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Loginはこちら【987】[1116]エース交易の創業者が掘った墓穴
松尾雄治です。
FACTA Online 2012年11月号から転載します。
(貼り付け始め)
エース交易の創業者が掘った墓穴
ハゲタカに持ち株を高値で買い取らせ、7億円の借金を帳消しにする悪だくみが瓦解。
エース交易(ジャスダック上場)の創業者、榊原秀雄氏(81)が自己破産に追い込まれそうだ。
10月初め、同社の代表者が連名で、榊原氏が返済を怠った約7億円の一括返済を求める内容証明を送りつけたからだ。1週間以内に返さない場合、榊原氏が担保として差し入れたエース交易株(時価約5億円)と田園調布の一等地にある邸宅(時価約3億円)への担保権を行使する構えだ。榊原氏の自宅には、先に大手銀行が4億円強の根抵当権を設定しており、7億円全額の支払いはほとんど不可能。エース交易の「ゴッドファーザー」と崇められた創業者は窮地を抜け出せるか――。
発端は、前号(「ハゲタカの餌食」エース交易社長を解任)で報じたとおり、4月にエース交易が米投資会社タイガートラストグループと資本業務提携を結んだことに遡る。エースが発行する新株をタイガーが約8億円で買い取り、筆頭株主になるという合意のもと、タイガーはジョン・フー会長以下4人の取締役を送り込み、牧田栄次社長以下の生え抜き役員を制圧した。経営権を握った会長派は、タイガーの子会社の株式を、十分な資産査定をしないまま約16億円で買い取ることを要求。「特別背任の疑いがある」と抵抗する社長派と衝突した。
するとハゲタカの親玉、「エボリューション・キャピタル」のマイケル・ラーチ代表が来日し、榊原氏と結んだ「秘密契約」を暴露した。そこには、榊原氏が保有するエース株を時価の約3倍(1株当たり710円)で買い取る代わりに経営権を譲り渡し、エースがタイガーの子会社の株式を買い取る資金還流により、榊原氏の借金を帳消しにするスキームが描かれていた。
怒り心頭の「ハゲタカ」
9月6日、創業者と結託したハゲタカの策謀に怒った牧田社長が資本業務提携の解消と外部専門家による第三者調査委員会の設置を公表すると、フー会長が牧田社長の解職を発表するという稀に見る泥仕合となり、当局が事情聴取に乗り出した。
9月24日、エースは日米役員間に誤解があり「相互に謝罪した」と発表。牧田社長は再任され、外国人役員1名が辞任することにより、会長派と社長派の取締役を同数とする「手打ち」が成立した。とはいえ、食らいついたハゲタカがタダで引き下がるはずはないだろう。
ラーチ代表、フー会長は米プリンストン大学出身の俊英で、日本でのレピュテーション低下に怒り心頭だという。なぜなら、「借金塗(まみ)れの創業者の負債を帳消しにするスキームを持ち込んだのは、エースの前経営陣だった」(関係者)からだ。
エースを創業した榊原氏は47歳の若さで社長を退き、2010年に退任するまで32年にわたり会長の座にあった。その間、8人の社長のクビをすげ替え、有無を言わせぬ「ゴッドファーザー」として君臨した。95年に業界初の株式公開を果たし、巨万の富を手にした頃が絶頂期。榊原氏の持ち株は500万株を超え、その口癖は「会社は資本の論理」だった。
その榊原氏が借金地獄に落ちたのは00年頃。本人は否定するが「株と相場の失敗」(元役員)との見方がもっぱらだ。エースの子会社である興栄商事が、榊原氏の自宅に15億円の根抵当権を設定し、興栄商事から日栄興商なる榊原氏の個人会社に数千万円単位の貸し付けが繰り返され、貸付総額は7億円を超えた。その日栄興商の登記簿の目的には「有価証券の売買」「競走馬及び証券の投資業」とあり、その所在地は榊原氏の女性秘書の自宅というから、コンプライアンス不在も甚(はなは)だしい。
監査法人につつかれたエース前経営陣は、09年3月に榊原氏個人に新たに7億3千万円を貸し付け、興栄と日栄の貸借を解消させた。翌年、榊原氏の保有株と自宅に担保権を設定し、年間2400万円を返済させる契約を結んだ。しかし、この条件では、返済まで40年以上かかるため、当時79歳の榊原氏からの回収はほぼ不可能。おまけに、同年6月の取締役会で田中孝男前社長一任のもとで、榊原氏へ6億8千万円の退職慰労金の支給を決定し、取締役を退いた榊原氏に毎月300万円の相談役報酬を払うことも決めたが、懸案の7億円の借金の弁済を求めた形跡はない。この常識外れの顚末は、榊原氏がクビをすげ替えた8人目の社長、田中孝男氏(現顧問)と、経済産業省元審議官の石海行雄副社長(現特別顧問)が主導したという。監督官庁から天下った石海氏が果たした役割と責任が問われる。
前社長らの「特別背任」か
そして、「純資産が100億円もある会社の創業者が借金で困っている」と、タイガーにエース売却を持ちかけたのは、エースの子会社、アルバース証券の田原弘之社長とされる。榊原氏が身を乗り出し、ラーチ氏との間でエース株の高値買い取りと経営権譲渡をセットにした秘密契約が結ばれたのは5月中旬のことだった。
創業者とはいえ、取締役を退いた榊原氏には何の権限もない。ハゲタカと手を組み、己の借金を帳消しにする榊原氏の悪だくみを知りながら、資本業務提携を推し進めた田中社長と石海副社長には特別背任の疑いがかかる。二人は今年6月に揃って退任したが、田中氏は退職金の上乗せと顧問の座を得、石海氏も特別顧問に就任した。榊原氏の命令で厚遇が決まったという。
今年2月、エースの子会社であるマックスマネー・インベストメントに国税庁の税務調査が入り、桜沢(本名・川田)勝行社長が部下の業績給を上乗せし、会社に4千万円もの損害を与える横領事件が発覚した。外資系証券会社を渡り歩いた桜沢氏は榊原氏に気に入られ、エースの証券運用室長にスカウトされた人物。09年に榊原氏の指名でマックスマネーの社長に就任した。さらに、桜沢氏が部下から集金する際「(榊原)会長に渡す現金だ」と説明しており、榊原氏への資金還流の疑いが浮上した。「あり得る話」と関係者が口を揃えるのは、昨夏、不祥事が発覚した際、桜沢氏は榊原氏のもとへ駆け込み、厳罰を免れたからだ(減給処分)。そして、榊原氏の命を受けた石海氏が火消しに回り、桜沢氏は取締役として残った。4千万円の横領が見つかり、国税庁から追徴課税を受けた社長が取締役に居座るなど常識的には考えられない。
榊原氏は今も本社で社長より大きな執務室に陣取り、「主人を噛んだ犬は撃ち殺すんですか、野良犬にしてやるのですか」と、牧田社長派の謀反への怒りを隠さない。しかし、もはや敗残の老ライオンに近寄る者はない。冒頭の一括返済請求は、日米現経営陣の「縁切り宣言」。立志伝中のエース交易の創業者は墓穴を掘ってしまった。
(貼り付け終わり)
松尾雄治 拝
【986】[1115]SBIが「身売り」工作失敗
FACTA Online 2012年11月号から転載します。
(貼り付け始め)
SBIが「身売り」工作失敗
