重たい掲示板
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Loginはこちら【1387】[1690]私の次に出る本のこと。および、去年のシリアでのサリン・ガス撒(ま)きの事件の真実
副島隆彦です。 今日は、2014年10月13日です。
( あ、今、投稿しよと思ったら、もう 14日になっていました。)
台風が大阪に上陸して、中部地方に向かって移動しています。これが明日、過ぎ去れば日本全国、きれいな秋晴れになるでしょう。
私は、先おとといの10月10日に、自分の秋の恒例の金融本を書き上げてホッとしているところです。 書名は、『 官製相場(かんせいそうば)の暴落が始まる 』(祥伝社=しょうでんしゃ=刊)で、11月の初めには書店に並びます。 私は、この金融・経済 本を書くことで、生活費を稼ぎだしています。出版社の編集長に断(ことわ)りなしに、さっさと書名とかの公表をしていいのか、分かりません。が、まあ大丈夫でしょう。
青色LED(エル・イー・ディー 発光ダイオード)の発見と発明で、先日、ノーベル賞を受賞した 中村修二(なかむらしゅうじ)氏 が、受賞の挨拶で、英語で、相当に厳しい日本批判、すなわち、日本国の理科系の技術者、学者たちへのものすごい劣悪な研究環境を大企業群と 政府が強制していることへの、強い抗議を込めた発言をしているらしい。私は、すぐにそれらを入手して、この学問道場にも転載します。
中村修二の生き方を、私は、尊敬しているので、20年前から、私は、新聞記事とかを追いかけています。中村修二博士についてのは、私たちの学問道場に、彼の研究業績について、紹介、評論した文が有ります。それを、もう一度、皆さんに読んでもらうと思います。
私は、今度の自分の金融本でもたくさんの事を書きました。いちいち、ここで紹介できません。ただひとつ、以下に載せる新聞記事で、分かることですが、 「アメリカ(あるいは北米=ほくべい=)でこの3年間、大騒ぎで開発されてきた、シェール・ガス、シェール・オイルが、案の定、大失敗で、そもそもインチキであることが、満天下に露見しつつある、ということだけ、今度の本にもしっかり書いた、とお伝えします。
(転載貼り付け始め)
●「 住友商事:損失2400億円、来年3月期計上 米のシェールオイル失敗」
2014年9月30日 毎日新聞
http://mainichi.jp/shimen/news/20140930ddm002020183000c.html
住友商事は9月29日、米国でシェールオイルと呼ばれる新型原油開発事業などで失敗し、2015年3月期に計2400億円の損失を計上する見通しと なったと発表した。これに伴い連結最終(当期)利益を従来予想の500億円から(引用者注。たったの)100億円 に下方修正した。
子会社を通じ、米開発会社と共同で12年から手掛けている米テキサス州での原油事業で、回収量が想定を下回る見込みとなった。従来は採掘が難しかった地層から、石油やガスを採掘する事業だが、当初の見込みより地層が複雑で、効率的に採取できないことが分かった。
開発エリアの一部を残して 撤退し、リース権や井戸などの関連施設を売却するが、約1700億円の損失が生じる見込みだ。
また、鉄鉱石や石炭の価格下落により、ブラジルの鉄鉱石事業で約500億円、豪州の石炭事業で約300億円、米タイヤ小売り事業で約200億円 の損失を計上。さらに権益を持つ豪クイーンズランド州の炭鉱を15年1月に休山する。
住商は社内に特別委員会を設置し、投資判断や今後の資源事業のあり方などを検証する。中村邦晴社長は29日記者会見し「体質の再強化を行い信頼 回復に努める」と述べた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。この記事にあるとおり、住友商事は、アメリカのテキサス州でのシェール・オイルの油田の掘削に失敗して、1700億円の損失を、さっさと今期の決算に計上した。
他の日本の大手の商社や資源開発会社が、北米でのシェール・ガスやシェール・オイルの開発失敗で、大損をしてどんどん撤退を開始している。 ただし、このニューズは、まだ日本国内では、ほとんど明らかになっていない。
あれほど、「アメリカはシェール・ガスで、自力でエネルギーを確保できるから、アメリカ経済は立ち直り、アメリカの繁栄は続く」と鳴り物入りで、騒いだのに、この始末だ。日本の大手の商社たちまでが、またしても騙されたのだ。
私、副島隆彦は、日本ではたったひとりだけ、自分の本で、シェールガスの騙(だま)しに着いて書いて警告を発してきた。
例えば、私が昨年(2013年)の11月に出した、『 帝国の逆襲 金(きん)とドル最後の戦い』(祥伝社 刊)で、
「シェールガス革命はインチキだ。水を汚すのだ」 「アメリカはシェール ガスでエネルギー(燃料代)の自立ができるから大きく復活する、というの はウソである。あと一年したら世界中にバレるだろう。まあ待っていなさ い。ドイツはビール用の水を汚す、と中止したのだ。6章で説明する」と、 まえがき のあとの 9ページ目で書いた。
“ Don’t Frack California . “ 「カリフォルニア州をフラック鉱 法で台無しにするな」の抗議の集会の様子の写真も載せた。
今、アメリカで、どんどんシェールガス、オイルのウソがバレつつある。さあ、日本国内で、公然とこの事が騒がれるまで、あとどれぐらい掛かるか。「このことで、絶対にメディアで騒がせるな」 という言論統制をやってい る連中の顔が、私、副島隆彦に見える。
以上で、今日のお知らせを終わりにしようと思ったのですが、どうしても書いておきたいことがあったので、以下に、長々と、新聞記事をたくさん転載します。
それは、昨年の2013年の4月に、シリアの首都ダマスカスの近くで、サリン兵器が撒かれた。それで1300人とかの現地のシリア人が死んだ。
その犯人は、シリア政府(バシャールアサド政権)だ、とされた。しかし、真実は、そうではなかった。 このサリンガス兵器を撒(ま)いた犯人は、シリアの反政府勢力の方だった。その背後には、イスラエルと、サウジアラビア(バンダル王子というサウジの内務省警察のトップ。サウジの謀略人間の親玉。最近、辞任して後ろに引っ込んだ )がいる。
なんとか、オバマ政権を騙して、シリア政府(バシャール・アサド政権)に対する、アメリカ軍の爆撃と軍事侵攻をさせようと画策した。
しかし、バラク・オバマ本人は、真実の報告を受けて、 シリア政府への軍事攻撃をしないことを、 2013年9月 に最終判断した。 正しい判断だった。
この4月のサリン撒き のあと、さらに続けて、8月21日にも、The U.N.( 連合諸国 、×「国連」の調査団が入っていた、その最中(さなか)に、2回目の、今度は、サリン砲弾(ほうだん)を炸裂させる形で、サリンガスを撒いた。
ネット上に動画で、子供たちがたくさん苦しんで死んてゆく姿が写った。今もこの映像はたくさん残っている。これも、オバマ政権にシリア攻撃をさせるためのマニューバー(謀略)での 足掻(あが)きだった。 オバマは、真実を知ったので、騙されなかった。
以下の記事にあるとおり、 国連人権委員会のカーラ・デルポンテ調査官(Carla Del Ponte) という女性が、すばらしい。 彼女は、オランダのハーグの国際刑事(けいじ)裁判所の 検察官だ。同じハーグにある国際司法(しほう)裁判所とは別である。国際紛争での戦争犯罪(ウォー・クライム)を調べるための国際機関である。
カーラは、そこの高等検察官である。 私は、彼女の仕事と生活を描いた 映画 を すでに3年前に見ている。その映画も入っている評論本を近く出版する。カーラは すばらしい女性だ。
私は、カーラ・デルポンテ検察官がこの世の真実を守ろうとする 生き方に最大限の敬意を表し、彼女の無事を祈る。
私は、今年の7月17日の ウクライナ上空での、マレーシア機MH17便の撃墜(げきつい、airplane crash by a shoot down )の真実も、ここの重たい掲示板に、ずっと書いた。 あれは親ロシア勢力(Pro-Russian separatists プロウ・ラッシアン・セパレイティスト)による 地上からの「ブーク」地対空ミサイルに因(よ)るものではなくて、ウクライナ政府軍のミグ25戦闘機2機によるマレーシア機の正面操縦席に向かっての、機関胞(きかんほう。cannon )に因るものだ、と 多くの証拠、証明の声明文とかを付けて書いた。
西側諸国の政府(アメリカと、イギリス、フランスなど)は、この事件の真実も、闇に葬った。 私は、こういう穢(きたな)い政治謀略を、西側諸国の正統(レジティメット)の政府たちが、やるとこが、不愉快でならない。
今でも、シリアで、サリンガスを撒(ま)いたのは、アサド政権のシリア政府だ、と信じている人々が、世界中のほとんどだ。日本人は、遠いところでの戦争の一コマであるから、あまり関心を持たない。 皆、自分の目先の生活のことで、手一杯だ。
私、副島隆彦は、日本に生まれた、世界基準の知識人だから、そういうわけには行かない。
私だって、普通の日本国民としての生活の苦労がある。が、私の頭は、常に、世界を向いていて、それとの関連における日本の運命を、じっと考える。
このシリアの内戦(ないせん)の最中(さなか)に於(お)ける昨年の2回のサリン・ガス兵器でのシリア民衆への殺傷事件の責任追及は、きっと、今も、カーラ・デルポンテ女史とそのまわりの、世界の正義を守ろうとする人々によって、続けられているだろう。
私が、このシリアでの昨年(2013年)の4月と8月のサリン・ガス事件を、ずっと気にしているのは、不思議なことに、日本でだけ、今も販売されている「週刊ニューズウイーク誌の日本語版」だけが、公然と、大きな真実を書いたことだ。不思議な気がする。
私が、長年、“ Weekly CIA ” 「ウイークリー・CIA」、「週刊CIA」と呼んできた、実際、多くのCIAのエイジェント(アメリカ国家スパイたち)が、ジャーナリスト、雑誌記者のフリをして、動いている(全部とはいないが、半分以上がそうだ)ニューズ報道誌が、稀有(けう)なことに、本当のこと(=真実)を報じたのだ。
この事実には、私、副島隆彦は驚いた。そのことが、気になっていたので、このシリアのサリンガス(謀略)事件 についての関連の記事を、以下に全て並べて、載せておく。
副島隆彦だけは、世界の出来事の真実を、日本国内に、書いて残してゆくための、重要な頭脳である。私が斃(たお)れたら、そのあとを継ぐ若い日本人知識人たちが、私を手本にして、私のやり方から学んで、私に倣(なら)って続けてほしい。
それでは、この「2013年のシリア・サリン・ガス事件」の 全体像を、新聞記事の集合体、集積体(しゅうせきたい)を使って証明してゆきます。
(転載貼り付け始め)
◯「 化学兵器使用「強力な証拠」=シリアのアサド政権がサリン 」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201305/2013051100059&g=int
2013年5月11日 ワシントン、時事通信
ケリー米国務長官は10日、シリアの アサド政権が化学兵器の サリン を 使用した「強力な証拠がある」と述べた。インターネットを使用した一般市民らとのやりとり の場で発言した。オバマ政権は化学兵器の使用が確認された場合、 …
◯「アサド政権が「サリン使用」 イスラエル軍情報部幹部」 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130423/mds13042322100002-n1.htm
2013年4月23日 – MSN産経ニュース
イスラエル軍情報部の幹部は23日、安全保障に関する会合で、内戦が続くシリアの アサド 政権側が反体制派に対し「化学物質を使用した。恐らく サリン だ」と述べた。詳細 は不…
◯ 「米、裏付けに期限設けず シリア・アサド政権のサリン使用疑惑 」 -
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130430/crm13043007350001-n1.htm
2013年4月30日 ワシントン 共同通信
カーニー米大統領報道官は26日の記者会見で、シリアの アサド 政権側が化学兵器の サリン を使用した可能性があることについて、その裏付け作業には 期限を設定せず…
◯「 サリンを使ったのはアサドか反体制派か 」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/05/post-2917.php
2013年5月7日 ニューズウィーク日本語版
・・・だが、 アサド 政権の暴走だと決めつけるのは早計だ。 シリア問題に関する国連調査委員会のカルラ・デル・ポンテ調査官は5月5日、 サリン を使用したのは反体制 派だった可能性が高いことを、スイスのラジオ局のインタビューで明かし た。・・・
◯ 「米パネッタ国防長官「重大な結果をもたらす」 アサド政権が
