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Loginはこちら【1044】[1186]私の 間近の金融セミナーのお知らせ
副島隆彦です。
来週の日曜日(27日)に、私の金融セミナーが開かれます。まだ席は有るそうです。この講演会は金融・経済についてだけ話します。詳細は以下の通りです。
今回は、主に、資産の安全な海外への逃がし方(とここで、私ははっきりと書きます)について真剣に話します。日本の資産家(お金持ち)層は、アメリカの言いなりの税金取り官僚たちと、今の自民党・公明党の政府に狙われています。
これからの厳しい相続税や所得税の増税で資産家層への資産剥(は)ぎ取り、毟(むし)り取りの恐ろしい法制度改正の動きがどんどん出ています。単にこれからの日本と世界の金融の動きの予測(予言)だけでなく、もっと身近の現実的な話に今回は力点を置きます。 時間のある人はいらしてください。
(転載貼り付け始め)
副島隆彦の“予言者”金融セミナー 第5回
2013年1月27日(日)に、私の金融・経済講演会(『ぶり返す世界恐慌と軍事衝突』発刊記念)が開催される。
●開催日:2013年1月27日(日)
●開演:11時(開場・受付10時)・途中休憩あり
●終了:17時30分(予定)
●受講料:15,000円(税込)/全指定席
●会場:東商ホール(東京商工会議所ビル4階)
〒100-0005
東京都千代田区丸の内3-2-2
●アクセス:JR有楽町駅・・・5分
地下鉄千代田線二重橋前駅・・・2分
地下鉄都営三田線日比谷駅・・・2分
●問い合わせ先:
ブレイントラスト企画(成甲書房内)
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-42
電話03-3292-8401(平日10:00-18:00)
ファックス050-3156-3040
Eメール seminar@seikoshobo.co.jp
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上が参加者の募集の概要です。
以下に、最新の 急速な堰を(せき)を切ったような増税の動きの新聞記事を載せます。
(転載貼り付け始め)
●「 相続税、6億円超は55%に 15年に富裕層増税 自公が合意 」
2013年1月15日 日経新聞
自民、公明両党は14日の与党税制協議会で、焦点の富裕層への課税強化で、所得税と相続税の最高税率を2015年1月から引き上げることで合意 した。
相続税で新たな最高税率の55%を適用するのは、課税対象の相続財産が6億円を超える場合とする案を軸に調整する。遺産額から差し引ける基 礎控除の縮小で課税対象も広げる。
所得税の最高税率は45%に上げる方向で、対象となる課税所得の水準は今後詰める。消費増税法は格差是正の観点から、所得税と相続税の課税強化について「 12年度中に必要な法制上の措置を講ずる」と定めた。
自公両党は所得税の 最高税率を現行の40%から45%に、相続税の最高税率を50%から55%にそれぞれ引き上げる方向で調整してきた。両党はこの方針をもとに、民 主党に16日の3党協議開始を呼びかける。
一方、都市部での負担増に配慮して、小規模な宅地に認めている相続税の減税措置を拡充する方針だ。相続税の課税価格の計算にあたり、個人が住居 に使っていた土地(240平方メートルまで)の評価を本来の2割としている現行の減税措置をさらに拡大する方向。
自民・公明両党は相続税の基礎控除を縮小する方針だが、東京都を中心とする都市部では地価が高く、相続税を課税される人が大きく増えるとの懸念 も出ていた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1043】[1185]オーストラリアの会員の方に暑中見舞い
暑中お見舞い申しあげます
オーストラリアはめちゃくちゃな猛暑だそうですね。ロイター通信によると、40度~45度の酷暑と異常乾燥で、山火事が豪州各地で起こっていると報じられています。
首都キャンベラの郊外10キロ近くまで火が上がっています。
タスマニア島でも大規模火災が発生して、ジュリア・ギラード豪首相も被災地にいったようです。ギラードの様子をみたい方は[ギラード・山火事視察]で検索してください。
すでにタスマニア島では19,000ヘクタールが焼けたそうです。「80年来の大火災」とギラード首相は国民に注意を促しているようです。
オーストラリアでは大熱波ですが、日本はこの1月に北海道の各所で-30度を記録しているようで、気温差は70度にもなります。
今日は東京は吹雪いたようですが、関西はぱらぱらと雨でした。
ギラード首相は地球温暖化が原因だ、といっているようですけど、そう単純に決め付けてはいけないだろう、と思います。防災研究家の山村武彦(やまむら たけひこ)氏は2009年のオーストラリアのブラックサタデイを取材して、オーストラリアの山火事(bush fire)の50%が放火または放火の疑いがある、といっています。(2009年のブラックサタデイの際には200人以上が死亡した。)
http://www.bo-sai.co.jp/bushfire.html
また上の山村レポートによると、オーストラリアでは山火事で家族が死んでも「行政や政府を非難する人はおらず、家族の死傷は自己責任であり、自分たちが早期自主避難を怠ったからと割り切っている。」
またこれは副島先生の最新刊『個人資産防衛の時代』とも絡んでいると思いますが、「(ブラックサタデイの山火事の際に) 家族を失った人を収容するリリーフセンターが各所に設けられたが、一日程度そこで暮らす人はいたが自分でモーテルやホテルを見つけて暮らすため、どこのリリーフセンターにも被災者の姿はなかった。」(家を失った人たちに対するホテル代は一日1万円程度の支援金が支給される)とある。
無論、東日本大震災のケースと同列に論じることはできないが、被災した後、体育館で集団生活を何ヶ月も暮らしていてはいけないのだ、という副島先生の考え方と符合していると思います。
私はまだアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』や『水源』を読んでいないので、よくわからないけれども、生活の観点からリバータリアニズムを教えてくれているのだと思います。
いきなり、山火事の話から始めて申し訳ありません。
半田様と副島先生が紹介された豪州にお住いの会員の方の情報を読んで、政権党の労働党(Labor party)の内部が二つに分裂していることを知りました。無論、ジュリア・ギラード現首相と、ケヴィン・ラッド氏(前首相)の対立のことです。
この件に関する文章がありましたので、紹介したいと思います。
(引用開始 )
johnpilger.comより
2012年10月25日
