重たい掲示板

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副島隆彦 投稿日:2012/03/14 11:47

【807】[916]次の3つの企画のお知らせと、私の近況報告。

副島隆彦です。 私が、前回ここに、ようやく春らしくなった、と書いてからすでに20日が立ちました。 日本の気候は、なかなか暖かくなりませんでした。 こんなにみぞれ混じりの寒い日が続くとは、思いませんでした。 私は、自分の持病の慢性気管支炎で、寒いこの時期は体調がよくないです。

昨日、ここの今日のぼやき の広報ページに 3つのことをお知らせしました。
(1)4月の末の、 連休の初めの3日間、福島の現地で、「福島難民キャンプ見学ツアー」を開催します。 会員の皆さん、来れる人は来てください。あれから丁度、一年ですが、福島に一度は行ってみたいという人は参加してください。私が、つきっきりでバスガイドをやります。 今日のぼやきの方を読んでください。

(2)は、6月2日(土)に、東京の真ん中の会場で開く、200人限定の政治思想、政治の歴史の講演会をやります。 これには政治問題に関心のある会員だけ集まってください。 質問も歓迎します。私は、この10年、ずっとやりたいと思っていた講演会です。 

(3)は、今、書店に並んできる 発売されたばかりの 私の弟子のひとりの医師で、すでに数冊の医療問題、健康問題の本も書いている 崎谷博征(さきたにひろまさ)君が、身を振り絞って書いた『医療ビジネスの闇』(学研)という本のご紹介です。崎谷くんは、

この学問道場で、「近代医学・医療掲示板」の管理人をやっています。 彼が、現在の日本の医療が陥っている地獄のことを 詳しく書きましたので、関心のある人は買って読んでください。

 さて、私は、2月の末まで、マレーシアとシンガポールに金融問題の調査の旅行に行っていました。 いろいろと勉強になりました。 日本人の大金持ち(富裕層)の一部は、本当に日本から逃げて、すでに外国に自分の住居を作っています。「放射能コワイコワイ」と 次の地震がコワイので、カナダやヨーロッパに逃げた人たちもいます。が、やはり、東南アジアの諸国に逃げて、ゆったりと暮らしている人たちがいます。彼らに私は、つてを頼って会って、インタビューをして来ました。 

 それからシンガポールの金融や投資の現状を視察してきました。これらのことは、5月の連休前までには出版しなければいけない、私の次の金融本に書きます。待っていてください。

 ちょっとぐらい円安(円高にはなかなかならない)になろうが、仕組まれたヤラセの株高の演出だろうが、ヨーロッパの金融危機の無理矢理での、CDS実行せずの、インチキの強引な解決だろうが、権力者どもが勝手にやるがいい。どうせそのうち爆発が起きます。 

 まあ、見ていなさい。というのが、私、副島隆彦の態度です。 まさしく、まあ、見ていなさい。です。

 私が日本に居ない間の2月の末に、AIJ(エイ・アイ・ジェイ)という投資顧問会社が、預かった運用資金の2000億円を 吹き飛ばしている事件が、突然、浮かび上がっていました。 このAIJ(経営陣はすべて 野村證券の元社員たち)なるバクチ屋に大切な 年金資金 や共済掛金を預けていたのは、新聞に載っていたとおり、全国の各県の トラック業者や タクシーの運転手たちの 年金団体などでした。ひとつの業界団体で、50億円から70億円ぐらいが吹き飛んだ、となっています。最新の記事を一本だけ載せます。

(転載貼り付け始め)

「AIJ投資顧問、今月中にも強制調査へ」

TBS=JNN 2012年 3月13日(火) 配信

 「AIJ投資顧問」による巨額の年金消失問題で、証券取引等監視委員会が今月中にも強制調査に乗り出す方針を固めたことがわかりました。

 AIJ投資顧問をめぐっては、全国の年金基金などから集めたおよそ2000億円の大半がなくなっていたことがわかっていて、金融庁では、AIJに対して出していた業務停止命令が今月23日で期限を迎えるのを前に、AIJの登録を抹消することを検討しています。

 これを受けて証券取引等監視委員会では、月内にも金融商品取引法違反の疑いで強制調査に乗り出す方針を固めたことがわかりました。

 容疑には契約時、顧客にウソの説明をすることを禁じた金融商品取引法の「契約に関する偽計」が適用される見通しで、証券取引等監視委員会は刑事告発も視野に調査をすすめる方針です。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。この AIJなる、誰も聞いたこともない投資顧問会社に、自分たち貧しい運転手たちの年金団体が、資金の運用を頼んだ、ということは、その背後に、「ここに任せれば、安心して高利回りの 収益が出るよ」と 唆(そそのか)したと言うか、強く推薦した者たちがいる、ということだ。

 それは、これらの企業年金・共済団体に 天下っている 社会保険庁・厚労省の 幹部公務員たちだけではない。それよりも、もっと上の、それこそ、財務省と金融庁の幹部どもが、こういう投資業を営んでいるのだ。 汚(よご)れているのは財務省や金融庁(その一部が、証券等監視委員会。金融庁のあるコモンゲート・ビルの中のある) のである。

 それなのに、自分たちが、監督庁だから、ということで上記の記事のように、「厳しい監督を行う。刑事告発も辞さず」などと、自分たち自身の汚れた実態と実体を覆い隠そうとする。 これらの大損した 企業年金の自主運用団体のせいで、トラックやタクシーの運転手たちは、40年近く年金を掛け続けて、やれやれ 20万円ぐらいは毎月、老後の年金がおりる、と思っていたら、それが、おそらく月10万円に減らされるだろう。 厚生年金への拠出義務のお金もどうせ払っていない。業界がやせ細っていてとても払えないのだ。

 金融庁と 証券取引等監査委員会は、このAIJにこれまでの8年間の間に一度も監査に行っていないとバレてしまったそうだ。 運用の大失敗(2008年のリーマン・ショックの時期の大損に決まっている)を見破れなかったもなにも、自分たちのOB官僚たちが天下っているのだから、とても、手が出なかったのだろう。

 金融庁は、よごれまくっている自分たち自身を、刑事告発したらいいのだ。

 どうせボロボロと実態は明らかになる。 こんな AIJなどという チビコロの資金運用会社などの たった2000億円ぐらいの損失が明らかになった程度で、済むはずがない。もっと大手の証券会社や、信託銀行などの、年金資金の運用の大失敗の実情が、これからつぎつぎと明らかになる。

副島隆彦です。今日あと、私が書いて置きたかったのは、 週刊文春の 捏造(ねつぞう)記事の件だ。たしか、私が、マレーシアに出発する直前の新聞各紙に、でかでかと、週刊文春の 宣伝が出ていた。 それは、以下の記事にもあるとおり、

