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Loginはこちら【772】[873]福島本部活動日誌です63
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年2月2日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを捨てました。
10時に出しに行ったので、無理かと思ったのですが、まだ回収の車は来ていませんでした。
電気代を郵便局に振込みに行きました。49950円でした。
灯油ストーブをなるべく節約している分、電気代がかかってしまいます。
雪かきを6時間しました。筋肉痛です。
大体は雪をどけることが出来たはずです。建物裏口も(、セメント上に氷が2cm張っている状態ですが)、車が切り返しできる状態です。
正直、マイナス15℃になっても別にいいのですが、雪は勘弁して欲しいです。
今日は水道の検針が来たのですが、地元の人にとっても1月22日の雪は想定外の大雪だったようです。
豪雪地帯の人に比べれば、これでも全然恵まれているのだと思います。
大熊の人達は会津に行ったらしいですが、果たして大丈夫なのでしょうか。
昼食と夕食は、Nさんから頂いたマカロニを茹でてカレーに投げ込んで食べました。マカロニは大変美味しかったです。
カレーにはZさんから貰った大豆から作った肉の代用品を投げ込みました。
美味しいものではないですが、アイディア商品としてはいいものです。
2月3日午前2時、ペットボトルと缶のゴミを出しました。非常に寒かったです。
2月3日午前2時45分、パトカーがランプを点灯させながら、ゆっくり検問所方面に走っていきました。
夏の頃とは違い、ゆっくり走っていることが多くなりました。
道路が凍結している箇所が多いので、警視庁のパトカーとしても、あまり速度を出せないのだと思います。
最近288号線を巡廻しているパトカーは警視庁のものが多いです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年2月3日の日誌です。
もう4時間かけて雪かきをしました。
これで大丈夫だと思いたいです。
風呂に入りました。
その後、洗濯をしました。
風呂、洗濯も、今は水が出る昼間の午後にしなければなりません。
(水が出ないのは、雪によるのか、寒さによるのか、判断がつきません。いわきに行く前までは水道が出なくなったことはありませんでした。)
「フィンランドでは風呂よりサウナ」というのに近い台詞が、あるアニメでありましたが、その方がとても寒い所では合理的なのだと思います。
車を10分間エンジンをかけておきました。
夕食は、蕎麦、カレーの残りに椎茸とナメコを入れたもの、蕎麦湯、でした。
あと、ピーマンを1個洗って丸齧りしました。
カレーは随分と改善されました。
今日の街の放送によると、都路行政局は0.28μSv/hでした。
やはり雪の影響で低い値が出ている様に感じています。
amazonで1829円の寝袋を注文しました。最低使用温度が7度の商品です。
寝袋類は、最低使用温度が低くなると、殆ど値引きされていませんでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年2月4日の日誌です。
やや雪が降りました。
明日から南相馬に行くのですが、なんでしばらく事務所を空ける時に限って雪が降るのでしょうか。
雪かきを1時間だけ、適当にしました。
建物裏口は、凍ってしまって危険な所があります。
一昨日から、若松屋旅館(http://www.naf.co.jp/wakamatsuya/)のバスが288号線と399号線を行き来しています。
夕食は、残っていたカレーにNさんから頂いたマカロニを入れて食べました。これでカレーを食べ切れました。
あと、人参を一本丸齧りしました。人参のグラッセを作れたら良いのですが、石井魚店はバターが高いです。
一人でじっとしている事に負けて、PSP(という携帯ゲーム機)を購入してしまいました。
興味のある(元エロゲーの)ギャルゲーをやりきったら、置物になってしまいそうです。
お客様用の菓子類も、時々食べてしまいます。
良くない状態です。
いっそ掃除等をしていたいのですが、この時期だと動かないでいるのが正解で、歯がゆいです。
(なお、PSPのあるゲームに出てくるキャラで
「背が高いことを気にしている女性キャラ」
というのが登場したのですが、なぜ引け目に感じるのかよく分からないです。
性別に関係なく、体は大きい方が基本的に優れた事、・・・と考える私は、変なのかもしれません。)
(転載終わり)
【771】[872]福島本部活動日誌です62
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年1月29日の日誌です。
今朝はマイナス13度まで下がったそうです。
負担にならない程度に雪かきをしていました。そのせいで古道体育館の動きに気づきませんでした。
午後3時、大型バスが国道288号線を帰っていきました。
乗客は作業員ではなく、普通の人たちでした。
体育館に向かってみると、小型バスが6台連続して川内村方面に向っていました。
(画像は、6台目のバスの後姿が、半分写っているだけです)
体育館には見張りが2人居ました。
公民館前駐車場には、バスが1台停まっていました。
古道プールには、復旧工事中の看板が立っていました。
体育館からは普通の車が次々に出てきました。
乗っていた人は、作業員なのか一時帰宅の人なのか、判断がつきませんでした。
帰り道で、乗客を乗せていない小型バスが4台連続して、検問所方面に向かっていきました。
