「1508」 新刊本二冊を紹介します。『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社)と、先生が巻頭文を書いた吉本隆明(よしもとりゅうめい)の評論集『「反原発」異論』(論創社)の二冊です。 2015年1月26日

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副島隆彦を囲む会の中田安彦です。今日は2015年1月26日です。

まず、現在進行中のシリアにおけるイスラム国の人質事件については、まず私のブログを含めた、さん本の記事を紹介しておきます。これを読めば、だいたいマスコミで報じられていない裏話がわかると思います。

(1)私のブログ:2015年01月21日 テロを避ける唯一の方法:日本はイスラエルへの「関与」を今はやめるべきである(http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/42997368.html

(2)田中宇氏の最新記事:安倍イスラエル訪問とISIS人質事件(2015年1月23日   田中 宇)(http://tanakanews.com/150123ISIS.htm

(3)桜井ジャーナル:ISに拘束されていた日本人の一人が殺害されたことを示すという映像が日米の軍事介入を誘う可能性(http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201501240001/

私の分析を述べれば、ブログで書いたように、安倍晋三はイスラエルとアメリカのジョン・マケインというネオコン派の凶暴な政治家に嵌められてテロとの戦いの戦列に加えられそうになっている、ということです。安部晋三の地球儀外交は「中国封じ込め」の意図に基づいています。

イスラエルと中国が軍事情報協力を開始するという報道が去年ありましたので、これに楔を打つべく中東に訪問したことで、逆に安部晋三はイスラエルの凶暴なリクード政権のネタニヤフ首相に利用されてしまったようです。これ以上は、今回は述べません。

さて、今回宣伝する副島本は、映画本と故・吉本隆明の評論集です。

・吉本隆明。2010年、東京都文京区の自宅にて。86歳。

最初の一冊、『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ編 』(ビジネス社)は、もうおなじみになった副島隆彦が独力で切り開いた 政治映画評論(political movie reviews)の分野の最新刊です。今回は欧州が舞台になった映画が多いです。制作にはアメリカの映画会社に資本が入ったものもありますが、主にイタリア、ドイツ、フランスなどの国で制作された近年の名作についての映画評論(ムーヴィー・レヴュー)を集めています。

私のような副島本の古くからの読者は、まずは『属国・日本論』、『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』のような政治評論本と合わせて『ハリウッドで政治思想を読む』という映画評論本を重要視しています。映画評論というジャンルは撮影技法や俳優の演技だけについて語るものではなく、映画に描かれた表面と深層に現れる政治思想を読み取るべきだということを定着させたと思います。

このような映画の鑑賞の仕方をすでに合計3冊の映画評論本で副島隆彦は私達に教えてくれてます。4冊目のこの本を読めば、TSUTAYA や ゲオ のようなレンタルビデオ屋に行って、どういう映画を見れば「脳の肥やし」になるかを選ぶのに悩まくてすむでしょう。 今回も、最新の「グレース・オブ・モナコ」のほか、「アレクサンドリア」などから、「副王家の一族」がビスコンティの名作「山猫」と同じ時代を描いたイタリア映画であることなどが分かり、内容は盛りだくさんです。まえがき、もくじ、あとがきを転載します。

(転載開始)

まえがき

副島隆彦

この本は、私の映画評論の本の4冊目である。この本では近年のヨーロッパ映画の名作を集めて「ヨーロッパ映画編」と銘打って1冊とした。

いい映画に出くわして、思わず魅(ひ)き込まれて、一場面の一瞬の重要性にハッと気づく。その時の大発見がないなら、私は映画評論などやらない。

たとえば、ルキノ・ビスコンティ監督の往年の名作『山猫(やまねこ)(イ・ガトパルド)』(1963年)の謎が解けた。この本で取り上げた『副王家(ふくおうけ)の一族(イ・ビチェーレ)』(2007年、ロベルト・ファエンツァ監督)によって一気に解けた(本書P28)。私はヨーロッパ映画(そしてオペラ)の大作の中に折り込まれた、ヨーロッパとは何か、の大きな謎に日本人として挑戦した。このように豪語する。だからこの本を読んでください。

この世の大きな真実に気づくためには、ピンとこなければいけない。一瞬の情景や、一行のセリフにハッと思って、ピンとこないようなら、私に政治思想(ポリティカル・ソート)の解読者としての資格と能力が足りないことになる。

私はハッと気づいて、ピンとくる人間である。それは私の持って生まれた(生得の)才能だ。

私は、「副島隆彦の政治映画(せいじえいが)の評論」という独自の文化・教養ものの出版物のジャンルを打ち立てた。2000年に刊行した『ハリウッドで政治思想を読む』(メディアワークス社刊)からである。私は自分が創始したこの「政治映画(ポリティカル・ムーヴィー)の評論(レヴュー)」という部門(カテゴリー、ジャンル)を自分が死ぬまで開拓し続ける。

私の本のお客となってくれる、生来の鋭い感覚と嗅覚をした少数の読者・理解者に恵まれ続けるか否か、だけが気がかりだ。お客(読者)が足りないと燃料(収入)が切れて前に進めない。次の世代に読み継いでもらえない。

私が切り拓(ひら)いたこの「政治映画の解説の本」という分野で、厳しく世界基準(ワールド・ヴァリューズ)での真実の暴(あば)き言論を、私は押相撲(おしずもう)もうでエイ、エイとこれからも真っ正面から押してゆく。それだけの自負と覚悟がなければ、こんな威張り腐ったまえがきは書けない。

