重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【1427】[1746]素晴らしいYoutube チャンネル発見
会員#3130 の 名和公平です。
こちらの会員の皆様であれば絶対おすすめのYoutubeのチャンネルを
最近、発見しました。
ちょっとふざけた感じですが、、、内容はピカイチの感じです。
””らっきーデタラメ放送局””
【1426】[1745]安倍晋三の最悪のコメントを糾弾する
アルルの男・ヒロシです。
数日間膠着状態になっていた、イスラム国(ISIS)による人質事件が悲劇的な結末を迎えた。
私もこの動画を見ましたが、これは明らかに後藤健二氏の殺害動画だった。
知人が朝早くに電話してきたことで私はこの動画を見た。
もう動画は消されているようだ。
安倍晋三首相がコメントを出した。
これは最悪のコメントである。
(貼り付け開始)
安倍首相「強い怒り 許さない」
NHK 2月1日 7時02分
安倍首相「強い怒り 許さない」
イスラム過激派組織「イスラム国」とみられる組織に拘束された後藤健二さんを殺害したとする動画がインターネット上に投稿されたことを受けて、安倍総理大臣は、午前6時40分すぎ、総理大臣官邸で記者団に対し、「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える。テロリストたちを決して許さない」と述べました。
イスラム過激派組織「イスラム国」とみられる組織に拘束された後藤健二さんを殺害したとする動画がインターネット上に投稿されたことを受けて、総理大臣官邸には、午前5時半すぎ、菅官房長官、加藤官房副長官、世耕官房副長官らが相次いで入りました。
安倍総理大臣は、午前6時40分すぎ、記者団に対し、「湯川さんに続いて、後藤さんを殺害したとみられる動画が公開された。ご家族のご心痛を思うとことばもない。政府として全力で対応してきたが、誠に痛恨の極みだ。非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える」と述べました。
そのうえで安倍総理大臣は、「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携していく。日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援などの人道支援をさらに拡充していく。テロと戦う国際社会において、日本としての責任をき然として果たしていく」と述べました。
これに先立って、菅官房長官は、午前6時から記者会見し、「西村内閣危機管理監、谷内国家安全保障局長に対し、関係省庁と連携して、情報収集をはじめ、しっかり対応に当たるよう指示した」と述べました。
政府は、総理大臣官邸で関係閣僚会議を開いて、対応を協議することにしています。
(貼り付け終わり)
安倍晋三のコメントだけではなくこれからも次から次へと自民党の政治家が「テロに屈しない」という空虚なコメントを出し続けるだろう。
一番酷いのは「罪を償わせるために」と安倍晋三が挑発的な事を言っている点だ。
これは安倍晋三が中東訪問で発言した内容と同じだ。
この問題は基本的には「山賊や馬賊の支配地域に入っていった日本人が人質に取られた」という問題である。「テロと戦う」という言葉に騙されてはいけない。ここで不必要に相手を挑発するのは愚の骨頂だ。
日本はテロと戦う必要はない。
今後は中東地域で日本人を標的にした事件が起きやすくなるかもしれない。
「テロに毅然として対処する」とスローガンを唱えたことで安倍晋三はますます多くの中東の日本人を危険に晒したことになる。
世界は近代化は進んでいるが、全体としては前近代に向かっている。
今の中東はイスラム教の間の戦国時代だ。日本は無理にここに関わる必要はない。
この事件、田母神俊雄らの「頑張れ日本」の会員でもある湯川遥菜氏が民間軍事会社を名乗ってイスラム国支配地域に入っていったことから始まる。私はこの湯川氏を操った黒幕がいると見ている。
そして安倍政権の最大の失策はヨルダンに協力を要請したことだ。
安倍晋三はトルコのエルドアン大統領と親しいくせに、この事件では終始、イスラエルと親しいヨルダンとつながっていた。そして現地対策本部にはイスラエル・ロビーである中山泰秀外務副大臣を据えた。ここにイスラエル・ロビーの日本に対する政治工作があったのだろう。ヨルダンを巻き込んだことで、後藤氏の声明がヨルダンの飛行士との釣り合い関係になってしまい、問題を複雑化させた。このことだけで安倍晋三や菅義偉官房長官、その他谷内正太郎を始めとする日本のNSCのメンバーには重大な政治責任がある。
そして安倍晋三はイスラエルでアメリカのネオコンの凶暴なマケイン上院議員と会っていた。馬鹿な(なのか確信犯)外務省はこのマケインとの面会についても公式サイトで紹介していた。
戦前ならばこれで内閣が倒れている。安倍政権を継続させることが日本の国益にとって最も利益にならないことだ。自民党の谷垣禎一幹事長、佐藤勉国対委員長は、二階俊博総務会長と一緒になって、安倍政権倒閣を始めるべきだ。その前に予算審議といっても何も始まらない。谷垣総理で仕切りなおしだ。
今後は日本における対テロ戦争派であるネオコン派とイスラエル・ロビーの代理人と、それ以外の従来の穏健な外交路線の政治家の戦いが始まるだろう。誰が敵で誰が味方かを見誤らないようにしたい。
【1425】[1744]人質事件を巡っての妄想
先日、とあるブログを見ていたら、今回の人質事件に関して、恐らく男性と思われる方が意見を述べていました。その主旨は「日本は財政危機で、税金を使わねばならない分野は多岐にわたる。よって人質釈放のために税金を遣うことのプライオリティは低い。ましてや危険を承知で自らの意志で行った人だ。ただ無事で帰ってきて欲しいと願う人は税金がどう使われるかを気にしない人ではないか。同盟国が犠牲を出しながら断固テロと戦う態度をとっている中、日本がおとなしくテロに屈してもいいものか」というもの。
それを読んで、「では一体どういう人で、どういった条件であれば救って妥当なの?」と考えたら、妄想がむくむくと沸いてきました。以下、妄想・20xx年のありえない(かもしれない)、あくまでも私の脳内フィクションです。
<外務省広報:20xx年 4月より海外へ渡航・滞在される方へのお知らせ>
公務員以外の一般の方が自らの意志により渡航し、海外滞在中にテロ等により人質になった場合、救出条件を満たすと考えられるのは以下の方々です。
・満年齢59歳6ヶ月までの概ね健康な男女。(本年3月以前の62歳11ヶ月までとした規定は4月以降変更になりましたのでご注意ください)。ただし閉経後の女性、生活習慣病を含む持病をお持ちの方、お体の不自由な方等、並びに「副島隆彦の学問道場」会員の方には付帯条件及び免責事項がありますので、これらに該当すると思われる方は独立行政法人「いきいき海外渡航包括支援センター」の専門スタッフに個別にお問い合わせください。なお、渡航滞在中に該当年齢に達する方で滞在中の延長を希望される場合は、よく目立つ所に延長バッジを装着することが義務付けられております。これは松(61日以上6ヶ月まで)、竹(30日以上60日未満)、梅(1日~29日)の3種類、それぞれ20万円、10万円、5万円(税別)となっております。延長バッジは独立行政法人「ふれあい海外渡航センター」で取り扱っております。松竹梅それぞれ女性向きのスワロフスキーを散りばめたのデコバッジも取り扱っております。
・東証1部上場企業の方の場合は年齢制限は70歳未満、ただし代表権のある会長、社長に限ります。本年3月以前の「執行役員以上」から変更になりましたのでご注意ください。年収600万円以上のホワイトカラー・エグゼンプションに該当される会社員の方は、この分野においてもエグゼンプトされます。(妄想注:2015年現在、1075万円で検討されているが20xx年においては年収は600万円に減額設定されている)。