古道小学校の校庭には、ショベルカーがありました。崖を崩す作業は、かなり進んでいました。
午後4時、体を温めるために風呂に入ろうとしたのですが、蛇口が凍っていました。
ガスで沸かしたお湯で溶かしたら、使えるようになりました。
しかし、排水口の先が凍っているのか、暫く排水されずに、水が溜まっていました。
10分ほどして排水が始まり、安心しました。
雪が降る前にマイナス10度になっても、水道が出なくなることは無かったのですが、雪が降った後は、昼間でも水道が出なくなることがあります。
真面目に雪対策を考えてみます。
夕食は、カレーライス、レタス、もずく、ヨーグルト、でした。
船引のほかの仮設住宅にも、いつか行ってみたいです。
http://www.actiz.jp/kasetu/index.html/?pref_id=07&muni_id=211
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月30日の日誌です。
雪かきをしました。
駐車場に積みあがっている氷の塊を、本当にもうどうしてくれようか、考え中です。
夕食は、お茶漬け、カレー、コーンスープ、レタス、もずく、でした。
お茶漬けには、先日取ったスープを使ってみましたが、美味しさには殆ど寄与しませんでした。
カレーは、古漬けになりすぎてしまった白菜の漬物を無理に使っているので、凄く不味いです。
余っているものを使い切るのにはカレーが良いとはいっても、やはり限度がありました。
南相馬に2月5日に行くことにしました。Nさんにお世話になります。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月31日の日誌です。
2万円の除雪機が届きました。
3時間ほど雪かきをしていました。
雪を意外に吹き飛ばします。ただ、凍って固まった雪には全く役に立ちませんので、ザラメ雪くらいの状態で使わなければなりません。
豪雪地帯では微妙かとは思いますが、余り雪の降らないここ辺りでは、便利だと思います。
あとは屋根で使えるかが問題になります。本体が10kg以上あるので、微妙な所です。
夕食は、不味いカレーと牡蠣のオリーブオイル漬けに、茹でたスパゲッティを入れて食べました。
牡蠣とスパゲッティが合わさると、かなり美味しいものになりました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年2月1日の日誌です。
プラスチックゴミを捨てに行きました。
雪かきを4時間くらいしました。
2階から行ける屋根はやらなくても大丈夫そうです。
かわうちの湯に電話をしてみたところ、改修工事は8月の盆前くらいになる見通しだといっていました。
午後8時現在、凄い暴風が吹いています。
マイナス10度前後でこの風になると、流石に心配です。
夕食は、蕎麦を茹でて不味いカレーに投げ込んで食べました。
今残っている食品類をある程度使い切ってしまいたいです。
(転載終わり)
【770】[871]福島本部活動日誌です61
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年1月24日の日誌です。
22日と23日の写真を整理して、日誌を書いていました。
写真が多いので、書きあがるのは当分先になりそうです。
雪かきをしたのですが、筋肉痛がひどく、最低限しかできませんでした。
表玄関、自動車の回り、自動車のフロントガラス、裏口で自転車を通す所、をやりました。
なお、最高気温はマイナス1度なのですが、陽が差せば雪は融けているようです。
午前8時現在、炊事場と大広間の水道が凍っていて使えませんでした。他の水道は大丈夫でした。
室内で暖房を使っていたら、使えるようになりました。
さらにこの後、暖房を2時間切ってみたら、出なくなりました。
午後6時になって、洗濯をしようとしたのですが、給水ホースの途中が凍っていて、洗濯機が使えませんでした。
電話代を郵便局で振り込みました。9929円でした。
ネット回線の契約の切り替えに伴い、明細が複雑になっていました。
昨日半額で買ってきた牡蠣を、乾煎りしてからオリーブオイルに漬けました。
残っている食材も鍋もどきにしました。
牡蠣、牛肉、大根、人参、白菜、アサリ、Wさんから頂いたすっぽんのスープ、小海老、味噌、冷やしパスタ用のスープ、が材料でした。
炊き込みご飯も作りました。
作るので満足してしまい、今日は何も食べずに寝てしまいました。
疲労が抜けないどころか、雪かきで上半身も筋肉痛です。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月25日の日誌です。
午前7時に起きて、古道体育館にガイガーカウンターを持って行ってみました。
しかし、既に体育館には人がいて、空気中しか線量を測れませんでした。
マイナス9度の中、無駄足をしてしまいました。
22日と23日の日誌を書いているのですが、載せたい写真が150枚あるので、考え中です。
雪かきをしました。右腕と左足が痛いです。
昨日出来なかった洗濯をしました。
午後6時40分、399号線から来た軽トラックが、右折して検問所方面に行きました。
この時刻には珍しいことで、結構驚きました。
午後8時、再び古道体育館に行ってみました。
公民館前の駐車場は、午後8時にもかかわらず、3台も車が停まっていました。
また、公民館の一室に電気がついていました。もしもここから見張りをすれば、効率的に下を見張れそうです。
体育館脇の出入り口は、ひょっとしたら高いのではないかと思って測ってみました。
しかし、空気中の線量より低いくらいでした。
午後9時半現在、測定から5650時間経過し、累積で1.458mSvです。
いわきに行ってきたばかりだというのに、もう南相馬に行きたくなってしまっています。