オーストラリアには世界のウランの40%があるが、その全てが先住民の土地にある。ジュリア・ギラード首相は、核拡散防止条約(NPT)への署名を拒否している政府にウランを輸出するため、インド訪問したばかりだが、インドの敵パキスタンも非署名国だ。両国間での核戦争の脅威は絶えずに続く。ウランは核兵器に必要不可欠の材料だ。デリーでのギラードの協定は、”早い時期の核兵器競争の休止に関する効果的対策と、核軍縮に向けて誠意を持って交渉するように務める”NPTの義務を拒否する国々にはウランを輸出しないというオーストラリア労働党の長年にわたる政策を正式に終わらせた。
(中略)
2007年、ジョン・ハワード首相は、資源の豊富な北部地域の先住民社会に”緊急介入”するため軍隊を派遣した。
(中略)住民は、彼らの土地借地権を放棄しなければ、基本的なサービスは受けられないと言われたのだ。ギラードの先住民問題担当相は、以来、”強い未来”というオーウェル風の名前を与えられている。(中略)
人々を”ハブ・タウン”に追い込み、彼らにはまともな住居提供はせず、一つの部屋に大人数で暮らすことを強いるのが戦術だった。(中略)
“介入”が始まると同時に、ウランを含む鉱物資源を探鉱する企業に何百もの免許が認められた。オーストラリアの現代政治は、採鉱企業の権力によって規定されることが多い。前の労働党首相ケビン・ラッドが、記録的な採掘収入への課税を提案すると、彼は、後に税を引き下げた、ギラードを含む秘密政治徒党によって退陣させられたのだ。ウイキリークススが入手した外交電信は、ラッド追放工作をした二人の共謀者は、ラッドが、中国を包囲し、インド等のアメリカの子分にウラン輸出を許可する、というアメリカ計画の書状に従わないことに怒った、アメリカ大使館への情報提供者であったことを明らかにしている。
オーストラリアを、ソ連と東欧衛星国家とよく似た、ワシントンとの歴史的関係にギラードは復帰させた。昨年バラク・オバマがキャンベラを訪問し、中国が”自由世界”にとっての新たな敵だと宣言する前日、党はウラン輸出禁止を止めるとギラードは発表した。
冷戦後のワシントンの別の執念がオーストラリアからの貢献を要求している。
(以下略します 引用終わり)
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1318823/1335849/83219491
サイト「マスコミに載らない海外記事」(世界を一層危険にするのに熱心なジュリア・ギラード)より引用しました。原文は↓です。
johnpilger.com/articles/making-the-world-a-more-dangerous-place-the-eager-role-of-julia-gillard
海外からの投稿を私も楽しみにしています。「知りたい。」という気持ちが強く起こります。
半田様も匿名の方もくれぐれも猛暑に気をつけてください。(山火事にも)
田中進二郎拝
【1042】[1184]やまと魂
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」 本居宣長
山にかこまれた、ちいさな土地にすむ「倭(わ)」の民族は、
どのような心、魂をもって、生きていくのだろう。
自然に対して、畏敬の念を抱き、
やおよろずのカミという自然信仰が生まれた。
自然に対しての観察は、「もののあはれ」という情緒をはぐくんだ。
自然への尊敬や、人口密度が高い生活環境は、
人々に「つつしみ」という行動傾向をもたらした。
自然信仰は、仏教の伝来とともに姿を変える。
自然崇拝は、「山門(さんもん)」を通り、
「縁起(paTicca-samuppaada)」という思想に、感情を与える。
「大和魂」 大きく和する精神。 おおいなるやはらぎのこころ。
民族固有価値の「やまと魂」は、世界不変価値となりうるのだろうか。
私は、日本で、議会制民主主義が根付かない要因は、
「和」”harmony”ではなく、「睦」”friendly”だと考える。
私は立憲君主制としての天皇の存在を否定しない。
権力の暴走を防ぐ装置として、庶民も市民として政治に参加する、
世界不変価値である議会制民主政体との共存が必要だと考える。
「十七条憲法」 一曰(いちにいわく)。
「和を以て貴しとなす」(Harmony is to be valued)。
「和」は”harmony”という単語だけでは理解が不十分となる。
「和(やわらぐ)を以て貴しとなす」とする解釈を私は支持する。
ここでの「やわらぎ」とは何かを理解する為には、
「以和為貴」和(やわらぐ)を以(も)って貴(とうと)しとなす、よりも、
「然上和下睦」上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて)と、
それに続く、「諧於論事」事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、の解釈こそが重要だ。
ここの解釈をあいまいにしたままでは、
日本民族島国精神の「やまと魂」は前にすすめない。
「和」は、支配者側から被支配者側への抑圧、「口封じ」の論理なのだろうか。
「上和下睦」上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて。
党派や議論が「和らぐ」のは、「上」であり、
「下」は「睦ぶ」ものだとしている。
「下」は仲良くするように書かれている。
「睦ぶ」は、”to be harmonious”, ”to be friendly” などと訳される。
「和」と「睦」が、同じ”harmony”の意味だとは思わない。
十七条憲法は、庶民にむけて書かれたものでは無い。
政治的な議論は庶民のものではなく、支配者層だけのものである事が前提の文章である。
ここでいう「下」は支配者層のなかでの「下」であり、庶民では無い。
現代でいう「庶民」は、十七条憲法では「百姓」と表記されている。
十七条憲法の筆者が当時に、民主主義の発展を未来予測して、
「庶民は政治的論争をするな」、と書いたものでもない。
書かれた当時の、政治階級の「存在」だけで、
「和」の解釈自体を、「口封じ」の論理とする事はできない。
「和」と「睦」の違いを明確にすることにより、
「やまと魂」について、「おおいなるやわらぎのこころ」として、理解が深まる。
日本が現代になっても、庶民が市民として成長できず、
民主主義が発展しないのは、「和」ではなく「睦」のほうが原因だと、私は指摘する。
「睦」を当時の支配者の下層へではなく、現代の庶民へあてはめて考えてみる。
仲良くする事自体は良い事でも、それが「つつしみ」などの行動傾向との相乗効果により、
庶民の生活環境では、政治的議論は非積極的なものとなる。
「議論」により相互理解を深めるという、「対立」の正当な役割が果たされなくなる。
相手を打ち負かす可能性がある「議論」は、恨みをかわない為に避けられる。
仲良くする秘訣は、お互いが「快」である事。欲求を満たす事だと、庶民は熟知している。
楽しい事、儲かる事、健康に関する事などで、話題は埋められる。
