重たい掲示板
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Loginはこちら【1588】[1921]石井利明氏の日清戦争美化論に反論する。日清戦争はしなくても良かった侵略戦争である。
津谷侑太(つやゆうた)です。今日は2016年5月8日です。
まずは石井氏に対してお礼を述べさせて下さい。小室直樹氏の19世紀における国際法の常識を紹介した本を教えていただいてありがとうございました。たいへん勉強になりました。
それでは以下が論文となります。
私は会員ページに福沢諭吉について触れた論文を載せていただきました。学問道場の重たい掲示板において、石井利明(いしいとしあき)氏がそれに対して反論をされました。私は執筆者としてこれに反論しなければなりません。
閲覧者の皆さまには福沢諭吉という大変素晴らしく立派な明治の啓蒙(けいもう)思想家であったと思われていると思います。ところが、福沢諭吉には戦前たいへん人気があった理由に彼が帝国主義者であり、他国への侵略をそそのかす言論を行っていたことはあまり知られていません。
チャンコロ、チョーセン人とネット右翼はいきり立ちますが、彼らを明治時代から大切に育ててきたのが福沢諭吉です。まさにネット右翼のお師匠様が福沢諭吉であると言えます。
現在、中国や韓国を侮蔑する若者がいますが福沢諭吉の言論をそのままコピーしているようなものです。何の独創性もない。
福沢諭吉の真実の姿を知ってもらう事によって正しく、福沢諭吉という思想家を理解した方が福沢先生も草葉の陰で喜んでいただけることでしょう。
石井氏の重たい掲示板への投稿の一部を貼り付けます。
(貼り付け開始)
私の反論は、津谷研究員の、「明治維新の黒幕はアメリカの手先であった福澤諭吉である論」の諸事実に対してではなく、津谷君が福澤をアメリカの手先と決め付ける基準である。
その基準は、彼が擁護する安川寿之輔と同じ理由で間違っていると考える。
それは、平山・安川論争の論点である「福澤がアジア諸国を蔑視(べっし)していたかどうか」という安川の論に結び付けて、大東亜戦争の敗戦及び、その後の侵略した国家群に対する外交の失敗までも、なんでもかんでも、遡(さかのぼ)って福澤のせいにする事にある。
真実の福澤は、アジア蔑視者でもなければアジア解放者でもない。
当時の日本にアジアを解放する力が無いことを福澤は当然知っていた。
彼は日本国の独立自尊だけで手一杯で、日本の国益の追求以外に手を出す余裕など無かった。それは、当時の指導者なら当然の事です。
19世紀のアジアの現実を想像して欲しい。
植民地化を免れているのは、国家としては日本とタイしかない。
福澤の生涯は、1835年1月10日に始まり、1901年2月3日に終わる。まさに、19世紀を生きた人物だ。
安川論者は、福澤が19世紀に生きた人間という、もっとも単純で重要なことを無視している。
19世紀は西欧列強によるアジアの分捕り合戦の真っ最中なのだ。
福澤は、数度の海外渡航により、この現実の厳しさが骨身に染みて分かっていた。
そして、日本が植民地にされてしまうかもしれないという恐れを他の誰よりも感じていた。その恐れの中心が大英帝国であった。
津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。
だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。
「現在の価値観で過去の判断を評価するのは先人に対する冒涜に他ならない」という言葉を私は大切にする。
津谷研究員が正しいとする安川は、福澤の過去を断罪する為に、歴史に教訓を得ると称して、この手法を使っている。
福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
そして、福澤はアメリカの手先ではない、と私は考える。
私は、「手先」という言葉を、自国及び自国民の利益を省(かえり)みず、他国の利益のために動く人間という意味で使うからだ。
(貼り付け終了)
津谷侑太です。以上が石井氏の私に対する反論です。
私はこの石井氏の反論に答えねばなりません。
●過激な戦争屋であった福沢諭吉
それはなぜかと申しますと、石井氏の反論を私が素通りするにはあまりにも危険であると判断したからです。石井氏は1894年に起きた日清戦争を肯定している。そこが危険なんです。日清戦争は日本にとってしなくても良い戦争だった、ということをわかっていただきたい。読者の皆様にはこのことをわかっていただきたいのです。
日本の対外進出の歴史年表
1868年 明治維新
1894年 日清戦争
1901年 福沢諭吉死去
1904年 日露戦争
1941年~1945年 太平洋戦争
2016年 中国共産党が尖閣諸島狙う
なぜ私が日清戦争にこだわるかというと、福沢諭吉のせいで中国・韓国・台湾は日本に対して、恨みに思っているからです。この事実は日本国内ではほとんど知られていません。石井氏に賛同すると言う事は中国・韓国・台湾を敵に回す行為です。石井氏の言論に賛同することで私津谷侑太はこの三ヵ国を敵に回すことに反対です。石井氏の投稿は2016年の世界への挑戦でもあります。
日本を立派な独立国にすることで調子に乗った日本が太平洋戦争で痛い目にあったことがあります。無意識のうちに石井氏は福沢諭吉を美化する事によって、国際社会への無意識の異議申し立てをなさっておられる。それに閲覧者も引きずられて、「石井氏の日清戦争肯定は正しい」とするならば、大いなる誤解をこの学問道場に産んでしまいます。
過激な福沢諭吉に同意して、日本の針路を間違えるようなことがあってはならない。2016年に福沢諭吉を信じ込むことは危険なことです。19世紀の福沢諭吉を正当化することは中国を怒らせることです。中国人や韓国人は福沢諭吉にいじめられた恨みは忘れていない。
2016年の今、福沢諭吉のアジア侵略は正しかったとするのはあまりにも無謀であります。やめたほうがいいですよ、と私は皆さんに提言したい。
それが私が石井氏に反論する一番大きな理由です。
台湾や韓国は福沢諭吉を民族の最も憎むべき敵と断言している。日本国内の私たちが福沢諭吉を立派な先生と尊敬するのは良いんです。しかし、福沢諭吉を尊敬するあまり、福沢の行った悪い面までなかったと言ってしまうのは歴史の捏造に等しい。
参考までに福沢諭吉のアジア蔑視の言論を見ていきましょう。
(引用開始)
とりわけ日清戦争時には、侵略戦争の推進と勝利のために「チャンチャン・・・・・・皆殺しにするは造作もなきこと」、「清兵・・・・・・豚尾児、臆病なり」、「朝鮮・・・・・・軟弱無廉恥・・・・・・四肢麻痺して自動の能力なき病人」「台湾の反民・・・・・・無知蒙昧の蛮民」などと、アジア蔑視の「排外主義」呼号の先頭に立ってきた福沢
(安川寿之輔『福沢諭吉の教育論と女性論』237ページ)
(引用終了)
福沢は自分が代表をしている新聞・時事新報(じじしんぽう)において、1894年の日清戦争のときにかなり中国や韓国に対し、馬鹿にする言論を行っていたわけです。中国人をチャンコロ、豚と見下す言い方を広めたのも福沢です。
福沢諭吉の言論が日本をアジア侵略を主導して来たのは当時の日本の知識人から批判されてきたことです。例えば、明治の外務省官僚だった吉岡弘毅(よしおかこうき)は次のように福沢を批判している。
(引用開始)
「我日本帝国ヲシテ強盗国二変ゼシメント謀ル者ナリ。」と告発したうえで、(中略)「不可救ノ災禍ヲ将来二遺サン事必セリ。豈(あに)之(こ)レヲ国権拡張ノ良策ト謂(い)フベケンヤ。」ときびしく批判した。
(安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男』184ページ)
(引用終了)
吉岡は福沢の言論は将来に禍根(かこん)を残すと予想している。この未来予測は的中し、中国侵略のあげく、日本はアメリカとの戦争に負けて本土を空爆されてしまうのであるのは皆さん周知のことと思います。吉岡は征韓論(せいかんろん、朝鮮国に日本が侵略する)に反対した当時の外務省では主流派でした。吉岡はのちにキリスト教の牧師となっています。1894年の日清戦争の延長線上に1941年の太平洋戦争があります。
●19世紀に反戦思想は存在したか?
