重たい掲示板

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松村享 投稿日:2012/02/14 19:55

【777】[878]最近の重掲を読んで思った事を徒然に

皆様こんにちは。

会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。
SPECTRUM.REVOという、現実を斜に眺める若者と数人連れ立って、
東京でイベントやってます。http://sperevo.blog69.fc2.com/

さて、私はつい最近まで、福岡の実家でフラフラしておりました。
40日間ほどはいたのではないかと思います。
地元の友人と会い、酒を飲み、たまに女の子にちょっかいかけていました。
そんな事してるあいだに40日間が経過し、誕生日を迎え26歳になり、慌てて東京に戻ってまいりました。

実家で懐かしい作品を読みました。
太宰の『女生徒』やら
三島の『海と夕焼け』やら
私は少年時代から詩や文学を愛好していました。

日本文学は短編がいいですね。
詩とか短編に、日本語はよく適している気がします。

私は日本語以外を使えないので、本質的には理解していないでしょうが
副島先生方がおっしゃる、日本語は学問にむかない、というのは何となくわかる気がします。

日本語は、どこかゆらりとしていて流動的です。
私自身、論文めいたものを書くときには、論理性に難渋します。
アフォリズムめいたものや例えを使うと記述が、はかどります。
まあこれは、日本語のせいなのか、私自身に論理性が欠如しているのか定かではありませんが。

重掲で話題になっている司馬遼太郎
実は、私も中学生の頃、激しく影響を受けました。

英雄、というものに自分の人生を投影しました。
学校教育に退屈さをおぼえていた事も重なり
家出してそのまま旅に出て、ホームレスのおっちゃんと一晩語り明かしたりしましたね。夜はすごく寒かった。けれど、胸のうちには竜馬や秋山兄弟がいました。自分の人生を照らしてくれるように思いました。

で、私は今もその延長上を生きてます。
その頃に芽生えた憧れとか志とかは、今も私の生きる意味です。

ただ、司馬遼太郎はもう卒業しています。
どういう事かというと
世間があまりにも、竜馬だなんだというので、私は嫌になってしまったんですね。
世間で司馬遼太郎の名前を聴けば聴くほど、私は司馬遼太郎から遠ざかっていきました。

いま私は、司馬遼太郎を神話作家だと思っています。
たとえばグレートゲームの視野も彼にはないですし。
リアルを書いていない、だから、学問や歴史の把握にはなりえない。

ただ、だからといって、司馬遼太郎を性悪の改竄作家だというふうにも思えません。
たぶん、純粋だったんじゃないかと思っています。

あれだけの量の創作は、純粋な情熱、創作欲に裏打ちされてないとやれるものじゃない
どのページか定かではありませんが
『世に棲む日日』にて
少年時の高杉を指して『たまに、精神や頭脳の働きが異常に活発な子供がいる』とか
『もう少し後の時代に生まれたならば、高杉は早稲田の文学部にでもいって創作していたことだろう』とかいう記述を読んだとき

私は、司馬遼太郎もまた、英雄というものに憧れ、己を投影してるんだな、いつまでも子供みたいな人だな、と感じた記憶があります。

司馬遼太郎は純粋なんですよ。
ただ、知性が追いつかずに、自分が何をやってるのかわからなかった人間なんじゃないか、と

これは小泉元首相とかも一緒で
おそらく本人は純粋な使命感をもって邁進したんじゃないかと思います。
ただ、知性が追いつかず自分が何をやってるかわからず
結局、副島先生方に指弾される存在にしかなりえなかったんだろうな、と。

厄介ですね。世界は善悪二元論ではない。
我々が闘わなければならない相手は、純粋なるものなのだと。
純粋なるものを利用する金持ち連中を、いずれ公衆の面前に引きずり出せればいいな、と思っております。

橋下徹さんなんかも、使命感に燃えているんでしょう。
純粋で正義感に燃えている人だと思います。
革命が必要なのはその通りです。
ただ、知性が追いついていないんでしょう。

加地龍太様。
私も、『21世紀に生きる君たちへ』を読み
自分にあてた手紙だと感じて、涙がとまらなかった記憶があります。
純粋性を糧に、ここ学問道場で知性を磨けばいいと思います。
私は、そのつもりです。

私が今回書きたかった内容は以上です。

あ、最後に革命ついでに
小沢一郎さんについて思っている事も付け足します。

次世代育てたり、国家間の取引にしろ、発言内容にしても、非常に正当性があって素晴らしいと思います。

が、フロントマンとしてはどうかと思っています。
ポスターにしてもなんにしろ、あんな笑顔はやめた方がいいと思います。

悪漢と思われているのなら、むしろ堂々と人間世界の汚さを主張して、いっそ悪漢として振舞えば一種の人気も出るんじゃないかと思っています。

小沢さんを見ていると、女の扱い下手そうだな、と感じます。
男は女を口説く中で修行するもんだ。
ということで
私は明日、好きな女の子に電話します。

松村享 拝

加地 龍太 投稿日:2012/02/12 21:45

【776】[877]何か意見や考えがある人を歓迎します。

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下に副島先生からの返信メールに対する私の返信を転載させていただきます。
何か意見、考えがある御方は是非私のアドレスにメールを下さい。
一緒に語れる出来れば歳の近い人(私は20歳です)を募集しています。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦先生、こんばんは。
返信ありがとうございます。加地 龍太(かじ りょうた)です。
今日は今までアルバイトで家を出ていました。返事が少し遅くなってしまって申し訳ありません。

つい先程、「重たい掲示板」に書き込まれていた副島先生の文章も拝見しました。
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」という小説のモデルとなったマリウス・ジャンセン(エドウィン・ライシャワーの弟子)の著作「坂本龍馬と明治維新」
については、「今日のぼやき 「1246」 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2) 宇宙人・槙原稔と戦後日米関係 中田安彦記 2011.9.13」
を読んで覚えていましたが、司馬遼太郎が歴史的事実をとことん改竄した性悪の歴史小説家であったことは今回初めて知りました。

