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Loginはこちら【1272】[1505] 年の瀬に、副島隆彦から まとめて書いて報告しておきます。
副島隆彦です。今日は、2013年12月30日です。
年の瀬に、急いで、私がまとめて書いておかなければいけないと思いました。来年も私たち「学問道場」にとりましては、厳しい年が続きそうです。会員からの更なる強固なご支援をいただきたい。
お札と国債の刷り過ぎ(ジャブジャブマネー、超金融緩和)の米、欧、日の先進国3地帯での継続によって、この麻薬と延命措置 で、先進国は生き延びている。そのために、来年一年間は、”金(きん)殺し ”の金暴落を仕組む。ヨーロッパが先に崩れる。そのようにアメリカは仕組む。だからヨーロッパ諸国に投資したアメリカの資金(ポーランドやハンガリーへの住宅ローンの資金とか)を、どんどんアメリカに戻しているので、それでユーロ安(1ユーロ142円)が続いている。
私の考えは、今年後半に出版した本たちの中に書いている。それと会員ページにたくさん意見表明している。私の本を真面目に読まないで、私の最新の考えを、ここのネットに盗み読みに来るだけの輩(やから)への私の強い反感があります。 だから私はここにあまり書きたくない。 それだけの理由だ。
それでも会員たち、あるいは、年一万円の会費を振り込むのが億劫になって休んでいる会員たちに対して、私はやはり自分の最新の考え、分析、洞察を書いて公表しなければいけない。
この1ヶ月間に起きた、世界的に重要な政治問題についても、私は、思いつくままに書いてゆく。箇条書きで羅列(られつ)する。あとは会員ページの方で、詳しく説明する。
1.安倍晋三首相の 12月26日(木)の突然の靖国参拝の 背景、裏側(うらがわ)、その持つ意味。
2.北朝鮮の 国防委員会副委員長の張成沢(ちょうせいたく、チャン・ソンテク)の12月12日の銃殺刑。
3.イエレン次期FRB議長が、12月14日(火)に米上院の指名承認の公聴会(パブリック・ヒアリング)があって意見表明した。
ここでイエレンは、「金融緩和の継続の徐々の停止」これを、テイパリング tapering (ヤスリやろうそくの炎の先のように先細りしているもの)と言うが、これを当面、やらない、やめる( =金融緩和をやめるを、やめる。 けど、少しずつはやる という複雑な話。世界中をだますために)という複雑怪奇な表明をして、このあと、すぐにNYの株価が上がって、日本の株も上がりだした。
このインチキ経済政策 (金融政策だけの一本槍のいびつな政策)のことは、ここではこれ以上説明しない。来年1年は、アメリカ政府は、このインチキ緩和政策を続けて、問題を先延ばしにして生き延びる。
「アメリカの景気は回復しつつあり、心配はいらない」と大宣伝している者たちは、アメリカのジャンク・ボンド(低信用の債券市場)が先週から急激に崩れだしている事実を見ようとしない。
4.特定秘密保護法(とくていひみつほごほう)が、12月7日に可決した。
この変な法律の持つ意味については、会員ペ―ジの音声配信で、アルルくんと話して、説明した。だから、ここでは極(ごく)手短かに話す。大事な点は、「秘密を漏洩(ろうえい)した公務員は最高で10年の懲役に処す」と決めたことだ。すべてはスノーデン事件とウィキリークスがアメリカ政府の情報機関(N.S.A. エヌ・エス・エイ)が集めた情報を世界中に公開してしまったことの強い影響だ。
エドワード・スノーデン(ロシアで保護されている)が、FBIに追いかけられて、咄嗟の判断で、命がけの逃避行(香港に逃げた)で、世界中の大新聞社にばらまいた、そしてまだ、ロシアのプーチンの手元で保留されている世界中の各国政府の動きの傍受(ぼうじゅ)、盗聴や、主要各国の国家情報機関の最高幹部たちの氏名一覧の公表の問題だ。
今度出来た、特定秘密保護法は、法律の条文自体が意味を成していない。最後の方に、その条文の一部を載せる。 何を書いているのか、法律学の知識のある私にも意味不明の条文たちである。
この特殊な法律が出来たことで、大事なことは、国家(政府)が、おのれの行動と集めた情報の山を秘密にして公開しないで国家機密としてこのままにしたいという本性(ほんせい)から出た、長年、情報機関(内調=ないちょう= 内閣情報調査室、や公安・外事警察。自衛隊の教育隊とか。公安調査庁=公調(こうちょう)=は嫌われて力がなくなっている) が内部統制用にも欲しがった国家機密の保護法である。
この日本の国家情報機関に所属する公務員たち(警備公安警察=政治警察や自衛隊の特殊部隊 の非公然の隊員たちおよびOBたちに対して、「お前たちが国家機密を持ち出してどこかで公表したら、懲役10年の刑にする」 という条文がすべての目玉で中心だ。つまり国家の内部統制の法律である。
これまでは、民間の企業や組織にたいして、ホイッスル・ブローワー(内部告発者)を奨励して、どんどん捜査機関(=警察)に内部の犯罪などを持ち込むように教唆していた。それが、何と自分たち国家機関にこの「内部告発=情報漏洩」問題が、襲い掛かるという晴天の霹靂の 事態が頻発するようになった。だからこれまであった、「内部告発、タレコミの奨励の法律」を潰して禁圧しようという動きだ。
私の近作、『 税金官僚(ぜいきんかんりょう)から 逃がせ隠せ個人資産』(幻冬舎刊)で、ICIJ(アイ・シー・アイ・ジェイ)に持ち込まれて世界中に、満天下にネット上で公開された、ケイマン諸島、バーミュダ諸島の世界350万人の資産家と権力者たちの一覧表のことは、書いた。
これまで有った「情報公開法」もグチャグチャの法律にして葬ったように、どさくさで無力化させた。 スノーデンとウィキリークスによる、主要国家の国家スパイの高官たちの氏名一覧の公表に心底、怯(おび)えたのだ。それが、特定秘密保護法作りのお粗末の中心部分だ。
5.徳洲会(とくしゅうかい)から猪瀬直樹(いのせなおき)都知事に渡された 5千万円の事件。この本当の問題はどこにあるか。猪瀬直樹が、12月18日に辞任表明して、それで、すべてを終わりにしようとしている。
このあとは猪瀬の逮捕も全てなしにして、それで、東京地検特捜部はホウカムリをして、知らぬ顔の半兵衛で、自分たちが逃げ切ることに必死になっている。
これは巨大な医療法人である徳洲会を潰そうとした、これまでずっと争い付け狙ってきた厚生労働省の官僚が仕組み、それと、今の東京地検特捜部長とがやった官僚連携の「利権あさり」劇の大失策であり敗北である。徳洲会のドン・徳田虎雄(とくだとらお)は生きていた。
彼の恐ろしいまでのあの形相の捨て身の反撃に、もんどり打ったのは自民党と特捜部だ。
“ドン・コルレオーネ”は生きていた。ドン虎雄が死ぬ前に手を出してしまった厚生官僚と、検察特捜部は、黙り込んで自分たちの無能を恥じている。功を焦って、小沢一郎を犯罪者に仕立てて、つぶして、自分たち“法の番人“が、”法律という刃物”を使って、違法行為を続けて犯罪者になって指弾を浴びたことの汚名を濯(そそ)ごうとした、愚か者の検察庁幹部と最高裁判所=法務官僚どもの大敗北だ。
この全国52箇所の徳洲会の大病院のネットワークを厚生官僚たちは狙っていた。医療官僚行政と医師会にずっと40年間逆らい続けた虎雄が死んだら、徳洲会を、徳田家から奪い取って、厚生官僚どもを天下らせて、そこを自分たちの新しい美味(おい)しい餌場(えさば)にしようと、ほくそ笑んだ厚生官僚たちの大失策だ。 自民党に火が及んだので、自民党が怒った。
虎雄の、あの車いすのまま出てきて、首も動かない、目だけで字を書いて、それを音声に変えて皆に話した、あの10月後半からの、壮絶な反撃は、本当に、すさまじかった。全組織を挙げての命がけの反撃をせよ、の大号令だった。さすが南島の僻地(へきち)の、奄美大島からさえ差別される徳之島(とくのしま)出身の者たちの団結力だ。
