重たい掲示板
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Loginはこちら【1521】[1853]副島先生の大暴落予言的中!日経平均株価は「2014年10月17日の1万4529円」が次の目標となる!
前田和寿です。
副島先生の『再発する世界連鎖暴落』の予言が次々に現実世界で起きています。日経平均株価は1万5000円割れまで進みます。歯止めがきかなくなっている。
下記に87ページの先生の予言を再掲載しておきます。もう一度、みなさんも先生の本を読み直してください。
(転載貼り付け始め)
日本の株価も、P15のグラフのごとく、8月24日つけた1万7160円の瞬間安値(夜間取引)に再度、挑戦する1万7000円割れの暴落が強く予想される。1万6000円台が出現したら、次は1万5000円台の壁に向かう。それはP29のグラフにあるとおり、「2014年10月17日の1万4529円」が次の目標となる。
『再発する世界連鎖暴落』P87より引用
(転載貼り付け終わり)
前田和寿です。他の評論家たちも、年初の株価予想2万円台を翻して、副島先生に右へ倣(なら)えで1万5000円予想へ切り替えています。
みんなビクビクしていますね。
前田和寿
【1520】[1852]議員や役人は信じない
旧態依然として、国や行政は言ったことや行ったことには、一切責任を取ろうとしません。
今年、初めて書いた続編になりますが、去年の夏頃に川越年金事務所(自分の居住地域を管轄する)に行き遺族年半鉄続きに行き、消えた年金や情報漏えいの事実を言っただけで、だんまりで逃げるような態度しか取らなかったことが何よりの証明です。
銀行、郵便局も長年の預金客に対する態度かと激怒し抗議しても責任を取る態度は全くなし。
接客業務であれば、こんな店は潰れて当然。
まさに国が保護しているからという親方日の丸。
さすがに看板が○○店とか○○ショップはお客さんを大切にしないと死活問題という危機感が出でいます。
相続を地元司法書士さんに代行報酬を支払い無事に終了。
でも、不動産登記簿は誰もが閲覧できるので、相続したことがわかるため、税理士事務所や不動産会社からの手紙が来ても一切無視。
無知な人は欲わ欠いて説明を聞くだけならと思い、そのうち詐欺にあうのがおち。
相続税はかからなくても、確定申告時期でもわざわざ真面目に申告しようものなら、正直者が馬鹿を見るので、今回は住民税対策のために医療控除の申告しかしてません。
まともに国や行政を信じない以上、払いたくない代わりに自分の身は自分で守るのが正解でしょう。
【1519】[1851]世界の金融、経済の動きに大きな変化が見られる。流れは急激に変わった。
副島隆彦です。 世界の金融、経済の状況が、1月15日をもって、大きく変動したようだ。 この トレンドの大きな変貌をいち早く知って、みなさん、自分の財産を守る、態勢に入って下さい。
(転載貼り付け始め)
****編集長へ
2016年1月17日
副島隆彦から
急激に事態が変わりました。年初の 1月6、7日から 株式の暴落開始を受けて、少しは持ち直すように見えましたが、12日(戻し)、13日(下げ)、14(700円暴落)、15日(90円安) を受けて、安倍政権は急激に、体調を崩して、どうやら5月には安倍退陣 の 話が急に出ています。
NYダウは、1月15日(金)は、16,000ドルを割って、15,988 ドル で引けました。 日経平均も、17200円ぐらいの引け、ですが15日に、17,000円を割って、16000円台が出現しました。 私が、祥伝社本『再発する 世界連鎖暴落』(昨年の11月初め刊)で 書いて説明した、「 日経平均17000円の攻防戦が続く」の通りとなりました。 私の本の予言(予言)から2か月が経(た)って。そのとおりになりました。
これで「7月の衆参の同時選挙で、安倍の長期政権化 」 という 夢みたいな馬鹿話 は、もう消えたでしょう。
私は、ロシアの冬将軍のさなかに、モスクワ略奪から敗走するナポレオン軍を追撃した、ロシアの民族の英雄、百姓兵士から出世した クトゥーゾフ 将軍 の ような気になって来ました。 大作映画「戦争と平和」の中でも、タイガの森の中から、じっと敗走するナポレオン軍を見つめているクトゥーゾフ軍の姿が描かれていました。
あるいは、1953年に、スターリンの死の3月5日 のあと、7月27日に、NKDV(エヌ・カー・デー・ヴェー 、ソビエト国家保安省本部)に、モスクワ郊外の2個戦車師団を引き連れて、ジェーコフ元帥が、突入して長官のベリヤ を逮捕、拘束、した(このあと、べリアは裁判に掛けられ処刑)歴史事件のことを思い出します。そして、そのあと9月12日に、フルシチョフが第一書記になった。
あの感じが、日本にも出現しつつある、と 判断します。
いくら、安倍晋三が、日本国内の政治家たちで自分への反対派や、メディアへの恫喝、圧殺を加えても、 GPIF(年金運用資金)を株に突っ込んで、、国民の年金に手を掛けて博奕で摺(す)ってしまって、損失の残高が、30兆円とかが出ている、と それで安倍政権が平穏では済まない。
今、閣僚たちは、雁首(がんくび)をそろえて、安倍晋三以下陰鬱(いんうち)な感じで頭がおかしくなっているのではないか。国民の年金資金を、30兆円も吹き飛ばして、それでタダで済むとは私は思わない。
その一部はアメリカに貢いで、ゴールドマンサックスの社員たちがアメリカ株に突っ込んだ資金だ。
今、安倍政権の内部 は、急激に相当に深刻な破局の局面に来ている。
だから、「7月に向けて、日本株は23000円にまで上がる」(1月5日の財界人がそろっての賀詞=がし=交歓会で)のシナリオは吹き飛んだ、と 考えるべきでしょう。
私、副島隆彦は、「 連鎖暴落は副島隆彦のブランドである」を旗印に、ここで反撃、反攻に出ます。 そうしないと私の名折れだ。 私の言論を信頼して、投げ銭(一冊ずつ買ってくれること)をしてきた人たちへの失望 となる。
私は、自分が年末に遭った大きな苦境に耐えて、 耐えて耐え抜いて、地獄から這い上がる気持ちで、苦悩から歓喜へ(「第九」 ヴァーグナーのバイロイト祝祭劇場でも、1872年のオープニングで これを演奏している。全ドイツの音楽家たちの一斉の無料奉仕で ) の気分です。
朗報の第一報は、昨夜の よしなお君からの、以下の宋文州(そうぶんしゅう。この人は、中国安全部のスパイだろう)のツウイッターでした。 そうしたら、さっさと 日刊ゲンダイが1月15日付で、「(GPIFの) 損失額は21兆円に倍増」 の 記事が出ていました。あー、あー、あー です。
彼ら国家犯罪者どもの、国民裏切者どもの大失策、アメリカへの資金貢ぎ係
たちの 地獄の断末魔が、始まりました。
なあに、30兆円ぐらいは、また、マーケットを操作して(いいように、制度改変して。法律も変えて)取り戻してみせるさ、 と、大きいことを言える人がいたら、言ってください。 ばくち打ちは、そういう試練に耐えるのだ、と言えるものならいってごらんなさい。
中国から始まった 世界的な株崩れ であろうとも、「そんなものは、自分たちのサイエンス(近代学問)の予想の範囲に入ってなかった」、「想定外の事態だ」 と、アメリカのFRBイエレンたちも考えているようだ。だが、そんなことは、言い訳(弁解、エクスキューズ excuse )にはならない。
アメリカは、このあとも無理やりでも、金利上げ を続けて「景気は回復しつつある。雇用統計は、大きく改善。デフレからインフレ基調になりつつある」と大嘘(おおうそ)を付き続けるだろう。が、本当はもう対策は立たない。
アメリカがドルによる世界一極支配を続けよう、として 世界中の資金をアメリカに吸い上げよう、とすればするだけ、その打撃がアメリカ自身にも跳ね返る。 資金を奪い取られた、インドや、ブラジルなどの新興国の 一方的な衰退だけでは済まない。世界大不況の元凶である ヨーロッパと アメリカの先進国がいくら居直っても、世界経済のこれからの変調は、避けられない。
「 世界中の投資家が、リスク資産である株式から、安全資産である国債に
資金を移動させている」だとか、「だから、国債の価格(=利回り)が、日本国債の利回り(イールド)が 年率0.2%と、ゼロ金利になっている」と、新聞は書く。 が、次は、その国債(ナショナル・ボンド)が、危なくなりつつある。
安全資産である、とさんざん喧伝(けんでん)された先進国の国債自身の暴落が近づいている。
リーマン。ショック(2008年9月15日)のあとの、QE(キュー・イー、 金融緩和マネー)のザブザブの、国債の大発行( アメリカだけで4兆ドル。480兆円)で、この国債に毒が回っていて、国債自身がリスク資産となっている。先進国の国債に逃げ込めば、資金は安全だ、ということはなくなりつつある。国債の暴落が近づいている。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
From: 喜直
Sent: Saturday, January 16, 2016 7:43 PM
To: 副島隆彦
Subject: GPIFとビル・ゲイツの記事
副島先生
よしなおから
記事数本を送信します。
宋 文洲@sohbunshu
ダウ、また暴落。週明け以降の日経平均は大変。
国民年金GPIFの損失は天文数字になる。株価が一番高い昨年に株に年金を投げた安倍政権。30兆円の損失を返さないまま逃げるだろう。
2016/01/16 9:22
https://twitter.com/sohbunshu/status/688154380630011911
・ニューズサイト「カレイドスコープ」
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4046.html
「現時点で、判明しているだけでも、11兆円近くの損失が出ている。いずれ隠し通せなくなって暴露されるだろうが、実際の損失額は30兆円以上にも及ぶ、という見立ても出ている」
・日刊ゲンダイ「損失額は21兆円に倍増…年金資産の運用見直しは大失敗 」2015年1月15日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/156399
〇 「 損失額は21兆円に倍増…年金資産の運用見直しは大失敗 」
2015年1月15日 日刊ゲンダイ
年明けから低迷しっ放しの東京株式市場。巷に流れる「株価2万円台回復」どころか、14日の日経平均株価は前日比291安の1万6795円と、1万7000円を割り込んだ。こうなると、不安になるのが、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が運用比率の見直しを決めた年金資産だ。
約130兆円の年金資産を運用するGPIFは昨年10月、「国内株式」の投資比率を12%から25%に引き上げることを決めた。そこで民主党の長妻昭(ながつまあきら)衆院議員が、運用見直しで想定される今後の損失額を質問主意書で問いただし、9日付で政府答弁書が閣議決定した。
のだが、その中身にビックリ仰天だ。経済「中位」のケースで、「確率95%で予想される最大損失額」は約21・5兆円となり、見直し前の損失額(約10・4兆円)と比べて2倍に膨らんだからだ。
