重たい掲示板
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Loginはこちら【1033】[1175]日本国債に今何が起きているのか
マスメディアもたまには、まともな番組を流すようです。
しかし、こういったこともいつまで出来るのかわかりません。
1日に2万アクセスあるこのサイトに訪れる人々に、こうした情報を知らせることができるのも
今のうちなのかもしれません。
初詣に並んでいる時に、お笑いタレントだらけの正月番組に飽きた時に、
すきま時間にお手持ちの端末でぜひ見て頂きたいと思います。
日本国債に今何が起きているのか、ドラマとドキュメンタリーで描く。
NHKスペシャル「日本国債」2012年12月23日放送。
1/6 (12分)
http://www.youtube.com/watch?v=qtz7zIWF2jQ
まほろばの国?、日本
2人のサラリーマンが立ち寄ったバー「MAHOROBA」
2/6 (12分)
http://www.youtube.com/watch?v=VmxhUtmo3ps
資金運用のために日本国債を買う銀行
日本国債価格暴落を狙う米ヘッジファンド
狙うは金利1.8%~3%
3/6 (11分)
http://www.youtube.com/watch?v=TG3HhF-6-qg
財政に対する信任が得られるか
金利上昇により国家、企業、家計の資金繰り悪化
4/6 (11分)
http://www.youtube.com/watch?v=ZzYQH74UKqA
財政悪化から金融緩和(量的緩和)へ
日銀による国債買入れ、通貨供給量の増加
デフレ脱却と国債買入れの副作用
物価上昇と円安で、景気回復か円信用不安か
日銀 白川総裁インタビュー
衆議院総選挙での自民党勝利と公共事業投資と日銀金融緩和政策
5/6 (5分)
http://www.youtube.com/watch?v=E7F7ZWSXtCA
バーのお会計は時価500万円?!
6/6 (8分)
http://www.youtube.com/watch?v=F820bP3nfvs
伝説の投資家ジム・ロジャース氏インタビュー
日本国債を売るタイミングは近づいている
長期国債保有リスクを避ける銀行
日銀の国債買入れ規模増加
以上です。
【1032】[1174]シュテファン・ツヴァイクを読みながら
あけましておめでとうございます。旧年中は副島学問道場の皆様のご厚情賜りましてありがとうございました。入門して一年が過ぎました。副島先生の執筆活動、講演活動のものすごい勢いに圧倒された一年でした。
これまで書かなかったのですが、『隠されたヨーロッパの血の歴史』を読んだときに瞬間的に思い出した本が、シュテファン・ツヴァイク著の『魔神との戦い』(1925年刊、邦訳は秋山英夫 角川文庫)でした。「ニーチェのローマ・カトリック教会に対する批判を理解できてこそ、日本人は土人(どじん)から卒業することができる。」というテーゼの過激さはどこからきたのか?副島先生のこの主張も真の反逆精神をもたない日本人にとっては、『馬
の耳に念仏』ではなかろうか。さてツヴァイクのニーチェ評はこうだ。
(『魔神との戦い』p59より引用開始)
「ニーチェとともに初めて、黒い海賊旗が、ドイツの認識の海洋上にあらわれる。肌合いの違った、別の種族の人間が登場してきたのだ。英雄主義の新種、もはや学者らしい教授服をまとわぬ哲学、戦士のように甲冑(かっちゅう)で武装した哲学である。彼以前のほかの哲学者たち、同様に大胆で英雄的だった精神の航海者らも、いくつもの大陸や国々を発見していた。しかし、その意図は、いわば開化主義、実利主義を出でず、それらの土地を人類のために征服し、思惟の未知の国に踏み入って、新しい地図を加えようとしたに過ぎぬ。彼らはその新領土に、『神』あるいは『精神』の旗を打ち立てて、この新しい未知の土地に、都市や寺院や新しい道路を作る。そして、彼らの後から、総督や管理人、註釈者や教授たち、教養の人間たちがやってきて、獲得されたものを耕し収穫する。ところで、彼らの労苦の究極の意味は、いつでも休息、平和、安全であった。(中略)
これに反し、ニーチェがドイツ哲学に闖入(ちんにゅう)していったありさまは、16世紀の末、スペインの領海に出現した海賊さながらなのだ。眼中、国家も支配者も、王も旗も、故郷も居住地もなく、野生的で向こう見ずな、放縦で命知らずな暴徒の群れ。この海賊一味と同様、ニーチェが征服するのは、自分のためではない、自分に続く後世の人のためでもない。(中略)鈍い褐色の睡眠が平和の徒輩には貴重なように、同じように彼にとって貴重なものである覚醒を、炎と威嚇をもって広めることだけである。大胆にかれは出現し、道徳の要塞を攻撃し、信仰の柵に殺到する。どこに行っても、人の命など助けてやることはない。
彼の通ったあとには、かの海賊一味が通り過ぎたあとのように、教会は破り開かれ、数千年をけみした聖堂はけがされ、感情は凌辱され、確信は虐殺され、倫理の囲いは破られ、地平線に火の手はあがる、大胆と力との巨大な狼煙(のろし)である。・・・(以下略)」
(引用終わり)
『隠されたヨーロッパの血の歴史』も『隠された歴史』(仏教とは何ものか?)もこうしたジャンルに属する書物である。これらの書物は惰眠をむさぼるあらゆる階層に向けて放たれたミサイル攻撃である。(ルネサンスの時代は書物が武器であった。活版印刷術の発明によってルネサンス運動、宗教改革はヨーロッパ全土に広がっていった。とはいえ現在、日本では書籍の売り上げががた減りしているようですが・・・)
同じくツヴァイクの『エラスムスの勝利と悲劇』(みすず書房)には活版印刷術の登場とともに、ヨーロッパ精神界(知識人)の帝王の座についたエラスムス(1466-1536)の執筆活動のものすごさが書かれている。エラスムスは『痴愚神礼賛』、『キリスト教兵士提要』、『ヴルガタ聖書注解』