以下に載せる、徳洲会の元事務総長・能宗(のうそう)克行(かつゆき)(57歳)“金庫番”が、徳洲会を裏切り、虎雄と大喧嘩して、そして、自民党政治家たちへの裏献金(ワイロの渡し)を、全部、特捜部にしゃべった。それで、徳洲会潰(つぶ)しとしての、息子の毅(たけし) 衆議院議員を贈賄罪で捕まえることで、この「徳洲会つぶし」を完成しようとした。
そして “計画通り” に猪瀬直樹に火がついた。猪瀬ひとりを焼き殺して、それで、終わり、幕引きにしようとしていた。 猪瀬の親分である 石原慎太郎が、5千万円の20倍の10億円ぐらいは、徳洲会からこれまでにもらっている(都知事だから収賄の罪)ことは、国民の多くが今、囁(ささや)き合っている通りである。自民党の大物たち(派閥のボスたち)でひとり2億円ぐらいずつだろう。
ここまでなら、そこらの床屋談義や、ふつうの評論家たちでもやっている。ここからが大きな真実だ。ドン・コルレオーネ・虎雄は、「こうなったら、すべて、これまで自民党の大物たちに、能宗(のうそう)が渡した徳洲会のカネのことを 特捜部に 全部話せ」と、巨大な反撃に出た。徳田虎雄は、流石(さすが)であり偉い。
やはり大した人物だ。私が私の映画評論本で、「映画ゴッドファーザー論」のところで書いたことを思い出して欲しい。 よくまとまっている日刊ゲンダイの記事を載せる。
(転載貼り付け始め)
「 逮捕された能宗元事務総長、民主党政権のメンバーもゾロゾロ 」
「 逮捕された金庫番が暴露 「徳洲会マネー」15億円の譲渡先 」
2013年12月4日 日刊ゲンダイ
徳洲会の政界工作の裏の裏まで知り尽くした“金庫番”が逮捕された。警視庁と鹿児島県警に業務上横領の疑いで捕まったのは、グループの元事務総長・能宗(のうそう)克行(かつゆき)容疑者(57)。徳洲会の関連会社の資金3000万円を着服した疑いだが、この男こそ、一連の不正の実態を東京地検特捜部に詳述し、親族逮捕のきっかけをつくったとされる人物だ。
能宗は関西学院大を卒業後、79年に徳洲会大阪本部に入り、創業者の徳田虎雄の運転手兼秘書になった。猪突猛進な虎雄の指示に従って、信号無視やスピード違反は当たり前の運転術を身につけ、虎雄の信頼を獲得。これを機に30年以上にわたって重用された。
「虎雄氏が難病に侵された後は代弁者として徳洲会マネーを差配し、絶大な権力を誇った。これに“徳洲会が乗っ取られる”と反発したのが、虎雄氏の親族です。腕利きの興信所を雇うなど大金をはたいて能宗が関わった不正なカネの流れを洗い出し、今回の着服容疑を突き付け、今年2月に能宗を懲戒解雇。その後、刑事告訴したのです」(捜査事情通)
■大物政治家の名が次々と
懲戒解雇の直前、能宗が徳洲会側にカネの流れを説明した「弁明書」が検察の手にわたった。
「政界工作の裏金をどう捻出し、どう使ってきたのか。大物政治家の実名を挙げながら、80ページ超にわたって、こと細かに説明しています。特捜部にとっては宝の山で、警視庁が今回、捜査にあたったのも検察側に『俺たちの捜査協力者を自らの手で逮捕するわけにはいかない』という負い目があった、ともっぱらです」(捜査事情通)
メモはマスコミにも出回り、石原慎太郎、亀井静香、鳩山由紀夫など実名で登場する政治家たちは「資金提供はない」と否定しまくっている。
「問題は民主党政権時代の裏工作で、多くは時効を迎えていません。メモには、民主党元衆院議員の高見裕一氏とナント、15億8000万円もの巨額コンサル契約を結び、すでに計2億4140万円を支払ったと記載されています。警視庁は10月末に能宗の着服事件の関係先として、高見氏の自宅を家宅捜索しています」(捜査事情通)
この高見氏を国交相時代に特別参与に任命したのが、前原誠司だ。メモには徳洲会が取り組んだ「メディカルツーリズム構築へ向けた医療ビザ創設」について、〈高見氏が前原大臣と膝を突き合わせて説いた〉などと克明につづられている。
前原事務所は「一切、関わっていません」と答えたが、メモには高見氏を通じた菅元首相や長妻元厚労相などとの“パイプ”も真偽不明ながら、詳細に書かれている。金庫番の逮捕によって徳洲会捜査は次にどんな展開を見せるのか。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。この 徳洲会の金庫番で、組織の裏切り者の能宗克行(のうそうかつゆき))事務局長からのゲロ、白状を証拠に、徳洲会を叩き潰して、厚生官僚どもに渡そうとした、法務官僚=検察・特捜部の大敗北である。他の自民党の有力政治家たちへの徳洲会からのカネのことをどうしても特捜部は、調べなければならなくなった。困り果てた。
そこで、 この能宗 を逮捕したのは、警察(庁)なのである。 検察のバカたちが失策を起こして、自民党の大物たちのカネの受け取りまでバレかけたので、能宗を何が何でも、警察の檻(おり)の中に隠して、二度と表に出さないようにする、ということである。こうなったら犯罪捜査もへったくれもあるものか。自民党とオール官僚どもは、自分たちが逃げを打つことで必死となる。
ホリエモン事件のときと同じだ。
ホリエモンも、そうやって、右翼ヤクザ者たちから命を狙われた形にして、検察の中に逃げ込ませた。カネとライブドアのすべてをホリエモンから奪い取った。そして命乞いをしたホリエモンを国家が「助けて」やった形にした。
自民党の親分たちに、ホリエモンが、ケイマン諸島の口座の付け替え(送金)で配ったカネの問題は、全て有耶無耶(うやむや)にした。あの”堀江メールの永田寿康(ながたひさやす)発言”(2006年2が厚16日)は本物だ。のちに、民主党の永田議員は、精神病の飛び降り自殺(2009年1月3日)、ということにして殺された。 ホリエモン(堀江隆文)のことをネット時代の英雄のように思っている若者たちは、少しは考えなおした方がいいよ。
あとは、もっと大物で、腹ぐろい 孫正義(そんまさよし)だ。彼の背後には、世界メディア王のルパート・マードックと、デイヴィッド・ロックフェラーが付いているから、日本の電波(でんぱ)官僚、通信官僚 (今は、総務省)たちでも怖くて手が出ない。孫正義に対しても、私、副島隆彦は、これから私が書く。遠慮はしない。何が、“平成の坂本龍馬”だ。このフクスケ(福助)野郎、キューピーちゃんと書くと、「先生、もっと上品になってください」と、弟子たちから叱られるので、やや、上品にします。
孫正義が、”新電電(しんでんでん)”で、電電公社(現、NTT)を痛めつける形で、その尖兵(せんぺい)となった。NTTの通信局に無理やり電話線をつなぐことをやった。これに強く抵抗したNTTの副社長たちや郵政省の幹部たちが、何人もおかしな死に方をしている。そのあと、あの 藤原紀香(ふじわらのりか)で売ったJ(ジェイ)フォンが、携帯電話の免許を取るのを邪魔されたので、イギリスのボーダフォンの株を2兆円で買った形にした。
それなのに、祖正義は、世界ボーダフォンの会長(日本ボーダフォンの社長にさえなっていない)にもなっていない、おかしな株式の操作で、この違法行為を闇に葬った。 日本の大銀行からの横並びの融資を受けて、その2兆円は、誰に貢いだのか。すべて今は、ボーダフォンを買収、吸収したソフトバンクの株ということにしてある。孫正義を手ごまにして使って世界規模でやっていることを、その背後の親分たちの動きを明らかにしなければいけない。
ここからが本当の政治評論だ。実は、安倍晋三首相と、石原慎太郎は、今度、お台場(フジテレビの建物の隣り)でやろうとしている、 カジノ(博奕場、ばくちじょう)の法律をドサクサで作るのだが、この突然のカジノ解禁法律 を巡る、利権で争っている。
パチンコ・遊技場産業の大手のセガ・サミーが安倍晋三に貢ぎ、それに対して、アルゼ の方が石原慎太郎派だ。 この“カジノ解禁”利権をめぐる争いだ。安倍と石原の二人は、右翼・愛国者としての心情で、韓国(人)、朝鮮(人)たたき、中国との敵対行動で、二人は同志だろうに、などと、甘い考えは持たない方がいい。大物政治家たちは、「国王級」の人間たちだから、自分にカネを貢いでくれる勢力のために動く。