エドウィン・ライシャワーが、日本のマルキストたちに対して、マルクス主義的歴史観の解毒剤として、そして「近代化論」の布教・流布のために司馬遼太郎に「竜馬がゆく」を執筆させた、というアメリカ帝国側の政治的謀略があったことも上記の「今日のぼやき」を読んでいたので覚えていました。

しかし、エドウィン・ライシャワー及びその上部のアメリカ帝国の最高権力者たちの政治的謀略が「竜馬がゆく」執筆の理由の第一であっても、
司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の「あとがき」で「事を成す人間の型を描きたかった」と主張していたことを信じて、その執筆の理由の第二を根拠に
司馬遼太郎は「ただアメリカ帝国の言い成りになっていた人間ではないのだ」と勝手に思い込んでいました。
しかし今、冷静になって考えれば、「竜馬がゆく」第六巻の薩長連合のシーンのときの演出では、「司馬竜馬」が西郷隆盛に対して
「長州が可哀想ではないか!」と言い放ったことによって西郷隆盛が心を動かして桂小五郎(木戸孝允)と薩長連合を締結させたということに
なっていました。
冷静になって考えれば、現実政治はこれでは動かないという単純なことに「政治」を知っている人間なら誰でも鋭く気付くのだと、副島先生のお返事を
読んで思いました。

現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」なのだということを知りました。
これは、副島先生の著作「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」のP134に「どこの国でも政治権力をめぐる抗争は熾烈であって、それがかつて仲の良かった者たち同士の中から不可避に起きる。自分たちの個人的な好悪感情などを振り捨てて、権力をめぐる命がけのゲームが政治家たちを襲うのである。人を利用したり平然と裏切ったりすることが生来の性格としてできない人々は、政治家にはなれないし、また政治という悪魔の所業には近づいてはいけないのだろう。理想派の人々が、自分の理想主義で中途半端に政治の世界に近づくと、必ず大火傷をし、ひどい目に遭うことになっている。」
と記述されているこの世の真実でもあると思います。
実際、「人情」で現実政治が動かせるならば誰にでも現実政治を手掛けることが出来ることになってしまいます。

坂本龍馬も、政治の世界に足を突っ込まず商売人としてトーマス・グラバーの家来をし続けていれば長生き出来たのでしょう。
ですが、龍馬は大英帝国の武力倒幕路線に反発して運動しました。
この点、「世界帝国の世界戦略に沿った独自の国家戦略を方針として動く属国の国家経営者」としては、坂本龍馬は失格だったのでしょう。
私は、立派なポピュリストであった「田中角栄」が、オイル・ショックのときにアメリカ帝国の世界戦略を無視してごり押しで中東諸国との間に石油ルートを
確保したことによって、ネルソン・ロックフェラーに睨まれ、ネルソンの子飼いの子分であったヘンリー・キッシンジャーたちにロッキード事件で攻撃された姿が、
大英帝国の世界戦略に刃向かった「坂本龍馬」と重なって見える気がします。

日本の愛国者は、帝国側に取っては邪魔者なのだということをつくづく実感させられます。
これを考えると、ロックフェラー家の次期当主となる「ジョン・ダヴィッドソン・ジェイ・ロックフェラー4世」に、世界帝国と半分くらいは対等な駆け引きが出来る
日本の国家経営者(日本国王)として認められている「小沢一郎」の凄さが判る気がします。
副島隆彦先生に「その人物は西郷隆盛以上の男」、亀井静香氏に「その政治手腕は織田信長以上の男」と称えられる「小沢一郎」が、
デイヴィッド・ロックフェラー系列の下っ端さんたち(日本検察など)に攻撃されている現状を、私、加地 龍太は自分が知り得たことを大学で友人知人に説いています。大学以外でも、幼馴染みたちにも「世界権力者人物図鑑」などを参照しながら説いています。
その中で聡明な人物たちは理解を示します。白痴(はくち)は関心を示しません。

副島先生がお勧めして下さった吉村 昭の「シーボルトの娘、お稲」を購読するつもりです。
司馬遼太郎については、「21世紀に生きる君たちへ」という彼の遺言書を気に入っていたので、ただの性悪小説家であったならば残念です。
ですが、権力者・体制側に利用されて使い捨てにされるだけの人間にはなりたくはないので、より現実的で冷酷なこの世の真実を描いているとされる
吉村昭氏の歴史小説の方が、「眩しい英雄伝」を描く司馬遼太郎の小説よりも読む価値はあるのだろうと思います。

学問道場の方々にも意見を求めたいので、このメール文は「重たい掲示板」に転載させていただきます。

それでは、失礼します。

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番 加地 龍太 拝

副島隆彦 投稿日:2012/02/12 06:26

【775】[876]加地龍太 君からのメールへの私の返信

副島隆彦です。 私たちの若い会員の加地龍太くんが、以下に日本史の英雄論を書いていて、私に今朝もメールが来ていましたので、以下の「874」番の彼の英雄論を読む前に、返信したメールを転載します。

加地くんと同じ、私の本の若い読者たちに向けて、私が気になったことを書きました。若者には、若者なりの 元気な野心がなければいけない。しかし、国家や権力者たちは、それを扇動するように 上手に利用して、策略で嵌(は)めて、若者たちを、戦争や動乱の中に駆り立てる(狩りたてる)ということをします。 十分に注意しなければいけません。

坂本龍馬が書いたとされる 「船中八策(せんちゅうはっさく)」を模して、大阪人の橋下徹(はしもととおる。橋の下=はしのした= )・大阪市長が、東京に攻め上る感じで、新しい清新な政策綱領(プラットフォーム platform)を発表しようとしているそうだ。一体、どういう連中が彼を背後からあやつっているのやら。連立政権にして、自民党を壊して、看板だけ付け変える。自由国民党か? これらのことは すぐに露見するだろう。

