重たい掲示板

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かたせ2号 投稿日:2023/02/13 19:11

【3024】[3518]PR:イーロン・マスク「Twitterファイル」のわかりやすい解説記事を、「ふじむら掲示板」に紹介・引用しました。

1.
さて先日、イーロン・マスクの「Twitterファイル」に関するわかりやすい解説記事を見つけました。そこで、本日、2023年2月13日、「副島隆彦の学問道場」内にある「ふじむら掲示板」の[544]から[537]に、解説記事の紹介と引用を行ない記録・保存しました。
(掲示板リンク先)https://www.snsi.jp/bbs/page/16/

この、Twitterファイル(ファイルは現時点で、1から12まであります)解説記事は、匿名の情報提供者から、とあるサイトの管理者にリークされ、2023年1月27日から2月8日にかけて、サイト管理者の手を経て、配信されました。
Twitterファイルについて、日本のマスコミが一切とりあげていない中、今回紹介する解説はとてもわかりやすいので、大変に貴重です。
この情報を日本国民が広く知ることは、日本国民および世界にとっても有益なことだと考えます。
ご興味のある方は「ふじむら掲示板」にある紹介記事([544]から[537])を、ぜひ、ご参照ください。
(掲示板リンク先 再掲) https://www.snsi.jp/bbs/page/16/

2.ご参考:Twitterファイルとは

(紹介記事の中から抜粋開始)
Twitterを買収してCEOに就任したイーロン・マスク氏は「Twitter内部では民主党支持層の力が圧倒的に強く、バイデン大統領の息子の汚職を隠していた」ということを「Twitterファイル1」で公表したことを皮切りに、Twitterがひそかに実施しているとされる「シャドウバン【※】」の実態について明かす「Twitterファイル2」などを次々に公表しています。

(【※】シャドウバン:ソーシャルメディアの運営側が悪質なユーザーのアカウントの投稿をタイムライン等に表示させないように設定して(公の目に触れないようにして)半ばアカウント凍結(ban)に近い状態にする措置のこと。)

ツイッターファイルの目的は、ツイッター社と左翼思想及び政府による監視の影響を過去のコンテンツモデレーション(不特定多数のユーザーによって投稿されたインターネット上のコンテンツ【書き込み・画像・動画】を監視する「モニタリング業務(=投稿監視)」のこと)から精査し、暴露することでした。

また、ツイッターファイルの公開と同時に、コンテンツ モデレーション チームを含むツイッター社の大規模な解雇も行われました。
しかも、Twitter ファイルの特徴は、CEO のイーロン マスク氏によって選ばれたジャーナリストが、みんな反トランプ、非常にリベラルな価値観を持った人たちであるということにつきます。
(紹介記事の中からの抜粋終わり)

3.
この解説記事で一番の肝(キモ)となる、情報提供者の主張は、ここだと、わたくし、かたせ2号は判断したので、以下に抜粋します。

(抜粋開始)(ふじむら掲示板、[541]から。)
要するに、(Twitter社は)自分たちのリベラルな価値観で、左翼的な価値観で、それに一番反対しているトランプ、トランプ支持派、これはけしからぬということで、事実を歪めて言論弾圧、検閲をやっていた。そして、反トランプの急先鋒であるFBIと表裏一体で、権力と一体となって権力を行使して、民間人の言論まで弾圧していたという、明らかに憲法違反、アメリカの法律に違反することをやっていました。

いわゆるプラットフォームとしての資格がここで完全になくなっているってことは確かですね。メディアとプラットフォームというのを区別するのは大事なことで、メディアは、例えばニューヨークタイムズはニューヨークタイムズの意見があって、それを言っていい。ウォールストリートジャーナルはウォールストリートジャーナルの意見を言っていい。自分たちの意見に合わない投書なんかは載せなくてもいい。

しかし、プラットフォーム企業というのは独占企業、独占寡占状態にありながら、独占禁止法を適用されて分割とかされていません。なぜそうかと言えば「ここに入ってくる言論は、全部自分たちは単なるプラットホームを提供しているだけですから出しますよ。ですから、自分たちの意見を反映させません。自分たちの意見によって、この意見はいいから載せます、この意見は悪いから載せませんということはいたしません。」というのが、プラットフォーム企業として独占禁止法分割なんかの適用を免れている非常に大きな理由でもあるんですね。

また、それによって言論の責任からも解除されているということですが、自分たちの好みの意見は載せて、そうじゃない意見は載せないということであれば、プラットフォーム企業としての資格がないということになります。ここら辺は2022年12月15日にやったトランプさんの演説が鋭くついているところです。
(抜粋終わり)

かたせ2号です。上記文面に対する、わたくしの解釈を述べます。

「Twitterファイルで事実が明らかになったので、2022年12月15日付トランプ演説の内容通りに、これからアメリカが動いていく」という宣言になっています。

そう解釈する理由は、Twitter ファイル爆弾の投下開始日が2022年12月20日で、トランプ演説(12月15日)から、スケジュールがそのまま地続きでつながっているからです。
ドナルド・トランプとイーロン・マスクは緊密に連携して、行動をとっています。これは、もう間違いない。そのことを、上の文面は、暗に認めています。

4.
最後に。
2022年12月15日付トランプ演説全文の和訳を、以下のサイトから引用します。
今後、ホワイトハットの手によりアメリカで実現されるであろう、重要な法的仕組みとなります。
よろしくご参照ください。

https://ameblo.jp/trump123456/entry-12779789683.html

トランプ応援ブログbyいけさんのサイトから。

(引用開始)
2022年12月15日。トランプさんの重大発表ありましたね!トランプカード発売発表!
からの
『デジタル権利章典』の詳しい計画の発表。

トランプさんが大統領に就任した直後に既存メディアは存続できなくなるという事ですね。

以下、全文を載せます
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
言論の自由がないのなら、自由な国とは言えないだけだ。それはとてもシンプルなこと。この最も基本的な権利が失われれば、他の権利や自由も崩壊してしまうだろう。ドミノ倒しのように、ひとつひとつが崩れていくのだ。

だからこそ今日、私は左翼の検閲体制を打ち砕き、すべてのアメリカ人のために言論の自由の権利を取り戻す計画を発表する。

この場合、取り戻すという言葉は非常に重要である。なぜなら、彼らはそれを奪ってしまったからだ。

ここ数週間、ディープステートの官僚、シリコンバレーの暴君、左翼活動家、堕落した報道機関の邪悪な集団が、米国民を操作し黙らせるために共謀していたことが、衝撃的な報告で確認された。

彼らは選挙から公衆衛生に至るまで、あらゆる重要な情報を抑圧するために協力してきた。検閲カルテルは解体され破壊されなければならず、それはすぐにでも実現されなければならない。

そして、これが私の計画だ。

まず、私の就任後数時間以内に、私は大統領令に署名し、連邦省庁がいかなる組織、企業、個人と共謀して、アメリカ市民の合法的な言論を検閲し、制限し、分類し、妨害することを禁止することにする。

そして、連邦政府の資金が国内の言論封鎖に使われることを禁止する。そして、国土安全保障省、保健福祉省、FBI、司法省の誰であろうと、直接的、間接的に国内検閲に関与した連邦官僚をすべて特定し、解雇するプロセスを開始する。

第二に、私は司法省に、絶対的に破壊的で恐ろしい新しいオンライン検閲体制に関わるすべての関係者を調査し、特定されたあらゆる犯罪を積極的に起訴するよう命じる。

これには、連邦市民権法、選挙資金法、連邦選挙法、証券法、反トラスト法、ハッチ法、その他多くの潜在的な刑事民事規制法および憲法違反の可能性がある。これらの取り組みを支援するため、私は下院共和党員に直ちに保全の手紙を送るよう促している。

そして、バイデン政権、バイデン陣営、シリコンバレーのあらゆる技術大手に対して、検閲の証拠を隠滅しないよう命令することを、今すぐ実行しなければならないのである。

第三に、私が大統領に就任した暁には、通信品位法230条を改正し、大手オンライン・プラットフォームを検閲ビジネスから解放する法案を私の机に送るよう議会に要請する。

中立性、透明性、公平性、無差別性などの高い基準を満たせば、これらのプラットフォームに対して、児童搾取やテロリズムの助長などの違法コンテンツを取り締まる努力を強化するよう求める一方で、合法的な言論を勝手に制限する力を劇的に抑制する必要があるのだ。

第四に、いわゆるデマや偽情報に取り組むという偽りの口実の下に生じた有害な検閲産業全体を解体する必要がある。

連邦政府は、この権威主義的プロジェクトを支援するすべての非営利団体と学術プログラムへの資金提供を直ちに停止すべきである。もしアメリカの大学が過去に検閲活動や選挙妨害、例えばソーシャルメディアのコンテンツにフラグを立てブラックリストに載せるようなことをしたことが発覚したら、その大学は5年間、あるいはそれ以上、連邦政府の研究費や学生ローンの支援を失うべきだ。

私たちはまた、民間団体と提携して憲法を回避し、アメリカ人から憲法修正第14条および第5条の権利を奪う連邦官僚に対する明確な刑事罰を定めた新しい法律を制定すべきだ。

言い換えれば、投票権を奪うのだ。そして、その選挙を失い、私たちのように国境を失えば、もはや国とは言えない。さらに、主要なプラットフォームが浸透している問題にも直面する。元政府高官や情報機関の職員が大勢入り込んでいるという問題にも直面する。FBI(連邦捜査局)、CIA(中央情報局)、NSA(国家安全保障局)、DNI(国家情報長官)、DHS(国土安全保障省)、DOD(国防総省)の職員が、膨大な量のユーザーデータを保有する企業に就職する前に、1年間の冷却期間を設けるべきである。

第五に、ついに議会がデジタル権利章典を可決するときが来た。

これには、デジタル・デュープロセスの権利も含まれるべきである。
つまり、政府関係者がオンラインコンテンツを削除するには、裁判所の命令が必要であり、FBIがTwitterに送っていたような情報提供の要請は必要ないはずだ。

さらに、大きなオンラインプラットフォームのユーザーがコンテンツやアカウントを削除、シャドーバン、その他の制限を受けた場合、それがどのような名前であっても、それが起こっていることを知らされる権利、その理由の具体的な説明を受ける権利、タイムリーに訴える権利を持つべきだ。

さらに、18歳以上のすべてのユーザーは、コンテンツの検閲や情報操作を完全に排除し、操作されない情報の流れを受け取る権利を持つべきだ。

言論の自由のための戦いは、アメリカにとって、そして西洋文明の存続そのものにとって、勝利か死かの問題だ。
私が大統領になったら、この検閲と情報統制の腐ったシステム全体がシステム全体からはぎ取られ、言論の自由を回復することによって何も残らなくなり、民主主義を取り戻し、国を救うことができるようになる。

ありがとう。そして、アメリカに神の祝福を。
(引用おわり)

以上

副島隆彦 投稿日:2023/02/09 17:27

【3023】[3517]副島隆彦の金融セミナーが開催されます。

副島隆彦です。 今日は、2023年2月9日(木)です。

 今から1か月余先ですが、3月19日(日)に開催される、私の 金融セミナーの 宣伝をします。
 そろそろ、世界が本当の激動期に入ります。ここから先は、視界不良となって、暴風雨の中を、突き進む感じになります。みんな、気を引き締めてください。
 金融の予言者(プレディクター)を公言している、私の言葉と理論に、真剣に耳を傾けて、しっかり付いて来てください。

 私の予言と忠告に従わないで、いい加減な、甘えた考えのままでいると、自分自身が、ひどい目に遭うでしょう。現実から振り切られて、投げ捨てられます。だから、金融のことに関心が有って、お金に余裕のある人は、私のこの金融講演会に参加してください。

 あるいは、オンライン配信の 動画でも見れます。セミナーの翌日に配信するそうです。このオンライン配信を見て、私、副島隆彦が、本気で何を話すのかを、聞いてください。

詳細は、以下のとおりです。

===============================
「副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー 第25回」
*会場:イイノホール&カンファレンスセンター 東京都千代田区内幸町2-1-1
*日時:2023年3月19日(日) 
 開場・受付/11:00~ 終了/17:30 (予定)
*受講料:15,000円(税込)/指定席  または オンライン
===============================

申し込みは、コチラから ↓↓↓
https://kokc.jp/e/ba8247699b634ffb67ca7c6b7bf32f5d/

副島隆彦拝 

1つ前の松永知彦 君の文。 本人が加筆訂正した。 投稿日:2023/02/09 11:57

【3022】[3516]真実の徳川家康  加筆後の 松永知彦君の文の 再掲載

副島隆彦です。今日は、2023年2月9日(木)です。

 以下に載せる文は、この重たい掲示板の 「3515番」の文を、書き直して、加筆して、載せ直したものである。書いた人は、名古屋市に在住の、私たちの会員の松永知彦(まつながともひこ)君です。

 以下のとおり、今日のぼやき の 方を読みに行ってください。一体、歴史の真実とは何か、を、皆で、真剣に考えましょう。

現在、毎週放送されている、NHKの大河ドラマ「どうする家康」のウソつき に対して、私たちの学問道場は、真実暴(あば)き刀(とう)を振りかざして突撃してゆきます。 奮闘する 松永君の歴史研究の精緻な腕前と能力に、皆さんも声援を送ってください。ここに至る、松永君の古文書(こもんじょ)収集と、その読み込み、そして現地調査の労苦に思いを致しましょう。 

 今日のぼやき 「2039」番  【再掲載】「1456」番の   村岡素(もと)一郎 著 『史疑(しぎ) 徳川家康事績』(1902年刊)についての 松永知彦氏の長文の歴史論文を載せます。 2014年6月10日【再掲載】(第1回・全2回)  2023年2月8日

 私は、松永君とは、8年前(2014年)に名古屋市でお会いして、「真実の徳川家康は、こういう人物だった」の話をしました。 あれから8年が経(た)ちました。昨日、松永君と久しぶりに電話で話しました。
全くもって、歳月(さいげつ)は慈悲(じひ)を生(しょう)ず、で有ります。

 以下の文は、おととい松永君が投稿した重たい掲示板の文を、一昨日、彼から送って来た、新しい文に、私が、張り替えます。

 以下の松永君の文に、さらに私が、少しだけ手を入れます。そうしないと、ただでさえ、「隠されれている歴史の真実 を 表に出す」と言っても、興味も関心もない人たち(その程度の頭、思考力)を、文章で説得することは難(むずか)しい。それでも、真実を(は)明らかにしなければいけない。何100年も、そして今猶(いまなお)、ウソが堂々とまかり通ってはいけない。それが私たちの学問道場に集まる者たちの信念であり、深い決意である。

(転載貼り付け始め)

学問道場の会員で、名古屋の松永知彦 と言います。
  今年のNHKの大河ドラマ 「どうする家康」が1月から始まった。
今までとは違うあらたな家康像を描いているということで、表面上は好評のようだ。
ドラマはドラマという創作なので、その構成や筋書きに対して、私はあれこれと書くことはしない、と思っていた。

 しかし、放送5回目にして、私は、もう我慢ができなくなってしまった。
清州城(きよす)で、松平元康(まつだいら・もとやす)と 、お市の方が婚姻を結ぶ寸前までいったり、服部正成が忍びの姿で瀬名姫を救出しに駿府へ向かったりと色々驚かせてくれるのだが、だからといって通史をもとに構成、脚色されているドラマに目くじらを立ててあれこれ批判したところで、やはりどうしようもないと思い直した。

 それで、ここでは、今年のNHKの大河ドラマの初回放送から5回目までに描かれた時代背景を中心に、ドラマでは描けるはずもない真実の家康の姿をざっと書いていきたいと思う。

 ただし出典からの引用文や結論に行き着くのまでの解釈などを書いていると長大になってしまうので、ここでは真実のみを極力簡潔に書いていきます。時々脱線するかもしれませんが。

 最初に、大きな真実として、(副島隆彦注記。三河(みかわ)大名だった)松平元康(まつだいらもとやす)と、のちの徳川家康とはまったくの別人ということを再確認しておく。ここでは松平元康が、摩り替った、徳川家康は、当時、自身をどのように名乗っていたかははっきりしないので、先駆者たる村岡素一郎(むらおかもといちろう)に、敬意を表し世良田次郎三郎元信(せらだ・じろうさぶろう・もとのぶ) とする。

 世良田元信(せらだもとのぶ)の生まれは、駿府(すんぷ。今の静岡市)であり、祖母の於岩(於万=おまん=とする説もある)と、府中少将の井宮前(ふちゅうしょうじょうのいみやのまえ)町 に居住していた。 (『三河紀』『岡崎物語』『松平開運録』『駿河誌』『駿河近在巡見集』)

 この府中少将の井は、少将井の 社前(やしろまえ)の、下層民の、ささら者 の集団や、願人坊主(がんじんぼうず。 諸国を旅してまわる遊行=ゆぎょう=僧、隠密=おんみつ=の役目も負っていた ) が居住していたところだ。

(副島隆彦加筆。NHKのテレビで描かれているような)宮ケ崎にあった今川の人質館 (駿府城の北側の武家屋敷の中の、立派なお屋敷 )とは場所が違う。(『武徳編年集成』『烈祖成績』『逸史』)

(副島隆彦加筆。それに対して、駿府城の東の方の、下層民が住んでいた)この宮の前町に住んでいた ささら者たちの集団は「お社(やしろ)の前にて不浄なり」とのことで天正年間に八幡小路(はちまんこうじ)に移転させられ、のち、延宝(えんぽう)年間に、川の辺・馬淵に移転させられている。

 於岩(副島隆彦加筆。のちに源応尼(げんのうに)と名乗らされた、真実の家康の、祖母の於万=おまん)である。この祖母は、近くの、刑場であった、狐ケ崎(きつねがさき)の傍らにある末寺の知源院(のちの華陽院(けいよういん) = 現在の誉田町(ほんだちょう)にある府中寺 。副島隆彦注記。現在も残っている。皆で見学に行くべきだ。私は行った。この於まん(源応尼)の墓が有り、幼稚園も経営している。江戸時代の大名たちは、参勤交代の時に、この華陽院の前で降りて参拝したという)に、ほとんど住み込みのようにして出入りしていた。