だから、今度の徳洲会事件で、石原を動けなくして、その政治生命を奪って(「石原さん。首相に逆らうことはできないよ。首相は警察も動かせるんだよ」と)、それで、まだ頭の軽い(人生経験の少ない、という意味)の橋下徹(はしもととおる)を安倍は、自分の方に呼んで、「ねえ、憲法改正を一緒にやろうよ」と引き込もうとしている。これが政治だ。 一気にやるであろうカジノ解禁の法律作り策動や、セガサミー、アルゼのことは、会員ページ用に詳しく書きます。
6.中国で、11月12日に、三中全(さんちゅうぜん)という今後の国家方針を決める、中国共産党の重要な会議が終わった。内容を私はまだ十分に分析できていないが、中国のこれからの10年間の国家運営についての相当に重要な会議だったようだ。
この問題は、私はここでは書かない。ただはっきりしたことは、「中国政府(=党)が、判断に困ったときは、市場(マーケット)の原理にまかせると決めた」ようである。あとひとつは、「まだ貧しい8億人の農民たちの土地を私有制にする。ひとり1ヘクタール(一町歩)農民全員にあげる。地方政府から権利を取り上げる。土地取引の資本制と、担保(抵当権の設定)制度や農地金融制度を導入する。そして農民をもっと豊かにする。都市戸籍と農民戸籍の壁を取り払う(=これが李克強の都市化政策だ)」ということであるようだ。
私、副島隆彦が、この2ヶ月不愉快なのは、今、書店で、韓国(人)たたき、韓国イジメをやっている、愚か極まりない本が 大いに売れていることだ。ここには、世界基準(ワールド・ヴァリューズ)では、明らかに極右(きょくう。エクストリーム・ライトウイング)である安倍政権による計画的な扇動も見られる。
中国たたきは収まったようだ。中国は大きな国で、もう、日本が正面からぶつかろうとしてもとても勝てない、と分かった。かつ、「中国経済は崩壊する論」をずっと書いて主張してきた愚か者(アホ)たちが、中国の経済がなかなか崩れないものだから、その矛先(ほこさき)を、大国ではない世界基準では中堅国である韓国に向けている。韓国は、世界20カ国の先進国 =G20=には入っている。人口は丁度5千万人である。
私、副島隆彦は、「悪韓(あっかん)論」、すなわち、“悪漢(あっかん)”である韓国人を貶(けな)し、蔑(さげす)み、見下(みくだ)し、嫌韓(けんかん)を囃(はや)し立て、チャンコロ( 中国人への蔑称。正しくチャンコウレンと発声すれば、正しい中国音の「中国人」である)や、チョン公、チョーセンジンは人種的に劣っているのだとか、言って、どキタナイ悪罵をテレビに向かって投げ掛け、唾棄し、軽蔑しつくして毎日を生きている日本人が、300万人ぐらい居るとが分かっている。私の友人たちにも、そういうのがいる。私は、呆れ返って、その韓国人への悪しざまの罵りをじっと横で聞いている。
生来、知能が低く、日本社会で劣等生、知恵遅れ、落ちこぼれであり、そのくせ金(カネ)にだけは穢(きたな)い生き方をして来た者たちほど、極右・安倍政権を熱烈に支持して結集している。そして、そのまわりに雰囲気だけで同調する、馬鹿な貧乏、不満だらけサラリーマンや自営業者たちを寄せ集めて、ワイワイやっている。
お前自身の顔を、よーく鏡に写してみろ、そこに韓国人と全く同じ顔がある。副島隆彦は、ここまで言って、全員にケンカを売るぞ。
こういう日本国の劣等人間 (生来の愚鈍、かつ、人をいじめるのが好き。穢(きたな)らしいカネ儲け一点張りの小商人やケチ臭いアパート経営のような、生来の右翼体質人間)たちが、今の 反韓(はんかん)嫌韓(けんかん)ブームを作っている。韓国発祥の奇っ怪な宗教団体の暗躍がある、が、そのことは書かない。この低劣、下品極まりない日本人たちと、私は、同族であることを、つくづく恥ずかしく残念に思う。
日韓併合(1910年)で、日本が韓国を植民地にして、1945年(日本の敗戦。光復=こうふく=と韓国では言う)まで支配したことへの恨みと長い憎しみが韓国人にあるに決まっている。
人にヒドいことをしたことのある人は、自分の罪を自分の内面で恥続けなければ済まない。水に流して、何もなかったことにしよう、「韓国人の怨念(おんねん)や、恨(ハン)はいつまでも、うるさい」 世界情勢は、どんどん、新しく前に向かって進んでゆく、だから昔のことばかり言うな、と言うのは、占領して支配した側の論理だ。イジメられた方は恨みを忘れない。 だからどうしても国家間の謝罪問題になる。
私、副島隆彦は、韓国の今の女性の朴槿恵(パク・クネ、ぼくきんえい)大統領は、お父さん譲りの優れた人物だと思う。両親ともを政治の泥沼で暗殺されて素だった厳しい人間だ。彼女は、世界基準の政治家だ。アメリカやヨーロッパに行って、堂々と英語やフランス語で議会で自分の言葉で演説している。世界政治を行える能力を持っている東アジアの政治家だ。 日本では、小沢一郎だけが今も世界基準の知性を持ち、振る舞い方を知っている政治家だ。
あとの政治家たちは日本国内レベルの内部だけで通用する人間たちだ。 アメリカと、自民党と、オール官僚どもが、小沢を寄ってたかって、あれこれの不正選挙や、犯罪行為までやって、潰した。それならそれで仕方がない。
私が、小沢一郎を褒(ほ)めるのは、彼は、実質の日本国王だから、絶対に、三権分立(さんけんぶんりゅう、と法律学部卒は言う)のルールを破らなかったし、怒りに任せて、敵たちに「目には目を、歯に歯を」で立ち向かわなかった。
一切の違法をなさず、ただひたすらひとりでじっと耐えた。妥協をしなかった。子分たちをどんどん切り崩され脱落させられても一切、動じなかった。あの姿が、すばらしいのだ。自分の子分たち(粗製乱造で、確かに能力の無い者が多かった)は、全員、議員落選して、野原に屍(しかばね)を晒(さら)している。ただし改革と自立から取り残された日本国民の憐れさ、は続く。小沢たちを支えきれなった自業自得だから、小沢は今の事態をボー然と受け入れる。
私は、丁度20年前の、1993年(自民党大分裂。細川=8党派=政権)の時も、政治謀略で打ち倒されたが、あの時から、私は、「小沢。たとえ一騎になってもいいから、野山を逃げ延びろ。どこまででも、逃げ延びろ。生き延びろ」と書いた。私、副島隆彦はそういう人間だ。言論人として、日本の政治思想家として、そのように ずっと書いてきた。
先々週、安倍晋三首相は、国会の終わり(御用納め)があったときに、各党派の党首(=代表)のところを自分の方から回った。その時、小沢と安倍は、確か30分以上も、二人で小沢の部屋で楽しそうに雑談している。この姿がいい。実によい。日本国の運命を背負って、苦しい舵取りをしている者たちどうしの本当の姿だ。 国王(=民族指導者)というのは、常にこういう穏やかな態度でいなければいけない。
朴槿恵(パク・クネ)が、反日言論を繰り返す、日本を馬鹿にしている、国際舞台でも安倍首相の顔も見ない、顔をそむける、と言って、日本のバカ右翼たちは怒る。どうして、もっと思慮深く、自分に向かって反感や怒りを見せる者にまで、相手を包み込むように、優しく接する、ということが出来ないのか。
優れた人間が持つ、本来の優美さ、というものが、産経新聞右翼、文藝春秋右翼たちには、備わっていない。気持ちの悪い、と或る、韓国発祥の奇怪な宗教団体が彼らの元凶である、問題だ。
そして、その団体を背後から作ったのは朝鮮戦争の時の米軍の幹部たちの中にいた(のちの)イスラエルのモサドたちだ。北朝鮮の政府の中にも、そういう特殊な、奇っ怪な人間たちが、最高幹部クラスの中にも潜り込んでいる。名前まで分かっている。
私は、日本の右翼、民族主義者たちが、発生(誕生)した、1889(明治22)年の、東亜同文会(とうあどうぶんかい)の当たりから、今、調べている。本当は、アジア人の団結による、欧米列強(おうべいれっきょう)の白人文明からのアジア人の独立と、団結を標榜して始まった運動なのに。 宮崎滔天(みやざきとうてん)に始まり、遠山満(とおやまみつる)、黒龍会( ブラックドラゴン、玄洋社)の内田良平たちも、始めは、日清同盟(にっしんどうめい)で、日本は中国と仲よくしてアジアの繁栄を切り開く、大(おお)アジア主義だったのだ。
