重たい掲示板

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守谷健二 投稿日:2016/09/04 10:44

【1652】[1988]天武天皇の正統性について

自ら正体を隠した柿本人麿

 人麿作歌は、二つに類別することが出来る。歴史事件を歌ったものや皇子、皇女(ひめみこ)の死を歌った挽歌は公(おおやけ)を歌ったものであり、一方、妻の死と自身の死を嘆いた歌群は「人麿の私生活」を歌ったものである。

 私は、(207)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」から(227)「或る本の歌」までの二十一首を、一つのシリーズ「亡き妻に奉げた鎮魂の」であると考えた。あくまでも私の仮説です。

 小室直樹先生が、ことあるごとに力説していることは、科学は仮説を立てることで始まる、と云う事です。仮説を検証する事が、科学です。
 科学者の能力は、人の思い付かない仮説を立てることが出来るか否かにかかっています。想像力、空想力が科学者には不可欠な能力です。

 私が(207)から(227)までを一つのシリーズと考えた理由は、〔226〕「丹比真人(名をもらせり)、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌」

   荒波に 寄りくる玉を 枕に置き 吾ここにありと 誰か告げなむ

 この歌は(220)の「讃岐の狭岑島に、石の中に死(みまか)れる人視て、柿本朝臣人麿の作る歌」の反歌と見るとピッタリするのです。

 また(227)「或る本の歌」

   天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし

 この歌は、(207~216)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌にピッタリします。
 これは『万葉集』の編者が、(207)から(227)までを一つのシリーズと読めと示唆しているのではないかと、私は考えたのです。
 このシリーズのヒロインは、覚悟の失踪を遂げ、何処で果てたかもしれない人麿の妻です。妻に奉げた鎮魂の歌群です。
 そうすれば(223)「柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌」

   鴨山の 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ

 この歌で人麿が語り掛けている相手は、今やあの世の住人である妻と云う事になります。
 つぎの(224~225)「柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌」

   今日今日(けふけふ)と 吾が待つ君は 石川の 貝に(一に云ふ、谷に)交(まじ)りて ありといはずやも

   直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ

 答えて歌を返しているのは、あの世の妻と云う事になる。あの世の妻の気持ちになって歌っているのだ。

   今日今日と 吾が待つ君は 石川の 貝に(谷に)交りて ありといはずやも

 貝または谷とあれば、女性を指す隠語に決まり切っている。「貝に(谷に)交(まじ)りて」は、エロスの表現である。
 つまり、妻を見殺しにした人麿が、長い苦悶の旅の末、新たな愛を得た、石川の娘さんとよろしくなさっているではありませんか、とあの世の妻が語り掛けている形に作っているのである。
 次の

   直(ただ)の逢ひは 逢かつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ

 直接お逢いする事は叶わないことでしょう、石川に煙を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びいたしましょう。

 通説は「石川に 雲立ち渡れ」を、人麿を火葬した時の煙と云う。しかし、それはおかしいだろう。人麿が石見国の鴨山で死んだとするなら、妻が人麿の死を知ったのは、人麿が死んでからかなりの時間が過ぎた後であったはずだ。もうとっくに火葬も終わっていたはずだ。
 ちなみに通説は、鴨山で死んだ人麿は、石川の川原に運ばれて荼毘にふされ、海に散骨された、と云う物語を作っている。

 私は「石川に 雲立ち渡れ」の雲は、生活の煙りと理解する。炊事の煙りである。あの世の妻は、人麿の新生活を望み見て、それを祝福さえしているのではないか。

 人麿は、長い苦悩の旅の末、石川の娘さん(石川郎女)の愛を得て新生活を始めたのである。
 石川郎女は『万葉集』の中心的ヒロインの一人である。しかしその素性は謎に包まれている。『万葉集』には、少なくとも三人以上の石川郎女が登場しているように見える。
 しかし、石川郎女は柿本人麿の相方である、人麿を謎の中に置いた以上、その相方の石川郎女も謎の中に置く必要があったのではないか。
 石川郎女を探求する中で、柿本人麿の素性も自ずから明らかになってくるのではないかと考えた。
 次回から、しばらくは石川郎女を検証しようと思う。
 