私は映画の形を借りた、世界各国の優れた諸見識(しょけんしき)を、日本に現地(産出地)の高品質のまま直輸入でお見せする。

副島隆彦

副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編 目次

まえがき …… 2

第1章 キリスト教という圧迫

『アレクサンドリア』 AGORA
ヨーロッパの戦う女の原点を発掘した大作 …… 10

『ポー川のひかり』 CENTO CHIDI
イタリア知識層とカトリックとの壮絶な闘い。最高級の政治映画 …… 20

第2章 歴史を識(し)る

『副王家の一族』 I VICERE
ヴィスコンティ『山猫』の謎がやっと解けた …… 28

『終着駅 トルストイ最後の旅』 THE LAST STATION
トルストイを奥さんが理解しなかった …… 38
『アイガー北壁』 NORDWAND
これぞヨーロッパ人の美意識の極限だ。ただし山登りで死ぬ男たちの …… 46
『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』SZABADSAG, SZERELEM (CHILDREN OF GLORY)
この映画でハンガリー動乱(1956年)がすべてわかる …… 52
『コロンブス 永遠の海』 CRISTOVAO COLOMB O ENIGMA
コロンブスはポルトガル人だ。ポルトガル人のド根性がわかる …… 59
『シチリア! シチリア!』 BAARIA
軽快にイタリア人魂を描いている …… 65
『グレース・オブ・モナコ』 GRACE OF MONACO
モナコという国が日本人に初めてわかる映画 …… 70

第3章 イスラム教とは何か

『サラエボ、希望の街角』 NA PUTU (ON THE PATH)
過去のボスニア紛争と今の「イスラム国」ISがわかってビックリする …… 100
『約束の旅路』 VA, VIS ET DEVIENS
エチオピア系ユダヤ人という人々までいる。コプト教(キリスト教)とも異なる …… 111
『クロッシング・ザ・ブリッジ ?サウンド・オブ・イスタンブール?』
CROSSING THE BRIDGE:THE SOUND OF ISTANBUL
トルコ人の気質がわかる。コンスタンチノープルが世界の東西の分かれ目だ …… 116

第4章 戦争の真実

『誰がため』 FLAMMEN & CITRONEN
デンマークがドイツに加担していなかったと強がりで作った映画 …… 122
『抵抗(レジスタンス)─死刑囚の手記より─』
UN CONDAMNE A MORT S’EST ECHAPPE OU LE VENT SOUFFLE OU IL VEUT
すべての脱獄映画の原点がこれだ …… 130
『敵こそ、我が友 ?戦犯クラウス・バルビーの3つの人生?』 MON MEILLEUR ENNEMI
2000年代になってからこそ、政治映画が作られて歴史の真実がどんどん報告されるようになった …… 136
『カルラのリスト』 CARLA’S LIST
2014年の今でも検察官カルラは闘っている。腐ったヨーロッパの良心と正義を守る …… 141
『チェチェンへ アレクサンドラの旅』 ALEKSANDRA
ロシアの国民的女流歌手の堂々たる風格。戦場の男たちを圧倒する …… 150

第5章 フランスという文化

『隠された記憶』 CACHE (HIDDEN)
パリとフランス農村部の関係がわかった …… 160
『隠された日記 母たち、娘たち』 MERES ET FILLES (HIDDEN DIARY)
ハリウッド(ヤンキー)が大嫌いのフランス右翼・愛国女優のふてぶてしいまでの貫禄 …… 166
『PARIS(パリ)』 PARIS
アメリカに負けない気位の高さ。なのにやっぱり負けている …… 172
『パリ、恋人たちの2日間』 2 DAYS IN PARIS
アメリカ人のフランス文化への劣等感は今も強くある …… 178

第6章 現代の憂鬱

『THIS IS ENGLAND』 THIS IS ENGLAND
イギリス国民党というスキンヘッドの右翼政党のことがわかる …… 184
『バーダー・マインホフ 理想の果てに』 DER BAADER MEINHOF KOMPLEX
ドイツの過激派=新左翼運動の全体図が見て取れる …… 191

『サルバドールの朝』 SALVADOR
スペインの過激派青年が処刑された事件 …… 198
『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』 STONED
犯罪の共同者になること。ストーンズが今も結束している魔性の秘密 …… 204
『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 L’AFFAIRE FAREWELL
真実の国家スパイたちは大企業や研究所の中にもいる …… 210
『ある子供』 L’ENFANT
貧しいベルギー人夫婦が赤ちゃんを売る話 …… 217
『4ヶ月、3週と2日』 4 LUNI, 3 SAPTAMANI SI 2 ZILE
ルーマニアの女子大生たちの世界 …… 225
『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』 MAN SOM HATAR KVINNOR
バルト海を挟んでドイツを嫌う本当はワルい映画だ …… 231

あとがき …… 238

あとがき

私はヨーロッパとアメリカの映画から多くを学んできた。中学・高校生の休みの日に、自転車をこいで出かけて、地方都市の朽ちた映画館の「名画座」に、300円也を払って欧米の古ぼけた名作映画を観(み)に通った。

欧米の政治映画(あるいは歴史もの映画)を観ることで、私はものすごく多くのことを知った。私の脳はそれらの多くを今も記憶し保存している。世界理解と政治知識、政治思想の吸収において、欧米の映画を見ることで得たものが、後のちの私の政治思想の研究の3割ぐらいの糧(かて)(原資料)になっている。

しかし私は、たかが思想の輸入業者に過ぎない。そのように厳しく自覚し自己限定している。私は欧米の先端の政治思想(ポリティカル・ソーツ)(politicalthoughts)の流派のあれこれを日本国内のインテリ読者人層に、なんとかわかるように丁寧に解説してきた。それらを日本に移入し、導入し、移植(トランスプラント)する仕事しかしていない。この作業は、日本の映画配給会社が、外国映画の権利を買って来て日本語字幕(スーパーインポーズ)をつけて、優れた解説紹介文のパンフレットを作成するのと同じことだ。

ただし私の場合は、この仕事をいささかドギツクやる。ストーリー(物語)(ものがたり)の裏側の真実を、さらにひんむいて実感のこもった日本文にしないことには、日本の大おお方かたの読書人階級になかなかわかってもらえない。日本言論人としてのこれが私の職分だ。