庶民の興味は他に分散する。
親しみやすいタレント議員、強い英雄像、表面的に見て儲けさせてくれそうな政党。
アイドルへの人気投票のような、投票行動は、手間がかからない「快」ともなりうる。
「和」には論理的思考が要求される。
「睦」は感情的好き嫌いや「快」に支配される。
続く、「諧於論事」事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは。
ここでもharmonyに類似する概念の単語がつかわれている。
「諧(かな)う」調和する。一致する。
「議論」が「調和」(to be harmonious)する、という言い方に、私は違和感を覚える。
「議論が「一致」(to be concord)する」、と英訳される。
“to discuss affairs in cooperation”「協調の気持ちで(協力して)議論するなら」
というように、議論の結果、結論ではなく、
議論の過程のあり方、心構え、として解釈するかたもいる。
議論の「重要性」については「十七曰」でも強調されている。
結論の一致「調和」は「幻想」だとする考えかたに、私は同意する。
実際には、立場が違えば主張も異なり、「結論の一致」は理想論だからだ。
ただ、政治的な議論が活発になされた結果として、
採用する政策などが「妥協」により極端なものにならなくなる事は、現実論である。
ここでの、「調和」は、
「妥協の結果としての、全員の合意(consensus)」と解釈されるべきだ。
「全会一致」は、「根回し」、「空気(ニューマ)による支配」などで、おこりえる現象だ。
そういった意味で、あらかじめ合意形成がなされた後での、
議論の場での、形式的な結論の一致、という解釈も理解できる。
忤(さから)うこと無きを推奨しているからといって、議論を否定しているわけはない。
全員の合意を尊重する事を、主張しているだけだ。
以上を踏まえての、「十七条憲法 一曰」の私の解釈は下記だ。
やわらいだ状態は、すばらしい。
反逆をしない事は大切だ。
人は皆それぞれの考えがあり、(似た考えがまとまり)党となる。
各党派とも、世の中の事を良く知っている者は少ない。
(それだと、考えが違うと言って)、天皇や父親に従わない、
お隣の集団と反目するという事になる。
統治者のうち上のものは、全員の合意を形成し、
統治者のうち下のものは、みんなで仲良くしよう。
世の中の事を議論して、
(賛成意見、反対意見を出し合い、理解を深め、)
(妥協により全員の合意に至り、)
(形式主義として全員一致で)総意とされたら、
その結論は筋が通っているので、
(みんなが受け入れやすいものとなっているので、)
(その深い理解に基づき到達した共通認識をもって、)
何事でも成し遂げられるだろう。
「和」の精神は、
「極端を避ける、中道、中庸」の精神を内包している。
「和」の精神は、
「対立を経て、議論により、対立を乗り越えた、深い相互理解に努める事」を前提としている。
「和」の精神は、誠に、民主的な精神である。
安定した平和的な世の中にするためにも、
「和」の精神は「貴い」もので、上記において、世界不変価値となりうると私は考える。
庶民の「睦」”friendly”のありかたとしての「風土」による弊害をどう改善するのか、
論理的思考方法の普及、
討論に慣れ親しむ事(教育の場での訓練)と、
討論の礼(人格と議論の切り離しなど)の認知。
どのようにしたら、分断された情報が、ひろく庶民に浸透できるのか、
そうした事が、日本での議会制民主主義の発展の課題だと考える。
参考文献
『決然たる政治学への道』副島隆彦
『時代を見通す力』副島隆彦
『人間を幸福にしない日本というシステム』カレルヴァンウォルフレン
他。
【1041】[1183]豪州情報
私も豪州の市民に1996年よりなっておりますが、国民年金の点で?と思い書き込みました。無条件で国から年金が下りるということはありません。(それはNZです。)豪州はちゃんとMeans testがあり、収入のある程度ある人はもらえないと同じであります。私のまわりではゆえにもらっていないかもらえない人がほとんどです。政府からもらえる年金じゃ、たとえもらえても食べていけるような額でもなく、Super Annuationのように給料の中から個人で掛けていく年金が主流です。豪州政府は国の借金が増えることに大変注意を払うのでいずれ涙銭の様な国民年金ももらえる年齢を70歳からにするなどやるでしょう。医療もそうです。高いですよ。先日町医者、GPに行き見てもらいましたが、75ドル請求されて国民皆保険のMedicareから返金してもらえたのはたったの35ドル60セントでしたので40ドル、半分以上自己負担でした。国民皆保険で規定された額内で見てくれるドクターなど皆無に等しくなってきています。まずいないと思ってよいです。又Medicareは課税対象年収に対してMedicare Levyと言って1.5%税金がかかってきますが、年収が10万ドル以上になると、民間の健康保険にも加入していないとMedicare税に1%上乗せされて2.5%になってしまいます。例えば、私のように現独身者で年収10万ドルとしてMedicare税と民間医療保険代で年間$4000は払う感じになります。シドニーでは年収10万ドルといいますが高額所得ではまったくありません。私より若い友人たちは年収7,8万ドル稼ぐ人たちだらけですがそれでも贅沢などできません。物価、家賃とも大変高いのです。数字だけ見て楽園と思ったら大間違い。
以前現地の新聞でこのまま行くとMedicareも5年で破綻であろうと言う記事を読みました。どこも苦しいのは同じでたとえ今は良い条件であっても変わってしまうので自己責任で生きていくしかないのは高齢化が進む先進国共通のIssueになっていくのでしょう。豪州がアジア重視にせざるを得ないのは地理的面もあるでしょう。経済上背に腹は変えられないだけのことです。豪州人の心の中はやはり女王様の国に向いているのです。心のそこではアジア人(特に代表格の中国人)を自分たちより低いものだと思っています。たとえばChatswoodというエリアがシドニーにありますが、中国系移民が大変多いので”Chatswong”と豪州人があだ名をつけております。先日空港に向かうときも白人のタクシー運転手が、中国系のほかのタクシー運転手がもたもたしていたのにたいして、C`mon, You, Bananaと言うのを聞いて耳を疑いました。私の友人の白人豪州人のホワイトカラー職の義兄ですら、中国人の経営する按摩さんにいくとき、さ~て、又あの”Ching Chong”のところに行ってマッサージしてもらうかななどと言うのだそうです。チンチョンとは中国人をひどく馬鹿にした呼び名です。もっとひどいのはGookやChinkですが、、、。残念ながら中国人を嫌がる、心の奥では馬鹿にしているのは豪州でも例外ではありません。
個人のレベルでは日本人のほうが差別しないのではないですか?