 
 

庄司 豊明 投稿日:2016/09/04 08:43

【1651】[1987]澤田様、書き込みを見ました

ご指摘ありがとうございます。
ウソを見抜く勉強になりました。
別にアドレスを持っていたので、こちらから報復まがいのメールを返信してやりました。
会員番号7791 庄司 豊明

中野 誠 投稿日:2016/09/03 15:37

【1650】[1986]なるほど

澤田様のご指摘が正しいが正しいのかもしれません。
一度、国税局の納税支援調整官に電話して聞いてみます。
澤田様、有難う御座いました。

会員NO1035 中野 誠

澤田正典 投稿日:2016/09/03 12:10

【1649】[1985]ドメインがヤフーでは国ではない.

 会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年9月3日です.

 現状についてよく把握できている者ではありませんが,東京国税局といった国家機関から,ヤフーのドメイン@yahoo.co.jpで日本国民に連絡をするということが,果たしてありうるのかどうか,正直,疑問に感じます.それは,おそらく,謀略メールというやつでしょう.

 今,「副島隆彦の学問道場」だけでなく,他にも,日本国民の利益に直接的に繋がる大切な情報をインターネット上で広く発信している方たちは,どうやら同じような被害や妨害を受けているようです.

 あまりひどい内容であれば,警察に届けることも含めて対策を進めたほうが良いかもしれません.東京国税局自身も,そのように名をかたったメールがネット上に流れていることに対処したほうが良い可能性があります.

 澤田正典 拝

中野 誠 投稿日:2016/09/03 10:55

【1648】[1984]また東京国税局からメールが来ました

東京国税局には、領収書など見たこともないし、署名捺印などしていない。
学問道場の人間が勝手に、私の名前を使ってしたことだと返信しました。
会員の名前を勝手に使い、ニセ領収書を税務署に提出するなんてあまりにも
幼稚な安易な手段だと思います。税務署もプロですから、騙されません。
副島さん、どうなっているのですか?会員にまで迷惑をかけてどうするのですか
御説明をお願いします
会員NO1035 中野 誠

守谷健二 投稿日:2016/09/02 12:11

【1647】[1983]天武天皇の正統性について

1977の続きです。

    自ら正体を隠した柿本人麿

 柿本人麿の正体を明らかにすることが何故重要か?
 天武天皇の命で始まる「歴史編纂作業」と人麿の作歌活動は同じ時期に重なり合っている。
 人麿が作歌活動をしているのは、持統朝(687~697)・文武朝(697~707)である。
 修史作業も、この持統朝・文武朝で精力的に進められていたのである。大宝三年(703)の粟田真人の遣唐使は、日本国の由来を唐朝に説明するのが主任務であった。
 つまり、この時まで「日本史」の大枠は完成していたと考えねばならないのである。この「日本史」は、天武天皇を正統化する為のものであり、唐朝にそれを認めてもらうために創られたのである。唐朝を読者に想定して作られたのだ。
 七世紀の後半まで、日本列島には未だ統一王朝は成立していなかった。天智天皇の時、初めて統一王朝が成立したのである。倭国の朝鮮半島出兵の惨敗による自滅で、それは可能になった。
 天智天皇の和風諡号(おくりな)は、天命開分天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)である。初めての統一王者に相応しい諡号である。
 「壬申の乱」は、倭国の大皇弟による近畿大和王朝(日本国)乗っ取り事件であった。
 朝鮮半島では、668年に高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる。唐は大帝国である。朝鮮半島の植民地化を企てていた。新羅が勝者として強大化するのを望まなかった。百済残党を援助して、新羅に対抗させるような策謀を巡らしていた。
 遂に新羅は正面切って唐に反旗を掲げたのです。そんな中、671年(天智十年)十一月、唐使・郭務宋が二千の兵を率いて四度目の来日を果たしている。この来日の目的を、倭国に再度の新羅討伐軍の派兵の要請以外に考えることが出来るのか。要請と云うより、命令であった。
 しかし、今や倭国は日本国の臣下である。唐の命令を、日本国に取り次ぐしかなかった。この十二月三日に、天智天皇が亡くなっている。皇位を引き継いだのは、天智天皇の長子の大友皇子(明治になって諡号を送られた弘文天皇)であった。
 大友皇子は、唐の要請を受け入れ、半島に新羅討伐軍を送ることに決めた。
 郭務宋は、672年の五月の末日に帰途についている。
 この五月に、大友皇子は、美濃・尾張両国で徴兵を開始している。この兵達の服に赤い色を目印に付けさせていたという。赤のシンボルカラーは、帝国唐のものであった。周辺の属国は、赤を勝手に用いることなど許されることではなかった。
 天武の勝利は、大友皇子の徴集していた兵を、何の抵抗を受けることなく手に入れたことと、名門大豪族大伴氏が一族を結集して天武の味方に付いたことによる。
 しかしあくまでも乗っ取りであり、騙し討ちであった。天武の勢力は、勝者ではあったが、少数者であった。天智系勢力から見れば、大伴氏は裏切り者であった。大伴氏は、勝者であったが、すみ安い世ではなかった。