 官僚どもを叩きのめすための攻め上りではなくて、大阪市バスの労働組合の幹部たちを並ばぜて、頭を下げさせる革命だ。右翼革命だ。下級の公務員たちを、職務怠慢でいじめることよりも、もっと上の官僚支配そのものを、打ち壊すための 攻め上りでないのなら、それは、間違った改革だ。老害・石原慎太郎との「どっちが上か」の 愚劣なつばぜり合いの、くだらない政治劇だ。 

 私は、船中八策が、実は、坂本龍馬をあやつったイギリス戦略外交官のアーネスト・サトウの作そのものであることを、「属国・日本論」とかで15年の昔、暴き立てるように書いたはずだ。武器商人トーマス・グラバーの資金で、坂本龍馬は洋式船を動かしていた。 

以下は、さっき加地くんに送ったばかりのメールである。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め) 

加地 龍太 くんへ

副島隆彦から

メールをありがとう。
 私と  重要な中国人政治亡命者・石平(せきへい。シーピン)氏との 対談テープを 早速、注文して 聴いて感想を書く とのことでうれしく思います。 自分でもどれほどの出来なのか、分かりません。
編集でどれぐらい聞きやすくなるものかも、分かりません。

 君が重掲に書いた短文の英雄論 ですが、内容に一点だけ異論があります。司馬遼太郎(しばりょうたろう) というのは、深い裏のある(サントリー文化人という)極悪の 歴史小説家です。 彼はあまりにも多くの虚偽を大量に書き続けました。

 彼の「竜馬がゆく」のタネ本は、マリアス・ジャンセンの「坂本竜馬と明治維新」(日本語訳)という 日本研究の論文です。 この男は、米東部の名門コーネル大学の日本史学の教授です。 日本を管理し操るための歴史学をやってきた人間です。まだ存命か高齢で死去しているかのはずです。

それ以外に、高知新聞に勤めていた人が書いた、土佐勤王党(とさきんのうとう)の血風録 のような本があります。 それと、「新選組浪士隊始末記」という本があります。 これらが、司馬のタネ本です。 これらは優れた本です。
もうひとり アイヴァン・モリスというワルの 日本研究学者の本がある。

 マリアス・ジャンセンの研究論文には 大正、昭和はじめの日本人の坂本龍馬研究家たちの資料が使われています。 マリアス・ジャンセンのコーネル大学の日本研究学科の 教え子で、映画監督になった エドワード・ズーウイック が、映画「ラスト・サムライ」(2003年作。トム・クルーズと渡辺謙、小雪 が主演) です。 

 映画「ラスト・サムライ」は、2003年からのアメリカのイラク侵略戦争に、日本の若者たちまで扇動して、駆り立てようとして制作された、許しがたい 戦争・人殺し賛美映画です。 それを日本の武士道の 進んで死ぬことの美意識 を 扇動思想として 使った、アメリカ人の グローバリスト日本あやつり人間たちの 悪い意図が、満載された ひどい映画でした。

 16世紀の戦国時代と 19世紀の幕末・明治維新期を故意に ごちゃまぜにして映画て、鎧甲冑(よろい・かっちゅう) 姿の 西郷隆盛 のような「日本民族の英雄」のような人物を登場させて、ガトリング砲の一斉射撃に向かって、突撃して死んでしまう、という 愚か極まりない 日本史の偽造をやった映画です。

 同時代のアメリカ人の南北戦争の戦場の生き残り(インディアン虐殺のカスター将軍の部隊にいた)の軍人が、虚しい魂を引きずって日本に来て、近代軍隊の教練を指導するとか、三菱の岩崎弥太郎にそっくりの熊のだるま顔の 宰相が、(すり替えられたあとの)明治天皇の横にいて助言をしている様子とかは、なかなかの舞台設定で、アメリカの日本研究の成果を取り入れた史実を含んでいました。

 司馬遼太郎 は、史実をいくつも いくつも、改竄(かいざん)している、許しがたい作家です。 彼に影響を受けた、という 日本の商工会議所会員で、青年会議所あがりのような 右翼 経営者と其のバカ息子のような人間たちが、500万人ぐらいいます。もう皆、60歳ぐらい 加地くんも、そういう家庭的な雰囲気の中で育った青年だろう。

 坂本龍馬( 本名、さいたに うめたろう。 才谷屋の梅太郎。郷士層の商人の家) は本当に悲劇の政治活動家ですが、彼は、京都薩摩藩邸での 薩長連合の談判の場にもいない。英戦略外交官のアーネスト・サトウ やジョン万次郎や、グラバー商会のネットワークと資金で動いたイギリスとの二重スパイだったろう。昭和になるまで、明治時代には、坂本龍馬という人物なんて、だーれも知らなかったのだ。
 
 坂本龍馬は、早い時期に殺されているので、彼は明治時代をとおして、まったく知られていない。 本当の 政治活動家(=政治的人間)たちというのは、いつの時代も、返り見られることもなく、無残な死に方をしたまま忘れられる人間たちだ。 生きている時も苦しみばっかりだ。 私、副島隆彦はそういうことがよく分かります。 

 あとあとになって、馬鹿な脚色で小説作品になって、それで、派手な英雄伝説が出来上がる。 若者たちの功名心をくすぐる。しかし、どんな人も 時代の荒波のなかで、生活していきてゆくことだけで精一杯で、目先のことに追われて、住宅ローンの支払や子供の学資の心配をしながら、いつか、ただの庶民、生活者として、人生を終わってゆきます。 

 加地くんが、幕末期を描いた歴史小説を読むなら 、司馬遼太郎を激しく嫌った吉村昭(よしむらあきら)を読みなさい。 「シーボルトの娘、お稲」とかを読むといい。吉村昭は、ウソを書いていません。