・渡航滞在地域はマーダーズ日本法人が定める格付けに準じての適応になります。A+++、A の国であること、加えてそれらの国々の非危険地区と考えられる都市・地域であるA’ 及びA’ の条件を満たす場合にのみ救出可能です。例えばA 国に滞在中にたまたまB’地区に足を踏み入れて事件に巻き込まれた場合、適応はできませんので予めご了承ください。同様に渡航滞在中に格付けが変更され国A 、地域A’ 以下になった場合の責任は持ちかねます。海外滞在中はこまめに格付けチェックされることをお奨めします。
・お問い合わせにつきましては、独立行政法人「セイフティ海外渡航コールセンター」までお願いします。なおフリーダイアルではありません。通話料は1分間50円となります。
*****
この頃、ISIS(イスラム国)では、組織の事務系分野に就職を希望する日本人が門前市をなす状態。それまでの「英検2級程度」としていた条件を「TOEIC750点以上」にし、さらに「フランス語検定2級取得」を加えるかどうかで幹部が協議中。
【1424】[1743]天武天皇の正統性について
天武天皇の正統性の喪失
現代の日本人は、何の躊躇いもなく「壬申の乱」と呼んでいる。「乱」と言うのは「世を乱す、秩序を破ること」で負の行為、悪事である。
日本の最初の正史である『日本書紀』は、わずか一ヶ月に過ぎない大海人皇子(天武天皇)の決起に始まるこの内戦(壬申の乱)にわざわざ一巻を立て天武天皇の正統性を高らかに主張し、天武軍の兵士たちを顕彰している。『日本書紀』を聖典とする立場からは、天武の決起を「乱」と云う事は許されないはずである。しかし、我々は何の躊躇いもなく「壬申の乱」と呼んでいる。
文献に最初に「壬申の乱」の文字が現れるのは、天平宝字三年(西暦751年)に上梓された『懐風藻』の大友皇子伝にである。天平三年と言うのは東大寺大仏開眼供養の在った年の前年である。
大友皇子は「壬申の年の乱に遇い天命を遂げず」と明記する。『懐風藻』は、天武天皇の正統性を真っ向から否定している。つまり『日本書紀』の歴史は「偽り」であると言っているのだ。天武の行為を「壬申の乱」と呼ぶことは、これ以降定着し現代に受け継がれている。
前にも書いたが、奈良時代末期天武の血は、皇位から強制的に排除され、天武の血の混じらない後胤(光仁天皇)が擁立され、その皇子桓武天皇によって平安時代が開かれている。奈良王朝と平安王朝は、違う王朝である。平安の王朝には「偽りの歴史(日本書紀)」を正す環境が整っていたはずだ。「偽り」を正すべきであった。しかし、「偽りの歴史」と承知しながら『日本書紀』をそのまま受け継いだのである。
ご承知のように、中国の政治思想の根幹にあるのは「革命(天道)は、是か非か」との問い掛けである。何故なら、革命は、臣下が主君を討つ行為である。秩序の根本理念である「忠」に反する行為である。どうして臣下が主君を討つことが許されるのか。この問い掛けに、儒教は「徳」で答えた。徳を失った君主は、王権を失っても仕方ないと。孟子は、徳を失った王は討ち滅ぶすべきだ、と革命を積極的に評価した。
一方天武の創った『日本書紀』の歴史は、革命の概念を完全に除去したものであった。権力者(王朝)が最も忌み嫌うのは「革命」である。平安の王朝は『日本書紀』の歴史はインチキであると承知しながら受け継いだのである。
何たる怠慢、精神的荒廃、堕落、こんなことで歴史に対する尊敬など生まれるはずがない。日本では歴史などどうでもいい国になったのである。
【1423】[1742]映画「望郷の鐘」の紹介です
会員5年目の、赤石修一と云います、初めての投稿です。
ブックTV(すずらん本屋堂の前番組・BS11)で初めて副島隆彦先生の存在を知り、先生の本や学問道場(福島原発ツアーに参加させていただきました)を参考に人生を歩んできました。
映画の紹介です。「山本慈昭・望郷の鐘・満蒙開拓団の落日」です。
監督は山田火砂子、主演は内藤剛志。
私の地、愛知県では1月24日(土)よりシネマスコーレ(名古屋駅西のビックカメラの近くで、良質の映画を提供してくれる、心のある映画館です。)で上映中です、
敗戦の3ヶ月前に満州入植した、山本慈昭、長野県阿智村開拓団の物語です。敗戦が濃厚な時期に入植させ多くの人が死に、生き残った人への国の援助もなく、いつたい国というものはなんなのか、まるで暴力団の大掛かりな組織と感じたのは私だけでしょうか?
今この国が再び戦争へ向かっている現状で反戦を訴えている映画を観て、平和を考えるのも良いのではないでしょうか。
【1422】[1741] 1月19日からの ISIS による日本人2人の人質事件について
副島隆彦です。 今日は、2015年1月23日です。
1月19日から起きた シリアので ISIS「イスラム国」による日本人の人質事件の ことで 私も発言しなければ、と思っていた。 4日経(た)った。
私は、始めは、朝のニューズでの ネットの画面からのいつもの ヤラセ臭い、あのいつもの砂漠を背景としたシーンで、日本の安倍晋三政権までが、確信犯で、こういう事件を契機に、安保法制の法律群の改正を、この5月からどんどんやるんだろう、と思っていた。
特に、その中でも自衛隊法の改正と、 周辺事態法(しゅうへんじたいほう)の改正で、中東、湾岸(ザ・ガルフ)地域まで、「日本の周辺」に含んで、自衛隊の海外出兵をやり易(やす)くするためだろう、と 思っていた。
どうも、そうではない。 やっぱり安倍晋三は、イスラエルのネタニエフに騙されたのだ。それから、アメリカの上院議員のジョン・マケインにも、連携されて嵌(はめ)められたのだ。 安倍は、内心では、「やられた」と分かっているはずだ。しかし、自分がいいように操られた、ということを認めるわけにはゆかない。
菅義偉(すがよしひで)と飯島勲(いいじまいさお)の タヌキ野郎の二人までが、騙されたか、否かが、分からない。 そうでなければ確信犯の イスラエルと連帯する、「共同の軍事行動も辞さず。 日本は、イスラエルと共に、イスラム過激派(ジハーディスト、テロリスト)と戦う」という、日本の外交戦略の大転換になる。
これは、一国としての 宣戦布告(ウォー・デクラレイション)になるのか? 私、副島隆彦は、このことをこの3日間、考えていた。
そんなことをしたら、中東地域、イスラム教世界で、日本人のビジネスマンとかが、今後、どんどん拐(さら)われて人質になってしまう。 今、日本国内 に広がっている不安は、 「 安部首相は大丈夫か。 要らぬお節介をして、日本が中東の紛争に、わざわざ巻き込まれに行ったのではないか。安部首相の行動は 軽率(けいそつ)だ」 という声である。
しかし、日本のメディア(テレビ、新聞)は、「官邸」という独裁政権に、押さえ込まれているから、どこも正直に、素直に、このことを言えない。
あとの方に、ネットのインタビュー記事を載せるが、板垣雄三(いたがきゆうぞう)とおう東大のイスラム政治学のエライ先生への岩上安身氏からの質問への答えが、そうだ。
私、副島隆彦も、安倍晋三は、イスラエルのネタニヤフに引きづられて騙されて、テルアビブであんな共同会見を、やってしまって、アホだから騙されのだ、と 考える。 これで日本の国益と、日本国民の生命を危機に陥れることになった。その責任を安倍晋三は一身に追わなければいけない。首相として自分がやってしまったことなのだから。
やっぱり安倍は 知恵が足りないのだ。偏差値42程度の頭で、一国の運命を担うことは出来ない。日本人でまともな人たちは、皆、そう思っている。しかし皆、怖いから何も言わない。私、副島隆彦は言う。
私が、腹を決めて、こういうことを書く気になったのは、さっき日経新聞のネットの以下の記事を読んだからだ。 オバマは、ネタニヤフとの3月の会談を拒否した、とある。
