重たい掲示板

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渡邉隆史 投稿日:2012/07/27 00:31

【912】[1028]甲野善紀氏と 野口裕之氏

話ついでに書くと甲野善紀氏がTwitterでもしばしば言及して、身体観についても大きな影響をうけていると考えられる身体教育研究所の野口裕之さんという方がいます。

彼は近衛文麿の孫で細川護煕元首相のいとこにあたるそうです。

戦前の空手家、柔道家と権力者のつながりには、なにか不思議なものがありますが、こうやってぐっとインナーの世界と結びついてくるのが興味深いものです。

吉見 おさむ 投稿日:2012/07/27 00:23

【911】[1027]福島本部活動日誌です91

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年5月25日~28日の日誌です。

Uさんのお誘いで、25日から28日まで、主に秋葉原に居ました。
所用を済ませる・・・筈が、遊びに行った様なものになってしまいました。

25日午前7時発のバスで船引に向かい、磐越東線で郡山駅に行きました。
バスからは、常葉町の小学校に通学する小学生の列が見えました。

この時は、郡山駅から出ている、王子、池袋、新宿行きの高速バスに乗ろうと思っていました。(一度乗ってみようと前々から思っていました。)
ですが、残念ながら次のバスでは集合時間に間に合わないことが分り、新幹線を使って秋葉原駅に行きました。
なお、新幹線売り場に入った後、「修造思考」というタイトルの本が郡山駅の本屋にあることを発見し、妙な購買意欲をそそられました。
(後で細かく調べてみましたが、高速バスは鈍行列車とほぼ同じ時間かかります。都路から都心に出るのに、6時間強です。
ただ、王子駅を午後9時35分に出て、午前1時に郡山駅に着くバスがあります。これは便利なので、後で利用しようと思います。)
秋葉原駅では「ふくしま応援産直フェア」をやっていましたが、閑古鳥が鳴いていました。

なお、↓の地図では、「福島第一原発から20km圏内のほとんどは車で通行出来ない」ということが首都圏の人に伝わらないのではないか、と少し心配してしまいました。

今でも、20kmのほとんどは車での通行が出来ない事を知らないでやってくる車があります。その車の運転手は、大体は「南相馬ってどうやって行くんですか?」という質問をしてきます。
時々「川内ってどうやって行くの?」と聞いてくる人がいる位です。

秋葉原で所用を済ませた後、Uさんとヨドバシカメラ前で合流しました。
ゲーセン、ソフマップ、メロンブックス、とらのあな、メイド喫茶、等々を回りました。
Uさんから、ちゃんとしたメイド喫茶を教えて貰って、大変嬉しかったです。
普通に飯を食べて1000円でした。近所にあるロイヤルホストやジョナサンより安かったのに、「フツーに美味しかった」です。

ソフマップは、エロゲーの集中発売日だったのですが、余り長い列にはなっていないようでした。1時間待ち位で買えると思います。(凄い時は、一階まで列が出来ることがあります。)

K-BOOKSが、カントク(という絵師さん)の絵で、AKB48関連のグッズを宣伝していました。なんか微妙な気分でした・・・。

午後9時、Zさんと合流し、豚しゃぶを食べました。
午後11時から26日午前3時まで、3人で、東方のコスプレをしている居酒屋?に行き、酒を飲んでいました。
(↑なんのことだかわからない・・・と思われますが、実は私も、東方は詳しくないので、上手く説明できません・・・。)
その後、ネットカフェに泊まりました。

26日10時、唐突に「昨日買った同人誌の中に『生クリームびより』というサークルが書いたのがあったっけな・・・」と思い出しました。
秋葉原にあるスーパーに行って、生クリームを使っている半額の菓子類を451円分購入し、食べました。(なお、24時間営業の、結構便利なスーパーです。)
朝から腹に重い、最悪の朝食でした。放射性物質より明らかに体に悪いと思われます。吐きそうになりました。

午前11時半、Zさんと秋葉原駅前で合流しました。

12時に、Uさん、Uさんのご友人、Zさん、とで、池袋の通称乙女ロードに行きました。
そして、昼食を食べた後、Uさんのご友人に案内してもらいました。
やっぱり腐女子の人達の方が男共より気合が入っていて、素晴らしかったです。

執事喫茶という所に行ってみたのですが、完全に予約等も満席でした。

コスプレの専門店に行きました。なんといいますか、圧倒されました。
ただ、中国だとほぼ全てこういったものも自作だそうです・・・。

店内に、私立大学が開いた合同説明会の袋を持った女学生が2人居ました。

立教大学での説明会に立ち寄った帰りでしょうか。
是非に彼女たちには、立派な腐女子になって頂きたいものです。
私も腐って腐男子になりたいです。

K-BOOKS同人館に行きました。
最高でした。秋葉原のK-BOOKS以上の人の密度と熱気でした。
ここが宇宙の中心だと思います。


(←写真より人口密度が高い感じです)

池袋の同人誌を置いてある別の店に行きました。ここも凄かったです。
私たち以外にも男が2人居ました。

池袋K-BOOKSの割と普通(?)の品が置いてある店に逝きました。
↓の写真のような商品を買って都路で10枚ほど飾っておいたら、窃盗団はおろか地元の人も誰も近づかない魔境が完成すると思われます。なお、この抱き枕は16000円します。


↓の様な場所を作りたい・・・という願望が少しだけあります・・・。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7635447

秋葉原に戻りました。
秋葉原UDX(というビル)の地下駐車場には、痛車が多数停めてありました。

ゲームセンターに行って、4人でUFOキャッチャーをしました。
先日観た映画のフィギュアが3個取れました。

秋葉原の居酒屋で夕食になりました。
Uさんとご友人には大変お世話になりました。
またコミケなどで会う約束をして別れました。
その後、Zさんとカラオケをする予定だったのですが、満席でした・・・。
止むを得ず、そのまま別れました・・・。