の三書によって、エラスムスはその時代を制覇した。当時の名声は数百年このかた、ヨーロッパが知らなかったほどであった。デューラー、ラファエロ、レオナルド、パラケルスス、ミケランジェロなど、同時代人のいかなる名前も、彼の名声には比肩しなかったという。16世紀初頭の20年ぐらいである。しかし、1517年にルターが95か条の論題をヴィッテンベルクの教会を掲げて闘争を開始する。ビラが手から手へわたされ、一夜にしてドイツにルターの名がとどろく。エラスムスのライヴァルが登場する。シュテファン・ツヴァイクはこの二人の対決の時代を『人類の星の時間』と名づけている。
文人エラスムスの栄光の座は本来なら、ピーコ・デラ・ミランドラが長生きしていれば手にしていただろう。けれどもピーコはロレンツォ・ディ・メディチの死(1492年)により、庇護を失いローマ・カトリック教会の陰謀によって、砒素を盛られ死んだ。(1494年)わずか31歳だった。
『隠されたヨーロッパの血の歴史』では「ルネサンスという思想運動の戦闘隊長」と名づけられている。「ピーコのような人間に私の脳は自然に同調しようとする。」と講演会でも副島先生は本音をもらされた。戦いが常であると、そういう風に瞬時に判断できるのであろう。戦いというのはもちろん言論を通しての戦いのことである。
ピーコとエラスムスは、ルターに先立って宗教改革の先駆者とよべる二大知識人だろう。けれども、エラスムスとルターが性格的に対極であったのと同様、ピーコとエラスムスもまた両極の言論人であった。エラスムスは高邁な世界普遍精神(ヨーロッパ普遍思想)を、現世をオブラートに包みながら痴愚神の舌を借りて教会権力を批判した。ローマ教皇権力にとってこれは痛くもかゆくもないものとうつったことだろう。だからこそ、教皇や王侯貴族はエラスムスを「偉大なる教師」とあがめたて、競って彼を晩餐に招待しようとした。
人文主義(フマニスム)の栄光に少しでもあずかりたいと殺到したのである。これは一時代のファッションの側面も強い。
もちろんエラスムスは偉大な教師であった。といってもひ弱なからだに鞭打って一日に3、4時間しか睡眠をとらず、残りの20時間を六本目の指になったペン先に集中させて書いた
書物は、ルターが引き起こした宗教改革と宗教戦争の時代の間は静かに身を潜めていたが、やがてスピノザやレッシング、ヴォルテールにその批判精神を継承され、詩的な文体はハイネに継承されたという。(『エラスムスの勝利と悲劇』p20より)
しかし本当に現世を揺さぶったのは『雲上帝国』の皇帝エラスムスではなく、やはりルターであった。エラスムスが謝肉祭の仮面の裏側で仕組んだ爆薬は、ルターの主導する民衆の怒りとなって爆発する。言い換えれば、エラスムスの蒔いた種をルターが収穫したのである。ルターの人物像についてもツヴァイクの筆は生き生きとしているが、ハイネの著した『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)のルターも面白い。ドイツのシュマルカルデン同盟が戦闘に入る際に軍歌をつくって、民兵を鼓舞したとある。このゲルマン民族の魔性こそローマ・カトリック権力がもっとも恐れたものであった。
日本でいえばやはり浄土真宗の中興の祖、蓮如(れんにょ)だろうか。ルターの軍歌の内容は一向一揆の筵旗(むしろばた)に書かれていることと同じである。でも親鸞(しんらん)の和讃(わさん、短い章句で布教したもの)の中にも、やはり民衆を突き動かしていく音楽的なものを私は感じております。やはり人間というものは呪術的な音楽性にはひきつけられていくのではないだろうか。
羽仁五郎著『ミケランジェロ』(岩波新書p216~220)でドイツ皇帝カール5世が外征にむかわせたランドスクネヒテ農民兵がフィレンチェ攻撃をやめてローマを攻撃したローマ劫掠(ごうりゃく 1527年の春)が描かれている。副島先生は11月講演会でも「この農民あがりの傭兵、言ってみれば足軽だ。彼らがローマのサンタンジェロ城に逃げ込んだ教皇クレメンテ7世を追って城を囲み『ルターを教皇に』と叫んで選挙を行ったこと、ここが重要だ。」と力説されていた。「時代を動かすのは熱狂である」という副島熱狂史観である。
もちろん『隠されたヨーロッパの血の歴史』でも特筆されています。
ちなみに、先月の中ごろに『ミケランジェロの暗号』について書きましたが、この本にはミケランジェロもフィレンチェ自治共和国の最後の戦い(1530年)ののち、プロテスタントの秘密結社「スピリチュアル」に加入していたようです。だから、ピーコだけでなく、『最後の審判』にはその指導者たちも複数描かれているそうです。
というわけで敗れても敗れても、「敗北を抱きしめて」雄雄しく前に進む一年でありたいものです。どうぞ今年もよろしく。
田中進二郎拝
【1031】[1173]新しい強い日本
新しい強い日本
日本国。技術。敗北。韓国サムスン、LGが世界最高峰の技術を持っている。中国も、世界最高技術をもっている、これは、ものすごい事だ。確実に、中国の時代が到来した。韓国も負けてはいない。日本の技術も素晴らしいが、何かが足りない。日本人は、個性的でいられない。日本人は、待つ事ができない。日本人は、我慢する事ができない。しかし、こうして、日本は、立派に存在している。日本は、衰退した。しかし、新しい日本を、国民全員でつくるのだ。日本人は、優秀であり、絶対に復活する事ができる。一人一人が這い上がるべきだ。絶対に負けないで、日本を愛し、日本人自らを誇りに思うべきだ。しばらく、暗黒の時代がくるが、だが、日本を強い国に、変革してゆく。何事も、要諦とは我慢である。そんなに、日本人は、中国や韓国を、認めることができないのか?日本人の嘘つきどもめ、文句があるなら、俺みたいに、体を張って生きてみろ。自分では、何もできないくせに。文句ばかりいいやがって。副島隆彦先生や小沢一郎先生を、見習え。日本は、敗北した。技術もない。国家体制も機能していない。だが、日本人は最後まで、聡明であった。だから、日本人は復活する。みんなで、日本を世界一の国家にするのだ。頑張りましょう!皆さん、それぞれ、自分のために。