さて、話を戻します。
日清戦争は本当に日本にとって良い戦争だったのか?これから検証していきましょう。
『福沢諭吉の真実』という本を書いた平山洋(ひらやまよう)という人物がいます。この男はハーバード大学のエドウィン・ライシャワー研究所に留学してから突然、福沢諭吉研究をはじめた不可解な人物です。
それまでは地味な学者だったのに、今では福沢諭吉研究の大家(たいか)に成りあがっている。私の推測に過ぎませんが、エドウィン・ライシャワー研究所で福沢諭吉の真実の姿を隠蔽するために福沢=平和主義者と福沢諭吉の虚像をでっちあげることを指示されたのでしょう。
評論家の古村治彦(ふるむらなおひこ)氏の『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所、2014年)を読むと、ハーヴァード大学が日本を操るための人材を養成していることがわかる。養成された人物の一人が平山洋氏であると考えられます。福沢諭吉が死んで1901年から2016年で115年になります。
このような昔の人物を引っ張り出して美化するのは何らかの謀略の匂いを感じます。
私にも一体彼らが何の謀略を企てているのか、わかりません。しかし、平山洋の言論を見ていると、福沢諭吉が中国人を蔑視していたことを隠したいようです。 おそらく、平山洋にとって、福沢諭吉の過去の言動を調査されると困るのでしょう。
しかし、平山がいくら架空の福沢諭吉を捏造しても現実の福沢諭吉はアジア蔑視を広め、中国人虐殺を煽った評論家です。
福沢諭吉がどれくらい頑張って、中国人や朝鮮人を虐殺をするように煽ったのか、その実績をなかったことにするのはあまりにも福沢諭吉先生がかわいそうではありませんか!
石井さんの言論の問題点は石井氏が19世紀の日本人を誤解していると言うことです。先程見た外務官僚の吉岡弘毅(よしおかこうき)をはじめ、反戦の考えは明治政府にはありました。
石井利明氏の重たい掲示板の投稿を一部載せます。
(貼り付け開始)
福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
(貼り付け終了)
このように石井氏は反論されました。私が石井氏の反論で最も気になったところは19世紀の価値観は20世紀、あるいは21世紀と異なるということについてです。
確かに19世紀の日本人の生活は現在とは全く違います。テレビも携帯電話、車もない。ところが、思想面においては江戸時代、あるいは明治時代の日本は急速に進んでいました。
外国の文献が中国に持ち込まれ、そこから日本に翻訳されて送られてきたからです。この動きを石井氏は知らないのかもしれません。
そのため、日本の知識階層はとっくに反戦平和の考えをもっています。もっと言うならば、聖徳太子の憲法十七条に「和をもって尊(とおと)しとなす」とあります。
日本人は古来より戦争が嫌いだったのです。石井氏の歴史観では19世紀だけ、戦争が思うがままにできてしまう、ということになります。
19世紀の日本をリードした知識人が昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ、のちの東京大学)の古賀謹一郎(こがきんいちろう)です。当時としては知らない人間がいないほどの超有名人でした。長州の吉田松陰が江戸にまできて、古賀と国際情勢を論じるほどです。
この古賀の日記には反戦平和の思想がはっきり書かれています。以下は1866年に頃に書かれたと推測されるものです。
(引用開始)
西人は他国を侵略して残忍を極めている。『嗚呼、人民何の罪かある、(中略)予は「禁呑滅会社(他国を侵略するのを禁じる会社)」を建てんことを欲するのみ』。
(小野寺龍太『古賀謹一郎』221ページ)
(引用終了)
石井氏の「福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。」は古賀日記が19世紀に書かれたものであることを踏まえると間違いです。古賀謹一郎と福沢諭吉は同時代の人物です。石井氏は19世紀の日本を誤解しています。
19世紀に反戦思想はあったんです。
それではいよいよ本題に入って行きましょう。論点は石井氏が主張されている日清戦争は日本の独立を守るために必要な戦争であったか、否(いな)かです
これから私は三つのポイントに要点を置いて反論します。まずは平山・安川論争について解説します。
①福沢諭吉を巡る大論争、平山・安川論争とは何か。
石井さんは私にだけではなく、教育学者の安川寿之輔(やすかわじゅのすけ、80歳)氏に対して抗議されている。なぜこんなことになったのか、閲覧者の皆さまにとってはわけがわからないと思いますから、説明させて下さい。
発端は十五年前、2001年に遡(さかのぼ)ります。きっかけは安川が朝日新聞に福沢諭吉を批判する記事を載せたのがきっかけでした。安川寿之輔は「福沢諭吉――アジア蔑視()(べつし)広めた思想家」という論説を発表します。
安川氏は中国と日本、あるいは日本と韓国の関係改善に熱心な教育学者です。それを福沢諭吉=反戦平和を唱えたリベラルな評論家とした誤解が国民の間に広がっているとの危惧から本当は戦争を煽った従来の福沢諭吉像とは真逆なのが福沢諭吉の正体だと真実を書こうとしたのが動機だったようです。
これに激しく反論したのが文学者の平山洋(ひらやまよう)です。平山は「福沢諭吉は日清戦争を煽ったが、それは西洋対東洋の戦いであって国益に従っていたのだ」と書いて反論しました。
さらに『福沢諭吉の真実』(文藝春秋、2004年)を平山は出版、平山は「福沢諭吉は清帝国との戦いを煽ってなどいない。その証拠に日清戦争のときの時事新報の杜説は全部福沢の弟子による代筆である。福沢は中国との戦争を望んでいなかったのだ」と書いている。
このあと、2016年にわたるまで平山・安川論争は延々と続いているわけです。ところが、この平山の説明には大きな欠点があるんです。
それは根拠が薄弱であると言う点です。平山は「福沢先生は戦争に反対していたのだ。安川先生は勘違いして福沢諭吉が戦争推進の極右扱いしている。これは誤解であって福沢諭吉の弟子が勝手に代筆したものなのである」と主張している。
私、津谷侑太の意見を述べていきますと、これは途中までは真実なんです。すなわち、「福沢諭吉の弟子にスパイが潜り込んでいた」という一点においてです。
福沢の弟子に石河幹明(いしかわかんめい)という人物がいます。この石河が全く福沢諭吉と考えが違う。福沢は過激な戦争屋でありましたが、太平洋戦争にまでは関わっていない。もはや死人となった福沢諭吉を悪用して、石河幹明は若者たちをアメリカとの戦争に駆り立てていきました。
ところが、平山は福沢諭吉を美化したいがあまり、福沢諭吉は日清戦争で戦争を煽っていないとまで主張しています。
平山は根拠もないのに「福沢諭吉は忙しかったのである。そのため、石河に代筆させて自分は日清戦争に関与しなかったのだ」と決めつけている。これはいささか苦しい言いわけです。自然に考えれば、国民の啓蒙に尽力していた福沢が時事新報の主筆であるのに黙っているというのは不自然極まりない。まして、日清戦争の為の資金は福沢諭吉と渋沢栄一(しぶさわえいいち、日本銀行創設の父、七百もの企業を創業)が調達して来たものです。自分がお金を出している戦争に興味関心がないというのも変な話です。
このように平山洋は安川の福沢批判に対して、有効な反論ができませんでした。平山は根拠薄弱(こんきょはくじゃく)として、論争に負けそうになります。これが平山・安川論争のはじめのほうの話です。
②石井氏の反論・・・19世紀の日本において国際法に合法だから日清戦争はやっても良い?