(副島隆彦注記。。静岡市=駿府(すんぷ)の 華陽院に引き換え、今の愛知県の三河岡崎城の松平氏の累代の居城の方は、大名たちに忌避され、素通りされた。岡崎城は、深い謎が有って煙たがられた。私、副島隆彦が40年前、1980年頃に訪れた時には、岡崎城の周囲は、草ぼうぼうの荒れ放題だった。 ) 

  お岩(真実の家康の祖母)は、(刑死者を弔う)比丘尼(びくに。尼さん)だったからである。世良田元信は幼少期を八幡小路にある円光院(えんこういん)の智短上人(ちたんしょうにん)のもとで、読み書きを習いながら元気に暮らしている。 (『咬雑物語』)

 これは竹千代( 松平元康の方、当時8歳 ) が 、天文十八年(1549)十一月に人質として初めて駿府に送られる(副島隆彦加筆。 ことになっている。おそらく岡崎上の中で、殺されて摩り替られた、三河大名・松平元康=まつだいもとやす=)方のよりも、一世代、前の話である。村岡素一郎氏は根拠を示していないものの松平元康は世良田元信よりも4歳年上だとしている。

 駿府到着後の竹千代は、(三河松平氏 から、駿府今川家への少年人質として)宮ケ崎の今川館に居住している。松平元康が教えを受けたのは、(立派で高名な )禅宗の僧侶の、太原雪斎(たいげんせっさい)で 清見寺(せいけんじ)もしくは、臨済寺でのことである。
 
 元康は病気がちで終始元気がないため世話役として祖母の於富=源応尼(げんのうに) が岡崎から呼ばれている。(『府中寺々記』)  徳川家康となって以降、各々の祖母である於岩(真実の家康の祖母) と、於富(源応尼。三河大名松平元康の祖母 )がひとりの人物となってしまった。

 のちに家康によって慶長十四年 (西暦1609年)に立派に建て替えられた華陽院(けよういん)には「家康生い立ちの地」の立て看板があったが、今もあるかどうかはわからない。加えて『大日本駿州城(すんぷじょう)府分(ふぶん)時鐘銘(じしょうめい)』には、「そもそも駿府というは、なかんずく東照大権現(とうしょうだいごんげん)垂迹地(すいじゃくのち)なり 」と書かれている。

 垂迹(すいじゃく)とは、仏教用語で、出現とか生誕の意味である。『駿河誌』にも、その場所は「今の華陽院境内なり」と書かれている。すなわち華陽院の前身である知源院の境内こそが、真実の徳川家康生誕の場所なのである。

(副島隆彦注記。 真実の家康の真実の父親は、上州=今の群馬県=世良田村から、駿府=静岡市=に流れ着いていた、下層民の 願人坊主(がんじんぼうず)の江田松本坊=えだまともとぼう=である。当時の戦国の世の、荒くれ者の流浪人だろう)

(副島隆彦加筆。1560年5月の桶狭間の戦いの直後、総大将の今川義元を失って、困り果てて)大高(おおたか)城から岡崎に戻った時点で松平元康は亡くなっている。(家康研究家の)木宮高彦氏 が主張する瘴癘(しょうれい。現代のマラリアにあたる)だったかもしれないし、大樹寺(だいじゅじ)到着後、自害したのかもしれない。

 あるいは世良田元信に誘い出されて小幡が原(名古屋市守山区)で暗殺されたのかもしれない。いすれにせよ桶狭間の戦いの後(あと)で、松平元康は、世良田元信と入れ替わったのである。その証拠がある。

 永禄三年(1560)六月七日付けで地元、中山庄(なかやましょう)の、天野与惣(あまのよそう)と、鈴木右衛門三(すずきうえもんざ) のふたりにあてたお墨付きの書状である。

 これは桶狭間の戦い以後、最初の元康の花押(かおう)入り書状である。その字体はのちの徳川家康時代の花押とその字体や筆裁きがそっくりである。それなら問題ないではないか、とはならない。

 桶狭間の戦い直前の、永禄三年四月七日付けの書状でほぼ同じ内容のお墨付きが前述のふたりに対して元康の花押で出されているのである。問題はその花押である。桶狭間の戦い前の元康の花押は、丸く線の細い、駿河大名の今川義元(いまがわよしもと)の花押によく似たものである。

 だが、桶狭間の戦いの後に出された書状の元康の花押は、のちの家康と花押と字体もよく似た角張った字で筆の太い花押である。しかもこの花押はその後6通出されたあとしばらく姿を消し、また元の丸く細い花押に戻っている。(『徳川家康・下巻(木宮高彦)』) 家臣がこれはまずいと世良田元信に練習でもさせたか。

 木宮高彦氏は、このお墨付きをもらった天野与惣と鈴木右衛門三が桶狭間の戦い後、お家の大事と岡崎城へ駆け付けたら、なんと主人が変わっていたので慌てて同じ内容の書状を再度もらったのであろう、と推測している。

 これが6通あるということは同様のケースが6回あったということであろう。だが家康風元康の花押の書状について説明されている公式の資料や専門家の方々の意見はこれまでまったくない。この二通りの書状は『参河誌』にも記載されているし大変重要な歴史資料だと思う。だから 歴史学者の皆様方、自説でよいのでいつか必ず説明してくださいね。素通りなどせずに。

 NHKの大河ドラマ「どうする家康」では描写はなかったが、桶狭間の戦いは、実は桶狭間ではおこなわれていない。主戦場は、田楽ケ窪(でんがくがくぼ。田楽久保または田楽坪)である。 田楽狭間とする文献もあるが田楽ケ窪が正しい。田楽ケ窪は桶狭間道からは鎌倉街道を挟みかなり離れている。その田楽ケ窪の南側周辺に桶狭間山(おけはざまやま) はある。 だが桶狭間山というのは固有の山の名称ではなくこのあたりの山々の総称である。

 そもそも狭間とは山と山の谷間のことであるから山の名称にはなり得ない。このあたりは桶のように見えるので桶狭間と呼ばれるようになった。今川義元が討たれた場所は田楽ケ窪からさらに北西2百メートルほどであろうか。

 地形的に今では織田軍は今川軍に対し奇襲ではなく正面衝突だったというのが通説であり、わたしもその説に異論はない。ではなぜ古来より奇襲説が語られ桶狭間の戦いではないのに桶狭間の戦いと言われているのか。

 それはこの時、世良田元信一党が、今川家臣が宴会をしていた田楽ケ窪か、もしくは今川義元の休息地を見下ろせる桶狭間山のどこかに潜んでいたからである。そこから戦況を見極め、好機とみるや、一気に山を駆け下り織田側に加勢をしたのだ。このことが「桶狭間の戦い」と伝わり、「山を駆け下る奇襲」の口伝の元となったとわたしは考える。

 今川義元に一番槍をつけた服部小平太(はっとりこへいた)も首級をとった毛利新介(もうりしんすけ)も、織田氏の家臣ではない。『尾張誌』には、服部小平太は今川軍に最初から従軍していたかのような記述もある。織田信長も一番の功労者であるこのふたりに何の恩賞も与えていない。服部小平太はこの戦いののち徳川家康に仕え、その後、豊臣の家臣として送られている。毛利新介は、そのまま残り、織田信長の嫡男、信忠(のぶただ)の家臣となった。ふたりとも(副島隆彦注記。以前から今川方に潜り込んでいたスパイであり、尾張大名の織田信長の忠実な家来だったのだ。そしてこのあとの人生は)徳川方の間諜の役目を担ったであろう。

 第八代将軍吉宗(よしむね)公の時世に、堀杏庵(ほりなんあん。きょうあん?)が、『庚申闘記(こうしんとうき)』に「神君家康公のお力添えとお導きがあってこそ、織田信長公は今川義元公を討ちとり徳川家も開運の基をひらいた。」と書いてしまっている。

 しかもそれを書物(しょもつ)奉行の堀田恒山(ほったこうざん)が後押している。そればかりか、堀田恒山(ほったこうざん)は、『石ガ瀬 合戦 始末記』で、松平元康と徳川家康は、石ガ瀬と和田山で二度対戦しているとまで書いてしまって、大岡越前守忠相(ただすけ)から発禁処分を受けたあげく、尾張七代宗春(はるむね)も謹慎処分となっている。『松平紀 徳川合戦資料大成(八切止夫)』

 桶狭間の戦いで、世良田元信が織田勢に加勢したことは間違いなく、松平元康と徳川家康が別人であることは、実は尾張では昔から言われていたことなのである。

 ちなみに桶狭間の戦いの後、松平元康が大高城から岡崎城へ戻ったルートは2説ある。一般的に言われている大高から池鯉鮒( ちりふ。現在の知立(ちりゅう)市)、今村、大門などを通る陸上の鎌倉街道説と、大高から大野浦、常滑(とこなめ)、亀崎、高浜から船で岡崎、という海上ルートである。

 どちらの説もその途中の寺社に家康公が立ち寄った時のことを詳細に記されたものが残されており、ここ愛知県の地元では、各ルートの支持者の間で論争が続いていて未決着である。だが、何のことはない。陸上ルートが松平元康で、海上ルートが世良田元信(副島隆彦注記。摩り替わる前年の、戦場スパイの一団を率いていた)である。

 ここでは書かないが、それぞれに付き従った家臣の名を確認すればわかるのだ。(歴史研究家の)木宮高彦(きみやたかひこ)氏は、別の海上ルートの方を「知多半島横断説」と名付けて『徳川家康・上巻』の中でそちらを主に紹介している。だが、わたし松永は、大高から大野浦、常滑(とこなめ)、亀崎、高浜から船で岡崎、が世良田元信のルートだと思っている。

 その桶狭間の戦いの約1ケ月前の永禄三年(1560)五月六日、今川義元が上洛するにあたって狐ケ埼で(副島隆彦加筆。尾張の信長勢に対する)戦勝を祈念する祭事があった。そこで軍神の血祭として処刑されたのが、世良田元信の祖母の於岩(松平元康に摩り替わる前の世良田元信の真実の祖母 )である。

 『松平啓運録』に「狐ケ崎の知源院に尼公を葬り去る。慶長十四年これを移す」とある。処刑の理由は、その数日前、世良田元信とその一味が、今川館から竹千代( 副島隆彦注記。のちの岡崎三郎信康=のぶやす= 。

 殺されて摩り替られた、三河大名・松平信康の長男。2歳の幼児 )を 誘拐したことが露見したからである。於岩の甥であり、のちに大河内(おうこうち)姓を引き継ぐ源三郎の妻が乳母として今川館に仕えていた。この女が手引きしたのだ。源三郎もこの時、捕らえられ8年後の駿府落城まで牢に入れられている。
 
(副島隆彦注記。この時、家康の真実の母である、於大=おだい=、のちの江戸(東京)に今も有る文京区の伝通院=でんつういん=さま のこと )も、一緒に8年間、とらわれていた。家康の実の弟たちも、駿府で捕まっていた。たとえば、のちに沼津城主、大名になる 久松正俊 =ひさまつまさとし)=がいる。おかしいだろう。家康の真実の母親である於大が、このあと久松・・と結婚して、この弟たちを生んだのだ。だから、16家ある松平氏の中に、久松松平家がある。今も続いている。実の母親のお大=伝通院=は、慶長7(1602)年に死んでいる。

 コラー、 歴史学者ども。これらの事実を、辻褄が合うように、きちんと説明、釈明、白状せよ。いつまでも、大ウソがまかり通ると思うな。 副島隆彦は、ずっと怒り狂っている。

 困り果てた、江戸時代から『徳川実紀(とくがわじっき)』を書き続けて、家康の経歴について、ウソの上塗りを続けた、歴史学者たちは、家康の母親が、三河の境川(さかいがわ)沿いの水野家から松平氏に嫁いで、出たり、入(はい)ったりする、ヘンな書き方をして、ウソを取り繕(つくろ)っている。全く、ご苦労なことである。あの、嘘八百の「小説徳川家康」の大著(? ハ? )を書いた、バカ野郎の本は、今では、もう誰からも、見向きもされない。さすがに 史実捏造加担歴史学者たちでも、困り果てて、一切、言及しない。

 家康の真実の弟のひとりは、牢屋で、足が萎えて障害者になった。母親は、この息子をずっと不憫がった。8年後に、大名になっていた家康が、掛川城まで進軍して、ようやく、今川から自分の真実の母や弟たちを捕虜交換で取り戻したのである。副島隆彦注記終わり )

 世良田元信が、血祭りに挙げられた、実の祖母の於岩(於まん)の死の知らせを聞いたのは、浜松城(当時は曳馬城=ひくまじょう=) を攻める陣中である。 「幼少のころ父母のように慈愛を受けた祖母の訃報を聞いても駆け付けることもかなわず、使者を送り葬った」と、征夷大将軍になったあと催した於岩の五十回忌の折、華陽院(けよういん)の扁額(へんがく)に、自らの筆で書き記している。 この時に知源院を格上の立派な華陽院 に建て替え改葬したのだ。

 この家康自筆の扁額(へんがく。横文字の額=がく=の漢文)は、「この寺は、禅尼(自分の祖母) の旧地である」から始まり「この府下で禅尼の家に住んだ」そして「はじめて(私が)浜松に義軍(ぎぐん)を発し数州を征した」とも書き記している。はじめて旗揚げしたのは ( 副島隆彦加筆。だから、三河大名の松平氏の居城の三河岡崎ではなく ) 浜松だ、と本人が書いている。徳川家康の真実に迫る重要な記述がいくつもある。 

 (副島隆彦注記。松平元康を殺して、摩り替ったあとの、家康は、ほとんと岡崎城にいない。家康は18年間ほとんど浜松城にいる。なぜなら、三河の松平の家臣団に摩り替ったと、バレているから遠慮したのだ。)

 この扁額は、昭和15年の大火で焼けてしまったが、徳川家正(いえまさ)公が、自筆で一字一句正確に書き写してくれていたおかげで現在に伝わっている。

 世良田元信一党(副島隆彦注記。戦場スパイの一団。凶悪な野武士の集団のように動いた)は、この時、駿府で誘拐した竹千代( 岡崎三郎 松平信康=のぶやす= 2歳 )を、掛塚(かけづか)の鍛冶屋の平太の家に預け隠した。『阿部家夢物語』にその時の記述がある。この鍛冶屋の平太がのちの服部平太夫(はっとりへいだゆう)でありその娘の於愛(おあい)がのちの西郷の局、すなわち、2代将軍秀忠(ひでただ)と 次男・・の生母である。「西郷弾正左衛門員の養女、実は服部平太夫保章が女(むすめ)なり」と『泰平年表』にある。

(副島隆彦注記。私は、この忍者の頭目の服部平太夫が拠点にしていた掛塚=かけづか=の港に行った。暴れ川だった天竜川の河口だ。浜松から東に10キロぐらい。三方ヶ原(みかったぱら)の戦いに敗れて、武田信玄の猛攻を受けて、真実は、浜松城も落とされた。城兵は皆殺しにされた。家康が、ここで立て籠もって生き延びた、というのはウソだ。家康は、共の者、数名とだけ、東の方に落ち延びた。家康はこの掛塚に逃げ込んだ。そして船で沖に出ただろう。それで生き延びた。信長の援軍は、浜松のそばまで来ていたが、間に合わなかった。これが歴史の真実だ。このことは、私の信長、家康本に現地の写真と共に、書いた。皆さんも、この掛塚に行ってみてください。)

 その後、潮見坂(しおみざか)で、織田側に信康(三河大名松平元康の嫡嗣=ちゃくし=。20歳まで生きて、殺された) を引き渡している。清州同盟(この言葉は、ウソ)の際、信長と交渉して、あたかも元康の遺児を、自分の力で取り戻してきたかのごとく凱旋し瀬名姫と 、三河武士たちの信望を得たのである。

( 副島隆彦注記。瀬名姫(せなひめ)とは、築山殿=つきやまどの=のことで、三河大名・松平元康の正室である。瀬名川は、静岡市の東側で、清水市に近い。この川のそばに有る私立大学に、私、副島隆彦は、12年間、勤務した。

 その築山殿は、息子の信康と共に、用済みになって、摩り替りの隠滅のために、浜名湖の畔(ほとり)で、首を絞められて殺された。20歳になっていた岡崎城主の信康は、二股城(ふたまたじょう)で殺された。 家康にとっては、自分の長男の秀忠が、西郷の局(お愛)との間に、生まれたからでもある。信長の許可を取って、家康がやった。2代目服部半蔵が、自分の主君である松平信康を、泣きながら殺した。副島隆彦注記、終わり )

 すべては三河を今川から切り離し織田側につけるための信長と世良田元信の筋書きである。
 (副島隆彦注記。真実の徳川家康を追究した、優れた小説家の)南條範夫(なんじょうのりお)氏によると、世良田元信が清州城に入場する際、集まった群衆の中に、松平元康の顔を知る者がおり、あれは元康どのではない、と叫んで騒ぎになりかけたところ、本田(平八郎)忠勝(ただかつ)が一喝しておさめた、という記述が『大成記』に書かれてあるとしている。

 岡崎三郎信康が一時、織田家の人質となっていたことは、寛政二年(1790)四月付、加藤忠三郎の「雛人形二対」という書き出し書に書かれている。(『尾州藩資料』)
 
 それによると、「東照宮御幼年の時、」という書き出しではあるが「塩見坂(潮見坂)で内府(ないふ)織田信長公の元に送られ加藤図書之助(ずしょのすけ)宅 にて六歳~八歳までいたが、日夜泣くので加藤隼人佐の妻である於与女(およめ)が、幼君を御守りし雛人形で慰めた。賜(たまわ)った桐の紋の盃(さかづき)も所蔵している。」とある。

 何かおかしいと気づく。織田信秀時代の竹千代(松平元康)のことであるようにこじつけたいが、はっきりと 内府織田信長公 にと書かれ、しかも八歳になる武将の男子を雛人形であやすわけがない。これはこの時二歳だった岡崎三郎信康のことである。

  紋といえば、NHKの初回の放送で、主演の松本潤氏(松平元康)が、大高城を目指して駆けているシーンなどで、家臣ののぼり旗に三葉葵紋が描かれていたが、あれはいただけない。
 松平家の家紋は代々「五々の桐」をはじめとする桐紋(きりもん)である。広忠(ただひろ。元康の父 )の家紋は「剣銀杏紋」だったとの説もあり、清康( 元康の祖父。いずれも三河大名 )が、伊奈(いな)城主 (愛知県宝飯郡(ほいぐん)) の本田正忠から葵紋(あおいもん)を譲り受けたという伝承もあるにはある。