かつての盟友、孫が同席し、北尾がヤフーの宮坂社長に「証券と銀行以外を買ってくれ」。答えはノーだった。
その会合の顔ぶれには、誰しもギョッとするだろう。
一席を設けたのは、本誌が徹底追及を続けてきたSBIホールディングスの総帥、北尾吉孝である。9月上旬、彼のたっての希望で「奇妙な会合」が開かれた。
以前、SBIの中枢にいたことのある人物から、同月半ばに本誌にその情報がもたらされた。何の用件かは事前に知らされていなかった、という
この席には北尾以外にあと3人。ひとりは北尾のかつての“盟友”、ソフトバンク社長の孫正義である。残る2人は、この6月に日本のポータルサイト大手ヤフーの社長になったばかりの宮坂学と、元同社最高幹部の人物だった。
誰よりも北尾が「来てくれ」と懇願したのが孫である。ヤフー会長を兼任し、ソフトバンクはヤフーの筆頭株主でもあるが、それだけではない。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの孫に、1990年代後半に負債に苦しんでいたソフトバンクのために北尾が資金繰りを一手に引き受けた時代を思いだしてもらいたかったに違いない。
「同窓会」で虫のいい提案
ヤフー新社長の宮坂を会合に引っ張り出したのは元最高幹部である。北尾は95年に野村を辞めてソフトバンクに入社したが、この男も翌年、野村の金融法人部からソフトバンクの財務部次長に転籍した。まだ海のものとも山のものともつかなかったソフトバンクを財務、金融で支えたのが北尾だったことを考えれば、ある意味、会合は同窓会のような趣がないわけでもなかった。
それにしても奇異な集まりだ。なぜこのタイミングで、このメンバーが集まらねばならなかったのか。
答えは簡単だった。
北尾にはどうしても会わなければならない相手がいたからだ。かつてのパートナー孫ではなく、ましてや元最高幹部でもない。北尾意中の人物は、44歳の若きヤフー社長、宮坂だったのである。
折り入ってのお願いが北尾にはあった。けれども、自分の子どもほどの年齢の宮坂を前にして、ものを頼むようなへり下った口調ではなかった。
「うちの証券と銀行以外のものを買ってくれないか」
自分のやることに絶対の自信を持ち、人に頭を下げて頼みごとなどできぬ北尾にすれば、ソフトバンクの孫や、それに連なるヤフーの面々は、比較的気安い相手ではあっただろう。だからこそ、わざわざこんな一席を設けたのだ。
しかし、北尾が除外した「証券」とはSBI証券のことだろうし、「銀行」とは三井住友信託銀行と組んだ住信SBIネット銀行のことだろう。
つまり、北尾が常々、「金融コングロマリット」だの「金融帝国」だのと豪語していたグループを、トラの子だけ残してほぼそっくり「ヤフーに買って欲しい」という虫のいい申し出だったのだ。
巨額買収控えて孫は無言
いつか、どこかで見た光景だ。そう、15年前の97年に自主廃業に追い込まれた山一証券の最終局面に似ている。
債務超過にもかかわらず、監査法人とグルになって、ありもしない数字をでっち上げ、それもできなくなると、山一は身売り話をところ構わず必死に持ち歩いた。
見届け人として孫の同席は必須だったのだ。いや、口にこそしなかったものの、孫の口添えを、心の底では大いに期待していたのではないだろうか。
本誌前号(「SBI韓国投資先が騙る『孫のフンドシ』」)でも既報の通り、SBIの投資先である韓国の現代スイス貯蓄銀行は、現地でSBIがソフトバンクの関係会社と混同されていることを最大限に利用している。そして今回も北尾が頼ったのは孫。この奇妙な会合も、孫の同席なくしては成立しなかった。
宮坂は何と答えたのか。
「せっかくですが、うちには必要ないですね」
北尾とは何の接点もない、いわば貸し借りがないだけに、とりつくしまもない即答だった。
かたわらの孫は無言だったようだ。それはそうだろう。孫の頭のなかは、大詰めを迎えていた業界4位の携帯電話会社イー・モバイルの買収交渉、そしてその先には全米第3位の携帯電話会社スプリント・ネクステル、同5位のメトロPCSコミュニケーションズの買収計画が控えていたのだから。全部を合わせれば買収総額は優に2兆円を超す。その壮大な計画で、孫は気もそぞろだったはずだ。
明らかに大した価値もないサプリメントの会社(SBIファーマ)で決算の辻褄を合わせるようなSBIに、今さら興味などあるはずもなかった。宮坂とて、スマートフォンの普及でパソコン向けポータルサイトが苦しくなっているのに、お荷物のSBIなどしょいこむ必然性がない。
情報提供者の語る身売り工作の経緯は詳細だった。ほぼ同時にこれと符合する別の情報が入ってきた。「SBI損保をSBIの人間が持ち歩いている」。持ち歩いている、とは買い手を物色しているという意味だ。北尾自身が証券、銀行を除いたとはいえグループ身売りを画策し、その一方で中核をなす損保会社の売却に奔走する。まさに山一のデジャヴである。
本誌はすぐにヤフー関係者に接触した。すると、この会合が事実であることをあっさりと認めた。そしてヤフー前社長の井上雅博は海外旅行中だったので、会合に出ていないことも確認できた。
明暗を分けた孫と北尾。北尾が孫の大番頭を務めていた時代、SBIの前身であるソフトバンク・インベストメントが97年にソフトバンク・コンテンツファンドを組んだ。このファンドには、モーニングスター日本法人とユーティスターコムという優良銘柄が組み込まれていたが、いつのまにかこの2社の株がソフトバンク本体の組成するベンチャーキャピタルファンドに組み替えられていたことがある。
一口1億円で出資していた投資家たちが怒って抗議の電話が殺到した。孫は「あれはキー(北尾)ちゃんがやったんだ」と言い、北尾は「あれは孫さんの判断」と押しつけ合うばかりで埒が明かなかったという。投資家の中には真剣に訴訟を検討したところもあったが、結局は見送られた。
北尾はかつて“一心同体”だった孫の顔をどんな思いで見つめていたのだろうか。
9月期末にまた無理算段
しかし、感慨にふける暇は北尾にない。すぐに9月中間決算発表がやってくる。9月期末の数字を作らねばならない。北尾が豪語していた「金融コングロマリット」は今や完全な決算操作グループでしかない。
今回はSBI損保がそれだ。
9月28日に第三者割当増資で60億円を調達したかと思えば、10月1日には19・9%(54万株)をウェブクルーに売却を発表。売却価格は16億2千万円だった。
06年以来、SBIがこの損保に投下した資本はおよそ221億円にも及ぶ。19.9%を売却した時点の純資産は約122億円。逆算すれば損保会社の企業価値はたったの65億円に過ぎないことになる。
話はこれだけで終わらない。
SBIは売買契約時にウェブクルーの時価総額の10%を上限として、かつ16億2千万円を上限としてウェブクルー株を株式市場で取得するとなっていたことから、ウェブクルーの買収のおよそ10億円分はSBIが自ら用意したことになる。
