重たい掲示板

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

副島隆彦 投稿日:2015/11/26 08:57

【1504】[1836]私の次の本は、歴史の本です。

副島隆彦です。 今日は、2015年11月26日です。

 このあと急いで、今日のぼやき の 方に、ロシア、シリア、トルコ の 直近の問題についての私の考えを書きます。

 私は、この2ヶ月の間、ずっと一冊の本を書き上げることに熱中していました。ようやく書き上げました。1ページ、1ページの 文字、人名、歴史の事実、そしてそれらの相互関係を、ひとつずつ確認する作業をずっとやっていました。 去年の5月から掛かりきりの本でした。 やれやれ、だ。

 体調が悪かったりして、ああ、もう年だなあ、足腰が弱ったなあ、とブツブツ言いながら、ずっと文献や資料を読みながら書いていた。 

 歴史の本だ。日本の戦国時代(1500年代)に絞り込んだ本だ。歴史の真実も、掘り当て、探し出し、暴き立てなければ気が済まないから、ずっとやっていた。つい最近決まった書名を公表していいものか、分からないが(出版社に迷惑がかかるだろうか)、書いてしまう。

 書名は、『信長(のぶなが)はイエズス会に爆殺され、家康(いえやす)は摩(す)り替(か)えられた 』(PHP研究所刊)だ。12月の中旬には出るだろう。 私が、一昨年(2013年)に書いて出した『闇に葬られた歴史』(同じくPHP研究所刊)の第1章で扱った、信長殺しの真実 の テーマ(課題)を引き継ぐものである。読む人に衝撃を与える書き方をしている。 

 なんとか、謎解き小説、ミステリー風に書きたかったのだが、どうも、もう私には、小説家の才能はあまり残っていないようだ。自分の世界をどんどん、有り有りと事件の現場にいたかのように書いてゆく能力を、すっかり摩滅(まめつ)させている。時代がまだ、文学や小説、文芸の時代であったら私は小説家になっていた。

 しかし、もう、人々は、一部の小説(読み)好きを除いて、もう最新小説には近寄らない。スマホを弄(いじ)くっている時代に、そんなヒマ(悠長、ゆうちょう)はない。だから、「真犯人は、こいつだ」と私はアタマ(冒頭)から書いてゆくしかない。そして、これでもか、これでもか、と証拠、証明作業、合理的推論(reasoning リーズニング)を浴びせかけて、読み手(読者)を説得する。 

 「ホントだよなあ、そうとしか考えられないよ。やっぱり、副島の書き方には適わないよ。真実を暴き立てる力があるからなあ。計画的に、権力者たちによって覆い隠された真実が、どうしても 草葉の陰から、何百年たってもむっくりと起き上がってくるんだなあ」 と、なる。そのように私は書く。読み手を冷静に、どこまでも果(は)てし無く説得し続けることしか書き手には出来ないのだ。この不屈の作業に耐えれられない者は、その国を支える知識人、言論人 にはなれない。

 今度のこの『真実の信長、家康 』(秀吉 についてはウソがない。ほとんど真実が書かれている。何冊かある『太閤記』で、次の家康の時代に暴き立てられるように書かれたから)を私は書いて世に問う。 きっかけは、『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著 文芸社文庫 2013年刊)を去年の5月に読んだからだ。

 ジワジワと全国の書店でこの文庫本はひっそりでありながら売れ続けている。誰も宣伝しないのに売れ続けている。歴史もの読み好きたちが噂を聞きつけて次々に手にとって読んでいる。この明智本(と私は名付けた)の業績、と悪い点を、徹底的に評価判定するようにして、私はさらに真実を暴き立てるべく書いた。 そして、私が一昨年から、唱導、主唱し始めた 真実の日本史の研究には、どうしても「八切止夫(やぎりとめお)、を今こそ!」 ( と、私の今度の本の 帯(おび)に書いている)ということになった。

 織田信長が、西暦1582年(天正10年)6月2日(こっちは和暦)に、京都の本能寺で、なぜ、死体も、髪の毛一本も、残さずに殺されて、死んでしまったのか。あれほどの強力な男が、部下の明智光秀(あけちみつひで)ごときに殺されるだろうか、という疑問は、ずっと日本国内の、戦国モノ好きの人間たちの脳(アタマ)の中に残っている。 

 首狩り族の伝統(風習)を強く残している日本の武家(ぶけ。下臈(げろう)、地下人から這い上がった)の慣習にあって、討ち取った敵将の首を捧げ持つことをしないことはない。 だから、「どうして信長の首も死体も残っていないのだ。息子の信忠(のぶただ。長男で継嗣=けいし=)の死体も首もない。おかしい」と、日本人は、ずっと450年間思い続けてきたのだ。 

 「そんなことは、もうどうでもいいじゃないか。教科書どおりでいいよ」という人間は、悪辣(あくらつ)な、日本民族の敵の手先どもだ。たとえ、この者たちが、愛国者や民族右翼を自称しようとも、私、副島隆彦は、断じて許容しない。打ち払ってやる。

 計画的に覆(おお)い隠された真実は、何百年経っても、草葉の陰からむっくりと起き上がってくるのだ。 怨(うら)みを呑んで死んでいった、民族の真の英雄たちの無念は、怨念となって、今の私たちのまわりに、空中に、天空に舞っている。彼らの声を聞き取ろうとする堅い真剣な意思さえあれば、この復活の作業は出来る。 

 ただ、今度の私のこの歴史本が、どうも分量が300ページを越して、それで読み手(読者)に負担をかけることを心配している。どうしていつの間にかこんなにたくさん書いてしまうのだろうか、と自分に言い聞かせるが、つい、「このことは私の発見だ。このようにはこれまで誰も書いていない」と思うことを、どんどん、すでに出来上がっている幹(みき)に枝葉(えだは)を付け加えるように書き加えてしまう。

 これは自分の悪い癖(クセ)なのだと分かっているがやめられない。編集長に、「つまらない、冗長だ、と思われるところは、構いませんから、バッサリ30ページぐらい削ってください」 とお願いするのだが、向こうも遠慮してなかなかこれをやってくれない。

 このように私の今度の、『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』が12月20日までには出ますから、年末正月の休みにでも読んでください。

副島隆彦拝

松村享 投稿日:2015/11/26 02:42

【1503】[1835]社会に壊された人々へ 終

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/11/26です。

 現在、世界では、大きな動きが起こっているようですね。私も現状分析をしたいんですが、いかんせん知識が足りません。世界の大きな見方、視点の置き方なら、歴史論文を書くことで得ました。あとは、現状の詳細な知識だ。

 『今日のぼやき』の会員ページの方に、私の論考を載せていただきました。『幻想国家としての古代アテナイ』という題名です。わざわざ地図など貼りつけていただきました。ありがとうございます。

 会員の方だけ読めます。有料制ということですね。会員ページは、一年間、副島先生の論考をはじめ、あらゆる論文を読み放題で、10000円です。ここを読んでいる皆さんも、会員になってくれればなあ、と思います。

 私からすれば、本を集めるだけで、一ヶ月10000円くらいは吹っ飛んじゃうんで、けっこう安いと思うんだけどなあ。一年で10000円。一ヶ月に換算すると、800円くらいですよー?ラーメン一杯くらいですよ!