 「『週刊文春』3月1日号 (副島隆彦注記。ということは、その一週間前が発売日だから、2月の23日だったろう。) は 「衝撃スクープ」

と銘打ち、「郡山 4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」と報じた」

なのである。 週刊文春 またしても、よくもやりやがったな。と、私は、その週刊誌のデカデカの大文字の広告を見て、苦虫を噛み潰した。 この 週刊誌記事は、すべて 誤報(ごほう)どころか、大嘘つきの、嘘八百の 捏造の 扇動記事だった。そのことは、すぐに判明して、ネット上に、週刊文春を 非難する情報がたくさん出たらしい。 私は、直後にはそれらの情報を追いかけていないので知らない。

 福島の郡山市(原発から50キロ。福島県で一番大きな市)で、「4歳児と7歳児に甲状腺がんの疑い」などと、報道したら日本国民が、また青ざめるではないか。
・・・・そして、それは、すべてウソだった。 文春は、今も、謝罪の広告も出さないし、社長が記者会見して、「誤報を報道して申し訳ない」と誤ってない。

 文藝春秋というのは、ここまで堕落した、謀略出版社である。1973年に愛国政治家・田中角栄を政治スキャンダル攻撃で、葬るために、「金脈問題」「ロッキード裁判」で謀略の報道やって以来の、ゴロツキ出版社だ。自分たちでは、高級一流出版社だと思い込んでいる。 私は、週刊文春を、週刊新潮と併せて、”ウイークリーCIA (週刊CIA 日本版)”だと思っている。とんでもない売国奴どもだ。日本国民を、脅(おど)して喜んでいるような マゾヒストどもだ。 そのうち 日本国民から嫌われて倒産、消えてゆくだろう。

 福島の現地では、誰一人として、放射能のせいで発病したものはいない。子供も赤ちゃんも元気だ。お金に余裕があって、他県に逃げたい人たちは逃げ出せばいい。みんな元気なんだ。 この現状を、気になる人は、皆、自分の目で現地まで見に来なさい。 現地に一度も来もしないで、遠くの方から、「危険だ、危ない、そのうち発病する」などと、バカことを言っているな。

 自分自身の脳が、どれぐらい洗脳されているか、すこしは自分自身に向かって語りかけ省察(せいさつ)したらどうか。

(転載貼り付け始め) 

「 週刊文春「郡山2児に甲状腺がん疑い」で検査した医師困惑 」

2012年3月5日 週刊ポスト 誌 小学館 配信

週刊ポスト 2012年3月16日号

 2月23日、テレビ朝日『報道ステーション』が、緊急時避難準備区域だった福島県南相馬市内の歩道の所々に黒い藻のようなものが発生し、そこだけが高い放射線量を記録していると報じた。これ以外にも、無責任に危険性を煽りまくるメディアが後をたたない。

 その中でもお粗末だったのが『週刊文春』だろう。3月1日号では「衝撃スクープ」と銘打ち、「郡山 4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」と報じた。

 概要はこうだ。
札幌市内の内科医らが、福島第一原発事故に伴う放射能の影響を調べるため、市内に避難している親子309人(大人139人、18歳以下の子供170人)を対象に甲状腺検査を実施した。

 その結果、甲状腺エコー検査を実施した内科医の話として、「しこりのあった7歳女児と4歳以上の男児の2人に加え、19歳以上の『大人』9人の計11人に、甲状腺がんの疑いがある」と報じたのである。

 しかし、この表現は真実とは言い難い。

 正確には、検査を受けた18歳以下170人のうち、5ミリ以下の結節や20ミリ以下の襄胞が認められたのが30人、5.1ミリ以上の結節や20.1ミリ以上の襄胞が認められた(B 判定)のが4人である。

 これはすべて「良性腫瘍」の話である。悪性(C判定)であれば、すぐさま細胞診の必要があるが、これに該当した子供は1人もいなかった。週刊文春は、この良性の甲状腺結節 でB判定となった子供たちが細胞診を受けていないから、「甲状腺がんの疑いがある!」と言い張るのである。

 放射線科が専門の中村仁信・大阪大学名誉教授がいう。

「医学的に見て、大腸を除いて良性腫瘍(結節)が悪性腫瘍(がん)になることはまずない。真実は『診断の結果は全く問題なかった』ということ。記事の冒頭には、“今までにこんな例は見たことがありません”という医師のコメントが掲載されていますが、それは当然です。

 そもそも小さい子供に甲状腺のエコー検査をすることはほとんどないからです。検査をすれば、良性の結節が発見されることに何の驚きもない」

 さらに記事は〈7歳女児(検査当時)の小さな喉にある甲状腺に、8ミリの結節(しこり)が、微細な石灰化を伴ってみられた〉と書く。

 チェルノブイリでは、小児甲状腺がんの兆候が見られたのは、被曝から4年ほど経ってからだった。原発事故から1年も経たずに「石灰化」しているのなら、それは当然原発の影響ではない可能性が高い。

 母親たちの不安を煽るだけ煽った疑問符だらけの記事。発売後のリアクションは無残なものだった。

 エコー検査をした当人である「さっぽろ厚別通内科」の杉澤憲(すぎさわけん)医師が、弁護士を伴い文春の記事に大反論を展開。 自身のコメントについて「そのような話はしておりません」と全否定した上で「良かれと思ってやったことが、このように(記事として)出されてしまったことで多くの人を不安に陥れてしまった」と苦悩を滲ませた。

 週刊文春編集部は「記事は、福島などから自主避難した人々の甲状腺に異常が見つかったこと、その事実を受けて、現状に沿った健康被害への対策を講じる必要がある、と主張したもの」で「煽り報道とは考えておりません」と抗弁するが、記事の根幹が崩壊してしまったことは間違いない。

“面白ければ間違いでもいいや”という無責任と、科学的に正しいことと正しくないことは明確に区別されるという当然のリテラシーの欠如がはっきりうかがえる。報ステと全く同じだ。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 文春は、今も居直って、「自分たちは煽り報道をしたとは考えていません」と 居直っている。 文春のこの見苦しい態度は、厳しく糾弾されなければならない。ウソと誤報を、繰り返して、それで日本国民を脅迫し続けて、恐怖心のなかで生活させることで、この「ショック(による扇動)・ドクトリン」で、さらにアメリカによる日本人の奴隷化を、促進する気だ。その尖兵、お先棒を担(かつ)ぎ続けて、文藝春秋という買弁(ばいべん)アカ新聞は、やがて歴史の藻屑(もくず)となってゆくだろう。

 私、副島隆彦は、上の記事の中に出てくる、「放射線科が専門の中村仁信(なかむらひろのぶ)・大阪大学名誉教授」とメールのやりとりをしている。放射線の人体への影響を臨床医としても研究し続けている立派な医学者だ。こういう専門家たちの主張を、圧殺しながら、日本の 腐れ果てた テレビ・新聞・大手雑誌 たちの 国民洗脳は、続いている。

 あとは、今日のぼやき の方を読んでください。 会員の皆さん、一度は、時間を持見つけて福島の空気を吸いに来てください。何もありませんが。

 原発事故による放射能の人体への被害の問題については、私たち学問道場(SNSI)が15人で書いて出した『放射能のタブー』(KKベストセラーズ 2011年11月刊)を、ぜひ 読んでください。この本以上に、わかりやすく福島第一原発事故の真実の全体像を描き出した本はない。そのように自負します。