答弁書によると、仮に「リーマン・ショック」が起きた2008年度に当てはめた場合、損失(想定)額は約26・2兆円で、当時の損失額(約9・3兆円)の3倍近くになる。
今の国内相場は日銀が上場投資信託(ETF)を通じて株式を買い支えている「官製相場」だ。日銀が金融緩和策のブレーキを少しでも踏めば、あっと言う間に下落する。原油安や米国、欧州景気の先行き懸念など海外の不安材料もワンサカだから、リーマン・ショック以上の衝撃が市場を襲っても不思議じゃない。
株式評論家の杉村富生(すぎうらとみお)氏がこう言う。
「今の市場の大きな懸念材料は2つです。1つはギリシャのユーロ離脱。仮に離脱となれば、IMF(国際通貨基金)やEUなどの財政支援は打ち切られ、ギリシャは約40兆円の借金を抱えてデフォルト(債務不履行)になる。リーマン・ショックどころの騒ぎじゃ済みません。2つ目のリスクはロシアです。
今の状況は、79年に旧ソ連がアフガニスタンに侵攻し、その後、原油安で旧ソ連が崩壊した当時の状況と似ています。つまり、昨年のクリミア侵攻が引き金となり、原油安が起きている。仮にプーチン政権が崩壊となれば、世界経済に与える影響は計り知れないでしょう」
リーマン・ショックでもみられたが、日本市場は「海外発ショック」に脆弱だ。失う年金資産は20兆円や30兆円じゃ済まないだろう。年金資産の“ギャンブル運用”はホント、やめてほしい。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1518】[1850]私の「 信長・爆殺、家康・すり替わり」本への感想文 と 追加の真実。
副島隆彦です。 私が書いて、年末に出しました、『 信長(のぶなが)はイエズズ会に爆殺(ばくさつ)され、家康(いえやす)は摩(す)り替えられた』
(PHP 刊) への 書評文を いただいておりました。書いてくださったのは、私の本を何冊も作って下さった、定年退職した 名うての編集者です。
そのあとに、この本を出した後に、私が知った、この本の 第11章、12章の「 洋式大砲 (カノン砲)が勝負を決めた関ヶ原(西暦1600年)の戦い 」への 新事実の指摘のご教示のメールです。
歴史もの の 本を読むことに興味がある人は、どうぞ私の「信長、家康の 本当の 歴史の真実」本を読んでください。 きっと、私の主著である『属国・日本論』の 続編になるようなすごい内容だと、分かって下さるでしょう。
(転載貼り付け始め)
****さまへ
2016年1月15日
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
**さんが、こうして私の本を丁寧に読んでくださって、毎回、感想文を書いてくださることに、本当に感謝申し上げます。 (略)
**さんが、書評文で、拙本をこのように褒めてくださって 大変、うれしく思います。 私のこの「信長、家康の 真実」本は、私なりに苦労して時間をかけて書き上げた本です。 (略)
丁寧な 拙本への読後感想を本当にありがとうございます。
副島隆彦拝
From: ****
Sent: Monday, January 11, 2016 6:03 PM
To: 副島 隆彦様
Subject: 最新刊の読後感をお送りいたします。
副島 隆彦 様
新春を迎え、なにかとお忙しくお過ごしのことと存じます。
旧臘には『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』という
意欲作をお送りいただきありがとうございました。
この御作を思った以上に読むのに手間取り、感想をお送りするのが遅くなり、申し訳ない。
この本は、内容が込み入っており、どの説もがスリリングなものばかりですので、理解するのに苦慮いたしました。
本書に展開された戦国史の三大謎(なぞ)の真相を知り、私はただただ衝撃を受けています。「家康の願人坊主(がんじんぼうず)説」だけは、かつて宇野正美(うのまさみ)氏の講演会で聴いたことがあり、今度の先生の著書でいっそう理解を深めました。
しかし、さらに大胆な説である「信長はイエズス会に爆殺された」は副島先生以外では想像もつかない歴史の真実の暴きだと思いました。
私も、ザビエルの来朝(1549年)以来の、イエズス会の日本侵略の軌跡には、興味を持っていました。しかし、本能寺の変で彼らイエズス会宣教師が
これほど深く、信長暗殺にかかわっていたとは想像もつきませんでした。
本書の25ページにある、イエズス会の本拠となる南蛮寺が、本能寺から
これほど直近に建てられていたとは、脅威でした。このことは八切止夫(やぎりとめお)氏が、初めてつきとめたことなのでしょうか。
イエズス会の宣教師たちや密偵が、本能寺にあらかじめ強力な火薬を仕掛けておき、爆殺する手口はいかにもありうることです。まさに「9・11事件」を彷彿させます。
信長にオルガンティーノという会士が、地球儀を贈ったことが、バテレンの日本征服計画の最大の失敗だったという説はおおいに説得力がありました。
私は1994年に、『 ユダヤの日本侵略450年の秘密 』(太田龍 著)という本を、日本文芸社から刊行させていただきました。テーマはザビエルの日本来朝以来の「イエズス会による日本征服計画」を 暴露したものです。しかし、太田さんでもさすがに、本能寺の信長殺しが彼らの仕業だったとまでは見抜けませんでした。なお、太田さんも八切止夫を高く評価していました。
(副島隆彦注記。イエズス会の創立者たちは、イグナチオ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルほか、スペインの北部のバスク地方の者たちが多い。バスク人は、独特の血筋を持つ人々であり、今も多くの謎に包まれています。副島隆彦注記終わり)
もう一つ、圧倒的に凄まじい真実は、ウイリアム・アダムズ(のちの三浦按針)が乗っていた、オランダ東インド会社のリーフデ号が、1600年の3月に、今の大分の豊後(ぶんご)水道に漂着し、そのとき船に積まれていた大砲・弾薬を、大阪城でアダムズらに謁見した、家康が手に入れ、その半年後に、関ヶ原の合戦に、実際に使用したという副島先生の説です。
これでようやく関ヶ原の合戦の全体の謎が解けました。これまで、すべての学者や作家がわからず逃げてきた真実の暴きに、副島先生御一人が近づけたのではないでしょうか。
しかも、関ヶ原一帯を隈なく歩かれ、取材されたあげくの成果だと思います。
私も今まで、松尾山(まつおやま)に布陣した小早川秀秋(こばやかわひであき)が、なぜ、家康軍の鉄砲の恫喝だけで、裏切りを覚悟したのか、ピンときませんでした。
今度、その理由が、舶来製の最新大砲を使用したことで、小早川秀秋の軍が大音声と洋式大砲の威力に驚き、西軍を裏切り、松尾山を駆け下り、麓(ふもと)の大谷吉継(おおたによしつぐ)の隊に雪崩れ込んだ。その光景がまざまざと見えるように理解できました。
それと、本書に実にわかりやすく描かれた布陣図により、実際の東西勢力の動きが手に取るようにわかりました(ただし、宇喜多秀家(うきたひでいえ) 軍の名前が地図から落ちているのが残念です)。 関ヶ原の合戦とは東西の勢力が、最後までどちらに味方するか、ぎりぎりまでわからずに行なわれた戦(いくさ)だということがよくわかりました。
”家康四天王”のひとりの本田忠勝(ほんだただかつ)の軍の中にこの洋式大砲が、密かに隠してあった。 ウイリアム・アダムズのリーフデ号に積んであった 最新式の大砲を現地まで運んで、用いた攻撃で、関ヶ原の勝敗の 決め手となったことが、この図でよーくわかりました。
わずか、これだけのページ数で、関ヶ原の合戦の各隊の動きが細大漏らさずに
理解できたのは さすがです。 いままで読んだ「関ヶ原合戦」のどの書よりも傑出していました。
司馬遼太郎の『関ヶ原』などは、ただ長いだけで、歴史の真相にまったく触れていませんでした。おそらく、今回の先生の説が正解ではないかと、改めて賛同いたします。
今回の優れた著作を拝読し、かつて私が編集長を務めていました「歴史Eye」という月刊誌がまだ存続していたら、真っ先に「本能寺・信長殺しの真相」という特集を組み、巻頭に副島先生の「信長はイエズス会に爆殺された」 という説を掲載したかったと、残念に思いました。
長くなりましたが、取り急ぎ、感想に変えさせていただきます。
本書が話題になることを、心から祈念いたします。 ****
気鋭の物理学者の
下條竜夫 (げじょうたつお)くんへ
2016年1月13日
副島隆彦から
早速の返事メールをありがとうございます。
この22日に、皆で、 君の新刊本「物理学者が解き明かす重大事件の真相」(ビジネス社刊、この9日に発売) の出版のお祝いを・・・・(略)
以下の ジャイルズ・ミルトン著 「さむらいウイリアム(・アダムズ)」 本の 指摘をどうもありがとう。 私は、この本のことをつい数日前に知って、以下のように、アマゾンの書評を 自分用に貼り 付け保存していました。
この中のひとりの書評子(しょひょうし)の文に、次のようにあって、 これぞまさしく理科系の緻密な頭をした人たち自身が、その後の実験で、自分たちが驚くことに似た実験結果が出て、「あとで、心底びっくりし合う」という世界なのでしょう。
そのアマゾンの書評子は、次のように書いています。
「・・・・・ただし、著者がイギリス人作家ということもあり、細部を見れば日本の歴史認識に対する誤謬も見受けられる (関ヶ原の戦いの雌雄(しゆう)を決したのはリーフデ号の大砲だった、など) だが、大局的に見れば本書の価値をさほど損ねるものではあるまいと思われる 」
です、と。日本で一番頭のいい読書人たちでも、この程度の理解力でずっと、日本史をやってきています。 だから、君だって、その優れた理科系の物理学者の頭脳で、歴史の本まも、これからどんどん書けますよ。
『さむらいウイリアム(・アダムズ)』(日本語訳 2005年刊 ) の p116 の ご指摘をどうもありがとう。この本の次の増刷のときに、空白ページのどこかに、「 その後、私は、以下の事実を知った」として、書き加えようと思います。
他の優れた読書人が、もうひとり、この事実を指摘してくれるのは、いつのことだろうか、と 待とうと思います。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
From: “下條竜夫”
Sent: Wednesday, January 13, 2016 2:45 PM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: Re: 熱海に行ってきました
副島先生
CC:SNSIメーリングリスト
下條です。昨日おそく帰ってきました。
先週は熱海でお世話になり、どうもありがとうございました。
先生につくっていただいた、餃子と焼き豚、それとミカンジュース
はみな本当においしかったです。
訪問のおりに出た情報ですが、まず映画監督のスタンリー・キューブリックの告白については、ここにでています。
「月面着陸は捏造、私が撮影した」スタンリー・キューブリック
死後15年目の告白動画が話題! やはりNASAは月の秘密を隠している!?