余談が多かったのですが、海外が良いことばかりではない例としてあげさせていただきました。現実を見つめて日本の良いところを伸ばしたいですね。
【1040】[1182]「日本はみずからを救えるか?」
生きている情報、マスコミが伝えない情報は大変ありがたいです。
すべてのテレビ番組を見たり、すべての新聞や書籍に目を通すことは不可能です。
特に、私はサラリーマンなので、現実的に時間がほとんど確保できない為、とてもありがたいです。
既に読んだ本であっても、記憶の呼び起こしや、思考の再構成に有益だと思います。
マスコミが伝えなくても、会員の皆様が重要だと思う事は、
繰り返し、繰り返し、広く、大勢に伝えていってほしい、教えて頂きたい、と思います。
マスコミがもうしわけ程度に記載する小さなわくの、重要な情報も、
見逃している事があります。
会員の皆様が重要と思うことは、ぜひ掲示板に貼り付けてほしいです。
私が下記の本を最初に読んだのは、もう10年以上も前になりますが、久しぶりに読み返してみました。
『人間を幸福にしない日本というシステム』 カレル ヴァン ウォルフレン
第一刷は、1994年11月30日の本です。
日本は、日本国民は、それから約20年がたって、どのような成長が出来たのでしょうか。
以下すべて引用です。誤字脱字、転記間違いございましたら、御容赦お願いします。
(引用開始)
「内需拡大のために国民の懐に現金を差し入れるべきなのに、それどころか彼らは消費税にくわえて
公共料金まで上げたくて仕方なくなっている。日本の経済の健全性と貿易相手国との関係を
広い視野でながめればわかる。これは悲惨な状態だ。これは、世界との関係の基盤と日本経済の
双方にさらなる打撃となるだろう。」
「もし、55年体制に取って代わるのが、野党と一応言われている党が集まってできた「巨大な自民党」
のようなもので、はっきりと別の政策原理と政策目標を掲げるのはもしかして共産党だけ、
という事態になれば、それは悲惨なことになる。それは、1930年代の政治エリートの有力者たちが
「大政翼賛会」―党派的活動が完全に排除された政党システム―をつくったとき、胸に描いていた
図式と同じものだからである。
「管理された共同使用のリアリティより、個人としてのあなたが頭のなかに描くリアリティのほうが、
つねに内容が豊かだ。この事実こそが、あなたを一人の独立した人間にしている。すなわち、
このことこそ人間であることの真髄である」
「政治化された社会を維持し、人々を社会の檻に閉じ込めておくための、組織的なぺてんで
成り立っている国だ。リアリティの管理は、著しく効果的におこなわれている。」
「あなたの勤めている会社も、会社の利益になる「常識」という名のリアリティを、あなたに与えている」
「リアリティ形成における社会的組織の影響力は、あなたの視野を制限することに威力を発揮する。」
「民主主義の実現のためには、一般の人々に情報が公開されていなけらばならない。
簡単に情報が手に入らないという場合は、戦ってでも手に入れなくてはならなくなるだろう。
民主主義と説明する責任(アカウンタビリティ)と情報―この三つは分かちがたく結びついている」
「日本には、政治的な意味で力をもった知識人階級がない。そうした知識人階級は必要なのだ。
市民はそれをつくる手助けをしなければならない。」
「日本の市民がなすべきことは明らかだ、と私は思う。この社会がおちいっている有害な惰性を
打ち破ること、それがあなたの課題だ」
「日本を変えるためのあなたの小さな貢献が、もし的を射たもので、しかも他の人たちの
小さな貢献とうまく結びついたなら、相当有意義なものになるかもしれない」
「個人としてのあなたでも、あなたを取り巻いている社会のあり方を変えられる、そしてさらに、
日本の変革に手を貸せる」
「個人はすべて、少しだけなら自分の環境を変える能力がある。」
「とても小さな努力の積み重ねが突然大きな結果を生むことがあり、それがさらに重なれば
巨大な変化をうむこともある」
「調和のイデオロギーが日本にとって有害なのは、それが嘘のかたまりをつくり出すからだけでなく、
日本社会における争いごと(コンフリクト)の正当な役割まで否定するからだ。
われわれには対立が必要だ。」
「真の市民精神を守るために、勇気がいる」
第三部 日本はみずからを救えるか?