これは凄(すご)いことだ。 オバマは、20日の 一般教書演説(ステイト・オブ・ユニオン、“国民の団結“というような意味だろう)で相当、強気の演説をした。「ヒラリーよ、これ以上、外交政策の邪魔はしないでくれ。これ以上、アメリカの対外的な進路の誤りを犯すわけにはゆかないのだ」 と、 相当強く、言った。
オバマのこの発言に、ヨーロッパ人の見識 有る人々が賛同している。日本でも、いくらリベラル戦争反対勢力が、押さえ込まれているとしても、あんまり、凶暴な路線で、自分たちまで戦争に巻き込まれるのはゴメンだ、という感じになってきた。
以下の最新の記事から分かることは、 オバマは、公然と、イスラエルと敵対することを宣言したに等しい。米国内の ヒラリーとマケインたち、ネオコン連合の、“大きな戦争 をする派” との オバマたち “世界は大きな戦争は回避すべきだ派”の激しい 闘いの始まりだ。
(転載貼り付け 始め)
◯「 米大統領、イスラエル首相訪米時の会談拒否の意向 」
2015年1月23日 日経新聞 ワシントン、吉野直也
オバマ米大統領は22日、3月に米国の訪問を予定するイスラエルのネタニヤフ首相との会談を拒否する意向を示した。米CNNテレビが報じた。ネタニヤフ氏についてはベイナー下院議長がホワイトハウスの頭越しに訪米と米議会での演説を要請。ネタニヤフ氏は受諾する考えを表明している。
イスラエルとイランは敵対関係。ネタニヤフ氏の演説がイランと欧米の核問題を巡る協議に影響する可能性は高い。アーネスト米大統領報道官はホワイトハウスを介さずにネタニヤフ氏の訪米を求めたベイナー氏に不快感を示し、ベイナー氏は「独自に決断できる」と述べていた。野党・共和党はイランへの新たな制裁法案の可決をめざしている。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このアメリカの慎重な動きとの関連で、日本の愚かな動きを推し量ると、やはり安倍晋三は、イスラエルのネタニエフ とマケイン に騙されたのだ。
なぜ、わざわざ のこのこ、この時期にイスラエルまで行って、日本国民の命を危険に晒(さら)すことに加担したのか。 自分がどう動いいたら、どういうことが起きる、ということへの知恵が足りなくて、知能が足りない。
ケンカ(紛争)の一方当事者の肩を安易に持ったら、反対当事者の怒りと恨みを買う、ということが分からないようでは、とてもまともな大人とは言えない。
(転載貼り付け始め)
◯ 「「はめられた」 安倍総理の決定的な政治的ミス!
~イスラエル国旗と日章旗が並ぶ前で、「イスラム国との戦い」を事実上宣言 」
IWJ Independent Web Journal
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/226436
イスラム国からの「犯行声明」、あるいは彼らをテロリストと呼び、彼らとの戦いを「対テロ戦争」と呼ぶなら、まさしく「宣戦布告」であるが、そうした声明をイスラエルに訪問しているタイミングで受けとった安倍総理の間の悪さについて、東京大学名誉教授の板垣雄三(いたがきゆうぞう)氏は、先ほど私(岩上安身)の電話での取材に応じて、こう答えた。
「ヨーロッパでイスラエルは孤立している。欧米とイスラエルにすれば、日本がしゃしゃり出てきたのはもっけの幸いでしょう。日章旗とイスラエルの旗が並んだその前で記者会見を行なうという、最悪の状況で『テロとの戦い』を宣言してしまった。これははめられましたね。安倍総理の決定的な政治的ミスです。
(日本の)一般のマスメディアは、イスラムは親日的だから、欧米の人質と違って、特別扱いしてくれるのではないか、などと言っておりますが、大間違いです」
日本は泥沼の戦いに、何の覚悟もなく、引きずりこまれてゆくだろう、と板垣教授はみる。
「日本はこのままだと、滅びの道をたどることになりますよ」
安倍総理は、ネタニヤフ首相と前に、イスラエルを「友人」と呼び、イスラム国を単なるテロリスト扱いした、そのツケは、これまで日本が官民あげて苦労して築いてきた対アラブ、対中東外交の積み上げを劇的に崩壊させてしまうかもしれない。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 やはりこのイスラム学の日本の権威である板垣教授の発言は重い。さて、このあと、どうなるか、だ。しばらくして、また、私の考えを書きます。
以下に資料として載せるのは、「官邸」=安倍独裁政権 と、それに引きずり回されて、何の優れた行動も取れない 「外務省」の 公式発表です。 読んでいるだけで面白い。
飯島勲まで一緒に、ずるずるとひきづられてイスラエルまで行っていることが分かった。
(転載貼り付け始め)
◯ イスラエル訪問-2日目-(首相官邸)
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201501/19israel.html
平成27年1月19日(現地時間)、イスラエル国を訪問している安倍総理
は、ホロコースト博物館を視察しました。続いて、首相府において、ビン ヤミ
ン・ネタニヤフ首相と共同記者発表を行った後、同首相との首脳会談を行いまし
た。そして、大統領府に赴き、ルーベン・リヴリン大統領を表敬し ました。
次に、総理は、エルサレム旧市街を視察した後、イツハク・ヘルツォグ野党連
合代表による表敬を受け、その後、イスラエル・パレスチナ合同青年招 聘参加
者の同窓会に出席しました。
続いて、アメリカ合衆国のジョン・マケイン上院議 員らによる表敬を受け、夜には、ネタニヤフ首相主催夕食会に出 席しました。
翌20日(現地時間)、総理は、内外記者会見を行いました。
◯「安倍総理大臣のイスラエル訪問 」 (外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/il/page4_000911.html
(7)マケイン米上院議員他による表敬
(ア)1月19日午後,安倍総理大臣は,同地訪問中のジョン・マケイン上院議員
(軍事委員長)をはじめとする米連邦上院議員7名(コーカー議員 (外交委員
長),グラハム議員,バラッソ議員,ドネリー議員,ケイン議員及びキング議員
他)による表敬を受けた。
(イ)安倍総理から,日米関係への貢献に謝意を述べるとともに,戦火を交えた
日米両国が戦後和解して強固な同盟国となったこと,今後も両国で連携 して地
域と世界の平和と繁栄に貢献してきたこと,今後も両国で連携して貢献していき
たい旨述べた。両者は,アジア太平洋地域における日米同盟の重 要性につき認
識を共有した。
(ウ)安倍総理は,日米間で幅広い分野での安保・防衛協力を進めていきたい旨
述べた。マケイン委員長からは,日米間で安保・防衛協力や米軍再編の 取組を
進めることの重要性につき賛意が示された。
(エ)この他,両者は,アジア太平洋の安全保障情勢,中東情勢,TPP,エネル
ギー協力についても意見交換を行い,日米同盟の枠組みで両国の協力 を強化し
ていくことを確認しました。
中山泰秀(なかやまやすひで) (副島隆彦注記。この中山家 という政治家の家系は、自民党の中でさえ、「中山の人たちは、何代も前から、イスラエル人らしいんだよなあ」と言われている人たちだ)
飯島勲内閣参与とエルサレム市内「嘆きの壁」を一望できる高台より。中山泰
秀 (´・Д・)」ガンバッテイコ!】ー 場所: 嘆きの壁
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=778847232198907
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。さらに最後に、一番新しい人質返せ(救出)交渉の、ヨルダンのアンマンの様子の報道記事だ。日本人のテレビ、新聞、雑誌の記者たちが現地まで押しかけているようだ。