足の疲労が落ち着くまでは無理だとわかっているのですが、なぜか気が急いています。
泊まる所はやや心配ですが、どこかが空いている、・・・と思いたいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月26日の日誌です。
朝起きたら、少しだけ雪が降っていたようでした。
今朝はマイナス11度だったそうです。
新聞の集金が来ました。2905円でした。
朝食として、一昨日作ったものを食べました。
あと、ご飯を多めに炊きました。
午前8時から午後4時まで、22日と23日の日誌を書いていました。
途中で昼食として、生の人参を一本食べました。兎の様でした。
Kさんから頂いた鶏ガラ、鰹節、昆布、生姜、で出汁をとりました。
この出汁でカレーを作りました。
肉も何もない地味なカレーで、普通の人にはお勧めできませんが、こういうのが一番好きです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月27日の日誌です。
断続的に小雪が降り続いています。
今日の最低気温はマイナス12度、最高気温はマイナス3度のようです。
雪かきをしていました。
雪を退かすべきなのは、
「車の近く(特に、フロントガラスとドア付近と車を出す時の路面)」
「表玄関前」
「外のトイレに通じる地面」
「建物裏(自転車が通れる程度に)」
「階段(乾雪は風が強いと吹き込んでくる)」
の所です。
また、屋根は今の所大丈夫だと思います。
危険ゴミを捨てました。
今日の街の放送で、都路行政局は0.26μSv/hでした。
岩井沢の駐車場は0.55μSv/hでした。
共に、雪が降る前の値の3/4ほどでした。
カレー、味噌汁、納豆、牡蠣のオリーブオイル漬け、オクラを湯通ししただけのもの、で夕食にしました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月28日の日誌です。
ゆっくりめに雪かきをしながら、カレーを食べて過しました。
雪は降り積もり続けているので、どこかで心が折れそうです。
今日は最低気温、最高気温、共にマイナス5度前後でした。
http://www.jiji.com/jc/movie?p=top422-movie02&s=442&rel=yでいわき市小名浜の辺りの動画を見られて、妙にうれしかったです。。
午後6時から午後11時まで、wikipediaを無為に眺めてしまいました・・・。
サトゥールン科学製造合同から始まって、トハチェフスキーで終わったのは、ロシアに妙な縁があるのでしょうか・・・。
途中で出てきた、フーシェやド=ゴール、ジョミニ、グナイゼナウ、根津一らの記述を見て、やっぱり自分は政治思想が全く分からないことを認識しました。
(転載終わり)
【769】[870]福島本部活動日誌です60
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年1月23日の日誌です。
今日も漫然と書いてしまっています。
午前5時に起きて、風呂などの身支度をしました。
ビジネスホテルの髭剃りは前の人が使った際の細かい髭が残っていて、使う気になれませんでした。
午前6時15分、ビジネスホテルの朝食を食べに行きました。
美味しいものではありませんでしたが、サラダなどを1時間かけて食べ続けました。
午後8時にビジネスホテルを出て、常磐線で泉駅に向かいました。
午前9時に泉駅に到着しました。
そこから3.5キロ歩いてアクアマリンふくしまに行きました。途中で大きく迷ってしまい、余計に3キロ歩きました。
足が痛い中、自分でも何をやっているのだろうと思ってしまいました。
途中の道はかなりの交通量があり、震災前後で余り変化があるようには感じられませんでした。
アクアマリンに近くなったあたりの海岸沿いの建物は、津波で大きく壊れていました。(注:ただ、南相馬にもう一度行って思うのは、いわきの被害は南相馬よりは軽度だということです。)
ある取り壊し予定の家は、「送り化粧」をしてから取り壊すそうです。
また、その近辺の道路は、復旧工事中でした。
建物の取り壊しも進んでいました。
小名浜港は、漁船が整然と停泊していました。
着いたのは午前11時半頃でした。
まずは、ら・ら・ミュウという魚市場に行きました。
こちら側の駐車場は、まだ土の地面がむき出しのところがありました。
地震後に再開したそうなのですが、店の数に比べ客は余り居ませんでした。客の数は店員の数の3分の1といったところでした。
内部にはいわき市がやっている展示もありました。
外の展望場からアクアマリンふくしま側を見てみると、海上保安庁の船が泊まっていました。
(←こっちはアクアマリン側からとった画像です)
被害の大きかった埠頭は工事中でした。
(←これは後で近づいて撮影しました)
遠くの日本化成の工場は動いていました。
4つの倉庫だった津波を受けた建物の所に行きました。
この後この4つの建物は、レストラン街や展示場として再利用されるそうです。
レストラン街は既に営業が始まっており、中に土産物屋などが入っていました。
ただ、二階のレストランは、まだ営業していないようでした。
道は舗装修理中ではありましたが、6月頃よりはかなり直っていました。6月頃は砂が堆積していました。
アクアマリンふくしまへ行きました。
途中の道路や駐車場は大規模に復旧作業中でした。
剥がされたアスファルトが一箇所に積み上げられていました。
正面玄関は閉まっていて、別な所が入場口になっていました。
(←写真からはわかりにくいですが、砂のところで30cmの段差が出来ています)
正面玄関へ行く脇の歩道の修理も後のようです。
正面玄関先の交差点では、6月に倒れていた信号が新しいものに取り替えられていました。