 加地くんへ。ここまで君宛てのメールを書きましたが、上記の文は、君とおなじぐらいの若い、学問道場の会員たち向けに 念を押して教えておくべききとだと、考えましたので、このまま 重掲に 私が貼り付けます。
上記の事実は、私の主著の一冊である 「属国・日本論」の後ろの方の日本史についての部分とかに書いてあります。 読んでください。

副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

加地 龍太 投稿日:2012/02/11 20:40

【774】[875]私の英雄

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて私の英雄、坂本龍馬について、副島隆彦先生の著作「改訂版 属国・日本論」を読んで私が考えたことを記載させていただきます。

「改訂版 属国・日本論」の第3部「属国・日本の近代史」を参照にして、幕末の真相を知っていた坂本龍馬が英雄であるかどうかを論ずる。
上記の「改訂版 属国・日本論」に記載されていることだが、坂本龍馬は17歳のときにジョン万次郎(中浜万次郎)から当時の世界情勢の真実を教授されている。この世界情勢の真実は、そのまま「幕末の真相」である。
幕末の真相とは、「官軍(薩長土肥)と幕軍の対立は、その当時 世界覇権を争っていた大英帝国(手下は官軍)とロシア帝国(手下は幕軍)及びロシアの同盟国だったフランスの代理戦争である」というものである。
繰り返すが、坂本龍馬はこの「幕末の真相」を17歳のときにジョン万次郎から教授されている。岩崎弥太郎と後藤象二郎も、それぞれ岩崎18歳、後藤14歳のときにジョン万次郎から「幕末の真相=当時の世界情勢」を教わっている。坂本龍馬が幕臣 勝海舟と接触できたのは、龍馬が幕末の真相を知っているインナーサークル(秘密の仲間)の一員であったからだ。(副島先生の著作「属国・日本論」 参照)
龍馬をはじめとする反幕の志士たちは皆、大きな枠組みで捉えれば大英帝国の家来として使役されたのである。坂本龍馬以外では、高杉晋作、井上馨、伊藤博文、大村益次郎、五代友厚、岩倉具視などが本人が自覚して大英帝国の家来として動いた人間たちである。「維新の三傑」と称えられる西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎(木戸孝允)の3人も、本人が自覚していたかどうかは別として大英帝国の家来・手先として使役された人間たちである。
明治維新を主導して、ロシア・フランス系列の政権担当機関である幕府を叩き潰したのは、「イギリス政府とジャーディン・マセソン商会(大英帝国)」である。
坂本龍馬のハンドラー(指令を出す人)であったトーマス・グラバーのグラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の直系商会である。坂本龍馬の亀山社中(後の海援隊)は、グラバー商会を通してジャーディン・マセソン商会が取り扱っていた兵器などを貿易していた。坂本龍馬は大英帝国に取って利用価値のある仕事をしていたのである。
ちなみに、ジャーディン・マセソン商会は、イギリス・ロスチャイルド家の直系企業であり、現在も「ジャーディン・マセソン・ホールディングス」という名前で存在する。

ここまでを見ると坂本龍馬はただのイギリスの傀儡として動いて用済みになったから殺されたように見える。
しかし、龍馬が暗殺された理由は、反戦争の志を抱いて大英帝国(イギリス政府とジャーディン・マセソン商会)の武力倒幕路線に反発し、戦争を起こさずに平和的に開国をするべく奔走したからである。
国家vs国家の戦争ならば、帝国側の国内の景気が戦争刺激経済によって一時的に上がるという帝国側のメリットがある。だが、国内紛争はいたずらに国力を疲弊させるだけである。大英帝国の目的は、日本を自国の属国として使役してロシア帝国に対する尖兵とするというものであった筈だ。
それならば、国内紛争を引き起こして国力を疲弊させた日本を尖兵として使役するよりも、国内紛争を起こさずに国力を保持したままの日本を尖兵としてロシアにぶつけた方がイギリス側にもメリットがあるということを、龍馬は自分のハンドラーであるトーマス・グラバーやトーマス・グラバーの上司であるハリー・パークス(当時の駐日イギリス公使。イギリスの対日工作員たちの親玉)に説いたのだと私、加地龍太は思う。そう思えてならない。
尤も、「そう思う」という部分については専ら私の主観であり、客観的で確実な証拠はないのであるが、坂本龍馬が「反戦争」をずっと主張し続けていたということは誰もが認めていることである。
アーネスト・サトウがブルー・プリントを作った「船中八策」の第一条を「大政奉還」に進化させ、武力倒幕派だった同志の中岡慎太郎を説得し、14歳のときにジョン万次郎から世界情勢の真実を教授されていた後藤象二郎を協力者として得て、彼らと協力して大政奉還を敢行させ、それゆえにイギリスによって暗殺されたのである。
戦争が起こり、日本が戦火で焼き尽くされることを嫌悪した龍馬は、言論で大英帝国側に反戦争を説いた。外交において最も重要視される「相手側のメリット=イギリス側のメリット」も説いた。
しかし、大英帝国はそれを拒否した。大英帝国に取っては、敵対するロシア帝国とフランス系列の政権担当機関である幕府を完膚なきまでに叩き潰さねば後々の日本管理の観点から見て不安だったのであろう。
坂本龍馬が大英帝国の武力倒幕路線に反発したのは、龍馬が愛国者であったからだと思えてならない。
「属国の人間」であるという現実的制約の下で、日本のために大英帝国の権力者どもに対して人間一匹で吼えた坂本龍馬は一生涯、私の英雄だ。