 だが家紋として使われた形跡はない。徳川家が三葉葵紋(みつばあおいもん)を家紋として使うようになったのは、世良田元信が徳川家康と改名してからであり、その由来は、上野国(こうづけのくに。今の群馬県)の 新田庄(にったのしょう)の 得川郷(とくがわごおり)の世良田村 ( 別名葵村 ) である。

 この得川(とくがわ、あるいは、とこがわ)郷の満徳寺から天海(てんかい)僧正が、公儀御用と称して新田氏の系図を(自分のものにするからと)召し上げた、のは有名な話である。

 ここで、どうしても松平清康の身におこった「森山崩れ」について述べておきたい。 徳川の通史では、天文四年(1535) 十二月、春日井(かすがい)郡 森山(現在の名古屋市守山区 )の陣中で、清康(きよやす )が、家臣阿部大蔵定吉(あべだいぜん・さだきち)の息子弥七郎(やひちろう)に惨殺されたという事件である。

事件のあった場所は現在の小幡が原(おばたがはら)とされている。

 (副島隆彦加筆。真実の徳川家康を書いた)村岡素一郎(むらおかもといちろう)は、『史疑(しぎ)』の中で、実際は、永禄四年(1561)に、世良田元信に誘い出された元康の身に起こった事件であるとしている。世良田元信が元康をここで暗殺したかどうかの判断は難しいが、清康の森山崩れなど、ここではおこっていない。これは確かである。

 『岡崎領主古記』に清康公は「上野(うえの)広久手(ひろくて)の合戦の時に戦死され、之により、西三河の御一門をはじめ、御譜代(ふだい)衆も面々心々になりぬ」と書かれており、欄外には朱文字で「広久手は山の名、上野は地名という」という但し書きまである。

 「面々心々」とはどう読むのか、礫川全次(こいしかわぜんじ)氏は読み方も意味も不明としている。だが、榛葉英治(しんばひではる)氏は、「譜代の家来は散りぢりになった」と訳している。

  わたし、松永知彦は、平成27年(2015)に運よく『岡崎領主古記』の写しを手に入れることができ、この原文に初めて触れた時は、感慨深いものがあった。だが、写本入手前、平成18年(2006)に初めて『史疑』でこの一文を読んだときには、大変驚き、いずれ上野・広久手 (現在の豊田市=とよだし= トヨタ自動車の本社がある )を訪れたいと思っていた。私は、翌平成19年8月頃、ようやく現地に行くことができた。

 上野町、広久手町は双方小高い丘陵地帯で住宅や工場、商店街が立ち並び活気に溢れた町であった。その後、清康と縁深い安祥城(あんしょうじょ。愛知県安城市 )に向かい、そこで読んだ地元の歴史書に、「この地方では林や森はヤマと呼ぶのが普通である」という記述を見つけた。また本丸跡の大乗寺の看板には「安祥城は別名森山城と呼ばれていた」と書かれてあった。

 この後、長縄観音院( 愛知県西尾市 )へ向かい清康の仮墳(かりのはか)を確認した。上野・広久手の合戦で討ち死にした清康の亡骸を家臣の大河内喜平次 がここまで運んで密葬した、と伝わっている。地理的に妥当である。

 この仮墳は、寛政七年(1795)、清康の死から実に260年後に、時の住職が偶然見つけて掘り起こしたものだ。当時の寺社奉行から元のように埋め戻し内密にするよう命じられたと『朝野旧聞裒(ほう)稿』にある。今は手厚く改葬されて、わたしも墓前に手を合わせることができた。

 わたしは清康(きよやす。真実の松平元康の祖父 )の森山崩れの真相にかなりこだわっている。
 なぜならこの事件の書き換えが、徳川神話の遡りと改竄(かいざん)作業の最終点であり、今は逆に、神話の起点になっていると思うからである。家系図の詐称もあるが、それはこの時代はよくあることで、さほど問題ではない。多くの武家が源平藤橘( 平はないか )に自分の先祖を繋(つな)げたい、と系図を書き替えたことはよくあったという。
 けいず屋という商売も成り立っていたぐらいだ。それに松平初代親氏(ちかうじ)と、二代泰親(やすちか)が何者かということは、私は、以前の調査で明らかにしている。

 いまの通説では、徳川家康は新田源氏の子孫でない、としている。松平初代親氏(ちかうじ)を無理に、新田氏と繋げた系図詐称との見解だが、それは徳川家康と松平元康を同じ人物としているからである。松平家が新田源氏と無関係なのは間違いない。

 だが、家康の実父は上野(こうずけ。今の群馬県)の新田庄(にったのしょう。新田義貞=にったよしざだ=の一族の地。その南側の、利根川沿いの湿地帯が、世良田郡であり、その一部にある) 得川郷(とくがわのさと)の出身だったかもしれないので、徳川家康個人に限って言えば新田源氏の子孫である可能性はある。

(副島隆彦注記。だから、真実の徳川家康の実父は、この上州世良田(せらだ)郷から、流浪して来ていた願人坊主という、勝手に僧を名乗って、買っての門付け=かどづけ=をして、経文を唱えて金持ちたちからカネを強請(ゆす)ることを生業=なりわい=とする下層民である。)

 話を戻す。この松平清康(まつだいらきよやす。三河大名。松平元康 の祖父 )の討ち死に の真実を、私が、明かし正史とすることが、江戸幕府が開かれてから400年以上たった現在まで続く徳川神話を糺(ただ)す、第一歩になると信じている。

 松永知彦です。結局、長文になってしまった。しかも一部の内容は、今回、今日のぼやきの「2039番」として、再掲載として、昨日、載せていただいている拙文と重複している。ご容赦ください。

さあ私は、次は何を書きたくなるか。
 大河ドラマの流れだと、次は永禄六年(1563)の三河一向一揆か、もう少しあとの天正七年(1579)の築山殿(つきやまどの)と息子の信康(のぶやす)事件か。三河一向一揆も築山殿・信康事件もドラマの構成によっては書きたくなる。

  いや、この三河一向一揆は、複雑な話ではないので、私は、以下に要点を先に書く。この一揆は、このままでは、駿府生まれのよそ者である世良田元信に、三河が乗っ取られると危惧した西三河(にしみかわ)衆の反乱である。だから、松平元康に摩り替った世良田元信が、用意周到に準備して挑発し、計画どおり鎮圧したのだ。

最後にこれを書いて終わりとしよう。
 実は徳川四天王は、4人とも三河出身ではない。榊原康政(さかきばらやすまさ)は伊勢、井伊直正(いいなおまさ)と酒井忠次(さかいただつぐ)は駿府、本田忠勝(ほんだただかつ)は遠江である。出身地までの描写はほとんどの文献で、まずない。だから、なんとなく皆、三河出身と思っているが違う。
 三河出身者は、世良田元信が徳川家康となったのち、皆、石高を低く抑えられ、戦では常に前線に向かわされ、ことごとく冷遇されている。  松永知彦筆  
( おわり)

副島隆彦 投稿日:2023/01/31 11:10

【3021】[3514]2週間前に書いた、残りの重要な文を、全部載せます。

副島隆彦です。 今日は、2023年1月31日(火)です。

私は、ここの重たい掲示板に、前回の、1,2に続いて、すでに年初に、書き溜めていた、
3,4,5 ・・12 を載せる、としたまま、そのあと10日が過ぎた。思い切って、決心して、急いで、載せなければいけない。

私は、10日前に、亡霊、怨霊に 導かれるようにして、 ギリシア彫刻の、女神像(の中国製の精密な模倣作品。しかし、本物の大理石(マーブル、石膏ではない)で出来ている。本当に美しい ) の 約100体の 塑像(そぞう)、等身大ぐらいの、torso トルソ、石像 たちに、魅(み)せられて、今も幻想と妄想の世界をさ迷っている。霊魂、亡霊、怨霊は、本当にいるようだ。

 それと、年末の 篠田麻里子(しのだまりこ。元AKBで、今はママドル)の夫婦離婚の騒ぎの報道に、私は、ずっと惹(ひ)きつけられている。おそらく、ここに日本の国民文化の、最先端が有る、と強く感じるからだ。

  今日のぼやきで、私と、外務省の高官だった孫崎享(まごさきうける)氏との、対談本が発売になったことの宣伝をやっている。読みに行ってください。孫崎氏が、どれぐらい偉い人であり、今の日本国の国際的な政治状況にとって、重要な人であるか、を、私は、この対談本で、ずっと、孫崎氏に、直接、聞いて確認した。


世界が破壊される前に日本に何ができるか

 私は、この孫崎大使との対談本の、私のまえがきで、以下のことを、書き忘れたので、ここで、補足(ほそく)して、簡単に、説明しておく。 それは、
英国の 高位の 王族である、 ケント公爵(こうしゃく、Duke )についての、記述である。
 
 Duke of Kent 「デユーク・オブ・ケント」、ケント公 は、2人いる。兄のエドワード王子(Prince Edward 、プリンス・エドワード)と、弟の、マイケル王子 (Prince Michael )である。孫崎大使の友人で、付き合いの深い人は、弟の、プリンス・マイケル・オブ・デユーク・オブ・ケント であった。

 私がこのふたりの区別をしっかり出来なくて、自分で混乱していた。 Duke 「公爵」というのが、歴史的に、どれぐらい偉い爵位(しゃくい)であるか、を、今の日本人は、もう誰も分からなくなった。 

 今の日本は、「 天皇家(皇室)以外は、皆、平等。で 、皆、平民(へいみん)、一般人、普通の人たち」という、疑似(ぎじ)民主政体(みんしゅせいたい、デモクラシー)で、デモクラシーと、王国(キングダム、モナーキィ)の2重構造、入れ子構造の国だ。このことは、私の、重要な本である、「愛子天皇待望論」(あいこてんのうたいぼうろん。弓立社、2022年刊)に書いた。 

 
 2人いるケント公爵は、兄のエドワード王子( 英陸軍元帥、フリーメイソンの、スコットランド儀式(rite ライト)33階位の最高の33階位。テニスのウインブルドン試合大会で、授賞式でトロフィーを授ける人)に、何かあったときに、弟のマイケル王子が、その地位をすぐに引き継げるようになっている。そのために、兄と弟の両方がケント公を名乗る。今の英国王チャールズ3世? の 伯父である。

 今の英国王チャールズの次男の、ヘンリー(=ハリー)王子の自伝 『スペア(Spare)』‘ Prince Harry  2023 ‘ が、1月10日に、欧米で発売されて、旧大英帝国の英連邦諸国や、英米世界では大きな話題になっている。

(ここに本の表紙を貼ってください)
 
 ヘンリー王子が、この400ページもある 自伝(オートバイオグラフィー)に、あまりにも多くの、英王室のうち側での 内部の言い争いとかを正直に書いたので、評判は、総じて悪い。しかし、一方で、このヘンリー・ウインザー の生き方の平易さと率直さを、賞賛する声も出ている。 300万部 ぐらい すぐに売れそうだ。アメリカでもかなり売れている。

 日本語版も急いで出版されるだろうが、日本人は、そこまで関心を持たない。欧米世界の王様たちの世界のことなど、どうでもいい、ということになる。有名芸能人たちの去就(きょしゅう)、居振る舞い、私生活の秘密が暴かれて騒がれるゴシップの分野でもある。

 このヘンリー王子 は、 厚かましいまでの主張を続ける、アメリカ黒人のメイガン・マークルと結婚して、あれこれあって、英王室から2人は追放された。私、副島隆彦は、それはヘンリー(ハリー)自身が賢明に生き延びるために自己防衛でやったことだ、と判断している。母親のダイアナ王妃が、イギリスの支配階級の総意で殺害されたことへの、強い抗議でもある。ヘンリー王子は、この自伝(まだ33歳だ)で、 自分の生い立ちの中の、 heir 「エア」 と spare 「スペア」という2つのコトバに執着して、強調している。

 heir 「エア」は、とくに、royal heir は、王位継承権者(おういけいしょうけんじゃ)であり、王権の相続人ある。父の王が死んだら、すぐに(瞬間で、儀式無しで)王位に就くつく立場だ。ところが、弟は、存在そのものが、spare 「スペア」であり、日本人でもすぐにわかる スペア・タイヤspare tire 、予備のタイヤ である。

 だから、次男である ヘンリー(ハリー)王子は、自分の スペアとしての立場を、良く弁(わきま)えていて、兄のウイリアムに、子供たちが生まれたので、もう自分は、王位継承の順位がずっと下になったから、もう王族である必要は無い、と判断して、アメリカ人の黒人女との結婚を機会に、黒人との合いの子を産んだ、このことで王室に迷惑をかけた、ということもあるので、王室から自ら離脱、あるいは追放された。私、副島隆彦は、それは、賢明な生き方だと思う。 このことは、もう、これだけにして置きましょう。

 私と孫崎(まごさき)大使との対談本は、かなりの高度の世界政治問題の内容です。読み進めることが出来る人は、相当の知能のある人たちだ。私の本の読者たちに、そのような人たちが増えていることを、私は知っている。

さて、それでは、私が、もう2週間も、ここに、載せなかった、3,4,5から後(あと)を、急いで慌てて載せる。

副島隆彦です。今日は、2023年1月20日(金)です。
 
 副島隆彦です。とりあえず、1.2 として、上記の文を重たい掲示板に載せた。以下に、18日の黒田日銀総裁の記者会見を報じた記事を2本だけ載せて、のちの資料とする。

3.ここからが、本当に私が、書きたいことだ。 私は本気で怒っている。創価学会の名誉会長の池田大作(いけだだいさく)は、もう死んでいる。生きているとすれば95歳だ。10年ぐらい前に死んでいる。たったこれだけの真実を、誰も書かない。それは、なぜなんだ。何で、この副島隆彦までが、インチキ報道世界 に騙されてずっと、我慢して生きていなければならないんだ。

池田大作 (1928(昭和3)年 - )

 いくら池田大作を守っている若手の学会の熱烈な信者の医者たちが輸血を続けているからと言って、表に出てこなくなって、もう20年間 も、その命が、持つわけがない。いったい、お前たちは何を考えているんだ。生きたまま、死んでいる。死んだまま、生きている、ということが、いつまで許されるのか。

 池田大作は霊的な存在になったのか。だが、まだ、成仏(じょうぶつ)せずに、幽界(ゆうかい)をさ迷っている、ということか。

 ただし、私は、法律学を 勉強しているから知っているが、死亡届を役所に出さなくても罰則規定はない。 国家というのはおもしろい仕組みをしていて、なんでもかんでも国民に対して、国民の自らの意思で、届け出を、国家に出させようとする。「そうしないと、不利益を受けるのはあなたですよ」という柔らかい脅しの構造を持っている、国家(政府)は、国民に、絶対に、お願いしない。頭を下げない。

国家の本質は、子供(息子たち)を無理やりでも兵隊に取る(徴兵制)ことと、それと、問答無用で、強制的に税金を取る(徴税)である。国家(政府)との契約など何も無いのに、
税金を取る。この2つだけである。

 死亡届の義務、強制 はない。だから全国に、高齢の爺さん が死んでも、山林などの不動産の登記の名義を変えないで、ほったらかしにしているケースが山ほどある。測量士と司法書士と不動産鑑定士 たちが、法務局(法務省の出先)とグルで、このことの利権に関わっている。わざと複雑な登記制度にままに放置して(公文書のデジタル化のふりだけする)、それで、あれこれ高額な手数料を取る。

池田大作の死のことは、うしろで続けて、書く。

 次に、4. として書くが、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)も、もうとっくに死んでいる。確か2018年●月に、 トランプ大統領が、 「北朝鮮で重大なことが起きていることを私は把握している 」と発言した。このときに、金正恩は、死んでいる。

 だから、今の、あの 四角い顔をしている金正恩と、以前の丸顔の、デブで、思いっきり元気よく、演説していた本物とは、違う。この2人の写真を以下に、並べて、貼り付けなさい。


左から、2012年、2015年、2018年


2021年

 2018年〇月に、金正恩が死んでから、急に妹の、可愛い女性の、キム・ヨジョンが、表(おもて)に出るようになった。北朝鮮は、一番上が、集団指導体制の国家だから、カリスマ(看板)の独裁者がいなくても、やっていけるようだ。 最近は、あの四角い顔が自分の娘だ、という少女の手を引いて出てくるようになった。 あの女の子を次の国家元首(ソブリンsovereign ) にする気か。

 今の四角い顔は、これまでに、1回も、外国向けの映像で 演説をしたこと がない。この身代わり (ボディー・ダブル )、 影武者の男は、ちっとも精彩がない。北朝鮮は今も、核ミサイル(宇宙ロケット)の発射実験と称して、2千キロぐらい飛ぶ、弾道ミサイルを、どんどん、ぶっ放しているが、大した威力はない。

 すでに2018年時点で、北朝鮮は1万キロ飛んで、アメリカのニューヨークやワシントンにまで到達する大陸間弾道弾(ICBM)の打ち上げ実験に成功している。だからこのあとは、何をやっても大したことはない。

 金正恩が、body double 替え玉、摩(す)り替(か)え であることは、私とベンジャミン・フルフォード氏との対談本でも、私は喋(しゃべ)っている。

 さらにここで、副島隆彦が教えておくが、北朝鮮の核ミサイル(ICBM)を、本当に作っているのは、ロシア人の科学者たちである。 30人ぐらいが、高濃度のプルトニウムの濃縮をやって、今では液体ではない 固体の、核弾頭(ニュークレア・ウォーヘッド)を50発ぐらい作って持っている。 

 これに発火装置を付けて、デリバリー・システム(運搬手段)である宇宙ロケット(弾道ミサイル。バリステイック・ミサイル)に載せて打ち上げれば、それでいい。核兵器の完成だ。この宇宙ロケットの方の開発は、別の30人ぐらいのロシア人科学者がやっている。彼らは、高い給料で雇われている。プーチンは、彼ら北朝鮮に残留したロシア人の核とロケットの両方の技術者たちを全員、知っている。