http://tocana.jp/2015/12/post_8421_entry_4.html
ちょっと見ましたが、本人かどうかはっきりとはわかりません。
それから、リーフデ号の大砲については、ジャイルズ・ミルトン著『さむらいウイリアムズ』のP116にでています。 1600年の関ヶ原の戦いの箇所です。
<引用開始>
リーフデ号の大砲が敵にどれだけの損害を与えたのか不明だが、
あるスペイン人の報告から、大砲はひっきりなしに敵の戦列にうち
こまれたことがわかる。
それが事実であれば、砲弾は、刀を振り回している大勢の歩兵の
あいだに落ちて、多数の死傷者が出たことだろう。
<引用終了>
この本の記述から 関ヶ原の戦いについてのスペイン人の報告書
が有ることがわかります。
下條竜夫拝
Sent: Tuesday, January 12, 2016 8:15 AM
SoejimaTakahiko(副島隆彦)
Subject: さむらいウイリアム
「 さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代 」
単行本 - 2005/10 原書房
ジャイルズ ミルトン (著), Giles Milton (原著),
24 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
歴史的事実の再認識
投稿者 junfan gung-fu 投稿日 2005/11/4
主としてヨーロッパの今に遺る広範な資料を典拠に、客観的な叙述を貫いた労作である。タイトルからして、多分に小説的ドラマ性に寄り掛かった内容かと思ったがそうではない。万里の波濤を乗り越え、勇躍、海外に飛び出して行った歴史的事実としての『冒険商人』らの姿がここには活写されている。
事実というからには、むろんきれいな姿ばかりではない。彼ら商人であり船乗りらは概して金に汚く、飲んだくれで好色、何かにつけ暴力的である。イギリス人同士の仕事をめぐる嫉妬と憎悪、あるいは貿易上のライバル、オランダとの事実上の血で血を洗う抗争など、日本を舞台にしたこれらのエピソードには、少なくとも教科書や映画では知り得なかった驚きを読者は感じることだろう。漂着というかたちであったにせよ。
巨利を目論み、やって来たイギリス東インド会社の面々に先んじて日本で住み暮していた主人公ウィリアム・アダムズ(三浦按針)は、これら荒くれ者の目には、見なれぬ衣装を身にまとい、腰に大小を差すひとりの厳粛なる「さむらい」として、カルチャー・ショックの権化として立ち現れる。
すでに10年以上日本で過ごし、日本人というより特権的武士階級としてのマナーを会得し、日本語も理解でき、家康、秀忠という二代にわたる時の最高権力者の信任も篤いその存在は、その後の平戸(ひらど)におけるイギリス人社会では波紋を漂わせつつも通商上、なくてはならぬ存在となる。
国家体制そのものがますます閉鎖的になっていくこの国にあって、いつしかイギリスはオランダとの貿易競争に破れ、日本をあとにする。時おかず、その後、アダムズも55年の波瀾にとんだ生涯の幕引きを迎える。
二度とイギリスの地を踏むことのなかったアダムズのこのあたりの経緯については、いささか唐突の感は否めぬが、本書の性格上、記録のあるなしに必然的に関わっているのだろう。その埋め草のつもりか、近世における欧州の東アジア貿易の実相についての記述はかなり充実しており、この点興味のない人は退屈するかも知れない。
「鎖国」という言葉が頻用(ひんよう)されるのは、意外にも19世紀に入ってからだが、なるほど「国を鎖す」とは言え、オランダとの通交はあり、それ以前にもアダムズの故国イギリス、他とも経済的利益の共有は厳然としてあったわけである。
「極東の島国」という表現は自己を卑下したわが国民独特の言い回しだが、そんなちっぽけな国が大航海時代の余波を歴然と受け、当時のヨーロッパ人に命を賭けてでもこの目で日本と日本人を見てみたい、と思わせしめていたという「歴史的事実」を知るだけでも、本書の意義は大きいといわざるを得ない。
ただし、著者がイギリス人作家ということもあり、細部を見れば日本の歴史認識に対する誤謬も見受けられる(関ヶ原の戦いの雌雄を決したのはリーフデ号の大砲だった、など)だが、大局的に見れば本書の価値をさほど損ねるものではあるまいと思われる。
三浦按人とイギリス商館
投稿者 アマゾン次郎 投稿日 2009/11/3
形式: 単行本
非常に興味深い作品である。
ウイリアム・アダムスという名の英国の傑出した航海者の伝記である。彼は数奇な運命を経て徳川家旗本三浦按人となるのであるが、彼から見た徳川政権の黎明期における日本を見る、というのが読者の興味の焦点となろう。
作品の半分は、平戸に設けられた英国商館のコックスとその周辺の人々、彼らは素朴、怠惰、貪婪な、どこにでもいそうな凡庸な人々であった、の数奇な人生、その大半は目まぐるしくも惨憺たる不幸に終わるのであるが、その著述に割かれている。
これはこれで興味深いのであるが、西欧的実業的知識人であると共に、日本人以上に生真面目に生き、家康側近の旗本として甚だ濃密な人生を送ったアダムスの方が、日本人にとってはずっと魅力的である。その辺を知りたい読者は白石一郎氏の「航海者」の方がより詳細で面白いだろう。
英国商館とオランダの当初の蜜月とそれに続く激しい抗争、それに巻き込まれる平戸の大名松浦法院(まつらほういん)、隆信(たかのぶ)親子の、はた迷惑な様子、更には英国、スペインの使者に、堂々たる日本の「王」として応対する徳川家康、秀忠、その周囲の諸侯の立ち居振る舞いなど、生き生きと記述され実に興味深い。
アダムス死後、彼の遺言書、及びささやかな遺産が、英国に残された貧しい夫人に渡される経緯、それは強欲な東インド会社の尻を引っ叩かねば、危うく着服されかねなかったのではある。アダムスの細やかな心配りなど、時代を超えた人間的悲しみを今日に伝えるものである。
戦国ものの歴史小説が好きな方へ
投稿者 あじあちっく 投稿日 2008/11/12
形式: 単行本
江戸時代初頭に日本にやってきたウィリアム・アダムス(三浦按針)を始めとする、イギリスの冒険商人(ぼうけんしょうにん)の数奇な人生や、彼らと日本人との交流の様子を、彼らが残した日記、手紙、また当時公刊されたヨーロッパ人の日本見聞録を基に描き出した歴史読み物。
なんと数行に1回は史料から括弧書きの引用を挿入して、史実に忠実であろうと勉めている。それでありながら、なおかつイギリス人らしいユーモアやウィットを随所に散りばめて、とても読みやすく楽しい物語に仕上がっている。
本書には、大航海時代の苦難に満ちた外洋航海の具体的情況や、荒くれ者が多かったヨーロッパの船乗りや冒険商人の気風、それに加えて日本の支配者たちが、自分の一存で領民を即時処刑することや、その遺体をばらばらになるまで試し切りする武士など、戦国時代の気風が色濃く残る当時の日本の世相が、1600年のアダムスの日本漂着から、1623年のイギリス東インド会社の日本撤退までの期間を中心に生き生きとした文章で描かれていて、歴史小説好きの読者にはたまらない一冊です。
ウイリアム・アダムスの生きた時代背景を活写!
投稿者 katarin VINE メンバー 投稿日 2013/11/25
形式: 単行本 Amazonで購入
私は、だいぶ前に白石一郎著「航海者」を読んでウイリアム・アダムスを知った歴史の門外漢です。 三浦按針の名前は、一般的な知識としては知っていましたが、どこのどんな人かも知りませんでした。
読後、私が行ったアメリカの観光地で、居合わせた人に「按針さんを知っていますか?」と聞かれました。その人はイギリス人の観光客だったのでしょう。 こんなところで、アダムスのことを訪ねられるとは思ってもいなかったので、かの国では有名なのでしょうか?