 それから最後に、上記の3月1日号の 週刊文春の 「 郡山 4歳児と7歳児に『甲状腺がん』の疑い!」の記事を全文、会員のどなたか、そこらの公立図書館に行って、文字おこしして、この 重たい掲示版に 貼り付けてくださいませんか。

ようやく春になって、暖かくなった。今年の冬は本当に寒くて私の身体にこたえました。 副島隆彦拝

桑原義明 投稿日:2012/03/14 03:28

【806】[915]スパリゾートハワイアンズ

桑原義明です。

3月11日に、小学生の頃から行ってみたい、と思っていた、スパリゾートハワイアンズ(旧常盤ハワイアンセンター)に行ってきました(1966年開業)。
http://www.hawaiians.co.jp/

その日は、テレビ朝日系で夕方の4時から、フラガールのドキュメンタリー番組が放送されるということだったので、その時間に行けばフラダンスを観れるのでは?と思い、福島県のいわき市に向かった。途中、せっかくだから喜多方に立ち寄って喜多方ラーメンを食べようとも思っていたのだが、立ち寄ったら最後 、いわきまで辿り付けないと判断し、スパリゾートハワイアンズに車を走らせた。
いわき湯元インターを降り、しばらく走ったところの高台に、巨大な温泉リゾート施設はあった!

日帰り用の駐車場に車を停めて、入場口を目指す。時間は3時40分だ。
入場料は、感謝企画期間(平成24年3月19日まで)だったので、1500円で入場できた(3月20日以降は3150円)。
外は寒かったので、ダウンジャケットを着た状態だったのであるが、さすがにウロチョロしている途中で、暑くて脱がざるを得なかった。
温水プールでは、老若男女、特に若者らがウオータースライダーなどを楽しんで賑わっていたのが印象的だ。
そこでは、水着(ビキニ)姿のピチピチギャルも意外といて、目のやり場には少々戸惑いを覚えたのも事実だ。
私は、エスキモーのような厚着をしていたので、「このスケベオヤジ、変態、痴漢!」くらいに思われていたかも知れないことは容易に想像できた。
もしも、警察官が近くにいたならば、職務質問を受けて任意同行を求められていた可能性すらあっただろう。
それ位、場違いな服装をして館内をウロチョロしていたのである。

そうこうしているうちに、時間は4時を過ぎているではありませんか。
温泉入浴施設のどこかでテレビ中継(フラダンスなどを)しているのでは?という期待は、見事に外してしまっていた情けない姿の自分がそこにいた。
3月の末まで、テレビの取材が入ることがあります。という張り紙が貼ってはあったのが虚しく見えたのは言うまでもない。
その近くに貼ってあるフラガールのポスターを見ると、どうやら13時30分(フラガールポリネシアンレビュー)と、20時10分(グランドポリネシアンショー)の2回の公演ということのようだ。
夕方の4時過ぎからは、何やら子供がステージに上がってレッスンやら楽器を使って体験している様子が伺えたが、帰って来て調べてみたら、「いっしょに南国タイム」という、フラガールやバンドメンバーと近くでふれあえるイベントが行われていたのだということを知った。

メチャ暑いので土産物売り場のほうに逃げ込んだ。そこは、まだ温水プール(ビーチシアター)の方よりは少しは快適だった。
ジェラートを食べ、マンゴージュースを飲んで体を冷やして温水プールのほうにリベンジするも、敢え無く挫折。
土産物売り場のほうへ退散。見る人から見れば私は不審人物だと思われていただろう(よく捕まらなかったと自分でも感心している)。
とてもじゃないが、フラダンス(フラガール)を観るまでの時間が潰せないと判断。
後ろ髪を引かれながら常盤ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)を後にした。

せっかく、ここまで来たのだから、小名浜港に向かった。
漁港には中型漁船を中心に停泊していたが、時間が時間(夕方の6時近く)だけに人影はまばらだった。
が、近くに鮮魚市場があり、行ってみたものの、6時で閉店(ガーン)。
夕闇も迫り暗くなってきたので、この辺で帰宅することとする。
いわき中央インターより高速に乗って郡山方面に向かう。時間があれば『福島復興活動本部』に立ち寄ろうと考えていたのであるが、阿武隈高原SAで休憩をした時点で夜8時。そうこうしているうちに、あっという間に辺りは雪化粧で道路は積雪状態。都路まで行くことは断念(次回に持ち越しです)。

桑原義明拝

加地 龍太 投稿日:2012/03/14 00:31

【805】[910]実業家=商売人としての心構え

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、実業界の人間としての心構えを思考した文章を書かせていただきます。

私の家の近所に某神社がある。その神社はパワースポットとして凄まじく効果的だという。私には、人のオーラが見えたり霊体が見えたりする特殊能力はない。
だが、私のような凡才でも「居心地の良い場所」と「居心地が悪い場所」の判断はつく。それくらいの感性は持っている。
今日(と言っても13日)、その某神社に行ってきたが、上記の話を聞いた後に行くと何やら感覚が違った。境内に入り、一度深呼吸をしてみて判った。
空気が澄み切っているのである。「居心地が良い。」と感じた。

これは商売をするときの心構えに繋がると思った。クライアントは「居心地が良い店」に来店することを望むであろう。いかなるサービスを商品にしている場合でも、対人商売(客商売)をしている店であるならば、クライアントに「居心地の良さ」を提供するのは必須である。
私が昔から通っている床屋の人たちは、私に「居心地の良さ」を感じさせる。それゆえ、私はずっとその床屋に通い続けているのである。

「居心地の良さ」の理由は、気さくな応対とその場で働く人物たちの自分の仕事に対する誇り・意識である、と私は思う。
その場で働く人物たちが自らの仕事に誇りを持っていれば、自然とその職場の雰囲気は良くなる。私の通っている床屋の人たちは、理髪という自分の仕事に誇りを持っているので、自然と店の空気(ニューマ)が良くなるのだ。
それゆえ人が集まり、店が保っているのであると思われる。

ジョン・ダヴィッドソン・ロックフェラー1世の言葉に「成功の秘訣は、当たり前のことを、特別上手にすることだ。」というものがある。
ロックフェラー1世については、リバータリアニズム的実業を壊滅させたり、敵対するロスチャイルド系のアメリカ内資本を叩き潰して自らが所有する資本でアメリカ国内の経済が立ち回るようにする、という目的で1929年の世界恐慌を引き起こしたり、と文句は多々あるが、実業家としてはやはり超一級品の人物なのだろう。
彼の語った言葉には、納得させられることが多々ある。上記の言葉もそうだ。
丁寧な応対、気配り、礼儀正しさ、などの当たり前のことを人一倍 上手にすることが、仕事を成功させることに繋がってゆくのだろう。
私、加地龍太は、この心構えを忘れない。

