物斉同という思想
第十章 日本に受け継がれた老荘思想
第十一章 今こそ求められる老荘的発想
第十二章 老荘思想入門
ということで、本のサブタイトルには“老荘思想入門”とある。尚、著者の河合氏も福永氏も共に既に故人である。
この本の中で、福永氏が繰り返し述べているのが、老荘思想の「道教」と、孔孟思想の「儒教」の違いをわかりやすく示す「船の文化と馬の文化」という言葉である。詳しくは同書をご覧戴きたいが、船の文化とは、中国大陸南の老荘思想を象徴し、馬の文化とは、大陸北の儒教を象徴する。
船の文化の特徴は、天候や気候に左右される「混沌」を是とし、社会としては横に結ぶ連帯を尊ぶ。馬の文化の特徴は、天候や気候に左右されない「秩序」を是とし、社会としては縦に貫く支配構造を尊ぶ。
「南船北馬」とは、広辞苑によると、“(中国の南方は川が多いから船で行き、北方は陸地続きだから馬を馳せる意)絶えず各地にせわしく旅行すること”とあるけれど、このブログでは、南の船の文化を象徴する「道教」と、北の馬の文化を象徴する「儒教」とを対照的に示す言葉として、今回のタイトルに使用した。
さて、前回「体壁系と内臓系」の項でみた“胎児の世界”三木成夫著(中公新書)21ページに不思議な記号が書き込まれている。南北の方位を示すローマ字「N」の矢印だ。そのページには、無脊椎動物と脊椎動物の、内臓系と体壁系の横断面略図があるのだが、北の方位に体壁系が、そして南の方位に内蔵系が描かれている。
この謎解きは、三木氏の“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)に書かれている。135ページから166ページに亘る「南と北の生物学」の部分だ。その初めの文章を引用しよう。
(引用開始)
先年「胎児の世界」を描いた挿絵の一つに、人体の横断面を略図で載せたが、その時、図の片隅に、かなり唐突な感じの記号を一個入れておいた。およそ解剖図とは無縁の、それは地図に出てくる、あの「北方」を表すローマ字「N」の矢印だった。当時としては、ただ漠然と一部の読者を想定しての、それは、ささやかな問題提起だったのである。(中略)
(引用終了)
<同書137ページより>
詳しくは同書をお読みいただきたいが、ここで三木氏は、体壁系の中枢部が『脳髄』であり、“あたま”の世界は「冷」=「北」で形象され、内蔵系の中枢が『心臓』と『子宮』であり、“こころ”の世界は「温」=「南」で形象される、と述べておられる。北の「体壁王国」と南の「内臓王国」というわけだ。
この「冷の体壁系」と「温の内臓系」という対照性は、上でみた福永氏のいう「北の馬の文化」と「南の船の文化」と整合するように思われる。“あたま”=「秩序」と“こころ”=「混沌」といった対照性である。すなわち、
A 体壁系、冷たい“あたま”
a 馬の文化、縦に貫く支配
B 内臓系、温かい“こころ”
b 船の文化、横に結ぶ連帯
ということで、これをさらに先日「複眼主義のすすめ」の項で示した「公(public)」と「私(private)」の対比に当て嵌めると、
「公(public)」 「私(private)」
脳(t = 0) 身体(t = life)
都市(t = interest) 自然(t = ∞)
自立 共生
解糖系 ミトコンドリア系
男性性 女性性
体壁系 内臓系
北 南
馬の文化 船の文化
孔孟思想 老荘思想
となる。都市の孔孟思想、自然の老荘思想という対比構造は昔からよく云われている。
それにしても、中国の古い思想と現代の生命形態学とが、こうも見事に(「公(public)」と「私(private)」の対比軸上で)シンクロするとは驚きである。「複眼主義」の奥の深さを示していると思う。そういえば“胎児の世界”(中公新書)にも、「北」と「南」の双極を示唆する挿話として、「月の砂漠」と「椰子の実」という二つの歌曲への言及があった。
“飲食男女”で語られた内容は、南船北馬以外にも、老荘思想の日本仏教への影響、神道と道教など、奥が深く興味は尽きない。これからも歴史や宗教についていろいろと勉強していきたい。
【592】[654]福島県楢葉町・広野町のJヴィレッジ前にある検問所に行ってきました
長井大輔です。今日は2011年8月16日です。
8月8日、9日に福島県に行ってきました。これは私の福島報告文4になります。
http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6046225904/
【地図】福島県浜通り南部地図
8月8日に、福島県田村市(たむらし)にある学問道場の福島復興活動本部に行きました。午前3時前に埼玉県にある自宅を出て、関越(かんえつ)自動車道、東京外環(がいかん)自動車道を経由して、常磐(じょうばん)自動車道に乗って、福島県をめざしました。本当は東北自動車道を利用した方が近道なのですが、どうしても震災後の常磐道の様子が見たくて、常磐道を利用しました。
福島県相馬市(そうまし)出身の私にとっては、常磐道とJR常磐線は思い入れのある交通路です。福島県浜通(はまどお)り地方から、関東・東京方面に向かう際には必ず、常磐道か常磐線を利用します。関東地方と福島県・宮城県をつなぐ両交通路を、何度往復(おうふく)したかしれません。
いわきJCT(ジャンクション)で、磐越道(ばんえつどう、新潟-郡山-いわきをつなぐ高速道路)に乗り換えて、船引(ふねひき、福島県田村市)に向かおうと思いましたが、広野町(ひろのまち)と楢葉町(ならはまち)の境界にある警戒区域の検問所が見たくて、そのまま、常磐道を直進して、広野IC(インターチェンジ)をめざしました。
常磐道は、埼玉県三郷市(みさとし)と宮城県亘理町(わたりちょう)を結ぶ高速道路ですが、まだ全面開通していません。宮城県山元町(やまもとちょう)と福島県富岡町(とみおかまち)の間が、まだ工事中です。
ちょうど、相双地区(そうそうちく、相馬地方と双葉地方)と呼ばれる、浜通り北部を通る区間にあたります。ただし、富岡町は警戒区域(福島第一原子力発電所から20km圏)内にあるため、現在の常磐道の北端(ほくたん)は、広野ICです。そこから先は警戒区域に指定されているため、立入禁止です。
広野ICの料金所では、ちょっとした渋滞が起きていました。高速道路の料金所には、ETCレーンと一般レーンがありますが、被災者や復興支援のための車両が、無料措置を受けるため、一般レーンに並んでいたためです。
http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6045975326/
【写真①】Jヴィレッジ(福島県楢葉町・広野町)