 会員になってくれればなあ、と思います。文章を書くというのは、わりとカツカツの生活を余儀なくされるのです。それでもいいと思っているから、書いてるんですけどね。それでも、支援してくれると助かるなあ。必ず、対価に見合うだけの文章は書きます。

 ぼやきに載せていただいた『幻想国家としての古代アテナイ』の『幻想』とはですね、つまるところ、お金、マネーのことなのです。マネーというのは、マグカップとはちがう。コーヒー飲むだけのマグカップとは違って、なんにでも変身できます。マネーは、マグカップにもなれるし、時計にもなれる。車にもなれます。なんにでも変身可能です。

 マネーというのは、かたちのない幻想である。かたちないからこそ、なんにでも変身可能である。そして、人類史上初めての、マネー基軸の国家をつくりあげたのが、古代ギリシャのアテナイだった。だから、『幻想国家としての古代アテナイ』。

 だから、なんだか白く輝かしいものとしてイメージすることの多い古代アテナイですが、古代ギリシャ思想とか、民主政democracyとか、あれ全部、マネーに付随(ふずい)して生まれてきたものです。
 
 これは予想だが、マネーの訳語である『お金』という日本語の名詞は、本来の『money』のニュアンスを、伝えきれていないのではないかと、私は考えています。本来の『money』は、もっと、神聖なニュアンスがあるのではないか。
 
 現代日本人も、マネーを軸にした『社会』という人工物の中で暮らす以上、古代アテナイは、他人事ではない。そういう考えのもとに書きました。次は、エジプトかな。現代日本の矛盾を考えていたら、私は、不可避に、フィレンツェ・ルネサンスと同じ追求をすることとなりました。

 だから、マネーmoneyとか、社会societyとかいう単語は、おそらく神聖なニュアンスを持つんであって、ここの感覚を理解できないところに、日本人の限界があるというか、いつまでも猿マネ民族として扱われる部分があるというか。

 結局、「日本人は社会を理解できていないのに、社会を押しつけられている」という構図だ。私は独り身なのでよく外食をするが、たまに横柄な客を目撃することがある。なにやら大声のタメ口で店員に口をきいている。太った体でふんぞり返っている。私は、文化人類学者のマネをして、ずっとその横柄な客を観察し続けるのである。「金を払っているのだから、俺が偉いんだ」という感じである。

 だがよくよく考えてみれば、店と客との関係は、マネーにもとづく契約であり、マネーにもとづく以上、店と客は対等のはずだ。お金とは、すべて人間を平等にならすことに特徴がある。社会においては、売り手も買い手も、だれもかれもが平等なのだ。だから、店員もおかしい。ヘエコラする必要はない。

 マネーは、すべての人々を『平等』の立ち位置に再編成するのである。一万円には一万円のサービスを、十万円には十万円のサービスを提供する。そうやって、お互いにバランスをとっている。SNSI研究員・鴨川光氏が、常々書いているエクィリブリアムequlibuliamである。我々の時代のような、マネーにもとづく社会societyにおいては、貴族も平民も存在しない。みんな平等だ、ということになっている。これは、そのまま民主政democracyのことでもある。

 それを、この横柄な客はわかっていない。「上の者が下の者に金を払ってやる」という地域共同体に独特の感覚のままに行動している。こんな光景は、日本のどこでも、そこかしこに見られる現象だろう。だから「日本人は社会オンチである」といわれるのだ。

 太平洋戦争の際、1944年にニューヨークで、日本人の性格構造を分析するための太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations)略して、IPR会議がひらかれた。IPR会議は、もともとロックフェラー財団の資金提供で運営されていたものである。

 この会議に、日本人を徹底的に丸裸にしたルース・ベネディクトやジェフリー・ゴーラーも出席している。なんと、社会学の泰斗であるタルコット・パーソンズ(1902~1979)も出席した会議である。パーソンズは、私の師である副島隆彦氏の、そのまた師にあたる小室直樹氏に、社会学を教示した人物でもある。

 このIPR会議の様子が、『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)の訳者解説で描かれてある。これは貴重な記録だ。p148で紹介されているジョン・マキという人物の発言が重要である。「日本人は『社会society』を理解できない」という趣旨の発言をしている。さきに私が描いた横柄な人物像を思い浮かべながら、次を読んでみてください。

(引用はじめ)

『日本人の行動パターン』p148(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)

 ジョン・マキは次のように説明する。「日本では身内とよそ者という考えは非常に重要です。西洋人は、日本人が非常に礼儀正しいと考えています。確かに身内の関係のなかではきちんと紹介され、礼儀正しく振る舞われますが、よそ者の状況にある場合、形式や丁寧さは完全に無視され、人間の感情を欠いた関係となるのです。

 社会的に丁重な言動という考え方は日本人にはありません。身内とよそ者という考えは、強い郷土愛に基づく地方主義に遡ることができます。外からやってくる人は、潜在的に敵やスパイと考えられていた十七、十八、十九世紀に由来します。

 家族は最小単位の身内で、友人、級友、同郷人、同国人という単位の身内へとその範囲は広がります。そしてよそ者はすべて劣っており、軽蔑の目で見られるのです。日本人は敗北した敵は、軽蔑をもって処遇されるべきだと思っています。」

(引用終わり)

 松村享です。

 日本人には『社会society』は、わからないのだ。だからみなさん、店やホテルでふんぞり返っている人間を見たときは、「ああ。この人は、社会オンチの土着民なのだ」と思って、マジマジと観察すればいい。文化人類学者をマネして見ればいい。

 同様に、清く正しい、笑顔マシーンのような営業マンもまた、『社会society』の輸入に失敗した人間である。社会という魔界の中では、とるべき手段、ふるまうべき行動がわからない。だから、笑顔マシーンというパターン化された類型が現れる。

 『社会society』とは、Godそのものなのだ。近代という妙な時代にあわせて、つまりは、マネーを基軸にせざるを得なかった時代にあわせて、キリスト教のGodは、『社会society』という姿へと変貌した。Godの生まれ変わりたる『社会society』の、アジアでの初輸入は、戦後日本において行われた。アメリカの戦後統治において、日本にキリスト教が輸入されたのだ。

 だがキリスト教など、もっといえばGodの一部となる喜びなど、日本人にはとうてい理解不可能である。喜びなんかない。むしろ魔界だ。Godなんぞ知るか。誰だそれは。我々は、東アジアの島国の、隔離されたおぼっちゃま民族である。ずっと国を閉じて生きてきた。だから、Godなんか知らない。Godの一部だからといって、自分を肯定することはできない。

 だから、笑顔のふりをするしかない。清く正しい笑顔マシーンになりきるしかない。その内面はズタズタに引き裂かれて、ネットに癒しを求めて、陽が昇れば再び笑顔マシーンだ。

 どうやら『社会人』というパターン化されたキャラクターが、現代日本には定着しているらしい。初めて街にでたおぼっちゃまが、いじめられないように、すれちがう人々の身のこなしから言葉づかいまで真似をしているのである。真似を集めて集めて、パターン化した。パターン化の極端な例が、とびきりの笑顔マシーンである。

 そして、ああ、もはや嘆息(たんそく)するしかないのだが、このパターン化の性質についても、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーは見抜いている。これも引用しよう。

(引用はじめ)

『日本人の性格構造とプロパガンダ』p64(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)

日本人は理解や管理できない環境においては、不安を感じるということはすでに述べた。
そうした環境に備えて、予見できるすべての状況に適した、
もっとも巧妙で形式的な行動パターンが日本文化には発達している。

これらの行動パターンに従いさえすれば、
日本人には怖いものはなく、陽気で楽しくいられる。

しかし、これらの行動パターンに従うことは、
各個人に相当な自己抑制やさまざまな攻撃的な感情、
憂鬱な気持ち、血気盛んな感情といったすべてを捨て去ることが求められる。

一般的にどのような感情も表現することは誤っている。
痛みや喜び、うれしさや怒りなどの感情表現は許されず、
そうした感情は予想できないことなので、自らが先立って捨てることにより、
他人も同じように放棄するという保証が得られる。

(引用終わり)

 松村享です。

 ゴーラーは、すでに70年の昔に、笑顔マシーンの出現を見抜いている。社会人、笑顔マシーンに見られる日本人の、巧妙(こうみょう)かつ形式的な行動パターンの出現は、おぼっちゃまが外界から自分自身を守るためだったのだ。ゴーラーの言説からは、そう解釈できる。

 『社会society』という輸入物の中で不安な日本人は、だから、パターン化した形式的な学歴に強くこだわるのである。大学など、サイエンティストscientistになりたい人間だけが行けばいい。私の周りには、意味不明なままに大学に通っている、あるいは卒業した人間がたくさんいる。これは、とくに文系に顕著だ。自然科学natural scienceはまだしも、社会科学social scienceなど、日本人は理解していないからだ。