午後9時26分、ネットカフェに入りました。
27日はビッグサイトで同人イベントがあるので、店内が混雑していました。

なお、寝ている時に、隣の人が飛ばしたジュースの飛沫が顔にかかりました。

27日、東京ビッグサイトで開催されていた同人イベントに行ってきました。
「博麗神社例大祭」という東方プロジェクトの二次創作限定の同人イベントです。
(←と書いても、意味がわからないかもしれませんので、
http://dic.nicovideo.jp/a/博麗神社例大祭
をごらん下さい。)

コミケ同様に、入場待機列が消えるのは正午くらいだと聞いていましたので、最初から並ぶのは諦めました。
横から列を眺めていました。
早期来場が禁止されている分、コミケほど殺伐としてはいませんでしたが、それでも待機列は長いです。
(←会場内に出来ている列です)
(←ビッグサイトの階段上から撮った、列の写真です)
(←ホテルから撮った、正午前の写真です。まだ列が入場しきっていません)
外国から来ている人が時折見えました。例大祭にまで来るとは、気合が入っています・・・。

午後1時くらいの場内は、まあまあ人が居ました。

ビッグサイト最寄のホテルのバイキングで昼食をとりました。(ここしか食べられるところはなさそうでした)
入場整理のスタッフ達6人もここで食事を取っていました。

12時ごろに、イベントで戦利品を購入した人が食べに来ました。

会場内は、午後の終わりかけということもあり、空いていました。少なくとも、コミケ開始直後のような、気をつけていないと怪我をする、というものではありませんでした。

コスプレについては、コスプレをしている人よりも、撮影している人の方が私には魅力的に見えてしまいます。



企業ブースの方に、東方限定のフィギュアが置いてありました。
私はフィギュアはよくわからないのですが、「恋思のグルメ」という同人パロディ漫画に出てきたキャラのフィギュアだけは、妙に欲しくなりました。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51098466.html

秋葉原に戻り、とらのあなとメロンブックスに行きました。先程の「博麗神社例大祭」の新刊が既に置いてありました。



午後9時50分まで秋葉原の人通りを観察していました。
コミケ開催時と同様に、カートを引いている人が多かったです。

22時にネットカフェに入りました。昨日とは変わって、店内に誰も客がいませんでした。

5月28日、午前10時にとらのあなに行ってみました。
開店直後のとらのあな5階は、既に10人以上の人がいました。昨日のイベントでの新刊を求めて来た人達だと思います。

昨日のイベント直後なのに、凄い行動力のある人達です。

12時から午後6時までかけて、秋葉原から都路へ戻りました。
磐越東線の待ち時間が1時間15分ほどありました。ですので、新幹線を使っても所要時間は余り変わらないです。
帰りのバスの中で運転手から
「都路の住民が郡山の病院に通うのは、一日がかりになってしまう。葛尾方面の移住者とかはそう」
「(道の途中で)あそことここの家が移住者で・・・」
「自分は東京に17年居たけど、戻ってこなきゃ良かったかも」
「戻ってくる人は、年寄りかと思ったら、年寄りも病院の関係で戻ってこない」
と聞きました。

事務所に戻ってみると、電気がつきませんでした。
1時間ほど試行錯誤して、つくようになりました。
おそらくは、配電盤のブレーカが、変な状態になっていたことによるものだと思われます。
冷蔵庫と冷凍庫の中身が心配です・・・。
余り長期間外に出かけたくないのは、こういった事情もあります。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年5月29日~6月6日の日誌です。

東京から帰った後、風邪のウイルスを貰ってきてしまいました。
加えて、体の免疫機能が落ちて、首の辺りに大きな腫れ物が出来てしまいました。
頭の近くに出来たので、体が弱ったままにも関わらず、変に高いテンションになりがちで、少し危険でした。
いずれにしても、左手の指先が十分に動かなかったので、日誌を書けませんでした。
6月6日、やや快復しました。(と思って、草刈りなどをして、はしゃいだら、また変になりそうです。静かにしています・・・。)

5月30日、Yさんの奥さんに、かわうちの湯に連れて行って貰いました。
サウナに入って風邪の症状は緩和された・・・のだと思いたいです。

6月1日、電気代27185円を振り込みました。

6月2日、中矢伸一さんの東北地方応援講演会に参加してきました。
7時のバスと8時2分の電車で郡山に行って、630円の朝食を食べました。
郡山駅前ではイベントが開かれていました。


山形県寒河江市のスペースが一番目立つ所にありました。避難者を受け入れた事などへのお礼なのでしょうか。

14時半から中矢さんの講演が始まりました。
最後に初音ミク(という音楽ソフトのイメージキャラhttp://dic.nicovideo.jp/a/初音ミク)についての映像で終わったのは、時代の最先端に追いつこうとしていて、凄いことだと思います。
中矢さんは「会員3600人のうち福島県在住の人が50人いて、その人達は無料にしたんだけど、関東からの人を含めて20人強しか集まらなかった。東京とかなら考えられないのだが・・・」と言っていました。
講演会終了後、懇親会、22時40分まで続いた2次会までお邪魔した後、ネットカフェに23時に入りました。

6月3日、8時1分の電車で船引駅に戻り、8時50分のバスで事務所に帰りました。
朝食は、駅で買った薄皮饅頭で済ませるしかありませんでした。
洗濯だけはした後、布団の中で横になりました。

6月4日、6月5日は、なるべく安静にしていました。
元気に感じるのに横になっていなければならないのは、結構辛いです。
外で雑草が再生したのを黙ってみているしかありませんでした。

野菜を食べる時、生でそのまま食べるか、油で炒めるか、どちらかで食べてばかりです。アスパラガスの素揚げが最高に美味しいです。
炒飯を作る時も、とあるエロゲで書かれた通り、卵とご飯だけで作るものが一番美味しいです。
・・・以上、料理下手の負け惜しみでした。

(転載終わり)

広島・西 投稿日:2012/07/26 21:09

【910】[1026]子宮頸がんは性病?