「236億円(2億ドル)を、日本政府の裏金で払って、表面上は、脅迫に屈していないということにして、(イギリスや、フランスもそうしているんだから)ふたりを無事、連れ帰ったら安部首相の人気がまた上がるだろうなあ」 と、皆、野次馬根性で思っているが、誰も公然と言わないので、私、副島隆彦は言っておく。そのために、私のような人間がいるのだ。
(転載貼り付け始め)
◯「 イスラム国殺害脅迫 期限切れも情報収集急ぐ 部族長や宗教家とのパイプづくり模索 」
産経新聞 2015年1月23日(金) 18時47分配信
【アンマン(ヨルダン)=森本充】 「何ら対応に変わりはなく、無事解放に全力を尽くすだけだ」。現地対策本部が置かれているヨルダンの日本大使館は23日、交渉期限を過ぎた後も情報収集を続けた。
現地対策本部長の中山泰秀(なかやまやすひで)外務副大臣は、期限まで残り1時間を切った午前7時(現地時間)すぎ、宿泊先のホテル前で報道陣の質問に答えた。
中山氏は、イスラム国側との接触の有無といった活動内容については口を閉ざしたが、部族長や宗教家ら解決の糸口となる重要人物とのパイプづくりを進めていることを明かした。その上で「職員は(人質の)2人の思いをくんで、夜通し努力を続けている。良い方向に向かうことを願う」と話し、険しい表情で大使館に向かった。
大使館前では日本の報道陣に加え、地元メディアもカメラを構え、事態の推移を見守った。2人の拘束を知る地元住民も多く「どのような活動の過程で拘束されたのか」などと関心を寄せる住民もいた。大使館には、2人の状況を問い合わせる電話も世界から相次いでいるという。大使館職員は「邦人保護をあきらめない」と力を込めた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1421】[1740]告発の書 「 絶望の裁判所 」 の著者への インタヴュー記事です。 重要です。
副島隆彦です。 以下に転載する 講談社の 「現代ビジネス」というサイト の インタヴュー記事は、『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 ) を書いた、瀬木比呂志(せぎひろし)氏 の 発言です。
私は、昨年の春に、この『絶望の裁判所』 を読んで、この本は、大変な本だ、と分かりました。 日本の裁判制度と、最高裁 の 人事行政が、裁判官たちへの 監視と牢獄(ろうごく)状態になっていることを、瀬木氏は、満身の怒りを込めて(しかし淡々と穏やかに)書いています。
瀬木比呂志氏は、東大の法学部を出て若くして裁判官(25歳で)になった本当の法曹(ほうそう)エリートだ。 現在60歳(1954年生まれ)だ。
瀬木比呂志は、裁判所(および法務省)内のエリート・コースを歩み続けた人だ。この人は、2012年に、明治大学法学部教授になって、追い出された、というか、裁判所という 牢獄の「裁判官という囚人」( 自分でそのように書いている)の身分から脱出して、この本を書いた。
講談社現代新書 から出した。講談社という出版社は、すばらしい見識を持っていて、マンガと婦人雑誌で食べているように見せているが、本当は、日本国の国益を十分に考えて、控え目にして鈍重(どんじゅう)で慎重な動きだが、ときどき本当によい本を出す。 この本は、日本国民にとって最大級に優れた本だ。
私は、昨年から、ずっとこの本の重要性 「良心的な裁判官たち自身が、収容所で厳しく監視される 囚人になっているのだ」という告発の内容をどうやって、皆に知らせようかと、考えてきた。 私なりの書評をして、絶賛し援護射撃をすればいいのだ、と考えてきたのだが、自分の仕事に追われて、それも出来なかった。 ずるずると今日まで来てしまった。
この本は、この国の 法曹関係者と呼ばれる、裁判や法律関係でゴハンを食べている人たちの間でだけ、評判となり、ザワザワと、「最高裁のやっている、裁判官たちへの人事面からの締め付けはすごいよなあ。ヒドい世界だ。実際にそうなんだよ」 と、 裁判所職員とか、弁護士たちや、司法書士や、税理士たちでも、噂(うわさ)しあって、「お前、あの本を読んだか」と、酒の肴にして来たものだ。 こういう事情で一年が過ぎた。
今からでも、私たち日本国民は、この『絶望の裁判所』という本を皆で、振りかざしてでも、騒がなければいけない。私たちの国の、裁判制度の 残酷なおかしさと、人衆抑圧に、本当の怒りの声を上げなければいけない。
私は、以下に一枚の写真(画像)を貼り付けるが、この竹崎博允(たけざきひろのぶ)という男に、激しい怒りを感じている。この 愚劣極まりない、男が、最高裁判所長官として(昨年の2014年3月に退官して逃げた)、日本の司法(権力)のトップにいて、小沢一郎を、 検察審査会での強制起訴やら、検察審査会(最高裁の職員たち。だからゴロツキの竹崎の 手下たちだ)やらで、「法律という刃物」で、小沢一郎の 政治生命に致命傷を負わせ、私たち日本国民の 政治改革の大きな希望であった、鳩山・小沢政権を瓦解(がかい)させ、政治謀略で叩き潰した、その公然たる表舞台の 最高責任者だ。
竹崎博允・最高裁判所前長官(左) と 江田五月(右)
小沢殺しを狙った裏組織の、恐ろしい人殺し部隊まである「三宝会(さんぽうかい。1998年結成)」の話ではない。公然たる表舞台の 三権の長(さんけんのちょう)である最高裁長官が、たくさんの違法行為を重ねて、小沢一郎たちを葬り去ったのだ。 私、副島隆彦の、アメリカの日本あやつり対策班(ジャパン・ハンドラーズ。アーミテージ、M.グリーン、ジョゼフ・ナイら )ゴロツキどもの手先となって蠢(うごめ)いた 竹崎博允(たけざきひろのぶ)への怒りは、今も怒張(どちょう)天(てん)を衝(つ)くほど深い。
この男は、時代が変わって、少しでもよい時代になったら、絶対に あの2009年、10年、11年の、体制法律家(法律権力を握る者たち)の 悪事=犯罪=違法行為を、告発し起訴して裁判に掛けなければいけない。
竹崎の犯罪は、あの時の警察庁長官や、最高検検事総長 のような下っ端の罪や、法務省の”赤レンガ組” どものの罪よりも、国家体制上の格が上だからそれだけ重い。こいつを縛り首にしなければいけない。
この 一枚のパーティ会場での写真に竹崎と一緒に写っている 江田五月(えださつき)も許しがたい日本国民の敵だ、ということは、こいつが参議院議長(民主党の議員だった)の頃から、どんどん馬脚を顕(あらわ)していた。
江田五月の父親は、江田三郎(えださぶろう)で、社会党右派を率いた大物政治家だった。社会党の左派の政治家たちと、何十年もいがみ合っていた。
やはり、親子2代でアメリカの手先を忠実にやった男だ。江田五月は、1960年安保の時には、安保ブンドの下っ端として国会議事堂を取り囲む運動とかに、東大生の時は参加していた男だ。そのあとすんなりと裁判官になって、そのあとリベラル派の政治家になったと思ったら、やっぱり土壇場で、鳩山由紀夫と小沢一郎を裏切った。やっぱり江田五月は長年かけてアメリカに育てられた男のひとりだった。 彼の人生の最終段階でそのことが大きく露呈した。 だから、この写真の通り、竹崎博允と若い裁判官時代の同期生なのだろう、談笑している。本当にワルいやつらだ。
そして瀬木比呂志(今、60歳)は、この竹崎博允(1944年生、今、70歳)が、最高裁の事務総長(2002年から2006年。同時に、この事務総長のまま最高裁判事の末席にいる )が、このようにすべての裁判官の人事権を一手に握っていたときの 上司だ。 彼ら東大法科エリートは、地方の田舎の裁判所の”ドサ回り”はしない。
瀬木比呂志は、この竹崎博允(たち)から酷(ひど)い目にあったのだ。だから、明治大学に58歳で逃げて、その時に、自由にものが言える言論の自由を、生まれて初めて手に入れたのだ。 裁判官たちは、裁判官室に居ることは、背後の席にいる部長という上司たちに、ずっと背後から監視されている。裁判の判決の内容まで、チェックされる。 そして、「裁判官としての(優れた知能と)良心に基づいて裁判」をしようとすると、圧力がかかる。