この著作は、内外の膨大な資料を基に、アダムスを中心に当時の欧州の力関係、カソリックとプロテスタントとのすさまじい確執などの狭間で翻弄される、冒険者たちの物語といってもよいでしょう。
2年に及ぶ航海の様子は、「航海者」の迫力に及ぶべくもありませんが、イギリス東インド会社の描写をはじめ、イギリス商館とオランダ商館の幕府への仲介や新教と旧教のつばぜり合いなすど、アダムスと彼の生きた時代を生き生きと描いており、大変に読み応えがあります。
アダムスの最期の描写は、涙を誘います。はるかイギリスから日本にたどり着き、功成り名を遂げたイギリス人の万感の思いがうかがい知れ、涙を誘います。
当時の日本の残忍な処刑の描写が頻出しますが、外国でも斬首や絞首刑、火あぶりなど公開処刑が一般的でだった時代もあったはず。それは中世までだったのでしょうか? 当時の東洋貿易に関する情報に富んだ興味深い著作です。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1517】[1849]一柳洋会員の地元での果敢な活動を顕彰する
2015年12月5日、「横須賀市軍港政治史研究会」笠原氏の講演会を聞いて思う事
今年は、横須賀を軍港にするために江戸幕府が鍬入れをしてから150年になる節目の年です。そして横須賀軍港の建設から3年後、薩長等によるクーデターで幕府は瓦解しましたが、その裏にはアヘン戦争で得た教訓から自らが闘うのではなく現地人の間の内紛を拡大して内乱を起こさせ、自分のために利用しようと考えた英国がいたのです。英国の武器商人は幕府と薩長に武器を売り込み、武力討幕を実行させます。公武合体派の坂本龍馬は初期にこそ利用されていたものの、最終的には英国策の邪魔者として排除されました。
薩摩の五代友厚ら英国留学組や伊藤博文らの長州ファイブが英国の掌中で動いていた事は間違いのない所でしょう。五代や伊藤博文や井上馨らは実に英国に育てられた人物で、西郷隆盛は井上馨を(英国と繫がる)三井(財閥)の番頭さんと呼んだ程です。元幕臣の渋沢栄一も銀行制度について英国から学んでいます。また元幕府陸軍騎兵頭で井上馨の子分・三井物産初代社長の益田孝らの抜擢も忘れてはなりません。単純な薩長史観は間違っています。つまり英国と深く関わった幕臣は、明治維新後もしっかりと活躍している事は見落とすべきではないでしょう。勝海舟も忘れてはならない、その内の一人です。
当時の日本は、現在の日米同盟のように日英同盟の国、つまりは英国の属国でした。そして日露戦争とは英国の後ろ盾を得た上での対露代理戦争だったのです。その証拠として日本艦隊の旗艦・三笠やその他の主力艦は全て英国製であり、かつ優遇措置された上で日本に引き渡されたものでありました。そして遠距離航行のバルチック艦隊は、行く先々で石炭等の補給妨害にあい、又情報提供など数々の英国の日本支援工作がなされていた事は今では知られています。そして三笠の艦上にもアルゼンチンの観戦武官もいたのです。
この日本海軍が大正・昭和と経る事で、いかにして日英同盟を破棄し英国と距離を置きつつ米戦争に踏み切る事になったのか。この点の子細な解明が今に生きる私たちが今認識すべき大きな教訓であり、大切にしなければならない問題意識ではないでしょうか。
しかしこのような日本史的にも大事な歴史的な年であるにもかかわらず、現地・横須賀市にある数多の郷土史研究団体は、そのほとんどが歴史的な祝賀ムード一本槍で、こういった問題意識からこの問題に迫った研究発表や講演を行っているグループは、残念な事にほとんどありません。
その唯一の例外が、今ここに紹介する「横須賀市軍港政治史研究会」の講演会です。代表者は、一柳洋氏で横須賀市浦郷生まれ、環境問題などで全市型選挙を展開した市民派として、昨年まで6期市議会議員を務めていました(2期目途中まで社会党)。横須賀市議会は、場所柄か社民党や共産党の議員は勿論の事、市民派議員はたいへん少ないです。
ところでこの問題意識は、副島隆彦氏の歴史観とかなり共通するものがあります。それもその筈で、主催者の一柳洋氏は今年の6月に「軍港開設150年記念 副島隆彦さん講演会 横須賀軍港開設と敗戦までの裏面史」を実施しました。つまり彼は副島氏と連絡を取り合う「副島隆彦の『学問道場』」の会員なのです。現在、この講演会の要旨は会員ページにて全三回分の第一回目が公開中です。この文章もこれに刺激されたものです。
当日の講演会は50人に欠ける人数でしたが、「帝国海軍の真実 中国とアメリカ相手に何をしたか 横須賀は何を担ったか」という演題で行われました。講演者は『南京事件論争史』の著者である都留文科大学教授の笠原十九司氏です。講演中の発言の中で、教授は今迄は学生からよく「先生は政治的に偏向している」と指摘されていましたが、9月の安保法制の可決後は学生もそういう事を言わなくなったと学生ながらに現在の政治状況を把握しているのでは、との感想が明らかにされました。
この講演の内容は、今巷間よく聞く所の海軍善玉論とは米内光政や野村吉三郎たちが天皇制と海軍を残すため、陸軍に全ての戦争責任を押しつけ、天皇と海軍の免責を画策した事だとし、また海軍が犯した事が言い逃れできず否定できない事件については全て現地の指揮官がやった事だとし、米内や野村らの海軍エリートに傷が付かないように策動した事を暴露したものでした。また貴重で興味深い横須賀航空隊の映像も紹介されました。
この講演の内容その物は、今年の6月に平凡社から刊行された同氏の『海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』の簡単な要約でした。私も出版されていた事は全く知らなかったので、会場にて直ちに購入いたしました。この本は、笠原氏も講演中に発言したように海軍の戦争責任を明らかにした、今の所唯一ともいってよい本です。
この本の帯には、「日中戦争を対米英戦の実践演習ととらえ、南進と大規模な空爆を決行、さらなる泥沼化を進めたのは海軍だった。国の命運より組織的利益を優先させ、ついにはアジア太平洋戦争へ。東京裁判でつくり上げられた『海軍免責論』『海軍神話』に真っ向から挑む力作」とあります。実際に約480頁の大著です。
確かに当時昭和天皇も支持していた日本政府の日中戦争不拡大方針を反故にして戦争が拡大していったのは、1937年に起こった大山事件によるものですが、この事件自体が上海特別陸戦隊第一中隊長で26歳独身の大山勇夫中尉を「国のために死んでくれ。家族の面倒は見るから」と説得した上で鉄砲玉に使った海軍の一大謀略事件でした。この事実の暴露は、本書の白眉であるに間違いありません。その裏には米内光政がいたのですが、公演後にこの著作を読んでみると笠原氏はその謀略の経緯については詳細に書いているものの、米内の果たした役割については記述がないのがたいへん残念な事でした。
笠原氏の講演は全体的には良いものでしたが、この講演前に既に私は船井幸雄氏と副島隆彦氏の対話本『昭和史からの警告 戦争への道を阻め』(ビジネス社2006年刊行)を読んでいまして、特に第3章「日米開戦を仕組んだのは米内光政だ」の中の小見出し「○内側から鍵を開ける者たちは常にいる○断罪されるべき人物こそ生き残る」の約40頁に注目しており、目を開かれた印象を抱いていました。そのため、私には笠原氏が日本を戦争に引き入れた米内光政の実像を捉え切れていない、と思えて仕方がありませんでした。
8月15日早朝、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹し、同席した副官の介錯を拒んで絶命した阿南陸軍大臣は、その時、副官に「米内を斬れ」と叫んだ事の真の意味を教授は知らないのか、と私は問いかけたいと思いました。日本の対米宣戦布告を攻撃1時間後にアメリカに手渡した醜態を演じた野村吉三郎元海軍大将は、戦後も何のお咎めもなくノウノウと生き延び、その後もアメリカ海軍のための二軍として位置づく海上自衛隊健軍の父とさえ呼ばれています。護衛艦とはまさに実態ぴったりの名です。
戦前の日本海軍のロンドン海軍軍縮会議を巡る内部抗争を徹底的に解明する事こそ、日本が戦争に突入した秘密を解くものだ、と私は確信しています。
この正月、これら2冊の本を精読して、更にこの問題を考え続けていきます。
【1516】[1848]民間は融通がきく
有事のゴールドという言葉が自分の頭に焼き付いています。
しかし、マイナンバーになり、馴染みの取引店でも嫌いな国家権力には逆らえないようです。
今現在、弟と二人暮らしで、両親からは兄弟仲良くを実行しています。
買える範囲で買い増ししても、実の血を分けた兄弟でも生前贈与は1キログラムを半分ずつ分けても課税はされます。
一次売却し買い戻す形で、弟本人の自筆の委任状と本人確認のために健康保険証(運転免許がないので)を持参し店側はOKでかつ非課税とのこと。
計算書は500グラム2本でも、それぞれ名義は私本人と弟本人の所有権立証のため、計算書はそれぞれ1枚ずつ発行。
市役所から去年10月頃に簡易書留で送付されてきた、マイナンバー書類は紛失防止と個人情報漏えい保護のために、後日、店側から送付されてきた郵送書類にコピーした物を添付すればいいとのこと。
写真入りのICチップ入りのカードについては、国はいいことしか言わないので、私も弟もわざわざ作らず放っておくにしています。
融通のきかない役所が大嫌いでけんかしたので、自分の身は自分で守るかわりに
国や行政の干渉は受けたくありません。
【1515】[1847]北朝鮮の核実験 で 「(戦争の)軸足 pivot を アジアに移す」 の ヒラリーの勝利が決まった。
副島隆彦です。今日は、2016年1月7日です。
北朝鮮が、昨日の午前10時に水爆(ハイドロジェン・ボム)実験を行ったようだ。
北朝鮮による水爆実験を報じるCNNの画面
水素爆弾の実験というには規模はかなり小さいようだ。これに伴う人工地震の震度は、マグニチュード4.9と小さい。
今朝(5時)のロシアRTV(エル・ティー・ヴィー)の放送では、「 わずか6キロトンの破壊力だ。広島の原爆の2分の一だ。ロシアの水爆実験は400キロトンだった」と 報道していた。 それでも、水爆一歩手前の、小型の核兵器の製造になる。 これを弾頭(ウォーヘッド)に積んだ中距離ミサイルが出来ると、おそらく 素朴な広島、長崎型の50倍ぐらいの破壊力を持つだろう。
この北朝鮮の核実験が、これからの世界にどのような影響をもたらすかを、私は考える。
それは、これで 悪女(ワルおんな)のヒラリーが次のアメリカ大統領になることが、決まった、ということだ。