第1章 個人のもつ力
無能と無関心、惰性の克服、情報の罠
第二章 思想との戦い
リアリティをつくる者、「日本文化」という概念、「調和(ハーモニー)」という幻想
対立の必要、「ユニークさ」という幻想、権力の否認、「日本人らしさ」
知識人たちの裏切り、「西欧中心主義」とは?、文化相対主義の罠、
知識人をゆり動かせ
第三章 制度との戦い
市民チームのあり方、「市民社会」の決定的重要性、無関心をめぐる神話
乗っ取られた世論、新聞に大革命を!、従順なる大学
第四章 恐怖の報酬
敵の大好きな戦法、私の身におこったこと、
真の市民の勇気
第五章 成熟の報酬
「外国モデル」の罠、侵食される欧米の市民社会、
恐怖心とロマンチシズム、神経症にかかった国、愛国心が試されるとき
【1039】[1181]オーストラリア在住の 会員からの 現状報告の文を転載します。
副島隆彦です。
「今日のぼやき」の方に、私の新年の初め一本目の気合(きあい)の入った文を書きました。お読みください。
以下は、オーストラリアに在住の 私たちの会員からの、オーストラリアの政治と経済の全体の様子を概観(アウトルック)した 現地からの報告文です。 私が、この人とのメールのやりとりで催促して、書いて送ってもらったものです。 それをここに、私が、少しだけ手を入れて読みやすくして載せます。
私たちの学問道場は、既成の世界体制(ワールド・オーダー)側のメディア情報 (当然、彼らの都合のいいように統制されて、改変された情報と見方だ) にだけ頼らないで、できる限り、私たち自身の仲間からの世界各地の、各国の真実の情報と、知識を手に入れて、それを皆で共有することが大切です。
私たち学問道場の会員は、世界中の主要な30カ国ぐらいに会員の人がいて、故国の日本からの情報を毎日、ネットで見ています。私は、この海外の会員たちが、自分が在住する国の様子を、簡単でいいですから、ここの重たい掲示板に気楽に書いてくれることを ずっと、12年間、願って来ました。
私、副島隆彦宛てにメールをくださる会員たちとは、私は、すべて交信しています。 それらは私信(ししん)ですから、何でもかんでもネット上に公開するわけにはゆきません。
私が、死んだあと、私の弟子たちや出版社が、それらおそらく2万本ぐらいになるだろう メールや手紙の交信を、公表する意義があるものは、少しずつ、書き手のプライヴァシーに配慮しながら公開してゆくでしょう。私には、もうどうにも出来ないことです。
私は、世界中にいる私たち学問道場の会員が、「ただ読むだけ」でなく、もっと学問道場に自分も参加して、投稿してくれることをずっと待ち望んでいます。
しかし、「文章を書く」、「書いて公表する(人々に読んでもらう)」ということは、物書きのプロウを目指す人間でなければ、なかなか日常的にはできることではありません。
最近、一生懸命書いて投稿してくれる 大城さまのような、どうしても、肩肘(かたひじ)が立った、大きく振りかぶったような文になる人が多いです。 それはそれでいいです。 会員は、もっと自分の意見を書いてください。 そして交流してください。お願いします。
私たち学問道場の会員が、もっと団結して、この「ネット系の言論革命」を日本で推し進めなければ、日本国には、もう、本当に本当の自由な言論の火、灯火、灯(ともしび、トーチ)は無くなるのです。 お願いします。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
Sent: Monday, January 07, 2013 5:29 PM
Subject: Re: ご依頼の件
**** さまへ
副島隆彦から
本年もよろしくお願いします。
年末に、**さまから、以下の貴重な オーストラリアの 政治、経済の 現状の ご報告をお送りただいておりました。私は、この文章を 年明けに掛けまして 4回読みました。
そして大変勉強になりました。オーストラリアの現状、現実が、**様の文で、手に取るように分かりました。 私が新聞で読んでいるような記者たちの事件を中心にした文とは、また味わいがちがいまして、それらと重ね合わせることで、現地にいる 日本人の 目から見た 冷酷な第三者の しかし、庶民の目からの 優れた 分析になっています。
**さま。 この文は書き手の特定ができない用意周到に出来ている文ですから、私が、手を入れて読みやすくしてから、重たい掲示板 に「会員からの オーストラリアの現情 報告」 として載せます。 どうぞご了解ください。
もっと日が経ちましたら、そのうち**様がご自身で、重掲に気軽に投稿していただけるようになりますと本当に、会員たちと気持ちが通じて、「ああ、この人は学問道場の会員だからウソは書かないで、すっきりとした 簡潔な真実を書いて伝えてくれて、私たちに教えてくれている」 と 感謝するでしょう。
私は、世界各国に居る 私たちの会員が、ここを読みに来るだけでなく、もっともっと自分から現地報告をしてくれることを強く期待しながら生きてきました。 この希望と 期待はいまも強くあります。
とりあえず**さまの 以下の文を載せます。 どのように書き変わったかを、ご自分で読んでお楽しみください。 読み易く分り易くすると、このようになるのです、ということの 見本として、どうぞ**さまご自身の 文章力の向上に、プロの物書きである 私、副島隆彦(学問道場の先生ですから)の 朱筆をお役立てください。
この度は、私からの無理なお願いをしまして、お聞き届けいただき手間をかけて書いてくだいまして、本当にありがとございます。 重ねて感謝申し上げます。 今後とも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。
副島隆彦拝
副島隆彦さま
2012年12月27日
****から
豪州(オーストラリア)の政治経済について
オーストラリアは、政治的には米英のように2大政党で交互に政権は運営されています。極端な政策の違いも見受けられません。
ですから自由党、労働党、共に私の考えでは(異論はありましょうが)呼称が違うだけの右、右の政党が2大政党(勢力的にも拮抗)であり政治的には非常に 安定した国という印象があります。
経済では、この安定性がリスクの軽減であり、高金利政策とあいまって世界中からこの国に投資があるのでしょう。