難渋(なんじゅう)で難解な論文に仕立てることでしか日本に欧米の諸(しょ)政治思想を輸入することができないバカ学者たちの作業とは自(おの)ずと異なる。映画はあくまでお金を払って観てくれる大衆観客にとっての娯楽(アミューズメント)である。このことを忘れて、クソおもしろくもない気取り屋たち(今や絶滅種(ぜつめつしゅ)に近い)による高級知識の押しつけのようなことを、私はしない。

私はこの国の、少数だが(10万人が限度だろう)感と勘かんの鋭い、政治見識(知能)的に優れた人々(学歴なんかなくてもいい)とともに常にある。彼ら(すなわち皆さん)とともに生きて死んでゆければ、それでいい。それが「ああ、こんな国に生まれてしまった」、私の運命だ。

2014年12月                           副島隆彦

(貼り付け終わり)

中田安彦です。 映画という娯楽作品を通じた、「思想の輸入業者」である副島隆彦の十八番(おはこ)である政治評論と映画評論の融合をぜひ実感ください。

副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編
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さて、二冊目は、震災後に亡くなった思想家・吉本隆明(よしもとたかあき)氏の遺稿集である『「反原発」異論』(論創社=ろんそうしゃ=)です。この本は、吉本が1982年に出版した『「反核」異論』と同じく、吉本の科学技術論の核をなすものです。スリーマイル島での原発事故の数年後に『「反核」異論』は出ています。

吉本隆明については私、中田は全くと言ってほど知りません。副島隆彦の読者は、最近では金融評論や船井幸雄先生との対談本から入ってくる人が多かったですが、少し前からの中高年の読者は、2010年に亡くなった小室直樹(こむろなおき)先生の流れを組む読者が「小室・副島系」として入ってきていました。

私は実はそのどちらでもなく、産經新聞の『正論』の連載を読んで、それこそ、『アメリカの秘密』という映画評論集から読んでいったのですが。小室直樹と同じく、副島隆彦に影響を与えていた思想家が、この吉本隆明という人だったわけです。

・吉本隆明

副島先生は、この『「反原発」異論』の中で、吉本について次のように紹介しています。

(引用開始)

・・・・ 吉本隆明は、敗北し続けた日本の民衆の、民衆革命の敗北を一身に引き受けて死んでいった悲劇の革命家だ。いくら説得しても理解してもらえることが少ない民衆の側の恐怖心と愚かさに起因する敗北の責任を我が一身(いっしん)に引き受けて、吉本隆明は死んでいった。
ヨーロッパ民衆(労働者)のために闘い続けて、敗北していった、社会主義(ソシアリズム)思想の大成者、カールマルクスの思想を全身で受け継いだ、偉大なる日本の革命家だった。

(引用終わり)

中田安彦です。私は吉本隆明が一世を風靡(ふうび)した時代の後の世代の人間なので、あの時代の社会主義思想が与えた若い学生たちへの大きな影響力の熱風と言うものについてはよくわからない。ただ、言えることは、2012年の衆議院選挙での自民党圧勝によって、私達の世代の中でも別の種類の「政治の時代」というものが終わった。それは小沢一郎の敗北という形でもたらされたのだと思う。そして、政治革命家の小沢一郎の晩節を汚したのが、原発や放射能に対するまるで「もののけ」を相手にするような異常なまでの 感情的な反応 だったのではないか。

私は、この『「反原発」異論』の 巻頭文 の副島先生の、メルトダウンやメルトスルーは無かった、 の書きぶりにはやや異論があるのだが、副島先生が以下で紹介している吉本隆明の徹底した近代主義者(たろうとしている)ぶりについては、副島先生と同じくまったくこれに賛同したい。

どうせ日本が原子力をやめても、海外では原発は当分使われてのだ。日本の大企業が作りにゆく。そのことを踏まえた上で、無理の無い形の今の原発、すなわち軽水炉からのフェイドアウトを目指すのであれば、ともかく、「すべての原発を廃炉にしよう」という感情的な、それこそ、フィレンツェに突如としてあられた、ジローラモ・サヴォナローラ Girolamo Savonarola(1452 – 1498)のような熱狂にうなされた政治運動としての反原発活動には正直嫌気が差していた。

私があれこれ言っても始まらないので、ここではこの本のエッセンスを伝えている吉本隆明のエッセイ(短文)を読んでもらった方がいい。

(貼り付け開始)

(『「反原発」異論』、p.134~p.141)

「反原発」で猿になる

僕は以前から反核・反原発を掲げる人たちに対して厳しく批判をしてきました。それは今でも変わりません。実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が生じるかもしれない。そのために“原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です。

今回改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです。

考えてもみてください。自動車だって事故で亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう。ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものです。

そして技術の側にも問題がある。専門家は原発事故に対して被害を出さないやり方を徹底して研究し、どう実行するべきなのか、今だからこそ議論を始めなくてはならないのに、その問題に回答することなしに沈黙してしまったり、中には反対論に同調する入たちがいる。専門家である彼らまで、“危ない”と言い出して素入の論理に同調するのは「悪」だとさえ思います。

いま、原発を巡る議論は「恐怖感」が中心になっています。恐怖感というのは、人間が持っている共通の弱さで、誰もがそれに流されてしまいがちです。しかし、原子力は悪党が生み出したのでも泥捧が作ったわけでもありません、紛れもなく「文明」が生み出した技術です。

今から100年ほど前、人類は放射線を発見し、原子力をエネルギーに変え、電源として使えるようにしてきました。原子力をここまで発展させるのには大変な労力をかけてきたわけです。