 この話に比べれば、北朝鮮のスカッドミサイルが、パキスタンのカーン博士によって持ち出されて、移転して、パキスタンの核兵器になったとか、このあと、イランにまでカーン博士によって技術移転したという話は、馬鹿みたいな話だ。昨12月8日に、習近平は、サウジアラビアに言った。「ペトロ人民元」を作る話をしに行った。すでに、米ドルの世界覇権の力は、崩れている。

 習近平は、サルマン国王(87歳)、と息子のムハンマド・ビン・サルマン(MBS)と、この、サウジ・リアル通貨と人民元の交換比率を決めて、直接決済して貿易で使えるようにした。かつて、「オイル・ダラー」と呼ばれた、米ドル建てでの、中東各国の原油の取引をやって、石油という実物資産の力で、ドルの信用を裏打ちした、オイルダラーが、どんどん勢力を失って、それの替わりの新しい版(バージョン)が、ペトロ人民元による世界通貨への道である。

 これまでサウジは、中国から核兵器を、まるまるそのまま買う話をしてきた。しかし中国の核技術者のトップが、リヤドに行こうとしたら、搭乗していたマレーシア航空の民間機がアメリカに撃ち落された。3回、撃ち落とされた。わざとらしくオーストラリア政府が、その残骸を探して回った。アメリカとしては、サウジへの中国からの核移転は絶対に、許さないということだったのだ。だが、もうそれはタガが外れた。以上を4とする。

3. の創価学会問題に戻る。私が学会に対して怒っているのは、いまや創価学会(公明党)の中に、統一教会の工作員が、2割ぐらいも、もぐり込んでいる。これが恐ろしいことなのだ。 

 だから今の学会の会長の原田稔(はらだみのる)も、公明党の山口那津男(なつお)代表も、、安倍が殺された後も、統一教会のことを、黙って何も言わない。コラー、学会員ども。本気で怒れ。自分たちの中に、潜り込んで来ている、まさしく獅子(しし)身中の虫である、統一教会員を、摘発して、叩き出せ。

 このことができないならば、お前たちも、やっぱり、邪教(じゃきょう、カルト cult )の集団だ、ということになる。 私、副島隆彦は、もう許さん。去年の7月に安倍晋三が殺されて(安倍処分)いなかったら、創価学会も、危ないところだった。学会も、本当に統一教会(ムーニー moonies )に乗っ取られているところだった。恐ろしい状況だったんだぞ。
 
  他の主要な、新興宗教の団体も、この30年の間に、統一教会に、じわじわと潜り込まれて、乗っ取られた。霊友会(れいゆうかい)も、杉並にある立正佼成会(りっしょうこうせいかい)、それから立川にある真如苑(しんにょえん)も。そして大阪の富田林(とんだばやし)市にあるPL(ピーエル)教団も、すでに、統一教会に、その一番、上の方が、乗っ取られている。

 元々、統一教会の インキュベイター(保育器)であった、生長の家 は、青年部を中心に統一教会の巣窟(そうくつ)になって暴れた。日本会議や、神社本庁(じんじゃほんちょう)も、上を乗っ取られた。それで、神社本庁と、神道政治連盟(しんとうせいじれんめい)が、文字通りの、激しい内紛を起こして、死者まで数人出している。

 統一教会そのものの隠れ蓑である、日本会議が、神社本庁や、仏所護念会(ぶっしょごねんかい)たちと、つながって、おかしな国会議員たちが、総計で、370人もいる。前原誠司(まえはらせいじ)のような、旧民主党の野党政治家まで、統一教会なのだ。
 だから立正佼成会(りっしょうこうせいかい)も、今、激しい内紛を起こしている。生長の家 の、若い教祖は、東京港区の本部ビルを売り払って、岐阜県の山の中に忠実な信者たちと逃げた。「自分たちは、一切、統一教会と関わらない」と声明を出した。

 統一教会の他の組織への、潜り込み戦術(加入=かにゅう=戦術ともいう。インフィルトレイション、infiltration 、mole もぐら とも言う 。草、くさ とも言う )が、どれほど恐ろしいことか。実際に、私たちの学問道場にも潜り込んできていた。

 安倍晋三が首相のときに、あった「森友(もりとも)・加計(かけい)学園・サクラを見る会」の次の4つ目である、東京高検検事長だった黒川弘務(くろかわひろむ)検事長が、統一教会の、法務省・検察内の大幹部だった。
(ここに黒川弘務の顔を貼る)

 黒川を 検察のトップの、検事総長にする策動を、首相である安倍がやった。これは、 広島で事件になった河井克之(かわいかつゆき)・案里(あんり)事件とつながる。広島で若い30歳の検事が、案里の事件を調べていて殺された。

 私はこのことを自分の本に書いた。 黒川の子分の広島の検事正(けんじせい。各県に派遣される検察官のトップ)が、この若い検事を殺した。このことで 法務省・検察庁が発狂状態に入った。法務省と検察庁は、人間も重なっていて同一体だ。

  自分たちも、もともと反共主義のアメリカ追随の刑事司法の、獰猛なドーベルマン犬たちなのだが、自分たちの組織内部にまで、2割ぐらい、狂った反共右翼である 統一教会員が、裏口入学(うらぐちにゅうがく)で、司法試験まで受かって(これも裏口入学 )潜り込んできていた。だから、国家の司法(しほう)部(judiciary branch ジュディシアリー・ブランチ)の猿山の、ボスザルたちが大騒ぎになった。安倍が、世界規模の最高判断で、殺され なければ、日本はもっと大変なことになっていた。 

 今も、すっとぼけて、安倍殺害など無かったように、テレビ、新聞の反中国、反ロシアの報道番組が、作られている。TBS、テレ朝、どころか、NHKにも、統一教会の秘密組織があって、蠢(うごめ)いている。この者たちを、内部で調査し、摘発できないなら、日本のメディアは、本当の危機である。

 池田大作がまだ生きていることにするために、最近、「池田名誉会長から、ウクライナ戦争を停戦せよ、という声明文が出た」という、おかしな報道記事が出た。もうすぐ、池田大作の死亡の発表とか、何かあるのではないか。

5.  学会問題で私が不愉快なのは、もうひとつ、 以下の真実も、誰も書こうとしない。楽天(らくてん)の三木谷裕史(みきたにひろし) は、創価学会員である。その幹部である。三木谷の会長室には、創価学会の三色旗が翻(ひるがえ)っているそうだ。

 楽天が創価学会の組織だ、は、業界ではひそひそと噂されてきたことだ。このことを、今さら、私が書いたからといって、何か変わるわけでもない。

 だが、私が公然と書くことで、流れは変わる。私は、ネットを見ていて最近、YouTubeで楽天トラベルの宣伝がよく出てきた。ここに出て来る、「 ももいろクローバーZ 」という、4人組の女たちが、かわいい。特に一番右の、女がかわいい。 この4人組の女たちももう、30代でおばさんらしい。16歳からデビューしている。

 私もよく知っている旅行会社のHISの澤田秀雄(さわだひでお)が全くダメになって、楽天トラベルが伸びている。JTB(旧日本交通公社)も、近畿日本ツーリストも阪急トラベルも、気が利いている人間は、みんなが、飛行機チケットもホテルの予約も、自分でネットで、何でも旅行予約ができる時代になった。だから、団体旅行以外では、旅行業者は、経営が大変だ。

 三木谷はスマホ(移動通信)事業に、8年ぐらい前から進出して、今、4番目のネットの会社として、総務省に盛んに、スマホのモバイル(移動通信)のプラチナ・バンドという電波の帯(おび、バンド)をくれ、と申請をしている。楽天は、まじめに基地局を作る資金も能力もないのだが、総務省の、通信電波の行政の官僚たちの中にも、自民党の中にも、学会員がたくさんいる。だから、楽天は、電波官僚(でんぱかんりょう)たちから、甘やかされて、あれこれ悪口を言われながらも、ちゃんと生き延びている。 

 私は、近(きん)未来で予測するが、孫正義が、ソフトバンクモバイルの経営がイヤになったら、それを放り投げて、楽天三木谷に売り渡すだろうと思っている。すると業界人が、「いや、絶対にそういうことはありません」と私に言う。分かるもんか。

 創価学会500万人プラス200万人(F票、フレンドという)の力があって、自民党や官僚たちもこれを実体として、大きな日本の勢力として受け入れている。日本の第3勢力は、創価学会である。私も、このことをを、この国の実体として、受け入れている。

 だからこそ、創価学会員たちは、今こそ、本気で、自分たちの中に、潜り込んで来ている、統一教会を、排除して、叩きだすべきだ。 誰が、奇妙な潜入分子か、臭(にお)いで分かるはずなのだ。証拠はたくさん挙がっている。

 あらゆる場面で、日本の第3勢力は、創価学会である。第1勢力が、自民党保守勢力。第2番目がいくら痩せ細って、ボロボロ状態であっても、反(はん)自民党の野党勢力。そして第3番目が創価学会・公明党の勢力である。 だから、楽天が野球の球団まで持っている。

 私が本気で怒っているのは、創価学会は、池田大作(今や、学会員の神さま。お釈迦さまや日蓮上人も、もうその思想はどうでもいい )が、本気で主張し続けた反戦平和の道を、守るべきなのだ。憲法改正反対 を堅持すべきなのだ。私が、本気で怒っているのは、このためだ。

 ここまで創価学会の中に、統一教会に潜り込まれると、軍備増強も肯定し、戦争もするぞ、という感じになってきた。これが許せない。だから創価学会の中の婦人部(今は女性部と名前を変えさせられた)が、必死の戦いをやっている。女性たちが、最後は、頑張る。女の愚直さが、日本国を守るのだ。 

 女性の学会員たちが、戦争反対、憲法を守れ。大作先生の教えを守れ、と、学会本部や公明党本部 に対して激しく主張している。だからこそ、潜り込んできた統一教会どもを摘発して叩き出さなければならないのだ。この戦いが出来なければ、学会なんか、滅んでしまえ。そうなったら、まさしくお前たちも、気色の悪いカルト集団だ。淫祠邪教(いんしじゃきょう)の集団だ。

6.さらに、もう1つ私は本気で怒っている。それは、日本の労働者階級の総本山(ナショナル・センターと言う)であり、その労働組合の結集軸である 連合(れんごう)が、統一教会に乗っ取られているという事実である。

 あの芳野友子(よしのともこ)という、高卒の、ジューキミシン労働組合 の、工員あがりの女が、今の連合の会長である。許しがたいことだ。あの芳野友子を、連合から叩き潰せ。これができなかったら、日本の労働運動も、社会主義思想もへったくれもない。何でこんなおかしなことになり果てたのだ。各単産(たんさん)の、それぞれの産業別の労働組合の代表者たちから成る、連合の幹部たちの中にまで、統一教会員がたくさん入っている、ということだ。だから、こんなヘンな女である、芳野友子を、「飾りの、女にやらせておくのが、一番、いいや」と、上に押し上げている。

(ここに芳野友子の顔写真を貼る)

 
 芳野友子を育てたのは、統一教会の世界日報の論説委員で、世界平和教授アカデミーの松下正寿(まつしたまさとし)である。こいつは、参議院議員もしていて、旧民社党である。この松下正寿が、「富士政治大学」という、 静岡県にある労働組合の研修センターにある、連合が持っている、富士社会教育センター で教育されて強烈な統一教会員として育った。そして、スルスルと、連合の会長にまでなった。何ということだ!

 断じて、許しがたい。今のこの事態に対して、激しく怒らなかったら、私たちは、一体、この世で、他に何を怒ることがあるのだ。下の方に去年の9月の日刊ゲンダイの「連合吉野会長と統一教会の怪しい関係」という記事を貼り付けて、載せておく。私の目に留まった、証拠の記事は、これだけだ。 これが真実の、事実関係だ。

 反(はん)共産主義、反共(はんきょう)思想、と言いさえすれば、すべてOKとなる。私の知っている、生来、温厚で、穏健な保守の人間たちまでが、騙(だま)されて、発狂状態に入って、統一教会の思想の奴隷になってしまっている。私は、このことに、この国の、最大限の危機を感じる。

7.そして、ブラジルの新しい大統領になったルーラ・ダ・シルバは、ディープステイト側に取り込まれたバカヤローだ。 こうなると、ボルソナーロという右翼的で、軍人あがりの、前の大統領の方が正しい。今も、ボルソナーロ派の国民が、インチキ選挙、不正選挙の結果を認めないと、ブラジル国内で大騒ぎをしている。

 ボルソナーロは、コロナのワクチン接種にもずっと反対し続けていた。アメリカやヨーロッパからも嫌われている、立派な民族指導者だ。
(ここに、ルーラと ボルソナーロの 2人の顔を貼る)

 それに対して、ルーラは、元は、ブラジル国民に熱烈に支持されて左翼の指導者だった。そして政治家として優れていたので、ブラジルを経済成長させた。ところが、ルーラは、このあと、悪魔たちに抱き込まれた。 前の、女の大統領のジルマ・ルセフが、表に出て来なくなった。ルーラに育てられたはずなのに。やっぱり、この女は、ブラジルの貧しい層と、労働者の味方だから、ルーラの変質と転向を見抜いて、自分の先生だったルーラと対立関係に入ったのだ。ルーラがおかしい、と最初に教えてくれたのは西森マリー女史である。

8. 自民党の国会議員379人のうちの、179人は、どうしても次の選挙で叩き落さなければいけない。なぜなら、統一教会のメンバーだからだ。彼らひとりづつは、地元で激しく嫌われているようだ。今、総選挙があれば確実に落ちると言われている。

 その筆頭は、東京八王子市の萩生田光一(はぎうだこういち)と、板橋区の下村博文(しもむらはくぶん。こいつは長いこと、創価学会員 のフリまでした )は、ここまでくると、この179人は、自民党の中に潜り込んできた統一教会員だった。

 それから、奈良県が選挙区の高市早苗(たかいちさなえ)。今や、許しがたいを通り越して、これは闘いである。ところが、今の日本国民は、どいつもこいつも根性無しだから、知らん顔して、安倍晋三が処分された件も、統一教会の話も、すっかり忘れちゃって、すっとぼけている。

 この「我れ、関せず」の態度が、いつの時代も庶民大衆だ。自分に直接の禍(わざわい)が及ばなければ、それでいいという人たちだ。ところが、この無辜(むこ。善良の意味)の民と、呼ばれるアホどもが、それこそ、何の罪もないのに、お互いに、かわいそうがりながら、戦争に連れていかれて、その息子たちが殺されるのだ。私は、これからの日本の動きを冷ややかに見つめる。

9.首相の岸田は5月に、G7のサミットを、自分の地元の広島でやるから、その根回しのために楽しそうに自分でエベントevent 屋となって、欧米に御用聞きをして回った。バイデンには相手にされなくて、子分扱いされて、ポンポンと肩をたたかれただけで、記者会見もなかった。晩餐会も開かれなかった。

 仕方がないので、ワシントンの日本大使館で自分たちだけで開いたそうだ。みっともない限りだ。日本は台湾、韓国なみの扱いで属国そのものだ。バイデンが、なぜ、日本に機嫌が悪いかというと、岸田が、前述した1. の日銀黒田と日本財務省が、米国債を売って日本国債をガンガン買い増しているからである。 中国も韓国も米国債を売り続けている。では、誰が買っているのか。そこに秘密がある。
 
 12月には、17兆円分、米国債を売った。そして、1月になっても、3日間で17兆円、米国債を売った。そうすると、米国債が暴落する(長期金利は上昇する)ので、それを下支えをする必要がある。どうやら裏側の取引で、日本がまた買い戻しているようだ。三重帳簿、四重帳簿は当たり前、というのが、国家のやることだ。

 大企業であっても海外に裏帳簿があるのだが、民間企業がそれをやって、それが発覚したら経営陣は背任罪で逮捕される。ところが国家というのはおもしろい組織で、法律を越えているからイザとなったら何でもやるのだ。

 最後のツケは大恐慌か、戦争になる。ここで、そろばん(算盤)の 「ご破算(これが、英語で、デフォルト、初期設定だ )に願いましては  」で、国家が破産して、やり直しとなる。このとき、国民がたくさん死ぬ。か、お札が紙切れになって新しいお札でやり直しだ。だから実物資産(タンジブル・アセット)である、金(きん)にすがりつきなさい。

 金(きん)にしがみつきなさい、と私がずっと書いてきた。国家や政府なんか信用するな。信じる者は騙される、んだよ。

10. 日本の国内政治で、今、何が本当に起きているか知っていますか。
決断力のない岸田の悪口ばかり言っていれば、それで済むと思っている人たちばかりだ。本当は、岸田が何をやっているのか、わかりますか。

 昨年末。岸田は、恥ずかしながら、自分も早稲田大学卒業だものだから(開成高校の話しかしたがらない)。 岸田は、森喜朗を、検察庁に捕まえさせないように、深く“配慮”しながら、森を 利用している。

  12月●日、早稲田大学の大隈庭園( 正面玄関の右脇のほうにある ふるい木造の建物を再築したらしい )に、森喜朗が、ひとりの人物を招き入れた。岸田は、和風の庭園の入り口まで、首相なのに、自分で、その男の車のドアの開け閉めまでしに行った。

 岸田は、こういうことまでできる男だ。その男とは、かつて参議院のドンと言われた青木幹雄(あおきみきお)だ。 今も砂防会館( さぼうかいかん。番町にある)で、麻雀をさすがにできなくなったようだ。

 青木は、田中角栄を刺し殺した竹下登(たけしたのぼる)の秘書を、60年やり続けた男だ。この青木幹雄が、学生の頃からの森喜朗と小渕恵三に、ずっとご飯を文字とおり食べさせ続けた。早稲田大学雄弁会(ゆうべんかい)という、ゴロツキの、日本の秘密結社がある。私もここに呼ばれて、昔、講演をしたことがある。

 青木幹男(あおきみきお)は、茂木敏充(もてぎとしみつ)が大嫌いだ。青木は、「この男だけは首相にしたら、あかん 」と言い続けた。しかし青木の竹下派は、茂木に乗っ取られてしまった。岸田は、茂木を自民党幹事長にした。これで青木は怒っている。自分の派閥まで取られたからだ。これを森喜朗を使って、岸田は、青木を抱き込みにかかった。