何かご意見がありましたら、私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

長井大輔 投稿日:2012/03/10 17:51

【804】[908]3月2日、3日に福島県に行ってきた

 長井大輔です。今日は3月10日です。
3月2日、3日に福島県に行ってきたので、報告します。
この文章は、私の福島報告文6です。

 3月2日朝10:00、自宅を出発し、川越(かわごえ)IC(インターチェンジ)から関越道に乗り、外環、常磐道を経由して、いわきJCT(ジャンクション)から磐越道(ばんえつどう)に乗った。茨城県から浜通り(はまどおり、福島県の沿岸部)のいわきまでは雨だったが、磐越道で山間部に入った途端に、雪に変わった。14:30、船引三春(ふねひきみはる)ICに着き、ヨークベニマル(YB)で買い物をしたあと、福島復興活動本部のある田村市都路(たむらし・みやこじ)に向かった。国道288号線には、雪が降り積もっていた。MT車(マニュアル)なので、ギアを3速に入れて、30km/hで慎重に走った。

 17:00、都路の復興本部に着いた。吉見君はかぜをひいているらしく、喉(のど)が痛み、寒気(さむけ)もするらしい。その後、夕食を食べながら、原発や福島のこと、互いの関心事について、いろいろ話す。また、吉見君が明日の朝食をつくってほしいというので、あまり傷(いた)んでいない食材を使って、豚汁をつくった。21:30、外の檜(ひのき)風呂にはいる。お湯を入れると、檜の香りのするいい風呂だった。しんしんと降る雪を見ながらの、雪見風呂となった。23:00、翌日、南相馬市(みなみそうまし)に行く予定だったので、早めに寝る。

 3月3日朝8:00、起きる。外は晴れていた。すでに吉見君が駐車場の雪かきをしてくれていた。暖気運転をせずに、エンジンをかけたら、車がエンストした。修理が必要となったら、かなりたいへんなので、かなり焦(あせ)ったが、しばらくしたら、無事にエンジンがかかった。今度は充分に暖気運転をした。その間に朝食をとる。9:30、吉見君に別れを告げて、都路をあとにする。吉見君に、降雪後の国道399号線(悪路で有名)はおすすめしないと言われたので、一旦船引までもどり、そこから川俣(かわまた)に抜け、県道12号線(原町川俣線)に乗り、飯館(いいだて)を通過して、昼12:00、南相馬市に着いた。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6968847741/in/photostream
福島県田村市都路

 南相馬市で、A君と合流し、道の駅で昼食をとった。その後、A君の車で、相馬市原釜(そうまし・はらがま)と新地町釣師(しんちまち・つるし)をまわった。両地区とも、漁師町であり、大津波で潰滅(かいめつ)的な打撃を受けた。今回、行ってみると、半年前(2011年9月)とほぼ変わらず、更地(さらち)のままだった。瓦礫(がれき)の片づけはほぼ終わり、まとめて一か所に山のように積まれていた。夕方16:00、南相馬市にもどり、それから1時間、A君から南相馬市の現状について聞く。17:00、A君に別れを告げ、帰路(きろ)についた。最後に相馬市の百尺観音(ひゃくしゃくかんのん)で、福島県の早期復興を祈り、福島県をあとにした。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6968847769/in/photostream
福島県相馬市原釜

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6822724046/in/photostream/
福島県新地町釣師

 福島民友(ふくしまみんゆう)によると、日本政府は4月に警戒区域の見直しを行うという。記事の該当箇所を一部、転載貼りつけする。

(転載貼りつけ開始)
 区域の見直しで政府は警戒区域、計画的避難区域を解除①50ミリシーベルト超(転載者註:単位は放射線の「一年間」の被曝量、パーイヤー)の「帰還困難区域②20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」③20ミリシーベルト以下の「避難指示準備解除区域」-に再編する方針。
(転載貼りつけ終わり)
(福島民友2012.3.3、1面「川内、来月にも解除 警戒区域見直しで協議」)

 後続の報道では、川内村(かわうちむら)に加え、田村市の警戒区域も解除されるという。私の母親が浪江町請戸(なみえまち・うけど)の住民から聞いた話では、4月の警戒区域解除に向けて、帰る準備を始めているという。私は、南相馬市小高区(おだかく)や浪江の海沿いは、毎日新聞2012年2月25日の「福島県内の線量分布図」によれば、年間の放射線量が20mSv/y(ミリシーベルト・パー・イヤー)を下回るので、4月から立ち入りが可能になると思う。

 以下、その他の情報を書く。A君によれば、南相馬市の街の機能は完全に回復したという。人口もじゃっかん増えたのではないかと言っていた。常磐道の南相馬ICの工事進捗(しんちょく)率が80%と書いてあったので、常磐道の仙台-南相馬間の開通も近いだろう。3月10日の福島放送の記事「南相馬−相馬4月8日開通 常磐道」によれば、南相馬-相馬間が4月8日に部分開通する予定だ。

 朝日新聞1月26日の記事「常磐道の工事再開=警戒区域内、2月から―東日本高速」によれば、警戒区域内の南相馬IC-浪江IC間の工事も一部再開されるようだ。常磐道の全面開通は浜通りの住民の悲願なので、工事の全面再開が望まれる。JR常磐線では、相馬-原ノ町(はらのまち、南相馬市原町区)間が2011年12月に、部分復旧した。不通区間の亘理(わたり、宮城県)-相馬間では、バスによる代替輸送が行われている。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6968847801/in/photostream
JR相馬駅

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/07 23:34

【803】[906]福島本部活動日誌です71

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年2月23日の日誌です。
18日~22日の日誌は遅れてしまいますが、ご容赦ください。

郡山駅前のネットカフェを出ると、外は雨が降っていました。

郡山駅発6時57分の磐越西線で、会津若松駅に向かいました。
郡山駅のホームには、会津に観光に戻ってきて欲しい思いから描かれたと思われる看板が設置されていました。

磐越西線自体が標高が高い所にあるのか、周りの山は思ったより高くは感じませんでした。とはいえ、関東の感覚では非常に険しいものです。

午前8時8分に会津若松駅に着きました。
駅の土産物コーナーが既に開いていました。
駅の待合所で10人超が、NHKの朝の連続テレビドラマを観ていました。

会津若松駅前は歩道に氷がそのまま残っていました。雪は脇にうずたかく退かされていました。

昨日と今日で、かなり雪が融けたようでしたが、それでも大量の雪が残っていました。


会津の駅前にはリオンドールがありました。・・・羨ましいです。

どうにもお腹が空いたので、駅前のホテルに入っているレストランに入って、朝食を摂りました。他に開いている店がなかったとはいえ、無駄な金を使いました。
ホテルの10階から見た会津は、ほとんどの建物が2,3階建てでした。