6日の朝、オバマ大統領が、「銃規制の強化」を求めて、ホワイトハウスから演説した。横には顰め面(しかめっつら)のバイデン副大統領が立っていた。そのときオバマは、演説の途中で急に泣き出した。 これは、銃社会の、銃の乱射事件の頻発で苦しむアメリカに対してオバマが警告を発し、「もっと厳しい銃規制(ガン・コトロール)を米議会は法律を通すべきだ」という内容だった。しかし、このオバマの涙は、銃規制問題だけのものではない。
会見を行うバラク・オバマ大統領とジョー・バイデン副大統領(右)
オバマは、北朝鮮の核実験を事前に報告を受けて知っていた。これで、オバマにとっては、大嫌いな、ヒラリー戦略の「軸足をアジアへ」(ピボット・トゥー・エイシア)が起きるから、そうしたら世界は、中東・ヨーロッパに継ぐ、戦争状態に突入する、と分かった。そうなると、オバマのこれまでの世界平和を続ける、という努力が壊される。
これで、世界はいよいよ 大きな戦争(ラージ・ウォー large war ) に向かう。私たちが生きている東アジアにもついに戦争の脅威が迫ってきた。
私は、年末に、アメリカの言論雑誌に、いつくも カリカチュア(風刺漫画)が、載っていて、それは、中東の過激派 IS(アイ・エス)と 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)が手を結んで、つながっている漫画だった。 どうやら、この凶暴なふたつの勢力をつなげて、世界を動乱状態に持ち込もうとする動きがある。12月5日に、キムジョンウンは、今度の核実験のゴーサインを出していたようだ。
私、副島隆彦が、親しいアメリカのコンサーヴァティブ・アイソレーショニスト(保守で、国内問題優先主義)の中年男性たち(リバータリアン的である)は、「ヒラリーたちが、次の新しい戦争を始める準備に入った」と感じている。
ヒラリー・クリントン
北朝鮮の指導部の中に、アメリカのネオコン派や反共(はんきょう)主義米軍人たちの強い影響下にある勢力が形成されていて、彼らが、第三次世界戦争を起こすことを画策している。 この勢力がヒラリーを押し立てて、次の世界に動乱を持ち込むつもりだ。
今年一年(2016年)中は、まだオバマ政権である。だからオバマは、絶対に世界が戦争状態に入ることを阻止し続ける。オバマは、軍の最高司令官として、大規模な米軍の作戦の開始に絶対に署名しない。しかし、来年(2016年2月)からは、もうそうはならない。ヒラリーは、それをやるだろう。
それは、北朝鮮の核兵器 開発施設への、先制攻撃(クリエンプティブ・アタック)での爆撃という選択肢(オプション)を含む。そのときは、バンカーバスターという、地中奥深く100メートル以上掘られた施設にまで届いて、そこで破裂するミサイルだ。それは、戦術核(せんじゅつかく)兵器(タクティカル・ニュークレア・ウエポン)も含まれる。
ということは2017年からの凶悪なヒラリー政権で、東アジアでも戦争の脅威が、私たち日本国民の毎日の生活に脅威と恐怖感を与えるだろう。日本の安倍政権の長期化の兆(きざ)しは、それに対する十分に計算されつくした動きだ。
日本の安倍政権というのは、アメリカのネオコン勢力が作った、まじめな日本国民の意思を無視した、アメリカのいいように動かせる政権だ。安倍晋三のおじいさんの岸信介(きししんすけ)がアメリカのCIA(中央情報局)の意思に忠実に動くように作られた政権であることの 継続版 だ。日本国民の 真の独立への真剣な願いは、いつも、いつも壊されてきた。
安倍晋三
安倍晋三たちの 精神と思考の中心にあるものは、何なのだろうか、と私、副島隆彦はずっと考えてきた。そして分かったことは、彼らの信念に中心にあるのは、反共産(はんきょうさん)主義というものだ。そして、この反共という思想は、それ自体が、共産主義の否定、撲滅、破壊を求める、という アンチテーゼ( 命題への反措定)ということであって、自分たち自身のそれ以上の信念や思想はない。 私は、この問題を、今、真剣に考えて本を書いている。
ということは、同じく、安倍晋三たちに反対する、日本のリベラル派や左翼勢力の 恥部(ちぶ)である、
「共産主義とは何か。それに対して、自分は、どういう態度を取るのか、への 発言を避けること」に、私、副島隆彦は正面から、逃げないで答えなければいけない、ということだ。
去年の世界の動乱の中心だった 中東(ミドル・イースト) から、私たちが住む東アジア(極東、ファーイースト)に、軸足(じくあし、ピボット、pivot)が急速に移されたようだ。ここで、私たちが鋭く思い出すべきは、ヒラリー・クリントンが、2011年11月に、発表した、「軸足をアジアへ」 “Pivot t o A s i a ”(ピボット・トゥー・エイシア)論文である。
(「ピボット・トゥー・エイジア」論文の画面)
後(うしろ)の方に全文を載せる、古村治彦君が翻訳した、 2011年11月号の米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」誌の ヒラリー 論文を、皆、丁寧に読んでください。ここにヒラリーは、はっきりと書いている。
(転載貼り付け始め)
・・・・アメリカの未来がアジア・太平洋地域の未来と密接にリンクしていることを実感した。アジア・太平洋地域へ軸足を移すというアメリカの戦略的大転換(strategic turn to the region)は、アメリカの世界的なリーダーシップをこれからも維持していく点からも論理的に正しいことである。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このように、2011年11月に、オバマ一期目での国務長官の辞任の決意を固めたヒラリーが、オバマへの最後通牒のような威嚇力をもって、捨て台詞のように、「4年後を見ていなさい」という感じで、この論文を書いたことが、2016年の今となって、よく分かる。
オバマ政権に対して、これからの1年間に、強い圧力がかかる。
アメリカは、金融・経済 での世界指導力が大きく落ちている。金融・経済の迫り来る大きな崩壊の危機を、アメリカはどうやって乗り切るか。それは、最後に残されたアメリカの力(ちから)の誇示である、大きな軍事力の行使である。 もう アメリカには、軍事力しか、大きな力は残されていない。ヒラリーたちは、この残された持てる力(ちから)を使うだろう。
迫り来る世界恐慌を、アメリカの軍事力で吹き飛ばして、世界中を統制(コントロール)下に置いて、アメリカの世界覇権(ワールド・ヘジェモニー)の継続を、再度、画策する。
ところが、アメリカの軍人たちは、もう、外国での戦争をすることに尻込みしている。米軍の地上部隊は、もう外国に出てゆきたくない。それではそうするか。やはり、民間軍事会社 と 職を求める失業者たちからなる傭兵部隊(マーシナリー)に頼るだろう。それでも、十分に世界中を動乱状態にすることは出来る。
私たち日本人は、いよいよ この「ショック・ドクトリン」 shock doctrine (国民、民衆に不意のショックを与え、恐怖心を抱かせるて冷静な判断力を奪う)の政策の実行に対して、十分に警戒と注意をするべきだ。私、副島隆彦は、これからも、「次は、こうなる。その次はこうなる。そして、彼ら世界権力者、支配者たちは、このような手口で攻めてくる」と冷静に近未来(きんみらい)の予測、予言を行ってゆく。
副島隆彦拝
(以下は、資料として載せます。転載貼り付け始め)
副島隆彦の論文教室
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun208.html
「199」 翻訳 ヒラリー・クリントン米国務長官による重要な政策論文である「アメリカの太平洋の世紀(America’s Pacific Century)」を皆様にご紹介します(1) 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2012年10月12日
ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は、ちょうど1年前に米外交専門誌に発表された論文を皆様にご紹介したいと思います。
1年前の論文ということで、そんなものをどうして今頃紹介するのかと思われる方もいらっしゃると思います。しかし、この論文はアメリカの世界戦略の転換を示すものであり、1年経った今でもその重要性は変わりません。
この、「アメリカの太平洋の世紀」というタイトルをつけられた論文は、アメリカが、「アジアへ回帰する」と宣言したもので、この戦略的転換は、欧米のマスコミでは、pivot to Asiaと呼ばれています。pivot(ピボット)と言えば、バスケットボールで使われるプレーが思い浮かびます。
ピボットとは、ドリブルができないとき、どちらかの足を軸にして回転するというものです。pivot to Asiaのピボットは、「軸足を定める」「転回する」という意味で使われています。
私は、アメリカのpivot to Asiaが、中国への関与を深めることを目的にしているのか、それとも中国を封じ込めることを目的にしているのか、今でも判断しかねていたのが正直なところです。
クリントン政権時代には、コンゲージメント(封じ込めを意味するcontainmentと関与を意味するengagementの合成造語)政策が採られましたが、これに近いものなのと思います。しかし、最近のヒラリー・クリントン国務長官の動きを見ていると、対立confrontation政策なのではないかと思うようになりました。
読者の皆様の判断材料として、今回から3回に分けて、重要論文をご紹介いたします。
※アメリカのアジアへの大転換の関する記事は、ブログ「古村治彦の酔生夢死日記」(こちらからどうぞ) でもご紹介しております。お読みいただければ幸いです。ブログの左にカテゴリーで「pivot to Asia」としてまとめてあります。
=====
「 アメリカの太平洋の世紀(America’s Pacific Century)
政治の将来が決まる場所は、アフガニスタンでもイラクでもない。
アジアである。 そして、アメリカは、政治の将来を決める動きの
中心となる 」
ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)筆
フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌 2011年11月号
http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/10/11/americas_pacific_century
ヒラリー・クリントン
イラクでの戦争が終わりに近づき、アメリカはアフガニスタンから米軍を撤退させ始めている。今まさにアメリカは大変重要な転換点(pivot point)を迎えている。この10年余りの間、アメリカはイラクとアフガニスタンという2つの戦地に莫大な資源を投入してきた。