 岸田にしてみれば、あまりにも下品で、やり口のへたくそな茂木敏充を幹事長に選んだことが自分の失敗だったと悟った。とても自分の後継者にしたいなどと思わなくなった、岸田は茂木を切り捨てるだろう。だが、茂木も一代で、自力で這い上がった男だ。ハーヴァード大学に入学したときに、リチャード・ハース(CFR議長)に取り入って、今の地位を築いている。だから当然、今度の安倍殺しにも加わっている。

 森喜朗は、オリンピック賄賂事件で捕まるべきだ。だが、角川書店のオーナーの角川歴彦(つぐひこ)が、かわいそうなことに90歳なのに、まだ釈放されない。これを人質司法(ひとじちしほう)という。とても先進国では許されないことだ。

 角川歴彦が、「あの7000万円は、正当なコンサルタント料として払ったもので、(電通専務だった高橋治則に、人を介して )森への賄賂ではない」と、頑強に否定し続けているものだから、検察は、角川歴彦を痛めつけるために高齢なのに保釈しない。

11. これはカルロス・ゴーンのときの人質司法と同じだ。どこの国でも、権力者層や有名人に対しては、逮捕後すぐに横に弁護士をつけて、被告人の権利を守らなければならない。ところが日本の検察庁は、そこらの暴力団の粗暴犯人と同じように、重要人物たちまでも、丸裸にしてチンポをぎゅうぎゅう擦(こす)るようなことまで、係官にやらせる。そうやって辱めをする。

 これにカルロス・ゴーンは怒っていて、イギリスBBCの助けを受けて、現在も映画を作っている。ただし、カルロス・ゴーンだって、1000億円ぐらい、外国の勘定で、日産から吸い取って行っただろうから、正義ではない。だから映画は案外、冷静に描かれるだろう。

 しかし、この日本の司法と検察の有名人に対する取り扱いは。ちょっとひどい。「日本の司法警察は何を勘違いしているか。

 自分たち検察官は、無前提に、お奉行様で、法の番人の偉い人たちだから、「お前たち。私の前に、平等に並べ。私が、すべての人を平等に取り扱う」と、威張っている。お前ら検察官も、逮捕されて、真っ裸にされて、お尻の穴に指を突っ込まれて、チンポをぎゅうぎゅうやられた方がいい。何を威張っているのだ。

 話を10.の元に戻す。岸田が、今、本当に狙っているのは麻生太郎(あそうたろう)である。(三浦瑠璃=みうらるり=が、数日前に、遂にやられた。夫の詐欺容疑での特捜の捜索で)、今や83歳の麻生は、今も副総理で、自分が宏池会を(吉田茂系)の握っていると勝手に思って、首相の岸田に対して親分風を吹かせている。岸田にしてみれば、「安倍の次に処分すべきは、麻生だ」ということだ。だから、もうすぐ麻生が潰される。

 九州には、麻生に対する長年の憎しみを持っている男がいる。古賀誠(こがまこと)である。 古賀にしてみれば、麻生を叩き潰せるのならば、岸田に対して譲歩してもいいと考える。古賀は岸田を自分の子分扱いして、「お前はまだ首相になるのは早い」と、足を引っ張った。

 古賀は、自分が死ぬほどかわいかった野田聖子が、安倍派の仕掛けで、あんなひどい目にあって、夫が暴力団員」と言いふらされて、「日本初の女首相になる目」を奪い取られたので、このことでも怒っている。

 二階俊博も、岸田に対して不愉快だが、麻生を潰すというのなら、岸田に「あんたに協力するよ」ということになって、ホテルオークラの山里(やまざと)で手打ちをした。これが年末からこっちの、日本の現実の政治だ。

 こんなことも分からないで、お前らたち程度の知能の足りないのが、アホな政治談議なんかしているんじゃない。君たちは、本当に自分が頭のいい人だと思い込んでいるのか。 私の周りにも、そういうバカが山ほどいる。自分がバカだと気づかない。学問道場の会員たちでも、まじめな、いい人がたくさんいるけど、まだまだ知能が回らない。だから私のことを先生だと尊敬している人たちは、素直に、私の話を聞きに来る。

12.日本の国防、安全保障、即ち軍事で何が起きていることを簡単に説明する。
 岸田は、12月●日に、早々と「 2023年度から、今後5年間の防衛費総額を43兆円とする」 と決めた。これで岸田の勝利だ。1年間当たりに5年で割ると、8・1兆円だ。これまでの年間5・2兆円(GDPの1%枠内)を突破した。

 だから、岸田はハト派ではない、と言われる。ウクライナ戦争があって、国防のことが心配になった国民が、防衛費が上がってもいいよ、と考え出した。アメリカの圧力で防衛費をGDPの2%に倍増せよ、という動きが安倍首相のときから、もう5年ぐらい前から言われていた。5兆円を急に10兆円にするわけにはいかない。
 
  それで、今の国家安全保障局長の秋葉剛男(あきばたけお) が、結着した。彼が自分に忠実な3人の、外務官僚と財務官僚と防衛省官僚の3人に命じて年内にキレイに予算案を作った。私、副島隆彦は、これでいいと思っている。なぜなら、どうしても国家は何があっても、リバイアサン(海の中にいる怪獣)であるから、どうしても軍備をする。

 この程度の安い金なら、やらしておけばいい。それに対して、アメリカ大統領が日本に来るたびに、1回あたり3兆円のアメリカ製のボロ兵器を買わされてきた。それに比べれば安いものだ。この先端兵器の開発問題については、このあとすぐ書く。

 秋葉剛男は、自民党やアメリカのいうことを簡単に聞かない、優れた国家官僚だ。外務省のトップの次官も1200日務めたそのあと、安倍派の杉田や北村や、中村が追い出された後、事務方の官僚のトップの官房副長官と同格の、国家安全保障局長になった。

 11月26日に、キッシンジャーが日本に来たとき、岸田首相の隣にいたのは、この秋葉だけである。このあと、キッシンジャーは、習近平に会いに行った。まったく情報は漏れてこない。ここでものすごく重要なこれからの世界の動きが語られたはずなのだ。私の最新刊の『習近平独裁は欧米白人(カバール)を本気で打ち倒す』(ビジネス社、実質は1月10日刊)を読みなさい。ここらの恐ろしいことがたくさん書いてある。

 岸田がとりまとめた防衛3文書( 12月16日閣議決定)に盛り込まれた内容を、私は、ガツーンと見抜いた。

ここから、私の洞察力の恐ろしさを教える。
 孫崎享(まごさきうける)氏が正しく批判しているが、日本国が敵国への反撃能力(はんげきのうりょく。安倍派は、敵基地攻撃能力 と言い続けた )を持つということは、核兵器を持たなければ意味がない。核兵器がないのに、反撃するといっても、意味のないことだ、と指摘した。この考えが正しい。 安倍晋三のときは敵基地攻撃能力を保有まで主張していた。それがコトバとして、反撃能力に弱まった。

 私が鋭く注目したことは。どうやら、防衛省と自衛隊の次の、「次期主力戦闘機 F3X」の開発については、日本はもうアメリカの言うことを聞かない、という事態が起きていることだ。

 同時に、今度の防衛3文書に、「海中通信の開発」という新しい言葉が出てきた。これは、航空宇宙(こうくううちゅう)自衛隊 や、サイバー防衛軍 の創設などという劇画ウルトラマン並みの言葉は、、どうでもいい。宇宙軍(うちゅうぐん スペイス・ミリタリー、 スペイス・フォース)という考えを、世界で、一番始めに作ったのは、2013年の、中国の政権だ。

 日本の自衛隊は、日本の、次期主力戦闘機「F3X」の開発で、アメリカが押しつけてくる最新鋭のジェット戦闘機なんか、もう、いらない、とハッキリと言い切った。
 
 三菱重工も川崎重工もIHIもアメリカの軛(くびき)から脱出した。
なぜか。それは、F35( 一機200億円もする )という 超高価な、ステルス戦闘機など、もう何も意味もないということが、ハッキリとした。

 この20年間、ずっと「レーダーに映らない最新鋭の戦闘機」として、あれほど 宣伝されたのに。全体が三角のような形をした奇妙な戦闘機が、まるで“空飛ぶ幽霊” のように扱われたが、全部、ウソだった。

 ロッキード・マーチン・マリエッタも、マグダネル・ダグラスも、もう黙りこくった。自衛隊の技術陣としては、イギリスのロールスロイス社のエンジンと、スプラットリー・アンド・ホイットニーのエンジンがあればいい、あとは自分で作らしてもらいますわ 」という、アメリカには鼻もひっかけないという態度に出た。

 それは、去年の2月24日からのウクライナ戦争で、ロシアのスホイ35という米F35と、丸々そっくりの、重量級のステルス戦闘爆撃機が、ウクライナ軍のそれこそスティンガーミサイルででも撃ち落されてしまったからだ。

 何が、レーダーに映らないステルス機だ、バカ野郎、ということになった。
レーダーには映らなくても、宇宙からの、人工衛星(軍事用スパイ衛星)からは、ステルス戦闘機は、丸見えに見えていて、ハッキリと捕捉されたからだ。それでウクライナ軍の熱戦追尾型の誘導(ガイデッド)ミサイルに、いとも簡単に正確にロシアの最新鋭のステルス戦闘機20機ぐらい撃ち落されてしまった。

 アメリカの軍事偵察衛星からの通信で、ウクライナ軍がロシア機を次々と撃墜した。武装ヘリコプターも次々に何百機も撃墜された。地上の戦車隊だけではない。このことにロシアのプーチン大統領以下、3,4月まで、真っ青だった。ウクライナ軍の重量な通信は、アメリカ軍の将校たちが直接、キエフに派遣されて、今も実行している。

 それでもハイマースなどを実際に技術指導して運転している、ミリタリー・アドヴァイザースを自称する、アメリカ軍の将校たち、3000人ぐらいがロシアからの、直後の報復攻撃で死んでいる。

 だから、アメリカのF35も、もう撃墜されるのだ。このことが、判明してしまった。だからステルスなどという偉そうな言葉は、軍事の専門家たちの間では、もう消えた。だから、敵の支配地上空を飛ぶ戦闘機や爆撃機は、今や、必ず撃墜されることがハッキリとした。

 ドローン(UAV アンマンド・エアロ・ヴィークル)に全部取って替わられてしまった。中国製のDJI(デー・ジェイ・アイ)社(この深圳の、本社前まで私は、弟子たちと、2019年に行った)が、作っている一台2~10万円ぐらいの民製品のドローンに、ロケット弾や手榴弾をぶら下げてそれで、ウクライナ軍は、ロシア軍の塹壕に正確に投げ落としている。

 現代の戦争はここまで来てしまった。第1次世界大戦のときの複葉機(ふくようき)から乗組員が、手で、下に爆弾を投げ落とす時代の再来になった。

 だから次の日本の航空自衛隊の戦闘機(F3X)は、小型になって簡単になって安くなって、その横にドローンが2機ついて、人間の乗っている戦闘機を防衛する形になるだろう。だから、アメリカの戦闘機製造会社の言うことは、もう、聞かない。日本は、おカネも払わない、となった。

 そして、次に、前述した海中通信( 海中電波 )の開発が、大事である。
現代の世界戦争で、唯一、大事なものは、潜水艦発射型の核兵器(LSBM サブマリーンローンチ・バリスティック・ミサイル)である。核兵器搭載の原潜だ。 
 敵国の地上にある核兵器施設は、必ず正確に1センチも違わずに、把握される。そして核攻兵器で攻撃され破壊される。 それに対して、海の下に潜っている原潜は、どこにいるか分からない。これが海面近くまで上昇して、核を発射することを阻止できない。だから、現代の人類の最強兵器は、核兵器搭載の原潜(げんせん)なのだ。

 イギリスはみっともない国で、真実は核保有国ではない。アメリカの2隻の原潜に頼っている。大ブリテン島の、両側に米軍の秘密海軍基地があって、そこは海岸線の崖から横に、海底から、トンネルが掘られていて、そこに原潜の基地が有って、そこから原潜が出入りしている。

 イギリスの核兵器は、アメリカ軍からの借り物だ。かつ、イギリス軍には、その米原潜の核兵器を管理する能力も権限もない。これが、みっともない限りの、イギリスの現在の力だ。

 それに対して、フランスだけは、自力で核実験やって、自力で核兵器を持っている。だから、フランスは、何とかヨーロッパの大国なのだ。このフランス人の、「アメリカ、何するものぞ」の精神を、ドゴール主義という。このゴーリスト(ドゴール主義者)たちが、本物のフランスの保守の政治知識人たちだ。

 日本が核兵器を保有するときも、必ずこの 海中から発射する、潜水艦発射型 になる。ところが潜水艦の唯一の弱点は、通信の電波が届かないことである。海の中を電波は通らない。走らない。

 だからソナーという、ビュンビュンビュンビュンと伝わっていく振動波が、目標物に当たって、それがまたビュンビュンビュンビュンと自分に帰ってきて、それで相手の位置と大きさを何とか把握する。 潜水艦の耳と目は、このソナーしかない。潜水艦というのは、つんぼ・めくら(視力、聴力なし)状態で、海の中を走っているのだ。アタック・ソナーで海の中で岩にぶつからないようにはできる。

 ところが、どうやらアメリカは、西海岸の海軍基地で、世界最大の海軍造船所でもある、サンディエゴ海軍基地で、海中通信電波の開発に成功したようだ。これには、青色発光ダイオードの技術が使われたようだ。

 私はすでに、10年前からこのことに注目していて、書いている。中村修二(なかむらしゅうじ)という、徳島県出身の日亜(にちあ)化学工業という化学工業会社の技術者で、この青色発光ダイオードを、最終的に完成した男がいる。

 たしか5年前に、ノーベル物理学賞をもらった。おそらくこの時期に、中村が作った青色発光ダイオードが、米海軍で海中通信機として、実験に成功したのだろう。中村修二については今、私たちが使っているLED の電球にとって必要だった青色を作ったので、大業績なのだが、それだけにとどまらない。

 中村は、日亜化学工業を訴えて、自分の業績に対して600億円を払えと訴えた。しかし判決は、たったの12億円ぐらいだった。中村は、これに怒ってもう日本なんかにいたくない、と日本に去った。そしてサンディエゴの米海軍基地が眼下に見下ろせるカリフォルニア大学 サンタバーバラ校の教授になった。 

 日本側の理屈では、わざとらしく「日本の総資本(企業全体)にとって、あまりにも多額の個人業績への評価は、企業の経営を難しくする」という言い訳にした。だが、これは当時から作られたウソだった。

(ここに中村修二の顔を貼る)

 中村を、とある有名な弁護士が企業側が裏と繋がって騙した、というのもウソだった。はじめからアメリカが仕組んで、中村修二をアメリカに連れていって、軍事の海中通信技術の開発を、中村にやらせたのだ。それがこの海中通信電波としての青色発光ダイオードの貢献であるだろう。 今度の防衛3文書にたった1行、「海中通信の開発」と書いてあったので、私はピンときた。私のこの分析能力を甘く見るな。

 私が、こう書いたら、すぐに、「そんなことは私たちは知っていた」と言う。本当にふざけた野郎どもだ。オレの前に出てこい。首を絞めてやる。 民間人国家戦略家を名乗り続けている私の頭脳に対して少しは敬意を払え。

 最後の最後に書く。なぜ、安倍晋三は殺されたか。この答は、私の次々の本の中にも、少しづつ書いている。ちゃんと読みなさい。ここから書くことは、最新だ。 
 
 安倍晋三は自分の庇護者で、育ての親であるマイケル・グリーン と去年の4月に、大喧嘩をして、2人は分裂した。このことを、ここで私がハッキリと暴露しておく。

マイケル・グリーン ( 1961-)

 マイケル・グリーンは、安倍に言った。
「お前が核兵器を作り始めたことを私たちは知っている。日本は核兵器を持つな。これは。アメリカ政府からの厳命である 」 それに対して安倍は、 「なぜ日本は核兵器を持ってはいけないの。 アメリカにとってもいいことでしょう。 日米同盟が、さらに強化されるでしょう 」と、しぶとく、食い下がって、安倍は言い続けた。それでグリーンがついに怒った。そして安倍を見捨てて、怒鳴り上げた。

「勝手にしろ」 “Do as you like, please.“ と言って 安倍と縁を切った。「もう、お前のことは知らん。これで終わりだ」 と。 
 だが、このとき、マイケル・グリーンは、「お前、本当に殺されるぞ」 とまでは教えなかった。グリーンは、7月8日の安倍の死を、事前に知っていたのだ。

 そして、グリーンは5月には、さっさとオーストラリアのシドニー大学のアメリカ政治研究所に逃げた。 「お前のことは、もう知らん」ということだ。マイケル・グリーンは、もう2度と、日本には戻って来ない。グリーンを嫌う、敵がたくさんいる、ワシントンではなくて、カリフォルニアで隠居生活をするだろう。

 28年間も、日本で、アメリカの手先どもを、操(あやつ)り続けた、ジャパン・ハンドラーズの頭目が、こうやって日本から消えた。 
コラー、日本人ども。とくにアメリカの手先ども。私、副島隆彦 が書くことをハッキリと理解しろ。 
なあ、田中明彦(たなかあきひこ)よ、北岡伸一(きたおかしんいち)よ。安倍晋三が処分されて、その前に、お前たちの親分の、グリーンが、急に日本からいなくなって、びっくりしただろ。

以上、副島隆彦が、これだけのことを教えておいたからな。
 私のことを、人生の先生として尊敬している人たちは偉い(今年も会費を払ってね)。それ以外の日本のバカ官僚や、自民党の子分どもや、大企業の戦略部門で、私の文章からぺろぺろ泥棒しながらレポートを書いている者たちへ。

  お前らも、もうそろそろ30冊も、私の本を隠れて読んでいるのだから、全員、私の弟子だからな。いいか。私は何でも分かっているんだぞ。  
  副島隆彦記

副島隆彦です。以下に、前の方の6番で、書いた、今の連合の会長になっている、統一教会員 そのものである、芳野友子(よしのともこ)の正体を書いた、記事を一本、証拠として載せて置く。

(転載貼り付け始め)

〇 「“共産党アレルギー” 連合・芳野(よしの)会長と旧統一教会の怪しい関係…会見で突っ込まれタジタジ 」

2022年年9月6日  日刊ゲンダイ

自民党に急接近(芳野友子連合会長)
(ここに再度、芳野友子の 写真を貼る)