一方、その原子カに対して人間は異常なまでの恐怖心を抱いている。それは、核物質から出る放射線というものが、人間の体を素通りして内臓を傷付げてしまうと知っているからでしょう。防御策が完全でないから恐怖心はさらに強まる。もちろん放射能が安全だとは言いません。でも、レントゲン写真なんて生まれてから死ぬまで何回も撮る。普通に暮らしていても放射線は浴びるのです、それでも、大体九十歳くらいまでは生きられるところまで人類は来ているわけです。そもそも太陽の光や熱は核融合で出来たものであって、日々の暮らしの中でもありふれたもの。この世のエネルギーの源は元をただせばすべて原子やその核のカなのに、それを異常に恐れるのはおかしい。

それでも、恐怖心を100%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。

文明の発達というのは常に危険との共存だったということも忘れてはなりません。科学技術というのは失敗してもまた挑戦する、そして改善していく、その繰り返しです。危険が現われる度に防御策を講じるというイタチごっこです。その中で、辛うじて上手く使うことができるまで作り上げたものが「原子力」だと言えます。それが人間の文明の姿であり形でもある。

だとすれば、我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完壁に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです。新型の原子炉を開発する資金と同じくらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術を開発するしかない。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防御策を考え完璧に近づけていく。その繰り返ししかない。

他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、こうした努力をあきらめず営々とやってきたからではないでしょうか。

そして、仮に放射能の防御装置ができたとしたら、その瞬間から、こうした不毛な議論は終りになる。科学技術というのは明瞭で、結果がはっきりしていますから。
正直言って原発をどうするか、ちゃんとした議論ができるにはまだ時間がかかるでしょう。原発を改良するとか防御策を完璧にするというのは技術の問題ですが、人間の恐怖心がそれを阻んでいるからです。反対に、経済的な利益から原発を推進したいという考えにも私は与しない。原発の存否を決めるのは、「恐怖心」や「利益」より、技術論と文明論にかかっていると考えるからです。

もちろん、原子力を語るとき核兵器の問題は避けては通れません。
戦争で大切なのは、主として兵器ですから、改良して相手に勝るようにしていくのが戦時の技術開発です。そうやって開発してきた原子爆弾は、今や、人類を何度も滅亡させられるだけの規模に達している。しかし、人間が原子力という技術を手に入れたとき、それがどんな現実をもたらすかまでは想像していなかった。どんなに優れた人でも予想はできなかったのです。

一番分かりやすい例はアインシュタインだと思います。アインシュタインは相対性理論を提唱した理論物埋学の大家ですが、原子力の利用については、原爆を開発することに賛成していますよね。しかし、アインシュタインは後で被害の大きさを知りショックを受ける。そこで「自分は原子力を兵器に用いることに反対した」と態度を翻す。核爆弾からどれだげ大量のエネルギーが生み出されるかという計算はできても、結果を見たら、とてもそんな反対賛成云々なんて軽率なことじゃなかった。あれだけ優秀な頭脳で、あれだけの業績をとげてきた科学者でさえ、とことんまで想定できていたかは疑わしい。

今回の原発事故も天災とか人災などと言われていますが、やはり危険を予想できなかった。つまり、人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものを作ってしまうという大矛盾を抱えているのです。しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない。それを反核・反原発の人たちは理解していないのです。

福島原発の事故が起きてから、よく思い出すのは第二次大戦後の日本社会です。当時、僕は敗戦のショックに打ちのめされて迷いに迷っていた。敗戦を契機にほとんどの価値観が180度変わってしまいましたから。知り合いにも「もう日本はお終いだ」と自決する入もいた。

そんな中で、当時の大人たちが敗戦に対する責任をどう考えているのか、文学界の中でもそれを問う雰囲気がありました。

特に私は小林秀雄(こばやしひでお)に、「あなたはこの戦争とその結果についてどう考えているのか」と聞いてみたかったのです。他の文学者はいい加減な答えをしたとしても、小林秀雄は尊敬していた人でしたから、何を考えているのか知りたかった。今のような状況の中で、答えが欲しかったのです。折しも若手文学者たちが先輩たち一人一人に意見を聞く機会があった。

そこで、意見を求められた小林は、「君ら若い人たちは、考え方を変えるのもいいかもしれないけれど、俺はもう年寄りだからね、“今は違う考えになっている”なんて言う気はさらさらない。だから、戦争中と同じ考え方を今も持っているさ」と答えたんです。そう言われたら、突っ込みようがない。私はその答えを聞いて、小林秀雄という人は、考え方を易々と変えることはしない、さすがだなあ、と思いましたね。世の中では時代が変わると政府も変わる、人の考え方も変わる。それがごく当然なのですが、僕はそれにもの凄く違和感があった。だから、福島原発事故を取り巻く言論を見ていると、当時と重なって見えてしまうんです。

原発を捨て自然エネルギーが取って代わるべきだという議論もありますが、それこそ、文明に逆行する行為です。たとえ事故を起しても、一度獲得した原発の技術を高めてゆくことが発展のあり方です。

僕はこういう立場ですから、保守的な人からも、進歩的な人からも、両方から同じように攻撃されて、言ってみれば“立つ瀬がない”という状況でした、批判はしょっちゅうです。

それも、ちゃんと名を名乗ったり、政党や党派を明らかにしての批判ならまだ反発のしようもあるけど、覆面を被ったままでやっつけにくる。特に今みたいな状況の中では誤解のないように言うのは中々難しいんです。

しかし、それでも考えを変えなかったのは、いつも「元個人(げんこじん)」に立ち返って考えていたからです。

元個人(げんこじん)とは私なりの言い方なんですが、個人の生き方の本質、本性という意味。社会的にどうかとか政治的な立場など一切関係ない。生まれや育ちの全部から得た自分の総合的な考え方を、自分にとって本当だとする以外にない。そう思ったとき反原発は間違いだと気がついた。

「世間で通用している考えがやっばり正しいんじゃないか」という動揺を防ぐには、元個人に立ち返って考えてみることです。そして、そこに行きつくまでは、僕は力の限り、能力の限り、自分の考えはこうだということを書くし、述べるだろうと思うんです、

【『週刊新潮』2012年1月5・12日号】

(貼り付け終わり)