それが、東亜同文会を作った 近衛篤麿(このえあつまろ。近衛文麿の父)や、細川護貞(ほそかわもりさだ。細川護熙の父)たちが、大アジア主義を捨てて、日露戦争のあとぐらいから、「シナ保全(ほぜん)」「日本の中国での利権の確保」と言い出した。日本の右翼が、大アジア主義を棄てて、変質して、アジアへの侵略主義者に変じたのは、やはり、このふたりの影響が大きい。
犬養毅(いぬかいつよし。木堂)や高橋是清(たかはしこれきよ)たちは、変質していない。だから、5.15や2.26で殺されたのだ。それから日本は大陸への侵攻を始めた。戦争を仕組まれて、やらされた。日本の右翼はだらしないのだ。世界反共(はんきょう)同盟を言いさえすれば、自分たちに正義があると、意固地になって思い込んでいる。本来の、アジア人どうし団結せよ、の大(おお)アジア主義はどうなったのだ。
(転載貼り付け始め)
北朝鮮、張成沢(チャン・ソンテク)氏の死刑執行
朝鮮中央通信報道 2013/12/13
12月9日、北朝鮮の朝鮮中央テレビが放映した、8日の党政治局拡大会議の場から連行される張成沢氏=聯合・共同
【平壌=共同】北朝鮮の治安機関、国家安全保衛部は12日、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父、張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長に対する特別軍事裁判を開き、死刑判決を下した。刑は即日執行された。朝鮮中央通信が13日伝えた。
張氏については8日、自らの派閥をつくる「分派」活動など「反党・反革命的行為」を理由に、朝鮮労働党が全役職からの解任と党からの除名を決めていた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。この張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長は、13日には、判決のあと即座に銃殺刑になり、機関銃(マシンガン)で蜂の巣になったそうだ。
私は、世界各国の情報機関と大メディアが、「情報不足」と言いながら、盛んに恥ずかしがっているのを見て、ははあ、あんまりもみっともない原因だものだから、自分たちが恥ずかしがっている、と勘づいた。
処刑された張成沢(チャン・ソンテク)が、中国に近いとか、私腹を肥やしたというのは、取ってつけたような理由(解説)で、真実は、やはり、金正恩(きむじょんうん)の奥様に成った、かわいい女性である李雪主(イ・ソルチョル)が、 張成沢(チャン・ソンテク)と、喜び組時代に肉体関係があったことが、流出したビデオで判明して、それで、金正恩本人と周辺が、怒り狂って、それで、こういうことになったのだと、判断する。人間というのは、権力者であっても、こういう人生ドラマ(劇)を持っている。
私、副島隆彦は 政治言論人 であるが、本当は文学者(作家)の資質を持っている。私の眼力からして、権力者たちが織り成す、男女の愛欲のドラマこそは、本当の政治劇である、と分かっている。だから、ヨーロッパの王侯貴族たちが、死ぬほど、オペラ(歌劇)が好きだったのであり、オペラの大作の中の(ユダヤ)民族の興亡(サムソンとデ=ダ=リダや、アイーダや、ナブッコ、ドン・カルロなど)の民族の英雄と王女たちとの男女の悲劇のなかに、本当の人類(=人間)のドラマを見る。 皆、男女の愛憎劇は、私たち庶民でもやっていることで同じなのであるから、そっとしておいてあげるべきだ。
私は、李雪主(イ・ソルチョル。りせつしゅ)が、金正日(キム・ジョンイル)の死去2周年のお祀りの日の、先日のニューズの映像で、顔を歪めて悲しそうな苦しい顔をしている金正恩の横、3メートルぐらいのところで、本当に死にそうな顔をして真っ黒な表情で歩んでいる姿を見て、ああ、大変だなあ、と同情した。
私、副島隆彦の事を、チョン公、チョーセンジンの手先、韓国人の肩を持つ反日分子と呼ぶなら、呼べ。私は、「アジア人どうし、戦わず。団結せよ。戦争だけはしてはならない」「深く仕組まれる戦争だけは、もうさせられてはならない」という旗(はた)を立てながら、ずっと生きてきた日本人知識人だ。
欧米白人たちがやってきた、侵略と横暴と悪巧みと こそ、団結して、闘って跳(は)ね返してゆかねばならないのに、どうして、私たちは、同じアジア人どうして、こんなに、敵どもの策謀に乗せられて、いがみ合わなければならないのだ。 私は日本国のこの悲惨な現状に、ひとり慟哭する。
(転載貼り付け始め)
「 首相靖国参拝、日米同盟への影響焦点 米国は「失望」 」
日経新聞 2013年12月26日
安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。「首相の年内参拝はあり得る」と秋からみてきた外交当局が注視するのは日米同盟への影響だ。駐日米大使館は26日、首相の靖国参拝について「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに、米国政府は失望している」との声明を出した。
http://mxt.nikkei.com/?4_19409_334005_2
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 安倍晋三が、どうして、政権一年目のこの時期に、靖国に行ったかは、その裏側の秘密は、ここではもうあまり書かない。会員ページ用に取っておく。
「ザ・カルト・オブ・靖国(ヤスクニ)」と、アメリカで呼ばれている、お前たち、ワック一派、産経右翼、文春右翼たちのことは、ここでは書かない。
今の世界は、アメリカの 「 オフショア・バランシング offshore balancing 理論 」で動いている。これは、私たちの古村治彦(ふるむらはるひこ)研究員が、評判をとった本『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所刊、2012年)で、日本に紹介した、今のアメリカの大きな国家戦略だ。以前の凶暴なネオコン派の戦略とは、オバマたちは全く違うのだ。
この10月3日に、「2プラス2」(外務相と国防相の会談)で、日本に来たジョン・ケリー国務長官と、チャック・ヘーゲル国防長官が、なんと、日本政府の隙を縫って、二人で、千鳥ヶ淵の戦没者霊苑(世界基準の無名戦士の墓。ツームズ・オブ・アンノウン・ソルジャーズ)に 花輪を捧げに行った。
その このアメリカ政府の動きに逆らうべく、安倍晋三は、動いた。それは、安倍たちを支える、反オバマの、好戦的な、戦争翼賛勢力が、アメリカにいるからだ。
しかし、それよりも、安倍と 菅義偉(すがよしひで)官房長官 (菅が、今の安倍をすべて動かして、ずべての官僚たちを統制している。菅は、日大夜間部出身。横浜の寿町で、沖仲仕をやって大学を出た苦労人だ。だから、どんな苦しみにも耐えられる)はその次の計画している。
バカ右翼たちの歓心(かんしん)を、靖国参拝で買っておいて、支持を強固にしておいて、そのあと、来年の早いうちに、 北方領土の4島のうちの2島(面積平等)返還、というのをぶち上げるだろう。そしてロシアのプーチンと日ロ平和条約(講和条約。=戦争終結条約)を結ぶだろう。だから、安倍と菅は、その布石を今のうちに打っているのだ。
アメリカ(オバマ)には、10月7日に、サンクト・ペテルブルクのG20で、そそくさと会談して、安倍は、50兆円を払う約束をした。それでアメリカは日ロ(日本とロシア)の交渉を邪魔しない、となった。サハリンの天然ガスを、ロシアから海底パイプラインで直接、運んでくることに成った(LNGタンカーやら液化の手間がいらない)。
それで、今、日本政府は、一回に5兆円ずつアメリカに払っている(=米国債買い)ので、1円ずつ、円安になる。1ドル99円から始まって、110円まで円安は続くだろう。一回5兆円ずつ、日本政府(日銀)が、為替相場で、円を売ってドルを買って、それをアメリカ政府に渡せば、一回当たりで、1円ずつ円安に動く。 昨年の12月の、1ドル90円から103円までの急激な円安の動きと全く同じだ。すべて政治が市場を、乗っ取って動かしているのだ。