http://unkar.org/r/liveplus/1354879007
パネッタ国防長官「重大な結果をもたらす」 アサド 政権が サリン 使用なら武力行使も視野に入れる。・・・
◯「 仏政府「アサド政権がサリンを使用」 」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130605/k10015078091000.html
フランス政府は、内戦が続くシリアで採取されたサンプルを分析した結果、 アサド 政権が国際法で禁止されている化学兵器の サリン を使用したことは明らかだと結論づけ、・・・
◯「 サリンを使ったのはアサドか反体制派か 」
Syrian Rebels Used Sarin Gas
(副島隆彦注記。 バカ。この英文タイトル自身が、見出しで、
Syrian Rebels Used Sarin Gas 「 シリアの反体制派が、サリンガスを使った」と はっきり書いているじゃないか。 なんで、お前たちは、CIAの手先だからと言って、こんなわざとらしい誤訳を、わざとやるのだ。
ニューズウイーク誌日本語版は、かわいそうな人たちだ。きっと、「見出し付けは、編集長が勝手にやるんだよ」 と、 現場の 日本人編集者と記者たちは、言い訳するだろう。 それぐらいは、私、副島隆彦だって分かる。 副島隆彦注記終わり)
2013年5月7日(火) ニューズウイーク誌 日本版
シリア内戦で猛毒ガスを使用したののはアサド政権ではなかった可能性が浮上
アサド政権と反体制派の攻防が続くシリア内戦で、政府軍が反政府軍に対して猛毒ガスのサリンを使用した疑いがある──。イギリスやフランス、イスラエル、アメ リカは先月、相次いでそう警告した。
だが、アサド政権の暴走だと決めつけるのは早計だ。シリア問題に関する国連調査委員会のカルラ・デル・ポンテ調査官 は 5月5日、サリンを使用したのは反体制派だった可能性が高いことを、スイスのラジオ局のインタビューで明かした。
「さらに調査を続け、検証・確認を重ねる必要があるが、現時点で得た情報によれば、サリンガスを使用したのは反体制派だ」
反体制派への武器供与を検討している米政府は、デル・ポンテの発言について「非常に疑わしい」と反論し、アサド政権によるサリン使用の可能性を示唆。デル・ポンテも調査は始まったばかりで、今後アサド政権側のサリン使用を示す証拠が見つかる可能性もあるとも指摘している。調査委員会は6月に、国連人権委員会に報告書を提出する予定だ。
サリンは1930年代にナチスによって開発された、強い殺傷能力をもつ神経ガス。 無色無臭の液体で、吸い込んだり肌に触れれば、ごく微量でも死に至る恐れがある。イラクのフセイン政権は88年、イラク北部のクルド人地区ハラブジャをサリンなどの毒 ガスで攻撃し、5000人を殺害した。日本でも94?95年にオウム真理教によるサリンテロ事件が発生した。
オバマ政権は、シリア政府による化学兵器の使用が確認されれば、軍事介入に踏み切る可能性もあると示唆してきた。サリンを使用したのは誰か。その答えによって、シリアの運命は大きく変わる。
(副島隆彦注記。 以下の記事を載せた、International Business Times というサイトは正しい。優れている。 )
◯「 シリアで化学兵器サリンを使用か 人体への影響は? 内戦の続くシリアの反政 府勢力がサリンを使用しているという情報を、国連が調査している 」
2013年5月8日 International Business Times
記者: ROXANNE PALMER 翻訳者: 加藤仁美
フランス通信(AFP)によると、国連人権理事会が設置したシリア問題を担当する国連人権委員会のカーラ・デルポンテ調査官(Carla Del Ponte)は5日、「シリア反体制派武装勢力がアサド政権側 との戦闘で化学兵器のサリンを使用した可能性が高い」とスイスのラジオ局のインタビューで語った。
2012年以降、化学兵器の使用がシリアで疑われてきた。米諜報機関は、これまでアサド大統領側の部隊による化学兵器使用を指摘してきた。
一方で政権側は、反体制派がサリンを使用していると主張していた。今回の情報が事実とすれば、国際社会による反体制派支援にブレーキがかかる可能性もある。
ロイター通信によると、デルポンテ調査官はインタビューで、医療関係者らの証言などから反体制派によるサリン使用は「確実な証拠は出ていないものの、非常に強い疑いがある」と述べたという。
2010年末から12年にかけて、北アフリカ、中東アラブ諸国で一連の民主化要求運動が起こった。いわゆるアラブの春と呼ばれるものだ。デルポンテ調査官は、調査団が2011年のアラブの春の抗議活動中に反抗勢力による神経剤を浴びた被害者と医師に対して、シリアに隣接する国で聞き取りを行ったと説明した。
サリンは、口、鼻、皮膚から吸収され、シアン等の500倍の有毒性があるとされる。無色、無臭の物質で、殺虫剤と同様のメカニズムにより神経系を攻撃する。
サリンは1902年には既に作られていた。4名のドイツ人化学者が合成に成功し、4名の名前からサリン(SARIN)と名づけられた。シュラーダー氏(Schrader)=S、アンブロス氏(Ambros)=A、ルドリガー氏(Rudriger)=R、ファン・デア・リンデ氏(Van der LINde)=INである。
作る途中の段階で猛烈な毒性を持つ中間物質が生成され、廃棄物にも猛毒性がある。その毒性に最初に注目したのはドイツ軍だった。第二次世界大戦中に量産し、ナチスは敗戦までに7,000トン以上のサリンを貯蔵していたとされる。1950年代にNATO(北大西洋条約機構)はサリンを標準的な化学兵器に採用した。そしてソビエト連邦と米国は、軍用にサリンを生産した。
戦争時における化学兵器の使用禁止は、1925年のジュネーブ議定書で謳われている。しかし開発・生産・貯蔵といった行為は禁止項目にはなかった。第二次世界大戦後の米ソの冷戦の激化にともない、大量の化学兵器が両国によって開発・生産・貯蔵される状態が続いた。
◯「 シリアのアサド政権、サリン使用なら国際法上の一線越える=米大統領 」
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93P07A20130426
(副島隆彦注記。この記事のオバマの発言は、オバマが、4月にダマスカス近郊でサリンを撒いたのは、反体制派の方だと、真実を知ったからだ。だから、オバマは、最終的に、この9月に、シリアへの軍事介入をしないと決断し、米軍の投入をしなかった。オバマの正しい判断だった。 副島隆彦注記終わり )
2013年4月26日 ワシントン、 ロイター
オバマ米大統領は26日、シリアの アサド 政権が サリン とみ られる化学兵器を使用した可能性があるとの分析結果が報告されたことについて、「 国際基準、および国際法上の一線を越えるもの」とし、これにより今後の 展開が大きく変化する可能性があるとの見方を示した。
オバマ大統領はホワイトハウスで記者団に対し、「大量破壊兵器を一般市民に対して使用することは、国際基準、および国際法上の一線を越えるものだ」と懸念を表明。その上で「これにより今後の展開は大きく変わる」とし、「組織的に化学兵器などを一般市民に対して使用することは容認できないと誰もが認識していると思う」と述べた。
◯「 国連調査官「シリア反体制派がサリン使用との証言」 – YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ESRzPnEnyHY
「 シリア反体制派がサリン使用」国連調査委員会(130507)
http://news.tv-asahi.co.jp 再生時間:0:32 2013年5月23日
◯ 「シリア政府は本当に化学兵器を使ったのか」
Who Did What in Syria?
(副島隆彦注記。 このニューズ記事の 英文の原題は、Who Did What in Syria? だから、正しく、「 誰が、何の ためにサリンを使ったのか?」としなければならない。ところが、上記の見出しのように 、始めから、頭から、シリ ア政府(アサド政権)のせいにするように、わざとこのように 誤訳している。
ニューズウイーク誌というのは、このように、CIAの日本版だ、と私が書いてきたとおりだ。ところが、今回だけは、事情が違う。ニューズウィーク日本語版の 山田敏弘という日本人記者が、真実をしってしまったので、ウソが書けなくなって、以下のように正直に報道している。快挙と知っていい。 副島隆彦注記終わり )
「 国連調査団が滞在する最中に発生した「化学兵器攻撃」に付きまとういくつもの疑念」
2013年9月5日(木) 2013年9月 3日号掲載
山田敏弘(本誌記者)
内戦状態が2年以上も続くシリアで 先週(引用者注記。すなわち8月21日)、アサド政権側から放たれたとされるミサイルが首都ダマスカス近郊のゴウタに着弾した。化学兵器とみられる爆弾はガスを吐き出し、スンニ派の反体制派が支配する同地域で数百人規模の死亡者が出た、と報じられている。
現場の惨状は、シリアの反体制派が撮影した映像で世界中に拡散された。病院でけいれんする女性と子供、口や鼻から泡を吹く男性……。今回の攻撃が大きく報じられているのは、被害者の多さ故という面もある。
ただ化学兵器は本当に使われているのかといぶかしむ声もある。ジャーナリストが誘拐や殺害されるなど報道が制限されるなかで、メディアは現地にいる反体制派の活動家、または人権団体の情報に頼らざるを得ない。そうした状況が、化学兵器の使用に対する疑念を生んでいる。
そもそも私たちが目にする映像は、どこまで現場の全体像を伝えているのか。反体制派が政府を非難するための偏った情報だけを出し、被害を大げさに発表しているとみる向きもある。現在シリアにいる国連調査団のオーケ・セルストロム団長は、反体制派が主張する1300人の死者数は「疑わしい」と語り、いまメディアなどで出回っている映像を見た限りでは死傷者数が多過ぎると指摘する。
メディアも、化学兵器使用について事実関係の裏付けはできないでいる。いつどこで撮られたのかも分からない。結局、過去に反体制派から出された映像などと同様、大手メディアは必ず「独自で事実関係は確認できない」という一文を加えて、今回も映像を報じている。
反体制派がサリン使用か
欧米の医療専門家の間では化学兵器使用について、「治療に当たる医療関係者の対応が不自然」「サリンによる攻撃だ」といったコメントが飛び交っている。ただ犠牲者が出ているのは確かだろう。
現在、化学兵器使用疑惑を調べる目的で国連調査団がシリア入りしているが、攻撃を受けたとされる地域に彼らが入ることはアサド政権が許可しない。結局、化学兵器が使われたのかどうかは判然としないままだ。
今回の攻撃のタイミングに首をかしげる専門家もいる。シリアにいる国連調査団は、攻撃の3日前に入国していたからだ。国連のイラク大量破壊兵器査察委員長を務めた ロルフ・エケウスは、「国際的な調査団が国内にいるときに、シリア政府が こんな攻撃するのは奇妙だ」 と、疑問を投げ掛ける。もちろんアサド政権がそれを逆手に取って攻撃を行った可能性もある。
一方、正しい調査で致死的な化学物質の使用が証明されても、誰がその攻撃を行ったのか判明しそうにない。アサド政権が反体制派を虐殺するのに使ったのか、もしくは反体制派が欧米の軍事介入を促すために自作自演したのか。その問いにも、簡単には答えが出ない。
誰が化学兵器を使っているかについては、国連内でも意見が割れている。今年5月、 シリア問題に関する国連調査委員会のカーラ・デルポンテ調査官は、「化学兵器のサリンガスを使っているのは反体制派だ」 と指摘して、反体制派を支援するアメリカなどから批判された。
オバマ米大統領は昨年(2012年)8月、化学兵器の使用は軍事介入も考慮される「レッドライン(越えてはならない一線)」 だと発言。一方のシリア政府も、反体制派による化学兵器の使用は彼らにとっての「レッドライン」だと言う。政府と反体制派のどちらが今回の攻撃を行ったのだとしても、シリア情勢がさらなる泥沼にはまることは間違いない。
◯「 シリア:政府による化学兵器の使用 可能性大 ロケット弾の分析と 目撃者の証言に基づく新証拠 」
(副島隆彦の注記。 この記事は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ という国際人権団体=NGO=のものだ。が、以下のとおり、ものすごく偏(かたよ)っている。公平なふりをして、事実だけを報道していることを装っているが、シリア政府の犯行だと匂わせるように書いている。ここもおかしな国際人権団体だ。副島隆彦注記終わり)
2013年09月10日 Human Rights Watch
A mother and father weep over the body of their child, who was killed in an Alleged chemical weapons attack on Ghouta, Syria, on August 21, 2013.