大城義和拝
【1030】[1172]政策の検証
初めての投稿です。入会時に政治的思考は明らかにしていますので、自己紹介は省略させて頂きます。私は無知なサラリーマンです。自らの啓蒙の一助として入会しました。以下の理解に至らない点があれば、御指導頂きたいです。よろしくお願い申し上げます。 【国債】国が国民から借金をして、その借金の返済を国民の税金で行う仕組みの事。 【日銀外債購入】国民から借金をして外国(主に米国)にお金を貸す事。貸した金はインフレや円高で目減りする。 【円安誘導】外資(主に米ドル)を買い支えて、資産流出すること。米国はマネーで潤い、米国民は自分が住まない投資住宅を買ったり金融賭博を行う。 【TPPによる新しいグローバルな枠組み】医療・保険・行政サービス・農業などの統治を海外に分業化させ、日本の仕事では無くす事(大資本による支配とする事)で、国力低下により日本の発言力が弱まる事。 【戦後レジームからの脱却】米国による日本属国支配から独立する事。米国を必要以上に買い支える(貢ぐ)政策をとらない事。 【インフレターゲット】経済指標値向上、量的緩和による株高、企業の増収増益、配当金増となっても、労働者や消費者を賃金微増と物価高に挟みこむ事で、そのしわ寄せを国民に負担させる技術。国は企業の責任に転化できる。 【消費増税】今後も拡大する国債費(歳出に占める割合が高い)を、国民が負担する為の増税の事。 ※以下は未解決な疑問点です。 Q1.レーガノミクスは減税なのに、なぜアベノミクスは増税なのだろう。(国債費の負担の為?) Q2.消費増税は景気回復が条件として、アナウンス効果による駆け込み需要か景気回復かどの様に判断するのだろう。(どちらにしても増税?) Q3.高橋是清の時代と違い、資本投資防止法で資本流出を防ぐのではなく、逆に外債購入を推進した場合、日本国民が単に海外、主に米国に貢ぐだけとなり、返ってこないのではないか。(確信犯?) Q4.出口戦略としての財政再建を考えた場合、軍事費の圧縮による財政再建を狙い、2・26で暗殺された事と対比して、民主党でも不十分だった歳出削減を、自民党で行うことが可能なのだろうか。(増税ありき?) Q5.歳出で国債費の構成比が高いにもかかわらず、さらに国債や外債を購入する事は政策として正しいのだろうか。(やっぱり増税ありき?) ※サラリーマン浮動票の覚醒の為、日本での簡潔な啓蒙活動の発展を期待します。インターネットやフライヤー活用による、簡潔な表現が有効だと思います。脱御用メディア洗脳の対抗策として、政治家のサイトが有効に機能しているとは思えません。更新状況や政策の説明文などをみてそう思いました。参院選に向けてまずは、労働者である前に市民として、政策を検証したいと思います。
【1029】[1171]日本は、海外に乗っ取られました。
日本は、海外に乗っ取られました。
大城義和です。
日本は、海外に買収されました。2012年、7月から、飛行機の音が、ずっとなっていました、そして、韓国人が、大量に日本に住むように、なったようです。つまり、以前、私が提唱した、飛行機の音=戦争論も、もちろん、存在しますが、アメリカ、ヨーロッパ、南米、アフリカ、東アジア諸国が、飛行機で日本に続々と、来ているようです。日本は、外国に乗っ取られました。今は、動乱状態です。終電もやたらはやいし、深夜、駅のシャッターは、しまっていますね。日本人は、馬鹿ですし、体力もないですね。中国と全面戦争になったら、日本人は、皆殺しにされます。一刻も早く、国家体制を立て直さなければ、ならないと思います。今の内に、中国人に恩を売るべきです。日本の飲食店は、オーナーとか調理人は、中国人です、一番こき使われるレジカウンターは、何と全員、日本人です。しかし、悲観的になることは、ないと思います。この2年間位、日本人は、次の戦争に備えて、団結すべきです。実際、一番重要なことは、何を信じるかです。日本の危機の本質は、サイエンスの力で、解読できます。今こそ、共同幻想を解体するべきであり、いい加減、日本人は、目を覚まさいといけません。人間、常に、危機感を認識するのが、知性でしょう。今の日本人は、バカな民族ですね。日本人は、本来は、優秀な人間だと思いますが。
大城義和拝
【1028】[1170]ボッティチェリ「プリマヴェーラ(春)」に表現された新プラトン主義
ルネサンス絵画の中に隠された新プラトン主義(ネオ・プラトニカ)思想について
田中進二郎です。こんにちは。12月15日に重たい掲示板に投稿された、小沢博幸さんと副島先生のメールで、ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」が出てきていました。
ルネサンス絵画の傑作といわれているものでも、作品の中に隠されたメッセージが解読されていないものが多いということを、私も『隠されたヨーロッパの歴史』を読んで知るにいたりました。
『隠されたヨーロッパの歴史』の中で、副島先生はミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど「芸術家」と一般に言われている人物たちが極秘裡に行っていたこととして、人体解剖があることを指摘しておられます。ローマ・カトリック教会は人体解剖を厳しく禁止していたため、ダ・ヴィンチもミケランジェロも危険を賭して、解剖を行ったようです。そうして得られた研究成果は、実はルネサンス絵画の中に『だまし絵』として描きこまれているのである。
『ミケランジェロの暗号』(副題:システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ
早川書房 ベンジャミン・ブレック、ロイ・ドリナー著、飯泉恵美子訳)ではボッティチェリ、ミケランジェロが極めてたくみに人体構造を絵画の中に描きこんだために、ほとんど500年間も誰も気づかなかったと、書かれている。以下に3つの例を引用します。