続いて、石井研究員の反論に対して、反論させて下さい
(貼り付け開始)
石井研究員は「津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。
だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。
(貼り付け終了)
石井氏の反論である最後の部分はいささか考えすぎであると思います。“日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる”という部分についてです。石井さんは日本は植民地になっている属国ではない、と書かれている。
日清戦争は清帝国が日本に侵略した戦争ではありません。よって日本が負けた場合でも日本の独立は危うくはなりません。ましてや、日清戦争は清帝国が朝鮮王国に侵攻した日本軍とにらみ合い、「このままでは戦争になる。こちらも朝鮮半島から手を引くから、日本のほうもひきあげてくれ」と清から申し出て、引き揚げました。ところが、日本は議会で伊藤博文首相が「清国との戦争避けるべし」との態度で議会対策に乗り出します。山県有朋は「清との戦争は絶対に避けるべし。清と事を構えるのは愚か者のすることだ」という態度で反対。
このように明治政府、議会は戦争反対!の気運が高まります。そこに登場してきたのが右翼団体です。熊本県出身の佐々友房(さっさともふさ)は強硬に日本の出兵を主張。これが伊藤博文内閣を揺さぶりました。どういうことかというと、このとき日本は選挙制度を導入しており、伊藤首相以下閣僚たちは国民の顔色を伺って政権運営をしなければならない立場でした。
日清戦争の少し前、板垣退助の自由民権運動が流行します。これによって、議会開設を伊藤博文は受け入れます。こうして選挙制度導入となったわけです。ところが、今度は伊藤、山県らの元老政治への反発が衆議院で強まり、衆議院は反伊藤派の佐々友房(さっさともふさ)が力を持ち、これに野党である大隈重信(おおくましげのぶ)率いる立憲改進党(りっけんかいしんとう)が呼応します。
こうして窮地に陥った伊藤首相は清国への戦争を決断するんです。このまま、総選挙に突入すれば、大隈重信や佐々友房が実権を握ってしまう。そうすれば、大隈首相誕生で日清開戦へと突入してしまう。そうなる前に穏健派である伊藤博文が戦争指導することによって、大隈の動きを封じようとしたのでないか、私にはそう思えます。
伊藤は総選挙を実施しますが、与党・野党ともに過半数に至りませんでした。このとき、伊藤に世論という形で圧力を与えていたのが、福沢諭吉です。
福沢は時事新報(じじしんぽう)という新聞社を創設、旗振り役となります。
ここで福沢諭吉は戦争を煽り、日清戦争を煽りまくる訳です。そのことについては石井研究員も同意してくださっているので、論点にはしません。
重要な事は日清戦争は本当に日本の国益に寄与したか?ということです。 「どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
」と石井さんはお書きですが、アメリカのマスコミは日清戦争での日本軍による虐殺を批判しています。日清戦争では非戦闘民を虐殺しており、これは当時の国際法に照らしても違法のはずです。
このように国際的に日本=野蛮の国というイメージが広がりました。
石井氏の引用している社会学者の小室直樹(こむろなおき)氏は『痛快!憲法学』においては日清戦争について国際法が合法だったか、違法だったのかについて答えが書かれていません。ところが、小室直樹は読者の誤解を招くような次のようなことを書いてしまっている。
(貼り付け開始)
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
(貼り付け終了)
ここで小室直樹はあまりにもおおざっぱな解説をしてしまいました。19世紀における戦争について重要な条件があるということの解説です。戦争を行っていいのが、文明国に限定されるということです。17世紀から20世紀初頭にかけて世界は文明国、半開国(はんかいこく)、野蛮国(やばんこく)の三つに分類され、小室の主張する戦争をしても良いのは文明国だけです。つまり、欧米諸国のみです。
それなのに、小室直樹はそのような重要な事実を全く書いていません。これでは読者である石井氏が勘違いするのも無理はない。つまり、明治政府は文明国ではないため、せいぜい半開国でした。つまり、国際法の適用できる文明国ではないわけです。日本を半開国と定義していたのも福沢諭吉本人です。
しかし、福沢諭吉は自分の中国侵略の野望を実現するためなのか、自分の言論を修正して、日本を文明国としています。教育学者の安川寿之輔氏は次のように福沢諭吉のころころと変わる主張を批判しています。ジャーナリストの岩上安身(いわかみやすみ)氏による安川インタビューの一部を抜粋します。
(http://bit.ly/1bFS7X3 @iwakamiyasumi)
(貼り付け開始)
安川氏「福沢諭吉は、朝鮮を文明に誘導するという名目で武力侵略を合理化しました。
1882年の『朝鮮の交際を論ず』という論文で、『(朝鮮が)未開ならば之を誘うて之を導くべし、彼の人民果して玩陋ならば之に諭して之に説くべし』と書いています」
安川氏「一般の人は、福沢諭吉が蘭学や英語を学んだので、アジア蔑視に走ったと思いがちです。そうではありません。初期啓蒙期の福沢は、『野蛮国』『半開国』『文明国』の3つに分けた場合に、朝鮮と中国を、日本と同じ『半開国』だと見なしていました」
安川氏「それが、明確にアジア侵略を目指すようになってからは、それを合理化するために、『朝鮮や中国は野蛮で遅れており、わからずやだ』ということを述べ立てることになりました」
岩上「『朝鮮の交際を論ず』には『我輩が斯く朝鮮の事を憂てその国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用いてもその進歩を助けんとまでに切論するもの』とありますね。まさに、他国の『文明』化のために、武力侵略を正当化するものですね」
(貼り付け終了)
つまり、安川氏の見抜いた福沢諭吉の正体とは権謀術数(けんぼうじゅっすう)の人であり、自分の主張に合わせてころころと考えを変えるいい加減な評論家というものでした。
福沢諭吉は中国や朝鮮は半開国としていたのに、急に野蛮国になってしまっている。そのかわり、福沢諭吉は日本を文明国にしてしまっている。日清戦争実行のため、勝手にアジア諸国の地位を上げ下げしている。
石井氏は福沢諭吉が日清戦争を主導したとしても国際法的に問題ない、と私に対して反論しています。ところが、石井氏は福沢諭吉が「国際法など無視して構わん!」と主張していたことを知らないようです。福沢諭吉は著書の『通俗国権論(つうぞくこっけんろん)』で国際法を無視することを日本国民に訴えています。
(引用開始)
また彼は、「百巻の万国公法は数門の大砲に若(し)かず、幾冊の和親条約は一筺(いっきょう)の弾薬に若(し)かず。大砲弾薬を以て有る道理を主張するの備(そなえ)に非(あら)ずして無き道理を作る器械なり。・・・各国交際の道二つ、滅ぼすと滅ぼさるるのみと」という弱肉強食の国際関係のきびしい現実を強調した。
(安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男』143ページ)
(引用終了)
つまり、石井氏は国際法的に正しいと日清戦争を規定していますが、その石井氏の反論に福沢諭吉本人が反論しているわけです。国際法など、強大な軍事力の前では役に立たない、と。石井氏は福沢諭吉を擁護するあまり、福沢諭吉本人と論争になってしまうという皮肉な結果になってしまっています。
石井氏は福沢諭吉という大先生を大いに誤解していると言うことです。石井氏よりも安川寿之輔氏のほうが正確に福沢諭吉を捉えているわけです。安川氏が大物の福沢研究者であるのに、福沢研究をされている石井氏が安川氏を批判するのは解せません。
安川寿之輔名誉教授という先生の本を読むことによって、石井氏の福沢研究の大いに役立つことでしょう。安川氏は福沢諭吉の啓蒙活動について、良いところは良いと認めています。決して福沢諭吉を誹謗中傷するために動いている学者ではありません。
話を戻すと国際法を守る、守らないという考えは日清戦争時に福沢諭吉の念頭になかったわけです。では福沢は何のために日清戦争を煽ったのでしょうか。
福沢諭吉は自分が戦争を肯定する動機について次のように語っています。
(引用開始)
「一国の人心を興起して全体を感動せしむるの方便は外戦に若(し)くものなし。・・・・・・我人民の報国心を振起せんとするの術(すべ)は、之(これ)と兵を交(まじう)るに若(し)くはなし」と書いて、権謀術数な報告心振起のために外国との「戦争の勧(すす)め」を主張した。
(安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男』144ページ)
(引用終了)
福沢諭吉が日清戦争を煽ったのは国際法を守る、守らないではなく、清帝国が日本に攻め込んでくる、という理由でももちろんなく、人民の愛国心を湧きあがらせることであると述べています。
こんなふざけた理由で福沢諭吉は日本兵を戦場に送るように煽っているわけです。石井氏の主張されているような国際法的に戦争は正しいという理論を福沢諭吉は全く気にしていない訳です。福沢諭吉は戦争を日本国内の結束を高めるためにやるべき、という国際法をまるで眼中にない動機をもって、戦争を正当化しているわけです。
福沢諭吉の身勝手な言論によって、どのような結果になったのでしょうか。
最後の③の章を見ていきましょう。