C 2013 Associated Press
Analysis of Alleged Use ofChemical Weapons in Syria
2013年09月10日
8月21日のグータ攻撃で使用された兵器システムの動かぬ証拠は、ロケット弾の残骸と被害者の症状にある。あの恐ろしい朝に政府軍がダマスカス近郊に向けて化学兵器を装填したロケット弾を発射したことを、証拠が強く物語っている。
2013年8月21日に首都ダマスカス近郊のふたつの居住区で起きた化学兵器攻撃は、シリア政府軍が行なったものであることを、入手可能な証拠が強く示唆している。多数の子どもを含む何百人もの一般市民が殺害されたこれらの攻撃では、おそらくサリンとみられる兵器用神経ガスが使われたとみられる。
報告書「グータの攻撃:シリアにおける化学兵器使用疑惑の分析」(全22ページ)は、8月21日未明、反政府勢力の支配下にある東グータと西グータが、化学兵器による攻撃を受けた疑惑を調査してとりまとめたもの。東西グータは16キロ離れている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ロケット弾攻撃に関する目撃者の証言、確実性の高い攻撃元の情報、使用された兵器システムの残骸、そして医療従事者が記録した被害者の医学的症状を分析した。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ緊急対応部門のディレクターであり、本報告書を執筆したピーター・ブッカーは、「8月21日のグータ攻撃で使用された兵器システムの動かぬ証拠は、ロケット弾の残骸と被害者の症状にある」と述べる。「あの恐ろしい朝に政府軍がダマスカス近郊に向けて化学兵器を装填したロケット弾を発射したことを、証拠が強く物語っている。」
ロケット弾とその発射装置の型式が強く示すのは、これらは政府軍のみが保有・使用可能なことで知られている兵器システムだったということだ。
Special Feature: Map of Impact Zones, Photo Essay, Diagram of Chemical Rocket >>
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、YouTubeに投稿・公開されている攻撃地域のビデオ映像と、東グータの地元活動家から提供された兵器残骸の高解像度映像を分析。化学物質を散布したと考えられる2種類の地対地ロケットシステムを特定した。最初の型式は東グータ攻撃の現場で発見されたが、大量の液体化学物質を積載し、散布するよう設計された弾頭を備えていたとみられる330ミリロケット弾だった。
2番目の型式は、西グータ攻撃で発見された旧ソ連製140ミリロケット弾で、参考文献によれば3タイプの弾頭のなかからひとつを装填可能で、これには、2.2キロのサリンを運搬散布するよう特別に設計されたものも含まれる。
シリア政府は化学兵器による攻撃を否定し、反政府勢力の行いと非難しているが、その主張を裏づける信頼性の高い証拠は全く提供していない。ヒューマン・ライツ・ウォッチと、シリアでの武器使用を監視してきた兵器専門家陣は、攻撃で使われた140ミリと330ミリのロケット弾とそれらに付随する発射装置を、反政府軍が保有しているという事実をこれまで確認していない。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、化学物質の検査に必要な兵器の残骸、環境試料、生理学的試料などの収集のためにグータ入りすることはできなかったが、化学兵器剤の検出と影響分析を専門とする人物から技術的助言を求めてきた。専門家は、地元住民の説明および医師が詳述した臨床的症状や兆候、8月21日の攻撃による被害者を撮影した多くのビデオ映像を検証した。
Click to enlarge diagram
グータで人びとを治療した医師3人がヒューマン・ライツ・ウォッチに伝えたところでは、みな共通して、窒息、気管狭窄、不規則呼吸、低呼吸、筋肉痙攣、吐き気、口角の泡、鼻や目からの体液流出、全身痙攣、目眩、視力低下、目の充血と痛み、瞳孔縮小(縮瞳)などの症状がみられたという。
これらの症状は、神経ガスの中毒症状と一致する。若い被害者の一部には顔面が青紫色になるチアノーゼの症状が出ており、これは窒息の症状と一致する。爆発系あるいは焼夷系の兵器を用いた攻撃の場合に通常受けるはずの外傷は、被害者の誰にもみられなかった。
これらの症状と外傷の不在は、サリンのような神経ガスに曝露した時の症状と一致する。4月に首都ダマスカス近郊のジョバルで起きた攻撃でサリンガスが使われた、という臨床検査上の証拠もある。この時現場にいたフランス・ルモンド紙のカメラマンが後に検査した結果、サリンに曝露していたことが判明している。
化学兵器の使用は国際人道法の重大な違反である。シリアは、189カ国が加盟する1993年の「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約(化学兵器禁止条約)」の締約国ではないが、1925年のジュネーヴ議定書(窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)の締約国だ。また、国際慣習法はあらゆる武力紛争における化学兵器の使用を禁じている。
グータにおける8月21日の攻撃は、25年前にイラク政府がハラブジャで同国のクルド系民間人に化学兵器を使って以降、初めての大規模な化学兵器使用となった。
「シリアの恐るべき内戦で化学兵器の使用がますますはっきりとしてきた現在、こうした兵器の使用制御と、シリア民間人のより広範な保護に、国際的な議論の焦点を再び絞るべきだ」と前出のブッカーは述べた。
( 転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上です。ものごとの真実を追求するには、忍耐力だけではなく、時間の経過と共に剥(はが)がれ落ちて来て、新たに見えてくるものへの穏(おだ)やかさ が必要だ。
私、副島隆彦は、「この世の中は、いろんな人がいるから、自分が真実だと、考えることが、通用しないことがたくさんある」と、さすがにこの歳になれば、噛み締めるようにして分かる。 優れた見識(けんしき)や意見が、そのまま、世の中で認められることはない。
世の中には、ヘンな宗教や信念に凝り固まった人たち、というのが、ものすごい数でいて、その人たちとの共存、ということもある。 どうせ、あの人たちとも、同じ日本人として、同じ日本語を使い、同じ日本文化の中で、生きてゆくしかない。
最後に、 下 ↓ の 方の 「 」番の、書き込みをしている、大重俊(おおしげしゅん)君に対してだが、以前、私から、「大重くん。君は、学問道場の会員のままでいてもよいですが、投稿は控えてください。不愉快に思う人が多いので」と書きました。それでも彼は、性懲りもなく、こうして書き込んできます。
彼のようなやや偏向した性格の人は、自分の持って生まれた病気だから、治らないでしょう。 しかし、まわりを不愉快にさせる文をどうしても書いてしまうのですから、やはり、遠慮しなさい。
それから、大重くん。君は、以前、小幡績(おばたせき)という財務官僚上がりで今は慶応大学の准教授をしていて、「リフレはやばい」という本で評判を取った人の名前を、勝手に騙(かた)って、ここに投稿したでしょう。 事務所がIPアドレスを追跡したので、すぐに君だと分かりました。おそらく、小幡績氏 がどこかに書いた文を、そのまま、君が貼り付けたのでしょう。文体と内容からして、小幡績のものだと分かります。
大重くん。こういう ことをすると、虚偽の言論になり、かつ、他人の文章の勝手な盗用、間違った目的での使用となりますから、やめなさい。このことを含めて、謝罪しないなら、大重くん。すぐに学問道場から出てゆきなさい。
副島隆彦拝
【1386】[1689]大重俊氏の投稿についての苦情があります。
2つ下↓の大重氏の記事について、学問道場の会員外の方から苦情が寄せられています。学問道場のスタッフの方よろしく善処下さい。
以下のような苦情です。
(引用開始)
大重氏の投稿文を読むと、投稿者名に「資産額」などと書き込んでいる。あなたのような差別主義者は大嫌いだ。
きちんと、学問道場の方々に認められるような文章を書いてみろ。大重氏のような稚拙な文は文章とは言わない。学問道場の品位を下げるだけだ。
Appleの創業者スティーブ・ジョブズでも、物理学のアインシュタインも学習障害を持っていたと、いわれているではないか。
(引用終わり)
田中進二郎です。私も、差別主義者をけなすふりをしながら、差別主義を絶えず振りまく大重氏の投稿はいつも不愉快です。
なお、スタッフの方による対処等があった時点でこの投稿文も消しますので。
田中進二郎拝
【1385】[1688]囲む会須藤様え
日本の宝副島隆彦様は日本1愛国者です私は全力でおおえんします
【1384】[1680]ゴールドマン松井氏:年内にTOPIX6%下げ、政策材料難
前田和寿です。
最近のゴールドマンサックスのキャシー松井(ウーマノミクス発案者)の言動と、それに連動して日経平均の大幅続落が続いています。消費税率10%実現のために安倍首相たちが、9月末までGPIFを利用して、株価を上げて、7-9月期の上場企業業績を会計上で改善させる戦略は成功したと思います。9月25日に今年の最高値1万6374円を付けました。今日(10月9日)の終値は1万5478円です。
実際、給料アップで先頭になって動いたローソン(新浪剛史は10月1日からサントリー社長)も減価償却の方法を定率法から定額法へ変更することで営業利益を押し上げて、消費税の影響がまるで無かったかかの様にドレッシング(dressing 粉飾)しました。バフェットが一番嫌う会計操作のひとつです。
最後に、10月7日ジョージタウン大学の女性・平和・安全保障研究所でキャシー松井が出席して、安倍が進めるウーマノミクス(女性活用経済)についてシンポジウムが開かれました。
ちなみに、ジョージタウン大学の女性・平和・安全保障研究所の所長であるメラニー・バービアー(Melanne Verveer)は、ヒラリーの首席補佐官という人物です。
以下に、これらに関連する3本の記事を貼ります。
(転載貼り付け始め)
ゴールドマン松井氏:年内にTOPIX6%下げ、政策材料難
9月25日(ブルームバーグ):ゴールドマン・サックス証券のチーフ株式ストラテジスト、キャシー・松井氏は年末までにTOPIX が現状水準から6%ほど下げるとみている。政策面で市場を押し上げる材料が不足している、と判断するためだ。
松井氏は19日のブルームバーグ・ニュースとのインタビューで、日本の各種政策は「インパクトはあるだろうが、著しいポジティブ・サプライズが出てくる可能性は限定的だろう」と指摘。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資産構成見直しについても、「発表することは分かっており、内容の方向性も自明だ」と話した。
ゴールドマン証は5日、日本株の3カ月の投資判断を「ニュートラル」から「アンダーウエート」に下げた。直近数カ月の相場上昇とマクロ経済指標の軟調が理由だ。TOPIXの3カ月後の予想値は1250ポイント、6カ月後は1300、12カ月後は1450。25日の終値は2008年6月以来の高値となる1346.43。割安なバリュエーションや改革進展の期待などで強気姿勢だった年初と比べ、TOPIXの12カ月後予想は変わっていないものの、3カ月後予想は徐々に下方修正されている。
来年度に消費税率の10%への再引き上げが実施される場合、それに伴い日本銀行が追加の金融緩和を実施するとの見方が市場の一部にはある。しかし、そうした上昇カタリストも市場では既に予想されていると同氏。当面はボックス相場、と分析した。