時価総額およそ101億円のウェブクルーにすれば、これぐらいの条件でなければ赤字垂れ流しの損保会社を買うことはできなかったのである。
哀れなSBI。こうまでしなければ期末の益出しが、数字上でもできなくなっているのだ。SBIキャピタルソリューションズやSBIジャパンネクスト証券も益出しに使われた。SBIキャピタルソリューションズにいたっては、譲渡先さえ明らかにされないという有り様。本誌が4月号で報じた疑惑のホメオスタイル(現・ナノスタイル)と同じ構図だ。そのホメオスタイルは債務超過に転落。SBIが同社に貸しつけた15億円以上をどう処理するつもりか。
末期癌の様相だ。SBIの生命線は利回りをちょっぴり高くした短期のSBI債だけ。その格付けを維持するために赤字決算だけは何としても食い止めなければならない。10月11日にも1年債を100億円発行したが、主幹事の大和証券も、格付け会社のR&Iも、そして監査法人のトーマツも、いつまでこんな罪つくりを続けるつもりなのだろうか。(敬称略)
(貼り付け終わり)
松尾雄治 拝
【985】[1114]羽仁五郎著「ミケランジェロ」を読む(2)
羽仁五郎著『ミケランジェロ』を読む(2)田中進二郎
羽仁五郎氏についての簡単なプロフィールがありましたので、おそくなりましたが紹介します。「日本の名著」(中公新書)p202より引用します。
(引用開始)
羽仁五郎 『東洋における資本主義の形成』
はに ごろう 1901年、森宗作の子として群馬県桐生に生まれる。1918年、一高に入って
村山知義らと交わる。21年、東大法学部に入学、まもなく中退。同年ヨーロッパに行き、翌年からハイデルベルグ大学でリッケルトに師事して歴史哲学を学び、マックス=ウェーバー家に下宿し、遊学中に大内兵衛(おおうち ひょうえ)、三木清(みき きよし)らと交友する。このころからマルクス主義に傾倒し、24年帰国、東大国史科に入学。29年日大教授となり、旺盛な執筆活動を始め、32年から『日本資本主義発達史講座』の編集・執筆に参加して、近代日本の構造とその特殊性を分析、批判した。(野呂栄太郎、平野義太郎、山田盛太郎らとともに「講座派」のひとり)『史学雑誌』に「東洋における資本主義の形成」を発表した翌33年治安維持法で検挙される。44年、中国に行き、北京で再び逮捕される。敗戦は獄中で迎えた。戦後、日教組の組織化、国会図書館の創設にも力を振るった。49年、参議院議員に当選する。著書に『明治維新』『明治維新史研究』『白石・諭吉』『都市』など
1983年死去。
(引用おわり)
(以下ウィキぺディアよりしらべたことを加筆します)
68年『都市の論理』はベストセラーとなり、新左翼運動の革命理論家的存在となった。
イタリア史学関連では『ミケランジェロ』のほかに、べネデット・クローチェ著『歴史叙述の理論及び歴史』の訳(1926年 岩波)、『マキャべリ 君主論 その歴史的背景』(1936 岩波)、『クローチェ』(1939 河出書房)『イタリア社会史』(1952年 岩波)がある。
『東洋における資本主義の形成』の解説(本文 p205)を読みながら、「おや、これは、副島先生の研究の源流なのだろうか。」と思ったところは、次の点です。
講座派の野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』や山田盛太郎(やまだ もりたろう)の『日本資本主義分析』という明治維新において「近代社会」が形成された経過、理由、特質の分析がすすめられた。(これはマルクス主義の段階的発展史を日本に適応させる手法だ。)が、歴史学の固有の問題意識からすると、日本の資本主義をアジアや世界の連関からきりはなし、いわば孤立現象として取り扱う方法論は不十分だった。そこに「歴史家」羽仁五郎が登場してきた。(ここからが重要だ。)
「明治維新は、アジアの中の日本が17世紀、18世紀の西洋ではなくて、19世紀後半の欧米資本主義との接触を契機にして行われた変革なのである。」このことを羽仁氏は『東洋における・・』において発表したのである。
この視点は副島先生の明治維新論(大英帝国のグレートゲームの中の明治維新)というのと共通しているのではないかと思った。副島先生がこの秋に出された『ロスチャイルド 200年の栄光と挫折』のような研究を、戦前の『講座派』も羽仁五郎氏を先頭にとりくみはしたが、完成できずに挫折した仕事だったんだ、きっと。
ちがうかな。それは羽仁五郎氏の『明治維新史研究』あたりを調べてみなくてはわかりません。
本題からそれてしまいました。前回の『ミケランジェロ』のダヴィデ像のバーチャル画像はいかがでしたか?サイトの英文の訳がやっぱり間違っていました。訂正します。
サイトの表題の3行目の訳がボロボロでした。
(以下訂正箇所)
アカデミア美術館がダヴィデの顔を正面から見させないのは、ミケランジェロの真意から
観客の目を離しておこうとする、
××(viewed from the traditionalist politically right 伝統主義者の右翼の政治的意図である。)
訂正(viewed from the traditionalist politically incorrect Right
伝統主義的な政治的に正しくない右翼の意図があってのことだ。)
(ここから『ミケランジェロ』を読む 本論です。前置きが長くなりました。)
重要ポイントと思われる箇所を引用します。
(引用開始、一部要約)
・マキャべリの「君主論」はそこに専制主義のありのままの姿を書いたので、「君主論」が
かれの代表作でもなければ、それが彼の自由なる希望の表現でもない。
『リヴィウス論(古代ローマ史論)』は彼の自由なる政治の理想を述べたもので、
『フィレンチェ史』はフィレンチェ自由都市共和国の歴史と意義と現実とを明らかにし、前後に比べられるもののない名著である。
これらにおいて、近代政治学及び近代歴史学の基礎をおいたマキャべリの科学的業績及び
政治に対する彼の本質的希望をはっきりと認めなければならない。(p9)
・中世の封建主義専制の解体は世界的に起こったが、チンクエチェント(1500年代)のイタリアが全欧に先駆けてルネサンスを迎えたのは、もっとも早く、12世紀から大衆的な農奴解放が民衆の手によって行われたためである。
12世紀から14世紀のイタリアの民衆運動トゥキニ(Tuchini tutto がuno になる、つまりすべてがひとつになる。意訳すれば一揆)の農民たちの動向に応じた力によるものであった。(p26)
・一言でいえば、ルネサンスの本質は封建専制に対する民衆の自由独立の実現の希望であった。誤解のないようにいっておくが、それは後のいわゆる自由主義経済の時期などのそれのような一時的過渡的の自由ではなく、封建専制に対する国民民衆の自由独立であり、それなくしてはルネサンスもないばかりでなく、近代も現代もないところのものである。
(p27)
・歴史上の封建主義の支配の原則は、Devide et impera!