③日清戦争は日本の国益にならず!勝海舟の戦争反対論
日清戦争に反対した人物として、旧幕臣で明治時代には隠居していた勝海舟がいます。勝はこれまた旧幕臣の向山黄村(むこうやまこうそん)に明治期に語った言葉です。
(引用開始)
日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も喰わないヂゃないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分からぬにかぎる。支那の実力が分かったら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりをやるに限るよ。
おれなどは維新前から日清韓三国合縦の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引き受けることを計画したものサ。今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところをなるくらゐのものサ。
日清戦争の時、コウいう詩を作った。
隣国交兵日 其軍更無名
可憐鶏林肉 割以与魯英て、
黄村などは「其軍更無名とはあまりにひどい。すでに勅語もでて居ますことだから」といって大層忠告した。それでも「これは別の事だ」といって人にもみせた。○○サンにも書いてあげたはずだ。(氷川清話」講談社学術文庫P269)
(引用終了)
勝海舟の中にはしっかりと反戦思想が根付いています。いや、反戦思想というのは現代的呼称だろう。勝は「今日になって兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところをなるくらゐのものサ」と言って戦争をすれば、欧米を利するのみ、勝ははじめからわかっていたのだ。時事新報の福沢諭吉や日清戦争を強力に推し進めた陸奥宗光など勝から見ればそこそこ小粒の人材に過ぎなかったといえます。
勝海舟は西郷隆盛や熊本の思想家・横井小楠(よこいしょうなん)など、幕末からスケールの大きな人物たちと付き合ってきました。その勝海舟からすれば、福沢諭吉たちは欧米に利用されているように見えたことでしょう。
このように勝海舟こそは日清戦争当時、冷静な人物でした。なぜこんなことを論評するかというと、勝海舟の本業が国家戦略家だったからでしょう。そのように私は推測します。
勝は幕末において、坂本龍馬の先生として著名な存在です。十四代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)が大坂に来た時は補佐して、世界情勢についてご説明しています。
将軍の側近として、また安全保障の専門家である勝海舟には日清開戦は日本国の誤った判断であると予想できたことでしょう。
そして、この勝海舟の推測は的中している。日清戦争後、ドイツ・ロシア・フランス三ヵ国が日本に「遼東半島を寄越せ」と要求。明治政府はびっくり仰天し、遼東半島を差し出しました。歴史教科書で覚えさせられる有名な「三国干渉」です。
清国に侵略しても領土を占領しても三国干渉でとられたら日清戦争とは何のためにやった戦争だったのでしょうか。日本兵の戦死や清国兵士の虐殺もドイツ・フランス・ロシアの三ヵ国が楽して領土獲得するための踏み台となってしまっている。
この事態を正確に見通していた勝海舟はさすがに大物といえましょう。たかだか下級武士上がりの福沢諭吉では世界情勢がまるで読めていなかったんです。
福沢諭吉は日本を一等国とするどころか、ますます窮地(きゅうち)に陥(おとしい)れてしまったわけです。石井研究員は日清戦争は国益にかなっていたと主張されますが、福沢諭吉の日清戦争賛成論はむしろ、日本の国益を害していたわけです。
(参考文献)
安川寿之輔『福沢諭吉と丸山真男 「丸山諭吉」神話を解体する 』(高文研、2003年)
安川寿之輔『福沢諭吉の教育論と女性論 「誤読」による〈福沢神話〉の虚妄を砕く 』(高文研、2013年)
平山洋『福沢諭吉の真実』(文藝春秋、2004年)
勝海舟『氷川清話』(講談社学術文庫、2000年)
【1587】[1920]地震と火山爆発は同じ7
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年5月8日です.
副島先生と学問道場の会員の皆様に心から感謝申し上げます.長い説明が続き,本当にごめんなさい.
常温核融合とは何か,についてから,考察を述べたいと思います.地震や火山爆発といった,極めて大きなエネルギーの放出が確認される自然現象には核エネルギーが深く関与しているはずです.地殻内部とマントル層は核分裂と核融合と核変換が自然現象として日常的に発生している領域です.
常温核融合は,私自身は実験して確かめたわけではありませんが,信憑性の高い研究成果は沢山存在し,ネットでも情報を十分に得ることができます.常温核融合は実在する現象だと考えるべきでしょう.にも関わらず常温核融合はタブーになっている.その根拠として,原子核同士は常温では,核力が働くほどの至近距離まで接近できるわけがないという,物理学上の教義があるからだと思います.常温環境下では,原子核が抱えるプラスの電荷による斥力によって原子核同士がはじき合って,原子核同士がぶつかることはできないという考え方は,一見正しい.ですが実際に常温核融合という現象が存在する以上,その考え方には何らかの見落としがあるはずです.
おそらく,常温核融合が発生している場合,電気的な斥力の問題が消えていると思います.常温核融合は,水が電気分解されている状況下において,マイナス極側の電極内部で発生します.この電極には水素吸蔵特性を持つ金属が使用されます.水素吸蔵特性はどんな素材も持っていて,鉄でも水素脆性破壊といった形で鉄原子同士の隙間に水素が入り込んで問題を起こします.水素原子は水の中でイオン化して陽子になってしまえば,どんな隙間にも入り込んで,他の原子同士の隙間に,もぐりこむことができる.そこに電気分解のプロセスが働けば,マイナス極側の端子の内部にどんどん水素原子核(陽子)が吸い込まれて浸み込んでいきます.常温核融合の実験で使用されることの多いマイナス極側の端子としてパラジウムがありますが,パラジウムは水素吸蔵特性に優れた金属です.
パラジウムの原子同士の隙間には,イオン化された水素原子,つまり陽子がどんどん吸い込まれて蓄積されます.そこに,マイナス極側の端子として負電圧が加わると,大量の電子が端子内部に供給されて陽子の周囲は過剰な電子で満たされます.すると,その電子のうちの一つが,水素原子核(=陽子)に取り込まれて中性子に変化する(電子捕獲).中性子は周囲の水素原子核に捕獲(中性子捕獲)されて重水素や三重水素を作る.中性子捕獲されたときに質量欠損が生じて核エネルギーが発生する.その核エネルギーでパラジウム原子核の分裂や重水素同士,三重水素同士,重水素と三重水素の核融合が発生する.これが,考えられるプロセスのうちの一つです.(この中性子捕獲がタングステンで行われると,タングステンからプラチナができる.)
地殻内部は複雑系ですから,単純な一つのモデルだけでは正確な説明が難しい世界です.地殻内部には多種の元素が存在し,核反応のプロセスも複数想定する必要があります.それでも,より代表的なプロセスから着手して,少しずつ地殻内部における核反応のメカニズムを解明するしかありません.(地殻の持つ原子核物理学的な物性が,地震活動における余震発生確率の時間的な変化と関連しています.この曲線は放射能の半減期に伴う放射線量の時間的な変化のグラフなどにかなり近い部分がある.また微小地震の発生状況などを観察していると,直線的な分布や半円状の分布を示すことが多く,まるで霧箱で宇宙線を観測しているようなイメージになります.ある程度の透過力がなければ地殻内部にまで宇宙線が侵入することは難しいはずですから,おそらくはニュートリノ程度の粒子が微小地震のトリガーになっている場合があるのでしょう.ニュートリノは相互作用しないという説明がよくなされますが,ニュートリノの検出装置であるスーパーカミオカンデはせいぜい直径40m×高さ40m程度の空間スケールの水槽であるようですから,その程度の質量の水であれば地殻内部に大量に存在しますので,ニュートリノが地殻内部で地下水に反応して中性子を発生させるくらいの現象も当然存在するでしょう.)
地殻構成物質として代表的な花崗岩の中には,天然のウランが微量ながら含まれています.ウランも水素吸蔵特性を持っています.特にウランはパラジウムよりも沢山の水素原子核を吸蔵できます.このウラン原子のうち,特にウラン235の近傍で中性子が発生しウラン235に中性子捕獲されると,規模は小さいながらも原子炉やウラン型核爆弾と同じ核分裂を起こす.それが周囲の重水素原子核同士の核融合を起こして高速中性子を放出すし,ウラン238をブースターとしてより大きな核分裂を起こす.次第に発生する核エネルギーと中性子の量が大きくなって地殻内核爆発を起こす.天然の多段水素爆弾です.発生する中性子の量に従って地震の規模が大きくなっていきます.(プレートテクトニクスによって地殻内部に働く応力は大きなものですから,核爆発といえども初期のうちは,応力軸に対して直角の方向へのみ向かう爆圧となります.爆心では物質が吹き飛ばされて空虚になりますので,爆圧よりも応力の方が大きい間は,応力軸において爆心へ向かって地殻が移動します.この地殻内部における核爆発に特有の初期圧力分布により,震源球として特徴ある「押し領域」と「引き領域」が発生します.そして地殻内部が部分的に破壊されてプレートテクトニクスによる応力が部分的に解放されます.)