安倍晋三首相は19日に行われた内外情勢調査会の講演で、GPIFの改革を極めて重視しているとし、資産構成について「できる限り早くポートフォリオの見直しを行いたいと考えている」と発言。来年10月からの消費税率10%への引き上げ有無は、「年内に判断する」との姿勢を繰り返した。
ウーマノミクスは前進
ただ松井氏は、「ラリーが終わったと言いたいわけではない」とも発言。ミクロの国内企業業績は強く、「10月末から11月にかけ発表される中間決算の内容は、ポジティブ・サプライズが多いだろう。保守的なガイダンスを発表していた企業は予想を引き上げ、市場にとってポジティブになろう」と言う。
12カ月では、同氏は投資判断「オーバーウエート」を維持。「昨年はマクロ経済が話題の中心で、非常にトップダウンの市場だった。ことしは注目がミクロ要因に移っている」とし、海外投資家も含め、好業績で割安な小型株への投資意識が高まっている現状にも触れた。
また、安倍政権下でコーポレート・ガバナンス、女性の活用は前進しているとの認識も示した。3日に行われた内閣改造で、史上最多に並ぶ女性5名が入閣した点に言及、「変化はあまりに遅れており、政府が変化の先頭に立つことの重要性を示す」と指摘する。
松井氏らは1999年以降、女性が活躍する経済を「ウーマノミクス」と名付け、関連リポートを継続的に配信してきた。この中で、女性の労働参加率が男性と同等になれば、国内総生産(GDP)は13%拡大し、労働人口は700万人増加する可能性がある、と分析している。女性が活躍する社会づくりは、今や安倍政権の成長戦略の柱の1つだ。
「日本の労働市場は急速に縮小しており、経営陣は人材を保ち、成長させる方法を熟慮している。企業の多様化を進めることの経済的メリットを理解し始めたという人もいる」と同氏は話した。
ゴールドマン証では、女性の一段の就業拡大の恩恵が期待できる「ウーマノミクス関連銘柄」を選定しており、5月の入れ替えでは従来の30社から36社に増加。「Eコマース関連」「旅行・レジャー」「外食・中食」「美容製品・サービス」「アパレル関連」「保育サービス」「看護・介護サービス」「人材派遣」を重要テーマ群とし、JR東日本 やヤフー 、テンプホールディングス 、エイチ・アイ・エス 、セブン&アイ・ホールディングス 、ニチレイ 、エフピコ 、ファーストリテイリング 、花王 、スタートトゥデイ 、ユニ・チャーム などを挙げている。
引用先:http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NC55V56K50XX01.html
(転載貼り付け終わり)
(転載貼り付け始め)
ローソン、純利益15%増で過去最高 3-8月
ローソンが7日発表した2014年3-8月期の連結決算は、純利益が前年同期比15%増の218億円だった。3-8月期として過去最高を更新した。夏場の天候不順や消費増税の影響で既存店売上高は振るわなかったが、店内で調理する総菜など採算の高い商品が好調で、利益を押し上げた。
売上高に当たる営業総収入は3%減の2419億円だった。3-8月の既存店売上高は1%減った。夏場の天候不順で飲料やデザートなどの販売が苦戦した。消費増税の影響や喫煙者の減少を受け、たばこの販売も減った。
営業利益は12%増の400億円と、8年連続で過去最高を更新した。コロッケなどの総菜や店舗で抽出するコーヒーなど、好採算の商品が好調で販売減を補った。今期から店舗や設備などの減価償却を定率法から定額法に変更したことも、営業利益の押し上げ要因となった。
2015年2月期通期の業績予想は、営業総収入のみ微増の4870億円と従来見通し(3%増の4980億円)から下方修正した。営業利益と純利益は従来予想を変更しなかった。営業利益は10%増の750億円、純利益は3%増の389億円を見込み、それぞれ過去最高を更新する見通し。通期の純利益予想に対する3-8月期の進捗率は56%だった。
引用先:http://www.nikkei.com/markets/kigyo/gyoseki.aspx?g=DGXLASFL07H7S_07102014000000
(転載貼り付け終わり)
(転載貼り付け始め)
幅広い分野での女性活用に期待 米でアベノミクスシンポ
【ワシントン=吉野直也】米ジョージタウン大女性・平和・安全保障研究所は7日、ワシントンで、安倍晋三首相の経済政策であるアベノミクスに関するシンポジウムを開いた。前国務省国際女性問題担当大使で、研究所所長のバービアー氏は首相が改造内閣で5人の女性閣僚を起用したことを評価。女性が世界の経済成長を促している点を指摘し、幅広い分野での女性の活用を主導していくことに期待を示した。
ゴールドマン・サックス証券のキャシー・松井マネージング・ディレクターは女性が働きやすい就労環境の整備を進めるよう要望。女性の労働力に関する多くの誤った情報を排除していかなければならないと訴えた。佐々江信子・駐米大使夫人は様々な分野での女性の成功がお手本となり、さらなる女性の社会進出を呼び込むと強調した。
引用先:http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM0800Z_Y4A001C1EAF000/
(転載貼り付け終わり)
前田和寿
【1383】[1679]英語についての最新刊を読んで
短いですが、義務教育で中学3年となっている英語を小学校から取り入れようと文部科学省がしていましたが、根本的な英語教育が義務教育からなっていなければ、
高等教育の高校、大学で勉強しても身につかないのもわかります。
その証拠に大学入試センター試験の英語の試験問題を英語圏の人に見てもらったところ今では、ほとんど使わない英語や通じない英語があると言っていたそうです。
巽一朗著の英会話とっさのひとこと辞典の前書きに今現在の英和、和英辞典にある
ものでも通じない英語があると書いてありました。
会員番号7791
【1382】[1678]幕末思想家を動かした清末知識人魏源と林則徐
幕末思想家を揺り起こした清朝知識人-魏源の『海国図志』
(その一) 田中 進二郎
・魏源と林則徐-アヘン戦争後に深刻に危機感を抱いた、数少ない清朝の知識人
・梁啓超の著作『清代学術概論』で高く評価されている魏源
・日本でもっとも早くに『海国図志』を読んだのはわずか齢二十の吉田松陰である
・海国図志は、強盛な西欧諸国のパワーの根源にサイエンスがあると説いた
・幕末三大思想家- 吉田松陰・佐久間象山・横井小楠をつなぐ『海国図志』の影響
・漢籍『海国図志』が幕末知識人に与えた衝撃は、幕末に翻訳された『聖書』や『万国公法』に匹敵する
・魏源と林則徐-アヘン戦争後に深刻に危機感を抱いた、数少ない清朝の知識人
魏源(ぎげん Wei Yuan 1794-1856)という中国人の名前はあまり知られていないだろう。が、英雄・林則徐(りん そくじょ Lin Zexu 1785-1850)なら有名だ。アヘン戦争(第一次アヘン戦争 1840-1842) の引き金となった、広東でのイギリスの倉庫からのアヘンの押収、処分を指揮した、当時の清朝の欽差大臣である。
一方の魏源は、アヘン戦争勃発より前に、清朝がすでに衰退をはじめている、と洞察した儒学者だ。そして、清朝の政治改革の必要性をもっとも早くに、『皇朝経世文編』(1826年刊)という書物で説いていた。日本では、異国船打払い令が出された翌年のことだ。
魏源は、科挙の殿試(最終試験)には、なかなか通らなかったが、著作を通して清の政府高官(経世官僚たち)に影響を与えた儒学者だった。
副島学問道場の古村治彦氏が今年の春に翻訳された書『野望の中国近現代史-帝国は復活する』(原題:Wealth and Power-China’s Long March to the 21st century オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー共著 ビジネス社刊)。この本の第二章「行己有恥-魏源」が彼についての優れた解説になっている。(写真↑)
この本で、魏源は近現代中国の先駆的な改革者(reformer)として登場している。この章を参照、引用しながら『海国図志』(Illustrated Treatise On Sea Powers ,1843)
に関する考察を試みる。
中国で最初の麻薬取締官となった欽差大臣(特命を与えられた大臣)・林則徐はイギリスのヴィクトリア女王に書簡を送り、アヘン貿易を中止するよう求めた。しかし、当時のイギリスはパーマストン卿に代表される、強硬派の砲艦外交(Gun-boat Diplomacy)が優位を占めた。グラッドストーンらの出兵反対派を抑えて、議会で清への出兵が可決された(賛成271票、反対262票)。こうして軍艦14隻を中心とするイギリス東洋艦隊が中国に向かった。
林則徐は広東に要塞を作って、イギリス艦隊を迎え撃とうとした。しかし、イギリス艦隊は、広東を通り過ぎて、さらに北上、アモイ、上海に砲撃を加えた。さらに清の道光帝ののど元に刀を突きつける形で、北京の外港である天津に姿を現した。
このことに動揺した清の道光帝は林則徐を解任して、イギリスとの和平を求めた(1840年9月)。林則徐は、北京に召喚され、敗戦の責任をとらされることになる。
翌1841年に、林則徐は(現在の新疆ウイグル自治区の)イリに追放されることになる。がその前に林則徐は、揚州にいる盟友の魏源に、イギリスをはじめとする西欧諸国の情報・資料を与えた。林則徐と魏源に共通する考えとは、この敗北の屈辱をよくかみしめて、西洋の進んだ科学技術を進んで取り入れることが急務だ、ということだった。
しかし、二人の考えを理解する人間は、非常に少数だった。清政府内には、和平派、主戦派がいた。だが双方とも、清国が重大な危機に陥っているということ、イギリス帝国が科学の発展を基盤とした強国であるということを認めなかった。
やがて、主戦派が清政府で主導権を握ると、戦争が再開される(1841年春)。林則徐の後任の司令官は無謀にも、イギリス艦隊に奇襲攻撃をかけ、反撃され広東を落とされてしまう。
魏源はこのときの模様を「海国図志」に次のように記述している。
-清政府からの資金が途絶えて、清軍の兵士に食料費も支払われなかった。広東の虎門を守る提督の関天培は自分の財産から、兵士に銀二円を支給した。一方、イギリス(英吉利)軍は漢人の賊徒三千人を銀三十円で雇っている。
(英夷攻広東時、募漢奸三千人。毎人給安家銀三十円、毎月工食銀十円。而我守虎門兵月餉不及三両。提督関天培憫兵之窮苦。自捐賞血欠、毎兵銀二円。-「海国図志 巻一」より)
インドの傭兵部隊(セポイ)や本国からの増援部隊でさらに強化されたイギリス艦隊は、今度は長江に侵入した。清国の物流の大動脈を断ち切って、一国の経済を恐慌に陥れていく。穀倉地帯の中国南部の米の輸送路が分断される。ジャンク船は次々と沈められていく。アヘン戦争を描いた、あの有名な絵のとおりだ。長江の沿岸都市は砲撃で破壊された。80隻のイギリスの戦艦が暴れまわった、と魏源は書く。
魏源の住む揚州は南京に近い、長江の北岸にあった。塩商人が多く裕福な町だった。だから、イギリス軍に50万両の銀を払って、なんとか街は砲撃を免れることができた。しかし、揚州以外の周辺の都市はかたっぱしから砲撃されたのだ。それを魏源は茫然と眺めるよりほかなかった。この戦場のありさまを魏源は、『海国図志』の第一巻(60巻本。最後には100巻になる。)にありありと描いた。
イギリス艦隊が長江を遡上して、鎮江を陥落させ南京に近づいたとき、道光帝は戦意を失い、和平のための交渉団を南京に送った。屈辱的な南京条約はこうして、締結された。(1842年8月)
魏源は、ちょうどこの月に揚州で、十年にわたる著述である「聖武記」(Records of conquest )を完成させた。こちらは、「海国図志」と異なって、清朝の初期の統治(盛世)を讃えたものだ。
しかし、すでに清朝の威信は地に落ちている。清が衰退している今、これまでの清朝の対外政策を一新せよ、と説得するために「聖武記」は書かれたのである。
だから、魏源はこの本の前書きに、「恥辱を感じれば努力するようになる。」「恥辱を感じることで勇気が生まれる」と書いた.