 国政選挙の前後くらいしか注目されない連合の定例会見が話題だ。なぜか? 「共産党アレルギー」で知られる芳野友子会長が反共を掲げる旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関わりを問いただされ、タジタジになったからだ。

昨年10月に初の女性会長に就任してからというもの、野党共闘を強烈な言葉遣いで邪魔し、立憲民主党を揺さぶる女傑ぶりはどこへやら。やっぱり火のないところに煙は立たないのか。

 先月25日の会見で問われたのは、連合加盟の労組が研修などで利用する富士社会教育センターと教団との関係、そして自身と教団との関わりだ。

 芳野氏が所属する労組JAMで副書記長を務めた労働運動アナリストの早川行雄氏が、「芳野友子新体制で危機に立つ連合」と題したリポートで「 芳野の反共思想は富士政治大学で指導されたもののようである」 と書いているほか、センターの影響が指摘されている。
 
というのも、元民社党委員長が設立した、このセンターの理事長には、旧統一教会関連の世界平和教授アカデミー初代会長 や 世

副島隆彦 投稿日:2023/01/20 18:31

【3020】[3513]私が、昨日、10本書いたうちの頭の1,2だけ載せる。

副島隆彦です。今日は、2023年1月20日(金)です。

今、今日のぼやきで、私とフルフォード氏との対談本の新刊書である

〇 「 「 世界人類を支配する悪魔の正体  」単行本 - 2023/1/27 発売
副島隆彦 (著), ベンジャミン・フルフォード (著)  秀和システム刊 」
の宣伝をしている。読みに行ってください。
 
 私がこれから書くことは、屹度(きっと)この先の日本にとって重要なことの羅列(られつ)である。 私は、ここ、しばらく考え込んでいたが、まとめて書き並べる。書いて、表に出しておかないと、私の脳(頭。ブレイン、マインド)の方が、飽和状態になって漏出、散逸してしまいそうだ。

 政治と経済の両方を含む。日本国内と、世界のことも併せて書く。正直に、自分の考えていることを書く。 それでも、
 1.「日銀黒田の金融政策の勝利」 と 
2.「金(きん)が値上がりを始めた」だけを、とりあえず、この重たい掲示板にアップロードする。

 金は、もうすぐNY値段で、1オウンス(31グラム)=2,000ドルになるだろう。今、1,930ドル( 1月20日)だ。 
 これの日本国内価格は、 大阪取引所(JPX の一部)の卸値(おろしね。ミドル)は、「1930ドル ÷31.1 × 128円 」 で丁度、1グラム=8000円 である。 小売りは、これに消費税と手数料を、約800円足すから、8900円だ。 もうすぐ 1グラム=1万円 。1キログラムのバー(延べ板)ならば890万円だ。 1万円まで、あと一息だ。 やれやれ、ようやく金(きん)が、戻って来た。

1.一昨日(18日)、日銀の黒田東彦(くろだはるひこ)総裁がFOMCの後、記者会見した。黒田の勝利だ。黒田は、これで立派に、この10年間の日銀総裁としての自分の務めを立派に果たして、引退の 花道(はなみち)を飾る。

 私、副島隆彦が、黒田に対して最大限の褒め言葉を送る。他のバカ経済学者や経済評論家、新聞記者たちなど、どうでもいい。 
黒田総裁は、10年前の2012年4月に登場して、「異次元緩和(いじげんかんわ)」を打ち出して、アメリカの言いなりになっている、ふりをしながら、日本国の 通貨と国債借金の返済と、インフレ管理を、やりきると、宣言した。
 
 私は、当時、「黒田は、人格者である。日本官僚のトップとして立派な人物である。ただし、黒田が、山本五十六(やまもといそろく)と同じような自殺(の旅立ち)をしなければいいが」と書いた。
 黒田は18日の記者会見で、ハッキリと「今の金融緩和政策を続ける。長期金利の目標(利回り)もプラス、マイナス0・5%で維持する。」と宣言した。

 とたんに10年もの国債(長期金利)の利回り(イールド)が、0・36%に急落した。黒田の狙いどおりだ。これでイギリスから仕掛けられていた、金融投機筋を先兵(せんぺい)とする、日本国債の暴落(長期金利の上昇)の策動は粉砕された。

 去年の9月22日の、「円安阻止介入」で、日銀黒田は、2.8兆円分の米国債を売って、日本国債を買うことで、円買い(円防衛)を実施した。このときは、1ドル=144円だったが、140円まで上げた。 

 このあとも、国際金融投機筋(すじ)の攻撃が嵩(かさ)に掛かって(即ち、日本への威圧的な態度に出て)起きて、1ドル=150円 まで、円は売られた(10月20日)。

 ここで、日銀黒田が、すかさず反撃に出て、10月21日に、5.5兆円分の円買い(米国債売り)を断行した。これで、円安は終わり、以後、円高方向への流れが出来た。1ドルは140円を割った。黒田東彦の大勝利である。そして、今、128円だ。

 あの悪名高かった カイル・バスは、昨年の日本国債への暴落攻撃に失敗し、そのあと6月からの香港通貨への暴落投機でも失敗したあと、消えた。相場師として失敗して自滅しただろう。他の名うてのゴロツキ投機家たち(世界的な仕手筋、金融詐欺師ども)も、対(たい)日本攻撃で総敗北した。 かつ、米財務省にしてみれば、今のように、中国と韓国と日本に、米国債の売却をNYの債券市場で、ガンガンやられると、本当に泣きたくなるぐらい
イヤなことだ。その分を、必死でどこかに嵌(はめ)込まないといけない。

どうも、「リバース・リボ(ルヴィング)」とか称して、密かに日本側の債券(外債)購入の裏帳簿で、買い戻しているようだ。

 日本国内の金融市場のファンドマネージャーたちは、私の弟子たちまで含めて、「日本の長期金利は、(10年もの国債が指標)0・3%を越すと、国債デフォルトを起こし、日銀は破綻します」と言っていた。これはそれで、数字の根拠のあることだから正しい。

 しかし、それに対して、副島隆彦は「 そんなことはないよ0.3%の壁が破られて、日本国債の暴落=円の信用の下落が、起きたら、その時は、日本政府が保有している米国債を死ぬほど売り散らせばいいんだ。残高はまだ140兆円分ある」と言った。

 日本政府は、最大時の去年の9月に、実に、1.4兆ドル(これを、為替の当時 140円で計算すると、丁度200兆円だ)の外貨準備高を持っていた。これを使って、円を防衛すればいい。現在は、かなり米国債を売って、再び、1兆ドル(140兆円)台まで、減らしているだろう。

 たった今、ネットで調べたら、日銀発表で、去年の年末で、外貨準備高は、123.92兆円だった。まだこれだけある(2023年1月20日)。

 去年の12月にも、日銀は、17兆円分、円安阻止介入で、米国債(外債=がいさい=と呼んでいる)を売った。それで日本国債を買った。いいことだ。

 そして、1月の17日までの「3営業日」でも、17兆円分、日本国債を買った。アメリカ財務省 は、日本政府に、米国債を売られて、本当に厭(いや)な顔をしただろう。岸田首相が、去年10月にアメリカに行った時、「円安を止めるために、保有する米国債を売ります」と、簡単に事前の通告だけした。 米財務省は、“ 無言で承認” を与えた。
 
 日銀が、なぜ、日本財務省が管理しているフォーリン・リザーブ(外貨準備高)を使えるのか、私には、よく分からないが、 去年の9月からの“円安阻止介入“で米国債を、すでに60兆円分(5千億ドル)ぐらい売っている。そして、日本国債を、日銀は財務省と合同で、ガンガン買いまくった。これでいいんだ。

 一昨日の会見でも、 経済記者どもも一言も、 「外債(米国債のこと)を売って、日本国債を買って円安を喰い止めているわけですが 」という質問を一切しない。私、副島隆彦だけが、この巨大な真実をズケズケと書き続けてきた。
 
今も、専門家には、誰からも相手にされていない(笑)。 私は、もう15年間もこのことを書き続けているんだぞ。 だから、今、1ドル=127円まで円高になったのを、120円まで持っていけばいいんだ。

 これが40年前からの米、欧、日 の秘密合意なんだ。1985年のプラザ合意の2年後(1987年)から、 1ドル=120円台になっている。何がすっとぼけて、大きな真実を知らないふりをしているんだ。どいつもこいつも。

 黒田の勝利だよ。黒田は、これで立派に4月の引退で花道を飾れる。黒田は偉かった。なぜなら、自分に課した約束である、「インフレ目標数値の2%」を達成したからだ。

 10年前の2012年の4月の異次元緩和(無制限の量的緩和)の金融政策の導入の決断の時以来。10年かけてインフレ目標値(物価上昇率)の目標値)2%を実際に達成した。今は、馬鹿どもが、消費者物価が上がってインフレが恐いと言っている。

 あとは、「 イールドカーブ・コントロール( YCC )政策は、やれるはずのない長期金利の政策誘導ではないのか」と質問している。短期金利(1年もの以下)=政策金利だけでなく、長期金利も、なるべく中央銀行が、管理して、政策誘導できれば、それに越したことはないのだ。

 ただし、20年物、30年物、まである。本当は、日米関係には、一番、暗い話として、裏に深く深く、隠している、50年物、100年物まであるのだ。この話は、馬鹿どもには、分からない。

 ヨーロッパ諸国が、軒並み年率10%(真実は20%)のインフレを起こして、ウクライナ戦争のせいで、ロシアに、 ではなくてアメリカに騙されて、ドイツやフランスがひいひい言っている。ワルのイギリスは、電気代と暖房費(ガス代)が、2年前の3倍になっているそうだ。ざまーみろである。 天才を通り越した、哲学者王(フォロソファー・キング)である、プーチンのエネルギー戦略の勝利だ。

 それに比べれば、日本のインフレ目標2%達成は、黒田の大業績だ。その主な原因は、石油と天然ガスが世界的に値上がりしたので、それで、エネルギー代と電気代が上昇したからである。それでも立派に、別名、“インフレターゲット(インタゲ)の2%”は、達成された。 

 日本経済は、こんな低インフレには耐えられる。そのことと、賃金が、もう40年間上昇しないので、日本は、貧乏国になり果てた。 日本の人口の下半分の6千万人は、今や、貧乏人層だ。  年収2百万円の就業人口層が、1千万人もいる。

 ただし、黒田東彦にしてみれば、「それは、政府の総合的な経済政策(エコノミック・ポリシー)の所為(せい)であって、本来、インフレ・ファイター(インフレを防止する)である中央銀行の金融政策(マネタリー・ポリシー)の責任ではない」となる。そのように、以前の正直者でクビになった白川まさよしの時以来、日銀は主張している。 正しい考えだ。

 10年前に 安倍晋三が、2012年の12月に突如、政権を握ってクーデターでアメリカの仕掛け通り、首相に復帰した。その後の全般を、アベノミクスと称して、本人は悦に入ったが、みんなはバカにした。紫(むらさき)おばさん(浜のりこ)は、これを、“アホノミクス”と呼んで評判を取った。

 だが、日銀の黒田が、やった金融政策(マネタリー・ポリシー)は、安倍晋三のアベノミクスの総合経済政策とは、一致しない。 全く別だ。すでに、財政政策(フィスカル・ポリシー)は死んでいる。財政出動というコトバは、もう経済学の中から消えた。アメリカ経済学そのもの、が、死んでいる。

 表面上は、アメリカの言うことを聞くふりをして、「 アメリカ政府と同じ、年率2%の物価上昇の目標値(インフレ・ターゲット)を達成するよう努力します 」という枠組みは、そのままだ。 だが、黒田は、それを、逆手に取って、日本の金融(お金の量と金利)の舵(かじ)取りを、この10年、うまくやった。

 私は安倍晋三のバカヤローが大嫌いであり、安倍が死んで( 殺されて)、本当に良かった、と思っている。 アメリカの奴隷を続けさせるために安倍が育てられ、日本の指導者として抜擢され、日本をおかしくした。そして、アメリアの最高支配層の総意の決断によって、安倍は処分された。

 ここで、私、副島隆彦は初めて書くが、安倍は、自分を育てて養育してきた、マイケル・グリーンと、去年の4月に、大喧嘩(おおげんか)になった。 安倍がまだ首相の時(2019年)に、実際に、密かに核兵器の製造に入った。それを察知したアメリカ政府(国務省)は、グリーンに命じて、「安倍を説得して、やめさせろ」と迫った。

 グリーンは、「やめろ」と安倍に言った。しかし、安倍は、馬鹿だから、「え、日本が核を持つことは、アメリカにとっても良いことでしょう。 日米同盟( the US Japan Alliance
ザ・ユーエス・ジャパン・アライアンス)にとってもいいことでしょう」と、馬鹿から突っぱねた。

 安倍たち、日本の反共右翼=統一教会は、日米同盟で、日本はアメリカと対等だと、頭のてっぺんから、信じ込んでいる。アメリカから見れば、日本は、ただの属国(ぞっこく。朝貢国=ちょうこうこく=)のひとつに過ぎない。これがこいつら政治宗教の狂った頭には分からない。

 グリーンが、さらに念を押して、何度も「やめろ」と言ったが、安倍は「いや、やめない」と反抗した。この時、遂に怒った、M・グリーン(バーグ)は、「勝手にしろ」 “ Do as you like , please . “ ドゥー・アズ・ユー・ライク、プリーズ」 「もう、お前のことなんか、俺の知ったことではない」と、捨て台詞を吐いて、去った。グリーンは、この時、以後、一切の安倍との縁を切った。

 そして、5月には、さっさと、オーストラリアのシドニー大学のアメリカ政治研究所の所長になって日本を脱出した。グリーンは、もう2度と日本には戻って来ない。 立川、福生に有る 横田基地( ここが、真実で日本を統治している、”横田幕府”だ。B・フルフォード氏が作った、すばらしいコトバだ)の、米軍人たちからも、グリーン(バーグ)は、激しく嫌われている。 ラーム・エマニュエル駐日大使も、グリーンを、鉄砲玉で使ったくせに、
さっさとお払い箱にした。

 だが、このときグリーンは、安倍に、「お前、殺されるぞ」とまでは忠告しなかった。「 お前が、このまま突き進むと、本当に、お前は、殺される」とまでは、助言しなかった。  そして安倍は、アメリカの最高権力者層(デープステイト=カバール)の総意(根回し) によって、処分された。 これが歴史の真実だ。

 私、副島隆彦が、日本では、たったひとりで、このようにはっきりと書いておく。私、副島隆彦の言論と思想研究を信じ、かつ私を尊敬している人々が、口伝えに、この真実を、日本国内に、広めるだろう。

 来週発売の、私と、ベンジャミン・フルフォード氏の対談本に、これらのことも私は、それなりの話した。買って読んで下さい。

  さて。大蔵官僚(財務官僚)のナンバー2(財務官)から日銀総裁になった黒田東彦は、人格者であって、日本官僚の中では一番優れた人物だ、と私は、10年前に、情報を集めて高く評価してきた。今も変わらない。体躯(たいく、身長)は小さくてチビであるが、ヨーロッパの、ワルの大貴族たちの集まりであるBIS(ビー・アイ・エス 国際決済銀行。バーゼル・クラブ。別名、バベルの塔 の現代版で、バーゼルの塔という )に出ていっても、黒田は、いつも堂々としていた。

 黒田は日本国民を裏切らなかった。黒田はフィリピンのマニラに今もあるアジア開発銀行(ADB エイ・デー・ビー )の総裁をしていたときに、中国の金融政策の指導者たちと深くつきあっている。彼らにいろいろと指導して国際金融のことを教えている。そしてアメリカの策略を教えている。

  黒田は、50歳台には、財務官(ざいむかん)として、アメリカに日本の裏(うら)資金を、一千兆円超(ちょう)も貢ぐ係であった。黒田は世界金融の裏の裏まで知っている。

 だからこそ、黒田は、中国やロシアともうまくつながって、世界のこれからの大きな動きのことを知っている、私は自分の金融本で、このことを、ずっと書いてきた。

 この40年間で裏からアメリカに貢いでいる日本からの資金は、その残高が、1600兆円ある(14兆ドル)、絶対に表に出ることのない、この日本からのアメリカへの貢ぎ金(巨大債権)は、どうせパー にされる。アメリカは1円も返さない。なぜなら、その時は1ドル=10円 になっているからである。

 私が、このことを、いくら、いくら、いくら、いくら書いても、おまえたちは、無視したからな。私のすぐ近くにいる、私のバカ弟子たちまでが、全く理解しなかった。このバカどもが。「先生の妄想ですよ」と言いやがった。許さーん! 今でもそうだ(笑)。

 だから私、副島隆彦が、何回も、もう金融本で書いた。あのパーの高橋洋一(こいつは、私をニコニコ動画に、首実検で、 8年前に呼びつけやがった。私の顔を見たかったのだ。そのとき、私に、高橋が、何と言ったかというと、「小沢(一郎)さんによろしくね。ぼくも、小沢さんと同じ、(都立)小石川(こいしがわ)高校なんだよね」) が、講談社から出した本で、 「日本には今すぐ使える650兆円がある」(〇年刊)という書名の本を書いた。

 このとき、高橋が、自分で、鉛筆ナメナメ、計算して、算出した、日本財務省が裏金にして蓄えている、と高橋が、炙(あぶ)り出した。8つ有る、政府系の国際金融、協力金庫とかに隠しているカネは、なあ、高橋。それは、アメリカに貢いだ、カネで、年間30兆円ぐらいずつ溜まっていったんだ。 その代わりに、日本には、米国債という担保(たんぽ)証券が与えられた。それらは、50年物、100年物まである。

 だから、高橋洋一、そろそろ、私、副島隆彦に屈服するか、私に論争を挑め。相手にしてやるよ。今のまま、黙っている、とお前の負けだぞ。お前の周りの、お前の取り巻きたちが、騒ぎ出すぞ。

 その隠し資金、隠れ資金の、金額が、だから、そのときの650兆円から、もうすぐ3倍ぐらいになるんだ。分かったか。 
 日本財務省にとっては、歴代の財務官(No2) たちが管理してきた、あまり根拠がないお金だ。 空中から取り出した窒素肥料みたいなもので、毎年30兆円ずつアメリカに貢いできた。それで、アメリカ財務省は、毎年の、アメリカの国家予算を作って来た(勘定奉行以来のコトバで、これを、丸く「収める」という)。 