民衆を分裂させよ、しかして支配せよ、ということにあった。(p36)
・耐え難い抑圧のゆえに故郷を出奔したははじめは多少なりとも人間らしい主人をもとめ
、あるいはどこそこの領地の農奴という身分を隠して他郷に入り満一年とか潜伏して、ついにその身分を脱するとか、あるいは社寺巡礼の団体などについて行ってそうした口実のもとにいづこにか、新しい運命を開拓しようと放浪した。(p46)
(これが十字軍を教皇が起こす前に、自然発生的におこった東方へとむかっていく、エルサレム巡礼という社会現象なんでしょう。副島先生がおっしゃっていました。『隠された歴史』でもマリア信仰は「わたしたちを虫けら同然にあつかわないでほしい」というわらをもすがる思いから発生した、と書かれています。)
・イタリアにおける最初の大衆的な農奴解放は必ずしもフィレンチェに始まったのではなく、あの聖フランチェスコ(1182-1226年 「あっ、慈円(じえん)や法然(ほうねん)と同時代なんだな。)が社会的同情を教え、貧者としての平等を説いたことは、農奴の大衆的解放が彼のいたアッシジの地方に始まったことと関係があるらしい。(p52)
「シチリアの晩鐘」という事件も有名ですね。
今日はここまでです。「都市の空気は自由にする」(フィレンチェ自由都市の成立)までいけませんでした。残念。
田中進二郎拝
【984】[1113]羽仁五郎著「ミケランジェロ」を読んで
羽仁五郎著「ミケランジェロ」を読む(1)
こんにちは 田中進二郎です。前回につづいてミケランジェロをとりあげてみたいと思います。そして、副島先生が「羽仁五郎(はに ごろう)先生の『ミケランジェロ』と『都市の論理』に帰らなければならない」と言った意味について可能な限り深く考えてみたい、と思います。
『ミケランジェロ』(岩波新書 赤版 1939年3月初版)、この本については、古書で手に入らないひともおられるだろうと思います。この本の冒頭は次のような言葉から始まる。
略しながら紹介します。
(引用開始p1~6より )
ミケランジェロは、いま、生きている。うたがう人は『ダヴィデ』をみよ。・・・(略)・・
ミケランジェロの『ダヴィデ』は、ルネサンスの自由都市国家フィレンチェの中央広場に、その議会の正面の階段を守って、はっきりと立っている。・・・・(略)・・・見よ、彼の口は固く閉ざされ、美しい髪の下に理知と力とに深く刻まれた眉をあげて眼は人類の敵を、民衆の敵を凝視する。・・・(略)・・・フィレンチェ自由都市国家の繁栄と喪失とのすべての起き伏しをフィレンチェ市民と一緒に身をもって戦ってきたこの『ダヴィデ』は、その失われた歴史をひとびとがどんなに忘れ去ろうとしようと、かればかりはそのかつてのたたかいを今のことのように、いな、将来の希望のように語ってやまないのである。・・(略)・・
『ダヴィデ』をながむる人は、現代の人は現代の心のかぎりをこめて、この像を見つめることが許される。『ダヴィデ』を、ミケランジェロを、近代的にあまりに近代的に理解すべきでない、などという凡庸歴史家たちに対しては、ミケランジェロ自身が彼の言葉を投げつける、「十世紀も後になってみよ」!と。
『ダヴィデ』のように美しい芸術はどうして作られたのだ?ミケランジェロのような天才はどうして出てきたのだ?・・(略)・・
それはフィレンチェを中心としたルネサンスが生んだのだ。それでは、ルネサンスのあの
美、あの力強さ、それらは、どこから来たのだろう。
ルネサンスとは何だ。いわゆる自称歴史家たちの歴史の本などは、こういう問題に浅薄な理解しかもたぬものが多い。いわゆる歴史家たちの中には、美術のどういうところがよいのかもわからない人たちが少なくないのだ。美術史の本などをひっぱり出しても、美術史家などの中には、フィレンチェの歴史も知らない人が少なくないのだ。そんなことより、まず、諸君がすでに大体知っているところだけでも、いわゆる専門家たちなどよりははるかに健全な、諸君自身の見識によるルネサンス観をつくることができる。
(引用終わり)
ところで、われわれ日本人も写真でおなじみのダヴィデ像(ピアッツァ・デラ・シニョリーア広場に立つ複製と、アカデミア美術館に保存されている実物。)であるが、一般の人がほとんど知らない、というより隠されていることがある。それはダヴィデ像の顔の正面から見た表情である。一般に流布されている『ダヴィデ像』は裸身を正面下から写したものであり、ダヴィデの顔は左を向いている。その横顔は明朗なアポロンを想起させるだろう。
さらに顔を見ようと右に回ると、眉間にしわを寄せた険しい彼の顔を確認することができよう。ところがダヴィデの顔を真正面からとらえようとしても、アカデミア博物館の柱があってそれが邪魔して見られないのだという。
これは観客にミケランジェロの真意を見せまいとする伝統主義者の右翼の政治的意図(viewed from the traditionalist politically right)であると指摘し、隠されている正面からのダヴィデの顔をヴァーチャルで再現した画像がありましたので、ここに紹介します。「殺人マシーン(remorseless killing machine)」のダヴィデの顔です。ローマのバチカンに向かって、「お前ら、殺すぞ、コラ」という声がいまにも聞こえてきますよ。一見の価値ありです。
http://www.amnation.com/vfr/archives/011603.html
権力者たちは今もミケランジェロの芸術が持つ、破壊的な影響力を恐れているのだ。
まさに「十世紀もあとになって見よ!」である。
(上記のサイトの文では、1504年にミケランジェロが完成したあと、1873年まで広場にあったが、アカデミア美術館の中に移され、代わりに複製が同じ場所に置かれた。だが向きが少し変えられているために、正面からのダヴィデをみることは難しいという。私は英語力がまだあやふやなので、ちょっと間違っているかもしれません。ご宥恕ねがいたい)
羽仁五郎氏の『ミケランジェロ』に話を戻します。引用した個所の続きはどうなっているか。
・ルネサンスはイタリアから始まり、北方に中心が移ったという理解は間違いである
「ルネサンスは特にイタリアに限られた発展であったろうか。事実についてみると、第一義的にはそういうようなものではなく、世界的なものであった。イタリア・ルネサンスはもちろんイタリア的の外見をもっていたが、ルネサンスの本質においては、それはフランス、オランダ、イギリス、ドイツ、イスパニアなどのルネサンスおよびその他の諸方面におけるルネサンス的の発達に共通するものがあった。」(p12)
「自然科学、文学、美術、宗教、思想の発達は、同時期に世界の先頭を進んでいたあらゆる地方に一斉に起こった運動なのである。」(p16)
・ルネサンスの成功は、「西洋のあらゆる種類の貴族的ないし封建的独占を打ち破って出現した民衆の近代的成長が、全く新しい解放された真理の美と力との源泉をなしたからである。」(p20)
「当時識者はドイツについて言った。多くの有能なる職工、優秀なる芸術家、学者および思想家は、いずれも封建主義の抑圧のもとに侮蔑されていた農民および町人市民からでた。」