中田安彦です。ここで重要なのは、この吉本隆明という原発推進論者とも言える存在を、東京電力とか政府の経済産業省とかのようないわゆる「原子力村」と言われる集団が、決して「原子力推進」のためのプロパガンダ文書として使えない、という事実である。

なぜなら、吉本は思想家として、科学技術の発展途上である原発を肯定しつつも、それが未だに「扱いを間違えば非常に危険なもの」であるという認識の上に発言しているからである。例えば、次のような文章が重要である。

(引用開始)

だとすれば、我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完壁に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです。新型の原子炉を開発する資金と同じくらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術を開発するしかない。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防御策を考え完璧に近づけていく。その繰り返ししかない。

他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、こうした努力をあきらめず営々とやってきたからではないでしょうか。

そして、仮に放射能の防御装置ができたとしたら、その瞬間から、こうした不毛な議論は終りになる。科学技術というのは明瞭で、結果がはっきりしていますから。

正直言って原発をどうするか、ちゃんとした議論ができるにはまだ時間がかかるでしょう。原発を改良するとか防御策を完璧にするというのは技術の問題ですが、人間の恐怖心がそれを阻んでいるからです。反対に、経済的な利益から原発を推進したいという考えにも私は与しない。原発の存否を決めるのは、「恐怖心」や「利益」より、技術論と文明論にかかっていると考えるからです。

(引用終わり)

「反原発」異論

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中田安彦です。このように、吉本は語っているのである。あの福島第一原発事故がなぜ起きたのか。これは「朝日新聞」の記者だった添田孝史という人の『原発と大津波 警告を葬った人々 』(岩波新書)という本にも書いてあるが、わずか数百万円の非常用電源のためのコストを東京電力がケチって投資しなかったことである、というのだ。

そして、仮に大地震が起きれば津波が起き、それによって電源が失われるということは福島原発事故前も東電の幹部に次々と警告をしていたのである。この警告をすべて無視して東電は津波対策、地震対策を怠ってきた。その結果が、数兆円にもわたる事故収束費用という「国費の浪費」である。つまり、原発事故は、東京電力と経済産業省の原子力安全・保安院の「ガバナンス(運営)」によって起こされた人災であったのだ。

例えば、『東京新聞』が報じた次のような事実もこれを裏付けている。

(貼り付け開始)

「 津波対策「関わるとクビ」 10年 保安院内部で圧力」

東京新聞 2014年12月26日

政府は二十五日、東京電力福島第一原発事故で政府事故調査・検証委員会が政治家や東電関係者らに聴取した記録(調書)のうち、新たに百二十七人分を公開した。

当時の規制機関だった経済産業省原子力安全・保安院は、大津波が襲う可能性を認識しながら、組織内の原発推進圧力の影響で、電力会社にきちんと指導しなかった実態が浮かんだ。

保安院の小林勝・耐震安全審査室長の調書によると、二〇〇九年ごろから、東日本大震災と同じクラスの貞観(じょうがん)地震(八六九年)の危険性が保安院内でも問題になっていた。独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は、貞観地震が福島第一周辺を襲った痕跡を指摘。自らの調書では「四百~八百年周期で反復していると考えている」と述べた。

岡村氏らの指摘を受け、小林室長らは貞観津波の再来リスクを検討するよう保安院幹部に提案したが、複数の幹部から一〇年に「あまり関わるとクビになるよ」「その件は原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことを言うな」とくぎを刺されたという。

当時、国策で使用済み核燃料を再処理した混合酸化物(MOX)燃料の利用が推進されており、保安院の幹部の中には、地震・津波対策より国策の推進を重視する体質があった。

これまでの本紙の取材で、プルサーマル関連のシンポジウムでは賛成派の動員要請などの「やらせ」に加わった。〇六年には、事故に備えた防災重点区域を検討しようとした原子力安全委員に、院長自らが「寝た子を起こすな」と圧力をかけたことも判明している。

小林室長は、保安院内の雰囲気について「貞観地震に懸念を示す人もいれば、福島第一のプルサーマルを推進したいという東電側の事情に理解を示す人もいた」と打ち明けた。電力会社の姿勢について、保安院の山形浩史・原子力安全基準統括管理官は調書で「(電力会社は)ありとあらゆる場面で、嫌だ嫌だというような話だったし、指針の見直しだといった時も、ありとあらゆるところからプレッシャーを受けた」と吐露した。

一方、東電の地震・津波対策を担当する吉田昌郎(まさお)原子力設備管理部長(後の福島第一所長)らは、一〇年三月ごろの朝会合で、保安院の担当者から「貞観地震の津波が大きかった」と指摘された。しかし、東電側は具体的な検討を先送りした。 (肩書はいずれも当時)

<政府事故調> 2012年7月に最終報告書をまとめるにあたり、福島第一の吉田昌郎(まさお)所長(故人)や菅直人首相ら計772人を聴取。調書は、承諾が得られた関係者から順次、公開されている。公開は3回目で、計202人分になる。 今回が最後の公開とみられる。

東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014122690070039.html
(貼り付け終わり)

中田安彦です。福島第一原発事故というのは、運営する側のガバナンスの問題であったということだ。ここには原子力技術というものを扱う際に不可欠な「科学的・合理的精神」がなかったということである。

吉本隆明が言う、「 『恐怖心』や『利益』より、技術論と文明論にかかっていると考えるからです」という点に引き寄せて言えば、原子力村は「利益」と慢心のために必要なわずかの額の安全投資を怠り、一方で市民運動は「恐怖」に支配されたということである。

吉本隆明は「反原発で猿になる」と書いている。しかし、私に言わせれば、この福島原発事故の原因となったガバナンス不全も、その事故後の恐怖心に支配された市民運動も、ともに「日本人がそもそも欧米から見れば猿の惑星の猿」であるという、かつて、副島隆彦が映画評論集『アメリカの秘密』で論じた論点にそのまま帰着するのだという他はない。

