「1505」 中田安彦です。私の新刊『ネット世論が日本を滅ぼす』(ベスト新書)が発刊されました。数年間「ネット世論」に密着して観察して学んだ結果を一冊の本にまとめました。ネット言論の理想主義はなぜ次々と自滅していくのか?その答えを知りたい人はぜひお読みください。2015年1月12日  

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SNSI・副島国家戦略研究所の中田安彦です。2015年1月12日です。今日は、学問道サイトをお読みの皆様に、私の書いた新刊書についてお知らせします。

 この本は、これまで私が書いてきたような、「アメリカ政治研究」「日米関係研究」「日本政治研究」「グローバル企業研究」「世界権力者人物研究」の本とは毛色がだいぶ違います。これまでの本は、ある程度のネットリテラシーや情報の目利きが聞く人に向けて、最新の情報を提供しようという観点で書いていましたが、今回の本は、そうではなく、より広い日本の普通のあまり本を読まないが、インターネットは頻繁に利用するという人に向けて書いた本です。

ネット世論が日本を滅ぼす (ベスト新書)
中田 安彦
ベストセラーズ
売り上げランキング: 4,583

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内容紹介

ネットで現出した一億総評論家時代。過激な意見に踊らされ、庶民の政治的意思はかえって実現しない。そんなことではまたアメリカに騙されるぞ! 日本をダメにするネトウヨとネトサヨを一喝する。
《主要目次》プロローグ――「ネット右翼」の台頭する震災後の日本
第1章 いまさらの「歴史認識問題」に揺れる二〇一〇年代ニッポン
第2章 朝日新聞を叩きすぎて自滅するメディア
第3章 再稼働反対デモこそが脱原発の阻害要因
第4章 それは誰にとっての利益なのか(qui bono)
第5章 騙されない思考を身に着ける
第6章 政治の現場とネット言論の距離を詰める作業を
あとがき――2015年体制、「1と4分の1」政党制の時代
出版社からのコメント

なぜネット言論は自滅するのか

インターネットの登場で、一億総政治評論家と呼べる事態が出来した。しかし、ネットの言論空間は、現実政治からは遊離している。ユーザーは偽りの万能感に浸りながら、ことさら極端な主張に走る。その結果、本来、自分たちが実現したかったことも実現できなくなる。
ネット右翼のタカ派的な言論では、日本は生き残れない。同時に、ネット左翼の反原発の主張では、かえって官僚機構の思うつぼにはまってしまう。右も左も「自滅のオウンゴール」の道に堕ちるのだ。
私たちはいまこそ気づかねばならない。自由な思いの丈を表現していると私たちが感じているネットの言論空間は、実は、何者かによってコントロールされているのではないのか、と。
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 なぜそのような本を書いたかといえば、それは私自身が、数年前からこの学問道場や個人ブログでの表現活動以外に新しく登場したSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の情報空間に身をおくようになって、これまでとは違ったインターネットユーザーの人から投げかけられる指摘、いわば「読書人階級」とは別の人々の考え方から別の刺激を受ける用になったことが大きく影響しています。

 普通の人たちは、まだ、私達学問道場の会員たちが共有している世界の認識枠組みについて知りません。しかし、この枠組みを踏まえていかなければ、世界の情報が読み解けないこともあります。例えば、ニュースは「権力関係で読み解く」とか「世界権力者(グローバル・エリート)が大きな世界の流れを方向づける」というようなことはなかなか理解されない。何気ないニュースを読み解く際に、必要な権力闘争、利害関係の争いがあることを理解していけば、より深く理解できる、ということもあるわけです。

 このような冷酷な権力闘争を理解しないまま、「世界がこのようになってほしい。いやなるべきだ。そうならないのはおかしい」という恨み節をインターネットユーザーどうしで共有することに果たして意味があるのか。ツイッターなどのSNSではそのような「恨み節」が満ち溢れている。あのSNSという世界は引きずり込まれると危険な泥沼のような世界です。「このようになればいい」と思っていくことは重要ですが、「そのように思えば世の中の動きは思うように変わっていく」というほど世の中は甘くないわけです。

 ネット政治言論、とりわけツイッターやフェイスブックの怖いところは、閉ざされたネット言論という空間の中で、「賛同」の声が増えていくことが、まるで現実政治・経済に影響を与えるかのような波及力を持っているように誤解させる、というところにあるわけです。私は本書『ネット世論が日本を滅ぼす』のまえがきで次のように書きました。

(引用開始)