上(うえ)にヘイコラして言いなりの裁判をする裁判官たちのことを、ヒラメ という。ヒラメという魚は、砂地にべったり隠れて上の方ばかり見ている。だから、何百万年の間に、反対側の目玉までが、表面に出てきた。
瀬木比呂志は、裁判官時代に、民事訴訟法の大変すぐれた 実務から生まれた論文集を書いたそうだ。法曹界では、瀬木のその民訴の論文と実践的な理論は高く評価され尊敬されている。弁護士たちがそのように言っている。瀬木比呂志は生来の頭脳明晰な人なのだ。
瀬木比呂志は、裁判所の裁判官たちの世界で長年ひどいイジメにあったのだ。体制、権力者側の言うことを聞かないで、自分の良心で裁判をしようとすると、嫌われて爪弾(つまはじ)きにされる。
瀬木比呂志に悪口をいう人たちがいて、「瀬木は、自分が、最高裁の判事になれなかったものだから、ヒガミ根性で、あんな本を書いたのだ」と 言う。生来の体制派の人間たちというのは、こういう言い方をする。 自分はいつでも、勝ち組である。組織、団体の中で 左遷(させん)され冷や飯を食うことだけはしないように、抜け目なく動く。
いつも力(ちから)のある者のそばに、スリスリと擦り寄って、お追従(ついしょう)を言ってヘイコラして、背骨が曲がったまま、卑屈に振る舞って、生き延びる。 人間は、大きく分ければ、この体制追従型(たいせいついじゅうがた)か、そうでなければ、自分の頭で考えて自力で生きる型の 2種類に分けられる。副島隆彦の本を読んでくれる人は、ほとんどが後者の方だろう。
だから、瀬木比呂志が、裁判所から離れて私立大学に移って、初めて自由になって、この『絶望の裁判所』を書いて大きな真実を表(おもて)に出すことができた。以下に『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 )
の裏表紙 の 文章を載せる。 ものすごく重要だ。
ここには、かつて1970年代に 「青年法律家協会」(略称、青法協=せいほうきょう=)に集まった、優れた優秀な若い裁判官たちを、体制側が、政治弾圧したことの、証拠(証言)が書かれている。歴史の星霜(せいそう)を経て表に出た 驚くべき事実だ。 これが日本の裁判所なのだ。 ”悪の巣窟(あくのそうくつ)”そのものだ。
『絶望の裁判所』 の 裏表紙 の 文
一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録
最高裁判事と調査官の合同昼食会の席上、ある最高裁判事が、突然大声を上げた。
「実は、俺の家の押入にはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作。
最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。
どうやって処分しようかなあ?」
すると、「俺も」、「俺もだ」とほかの二人の最高裁判事からも声が上がり、昼食会の
会場は静まりかえった。こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人も
が、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、他のメンバー
はショックを受けていた。 (本書より。内容は一部要約)
副島隆彦です。これは、真に絶句すべき文だ。 この本の 扉を開いた「はしがき」の冒頭にも、
「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」 ダンテ『神曲』(副島隆彦注記。本当は、『神聖を装った、ローマカトリック教会という喜劇の組織』という意味だ ) の 「地獄編第三歌 」
とある。 瀬木比呂志にとっては、自分が33年間 務めた 最高裁判所というところは、「裁判所という地獄への門」だったのだ、と 分かったのだ。
瀬木比呂志は、若い裁判官の時から、最高裁の調査官(ちょうさかん)という、超エリートたちだけがなれる 裁判官になっている。これは、最高裁判事(15人いる)たちの下働きをする 若手のエリートたちで、実質的に、彼ら若手が、最高裁にまで上がってくる 事件の多くの、大量の ”ゴミ扱いの事件”の 判決文とかを書く。 そして、その年の 重要だった判決文を調査して、集めて、 「民集」 と 「刑集」という分厚い本にする。それは、民事裁判、刑事裁判の判決文 とその経緯の判断文とかを 集めたもので、これが、「判例(はんれい)」 =先例拘束(せんれいこうそく) というものになる。
瀬木比呂志は、だからずっと最高裁内(および法務省)のエリート・コースを歩んでいるので、地方の”ドサ回り”をしていない。だから、人事と能力判定がまっとうであれば、自分が当然に最高裁の判事(=裁判官)になる、なれる、と信じて疑わなかっただろう。 だが、裁判所も、他の公務員たちの役所と同じく、汚れているから、そうはならない。
だから、瀬木比呂志がこの、組織の内部からの暴露本、告発の書を書いたことを指して、「瀬木は自分が出世できなかったことの妬(ねた)み、ヒガミで、こういうとんでもない本を書いたのだ」と 腐(くさ)して、攻撃する者たちが、当然出てくる。 それは現世のおける、大勢順応(たいせいじゅんのう)、体制追随(たいせいついずい)の歪(ゆが)んだ生き方をする者たちと、 冷や飯食いを覚悟して、それでも清新な立派な人間としての生き方を貫く者たち との 闘い だから、甘んじて引き受けるしかない。
私、副島隆彦は、当然、この 瀬木比呂志の生き方と、彼が書いた本を全面的に支持し、賞賛し、応援する。これは、裁判所をめぐく 日本国民の闘いの場なのだ。 だから、瀬木比呂志の『絶望の裁判所」は、ものすごく重要だ。
皆、買って読むべし。そして、ザワザワと日本国内に、「裁判所の内側はひどいそうだよ。特に人事面で腐敗しきっているらしい」と うわさ話を広げなければいけない。
前掲した、この本の裏(うら)表紙の一文を読んで、目くじらを立てないようでは、とても知識人、読書人とは言えない。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「 日本の裁判は本当に中世並み 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー 」
『絶望の裁判所』 は序章にすぎなかった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41659
講談社の現代ビジネス という サイト から
2015年01月07日(水) 瀬木比呂志インタヴュー
瀬木比呂志氏は、最高裁判所中枢を知る元エリート裁判官であるのみならず、民事保全法や民事訴訟法のエキスパートとして法曹界で高い評価を得ている。このような信頼できる専門家による、横断的な判例解説は過去に例がない
2015年1月16日、講談社現代新書から、日本の裁判のリアルな実態を描いた『ニッポンの裁判』が刊行される。著者の瀬木比呂志氏は、明治大学法科大学院専任教授で元裁判官。 裁判官たちの精神の荒廃と堕落を描いた、前作『絶望の裁判所』は法曹界を騒然とさせたのみならず、司法をテーマとした一般書籍としては異例のベストセラーとなった。
「『絶望の裁判所』は序章に過ぎなかった・・・・・・」と帯のコピーにあるとおり、『ニッポンの裁判』の衝撃度は前作をはるかに上回る。冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国民の権利など一顧だにしない住民訴訟、裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官の瀬木氏をも驚愕させた「ニッポンの裁判」は、もはや中世の暗黒裁判並みの「超」絶望的なものだった。
Q: 『絶望の裁判所』刊行から約1年が経過しましたが、あらためて司法批判の第2弾、しかも私のみるところより強力、衝撃的で、分量も大きい書物を刊行されたのは、なぜでしょうか?