これからの10年、私たちは、限られた時間とエネルギーを、賢く、体系的に使う必要がある。これからの10年、私たちアメリカは、指導的地位を確保、維持し、国益を確保し、私たちの持つ価値観を世界に拡散するために最も有利なポジションを取らねばならない。より具体的に言うと、次の10年のアメリカの国政にとって最も重要な目標の一つは、アジア・太平洋地域に対して、外交、経済、戦略などの面で投資を確実に増やす、ということになる。
アジア・太平洋地域
アジア・太平洋地域は、これまで、国際政治を動かす主要な地域だった。この地域は、インド亜大陸から南北アメリカ大陸の西海岸にまで広がっている。この地域は2つの大洋である、太平洋とインド洋があり、これらは海運と戦略でその結びつきが強まっている。この地域には、世界の総人口のほぼ半分が居住している。
また、世界経済のエンジンとなるいくつかの国も存在する。更には、温室効果ガスの排出国トップ10のうちのいくつかも存在する。アメリカにとっての重要な同盟諸国もあり、また中国、インド、インドネシアのような新興大国も存在する。
アジア・太平洋地域では、現在、安定と繁栄を促進するために、より成熟した安全保障と経済の枠組みを構築しつつある。まさにこの時期、アメリカのアジア・太平洋地域に対しての関与は必要不可欠なものだ。アメリカは枠組みの構築を支援することができる。そうすることで、この21世紀も続くアメリカの指導力を確保するという利益を得ることもできる。
アメリカは第二次世界大戦後、様々な機関や関係性を網羅した包括的で、永続的な環大西洋ネットワーク(transatlantic network)を構築した。このアメリカの関与は、その時の投資の何倍もの利益を現在に至るまでもたらし続けている。今、アメリカは、第二次世界大戦後にやったことを今度はアジア・太平洋地域でやっているのである。
アメリカは太平洋地域の大国として、第二次世界大戦後に大西洋地域(ヨーロッパ)に対して行ったような投資をアジア・太平洋地域に対しても行うべき時が来たのだ。これはバラク・オバマ大統領が政権発足当初から進めてきた戦略であり、すでに成果を上げている。
バラク・オバマ大統領
イラクとアフガニスタンについては移行期にあり、アメリカ国内の経済状況は厳しい状況が続いている。こうした状況下で、アメリカ軍の再配置でなく、本国への撤退を求める人たちがアメリカの政界の中にいる。彼らは、国内の諸問題解決を優先するために、アメリカの海外への関与のレベルを引き下げることを求めている。
そうした動きやその裏にある衝動は理解できる。しかし、彼らの主張は、的外れである。アメリカにはもはや世界に関与する余裕はないと言う人たちがいる。こういう人たちは時代に逆行した主張をしているのだ。
アメリカは海外への関与を何としても続けていかねばならないのだ(We cannot afford not to.)。アメリカの企業のために新しい市場の開放から、核拡散の抑制、通商と船舶の安全な航行のためのシーレーンの確保まで、アメリカの海外での活動はアメリカ国内の繁栄と安全保障のために必要不可欠なものなのである。
60年以上の間、アメリカは、「本国への帰還」論争が醸し出す魅力と、その中にあるゼロサム的な論理に抵抗してきた。私たちは、これまでと同じように、こうした誘惑に抵抗し、打ち勝たねばならない。
国外では、多くの人々がアメリカの意図について疑念を持っている。アメリカはこれからも世界に関与し、リードしていくつもりがあるのかと疑っている。アジア諸国の人々は、私たちアメリカに対し、アジアに留まってくれるのか、世界各国で様々な事件や出来事が起きるたびにそちらにかかりきりになるのか、経済的、戦略的関与をこれからも続けてくれるのか、必要なときにはきちんと行動してくれるのかといった疑問をぶつけてくる。私たちはいつも、「私たちは関与し続ける。その意思は変わらない」と答えている。
アジアの経済成長と活力を利用することは、アメリカの経済的、戦略的利益にとって重要であり、オバマ大統領の掲げる最優先事項の一つである。アジアの開かれた市場は、アメリカ企業にとって投資、貿易、最新技術の獲得といった点でこれまでにないほど大きなチャンスを提供してくれる。
アメリカ国内の景気回復は、輸出の拡大とアメリカ企業がアジアの成長する消費者層をつかめるかどうかにかかっている。戦略的な観点から言えば、アジア・太平洋地域の平和と安全を維持することは、世界の発展にとって重要だ。アジア・太平洋地域の平和と安全を守るには、南シナ海の船舶航行の自由を守り、北朝鮮の核開発に毅然とした態度で対峙し、地域の大国の軍事行動の透明性を確保することが重要だ。
東アジアサミットの様子
アメリカの未来にとってアジアが必要不可欠であるように、アジアの未来にとってアメリカの関与は必要不可欠である。アジア・太平洋地域は、私たちアメリカのリーダーシップとアメリカ企業の進出を熱望している。彼らの熱望ぶりは、この時期、これまでにないほど高まっている。アメリカは、アジア・太平洋地域において、強力な同盟諸国とのネットワークを構築している唯一の大国である。また、領土的野心を持っていない。
更には、これまで長い間、世界の公益に貢献してきた歴史がある。私たちは、地域の同盟諸国と共に、地域の安全を守ってきた。アジアのシーレーンをパトロールし、安定を維持してきた。こうしたことが経済成長のための基盤づくりにも役立った。アメリカは、経済的な生産性の向上の促進、国家ではなく、市民団体など社会全体の強化、人々の繋がりの拡大を通じて、地域に住む数十億の人々が世界経済に参加することを手助けしてきた。
アメリカは、アジア・太平洋諸国にとって主要な通商、投資のパートナーである。また、アメリカは、太平洋両岸の国々の労働者や企業に利益をもたらす技術革新の中心地である。更には、毎年35万人のアジアからの留学生を受け入れている。アメリカは、開かれた市場と、世界共通の価値観である人権を擁護する。
アメリカは太平洋において他国が果たせない役割を果たすため、オバマ大統領はアメリカ政府全体で多面的な、そして継続的な努力を続けるよう、先頭に立って導いてきた。こうした努力はこれまで表に出ることはあまりなかった。私たちの達成してきた成果がマスコミで大々的に報道されることもなかった。
それは、長期にわたる投資は、目の前にある危機よりも人々を興奮させるような性質のものではないからだ。また、世界中で様々な事件や出来事が起きており、マスコミの目はどうしてもそっちに向かってしまう。
中国を訪問するクリントン国務長官
アメリカの国務長官として、私は、これまでの長い慣習を破り、私の最初の外遊の目的地にアジアを選んだ。それ以降、私はアジアを7回訪問してきた。私はアジアを訪問するたびに、急速な変化が起きていることを直接目にする機会に恵まれた。そして、アメリカの未来がアジア・太平洋地域の未来と密接にリンクしていることを実感した。
アジア・太平洋地域へ軸足を移すというアメリカの戦略的大転換(strategic turn to the region)は、アメリカの世界的なリーダーシップをこれからも維持していく点からも論理的に正しいことである。この戦略的大転換を成功させるには、アジア・太平洋地域はアメリカの国益にとって重要なのだという、党派を超えた(bipartisan)コンセンサスを形成し、維持することが必要だ。
アメリカの歴代大統領と国務長官は、所属政党に関係なく、世界に関与してきた。私たちはこの力強い伝統をこれからも追求していく。また、戦略的大転換には、アメリカの選択が世界に与える影響を考慮に入れた一貫性のある地域戦略を堅実に実行する必要がある。
アメリカのアジア・太平洋地域に対する戦略とはどのようなものか?この戦略には、私が「前方展開(forward-deployed)」外交と呼ぶ継続的なアメリカの関与がまず必要となる。前方展開外交とは、私たちが持つ外交上の全ての手段や資源を投入し続けるということだ。
この中には、政府高官、開発についての専門知識を持つ人々、省庁を超えて編成されるチーム、アメリカが持つ様々な資源や資産を、アジア各国や各地域に送り込み続けるということも含まれる。アメリカの戦略は、アジア全域で起きている急速で、劇的な変化を考慮し、対応するものでなければならない。
このことを踏まえて、私たちは6つの方針に沿って行動することになる。その6つの方針とは以下のとおりである。①二国間の安全保障同盟の強化、②中国などの新興大国との関係の深化、③地域的な多国間機関への関与、④貿易と投資の拡大、⑤アメリカ軍のプレゼンスの拡大、⑥民主政治体制と人権の拡散。
アメリカは地理的に特殊な場所に位置している。アメリカは大西洋と太平洋の両方に接している大国である。アメリカはヨーロッパ諸国のパートナーであることに誇りを持っている。また、彼らに様々な利益を提供してきたことも私たちの誇りだ。
私たちがこれから取り組むのは、大西洋の場合と同様に、アメリカの国益と価値観に一致した、太平洋全域を網羅するパートナーシップと様々な機関のネットワークを構築することである。太平洋でのネットワーク試みは、その他の全ての地域における試金石となる。
私たちアメリカは日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイと条約に基づいた同盟関係を結んでいる。これらの国々との同盟関係は、アメリカのアジア・太平洋地域に対しての戦略的大転換の支点となる。これらの国々との同盟関係は、半世紀以上にわたり、地域の平和と安全保障を実現してきた。
また、地域の著しい経済発展を促進する環境を作り上げてきた。同盟諸国は、アメリカのアジアにおけるプレゼンスを利用してきた。一方で、アメリカは。同盟を通じて、安全保障環境が複雑化していく状況下で、アジアにおけるリーダーシップを強化してきた。
アジア諸国との同盟関係は成功を収めている。しかし、私たちはそれらをこれからも維持するだけではいけない。私たちは変化する世界に対応するために、同盟関係を進化させねばならない。そのために、オバマ政権は3つの原則に沿って行動している。一つ目は、アメリカの同盟諸国が持っている重要な目標について政治的な合理を形成し、維持することである。
二つ目は、私たちの同盟関係が状況に素早く対応できるようにすることだ。それによって、私たちは、変化を把握し、新しいチャンスを捉えることができる。三つ目は、アメリカの同盟諸国の防衛能力と通信インフラが、国家や非国家アクターたちによる挑発を実践的に、また物量的に抑止できるだけのものとなることを、アメリカが保証することである。