(p20)
・ルターの宗教改革の成功も原動力は、封建支配、教権に抗して立ち上がった農民の動きにあった。フス戦争(1420-1434)からドイツ農民戦争(1524-1525年)にまで続いた
「封建支配および教権の抑圧に対して新しい福音を説く」運動の流れ、これに支持されてルターが登場する。(P21)
当時のドイツのことわざに「農民は牡牛とかわらない、ただ角がないだけだ。」と言われていた。(p28)「封建時代は、一般に想像される以上に恐ろしい時代だった」のである。
P27-35まで延々と封建領主にがんじがらめにされて搾取される農奴のくらしと、領主が他の領主に農奴を奪われないために、領主たち同士が戦国時代を実現していったことが書かれている。
(このあたりは非常に日本の室町時代(1338-1573)と同じである。なのにどうして、ヨーロッパだけが急速に発展していったのかへと話は進んでいきます)つづく
田中進二郎拝
【983】[1112]予言と合理性
会員番号1149番の茂木です。
http://celadon.ivory.ne.jp
田中さん重ねてコメント戴きありがとう御座います。“陰謀論とは何か”、“隠された歴史”について書いたので、“なぜ女と経営者は占いが好きか”副島隆彦著(幻冬舎新書)についても触れておきましょう。この本のテーマの一つは「修験道」ですが、それ以外にも占いや呪いのことに多くのページが割かれています。
この本は2011年3月30日に出版されていて、その前後から、副島氏は「予言者」を名乗るようになったことは皆さんご承知の通り。なぜ占いや予言、スピリチュアルな世界に近づくのか。それについて本書から一部引用してみましょう。
(引用開始)
なぜ私が占い、呪い、スピリチュアリズムの方に恐る恐る近寄りたいかというと、何度でも書くが、今の学校教育が大きく失敗しているからだ。今の日本の学校教育は最低だ。それから欧米社会がつくりあげたモダン(近代)とモダン・サイエンス(近代科学)に限界が来ている。「もうダメだ」ということがはっきりしたからということがある。生産技術(テクノロジー)の方はまだいいのだが、科学の方はかなりヒドくなっている。
私は「サイエンス(science)というコトバを「科学」という変なことばに訳したことがまずもって大嫌いだ。私は「サイエンス」を「近代学問」と訳す。ヨーロッパで、今からちょうど500年前の、西暦1500年くらいから始まったのが近代学問(サイエンス)だ。この時からヨーロッパ近代は圧倒的に強くなった。それで世界中のすべての地域に(リージョンregion)を征服して回った。そして次々と植民地(コロニーcolony)にしていった。それが1500年代、すなわち16世紀からのことである。(中略)
どうやら、このヨーロッパ・北アメリカ(欧米)の近代500年間(たったの500年だ)のモダン・サイエンスの脅威と威力が、21世紀になった今、どんどん衰え始めている。(後略)
(引用終了)
<同書 133~134ページ>
ということで、「予言者」というのは、西洋近代とその学問(分子生物学、素粒子・宇宙物理学ほか)の限界を見据え、その先に漕ぎ出そうとする、副島氏の決意表明とでもいうべき言葉なのです。
なんでも切り刻んで理解しようとする近代学問の限界は薄々予感できても、その先について、誰もまだ合理的な考えを包括的に整理できていません。まだ誰もこれからの未来を見通す本当の力量を持っていないのです。
この決意の下、占いや呪い、修験道、共同謀議の系譜、仏陀と菩薩信仰、キリストとマリア信仰を巡る文明史的考察、さらにはイタリア・ルネッサンスの研究がいま成されているのだと思います。
その前人未踏性が、「どうして、こんなに、次々と本を書かなければいけないのか、自分でも理解できない。書きたいこと、調べたいことが、脳から無くなりません」と仰る由縁なのでしょう。
この本“なぜ女と経営者は占いが好きか”は、2011年東日本大震災の後すぐの出版でしたから、読み逃した人も多いかもしれません。そういえば、この本の140ページに、京都大学の山中伸弥教授のノーベル賞受賞が予言されています。その検証も含めて、もう一度みなさんじっくりこの本を読んでみてはいかがでしょうか。
【982】[1111]痛風について
ミケランジェロと副島先生の共通の持病について
こんにちは、田中進二郎です。重たい掲示板(1077)で副島先生が「夏の終わりに、書いておきたいこと」でポイントフォームで8つに分けて論じておられました。7.「シリア内戦について」、私もこの場と夏合宿で発表させていただきました。
以下5.から引用します
(引用開始)
5.『ルネッサンス(リナシメント)とは何だったのか。・・日本では誰も説明しないままに、50年が過ぎた。政治思想闘争の意味がからきし分らない美術史家たちに任せていたら、日本国民を無恥蒙昧のままにして、とんでもないことになっていた。
今こそ偉大なる先人の羽仁五郎(はにごろう)先生の『ミケランジェロ』(岩波新書 1938年 思想弾圧の時代)と『都市の論理』(勁草書房、1968年)に戻らねば、そして復権させなければいけない。ミケランジェロとダ・ヴィンチの大ブランドを私がほったらかしにするわけがない。』
(引用おわり)
ところで11月3日の定例会は、ちょうどバチカンにあるシスティーナ礼拝堂の天井画が完成してちょうど500周年にあたっています。(ミケランジェロは教皇ユリウス2世の命で1508年から1512年秋までかけて完成した。10月31日万聖節前夜に落成ミサが行われ多数のひとびとが押しかけ、仰天した。だからきっかり500年です。)天井は高さ21メートル、幅13メートル、奥行き40メートルという。最初はミケランジェロは助手を5人雇ったが、技量不足とみて、全員クビにしてほとんどただ一人で描き続けたという。
(『ミケランジェロの世界』新人物往来社より)
上の本の文章を書いているのは平松洋(ひらまつ ひろし)氏だが、ミケランジェロの性格と持病の関係について論じているところが興味深かったので簡単に紹介します。(p21より引用。一部要約しました。)
(引用開始)
かつて若桑みどり(美術史家)は「ミケランジェロは教養が高く、理想が高い。だから苛立ち怒ることになる。・・。頑固者というより絶えず怒っている人だ。イタリア美術史家の森田義之(もりた よしゆき)は、ミケランジェロの内なる激情は、外に向かっては「傲慢さ」や「奇矯さ」となって表れ、自分自身や身内の人間には対しては「パッツィア(狂気)」となって爆発し、また芸術表現においては激しい怒りや超然たる侮辱の表出、激しい異教的=官能的エネルギーの奔出となってあらわれたと書いている。(『ミケランジェロ展』カタログ)
ところで彼の性格とは、種を明かすと、痛風になりやすい人の性格なのである。
痛風とは血中の尿酸値が高く(高尿酸血症)、体が酸性になったり体温が低くなったりすると、尿酸が結晶化して炎症になったりする病気で、激痛を伴う関節炎を引き起こし、風が吹いても痛いとされたことからこの名がつけられたとも言われている。