自然現象として発生する地震においては,マグニチュードが1とか2といった,無感地震がほとんどであり,地殻内核爆発(=地震)は日常的に発生していますが,大抵は,余程のことがないかぎり,核反応の連鎖はすみやかに収束して,大きな地震にはなりません.大きな地震になるためには,それだけの核燃料の局部的な蓄積や高密度な分布が必要になります.それが自然現象として発生する確率は十分に低く,311のときのように三つの震源が同時に発生したとか,今回の九州の地震のように同一地域にある複数の断層でマグニチュード6クラスの地震がほぼ同時に起爆したとか,人為的な要素が働かない限り,現象としてまずありえない.それは確率論的な話である.実際,地震学上の過去の事例が提示できない.また,昔の地震と異なり,最近の災害地震で地震計に記録される震動の波形が地下核実験の核爆発の波形と同じです.昔の地震の波形は,最初,マグニチュードの小さな地震から始まって,次第に大きな震源へと育っていく時間的な成長過程がはっきりとわかる波形になっています.
では地殻内部における核燃料(水や海水や重水や重水素化リチウム等)の人為的な充填が行われたのかどうか,さらには人為的な起爆が行われたのかどうかという話になるわけですが,恐ろしいことですが,その疑いは311においても今回の九州の地震においても,十分に存在する様子です.なぜ将来の震源地でボーリング調査していたのでしょう?なぜ311の震源地で海洋掘削船「ちきゅう」が海洋プレートをボーリングしていたのでしょう?今も掘りまくっています.疑惑が疑惑のまま調査されずに放置されたまま事態が進行中であること自体が異常であり,不正選挙や911と全く同じ構図です.権力者自体が犯罪者なんだろうなあと,テレビで彼らの子供っぽい幼稚な行動や莫迦っぽい人相を見れば一目瞭然,バレバレです.この人工地震及び人工火山爆発という社会工学兵器は無差別大量殺人兵器です.
澤田正典 拝
【1586】[1919]たちの悪い気管支炎について
先生、どうか長生きしてもらわないと困るんです。
だまされたと思ってビフィズス菌飲んでみてください。気管支炎症もアレルギー性鼻炎も、全て老化による免疫機能低下すなわち自然現象。
副島節でいくと、こうして昔の人たちは徐々に体力尽き命が尽きと言う事だと
思いますが、先生にはそれでは困るんですよ。
お勧めは○下○丹スティックタイプのビフィーナS、これをほぼ毎日一回食後に。
【1585】[1918]私の金融本が出ました。 それから トランプ候補 の勝利のこと。
副島隆彦です。 2016年5月5日で連休のさ中です。 私は、持病の慢性の気管支炎がひどくて体調が悪くてずっと臥せっていました。体力と気力がなかなか戻らない。
私は、「大暴れずるトランプとアメリカの真実」 という本を急いで 書かなければ、と4月12日(火)に、 最新刊の金融本を書き上げて、後楽園にある組み版屋(くみはんや。今の日本の出版業界の、本つくりのプロセスの説明は、今日は出来ません)を、徹夜明けで出て、それから他の2社の仕事を始めようと、意気揚々と、そのまま出掛けたのです、が、その翌日から、ヘバってしまって、体が動かなくなりました。
それでも、講演会をその週末に2つこなすために大阪にも行き。月刊誌の原稿を2か月分を書いた。それから、伊豆半島の伊東市のサナトリウムに言って、ある名医との対談をした。
そして、前述した、2冊の本を何とかしなければ、と もがく のだが,体が動かない。63歳になった。本当に、体が思うように動かくなった。
69歳(もうすぐ70歳)のドナルド・トランプは、「(酒とタバコで)早死にした兄からの教訓で、自分は、酒もタバコも(コーヒーさえも)飲まない。 多くの優秀な人たちが、(それらで)人生を台無しにしてきたのを沢山見てきたからだ」 と 話している。
本当だなあ、と、思う。偉い人は、それなりの注意深い生き方をしている。
だが、私、副島隆彦は、酒もタバコも、好きな人は、どんどんやればいいと、思っている。ほかの人たち(家族を含めて)の迷惑にならなければ。タバコは、おそらく体に悪いだろうが、合っている人たちの頭にはものすごくいいのだろう」と考えてきた。
ある人の趣向を その人にやめなさい、などと、私は言ったことはない。 私は、何でもかんでも健康第一の健康主義者(健康信者、健康宗教 )が大嫌いだ。どうせみんな(皆)死ぬんだ。
私の最新刊の金融本(徳間書店刊)である 『 マイナス金利 「税」 で凍(こお)りつく日本経済』 は、現在、全国の書店に並んでいるはずです。 本屋で手に取って、パラパラめくってください。金融本 というビジネス書の ひとつのジャンル(分野)が、今は本当に滅んでしまって、書く人がいなくなりました。私のほかに、あと何人が書いているだろうか。
私は、“ 時代の目撃者、証言者 ” として、現状の、最新の事実を集めた金融本を書いてゆく。それは私の運命だ。
アルル君が、宣伝の書評を書いてくれて、今、今日のぼやき に載っていますので、そっちを読んでください。 体と頭がぼろぼろになるまで、3週間ぐらい精魂込めて、ずっと書き続けます(グラフを作ったり、最新の世界中の最先端の情報を集めたりする)から、本当に体にガタが来ます。
頭も酷使するので、高血圧症になって、圧迫頭痛(あっぱくずつう)が起きます。こういう生活をしていたら、長くはないだろうなあ、と自分でも思う。 それが書きあがったのが、4月12日だった。書いた直後は、精神(気分)が、拝になっていて、気力が充実しているので、そのまま、次の2冊を書き始める、というきになる。
がだ、そういうわけにはゆかない。もう歳(とし)だから、体が効(き)かなくなった。 重労働の肉体労働をしているのと、あまり変わらないことをやっている。きっとランニング・ハイのようなユーフォリア(熱病)状態に、一冊の本を書き上げた直後には、なる。
フルマラソンでも、ハーフマラソンでも、八ケ岳の野辺山の100キロマラソンでも、完走した時の爽快感というのは、こういう感じだろうと、私はいつも思う。そうやって、この30年が過ぎた。
ドナルド・トランプの共和党内での、大統領候補者の指名者争い の戦いの勝利が確定した。5月3日のインディアナ州での彼の勝利が、それを決めた。
私が、今、ネットで見ていたら、CNNの 報道が、動画を含めて網羅的(もうらてき)で、一番、分かりやすかった。以下の URL を貼りますから、見に行ってください。
http://www.cnn.co.jp/usa/35082126.html
トランプの勝利は、そのまま、今の世界中のエスタブリッシュメント(体制派、主流派。穏健派。いつも自分は勝ち組で管理側で得をする方の人間だ、という人たち)が、しかめっ面をする。
エスタブリッシュ人間たちにとっては、トランプのような、ドロドロの泥臭い、ヤクザ者そのものの、不動産業者あがり( 60階、70階 建ての超高層ビルを、それこそ400棟ぐらい作ってきた)が米大統領になってもらっては、困るのだ。
私、副島隆彦は、ちっとも困らない。やれやれ、どこまでもやれ、トランプ。自分のやりたいようにやれ、だ。アメリカ帝国が、正直に、ドル通貨という弱体通貨の信用の真実の崩壊と共に、国家としての破産宣言をすることろろまで、ゆくべきだ。 それが本当のアメリカン・デモクラシーだ。みんなの代表(リーダー、指導者)になる者は、堂々と、皆の前に出て、徹底的に、演説をやって、質疑応答をして、皆の信頼を勝ち取らなければいけない。
ただ単に演説、弁舌がうまい、ということではない。体を張って、皆の前で、自分の考えと、政策(やるべきこと。やりたいこと)を言うことだ。ウソはバレる。いくらウソを言っても、誤魔化(ごまか)しはきかない。
それでも、この先は、11月8日の大統領選挙まで、長い、トランプの選挙戦(遊説、ゆうぜい)の旅は続く。ワルの女の、ヒラリーとの戦いが続く。世界中のエスタブリッシュメントは、どうしてもヒラリーを勝たせようと団結する。