広野ICを出ると、すぐ国道6号線に乗ることができます。6号線を北進してすぐのところに、原発検問所は設置されていました。検問所付近には、Jヴィレッジ(東京電力がつくったサッカー施設)があります。広野に到着したのは午前7時でしたが、まだ早朝だというのに、とにかく蒸し暑い。検問所が設置されている交差点で、往来(おうらい)する車両を眺(なが)めていると、作業員をのせた車両や資材を載(の)せたトラックが続々と、警戒区域の中へ入って行きました。交通整理をしていたのは私企業の警備員で、警察官たちは警戒区域への車両の進入許可を行っていました。
http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6045430343/
【写真②】楢葉町と広野町の境界にある検問所
私は南相馬市(みなみそうまし)原町区(はらまちく)、田村市都路(みやこじ)、そして今回の広野・楢葉の3カ所で諸検問所を見ましたが、原発南方にある広野・楢葉のJヴィレッジ前の検問所がもっとも、ものものしく、人々や車両の往来が激しかった。検問所の近くには東芝(とうしば)の対策本部や日立(ひたち)の復興事務所、そのほか茨城県の「東海村(とうかいむら)」と書かれた車両を見かけたので、原発事故対策の最前線は、関東方面に近い広野町やいわき市に設置されているのでしょう。
一通り、広野・楢葉の検問所の観察を終え、次なる目的地である学問道場の福島活動本部に向かうことにしました。しかし、ここからが大誤算でした。警戒区域が設定され、国道6号線が使用できない状況では、広野町から田村市に向かうには、県道249号線を西進(せいしん)して、国道399号線に乗り換え、北上するしかありません。地図を見ると、249号線は阿武隈山地(あぶくまさんち)を横切る、完全な山道です。嫌な予感が脳裏(のうり)をよぎります。もしかしら、地震による道路の崩落(ほうらく)や落石によって、道路が寸断されているかもしれない。
しかし、一刻(いっこく)もはやく福島活動本部に着きたいと思っていた私は、一か八かで249号線を利用することにしました。走ってみると、案の上、完全な山道で、急カーヴが続く、かなりの悪路でした。しかも、10kmほど進んだところで、道は落石により、通行止めになっていました。徒労感(とろうかん、無駄な苦労)に襲われながらも来た道を引き返し、しかたなく、いわき市まで後退して、そこから国道399号線を北上することにしました。
しかし、この399号線は249号線にまさる大悪路、難路で、「国道」なのに一車線、急カーヴ、傾斜の急な上り坂・下り坂の連続でした。私は盛(さか)んに、車のペダルを踏み替え、ギアを切り替えて、難関の399号線を走り切り、目的地の福島活動本部に到着することができました。広野町から田村市に行くのに、約3時間もかかってしまいました。
厳しい山岳(さんがく)道路を運転したことにより、まっすぐで平坦(へいたん)な道のありがたみが、よくわかりました。福島県の復興のためには、まず国道6号線の通行止めを解除することです。とくに浜通りは6号線がなくては、どこにも行くことができません。そして、JR常磐線を復旧し、中断していた常磐道の工事を再開し、全面開通を急ぐことです。浜通りの交通路の三本柱は、6号線(国道)と常磐線(鉄道)と常磐道(高速道路)です。三つの交通路が開通することによってこそ、福島県の復興が始まると思います。
映像編はこちらです。
http://www.youtube.com/watch?v=i4OJotgoQ6A
長井大輔 拝
【591】[652]私たちの夏合宿(研究発表会)が終わりました。そして現状の政治・経済の緊迫と急展開のこと。
副島隆彦です。 今日は、2011年8月11日です。
私たち学問道場は、9日までの5日間の福島県田村市の都路(みやこじ)町(まち)にある 活動本部での夏合宿を終え、15人が研究発表をした。これは、「SNSI(学問道場)の第6論文集 原発・放射能特集」(仮題。これでは本として売れない)となって秋には結実する。
福島の人たち(200万人)は、子供も赤ちゃんも含めて、みな元気だ。ひとりの放射能による病人もいない。5年後にもいない。私は重ねて断言する。放射能コワイコワイ派の人々の騒ぎすぎた己に向かって、恥じ入り鬱屈(うっくつ)するのがよく分かる。
以下に私が、急いでポイントフォームで書いてゆくのは、私が既に書き始めた新しい 会員ページ用 の 論文 の骨子です。 急いで書いて載せます。お待ちください。
1.次の日本の首相はだれか。私は7月17日と、31日のふたつの講演会で、次の首相は、細野豪志(ほそのごうし)原発担当大臣だろう。丁度この8月で40歳になる。今の菅直人が居座りに居座って来年の3月ぐらいまでやって、それで 若い細野豪志に譲るだろう、と思っていた。この考えに変わりはない。 ところが昨日10日の日本のメディアでは、菅直人が辞任を表明したのに細野豪志の名前が全く出ていない。不可解だ。
2.アメリカのバイデン副大統領が、「日本の次の首相は細野でいい」と首実検(くびじっけん)したあと決めたはずなのだ。 中国も、「細野なら呑む」と合意したはずなのだ。米中が合意すれば日本の運命は決められる。
40歳では日本人の感覚ではあまりに若すぎるのか。そんなことはあるまい。世界基準では、たしか38歳でフランスの首相になったファビウスがいる。細野の出番は、次の順番である、来年の9月からということになりそうだ。自分より歳の若い人間の下につくのは他の政治家たちにとっては屈辱となるということだろう。
3.小沢一郎は、10日、自分が育てて150人の議員を集めて勢力を誇示した。実質の日本の最高指導者である小沢一郎が、「細野なら私もよく知っているから支持しよう」と言うと、私は思う。2009年8月の国民との約束であるマニフェストを見直し(約束の廃止)を許すべきでない。
4.アメリカの大統領には、今のオバマでは、もう保(も)たない。彼は、私の予想(予言)では、来年の3月に、財政政策に完全に失敗して「国家財政の不履行(デフォールト)とドルの暴落の容認(すなわち、ドルの基軸通貨であることからの脱落)」を宣言して、辞任してゆくだろう。
5.そのあとには、頑固爺(がんこじじい)で「なかなか、厳しいところも切り抜ける」と評価されているバイデン副大統領が、ヒラリーをランニング・メイトである副大統領に指名して、2012年11月投票の米大統領選を戦うだろう。そしてそのあと・・・・。 あるいは、オバマがボロボロのまま次の4年に再選されたとしてもそのすぐ後に彼はステップダウンするだろう。何を理由とするかは分からない。
6.そのバイデンが 私が承認した細野でなぜいけないのか、と、22日に来日するのだろう。私、副島隆彦の予測を甘く見ないでいただきない。自民党の裏側の一番、力のある勢力の支持も細野なら取り付けることがでいる。そのように着々と大きな政治は動いている。あとは論文の方で書く。