 大学でたいして何もしていない友人に「おまえは何のために大学に通ったのか」と問い詰めると、「いろんな人に出会えるから」とこたえが返ってくる。それはたしかに大事なことだ。人との出会いは大事である。だが出会いなら、自身が積極的に動いていれば、大学など無関係に発生するものであり、高い授業料を払ってまで自らを限定するその生き方は、私は納得できない。

 「いろんな人に出会える」というその回答は、強迫観念のもたらした不安の正当化であり、より大きくいえば、奴隷根性の正当化である。漠然とした未来への不安のために、自分自身を質に入れているのだ。そして約束されたはずの未来が、本当に訪れるのかどうかは、誰にもわからない。

 わからないはずのものを、約束の地のごとく思いこもうとする、つまり自分で自分を錯覚させるほど混乱していることに、現代日本人は気づくべきだ。日本人は、混乱しているのである。

 混乱して不安に陥った日本人は、パターン化した行動をとるのだと、すでにゴーラーに見抜かれている。だから日本人は、ハツカネズミとたいして変わらないのだ。学歴や就職への執念は、ハツカネズミとぜんぜん変わらないパターン化された精神構造である。

 私たちは、よけいな虚栄心など捨てて、自分を動物だと認識すべきなのだ。動物だと認識して初めて、精神構造の迷路をさまよう自分を発見する。あなたのその生き方は、あなたの自由意志が選びとったものではなく、『日本人という動物』に特有の行動パターンなのだ。

 だから、私のメールアドレスを盗んだあなた、あなたの精神構造は、とうの昔に、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーに見抜かれているのだし、私にも見抜かれている。あなたの行動は、社会に壊されて混乱した人間の、パターン化された行動なんだ。

 いいかい。社会に壊された人々に特有の行動パターンなんだ。動物となにも変わらない。動物でしかない自分と、幻想としての自分のはざまで、自分が何者なのかを、脳が焦げつくまで考えるべきだ。そして、覚悟を決めて行動すべきなんだ。あんたの行動からは、覚悟など、みじんも感じられない。

 だから、私になにか物申したいのなら、「自分は社会societyに壊された人間の一人で、複合体(コンプレックス)と化した精神構造の迷路をさまよっている最中だ」と、きちんと認識したうえで、堂々と来てください。松村享の電話番号は09044877280です。顔を伏せてうろちょろすんのは、もうやめようぜ。非通知の電話にも出ない。名を名乗ったうえで、いつでも電話してください。

 というか、どなたでも電話どうぞ。なんだか電話番号は非公開だというのが、現代の主流のようだが、電話番号なんて、昔はタウンページに載ってたじゃないか。いまはどうか知らないが。こんなもの公表すればいいのである。笑顔マシーンに馴れすぎて、本気でぶつかる事の美徳を忘れちまったか、現代人は。

 文章は、私という人間を半分も伝えない。私には、声があって、体があって、感情がある。はじめに現実がある。音や匂いや感覚がある。はじめにロゴスはないんだ。『はじめにロゴスあり』などと、人間を逆さまにつくりあげたのが、新約聖書のヨハネ福音書である。

 キリスト教の統治技術は、空と同じように、あまりに巨大で普遍で、あたりまえだと思ってしまう。だがその「あたりまえ」は、あたりまえでもなんでもない。人工物である。あなたのその生き方じたいが、人工物だ。

 別の生き方だってある。生きることは、そんなに堅苦しくはない。「社会societyから、はみだしたら罪人」だなんて、どこの誰に植えつけられた考えなんだ。あなたらは、一体いつからキリスト教徒になったのだ。

 手汚して、知恵絞って、なんとかかんとか生きてゆく。マネーだけでは、太刀打ちできない問題もある。どこの誰も教えてはくれない。私はつい先日、東京・八王子の大きな祭りで出店を開いた。私が店主だ。ど素人の祭り参加だ。ハプニングだらけだった。でも、それでよかった。

 隣の出店のおっちゃん達と仲良くなってだな、「こっちのものを買ってくれたから、今度は俺がむこうの酒を飲もう」だとか、土着日本特有のご近所づきあいが発生するんだぞ。社会societyもくそもあるか。甘ったれんじゃねえ。俺たちは、一度、野生に帰るべきなんだ。社会に壊された人々よ、キリスト教という清潔空間にいる自分を認識したならば、さっさとこっちへ来い。(終)

松村享拝

参考文献

○片岡徹哉著『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』(文藝春秋 1992年)
○小室直樹著『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(中公文庫 1991年)
○シュテーリッヒ・ハンス・ヨアヒム著 草薙正夫 堤彪 長井和雄 山田潤二 工藤喜作 神川正彦 草薙千雅子 共訳『世界の思想史(下)』(白水社 1978年)
○ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ミネルヴァ書房 2011年)
○副島隆彦著『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』(祥伝社 2000年)
○SNSI副島国家戦略研究所『悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人』( kkベストセラーズ 2009年)
○フランク・マニュエル著『サン-シモンの新世界 下』森博訳 恒星社厚生閣 1975年
○ルース・ベネディクト著 福井七子訳『日本人の行動パターン』(日本放送出版協会 1997年)

ウェブサイト

○石井利明筆『【避暑地と権力者】日本の縮図、避暑地・軽井沢』(ウェブサイト『副島隆彦の学問道場・今日のぼやき会員ページ』)
○鴨川光筆『サイエンス=学問体系の全体像』(ウェブサイト副島隆彦の論文教室)

守谷健二 投稿日:2015/11/24 14:35

【1502】[1834]天武天皇の正統性について

   『日本書紀』は、唐朝を第一の読者に想定して創られた。

 『日本書紀』の編纂事業は、天武の王朝の「正統性を創造する」ことであった。
 では誰に対して「正統性を主張する」必要があったのか。当然、世界の中心であった中国統一王朝の唐朝に対してである。
「壬申の乱」のあった僅か十年前に、倭国(筑紫王朝)は唐を相手に戦争していたのである。西暦663年白村江で倭軍が壊滅してから壬申の乱が興田672年まで唐朝の官吏・郭務宋は毎回かなりの軍勢を引き連れ四度も筑紫に来ていた。(日本書紀に依る)
 四度目の離日は、壬申の乱の勃発する僅か一月前であった。この郭務宋の四度目の来日の目的は何であったのか。

 668年、隋朝から受け継いだ長年の課題であった「高句麗討伐」を新羅と協力して成し遂げることが出来た。しかし、高句麗滅亡を前後して、朝鮮半島各地で反唐ゲリラの戦いが勃発した。唐軍は最初、これらのゲリラの背後に倭国の影を疑ったらしい。
 しかし、これらゲリラの背後にいたのは、これまで協力して高句麗討伐を戦ってきた新羅であった。669年には、新羅は正面切って唐軍に立ち向かってきたのであった。唐朝には、長年の遠征で厭戦気分が生まれていた。それに対し半島統一に向けて新羅の戦意は燃え上がっていた。唐軍は、次第に窮地に追いやられていた。
 『日本書紀』は、郭務宋の四度目の来日記事に興味深い事を記す。
671年(天智十年)11月二日、唐吏・郭務宋が対馬の役所に使いを寄こし、
この度は、船舶四十七隻、総勢二千の大軍勢を引き連れて来たが、決して戦うために来たのではない故、間違って弓矢などを射ることがないように、と伝えて来たと記している。
 この来日には、筑紫君・薩野馬(さちやま)を帯同していた。筑紫君とは筑紫国(倭国)王のことである。倭国王は、世界帝国唐朝に刃向った責任を問われ、筑紫より連行され、唐の都に拘留されていたのである。国王を送還して来たのであった。
 この郭務宋の来日の目的が何であったか容易に理解できよう。唐軍は朝鮮半島で窮地に追い詰められていた。倭国に和解を求めて来たのであった。倭国の再度の新羅討伐軍の派兵を求めて来たのであった。
 しかし、日本列島代表王朝としての長い伝統を持ち誇り高い倭国であったが、今や近畿大和王朝(日本国)の臣下となっていた。倭国の都の治安さえ大和王朝に委ねなければならなかった。唐の要請も、大和王朝に丸投げせねばならなかった。
 郭務宋は、戦う為の来日ではないと云うが、47隻、二千の大軍団を率いる威圧を見せ付けての講和要求であった。断れば唐軍の襲来を覚悟せねばならなかった。