貨物輸送列車の福島臨海鉄道が復旧するのも、暫く後と思われます。
(福島臨海鉄道の事故後の状況についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/fxnww385/24095642.htmlに写真が載っています。)
なお、アクアマリンふくしまは営業中でしたが、帰れなくなるおそれがあったので、私は中に入らずに帰りました。
流石に足が痛くなってしまったので、県道15号線を通っているバスを使って、泉駅に帰りました。
バス停までの道は所々に被害の跡がありましたが、普通の道でした。
(津波が県道15号線まで来ていたことには、後でhttp://ranasite.net/?p=5475を見て知りました。)
12時50分泉駅発の電車でいわき駅に戻った後、午後1時13分いわき発の磐越東線で船引に帰りました。
なお、電車の広告を見て、JR東日本にもネットスラングが好きな社員がいるのだと認識しました。
途中の川前駅以降は雪が残っていました。
昼食は、電車の中で煮干を食べました。
午後2時半に船引駅に着いた後、ダイユーエイトまで雪道を2キロ歩いて行き、半額の食料品を買い込みました。
途中の船引小学校では、除染された土の上に雪が覆いかぶさっていました。
午後5時半、ケーズデンキの反対側のバス停からバスに乗って、古道車庫に帰りました。
常葉町までは高校生たちが6人いたのですが、そのあとは私一人しか乗っていませんでした。
古道車庫についてからも、事務所までの400メートルの雪道が大変遠かったです。
事務所に戻って、最低限のことを処理した後、午後8時に寝ました。
明日は雪かきが出来るでしょうか。
(転載終わり)
【768】[869]何かの物事を成就させる人間
会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて私、加地龍太が司馬遼太郎氏の歴史小説群「国盗り物語」「竜馬がゆく」などを読書して考えたことを記載させていただきます。
現在、日本および世界の社会は秩序が古びている。どれだけ素晴らしい人間が作った秩序でも、秩序は必ず時代と共に古びてゆき、新しい時代に適合する秩序が要請され出す。
司馬遼太郎氏の著作「国盗り物語」第二巻P255に「歴史が、英傑を要求するときがある、ときに。--時に、でしかない。なぜならば、英雄豪傑といった変格人は、安定した社会が必要としないからだ。むしろ、安定した秩序のなかでは百世にひとりという異常児は毒物でしかない。が、秩序はつねに古びる。秩序が古び、綻(ほころ)びて旧来の支配組織が担当能力を失ったとき、その毒物が救世の薬物として翹望(ぎょうぼう)される。」と記載されている。
私は、日本国王・小沢一郎こそが上記の「泰平の世の毒物であり、変革期の薬物」に相当すると思う。今までの正当であった秩序が古び、その時代の権威的団体や社会管理団体(日本の官僚機構など)が時代を担当する能力を失ったとき、天(時代)が英雄を要請するのである。
英雄とは、何かの物事を成就させる人物のことである。
物事を成すに当たって最も重要なのは「人間の魅力」なのだと、私は思う。
知識や技術も大切だが、この世で物を言うのは人数だ。
司馬遼太郎氏の著作「竜馬がゆく」第一巻P218に「桂小五郎は、自分を魅了するような議論や思想を竜馬が持っていないからといって軽侮しなかった。「あんたには、英雄の風貌がある。」といった。「事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。私(桂小五郎)にはそれが乏しい。しかし、あなた(坂本竜馬)にはそれがある、と私はみた。人どころか、山でさえ、あなたの一声で動きそうな思いがする。」」と記載されている。
上記の記述の通り、この世では数が多い側が絶対に強い。だからこそ、小沢一郎氏は自分のビジョンを実現させるために、自分の同胞を沢山作ったのだろう。
そして、人数を動員するための「人間の魅力」以外の要件が「金銭力」だ。
一般企業も役所も暴力団も、あらゆる団体が人数を集めるために金銭を使う。その集団に勤めている人々は、一方的な見方をすればカネ(給料)で買収されているのである。
これに対して「人間の魅力」で人数を動員する人物たちの一例は俳優や歌手であろう。「人間の魅力」とは、「人気」である。人気がなければやることなすこと全てが悪事に取られ、物事が成就できない。
私が思うに、人数を動員するこの二つの要件を比べた場合、「人間の魅力」よりも「金銭力」の方が現実的には強い。
以前、海江田万里氏と野田佳彦氏が首相選挙で争ったとき、小沢一郎派の国会議員たちの一部が財務省に買収されて野田佳彦に鞍替えして票を入れたのだという。(副島隆彦先生の著作「金・ドル体制の終わり」と「今日のぼやき 1243番 野田佳彦が首相に決まったが、これは勝栄二郎の財務省が操(あやつ)る傀儡(かいらい)政権である。 副島隆彦」参照)
「金銭力」の強さである。
現在、私には「では、どうしたら良いか。」という答えは判らない。
たとえ、とろけるほどの「人間の魅力」を持っていても、その人物に他人を養うだけの経済力がなければ人数は集められないと思えてならない。
私、加地龍太は、今後もどうすれば良いかを思考してゆく。
どなたかご意見がありましたら私のメールアドレスにメールを送って下さい。
一緒に考えてくれる方を歓迎します。しかし、私事(わたくしごと)で恐縮ですが、明日から2月9日まで鹿児島に行くのでもしメールを下さった方がおられても返信は9日以降になってしまいます。申し訳ありません。
尚、私は「竜馬がゆく」はあくまで物語であると認識しており、あの小説の中で描かれている「司馬竜馬」をそのまま「坂本龍馬」だと思っている訳ではありません。