それはそれは、恐ろしい、醜(みにく)い、きたならしい者たちの、現世を支配している者たちの、悪魔のような、トランプ押し潰(つぶ)しの破壊工作だろう。 日本の、チンケな、テレビ、新聞人間たちなどは、おちょぼ口になって、「トランプさんて、ちょっと変ですようね 」ということぐらいしか言わないで、関わらないようにするだろう。こいつらにとっては、かわいいのは自分だけだ。自分の出演番組さえ守れればいいのだ。 あああ、あーあ、私、副島隆彦は、日本のドナルド・トランプになりたい。彼のように皆の前で、ずっと演説をしたい。 すべてをぶちかましたい。もっともっと言いたい放題、を言って、 そして撃ち殺されて、死んでしまいたい。
そうだ。 私たちの学問道場の定例会が、5月29日(日)にあります。前回は、私は、アラブ人、イスラム教徒の正装( 移民たちは、きたないポロシャツ姿)であるアバーヤじゃなかった、男性の正装の白い服とアーガル)をしてやりました。今回は、あのトランプの真似をして、トランプキャップをかぶって、金髪のかつらでもして、やります。
私は、病み上がりで、どうも体調がよくないですが、それでも、5月29日には、元気いっぱい、講演=公演を やります。私のほかに、早稲田大学の数学・物理学者の小澤徹教授(53歳ぐらいかな。働き盛りです )が、「数学と物理学の限界」 というような、貴重な話をします。 皆さん、どんどん申し込んでください。
申し込みはこちら ⇒ https://www.snsi.jp/tops/kouhou/1895
それでも、トランプは、海千山千(うみせんやません)の、アメリカ帝国の金融首都のニューヨークの生まれ育ちですから、東京の人間たちが田舎者(地方出身者)をひそかに差別して、「地方の人は、あっちに行って。私たちだけで金持ち階級どうしだけで結婚するのよ」という感じで、ニューヨーク金持ち階級の意思を、十分に体現した、アメリカ政治をやるだろう。
私は前にも書いたが、右翼軍人高官たち や 右翼警察官幹部たちがトランプの周りを固めているから、もう暗殺はできない。
ニューヨークユダヤ人金持ちたちも、トランプは、娘の イヴァンカ Ivanka の結婚相手が、正統派のジュー で NYの元締めの息子。 元の奥さんも Ivana イヴァーナ で、 これらは、 Ivan=イワン=のバカ、と蔑称で呼ばれるロシア人の 日本で言えば 太郎という名前の女性形 だ。 )が、いるから、ものすごく強い。
私、副島隆彦は、急いで自分のトランプ本を書かなければと、焦って来ました。ところが、気力が萎(な)えていて、どうも元気が出ない。 何とかしまて、もうすぐ 元気を出します。 副島隆彦 記
(転載貼り付け始め )
〇「 トランプ氏の共和指名確定=ケーシック氏が撤退表明―米大統領選 」
時事通信 2016年5月5日(木)
米大統領選の共和党候補指名争いで、ジョン・ケーシック・オハイオ州知事(63)は4日、同州で演説し、選挙戦からの撤退を表明した。これにより、指名争いに残っているのは実業家ドナルド・トランプ氏(69)だけになり、トランプ氏の指名獲得が確定した。
ケーシック氏はこれまで地元のオハイオ州でしか勝利していないが、夏の党大会が決選投票にもつれ込めば、主流派の自身に勝機があるとみて選挙戦を続けてきた。しかし、2位のテッド・クルーズ上院議員(45)が3日に撤退を決めたことで決選投票の可能性が事実上なくなったため、撤退を決断した。
〇「共和党 ランプ氏が指名確実になった クルーズ氏が、ついに撤退 」
2016年05月3 日 ロイター
.
5月3日、11月の米大統領選挙に向けた候補指名争いは、中西部インディアナ州 で予備選が実施され、共和党は獲得代議員数で首位を走る実業家ドナルド・トランプ氏(写真)が勝利した。テッド・クルーズ上院議員は選挙戦からの撤退を表明し、トランプ氏の指名獲得はほぼ確実な情勢となった。
11月の米大統領選挙に向けた候補指名争いは3日、中西部インディアナ州で予備選が実施され、共和党は獲得代議員数で首位を走る実業家ドナルド・トランプ氏が勝利した。テッド・クルーズ上院議員は選挙戦からの撤退を表明し、トランプ氏の指名獲得はほぼ確実な情勢となった。
オハイオ州のジョン・ケーシック知事は指名争いに残る意思を示しているが、トランプ氏との差は大きく、トランプ氏優位は揺らがない。
トランプ氏は、インディアナ州予備選での結果について「素晴らしい勝利」と表明。「クリントン氏は通商を理解していない、良い大統領になれるわけがない」と述べ、本選に向けてクリントン批判を強めた。
共和党全国委員会のプリーバス委員長はツイッターで、トランプ氏を事実上の党指名候補と呼び、クリントン氏打倒へ党内結束を訴えた。民主党の予備選は、バーニー・サンダース上院議員が勝利したが、ヒラリー・クリントン前国務長官の指名獲得は既に濃厚になっている。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
【1584】[1917]地震と火山爆発は同じ6
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年5月1日です.
長い説明が続き,御迷惑をおかけしております.どうか御寛容頂けますと有難く存じます.
(私自身,まさか地震活動や火山活動のメカニズムを解明することが,これほど広範な専門領域に踏み込むことにつながるとは,当初,予想していませんでした.)
前回までに,大気電流によって気象現象が駆動されるメカニズムについて部分的に述べました.(のちほど,集中豪雨,竜巻,つむじ風,台風も含めて,そこに電気力が関わっていることを述べたいと思います.気象兵器の原理は単純なものです.)
大気電流は,地表面や海面から電離層へと向かうマイナスの電荷の移動(電子の移動)ですが,地球全体で常に休み無く流れ続ける大気電流によって,次第に地殻や海からは電子が大気中へと抜けてしまいます.また電離層内部のプラスの電荷も,次第に大気電流によって中和されて消えてしまいます.その抜けてしまった電子と,消えてしまったプラスの電荷は,太陽風によって常に地球に供給されています.
太陽風は,水素原子が電子と陽子にバラバラになって地球に飛んでくるものです.その存在比や個数や速度や密度は常に変動しています.(全体的に見ると,どうやら陽子よりも電子のほうが,たくさん地球まで届いているようです.)
電子と陽子は,電気的な力,電荷の大きさとしては,符号が異なりますが同じ大きさを持っています.ところが質量は全く異なり,陽子は電子よりも1,836倍も重い粒子です.太陽から高速で地球まで飛来してくる電子と陽子のそれぞれに対して,同じ電磁気学的な力が加えられたとき,質量の軽い電子は,より簡単に,その運動方向が変化してしまいます.
地球は天体として磁場を持っています.この磁場に太陽風が衝突すると,太陽風の成分である電子と陽子は電磁気学的な力を受けます.このとき,質量の差によってふるいにかけられて,電子は地球磁場の磁力線につかまって,螺旋運動しながら地球の北極と南極(正確には磁北と磁南)の大気上空に進みます.その後,電離層,成層圏,対流圏を経て,電子は極域の地殻からマントル層へと吸収されていると考えられます.丁度,それを効率よく行いうる,安定した強い大気の運動が,極域の成層圏と対流圏には存在するようです.
陽子は質量が大きい分だけ電子よりも直進性が強いので,電子と同じように地球磁場から力を受けてブレーキをかけられつつも,おそらく,ほとんどの陽子は地球大気上空に,ほぼまっすぐ到達しているはずです.その供給量は低緯度帯である赤道周辺の上空が最大となり,緯度が高くなるほどに少なくなると考察しています.