(『ミケランジェロの暗号』p71より引用開始)
・ボッティチェリ『春』の最大の秘密
「これまで、作品中央にある奇妙な形をした枝の隙間について誰も論じてこなかった。だが、これがまさにボッティチェリが絵画に仕組んだ最大の秘密であり、作品全体を理解するヒントとなるのである。愛の女神(ヴィーナス)の背後の二つの空間の形、角度、並びを注意してみてほしい。非常にはっきりとした人体構造のイメージが浮かび上がってくる。-肺だ。ルネサンス時代に戻って、秘密の研究所で違法な解剖をしている場面に立ち会っているようではないか。」
「春」の絵を閲覧できるサイトを書き込んでおきます。↓絵をご確認ください。
http://www.project-primavera.net/
(引用続き)
「結婚の贈り物だったこの作品は、生命のサイクルをたたえている。ユダヤ教やカバラの言い伝えによると、生命はそもそも「聖なる風」とか、「聖なる息」から創造された。この作品を額縁から取り出して、二つの端をあわせて筒状にしたところを想像してほしい。メリクリウス(ヘルメス:左端)が払った雲が、右側で春風のファオゥ二ウスとなり、聖なる風すなわち命の息が途切れることなく繰り返される。ちょうど中央では、ヴィーナスが心臓を象徴するかのような赤いペンダントを胸元につけ、人間の左右の肺がその背景をかたどっていることから、ここでも愛と命のつながりが表現されている。つまりこの名作は依頼主だったメディチ家のもと、自由を謳歌した当時のフィレンチェで形成されつつあった新プラトン主義らしい神秘的な比喩的表現を利用された初期の作品例といえるのだ。」
・ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に大脳の断面図や、心臓や腎臓の形状が
描きこまれている。
(以下引用続き p249より。 一部改めました。)
「ミケランジェロがトーラーを題材にした天井中央部の部分、創造の場面をみてみよう。
ミケランジェロが尊敬するピコ・デラ・ミランドラが天地創造の物語を研究していたことから、ユダヤ神秘主義から創造を理解していたことは確かだろう。(中略)
神が実際にその手で、天を分離しているのがわかる。ヘブライ語聖書によると、神は世界を分離と区別の手法で創造した。この神聖な手法にならい、トーラーの後半ではユダヤの民にも同様に、安息日と労働日、清浄な食べ物と不浄な食べ物、善なる行いと不道徳な行いなどを分離、区別することを命じる。(田中注 ユダヤの二元論である。)
『天体の創造』は神が昼には太陽を、夜には月を創造する場面である。(中略)ところで太陽を創造する神は後ろを向き、紫の衣は見事にめくれあがっている。神が教皇ユリウス二世に向かって、20メートルの上空から尻を見せているようではないか。ここまで下品なメッセージをどんなに言葉のオブラートで包もうとしても無理だ。
『大地と水の分離』では、海水から硬い大地を分離する場面が描かれる。主題は神が水を操っている姿であるからして、自然の要素に対する神の力であることは明らかだ。ここでミケランジェロはガレノスに賛辞を送っている。すなわち、腎臓が体内で液体(つまり尿だ)から固形の老廃物を分離するというガレノスの学説をミケランジェロは知っていて、
この場面で神を包んでいる紫のケープに注目してみると、人間の腎臓の明確な形状と特徴が見て取れるのではないだろうか。
次の『アダムの創造』はシスティーナ礼拝堂の天井画の中で一番有名な作品だろう。ダ・ヴィンチの『モナリザ』、『最後の晩餐』と並び最も有名な作品だろう。
最初の人間、アダムが力なく横たわっているわけは、まだ決定的な「命の息」である」聖なる命の力を吹き込まれていないからだ。アダムは最初の人間であるだけではない。新プラトン主義とカバラ思想のコンセプトによれば、原初の人間アダム・カドモンであり、すべての人間生命の原型、全世界の小宇宙的モデルなのである。
(田中注:ピコ・デラ・ミランドラの影響がここにも見られるのだ。11月の定例会で、副島先生はこの絵の中のアダムに生命を吹き込もうとしている神はデウス=大日如来(だいにちにょらい)だと解説しておられた。確かに人格神というか、おやじっぽく描かれている。ついでにミケランジェロの『最後の審判』の渦巻きの構図はそっくりそのままチベット仏教の曼荼羅(まんだら)絵にとりいれられたのだ、と断言されたのには度肝を抜かれた。19世紀以降のチベットの曼荼羅絵には確かに構図がそっくりなのが多いようだ。イエズス会士がチベットまで伝えたのであろうか。中国各地を転々として、布教をつづけたマテオ・リッチ(1552-1610)がミケランジェロの絵を使ったという可能性はないだろうか??これは私田中の憶測に過ぎませんが。それとももっと大仕掛けなのか?たとえば大英帝国がチベットという僻地の神権国家を操っていたとか・・?)
(『ミケランジェロの暗号』引用続きp256)
「ミケランジェロはいったいなぜ『アダムの創造』を必要以上に多い人数、ケープ、たなびく布地など入り組んだ構図にしたのか。
1975年ユダヤ人の外科医フランク・メッシュバーガーは、『アダムの創造』の色彩と人物像を消した状態を想像してみた。そしてそれが大脳、小脳、後頭葉、皮質、脳幹であること、また右脳の断面図であることがわかった。(中略)
カバラの神秘主義的な観点からすると、脳は知恵(コクマー)に関連した臓器である。またこの知恵をつかさどるのは右半分だけであるという大きな真理もミケランジェロはつかんでいたと考えられるのである。」
(田中注:確か私の記憶では18世紀にウィーンの科学者が脳の機能の局在説を唱えて始めたのではなかったか。16世紀といえばまだナポリの骨相学=頭の形で人格や脳の不出来を判断する分類学さえも始まったかどうかというところだろう。ミケランジェロの医学的知
見というのがどれぐらい先駆的かということが伺えよう。また脳の中に人間が住んでいるという考え方は20世紀からなのではないのか?)