 さて人麿である、彼は天武の王朝に全力で賛歌を捧げている。

  大君は 神にしませば 天雲の 雷(雷)の上に 庵らせるかも(235)

 人麿は、明らかに天武勢力の一員である。また七世紀後半まで日本列島には統一王朝は成立していなかったのであり、統一神話も統一歴史も持っていなかったのである。
 天武の命による「修史事業」で始めて「統一神話・統一歴史」が編み出されたのだ。人麿の王朝賛歌は、まだ日本人が知らなかったことを元にして謳われている。彼が修史事業の真っただ中に居なければ不可能である。
 人麿は、それまでにある日本人の信仰を謳ったのではなく、人麿が歌った故に日本人の信仰になったのである。
 
 
 

庄司 豊明 投稿日:2016/09/02 09:30

【1646】[1982]中野誠様ありがとうございます

夏休み中に弟と2人で徳力本店で200万円を超過する金塊取引をしていたので、しかも地元市役所から配布されたマイナンバー票の原本提示をしていたので、私の取引情報が漏れたかと最初は思いました。
過去にも地元税務署から金塊についての追跡調査文書が来て、抗議文を送付したので、報復かと思いました。
会員番号7791 庄司 豊明

中野 誠 投稿日:2016/09/02 08:51

【1645】[1981]私にも来ました

今朝、メールを見ると東京国税局からお尋ねしたいことがありますとの
   題名で届きました。ニセメールだと思い開けずに消しましたが
   念のため、東京国税局に朝一番、電話で問い合わせをしょうかと
   思っておりました。今朝7時半ごろ、重たい掲示板を見ましたら
   庄司様の投稿が載ってあり、アドレスも同じninnfu4545でした
   内容は、庄司様が書いておられるので、私に来たメールも同じだと
   思います。会員の個人情報が持ち出されていますね。
   会員NO1035 中野 誠

   
   

庄司 豊明 投稿日:2016/09/02 07:12

【1644】[1980]相手方アドレスの訂正です

度々すみません。
相手方メールアドレスが間違っていたので訂正致します。
ninnfu4545@yahoo.co.jp

会員番号7791 庄司 豊明

庄司 豊明 投稿日:2016/09/02 07:08

【1643】[1979]国税局からの不愉快なメールです

内容は以下の通りです。
庄司 豊明様にお聞きしたいことがあります。
贈与税、所得税の申告はお済でしょうか。
副島隆彦の学問道場の領収書に、庄司豊明の名義で、200万円の受領領収書をお書き
になりましたでしょうか。
お手数ですが10月1日までにお近くの税務署までお越しください。
東京国税局 藤井健一
以上がその内容です。
相手方のメールアドレスはninnfu@yahoo.co.jp
私は相手方のメールアドレスに以下のように返信しました。
そのようなことは一切なく事実無根です。
何の証拠や捜査令状もなく、わざわざ仕事時間を割いて税務署まで出頭する義務
は一切ないと思いますがいかがなものですか?
国家権力の濫用はやめていただきたいものです。
会員番号7791 庄司 豊明