7.NYダウ平均株価は、再度11000ドルを割ってきた。この下降トレンドは変えられない。為替は1ドル76円に再度なった。もう一度、政府による介入(これは違法行為だ。相場操縦罪の犯罪だ)があっても、もう次の72円は避けられない。そして60円台に向かってゆく。私、副島隆彦がずっと書いてきたとおりだ。
8.7月末の円高阻止介入では、2.2兆円使った。8月4日の介入では、4兆円を使った。野田佳彦(のだよしひこ)財務大臣という男は、財務省とアメリカの言いなりの手先で、許しがたい男だ。脳タリンのバカだ。4兆円も突っ込んでアメリカに差し出して、それらはすべて米国債買いになる。そうやって、瀕死(ひんし)の状態のアメリカを助け続けて、湯水のごとく日本国民の大事な資金を、惜しげもなくアメリカに貢いだ。
9. こんなひどいこをやって、それで何が起きるか。それは、日本の若者たちに暮らしが、さらにますます貧しくなって、彼らが1日の食費が1000円とかの極貧状態になっているのだ。ここに真の貸借(たいしゃく、バランス)があるのだ。 政治の貧困が、国民生活の貧困と直結している。まさしく、「日米・地獄へ道連れ経済 」であり、日米抱きつかれ心中(しんじゅう)」だ。私のこれまでの本の書名のとおりだ。
10.金(きん)の地金(じがね)の価格が、1オンス(31グラム)ついに1800ドルを越した。日本国内の卸値の価格では1グラム4430円までなった。これほどの急騰(きゅうとう)になると、政府の規制、統制(コントロール)が始まる。それは、マーケット・クローズ(市場の閉鎖、market close )という強制措置につながる。 それを柔らかく言うと、バンク・ホリディ( 銀行取引の停止、 bank holidays ) という。 銀行が、土、日、月などの休日を利用して、政府の強権発動の、緊急声明で各種の規制が一斉に実施される。そういう事態に、アメリカの信用不安、デフォールトを中心にして、世界は突入してゆく。
11.この9月14日から18日が一番手前では、危ない。
ここで、アメリカ国内での 金(きん)の個人取引と、OTC(オーヴァー・ザ・カウンター)取引という相対)(あいたい)取引あるいは、店頭(てんとう)取引が、その次にどんどん禁止措置が取られてゆく。
12.公明党だけでなく自民党までが一気に、民主党政権と合意して、赤字国債(なぜか特例公債とも言った)法案通過に合意した。そして再生エネルギー(太陽光発電や風力発電など)法案にも合意した。 それで菅直人が急に辞任に追い込まれた。
13.それほどに、アメリカは血相を変えて、日本からの資金を宛てにして、日本からの資金供給で、目下の財政危機の急場をしのいでる。ものすごいアメリカからの強い圧力が日本にかかっている。問答無用で上から殴りつけてくるような力だ。それで、この22日にバイデン副大統領が来日するのだ。 私たちは、この真夏の炎天下での世界政治ドラマを注視しなければいけない。
副島隆彦です。このあとは、私の 会員専用ページに載せますから、数日、お待ちください。以下は、新聞記事です。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
●「 民主党代表選 8月28日にも…執行部調整、月内に新首相 」
毎日新聞 8月11日(木)
菅直人首相は10日の衆院財務金融委員会で、特例公債法案と再生可能エネルギー固定価格買い取り法案の成立後に「まず民主党代表選を速やかに行い、新代表が選ばれた時には私の首相という職務を辞する」と述べ、「退陣3条件」の残り2法案成立後、できるだけ早く代表選を実施する考えを示した。
2法案は26日までに成立する見通しで、民主党執行部は28日に代表選を行う方向で調整に入った。31日までの今国会中に衆参両院で首相指名選挙を行い、早ければ8月中に新首相が誕生する。
◇特例公債法案は11日に衆院通過
衆院財金委は10日、今年度予算の財源となる赤字国債の発行に必要な特例公債法案を、共産党を除く民主、自民、公明3党の賛成多数で可決した。同法案は11日に衆院を通過し、24日の参院本会議で成立する見込みだ。
再生エネルギー法案の修正を巡っては、民主、自民、公明3党の政調会長が10日会談し、12日の衆院通過を目指すことで一致。修正協議は「方向性に相違はない」(自民党の石破茂政調会長)ことから、11日にも合意するとみられる。自民党の脇雅史参院国対委員長と民主党の羽田雄一郎参院国対委員長は10日の会談で、同法案の19日以降の審議入り、26日の成立で一致した。
首相の退陣3条件が整い、民主党執行部は28日に代表選を行うことで調整している。党員・サポーター投票は行わず、国会議員のみの投票にする。首相の正式な退陣表明はバイデン米副大統領が来日する22~24日は避け、再生エネルギー法案が成立する26日が有力だ。同党の岡田克也幹事長は31日までに衆参両院で首相指名選挙を行い、新政権で11年度第3次補正予算案の編成作業を本格化させたい方針だ。
●「 民主党代表選:党内、駆け引き激化 「候補」さや当て 」
毎日新聞 2011年8月11日
菅直人首相が10日、退陣を明言したことで後継を決める民主党代表選の駆け引きも激化した。野田佳彦財務相は「職責を果たすことが使命」と繰り返し、表での動きを控えつつ、野党との協力関係構築に意欲を示した。馬淵澄夫前国土交通相もインターネット番組に出演し「今、増税すべきでない」と、財政健全化を訴える野田氏との違いを強調した。一方、小沢一郎元代表は、国会内でグループ議員ら約150人を集めて講演し、勢力を誇示した。
菅首相が代わっても衆参の多数派が異なる「ねじれ国会」は続く。野党の協力がなければ、11年度第3次補正予算案に絡む復興債発行などの関連法案成立のめどが立たなくなり、政権は窮地に陥る。マニフェスト重視を掲げる小沢元代表への自公両党の警戒感が根強い中、野田氏は「マニフェスト見直しで自公と協力してきた現執行部路線を継承することで、安定的な政権運営ができる」とアピールする戦略を描く。
これに対し、野田氏のグループに在籍していたこともある馬淵氏はネット番組で、菅首相を「増税路線」と批判した上で「(菅)路線継承者として、(野田氏が)立たれるのでは」と対抗意識を隠さなかった。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【590】[651]福島本部活動日誌です16
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年8月4日の日誌です。
午前1時半から2時間、Zさんとチャットしていました。彼は、14日の朝に、夜行バスで戻ってくるそうです。