振り返りますと豪州経済はご承知のとうり、農業と鉱業の国でその2大産業が屋台骨を支えております。 折からの世界的な資源ブームと気候変動による穀物高騰や需要増などにより、10年以上も好景気を謳歌して来ました。
農業は一見して地味です。が、その一方の雄である好景気に沸いていて巨額の利益を上げていた世界的鉱山会社の好待遇(大学新卒の年棒が10万豪ドル。900万円 )が 庶民の嫉妬、羨望の的でもありました。
そこに目をつけた当時の首相ケビン・ラッドはその年に総選挙が予定されていたため、選挙対策用に「資源超過利潤税」 の導入を発表しました。
とたん鉱業界から猛反発をくらい、おまけに隠然たる力を持つ鉱業ロビイストの影響力もあり党内での支持を失い、結局辞任に追い込まれました。
しかしこの労働党の前首相ケビン・ラッド(流暢な中国語を話す元外交官として世界的に有名でした)は、国民受けする政策の実行力があります。
ですから、国民には同じ労働党の現女性首相ジュリア・ギラード (えらく美人のいかにも、オーストラリアの牧羊犬のシュエパードとそっくりの細身で長身の体型をしている、オーストラリア美人女優のケイト・・・や・・・のような。副島隆彦の勝手な割り込み、加筆。失礼。)よりも明らかに人気があります。
豪州国民はコンサバティヴだと言われます。が 国民は政治には無関心ではなく 10年以上政権を握って、好景気を謳歌していたのにもかかわらず、変化を求め政権を自由党から労働党に鞍替えさせました。それどころか現職首相(ジョン・ハワード)を総選挙で落選させる、ということをしました。
国民が本気になれば首相の首を飛ばせるのだぞ という意思を示しました。どこかの国では考えられない選択をしています。
今は政治的な大きな問題もなく、しばらくは平穏に推移してきました。
政府は最近になってアジア白書なるものを発表し、これからアジアが世界市場をリードし世界経済の中心になるだろう。 豪州は経済的に欧米から完全にアジアにシフトすると明確に言っています。
このことは国民にアジアの言語の習得を奨励しその指導者の育成にも言及しており戦略においても優れています。 留学ビジネスにも力を要れ世界中から学生を受け入れています。
2100万人という少ない人口でありながら、意外ですが、2012年度の「大学の世界ランキング」に100位以内に5校も入っています(日本は2校)。
学生だけでなく一般移民も積極的に受け入れています。が、豪州に必要なスキルの持ち主であるかどうか。資金を持っているかどうか、など入国を許可する際の移民の資質にも明確に言及し、政府は物怖(ものお)じすること無く述べています。
審査も厳格で出身国の警察から無犯罪証明書の提出の義務があります。どこかの国のように留学生だと思って受け入れたら、盗人予備軍だったというようなことはありません。
アフリカ諸国から人道的な難民の受け入れもしています。一般移民共々、永住権や市民権を取得するとMedicare(毎月の支払いは無し)という医療制度(入院費、手術費等無料)や、福祉の chilicare などは日本の子供手当てに相当する。一人当たりに年$5000を超えます。また出産費用は無料で、さらに一人$7000のボーナスがあります。
豪州国民と同等に扱われある意味開かれた公平な国でもあります。老齢年金(毎月の掛け金等無し)も永住権取得後10年過ぎると65歳から無条件で支給されます。 勤労者はさらにスーパー・アニュエーションがあり掛けた年数、金額に関わりなく65歳から自由に引き出せます。
日本のように年金の年数が足りずに掛け金がすべて無駄になるという泥棒のような制度ではありません。
この10数年で人口増、世界中からの不動産投資と好景気を背景に大都市圏の不動産価格の高騰、家賃の高騰で(シドニーでは、もはや東京の不動産価格と遜色ありません) 成金的に裕福になった人が大勢出現しています。
そのかわりに一般的な庶民には、自宅を持つのは夢となりました。以前は伝統的に、豪州人は子供が自立する年齢に達したら家から追い出すようにしていました。
が、今では若年者では自前で部屋を借りることもできない程、家賃が高騰したので親元に居るか、もしくは数人で部屋をシェアするのが当たり前になっています。賃貸し物件が不足がちなので、シドニーでは、ちょっと前ですが、アパートを賃貸するのに「家賃の入札」をやった家主もいたほどです。
日本のようなマネーゲームでの高騰ではなくて、需要があり供給不足の高騰なので現在は落ち着いています。が、高値安定したままです。オーストラリアは、このあとリセッション(景気後退)になっても、急激な価格下落はあり得ないでしょう。
世界的に2009年のリーマンショックにより、リセッションが叫ばれています。 遅ればせながら豪州にも、今年初めあたりから、その傾向が現れています。
私のような庶民の目線からですが メイン・ストリートの路面店に空き店舗の看板が目立ち始めました。 飲食の繁盛店でも客数に変化が無いのに売り上げが落ちているとのことです。
過去にはなかった、2大スーパーマーケットによる安売り合戦もそうです。豪州の会計年度末は6月ですが 申告期限の8月に、私が聞いた公認会計士の話では 扱っている飲食店の9割が赤字決算だったそうです。
豪連邦準備銀行(中央銀行)の金利の差配(さはい)に従わない(すなわち、政策金利を下げても貸し出し金利の方を下げないで無視する市中銀行)銀行が現れたり というように、豪州も食料大国、資源大国と胸を張っている状況にはなく、経済の建て直しが政治の本題になりつつあります。
以上
この程度のことくらいしか私には書けませんが、副島様の参考になれば幸いです。
**** から
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1038】[1180]植草一秀著「消費増税亡国論」より
こんにちは。 ↓にある鈴木さんの投稿とNHKの『日本国債暴落』の画像を見ました。この番組が、財務省がNHKに作らせたやらせ番組であるということを、副島先生が広報ぼやきで言っておられます。
このことに関連して、副島先生の盟友ともいうべき植草一秀(うえくさかずひで)氏の『消費増税亡国論』(飛鳥新社)に重要と思われる記述がありましたので、引用します。(すでにお読みの方も多いと思いますが。)
(引用開始)p186~