ミケランジェロはたびたび、「排尿障害」と「尿路結石」に苦しんでいたようである。1549
年(75才のころ)の二か月にわたり、彼の手紙には悲惨な尿路結石の状況と、ヴィテルボの鉱水を毎日飲んだら、尿から石がでて治ったことが詳しくかかれている。
1555年(79歳のとき)には足に悲惨極まりない痛みがでて、外出できなかったといい、「痛風の一種だ、年のせいだ」といわれた、と手紙に書いている。
尿路結石と痛風はともに血中の尿酸値が高くなる高尿酸血症が原因であるから、尿路結石で苦しんでいたミケランジェロに痛風の症状がでてもおかしくなかったのだ。
ミケランジェロの痛風に関して、尿酸値が高いと攻撃的な性格になりやすいという仮説もあるという。早川智氏『ミューズの病跡学』。痛風にかかった著名人には攻撃的な人物が多いようだとして、それは高尿酸血症や、痛風による痛みによるものではないかと考えられている。
ところで、ニュートンやフランクリンやゲーテなど痛風に悩んだ偉人の多くが長寿として知られ、ミケランジェロも89歳まで生きた。これは通風によって、おこる抗酸化作用で説明できるかもしれない。つまり尿酸には強い抗酸化作用があり、それが生活習慣病の原因とされる活性酸素を不活性化させると考えられるからだ。
(引用終わり)
私はこれを読んだとき、副島先生の「夏の終わりに書いておきたいこと」の2.のことを
思い出さずにはいられなかった。すごい痛いんだろうな。
というわけで、羽仁五郎氏の『ミケランジェロ』を読んで考えたことは次回にします。
副島先生おからだに気をつけてください。また学問道場の皆様のご健康をお祈りしております。
田中進二郎拝
【981】[1110]陰謀論とは何かを読んで(2)
新刊「陰謀論とは何か」を読んで(2)
田中進二郎です。こんにちは。前回とその前の「シリア内戦について思うこと」(重掲1098)に誤りがありましたので、お詫び訂正します。
(1)「シリア内戦について思うこと」より訂正の箇所
×(末人:まつじん。もともとヘーゲルの言葉。それがニーチェの「ツァラトストラはかく語りき」に引き継がれ、ハイデッガーの科学技術社会の人間論になった。)
ヘーゲルの著作の中に「末人」も「最初の人」という言葉もどちらもでてこないようだ。
フランシス・フクヤマ著の『歴史の終わり』に書いてあった気がしたのだが、確かめてみるとなかった。ただ哲学のサイトも調べてみたところ、私と同じ勘違いをする人がいるみたいで、改めてフランシス・フクヤマが与える影響力の大きさを感じた。
勘違いした部分はおそらくこのあたりです。
(フランシス・フクヤマ著『歴史の終わり』(上)p168より引用)
1806年の「イエナの会戦」でひとつの歴史が終わった
ヘーゲルは、フォントネルやのちのいっそう急進的な歴史主義者と違って、歴史のプロセスは無限に続くわけではなく、現実の世界で自由な社会が実現したときにその終末を迎えるだろうと信じていた。言い換えれば「歴史の終わり」が存在するということである。
・・・(中略)・・・ヘーゲルは1806年のイエナの会戦(ナポレオン対プロシアの戦い)で歴史が終わったと宣言したが、・・・近代自由主義国家の成立とともに歴史は終わりを迎えるという彼の主張は、さほどまともには取り上げられなかった。
(引用おわり)
ついでですが、この本ではシリアのアラウィ派政権(バシャ―ル・アサドの父ハーフィズ・アサド大統領時代をさす)をイラクのフセイン政権とあるいはヒトラー政権、はてはギャングの「ファミリー」と同列に論じて、これらの「独裁の正統性」(公正、正義とは異なる)は必然的に消滅すると論じています。プラトンの『国家』にもそういう「正統性」をソクラテスが「盗賊一味の分け前の公平の原則」と指摘しているのだ、とフクヤマ氏はいっています。(上巻p85.三笠書房文庫版 1992年刊)このあたりはレオ・シュトラウスの教え(アリストテレス学派 副島隆彦著『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」 p193参照)に近いように私は思う。F.フクヤマはその後、2003年のイラク戦争開戦前夜あたりから、ネオコンの論調から、一定の距離を置くようになった、といわれています。が、「永遠の相の下の保守思想」(「覇権アメリカ」p200参照)と完全に手を切ったのかは、最新刊のthe orgin of political order(政治秩序の起源)を読んでみないとなんともいえません。
ちょっとぱらっと冒頭をみましたが、今度はヘーゲルの「認知への欲望」が本当は猿から始まっていること、太平洋の島々の土人社会の研究などもふくんでいるようで、ダーウィンの進化論ですかね?(これは正確に読んでないのであくまでも印象にすぎません)。
(2)前回(重掲1107)の投稿より訂正の箇所
×(トルストイの『戦争と平和』に描かれたフリーメイソンはモスクワ支部のそれであり、当時の貴族たちがロシア皇帝アレクサンドル1世の主唱する神聖同盟を支持する考え方が濃くみられる。)
神聖同盟はナポレオンがロシア遠征に大敗北を喫してエルバ島に流された後、すなわちウィーン体制の成立と同じだから、1815年以降の話です。『戦争と平和』第二部は、1805年のアウステルリッツの戦い(三帝会戦)でナポレオンがオーストリア・ロシア連合軍に快勝を収め、ヨーロッパに覇を唱えた時期ですから、間違いです。
ちなみに新潮文庫、工藤精一郎(くどうせいいちろう)訳の第二巻のp107あたりからがフリーメイソンの入信の儀式のシーンです。
訂正は以上です。
最後に茂木さんへ。マリア信仰と修験道とをつなげる観点はすばらしいじゃないですか。
私は熊野古道めぐりが好きですが。大峰奥駆道(おおみねおくがけみち)は厳しいね。副島道場に修験道の部会あったらどうなんだろ?こわすぎる、それは(笑い)
田中進二郎拝
【980】[1109]マリア信仰と修験道
会員番号1149番の茂木です。
http://celadon.ivory.ne.jp
田中さんコメントありがとう御座います。“隠された歴史”副島隆彦著(PHP研究所)についても書いておきましょう。この本は夏休みに読みました。仏陀と菩薩信仰、キリストとマリア信仰を巡る文明史的考察で、「阿弥陀如来、観音菩薩、弥勒菩薩は、マリア様である」という、拍子抜けするほどシンプルな説は、山本七平氏や小室直樹氏による宗教研究を継承し、さらにその先を示したとても貴重な一里塚だと思います。渾身の一作で、読後、本物の思想家はものごとをここまでシンプルに整理できるものなのだなと感心しました。
福岡伸一氏の“できそこないの男たち”(光文社新書)にある通り、生命の基本仕様は「女」ですから、マリア信仰は人の原初的な欲求に合っているのでしょう。大脳新皮質の働きだけでは救済は得られない。大脳新皮質主体の思考優位の男性がどうしたら「愛」を悟りgreed(強欲)から離れていられるのか。仏陀とキリストが苦行と受難を通して「愛」を悟ったとしたら、日本の男には古来「修験道」という行がある。それが、“なぜ女と経営者は占いが好きか”副島隆彦著(幻冬舎新書)のテーマである「修験道」の話にも繋がってくるのだと思います。