「子宮頸がんは性病」というと、なっちゃった人はさぞかし『あれ』(注:群馬の温泉に由美子さんと一緒に浸かっていた婆様の言い方を借りた)がお盛んだった、、、という風にも取れますが、そんなことも無いようですよ。
そもそも子宮頸がんを引き起こすと“される”ヒトパピロマウィルス=HPVは、『あれ』の経験のある人の8割は感染しており、その内の9割程度は自然治癒するとのこと。そんなに恐ろしいものではないということになります。だから確率的には、温泉の中で『アレ』を連発していた婆さまもきっと一度は感染してるはず、、、。他人事じゃないですよ!
発病したら性病で、感染したけど発症しなかったら性病じゃない!?
それに、自然治癒しなかった1割の人の中にも、ウィルス感染だけで済んで、頸癌にまで至らない人も居ることになりますよね?

子宮頸がんの細胞の中に、HPVを見つけたということで、1970年代にどっかのオジサンがノーベル賞を取ったと聞きました。ですが、これってHPV感染→頸癌発生という因果関係という形で確定しているのでしょうか?相関関係はあることは門外漢ではない私にもわかる、でも本当に因果関係なんでしょうかね?専門家の方、教えて下さい。
「そうかもしれない」程度の話で、税金使ってワクチン打たれたらかないませんわ。
何でもアメリカでは男児にも推奨し始められたとか、、、。
この論調が輸入されたら、また税金が足りなくなりそうです。

 それに、最近、リスクが高くないものまで病気のレッテルを貼られ始めたのが気になります。ついに普通の禿(つまり病的でないヤツ)まで病気にされてしまって、「お医者さんに相談だ~♪」だって。
今後は出べそとか、眉毛が長いとか、あらゆることが病気にされてしまいそうです。
本当にあれもこれも病気ってことで良いんでしょうかね?

ところで。甲野善紀氏の話が出てきたので、ちょっと嬉しくなって出てきたのでした。
たまに稽古会に参加して、訳の分からない動きに驚嘆の唸り声をあげています。
この人の動きも、これまでのスポーツ科学の世界では「あり得ない」動きなんだそうです。で、「あり得ない」という時点で話が終わってそれ以上進まない。
ところが、甲野先生曰く、ロボット工学の専門家が興味を持って調べ始めている、と。

 まとまらない話ですが、暑さのせいってことでご容赦下さい。でも世の中の「前提」とされることが真なのかどうか、気になる私です。

松尾 雄治 投稿日:2012/07/26 08:35

【909】[1025]野村、渡部CEOが辞任へ 増資インサイダー問題で

松尾雄治です。

日経電子版から転載します。

(転載はじめ)

野村、渡部CEOが辞任へ 増資インサイダー問題で

2012/7/26 2:30

 野村ホールディングスは中核子会社の野村証券で営業社員らが企業の未公表の増資情報を顧客投資家に伝えていた問題の責任を取り、渡部賢一グループ最高経営責任者(CEO)が辞任する方針を固めたもようだ。近く発表する見通し。同氏の報酬の5割を6カ月間カットすることを決めているが、職を退くことで責任の所在を明確にし、信頼の回復につなげる。

 渡部CEOは再発防止策を発表した6月29日時点で「辞任の考えはない」と表明していた。しかし、政府が保有する日本たばこ産業(JT)株の売り出しの主幹事から外れたほか、9月に予定する日本航空の再上場でも、主幹事証券7社を統括する業務から除外されるなど、業績の面でも影響が広がりつつある。

 このため、信頼を取り戻すためには、トップ辞任でけじめを付けることが避けられないと判断したとみられる。

 野村では、2010年に引受主幹事を務めた国際石油開発帝石やみずほフィナンシャルグループ、東京電力の大型増資に絡み、営業社員が顧客の投資家に未公表のインサイダー情報を伝えていた。証券取引等監視委員会の調査で発覚し、外部の弁護士による調査の結果、社内では公表前の公募増資情報の取得が半ば恒常的に行われていたことが認定された。

 これを受けて野村は、情報の伝達元となった機関投資家向け営業を担当する部署の廃止や、同営業の5日間の営業自粛、渡部CEOの報酬カットなどを発表。野村では引き続き社内調査を進め、他にも不適切な情報伝達がなかったかどうかを調査し、近く公表する。

(転載終わり)

松尾雄治 拝

川端優美子 投稿日:2012/07/25 20:06

【908】[1024]「武田ナントカのブログは、ホント罪だと思う」 副島隆彦×武田邦彦『原発事故、放射能、ケンカ対談』を読んで安心したという 小西真奈美をぐっとかわいらしく、感じ良くした 賢明な二児の母

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

こないだ、家を建てたという、わたしの兄の友達の、その家を見せてもらいに行ってきた。白い壁に深緑色の屋根。「グリーン・ゲイブルズへようこそ」と、兄の友達が迎えてくれた。

兄の友達と奥さん、3歳の女の子、1歳数ヶ月の男の子、そしてわたしの5人でおしゃべりした。お兄ちゃん元気?夏は帰って来るんかい?といった話から始まって、そのうち副島先生の話になった。奥さんが『原発事故、放射能、ケンカ対談』を読んだという話を、前に兄から聞いていたので、詳しく感想を聞くことにした。最初に皆さんにお伝えしておきたいのは、この奥さんは、小西真奈美をぐっとかわいらしく、感じ良くした人だ、ということです。

○まず、武田ナントカの顔がうさんくさい。30歳過ぎたら、人生が顔に出る。

○『原発事故、放射能、ケンカ対談』を読んで、副島さんの言っていることに勇気付けられた。原発事故当時は下の子を妊娠中だったし、とても不安で、何を信じていいか迷っていた時だった。『ケンカ対談』を読んで、むやみに心配するのは止めよう、と思った。