無理な予定にさせてしまったかと、一寸後悔しています。
朝10時にバスが検問所の方に向かいました。ただ、今日は一台だけだったので、一時帰宅かはわかりませんでした。
午前11時半に古道小学校に向かってみると、一時帰宅をやっていました。
青森ナンバーや神戸ナンバーの車がありました。自衛隊の車両もありました。
自衛隊の人がカップ麺をもって移動していました。
午後2時、パイプ椅子を満載したトラックが288号線を帰っていきました。その後ろに、トイレのようにも見えるキャンピングカーのような形の車が続いていきました。
今日の午後は、気温が35度まで上がりました。夏らしい天気になりました。
昨日の昼は27度だったので、かなり参りました。合宿にお越しの方はお気をつけ下さい。
午後5時、古道体育館に行きました。
体育館の裏側に回ってみると、椅子と灰皿が置いてありました。
やはり、奥のテントには、第六連隊除染室、という紙が貼ってありました。
昨日288号線を帰っていった自衛隊の車も、第六連隊と書いてありました。
もう少しいたかったのですが、佐川急便から電話がかかってきてしまい、急ぎ事務所に戻りました。
午後5時半、ねんがんのフードプロセッサーをてにいれました。
やっとこれで人並みに料理が出来る準備が整いました。あと、手の生傷が減りそうです。
フードプロセッサーの試運転も兼ね、冷蔵庫に残っている食材を減らしました。
キャベツの千切り、大根おろし、玉葱のスライスを作り、それらにドレッシングをかけ、余っているご飯と納豆で食べました。
・・・何の精進料理なのかわからなくなったので、途中で肉を焼こうと思ったのですが、肉は玉葱おろしに漬けた方がいいと思い、自重しました。
パスタはジェノバ風しか作れないのですが、石井魚店にはパセリもパルメザンチーズも無いので、また胡椒を挽く器具もないので、断念しました。
これは、オリーブオイルと塩だけのパスタを食べるしかないのかもしれません。
熱海にある胡椒挽きが羨ましいです。
今ある材料だと、肉だけ買ってきて、玉葱をみじんにして、豆腐と卵で繋いで、ハンバーグを焼く・・・等といった事が料理が上手な方なら出来ます。
私がやると、タネが緩くなり過ぎて、ハンバーグではない何かになります・・・。
午後8時に三度、古道体育館に行きました。
夜はガラスが反射してしまい、上手く撮影出来ませんでした。無駄足になってしまいました。
帰り道は、電灯がついていてもお構いなしに、満天の星空でした。
まるでゲームのCGの様でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月5日の日誌です。
昨日の日誌ですが、撮った写真を拡大してみたところ、「第六連隊除染所」ではなく「第六師団除染所」でした。
昨日の夜は野良犬2匹が吠えまくって寝られませんでした。
朝起きて、缶のごみを出しました。
合宿後には、おそらくかなりの空き缶がでるので、対処を考えておきました。
・・・といっても、事務所裏にある90リットルのポリバケツに1ヶ月間ほど置いておくだけです。
この件に関しては憂鬱です。いい方法が他に見当たりません。
アブに刺された足の親指が酷いことになってきました。
午前10時に文部省の車が399号線を走っていきました。
また、午前10時半に、放射線測定車と書かれた車が、パトカーに護衛されながら検問所方面に走っていきました。
石井魚店で肉を一キロと野菜を購入しました。一応豚肉を、大根と玉葱に漬け込んでおきましたが、後で焼いたところ、大して美味しいものはできていませんでした。
朝10時から掃除をやりだしました。大広間の半分、トイレ、奥の部屋、二階、をしました。
午後3時にSさんが到着しました。お疲れのようで、すぐに2階の布団で休んでいました。
午後3時半にHさんが到着しました。
ビールをお出ししました。・・・本当は、ビールが多いので、1リットルくらい処分してもらおうと、手ぐすね引いて待ち構えていました。
Hさんに、話していて楽しいと言って頂き、恐縮しきりです・・・。
とても素敵にお年を召された方で、羨ましいです。ぶっちゃけますと、格好いい還暦です。
午後4時半、副島先生、Fさん、Hさん、Sさんが到着しました。
そのままの流れで更にお酒を少し飲むことになりました。
油揚げをフライパンで焼いて生姜を乗せたもの(+納豆)、チーズ、豚肉を焼いたもの、を即興で出しました。
油揚げは焦がしてしまいました。豚肉は前述のとおりで美味しくなっていませんでした。
ここで結構食べたので、既に満腹だったのに、みや古旅館に食べに行くことになりました。
明日は大量に人が来ると思われるので、麦茶を大量に作りました。
Hさんによると、8月8日に行くのはここだそうです。
http://abukumakawauchi.0ch.biz/onsenindex.html
みや古旅館では、山菜の炊き込みご飯、カレイの煮付け、エビチリ、セロリと豚肉のしゃぶしゃぶ風のもの、長芋をとろろ風と短冊に切ったもの、卵とじのようなお吸い物、カキフライの卵とじ、キムチ、が出てきました。泊まる人にはそれ以外にも刺身が付きます。
大敵でした。流石にご飯を少し残してしまいました。
事務所に戻ってきて、Hさんから嬉しいお言葉を頂きました。
本当に有難う御座いました・・・。
Hさんは乗ってきたキャンピングカーに泊まりました。
Sさんは2階に泊まりました。
私は1階で飲んだくれていました。
それ以外の人はみや古旅館に泊まりました。
9時から、明日の発表の準備をしていたのですが、どうにも
「優等生の作文」
になってしまって面白くないです。
落ち込んだので、酒くらって布団に潜り込みます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月6日の日誌です。
今日はお酒が入っているので、適正に書けるかわかりません。
はじめに、あまり判断能力がない中で書いていることをお詫びします。
Sさんに、炊事場の近くで風呂に入らざるをえないことを散々言われました。
私だって嫌で仕方ないのに、ここ以外で入れそうにないから、止むを得ずの状態なのに、大変困りました。
とりあえず、熱湯と冷水を交互に浴びるしかなさそうです・・・。
朝、8時50分位に先生、Hさん、Hさん、Fさんが、事務所に戻ってきました。
ポスタ―を貼るなどの雑事の後、カーテン取り付けがはじまりました。
Hさんはじめ、皆さんの手際が素晴らしかったです。
私はお手伝い出来そうではなかったので、雑草の駆除を行っていました。
Iさんには、折角6個のレールを用意してくださったのに、3個しかレールを使っていないことをお詫びします。
12時から午後2時半までの間に、続々と合宿に人が集まってきました。
計20人ほどです。