 この十二月三日、病に臥していた天智天皇が亡くなる。大和王朝は、困惑の中にあった。郭務宋の離日は、翌年の五月の末日です。この前後に大和王朝(日本国)は、美濃・尾張国を中心に百姓の徴集を開始している。総勢二万の大群衆であった。『日本書紀』は、この集団に武器を取らせていた、と記します。大和王朝と郭務宋の間で、朝鮮半島派兵への合意が付き、大和王朝は美濃・尾張で徴兵を開始したのではなかったか。琵琶湖東岸から美濃・尾張国にかけて、百済から逃れてきた人々に、天智天皇は湿原、原野を与え開墾自活を促している。美濃・尾張には、百済人が数多くいたのである。彼らを中核とする軍を半島に送ることにしたのであった。
 天武の「壬申の乱」における勝利は、大和王朝が徴集していた二万の大軍を一夜にして手に入れた事と、大和の名門大豪族の大伴氏を味方につけることに成功していたからである。
 しかし、「壬申の乱」の結果、唐との約束であった新羅討伐軍を送ることが不可能になった。唐との約束を反故にしたのであった。超大国世界帝国唐朝との約束を破ったのだ、唐軍の襲来をも覚悟せねばならなかった。幸いにも半島では新羅の勝利に終わり、唐朝は半島から手を引いたが、何時気が変わるかわからない。備えを怠るわけにはゆかなかった。正統性の創造は、日本を一つにするために必要不可欠であった。また、天武の王朝は、唐にて期待した倭国とは無関係であることを主張する必要であった。唐は、当時の世界の中心です。いずれ近いうちに唐と国交を回復する必要があったのです。  

mo森田裕之 投稿日:2015/11/24 11:48

【1501】[1833]morita@cea.or.jp

SNSIの皆さん、森田裕之・技術士です、以下に貼り付けるのは、「大阪・放火殺人事件」に関して、私の自慢話を読んでもらおうと、貼り付けます。

仲間内の鈴木将成君からのメールを貼り付けます、彼が組合のPL研究会を主宰していて、東京の中村雅人弁護士や、大阪の女性弁護士会の皆さんに相談を受けて、スタートした事件でした。

貼り付けー

森田様         11月19日 鈴木

 しばらくです。

 ご存知「大阪・放火殺人事件」の再審が確定し、

終身刑で服役中の被告らが「20年ぶりに釈放」と

相成り、このほど実現しています。

 思えば17年前、弁護士から依頼を受け、事件の

経緯を訊くや即座に貴兄が「炎暑の日、帰宅して車庫

入れ直後の車両が過熱しタンクがポンピングして燃料が

漏れ出し、傍らで風呂の種火に引火した自然発火だ」

という森田説を真っ先に唱えたことを覚えています。

 また証言台の望月さんが「自然発火はあり得る。この

理屈がどうしてわからないのか」と「保険金目当ての

放火・殺人」にこだわる検察陣の追及に憤慨して目を

剥(む)いたことも忘れられない。

 右手では後ろ手に縄を引かれ、うつむく被告らがふと

見せた一縷の望みと安堵の表情など、昨日のことのよう

に思い出します。

 当時の報道は、「技術士らが放火説を否定。自然発火の

可能性を指摘」と重みをもって伝えている。

 しかし現実は、地裁をはじめ高裁・最高裁のいずれも

被告の訴えや技術士の推論に耳を貸す者は一人としてなく、

被告らには揃って終身刑が確定。検察はニンマリ。

同好の士はあっけにとられ、歯軋りして悔しがるが

なすすべもなく、無力感と虚しさにさいなまれるばかり。

 さて20年後の今日、再審を認める地裁の一人が当時

の判断に疑問を挟み「自然発火の可能性もあり得る」と

指摘。これをきっかけに、続く再審高裁も「放火殺人は

無罪の可能性が高い」などと認めて刑の執行を停止。

これにはさしもの検察陣も「再審維持は困難」と最高裁

への特別抗告を断念。まるでドミノ現象の将棋倒しの様だ。

 かくして被告らは逮捕以来20年ぶりに釈放され、世の

報道陣はこの経緯を大きく表面的に伝えている。

 しかし何のことはない。17年前に一度は否定された

技術士見解が、現在ではそのとおりとばかり甦り、手の

ひらを返すように世の認めるところとなる。

 しかし当時から自然発火説を唱えるのが技術士である

とはギの字も触れないまま“正論”と化している。

これが私には不満。数少ない成功事例であってみれば、

せめてこの機会を捉えて来し方を世の中へ広く知らしめ、

祝賀会など催して溜飲を下げ、自己顕示に努めるべきでは

なかろうか。

―――――――――――――――――――

  技術士 鈴木將成

  108-0074東京都港区高輪4-23-6-301

  電03-3442-0888  Fax03-3442-0856

―――――――――――――――――――
添付ファイル エリア
添付ファイル 記事 放火・殺人事件.pdf をプレビュー
PDF
記事 放火・殺人事件.pdf

守谷健二 投稿日:2015/11/16 12:41

【1500】[1832]天武天皇の正統性について

   『万葉集』第二巻〔167〕日並皇子尊のアラキの宮の時、柿本朝臣人麿の作れる歌、を検討する。

 日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)とは、皇太子・草壁皇子のことです。皇子は、天武天皇と皇后(後即位して持統天皇)の間に生まれ、天武十年に皇太子に立てられている。
 天武天皇は、朱鳥元年(西暦686)九月九日に亡くなります。当然皇太子であった草壁皇子が即位する筈ですが、どうした訳か即位の儀は取り行われなく。天皇不在のまま三年過ぎた西暦689年四月十三日、草壁皇子は亡くなってしまうのです。それ故、皇子の母、天武天皇の皇后が、翌年の正月に即位して持統天皇になります。天武天皇が亡くなってから三年三か月は、天皇不在でした。
 持統天皇は、西暦697年八月、草壁皇子の遺子・軽皇子に禅譲して隠居します。その前年の七月、天武・持統朝の最高権力者であった高市皇子が亡くなっている。
 予備知識は、そのくらいにして人麿が草壁皇子に捧げた歌を検討します。まず現代日本語訳を載せます。

 天と地が始まったとき、ヒサカタの天の河原に、八百萬(やほよろず)千萬(ちよろず)神々が、お集まりになって、それぞれの持ち分を取り決めになったとき、天照らす日女尊(天照大神)は、天(あま)を治めになるとおっしゃり、葦原の瑞穂の国の果てから果てまで治めする神の尊であると、天雲を八重かき分けて下り置かれた高照らす日の皇子(草壁皇子のこと)は、飛鳥の清御原の宮に、神として神々しく天下を領せられている母・持統天皇のお治めになる国であると、天の原の岩戸を押し開き、神上がりお隠れになった。
 わが大君、草壁皇子が天下をお治めになったら、春花が一斉に咲くように晴れやかで、満月のように満ち足りて盛んであったろうにと、天下の人々が大船に乗っているように頼みにし、旱天に慈雨を待つように仰いで待っていたのに。
 草壁皇子は、何とお思いになったのか、ゆかりもない真弓の岡にモガリの宮をお造りになり、朝ごとの仰せ言もない月日がすでに多く流れ去ってしまった。 
 それ故に、皇子の宮人達は、これからどうし良いか判らないことである。

 「葦原の千五百秋(ちほあき)の瑞穂の国は、是、吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。さきくませ。宝祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きはま)り無けむ。」
 この天孫降臨神話は「日本天皇教」の中心教義である。この神話と持統天皇時代の皇位の移動は「同型」である。つまり持統時代を手本にして神話は創られたのである。天武天皇を正統化する作業は、神話にすら及んでいたのである。皇太子を、日並皇子(ひなみしのみこ)と呼ぶのは、この歌だけである。人麿の造語であろう。人麿が歴史編纂作業の中心人物であったことは、疑いのないことである。
 