 こんなものは空夢(くうむ)と言えば空夢の。国家財政(ファイナンス)帳簿の上だけのお金というものは国家や政府次元でみればこういうものなのだ。だから別名を流動性(リクウイデティ。水もの)という。分かったか。

 もう、今からは、この副島隆彦の、天才級の世界頭脳を、お前たち、猿の惑星の土人どもはバカにできない。そろそろ気づいている連中は気づいている。ところが、私の金融の専門家の弟子でも、 「先生、3営業日(1月13,16,17日)で、日銀が17兆円分、国債を買いました。これは、もう、日銀の破綻が近いですよ」と私に言った。

 私は鼻で笑うしかない。そして次の日(18日)が黒田の記者会見だった。彼ら日本の金融市場の最前線にいる者たちは、日本の株や各種の債券(ボンド)そして、為替(ドル建てのポジション)が、3つまとめて、暴落を始めるのが、死ぬほど恐い。自分がポジションで持っている買い持ちの100億円のうちの、10億円がすっ飛んで、パーになると、本当に怖い。

 それよりも、もっと大きな年金ファンド を扱っている連中は、ひとりで、8000億円とか1兆円を預かって運用している。 主要な銀行や、証券会社のファンドマネージャーたちだ。彼らは、暴落がいつ起きるかで、青ざめて死ぬ思いだ。1%でも実損を出したら、100億円だ。自分の首が飛ぶ、では済まない。可哀そうになあ。

 このことで、私は、今でも思い出す。首相官邸の隣にある、何とかタワービルに入っていたドイツ銀行ドイツ証券(もう消えただろう) の 副会長をしていた武者陵司(むしゃりょうじ)が、私が講演している、横からノコノコ出て来て(こいつが仕組んだんだ)、 
 「副島さん。またバブルは来るんだろうか 」と私におずおずと聞いた。「あー武者さんですか。ええ、バブルはまた来ますよ。人類は馬鹿ですから、またお金で、浮かれ騒ぎますよ。ただし、それはあなたが死んだ後です(お前は、もう助からないよ) 」と、私は言った。

何故か、ここに総結集していた100人ぐらいの、大手の金融法人の各社の年金ファンドの運用担当の、ファンド・マネージャーたちは、一様に、顔が蒼褪(あおざ)めていた。
いつ飛び降り自殺してもおかしくない、という顔をしていた。

 それは、“リーマン・ショック” の 2008年8月17日の大暴落の、2ヵ月後ぐらいだった。 今はもうドイツ銀行もドイツ証券も日本から消えていなくなったんじゃないか。有るフリだけはしているけど、実体はない。モルガンスタンレーもメリルリンチも実体はない。

 あとのほうで(後日)、ガッツン、ガッツン書くが、スイスのクレディスイス銀行だけでなく、野村証券も実質潰れていなくなった。日本橋の横の野村の本店のビルは、2ヵ月前から有名な看板が無くなっている。もうすぐ、あの野村ビルごと、取り壊され始めている。野村は死んでいるんだよ。

 2012年に「野村は潰れる」と書いて、騒がれたのは、この、私だ。「 なぜなら、金融庁と国税庁の、合同の、緊急の査察が本社に入っているからだ 」と私が、この学問道場に書いたので、大騒ぎになった。

 ほらみろ。野村は潰れたじゃないか。もう何も収入なんか、無いんだ。為替も株も債券も手数料の収入なんかないんだ。 世の中、こんなもんだよ。あのとき「その副島という3流評論家を、わが社は法的手段に訴える」と記者たちに話した、その直後に、広報部長は飛ばされていなくなった。

 やれやれ、あれから11年が経(た)ったぞ。 福島第1原発の4つの原子炉の破裂 と、その24時間前に起きた 大地震、大津波から、わずか1年後のことだった。私は、原発前の現地活動本部と東京の間を往復していた。

 私は、「 野村は、私を、名誉棄損と営業妨害で訴えたければ、訴えればいい。裁判所に出て行ってやるよ」 とメールで答えた。 副島隆彦の強さをなめるな。真実暴(あば)き言論人としての能力を軽く見るな。 ついでに、私は、本物の予言者(プレディクター)でもあるんだぞ。野村の話は、これぐらいにしておく。また書く。

 あのときの野村の事件は、オリンパス社 の外資による凶悪な乗っ取り事件が絡んでいた。ヒドい事件だった。オリンパスは、内視鏡(ないしきょう)の技術開発の凄さで、評価が2兆円もある企業だ。これが経営陣の逮捕まで仕組まれて、無残に乗っ取られたのだ。このオリンパス事件も、今でも、問題だ。そのうち、取り上げる。

2.前の方で書いたが、 金が上がっている。ほらみろ。もう、
1オ(ウ)ンス(31=1930ドルまで行ったぞ。 為替が127円の円高に言ったものだから、国内の金価格は1g8000円にしか上がっていない。

 これを今から買うときには、消費税と手数料が800円ぐらいかかるので、8800円ぐらいだ。もうすぐ9000円だ。そして、もうすぐ1万円だぞー。待ってろ。みんな喜べ。 金を売りたい人は、売りは、その、たったの100円差だから( 消費税分の1g800円が戻ってくるから )8700円ぐらいだ。1キロバー(板)ならば870万円だ。

 田中貴金属、日本マテリアルでもいいから、これらのきちんとした業者に持って行って、売りたければ売りにいけ。 おたからや や、大黒屋や、なんぼや に持ち込むと、お前たちはすぐに騙されて、この800円分を誤魔化されて、1キロ830万円ぐらいで買い取られるよ。まあ、そんなもんでいいなら、いいのだけど。

 だから、まだじっと持って、待っていなさい。 1g=1万円は、もうすぐだ。2万円、3万円まで行くぞー。金1キロ板(バー)で、2000万円になるんだよ。副島隆彦を信じて、じっと持ってろ。なんでこんな簡単なことが分からないんだ。

ロシアと中国は、世界中から金の地金(じがね)を、今も、激しく買い集めているんだぞ。すでに世界価格では、私が前の本で書いたとおり、金1g=13,000円になっている。それに日本国内からも追いかけて追いつくに決まっている。

 アメリカは没落する。もうすぐ、ドルは大暴落する。いくらドルが暴落しても、アメリカ国民にとっては、もうどうでもいいことなんだよ。生活には困らない。輸入品の高級品が、高騰(こうとう)して買えなくなるが。
 
1ドル=10円なんて甘い。1ドル=1円になる。それでちょうどいいんだ。幕末、明治の初めの、 1ドル(スペイン金貨。メキシコ金貨と称した) = 1両(小判) = 1円(明治金貨) に戻るんだから、こんなにいいことはない。

 私がこのことを前の前の本で、書いたら、私の本を熱心に読んでくれている大資産家が「これは先生、いくらなんでもあんまりだよ。1ドル1円 なんて、とんでもない」と私に抗議の電話をしてきた。

  この人たちは、何百億円も資産を持っている。そしてドル預金の形で何億円分かを持っている。口座決済用 のドル資産を、例えば200万ドル(2億6000万円)とか持っている。それが100分の1になって、たったの260万円になってしまうことが死ぬほどイヤなのだ。

 彼らは、まだまだ、アメリカさまに、しがみついている。 アメリカ様のおかげで、敗戦後の78年間、自分も苦労したけれど、アメリカが日本を守ってくれたおかげで、自分はこれだけの資産を作れたと、 アメリカさまに腹の底から感謝している。

 その典型が、元は、ドン百姓の小作人(こさくにん。ペザント、貧農)だった者たちが、財閥と地主制度が解体されて、マッカーサーの農地解放が、早くも、占領開始の翌年の、昭和21年(1946年)に断行された。だから自分たちが、今の農協の大幹部たちになった。背広を着て会議ばかりしている。農業なんて何もしていない。

 せめて自分の家のまわりで野菜でも作ればいいのに。それもやらない。そいつら農協の幹部たちが、今から、さらに、ひとり100億円ずつアメリカさまに差し出せばいいのだ。アメリカの言いなりになって、馬鹿なCDS、CDO などの、複雑な組み立てファンド、を、また山ほど買わされている。騙されて、ふんだくられればいいんだ。農林中金と共済連が騙されて、アメリカの仕組債を買わされて、まーた、もうすぐ、20兆円ぐらい損をさせられるんだよ。

 いい気味だ。お前らなんか、元のドン百姓に戻れ。こいつらは、アパート経営者でそれこそ、アパート(軽量鉄骨4階建て全60戸、家賃6万円)を20棟とか、持っている。なーにが、農協だ。全国家主(やぬし)協会とか、貸しビルオーナー協会と、名前を変えろ。

副島隆彦です。とりあえず、1.2 として、上記の文を重たい掲示板に載せる。以下に、18日の黒田日銀総裁の記者会見を報じた記事を2本だけ載せて、のちの資料とする。

(転載貼り付け始め)

2023年1月18日
****編集長へ
副島隆彦から
  私は、東京で、週末にまたヘンなインフルエンザを貰ってきて初期肺炎で苦しんでいました。老人だから、気管支が弱いから、冬の東京には行きたくない。
昨日、**くんのお尻を叩いて、何とか、彼の本を作ってあげよう(彼は仕事であまりに多忙だ)と話していました。 

 **君は、以下の日経記事にも有るとおり、「3営業日連続で、日銀が、17兆円、日本国債を買った。長期金利が、5%を越した」に、非常に緊張していて、(きっと金融業界の現場の専門家たちは、そろってそうなのでしょう)、それで、「日銀の 国債デフォールトが起きるのでは」と、心配していました。

 彼が、一昨年(おととし)から、ずっと、「日銀は、長期金利0・3%以上には耐えれない(利払いが出来ない)」と 言っていたとおりで、黒田は、この0・3%を死守するために、金融緩和を続けた。私は、黒田を支持し続けました。 

 NYではなくて、「イギリスの為替、債券の投機筋が、日本国債の売り、暴落を仕掛けている」と**君は言いました。私、副島隆彦は、「大丈夫だよ。米国債を売って、どんどん日本国債を買えばいいんだ。まだ、100兆円 以上ある」
 
「だから、岸田は、アメリカで、バイデンたちに嫌われて、晩餐会もない、記者会見もない、の目に遭っている。それで、いいんだ。 秋葉剛男(あきばたけお)と****たちが、対米自立の戦略として仕掛けているんだよ」と、言いました。 

安倍の子分だったのに、さっさと裏切った、今井・・や島田(今の岸田の首席補佐官)たち経産官僚あがりが、ロシア、中国ともじっくりととつながって(対ロシアの制裁に日本は加わっていない)、しっかりとしたエネルギー戦略をやっている。

 アマゾンの孫崎対談本 の宣伝を見ました。あれでいいですね。 あれぐらいに落ち着いて、そして、もっともっと孫崎享(まごさきうける)氏を を、私が、立てる、褒(ほ)めるのがいいと私も思います。

 肺の爛(ただ)れ(炎症、フィリア)が、少し収まったので、今日、重たい掲示板にワーワー書きます。ようやく、今年の動乱の兆しが見えてきました。デープステイト=カバールは、ワクチンも、もう2年やったから、そろそろ飽きた( スイス基盤の 製薬会社たち を設けさせた)から、次のエベント event を始めるでしょう。 副島隆彦拝 

〇 日銀の国債購入最大、1月17兆円超 きょう会合結果公表

2023年1月18日   日経新聞
 日銀の黒田東彦総裁は18日、金融政策決定会合の結果を公表する
日銀の国債購入が膨らんでいる。1月の購入額は17日時点で17兆1374億円となり、2カ月連続で過去最大を更新した。

 長期金利の上昇圧力が強く、0.5%程度とする上限以下に抑えるため、連日、大規模な買い入れに動いている。18日には金融政策決定会合の結果を公表する。三井住友信託銀行が17日に起債を見送るなど、前回会合で政策修正の理由とした市場機能の低下には改善がみられていない。

【関連記事】日銀、物価見通し引き上げへ きょう決定会合
 長期金利の指標となる新発10年物国債の利回りは17日、一時、0.505%を付け、3営業日連続で日銀が設定する上限を超えた。日銀が国債を買い入れ、終値では0.5%に戻った。ただ、10年債近辺の利回りが8~9年の利回りを下回るゆがみが顕著だ。

 その影響が、企業が資金を調達する社債市場に及んでいる。三井住友信託銀行は17日、準備していた10年物社債の起債を見送った。発行予定額は50億円程度で、18日の起債を予定していた。

 社債は、国債の利回りに信用リスクなどを加味した上乗せをして発行利回りを決める。長期金利が人為的に抑えつけられると、適正な上乗せ金利を算出しにくい。上乗せ金利は高くなりやすく、国内社債の代表的指数「NOMURAーBPI事業債」をみると、国内企業などの円建て社債の平均上乗せ金利は20年5月以来の水準で、高止まりしている。

 一段の政策修正で債券価格が下落することを警戒し、投資家の社債への投資意欲も低い。オリエントコーポレーションも17日までに、2年債と5年債の起債を延期した。

 みずほ証券の大橋英敏氏は「日銀が長期金利のコントロールをやめ、市場が金利の落ち着きどころを見つけるまで弊害が続く」と指摘する。日銀は金融政策決定会合で、債券市場への対応策を議論する見通し。日銀内には大幅な政策修正は「もう少し様子をみるべき」との意見が多い。

●「日銀の国債購入、月間最高に 1月17兆円、金利上昇を抑制」

2023年1月16日 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3836e520559ee2ccfdce7ab60b063606b8f0690

 日銀は16日、金利の上昇を抑え込むために2兆1148億円分の国債を買い入れた。1月の国債購入額は17兆円規模に達し、月間の購入額として過去最高だった2022年6月の16兆2038億円を上回った。

日銀が17、18日の金融政策決定会合で金利を極めて低く抑える大規模金融緩和策の修正を進めるとの観測から国債が売られて利回りは上がり、これを抑え込むための購入が増えた。

民間シンクタンクの東短リサーチの集計によると、決済日を基準とした1月の購入額は17兆円規模となった。国の財政を日銀が支える「財政ファイナンス」が懸念される。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦 拝

副島隆彦 投稿日:2023/01/08 20:05

【3019】[3512]NHK紅白の 石川さゆりの「天城越え」の背景に真実の心中事件があった

副島隆彦です。今日は、2023年1月8日(日)です。

 今年は世界中で、まだ何も起きていない。 
 もうすぐ何か起きる、というよりも、計画的に起こされるだろう。 それを待って考えるしかない。 何か起きたら、その背後を、さっと、私の予言者能力で、その裏側を透視して 今年の世界の動きの、その方向付けをする。

去年は、安倍晋三が死んで、殺されて、最高の年だった(7月8日午前11時半 )。

 今日のぼやきの 方に、1月4日付けで、私の年頭の挨拶と、私の年末、年初の生活を書いた。 いつもとおんなじ、年の瀬、そして新年だ。 日本は平和でよかった。平和で、戦争が無くて、皆、紅白歌合戦を見て(だが視聴率はどんどん落ちて30%ぐらいだそうだ)、新年には、2日、3日に、テレビで箱根駅伝を見て、他にすることがないので、神社にお参り(参詣)に行く人は行く。

 私は、10年ぐらい前に、家族で、東京の外神田(そとかんだ)に、すでに江戸時代の早くに移った、神田明神(かんだみょうじん)にお参りに行ったことがある。 もう2度と神社の参詣などしない。1時間弱も並ばされて、100円玉を、投げ込んで、三拝して、それで終わりだ。ゾロゾロと人々が並んでいるだけだ。 不愉快だった。 

 慣習(かんしゅう)、習俗(しゅうぞく)、習(なら)わしというものは、恐ろしい。 何で、こんなくだらない、何の意味もない、年賀の神社参りを民衆(people ピーポー、ピーポウ )は、するんだろう。

 神社の本殿の扉は閉めきっている。「勝手に、お賽銭を入れて、拝んで、とっとと帰ってください」と言う感じだ。 全国、どこの神社も、こうだろう。神主(かんぬし、宮司、ぐうじ))が、正殿に出てきて、参拝者に会釈もすることもない。 

 じっと見ていたら、本殿の横の方から、きっと斎費(さいひ)1万円を納める金持ちの氏子(うじこ)たちが、横の方から入って、中で、神主にお祓(はら)い(清祓、せいばつ)をしてもらっている。 

 私は、その時から、自分は、もう一生、全国どこの神社にも参詣に行かない。観光地の有名な神社仏閣に行っても、境内(けいだい)を見て回るだけで、一礼、二柏手の三拝 はしない。 どこの神社も今は、取ってつけたような、くだらない、コンクリートで出来た、馬鹿みたいな建築物だ。 何の有難(ありがた)みもない。本当にくだらない。

 日本の神道(しんどう。 Shintoism シントウイズム。 しんどう、と読む。そうでしょう。しん「とう」は、おかしいでしょう。華道、柔道、剣道と同じ、「どう」だ )はもう滅んでしまえ。すでも滅んだと言える。民族の習俗(カスタム)だ、というのも、もうウソだ。何のありがたみも、中身、内実も、本当に、無い。日本の仏教(ブッデズム)も同じだ。

新年から私は毒づいてしまった。
 大晦日(おおみそか)のNHKの紅白歌合戦の後半だけ見た。大取(おおとり)ではなかったが、石川さゆりの今年は、津軽海峡冬景色(つがるかいきょうふゆげしき)ではなくて、天城(あまぎ)越え、だった。 この2曲を、毎年、交互に歌うように、石川さゆりは、NHKに頼まれている、という。 

(ここに石川さゆりの 写真を貼る)

 津軽海峡冬景色は、彼女の、1977年の大ヒット曲でレコード大賞も貰った。彼女は、1958年生まれだから、私よりも5歳下で、今、64歳だ。19歳の時のヒット曲だから、もう45年間も歌い続けている。国民的な、大(だい)歌謡曲の大(だい)演歌歌手の迫力があって、歌唱力も衰えることなく、堂々と歌い上げた。
オバさんを通り越して、お婆(ばあ)さんになってしまった。

 でも、日本の演歌歌手が、こうやって和服(着物)で、女性の肌の衰えも何のその、堂々と歌い上げると、韓国も中国も、きっと、日本人には、敵(かな)わないなあ、と、思うだろう。 でも、もう、若い人たちには、美空ひばりが、とか、島倉千代子が、と言っても、40代から下は知らないだろう。