しかし、「竜馬がゆく」という作品自体は人生教科書になるくらいの名作だと思っています。
エドウィン・ライシャワーが日本のマルキストたちに対して、マルクス主義的歴史観の解毒剤として、そして「近代化論」の布教・流布のために司馬遼太郎氏に「竜馬がゆく」を執筆させたというアメリカ帝国側の政治的謀略(今日のぼやき 1246番 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2) 宇宙人・槙原稔と戦後日米関係 中田安彦記 参照)もあったのでしょうが、一読するに足る名作だと思います。
加地 龍太 拝
【767】[868]チャルマーズ・ジョンソンの遺著
会員番号3265番の市川です。
チャルマーズ・ジョンソンの遺著の日本語訳本が、岩波書店からひっそりと発売されました。
「帝国解体――アメリカ最後の選択」
チャルマーズ・ジョンソン (著)
雨宮 和子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/帝国解体――アメリカ最後の選択-チャルマーズ・ジョンソン/dp/4000240374/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1328285808&sr=1-1
【766】[867]フフホト通信
明けましておめでとうございます。内蒙古の石井がおくるフフホト通信です。
今年も中国では盛大に御正月(春節といいます。旧暦の正月でお祝いをします。)をお祝いしました。その模様は後程。
>>[866]中国ガス田に講義する滑稽さ の六城さまの投稿に同様の意を持っています。
中国でも、内蒙古は地下資源の豊富な地方として有名です。石炭、石油、レアアース、レアメタル、金、銀、銅、ダイヤモンド・・・。ほとんど何でもござれの勢いですが、そういった地方ですから、地下に対する意識も当然高く、地下資源専門に管理監督する役所もあるくらいです。
石油に比べると石炭は分布範囲が広く、政府から開発許可を受けると必ずと言って良いほど見付かります。後は質が良いかどうかだけの問題です。
石油もこちらでは普通に民間が開発しています。20億円かけて1500m掘ったというのは当たり前の話として聞くことが出来ます。
コンビニや八百屋並みとは言いませんが、要するにごくごく一般的な産業として地下開発事業というのが海外には存在する、ということです(特にカナダやオーストラリアに多いそうです)。
片や日本では、全国各地の炭鉱の閉鎖と共にそういった地下に関するプロが死滅していったのは事実でしょう。仕事がないのですから当たり前の話ですね。「山師」も消滅しました。
3年ほど前、日本の「お金持ち」を自称する方がこちらに来られて、何か金儲けのタネはないものか、と尋ねてきたので、石炭の山は如何ですか、と持ち掛けたことがあります。
その人は日本に帰って色々な人に相談したらしいのですが、誰に聞いてもキチンとした解答が得られなかったのでお流れになってしまいました。件の山から良質な石炭がフンダンに出てきているのは言うまでもありません。本当に惜しいことです。
実はそのようなチャンスはここ中国だけでなく、モンゴル共和国にも実に沢山転がっているのです。日本の政府もそのような情報は絶対に掴んでいる筈ですが、なかなか公表しようとしません。燃料資源はどうしてもアメリカを通して買わなければならないのか、という穿った見方をしてしまいます。
閑話休題・・・
「毎日中国経済」のインターネットサイトから、2月1日付けのニュースです。
(貼り付け開始)
中国の温家宝首相は1月31日の国務院第6回総会に出席し、不動産市場の規制を強め、投機・投資的ニーズを抑制する政策・措置を続け、住宅価格の適切な下落を促すと表明した。大衆型分譲住宅の供給を拡大し、中低所得者向けの住宅の建設と管理に力を入れる考えだ。
不動産市場規制について、温首相は「厳しく投機的・投資的ニーズを抑制する政策・措置を続け、住宅価格の適切な下落を促す」を表明。温首相が住宅価格の適切な下落に触れたのは、過去2年で5回目。
また、全国不動産ブローカー連合会の楊楽渝秘書長によると、住宅の購入・抑制策は、2012年も不動産市場規制の主眼であるという。政府は不動産市場のマクロ規制政策を、その他の5重点活動とともに維持する方針だ。
(貼り付け終わり)
また、新華社通信のネット版では
http://jp.xinhuanet.com/2012-01/28/c_131379240.htm
↑上のように報じています。
特に興味深いのは、「毎日中国経済」の中の温家宝の発言で、「・・・住宅価格の適切な下落を促す」というところでしょうか。
とても面白いのは、中国政府が非常に上手く資本主義の枠組みを使っているな、と思えるところです。
例えば、不動産投資です。始めは地方政府に関係の深い連中が土地を安く購入してマンション開発を始めました。驚くほど儲かった筈です。今からほんの15年ほど前の話です。
そこで二匹目のドジョウを狙う輩が全国に現れてきます。政府は開発の為の図面を作るだけで、後は勝手に民間の手で建物が出来ていく、というスンポウです。勿論不動産は開発規模も大きくなりますから、地方都市のひいては中国全体のGDPを押し上げるのに効果を示します。
これを政府が主導して計画的に、国家の企業が開発する、となると、ここまで短時日での開発は絶対に行われなかったでしょう。民間が我先に儲けを競うからこその成果です。
一転、その不動産が過熱気味になってきたので、そこにブレーキをかけていきます。不動産開発事業者に資金を提供しているのは、どうせ国立銀行ですから不動産屋が潰れれば土地も建物も国のモノに却ってくるだけのことです。あとはそれを低所得者向けに安く提供するプログラムさえ作ってしまえば御仕舞い!という手際の良さ。お見事!