松村享 投稿日:2015/11/12 06:29

【1499】[1831] 社会に壊された人々へ④

 松村享です。今日は2015/11/12です。

 東京は、もう何日も雨と曇りです。時間が止まっているようにも感じます。私は、村上春樹の『ノルウェイの森』(村上春樹著 講談社 1987年)を思い出します。陰鬱な雨のうちに、時々、おぼろげな太陽ののぞくような作品だった。秋の終わりの、ちょうど今のような季節の描かれている作品です。

 けれど、晴れようが曇りだろうが、生きるためには戦ってなくちゃいけない。時間は、止まってはいない。戦いのために、『時計』だって発明されたのだ。ユダヤ教やキリスト教やイスラームのムータジラは、秋の風の匂いや、午後の小さな憂鬱など相手にせず、ただただ、『生存』という目的のために突き進んでゆく。それはそれで潔い。

 国家戦略も同じである。雨も風も晴れの日も知ったことではない。時間は止まらない。こんな日常の中で、『時間が止まっているようだ』とか言っているうちに、アメリカの日本占領は、完遂された。歴史というのは、我々の日常のことである。ロマンではない。

 アメリカの戦後日本統治の目的は、「地域共同体を破壊すること」だった。そしてそれは、完璧に実行された。

 小室直樹氏は『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(小室直樹著 中公文庫 1991年)のp163で、日本の村落共同体は、終戦とともに崩壊をはじめたと指摘している。これは、「歴史上もっとも成功した改革」と、マッカーサーが自画自賛する農地改革法のことをいっているのであろう。

 大きくいえばここで、日本の共同体は破壊されたのだ。いったん破壊された。そして、日本人は再び、共同体へと回帰するのである。小室氏いわく、戦後の日本人は、失われた共同体を再編するかのように、会社や官庁などの職場を、地域にかわる『共同体community』としてつくりあげていったのだという。

 上掲書のp157によれば、年功序列(ねんこうじょれつ)や、集団間移動の困難などは、そもそも『共同体community』の特徴なのであって、日本の特徴ではない。アメリカだろうとどこだろうと、『共同体community』においてこそ、年功序列などの現象は見られるのである。

 だから年功序列は、日本企業の特徴ではない。戦前の日本企業には、年功序列はないし、職場の変更もわりあいスムーズに行われたという。

 そして、ここでもまた、共同体を軸とした日本人の信じがたい飛躍が確認されている。戦後の日本企業は、『ジャパンアズナンバーワン』といわれるほどの経済力をもたらした。

 この理解不能なまでの飛躍は、会社という共同体への帰依(きえ)、日本独自の信仰体系が、理由である。ところで『ジャパンアズナンバーワン アメリカへの教訓』(エズラ・ヴォーゲル著 広中和歌子・大本彰子訳 TBSブリタニカ 1979年)の著者エズラ・ヴォーゲルも、日本対策班だ。

 またしても現れた、日本人の古来の信仰を見抜いたアメリカは、日本封殺(ふうさつ)の伝家の宝刀をひき抜いた。『共同体の破壊』こそ、日本を封殺するもっとも効果的な政策である。1990年代のアメリカは、ラリー・サマーズを筆頭に日本を制圧した。

 副島隆彦氏は『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』(副島隆彦著 祥伝社 2000年)の中で、サマーズによる日本制圧のあらましを描写している。

 描写の中で、1999年2月19日付けの、ニューヨーク・タイムズ紙の記事が一本、紹介されている。トーマス・フリードマンという記者の『Yanks Invade Japan アメリカが日本を侵略する』という題名の文章だ。日本語訳の方を、こちらに引用しておこう。

(引用はじめ)

『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』p45~p46(副島隆彦著 祥伝社 2000年)

Thomas L.Friedman ニューヨーク・タイムズ紙 1999年2月19日 『Yanks Invade Japan アメリカが日本を侵略する』

《日本語訳》

今世紀で二回目だが、アメリカ合衆国は、今や日本を占領した。

アメリカ上陸部隊は、ロバート・ルービン財務長官を最高司令官とし、ローレンス・サマーズ統合参謀本部議長によって率いられている。上陸するや、アメリカ軍は、ただちに日本銀行と大蔵省を占拠し統制下に置いた。

アメリカの貿易赤字は年額換算でついに過去最高の三五〇億ドル(三・五兆円)にまで膨張した。この事実がわかった三〇日後に、この侵攻作戦は敢行された。

アメリカの巨額の貿易赤字を憂慮して、投機家のジョージ・ソロスは、米ドルの二五%の暴落を見越して投機を仕掛けた。ソロスは、米ドルを大量に売ってヨーロッパのユーロ通貨を買い込んだ。

他の投機家たちもソロスの動きに呼応して米ドルを売り込んだ。さらには、米国債をも投げ売った。そのために、たった一晩で、アメリカの金利は一二%に跳ね上がった。・・・

サマーズ将軍は、ハーバード大学の経済学者だったのだが、彼は自ら手を下して、榊原英資財務官(大蔵副大臣)に対して再教育(洗脳教育)を施した。

噂によると、在日アメリカ大使館の中の一室で、榊原英資は拷問を受けた。彼は、まぶたを閉じられなくするために額にテープを貼られ、休むことも許されずに、ずっと大声でマネタリスト政策を日本で実行しつづけるように、ミルトン・フリードマンの文章を読み続けることを強制された。榊原が閉じこめられた部屋からは、恐ろしい叫び声が聞こえた。

(引用終わり)

 松村享です。

 続けて副島氏は、サマーズが1998年7月にハーバード大学で講演した際、講演会の主催団体から、マッカーサーの代名詞であるコーンパイプのレプリカを贈呈されたのだと記述している。

 コーンパイプは、日本占領の象徴である。副島氏は、幕末のペリー、戦後のマッカーサーにつらなる人物としてサマーズをとらえている。日本は、ペリーに衣服を破かれ、マッカーサーに肉体を奪われ、サマーズに脳を乗っ取られたと考えていい。三度にわたって、日本人は徹底的に引き裂かれた。

 つい最近のことだから、誰もが覚えているだろう。「年功序列や終身雇用制は古い」というプロパカンダが、一時期、流行った。ホリエモンとかのあの時期だ。私は、高校生か、高校を卒業した頃で、へたくそな反逆の時期で、これらのプロパガンダを、鵜呑み(うのみ)にしていた。

 「年功序列や終身雇用制は古い」。これこそ、日本封殺の伝家の宝刀(でんかのほうとう)なのだ。文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーがつくりあげ、ラリー・サマーズが引き継いだ、共同体破壊の伝家の宝刀である。

 日本人の信仰である共同体は、またしても破壊された。いま問題の『ブラック企業』などという言葉は、温和な共同体の中からは出てこない。共同体の、人間味のある職場であれば、ぶつくさ言いながらも残業くらいする。人間味を完全に喪失したブラック企業は、ただの機械として、冷たく激しい圧力として、社員をすりつぶしている。

 なんにも知らない、理解していないにもかかわらず、合理主義rationalismなどとキリスト教圏の真似をしているから、ブラック企業が生まれる。哀しい猿真似である。キリスト教をわからない以上、合理主義rationalismは実行不可能である。

 「合理ratioは正義justiceである」などといったって、日本人には、理解不能だろう。キリスト教の言葉は、私たちには届かない。わからない。苦しみを共有できない。

 キリスト教の裏側には、古代ギリシャにまでさかのぼる、人類の痛切な苦しみがあるのだ。このことも、私は近いうちにまとめる。日本人が、腑に落ちるように書く。それは、私にとってのルネサンスだから。

 だから、A型の人間(日本人)にB型(キリスト教)の輸血をしても、体が壊れるだけなんだ。ボンボンの日本人には、どうしたってわからない。キリスト教を理解していないから、ブラック企業が生まれるのだ。

 だから、現代日本人は、アメリカから、マネー(女神ムネモシュネ)にもとづく幻想空間=『社会society』を移植されつつも、あるいは、こぞって猿真似しつつも、古来の信仰である『共同体community』とのはざまで、板挟みになっている、という状態なのだろう。