午後1時45分くらいから午後7時15分まで、5人ほどの発表とそれに対する討論を行いました。
中田先生や、Oさん、Fさん、Hさん、は慣れたもので、各人の発表に優れた論点を示していました。
Kさんの発表が、私の日記よりずっと面白かったです。
私は、置物のようになっているだけでした。
明日の私の発表は、どんなことになるか・・・、覚悟を決めておいたほうが良さそうです。
午後8時半くらいから、ご飯になりました。どうしても、女性陣がご飯を作り、男性陣は待っているだけでした。
ご飯、というよりは、お酒の席だったので、私は醜態を晒しました。
二つの意味で、記憶にございません。
午前1時まで、お酒の席は続きました。
たこ焼きもどきを作っていた様な気がします。
Zさんに、萌えを英訳してください、とかいう、酷い無茶振りをしていました。
moe、と返ってきました。
午前1時半に、明日の朝のご飯をセットして、洗い物をしていました。また、麦茶を10リットルほど作り、簡単な出汁をとりました。
お酒が入っていると、4割の家事能力に落ちてしまい、物凄い時間がかかりました。
それでもなんとか食器を割らずに済みました。
いつの間にか、布団もかけずに床で寝ていました。
記憶が間違っていなければ午前4時だったと思います。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月7日の日誌です。
朝6時に起きたら、酷い二日酔いでした。
ゴミは確かに出しました。ただ、どうやって出していたのか覚えていません。
朝、八時に個人商店で、納豆とトマト等の野菜類を急いで買って、ご飯にしました。
女性陣はみや古旅館だったので、野郎共だけで、ご飯と納豆、食べるラー油などで兎に角食べました
なんとかトマトとチーズを出したのが精一杯でした。
午前9時から午後3時まで各自の発表を行いました。
私の発表は酷い以前に、恥ずかしいものでした。
途中のお昼は旨かったです。
スパゲッティでした。
Iさん、有難う御座いました。
午後4時に酒を入れてのパーティーとなりました。
午後5時に10人近く、一気に帰りました。事務所の車とIさんの車に分乗して帰っていきました。
午後6時にひまわり畑を見に行きました。軍手で、簡単に草をとりました。
午後6時半から、みやこ旅館で風呂に入った後、ご飯をいただきました。
野郎共は、全員事務所に泊まりました。
午後10時からお酒を飲みだしました。
好きな女性のタイプを訊かれたので、なんとか頑張って誤魔化しました。
多分本当のことを言い出すと、男性女性かわらず、ドン引きされると思います。
ウイスキー200ミリリットルを飲んでいたので、やばかったです。
8月8日の午前0時30分くらいから、とあるゲーム群を見たいとのリクエストがあったので、プロジェクターで大写しにしていくつかをプレイしました。私は午前4時までで力尽きました。
皆さん、これの何処が面白いのか、と仰っていました。
Fさん、すみません・・・。
炊事場が綺麗に整頓されていました。
一体、どなたが整理して下さったのかわからないのですが、有難うございます。
最後になってしまいましたが、福島までお越しいただいた皆さま、有難う御座いました。
(転載終わり)
阿修羅掲示板のkanegonさま、ベリマリさま、どんな形であれ私の文章をあれだけ鋭く読んでくださいまして有難う御座います。気が向かれましたら、一度都路までお越し下さいませ。何も気の利いたものは御用意できませんが、麦茶やノンアルコールビール、お茶菓子くらいはお出しできます。
【589】[650]米恐怖指数(VIX)が4年ぶり大幅上昇
松尾雄治です。今日は2011年8月9日です。
Bloombergから貼り付けます。
(貼り付け始め)
米VIX指数が4年ぶり大幅上昇、欧州指数も上げ-米格下げ受けて
【記者:Jeff Kearns、Cecile Vannucci】
8月8日(ブルームバーグ):米国株オプションの指標であるシカ
ゴ・オプション取引所(CBOE)のボラティリティ指数(VIX)
は8日、約4年ぶりの大幅上昇となり、欧州のボラティリティ指数も
過去最長となる9営業日連続の上昇となった。米格付け会社スタンダ
ード・アンド・プアーズ(S&P)が米国の最上級格付けを引き下げ
たことが響いた。
VIXは50%上昇して48と、2009年3月以来の高水準で終了し
た。欧州のVstoxx指数は15%上昇して45.30、香港のHSIボ
ラティリティ指数は6.1%上昇の35.93。両指数はともに10年5月以
来の高水準を記録した。韓国のKOSPI200ボラティリティ指数は
25%上昇して09年5月以来の高水準。インドVIXは16%上昇の
28.78と、10年6月以来の高水準となった。
MEBオプションズのデリバティブブローカー、ブレナ・ハード
マン氏は「今は金融史上で最も興味深い時期の1つだ。誰もがしがみ
つけるものにすがろうとしているが、前例のない状況だけに誰にも分
からない。市場は現在、極めて不安定だ」と述べた。
(貼り付け終り)
【588】[649]72年ぶりに米(コメ)先物が上場
松尾雄治です。今日は2011年8月8日です。
Bloombergから貼り付けます。
(貼り付け始め)
72年ぶりコメ先物、サーキットブレーカー発動-基準値5000円超え (1)
【記者:宋泰允、高田亜矢】
8月8日(ブルームバーグ):コメ先物取引が8日、日本で72年ぶ
りに復活した。東京穀物商品取引所によると、取引開始時点から値幅制
限の上限を超えたため、売買を一時中断する「サーキットブレーカー」
が発動されている
午前10時30分現在、東穀取で上場されている11月限、12月限、1月
限の3限月は1万8000円台と、取引所が事前に取引の基準値としていた
1万3500円を大幅に超えている。
東穀取の渡辺好明社長は同日の会見で、コメ先物が強い買い気配で
始まったことについて「先の需給がタイトと皆が判断していると思う。
それを織り込んでこの値段が出ていると思う」と述べた。
市場では、低迷する国内商品先物取引の活性化の切り札として期待
が集まるが、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染問題のコメへ
の波及が懸念されている。
会見に同席した東穀取・米穀運営委員会委員長の茅野信行氏(国学
院経済学部教授)は、福島原発事故によるコメ汚染の影響について「今
マーケットが一番気にしているのは、原発事故の影響で市場に出回って
くる米が少なくなるということだ。原発の問題を深刻に捉えてこれが値
段に反映している」と指摘した。
先物取引は、将来の価格を予想して売買契約を結び、現物の受け渡
しや反対売買で決済する。価格は酷暑や冷害などで変動するリスクがあ