11月3日の定例会は所用で参加できませんが、ミケランジェロとメディチ家の本は楽しみです。“隠された歴史”の最後に掲げられた「サン・ピエトロのピエタ」から話が始まるのだろうか。
【979】[1108]山中伸弥(やまなかしんや)教授の iPS細胞の保つ意味
副島隆彦です。 まず以下の新聞記事のとおりです。
(転載貼り付け始め)
●「 山中・京大教授にノーベル賞…iPS細胞作製 」
読売新聞 2012年10月8日(月)
スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル生理学・医学賞を、様々な種類の細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)を作製した京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)と英国のジョン・ガードン博士(79)に贈ると発表した。 (以下は、後ろに載せる)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。山中教授とガードン教授が作った 「新型万能細胞」という細胞が持つ意味を、専門家たちは知っているだろうが、普通の人たちは分からないだろうから、私が、説明しておきます。 新聞の文化部の科学担当の記者たちも、肝心の大事なことをどこも書いていない。
iPS( アイ・ピー・エス、新型万能)細胞が、重要なのは、人間(ヒト)の生殖細胞をあれこれ、いじくっていない。生殖細胞を使った遺伝子操作をしていないことが大きい。 これまでの 発生学、生命工学は、動物の生殖細胞を取り出して、それの遺伝子の操作でいろいろと危険なことをやった。いろいろの動物の受精卵をいじくったり掛けあわせたりして、人間(ヒト)の生殖細胞までいじって、それでおかしな新生物、というか、人工の新種を作ってしまうようなことを秘密で行なってきた。
この分野には、細菌学、病原菌学から暴走して細菌兵器、バイオ・ケミカル・ウエポン を開発することに血道を上げるような多くのマッド・サイエンティストたちがいる。
山中教授たちは、ヒトでも他の動物のものでも生殖細胞を使わないようにして、主に皮膚の細胞を使って、自己増殖する細胞を作り出した、ということだ。 これを再生医学の病気治療に使える、ということになった。
大事なことは、iPS細胞は生殖細胞を使わない、というこの1点である。このために、ローマ・カトリック教会(ローマ法王)が、この iPS細胞の製造、開発を認めた。ローマ教会は、ヒトの生殖細胞を他の動物の生殖細胞に移し替えて成長させるような研究に強い嫌悪感を示してきた。
それで、iPSなら、元気な皮膚の細胞から作るようであり、その自己増殖力の大きさを利用して、他の器官にも、それを植えつけて病気治療に役に立つ、という考えになる。 だが、たとえ患者本人の自分の 皮膚の細胞を増殖さえたものを、損傷した傷口に、メッシュ状にして貼り付けて、そこで再生させようとしても、まだまだうまく行かないようである。
これ以上のことを、医学の素人なので、私には分かりません。
私は、今は、「ミケランジェロ、メディチ家の秘密、15世紀イタリアのルネサンスとは何だったのか」本を書き上げて、そのあと、すぐに、恒例の経済・金融本に、急いで取り掛かかっています。 どうして、こんなに、次々と本を書かなければいけないのか、自分でも理解できない。 書きたいこと、調べたいことが、脳から無くなりません。 体の方は、かなりガタがきているようですが、頭(脳)は、大丈夫です。
「個人備蓄(こじんびちく)の時代」(光文社刊) という本も、来週には出て、本屋に並びます。 よろしく。 会員の皆さまとは、11月3日の 定例会(講演会)でお会いしましょう。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
(上記の新聞記事からの続き)
・・・・体の細胞を人為的な操作で受精卵のような発生初期の状態に戻すことができることを実証し、再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた点が高く評価された。山中教授は、マウスのiPS細胞作製を報告した2006年8月の論文発表からわずか6年での受賞となった。
日本のノーベル賞受賞者は、10年の根岸英一・米パデュー大学特別教授、鈴木章・北海道大学名誉教授(化学賞)に続いて19人目。生理学・医学賞は1987年の利根川進博士以来、25年ぶり2人目。授賞式は同賞の創設者アルフレッド・ノーベルの命日にあたる12月10日、ストックホルムで開かれる。賞金の800万クローナ(約9500万円)は2人の受賞者で分ける。
◆山中伸弥(やまなか・しんや)=1962年9月4日生まれ。大阪府出身。神戸大医学部卒。大阪市立大助手、奈良先端科学技術大学院大助教授、教授を経て、2004年10月から京都大教授。10年4月から同大iPS細胞研究所長。07年から米グラッドストーン研究所上席研究員も務める。
●「京大の山中教授らにノーベル医学生理学賞、iPS細胞を開発
ロイター 2012年 10月8日 ストックホルム
スウェーデンのカロリンスカ研究所のノーベル賞委員会は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を京都大学の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士(79)に授与すると発表した。あらゆる細胞に分化増殖でき、「再生医療」の実現が期待されるiPS細胞を開発した研究が評価された。
カロリンスカ研究所は、ガードン博士と山中教授の研究について、「画期的な発見が、細胞の育成と分化についての考え方を完全に変えた」と評価した。この分野の研究では、ガードン博士が1962年、オタマジャクシの腸の細胞から取り出した核を別のカエルの卵に移植したところ、健康なオタマジャクシが誕生。これにより、成長した細胞が体のあらゆる組織を作る情報を持ち合わせていることを示した。
2006年になって、山中教授がマウスの皮膚細胞に少数の遺伝子を導入することで、iPS細胞の作製に成功。この成果は、成体組織に成長した細胞を受精卵のように体のあらゆる組織に育つ細胞に戻せることを示した。
ガードン博士が所長を務める研究所はウェブサイトで、最終的な目標があらゆる種類の代替細胞を作製することだとし、「皮膚や血液の細胞から予備の心臓や脳の細胞を作る方法を見つけ出したい。重要なのは、拒絶反応や免疫抑制の必要性を回避するため代替細胞を同じ個体から得る必要があるということだ」と述べた。
山中教授は記者会見で、自身のチームの若い研究者らに謝意を述べ、「喜びも非常に大きいが、同時に大きな責任を感じる」と語った。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【978】[1107][