アヘン戦争の敗北のあと、中国近現代史の中で改革者(reformers)たちが少しづつ現れてくる。彼らは魏源の「聖武記」、「海国図志」から影響を受けた。しかしアヘン戦争後もまだ多くの官僚は、「清は世界の中心」と考えていたことも確かである。
・梁啓超の著作『清代学術概論』
梁啓超(りょう けいちょう Liang Qichao 1873-1929)は魏源の死後、17年後に生まれた清末・民国初期の政治家、啓蒙的ジャーナリスト、学者である。前掲の『野望の中国近現代史』でも第5章で取り上げられている。ここで、清代後期の学者だった魏源はどのような学者であったかを知るために、梁啓超の『清代学術概論』を見てみよう。
梁啓超は、『清代学術概論』(1921年刊 東洋文庫所収 副題:中国のルネサンス 訳:小野和子)で清代の学問(以下、清学と書く)の総括的、体系的な歴史を書いた。ここには、清代の儒学者たちの考証学が中国の近代化の土台となったことが解説されている。魏源も登場している。この著作よりも以前に、梁啓超は魏源の『皇朝経世文編』の新版に寄せた序文を書いている。そこで彼は、ヨーロッパはまったく新しい科学・技術・哲学・政治・法律のもとに産業革命を進展させたのだ、と書いた。フランシス・ベーコン(1561-1626)の『ニュー・アトランティス』というのはそのことを指し示すことばなのだ、と書いた。ルネサンス時代のヨーロッパで大きな正体のわからない社会変動が起こっている。その総体を「新大陸」とベーコンは命名した、と梁啓超は言った。その後、梁啓超はヨーロッパのルネサンスについての概説書を書いた。その余勢を駆って、たったの15日間で、清代約300年の学術の総括の『清代学術概論』を書き上げた。まさに驚異的なことである。
因みに、この著作の中で、梁啓超は自らを、師の康有夷(こう ゆうい Kang Youwei 1858-1927 )とともに清の儒学の大きな伝統の最後をしめくくる人間である、と書いている。
『清代学術概論』の中で、梁啓超は清学の起源が、朱子や王陽明をあがめる学者たちへの批判・攻撃なのだ、と説いている。宋代、明代の学者は孔子・孟子の思想よりも、朱子や王陽明を重んじた。驚くことに、陽明学ですらも、中国にあってはすでに体制側の学問に変質していた、という。この思想的状況は、実にヨーロッパにおいて、イエス・キリストの教えが忘れられて、ローマ・カトリック教会が民衆を支配したのとおなじだった。宋、明の儒学者たちが奉じる理学(朱子学・陽明学)に共通していたのは、孔孟をあげつらうことはしても、朱子・王陽明を批判することは絶対にしない、という宗教的ドグマ(教義)だ。
イタリアのルネサンス(リナシメント)がカトリック教会の教義に対して、懐疑し、古代ギリシャ・プラトンの源流にさかのぼっていったこと。これとおなじ運動が清代中国で行われたのだ。その火蓋(ひぶた)を切っておとしたのが、顧炎武(こ えんぶ1613-1682)だった。彼は「経世致用」をスローガンに掲げ、理学に対して自分の学問を経学と称した。
この学派は考証学派と呼ばれている。顧炎武は「経学の祖」であり、同時代の黄宗羲(こう そうぎ 1612-1695)はこれに歴史学を加えた。だから「史学の祖」だと、梁啓超はいう。
以下、『清代学術概論』(p42)より引用する。
(引用開始)
黄宗羲は、史学を根底としていたために、経世致用を論じてとりわけくわしい。その近代思想にもっとも影響を与えたものは、『明夷待訪録』である。その言にいう。
後世の人君(君主 田中注)たるものは,・・・天下の利をすべて自分に収め、天下の害はすべて人に帰せしめて、・・・天下の人をして、みずから私するを得しめず、みずから利するを得しめず、自分の大私を天下の大公にしてしまい、・・・天下を莫大の財産と心得る。・・・およそ天下の地で安寧なところとてないのは、君の故である。・・・天下の人が「その君を憎悪すること寇(こそ泥 )のごとく」、また「独夫」よばわりしているのは、故なきことではないのである。
天地の広大さから考えて、万人の中でただ一人だけが勝手なことをしてよいのだろうか。だから、暴君を誅した武王は聖人であり、革命を認めた孟子の言葉は、聖人の言葉なのである。(湯武放伐論)
しかるに、くだらぬ学者がこせこせとし、「君臣の義は天地の間に逃るるところなし」と為し、はなはだしきは桀王・紂王のような暴君に対しても、湯王や武王は彼らを誅すべきではなかったといい、・・・「父のごとく天の如し」との空虚な名辞をもって、他人が君位をうかがうことを禁じようとする。彼らは孟子の言を不都合だとして、廟から孟子を除外したのだが、それは小儒の言葉が発端なのだ。・・・
(引用終わり)
黄宗義『明夷待訪録』原君(↓)より加筆した部分もあります。www.geocities.jp/ichitsubo_de_gozaru/col002.html
田中進二郎です。梁啓超は清の末期に、この『明夷待訪録』を簡略化したものを数万部印刷して秘密裏に配布した。
また梁啓超が、黄宗羲の思想を重視していたことは、副島先生と石平氏の対談本『中国人の本性』(徳間書店刊)の終章「中国を根底で動かした愛国思想家の系譜」でも書かれている。副島先生は強調している。
(以下、『中国人の本性』p235より引用する。)
副島―『明夷待訪録』という本は、明から清への交替を経験した黄宗義が、明朝末期の社会混乱の原因や理由を考察し、君主専制の否定、「民本重民」の思想をのべたものです。この時代の政治評論集として白眉(はくび)であると評価されています。黄宗義の『明夷待訪録』は中国のルソー、中国の「民約論」として清朝末期にもてはやされ、「排満興漢」の起爆剤になった。
(引用終わり)
田中進二郎です。黄宗羲の父親は、明の復興を企てる政治結社・東林党に属していたために清の政府によって殺されている。その仇を討つために彼は生涯懐に刀を入れて持ち歩いていた、という。黄宗義の『明夷待訪録』によって、湯武放伐論という革命思想が生まれたのだ。
また幕末日本でも、湯武放伐論を援用した人物がいた。それは吉田松陰である。彼は、アメリカ船ポーハタン号に乗り込み、密航を企てたとして幕府に罰せられた。(1854年)長州の萩の野山獄に入獄中に、おなじ囚人たちを前に孟子を講義している。この講義録として、『講孟箚記(こうもうさつき)』が著された。この本の中でも吉田松陰は「漢土における湯武放伐論は、至極理にかなっている。しかし、わが国日本の場合、日本の国土は天皇が末永く守られるものである。漢土における天が日本では皇室だ。だから皇室を倒すなどという他念を持ってはならない。しかし一方、征夷大将軍の地位は皇室に任命されたものである。これは堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う)や桀・紂(けつ・ちゅう)と同じ立場である。征夷大将軍の職責を果たすことが出来ない者はすぐに廃しても構わない。
けれども、皇室の命を奉じないでこれを討とうとすれば、これは義戦ではない。」と言っている。
(『講孟箚記』巻の一 第八章より要約)
ところで吉田松陰と梁啓超には隠されたつながりがあるようだ。時代は下って 1898年に、梁啓超は光緒帝から召しだされ、清国の大胆な改革に協力することになった。が、この改革はわずか百日で終わり、西太后(せいたいごう)は保守化し、梁の逮捕を命じた。梁啓超は北京の日本の領事館に逃げ込んだ。彼を保護するように命じたのは、当時日本の総理大臣の大隈重信であった。伊藤博文も亡命に協力した。梁啓超は天津から軍艦「大島」に乗って、日本に亡命することになる。この時からの日本での亡命生活は14年に及んだ。梁啓超は日本名を「吉田晋」と名乗った。この吉田晋という名はおそらく吉田松陰と高杉晋作を合成したのだろう。
(前掲書 古村治彦訳『野望の中国近現代史』p114かいた116を参照)
このように黄宗義に始まって、梁啓超にいたるまで清代(1644-1912)を通じて、知識人は清朝政府から弾圧を受け続けていた。
だから知識人たちは、清が繁栄している間はおおっぴらな政治運動は行わなかった。
清の康煕帝(こうきてい)が召喚しても、重病を装い、固く門を閉ざして皇帝に拝謁することを断る、という人物もいたという。清代の考証学者の多くは、浙江省・江蘇省など華南地方の出身であった。弟子などは取らないで、ごく限られたネットワークのなかで、師友関係を保っていた。
そして、『海国図志』を著した魏源も、故郷の揚州でそのようなネットワーク、同志を持っていたようだ。「海国図志」にはそうした、少数の人々が作成に加わっていたと考えられる。
魏源が『聖武記』や『海国図志』を完成させたのは揚州(現・江蘇省揚州市)においてだった。この地で、清朝の最初の時期に「揚州十日事件」という悲惨な虐殺事件がおきている。アヘン戦争の200年ほど前だ。明が1644年に滅亡した後も、明の遺臣たちは、南京を拠点として清に抵抗した。長江流域の諸都市もこれにならった。が、1645年、順治帝の送り込んだ清軍が揚州を包囲して攻め落とす。その直後、80万人という住民の大殺戮がおこなわれたという。
(『蜀碧・揚州十日記(しょくへき・ようしゅうじゅうじつき)』東洋文庫所収。『揚州十日記』は1805年(文政 年)日本でも刊行されている。)
清代の史学者であった魏源の心中には、清朝政府に対して穏やかならざるものがあったと推測される。
●清の知識人たちにアメリカのユニテリアン教会が世界の情報を提供していた
魏源の『海国図志』(60巻、のち100巻になる。)の中には、当時最先端の世界情勢が含まれていた。林則徐が魏源に、海洋大国イギリスを分析するように、情報・資料を大量に渡したからである。その中にはアメリカ公理会(美国公理会 the Congregation church, 副島先生は「Public Beneficiary Societyのことではないか」とおっしゃっています。)の宣教師があらわした事典の翻訳があった。
アメリカン・ボードが初めて中国に送った最初の宣教師、ブリッジマン(Bridgman 1801-1861)が、1830年に中国の広東に来ていた。彼はアメリカのマサチューセッツ州の生まれで、ヨーロッパ各国や、日本・中国などアジアの地誌を手当たりしだいに読み、世界に飛び出していった。ジャカルタ・シンガポールで華人に会って、彼らが世界をまったく知らないことに驚き、漢字版『アメリカ合衆国全図』や『地球図』を製作した。そして、世界地理の百科事典を出版する。このブリッジマンが当時の典型的なアメリカのユニテリアンだろう。彼のような人にとっては、キリスト教の伝道はさほど意味を持たなかった。むしろ科学(science)を探求する方に熱心だったはずだ。また、林則徐・魏源のような、当時の優れた清の知識人たちも、イギリス帝国がいかにして強国になりえたのか、その根本原因を科学の発達に求めていたのである。
(注)アメリカン・ボードの宣教師ブリッジマンの百科事典が『海国図誌』になった、というのがこれまでの説でした。『鎖国時代 日本人の海外知識』(開国百年記念文化事業会 1953年刊)はブリッジマン説です。が、最近の『海国図誌』の研究者は、イギリス人のヒュー・マレー(Hugh Murray )が1834年に刊行した地理事典(The encyclopedia of Geography)が『海国図誌』の元だと書いています。欽差大臣・林則徐はこの地理事典を英語から中国語に翻訳して『四洲誌』と題して、魏源に渡した。こちらの説が有力なようです。その一例としてセルゲイ・ヴラディ氏(ロシア科学アカデミー極東支部歴史・考古学・民族学研究所)の論文を挙げておきます。↓また、こちらを読むと、林則徐が当時の清朝の国家戦略を考える知識人であったことがうかがえます。
―「19世紀の中国における世界地理への関心と林則徐著『俄羅斯国(オロシャ国)記要』http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/news/116/news116-09essay1.html
スラブ研究センターニュース季刊2009年秋号NO116