何かご意見がありましたら是非とも私のアドレスにメールを下さい。

加地 龍太 拝

佐藤 投稿日:2012/02/08 09:36

【773】[874]小沢一郎がインターネット番組に。

あす2月9日(木)に
日本の国王「小沢一郎」がインターネット番組に出るそうです。
以下ホームページより転載
※転載開始
ネットメディアと主権在民を考える会
nmd.sucs2011@gmail.com
2009 年の政権交代時に掲げられた「国民の生活が第一。」という理念がことごとく反故にされる一方で、マニフェストに掲げられていなかった消費税率のアップやTPP の推進、さらには政治主導を捨て去り官僚に頼り切った政治姿勢を貫くなど、現・民主党政権は国民を愚弄した政策を推進しようとしています。また、2011 年3月11 日に起きた大震災/原発事故はやがて1 年を迎えようとしていますが、政府が最優先事項として掲げているにもかかわらず、復旧/復興は遅々として進んでおりません。
そこで「ネットメディアと主権在民を考える会」では、「日本を語ろうー フツーの市民vs小沢一郎 60 分」の第三弾として、「革命的改革を語ろう!~原点に戻り、原点を見つめる」をテーマに、こうした日本の現状と未来について小沢一郎元民主党代表をお迎えして討論します。なお、配信等の詳細は下記の通りです。
【記】
タイトル:「革命的改革を語ろう!小沢一郎vsフツーの市民 第三回座談会」~原点に戻り、原点を見つめる
配信日時:2 月9 日(木)16 時から(予定)
配信先:Ustream http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
ニコニコ生放送 http://live.nicovideo.jp/watch/lv80486126?ref=ser
主催:「ネットメディアと主権在民を考える会」
お問い合わせ先:nmd.sucs2011@gmail.com
* なお、この件に関しての小沢一郎元民主党代表の記者会見/取材等はお受けできません。
制作・運営協力: APF NEWS
<ブロガーの皆様へ 配信のご協力のお願い>
下記のアドレスから埋め込みコード(Ustream)をコピーして、自分のブログから本番組を生配信していただくことができます。是非、ご協力ください。
http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
①当該ページの下部に、動画埋め込みコードがあります。
②その埋め込みコードをコピーしてご自身のブログに貼り付けてください。
※転載ここまで

吉見 おさむ 投稿日:2012/02/08 00:33

【772】[873]福島本部活動日誌です63

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年2月2日の日誌です。

朝起きて、燃えるごみを捨てました。
10時に出しに行ったので、無理かと思ったのですが、まだ回収の車は来ていませんでした。

電気代を郵便局に振込みに行きました。49950円でした。
灯油ストーブをなるべく節約している分、電気代がかかってしまいます。

雪かきを6時間しました。筋肉痛です。
大体は雪をどけることが出来たはずです。建物裏口も(、セメント上に氷が2cm張っている状態ですが)、車が切り返しできる状態です。
正直、マイナス15℃になっても別にいいのですが、雪は勘弁して欲しいです。
今日は水道の検針が来たのですが、地元の人にとっても1月22日の雪は想定外の大雪だったようです。
豪雪地帯の人に比べれば、これでも全然恵まれているのだと思います。
大熊の人達は会津に行ったらしいですが、果たして大丈夫なのでしょうか。

昼食と夕食は、Nさんから頂いたマカロニを茹でてカレーに投げ込んで食べました。マカロニは大変美味しかったです。
カレーにはZさんから貰った大豆から作った肉の代用品を投げ込みました。
美味しいものではないですが、アイディア商品としてはいいものです。

2月3日午前2時、ペットボトルと缶のゴミを出しました。非常に寒かったです。

2月3日午前2時45分、パトカーがランプを点灯させながら、ゆっくり検問所方面に走っていきました。
夏の頃とは違い、ゆっくり走っていることが多くなりました。
道路が凍結している箇所が多いので、警視庁のパトカーとしても、あまり速度を出せないのだと思います。
最近288号線を巡廻しているパトカーは警視庁のものが多いです。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月3日の日誌です。

もう4時間かけて雪かきをしました。
これで大丈夫だと思いたいです。

風呂に入りました。
その後、洗濯をしました。
風呂、洗濯も、今は水が出る昼間の午後にしなければなりません。
(水が出ないのは、雪によるのか、寒さによるのか、判断がつきません。いわきに行く前までは水道が出なくなったことはありませんでした。)
「フィンランドでは風呂よりサウナ」というのに近い台詞が、あるアニメでありましたが、その方がとても寒い所では合理的なのだと思います。

車を10分間エンジンをかけておきました。

夕食は、蕎麦、カレーの残りに椎茸とナメコを入れたもの、蕎麦湯、でした。
あと、ピーマンを1個洗って丸齧りしました。
カレーは随分と改善されました。

今日の街の放送によると、都路行政局は0.28μSv/hでした。
やはり雪の影響で低い値が出ている様に感じています。

amazonで1829円の寝袋を注文しました。最低使用温度が7度の商品です。
寝袋類は、最低使用温度が低くなると、殆ど値引きされていませんでした。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月4日の日誌です。

やや雪が降りました。
明日から南相馬に行くのですが、なんでしばらく事務所を空ける時に限って雪が降るのでしょうか。

雪かきを1時間だけ、適当にしました。
建物裏口は、凍ってしまって危険な所があります。

一昨日から、若松屋旅館(http://www.naf.co.jp/wakamatsuya/)のバスが288号線と399号線を行き来しています。

夕食は、残っていたカレーにNさんから頂いたマカロニを入れて食べました。これでカレーを食べ切れました。
あと、人参を一本丸齧りしました。人参のグラッセを作れたら良いのですが、石井魚店はバターが高いです。

一人でじっとしている事に負けて、PSP(という携帯ゲーム機)を購入してしまいました。
興味のある(元エロゲーの)ギャルゲーをやりきったら、置物になってしまいそうです。
お客様用の菓子類も、時々食べてしまいます。
良くない状態です。
いっそ掃除等をしていたいのですが、この時期だと動かないでいるのが正解で、歯がゆいです。

(なお、PSPのあるゲームに出てくるキャラで
「背が高いことを気にしている女性キャラ」
というのが登場したのですが、なぜ引け目に感じるのかよく分からないです。
性別に関係なく、体は大きい方が基本的に優れた事、・・・と考える私は、変なのかもしれません。)