その意味では吉本は因果関係を取り違えている。日本土人は西洋の近代人と違って、もともと「猿」なのである。猿であるということは、前近代人であるといってもいい。そこに生まれるのは強固なムラ社会であり、合理性に基づかない判断である。

ただ、それでも時々、吉本隆明のような「よくしっかり考える猿」が出てくる。しかし、日本全体においては、未だ日本は前近代なのだ。ここに小室直樹の「日本はまだ近代社会ではない」論が大きく絡んでくる。猿マネをして日本は近代化を進めてきて、原発も導入してきた。しかし、その猿が慢心した結果起きたのが、原発事故である。だから、私は、原子力村という前近代的集団を批判するのだ。

東京電力の幹部たちは地震津波が起きれば原発がどうなるかしっかり理解していただろうことは、前出の添田氏の本からもわかる。しかし、東電の会長だった勝俣恒久(かつまたつねひさ)元会長らの刑事告訴を検察組織はまともに取り上げていない。検察は「予見可能性」がなかった、と予め結論を決めて捜査している。

検察審査会の議決を踏まえて、検察は再捜査したようだが再び不起訴にした。東電原発を巡っては、事故前に福島県元知事の佐藤栄佐久(さとうえいさく)が検察の国策捜査の犠牲になった、そして東京地検特捜部によっては、小沢一郎・元民主党代表も犠牲になった。東京地検特捜部長に今年になって新しく就任したのは、齋藤隆博(さいとうたかひろ)という男だ。

この男は、特捜副部長のときに佐久間達也(さくまたつや)特捜部長の下で陸山会事件の捜査をし、部下の田代政弘(たしろまさひろ)検事らと共謀して虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し小沢一郎の起訴相当議決をさせた。そのことで、偽計業務妨害罪で市民の会から告発されたにもかかわらず、今回、特捜部長になった。

だから、原発事故もまた、日本の官僚主導の前近代的な律令国家体制の継続に問題があるのだ。原子力発電は、いまだ廃棄物の処理については技術的に解決されていないが、それ以外の点ではきちんと最新の安全防護をすれば事故が起きてもそれが放射能の大量拡散につながるような事態が起きたりはしない。問題は運営する側の安全に対する心構えなのだ。その時に、放射能が安全かという不毛な議論をしていたのは、間違いなく原子力村をほくそ笑ませる結果になっただろう。

その点で、吉本隆明の科学技術の進歩に期待する楽観論はそれ自体では正しいが、「政治」「統治」「経営」という問題を考慮していないのでその点が物足りない。

その上で考えると、これは素晴らしい本ではあり、吉本隆明の「「反原発」異論」という課題も見えてくる。

私の書評は以上です。以下に副島先生の 巻頭文 も転載します。上で引用したのはこの文章の最後の部分です。

(貼り付け開始)

「反原発」異論

巻頭文

悲劇の革命家 吉本隆明の最期の闘い

副島隆彦

「もう別のところに行ってもいい」と、最期の頃に言って吉本隆明は死んでいったそうだ。死の床の吉本隆明は、「生きていても何もいいことはない、目は見えない。体は動かない。食べることへの執着もない。しかし自分の思想として自殺することはできない」と言いながら死を迎えたと親しい編集者から私は聞いた。

日本に生まれた偉大な思想家である吉本隆明が87歳で逝った。2012年3月16日。その2年10ヶ月後に出されることになった、この吉本隆明の「遺稿集」に、私が巻頭の文を書くことを頼まれてからさえ四ヶ月が過ぎ去った。私はじっと堪えている。今も吉本隆明の霊魂(れいこん)と向かい合っている。

私の吉本思想への思い入れはものすごく深い。私は自分が18歳の時から吉本の本を読み始めてもう40余年が経つ。私は誰に憚(はばか)ることなく、紛(まぎ)れもなく吉本主義者である。自分を吉本隆明主義者と標榜(ひょうぼう)し、自認(自任)して生きてきて全く恥じることがない。

多くのかつての吉本主義者たち、あるいは熱烈なる吉本の本読みたち自身が、やがて吉本の思想に忠実でなくなり、吉本の思想を裏切っていった。彼らは背信者(レネゲイド、renegade、アポスタ-ト、apostate)である。彼らは今では自分を指してもはや吉本主義者と呼ばなくなったろう。多くのかつての吉本主義者は吉本隆明から離れ、背教(はいきょう)していった。誰とは言わない。たくさんいる。彼らは吉本が書いて語って、主張したことに対して「そうかなあ。私は最近の吉本さんの考えには異論があるなあ」と、各時期に言いだした人々である。

2014年初秋の今、彼ら自身がもう七十歳が近くなった人々である。自分のことを吉本主義者と自称することがなくなり、かつ、他称(回りからそのように呼称されること)に対しても異和を唱えて拒否するであろう。

本書『「反原発」異論』の内容についての事実関係を時間軸(クロノロジー)で明確にしてゆく。福島第一原発の1号機の爆発事故が起きたのは2011年3月12日午後3時36分である。それから3ヶ月後に吉本隆明が発言した「原子力研究を続けるべきである」の第一声は、5月27日の毎日新聞の夕刊である。

わずか3年9ヶ月前のことなのに多くの人は正確には記憶していないだろう。日本人だけでなく、世界中の人々を震憾させ、一時期恐怖のドン底に突き落とした原子力発電所の爆発事故は、1号機の爆発のあと(その翌日は何もなかった)2日たった3月14日の午前11時01分に起きた3号機の爆発事故である。あの時、小さなきのこ雲が原発の真上に立った。それで人類を広島・長崎の原子爆弾(アトミック・ボム)のちの核兵器(ニュークレア・ウェポン))の再来として真に恐怖させた。