○ 副島さんは、原発まで行っている(ゆみこ:しかも2011年3月19日にね)。原発まで行った人の言うことだから、信用できる。

○テレビ番組で、東京、福島、北海道、九州の家庭にある食べ物の放射能測定をして、数値を比較するというのをやっていた。結果は、どの地方の食べ物からも少しずつ放射能が出た。東京のサンプルの家庭は、放射能をすごく気にして、福島から遠い地方から取り寄せた食べ物を食べていた家だった。この番組を見て、「遠くから食べ物を取り寄せたりしても、しょうがない」と思った。

○その番組のことを武田ナントカがブログで取り上げていて、その内容が、「テレビはウソをつく、放射能を気にするほうが悪いと思わせるような放送の仕方だった」というものだった。でも、わたし(小西真奈美似の奥さん)はその番組を見ていたが、そんな言い方はしていなかった。「やっぱり武田ナントカは、放射能が危ない、と煽(あお)っている」と思ったので、「巻き込まれないようにしよう」と思った。

○その後、ゆみこさんが『放射能のタブー』に書いている(ゆみこ:まだ読んでない人は買ってね。うふ。)ということを知って、「ゆみこさんが信頼している先生なら、大丈夫だ」と思った。(ゆみこ:あら、わたしって、信用があるのね。)

奥さんは静かに憤(いきどお)って、「武田ナントカのブログは、ホント罪だと思う・・・」と言いました。原発事故が無くても、親はいつも「子どもに何かあったら(風邪とか交通事故とか)」と心配なのに、武田はさらに、少しの放射能であんなに騒いで、母親たちを不安にさせている、と。

わたしたちが話している間、3歳の女の子は折り紙をぐちゃっと折って、「これ、おうちの人に、持って帰って」と言いながら、わたしに渡していました。途中から「まめ本を作って」と言うので、「よっしゃ、おばちゃんにまかしとき!」と折り紙でまめ本を作り、「まめ本」と書きながら、「それでさあ・・・」と大人どうしで喋る。下の男の子はまだ自分で立てない時期で、後ろから椅子の背につかまり立ちして、がくがくとスクワットをしていた。もうすぐ自分でたっちできるね。 よい休日でした。

川端優美子 投稿日:2012/07/24 19:37

【907】[1023]「子宮頸がんは性病」というのは、ばーちゃんも言ってました。

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

【[1021]子宮頸ガンは性病】の石川満章さんへ、

そうらしいですね。露天風呂でおばあさんも言ってました。「子宮頸がんっつうのは、アレをしなきゃあ、ならないんだって」と。あんまり何度も言うので、おばさんが、「アレってなんだい、アレってさあ」と笑っていました。(このおばさんは「若い人がいるから、あんまりこういう話しちゃあ、あれだいね」と気を遣ってくれる、いい人です。)

その、「アレ」を連発していたおばあさんが、最近は性交渉を持つ年齢がどんどん下がっていて、小学生や中学生が「まだなんかい」と言い合っている、とか言うので、わたしは「ええっっ!!」と悲鳴みたいなのを上げてしまった。でもよく聞いていたら、テレビでそういうことを言ってるんだ、ということで、わたしは「なんだ、テレビか」と思いました。

そういえば、わたしが大学生で東京に行ったころ、「田舎のコのほうが性交渉を持つ年齢が低い」と、事情通みたいな友達が言っていました(どうやって調べたんかね、でも次の話は、ありそうな話だいね)。それは、雑誌やなんかで「東京では、高校生はみんな経験済み」みたいなことが書いてあって、それを真に受けた田舎のコが、遅れてはいけない、となってしまう、ということでした。

だめだよ、ばーちゃん、テレビを真に受けちゃあ。まーず、テレビや雑誌はどーしよーもないやね。電通だろ!

田中進二郎 投稿日:2012/07/23 06:32

【906】[1022]鎌倉仏教のなぞを解く

鎌倉仏教の謎を解く  第7回
前回までは自由に書かせて頂きましたが、このペースでやっていくと収拾がつかなくなり、読者諸兄にも失礼に当たりますので、大体以下の論点にしぼっていきたいと思います。

ポイントその1 慈円の「愚管抄」が、他の歴史書とどういう点で異なるのか?予言する未来記としての歴史書。東アジアに広がっていた「想像の共同体」について。
ポイントその2 比叡山の仏教(最澄)の真の伝統と法然の選択念仏(せんちゃくねんぶつ)の違い・・・聖俗一如の最澄(慈円もその継承者)と往相・還相浄土の法然・親鸞の浄土門。親鸞の教えは日本のプロテスタンティズム(梅原猛氏)か、それとも日本の唯名論(吉本隆明氏)か?
ポイントその3・・・政治家慈円と宗教家親鸞の決別。親鸞の前半生の謎を解く。
          政治と芸術と宗教が交叉する一点。親鸞の悪人正機の起源についての仮説。浄土真宗が認めたがらない諸諸の点。
ポイントその4・・・頼朝から実朝へ・・・鎌倉将軍の宗教的霊威の没落。頼朝の公武合体策はいかにして失敗したか。

(以下本文です。)
奈良国立博物館で「頼朝と重源(東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆)」という特別展が始まったので、早速休日を利用して見て参りました。鎌倉仏教史のなかでも重要な出来事のひとつが、1195年の東大寺再建の供養式(のあたり)であると私は考えていますので、ちょうどいいタイミングだなと思い、行ってきました。伝・源頼朝の肖像画(一番有名なやつです。)、や重源の彫像をはじめとした、東大寺再建に重要な役割を果たした人物たちの肖像画のほか、再建に関する記事が書かれた古文書群(九条兼実の「玉葉」、東大寺所蔵の文書群)などが展示されており、見た甲斐がありました。(特別展は9/17まで)

ただ、予想した通り、大檀越(だいだんおつ、寺社に莫大な寄進をおこなった檀家さん)と呼ばれた源頼朝であるが、その莫大な東大寺への寄進はどうして可能だったのか、言い換えれば金はどこから出たのかということ、これについてはほとんど説明がなかった。