るため、先物市場は生産者や流通業者などにとってリスクヘッジ(保険
つなぎ)の場となる。
ただ、関係者が気をもむのがコメの放射能汚染問題だ。農水省は3
日、コメの放射性物質の検査方法について14県を対象に収穫前と収穫後
の2段階で検査する方針を発表した。1キロ当たり500ベクレルを超え
たコメには合併前の旧市町村ごとで出荷制限をかけることになっている
が、実際どの程度の影響が出るのか、結果が出ないと分からない。
20年以上にわたって国内外の商品先物市場を分析、現在は商品先物
取引業務を行うフジトミのチーフアナリストを務める斉藤和彦氏は、「
原発の問題のリスクは高いと思う」と述べ、東穀取や関商取が目指す取
引量を達成できない可能性があると指摘する。東穀取の渡辺社長は、市
場が成功するにはスタート段階で1日平均5000枚程度の取引成立が必要
だとみている。
様子見
コメは、一般に春に田植えが行われ秋に稲を収穫する。農水省総合
食料局消費流通課の皆川浩貴氏によると、昨年は、全国の作付面積の6
-7割を占める早場米の収穫が8月上旬に宮崎県で始まり、福島県や宮
城県など東北地方では9月下旬から10月上旬まで行われた。
コメ卸業者を中心に190の組合員で構成する全国米穀販売事業共済
協同組合の木村良理事長は1日、コメ先物取引に参加するかどうかは「
検査を終え収穫を済ませてから判断するしかない」と述べた。年間5万
トン以上のコメを購入し、「すき家」や「なか卯」など4000店舗以上の
外食チェーンを展開するゼンショー・グループの藤田直樹広報室長もコ
メ先物市場については「様子見をする」という。
福島第一原発事故の影響で基準値を超える放射性セシウムが検出さ
れ、出荷停止される食品が増えている。汚染は福島県などの一部野菜、
神奈川県や千葉県などの茶葉などのほか、7月以降は、福島、岩手、宮
城、栃木の4県の牛肉の出荷も停止されている。
「起爆剤」
東穀取が取引の対象にするのは、茨城、栃木、千葉県産のコシヒカ
リ。関商取は石川、福井県産のコシヒカリ。実際の受け渡しは東北・関
東産などそれ以外のコメも認めている。2年間の試験上場中に十分な取
引量が見込まれ、生産・流通に著しい支障を及ぼす恐れがなければ、正
式上場の手続きに入る。
フジトミの斉藤氏は、特にコメ卸業者が「最近の傾向で現物を持た
なくなった影響で、ヘッジ目的で先物市場を使うニーズがある」とみて
いる。商品投資顧問、JSCの重本貴樹チーフ・マネージャーは、「福
島原発事故が収束していないので、その分価格変動要因が増えることに
なる。それに注目して投機資金が入ってくるかもしれない」とみる。
東穀取は現在、トウモロコシや一般大豆、小豆など7商品を上場し
ており、コメ先物を含めると8商品になる。7月の1日当たりの総出来
高は7044枚で、その内、トウモロコシが3729枚で最多だった。1日当た
りの総出来高は1996年4月の17万4677枚が過去最高でここ数年は減少傾
向にある。国内商品取引所会員で構成する日本商品先物振興協会の多々
良実夫理事(豊商事会長)も、取引高が低迷する業界の「立ち直りの起
爆剤になると思う」と、実需家や投資家の参加に期待を示す。
穀物貿易に携わるコンチネンタル・ライスの茅野信行代表によると
コシヒカリなどのジャポニカ米の先物取引は東穀取と関商取がすでに上
場している小豆と同様、「他にはどこの国も上場していない」日本唯一
の商品だという。7月5日付日本経済新聞は、独自に開発した「ロジャ
ーズ国際商品指数」(RICI)の構成品目に東穀取の小豆を組み込んで
いる米国の著名投資家ジム・ロジャーズ氏とのインタビューを紹介、同
氏がコメ先物に興味を示していると報じている。
全中は反対
農林水産省によると、2009年度はコメの出荷量は624万トンで、農
業協同組合(JA)グループのルートで流通しているのは約6割。全国
農業協同組合中央会は7月発表した談話で、主食であるコメに「投機的
なマネーゲームである先物取引の試験上場を認可したことは大問題」と
批判、取引には組織を挙げて参加せず、本上場阻止の運動を展開してい
くと表明している。
一方、年間150トンから200トンのコメを生産し、将来はコメの輸出
も考えているという秋田市の農業生産法人、藤岡農産の藤岡茂憲社長は
「今までは農協の買い取り価格が指標のようになっていたが、需給バラ
ンスに関係なく価格を出す根拠のない値段だった」と説明。「それが買
い取り直前にならないと分からないので規模の大きい生産者にとっては
非常にリスクが大きい」と述べ、先物取引を検討しているという。
JSCの重本氏は、「もしコメ先物取引が失敗すれば、東穀取は、
東工取との統合の話に戻らざるを得ないだろう」とみている。
(貼り付け終り)
【587】[648]福島本部活動日誌です15
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年7月31日の日誌です。
朝に地震があった影響で、午前中は混乱していました。
直接の影響は、スプーンが一個下に落ちただけで済みました。
昼食は、残っているご飯を残っている納豆などのあまっている食品で食べました。
これで賞味期限のヤバイ食べ物はなくなりました。
・・・と思ったら、ありました。
今日は日中でも27度と、肌寒いといってもいいような天気でした。雨が降っていたこともあり、秋のようでした。
午後2時から7時まで、大広間のカーペットに掃除機をかけていました。大体これで一通りの掃除は終わりだと思いたいです。
途中でアマゾンから、もう一つの安い草刈機が届いたので、その組み立てでも時間を使ってしまいました。
夕食は昨日と同じ方法で作ったカレーうどんに、Mさんから頂いた辛いものを混ぜました。
目茶目茶美味しくなりました。主婦の方々の技術は物凄いです。
二階に掃除機かけていないことに気付きました。若年性健忘症なのかもしれません。
もともと痛んでいたジーンズがぼろぼろになって来ました。東京にいた頃は通り過ぎてばかりだったユニクロが懐かしいです。
合宿まで間がありませんが、何人くらい事務所に泊まるのでしょうか。
今の状態でも7人くらいは(雑魚寝に近くなってしまいますが)受け入れ可能です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月1日の日誌です。
昨夜、Zさんと連絡を取ってみたのですが、Zさんは8月14日は行けるかどうかわからないそうです。
朝起きて、燃えるごみを出しにいきました。プラスチックごみを誤まって出すところでした。
朝食はヨーグルトにジャムと梅酒をかけて食べました。
今日はこれ一食だけにして、後は麦茶を飲もう、とこの時は思っていました。
午前中は草刈機で事務所の周りの草を駆除しました。