去年の9月に、副島先生と一緒に観に行ったオルドスという石炭成金の街のマンションは、当時8000元~9000元/平米という単価でしたが、今では3000元/平米にまで落ちてしまっています。
100平米の3LDKのマンションが、3ヶ月の間に総額1000万円から400万円弱にまで一気に落ちてしまった計算です。しかもそれでも買い手が付きません。不動産会社がバタバタと潰れて、残った建物を銀行が回収している、ということです。
それでは石炭成金たちの次の儲け先はどこでしょう。
政府も手を緩めません。
例えば彼らに100億元(凡そ1200億円)積ませて、高規格道路(有料道路)を建設させます。石炭成金はその通行料を20年間自らの収入とすることが出来ます。
大体7年~8年で元が取れる計算になるそうです。
こうして、経済の源泉である「カネ」が停滞しないように、政府主導でしっかりと動かしているのです。
そのことの可否は敢えて問いますまい。日本と比較しても仕方のないところです。
冒頭で述べました、こちらの正月です。
去年の年末から、コーヒーショップを開ける為の準備を最大船速で行ってきました。ようやく明日、試験開業が出来るところまで漕ぎ着けましたが、こちらの年末に市内を見回りにきた役人(ほとんどチンピラの類)が我々の店を見て一言、「おい、赤い提灯を玄関にぶら提げておけよ!」。
中国の街中のどこでも眼にすることが出来る赤い提灯は、実は行政命令によって民間のお金で掛けられているものでした。
大晦日から正月の明け方まで、延々と花火や爆竹が繰り広げられるのは例年通り。不況で花火の数が減ったなどと、どこかの国の寂しい話などお構いなしです。
この騒ぎは、旧暦の1月15日まで続きます。それまで私の胃がもつかどうか(白酒の飲みすぎ)・・・。
【765】[866]中国ガス田に抗議する滑稽さ
■いまだに石油メジャーの支配下から抜け出せない日本政府
東シナ海の日中境界線で中国の掘削プラットホームからブローガスの燃焼が始まったことによりガス田にまで掘削が進んだと報じられております。これに対して私が感じていたことを述べます。
私はSNSI論文集「エコロジーという洗脳」(成甲書房2008年10月)で拙文「環境騒動に乗じてエネルギー自立をめざせ」という章を書かせていただきました。
日本の海上油田の掘削リグは2008年時点で第9白龍が25年前(1984年)に作られたことが最後でした。さらに泉政権時に大幅にエネルギー開発の費用が1/10にまで削られたために試掘用リグの新造はおろか試掘自体もほとんど行われなくなったからです。
私は20年前に造船学科で学びましたが、そこのテキストで使われる掘削リグの<最新の設計図>は昭和40年代のブルーコピー。船というよりも海上構造物なので最新型と比べても進歩はないのですが、それでも昭和50年代あたりで日本の造船会社は海上油田用掘削リグの開発をやめてしまったようです。当時の技術者はほとんど退職してしまい、日本国内では石油リグを設計できる技術者もわずかだと思います。
また、海上油田用の掘削リグの製造を国内造船会社が行っていたという背景は、当時の造船不況のために通産省が予算を付けただけという理由もあるのでしょう。
何を言いたいのかというと、日本は第二次石油ショック以降、海上油田の開発にはおざなりな予算だけをつけて、国策事業とはならず、ほとんど注力してこなかった現実があるわけです。
自国ガス田の開発の現状を、本文では以下のように記しています。この石油関係者とは天然ガス鉱業会と石油工業連盟です。
(転載はじめ)
私の天然ガスの自給自足という夢想に対して、石油関係者の意見は総じて悲観的である。しかし日本の石油開発は技術・資本・リスク許容すべてで見劣りし、巨大石油資本の支配下である実情を憂いているだけでは進歩がない。プーチンは強権でロシアを原油・ガスで立て直したではないか。一方、税金の垂れ流しで終わった石油開発公団という石油乞食しか擁しなかった我が国は悲劇である。エネルギー自給率が一向に上がらないのは無能官僚による人災である。
(転載おわり)
要するに日本は石油メジャー支配下にあるために、日本政府は自国エネルギーの開発は消極的です。これは石油、ガスともに業界内では公然とささやかれていることなのです。
また同時にメタンハイドレードのニュースに対しても本文中ではこのように記しました。
(転載はじめ)
省エネ政策は官僚のおもちゃ箱、便利な玉手箱であり、ぶら下がっている団体にとっては お金をひねり出す魔法の言葉である。省エネルギー・新エネルギー・代替エネルギーなどの言葉で予算のぶんどり合戦を霞ヶ関で行っているのが実態であろう。新技術はいまだ混沌として先は見えない。この主役は経済産業省と外務省である。まず国家政策でやることは国内パイプライン網の完成とガス田開発であろう。天然ガス関係の開発予算はもともと少ないが、小泉政権以来さらにじり貧である。
(転載おわり)
■油田/ガス田の開発は丁半博打の世界
いまでも石油やガスの掘削は丁半ばくちの世界です。一本油井を掘るのに何億もかけて、それでも出ないことの方が確率的に多い世界です。日本にも掘削専門の会社はありますが、野球選手のようにハズレの多い社員はあっという間にクビにされます。1000m、2000mとさらに掘って石油やガスが湧出るかどうかという自身のクビもかけた仕事なのだそうです。アメリカのメジャーリーグの世界のように、採掘の総責任者は実績を積めば高い年収で世界中を渡り歩くし、空振りが多いとあっという間にお払い箱になるそうです。