地球天体レベルでの大きな電流が,大体ここまでに述べた経路に近い形で存在する可能性はあります.すると,地殻内部において上下方向に電位差が存在し,それによって地殻内部で地下水が電気分解されている可能性も導かれます.
(少し話が横にそれますが,海水も電気分解されているはずです.メタンハイドレードは海水の電気分解によって発生した水素ガスによって,海底に堆積した有機物が還元されて炭化水素になったものでしょう.また還元されたときに酸素が深海に放出され,それが深海の生態系に関わっている可能性もあります.)
多種の元素で構成される地殻の内部において,もしも常温核融合の現象が発生しうる条件が一通り揃っていて,酸素ガスと水素ガスが地殻内部に蓄積されるメカニズムも存在するとなりますと,地震爆発説は弾性反発説と比較して,次第に有利となります.
澤田正典 拝
【1583】[1916]天武天皇の正統性について
柿本人麿の悲劇(その10)
〔1886〕人麿の悲劇(その7)で「吉備の津の采女(うねめ)の死(みまか)りし時、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌」巻第二〔217~219〕は、人麿が亡き妻に奉げたレクイエム(鎮魂歌)であることを論じた。
妻を見殺しにした人麿は、懺悔、慰霊の旅を続けなければならなかった。「吉備津の采女」に対する鎮魂は、己の妻に対する鎮魂と響きあっている。
この歌の次に配置されているのが「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌」220~222である。
讃岐の狭岑島に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌
玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き
天地 日月とともに 満(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 継ぎて来る
中の水門(みなと)ゆ 船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに
沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく
鯨魚(いさな)取り 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶引き折りて
をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面(ありそも)に 庵てみれば
波の音(と)の 繁き浜べを 敷たへの 枕になして 荒床に 自伏(ころふ)す君が 家知らば 行きても告げむ
妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おぼぼしく 待ち恋ふらむ 愛(は)しき妻らは
《訳》
(玉藻よし)讃岐の国は、国柄が良い故か、見ても見飽きることが無い。それとも神柄がとても貴いのか、天地日月とともに永久に満ち栄えて行くだろう神の御面として受け継いできた。
中の港から我らが出港し漕いで来ると、季節風が大空に吹き、沖には大きなうねりが立ち、浜辺には白波が騒ぎ押し寄せている。
(鯨魚〈いさな〉取り)海が恐ろしいので、櫂を全力で漕ぎ、あちらこちらに島々は沢山あるが、良い名である狭岑の島に泊まり、仮庵を作りあたりを見回すと、波の音の頻りにする浜辺を枕として、荒床に倒れ伏しているあなた。
あなたの家が分るなら、行って知らせましょう。妻が知ったなら、やって来てあれこれ夫を発見した時のことなどを問うだろうに。
あなたの死を知らせる道すら知らない。不安な思いで待ち恋い慕っているだろう、あなたの愛しい妻は。
この歌の命は、後半にある。
「荒床に 自伏(ころふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは」
人麿は、実に心優しい。海岸に打ち伏している屍に人麿の心は共振を起こしている。「あなたの家路が分ったら、飛んで行って、あなたの奥さんに教えてあげましょう」と。
必死に捜索したが、ついに発見できなかった妻、その妻への鎮魂と、狭岑の島の海岸に一人伏している屍への思いが重なり合い共鳴しているのを歌い上げている。
人麿は、妻への鎮魂の旅をいまだに続けていたのである。
【1582】[1915]地震と火山爆発は同じ5
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年4月29日です.
すみません,続けさせていただきます.どうかお許しください.
地球の中心部が強いプラスの電荷を持ちますので,そのプラスの電荷が宇宙からマイナスの電荷(電子)を集めます.すると,地表面や海面がマイナスの電荷を持ちますので,地球大気の上空50kmより高い場所に存在する電離層が静電誘導されて,電離層の内側がプラス,外側(宇宙空間側)がマイナスの電荷を持ちます.結果,地表面や海面から上空50kmにある電離層との間には,およそ30万ボルト程度の電位差が発生します.これは大気電場と呼ばれています.この大気電場に従って大気電流が流れます.地殻や海水が半導体や導体という電気を通しやすい物質で構成されているのに対して,大気は絶縁体なので,大気電流は主に大気を構成する分子やちり等に付着して,大気イオンや静電気となって移動する形で流れます.
水分子は分極した構造を持っている特徴があり,分子自体がプラス極とマイナス極を持っているため,静電気を帯びやすい,大気中においてプラスイオンにもマイナスイオンにもなりやすい分子です.地表面や海面から大気中に放出される水蒸気は,地表面や海面と同電位の状態で放出されるため,電子を付着させた状態で,静電気を保った状態で,マイナスイオンとして大気中に放出されます.水蒸気は,電気的な力を得て地表面や海面から大気中に上昇します.もちろん,特に昼間は,太陽光によって与えられた熱力学的な力も加わって大気中を上昇します.
このマイナスイオンとなった水蒸気は,大気中を上昇して行くうちに,プラスに偏った電気を持つちりや分子と出会います.これは地表面や海面が持つマイナスの電荷に引かれて,電離層から下降してきたプラスイオンです.これらが大気中で出会うと,プラスイオンの周りに,マイナスイオンとなった水蒸気が凝集を始めます.凝集を始めると水滴となって,次第に全体の質量が大きくなっていきます.それでもしばらくは,空中に浮いていられる程度の浮力を保ちます.これが雲です.
大気電場を連続観測していると,上空が青空や星空であるときは,地表面がマイナスに,大気側がプラスに観測されますが,その観測地点の上空に雲が現れると,たちまち地表面がプラスに,大気側がマイナスに逆転して観測されます.地球上における,ごくローカルな1地点において,上空に雲がかかった程度のことで,地球大気全体の電気的な構造が引っ繰り返るはずもありませんから.雲が強くマイナスに偏った電荷を抱えていることがわかります.実際,雲の底面が,きれいに地表面と平行に,平らになっている様子が,よく観測されますが,雲が地表面から電気的な斥力を受けているためであると考えると納得できます.
雲が大量にマイナスイオンを抱え込むと雷雲となり,負電雷の原因となります.夏は暑いため,地表面や海面から大気中に供給される水蒸気の量,つまりマイナスイオンの量が増えます.大気中にはマイナスイオンが蓄積されていき,熱力学的な力も伴って,上昇気流を伴いながら積乱雲を形成します.このとき,大気の絶縁を破るほど電位差が大きくなったときに,積乱雲から地上へ向けて一気に電子が移動します.これが雷(負電雷)です.この放電に伴い,積乱雲を構成していた水滴が電気的な浮力を一気に喪失しますので大雨となって地上に降り注ぎます.この雨が大気の絶縁を弱めますので,ますます放電が助長され,雨量も増していきます.発達した積乱雲は対流圏の最上部(圏界面)まで到達すると横に広がりながら圏界面にマイナスイオンを蓄積していきます.そして,その電荷が十分に蓄積されたとき,一気に電離層との間で放電が発生し,電離層へ向かって電子が移動します.これが成層圏における雷であるブルージェットです.スプライトやエルブスといった超高層雷放電現象も,この一連の電荷の流れの中で説明される現象と思われます.
澤田正典 拝
【1581】[1914]地震と火山爆発は同じ4
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年4月24日です.
ここからは,地球という天体における電気的な力について考察していきます.
地殻内部において核爆発を引き起こす原因となる,核燃料の生成と起爆に関わる大きな要因として,電気力があります.
地球という天体においては,中心部が電気的に強いプラスの電荷を持っていると考えられるため,電気的な活動が活発に行われていると考えます.地球の中心部が電気的に強いプラスの電荷を持っていると考える理由は,次のとおりです.
・極めて高圧であるため,圧力を支えるために,原子核同士の反発力が必要となり,負電荷が邪魔になる.
・極めて高圧であるため,原子間距離が接近し,隣り合う原子同士で電子殻が重なり合い,電子同士の間で斥力が発生し,電子が追い出される.
・極めて高温であるため,電子が大きな運動量を持ち高速運動し,その速度は中心部で最大となり,結果として中心部ほど電子密度が疎となる.