ホテル1階には、放射線についての特別講演会を告知する張り紙がありました。

会津の道路は、少し奥に行くと、融けてなお大量の雪が積み上げられていました。

渡部恒三の古い看板もありました。

歩道に設置してある「目が不自由な方用の印」も剥がれてしまっていました。


更に奥の、日当たりの悪い歩道は、アイスバーン状態のままでした。

仮設住宅の脇の小さな崖になっているところは、大量の雪が退けられていました。

やはり仮設住宅は、工場脇の空き地に、砂利の上にアスファルトを敷き詰めて作っていました。

仮設住宅の隣には、市の除雪車両置場がありました。

ここの仮設住宅は82戸ありました。
建物の脇に、簡単な絵が描いてありました。
なお、ここはプレハブ型でしたが、木造型が会津では多いと、駅の売店で売店で聞きました。


集会場の屋根には30~40cmほどの雪が積もっていました。ここの建物の設計積雪量は1mでした。


集会場の掲示板には、除雪スタッフの呼びかけ、雪道に注意を促す張り紙、などがありました。

自治会の、犬の糞に関する張り紙がありました。

日当たりの悪い地面は雪がそのまま残っていました。
日当たりの良い地面も、車がアスファルトを通れるような雪の退け方をしてあり、雪が大きく残っていました。



会津若松駅に徒歩で戻って、磐越西線と磐越東線で船引駅に戻りました。
船引駅前は殆ど雪が残っていませんでした。
船引小学校の除染した土のところも、雪が融けて土が見えているところがありました。

船引公民館では、中高生の発表会をしているようで、たくさんの車がありました。

リオンドールとダイユーエイトまで歩き、半額の食料品を買い込みました。
リオンドールの駐車場も、会津の道路同様に「目が不自由な方用の印」が剥がれてしまっていました。

リオンドールのゴミ箱の上には電気工事業者のヘルメットが置いて(捨てて?)ありました。

ダイユーエイト入り口の道路は、少し陥没しているところがありました。

バスで古道車庫に戻りました。
バスから外を見ると、原発から24kmほどのところに、車が4台駐車してありました。

バスで岩井沢小学校付近に戻ってきた人が二人いました。
それなりに人が戻ってきたようです。

事務所に歩いて戻る途中、検問所前の通行止め標識前で、外国から来たと思われる2人と日本人2人が映像を撮影していました。
撮影し終わった後、288号線を帰っていきました。


車のナンバーは「福島300 わ 10-65」でした。

帰ってきた後、洗ったまま出て行った食器を片付け、急ぎ返信すべきメールを送信しました。
灯油を30リットル補給しました。
3日間ネットカフェに泊まり続けたので、お風呂に入って、歯を磨きました。
夕食は、Hさんの奥様から頂いたお弁当でした。
余っているご飯、豚肉、ブロッコリー、を炒めて、Yさんから頂いた焼き鳥のタレを混ぜて、明日の食事を作りました。
もっと色々やることがあったのですが、流石に3日間連続でネットカフェに泊まった影響か、いつの間にか寝てしまいました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月24日の日誌です。

最寄のガソリンスタンドに行って、小銭を1万円札に両替しました。
ただで喜ばれている行動なので、今後も折を見てやっていきます。

洗濯をしました。
ソファーを外に干しました。
布団を4つ干しました。

夕食は、昨日作った炒飯もどきに大葉をあわせて食べました。

ここに居ると、いつか↓のような状況になってしまいそうで怖いです。
http://umashika-news.jp/archives/51998768.html

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月25日の日誌です。

かなり雪が降りました。積雪10cmほどです。
昨日もっと掃除をしておけばよかったです。

雪かきをしました。
・・・ただ、雪が日光で融けるところは20cmまでなら、しなくてもいいのだと思います。

やや風邪気味です。
東北本線で風邪を貰ってきてしまったようです。

夕食は、一昨日作った炒飯もどき、スパゲッティを茹でてルッコラとオリーブオイルと胡椒をのせただけのもの、納豆、煮干、でした。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月26日の日誌です。

水道代と電話代を振り込みました。

写真を500枚整理しました。
やっとこれで2/18からの日誌が書き始められます。

風邪でダウンしていたので、一日何もすべきではありませんでした。
人が街に居ないので風邪を引きにくい反面、一旦風邪になると寒さで重症化します。

雪は結構融けました。安心しました。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/07 23:16

【802】[905]福島本部活動日誌です70

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年2月20日の日誌です。

午前0時、秋葉原駅に到着しました。
秋葉原のとらのあなは、既に営業時間が終わっていました・・・。

午前0時30分、ロイヤルホストに入り、午前4時50分までいました。
この間にZさんと携帯のメールで連絡を取りました。

午前5時から午前10時まで、マクドナルドにいました。

午前10時、開店と同時にとらのあなに入りました。
同人誌を購入しました。・・・購入し過ぎました。

午前11時半、神田のラーメン屋に入り、昼食を食べました。1050円も使ってしまいました。

正午頃に、ソフマップの18禁ゲーム売り場を覗きました。お昼時だろうが、平日だろうが、ここはいつも一定の客が居ます。

午後1時15分、経産省前の脱原発テントを見に行きました。
これが東京に出てきた本来の目的でした。
行く途中で霞ヶ関の地図を見て、本当に「赤れんが棟」という建物があるのか、と少しだけ驚きました。

脱原発テントは、小さなテントが2つ、経産省の近くにあるだけでした。
テントの前には10個ほど、パイプ椅子が並べられていました。
ギター等も置いてありました。
時々、白髭の人とスーツ姿の人が外のパイプ椅子で休んでいました。

経産省前は4ヶ月前で0.25μSv/hらしいです。
今の事務所と大体同じです。

小火が昨年末に出た事への警告がありました。
コミケの運営会は、消防庁にだけはコミケを中止させる権限があるので、相当に気を使って防火対策していた事を思い出しました。

本当は声をかけて中で話を聞きたかったのですが、
「どんな微量の放射性物質でも体に悪い」
と主張してある紙がありました。
手土産がラジウム温泉玉子とカイロというのは、揶揄になってしまっているので、自重しておきました。
話を聞きに行くのは、東京在住の別の方のほうが良いと思いますので、どうかお時間のある方、お願い致します。


(↑この写真の奥に人が居る感じでした。)

テント隣の地図に、自分たちのピンバッジを差していました。
うーん、これくらいの自己主張ならば、笑って見逃すべきもの、なのでしょうか・・・。

Zさんが交流のある明治大学の先生が、ゼミの卒論発表会をしていたので、私も午後4時から見させて貰いました。
卒論のテーマが、ボーカロイドやゲームなど、「そちら寄り」でした。
ちゃんと仮説を立てての検証もしてあり、明治大学は素晴らしい大学だと、感激しました。
(もう、東大とか早慶とか爆発してしまえばいいんです。
一橋大学は八橋大学と名前を変えてしまえばいいんです。)
今の時代に角材とヘルメットを持って大学構内に入るのも、大学側に禁止されているとはいえ、個性的な格好ではあるのでしょう。
友達は居なくなりそうですが・・・。

卒論発表会後にあった、居酒屋での打ち上げまで出てしまいました。
疲労が重なっていて、殆ど脇で寝ていました。

午後11時、秋葉原のネットカフェに入りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月21日の日誌です。