このとき、オバマから、安倍は、「オリンピックを東京でやらせる」のOKをもらったので、この50兆円を払うで決着した。安倍は、このあとすぐさま、飛行機に飛び乗って、G20をほったらかして、南米ブエノスアイレスまで飛んで、何くわぬ顔をして、「2020、トーキョー」の素っ頓狂のロゲIOC会長の発表を聞いた。
オリンピックもカネで買ったのだ。そして、サハリン1,2,3の天然ガスを海底パイプラインで、茨城県にまで直接、運ぶ。プーチンの取り分も話したし、ソチ・オリンピックで、アルカイーダ(=モサドと、CIAの特殊部隊が作って指揮している)がテロをすることはない、と、話がついた。それで、プーチンは、安倍晋三との、中国包囲網の話に乗った。 こういうことだ。これ以上の、中国包囲網のことは、会員ページで話す。
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「 月面着陸の中国「嫦娥(じょうが)3号」、無人探査車切り離し 」
2013/12/15 日経新聞
12月4日、月に軟着陸した中国の探査機「嫦娥(じょうが)3号」は15日、6輪の無人探査車「玉兎(伝説で月に住むウサギ)号」を切り離し、月面に降ろした。
国営新華社が伝えた。玉兎(ぎょくと)号は地球からの遠隔操作に従い、3カ月にわたって月の地形や地質の調査に当たる。機体の大きさは太陽電池パネルを収納した状態で長さ1.5メートル、幅1メートル、高さ1.1メートル。
嫦娥3号本体と玉兎号が機体にあしらった中国国旗を撮影しあうことも成功した。(北京=山田周平)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 12月4日に、中国は、月に無人の探査機を着陸させた。そして、その嫦娥(じょうが)3号から、コロコロと、月面探査機(ランドローバー)の、玉兎(ぎょくと)が出てきて、今から月面を歩きまわるのだそうだ。
「人類の月面着陸は無かった」問題は、副島隆彦の十八番(おはこ)であり、私が、プロパーだから、あまり書かない。私の本の読者でも、半分ぐらいは、「副島先生。月面着陸(アポロ計画)の話は、あまりしない方がいいですよ。読者を減らしますから」と忠告してくれる者たちがいる。
だから、あまり書きたくない。 だが、この中国の月面からの映像、というのは、インチキだ。 まわりの空に、満天下の星が写っているはずなのに、それが何もない。地球だけが、ぽっかりと、アポロ11号以下の月からのインチキ映像と同じで、浮かんでいて、その他は真っ黒のままだ。 空気はないのだから、月からの映像は、満点の星々が写っていなければおかしい。だから、これは中国のヤラセだ。 私は、中国政府に、インチキをするな、と抗議する。
このあと、月面にいるはずの 嫦娥3号も、玉兎(ぎょくと)君の姿が見えない。中国は何も発表しない。
月面への飛行体の軟着陸(なんちゃくりく、ソフト・ランディング)は出来ない。ドカーンとぶつかることは出来る。ただし、月は、空気もない(ほとんどない)ので音はしない(笑い) し、重力も少ないので、どうやって、空気抵抗を作れるのか分からないので、降りれない。月面にぶつかる寸前までの、月面の映像を正確に撮影して、すでに、ヨーロッパの月探査機(今から6年前)は、「月面のアメリカの秘密」を知っている。アメリカ政府を揺(ゆ)すって、強請(ゆす)って、外交交渉の材料の一つにしている。
中国もこれを始めた、ということだ。日本政府もさっさと同じことをやりなさい。どうせ、国際秘密条約で、月面は、(いくらでも写せるのに)写したらいけない、ことになっている。
さて、ここでは、月面でNASAの宇宙飛行士たちは、宇宙人たちに会ったのだ、と信じている人々と、副島隆彦の永遠の闘いは続く。私は、この手の、自発的クルクルパーのスピリチュアル人間たちを、我慢強く説得して、「世の中の裏側のおかしさ、きたなさ」に気づこうとしてる生来、頭のいい人( 学校の勉強は、あまり出来なかった人が多い)を説得して、味方勢力にしようと、ずっと努力してきたのだが、私はもう、そろそろ飽きた。
日本の景気がワルすぎて(大不況、大デフレのまま) 、スピリチュアル人間たちは、すぐに追い詰められるタイプの人たちなので経済法則(おカネの法則)に耐えられなくて消えつつある。
もう、これぐらいにしておきます。 年末に、副島隆彦からの 会員の皆さんへの贈り物でした。 我慢強く、粘り強く、コツコツと、真面目に、愚直に、元気よく生き続けましょう。
副島隆彦拝
副島隆彦です。以下は、特定秘密保護法の、例えば、第15条です。我慢強く、読んで御覧なさい。これが、官僚どもの作文、というやつです。人だましの塊(かたまり)です。こうやって、官僚=役人どもが、政治家という表面の華やかな芸能人たちをいいように、あやつって、政治の実質を動かすのです。
(参考資料)
副島隆彦です。特定秘密保護法 というのは、このようなグチャグチャの条文から成る法律だ。現場の一線の政治(警備)警察官たちへの締め付けの法律である。彼らは厳しい研修をこれから受けさせられる。家族関係も洗い直される。国家情報を扱う、あるいは情報収集活動に従事する司法警察職員に対して厳しい統制と監視を行う為めのものである。
(転載貼り付け始め)
(警察本部長による適性評価の実施等)
第十五条 警察本部長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、適性評価を実施するものとする。
一 当該都道府県警察の職員(警察本部長を除く。次号において同じ。)として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった 者(当該警察本部長がその者について直近に実施して次項において準用する第十三条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評 価において、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるもの を除く。)
二 当該都道府県警察の職員として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該警察本部長がその者について直近に実施した適性評価に係る次 項において準用する第十三条第一項の規定による通知があった日から五年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者
三 当該警察本部長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、 引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの
2 前三条(第十二条第一項並びに第十三条第二項及び第三項を除く。)の規定は、前項の規定により警察本部長が実施する適性評価について準用す る。この場合において、第十二条第三項第三号中「第一項第三号」とあるのは、「第十五条第一項第三号」と読み替えるものとする。
(適性評価に関する個人情報の利用及び提供の制限)
第十六条 行政機関の長及び警察本部長は、特定秘密の保護以外の目的のために、評価対象者が第十二条第三項(前条第二項において読み替えて準用 する場合を含む。)の同意をしなかったこと、評価対象者についての適性評価の結果その他適性評価の実施に当たって取得する個人情報(生存する個人 に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することが でき、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
以下この項において同じ。)を自ら利用し、又は提供してはな らない。ただし、適性評価の実施によって、当該個人情報に係る特定の個人が国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第三十八条各号、同法第七 十五条第二項に規定する人事院規則の定める事由、同法第七十八条各号、第七十九条各号若しくは第八十二条第一項各号、検察庁法(昭和二十二年法律 第六十一号)第二十条各号、外務公務員法(昭和二十七年法律第四十一号)第七条第一項に規定する者、自衛隊法(昭和