史実は頼朝が1185年に東大寺大仏の金めっき代として1000両出していたのに対し、奥州藤原氏の秀衡(ひでひら 三代目)は金5000両を寄進している。ここまでは秀衡にも余裕があった。しかし、平家が壇ノ浦で滅んでしまうと、西の脅威がなくなったため、頼朝率いる関東武士団と奥州藤原氏の軍事力の均衡は崩れる。秀衡は翌年からの京都への貢納は頼朝を経由することを約することに同意せざるをえなくなる。さらに秀衡が病死して、1189年頼朝は奥州征伐を行う。平泉は、焼け野原となったが、それでも残された奥州藤原氏の財宝の多さに、頼朝は驚嘆するほどだった。これらの戦利品や、新たに任命された幕府御家人の東北経営によってあがった利益から、東大寺の再建の費用はまかなわれたのである。
(本郷恵子著「京・鎌倉二つの王権」小学館 p154を参考にした)

これはただの余談なんですが、福島県いわき市に白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)というのがありますね。(今年の福島合宿の時にバスは素通りしましたが・・)あれは奥州藤原氏の初代清衡の娘が建てさせたものだそうですが、白水というのは一字で書くと、「泉」になりますね。それといわき市の中心は平(たいら)という名前がついてますが、合体させると、「平泉」になるというのです。昔のテレビ番組の「トリヴィアの泉」の「へえ~」のレベルのことですが。

一方、「大勧進聖」(だいかんじんひじり)と呼ばれた重源(ちょうげん 1121~1206)の集金術については、天才詐欺師のような側面もあるし、いやそれは宗教的カリスマなのだという見方も成り立つ、つまり両義的だと私は思う。
特別展に展示されていた、重源が勧進(寄付をつのる活動)に用いた小道具群=漆塗りのひしゃく・杖、鉦鼓(どらのような小鐘)、仏舎利(釈迦の遺骨)を入れる水晶でできた容器などを見ていると、やはり「魔術の中世」という言葉もあながち死語とはいえないな、と感じた。重源は大嘘も交えた説法をやって、ひょいと漆塗りのひしゃくを民衆の前に突き出したのだ。これで成功した。また、自分の弟子を伊勢神宮や四天王寺に送り、仏舎利などを盗みださせるようなことも行った。けれども民衆は彼を崇拝していたのだ。彼が死んだときには、重源の形見の小道具に取りすがって、泣くものが続出したという。

頼朝と重源、この二人は1195年東大寺供養式で邂逅(かいこう、出会うこと)するのだが、
ここで法然が一役買っている。供養式の直前、重源が突然行方をくらましてしまうのである。頼朝は困ってしまった。彼がいなければ、頼朝の面子は丸つぶれとなってしまう。そこで法然に使いを立てた。法然には心当たりがあったので、京の四条河原を探させた。するとそこの河原にすむ乞食たちの群れの中に、重源はいた。(寺内大吉著「法然讃歌」中公新書)こうして供養式はあいにくの雨であったが、数万の鎌倉武士たちの護衛のもと成功裡に終わった。
(めくらの平景清による頼朝暗殺未遂事件もあったようだが。)
兼実は日記「玉葉」で「雨にずぶぬれになっても、まったくものともせずに護衛をつづける武士たちとはいったいなんとたくましい人々なんだ。武士が貴族よりも劣っているという見方を改めなければならないぞ。」という趣旨の感想を残している。

慈円もこのときに頼朝と会談したということである。二人は初対面であるにもかかわらず、百年の知己であるかのように、互いを理解しあった。(「慈円」吉川弘文堂より)
慈円も頼朝も東西の本当の政治、宗教の指導者としてお互いを認めあっていたのだろう。後白河法皇なんていうのは、予想外に天皇の位についた人間であり、付け焼刃的な政治能力しか持ち合わせていなかった。後白河のせいでずいぶんとわれわれは煮え湯を飲まされてきた。けれども本当に政(まつりごと)が何であるかということを深く知っているのは、われわれ二人だけだという、暗黙の了解があったものと思われる。

しかし二人の間で義経のことは話題になっただろうか?私はおそらく話題にならなかっただろうと思うのだ。義経を追捕せよという命令を頼朝は出した。九条兼実も義経が京中に潜伏していないか捜索を厳しくした。慈円も比叡山で形としては捜索を行わせただろう。
そして義経を裏で手を回して、奥州に落ち延びさせる協力をした。
頼朝もうっすらとそのことに気づいていたかもしれない。けれども「もうすんだことだ、そのことで慈円を責めまい。長く源氏を守ってくれていたのだから。」と思ったであろう。
私の頼朝と慈円の人間像はこのようなものである。
田中進二郎拝

石川 満章 投稿日:2012/07/22 22:06

【905】[1021]子宮頸ガンは性病

 会員番号1602番の石川と申します。
もとより疑り深い性格でしたが、副島先生の著作と出会い、正しいものの見方が出来る様になりました。今後ともよろしくお願いします。

 川端さんと同じく、私も子宮頸ガンワクチンのブームには疑念を感じています。
 いろいろと言いたいことはありますが、ひとつだけ。子宮頸ガンは性感染症なのに、それがメディアで言われないのは何故だろう?ということです。
 子宮頸ガンを性感染症と言うと、
「そんなことは無い!性交でなくても感染する!差別だ!」
と反論されるでしょう。けれど、ごくわずかの例外にとらわれていると、ものごとを見誤ります。
 子宮頸ガンの予防には、他の性病と同じく、ちゃんとコンドームを使うよう教育する、など他の有効な手段もあります。それなしに、いきなり義務化(税金投入)に向かうのはおかしいです。

 ワクチンを使えば100%予防できるガンということばかり強調されるので、一般の人の食いつきがいいですが、それに投じる税金とその効果を冷徹に評価しないと、いくら納税しても足らなくなるのですが。賛成派の皆さんは自分が払うとは思っていないのでしょうねぇ。