新刊「陰謀論とはなにか」(権力者共同謀議のすべて)を読んで
田中進二郎です。こんにちは。茂木さんが「陰謀論とはなにか」の副島先生の文章を洒脱な語り口と指摘していることにわたしも同感です。なんとなく江戸時代に為政者の検閲の目をかいくぐりながら、読者の喝采を浴びていた黄表紙(きびょうし)の伝統を感じますね。(実際幻冬舎新書は黄色い表紙だし。)資料の写真の使い方(レイアウト)も面白いですよね。
巻頭のレプティリアン(爬虫類人:デイビット・アイクが秘密結社の正体と主張している)と『世界皇帝』デービット・ロックフェラーの写真が同時に目に飛び込むようになっていて、よく見ると似ていますね。次のページは、『ヘリコプター・ベン』こと現FRB議長ベン・バーナンキのつるつる頭と、UFOから姿をあらわした宇宙人とが対比されてますね。
傑作なのはp42・p43の「優れたコンスピラシー・セオリスト」と「旧来の陰謀論者」の顔写真ですね。①右上端のデービット・アイク(陰謀論者)と左上端のアント二ー・サットン(コンスピラシ―・セオリスト)の眉間にしわが寄っている表情。②ひげを生やしたダンディーというところで一致しているのは、フリッツ・スプリングマイヤーとエズラ・パウンド。③宇野正美(うの まさみ)とアレックス・ジョーンズのてかてか光る頭。④太田竜(おおた りゅう)とユースタス・マリンズも目から下の部分が似ているぞ。⑤そしてベンジャミン・フルフォードと副島先生が左右から人差し指を突き出して論じている姿。と全体でシンメトリーとなっている。(凝ってますね。)
夏合宿で副島先生が「本当はタイトルを『陰謀論者と呼ばれて』にしたかったのだが、幻冬舎側の、「新書」というもののもつステータスを絶対にくずしたくない意向があって、妥協した。新書が好むタイトルは『・・・とは何か』という難しそうに響くやつだ。『陰謀論者と呼ばれて』だと(副島ファンという)内輪にとっては面白いが、個人的なことを表題にするのは出版社として、後々を考えるとよくないのだ。」ということを話しておられました。
中公新書に美学研究者の佐々木健一著『タイトルの魔力』という本がありますが、本の
タイトルをめぐっては作家と出版社の駆け引きというものがあるわけですね。以下、私が現在研究している、『ネオコンとシオニズム(Zionism:ツァイオニズム)とアメリカの覇権主義の関係』で「陰謀論とはなにか」が教えてくれたことを述べてみたいとおもいます。
さきほどp42の「優れたコンスピラシー・セオリスト」に名前が挙がっていた、ユースタス・マリンズの『真のユダヤ史』(成甲書房 天童竺丸訳:てんどう じくまる)もユダヤ5000年の歴史を暴く書物です。
イエス・キリストに妻がいたか、どうかという問題が『隠された歴史』の発刊以来、学問道場で静かなブームになっている(と勝手に私は判断しています)が、マリンズの主張は「イエス・キリストはユダヤ人ではない、ユダヤ人の悪行を告発し続けたためにイエスはシオン長老団の共同謀議にかけられ、十字架にかけられることになったのだ。そのユダヤ人は聖書をねつ造してキリスト教の本質を捻じ曲げている。」というものだ。
エズラ・パウンド(アメリカが生んだ20世紀最大の詩人)はかつてマリンズにこう語ったという、「かつてユダヤ人の破壊し得なかった文明はただ一つしかない。それはビザンツ帝国(330年―1453年)だ。この帝国では、ユダヤ人は行政的な地位につくことも、青少年を教育することも勅令によって禁じられていた。東方正教会の僧侶たちも『キリストはユダヤ人であった』という悪辣なウソに騙されなかったのだ。ユダヤ人を殺す必要はまったくない。銀行、教育、政府から彼らを締め出せばいい。」(p50より引用、要約)
ユダヤ人は現在でもイエス・キリストを憎悪しつづけている。ねつ造したキリスト教で他民族を洗脳しているけれども、裏ではイエスを処刑したことを今でも肯定しているのだ。そのことを証拠立てているのが、脈々と続くユダヤの宗教儀式である。
さて、『陰謀論とはなにか』の中で、たったの一か所だけ、太字で書かれている文章があります。
(p121・122から引用します。一部略しました。)
「・・・この地上に陰謀(コンスピラシ―)はあるし、世界規模の恐ろしい秘密結社の巨大組織もいくつかあるだろう。それらが持つ秘密を、欧米社会から流れてくる知識と情報を丁寧に集めて、真実だと思われるなら慎重に吟味したうえで、わかりやすい日本文にして日本国民に知らせなければならない。・・・悪魔主義なるものはdiabolismと総称すべきである。太田竜氏がいうようなサタニズムではない。ヨーロッパの悪魔はスペイン語のdiaboroディアボロが一番、多用される。・・・そして悪魔主義の一語で、何かが解明されたことにはならない。そんなおどろおどろしいものなど存在しない。存在するのは、それらの秘密結社の中で行われている儀式だ。(田中注:ここから太字の文章)犯罪を共同するための怖ろしい秘密の儀式だ。その儀式に参加した者たちは二度とその組織から逃げられなくなる。」(引用おわり)
この秘密の儀式というものの全貌は『真のユダヤ史』第6章―ユダヤの恐るべき宗教儀式の秘密(p123~160)で暴かれています。「ワクワク、ドキドキしたい人」は読んでみてください。
太田竜氏の陰謀論は、秘密結社の儀式をきちんと研究分析していないのでしょう。だからフリーメイソンとユダヤの秘密結社をいっしょくたにしているのでしょう。
フリーメイソンの儀式については『陰謀論とは何か』の巻頭資料7に絵が出ていますが、どんな様子なのか知りたい方は、トルストイの『戦争と平和』の第二巻のp100あたり、第二部の最初のところに、主人公の一人ピエール・ベズウーホフがフリーメイソンに入信するシーンがあります。30ページぐらいなので本屋で立ち読みできますよ。
フリーメイソンの儀式、また組織の教義は世界の地域、時代ごとにやや違いもあるようです。トルストイが描いたフリーメイソンはモスクワ支部のそれであり、当時の貴族社会のロシア皇帝アレクサンドル1世が主唱する神聖同盟を支持する考え方が濃くみられる。(1800年前後)
またフランス革命前夜のフリーメイソンについてはモーツアルトのオペラ『魔笛』もフリーメイソンの思想表明である、と昔から言われているようだ。自分が属している支部で違いがあるのだ、というメッセージをモーツアルトは伝えようとした、という。そしてこれがモーツアルトの暗殺と関わりがあるという、ユダヤ陰謀論者もいるそうで、これがドイツのナチス時代にも流布したようだ。サリエリがモーツアルトの暗殺の張本人だとする主張は、ユダヤ陰謀論と通低しているのだと述べている本もある。『撲殺されたモーツアルト』(1791年の死因の真相)ジョルジュ・ダボガ著 谷口伊兵衛ほか訳 而立出版
サリエリがモーツアルトを殺したというのは、映画「アマデウス」で世界的に流布されていますが、どうやらこれもコンスピラシ―で、真相を隠すために作られた神話なんでしょう。(つづく)
田中進二郎拝