 社会、あるいはマネーとは、存在論Ontologyなのである。存在論Ontologyは、神学Theologyの概念だ。日本人が無縁で当然だ。

 社会に疲れた現代日本人は、いまやネットの中に友人を求めている。これはいいかえれば、キリスト教(社会society)と日本教(共同体community)の矛盾でもある。『日本教』とは、山本七平氏による造語で、小室直樹氏によって練磨(れんま)された学術用語 technical termテクニカル・タームである。

 キリスト教は、Godの激しい光は、我々には眩しすぎる。現代日本人は、このあまりに激しい光の中で、自分が混乱していることにも気づいていない。(続)

松村享拝

松村享 投稿日:2015/11/06 11:38

【1498】[1830]社会に壊された人々へ③

 松村享です。今日は2015/11/06です。

 アメリカの日本研究者たちは「共同体communityは、こんな進化をするのだ」と、その研究心をムラムラさせたのである。

 未知の進化が、極東にあった。日本の『共同体community』とは、キリスト教の概念たる『社会society』と、対極をなす進化のかたちである。

 日本人は、『共同体community』を発達させた民族である。空気を読みあう日本共同体の中で、もっとも強迫的な観念は、『恥』だという研究結果が、アメリカでなされた。

 「恥を知れ」と、日本人はよくいう。「恥ずべき行為だ」ともいう。もっとも、これらの言葉は、現代日本において、あまり力をふるわなくなっているようにも私は感じているが。共同体が希少種となった現代日本においては。

 「ヨーロッパ人の『罪』にたいして、日本人は『恥』が、その行動に決定的な影響を与えている」として著名な本がルース・ベネディクト(1887~1948)の『菊と刀』だ。日本国内でも、かなり有名な作品である。ただし、『菊と刀』は、ルース・ベネディクトが、一般用に書き改めた、いわば商業用の作品であり、国家戦略用のレポートとはいえない。

 『菊と刀』には、国家戦略版のレポートがあるのだ。それはナンバー25と付された報告書であり『Japanese Behavior Pattens』と名づけられたものである。『Japanese Behavior Pattens』は1997年になって、ようやく日本でも出版された。『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)である。

 『日本人の行動パターン』訳者の福田七子氏は、さらに貴重な翻訳を行っているので、そちらもあわせて紹介する。それはルース・ベネディクトに先立つ、イギリスの文化人類学者・ジェフリー・ゴーラー(1905~1985)の『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)である。

 こちらの日本における出版は、なんと2011年だ。つい最近である。21世紀に入って、やっとアメリカからのゴーサインの出た著書である。70年前には、日本人には知りようもなかった著書だ。

 ゴーラーの『日本人の性格構造とプロパガンダ』が重要なのは、『菊と刀』のベネディクトら日本対策班に多大な影響を与え、なおかつ『恥』こそ日本共同体の核であると、ベネディクトに先立って見抜いていた点である。『恥』は、日本共同体の中では、もはや強迫観念であるとゴーラーは指摘している。

 『恥』こそが、日本人の信じがたい行動の源なのだ。一流企業に就職できないから、と自殺するような現代日本人には、このことが実感としてわかるのではないか。

(引用はじめ)

『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)p45~p46

あざけりの不安や恥ずかしさのとてもいやな感情は、「恥ずかしい」と呼ばれている。
そしてこのあざけりに対する不安は、日本人のふるまいにおける主要な動機づけとなる。

社会学上、あざけりによって行動が規制されるという重要性は完全に確立されているが、
肉体的苦痛よりも恐ろしいものになるという心理的メカニズムは解明されていない。

(引用終わり)

 松村享です。

 上記の引用文には、動物を観察、分析している響きがある。文化人類学者として、素晴らしい文章だ。これがサイエンティストscientistの文章である。そして、動物としてあつかわれているのは日本人である。ここで「この野郎!」と、いきりたつべきではない。自分を動物と思えない、思いたくないところに人間の悲劇がある。自分に肩入れせず、動物だと思って対処していれば、うつ病にはならない。

 だから、日本人という動物の共同体には『恥』が巣くっていて、『恥』こそ共同体を育成する核なのだという事実が、ここに提示された。文化人類学やら心理学やら政治学やらを動員して、至った結論である。社会科学social scienceの成果として、「日本共同体の核は『恥』」だと決定した。

 我々は、カテゴリーに収められることを嫌がってはならない。「日本人をなめるな」と主張したところで、学問の裏打ちのない言説は、犬が吠えているのと変わらない。

 ゴーラーの言説の影響力は、はかりしれない。『日本人の性格構造とプロパガンダ』に書かれた分析と占領政策は、ほとんどそのまま戦後日本に適応されている。ゴーラーが『日本人の性格構造とプロパガンダ』を書いたのは、1941年から1942年にかけてである。終戦は3年も4年も後だ。私は、驚愕しながらこちらの著書を読んだのである。

 「天皇を愚弄すべきではない」、「代わりに軍人のリーダーたちを見下げ果てた愚か者としてあつかうことで、これら何人かのリーダーたちを儀式的に自殺させることも可能かもしれない」ーーなどなど、その後の日本がたどった歴史を、すでに、この著作は書き記している。「これは日本、勝てるわけがない」というのが、率直な私の感想だ。

 ゴーラーは『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)で、戦時中に敵国にむけるプロパガンダの目的を語っている。p69の説明によるとその目的は

①軍事的な混乱を生みだすこと
②軍のあいだで戦闘心を失わせ、市民のあいだで戦闘を支持する気持ちを少なくさせること
③国内的な分裂を起こすこと
④対戦国と軍事的に同盟関係にある国とのあいだに分裂を起こすこと
⑤戦勝後、大方の住民たちとの関係に従順さと協調性が得られること

である。

 私が注目するのは「③国内的な分裂を起こすこと」の分析だ。ここでゴーラーは、日本国内の不満分子として、世間から捨てられたエタ(穢多非人のエタだ)、リベラル知識人、小作農民、の3つをあげている。

 ゴーラーの視野にリベラル知識人が入っている。1945年の日本の敗北後、日本のリベラル知識人は、科学万能主義者のニューディーラーとともに、社会の前面に現れた。

 彼らは、自分たちの理想とする『社会society』をつくりたかった。日本的な古い共同体を憎むリベラル知識人たちは、新しい社会を夢見ていた。

 しかしそれは、大きくいえば「③国内的な分裂を起こすこと」でしかなかったのだ。理想を利用されたかたちだ。こうして見ると、理想的なリベラル知識人よりも、人間を動物として分析する文化人類学者の方が格が上であることがわかる。

 ハーバード・ノーマン(1909~1957)という人物がいる。彼は、戦後日本の統治に辣腕をふるった人物であり、科学万能主義者であるニューディーラーの教祖のような存在である。ノーマンは、マッカーサーの右腕だった。

 ノーマンは、日本で生まれた。長野の軽井沢が出生地である。なんで軽井沢かといえば、キリスト教圏のエリートたちの、日本における本拠地が、軽井沢のような避暑地だったからである。

 このことは、SNSI研究員・石井利明氏が、『【避暑地と権力者】日本の縮図、避暑地・軽井沢』(ウェブサイト『副島隆彦の学問道場・今日のぼやき会員ページ』)という論考で述べている。石井氏によれば、ニューディーラーであるノーマンの父親の名は、ダニエル・ノーマン、1898年、軽井沢にてユニオン・チャーチの布教を開始した。

 かなりイケイケの宣教師だったようである。いまもノーマン通りというのが、軽井沢にあるらしい。この宣教師のおぼっちゃまが、ニューディーラーの教祖・ハーバード・ノーマンである。
 
 『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』(片岡徹哉著 文藝春秋 1992年)p43~p44によると、ハーバード・ノーマンの理論は、ニューディーラーの戦後日本統治に、イデオロギー的正当性をあたえた。

 つまり、キリスト教圏に特有の、めくるめくような美しさを信者たちに与えた、ということだ。日本生まれのノーマンは、日本共産党・講座派の理論をもちいて戦後統治にあたったのだという。

 講座派の理論は、『二段階革命論』に集約される。つまり、日本における『社会societyの構築』は、二度の革命を経て達成される、という理論だ。フランス革命を二度に分けて実施する、ということである。片岡徹哉氏の説明を、そのまま引用しよう。