そしてその翌日、3月15日に、午後6時14分に、2号機地下の圧力抑制(よくせい)室(プレッシャーチェインバー)が損傷した爆発が起きている。続いて4号機でも水素爆発(すいそばくはつ)が起きたらしい(これも水蒸気爆発=すいじょうきばくはつ、火山の爆発のような= ではない )。これで全て終わった。これで「福一(ふくいち)の原発事故」は収束したのである。

いずれの爆発(4つの原子炉の爆発)でもメルトダウン(炉心溶融(ようゆう))は起きていない。今の今でも「メルトダウンが起きた」と騒いでいるのは、ものごとの真実を明確に自分の脳(頭)で確認しようとしない愚か者たちである。原子力工学 の専門家たちの意見を今からでもいいから聞くべきである。私はたくさん聞いた。彼らを”御用学者”と決めつけて総なめに忌避(はき)したことの報(むく)いが日本国民に帰ってくる。

原子炉(ニュークレア・リアクター)の底に燃料棒(フューエル・ロッド)がこぼれて落ちて冷えて固まっただけだ。原子炉への海水注入で全てが収束した。温度は冷却し気圧は一気圧に落ちた。

原子炉を包んで防御している頑丈な 鋼鉄製 の格納容器(コンテイナー)も破られていない。

原発事故のあと3年9ヵ月たつが、現在に至るも、福島の現地では幼児ひとり、作業員ひとり原発事故による漏出(ろうしゅつ)した微量の放射能(放射性物質)による病人、発病者はひとりも出ていない。たったのひとりも病人はいない。福島の現地の人々は全員元気だ。

私ははっきりとこのように書く。このように書くことで、この本の読著になってくれるであろう人々の一部と論争をここでは始める気はない。

この本は吉本隆明の本であって、巻頭文の書き手である私、副島隆彦の本ではないからだ。

原発の危険性(の少なさ)についての議論は、別の場所で十分に行いたいと思う。私は、この三年九ヶ月間、多くの人と今度の原発事故の事実関係について言い合ってきた。私は苦(に)が虫を噛みつぶした思いでずっと生きてきた。

福島の現地に行きもせず、遠くの方からよくもこの「リベラル・左翼大衆ども」は、ニューズ映像を見ただけで自分の脳に突き刺さった恐怖感と、雑多な情報・知識に捕われて(即ち洗脳、ブレインウォッシングされて)よくもこれほどの巨大な迷妄(めいもう)の大騒ぎをしてくれたものだ。私の怒りは今も怒張天(どちょうてん)を突(つ)くほど深い。激しい論争は他の場所で行っている。そちらへどうぞお越し下さい。

吉本隆明は、事故のあとの5月27日の毎日新聞のインタビュー記事で次のように答えている。

(引用開始)

福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から非難していますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います。

(引用終了)

副島隆彦です。この吉本隆明の発言は正しい。絶対的に正しい。かつ優れている。日本一かつ世界一優れている。「原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」という吉本の”状況への発言”はズバ抜けて優れていた。これが日本の最高の頭脳であり民衆の中の革命家であり思想家である吉本隆明の文字どおり最期の闘いであった。このあと一年弱で吉本は、八十七歳で逝ってしまった。

この本の読み手になる人は、まず本書の133ページの「「反原発」で猿になる」という吉本隆明の「週刊新潮」誌(2011年の年末発売号 )インタビュー記事を読んでほしい。これは「反原発をやみくもに唱えることでヒトはサルに退行する」という意味だ。

ここで吉本は次のように発言している。

(引用開始)

僕は以前から反核・反原発を掲げる人たちに対して厳しく批判をしてきました。それは今でも変わりません。実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が生じるかもしれない。そのために”原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です。

今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです。

(引用終了)

吉本隆明のこの発言はすばらしいものであり、人類(人間)にとって今一番大切な考えである。私はそのように信じて疑わない。

私が吉本隆明の原発事故への発言を、その次に読んだのは、日本経済新聞の8月5日のインタビュー記事だった。

(引用開始)

―― 事故によって原発廃絶論が出ているが。

原発をやめる、という選択は考えられない。原子カの問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろ、というのと同じです。

だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です。

(引用終了)

副島隆彦です。この吉本隆明の発言が最もよくまとまっている。「原子力研究を今後も続け、原発を稼働させるべきである」の明確な主張である。

私が、先に挙げた毎日新聞の吉本隆明の第一声の記事の内容を聞いたのは、私が弟子たちと福島の現地で、第一原発から21キロ離れた所(都路(みやこじ)という町。2〇キロ以内は4月22日から入れなくされた。警察機動隊による検問所が出来た)に私たち自身の現地活動本部を作っている最中だった。事務所開きは6月22日だった。

「吉本さんはさすがだ。私も彼と全く同じ考えです」と、電話で私に知らせてくれたのは、西村肇(にしむらはじめ)束京大学工学部名誉教授(1933年生。82歳で存命。日本の環境工学の権威 )である。西村教授は、日本に原子カ発電所が導入された1950年代からの金ての動きを刻明に身近に知っている学者である。多くの論文を書いている。

私は自分の弟子たちと、原発の事故の直後の3月19日(土)から、福島原発の現場の真実を知るために現地で活動した。もし東京にまで高濃度の放射性物質(セシウム)が降りそそいで、300万人とかの子供たちが甲状腺ガンで死ぬことになるのなら、それをくい止めるための作業をやりに行こうと考えた。そのための決死隊を組織すると公表した。そのためにはまず隊長(司令官)になる自分が現地に行って現状を把握すべきだ、と考えて行動した。

私はこのことを事故の直後の3月14日に、自分が主宰する「副島隆彦の学問道場」http://soejima.toというインターネット上のサイトに書いた。この文は、一連の活動記録と共に今もそのまま残っている。そして、事故原発の石棺(せきかん)(詰め)作業(コンクリートの壁で原発全体を覆う作業)をしなければいけないと知った。それに参加するための決死隊を自分で結集、編成しようとした。しかし緊急の石棺作業は必要でなかった。何故なら現地で事故は終結していたからだ。