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/02/08 00:24

【771】[872]福島本部活動日誌です62

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年1月29日の日誌です。

今朝はマイナス13度まで下がったそうです。

負担にならない程度に雪かきをしていました。そのせいで古道体育館の動きに気づきませんでした。

午後3時、大型バスが国道288号線を帰っていきました。
乗客は作業員ではなく、普通の人たちでした。

体育館に向かってみると、小型バスが6台連続して川内村方面に向っていました。

(画像は、6台目のバスの後姿が、半分写っているだけです)
体育館には見張りが2人居ました。

公民館前駐車場には、バスが1台停まっていました。

古道プールには、復旧工事中の看板が立っていました。

体育館からは普通の車が次々に出てきました。
乗っていた人は、作業員なのか一時帰宅の人なのか、判断がつきませんでした。

帰り道で、乗客を乗せていない小型バスが4台連続して、検問所方面に向かっていきました。

古道小学校の校庭には、ショベルカーがありました。崖を崩す作業は、かなり進んでいました。

午後4時、体を温めるために風呂に入ろうとしたのですが、蛇口が凍っていました。
ガスで沸かしたお湯で溶かしたら、使えるようになりました。
しかし、排水口の先が凍っているのか、暫く排水されずに、水が溜まっていました。
10分ほどして排水が始まり、安心しました。

雪が降る前にマイナス10度になっても、水道が出なくなることは無かったのですが、雪が降った後は、昼間でも水道が出なくなることがあります。
真面目に雪対策を考えてみます。

夕食は、カレーライス、レタス、もずく、ヨーグルト、でした。

船引のほかの仮設住宅にも、いつか行ってみたいです。
http://www.actiz.jp/kasetu/index.html/?pref_id=07&muni_id=211

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月30日の日誌です。

雪かきをしました。
駐車場に積みあがっている氷の塊を、本当にもうどうしてくれようか、考え中です。

夕食は、お茶漬け、カレー、コーンスープ、レタス、もずく、でした。
お茶漬けには、先日取ったスープを使ってみましたが、美味しさには殆ど寄与しませんでした。
カレーは、古漬けになりすぎてしまった白菜の漬物を無理に使っているので、凄く不味いです。
余っているものを使い切るのにはカレーが良いとはいっても、やはり限度がありました。

南相馬に2月5日に行くことにしました。Nさんにお世話になります。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月31日の日誌です。

2万円の除雪機が届きました。
3時間ほど雪かきをしていました。
雪を意外に吹き飛ばします。ただ、凍って固まった雪には全く役に立ちませんので、ザラメ雪くらいの状態で使わなければなりません。
豪雪地帯では微妙かとは思いますが、余り雪の降らないここ辺りでは、便利だと思います。
あとは屋根で使えるかが問題になります。本体が10kg以上あるので、微妙な所です。

夕食は、不味いカレーと牡蠣のオリーブオイル漬けに、茹でたスパゲッティを入れて食べました。
牡蠣とスパゲッティが合わさると、かなり美味しいものになりました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月1日の日誌です。

プラスチックゴミを捨てに行きました。

雪かきを4時間くらいしました。
2階から行ける屋根はやらなくても大丈夫そうです。

かわうちの湯に電話をしてみたところ、改修工事は8月の盆前くらいになる見通しだといっていました。

午後8時現在、凄い暴風が吹いています。
マイナス10度前後でこの風になると、流石に心配です。

夕食は、蕎麦を茹でて不味いカレーに投げ込んで食べました。
今残っている食品類をある程度使い切ってしまいたいです。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/02/08 00:18

【770】[871]福島本部活動日誌です61

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年1月24日の日誌です。

22日と23日の写真を整理して、日誌を書いていました。
写真が多いので、書きあがるのは当分先になりそうです。

雪かきをしたのですが、筋肉痛がひどく、最低限しかできませんでした。
表玄関、自動車の回り、自動車のフロントガラス、裏口で自転車を通す所、をやりました。
なお、最高気温はマイナス1度なのですが、陽が差せば雪は融けているようです。

午前8時現在、炊事場と大広間の水道が凍っていて使えませんでした。他の水道は大丈夫でした。
室内で暖房を使っていたら、使えるようになりました。
さらにこの後、暖房を2時間切ってみたら、出なくなりました。

午後6時になって、洗濯をしようとしたのですが、給水ホースの途中が凍っていて、洗濯機が使えませんでした。

電話代を郵便局で振り込みました。9929円でした。
ネット回線の契約の切り替えに伴い、明細が複雑になっていました。

昨日半額で買ってきた牡蠣を、乾煎りしてからオリーブオイルに漬けました。
残っている食材も鍋もどきにしました。
牡蠣、牛肉、大根、人参、白菜、アサリ、Wさんから頂いたすっぽんのスープ、小海老、味噌、冷やしパスタ用のスープ、が材料でした。
炊き込みご飯も作りました。

作るので満足してしまい、今日は何も食べずに寝てしまいました。
疲労が抜けないどころか、雪かきで上半身も筋肉痛です。

(転載終わり)

(転載始め)
2012年1月25日の日誌です。

午前7時に起きて、古道体育館にガイガーカウンターを持って行ってみました。
しかし、既に体育館には人がいて、空気中しか線量を測れませんでした。

マイナス9度の中、無駄足をしてしまいました。

22日と23日の日誌を書いているのですが、載せたい写真が150枚あるので、考え中です。

雪かきをしました。右腕と左足が痛いです。

昨日出来なかった洗濯をしました。

午後6時40分、399号線から来た軽トラックが、右折して検問所方面に行きました。
この時刻には珍しいことで、結構驚きました。

午後8時、再び古道体育館に行ってみました。
公民館前の駐車場は、午後8時にもかかわらず、3台も車が停まっていました。

また、公民館の一室に電気がついていました。もしもここから見張りをすれば、効率的に下を見張れそうです。

体育館脇の出入り口は、ひょっとしたら高いのではないかと思って測ってみました。
しかし、空気中の線量より低いくらいでした。

午後9時半現在、測定から5650時間経過し、累積で1.458mSvです。

いわきに行ってきたばかりだというのに、もう南相馬に行きたくなってしまっています。
足の疲労が落ち着くまでは無理だとわかっているのですが、なぜか気が急いています。
泊まる所はやや心配ですが、どこかが空いている、・・・と思いたいです。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月26日の日誌です。