第五章「増税の前にやるべきことがある」
-TPRという名の巨大な言論統制プロジェクト-
「中日新聞=東京新聞は、権力に隷従する御用報道機関ばかりが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する中で、社説で『シロアリ退治なき消費増税』を批判する論評を掲載するなどマスメディア界の異端児的存在である。
その中日新聞=東京新聞に対して、財務省が国税庁を動員して、異様ともいえる長期税務調査を実施していることが伝えられた。財務省による国税調査権をちらつかせての言論統制活動は常套(じょうとう)手段といってもよいものだ。
こうした動きの背後に財務省の秘密情報統制活動が存在することを知っておかなければならない。「TPR」と呼ばれる言論統制活動である。TAXのPRの意味で「TPR」と命名された。1985年に発足した。中曽根政権が「売上税」という名の大型間接税導入を検討した時期に、世論操作活動が重要との認識の下で活動が指導された秘密プロジェクトである。
1985年当初、「売上税」という名称が決まっていなかった。決まっていたのは、「課税(kazei)ベース(base)の広い間接税(kansetuzei)」を導入するということだけだった。TPRとともに用いられた符牒(ふちょう)がKBKである。
このTPRが脈々と引き継がれて現在に至っている。発足当初、TPR事務所は財政金融研究所研究部に置かれた。私(植草氏)はこの研究部に所属していた。その後、TPR事務局は主税局に移管され、その実務責任者を主税局企画官が担うことになった。
1985年当時のTPR活動は、三つの柱によって成り立っていた。
第一は、政界・財界・学界3000人リストを作成し、その全員を説得すること。
第二は、あらゆるメディア情報を検閲し、問題意見を封殺すること。
第三は、メディアに対して高額接待などを用いながら、大政翼賛体制を構築すること、であった。(中略)
-TPR言論統制に風穴を開ける草の根ネットからの情報発信-(p189~192)
検閲においてはテレビ番組が録音され、すべての問題発言がチェックされた。テレビ、新聞、週刊誌、月刊誌の内容が検閲の対象になり、毎週「TPRウィークリー」と題する報告書がまとめられた。問題発言とその発言者が厳重にチェックされる。このなかで、問題発言者がピックアップされて、いわゆるブラックリストが作成されることになる。
さらに、NHKや全国紙の最高幹部を集め、大蔵省からは事務次官などが出席して、築地の吉兆などで高額接待などが行われることもあった。(中略)
TPRという名の言論統制、検閲活動がきわめて大規模に行われているという現実、知られざる真実をすべての国民が認知しなければならない。
(p200から)
NHK政治部の幹部職員になる人物の大半がワシントン勤務組である。そして、ワシントン勤務の時代に、米国のエージェントと化す洗脳を受けるのである。これは、警察、検察、財務省、外務省に共通するプロセスであり、このようなプロセスを通じて、米国、官僚、大資本が支配する日本政治の基本構造が随時補強されているのだ。
一般の国民は、NHKの報道を中立・公正と勘違いしていることが多いが、真実はその反対である。現代版の大本営といって差し支えないだろう。この事実を頭に入れてNHK情報に接するのと、入れずに接するのでは、情報量に天と地の格差が生まれる。この格差を認識することが、メディア・リテラシーを高めるということなのだ。」(引用おわり)
田中進二郎です。売上税導入を中曽根政権や財務省(当時は大蔵省)が画策しだしたのと同時に、マスメディアの報道統制が本格的になった、という歴史的事実はやっぱり重い。
昨年のお盆休みに、副島先生が「夏の終わりに書いておきたいこと」(重たい掲示板)でずばり書いておられたが、「消費税の本質は売上税だ。」ということ。消費税という、あたかも消費者だけに課税がなされているかのような国民を愚弄(ぐろう)した名称自体に腹が立つ。
生産・流通・サーヴィス・消費のすべての過程でかすめととっていく、未曾有の悪税だ。これがバブル経済の浮かれているさなかに計画されたのだ。
大企業で働くサラリーマン諸君、生活の足元をもっとよく見たまえ。
田中進二郎拝
【1037】[1179]国債の税金での返済、社会保障と税の「非」一体改革
【社会保障と税の「非」一体改革!】【増税に反対か賛成か!】
社会保障を人質にした、消費増税の議論は、国民への詐欺行為である。
一緒くたにした言いかた自体が、国民への口封じであり、思考停止への誘導だ。
「老後」や「次世代へのつけ」という言い方に、騙されないようにしたい。
国債の負担を税金に求めるならば、詐欺的ないい方はしないで欲しい。
社会保障は行い、その資金は、まずシロアリ退治で捻出する。
この思いは、選挙が終わっても変わらない。
なぜならば、シロアリ退治がまだ不十分だと思うからだ。
「16兆8千億円」の捻出は、今回の選挙結果として、
「出来ない事を言っただけ」という総括で良いのだろうか。
「天下り」「わたり」「シロアリ退治」、「特別会計」で、「16兆8千億円」。
私は、それ以外にもシロアリはいると思う。
病院に行って、欲しくもない薬を渡される時、
道路工事で渋滞を体験する時、
無駄じゃないの?と疑問を抱く事がある。
実は、無駄では無いかもしれない。
本当に無駄なのかもしれない。
私達みんなが、シロアリとなりうる。
わたし自身が、シロアリなのかもしれない。
事業仕分けでは、問題の深堀りが不十分だと感じる。
社会保障改革は必要だ。税金とは切り離して考えれば良いのではないか。
社会保障や公共事業でも、無駄がないか、
別のやり方、別の事業がないか、見直しは必要だ。
既得権益が勝手に人のお金を略奪して、恣意的に使う事は許される事ではない。
ろくな使い方をしないなら、盗らないほうがよい。
増税と歳出削減はダブルパンチとなる。
では、減税とシロアリ削減ならばどうだろう。
シロアリ削減が間に合わないのなら、税ではなく、いままで通り国債で補えば良い。
ただし、日銀外債購入はしない。金利の問題や、実質踏み倒しにあう恐れがあるからだ。
アベノミクスはなぜ消費増税なのか。なぜインフレターゲットなのか。
法人減税という考えがある。
法人減税は、外資の呼び込み?設備投資への誘導?