(引用続き)
「専門家の中には、神をとりまくように雑多に配置された人物たちは、脳の中心部と神経節(神経系の高速道路のようなものだ)だと考えるものもいる。
だが神秘主義的に考えると、ミケランジェロがカバラの「隠された脳」のコンセプトを把握していたことは確かだ。ユダヤ教徒には「神の御業(みわざ)は人間には計り知れぬもの(mysterious=ヘブライ語のnistarに由来)である」という、人間の理解を超えたカムフラージュされた神の計画への信仰というものがある。この「隠された脳(隠された知恵ともいう)」は人間の中に創造の意志を吹き込む(インスパイヤーする)。創造主を真似て世界に意味と目的を与えたいという人の思いを駆り立てる源である。カバラによると、命の木から流出する二つの感情の組み合わせによってそれは人間に注入されるそうだ。
ひとつは崇高で卓越し、自己制御的な「上位の感情」で「年長のイスラエル」(イスラエル・サバ)と呼ばれる。
対して、物質的で、利己的、衝動的な「下位の感情」は「小イスラエル」(イスラエル・ズタ)と呼ばれる。ミケランジェロのような、絶え間のない創造の意志に駆り立てられるような、きわめて情熱的な天才の中では、こうした上位と下位の二つの感情が常に働いていたに違いない。」
(引用終わり)
田中です。『ミケランジェロの暗号』の著者は最後に「アダムの創造」のアダムは創造する人間ミケランジェロの魂の自画像であると結論付けています。
なお『アダムの創造』をググると、「脳が描かれている」という記事は山ほどでてくるのですが、自分として書きたい気持ちが強かったのであえて『暗号』をまとめてみました。
あとミケランジェロが尊敬していたピコは『最後の審判』の天国上部キリスト(?)の右上に描かれているそうだ。(「え、これが本当にピコか?」といいたくなるけれども。)
田中」進二郎拝
【1027】[1169]福島本部活動日誌です109
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年12月7日の日誌です。
まあまあの大きさの地震があり、磐越東線が止まりました。
これを受けて、灯油の備えを、もう少し余裕があるように増やしました。
外のボイラー用のタンクも含めると、100リットルはいざという時に使えます。
なお、日本全国で大騒ぎだったようですが、去年に2回は今日より大きな余震があったので、なんだか慣れてしまいました。
レシートの整理をずっとやっていました。
ホチキスの芯を大量消費できました。
寒冷地の災害時には、乾電池かチャッカマンで点けられる(つまり電気を一切使わない)灯油ストーブは必要だと思います。
・・・だから、災害直後の記憶が強かった昨年に買った灯油ストーブは、定価より高かったのだと思います。
毛布だけでは足りないです。(多分、外に毛布だけで寝ると、死ねます。)
(転載終わり)
(転載始め)
2012年12月9日の日誌です。
一日のほとんど、軽めの雪が降り続いていました。
一部積もっていまして、少しだけ雪かきをしました。が、あまり意味はありませんでした。
午後11時40分、多数のパトカーが警戒区域に走って行っています。
あすから、大熊町の警戒区域の見直しが行われるので、その際の見回りだと思います。
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012120901001605.html
http://www.minpo.jp/news/detail/201212095370
また、普通の車も多数走っていったので、それらはマスコミ関係者の車だと思います。
ほぼ人の住んでいない山の方の地区は、昼間は立ち入りが出来るようになる筈です。
ただ、新聞記事には「バリケードが設置される」とありましたので、本当のところはわかりません。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年12月13日の日誌です。
12月10日から大熊町の警戒区域が再編されましたので、行ってみました。
なお10日と11日は、台風並みの防風で道路の雪が巻き上げられ、吹雪のようになっていたので、遅くなってしまいました。
国で除染中の都路の汚染土置き場は、青い土嚢がかなりの量になっていました。
(・・・なんだか、野焼きの匂いがしたのですが、・・・枯葉や除去した枝は燃やしてはいけないはずなのですが、・・・・・・気のせいだったのかもしれません。)
288号線沿いに、選挙の立て看板がありました。
道路脇の田畑は、荒地のまま放置されているところは、ほぼありませんでした。
これが除染によるものなのか、トラクターを持ってきて耕したのかはわかりませんでした。
(おそらく前者だと思います。)
288号線の隣にある木は、枝を豪快に除去されているか、切り倒されていました。
家屋を除染するためのタンクローリーが10台近く停まっていました。
一部の側溝は、完全に土が除去されていました。
道路を洗浄するための車両?が置いてありました。
写真のものより大型のものが、加藤商店の反対側に停まっていました。
以前汚染検査場になっていた所は、プレハブが撤去されているところでした。
ここに大熊の見回りの人がいて、どこに行くのか尋ねられました。
汚染検査上だったところの300m先が以前の検問だったのですが、何もなくなっていました。
大熊と都路の境は、陽当りが悪く、道路が凍結していました。
(ここをやっと見られて、一寸感動しました。)
大熊の峠を超えた先は、大変急な坂になっていました。
大熊に400mほど?入った所にバリケードがあり、見張りの人がいました。
ですので、地図上では避難指示解除準備区域になっている地区でも、大熊の人以外は入れませんでした・・・。
http://www.minpo.jp/news/detail/201212115374
http://www.youtube.com/watch?v=SRYH5RWWRJc
(町境にあった看板の「広場」の所がバリケードの設置場所と思われます。
)
(転載終わり)
【1026】[1168]福島本部活動日誌です108
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年10月28日~11月22日の日誌です。
(大雑把になっていますが、ご容赦下さい。)
平日は大体、除染が行われています。
給水車とバキュームカー?が旧警戒区域に入っています。
10月28日、HさんとUさんが来ました。
鍋を作ってくださいました。有難うございます・・・。
29日に帰る時、私も東京まで同行させてもらいました。所用を済ませました。
30日に都庁に行った際、石原慎太郎都知事が通ったのですが、知事を辞職することについて、野次の一つでも飛ばせば良かったかと後悔しました。
ストレスを感じたので、再び、ラーメン大の大久保店で食べました。美味かったです。
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13085897/
11月11日に原発デモを見に行きました。
去年の夏頃にあった熱気と呼ぶべき何かは、失われてしまっているようでした。参加者が5分の1くらいになっているような感覚を覚えました。
以前は下の写真の所まで人が行き交っていました。
私とは意見を異にしますが、表立って意見を表明していることについては(たとえガス抜きの集会であるにせよ)どこか尊敬していたので、なんだか残念です。