 インターネット言論、特にツイッターの怖いところは、それがいわゆる「エコー・チェンバー(反響板)現象」と呼ばれる自己満足の連鎖を生み出しかねないところにあります。フェイスブックにしてもツイッターにしても、ユーザーは気に入ったアカウントをフォローすることで独自のタイムラインをつくり上げるメディアです。そうなると、大体の場合は自分にとって快い言論を拡散する人たちを中心にフォローする、ネット上の友人関係を作ることになる。その時、タイムラインには、自分と似たような意見や記事ばかりが流れてくる。

 あたりまえです。そのように自分がフォロー設定をしたわけですから。そうなると、自分の意見がどんどん「自分たちは勝ってる、勝ってる」と、自分たちがまるでマジョリティーだと思いこんでいくのです。このことを痛感したのが、2010年くらいまでネット上で一つの勢力を築いた、小沢一郎・民主党元代表の支持者、いわゆる「オザシン」(小沢信者)と言われる人たちの「現実の見えていなさ加減」でした。私自身はそのエコー・チェンバーにいるということに震災前に気づいたのですが、震災後も沸き起こる一部の小沢待望論、それとは無関係な世間の大半の「世論」というものの落差は、ネット言論の現実政治に与える影響力の限界を私に痛感させました。私自身は小沢氏に大いに期待していたのですが、小沢氏を応援するネット言論がかなり暴走しすぎたのではないかと途中から思っていったのです。

 ただ、逆に今はネトウヨのほうが左派リベラル層よりネットでは声が大きい。だから震災前と震災後では逆転現象が起きています。しかし、実際に世間の多数の人と話してみると、現実にはそんなことはなく、どちらでもないというポジションを取る「中間派」が一番多いのです。「我々が愛国派で、日本を取り戻すのだ」と言っても、一般の人たちは、安倍さんが経済をよくすると言ったから彼に投票したのであって、靖国神社や歴史問題、尖閣問題にはさほど興味がないという人がほとんどでしょう。あたりまえですが、生活実感で語れない政治問題はなかなか理解されません。
 私が本書で最も強く言いたいのは、一つ目にはネット上で生活実感で語れない政治言論が横行することで、何か良いことが果たして起きるか、ということなのです。結果としては、「政治課題が前進しない」のです。冷静に議論していけば、「三歩進んで二歩下がる」であれ、なんとか一歩ずつ前に進んでいけるのだけれども、そうではなくて、一歩も進まない。それどころかむしろ一歩後退するような事態が現出しています。私はこれを「右翼と左翼のオウンゴール」と呼んでいますが、そういう困った状況が生まれている。「三歩進んで二歩下がる」というのは、水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」からとったものですが、実際にそういう事態が生まれている。

 例えば、リベラルであれば脱原発とか、保守であれば「世界における日本の立場を強化する」という目標が、ネット言論の暴走や、情熱に任せた街頭デモのシュプレヒコールによって、結果としてはかえって実現されていないと思っています。仮に政治課題が進展しているとしても、それは地道に政治を営む人間が動かしているはずなのです。インターネット世論が直接動かしているということではないでしょう。

 ネット言論の暴走によって、「本来実現できたかもしれないもの」が実現しなくなるということの他に、私が重要だと思っている2番目のテーマがあります。それは「すべての情報や言論にはバイアスがかかっているという事実をもっと認識しよう」ということです。再び脱原発と街頭デモを例にとって話しますが、「脱原発を熱狂的に性急に主張する言論が、結局誰にとっての利益になるのか」ということです。あるいは、一歩話を極端にして「脱原発運動を暴走させることで、いったい誰にとっての利益になるのか」といってもいいでしょう。

 それは、「脱原発をしたくない人たちにとっての利益」なのです。誰にとっての利益なのか?という視点で物事を見ていこうというのが私が言いたい2番目の大きな内容です。

 そうやってみていかないと、一般の市民がすぐに誘導されてしまう。つまり、限られた人たちの利益を代弁する言葉を、知らず知らずのうちに、その「限られた人たち」とは必ずしも利害関係が一致していない我々がまさにその限られた人たちの利益を代弁する形で言わされてしまうのです。これは右か左かという問題に限らず、戦略論・大衆コントロール・プロパガンダの技術として以前からアメリカでは研究されてきました。アメリカという国はやはり世界の学問の本場であり、世界覇権国であり、人間操作、世論操作、PRなどに関する研究の本場でもあるのです。

 だから、私が本書で提示しておきたいのは、ラショナル・チョイス・セオリー(合理的選択論)というものです。アメリカが属国の人たちの政治行動をコントロールするうえで、これがたいへんに大きな役割を果たしています。要は「アメリカにとって合理的なもの」を属国にもラショナルだと思い込ませるというプロパガンダです。これには右も左もイデオロギーは関係ありません。