アジア地域の平和と安定の要石(cornerstone)となるのは、日本との同盟関係である。アメリカと日本との同盟関係を見れば、オバマ政権が上に挙げた3つの原則をいかに守っているかは明らかだ。日米両国は、明確なルールに基づいた安定した地域内秩序、という価値観を共有している。その中には、船舶航行の自由や開かれた市場、公正な競争が含まれる。日米両国は、新たな取り組みを始めることにも合意している。
その中には、日本が50億ドル(約4000億円)以上の資金を新たに提供するということも含まれる。また、日米は、日本国内に引き続き米軍を駐留させることでも合意に達している。更には、地域の安全保障を脅かす脅威を抑止し、迅速に対応できるようにするために、情報交換、監視、偵察活動を合同して行うことや、サイバー攻撃に関しての情報共有を進めることも決定している。日米両国はオープンスカイ協定(航空協定)を締結した。
これにより、ビジネスへのアクセスや人と人とのつながりを増進されることになる。また、日米両国は、アジア・太平洋地域に関する戦略対話を開始した。更に、日米両国は、アフガニスタンに対する二大援助国として協力して行動している。
日本と同様、韓国との同盟もより強化され、作戦面での日韓の協力・統合も進んでいる。米韓両国は、北朝鮮からの挑発を抑止し、対応するための米韓共同での作戦遂行能力を、継続的に発展させている。米韓両国は、戦時作戦統制権(operational control during wartime)の円滑な移行を確実に進めるための計画の実行に関し合意に達している。
また、韓米自由貿易協定(Korea-U.S. Free Trade Agreement)の成立も間近に控えている。米韓同盟は活動の幅を世界規模にまで拡大している。G20、核安全保障サミット、ハイチやアフガニスタンでの協力といった幅広い活動に米韓両国で参加している。
アメリカとオーストラリアとの同盟関係も太平洋を対象とするパートナーシップという形から、インド洋と太平洋とを網羅する規模に拡大している。米豪同盟もまた世界規模にまで活動の範囲を拡大させることになる。サイバースペース上での安全保障、アフガニスタン問題、アラブの目覚め(アラブの春)、アジア・太平洋地域の枠組みの強化といった点で、オーストラリアの助言と関与は、何事にも代えがたいものであった。東南アジアにおいては、フィリピン、タイとの同盟関係を刷新し、強化している。
アメリカは、フィリピンに寄港する船の数を増やしたり、ミンダナオ島での共同作戦を通じてフィリピンの対テロ部隊のトレーニングを行ったりしている。タイは、私たちアメリカと、アジア地域において、最初に条約を締結し同盟関係を持った国である。米タイ両国は、協力して、アジア地域における人道支援や災害救助の拠点をタイ国内に構築しているところである。
私たちは、新しい事態に対応して、既存の同盟関係を刷新している。また、アメリカとアジア諸国が共に抱えている問題の解決の手助けとなる、新たなパートナーシップの構築も進めている。中国、インド、インドネシア、シンガポール、ニュージーランド、マレーシア、モンゴル、ベトナム、ブルネイ、太平洋の島嶼諸国に対して、アメリカはパートナーシップの構築を進めている。
この取り組みは、アジア・太平洋地域におけるアメリカの戦略と関与に関して、より包括的なアプローチをトルコができるようにするために行われている。これは、アジア・太平洋地域におけるアメリカの幅広い取り組みの一部である。アメリカは、新たなパートナー諸国に対し、ルールに基づいた地域秩序と世界秩序を構築すること、そして参加することを求めている。 (つづく)
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2013年12月06日
pivot(軸足移動)とrebalance(再配分)。 米国の対アジア政策、防空識別圏 きっかけに中国封じ込めに本腰。 米国のジョー・バイデン副大統領が今月2日から1週間かけて日中韓3国を訪問中だ。あらためてpivot(ピボット)とrebalance(リバランス)に注目が集まっている。
●「 北朝鮮「水爆実験」米国 政策見直し急務 」
毎日新聞 2016年 1月6日(水) 21時31分配信
米国の核専門家は、北朝鮮が4度目の核実験を実施したことで「米日韓の安全保障上の脅威が増す」と警戒しており、今回の実験を受け、オバマ政権が北朝鮮政策の見直しを迫られるのは必至だ。
北朝鮮が6日、「水爆実験」に初成功したと発表したことに関し、米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は声明で事実関係の確認は避けつつ「いかなる国連安保理決議違反も非難する」と述べ、北朝鮮に対して非核化などの「国際的義務」を果たすよう改めて求めた。また、北朝鮮を核兵器保有国としては認めないとの立場を示しつつ、今後については「全ての挑発に適切に対応する」と述べるにとどめた。
しかし、米国の核不拡散専門家からは「従来の政策の繰り返しでは北朝鮮の脅威に対処できない」(キンボール米軍備管理協会事務局長)との批判が出ている。
オバマ政権は、「非核化に向けた具体的行動がない」(米政府高官)として、北朝鮮との直接交渉を避けてきた。しかし、北朝鮮が成功させたと主張する核実験はオバマ政権下で今回で3回目だ。実験を繰り返すことで核兵器の設計精度は上がり、弾道ミサイルに搭載できる小型核の取得にも道が開ける。北朝鮮は弾道ミサイルについても、射程の長距離化や、隠密性の高い移動型や潜水艦発射型の開発を進めるなど、事実上の野放し状態にあった。
北朝鮮の動向を注視しているジョンズ・ホプキンズ大学院のジョエル・ウィット上級研究員らの研究チームは「北朝鮮は2020年までに米国本土に到達するミサイルを開発する」と分析している。そうなれば、米国民自身も脅威にさらされることになる。小型核技術の向上につながる実験は、米国にとって「局面が変わる」時期が近づいたことを意味する。
また、米国の「核の傘」に守られている日本や韓国で、北朝鮮の脅威に対応できないという不信感が高まる恐れがある。それを防ぐため、米国は老朽化した核戦力の近代化などの手当てが必要となり、オバマ大統領が目指す「核なき世界」の実現はさらに遠のくことになる。
北朝鮮政策の見直しが急務となる一方で、これまで実施された制裁や交渉も、北朝鮮による核・ミサイル開発の抑え込みに成功しておらず、効果的選択肢に乏しいのも現状だ。【会川晴之、ワシントン和田浩明】
●「 北朝鮮「水爆実験」 中国、強い不満…事前に通告受けず 」
毎日新聞 2016年 1月6日(水) 21時25分配信
記者会見する中国外務省の華春瑩副報道局長=北京で2016年1月6日、AP
【北京・井出晋平】中国外務省の華春瑩副報道局長は6日の記者会見で「情勢を悪化させるいかなる行動も停止するよう求める」と北朝鮮に自制を求めた。また、在北京の北朝鮮大使を呼んで抗議する方針も明らかにし、強い不満を示した。だが、踏み込んだ制裁措置については明言せず、「(朝鮮半島の安定は)6カ国協議が唯一実現可能で有効な道筋だ」と従来の方針を繰り返した。
中朝関係は北朝鮮の3回目の核実験(2013年2月)で急速に悪化したものの、昨年10月の朝鮮労働党創建70周年には中国共産党の劉雲山政治局常務委員(序列5位)が訪朝。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の初訪中に向けた調整が水面下で進むなど、関係改善の兆しが見えていた。習近平指導部は、弱まっていた北朝鮮への影響力を取り戻す思惑があったとみられるが、今回の核実験も中国側は事前に知らされておらず、メンツをつぶされた形だ。
中国は朝鮮半島の非核化に向けて、北朝鮮に6カ国協議への復帰を繰り返し呼びかけてきた。しかし、核実験と長距離弾道ミサイル発射を受けた13年の国連安保理の制裁強化決議に賛成するなど、核問題で米国とも連携する形で圧力を強めたことが北朝鮮の不信感を招いた。北朝鮮は次第に中国の呼びかけにも応じなくなっていた。
北京大学国際関係学院の牛軍教授は「核実験は、朝鮮半島非核化の努力に対する挑戦だ。最終的に中国も北朝鮮を抑えられなくなる」と指摘する。しかし、中国に北朝鮮を抑える有効な対策がないのも現実だ。
( 参考資料として )
●「 米国のアジア回帰は本当に続くのか 」
岡崎 久彦 2012.12.05 2012年11月24日 記 産経新聞社
日本にとって最大の関心事はオバマ政権のピボット政策、すなわちアジアへの軸足移動政策が続けられるかである。それについて私はまだ100%の自信を持っていない。
ご都合主義だった対中政策
ピボット政策は、ひとえにヒラリー・クリントン国務長官の努力のたまものと言って良い。
オバマ政権の初年、2009年の最初の10カ月は対中傾斜一辺倒と言って過言でなかった。オバマ就任後の初訪中は同年11月に予定され、その成功に障害となるような事案は全て先送りとなり、中国の気に入らないことは一切避けるのが方針だった。
台湾への武器供与はその年の夏には可能となっていたが、実施を見送った。また、ダライ・ラマは秋にワシントンに滞在したが、オバマは会おうとしなかった。ワシントンにまで赴いたダライ・ラマに米大統領が会わなかったのは初めてである。中国の人権問題に対する批判も一切差し控えた。
だが台湾向け武器供与もダライ・ラマとの面会もいつまでも引き延ばせる性質のものではなく、11月の訪中が終わると次々と実施された。
中国はこれに予想以上に激しく反発し、米中の軍事交流は停止され、米中関係は一挙に冷え込んだ。中国がこのような動きに出た理由はいまだに外部には不明であり、情勢分析の対象となっているが、一般的に言って2012年の中国共産党の指導部交代を前にすでに権力闘争が始まっており、強硬意見が通りやすい状況になっていたと判断される。確かにオバマ訪中までの米国の態度はいかにもご都合主義であり、米国くみしやすし、と強硬派の地位を固めさせた効果があったかもしれない。
クリントン国務長官による対中包囲網
ここで、それまで固く沈黙を守っていたクリントンが急に発言し始めた。
大統領就任後の1年間、オバマがアハマディネジャド・イラン大統領などの独裁者との直接対話を提案し、プラハでは核の全廃を訴え,カイロではアラブとの友好関係をうたい、対ロ関係の再構築を呼びかけても、それらが元来国務長官の所掌であるにもかかわらず、ヒラリー・クリントンは一切沈黙を守りコメントしなかった。
この間、私が覚えているヒラリー・クリントンの演説は国務省の機構改革と、国連の人権委員会での発言だけである。私は、クリントンという人は、外交演説などはしない人かと思ったくらいである。