参加者の年齢層が高くなっていました。
経産省前のテント近くは、結構人が集まっていました。
また、労働組合の旗と、原発と関係無い主張が目立っていました。以前は手書きのダンボールやタブレットでした。
やはり普通の人は離れていったようです。
11月22日に除染の様子をビデオに撮ってきました。
http://www.youtube.com/watch?v=D899EaLPiKI
除染の掲示板が新しく立っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=73FmM5i8uBc
作業員の人達は、普段通りに「フツーに(まったり)」仕事をしていました。
http://www.youtube.com/watch?v=8GdL-DcCQCA
http://www.youtube.com/watch?v=TRMMBno2XLY
(転載終わり)
(転載始め)
2012年11月24日~27日の日誌です。
李源朝が政治局常務委員を外れて、何故か私がショックを受けました。
http://jp.reuters.com/article/jpchina/idJPTYE8AK03O20121121?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0)
24日午前9時50分に都路を出て、秋葉原に午後4時に着きました。
なお、船引から郡山まで試しにバスで行ってみたのですが、600円高い上に時間的な長所もなかったです。
郡山駅前はこれから、イルミネーション装飾をするそうです。
夜の秋葉原は、電灯による飾り付けがされていました。
夕食を買ったスーパーでは、放射線残留規制値検査済みの牛肉が売られていました。
24日の夜は、ネットカフェに泊まりました。
25日午後2時、銀座の公園出発の反原発デモに行きました。
ですが、余り良い写真と映像は撮れませんでした。
集まっていたのは二十人ほどでした。
残念ながら、11/11のデモもそうでしたが、一年前の反原発デモには良くも悪くもあった妙な魅力は、ほとんどなくなってしまっている様に感じられました。
デモの主催者の人には悪いのですが、これでは、現在除染中の旧警戒区域内を見に行った方が面白い、です。
・・・もっと言えば、都内と郡山駅前の反原発の集まりに写真を撮りに行くのも、飽きてしまいました。
もう一寸、回りにいる見物客を飽きさせない工夫をして欲しかったです。
不謹慎な言い方かもしれませんが、同じ内容の言葉を繰り返すのは、面白くないですし、意見の押し付けだと取られて(私のような変な人間から)反感を買いかねないです。
人前で声を挙げる勇気は認めますが、同じ言葉を念仏の様に繰り返す事の危険性は、頭の隅に入れておくべきなのですが・・・。
銀座の外れの方は、郡山と比べても、服装が大変にお洒落でした。
郡山ですと着飾る以前に防寒が重要なのですが、それを考えても、都心の洒脱さは凄いです。
まして都路と比べてはいけないと思います。
がっかりしたまま、東京駅近くにある、福島県と茨城県のアンテナショップに行き、2000円も食料品を買い込んでしまいました。
福島県のアンテナショップの地図には、川内村を流れる木戸川から更に下流にある「木戸ダム」が載っていました。一寸だけ感動しました。
東京駅は、秋葉原よりも多くのイルミネーションがなされていました。
・・・去年の節電なんていうのは、一時的な流行か自己満足か気の迷いか何かだった、ということなのだと思います。
船引駅はまだ節電中なのですが、あと二年もすれば忘れて元に戻るのでしょう。
更に、秋葉原に戻りました。
これ以上秋葉原にいると危険だと思い、急ぎ東京駅のバス乗り場に行きました。
25日午後11時59分東京駅八重洲南口発の深夜バスを使って、26日午前4時50分に郡山駅に着きました。
なお、深夜バスは満員でした。
その後、5:30の電車と7:00のバスを使って、午前8時に事務所に戻りました。
帰る途中、午前6時30分の船引駅のロータリーは、高校生を送迎する車で混雑していました。
26日、27日は、残っているカレーと鍋に火を通して、食べました。
どちらも焦がして不味くなりました。
平日の午後5時の288号線は、郡山方面に帰る除染の車が列になっています。
けっこう壮観です。
大久保小学校に除染JVの事務所があるらしいので、朝に行ってみようかと思います。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年12月1日の日誌です。
初雪が降りました。
最高気温は2度と、大変寒い一日でした。
暖房設備を、電気から石油に切り替え中です。
かかってしまう費用は、少しだけ石油の方が高くなりそうですが、火力の強い石油の方でしばらく試してみます。
なお、今流行りの「エコ」的には、どちらの方が推奨されるのかわからないです・・・。
『徹底予測中国ビジネス2013』の遠藤誉博士の論によると、「胡錦濤は負けていない」そうです。
私、自分の国がこれから選挙なのに、なぜか中国の政治の方が気になってしまっています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121126/240074/
(転載終わり)
(転載始め)
2012年12月2日、3日の日誌です。
両日とも雪が降りました。
3日は、除染をしている旧警戒区域内を見に行ったのですが、入口付近に
「除染中により立ち入りはご遠慮下さい」
という看板があり、警備員もいたので、気が引けて帰ってしまいました。
それにカメラも出しにくいです。
(何度か除染を見ているのですが、・・・ぶっちゃけますと、やっぱり何の意味もないと思います。)
旧警戒区域内の除染は進んでいるのですが、20~30kmの除染は、田村市ではほとんど進んでいないと聞いています。
twitter繋がりで、正月にスイスから来る人と秋葉原で会うことになりました。
自分でも、なんでこうなったのか、よくわかりませんが、なんとかなると思いたいです。
http://rayun.jp/2012/11/29/japan-trip-2/#comments
(転載終わり)
【1025】[1167]福島本部活動日誌です107
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年10月26日の日誌です。
除染中の旧警戒区域内に行ってみました。
普通のゴミ収集車に見える車が動いていました。何をどのように集めているかは、はっきりしませんでした。
除染のために足組みがされた建物は、これから水をかけるのだと思われます。
作業員の人たちは、落ち葉を集めて、黒い土嚢に入れていました。
空き缶などの投棄されたゴミが集められていました。除染の際についでに出てきたものだと思われます。
これらの処置について、普通のゴミにはできないのでしょうが、除染したものとして黒い土嚢に入れることになるのでしょうか。、それとも、ここに置いたままになるのでしょうか。
木々の枝は、目に付くところは、ほぼ完全に除去されていました。
あくまで作業員の人から短く聞いた話ですが、こんなことでも線量が少しは違うそうです。
給水車が路肩で点検してありました。
もう少し先の広場では、作業員の車が停まっていました。
脇の田畑では、草を巻き取り、塊にしていました。
汚水の濾過プラントと思われる施設が建設されていました。(それとも、浄水製造のための施設でしょうか?)