ところで、ブリッジマンが広東にやってきた二年後の1832年に、ポーランド人のギュツラフ(Karl Friedlich Gutzulaff 1803-1851)がマカオにやってきている。キリスト教のアジア宣教が目的でやってきているが、この人物には裏がある。ジャーディン・マセソン商会の手先として、林則徐に対しアヘンの持込みを認めるよう、強硬な要求を突きつけている。またアヘン戦争の南京条約締結の際、通訳をしている。つまり、イギリス帝国が送りこんだワルの一人だ。幕末に武力倒幕を裏でしくんだイギリス外交官アーネスト・サトウの先輩のような人間だ。驚くべきことに、ギュツラフの甥が、幕末日本の英国大使だったハリー・パークス(1882-1885)そのひとである。
ギュツラフは天才的な語学力を生かして、シンガポールで日本語訳聖書を著して本にした。1832年10月、尾張国(愛知県)の船乗りたちが遭難して、十四カ月も漂流した後アメリカ西海岸に漂着した。岩吉、久吉、音吉の三人である。彼らはなぜか汽船でイギリスに送られ、さらにそこからマカオに送られている。これはイギリスが日本に開国を迫るための材料として、漂流民をとどけるという名目を必要としたからである。
ギュツラフは彼ら三人から日本語を学び、1837年に上述の日本語訳聖書(『約翰福音之傳』(やくかんふくいんのでん-ヨハネ福音書の訳書)を完成した。これが出来上がると、彼らのほか新たに肥後の漁師の漂流民4名を加えて、モリソン号(アメリカの商船)でマカオを出発した。岩吉、久吉、音吉たちはまったく自分の意志とは無関係に地球を一周させられたのだ。しかし、彼らは日本の土を踏むことはできなかった。浦賀にやってきたモリソン号を幕府が砲撃したからである。幕府は当時「無二念打ち払い令」をしいていた。彼らはどこにも上陸することを許されなかった。この時の幕府のやり方を批判したのが、渡辺崋山と高野長英である。これは蛮社の獄へつながっていく。
それからはるかに時がたって、1862年にシンガポールにいた音吉を訪れたのが、幕府の第一次遣欧使節団の一行である。福沢諭吉もこの中に加わっていた。ここで音吉からじかに、イギリス帝国の外交のすさまじさを聞くことができた。福沢はその二年前にアメリカに咸臨丸で渡っている。その航海中にジョン万次郎から聞いた話と、重ね合わせたはずだ。当時の覇権国イギリスに日本が植民地にされてしまわないためには、アメリカのユニテリアンの力を借りなければとても無理だ、と考えただろう。
(ギュツラフについては、島根慶一氏のサイトより「ギュツラフとその時代(1)」
上海ビジネスフォーラムを参考にした。→)http://www.sbfnet.cn/useful/history/41.html
海洋大国イギリスが東アジアに勢力を急速に伸ばしていくなかで、危機を抱いた中国、日本の知識人たちが、イギリスやアメリカから最新の海外知識を得ようとしていた。
次回は、幕末日本人、吉田松陰、佐久間象山、川路聖あきら(かわじ としあきら)らが魏源の『海国図誌』を読んで、どのように思想を変容させていったかについて、書きます。
田中進二郎拝
【1381】[1677]思想対立が引き起こした福島原発事故(第4回)
みなさんこんにちは。
相田です。
あと何回かこちらに書かせて下さい。
前回[1671]の投稿では、実は副島先生に文章を少し直して頂きました。
最初はふにゃふにゃした処があった文章を、背筋がびしっと入ったものに変えて頂きました。
ありがとうございました。
今回は、武谷の思想に関するルーツと影響を与えた人物たちに触れます。
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思想対立が引き起こした福島原発事故
第1章 素粒子論グループの栄光とその影
1.3「哲学者」武谷三男と三段階論
(前回[1671]の続きです)
三段階論に代表される武谷の学説に関しては、発表当時からその真贋をめぐって多くの論争が繰り返されることとなった。いかにも大風呂敷を広げたかのような武谷の考えには、突っ込みどころも数多いと思える。しかしマルクス理論に加えて、湯川仕込みの素粒子物理学の専門用語を交えて繰り出す(煙に巻く?)武谷の説明に対し、真正面から論破するのは、通常の学者では相当に困難なことであったようである。それでも後年になると、武谷の最大のライバルとして、広重徹(ひろしげてつ)というひとりの科学史(かがくし)家が登場した。
広重は京大の湯川の下で素粒子物理学を学んだ武谷の同門であり、後に専攻を科学史に鞍替えした直接の後輩にあたる学者である。学生時代は武谷理論に心酔していた広重であったが、物理学者の主導による社会改革の必然性を訴え続ける、武谷のあまりにも素朴すぎる考えから、広重は徐々に距離を置くことになり、最終的に武谷理論の最大の批判者として対立することとなった。
広重はその登場により、日本の科学史研究を世界レベルまで引き上げたとも言われる、科学史の分野ではカリスマ化されている人物である。広重の著作の一つ「戦後日本の科学者運動」(1960年、中央公論社)は非常に優れた内容であり、本論考を書く際にも多くを参考にさせてもらっている。
武谷と広重の間では度重なる論争が行われた(私はここまでフォローしきれていません)。その中で広重は「三段階論は中間子論に代表される素粒子物理学の発展に有効であったか」という問題に対し、丹念な歴史の検証を行うことでこれを否定し、歴史法則としての三段階論にも有効性は認められない、と結論付けたとされる。そして、広重以降の科学史のフィールドでは、三段階論を始めとする武谷のほとんどの学説は、主要な研究テーマとしては取り上げられなくなった、ということらしい。
実は武谷の思想が近年なかなか話題にならない理由はこれだけではない。もう一つ大きな事情があるのだが、これについては後で説明する。
広重は思想家として非常に才能に恵まれた人物であったが、70年代初めに体調を崩し、40代半ばの若さでガンによりで夭折している。広重に大きな影響を受けたことを自認しているのが、九州大学副学長で原子力開発への批判的論考を数多く発表している吉岡斉(よしおかひとし)である。
吉岡の「原子力の社会史 その日本的展開(朝日選書)」(1999年の旧版、福島事故後の2011年10月に改訂・追記版が出た)は、日本の原子力開発の歴史を網羅した現状では唯一の本である。吉岡はこの本の内容について、広重の後期の代表作である「科学の社会史」(1973年、中央公論社)を念頭において書いたと述べている。
広重は1960年の「戦後日本の科学者運動」において、茅―伏見提案から東海第一原発建設までの関係者達について鋭い批判を加えているが、その後に書かれた「科学の社会史」では、原子力については何も記述しないまま、広重は世を去った。吉岡の研究はその広重の意思を継いだものだという自負があるようである。
しかし私が吉岡の「原子力の社会史」読んだ感想では、広重の「戦後日本の科学者運動」に比べると、内容がかなり深みに欠けるように思える。広重が感じていた「科学者としての悩み」のような重さが、吉岡の本には見当たらず、膨大な記述があっさりと進んでゆくだけなのが、私には不満である。
吉岡のこの本については、私は他にも不満がある。それは戦後の原子力開発の歴史の中で、3.11福島事故の直接の引金をひいたともいえる、「ある出来事」について全く書かれていないことである。正確には少しだけ触れてはいるのだが、吉岡の説明ではその本当の重要性は全く読者には理解できない。
福島事故以来、TVや書籍等では戦後日本の原子力開発についての相当な報道がなされている。そのほとんどは、茅-伏見提案から中曽根予算、正力CIA、東海第一原発と続いたあとで、東電福島原発建設に話が進む構成になっている。しかし、正力・東海第一原発から東電福島原発建設の間に、誰もが何故かほとんど触れない、一つの重要な事件が起こっているのである。
本論考の真の目的は、その「事件」の全貌を、包み隠さず明らかにすることにある。そこに行くまでには、もう少し説明が必要である。3.11福島事故は東電という一民間企業の管理の甘さで起きた訳等ではなく、歴史の必然であったことを誰もが理解するだろう。
1.4エンゲルス、レーニンの自然科学論
武谷が拠り所とする物理学とマルクス理論とは、そもそも全く異なる分野の学説であり、両者の組み合わせには一見奇異な感じを抱く方も若い年齢の方には多いと思う。しかしこのような考えは武谷の独りよがりでは決してなく、実は偉大な先例がある。
19世紀末にマルクスの盟友であるエンゲルスは「自然の弁証法」という未完の論説集の中で、多くの自然科学者の研究例について引用、考察して、自然科学の発展における唯物論的弁証法の重要性について論じている。それから20年ほど後の1909年にかの革命家レーニンは、「唯物論と経験批判論」いう著書を出版し、左翼活動家としての観点から当時の自然科学の状況についての詳細な分析と批判を行っているのである。
レーニンの「唯物論と経験批判論」における「批判」は、19世紀後半から20世紀初頭に活躍した物理学者であり哲学者でもあるエルンスト・マッハに向けられている。流体物理の研究家であったマッハの名前は音速の単位「マッハ」の呼称として用いられている。
先に述べたように19世紀の後半は、従来の物理法則では説明できない現象が数多く見出されたことから、物理学への信頼が大きく揺らいだ時期であった。この状況に対しマッハは人間の感覚で認識できない現象は実体ではなく、物理の法則は人間の感覚で直接経験出来る関係の組み合わせのみで再構築するべきである、と強く主張した。
当時、英国のマックスウェルとドイツのボルツマンにより、気体の分子運動論(ぶんしうんどうろん)を基礎とした統計力学(とうけいりきがく)が提案されていたが、分子や原子等の人間が直接認識できない要因を仮定して物理法則を構築することをマッハは強く批判した。マッハの分子運動論への執拗な攻撃により精神を病んだボルツマンは、20世紀初頭に入ると自殺してしまう。統計物理学というアインシュタインの相対性理論(そうたいせいりろん)と並ぶ理論体系を確立したボルツマンは、もう数年生きていれば間違いなくノーベル賞を受賞したであろう偉大な物理学者であった。
マッハ哲学は当時のヨーロッパ知識人の多くの支持を集めており、革命前のロシアにも影響が及びつつあった。人間に認識できない事象を否定するマッハ哲学は、唯物論を基盤とするマルクス主義への信頼を揺るがすと考えたレーニンは、マッハの考えを詳細に研究して反論を行った。
レーニンは、当時の物理学が抱える問題は人間の知見がより深まることで、物理学が新たなレベルに到達したことが理由であるとした。そして、より優れた物理法則を導入することで、自然現象の矛盾のない説明が可能になることと、物理法則は実際に存在する物質を対象として取り扱うことが出来ることを、この本でレーニンは強く主張した。即ち唯物論的弁証法の勝利をレーニンは高らかに宣言したのである。レーニンの予測に従うように、同時期のヨーロッパでは、量子力学やアンシュタインの相対性理論等の革新的な理論が出現して、物理学は新たな時代を迎えることになる。
正直に言ってしまうと、私は今までマルクス、エンゲルス、レーニンの難解な本など熟読した事はない。それでも弁証法とはA B = C, 即ち安定した状態:Aに問題が生じた場合に、異なる考え:Bを加えることで、新たな解決策:Cを見出すこと、この過程が延々ときりがなく繰り返されてゆくことだと、ざっくりと考えている。この考えを自然界の物質や社会現象に適用し生かすことが、武谷、坂田が何度も主張する「唯物論的弁証法」であると、私は最近ようやく理解した所である。
後に示すように坂田昌一は「自然はそれ自身の中に無限の階層性を有しており、それを一つ一つ明らかにすることが物理学者の使命である」という考えを自らの哲学としていたという。坂田のこの考えはレーニンに大きな影響を受けていると私は思う。
1.5素粒子論グループの形成
京大の湯川の同期生の朝永も、大学卒業後の数年は無休副手として過ごした後に、仁科芳雄に請われて東京の理研に移籍し、理論物理のリーダーを任されることとなった。1938年に阪大の湯川研究室が解消された後に、日本の理論物理の研究グループは湯川、坂田の京大(関西)と、朝永、武谷等の理研(東京)とに分かれることとなったが、武谷の提案により京大と理研の研究者同士の交流の場として「メソン(中間子)の会」と呼ばれる会合が、定期的に開催されるようになった。