ところが2010年1月のホノルルでの演説以降、ヒラリー・クリントンは決然と発言し始め、一貫してアジア復帰を唱えてきた。発言の内容は、「中国」と言う言葉を使うのは避けているが、その本質は中国包囲網形成政策と言って間違いない。麻生外相・首相の「自由と繁栄の弧」と同じ趣旨である。
その年の7月、ヒラリー・クリントンは東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議で、中国の反発を顧みず、あえて南シナ海の領土問題を取り上げた。そして9月には、尖閣付近における中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件に際し、尖閣は日米安保条約の適用地域と明言した。
同年秋の横浜におけるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議を前に、ヒラリー・クリントンはハワイ、グアム、オーストラリア、ニュージーランドなどを訪れ、オバマはインド、インドネシア、韓国、日本を歴訪するという対中包囲網を演出した。その間もクリントンは常にオバマの顔を立て、アジア重視はオバマ政権発足以来の基本方針と言いつつ、アメリカのアジア回帰を推し進めた。
オバマ大統領の心の揺れ
分らなかったのはオバマの真の意向だった。横浜でのAPEC首脳会議前のアジア歴訪に出発するにあたり、クリントンは再びホノルルで演説し、アジア復帰――実質は中国包囲網政策――を述べた。一方、オバマは新聞への寄稿で、インドネシアとインドが米国の有望な輸出市場であり、米国の雇用に寄与すると述べただけだった。このときは、大統領と国務長官の間に思想の齟齬(そご)があるのではと疑ったぐらいである。
この疑いを払拭したのは、2011年11月のオバマによるオーストラリア議会での演説である。クリントンが最初に声を上げてから、実に2年近くを要している。
この間、オバマに心理的抵抗があったことは想像に難くない。オバマが大統領選挙中から希求したのはブッシュ時代にグルジア情勢や東欧へのミサイル防衛(MD)配備などをめぐり悪化した対露関係のリセットであり、イラン、北朝鮮などの指導者との直接対話であり、核の全廃であり、中東諸国との信頼関係確立であり、すべてリベラル、理想主義路線であった。
アジア復帰は、基本的にはパワーポリティクスに基づく現実主義、保守主義路線であり、オバマのアジェンダにはもともと無いものだった。それがクリントン主導で2年かかって定着したのである。
現実路線が続く理由
クリントンは国務長官を一期での引退をすでに表明し、クリントンの下でアジア重視政策を遂行したカート・キャンベル国務次官補も引退が予想されている。彼らが去ったあと、オバマがアジア重視政策を推進するだろうか、と言うのが私の危惧である。希望的観測を許す種々の条件はある。一つは国際情勢の大勢である。
21世紀の国際情勢における最大の問題は中国の勃興であり、それに伴うパワーバランスの変化であることは誰の目にも明らかである。世紀の変わり目、2001年の海南島事件(※1)はその予兆であった。ところが同年9月11日の同時テロ事件以来、丸々10年間、米国の関心はアフガニスタンとイラクに向けられた。これは当然のことではあるが、9・11事件が米国民に与えた心理的ショックが異常に大きかったため国際情勢の大きな流れが見失われてしまった。
それがアフガニスタン、イラクからの米軍撤退と、瞠目(どうもく)すべき中国の経済・軍事力の成長により、中国が再び米国の外交の主たるアジェンダになった、という自然な流れがあるのでクリントン、キャンベルが去ったからといって政策が変わるような客観情勢ではない。
もう一つは第2期オバマ政権の新人事であり、まだ明らかではないがオバマの親友と言われるドニロン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は要職に就き、国防総省でアジア・太平洋地域を担当するリッパート次官補は留任が予想される。2人とも極めてシュルードな(鋭い、抜け目ない)政治意識はあるが、国際政治について特別なイデオロギーを持つ人ではないようである。
彼らは特に日本に友好的である保証は無いが、かつて満州事変から真珠湾まで極東を担当したホーンべック(※2)や、ブッシュ政権末期に親中政策を推進したゼーリック(※3)のような、イデオロギー的な親中派ではない。つまり、日本の外交次第で対処できる人々である。
問題は日本外交である。集団的自衛権の行使を可能にし、それに基づいて日米防衛協力のためのガイドラインを書きなおし、環太平洋パートナーシップ(TPP)に協力する形で日米関係を盤石にすることが、アメリカをアジアに、その前に日本に引き留める王道である。 ( 2012年11月24日 記 産経新聞社 )
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1514】[1846]今度は税務署とけんか?
昨年8月に父が亡くなり相続手続きは私一人と弟一人だけでは無理と判断しました。
現在、母が介護施設生活中なので。
これから先、母の介護費用が100歳まで生きたとして概算で2340万円かかるのと、世帯主が父から私になり、現在住んでいる土地建物の固定資産税、その他諸々の毎月の支払で計算してきました。
昨年中に相続を終えるまでに、地元の司法書士さんに代行してもらい正解でしたが一番、頭にきたのが年金事務所での遺族年金の手続きで相手方の言われた通りに行ったのはいいのですが、書類不備をいきなり言われ、再手続は絶対嫌なので、相手の非を主張し先制攻撃で手続きはしてもらえても、最後の最後まで謝るそぶりもなし。本当に役人の嫌なところです。
これから確定申告がありますが、先生の著書の私は断固、税務署と戦うの題名通りに行動したいです。
【1513】[1845]新年のご挨拶です。
副島隆彦です。 新年のご挨拶です。
今年も 学問道場は、優れた情報と知識と思想を、皆さんにお送りします。
ご期待ください。
さっき、アルル君から連絡がありまして、ワシントンDCから帰ってきました。
カルフォリニアからシカゴの方にも回って来たそうです。 彼から、すぐに
最新のアメリカの動きの報告があるでしょう。
古村君の翻訳による 「コーク一族」(講談社刊) と 「BIS(ビー・アイ・エス) 国際決済銀行」(成甲 書房 1月22日に発売) が出ました。 どちらも大部の本ですが、大変読み易い文になっています。
それと、これも 今日のぼやき お知らせしましたが、 下條竜夫くんの「物理学者が解き明かす重大事件の真相」(ビジネス社、 1月7日に発売)が、出ます。一流の物理学者である下條くんが、いろいろの問題の謎を解明してくれています。 「理科系の人間が、文科系の世界に進出、侵入、侵略してきた本」です。きっと日本で一番、頭のいい人たち( それは、私たちの学問道場に集まっている、会員の皆さんのことです)が、分かってくれるでしょう。
私は、年末に、私事(わたくしごと)で、悲しいことがあって、すこし 気落ちしています。まだ、そのことは書けません。しばらく経(た)ってから書いて公表します。 私に対する、権力者や、極悪人たちからの攻撃の一環なのではないか、と深く疑っています。
今年も「学問道場」を ご支援下さいますように、心からお願い申し上げます。
副島隆彦拝
【1512】[1844]天武天皇の正統性について
何故、柿本人麿は石見国で下級官吏として亡くなった、と信じられているのか。
上の設問に対する答えは、簡単である。『万葉集』自身が、人麿は奈良遷都以前に、岩見国の鴨山で亡くなった、と述べているのだ。
『万葉集』第二巻、〔223〕~〔227〕の五首の歌とその題詞から人麿の死亡伝説は創られている。それらの歌と題詞を次に掲げる。
柿本朝臣人麿、石見国にありて死に臨む時、自ら傷みて作る歌一首
鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ〔223〕
(大意)鴨山の岩根を枕にして横たわっている私を、そんなことも知らずに妻は、いつ帰ってくるかと待ち続けているのだろう。
柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌二首
今日今日(けふけふ)とわが待つ君は 石川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも〔224〕
(大意)今日か今日かと私がお待ちしている貴方は、石川の貝に(一に云う、谷に)交じっているというではありませんか。
直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ〔225〕
(大意)直接お逢いする事はもう叶わないのでしょう。石川のあたりに雲を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びしましょう。
丹比真人、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置き われここにありと誰か告げなむ〔226〕
(大意)荒波に打ち寄せられてくる玉を枕辺に置いて、私がここにいると、誰が家のものに伝えてくれるのだろう。
或る本の歌に曰く
天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて 思ひつつあれば生けるともなし〔227〕
(大意)都を遠く離れた荒れ野にあなたを置いて、いつも思っていると生きた心地もしません。
この五首の歌と題詞から、人麻呂の死亡伝説は創られている。つまり、石見の鴨山で死んだ人麿は、石川の畔に運ばれ、荼毘にふされ、石川に散骨されたのだと。妻は、その荼毘の煙りを見て人麿を偲んだのだと。
しかし、この物語には都合が悪い点がある。〔226〕の丹比真人の歌と〔227〕の或る本の歌の存在である。
〔226〕は、〔223〕の人麿臨死の歌の直前に置かれている「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(にまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌〔220~222〕」の反歌とすると、ピッタリするのです。
また、〔227〕の或る本の歌も、〔207~216〕の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌とするとピッタリする。
これは、『万葉集』の編者が、人麿の生と死は、〔207〕の人麿の妻が亡くなった時に、泣血哀慟して作った歌から、〔227〕の或る本の歌までの連続の中で考えるよう示唆しているのではないか、と私は受け取ったのです。それで、〔207〕の歌から丁寧に検討してみます。どのような人麻呂像が浮かび上がるか。
以下次回。