何が言いたいのかというと、洋上掘削は一本掘るのでも何億円もかかる世界であり、不慮の事故が発生するかも知れないし、とにかく不確定要素や作業環境、費用が膨大なのです。
そのような悪条件では試掘をできるのは民間企業では無理で、国策事業や石油メジャーでしかありえません。
そして今回は中国は国内エネルギーの逼迫をうけて、日中排他海域内で掘削して成功をしたというだけです。
この近辺にガス田があるという調査は30年前に判明していながら何もしていない日本と、行動を起した中国では国際的な見方は中国寄りであることは間違いありません。
山師(やまし)の世界では鉱物資源は早い者勝ち、リスクをとって掴んだ方が勝ちなのは世界の常識です。後出しじゃんけんで何を言っても聞き入られることは絶対にありません。
「中国の掘削が成功してしまった~いちおう抗議しよう」なんて飴玉とられたガキのような対応は世界の笑いものになるだけです。
もし抗議するのであれば、日本も掘削リグを10基ほど沖合に並べていうべきなのです。一円もだしていない者が抗議できるなどと考える方が可笑しいのです。
中国に抗議する前に石油開発を担当する通産官僚の責任を問うことのほうが先決でしょう。
(転載はじめ)
<東シナ海ガス田>日中中間線付近の施設で炎、中国が採掘か
東シナ海のガス田開発問題で、日本政府は日中中間線付近のガス田「樫(かし)」(中国名・天外天)の採掘施設から生産活動を示す炎が出ていることを確認した。藤村修官房長官は1日の記者会見で、中国が単独開発を進めている疑いがあるとして、1月31日に外交ルートを通じて中国政府に抗議したことを明らかにした。(毎日新聞)
(転載おわり)
【764】[864]福島県絆(きづな)作り応援事業と仮設住宅の正体
寒中見舞い申し上げます。 福島県在住 会員番号6619 川原です。
福島からの現地レポートです。
福島県では絆(きづな)作り応援事業という洗脳事業を行っています。その目的は、原発難民に意味のない安心感を与えて去勢させ、相互に監視させることです。
意訳すると、原発難民に今後必ず家と土地について適正な損害賠償費用を受け取れるという幻想を抱かせ続ける一方 現状に不満を抱く原発難民が組織化するのを未然に防止するのが目的です。
東電と政府はアメリカの原発封じ込めタイムテーブルに従い、原発難民の最終処分への準備を始めたのです。核廃棄物最終処分場建設のための地上げ工作の段取りをつけたのです。
厳寒の仮設住宅で原発難民を心身ともに弱らせ、絆(きづな)事業で意味のない安心感を与え、後は 監視体制を強化し、去勢しきったタイミングを見て 原発難民の家と土地を買いたたくのです。国家が公然と行う地上げはさすがです。まさに筋書き通りです。
絆(きづな)事業は全く意味のない事業ですが、震災失業者2000人を雇用し、失業者対策となるとの理由からか、誰も公然と批判することはできません。除染についても同じです。しかし、こうした表面的に意味のない事業にこそ、実は重要な役割があるのです。
環境省のポスターには「除染なくして福島の復興なし」と書かれ、中央の下の部分に一番大きい文字で「環境省職員の募集」と絶妙なバランスで書かれていました。明らかに環境省の予算と権限の拡大が狙いだと思うのですが、地元の批判を逃れるため「職員募集」を全面に打ち出しています。(雇用という餌を使う戦略です。)
このポスターを見かけたのはヨークベニマル郡山富久山町店内に設けられた「絆スペース」という場所です。この場所は県の委託事業を受けた企業とNPOが運営しています。
ここで働く緊急雇用対策で雇われた女性曰く「この絆(きづな)スペースは仮設住宅でなく、県の借り上げ住宅にいる人へ情報発信するのが目的だ」と説明してくれました。
その意図は仮設住宅の連中は監視体制ができているが、ばらばらに点在している借り上げ住宅にいる連中にも監視の目を向け、しっかり去勢されているか確認するためです。
こういう絆(きづな)スペースという場所が県内に10か所ほどあるそうです。絆(きづな)新聞というのも発行しています。(新聞の内容は「仮設住宅で体操して楽しく暮らしてます」という去勢された難民を美化する内容です。)
この「絆(きづな)スペース」は、今後家と土地を安値で買いたたかれる原発難民を絆(きづな)という言葉で根拠のない安心感を植え付け、去勢して洗脳する施設です。
「除染」と「絆(きづな)作り事業」は地元の雇用確保につながるとは言え、これだけどうでもいいことに予算が使われると腹が立ちます。日本再占領風に言うと「ギブミー チョコレート キャンデー」が「ギブミー 除染のワーク」 になり、どんなあほな仕事でもしまーす。猿の惑星の福島版です。こういう人間に仕事を与えても、自立していくことはできません。一時的な雇用対策、経済効果よりマイナス面が大きいと推察します。猿には餌を与えるのではなく、餌の取り方を教えるべきです。全く無意味な除染をさせることは、アメリカの工程表にもあり、原発難民を飼い犬と化し、「おとなしくしていれば餌はやるぞ」というメッセ−ジです。除染は難民を自立させない最適な手段なのです。権力者は除染という手段で地域を意のままに取捨選択することができます。(除染ができていないことを理由に帰還をさせないなど。)