吉田祐二 投稿日:2012/07/20 23:05

【904】[1020]カラダを鍛えるための本。古武術研究家・甲野善紀(こうのよしのり)を中心とする「武道系」の身体鍛練法を紹介する。

吉田祐二です。ぼやきに載せるほどのものではないのでこちらに載せます。

盛夏となりました。冷房で身体を冷やし過ぎて体調を崩すひとが多いようですので、ご注意ください。ここでは、カラダに関する本、特に身体を鍛えるための本を紹介しようと思います。

副島隆彦先生が講演でよく言うセリフのひとつに、「貧乏だが才能ある若いひとたちを助けることが学問道場の存在意義である」というのがあります。最近ではそのあとに「しかし、彼らももう若者ではなくおじさんだ」と続きます。 たしかに、私やアルルさんこと中田安彦や、囲む会代表の須藤喜直も気がつけば30代後半、四十路(よそじ)に手が届こうとしている。

もう言葉として古くなっているが、30代後半から40代前半を指す言葉に「アラフォー」という言葉がある。約40歳ということでアラウンド・フォーティー around 40 の略なのだそうだが、日本語圏以外ではまったく通じない、おかしな和製英語である。英語では30代はサーティーズ thirties 40代はフォーティーズ forties で、それぞれ30’s / 40’s と書く。35~44歳のような言い方は無い。それはともかく、35歳を過ぎると急に体調がおかしくなってくるのは確かなようだ。

私の場合では、20代からほとんど変わらなかった体重が5~6kg増えてきた。健康診断をすればどこかしら基準値に対して引っ掛かるようになった。そのような訳で、必要に迫られて2年ほど前から体調を改善するように努めることになったのである。私の場合は近所にあった加圧トレーニングジムとボクシングジムに通うようになって、身体も絞れてきて健診結果も良好になった。

●武道家・甲野善紀

身体を鍛えるというと、いかにも頭を使わない行為であると一般的には思われている。「体育(会)系」といえば、脳みそが筋肉でできているような、何も考えない人たちをイメージするようになった。特に文化系、さらには自称知識人のような人種は皆そう思っている。かくいう私が最もそう思ってきた。しかし、実際に自分でいろいろと体を動かしてみると、なかなか単純ではないというか奥深いことが分かってきた。

身体の動作を、極めてまじめに、そして日本古来の武道をベースにして思索したひとに甲野善紀(こうのよしのり)という人がいる。普段から和服を着て、日本刀をさげている、一見してあやしいひとである。著作も数十冊出しており、NHKではテレビ講座も務めたことがあるため、すでにご存じの方もいるだろう。

甲野善紀の著作(および映像)を読むと、人間の身体というのは単純な力学では解明できない複雑なものだということが分かる。現在は、スポーツなどの身体運動を科学的に測定して分析することが主流で、「スポーツ力学」なるものが大学でも講義されているらしい。しかし、甲野によれば、そのような単純な力学では身体の動きを理解することが出来ないという。

●「古武術」の提唱

甲野が提唱するのが「古武術」である。空手のように大会が開かれている武道や柔道のようにオリンピック種目にまでなっている武道とは異なり、甲野は古(いにしえ)の武道書を研究している。たとえば江戸初期の剣術伝書『願流剣術物語』に、立ち方は「薄氷を踏む如し」とあることを重視する。現在の剣道では思い切り足を蹴って踏み込むように教えられるが、昔の剣術ではそれとは逆だ。それはなぜか? 甲野によれば、昔の武術の動きは現在の動きとは根本的に異なっており、足で蹴るのではなく体ごと重心を移動させることにより素早く移動していたという。

こうした「身体動作」はいくら説明されても、なかなか頭では理解できるものではない。映像で見るか、実際にデモンストレートしてみるのが一番だ。甲野には映像作品もいくつかあるが、『甲野善紀身体操作術』(アップリンク)はドキュメンタリー的な手法で甲野を紹介している。YouTubeにも紹介映像があるので参照されたい。

http://youtu.be/uWgoJX-l3ZY

しかし、甲野のいう「古武術」は、世間一般で言われている古武術とも異なることに注意しなければならない。一般的な古武術とは、もはや組稽古(くみげいこ)などもせず、古来から伝わっている「型」だけを後生大事に伝えているだけの、形式的なものが多い。甲野の述べる古武術とは、前述した通り古来の武道伝書などから甲野がヒントを得て、我流で再構成したものである。だから甲野は自分のやっていることを「創作武術」であるという言い方をしている。

●他のスポーツへの応用

甲野は古武術をベースにした身体操法を、他のスポーツに応用できるかを研究している。なかでも有名なのが、巨人の桑田真澄投手が甲野の教えを受けたことであろう。 全盛期を過ぎた桑田が、甲野の教えを受けた2002年にもう一度防御率のタイトルに返り咲いたという。このことはスポーツ紙などでは大きく報じられ、甲野の名前が広がる結果となった。

前掲のDVD『甲野善紀身体操作術』には、各地から講師として招かれた甲野の様子を映している。大学のアメフト部へ教えに行った甲野は、自分より倍以上の体格の者を簡単に押し倒し、まわりを唖然とさせている。そのような、マンガのような世界が本当にあるのである。

私自身も「ウソだろう」と思って、実際に確かめてみることにした。甲野善紀に影響を受けたひとが、自主的に「弟子」として各地で活動している。私の住む名古屋地区でも山口潤という人が甲野の教えを広めつつ、自らの研究会を主宰している。(詳細は山口潤公式サイト カラダラボwww.karadalab.com/ を参照のこと)