二十九年法律第百六十五号)第 三十八条第一項各号、第四十二条各号、第四十三条各号若しくは第四十六条第一項各号、同法第四十八条第一項に規定する場合若しくは同条第二項各号 若しくは第三項各号若しくは地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第十六条各号、第二十八条第一項各号若しくは第二項各号若しくは第二 十九条第一項各号又はこれらに準ずるものとして政令で定める事由のいずれかに該当する疑いが生じたときは、この限りでない。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。このように今の法律というのは、上記のように、とても普通の人間には読むに耐えない、読んでもどうせ分からないように出来ています。国民を大きな真実に近寄らせないようにするための道具だ。本当は、こうではいけないのです。なんとかしなければ。
副島隆彦拝
【1271】[1499]柿本人麻呂の正体を暴くⅨ
「石川の貝」とは「石川郎女」のことである。
今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(或は云う)交りて ありといはずやも(224)
今日おいでになるか、今日おいでになるかと、私がお待ちしている貴方は、石川の娘(郎女)と、よろしくなさっていると言うではありませんか。
直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ(225)
直接お逢いすることは、不可能なことです。石川に炊事の煙りを立ち昇らせてください、それを見てお偲びいたしましょう。
人麻呂は、石見国で死んでなどいない。石川郎女と出逢い、新たな愛の生活を出発させたのである。あの世の妻は、人麻呂を許し、新生活に祝福を送っている。
石川郎女は、万葉集の中心ヒロインである。しかしその素性は、人麻呂同様秘密のベールで覆われている。しかし、考えればこれは当然で、人麻呂を秘密のベールで覆い隠した以上、その相方である石川郎女も、秘密のベールで覆い隠す必要があったのだ。人麻呂の正体が謎の中にあるのは、万葉集の編者たちが意図して人麻呂を秘密の中に置くことに決めていたからである。これは(207)~(225)までの歌の題詞の不自然さに如実に表れている。題詞は、本当のことを述べていない。編者たちが、何故こんな選択をしたのか、後々明らかになるだろう。
さて、石川郎女を検証しよう。彼女が『万葉集』に登場するもっとも有名な場面を見てゆこう。
大津皇子、石川郎女に贈る御歌
あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ち濡れるし 山のしづくに(107)
石川郎女、和(こた)へ奉る歌
吾(あ)を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを(108)
この二人の相聞歌は、万葉集の中で最も鮮やかで艶やかな場面です。しかし、二人の逢瀬が公けになったことは、当時の王朝に衝撃を走らせた。何故なら、石川郎女は皇太子・草壁皇子の寵愛を一身に受けていた女性でした。
大津皇子、密かに石川郎女に婚(あ)ふ時、津守連通その事を占へ露はすに、皇子の作りましし御歌
大船の 津守の占に 告(の)らむとは まさしに知りて わが二人寝し(109)
日並皇子尊、石川郎女に贈り賜ふ御歌(郎女、字を大名児といふ)
大名児を 彼方(をちかた)野辺に 刈る萱の 束の間も われ忘れめや(110)
皇太子の愛する女性(石川郎女)を、大津皇子が奪った、と言うのだ。
次回は、この事件の顛末を検証する。
【1270】[1495]柿本人麻呂の正体を暴くⅧ
鎮魂の旅を続ける人麻呂
「吉備の津の采女の死(みまか)りし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌(217~219)」の次に配置されるのが「讃岐の狭岑(さみね)の島に、石の中に死れる人を視て、柿本朝臣人麻呂の作れる歌(220~22)」である。
***をちこちの島は多けど 名くはし狭岑の島の荒磯面(ありそも)に いほりて見れば
波の音(と)の繁き浜辺を 敷きたへの枕になして 自伏(ころふ)す君が
家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず
おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは (220)
必死に捜索したが、妻の遺骸さえ見つけ出せなかった人麻呂である。狭岑島の荒磯に横たわる死骸に、何処で果てたかしれない妻の面影が重なるのであった。「家知らば 行きて告げけむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは」
ここでも死者の無念を思い、残された者への深い同情、強い共感を歌い上げている。故にこの歌も妻に捧げたレクイエムである。深く傷ついた人麻呂は、苦しく長い懺悔の旅を続けねばならなかった。
この歌の直後に置かれているのが「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌(223)」である。
鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ
人麻呂辞世歌として、あまりにも有名な一首である。あれ!と不思議に思った、死に臨んだ人麻呂が語り掛けている妹とは、いったい何者だろうか、と。
何故なら、この直前まで、失踪し、何処で果てたかしれない妻にレクエイムを捧げていた。その流れで考えれば、人麻呂が語り掛けているのは、あの世の妻と云う事ではないか。この世で生きている人麻呂が、あの世の妻に語り掛けている。
「鴨山の岩根を枕に旅を続けている私を、そうとも知らずに、今来るかと待ち続けているのでしょうね」と。
それならば、次の「柿本朝臣人麻呂の死りし時、妻依羅娘子(よさみのおとめ)の作る歌二首」の妻とは、あの世の妻と云う事ではないか。あの世の妻の情(こころ)に擬(なずら)へて作る歌、と云う事だ。
今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(或云、谷に)交りて ありといはずやも
斎藤茂吉翁は、「石川の貝に」の注記にある(或は云う、谷に)とあるのを重視し、「貝」は「峡(かひ)」であるとして、石見国の山間部に人麻呂終焉の地を求めたのであった。
しかし、この日本では「貝」と「谷」とくれば「女性を指す隠語」と決まっている。四周を海で囲まれた日本では「貝」は、縄文時代以来最も安定して手に入れることが出来る食糧であった。貝は、日本民族に親しい存在であった。つまり「石川の貝」とは、「石川の娘さん、石川郎女」と云う事だ。
「今日来るか、今日来るか、と私が待っている貴方は、石川の郎女とよろしくやっている、と言うではありませんか」と云う事になる。
長い苦悩の旅の末、人麻呂は石川郎女と出会い、その愛を得、結ばれていた、戸云う事ではないか。
直(ただ)の逢ひは 逢かつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ(225)
「直接お逢いすることは、到底出来ないでしょう。石川に炊事の煙りを立ち昇らせなさい、それを見ながらあなたのことをお偲びいたしましょう。」まるであの世の妻は、人麻呂を許し、新たな生活に祝福を与えているようではないか。
皆さんはお気付きではないが、石川郎女とは『万葉集』の中心的ヒロインです。中心的ヒロインであるが、その素性は、秘密のベールで包まれ人麻呂同様謎めいている。ちなみに石川氏と言うのは、「壬申の乱」以前の蘇我氏だ。石川の郎女は、以前であれば「蘇我の娘さん」と云う事である。次回は石川郎女の正体を検証する。