瀬木:『ニッポンの裁判』は、『絶望の裁判所』の姉妹書です。『絶望』が司法制度の構造的批判の書物であったのに対し、『ニッポン』は日本の裁判の総体としての分析、批判を内容としています。
ですから、内容は関連していますが、相互に独立した書物です。もっとも、双方の書物を読むことでより立体的な理解が可能になることは間違いありません。その意味では、車の両輪のような関係ともいえます。
裁判所、裁判官が国民、市民と接する場面はまずは各種の訴訟ですよね。そして、その結果は、判決、決定等の裁判、あるいは和解として、人々を、つまりあなたを拘束します。
つまり、裁判や和解の内容こそ国民、市民にとって最も重要なのであり、制度や裁判官のあり方は、その背景として意味をもつにすぎないともいえるのです。その意味で、『ニッポンの裁判』は、どうしても書いておかなければならない書物だと思っていました。
裁判というものは、日本人の多数が思っているよりもずっと重要なものです。各種の法規は、個々の裁判、判例によって初めて具体化されるものだからです。
また、裁判の結論というものは、個々の裁判官の思想、人間性、能力等によっていくらでも変わりうるものであって、その裁量の幅も非常に大きいのですよ。
Q:なるほど。それでは、なぜ、『絶望の裁判所』のほうを『ニッポンの裁判』に先行させることを決められたのしょうか?
『ニッポンの裁判』執筆に当たって、瀬木氏は様々な判例を詳細に分析し、凄まじいまでに劣化した「ニッポンの裁判」の実態に絶句したという
瀬木:それは、裁判の内容を正確に理解するのが、それほどやさしいことではないからです。法学部や法科大学院の学生たちにとってさえ、最初のうちはそうです。
僕が、裁判の分析に先行して、まずは、誰にとってもその形がみえやすくその意味が理解しやすい制度の分析を行ったのは、そのほうが裁判の内容の理解も容易になるからということが大きかったのです。でも、逆に、『ニッポンの裁判』を先に読んでから『絶望の裁判所』を読むという順序でも、裁判と制度の絡み合いはよくわかると思います。ああいう裁判所、裁判官だから、ああいう判決が出るのだ、ということですね。
『ニッポンの裁判』では、僕のこれまでの裁判官、学者、そしてライターとしての経験とキャリアを総動員して、日本の裁判のあり方とその問題点、その核心を、具体的な例を挙げながら、詳しく、かつ、できる限り興味深く、わかりやすく、論じることに努めました。
これまで語られることのなかった最高裁暗部を告発し、ジャーナリストの魚住昭氏から「最高裁に投じられた爆弾! 10年に1度の衝撃作」と絶賛された『絶望の裁判所』
Q:確かに、興味深いだけでなく、非常にわかりやすい書物ですね。『絶望の裁判所』の大きな書評(斎藤環氏。2014年5月11日朝日新聞読書欄)にあった、『複雑明快』という言葉が、この本にもぴったり当てはまるような気がします。
320頁というヴォリュームですが、その内容はそれこそ500頁ほども「濃密」なのではないか。しかも、面白く、また、すごくリアリティーがあって、一気に読ませられてしまいます。
瀬木:ありがとうございます。
僕は、先ほど述べたような3つの仕事で、興味深く、わかりやすく、正確に「伝える」のがいかに難しいかということは肌身にしみて感じてきました。『ニッポンの裁判』では、正確さや的確さは保ちつつ、よくある無味乾燥な法律的記述は絶対に避けるように努力しています。その成果が実ったとすれば、うれしいですね。
Q:『絶望の裁判所』も衝撃的な作品でしたが、『ニッポンの裁判』の衝撃度はそれをはるかに上回ると感じました。日本の司法は、「絶望」という言葉ですら控えめに思えるほどの「超」絶望状況にある。驚きました。
2012年まで裁判官だった瀬木さんでさえ、あきれ果てられているようですが・・・・・・。
瀬木:そうですね。この本を書くために、日本の裁判の全分野についてかなり掘り下げたリサーチを行ったのですが、それが進むにつれて、自分でも驚いてしまったというのが事実です。「ここまでひどいのか、ひどくなっているのか!」ということですね。
僕は、子どものころから一度として左派や急進派の思想に傾倒したことはなく、基本的には、芸術と科学を愛する一自由主義者、一介のボヘミアン学者にすぎないのです。
『絶望』と『ニッポン』では、表現やレトリックについてはかなり鋭利なものを用いていますが、僕の思想や考え方自体は、基本的には、欧米一般標準の自由主義にすぎず、特に先鋭なものではないと思います。
たとえば、僕の筆名の書物や専門書のタイトルや内容をみていただいても、そのことは明らかだと思います。
しかし、そんな僕でも、あらためて日本の判例群を、虚心に、また、分析的に読み直すと、大きな違和感を感じざるをえませんでした。それらの判例群から僕が得た率直な印象は、残念ながら、「未だ社会にも政治にも裁判にも前近代的な残滓(ざんし)を色濃く残す国のそれ」というものだったのです。この事実は、僕自身が、この書物を書くために、素材になる裁判、判例を選択してゆく過程で、少しずつ気付き、やがて確信するに至った、大変苦い真実といえます。
Q:とにかく全編次から次へと驚きの連続ですが、特にショッキングだったのが、第3章で詳しく分析、批判されている刑事裁判の腐敗です。袴田裁判の冤罪、そして恵庭OL殺人事件の「超絶望的」な再審請求棄却決定には震撼させられました。ひとたび刑事事件で訴えられたらもはや逃れる手はない、という印象を持ちました。
袴田(はかまだ)事件、恵庭OL殺人事件などは、日本の冤罪裁判の「氷山の一角」にすぎないと、瀬木氏は分析する
瀬木:袴田事件再審開始決定は、最重要証拠であったところの、袴田巌さんのものであるとされた、血液の付着した五点の衣類について、捏造(ねつぞう)の疑いがきわめて強いと明言していること、そして、死刑の執行停止のみならず、裁量により、拘置の執行まで停止して袴田さんを釈放したことなど、刑事系にも良識派裁判官は存在することを示した決定でした。
しかし、一方、刑事に詳しい弁護士たちが、「現在は『再審冬の時代』であり、袴田事件のように新たなDNA型鑑定結果が出た、あるいは、真犯人が判明したなどの『誰が考えても無実』という事件以外では再審は開始されなくなっており、次々と棄却決定が出ている」との意見を述べていることにも注意すべきです。
たとえば、先の恵庭(えにわ)OL殺人事件再審請求棄却決定です。全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、本当に呆然とせざるをえません。
簡単にまとめれば、こういう事実認定なのです。
「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、タオル用のものを用いて、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡(被害者の指紋、毛髪、失禁の跡等)を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、ごく短時間のうちに、そしてわずか10リットルの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」
そして、細かな部分をみてゆくと、さらにおかしな点が多々あります。そういう点を数え上げてゆくと、きりがないのです。たとえばアメリカの陪審制でも、この証拠関係で有罪はありえないだろうと思います。あるとすれば、黒人に対する偏見が根強く、その人権がほとんど認められていなかった時代の南部における、黒人被告人に対する裁判くらいではないでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が踏みにじられていて、本当にこわいです。
国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全(すべ)て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、日本の刑事裁判においては、決して誇張ではありません。「明日(あした)はあなたも殺人犯」であり、「高裁でも、最高裁でも、再審でさえも救済されない」のです。また、地裁で無罪なのに高裁で有罪とされた冤罪事件(東電OL殺人事件)もあります。実際、日本の裁判では、民事でも刑事でも、地裁が一番よく、高裁や最高裁がおかしいということが多々ありますね。
昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。
Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。
瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。
でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。
また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従っているだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。
ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。
それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。
袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。
恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。だからこそ、よもやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。
なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。
Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。
瀬木:住民訴訟で大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。
先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。
実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」と述べていました。
ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。
住民訴訟で勝訴しても、地方議会が首長の債務を帳消し。これだけでもあきれ果てるのに、最高裁がこの決定にお墨付きを与える。日本の住民訴訟はもはやブラックジョークの極みに達したと、苦笑する瀬木氏
ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。
しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう」と、「深い」理解を示しています。
さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。
すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。
Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。
瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。
さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。
たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。
ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。
それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。
「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。
また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。
第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。
Q:超絶望の判決群に本当にゲンナリしますが、大飯(おおい)原発訴訟など思い切った判決も出ています。特に、原発訴訟は大きく舵を切ったように見えますが?