以上により,地球の中心部は電気的に強いプラスとなり,追い出された電子が,その周囲に高密度に集まっていると考えます.
この高密度な電子の層が,おそらくは下部マントル層か,地球コアとの境界付近にあるはずです.
この高密度電子層においては,電気抵抗が非常に小さい可能性があります.そして地球コアの周囲に球面状に閉じて分布しているため,電流が発生した場合,長期的に保存されてきた可能性があります.
原始地球において,太陽から無数のプラズマの固まりが地球に叩きつけられてきました.このプラズマの塊である太陽風やコロナ質量放出(CME)に含まれる荷電粒子は,高速の,電子や水素原子核(=陽子,プロトン)で構成されており,負電荷,もしくは正電荷そのものであり,その比率や密度や速度や空間分布を刻一刻と変化させながら,断続的に地球に叩きつけられてきました.この結果,地球の周囲では太陽風やCMEによる磁場が発生したり消滅したりします.この常に変動する磁場が,電磁誘導の原理で,地球内部に電流を駆動してきたと考えられます.
電流は流れ続ける性質がありますので,最初のうちは,太陽風やCMEにおける電荷の正負の比率や密度,速度,空間分布の偏りにあわせて,くるくると電流の回転軸を回転させながら電流としてのエネルギーを徐々に蓄えていったのでしょう.そしてある程度以上の電流が貯えられてくると次第に安定してきて,ほぼ一定の回転軸でドーナツ状の電流として保存されるようになったと考えられます.
おそらく,ほぼ赤道面に平行な回転面を持つ,ドーナツ状の電流が,現在も地球内部に存在します.それが今も,地磁気の発生源です.このドーナツ状の電流の回転軸がくるんとひっくり返ると,地磁気の逆転になります.地球が何らかの電磁気学的な強い力を外から受けたときに,実際にそういう現象がかつて何回も繰り返し発生してきたと考えられます.
なお,おそらく地球以外の天体も,その内部に,ほぼ同様の電気的な構造を持っているはずです.太陽も.
澤田正典 拝
【1580】[1913]地震と火山爆発は同じ3
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年4月23日です.
副島隆彦先生,守谷健二先生,他諸先生方,いつもありがとうございます.私がこの重掲に,何度も投稿してしまい,すみません.
今回はまず,地殻変動の分類をします.プレート運動によって地殻に弾性エネルギーが蓄積されて,それが解放される現象は存在します.弾性エネルギーの解放に伴い発生する地殻変動の現象は,
・プレート境界型地震の発生後,プレート境界の上面側の地殻で見られる,長期的な伸張変動(余効変動).
・プレート境界において発生する,スロースリップ,ゆっくり地震,サイレント地震.
です.プレート境界で地震=核爆発が発生すると,高温によってプレート境界面の岩盤が溶解し,その面の摩擦力が低下し,弾性エネルギーの解放による長期的な伸張変動が発生すると考えています.これが,私の解釈による余効変動のメカニズムです.そして,温度の低下に従う摩擦力の回復と,弾性エネルギーの解放に伴う復元力の低下により,時間が経過するにつれて余効変動は収束していくと考えます.東北太平洋沖地震の震源となったプレート境界では,今でも余効変動が継続しています.核爆発の大きさも相当なものでしたが,それだけではなく,弾性エネルギーの蓄積も,たしかに,大きかったのでしょう.
プレート境界はもともと,強固に固着しておらず,摩擦力程度の弱い力で,上面プレートと海洋プレートの面同士が接着されています.静電気的な力が,この摩擦力に関与する場合もあると思います.そして,ある程度の弾性エネルギーが蓄えられると,たとえプレート境界型の地震が発生していなくとも,復元力のほうが摩擦力に勝り,ゆっくりと滑ります.それがスロースリップという現象であり,東海地震の想定震源域の周辺で,ときおり発生が確認されている現象だと推理されます.房総半島で何度か観測されてきたゆっくり地震も,同様の現象でしょう.
プレート運動はゆっくりとした運動ですから,弾性エネルギーの蓄積は基本的にゆっくりと進みますので,開放されるときも,ゆっくりと解放されるはずです.そして弾性エネルギーが解放されないまま時間が経過するほどに,弾性エネルギーは地殻を塑性変形させながら消滅するはずです.地殻内部には,弾性エネルギーはほとんど残っていないと思います.プレート運動で押されていますから,応力は働いていますが.
プレートテクトニクスが直接的に関与している現象など,この程度です.
なお,地殻内地震において余効変動が発生した場合,それが必ずしも弾性エネルギーの解放に起因するとは限りません.核爆発に伴う高熱が関与した,別のメカニズムである可能性も考えられます.
次に,核爆発や核反応に伴い発生する地殻変動の現象は,
・すべての地震における震動.
・プレート境界型地震における,プレート境界をせん断破壊面としたせん断破壊の促進と応力の解放.
・地殻内地震における,地殻内部の部分的なせん断破壊の促進と応力の解放,及び断層面の形成.
・火山におけるマグマ水蒸気爆発.
・火山におけるマグマ上昇及び火山性微動.
です.ここでは,核爆発や核反応によって発生するエネルギーのうち,力学的なエネルギーの関与が大きなものを上に,熱力学的なエネルギーの関与が大きなものを下に書いてあります.また,断層面は応力を解放したせん断破壊面であり,地震動のエネルギー源である核爆発とは無関係ですから,地震動の振動の方向成分と,断層面の変位の方向成分も無関係になります.
今後,修正することがあるかもしれませんが,今は上記のとおりに分類したいと思います.
こういった分類を確実に行う目的上においては,現在の地震学が蓄積している,力学的な物理量の観測データが,後々,役立つだろうと思っています.(ただし,そんな研究をしたところで,地震予報や災害予測には,ほとんど役に立ちません.優先順位で言えば,一番最後の方です.今の地震学では,一番最後にやればよいことを,わざわざ,一番最初にやろうとしているのです.なんらかの謀が働いているに,決まっているではないか.そんなことをしている間に,税金を払っている日本国民の皆様が津波や地震や火山災害で何万人も亡くなっているのです.ひどい話である.)
私は副島隆彦先生の書籍と講演会に感謝しています.私にとって大切な恩師です.ベンジャミンフルフォード先生,リチャードコシミズ先生にも,感謝しております.そして,船井幸雄先生に,深く感謝しております.
澤田正典 拝
【1579】[1912]天武天皇の正統性について
柿本人麿の悲劇(その9)
《柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌》〔207~216を検討してきた。そこで明らかになったことは、
1、三首の長歌の長歌の後半は、三首とも必死になって妻を捜し求めている様を謳っている。
〈大鳥の羽易の山に 汝が恋ふる 妻は居ますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し 好けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば〉〔213〕
「うつそみと」…生きていると 「思ひし妹が」・・・信じていた妻が 「灰にてませば」…灰なのだもの
三首とも、人麿が必死になって捜索していたことを歌っているのです。〔207〕の歌では、人麿の妻が苦境にあったことを歌っています。人麿は、世間の目、評判が恐ろしくて妻の元へ通うことが出来ないと歌っている。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、とのんきに構えていた。既に二人の間には子供が誕生していたのにです。
人麻呂の妻は、遂に堪え切れずに覚悟の失踪を遂げた、と私は読み解いた。
「世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白妙の 天領巾(あまひれ)隠れ 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば」〔210〕
人麿の妻は、お里でひっそりと暮らすことすら世間の批判の的になり、厳しい視線の中にあったのだ。まるで村八分のような。そんな妻の苦境を人麿は十分承知していた。しかし、世間が怖いと救いの手を差し伸べることが出来なかった。時間が経てばほとぼりも覚め、また逢えるようになるさ、と。
そんな中、妻は死に装束に身を正し、覚悟の失踪を遂げたのである。
私の目にした全ての解説書は「世の中を 背きし得ねば」を「人間が死ぬと云うのは逃れようのない世の摂理」と訳している。題詞の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」を無批判に受け入れ、人麿の妻は死んでしまっているのだ、と決め付けて解釈しているのだ。
死んでしまっているのなら、どうして人麿は必死になって捜索する必要があると言うのだ。
人麿は、妻を見殺しにしたのである。妻殺しの原罪を負って出発した詩人が柿本人麿である。