【1269】[1494]「外務省の正体」DVD感想文
本日午前、DVD受領。メチャクチャおもしろかった。面白い、という表現は幅が広すぎるが、感動的、と言う表現でもしっくりこない。両方足して二で割るやつだ。上品でユーモアがある講演が、一人でも面白いのだが、二人のコラボになるとより面白くなる。
【1268】[1490]柿本人麻呂の正体を暴くⅦ
妻を見殺しにした人麻呂
人麻呂は必死に妻を捜索した。妻のお気に入りであった軽の市、奥山で妻を見かけたと聞けば、岩を踏み砕き難儀して捜しに行ったが、生きている姿はおろか遺骸にすら再開することが叶わなかった。或る時は、この灰があなたの妻のなれの果てだ、と言われるしまつ。人麻呂は、長い間妻の死を受け入れることが出来なかった。
去年(こぞ)見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年さかる(211)
衾道(ふすまぢ)を引出の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし(212)
去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年さかる(214)
衾路を引出の山に妹を置きて山路思ふに生けるともなし(215)
家に来てわが屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕(216)
(207)(210)(213)の三首の長歌の後半は全て妻を捜索していることを歌っているのに、私の目にした注釈書は、一つとして「妻は失踪した」と論じたものはない。(207)と(210)は、別の妻を歌っているのだ、と主張する人も多くいる。三つの長歌の連続性を読めないのだろうか、非常に不思議な感じがする。
この歌群の後に「吉備の津の采女の死(みまか)し時、柿本朝臣人麻呂の作る歌」が置かれている。吉備の津の采女の死に妻の面影を重ね、若く美しい采女の突然の死を悼み、残された夫に対する深い同情と強い共感を歌い上げた美しく悲しい歌である。
人麻呂は妻の死の衝撃から解放されていなかった。依然として妻に対しレクエイムを捧げる旅を続けていた。
【1267】[1481]柿本人麻呂の正体を暴くⅥ
覚悟の出奔を遂げた人麻呂の妻
うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走り出の 堤に立てる
槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど
たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる
荒野に 白たへの 天領巾(あまひれ)隠り 鳥じもの 朝立ちいまして
入日なす 隠りにしかば 吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり児の
乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物し無ければ 男じもの 腋はさみ持ち
吾妹子と 二人わが寝し 枕づく 嬬屋の内に 昼はも うらさび暮らし
夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ由を無み
大鳥の 羽易(はがひ)の山に わが恋ふる 妹は居ますと 人の言へば
岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき うつせみと 思ひし妹が
玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば (210)
これまでの全ての注釈書は、題詞の「柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」に呪縛されて「人麻呂の妻は、死んでしまっているのだ」との解釈一辺倒である。その為非常に可笑しな解釈を下している。例えば「世の中を 背きし得ねば」を「人が死ぬという摂理には、逆らえないので」と解釈している。
しかし(207)の歌で、人麻呂は世間の目を畏れて妻に逢いに行くことが出来なくなっていた状況を述べていた。愛が冷めたのではない、ほとぼりが冷めたらまた逢える日が来るから、私を信じて待ってほしい、と歌っていたではないか。何か重大な事件に巻き込まれて妻の実家は、村八分のような窮地に立たされていたのではないか。人麻呂の妻は、実家でひっそりと暮らすのも世間の冷酷な目の中にあったのではないか。「世のなかを背きし得ねば」は「世間を欺けないから」の意味で十分だ。
大鳥の羽易の山で「あなたの奥さんを見かけた」と伝え聞くと、岩を踏み分け難渋して捜しに行ったが、良いことなど何もなかった、生きていると信じている妻を、ほんの僅かも見出すことが出合いなかったのだもの。
人麻呂は妻の死を受け入れることが出来なかった。妻を見かけた、とのうわさを聞けば、険しい山道を踏み分け捜しに行ったのです。しかし、生きている妻にも、亡骸をも探し出すことが出来なかったのです。
この後に「或る本の歌に曰く」としてもう一首の長歌(213)が配置されています。内容は(210)の歌とほぼ同じですが、最後だけ大きく異なっています。
大鳥の 羽易の山に 汝が恋ふる 妹は居ますと 人のいへば 岩根さくみて
なづみ来し 良けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば
難渋して捜しに行ったら、「この灰が、あなたの妻のなれの果てだ」と言うのだ。
人麻呂は、失踪した妻を必死に捜索したのでした。しかし見つけ出すことが出来なかった。妻が苦しい状況に堕ちていたことは分かっていた。手を差し伸べて援けてやる事も出来なかった。人麻呂の家と妻の実家の間に深刻な争いが生じていたのだろう。人麻呂本人は、変わらずに愛していると歌っているが、妻の苦悶を知っていた。それなのにほとぼりが冷めれば、また逢えるようになるさ。と放って置いたのです。あるいは、妻の失踪、自死を畏れていたのかもしれない。しかし、取り返しの付かない事実が目の前に突き付けられた。後悔先に立たずであった。狼狽せざるをえなかった。吾を責めざるを得なかった。
人麻呂と言う詩人は、妻を見殺しにした。「妻殺し」と言う原罪を背負って出発した詩人ではないか。
【1266】[1480]柿本人麻呂の正体を暴くV
人麻呂の妻はなぜ死んだのか(1478)の続きです
妻が窮地に堕ちていたことを人麻呂は知っていた。しかし、世間の目を恐れて逢いに行くことが出来なかった。手を差し伸べ救うことが出来ずにいた。ほとぼりが冷めるまで自分を信じて待っていてくださいと祈るばかりであった。そんな中、妻の里から使いが来て「妻が、紅葉に 過ぎて去(い)にき」と伝えて来た。私が目にしたすべての注釈書はこれを、妻が死んだ、と訳している。それならばどうして人麻呂は妻の死体が横たわる妻の里に走って行かなかったのだろう。もしかしたらと微かな希望を胸に、妻のお気に入りの場所であった「軽の市」に行って妻を捜しているのだろう。人麻呂の妻は失踪したのだ、と解釈せねば話は通じない。これまでの注釈者は、題詞の「妻死(みまか)りし後」に呪縛されているのである。しかし、歌が主で、題詞は従の関係である。歌と題詞の間に矛盾のあるときは、歌の内容の方が優先され。人麻呂は、妻の死を受け入れてはいない、だから妻のお気に入りの軽の市に捜しに行ったのだ。
秋山の黄葉(もみち)を茂み迷ひぬる妹を求めむ山路しらずも(208)
黄葉の散りゆくなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ(209)
妻が失踪したと云う事は、次の(210)の歌を検討すると、より明快になる。
【1265】[1478]柿本朝臣人麻呂の正体を暴くⅣ
人麻呂の妻はなぜ死んだのか?
柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首
天飛(あまと)ぶや 軽の路は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば
人知りぬべし 狭根葛(さねかづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて
玉かぎる 磐垣淵の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の
暮れ行くが如 照る月の 雲隠るが如 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の
過ぎて去(い)にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむ術 為むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば わが恋ふる 千重の一重も 慰むる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に
わが立ち聞けば 玉襷 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の
道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて
袖そ振りつる(207)
(解説)
「人麻呂の妻は、何故、どのようにして死んだのか」このようなアプローチは、まだ誰もしていないと思う。(207)の歌で、まず目に付くのは題詞の「泣血哀慟」の仰々しさである。『万葉集』にはこの熟語はあと一か所にしかない。巻一六の、「一人の乙女に二人の男が求愛し、どちらも譲らず、命を懸けた争いに発展した。乙女は、それを見て悲嘆し、林の中へ入って首を吊って死んでしまった。それを聞いた二人の男は泣血哀慟して歌を作った。」と。尋常でない死に対してこの熟語を用いている。人麻呂の妻の死も尋常ではなかったことを暗示しているのではないか。
歌の内容を見る。
人麻呂は、妻のもとに行きしっとりと逢いたいのだけれど、人目があり、人に知られるのが怖くて行くことが出来ない。さねかずらのように蔓別れしても蔓の先がまた絡み合うように、また逢える日が来るから大船に乗っているように安心して待っていてください。私の心は少しも変わらずに愛し続けているのですから。 そんな中で、妻の里から使いが「あなたの妻が『黄葉(もみちは)の 過ぎて去(い)にきと』と伝えて来た。私が目にした注釈書すべては、これを妻が死んだと解釈している。それが妥当か否か、保留し先に進む。人麻呂は、使者の報告を聞き愕然としている、何をしてよいか、何を言ってよいかわからず、と。それで「千重の一重も 慰もる 心もありやと」これを「もしかしたら慰められることもあろうかと」と、妻のお気に入りの軽の市に行き、妻を偲んで慰めにしよう、と解釈しているが、使者の伝言を聞き愕然とした人麻呂が、妻の亡骸が横たわる妻の実家に走って行かなかったのだろう。
「千重の一重も 慰もる 心もありやと」は、「万が一、かすかな希望を抱き」という意味ではないか。「黄葉の 過ぎて去にき」は、妻が失踪した、と云う事ではなかったのか。(つづく)
【1264】[1477]「対談」ができないものか!?
私が最近(~5年)認識した現在考えられる最高の著名人である。
・副島隆彦先生(評論家)
・植草一秀先生(評論家)
・孫崎 享先生(評論家)
・山崎行太郎先生(文藝評論家)
・岩田 温先生(政治哲学者・大学専任講師)
・佐藤 優先生(作家・元外務省主任分析官)
「対談」ができないものか!?
【1263】[1476]柿本朝臣人麻呂の正体を暴くⅢ
人麻呂の終焉の土地の考察を続けます。この問題は、日本史を考えるうえで避けて通れない問題と信じているからです。
柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨みし時、自ら傷見て作る歌(223)
鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」
柿本朝臣人麻呂の死に時、妻依羅(よさみ)の娘子の作る歌二首(224,225)
今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(一に云う、谷に)交りて ありといはずやも
直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ
丹比真人、柿本朝臣人麻呂の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌
荒波に 寄り来る玉を 枕に置きて われここにありと 誰か告げなむ
或る本のうた
天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
終焉地考察には、現在二つの流れがあります。伝承を継承する、海岸部で亡くなった、とするものと、茂吉が提唱した、山間部で亡くなった、とするものです。
茂吉の提唱した説の強みは、妻の歌(224)に「貝に(一に云う、谷に)」とあることから、「貝(かひ)」を「峡(かひ)」と同音特定することが出来ることです。「峡」と「谷」は同義ですから。
しかし、茂吉の説が正しいとすると、(226)と(227)の歌の配置が全く説明できないのです。そのため、茂吉は、(226)と(227)の歌は、『万葉集』の編者が誤って挿入したのだと決め付けるしかなかった。
その点海岸部で亡くなった、とする説は、(223)から(226)までの歌で、「人麻呂は、石見国の鴨嶋で亡くなり、石川の河口付近に運ばれ、荼毘にふされ、河口で散骨された。」という物語を作り、(226)の歌まで取り込むことに成功している。(226)を取り込むことが出来るのが、海岸部で亡くなった、とする説の強みと言える。
しかし、海岸部説でも(227)が配置されている説明はつかないのである。両説から、(227)の歌は、邪魔者扱いにされてきた。何かの間違いで挿入されたのだろう、と。
しかし、私は、これを『万葉集』の編者の間違いとは考えず、編者の意図的な指示である、と考えたのです。何故なら、『万葉集』を最初から順番に読んでゆけば誰で気付くことですが、(226)の歌「荒波に 寄りくる玉を 枕に置き われここにありと 誰か告げなむ」は、(223)「鴨山の 岩根し 枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」の直前に置かれている「讃岐の狭峯(さみね)の島に、石の中に死にし人を見て、柿本人麻呂の作る歌(220~222)の反歌の一つとするとピッタリするのである。
また、(227)の歌「天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし」は、「柿本朝臣人麻呂、妻死にし時、泣血哀慟して作れる歌二首(207)~(216)」の反歌と見ると、ぴったりするのです。
ここから、私は、茂吉が邪魔者扱いにした(226)と(227)の歌は、本来は積極的な存在理由を持ち、人麻呂の生と死を(227)から(227)までの歌の中で考えよ、と指示しているのだと考えた、『万葉集』の編者は(207)から(227)までを、一つのシリーズとして読むことを示唆している、その中で人麻呂の生と死を考えることを強要していると考えた。そこで(227)の歌から丁寧に読むことにしたのです。次回から(207)の歌から検討します。