大飯(おおい)原発訴訟は、司法が原発訴訟に対するスタンスを大きく変えたかのように報じられているが、瀬木氏は、最高裁による司法統制はそう簡単には変わらないと分析する(写真は白煙を上げる福島第一原発3号機)
瀬木:大飯原発訴訟の第一審差止め判決自体は、この裁判長の従来の判決が「大きな正義」を貫く方向のものであったことを考えるなら、一貫しており、基本的には評価すべきであると僕も思います。
ただ、原発訴訟一般についていえば、僕は、やがて原発運転差止めの判決が出ること自体は、ある程度予想していました。
それは、第一に、福島原発事故後のこの時点では日本の原発がすべて運転停止中であって(もっとも、その中で、大飯原発だけは2012年7月から2013年9月までは稼働していましたが)、その意味では差止め(実質は運転再開禁止)がむしろ世論の動向に沿った判断だったからです。
第二に、福島原発事故後の2012年1月にやはり司法研修所で全国の地裁裁判官を集めて行われた研究会で、裁判所当局が、原発訴訟について方針転換を行っているからです。
こうした研究会を裁判官たちが自主的に行うことは120%ありえず、この研究会が、名誉毀損損訴訟に関するそれの場合と同様に、裁判所当局が表に出ない形で裁判官たちをコントロールするために開催されたものであることは、間違いないでしょう。
最高裁事務総局は、1976年と1988年に最高裁で行った裁判官協議会では露骨に原発訴訟の方向を却下、棄却方向に統制しているのですが、原発訴訟に限らずそうしたやり方が批判されたことから、近年では、司法研修所の研究会で、よりみえにくい形で、同様のことをやっているわけです。
僕がこの研究会について集めた情報から判断して、この研究会は、裁判所当局、最高裁事務総局が、原発事故を防げなかった裁判所やもんじゅ訴訟最高裁判決等に対して強い批判があったことから、裁判官たちの手綱を多少ゆるめるために開いたものとみてよいと思っています。
「おまえたち、世論がうるさいから、原発については、とりあえず踏み込んだ判断をしてもいいかもよ」というサインを出したということですね。
もっとも、この研究会の開催意図やそこで示された裁判所当局の意向(研究会の中核発言者である一部裁判官を通じて示唆されたと思われるそれ)は、名誉毀損訴訟の場合のように明確なものではありません。政治と世論の雲行きを見ながら、原発容認の空気が強くなればまた路線を元に戻す可能性は十分にあると思います。
ただ、もう一度確認すれば、大飯原発訴訟第一審判決自体は、判断の枠組み等には書物でも一定の留保は付けましたが、基本的には評価すべきものと思っています。
Q:そうですか。そうだったんですね・・・・。いや、真相をうかがうと本当に驚くしかありません。原発訴訟についてさえ、「ガス抜き」という権力側の要請が裏面で働いているのですね。最高裁事務総局による裁判官の裁判・思想統制の見事さは、さっきのお言葉にもありましたが、もはや芸術の域に達していますね。
瀬木:権力というのは、本当に強力で、したたかなものですよ。それは、正直にいって、権力の動き方を近くでみたことのある人間にしかわからないかもしれません
半沢直樹シリーズ(池井戸潤)という皆さん御存知の人気小説があって、僕も1冊だけ読んでみましたが、ああいうふうに、権力のほうから、「これからやっつけるよ」と言ってくれれば、反撃もできるでしょう。でも、たとえば裁判所当局は、そんなわかりやすいことはまずしません。
都合の悪い判決や論文を書いた裁判官に対する報復や締め上げは、時間が経ってから、じわじわと、真綿で首を締め付けるように行われます。
また、「こんなひどいことをしている」と指摘したところで、半沢シリーズの銀行みたいに簡単に非を認めたりはしません。『絶望の裁判所』に詳しく記し、『ニッポンの裁判』でも第7章、第8章で触れたとおりです。知らぬ存ぜぬで「静寂の嵐」のような沈黙を押し通すだけです。これでは、たとえ半沢氏が裁判官だったとしても、リベンジなどおよそ無理ですね。
小説の悪口を言うつもりは全くありませんが、半沢直樹の「倍返し」は、とってもわかりやすいが現実にはありえないファンタジーだということです。権力というのは、そんな甘いものではありません。それは、基本的には、どこの国でも、ことに大国ではいえることでしょう。ただ、司法やジャーナリズム、あるいは学者等の知識人がそれを厳しくチェックしている国と、日本のようにそうでない国とはあると思います。
「あとがき」にも書きましたが、現在の世界でシステムに対する有効、先鋭な批判を行っている人々のかなりの部分が一度はシステムの中枢に近い部分にいた人々であることには、理由があると思います。権力というものが、もはや、古典的な一枚岩の単純な存在ではなくなっているのです。的確な批判は、相当の情報をもっていないと、また、客観的な視点や構造的な理解を対象に対してもっていないと、できにくくなってきている。
「55年体制」を未だに引きずっているような古い現状認識では、現代の権力の問題を解き明かすことはできません。それは、僕の知っているすぐれた学者、法律家、ジャーナリスト等の一致した見解です。日本における左翼の著しい退潮には、そういう背景があると思います。特に政治、行政や司法に関心のない人々でも、無意識のうちに、そういうことはわかっているのだと思いますよ。
Q:竹崎(崎は立つの崎)前最高裁長官等が敷いたといわれる思想統制と近年の司法の劣化はどの程度リンクしているとお考えですか?