そこで私自身いくつか甲野の「技」を練習したのだが、少し練習すると出来るようになるものである。たとえば、甲野があみだした「浪之下」(なみのした)という技がある。これは、相手に腕をつかまれた状態から、自分の腕を下に向けることで相手の大勢を崩す技である。『古武術で蘇えるカラダ』(宝島社)などで図解で解説されているが、以下の動画でも見ることが出来る。

http://youtu.be/YsVvgOyjQIg

ふつうにやってみても、相手の体勢はなかなか崩れないのだが、自分の体重を一斉にかけるようにすると力を一気にかけることができ、相手の体勢が崩れるのである。
これは不思議な体験だ。自転車の練習のように、何回もやってみるとだんだんと「コツ」が分かってくるのだが、自転車と違うのは必ず毎回できるようにはならないということで、だから武道でも「練習」が必要なのである。

人間の身体の使い方というのは奥が深いらしい。それは、学校の体力測定のような、単純なモノサシでは測れない、精妙な動きなのである。

甲野はそのほかにも、介護の領域でも業績がある。介護の現場というのは体力仕事で、老人の体を抱え上げて移動させて下(しも)の世話などをする。そこではどんなに屈強な若者でもすぐに体を壊してしまうらしい。そこで、甲野は体に負担のかからない力の入れ方を、求めに応じて講習会の場でアドリブでいくつか考え出した。甲野の教えを受けた岡田慎一郎という方が「古武術介護」というジャンルを作り出し、現在普及中である。岡田慎一郎『古武術介護塾―日々の介護がラクになる!!』(スキージャーナル社)などを参照されたい。

●「体育」とは何か?

学校の体力測定とは異なる身体の使い方を甲野は模索しているのである。そのことがよく分かるのが甲野の初の著作となる『表の体育・裏の体育』である(1986年刊、現在はPHP文庫所収)。

甲野は一般的な、学校で習う体育を「表の体育」として、そうでない古来の武術的な身体操法を「裏の体育」と呼んでいる。
「裏の体育」の最たるものが、「丹田」(たんでん)である。丹田とはヘソの下三寸にあるという、カラダの中心とされていることである。ヨガの流行などで耳にすることが多くなったが、依然として通常の体育の授業ではまず聞かれない用語である。また、近代的なスポーツにおいても丹田という言葉が使用されることはまず無いといってよい。

「丹田」について徹底的に思索した人物が、明治期末から戦前にかけて活躍した肥田春充(ひだ はるみち、1883 – 1956)という人物である。

肥田は幼少から身体が弱く、強い身体にあこがれ、独自に健康法を生み出した。西欧の医学や東洋の武道からヒントを得た、「肥田式強健術」という一種の体操である。肥田は丹田を「聖中心」と呼び、丹田を中心とする身体の鍛練法を紹介する著作を発表して戦前期に一世を風靡したという。大川周明などの右翼と関係があり、政治的な影響力もあったようである。

この肥田春充に甲野は私淑(ししゅく)しており、『表の体育・裏の体育』は全編にわたって肥田の業績を紹介しているのである。つまり、「丹田」というキーワードを使用するかしないかで、現在主流の「科学的トレーニング」とあやしげな「武術」の違いが出てくることになる。しかし甲野はそうした武術にこそ、これから重要になってくる、未知なる身体の操作法があるのではないかと考え、自ら実験・実践しているのである。

●甲野善紀の思想

甲野がこのような武術研究家になるまでを、直截(ちょくさい)に語っている本に『武術を語る―身体を通じての学の原点』がある。原著は1987年刊だが、徳間文庫から2003年に再刊されている。この本のなかで、甲野はこれまでの軌跡を語っている。

内気な少年であった甲野は、動物を相手に暮らそうかと考え、東京農業大学の畜産科に入学するが、大学の畜産科は当然ながら現代食品産業に従事するための機関であるから、動物に対していかに効率的に食肉を供給できるかという、「文字通り血も涙もない搾取の現場だった」(20ページ)という。たとえば、飼料を有効に食肉に変換するために、運動を極度に制限したい。そのために翼のない鶏を作る研究をする、といった具合である。

現代の畜産業に嫌気がさした甲野は林学科に転身するが、畜産科時代に行った田舎の実習時に自然食や有機農法に目覚めたという。そうして、自然と人間のかかわり方を考えていくうちに、武道を始めようと決心したという。はじめは合気道を四年間、そのあとは剣道を習うことになる。剣道では鹿島神流という、国井道之が実質的に創設した流派で修業した。国井道之は現代の「達人」というべき傑物で、時代小説の眠狂四郎(柴田錬三郎の小説に登場する剣客)や、 中里介山『大菩薩峠』に登場する机竜之介のモデルになった人物と言われている。

武術に打ち込んだ甲野は30歳のときに自らの武術稽古研究会「松聲館」を創設するが、のちに解散している。いまはひとりで各地で講習会を開催したり、著述などの活動をしている。

甲野善紀とは何者なのか。一言でいえば、「武術オタク」なのである。古来の武術書を読み、それを自分で研究しているのである。そして甲野自身は「自分は最強である」というようなことは言っていない。人から聞いた話では、稽古で乱取りを挑まれて負けてしまうことも多いようである。しかし、甲野のスタンスはあくまでも「いち研究者」であり、自分の研究の結果分かったことを著作や稽古会などでオープンにしている姿勢は評価すべきだ。昔の武術家ならば、自分が分かったことを「秘伝」として、さも大事そうにしていただろう。こういうのは、本当は、ちょっとした「コツ」のようなものなので、それを繰り返し練習して身につくようにするのが「稽古」なのだ。

●養老孟司との出会い

ひたすら武術の研究に打ち込むひとは、現代では相当の変わり者であろう。その甲野が世に出るきっかけとなったのが、東大医学部解剖学者の養老孟司(ようろうたけし)である。養老はのちに『バカの壁』がベストセラーになるが、甲野と対談したときは養老も無名の存在であった。ふたりの対談『古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か』は光文社の新書(カッパ・サイエンス)として 1993年に刊行された。(のちに光文社文庫に収録)

甲野によると、武術家というあやしい人種が、世間に出られるようになったのは、東大教授の養老によるところが大きいという。この対談本は甲野にとって「名刺代わり」となったという。