(引用はじめ)

『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』(片岡徹哉著 文藝春秋 1992年)

二段階革命というのは、最初にブルジョワ民主主義革命をやって、
その次に共産革命をやるということである。

ブルジョワ民主主義革命の典型はフランス革命である。
スターリンと講座派によると、日本の明治維新はフランス革命にまで到達しなかった。

本物のブルジョワ民主主義革命にならないで、多くの「封建的残滓」が残された。
天皇制と華族制度は、その残滓のさいたるものだという。

だから本当のブルジョワ民主主義革命を実行して、
この残滓を取り除いてから、
初めて日本は社会主義革命に進むことができるというのである。

ノーマンは、徹底的なブルジョワ民主主義革命、
つまり、フランス革命を売りにしていたので、ニューディーラーにうけたのである。

もっとはっきりいえば、
ルイ十四世(※引用者より。ここはルイ十六世のまちがい)のように
天皇をギロチンにかける政策に、学術的な理論体系を提供したから、うけたのである。

(引用終わり)

 松村享です。

 フランス革命の、日本における再現こそ、ノーマンを筆頭にしたニューディーラーの切なる願望だった。なににも代えがたい、美しい理想だったのだ。『自由・平等・友愛』のもとに、天皇をギロチンにかけたかったのである。

 だが結局、天皇がギロチンにかけられることはなかった。マッカーサーは、実行部隊たるニューディーラーよりは格上の、ルース・ベネディクトやジェフリー・ゴーラーの提案を受け入れた。

 理想に燃える人間は強い。実行部隊の行動力としては、これ以上ない情熱をニューディーラーはもっている。が、裏返していえば、すべてを瓦解させるイデオロギーの過激さをも、もちあわせているということだ。イデオロギーの過激さをここでは排し、冷徹な分析結果として、天皇の処刑は、執行されなかった。執行する必要がなかったからだ。

 戦後日本統治の目的は、「地域共同体を破壊すること」である。日本人の凶暴さは、地域共同体を破壊すれば封印できる、とジェフリー・ゴーラーとルース・ベネディクトが、喝破したのだ。

 だから、わざわざ天皇を殺して日本人の反感を買う必要はなかったのである。見事な統治だ。完璧な合理ratioである。『戦後日本はアメリカ社会科学の最高傑作』なのだ。(続)

松村享拝

守谷健二 投稿日:2015/11/04 13:46

【1497】[1829]天武天皇の正統性について

   天皇制のイデオローグとしての柿本人麿

   天皇、雷丘(いかづちのをか)に御遊(いでま)しし時、柿本朝臣人麿の作れる歌
 大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷の上に いほらせるかも〔235〕

 この歌は、『万葉集』第三巻の巻頭歌です。「大君は 神にしませば」の表現は、第三巻にして初めて登場します。人麿の作歌活動で年月が明らかにできるのは、持統三年(689)四月に亡くなった日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)、皇太子であった草壁皇子に捧げた挽歌から、文武四年(700)に亡くなった明日香皇女に捧げた挽歌までです。
 人麿は、七世紀の晩期に活躍した歌人です。七世紀後半の極東アジアは、大変動の時期でした。日本もその動乱に巻き込まれていました。倭王朝は、百済王朝を援け、新羅を討伐するため三万余の大軍を朝鮮半島に送りましたが、唐・新羅連合軍のために壊滅させられる大惨敗を喫したのです。このため倭王朝に対する国民の信頼は一挙に喪失し、国民の深い恨みと強い怒りだけが残ったのです。

 唐朝は、日本を代表するのは九州筑紫に都を置く倭王朝と見ていました。朝鮮半島に軍を送ったのは倭王朝です。七世紀の後半になっても、日本列島には統一王朝は成立していなかったのです。近畿大和王朝は、倭王朝より格下でした。

 倭王朝の朝鮮出兵の惨敗が、近畿大和王朝と倭王朝の立場を逆転させたのです。倭王朝は都の治安もままならず、大和王朝の援けを必要とするまで落ちぶれてしまった。

 人麿の最初の歌、第一巻「29」を見てみましょう。

    近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝臣人麿の作る歌
 
 玉襷(たまたすき) 畝火(うねび)の山の 樫原の 日知(ひじり)の御代ゆ(神武天皇の時から) 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを(天下をお治めになった) 天(そら)にみつ 大和を置きて あおによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の国の 楽波(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と云へども 春草の 繁く生ひたる 霞たち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも

 人麿は、日本には大和に都を置く、近畿大和王朝しか存在しなかった、との大和王朝唯一史観で歌を作っているのである。また現代日本史学の通説は、四世紀ごろには、大和王朝の日本列島統一は完了していただろう、という。

松村享 投稿日:2015/10/29 17:55

【1496】[1828]社会に壊された人々へ②

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/10/29です。前回、『社会society』は、日本人の体質にあっていない、という事を話しました。なぜ体質にあわないか。

 『社会society』とは、キリスト教そのものだからである。キリスト教が、戦後日本に本格的に輸入された。輸入をやり遂げたのは、ニューディーラーという、アメリカの思想集団だった。

 いくつかの資料を読みこんで私がわかったことは、アメリカの占領政策の目玉は、『日本土着の共同体を破壊すること』にあった。社会societyを信仰するニューディーラーは、この政策に、うってつけの思想集団である。

 『共同体community』と『社会society』は、ちがうのである。共同体(土着日本)を破壊して、社会(キリスト教)を移植する、これが、アメリカの占領政策である。共同体vs社会、という枠組みで考えていい。全体像が、はっきり見える。そして、日本の共同体は、破壊されたのである。

 日本土着の、壊された共同体とは、なんだったのか。それは、『なんとなく』にもとづく人間関係である。みなさんも、中学生の頃なんか、クラス内にやんわりとグループができていっただろう。それぞれ似た空気をもつ人間同士で、固まっていったはずだ。あれが、共同体communityの卵である。日本独特の『空気』の研究は、山本七平(1921~1991)が詳しい。

 空気を共有するのが、共同体である。空気の読みあいは、みなさんの地元の居酒屋でも、毎晩毎晩、くりひろげられている。こうやって発生した共同体が、もっと育っていって、生活を共有するようになれば、かつて日本で最大勢力を誇っていた、無数の共同体ができあがる。

 私が憶えているのは、高校の手づくりの体育祭の、あの異常な熱狂である。私は応援団をやっていた。応援団といっても、いわば乱舞の披露であり、4つに色分けされたチームで、乱舞の出来を競い合うのである。深夜まで学校に内緒で、みんなで乱舞の型を練習したりして、楽しかった。

 私たちの応援団は、優勝した。うずまく達成感の中で、泣いている女の子がいた。私も嬉しかった。そして、違和感があった。私の中の広大などこかが冷めていて、私の感覚のどこかで、熱狂空間が静まり返っていた。「この人たちは、なんで嬉しいのだろう」と、考える自分がいた。いま思えば、私は、あの熱狂空間の中に、日本共同体の持つ、強烈な異次元の信仰を見ていたのだ。

 「なんで嬉しいのだろう。」ーーこのことは、私の最大の疑問でもある。そして、この嬉しさ、この熱狂空間が、日本全土にいきわたったのが、太平洋戦争時だったのだろう。その熱狂と幸福の激しさを知らずして、私たちは戦争時を語れない。

 私は、いまでも、あの体育祭を思い返すとき、夢の中にいたのではないか、と思う。たしか三島由紀夫(1925~1970)が、『金閣寺』の中で、戦争時の夢のような感覚を描いていた。この『夢のような感覚』こそ、日本の共同体の本質なのだろう。

 そして、日本の地域に無数に広がる『共同体community』こそ、不可解かつ厄介(やっかい)な、日本的性質の根源だと、アメリカは見抜いたのだ。自分の命を犠牲にしてまでも、敵兵を殺そうとするのが日本兵である。特攻のことだ。

 日本人という種族を見て聞いてさわって、高度に抽象した結果、共同体こそが、日本人の意味不明な行動の根源だと、アメリカは見抜いたのだ。

 それで戦後、アメリカは、土着の日本共同体に代えて、『社会society』を導入した。社会と共同体は、ちがう。あまりに違う。真逆だ。日本人の体に、未知の血液が入りこんだ。