ここで、帰る際に、千代田化工の車とすれ違いました。
民家の除染は、流石に田畑や森林の除染とは違い、やや丁寧に行われていました。
事業をやっているのは、鹿島建設、三井住友建設、日立プラントテクノロジーJVということになっています。
が、八戸ナンバーや大宮ナンバーなど、結局何次かわからない下請けがやっています。
構造は原発と同じです。
都会の人からしても、予算を大手が取ることで除染費用を余り地方に落とさずに回収できるのだから、気に病むことはないのでしょう。
(地元の人夫出しも、限られた人が仕切っているようで、結局地元の殆どの人は、恩恵は余りないです。)
(転載終わり)
(転載始め)
2012年10月27日の日誌です。
Nさんに、楢葉町に連れて行って貰いました。
途中の川内村では、作業員宿舎?の反対側が、とても思い切り「除染」されていました。
どうやら除染というのは、「建物に水をかけて、土を剥いで、木と枝を切って、ゴミを集めて、廃棄物をどこかに保管しておく」ことの様ですが、間違っているでしょうか?
(↑ごく普通の人もそう思っているんじゃないかな、と思います・・・。)
川内村の仮設住宅は、入居が進んだようで、駐車場がかなり埋まっていました。
いわき市に到着後、Nさんのリクエスト通り、サイゼリヤで昼食をとりました。(もっといいものでも良かったと思うんですが・・・)
いわき市の海岸沿いは、かなり片付きました。ガレキの分別が、かなり進んでいるようでした。
四倉海岸の道の駅が復旧していました。津波の被害は各所に残っていますが、観光地らしい道の駅で、とても羨ましいです。
便利な海の家といった雰囲気です。
この道の駅だったら、関東圏の人でも「行ってみても悪くない」と思うのではないでしょうか。
何か傑出した特別なモノがある訳ではないのですが、土産物を買い、少し休憩し、海を眺める、という観光地らしいことが出来ます。
(といいますか、太平洋側の大都市圏や北海道や沖縄のような、「観光地」にはやはり特別な観るものがあります。
そこまではいかなくても、普通の観光地として、トイレ等の設備があるのは好感が持てます。)
Jビレッジ内は、作業員や関係者がまったりしていました。
ニューズ番組等で見た光景とほぼ同じです。ただ、↓の画像よりは、かなりの軽装でした。当たり前ですが、ずっとタイベックを着ている訳でもないです。
http://img.47news.jp/47topics/images/rokadekamin.JPG
タンクローリーが多数停まっていました。
楢葉の道の駅は、臨時の警察署になっていました。
入口に、地震によると思われる段差があり、修理はなされていませんでした。
もう少し先では、ガソリンスタンドが営業していました。
道の脇は、田んぼにほぼ一面のセイタカアワダチソウでした。
黄色一色で、こう言っては土地の持ち主の方々に申し訳ないのですが・・・、大変に綺麗でした。
富岡町との境に検問があり、そこでUターンさせられました。
その付近の車内の空間線量が0.57μSv/hでした。その地点から約2km手前で0.42μSv/hでした。
おそらく車外に出ると、1~2μSv/hあったのだと思います。
(ただ、警察車両が通っているのと、6号線から脇に行く道が立ち入り禁止になっていることが多いので、停められませんでした。
今思うと、Nさんに無理言ってみたらとも思うのですが・・・、まあ、たらればの話です。)
また、この付近に木戸ダムへの標識がありました。
楢葉町の脇道で、自転車を漕いでいる人がいました。
また、一部住宅は、除染の作業中でした。
作業員がいわきに帰る時に通ると思われる脇道には、日本共産党による看板が多数立っていました。
国道6号線沿いには、この看板はありませんでした。
午後7時に都路に戻りました。
おそらくNさんが南相馬に戻るのは午後9時前だったかと思います。
一日中、大変お世話になりました。
(転載終わり)
【1024】[1166]福島本部活動日誌です106
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年8月25日の日誌です。
午前6時にネットカフェを出て、午前7時からいつもの630円の朝食を食べました。
途中に変な店の看板がありました。
午前8時1分の磐越東線と午前8時50分のバスで事務所に帰りました。
途中の288号線は、ずっと工事中のところがあり、旧街道に迂回しなければなりません。
何度盛り土をしても、下から崩れてきてしまうそうです。
事務所に戻って、休もうとしたのですが、運送会社の人が立て続けに来て、休めませんでした。
6回ほど、寝ようとしては、起こされる事の繰り返しでした。
午後2時頃、Tさんが来ました。
神奈川から来たそうで、ここに来る前に南相馬の方を見てきたそうです。
なんとかお茶だけお出ししました。
引き続き、ビデオの整理をしました。
7/6の官邸前デモが、終了した直後の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=4h9wfwucznY&feature=plcp
夜に、重たい掲示板に過去の日誌を転載しました。
色々訂正や画像の挿入が必要で、どこかに見落としがありそうです。
(転載終わり)
(転載始め)
ザ・フナイの高岡編集長が来ました。
車でいらしたので、都路の旧警戒区域内、大熊町境の検問、船引の仮設住宅、を案内しました。
旧警戒区域は、8月からの除染が始まっていました。
各所に作業員の車が停まっていました。とはいえ、本格的な作業は始まっていないようでした。
大きなスペースにクレーン車等が集まっていました。
船引の仮設住宅は孤独死があった影響で、屋内に人がいるかの確認の為に、玄関先に黄色い旗が立っていました。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/08/post_4837.html
高岡編集長が、船引町新館の横堀さんの所に取材に行ったので、同行させてもらいました。
その後、私は郡山で用事があったので、郡山駅まで送っていただいて、そこで別れました。
なお高岡編集長は、時間の関係もあってか、短い取材でした。
時間があれば、浪江町津島の線量の高い箇所も案内出来たのですが・・・。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年9月の日誌です。