養老の知遇を得た甲野は知名度もあがり、2003年にはNHK教育テレビ『人間講座』の講師として登場する。講義の内容は、DVD付きのムック本2冊にまとめられている。『甲野善紀古武術の技を生かす』(MC mook) と『古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる』(MC mook) だ。体系的に甲野を理解するのは必須の本である。

●高岡英夫の身体研究

以上、甲野善紀の武術系身体操作法の紹介をした。このように紹介すると、甲野だけが特殊なことを言っているのかと思われるかもしれない。しかし、甲野以外でも武術系または武術出身系の、身体に対して考えたひとがいる。

高岡英夫(たかおかひでお)は1948年生まれで東大教育学部、同大学院教育学研究科修了して運動科学総合研究所を主宰している。いわゆる運動科学を研究して、自身がかかわっていた武道を題材として研究をはじめたらしい。初期は『武道の科学化と格闘技の本質』(恵雅堂出版、1987年刊)のような、典型的な学者の悪文でつづった読みにくい本を出していたが、『意識のかたち』(講談社、1995年刊)のあたりから読みやすくなった。

高岡の業績は、「丹田」のようなあやしい概念を「身体意識」として理論化したことである。たとえば、ゴルフや野球などでは体の「軸」を意識しろと指導される。しかし、そんな「軸」のようなものは身体を解剖しても出てこない。背骨がそれに近いが、実際は背骨はS字型に湾曲しているので、「軸」というのは実体としては存在せず、「意識」として存在するのみである。

それならば、「丹田」もまた身体意識に過ぎない。高岡はこのように考えて、いわゆる「軸」を「センター」と呼び、「丹田」をさらに細分化させ「上丹田」「中丹田」「下丹田」として捉えなおす。そうした身体意識は高岡によれば大きくは7つ、細かくすると際限なく存在するのだという。そして、身体を鍛えるということは、すなわち、身体意識を鍛えることであるという結論に至るのである。たとえば『図解トレーニング 身体意識を鍛える』(青春出版社)などを参照のこと。

ここまでは私もなるほどなと思ったのだが、「意識」を研究領域にしてしまった高岡はさらにスピリチュアル系すれすれになるのである。上記のような「意識」を鍛えるためには、まずは身体をリラックスしなければならない、つまりは「ゆるむ」必要があるとのことで、高岡は「ゆる体操」なるものを考案する。そして、そのようにゆるめば万事うまく行くようなことを言いだすのである。

たとえば『仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド―「身体経営術」入門』(現代書林、2005年刊)や『頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング』(マキノ出版、2007年刊)のような、手にとるのを躊躇させるような本を書くようになるのである。

しかし、高岡の主著というべき『究極の身体』(講談社プラスアルファ文庫)などは、生物の進化の観点から、生物の運動の本質について論じている良書である。

●伊藤昇の「胴体力」

「胴体力」を提唱する伊藤昇(いとうのぼる)も紹介する必要がある。伊藤は人間の体の動きはすべて「胴体」によるので、手や足の末端を鍛えるのではなく、胴体を鍛えることを提案している。入門書として『気分爽快!身体革命』(BABジャパン、2005年刊)や詳細な技術書『天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』(BABジャパン、2006年刊)がある。

伊藤にはまた『スーパーボディを読む』(マガジンハウス)という本があって、バスケットボールのマイケル・ジョーダン、ゴルフのタイガー・ウッズ、そしてなんと歌舞伎役者の坂東玉三郎(ばんどうたまさぶろう)などについて論評している。伊藤によれば、彼らはいずれも身体の「達人」なのだそうで、身体の操作が実にすばらしいと絶賛している。

●身体の鍛え方

この他にも、身体を鍛えるための類書が数多く存在する。しかし、私の見る限り、上記の3名がもっとも深く身体について思索した人たちである。彼らの共通点は、いずれも「武道」をベースにしていることである。そして、現在の主流派である、競技スポーツに対して対抗意識をもっていることでも共通している。現在の、筋力トレーニングを主軸とした主流派の身体理論に対して、武術的な身体操法を対抗させてパラダイムの変換を迫ろうとしている。こうした潮流に対して、一応の理解を持っている必要がある。

いわゆる「文化系」の人間は身体を動かすことに嫌悪感があるものだ。私も身体を「動かさない」ことにかけては自信があったのだが、冒頭に記した理由の通り、必要に差し迫られて動かすことになった。

身体を鍛える、というと機械的な、退屈でしんどいだけのように思われるかもしれないが、どのようにすれば身体がより早く、より強く動かせるのかなどを考えながら、「研究」するようにすれば、だんだんと面白くなってくることが実感として分かるものである。少しカラダを鍛えるつもりが、私の生来(せいらい)の凝り性のため、いろいろと文献で調べてしまうことになった。身体を鍛えるために、こうしたアプローチを取るひとは決して多くはないだろう。しかし、これから身体を鍛えようと思っている方の参考になれば、少しは役に立ったことになる。

吉田祐二筆

川端優美子 投稿日:2012/07/20 21:31

【903】[1019]露天風呂の社交

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

今日はあんまり寒いんで、近所の温泉に行ってきたんよー。

露天風呂は声がよく通るんで、いっつも年寄りが集まって、話してるんさ。年寄りっつっても、今の年寄りは、まーず元気さねー。ずーっとくっちゃべってるよ。近所に店ができるとか、あそこに五軒、家が建つとかいう、身近な話から、いじめで自殺した中学生の話や、果ては国会中継の話まで、話題は豊富だいね。

あたしなんか、まだわけぇから、ときどき静かにうなずくだけで、隅のほうでおとなしくしてるんよー。でも、子宮頸がんワクチンの話が出たときに、思わず、「あれ、絶対おかしいですよ。製薬会社を儲けさせるためですよ。」って言ったんさ。そしたら、ばーちゃんたち、白けちゃってさあ。あれー、あたし、またやっちゃったんねー。