朝起きたら、少しだけ雪が降っていたようでした。
今朝はマイナス11度だったそうです。

新聞の集金が来ました。2905円でした。

朝食として、一昨日作ったものを食べました。
あと、ご飯を多めに炊きました。

午前8時から午後4時まで、22日と23日の日誌を書いていました。
途中で昼食として、生の人参を一本食べました。兎の様でした。

Kさんから頂いた鶏ガラ、鰹節、昆布、生姜、で出汁をとりました。
この出汁でカレーを作りました。
肉も何もない地味なカレーで、普通の人にはお勧めできませんが、こういうのが一番好きです。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月27日の日誌です。

断続的に小雪が降り続いています。
今日の最低気温はマイナス12度、最高気温はマイナス3度のようです。
雪かきをしていました。

雪を退かすべきなのは、
「車の近く(特に、フロントガラスとドア付近と車を出す時の路面)」
「表玄関前」
「外のトイレに通じる地面」
「建物裏(自転車が通れる程度に)」
「階段(乾雪は風が強いと吹き込んでくる)」
の所です。
また、屋根は今の所大丈夫だと思います。

危険ゴミを捨てました。

今日の街の放送で、都路行政局は0.26μSv/hでした。
岩井沢の駐車場は0.55μSv/hでした。
共に、雪が降る前の値の3/4ほどでした。

カレー、味噌汁、納豆、牡蠣のオリーブオイル漬け、オクラを湯通ししただけのもの、で夕食にしました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月28日の日誌です。

ゆっくりめに雪かきをしながら、カレーを食べて過しました。
雪は降り積もり続けているので、どこかで心が折れそうです。

今日は最低気温、最高気温、共にマイナス5度前後でした。

http://www.jiji.com/jc/movie?p=top422-movie02&s=442&rel=yでいわき市小名浜の辺りの動画を見られて、妙にうれしかったです。。

午後6時から午後11時まで、wikipediaを無為に眺めてしまいました・・・。
サトゥールン科学製造合同から始まって、トハチェフスキーで終わったのは、ロシアに妙な縁があるのでしょうか・・・。
途中で出てきた、フーシェやド=ゴール、ジョミニ、グナイゼナウ、根津一らの記述を見て、やっぱり自分は政治思想が全く分からないことを認識しました。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/02/08 00:08

【769】[870]福島本部活動日誌です60

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年1月23日の日誌です。
今日も漫然と書いてしまっています。

午前5時に起きて、風呂などの身支度をしました。
ビジネスホテルの髭剃りは前の人が使った際の細かい髭が残っていて、使う気になれませんでした。

午前6時15分、ビジネスホテルの朝食を食べに行きました。
美味しいものではありませんでしたが、サラダなどを1時間かけて食べ続けました。

午後8時にビジネスホテルを出て、常磐線で泉駅に向かいました。
午前9時に泉駅に到着しました。
そこから3.5キロ歩いてアクアマリンふくしまに行きました。途中で大きく迷ってしまい、余計に3キロ歩きました。
足が痛い中、自分でも何をやっているのだろうと思ってしまいました。
途中の道はかなりの交通量があり、震災前後で余り変化があるようには感じられませんでした。

アクアマリンに近くなったあたりの海岸沿いの建物は、津波で大きく壊れていました。(注:ただ、南相馬にもう一度行って思うのは、いわきの被害は南相馬よりは軽度だということです。)
ある取り壊し予定の家は、「送り化粧」をしてから取り壊すそうです。

また、その近辺の道路は、復旧工事中でした。

建物の取り壊しも進んでいました。

小名浜港は、漁船が整然と停泊していました。



着いたのは午前11時半頃でした。

まずは、ら・ら・ミュウという魚市場に行きました。
こちら側の駐車場は、まだ土の地面がむき出しのところがありました。

地震後に再開したそうなのですが、店の数に比べ客は余り居ませんでした。客の数は店員の数の3分の1といったところでした。


内部にはいわき市がやっている展示もありました。

外の展望場からアクアマリンふくしま側を見てみると、海上保安庁の船が泊まっていました。

(←こっちはアクアマリン側からとった画像です)
被害の大きかった埠頭は工事中でした。


(←これは後で近づいて撮影しました)
遠くの日本化成の工場は動いていました。

4つの倉庫だった津波を受けた建物の所に行きました。
この後この4つの建物は、レストラン街や展示場として再利用されるそうです。



レストラン街は既に営業が始まっており、中に土産物屋などが入っていました。

ただ、二階のレストランは、まだ営業していないようでした。

道は舗装修理中ではありましたが、6月頃よりはかなり直っていました。6月頃は砂が堆積していました。

アクアマリンふくしまへ行きました。
途中の道路や駐車場は大規模に復旧作業中でした。


剥がされたアスファルトが一箇所に積み上げられていました。

正面玄関は閉まっていて、別な所が入場口になっていました。
(←写真からはわかりにくいですが、砂のところで30cmの段差が出来ています)
正面玄関へ行く脇の歩道の修理も後のようです。

正面玄関先の交差点では、6月に倒れていた信号が新しいものに取り替えられていました。

貨物輸送列車の福島臨海鉄道が復旧するのも、暫く後と思われます。


(福島臨海鉄道の事故後の状況についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/fxnww385/24095642.htmlに写真が載っています。)
なお、アクアマリンふくしまは営業中でしたが、帰れなくなるおそれがあったので、私は中に入らずに帰りました。