以前草を刈ったところに、既に草が生えていたからです。
電池容量の30分間ずっと使ったら、手が痺れました。
午後3時10分に、古道体育館に行きました。前回外されていた黒いテントが再び設置されていました。
午後3時半にプレハブの外枠を載せたトラックが3台連続して、検問所の方に向かっていきました。
写真を撮りたかったのですが、その時私の手にあったのは洗濯物でした。
午後4時10分に一時帰宅のバスが288号線を帰っていきました。
今日は都路は一時帰宅はやっていなかったので、川内村の方で行われていたのだと思います。
午後6時の町の放送で、今日の都路の放射線測定値は、0,85mSv/hと目立って高い数値が放送されました。
他の所もいつもより高かったところが多かったと思います。
夜に外出した時、ゴミ捨て場そばの市営住宅に灯がついていました。
午後8時、どうしてもお腹が空いて、ご飯を炊いてしまいました。
意志が弱いです・・・。
ここ数日ずっとネットの繋がりが最悪で、gmailを開いて日記を書くにも難儀していたのですが、上のPCを少し使ったら直りました。
上のPCが有線で繋いであることに何か関係があるのかもしれません。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月2日の日誌です。
午前中の朝早く、10時くらいには既に一時帰宅のバスが検問所に向かっていました。
古道体育館にむかったのですが、交通整理の人が邪魔で奥まで入れませんでした。
いつか奥まで潜入した写真を撮ってみたいです。
帰り道に、ホットハウス裏の自動車が放置されていたところに大型車が入って、撤去していました。
大型車は「災害復興」という紙をつけていたことから、やはりこの自動車の一群は3月11日に288号線に乗り捨てられたものだと思われます。
それらが一時的にホットハウス裏にどけてあったのだと思われます。
昼食に、たこ焼きを作ってみました。今度の合宿で食べる人がいるかもしれないと思ったからです。
また、冷蔵庫にあった薄力粉をどう使っていいかわからなかったので、苦肉の策として、です。
大失敗でした。黒焦げのたこ焼きを24個食べました。
そもそも、タコが無いのでシーチキンとキムチと味噌で代用しようとしたのが全ての間違いの元だったような気がします。
それなのに、丁寧に出汁をとってから作ったせいか、美味しかったです。それだけに余計悔しいです。
普通にホワイトソースでも作った方がよかったでしょうか。
他にも
「換気が面倒」「匂いがつく」「時間がかかる」「あまり野菜が摂れない」「・・・ぶっちゃけ、ご飯炊いて納豆買ってきた方がいい」
といった問題はあるのですが、多分滅茶苦茶太る、というのが一番問題です。
午後2時40分に、Mさんという方から、事務所の前にいるとの電話がかかってきました。
丁度歯医者にかかるところだったので、かなり慌ててしまいました。
午後3時すぎになってしまうと伝えると、それで大丈夫だと言ってもらえました。
午後2時半、歯に穴が少し空いてしまったので歯医者に行きました。
まどか荘という老人ホームの隣に、診療所と歯科診療所があります。
診てもらったところ、奥で広がっていて見た目より重症だそうです。
次に麻酔をかけなければならないと言われました。
歯磨きはさぼっていなかったのに、ショックです。
午後3時半にMさんが再度事務所に来ました。ぬるい麦茶しか出せませんでした。
Mさんは会員ではなかったのですが、この近辺に住んでいて、以前事務所開き前に事務所に来たことがあるそうです。
なかなか面白い方でした。
官僚を半分首にしなければいけないんだ、等の、先生ととても気の合いそうな発言をしていました。
「東電は官僚どもが潰さないと思うよ。あいつら散々甘い汁吸ってきたんだから、汚染水も1リットルくらい社員が飲めばそれで問題一つ解決じゃないか」
とも言っていました。
また、一時帰宅者の何人かは、防護服が暑いので脱いでしまうらしいとも言っていました。
Mさんは先生をどこかで見たことがあるといっていました。
銀行を講演して回っている時に一回話を聴いたような気がするといっていました。
帰るときに関東圏ナンバーの車に乗っていましたので、以前にこちらに家を買って往復している人なのかもしれません。
芝刈り機のチップソーが到着しました。早速使ってみたところ、余りの切れ味に感激しました。
一寸怖かったですが、1時間ほど刈りました。
夜に再度、たこ焼きに挑戦しました。
出汁を更にしっかりたくさん取ったので、冷めても何とか食べられるたこ焼き、という当初の目的は果たされました。
チーズや梅干しは普通に合いました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月3日の日誌です。
朝にKさんの投稿を読んで、そういえば昔自分は
「鶏ガラ、ローリエ、八角、パセリ、黒白ミックスの胡椒、パセリパウダー、人参、玉葱、トマト、ネギ、ニンニク、生姜」
で4時間出汁を取ってから、カレー作ってたなぁ・・・、あれって笊で漉すから20リットル鍋で10リットルしか取れないんだよなぁ・・・、と遠い目をしてしまいました。
あの頃培った技術は誰にも披露されること無く、下ごしらえや事前の一手間の知識も忘れきってしまいました・・・。
今日も朝10時に一時帰宅のバスが検問所を抜けていきました。
また、今日もホットハウス裏の放置自動車の撤去がされていました。
たこ焼きのタネがまだまだ残っていたので、焼いて無理やり食べました。
チーズ、味噌、梅干しを中の具にしました。
味噌を焦がして食べるのが一番でした。考えてみれば、味噌汁と変わらないものなので、当然かもしれません。
余り満腹感がないです。その割りにはカロリーは高いですので、余り良くないです。
電気料金を支払いました。そうしたら、今度は水道料金のお知らせが来ていました。
今日の放射線量は0.45μSvでした。
少し大袈裟な言い方かもしれませんが、「一人でいることを紛らわせる為の何か」を真面目に考えた方がいいかもしれません。
何気なく来客用の菓子類を食べそうになってしまいます。
今更ビリーズブートキャンプをやりだそうか、とも思っています。
明日は、冷蔵庫で微妙に残っているものを出来るだけ片付けたいです。
そうは言っても、私の柔い胃袋では、出来ることは限られているのですが。
(転載終わり)
主婦業をされている方々に、その技術を見せてもらう機会がありました。
どうも有難う御座いました。
正直に申しまして、どうにも勝てる気がしません。
私がやると、節約業になってしまい、殺伐とした技術になってしまいます。
・・・・・・これはこれで、痩せていいのかもしれません。
【586】[647]Re:フフホト通信
石井さんの現地情報は興味深く拝読しています。