万が一難民に自立されると、「ひとり1億の損害賠償金を寄こせ、地元に戻らせろ」など言い出す可能性があります。地上げ屋としてこれが一番困ります。
その後、郡山市のビックパレット脇にある川内村仮設住宅に寄りました。そこには今までになかった施設がありました。それはドイツ赤十字から川内村に寄贈された。コミュニテーセンターという豪華な仮設事務所です。施設の脇には高級外車 プジョー(赤十字のネーム入り)が駐車されていました。その瞬間、ここは仮設住宅ではなく、「原発難民キャンプ」だと感じました。今までにも仮設住宅という呼び方に違和感を感じていました。こんな福島拘置所よりひどい掘立小屋は、住宅ではなく難民キャンプだと。
ドイツ赤十字寄贈のコミュニテーセンターには川内村の教育委員会が入居しています。仮設住宅にどうして教育委員会があるのか?難民を監視 教育するためか。教育委員会の事務室の入り口の上には「管理」という文字がありました。これで全てが判明しました。
原発難民は、自分は難民であるという自覚がありません。しかし、彼らの現実は原発事故により家屋を強制的に追い出され、ここにしか居場所がない哀れな難民なのです。難民達には他に居場所はありません。難民収容キャンプでおとなしく飼い犬となるしか選択肢はありません。いくら現実から目を背けても今の現実は全く変わりません。こんな現実を赤裸々に表現するときっと腹を立てる人もいるかと思う。しかし他人は騙せても自分は騙せません。自己認識 自分は哀れな原発難民なのだと自己認識できなければ復興はありえません。属国日本の難民キャンプは、今世界から注目の的です。今から福島県内外にある仮設住宅をその実態と正体に即して「福島原発難民キャンプ」と呼びます。
難民キャンプの実況報告続編 こうご期待ください。
【763】[863]大学生の政治的無関心
こんばんは、会員番号7416番、加地 龍太(かじ りょうた)です。
「書生1」というハンドル・ネームを使っていましたが、副島先生から
本名で書き込んだ方が良いと言われたので今後は本名で書き込みます。
以下、「~だ。~である。」調で「大学生の政治的無関心」について書きます。
私、加地龍太は現在20歳の都内の大学に通う大学生である。大学での知り合いなどに少し政治の話を振ると大抵の人間が「興味ない。関心ない。」という態度を取る。中には小沢一郎という名前すら知らない人たちもいた。
なぜ、このようなことになっているのだろうか。私は、目先の諸問題(就活、アルバイトなど)に時間を食い潰され、他のことを考える余裕がないということが理由の一つとして挙げられると思う。とある友人たちに質問しても「政治について考えている余裕がない。」と言う。真実、経済的に恵まれていない人々はアルバイトを夜遅くまでやっているから本を読む時間がない。それゆえ、政治について考えている余裕がないということは認める。
私のような比較的恵まれた家庭に生まれ育った人間の出来損ないとは異なり、立派な人たちだ。だが、真に立派なのは、上記のような過酷な境遇の中でも本を読み、独学で諸々学んでいる人たちだ。しかし、そのような人たちはどうやら少数派だそうだ。
私の知り合いにも、家庭環境が恵まれているにも関わらず、本を読んで独学せずに「ただ念仏を唱えているいるだけ」の下らぬ大学の授業を受けて、
「自分は何かを学んでいる」と思っている白痴(はくち)がいる。
私のような人間の出来損ないに白痴呼ばわりをされている究極のボンクラである。このような阿呆はきっと一生涯、何かと理由を付けて本を読んで自分の頭で考えるということをしないで死んでゆくのだろう。
話を戻し、生活に余裕のない政治的に無関心な人たちにいかにして政治的関心を持っていただくかを思考する。
私が思うに、政治的に無関心な人は政治に対して「自分に関係のないこと」だと認識しているのだと思う。
デール・カーネギーの著作「カーネギー 心を動かす話し方」という本の中で、「人間は利己的なものである。人間は主に自分に関係のあることにしか関心を示さない。この次、あなたがどこかで講演するとき、聴衆は講演者の話が聴衆たち自身に関したものである限り、講演者の話を熱心に聞きたがっているのだと心に思い抱くことだ。」という意味のことが書かれている。
私はこの通りだと思う。現に私が通っている大学でも、上記の聴衆に当たる大学生が熱心に話を聞くのは、自分自身に関係のある就活に関する授業ばかりである。
それならば、政治が自分自身に関係あることだと大学生に思わせれば良いのだが、どうすれば良いか。私としては、「税金や社会制度は直接自分の生活に関係するのだ。ゆえに政治はあなたに取って関係あることだ。」と説く、などと言うありきたりなことしか今は思いつかない。
私は、実際に大学で友人たちに副島先生のことを紹介しながら政治や経済や歴史の真実の話を語っているが、マスコミや教科書や念仏を唱える教師たちが語らない「生(なま)の世界情勢」にはそれなりの人数が少しだけ関心を示す。だが、自分で深く知ろうとはしない。いつも私が一方的に語るだけになっている。
ここまで来ると、政治に無関心な人間は死ぬまでそうなのではないかと思えてくる。だが、やはり日本国に住んでいる日本国民である以上は、日本の政治について思考するべきだと思う。政治は直接的にしろ間接的にしろ、自分自身に関係することなのだから。
何かご指摘ご意見などがありましたら、是非ともメールを下さい。
宜しくお願いします。
加地 龍太 拝