午前11時まで秋葉原のネットカフェに泊まっていました。

午前11時、遅めの朝食を、秋葉原駅一階のキッチンジローで食べました。550円でした。
秋葉原駅ビルの再開発で、朝の割と早い時間も休める場所ができました。
これは良い変化だったのだと思います。
駅前に新しくできたでっかいビルは、個人的には一寸あまり・・・、という感じですが。

午前11時半から秋葉原を見て回りました。
とらのあなの6階は、午前中にもかかわらず、人で一杯でした。

午後2時、メールで連絡していた通り、Zさんと神保町のラーメン屋で昼食にしました。

昨日の予定では、ここら辺で郡山に戻るはずだったのですが、どういう訳か、もう一日秋葉原に泊まるという判断をしてしまいました。
秋葉原は恐ろしい所です。「どんな判断だ、金を溝に捨てる気か」と言われれば、「秋葉原が眩しかったから」と答えるより他にありません。
何れにせよ、いつの間にか秋葉原に戻っていました。
戻ってからは、K-BOOKSなどをうろついていました。

午後4時前、ソフマップ前で漢らしいゲームの宣伝を見かけました。

午後7時半、Hさんのご自宅に、バイトの終わったばかりのZさんと一緒にお邪魔しました。
突然お邪魔してしまいましたが、お夕飯などの温かいおもてなしを頂き、大変恐縮です。
帰りがけに奥様から、お弁当まで頂いてしまいました。

午後10時、秋葉原のネットカフェに入りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月22日の日誌です。

午前10時まで、秋葉原のネットカフェにいました。

午後0時半、赤羽にある、まるます屋に行きました。
うな丼、ゆば刺し、すっぽん鍋、かきふらい、を注文しました。それぞれ1200円、500円、750円、550円、でした。



以前はうな丼は750円だったのに、大幅に値上がりしていました。
ゆば刺しを食べても、某漫画の主人公のように、「京都を思い出」すことはありませんでした。
300円の岩海苔は残さなければならなくなるので、注文しませんでした。
いくらのどぶ漬けはありませんでした。

午後1時半から午後5時半まで東北本線に乗って、郡山に戻りました。
途中の久田野駅では、駅が修理工事中でした。

郡山駅の駅ビルは、花屋や土産物屋が入っているなど、都心郊外にある、例えば船橋や松戸などと、余り変わらない感じでした。

郡山の駅前にあるビルには、アニメイトが入っていました。
なかなか客が入っていました。品揃えもなかなか良いものでした。


アニメイトの一階↓には、ゲームセンターが入っていました。
ここにあったピカチュウのぬいぐるみは、南相馬の原町シーサイドパークにずっと放置されたままのものと同じものでしょうか。

郡山駅の隣のビルは、食品が置いてありました。郡山は物資が豊富です。

ビールも、サタンやシメイブルーなど、良いものが置いてあって、大変羨ましいです。

3枚目の写真にある寿司が、半額になるのを見計らって購入し、夕食にしました。

福島県産の苺が、かなり売れているようでした。

郡山駅の東口にも、長い歩道橋を歩いて行ってみました。
西口とは違い、タクシー乗り場、ビジネスホテル、コンビニがあるだけの、寂しい状態でした。


歩道のごく一部が壊れていましたが、補修は後回しのようです。

東口には、放射線量の測定器が置いてありました。1.171μSv/hでした。

郡山のネットカフェに行ってみると、夜のパックが午後9時からだったので、マクドナルドでそれまで時間を潰さざるを得ませんでした。
隣では、アニメイトが店じまい中でした。

午後9時半、ネットカフェに入って、23日午前6時半まで泊まりました。
「ナポレオン~獅子の時代~」を読んで、
「・・・こいつら、ゲームだと、使えるキャラは半分くらいなんだよなぁ」
と、妙な慨嘆をしました。
長谷川哲也先生は、仏だけでなく、英、墺、露からどんな評価を貰っているのか、気になるところです。

http://www4.ocn.ne.jp/~davout/NapoFrench.htm

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/07 23:00

【801】[904]福島本部活動日誌です69

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年2月19日の日誌です。

朝起きて、ストーブの灯油を補給しました。

台所の水道が凍ってしまっていたので、シャワールームのシャワーで皿を洗わなければなりませんでした。
いつもの3倍ほど手がかかりました。茶碗も一つ割ってしまいました。

朝食は、ご飯、コロッケ、ラム肉を炒めたもの、鶏の水炊き、キャベツ、豆腐、でした。、
殆どはYさんが作って下さいました。
食後には、昨日100円で買ってきたケーキをお出ししました。
実は、皆食べ過ぎて、正午まで動けませんでした。

朝食後、Kさんはバグパイプを駐車場で吹いていました。

午前11時、夜にKさん達が東京に帰る際に、私も一緒に連れて行ってもらう事になりました。
急いで東京に行く準備をしたのですが、持っていくのを忘れたものが大量になりました。

午後0時10分から、動き始めました。
まずは川内村に行ったのですが、蕎麦屋、かわうちの湯、共に休みでしたので、何もすることなく戻るしかありませんでした。
蕎麦屋の駐車場には、雪が残っていました。

川内村役場は修理中でした。

午後1時15分、船引の仮設住宅に行きました。

集会場を尋ねてみると、仮設住宅に居る人が、震災の写真を展示していました。
Kさん達のイベントの話も、前向きに受け入れられているようでした。
ちょうど、カメラを持った人が来て、写真を展示していた人と話していました。どうも地元の新聞社の人のようでした。

集会場の脇には、テレビが置いてありました。羨ましいです。

集会場の壁には、神戸女子大学文学部教育学科から送られたメッセージが貼り付けられていました。
この大学入りたいです。(・・・なんだか変質者の様な発言に聞こえてしまいます。)




集会場の窓は2重になっていました。

三春町にある葛尾村の仮設住宅に行きました。




Kさん達の炊き出しイベントについては、対応したのが村の職員だったからか、あまり上手くいかなかったようでした。


村の臨時の建物には、固定資産税が免除されたという掲示がなされていました。
引越し支援車の無料貸し出しもなされているようでした。


ここの仮設住宅は、商店が一店、別の商店兼食堂が一店、仮設住宅の一角を使って営業していました。
食堂の近くには、床屋もありました。



ただ、食堂は今日は休みで、食べられませんでした。
商店の品揃えは、石井魚店をかなり立派にしたものでした。



駐車場には「災害支援車両」と書かれた軽トラックが一台置いてありました。

三春町にある別の仮設にも行ってみました。
運動公園の隣にあった仮設で、立派なコテージ群の空き地に出来ていました。
日当たりの悪い通路は、雪が殆ど融けずに残っていました。
ここはどこを訪ねればいいのか、わかりませんでした。
(←これは、仮設ではなく、コテージの方の画像です)