 日本人の体に入りこんだ『社会society』という思想は、サン・シモン(1760~1825)という、フランスの変わり者がつくった宗教の集大成なのだ。ひとことでいえば、カトリックのGodを近代化したものが、社会societyである。

 社会societyをつくりあげる土台は、お金である。お金、マネーmoney。マネーの語源は、記憶をつかさどる古代の女神・ムネモシュネだ。ムネモシュネは、9人の学芸女神・ミューズたちの母である。ミューズは、ミュージックの語源だ。

 それで、母であるムネモシュネのつかさどる『記憶』とは、予定調和pre established harmonyのことである。最初からそこにある、普遍の、美しい調和のことである。だから、予定調和=ムネモシュネ=マネーだ。

 マネーは、普遍の、美しい調和としての社会societyをつくりだす。私たちの目前に、いや私たちを大きく包みこんで、Godの世界が出現する。だからマネーこそ、キリスト教の真髄なのである。しかし、ここを掘り下げると、分量がとんでもなく膨大になるので、また別の機会にまとめよう。

 社会societyとは、近代の最大の信仰であり、キリスト教の進化体系なのだということを、ここでは明記しておく。引用文をひとつ、載せておこう。『社会society』の創始者・サン・シモンについての文章である。

(引用開始)

『サン-シモンの新世界 下』p442~p443 フランク・マニュエル著 森博訳 恒星社厚生閣 1975年

将来の産業的科学社会では、精神的なものと世俗的なものとのあいだの緊張はすべて排除されるであろう。ちょうど、キリスト教的心身対立論が新しい調和的人間像を生みだすべく運命づけられていたように。

有機的なものと批判的なものとの律動(リズム)は、全時代を通じて永遠に続くのであろうか。人間は無限の循環と危機とを通過しなければならないのであろうか。

サン-シモンの答えは、はっきりしていた。新しい有機的な産業的科学的体制が「最後の体制」だろう。その開幕とともに、循環は終わり、人間はこれまでに知られたようなものとしての歴史がもはや存在しなくなった黄金時代に入るであろう。

至福千年の王国に到達したので、そこには成長・成熟・衰退の新しい循環という意味でのさらなる発展はおよそありえないであろう。循環が螺旋状的に進みながらめざしてきた目標と目的とが、達成されたのだ。

サン-シモンが生きている時代の批判的過渡期は、最後の闘争期だった。黄金時代は、もはやいかなる生活循環ももたぬであろう。けだし、それは地上における真の天国だからである。

※中略

新しい綜合へのアピール、新時代の開幕へのアピールは、サン-シモンの晩年に有能な若者たちを魅了した彼の思想の中心的側面であった。これら若者たちはすべて、有機体のように全体が統合され調和のとれた文化を、当時の過渡期の終焉を、切望した。

彼らの知的欲求と情熱的欲求とを一挙に満たすことを約束した「批判の余地なき」イデオロギーに魅せられて、すぐれた一群の人々が、サン-シモンの死後にその教義のまわりに結集した。ペレール、ロドリーグ、ミシェル・シュヴァリエ、バザール、デシュタル、等々。

若きJ・S・ミルは、サン-シモン派のおしゃべりの多くに辟易させられたけれども、その彼でさえ、一八三〇年代初期には、この体系と軽い恋愛遊戯にふける以上のことをした。

身を守ってくれるような「有機的」なものの温かさへの激しい願望が、一八三〇年代および四〇年代の多くの芸術家や作家ー社会の動揺・不安・矛盾に対して大方の同時代人よりもずっと敏感だった人々ーにとって、この教義を魅惑的なものにさせた奥深い原因だった。

(引用終わり)

 松村享です。

 今回は乱暴にまとめておく。サン・シモンのつくった社会societyとは、生まれ変わったカトリシズムであり、もっとさかのぼれば、古代ギリシャのプラトニズムにまで行き着く、日本人にはまったく未体験の思想空間である。こんなものが、日本人の体にあうわけない。A型の体にB型の輸血が行われたのである。

 『社会society』とは、近代における最大の信仰なのだ。だから、現代日本の社会人は、自分が巨大な信仰の中の、敬虔なる信徒なのだということを知るべきだ。毎朝毎朝、決まった時間に出勤するあなたのその行為は、ローマ・カトリック教会にひざまづく中世西洋のカトリック信者と、なにも変わらないのである。現代日本人と中世西洋人は、まったく同型の精神構造をもつ。

 アメリカから日本に移植された精神構造、信仰である。そして、その信仰の中で、なんで、あなたがそんなに苦しいのかといえば、輸血されたその血が、生来(せいらい、生まれつき)の日本人の体質にあっていないからである。

 移植の前、日本には、『共同体community』への帰依があった。共同体の、夢の中のような感覚、震えるような熱狂があった。アメリカの日本対策班は、『社会society』とは対極の進化、ガラパゴスの極地を、日本という地に発見したのである。

 そして、ガラパゴス・日本は、完璧に分析された。日本対策班の文化人類学者、ルース・ベネディクト(1887~1948)と、ジェフリー・ゴーラー(1905~1985)、この二人が、ガラパゴス分析の最高知能だったのだ。(続)

松村享拝

守谷健二 投稿日:2015/10/27 13:37

【1495】[1827]天武天皇の正統性について

   柿本朝臣人麿の登場以前と以後

 柿本人麿は『万葉集』の持統天皇の時代(687~696)に忽然と登場する。彼の作風は、重厚、荘厳、沈痛などと評され、日本の詩人には稀な堂々たる構成を持ち、唯一の長歌の成功者である。人麿の本質は、長歌にこそあるのだが、平安時代以降、和歌といえば短歌を指すようになり、万葉の長歌は長い間顧みられることがなかった。現在でも長歌の研究は、旺盛な短歌の研究に比べ微々たるものである。

 人麿を歌聖と崇め、人麿終焉の地を求めることをライフワークした斎藤茂吉さえ人麿の長歌を読んでいない。明治期に、和歌の刷新を唱えた正岡子規にとっても和歌と云えば短歌の事であった。平安時代から、人麿は歌聖と崇められてきたが、鑑賞されてきたのは、短歌のみであったのだ。

 しかし、人麿の本領は長歌にこそある。人麿は長歌に神話、歴史を練り込めて歌い上げた日本で唯一の成功した叙事詩人である。人麿の歌は、最初の歌から完成された成熟した堂々たる大人の歌として登場する。彼は、早熟な天才肌の詩人ではない、言葉を選びに選び、鍛(きた)えに鍛える練達なタイプの詩人である。

 彼は、持統朝に登場するが、天武朝(672~686)に不在だったわけでない。天武朝は、修練の時であったと考えられる。天武朝の最大の喫緊の課題は、天武天皇の即位の正統性を創造することであった。真の主宰者であった高市皇子を中心に、天武朝を正統化するため、神話、歴史を試行錯誤を繰り返し練り上げ創り上げていたのだ。

 人麿が、持統朝に出発していることは、神話、歴史の構想の目途がその頃ようやく立った、と云うことであろう。

 人麿の登場で、それ以前と何が変わったか、それは「天皇が神に昇華した」ことである。天智天皇も天武天皇も、神として歌われていないのである。

   軽皇子(後の文武天皇)の安騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麿の作れる歌
 やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷くかす ***〔45〕

   天皇(天智)崩(かむあが)りましし時、婦人の作れる歌 
 うつせみし 神にたへねば 離(さか)りゐて 朝なげく君 放(はな)れゐて わが恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣(きぬ)ならば 脱ぐ時もなく わが恋ふる 君ぞ昨夜(きそのよ) 夢に見えつる〔150〕

   天皇(天武)崩(かむあが)りましし時、太后の作りませる御歌
 やすみしし わが大君の 夕されば 見し賜ふらし 明け来れば 問ひ賜ふらし 神岡の 山のもみちを ***〔159〕

 天皇、皇子に対する常套句「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと」は、柿本朝臣人麿の長歌に源を発する。