(とても大雑把になりますが、ご容赦下さい。)
9月の前半にかけて、凄く疲れました。
やっぱり、Kさんに対して気を使いました。
Kさんがどうこうと言うより、他人と暮らせばどの人にもある気苦労なのだと思います・・・。
結婚した経験のある人は、すべからく凄いです。尊敬します。私には無理です。
都路中学校に、除染作業員用と思われる宿舎が建設中です。
月末にほぼ完成したようです。
9月17日前後にMさんが来て、色んな所にKさんと二人で行って、それで結婚することになったそうです。
何か訊くのは無粋だと思い、何も言いませんでした。
9月19日、東京に行って、原発デモを見てきました。
警備は厳重だったのですが、相当に規模が小さくなっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=ca5VNxo7MDQ&feature=youtu.be
福島みずほ社会党党首が演説と記念撮影をしていました。
「昼休みだから出てこられた」と言っていました。・・・国会議員といっても、こんな感じと言えばこんな感じですよね。
http://www.youtube.com/watch?v=y_TuX50_MZ8&feature=youtu.be
9月22日、Kさんたちが相馬でボランティアを行いましたので、それに同行しました。
途中の葛尾村近辺では、除染が進んでいました。
手伝いが終わったあと、南相馬小高の旧干拓地に行きました。
http://www.youtube.com/watch?v=EFXeSuQZLOM&feature=youtu.be
一夏がすぎた影響で、湖のようになっていた所はほとんど干上がっていました。
小高は、下の写真のように、4月に比べれば片付けが進んでいました。
海岸部も、がれきが各所に残っているとは言え、随分と片付きました。
()
警戒区域外で行けるギリギリまでいってみたのですが、中に入った人がいるのか、自転車が乗り捨てられていました。
9月29日、近くの交通標識で写真を撮っている人がいました。原発観光でしょうか。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年10月3日~25日の日誌です。
(とても大雑把になりますがご容赦下さい。)
3日、288号線に飛び出し気味の木と枝を、作業員が除去していました。
一人に訊いてみたら、天皇陛下の川内村訪問に備えて、急いで288号線全体を綺麗にしているとのことでした。
なお、地元の人は、「陛下にはそのまんまを見てもらったほうがいいんじゃない?」と言っていました。
後で聞いた話では、ずっと直らなかった288号線の崖崩れの箇所も、急遽突貫工事が行われて、完全に修理されたそうです。
(↑の写真は、陛下が帰り道で通った直後の崖崩れの場所です。)
6日、都路の旧ホットハウスが、道の駅のような施設としてオープンしました。
(除染作業員の昼食を作る所として機能しています。)
川内村に向かう399号線では、やはり道路脇の木を作業員が「除染」していました。
13日、天皇陛下が川内村にお越しになられました。
前日から警備が厳しく、陛下の川内村への道中の際は、建物の中に引き籠っていました。
野田首相の時とは警備の厳しさが全く違いました。群馬県警の人たちが、私服で警備にあたっていました。
陛下の車の後ろには、バス4台など、大名行列のようでした。
午後3時、洗濯物などを干してから、郡山に向かったのですが、ちょうどバスの時間と陛下の帰り道の時間が重なり、結果として、事務所脇ではなくバス停近くで陛下を見送ることになりました。
沿道の人が多い所は、車の速度を落として、陛下と皇后が手を振りながら、車が走っていきました。
その後ろから、佐藤雄平知事や警察の偉い人たちを載せたバスが通り過ぎていきました。
沿道に、こんなに都路に人がいただろうかと思えるほどの数の人が出て、陛下を見送りしていました。
交通規制が解除になってすぐ、バスが来たのですが、前の座席に警官が二人警備のために座っていました。
旧街道の出口である芹沢で二人は降りたのですが、その後にバスの進路を塞ぐ形で警察車両が停車し、二人の警官を回収していきました。
バスの運転手さんが相当に怒っていました。なんとなく、陳光誠経済圏という言葉を思い出しました。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0503&f=national_0503_152.shtml
この近辺の警備の人数は1500人だったそうです。(ふねひきパークに注文された弁当の数が1500食だったから、そう思われるそうです。)
陛下は常葉町で一時休憩を取られていたようで、バスは陛下を追い越す形で船引に着きました。
途中の沿道には、更に多くの見送りの人がいました。
電車まで時間があったので、船引でもう一度陛下の見送りをしました。
陛下も皇后陛下も、ずっと手を振ってて、大変だと思います・・・。
郡山に電車が着いた時、既に陛下は新幹線乗り場に向かわれた後のようでした。
ロータリーに陛下の車、警備車両、バスが停まっていました。
駅は、マスコミ関係者で一杯でした。pcで、撮った写真の画像を転送しているようでした。
新幹線乗り場近くで、佐藤雄平知事がマスコミの囲み取材に答えていました。
郡山のガイガーカウンターの展示場は、さらに見栄えが良くなっていました。
午後9時、ネットカフェに入りました。
14日、Zさんに宇都宮の映画に連れて行って貰いました。そのため、前日は郡山のネカフェに泊まり、宇都宮駅で待ち合わせしました。。
映画は、まどか☆マギカの劇場版(声優さんの舞台挨拶付き)でした。
16日前後にHさんが来て、レシートの整理等をしました。お世話になりました。
(・・・もうちょっとここら辺何かあったのですが、記録が残っていません。)
(この時期に誰かから
「いわきの仮設には、新興宗教のミニスカートを穿いた若いお姉さんが来て、入信するなら一泊していってくれるそうだ。それで、女性が大変不安を感じているそうだ」
と聞きました。)
Hさんが帰る時、バスが出た後に、除染の車が中学校から旧警戒区域に100台弱ほど走っていきました。
この時期、除染の作業を脇から見ていて、掃除をしているのを、除染の前段階だと勘違いしていました。
掃除が、除染そのものだったようです。
(転載終わり)