私は弟子たちと第一原発正門前で放射線量の測定作業を続けた。私は何事か大事件が起きたら、可能な限り現場に駆けつけて、現場で現実を見るべきと考えている。遠くの方から「危険だ、危険だ」と言っている程度の人間の言うことなど相手にしない。薄(うす)らバカたちだと思っている。

私が福島の現地と東京の住居を往復しているうちに3年が過ぎた。私はその間に更に多くのことを学び、知ってしまった。

人間という生き物が、これほどに愚かで、おのれの脳に突き刺った恐怖心に支配されると巨大な迷妄に簡単に陥るのだ、と知った。その時からが日本民衆の総敗北だ。

私が福島第一原発の正門前で、3月28日(1号機の爆発から16日後)に放射線量を測ったら86〇マイクロシーベルト毎時(パーアワー)860μS/h であった。こんな微量では人間は死なない。誰も発病しない。これの1〇〇〇倍でも病気にならない。3月15日(爆発3日目)には、正門で8260マイクロシーべルト毎時 8260μS/h (即ち瞬間だ。積算=せきさん=ではないということ)が測定された。

東京・都心では新聞各紙が号外を出して、この数値を大きく報じた。8260マイクロシーベルトとは、8・2ミリシーベルトである。こんなものでも微量であるから誰も発病、発症しない。1シーベルト(=1〇〇〇ミリシーベルト)毎時(パーアワー)から上が危険なのだ。

以後、多くの「原発をやめるべきだ」派の人々と、事実は何かを巡って私は激しく議論をして来た。そして私は疲れ果てて今では、「 人をコトバのカで説得する、というのは容易なことではないな、ほとんど不可能だ」と、イヤな思いを繰り返して、身に染みて分かった。何人もの友人と離別した。

それに引き比(くら)べて、吉木隆明の発言と思想は、この事故(問題)でも際(きわ)立って明晰であり優れていた。

吉本隆明は、福島箪一原発の事故から遡(さかのぼ)ること32年前である、1982年に『「反核」異論』(深夜叢書社)という本を書いた。この本で、「反核・反原発」という一見(いっけん)、誰も反対できない、正義の主張であるものに日本の国民大衆を引きずり込もうとした運動を批判した。そのために吉本隆明は、またしても日本の保守派(体制派。権力者たちを含む)からだけでなく、左翼・リベラル派からも敵視されこの両方から嫌われた。

吉本自身(当時58歳)は、この『「反核」異論』を書いて出すことで、自分が言論界、出版界から激しく忌避(きひ)され、発言の場所(書く場所)を奪われ干(ほ)されることまで厳しく覚悟していた。そのように吉本に近い編集者から私は聞いていた。

『「反核」異論』を書いて、まさしく孤立した吉本隆明は、それから32年後の3・11の大地震・大津波のあと(津波の二五時間後に1号機が爆発)の、原発事故に際して、再び大きく孤立した。

「それでも原子力の研究を続けなければならない」と吉本が書き続けたので、吉本隆明の熱心む読者及び吉本主義者だった者たちまでが、吉本のこの考えに、距離を置いていった。その代表は糸井重里氏と坂木龍一氏だと私は考える。

私は吉本隆明の考えと判断を今も全面的に支持している。私は自分が長年、信念にして来たとおり、誰憚(はばか)ることなく自分が吉本主義者であることを誇りに思う。腹の底からこう思う。

吉本隆明は、この『「反核」異論』の中で、次のように、明確に書いている。やや難解な文だが、ここに吉本思想の真骨頂(しんこっちょう)が表われている、じっくりと読みほぐすように一行ずつ、しっかり読むと、誰にでも解読できる。

(引用開始)

知ったかぶりをして、つまらぬ科字者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。

すベての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。

山本啓(やまもとけい)の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階程となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。

こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐに判ることだ。半衰期が約二万四干年だから、約五万年も放射能が消えないプルトニウム廃棄物質にまみれて、あたかも糞尿に囲まれて生活するかのような妄想を、大衆に与えるほかに、どんな意味もない。いいかえれば開発によってではなく、迷妄によって大衆の「反原発」のエネルギイをひき出そうとする闘争に陥るほかないのだ。

(引用終了)

このように吉木隆明は書いている。

ここで、「この認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ」とはっきり書いている。そして文字どおり、日本の民衆の闘いは、2011年の3・11のあとに、核エネルギーと原子カ発電所を巡る大いなる倫理的反動と総敗北主義に陥っていった。私は深い慚愧(ざんき)の念に襲われる。この『「反核」異論』(1982年刊)から32年後の今(2014年)『「反原発」異論』が、こうして32年前と全く同じ課題を引き継いで、吉本隆明の「遺稿集」として出版される。

私は、吉本隆明の生き方の多難さに多くを学びながら、同じくそれに自分の人生の多難を重ね合わせて生きている自分に気づいている。どうしても孤立してしまう少数の優れた理解者しか得られないキツい人生だ、これが吉本主義と吉本思想の継承ということだ、と深く腹に念じて生きるしかない。そして吉本隆明の、透徹して極め抜いた生き方と思想を次の世代に伝えてゆく。

吉本隆明は、敗北し続けた日本の民衆の、民衆革命の敗北を一身に引き受けて死んでいった悲劇の革命家だ。いくら説得しても理解してもらえることが少ない民衆の側の恐怖心と愚かさに起因する敗北の責任を我が一身(いっしん)に引き受けて、吉本隆明は死んでいった。

ヨーロッパ民衆(労働者)のために闘い続けて、敗北していった、社会主義(ソシアリズム)思想の大成者、カールマルクスの思想を全身で受け継いだ、偉大なる日本の革命家だった。

(そえじま・たかひこ)

(貼り付け終わり)

重たい掲示板:[917]革命思想家 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の死 に 際して 投稿者:副島隆彦 投稿日:2012-03-18 02:02:37

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