近くに「三春の里」という、道の駅とも温泉ともつかない施設があったので寄ってみました(http://www.miharunosato.jp/)。


ここは宿泊も出来るようでした。
食事処の建物は、干し柿がぶら下げられていました。

観光客なのか仮設住宅の住民なのか区別はつきませんでしたが、マイクロバスから人が大浴場に向かっていました。

水車は凍結して面白い形になっていました。

船引三春ICから高速道路に乗って、いわき経由で、広野町のJビレッジに行きました。


今回も迷い込んでしまい、どこがどこなのか分かりませんでした。

(←見にくいですが「日本サッカー協会」と書いてあります)
奥の駐車場には、東電の車や建設会社の車が駐車してありました。


ただ、ほとんどの車は、普通の乗用車に見えました。

クレーン車やクレーン付大型トラックが置いてあるスペースは別に作ってありました。



Aさんと大晦日に行ったときも思いましたが、浄水槽は大型でした。

東芝本部の横にある駐車場からは、作業員がバスに乗っている、と聞きました。

いわきの駅前にあった日本料理屋で夕食にしました。
ロシア語翻訳業界の過去について話されていたようですが、私にはよくわかりませんでした。

食後、高速道路で東京の池袋に戻りました。
午後11時30分、池袋でレンタカーをKさんが返却し、駅前でKさん達と別れました。
私は秋葉原に向かいました。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/05 17:48

【800】[903]福島本部活動日誌です68

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)
2012年2月17日の日誌です。

朝起きると、2cmの雪が積もっていました。
それでも日中の日差しが強かったので、完全に融けました。
2時間くらいの対応で済みました。

建物近くで、雪の塊が融け残ったものが道路に飛び出ていたので、除去しました。

昨日に曜日を間違えて出してしまっていたプラスチックゴミを、一旦取りに戻りました。
ポリバケツで保管しています。

生コン車が増えました。時折、検問所方面を出入りしています。

午後5時半、燃料車2台が検問所の方から帰ってきて、399号線に入っていきました。
(←写真は昨日のものです)

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月18日の日誌です。
2週間経ってしまったので、かなりの情報を忘れてしまいました。

午前7時半、事前の連絡通りに、Kさん、Yさん、Kさん、が来ました。

朝食として、ご飯、もずく、あさりの佃煮、ラジウム卵、をお出ししました。
インスタントの味噌汁は、水道が凍っていたので出せませんでした。
なお、2月19日の正午まで水道が出ませんでした。どういうことだったのか分かりかねます。

朝が早かったようで、2時間の仮眠を皆で取りました。

10時半くらいの外の天気は、晴れながら吹雪いていました。

11時に事務所を出て、都路を案内しました。
検問所、石井魚店、体育館、小学校、中学校、の順に案内しました。
石井魚店で明日の食材を買いました。
体育館で見張りの人に、入り口付近に近づかない様に言われました。
小学校の崖を崩す作業は更に進んでいました。

中学校の途中にある、建設中のはずのヘリポートは、雪で状況が良く分かりませんでした。

中学校はショベルカーが入っていて、平日は復旧工事をしています。

大きく損傷していた徒歩での通学路は、青いビニールシートがかかっていました。

また、応急処置で作ったと思われる仮の排水路は、埋められてなくなっていました。

399号線を北に向かい、津島に行きました。
途中の道路では、タヌキの死骸をカラスが食べていました。

津島の検問所から先には入れなさそうだったので、津島中学校に行ってみました。
なお、ここあたりで大成建設が「除染モデル事業」というものをしているらしいですが、どこなのかは分かりませんでした。

津島中学校の空間線量は1.69μSv/hでした。地面の線量は13.01μSv/hでした。


津島中学校は校庭に土嚢が大量に積まれていました。除染した土を置いているのではないでしょうか。


(土嚢の側で線量を測ったのですが、低かったです。空間線量と変わりませんでした。)

399号線で北に向かう途中、人がいて、話を聞けました。
「富岡町の町長は、6億金庫から裏金が出てきた」
「佐藤雄平現知事は、原発建設の際に、建設予定地を先に買い占めることで金を得た」
「川俣の仮設住宅のあたりは、何十人もストレスで死んでいる」
「戦時中の機銃掃射の方が怖かった(←?、放射性物質の方が、見えないから怖い、と言っていたかもしれません)」
「この先の399号線は本当に線量が高いので、君たちのような若者は行かない方がいい」
と言っていました。
ただ、訛がこれ以上ないほどにきつく、言っていることの半分もわかりませんでした。

少し先に進むと、車内の線量が4.30μSv/hに上がりました。

399号線を先に行くと、車内の線量が10μSv/hのところがありました。

ここの空気中の線量が17.68μSv/hでした。

ここの地面の線量が32.65μSv/hでした。

もう少し崖側の線量が60.72μSv/hでした。

浪江町と飯館村の境界線付近で測ってみました。
空間線量が10.02μSv/hでした。

そこの地面が29.01μSv/hでした。

また、そこの雪の上は6.46μSv/hと、空間線量より低くなりました。

飯館村長泥の十文字には掲示板が拡張されていて、各地の線量測定や長泥の過去の測定の結果が貼ってありました。



(←この細かい数字は、写真で撮ったものでは、結構詳細に読めました)

赤いビニールテープは、雪の影響か、白くなっていました。

飯館を更に北上すると、清涼飲料水の自動販売機で、地元の人がジュースを買っていました。

Kさんが声をかけましたが、「冷やかしですか?」と冷淡な反応が返ってきました。
ここからもう少し先に行くと、車がやや通っていました。実際、「渡部自動車」は営業しているように見えました。
このあたりは、車内で0.83μSv/hでした。


また、近くの民家にはのぼりが立っていました。

川俣町に行きました。
街の中心部にあった、休憩所兼町の物産置場では、子供達の写真の展示が行われていました。

川俣町体育館脇に出来ていた仮設に行きました。木造の仮設が40戸ありました。
つららが出来ていました。

集会所に行ってみると、担当者(自治会長)は農林広場の仮設住宅にいる、と言われました。
集会所の脇には雪が多量に残っていました。

農林広場の仮設住宅は、プレハブ型のコンビニが出来ていました。無料送迎バスも走っていました。


プレハブ型の仮設住宅で、丁度テープで空いている穴の部分を塞ぐ作業が行われていました。

農村広場の自治会長の仮設に行って連絡を取ると、集会所で話すことになりました。
Kさん達のイベントは、前向きに受け入れられました。細かい詰めは、別に電話等で行うようです。
自治会長は
「川俣町の山木屋は、他の仮設に比べると、明るい。川俣町で仮設に入っているのはごく一部で、恵まれている」
「東京からわざわざ来てくれて、炊き出しのイベントなどをしてくれるとか、本当にうれしい」
「こういったイベントなどで、全国からいつも色んなことで支援してもらうばかりで、申し訳なく思っている」
「みんなの色々なこれからの予定や生活設計が、あの原発事故以来台無しになってしまった」
と言っていました。

自治会長から別の仮設住宅の場所も聞かせてもらい、その仮設にも行ってみました。
しかし、そこの集会場は留守でした。
なお、奥にある仮設で、雪融けが非常に悪かったです。