メソンの会は「中間子討論会」と名を変えつつ、中間子論をはじめとして、当時の有力な実験ツールである霧箱(きりばこ)から得られる宇宙線の観測データや、「電磁場の量子化」等の話題について、学会とは別に自由闊達な議論が交わされた。後者の問題は、マックスウェルの電磁場方程式を量子力学で書き換えて、電子の質量やエネルギーを求める際に、数式上に無限大の発散(はっさん)が生じるもので、当時の物理学上の最大の難題であった。後に記すように朝永は「くり込み論」と呼ばれる考えにより無限大の発散を解決することに成功し、湯川に続き1965年に日本人二人目のノーベル物理学賞を得ることになる。
戦中、終戦直後は仁科、菊池等を除き、旧帝大の物理学会には量子力学に理解を示す学者は非常に少ない状況であった。しかし、湯川、朝永、坂田、武谷等の当時30代前半の才能あふれる若手研究者に率いられたグループの活躍は、次第に世の中の注目を集めることとなった。武谷、坂田の当時のファシズムに抵抗する「民主的な」言動に共感する研究者も多かったようである。
戦後になると、次々に出版された武谷の一連の著作物により、新しい時代の風を感じた多くの理科系学生達が、素粒子物理学を目指すようになった。1949年に湯川が中間子論により日本人初のノーベル賞を受賞すると、その流れは頂点に達し「素粒子論グループ」という数百人規模の若手物理学者の集団が形成された。素粒子論グループの位置づけについては、湯川の最後期の弟子でもある女性物理学者の坂東昌子(ばんどうまさこ)氏が、御自身のブログで以下のように触れられている。
-引用始め-
物理の世界では、デンマークのボーア研究所を中心にして、学問の前では対等平等な科学者たちが自由に忌憚のない議論を戦わせる気風があった。ボーアは、「科学こそ、人間の協力の最も進んだ形の1つである」と確信していたという。国境を越え性差を超えた人類の純粋な共同作業ができるネットワークが形成されていた。
そこに根付いた、コペンハーゲン精神は、先輩たちが日本に持ち帰った。この気風は、大学の枠を超えたネットワークを作り、目的のために助け合った。そして、その水先案内をしたのは、湯川秀樹・朝永振一郎であったと誇り高く思ってきた。
そこでは、学問の前では、老いも若きも上下の区別なく対等平等だという研究者集団の原則が生きた科学者の世界があった。その先取の気風が、日本における輝かしい物理学の成果を生み出したのだ、と私はずっと思っていた。
(南部モード・・・南部先生の物理、2013年8月01日、より)
-引用終わり-
相田です。
しかし素粒子論グループには、坂東氏が述べられたような表向きの意味合いの他に、もう一つの姿が実はあった。戦後に素粒子論グループに参加した若手研究者の多くは学生時代に武谷、坂田の著書を熟読しており、相当に濃い左翼思想に染まっていたという。彼らは「紙と鉛筆のみで新しい理論を作り出すことで、世界をより良い方向(即ちマルクスの予言する労働者の理想社会)に変えられる」と本気で信じる、強烈な自負心を持つ集団でもあった。
戦後の素粒子論グループが強固な左翼思想を持つに至った背景として、自らも左翼系学者を自認されている西村肇(にしむらはじめ)先生は、副島先生との幻の対談で次のような指摘をされている。1925-27年にヨーロッパで見出された量子力学は、物理学史上の最大の革新であった。ニュートンの古典的な運動方程式を波動方程式や行列を用いたエレガントな数学形式に組み替えることで、物質内部を構成する原子、電子、その他の未知の素粒子の挙動が、堰を切ったように解明された。
量子力学を初めとする近代物理学の威力を目の当たりにした学者たちは、「頭の中で高度な理論を構築し応用することで、数多くの未知な現象が解明できる」ことを経験した。彼らはさらに考えを推し進めて「正しい理論さえ与えられれば、頭の中で世の中の全ての問題は解決できる」という、強烈な自負心を持つに至った。そして1930~50年代に量子力学に相当する社会科学の理論的支柱として存在した唯一の思想が、マルクス理論であった。
「優れた理論を用いて頭の中で論理的な考察を行うことで、世の中の全ての問題の解答を得る事ができる。量子力学とマルクス理論によりそれを実現する」という思想が、戦後の素粒子論グループの隠れた教義(アクシオム)となったのである。このような考えは、物理を勉強しない人には単なる戯言でしかないように思える。しかし戦争によりインフラを破壊された荒廃した環境で、闇物資を頼りながら厳しい生活を続ける若者にとって、「自らの思考の力だけで社会をより良い方向に変えられる」と強く主張する武谷の考えは、明るい希望の道筋に見えたであろうことは、私にも想像できる。
(続く)
【1380】[1675]Re :
副島先生、はじめまして。
会員番号3265番の市川と申します。
この掲示板には、過去に2回投稿しています。
新ベンチャー革命というブログを書いているのは、山本尚利(やまもと ひさとし)さんです。
こちらに経歴があります。
http://sangakukan.jp/journal/center_contents/author_profile/yamamoto-h.html
彼は技術経営の専門家ですが、技術経営というのが何なのかは、私には説明できません。
何冊か著書があり、私は「情報と技術を管理され続ける日本」という本を読みました。
副島先生の属国論に近い考え方で書かれた、素晴らしい本です。
【1379】[1674] 「 習近平は必ず金正恩を殺す 」(近藤大介 著)という本が出ています。
副島隆彦です。 今日は、2014年9月30日です。
私が気になる本が一ヶ月前に、出版されていた。その書名は、「 習近平(しゅうきんぺい)は必ず金正恩(キム・ジョンウン)を殺す 」である。何とまあ、こんなセンセーショナルな本を、わざと出すと却って世の中は相手にしない。
しかし、出版業界のウルトラ専門職の人間たちだったら、こういうオカシナ手にわざと出る。 私が、この衝撃的な書名の本の存在を知ったのは9月25日だ。以下に、この本のアマゾンの自著宣伝の文を載せる。
(転載貼り付け始め)
「 習近平は必ず金正恩を殺す 」 単行本 2014/8/28 発売
近藤 大介 (著) 講談社 刊
中朝開戦の必然――アメリカがバックに控える日本、ベトナム、フィリピンとは、絶対に戦争ができない中国……国内に鬱積する不満を解消するためには、中国で最も嫌われている人物、すなわち金正恩を殺すしかない !
1989年の天安門事件や1990年の金丸訪朝を直接取材し、2002年と2004年の小泉訪朝団に随行した著者の、25年にわたる中朝取材の総決算!!
著者について
近藤大介(こんどう・だいすけ) 1965年生まれ、埼玉県出身。東京大学卒業後、「月刊現代」「週刊現代」「フライデー」などで記者・編集者を務める。2009年から2012年まで講談社(北京)文化有限公司副社長。現在、「週刊現代」編集次長、明治大学講師(東アジア論)。中国を中心とした東アジア問題の研究をライフワークとする。
著書には、『日中「再」逆転』『対中戦略』(以上、講談社)、『深紅の華』(廣済堂出版)、『中国人の常識は世界の非常識』(ベスト新書)、『「中国模式」の衝撃』(平凡新書)などがある。
この他に、同じ著者の最新刊の予定の本として、
「 金正恩の正体: 北朝鮮 権力をめぐる死闘 」 (平凡社新書) 新書 2014/9/12発売近藤 大介 (著) がある。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 近藤氏は、1964年生まれだからまだ48歳の若さだから、「そろそろ編集者を定年で引退して、大学教授になって独立した言論人になろう」というような人ではない。 私は、近藤氏は、「日本よ中国と同盟せよ」(光文社刊、 2006年刊)を書いた人なので、決して、そこらにウヨウヨいる反中国、反韓国(嫌韓、けんかん)の人種差別主義者たちと同類だとは思わない。
彼は、現実の東アジア政治の中の、極めて複雑なかつ重要な立場を生きている人だ。それが、「 習近平は必ず金正恩を殺す 」 という 本を出した。この本の存在を知るまで、私、副島隆彦が一ヶ月掛(かか)かったということは、世の中から放ったらかしにされている、ということだ。
私は、今も現職の講談社の副編集長である、近藤大介氏にこれまでに2回お会いしたことがある。 近藤氏の本のことについては、私は、今日は敢えて触れない。
私が、今日、急いで、書いておくべきことは、今の中国政府は、北朝鮮と険悪な関係になっていて、中国としては、今の北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)体制を崩壊させて、作り変える、という決断を既にしている、ということだ。
一言で、端的(たんてき)に言うならば、習近平の中国政府は、今の北朝鮮を、ミャンマー(テイン・セイン政権)のような、西側世界に広く開いて、資本主義の制度を導入して、外国の資本をどんどん入れて(来てもらって)一気に経済成長して、国民を貧困から脱出させる、という体制に変更してもらいたい、ということだ。
中国としては、北朝鮮が、今のまま、中国のお荷物となって、経済・軍事援助で生き延びる旧式の独裁国家であってもらっては困るのだ。
私、副島隆彦は、今から8年前に 自分の中国研究本を書き始めた時から、「北朝鮮が持っている4発の核兵器のうち、2発は、北京を狙っている」とずっと書いた。私がこのように書いても、ほとんど相手にされなかった。まさかそんな、そんなことがあるのか、という反応だった。
私は、その頃から気づいていた。私は、4年前に、中国と北朝鮮の国境の町で、鴨緑江(おうりょくこう)の河口にある 丹東(タントン)の町に調査に行った時に、「あ、そうか。朝鮮族は、たとえ民族の半分が殺されても、それでも、漢民族の中国に屈服することはない。だから、朝鮮・韓国族は、今も、12世紀から作られた、ハングルという表音文字の言語を絶対に死守する。満州族のように民族言語を失って、漢民族(漢字文明)に同化し消滅することを絶対に拒絶する」と分かった。
中国と北朝鮮の対立はどのようにして起こったか。この大きな課題(テーマ)については、今日はここでは書かない。 私が、把握している この数年の、中国の北朝鮮への怒りは、以下のものだ。
1.昨年2013年の2月に、北朝鮮が、3回目の核実験を行った。それに対して中国が怒って、北朝鮮の銀行の口座を凍結する、という経済制裁の手段に出た。
2.張徳江(ちょうとっこう)という今の中国のトップ7(7人。政治局常務委員)のNo5だと思われる(中国の本当の秘密警察のトップでもある)人が、彼は、金日成総合大学を卒業していて、朝鮮語が出来るので、おそらく朝鮮人や満洲人の血が入っている人だろうが、彼が、韓国に行って、朴槿恵(パク・クネ)大統領と、話し込んでいる。
3.2013年の12月12日に、北朝鮮の、立派な幹部で、重厚な政策を実行していた、中国寄りの張成沢(チャン・ソンテク)が銃殺刑にされた。これに中国が怒った。
4.2014年3月の全人代(ぜんじんだい。中国の国会)で、香港政策を管轄する張徳江(ちょうとっこう)から、「一国二制度」(鄧小平とサッチャーの約束で2047年までだから、あと33年ある)の柱である「高度の自治」というコトバが消えた。それ以来の、香港への締め付けである。今、香港の学生たちが抗議して騒いでいるのは、ここから始まった。
5.習近平 が、朴槿恵(パク・クネ)と北京で、2013年7月初めに、親密に話している。 この時に、北朝鮮の体制を変更する、という話をしたようだ。そして、それは、韓国に北朝鮮を、穏(おだ)やかに合併させて、南北の分裂国家の統一をさせる、という方針だろう。
私、副島隆彦は、北朝鮮の高官の中に、アメリカのネオコン派と統一教会系の者たちが入っていて、それで東アジア(極東、ファー・イースト)でも、中東(ミドル・イースト、アラブ世界)と同じように、戦乱、戦争を引き起こそう、としていると書いてきた。そのように8年前から分析している。 それの、日本国内の親密な勢力が、だから、言わずと知れた・・・の人びとだ。
6.そして今年の7月に、北朝鮮が、急に態度を軟化(なんか)させて、日本の安倍政権と親密に話を持つようになった。拉致問題を解決しようとした。それは同時に日本と北朝鮮との平和条約の締結だ。
7.その前に、3月10日から14日にかけて、モンゴルのウランバトールで、「横田夫妻とヘギョンさんが面会した」という事実が17日になってから公表された。かつてのモンゴル出身力士の旭鷲山(きょくしゅうざん。現在は、モンゴルの国会議員)が仲介したそうだ。