 ラショナルというのは、合理的であるということです。それは言い換えれば、論理的であるということでもあります。感情を取り除いた部分で合理的なものは何かといえば、むき出しの利益をめぐる関係です。合理的というのはつまり、「合利益的」ということですから、あくまでお金の問題です。誰にとってのお金になるか、誰にとってのどういう取り分(ration)になるかという問題です。

 これらの様々な要素を踏まえて、ネットでの政治言論、あるいはその延長線上での街頭でのデモ活動を分析していくと、自分たちが実現したい目的を実現するためにはどういう行動を取ったらよいのかが、よりよく見えてきます。

 そこにこそ、アメリカ政治、日米関係、グローバル企業を専門に研究している私が、本書でいま日本社会について論じる理由があるのです。いまの日本社会とは、資本主義経済に基づいた社会、利益に基づいた社会です。つまり、ラショナリティ(合理性)が明確な、数値化できる形で表れているのです。どれだけの取り分を取るのかということこそが、政治で物事を実現したい人たちにとって重要であって、コトを実現するためには、どういう利益団体のバックアップがあるのかということも考えていかなければならないわけです。

(引用終わり)

 以上、引用しました。付け加えて言うならば、例えば脱原発が進まないのは、脱原発を実現しようという利益団体が組織・集団としてまだ存在しないからです。何も私はすべての原発を廃止しろとは言いませんが、40年運転した原発は次々と増えていく。制度上は、古くなった原発は運転停止するルールを建前としてもっています。それでも40年以上経過した原発をまだ動かそうという動きを関西電力が見せている。福島原発事故のあと、5つの原発が廃炉になることが決まりましたが、その「廃炉利権」をどの政治家が奪い取っていくのか、まだわからない。要するに「落とし所」「均衡点」がまだ見えていないのです。

 その利権をどの政治勢力が得るのか、ということが決まらないと脱原発は前に進まない。さらに言えば、原発の交付金をもらっていた原発立地自治体をどうやって納得させるか、という問題もある。そういう難しい問題を解決するように政治家に対して働きかけるのではなく、「放射能が怖いから再稼働反対」と唱え続けるだけでは、問題は先に進まない。要するに世の中の「反対派」という人たちは、全てではないにしても「自分の頭」で納得して反対派となっているわけではなく、他の誰かの利益を知らず知らずのうちに代弁させられているだけかもしれないわけです。ネットユーザーが過激な意見に踊らされ、庶民の政治的意思はかえって実現しない。そんなことではまたアメリカに騙されるぞ! ということです。

 私は属国日本論に基づく日米関係論と、アメリカのコンスピラシー・セオリーの研究をずっとやって来ましたから、アメリカやグローバル企業が日本の政治家や企業を彼らの利害に基づいてコントロール(=具体的に言えば「カネを出させる」)していることはよくわかっています。この学問道場の会員の皆さんもそういう訓練ができていると思います。

 ところが、合理的選択論という「親分-子分関係」にもとづいて勢力論的に政治分析をやっていく訓練をしていない人は、一見正しそうな過激な「陰謀論(説)」(かぎかっこ付きの陰謀論、より正確には都市伝説のような胡散臭い話)に簡単に引っかかってしまう。紋切り型の「ユダヤの陰謀」というのもそうですし、カトリック側の反プロテスタントのバイヤスがかかっているプロパガンダもそうです。あるいはもっと卑近な例で言えば、マスコミや政治家がやる、大衆の関心をそらすために行う宣伝工作に引っかかってしまう。

 最近ではロシアのメディアはアメリカのコンスピラシー・セオリストをしっかり研究して、アメリカの反権力の人達に向けた宣伝をやっている風にも私は見えることがあります。アメリカもロシアも相手にむけてどういうプロパガンダをやればいいか、しっかりネット言論を研究しているわけです。
 それは、日本の電力会社などのいわゆる「原子力ムラ」が日本の反原発運動を徹底的に分析して、反原発運動を自滅させるように仕組んでいる一連の情報工作と同じです。

 情報はコントロールされているわけです。かく言う私だって引っかかってしまうかもしれない。

 「世の中に飛び交っている情報ってものには必ずベクトルがかかっているんだ、つまり誘導しようとしていたり願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益を図る方向性が付加されている。それを差し引いてみればより本当の事実関係に近いものが見えてくる。」

 そういう訓練をネットを利用する際にはどうしてもしなければならない。受け身のままでネット発の情報洪水に身を委ねるのではなく、「自分の好みに合う情報」でもまずは疑ってみろ、といいたいわけです。

 そのようなことをこの新刊の中では論じています。今回はある意味では「社会評論の本」ですが、これまで研究してきたこととそのまま内容としてはつながっています。

 ぜひ、みなさまもご一読ください。
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ネット世論が日本を滅ぼす (ベスト新書)
中田 安彦
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中田安彦拝
 

 

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