また、「サウジLPガス災害支援基金」の表示がプレハブ型仮設住宅の目立つ所にありました。

川俣町の道の駅に寄りました。
中には、神戸から福島に送られた折り紙がありました。

名物らしい、かりんとう饅頭もありました。

私は半額になっていた豆腐を200円で購入しました。

川俣の中心部で、親子丼を食べて夕食にしました。
ケーキ屋では一個100円でケーキが処分されていたので、9個全部買いました。
その他に明日用の鶏肉なども買いました。おまけでコロッケがつきました。

都路の事務所に戻る途中で、船引のダイユーエイトに寄らせてもらって、半額の肉類を購入しました。
帰ってから冷凍庫に入れました。(味を考えれば冷凍は余りお勧めできることではないですが、私の料理だから、まあいいかな・・・と思っています。)

事務所に帰った後、私は疲労ですぐに寝てしまいました。

明日は船引の仮設住宅を回るそうです。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/05 17:33

【799】[902]福島本部活動日誌です67

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)
2012年2月12日の日誌です。

朝起きて、
「・・・船引のスーパーで4or5割引の豚肉を買って冷凍保存しておくのと、石井魚店で冷凍に近い状態の豚肉を買うのでは、どちらの方が得なのだろう」
と、妙なことを考えましたが結論は出せませんでした。
疲れが抜けていなかったのだと思います。
ちなみに両者の購入価格はほぼ同じです。

ずっと、雪かきというよりは、雪を陽の当たる所に移動させています。
建物の裏口がアイスバーン状態でしたが、やや改善されました。
288号線側は、ずっと雪が残ってしまいそうです。
外風呂のある崖側の方は、放って置いても雪が溶けるのですが、どうも水道管の凍結に関係しているようなので、一番注意が必要です。
駐車場は、陽当たりがいいです。ただ、車の陰とやきとり天国の建物の陰はほとんど融けません。

夕食は、蕎麦、蕎麦湯、鍋、牛肉と野菜を炒めたもの、でした。
余り物を使って料理するのは、やっぱり難しいです・・・。

陸前高田の写真をしばらく見ていました。
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/5155955.html

時間ができたら、経済産業省前のテント(http://tentohiroba.tumblr.com/)に行ってみたいです。
どういう風な考えの人達なのかはわかりませんが、話を聞くだけ聞いてみたいです。

13日午前1時、警視庁の人が車を見ていました。その後、事務所を訪ねて来ました。
空き巣の見回りをしているそうです。ここにずっといることを伝えたら、すぐに帰りました。

(転載終わり)

(転載始め)
2012年2月13日、14日の日誌です。

13日、14日、共に同じように過ごしていました。
2月5日の日誌を書いていたのですが、どうしても終わりません。
日誌で力尽き、何もしていないに等しいです。
しかも日誌の出来は、かなり悪いです。
ややスランプに近い状態なので、一回大きく休みます。

13日、14日で、蕎麦、蕎麦湯、ジェノベーゼのスパゲッティ、鍋、茹でたブロッコリー、ヨーグルト、煮干し、とろろ昆布、を食べました。

(転載終わり)

(転載始め)
2012年2月15日の日誌です。

午前3時50分、検問所方面に車が走っていきました。

今日は暖かかったです。

午前9時に、車の一団が399号線を右折して、検問所に向かっていきました。
車の種類は前から順に、プリウス、Jリムーバーと書かれた車、燃料車2台、クレーン車、でした。

裏口の凍結していた氷を除去しました。これで一安心出来ました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月16日の日誌です。

午前9時25分、昨日と同じJリムーバーと書かれた車が検問所に向かっていきました。
燃料車3台と作業車を載せたトラックと一緒でした。

明日は雪の予報なので、日当たりの悪い所にある雪を動かしました。

昼食は、ジェノベーゼのスパゲッティでした。
夕食は、鍋、蕎麦、でした。
最近は同じものばかり食べている様な気がします。

ひと段落したら、会津の仮設の状況も見てみたいです。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/05 17:29

【798】[901]福島本部活動日誌です66

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)
2012年2月7日の日誌です。

雪かきを6時間しました。
昨日と今日の雨のお陰で、氷の塊を動かせるようになっていたので、日当たりが悪く凍結している氷を動せました。
その分5日、6日の日誌が進みませんでした。

今日も雪ではなく雨が降っていたので、雪融けが進みました。
明日からの再凍結がどうなるか心配です。

昼食と夕食はリオンドールで買ってきた半額の食べ物と福島駅の売店で売っていた玉子でした。
サンドイッチ、牛乳寒、さんまの蒲焼、ワンタンスープ、ラジウム玉子、サラダ、でした。
昨日の朝食の酷さを、これで忘れることが出来た・・・と思いたいです。

(転載終わり)

(転載始め)
2012年2月8日の日誌です。

前に注文した寝袋が使えそうだったので、更に5個注文しました。

明日から雪が再び降る予報なので、雪を動かしました。

写真を整理しているのですが、200枚ほどでダウンしました。
明日は何枚できるでしょうか。

夕食は、鍋、温泉玉子、生のピーマン一個、でした。
鍋には駄目になりそうな野菜や筋子などを入れました。

(転載終わり)

(転載始め)
2012年2月9日と2月10日の日誌です。

500枚の写真の整理がようやく終わりました。
一寸いま頭がおかしいです。寝て回復させます。

9日は天気が良いのに、吹雪いていました。
9日の夜から雪が降り出し、少しだけ積もりましたが、10日は日差しが強かったので融けました。
日当たりが悪い場所の雪は掃き出しておきました。

9日は何も食べませんでした。
10日は、鍋、Nさんから頂いたマカロニを茹でてジェノベーゼを乗せたもの、豚ハツを焼いて塩胡椒をしただけのもの、ヨーグルト、を一日中かけて食べました。
写真の整理をし続けるために、なんでもいいから食べ物を机に置き、それを出来るだけゆっくり食べました。
なんか体に悪そうです・・・。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年2月11日の日誌です。

洗濯をしましたが、来客があったので、干したのは午後6時になってしまいました。

午後2時、会員のHさんが来ました。いわきの人で、船引の親族の家に立ち寄ったついでに訪問したそうです。
昨年10月10日にも都路にいらした人です。その時は私は留守でした・・・。
お米と白出汁と佃煮を頂きました。大変有難く頂戴します。
お茶とチョコレートをお出ししました。
簡単に体育館を案内しました。
公民館前駐車場には、大宮ナンバーと長岡ナンバーの車がありました。
南相馬に行った時、Nさんが「作業員は全国から来ているようだ」と言っていたのを思い出しました。

夕食は、蕎麦、鍋、でした。
冬に食べる蕎麦が旬らしいと聞きました。ただ、自宅で茹でるレベルの蕎麦ですので、そんなことを気にすべきではないです。

(転載終わり)

Hさま、頂きました佃煮は、大変美味しく頂戴いたしました。
もう一個の方は、先生がお好きだと思うので、仕事場に持って行って食べるんじゃないかな・・・と思います。