私は、北朝鮮が、日本政府(安倍政権)に接近して自分たちの生き残りを賭けての変化、を凝視していた。もし、まだ生きている拉致(らち)日本人全員(13人の2004年に帰ってきた5人を除く8人。死んでいる者が多い。および2万人と言われる 北朝鮮に渡った日本人妻たち)の日本への一斉帰国を、安倍首相が実現したら、日本外交の大成果となって、安倍政権の長期政権が実現しそうだった。
ところが、このあと、8月になって急激に事態が、またしても動いた。オバマ政権が動いた。そして、中国の習近平政権と、直接、北朝鮮問題で、徹底的に話し合ったようである。オバマ( 戦争を避けるハト派、CFR派、オフショア・バランシング理論派。後継者は、バイデン副大統領)は、習近平と組んで、極東での安定、平和の維持を決断したようだ。よかった。これで、中東に続く、極東(東アジア)での、戦乱が避けられた。
ヒラリーたち(好戦派=ジンゴウイスト=。インターベンショニスト=外国への干渉主義者=。彼女につながる米国内のネオコン派、狂信的宗教諸団体、反共主義者たちの群れ)は、東アジアでも戦争を起こさせようとしている。
それの、先手を取って、オバマと習近平が動いた。それで、安倍首相の北朝鮮の平壌(ピョンヤン)行きの話が、8月末に一気に消えた。ロシアのプーチンを北方領土問題(平和条約締結)で、10月に日本に招く計画も失敗したから、安倍首相本人の敗北感は、相当なものである。つまり安倍内閣の長期政権化は、なくなったのだ。
このように、オバマと習近平が組むことで、北朝鮮(キム・ジョンウン体制)と安倍政権が組むこと(ネオコン派の極東版。戦争開始勢力 ) を阻止した。取り敢えず喜ばしいことだった。
テレビのニューズをじっと見ているだけでも分かる。中東の、あの IS(アイス。「イスラム国」)の、イラクやシリアの砂漠の中の道路を走る、 あのトヨタ製の新車 のランドクルーザー(トヨタのテキサス州のサンアントニオ工場製だ ) の白い車体を、300台もずらりと連ねて、機関銃の銃座を後部座席に据えて、示威行動のように行進するのを見ていると、よく分かる。
あれらの大量の トヨタ( トヨタのマークが光っている) の新車のランクルは、一体、どこに陸揚げされて、どうやって北イラクやシリアに移送されたのか。
それは、サウジアラビアだ。あるいは、イスラエルのハイファHifa 港だ。それ以外には有り得ない。北の方のトルコやイラクから入ってきたはずがない。
IS(アイス)の「イスラム国」の、あの狂信的な戦闘員たちは、あれは、全員が傭兵(ようへい、マーシナリー)だと、考えるべきなのだ。カネで雇われてきた、サラフィー(セラフィスト)の若者たちだ。 これからの世界中の 戦争は、傭兵部隊(マーシナリー)がやるのだ。
アル・カイーダまでは、アラブ世界の国際義勇軍すなわちボランティア(義勇兵、ぎゆうへい)たちだった、という体裁(ていさい)を取っていた。アメリカの最高級の戦略思想家であるズビグニュー・ブレジンスキー(ヘンリー・キッシンジャーと同格)が発案し企画、実行した。あそこまでは、国際法(ハーグ陸戦協定)に基づく義勇軍としての運動だった。 しかし、これからは、傭兵たちが戦争をするのだ。
各国の正規軍の軍隊ではなくて、得体の知れない者たちがする戦闘だ。そして、この者たちは、いいように世界政治の 罠(わな)にはまり、狂信的な集団生活運動として存在し、いいように背後から操(あやつ)られて、殲滅、駆除されてゆく。 世界中の人々が、「あんな、首を切断をする、残虐な者たちは、爆撃で、殺してしまっていい」という、巧妙に作られて流される映像・メディアを使った、世界民衆への扇動と洗脳を上手に受けて、「イスラム国」への爆撃と派兵が実行されてゆく。このように上手に仕組むことで、世界権力者たちは、自分たちにいいように世界を動かしてゆく。
「どうして、急に、イラクで、あんなヘンな連中が、降って湧いたように、登場してきたのだろう。まるでハリウッド映画が次々と作る暴力映画のようだ。ヘンだなあ 」
と、気づくべきなのだ。 この大きな世界規模の騙(だま)し構造を見抜くだけの、優れた知性と頭脳を、私たちが持つことだけが、私たちが生き延びる道だ。
今日は、もうこれぐらいにしておきます。
近藤大介氏が、「 習近平は必ず金正恩を殺す 」という物騒(ぶっそう)な書名(タイトル)の本を、ワザと出して、何かを喚起してるので、私も、それに思わず、直(ちょく)対応したくなったので、このように書いた。
たしかに、金正恩(キム・ジョンウン)は、若いのに長年の美食と不摂生で、糖尿病と痛風(つうふう)のようだから長くはないのだろう。中国が、北朝鮮の体制をどのように作り変えるのかは、まだ、分からない。
それでも、歴史に学ぶなら、隋(ずい)の煬帝(ようだい。彼に、日本の蘇我入鹿(そがのいるか)=聖徳太子が、朝貢した )は2回,朝鮮族と戦争して負けている。これで隋(ずい)帝国は滅んだ。 次の 唐(とう)帝国も新羅(しらぎ、シンラ)に勝っていない。だから中国帝国であっても、朝鮮族や、高句麗(こうくり、満州族だろう)との戦いでは、歴史上おおいに手を焼いている。だから、今の中国が、朝鮮族を、そんなに簡単に服従させることは出来ない、と考えるのが、優れた政治分析だ。
今日は、もうこれぐらいにしておきます。
最新の北朝鮮情勢を 最新情報で伝えている優れた文章がネット上にあった。この「新ベンチャー革命」という文章を書いている人が一体誰なのか、私は知らない。それでも、かなりの確度(かくど)で、日本人知識人なのに、この人は、現状を正しく見抜いている。優れた書き手だ。ハフィントン・ポスト紙 の記事から学んだと明記している。
内容は、ズバリ、「米オバマ政権と中国・習政権の 米戦争屋ネオコンと組む北朝鮮キムジョンウン体制を崩壊させる極東戦略」 である。以下に転載して終わりにします。
(転載貼り付け始め)
「親中の米オバマ政権は中国・習政権と結して、北のキムジョンウン体制を崩壊させる」
新ベンチャー革命 2014年9月21日 No.979
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34164606.html
タイトル:アメリカの変化に日本の外務省混乱。 米ジャパンハンドラーの頭目ジョセフ・ナイが沖縄から米軍は撤退すべきと唱え始めた
1.ジョセフ・ナイ同調。 米オバマ政権と中国・習政権は米戦争屋ネオコンと組む北朝鮮キムジョンウン体制を崩壊させる極東戦略。
本ブログのメインテーマである米戦争屋のジャパンハンドラーの頭目・ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授が私見を公表(注1)。
主張は、今の日米同盟を見直し、在沖米軍の前線後退と日本の自衛隊による自主防衛に移行すべし。この主張に腰を抜かしは、日本の外務省。 この主張と北朝鮮脅威問題はリンク。
さて、本ブログ前号No.978、米国戦争屋ネオコンによって創出されている北朝鮮脅威について(注2)。
今年7月、北朝鮮が唐突に軟化し、一時、拉致被害者の帰国が実現しそう。安倍自民党の支持率上昇に有効な、拉致被害者帰国劇を安倍首相は歓迎、早速、対朝制裁解除を決定し、拉致被害者家族は今度こそと期待。
しかしながら、9月中下旬、北は一転、軟化姿勢を翻し、拉致被害者帰国劇は遠のく。7月の北の豹変は何だったのか、拉致被害者家族も狐につままれた。北の拉致被害者帰国容認姿勢が急にトーンダウンし、安倍のメンツが丸つぶれとなった。
米政府高官が8月中旬に、米軍機で内密に訪朝した(注3)。この米高官は、米政権から下野中の米国戦争屋エージェントではない、米オバマ政権の人間。この後、北の対日軟化姿勢がトーンダウンした。オバマ政権は、拉致被害者帰国と引き換えに安倍政権が巨額の軍資金を北に提供することを拒否した。
親中の米オバマ政権は中国・習政権と結して、北のキムジョンウン体制を崩壊させる。
2.オバマ・習氏に接近する韓国・朴大統領。 米国戦争屋ネオコンと対立。 セウォル号撃沈はその意趣返し韓国・朴政権は米オバマ政権と中国・習政権に接近。上記、米高官の内密訪朝にも協力(注3)。つまり、韓国もキムジョンウン体制崩壊に協力。この韓国・朴政権の姿勢は、米戦争屋ネオコンを激昂させる。セウォル号撃沈事件は、米戦争屋ネオコンの朴政権への嫌がらせ。
米戦争屋ネオコンの奴隷安倍は、ネオコンの意思に沿って、キムジョンウン体制の維持に協力。だから、安倍は、アンチ米戦争屋ネオコンのオバマ政権から強く叱られた(注4)。
ジョセフ・ナイの直近の主張を合わせると、近未来、米国政府の極東戦略が大きく変わる。
3.ジャパンハンドラー・ジョセフ・ナイが在沖米軍の撤退と米軍基地の自衛隊移管を唱え始めた。ジョセフ・ナイの主張は、今の日米同盟を見直し、在沖米軍の前線後退を前提に日本の自衛隊による自主防衛に移行すべし。同氏の発想は彼独自のものでもない、すでに2006年以降に存在している米国防総省の穏健派(非ネオコン)の長期計画案(注5、注6)と同じ。
米国防省内の非ネオコンの発想、それは、近年の中国の軍事技術力向上、中国のミサイル射程距離が大幅に伸びている(注7)、中国ミサイル基地に近い在沖米軍はすでにその射程内に入っていて、危険に晒されているという認識。
もし、米中戦争が起きれば、在沖米軍基地のみならず、駐日米軍基地も駐韓米軍基地も簡単に破壊される。一方、極東米軍は中国攻撃用の長距離ミサイルはもっていない。対中競争優位ではない。
2009年1月に米大統領に就任したオバマは、在沖米軍基地のグアム後退を決定すべく、2010年にグアム訪問を計画。それに反対する米戦争屋ネオコンによって、この訪問は妨害(注5)。
4.ジョセフ・ナイの主張とオバマ政権の極東米軍前線後退案は一致。 ジョセフ・ナイは米戦争屋の中でも、ネオコンとは一線を画している。だから、彼の主張は、米国防総省の穏健派から支持されるオバマ政権の極東米軍前線後退案と一致。米ジャパンハンドラーの言いなりに動いて、アメリカ様の御威光を利用してきた日本外務省(日米安保マフィア)は苦境に。
今、普天間基地の辺野古移転で沖縄はもめている、沖縄国民の反対を押し切って辺野古整備に血道を上げているのは、日本外務省とそれに同調する日米安保マフィア連中(親米の防衛省官僚含む)。
オバマ政権下の米国防総省穏健派が極東戦略の大転換を成功させる。北朝鮮脅威の除去が必要。すでに始まっている。オバマ政権と同調する中国・習政権は、中国内で暗躍していた米戦争屋ネオコンのエージェントと疑われる周永康(しゅうえいこう)一派を駆逐した(注8)。この事件の背景をジョセフ・ナイはよくわかっている。周一派は、中国内で対米挑発を繰り返し、米中対立を煽る。
ネオコンの意向に沿って、尖閣周辺での対日挑発と中国内の反日暴動を扇動、日中戦争の火種に着火したい。南シナ海でも対・東南アジア諸国への挑発も行う、習政権はその芽を断ち切った。これで、オバマ政権の極東戦略の転換がやりやすく。このような情勢変化を安倍政権は読めていない。政権を漠然と支持している一部のお人好し国民。
注1:ハフィントンポスト“Joseph Nye: Japan’s Robust Self-Defense Is Good for Asia” 2014年8月7日
http://www.huffingtonpost.com/joseph-nye/japan-self-defense_b_5658883.html
注2:本ブログNo.978 『安倍首相を操る米国某勢力は拉致被害者身代金で北朝鮮の軍資金を確保しようとした。が、米オバマ政権に阻止された模様』 2014年9月20日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34161421.html
注3:“安倍訪朝に米国務長官が再度懸念を表明:16日に米国政府高官が軍用機で訪朝:日朝国交正常化を求めてきたのは米国” 2014年8月29日
注4:ハフィントンポスト“安倍首相の訪朝、アメリカが自制を要求「日米韓の連携が乱れかねない」 ”2014年7月16日
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/15/abe-north-korea_n_5589776.html
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1378】[1673][1672]の訂正
下の[1672]の投稿で、9/28からNHKの朝ドラ「マッサン」が放映されると書いてしまいましたが、9/29からの誤りです。失礼しました。