瀬木:これは、『絶望の裁判所』に詳しく書き、『ニッポンの裁判』第7章でも裁判との関連からさらに掘り下げて分析したことですが、竹崎(崎は立つの崎)前長官を含む刑事系トップの裁判官たち(もちろん、これに追随した民事系の人たちも相当いました)が行った思想統制や情実人事の傷跡は深いですね。
民事系の裁判官だと、たとえば権力志向、官僚的支配で有名な矢口洪一長官のような人でさえ、ある限度はわきまえるということがありました。たとえば、情実人事はまあまあの規模にとどめ、若手については従来どおりの能力主義を変えない、といったことです。
日本の裁判所は閉じられた絶対主義的ヒエラルキーの、世界に珍しい裁判所組織ですから、そうした部分まで汚してしまうと、あっという間に腐敗してしまいます。ある意味、戦後長い間、裁判所が、保守の砦とはなっても決定的な腐敗まではしなかったということには、評価すべき点もあるのです。また、矢口長官も、彼なりのヴィジョンと実際の行動の乖離という人間的な問題を抱えていたという側面はあるでしょう。
しかし、2000年代の刑事系トップの人たち、そして、これに追随した民事系の人たちには、もはやそうしたものすらなくて、先のような方針を下まで貫徹してしまった。これは致命的です。僕が、2000年代の半ばすぎには、「もう転身するほかない。現在の状況は全体主義国家からの亡命待ちの知識人と変わらない」と決意したのは、そういう背景があってのことでした。
Q:『ニッポンの裁判』では、判例とともに裁判長の名前が挙げられていますね。判例雑誌ならいざ知らず、一般書ではこれまで例がないことでは? 裁判官たちは戦々恐々の状態になるのではないでしょうか?
『ニッポンの裁判』は、難解な判例を、法律の基礎知識のない一般読者でも理解できるように『複雑明快』に書いた力作。2015年を代表する新書の一冊となるだろう
瀬木:僕が、『ニッポンの裁判』で、具体的な検討を行った裁判および重要と思われる裁判については裁判長の氏名を記すことにしたのは、第3章以下の裁判分野別総合分析に先立って、第1章、第2章で論じたように、「価値」に関わる訴訟の裁判には、裁判官の総合的な人格が深く関係しているのを考慮してのことです。
それに、裁判官がその良心と憲法を含む法律に従って下すべきものとされ(日本国憲法76条3項)、「公文書中の公文書」ともいわれる裁判については、それらを分析、批判する場合に、その判断につき国民、市民に対して責任を負う者の氏名が記されることが、本来、適切でもあり、必要でもあると思います。
また、僕は、よい裁判はよいと分析し、まずまずの裁判はまずまずであると分析していて、客観的な評価に努めていますし、論理一貫性や法律の趣旨をも重視しています。また、僕が消極的な評価を行った判決についても、わずかではあるが、良識派として知られる裁判官(元学者を含む)が裁判長となっている例があることも事実です。僕自身、あらためて裁判の難しさを痛感させられました。
瀬木 比呂志(せぎ・ひろし) 一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。
著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、近刊)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、『民事訴訟実務・制度要論』(以上、日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1420】[1739]ジョン・ル・カレ最新作
以前1636という書き込みで、ジョン・ル・カレを紹介させていただきましたが、最新作「繊細な真実」
を読み終わり、老いてますます傑作を出し続ける力に大いに感服したところです。
この作品は、民間軍事会社(ハリバートンの子会社のKBRがモデルか?)の暗躍を描いたものです。
またまた傑作ですので、興味がある方は、是非。
【1419】[1738]天武天皇の正統性について
『日本書紀』の中の倭国
『日本書紀』は、倭国の存在を隠しているわけではない。後世の日本人が天武の創り上げた「神の子孫である万世一系の皇統、日本に君臨したのは、大和王朝以外になかった」と言う大和王朝一元史観に酔ってしまい『日本書紀』の二重性を認識することが出来なくなったのだ。
次に掲げる記事は、明らかに倭王朝の出来事である。
天智三年(西暦664)二月九日、天皇、大皇弟に命(みことのり)して、冠位の階名を増し換ふること、及び氏上・民部(かきべ)・家部(やかべ)等の事を宣(のたま)ふ。・・・・・・・
・・・・その大氏の氏上には大刀を賜ふ。小氏の氏上には小刀を賜ふ。その伴造(とものみやつこ)等には干楯(たて)・弓矢を賜ふ。亦其の民部・家部を定む。
天智三年二月は、前年八月「白村江の戦」で壊滅的惨敗を喫した時から僅か半年後である。
この記事は、古くから問題にされてきた。何故なら、大和王朝にはこの時、天皇は不在であったからである。斉明天皇が崩御されたのは、西暦661年七月、天智天皇の即位は668年正月である。この間、皇太子であった中大兄皇子が、皇太子のまま政治を見た称制と言われる時代である。
故に、この記事は『日本書紀』の編者の勘違いで天智三年に書かれたとされてきた。「天智紀の重出記事」と言われている問題である。
しかし、この記事が天智三年(664)に置かれているのは、本当に誤りなのだろうか。
記事の内容は、冠位を大幅に増やし、民部・家部を認め、氏上に大刀、小刀、楯、弓矢を与えた、と言う事だ。
民部、家部は、私有地、氏の私的な奴隷と言われている。つまり、この記事は、公地公民の律令中央集権体制の大幅な後退を示しているのだ。
官位の大幅な増加も、戦死、殉死に対する二階級特進などと同じ考えから行った事ではないのか。
倭国は、三万もの兵士を壊滅させたのである。奈良時代初期の日本列島の総人口は六百万人ぐらいと言われている。倭国の受けた打撃は、第二次世界大戦の敗北で蒙った打撃に匹敵するものがあったはずだ。
倭王朝は、国民を繋ぎ止めることに必死であった。この記事は、そのことを伝えているのではないか。天智三年二月にあってこそ、この記事に臨場感があるのではないか。
この年の五月十七日、唐の武将・劉仁願と官吏・郭務宋が軍勢を率いて筑紫に来た。当然、唐朝に歯向かった責任を問うためである。敗戦国処分である。
帝国の流儀として、敗者である倭国王は、唐の京・長安に連行された。
『冊府元亀』が記すには、唐の高宗は、麟徳三年(666)正月、泰山で封禅の儀を挙げることにした。麟徳二年十月、高宗は洛陽を出発する。この時従駕した諸蕃酋長の中に、東西アジア諸国王と共に倭国王の名もあるのである。
奈良時代、平安時代初期の人々は、天智天皇と天武天皇が別の家系の人物であることを自覚していた。奈良時代末期、天武の血は、強制的に皇位から排除され、天武の血の混じらない天智天皇の後胤が擁立され平安時代は始まっている。
【1418】[1737]水圧破砕法
水圧破砕法について、悪魔の用語辞典3【放射能のタブー】2011年11月刊に、僅か(文量の制約により)ではあったが、195ページで触れている。
そこでは、『何かと問題もあるようだが・・・』という表現にしておいたのであるが、この水圧破砕法については、硫酸をはじめとする、五百数十種類もの化学物質を使用するようなので、地下水の汚染や、地震を引き起こす問題などが多くあり、それらは開発当初から指摘されていたことなのだ。
が、米国もそれを承知で行って(採掘して)いることから、私が考えるに、地下水を汚しておいて、次の段階(2~30年後には)では、その化学物質で汚染された水を今度はキレイにする(東レや旭化成などの技術を使って)ビジネスで儲けることをするのではないだろうか、ということをも推測していた。
ところがここにきて、FCV(燃料電池自動車)の販売(トヨタのミライ、723万円)の動きがあり、その水素潰しの為か?(ロシアイジメと同時進行か?)原油価格を下げてきている。その原油価格が下がった(採算が合わない)ということを大義名分に、水圧破砕法を一時中止(場所によって)する動きにも見える。私が考えるに、WTIで1バーレル40ドル位にするのではなかろうか(ドル高にすることによってペイする)。
どうやら、それらの事象が、何か色々と絡み合っているように思える、今日この頃です。
それでは、以下に参考サイトを貼り付けておきます。