当方も中国で委託生産をしているので、肌身で感じます。まず中国の一番の関心はすごいインフレですね。円高で傾向は緩やかですが、年々納品価格が上がっている感覚があります。5年程度前では国内の1/5だったのが今では1/4からひどい場合1/3という感覚です。それでもまだまだ安いのですが、円安へ振れると一気に半分程度に行ってしまうかもしれません。
それと10年前、5年前と比べると品質の向上がすごいのです。いまではここまでできるのか・・・と思うような場面も少なくありません。とある工場では「日式(日本式?)」(日本の品質基準)という言葉が随所に現れます。要するに日本企業の品質要求が高い(高すぎる場合もありますが)ので、返品を減らすために工夫せよという啓蒙で使われているようです。品質改善に日本の注文は多大な影響がありますし、要求の高さをどん欲に消化して競争力を高めようという意欲があります。
それと設備、生産設備がどんどん新しくなっているのです。この流れは簡単には止らないでしょう。かつて韓国製品が粗悪な模造品と言っていたことと同じ流れです。
やがて中国製でも価格は上昇して物としての価値が生まれてくるだろうと副島先生がおっしゃっていました。金や銀といった実物資産だけではなく、中国の民芸品や磁器陶器もやがて日本で価格はあがるだろうとも。
伝聞ですが、中国の大資産家が何億円分も石を買ったそうです。建材用の石を土地に積み上げて毎日眺めていたそうです。当時「たんなる石」が年3割で価格が上昇して、すでに購入時の数倍になっているそうです。インフレには貴金属と信じている人が多いと思いますが、金を上回る上昇率で高騰している資材もあるのです。
「単なる石ころ」と我々は思っているうちに金持ちは裏山の花畑を散策しているのだなと感心しました。ちなみにその積み上げた石材で日本向けは墓石なのだそうです。
【585】[646]フフホト通信
中国の内蒙古の石井です。
この度、急遽7月28日~8月1日という日程で日本に帰国してきました。
目的は2つ。
日本の友人とビジネスの摺り合わせをすること。もう一つは残り少ない「日本円」を救うことでした。
http://searchina.ne.jp/exchange/?type=USD_CNY&mode=chart2
↑こちらは、サーチナというサイトの米ドルと人民元の為替相場の値動きチャートです。観て頂ければ「一目瞭然」ですが、人民元は米ドルと決別すべく準備に入ったのではないでしょうか。
そして、日本で副島先生の「大災害から復活する日本」を購入し読んでみてその思いに確信を得たのです。
先生にメールしようと思い、メーラーを立ち上げてはみたのですが、ふと気が変わり、今この掲示板に投稿しています。
私が今回の帰国で感じたことを以下に記してみたいと思います。
先ず驚かされたのが、日本行きの飛行機の空席が目立ったことです。ガラ空きと言っても過言ではないでしょう。通常この時期はチケットの確保が難しいのですが、前日でもチケットが取れた意味がようやく理解出来ました。
中国でも日本の放射能汚染の報道が連日為されています。中国国民にとって立証不能ですから日本行きを延期する(或いはキャンセルする)という行為に及んでいるものと思われます。日本にとって今や中国人の落としていく「土産物代」はバカにならない筈です。今回の震災の影響は、このようなところにも現れています。
日本に帰れば、「高速鉄道の衝突脱線事故」のことで、鬼の首を捕ったかの如くの難癖を聞くハメに陥ります。「人命尊重」「安全第一」で言えば、事故の後の処理方法はお粗末であったとしか言えませんが、その事故の原因が「日本やフランスの技術のコピーだから」とするのは如何なものでしょう。日本にも3月11日に原発人災が起きている訳です。大事なのはその事を如何に教訓にしてその後の事故を未然に防ぐか、ということであって、今の中国政府のことを(高速鉄道そのものを)とやかく言うことではないと思うのです。仮に半年後にやはり同様の事故が起きるようなことでもあれば、その時は隣国の「高速鉄道の父」としての意見を粛々と述べる、ということで良いのだと思うのです。トンデモ論で言えば、中国の民主化が遅れているのが一番大きな原因だ、というモノまで現れる始末です。議会制民主主義国家を標榜する我々日本人が胸に手を当てて一番に考えなければならないところでしょう。
中国の経済バブルが崩壊するぞ、と、熱心に教えて下さる人にも沢山出会いました。ご心配無く。中国の経済はバブルではなく「高度経済成長」なのです。
私は加治将一氏の書かれた「舞い降りた天皇」を読んで妙に納得した事例がひとつあります。その本の中で加治氏は、纒向遺跡には中国大陸からの優秀な頭脳と技術を基にした都市建設の跡が視られる、としています。我々日本人は都市を後天的なものとして捉えています。そこに何か特別なモノがあるから人が集う(例えば新幹線の駅が出来たから、その周りの開発が進んだ)、というのが我々の都市というものに対する基本的な考え方です。
しかし、大陸の人々の考え方は違います。彼らは数千年の長きに亘って、正に都市の破壊と構築を繰り返してきた民族どもなのです。極端に言えば、家を一軒建てるくらいの勢いで都市を創り上げます。
今中国で起きている現象もこの事に他なりません。政府の青写真に則って民間が開発を進めます(決して民間のやりたい放題ではない)。良く「ゴーストタウン化した中国の地方都市」という話を聞きますが、それは実に人口の7割を占めるという農民人口のこれからの受け皿となるべきものなのです。この戸籍制度のことも都市計画のことも判らずに、まるでお題目のように「中国バブルの崩壊」を唱えていると、事実が全く掴めなくなってしまいます。第一中国人の消費購買意欲はますます旺盛になってきています。さながら40年前の日本を見ている思いです。このような強大な内需が地方都市、内陸部といったところで沸き起こってきているのですから、この国はまだまだ大丈夫だと思うのです。第一暗い話というのがありません(消費マインドの冷え込みなんてものが存在し得ない)。
私に「中国は危ない」と熱心に説きながらも、私の中国におけるビジネスには興味深々な人が多いのも驚きました。隣の芝が青く見えるのでしょうか。或いは隣の芝が青かったら困るのでしょうか。
副島先生もご指摘のとおり、日本の経済状態が今後大幅な盛り上がりを見せることはありません。ならば、我々元気なモノたちが海外に出て行って活躍し、それによって祖国に貢献することが真に求められているのではないでしょうか。
今回の震災の直後、副島先生は先ず行動なされた。そしてその事実を基に様々な提言をなされています。結局我々日本人に一番苦手なのは、「先ず行動する」ことなのではないでしょうか。ビジネスにおいてもそうですね。