「株式投資家の立場から見ると」
配当金の確保の為。と言ったほうが、すっきり理解できる。
自分にとって、その「権威」が有益かどうかは、自分自身で考えよう。
いま、労働者でもあり、株主でもある人は多い。
年金生活をして、資産運用を誰かにお任せしている人もいるだろう。
庶民への「生活」圧迫が、格差意識をつくりだす。
格差意識は、金持ちに向けられているものではない。
格差意識は、大資本に漠然と向けられている。
議会制民主主義は上層市民だけのものなのだろうか。
(以下引用)
「特権階級との妥協が、いつのまにか、その特権階級による市民の支配となり、
その市民が民主的な力と対立するものになっていった。」
以上引用:『都市の論理 第一部歴史的条件』 羽仁 五郎 V自由都市とその崩壊 より。
戦後レジームの脱却とは、
資本主義体制(影響下)での、天照神(カミ)権、立憲君主、官僚専制政治を目指しているのだろうか。
その権力の暴走を防ぐ装置として、日本の民主主義は機能していけるのだろうか。
民主主義が根付く前に、都市崩壊のときにみられる状態に導かれ、芽が、目が、潰されている。
庶民・平民には、政治は似合わないのだろうか。
「庶民」は簡単に「おかみ」に脅され、懐柔され、喰いものにされてしまうのだろうか。
【1036】[1178]日本国債に今何が起きているのか(3)
副島隆彦先生より、再度コメントを頂きましたので共有します。
みなさまも、日本国民にとって重要な事実をどんどん投稿して頂きたいと思います。
(転載はじめ)
鈴木さまへ
副島隆彦から
重たい掲示板への ご投稿をありがとうございます。きっと 鋭く注目する人たちが数百人は
いるでしょう。
私が、その後、このNHKの番組について 調べましたら、どうやら 財務省が やらせて 作らせた番組だそうです。 日本国債の暴落(金利の上昇)が やがて起きることを 国民を脅迫するかのように 作為的に放送したようです。 アメリカが日本政府に強制的に大量の米国債を買わせている裏の大きな事実と、 このために増税しているのだ、ということには、一切、この番組は触れていません。
私、副島隆彦は、このことを怒ります。
鈴木さん、今後も、どんどん 遠慮無く、重掲(おもけい)に投稿してください。
今後とも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。
副島隆彦拝
(転載終わり)
以上です。
【1035】[1177]格差について今何が問われているのか
格差は必要だ。
競争が経済発展に有効だからだ。
しかし、格差の固定化は良くない。
努力しても無駄だという事になるからだ。
格差が拡大しすぎるのは良くない。
貧乏人が医者に診てもらえない世の中、
ホームレスがあちこちに見られる世の中、
治安や衛生を考えて、住みやすい世の中ではなくなるからだ。
格差の是正は共産体制への移行を意味しない。
資本主義と自由主義の限界を補うだけだ。
中道・中庸、あまり極端すぎない政策の選択が望ましい。
We are the 99%運動は階級闘争である。
そういった意味では共産党員が離党して、
格差是正的なことをうたう党にすれば、
新たな第三極になりうるのではないか。
今回の米国財政の崖回避法案の、
ブッシュ減税恒久化と富裕層への課税で落ち着いた事など、
採用された政策をみる事は、今後日本が米国の後を追い、
格差の拡大と固定化が進むとした場合の、
支持されやすい政策として参考になる。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90101T20130102?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
私が政府に望む税金に対する考え方は以下の通り。
①勝手に人の金を奪わない
②余計な事はしない
③ひとりで解決しない事には、みんながそれぞれ出せるお金をだしあって使う。
①②と③の両立は矛盾や各人考え方の違いを生じるとしても、
中道・中庸の考えで、妥協が必要な事もあると思う。
努力してどうにもならない事がある現実、
最初から与えられた条件が違う現実がある。
私はロックフェラー家に生まれたわけではない。
私は大学教授が専属の家庭教師であったわけではない。
格差の問題意識とは、
単に比較上位になりたいという人間の欲の問題なのであろうか。
わたしは自家用ジェットの購入を検討しているわけではない。
私はお隣さんよりも高い車に乗りたいわけではない。
私は友人よりも美味しいものを食べたいと言っているわけではない。
私が危惧するのは、現状の格差ではなく、
進行している格差の拡大と固定化である。
所得格差により、子供に与える教育格差が広がる。
現に学校教育以外の習い事をさせている親は多い。
努力したら報われるかもしれないが、努力の後押しと、
努力する場の確保で、既に差がつく。
学校教育は落ちこぼれをつくらない事を旗印に、
格差を固定化しているのではないか。
努力するものには努力できる機会が必要だ。
同じように努力しても、雇用機会が時代によって異なれば、
報われ方も異なる。
中途採用でキャリアアップを目指しやすい風土なのだろうか。
システムに組み込まれた社会人が、
再度教育を受け格差から抜け出す事が可能なのだろうか。
毎日の日当でその日その日の食べ物を確保する生活で、
機会が得られるのだろうか。
そうならないように、小さな頃から勉強すればよいと言っても、
教育格差の問題で、最初から機会の土俵が異なる場合もあるのではないか。
そこで、教育は習いごとなどが不要となるぐらい出来るだけ機会は平等にし、
競争は激しくし、飛び級制度などで努力したもの、
能力のあるものは公正に格差がつく仕組みを目指すべきだ。
社会人でも教育を受けやすい機会をさらに増やすべきだ。
そして、それでも機会の平等は得られない、不十分となるだろう。
努力しても不慮の事故などで望ましい結果にならない事もあるだろう。
それを救済する制度は必要だ。
社会保障や国民皆保険は問題を抱えていて不十分だとしても、
日本が世界に誇るべき制度だ。
TPPの推進などで保険に入れない人が、
たくさん発生するような国になる様な事態は防ぎたい。
格差の問題は、なんでもかんでも平等という事ではなく、
機会の確保と救済の問題である。