流石に足が痛くなってしまったので、県道15号線を通っているバスを使って、泉駅に帰りました。
バス停までの道は所々に被害の跡がありましたが、普通の道でした。



(津波が県道15号線まで来ていたことには、後でhttp://ranasite.net/?p=5475を見て知りました。)

12時50分泉駅発の電車でいわき駅に戻った後、午後1時13分いわき発の磐越東線で船引に帰りました。
なお、電車の広告を見て、JR東日本にもネットスラングが好きな社員がいるのだと認識しました。

途中の川前駅以降は雪が残っていました。

昼食は、電車の中で煮干を食べました。

午後2時半に船引駅に着いた後、ダイユーエイトまで雪道を2キロ歩いて行き、半額の食料品を買い込みました。
途中の船引小学校では、除染された土の上に雪が覆いかぶさっていました。

午後5時半、ケーズデンキの反対側のバス停からバスに乗って、古道車庫に帰りました。
常葉町までは高校生たちが6人いたのですが、そのあとは私一人しか乗っていませんでした。
古道車庫についてからも、事務所までの400メートルの雪道が大変遠かったです。

事務所に戻って、最低限のことを処理した後、午後8時に寝ました。
明日は雪かきが出来るでしょうか。

(転載終わり)

加地 龍太 投稿日:2012/02/06 22:41

【768】[869]何かの物事を成就させる人間

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて私、加地龍太が司馬遼太郎氏の歴史小説群「国盗り物語」「竜馬がゆく」などを読書して考えたことを記載させていただきます。

現在、日本および世界の社会は秩序が古びている。どれだけ素晴らしい人間が作った秩序でも、秩序は必ず時代と共に古びてゆき、新しい時代に適合する秩序が要請され出す。
司馬遼太郎氏の著作「国盗り物語」第二巻P255に「歴史が、英傑を要求するときがある、ときに。--時に、でしかない。なぜならば、英雄豪傑といった変格人は、安定した社会が必要としないからだ。むしろ、安定した秩序のなかでは百世にひとりという異常児は毒物でしかない。が、秩序はつねに古びる。秩序が古び、綻(ほころ)びて旧来の支配組織が担当能力を失ったとき、その毒物が救世の薬物として翹望(ぎょうぼう)される。」と記載されている。
私は、日本国王・小沢一郎こそが上記の「泰平の世の毒物であり、変革期の薬物」に相当すると思う。今までの正当であった秩序が古び、その時代の権威的団体や社会管理団体(日本の官僚機構など)が時代を担当する能力を失ったとき、天(時代)が英雄を要請するのである。
英雄とは、何かの物事を成就させる人物のことである。
物事を成すに当たって最も重要なのは「人間の魅力」なのだと、私は思う。
知識や技術も大切だが、この世で物を言うのは人数だ。
司馬遼太郎氏の著作「竜馬がゆく」第一巻P218に「桂小五郎は、自分を魅了するような議論や思想を竜馬が持っていないからといって軽侮しなかった。「あんたには、英雄の風貌がある。」といった。「事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。私(桂小五郎)にはそれが乏しい。しかし、あなた(坂本竜馬)にはそれがある、と私はみた。人どころか、山でさえ、あなたの一声で動きそうな思いがする。」」と記載されている。
上記の記述の通り、この世では数が多い側が絶対に強い。だからこそ、小沢一郎氏は自分のビジョンを実現させるために、自分の同胞を沢山作ったのだろう。
そして、人数を動員するための「人間の魅力」以外の要件が「金銭力」だ。
一般企業も役所も暴力団も、あらゆる団体が人数を集めるために金銭を使う。その集団に勤めている人々は、一方的な見方をすればカネ(給料)で買収されているのである。
これに対して「人間の魅力」で人数を動員する人物たちの一例は俳優や歌手であろう。「人間の魅力」とは、「人気」である。人気がなければやることなすこと全てが悪事に取られ、物事が成就できない。
私が思うに、人数を動員するこの二つの要件を比べた場合、「人間の魅力」よりも「金銭力」の方が現実的には強い。
以前、海江田万里氏と野田佳彦氏が首相選挙で争ったとき、小沢一郎派の国会議員たちの一部が財務省に買収されて野田佳彦に鞍替えして票を入れたのだという。(副島隆彦先生の著作「金・ドル体制の終わり」と「今日のぼやき 1243番 野田佳彦が首相に決まったが、これは勝栄二郎の財務省が操(あやつ)る傀儡(かいらい)政権である。 副島隆彦」参照)
「金銭力」の強さである。
現在、私には「では、どうしたら良いか。」という答えは判らない。
たとえ、とろけるほどの「人間の魅力」を持っていても、その人物に他人を養うだけの経済力がなければ人数は集められないと思えてならない。
私、加地龍太は、今後もどうすれば良いかを思考してゆく。

どなたかご意見がありましたら私のメールアドレスにメールを送って下さい。
一緒に考えてくれる方を歓迎します。しかし、私事(わたくしごと)で恐縮ですが、明日から2月9日まで鹿児島に行くのでもしメールを下さった方がおられても返信は9日以降になってしまいます。申し訳ありません。

尚、私は「竜馬がゆく」はあくまで物語であると認識しており、あの小説の中で描かれている「司馬竜馬」をそのまま「坂本龍馬」だと思っている訳ではありません。
しかし、「竜馬がゆく」という作品自体は人生教科書になるくらいの名作だと思っています。
エドウィン・ライシャワーが日本のマルキストたちに対して、マルクス主義的歴史観の解毒剤として、そして「近代化論」の布教・流布のために司馬遼太郎氏に「竜馬がゆく」を執筆させたというアメリカ帝国側の政治的謀略(今日のぼやき 1246番 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2) 宇宙人・槙原稔と戦後日米関係 中田安彦記 参照)もあったのでしょうが、一読するに足る名作だと思います。

加地 龍太 拝