韓流(かんりゅう)のポップスによく似た、日本の若い女たちの、乃木坂46とか、もう私には分からない。AKBは、紅白に落選して泣いていたそうだ。栄枯盛衰、芸能界も、新陳代謝してゆく。 

 私が、気に入ったのは、加山雄三が、85歳?で出てきて、「海、その愛」を歌ったあと、質問されて、「もう、いいよ(オレはこれで終わりだよ。もう、歌いたくない)」と言って、壇上から去った、あの一瞬だ。

  加山雄三は、1970年を境に、つるべ落としで、急激に人気を無くして(グループサウンズ、と反戦フォークの時代になったから)、以後、司会業以外では、終わった人だった。大(だい)借金を抱えたまま、実に60年間も、借金を返し続けることで、苦労に苦労の芸能人生活をおくった。 この真実を、芸能界に詳しい人は知っている。

 私は、九州から出てきた、まるで、出稼ぎ移民のような地方出身者だから、“ 湘南(しょうなん)ボーイ”の 走りで、東京のボンボン息子の代表選手で、毛並みの良い、加山雄三が、嫌いだったが、加山のこの大(だい)借金人生を、30年ぐらい前に知ってからは、
「貴方も大変だねえ」で、同情して好きになった。加山雄三は、人格に全く歪(ゆが)みが無い、まっとうな日本のエリート階級の男だ。  私は、日本芸能人論 の中で、また、彼のことを詳しく書いて、纏(まと)めようと思う。

副島隆彦です。 今日は、それで、石川さゆり の 「天城越え」(1986年の大ヒット曲。28歳の時 )について、私が気になったことを書く。

 名曲「天城越え」は、カラオケで、本当に歌が、生来、上手い女性でないと歌えない。とんでもなくキーが高いのだと思う。喉(のど)の作りが、生まれた時から、歌を歌うように作られている人でないと歌えない。非常に難しい歌だ。イタリア・オペラ(歌劇)のベルカント級だ。ディーヴァでないと歌えない。

(ここに年末の ユーチューブの NHKの天城越え を貼る)

https://www.youtube.com/watch?v=wcoG3ObliLE  

おお、石川さゆりは、今も、プロ(ウ)の歌手には珍しい、あの がちゃ歯(不揃いの歯並び)のままだ。あのがちゃ歯のまま歯並びを修理しないで50年間、歌い続けた。偉い。今年で、デヴュー50周年だそうだ。今、64歳。

 この「天城越え」は、作詞家の大御所の吉岡治(よしおかおさむ)が、石川さゆりが大ヒットさせる(1986年。もう37年前の歌)前年に、伊豆の湯ヶ島温泉で、現地を歩き回りながら作詞した。ご当地の地名が、浄蓮の滝とか、九十九(つづら)折り、ワサビ沢、寒天橋とか、出て来る。 

 そして、有名な天城峠の 天城隧道(あまぎずいどう、すいどう とも。トンネル)だ。この下田街道の 旧国道のトンネルは日本国民の共有財産だ。
(ここに、天城山トンネルの写真を載せる)

今日は、同じく、まさしく、この下田街道が舞台のひとつになる、川端康成の「伊豆の踊子」の話はしない。 私は、すでに自分の「伊豆の踊子」論を本に書いている。田中絹代(たなかきぬよ)から、山口百恵まで、いくつの映画になっただろうか。

 この「伊豆の踊子」は、伊豆大島から、熱海に上陸した、旅芸人の一座が、そこから、伊豆半島の温泉宿を、ずっと、一か所ずつ、ずっと宿ごとに、
点々と、芸を披露しながら、移動してゆく話だ。一高生(いちこうせい。東京第一高等学校、駒場)の学生だった、川端康成の体験記の小説だ。学生が、ずっと、その一座と、追いつき、追い越ししながら、ずっと下田街道を、温泉町を伝わって行く。

 そして、修善寺温泉を越えて、湯ヶ島温泉へ、狩野(かの)川沿いに上って行って、それから、下田までゆき、そこから、一座は、目の前に大きく見える、伊豆大島へと帰る。 

 ここで、大事なのは、山口百恵ちゃんが演じた、15歳ぐらいの、初潮(しょちょう)を迎えた少女の踊り子は、温泉宿で、その夜、職業として売春をやっていた、という悲しい事実だ。

 これは、現代では、表面上は言ってはならないことになっている。しかし、誰かがはっきりと真実を書かなければいけない。だから私が、そう書いた。私のその10年ぐらい前の新刊の本を手に取った、その出版社の社長が、担当編集者の横で、「百恵ちゃんも、そうかー、売春婦だったんだ」と、感慨深そうに言った、という。

 世の中の真実は、そういうものだ。(あんな大(だい)少女歌手の百恵ちゃんであっても、売春婦をさせられていたんだ、と、この世の酸(す)いも辛(から)いも噛み締めて生きてきた人間たちは知っている、そういう真実がこの世に本当にある。頭の悪い、真実が分からない人間た
ちには分からない。

 石川さゆりの名曲「天城越え」という、今や国民歌謡と言うべき歌には、背後に真実の「天城山心中(あまぎさんじんじゅう)」の事件が有る。

周囲に反対されて、家柄、家格 の違いもあって、願わぬ恋を、どうしても、若い男女が添い遂げようとして、心中(しんじゅう)する。 「天国に結ぶ恋」と、当時から言うようになった。

 この天城山心中事件 は、石川さゆりの歌とは関係ない、とされて誰も説明しようとしない。 だが、どう考えても、この事件がこの歌の原形で、あり原因だ。
 日本人は、皆、自分の体で実感でこのことを分かっていて、きっと本当に無理(むり)心中の事件が有ったのだろうなあ、と、思っている。しかしこの事件のことを、この歌の原因となった事件だと、説明する者がいない。

 そうでなければ、この歌の歌詞(かし。リリック)の

   「・・・誰かに盗(と)られるぐらいなら、あなたを殺していいですか。
  寝乱れて、隠れ宿。 九十九折(つづらおり)、浄蓮の滝。 
  ・・・肩の向こうに、あなた、山が燃える。・・・なにがあってももういいの。
  くらくら燃える火をくぐり、 あなたと越えたい天城越え 」

という極度に緊張する、心中、情死(じょうし)の情景の歌は出来ない。

 ところが、誰も、この歌の本当の真実の背景を説明する者がいない。そして 37年が経(た)った。だから、私、副島隆彦が、それをやらないと済まないのだ。現地では語り続けられているだろう。地元の人たちは真実を知っている。 このことを、私が説明して、真実を解説しないと、芸能界の人たちも、歴史学者も、もう誰もやらない。
 
 1957年(昭和32年。今から66年前 )に、実際に事件は、有った。

 この天城山系の頂点で、天城峠(あまぎとおげ)そのものの旧国道の、天城トンネル(隧道)から、男女が、脇の尾根道(おねみち。稜線、りょうせん)を、ずっと、薄暗かりの山道を登って行った。その先に八丁池(はっちょういけ)があって、さらに山系のピークである万二郎岳(まんじろうだけ)、万三郎岳(まんざぶろうだけ)が、まだ10キロ先にある。
(ここに ウイキの 八丁池の写真を貼る)

 途中その山道で、二人は、力尽きて 「もう引き返せない。死ぬしかない 」と、20歳の学生の男は、父親が軍隊の時に持っていた ピストルで、女の頭を撃ち、自分の頭も撃って、そこらの草むらに倒れた。遺体が発見されたのは、6日後だ。

 以下に、私の嫌いな、Wikipedea ウィキペディア に、この事件の、非常によくまとまった文が有ったので、それを、どんどん載せて行く。
 心中と言うのは、男女が、自分たちの変わらぬ愛を貫くために一緒に死ぬことだ。日本の江戸時代の歌舞伎では、道行(みちゆき)とか、死出(しで)の旅と言って、熱烈に演じられた。近松門左衛門の人形浄瑠璃(じょうるり)から始まった「心中 天の網島」が代表だ。これは、篠田まさひろ監督、奥さんの岩下志麻主演で、優れた映画(1969年)にもなった。

(転載貼り付け始め、 Wiki )

〇 天城山心中(あまぎさん しんじゅう)とは、1957年12月10日に、伊豆半島の天城山において、4日前から行方不明となり捜索されていた学習院大学の男子学生のO(当時20歳)と、
 同級生女子の 愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい。当時19歳)の2名が、Oの所持していた拳銃で頭部を撃ち抜いた状態の死体で発見された。当時のマスコミ等で「天国に結ぶ恋」として報道された事件。

 慧生(えいせい)は、清朝(しんちょう)最後の皇帝にして、旧満州国の皇帝でもあった愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ )の姪(めい)にあたり、溥儀の実弟愛新覚羅溥傑(ふけつ)の長女。母は、「流転の王妃」で知られる旧侯爵、嵯峨(さが)家の嵯峨浩(さがひろ)。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 このような真実の事件が有った。この「愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ プーイー )が、所謂(いわゆる)、「ラスト・エンペラー」(アメリカ製の映画にもなった。ベルナルド・ベルトリッチ監督、1987年制作 )である。

 この満州皇帝の姪(めい)の慧生(えいせい)が、学習院大学の、同級生の、無骨でバンからの感じの青森県の八戸(はちのへ)出身の、素封家(そほうか、田舎の金持ち)の子と愛し合って、それが、どうしてもうまく行かないで、それで、男が思い詰めて死を覚悟して、それを止めようとして、慧生も、一緒に死んでしまった。

 今の秋篠宮(あきしののみや)家の眞子(まこ)と小室との、家格が違うと、許されない恋をしたために、理解されないで、さんざん叩かれた、二人とそっくりだ。さらには、その両親の、秋篠宮と紀子(きこ)妃自身も、なかなか許されなくて、それを、頑張って両親の明仁(あきひと)、美智子天皇皇后が、許して認めて庇(かば)って、今の秋篠宮家がある。特権階級の人々も、みんな、それぞれ自分の立場で苦しんで生きているのだ。それを分かってあげるべきだ。 

 私は、眞子と小室の悪口を、今でも、まだしつこく言い続けている人たち(女8割、男2割)の気が知れない。 どうして真剣に愛し合う若い男女の愛を、こころよく成就(じょうじゅ)させてあげないのだろう。

 これでは、まさに心中事件一歩手前だ。次の次女の佳子(かこ)の愛が心配だ。頑迷な民衆と言うのは、時として、思い詰めた特権階級の男女の心中事件を引き起こしてしまう。  

 私、副島隆彦は、自分が、生来の文学者体質の男だから、男女の愛には寛大だ。道ならぬ恋とか、倫理道徳を言わない。 その立場であれば、きっと、あなたも、そのように、道ならぬ恋に走ったでしょう、と、理解し、周りを説得する。だが、まわりの人たちは、聞いてくれない。

 だから、二人が死んだ後、「あーあ、死んじゃったよ。虐(いじ)めなければよかった」と、反省するが、だが、そのあとも厳しい意見のままだ。人間の考えは、一旦、持つと簡単には変わらない。

 副島隆彦です。以下の、ウィキの、この天城山心中 事件をまとめた、文章が、実にすばらしいので、一番、よいところだけを、抜粋で、そのまま載せる。

(転載貼り付け始め)

・・・一方、慧生(えいせい)は、幼少期を満州国で過ごした後、母、浩(ひろ)の実家である旧侯爵嵯峨(さが)家で育ち、初等科から学習院女子中等科、同高等科を経て同大学文学部国文科に入学し、初等科卒業以来、初めて男子と同じクラスになる。

 Oは丸坊主で学生帽を被り、質実剛健、感情と行動に距離がなく、猪突猛進、愚直な性格で、都会的で洗練された学習院の学生の中では異質な存在であった。一方、慧生(えいせい)は、美しく社交的で快活、いつも学内の中心にいる存在であり、訛りを気にしてクラスで1人ぽつんといたOに声をかけて気を配るというクラスメイトの関係から始まる。

 Oは優しくしてくれる慧生に感激して女神のように崇めはじめるが、慧生は学内の華であり、心を寄せる男子学生の取り巻きも多く、Oは特別な存在ではなかった。ただ慧生の周りにはいないタイプの無骨で愚直なOの行動は、上流階級育ちの彼女には新鮮な驚きがあった。

 6月下旬、Oは初めて慧生と2人で会話をして身の上を聞き、自宅まで送った。この時、Oの他の学習院生とあまりに異なる風体に慧生の家族の反応は厳しく、慧生はOの自宅への来訪を禁じ、次々送られてくる手紙も一方的なものであると家族に説明していた。

 Oは入学当初から「命がけ」という言葉をよく使い、「ごまかしながら生きるより、清く死を選ぶ」という死に対する衝動が常にあった。8月頃のOから慧生に宛てた手紙にも、慧生への熱情の中に死を含ませた文章を綴っている。

 この頃の慧生はOに好意はあるものの、それはあくまでも友情であり、特殊な生い立ちである自身の今後の人生を考え、迷いながらも冷静さを保とうとしている。また慧生に思いを寄せる男子学生は他にもあり、その男子学生とOで決闘騒ぎも起こっている。

 11月30日、元々身体の弱い慧生が体調を崩して大学を休むと、自宅の嵯峨家にOが見舞いに訪れる。病気であるからと家族に面会を断られても、通された応接室から1日動こうとしないOの極端な行動に、特に慧生の祖母が警戒し、彼との交際を厳しく禁じた。11月26日に訪ねた際に不在と言われたOは翌日慧生に宛て、慧生の家族に心配をかけたことを詫び、今までもらった慧生からの手紙は焼却し、以後没交渉とすると宣言した。

 12月に入るとOは慧生への思いを断つべく実家に帰省し、断髪して座禅を組み断食修行を行った。絶縁状を受け取った慧生は毎日のようにOに手紙を送り、体調を崩した事で冷静さを失い、揺れていた気持ちが一気に傾くことになる。慧生の手紙を見て喜んだOは東京に戻って12月30日に嵯峨家を訪れ、再び面会を断られて犬に吠えられ一筆書いたのみで帰っている。

「婚約」
  年が明けた1957年2月、2人は蕎麦屋で長時間語り合った後、「婚約」を決める。しかしその後、冷静さを取り戻した慧生は友人達の猛反対にもあい、何度かOに「婚約解消」を持ち出すが、その度に彼が自暴自棄になって解消は立ち消えになるという事を繰り返した。慧生は家族に交際を知られないよう、Oとの手紙のやり取りを友人の名前で作った封筒で行うなど行動に細かくルールを取り決めていた。

・・・事件の1か月ほど前の11月10日には、慧生はOに宛てた書簡の中で、
「(前略)昼間屋上のベンチで過ごしたときのことを考えると涙が出てきます。今もあんなふうに武道様(O)に甘えたい。(中略)武道様が思ってくださると思うだけでニャンコは幸せです。ほんとうに幸せ。世界で一番幸せです」
と綴り、

「大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな武道(たけみち)様、エコより」と結んでいる。 

 同月13日の書簡には 「誰もいなかったら飛んで行ってかじりつきたい」、15日には「『熱烈な恋愛中』と書いた幟を立てて毎日東京中を歩いてもかまわない」、17日には「武道(たけみち)様のそういう根本的な暖かさ」に「『ゾッコン参って』います」と書いている。

 11月、慧生に思いを寄せていた男子学生が、秘密にしていたOとの婚約を知った事による非難の手紙が慧生に送られている。慧生がまた体調を崩す。11月30日、慧生からO宛の最後の手紙には、月曜日に毎月の貯金に一緒に行く事が書かれていて、死の影は見えない。

 12月1日の日曜日、熱を出して休んでいた慧生の自宅にOと見られる男から電話があり、慧生が電話口で「いらしていただいても困ります!」と珍しく声を荒らげていた。その日の夕方、「自由が丘まで行く」と言って外出した。

 事件前夜
  12月2日、慧生は少なくとも3人にSOSのサインを送っていた。大学で授業の前、親友の「オサト」に、バッグから取り出した拳銃を見せている。「O君が青森のご実家から持ち出されたものなの。『この銃で自殺する』とおっしゃって。わたくし一生懸命説得してお預かりしましたのよ」と落ち着いた口調で話したという。

 クラスメイトは皆Oの自殺願望を知っており、オサトは慧生にそんなものを持っていたら危ない、誰かに預けるよう言い、慧生が「ええ、そうしますわ」と返事をしたため、教室に戻った。もう1人の親友「木下」も同様に慧生から拳銃を見せられたが、日頃から2人の揉め事を聞かされていた事から、それが重大な結果に繋がるとは思わなかったという。

 慧生の最後の手紙によると、この日の午後、慧生とOは長時間話合い、自殺するというOの決意を覆す事ができず、慧生も同意したとされる。この前後にも慧生は、Oが暮らしていた学生寮「新星学寮」(上杉慎吉=うえすぎしんきち=の元私塾)の寮監で、Oの父の旧友であった穂積五一(ほづみごいち)に電話を入れているが、風邪で休んでおり、対応した穂積の妻に「Oさんが近頃・・」と言いかけたまま電話は切れたという。

 12月3日、オサトは大学の移動時間に慧生を見かけ、拳銃の事について念を押した。この時の慧生は「ええ・・」と鈍い反応だったという。オサトは慧生が特に変わった様子がなく、銃の件は何らかの形で解決したと考え、2人は笑顔で別れた。

失踪・最期
  12月4日の朝、慧生は普段通りに大学へ向かい、午前中には学生達から姿を目撃されている。午後7時頃、慧生が自宅に戻らない事から、家族が関係各所に電話をかけはじめる。そのころ同日夕方には、湯ヶ島の静岡県警派出所に、伊豆の山中で男女を降ろしたタクシー運転手から「心中でもする気ではないか」という届けが入っていた。

 12月5日、穂積の元に慧生からの最後の手紙が届く。手紙には、思いつめたOに同行するが強制されたわけではない、といった内容が書かれていた。Oと同室の寮生から、2日前に身辺整理をしていた事、伊豆の地図を見ていた証言が出る。また秋にはOが1人で伊豆へ旅行していた事も確認される。

 12月6日、朝から寮生たちが伊豆方面に捜索に出る。
 12月7日、新聞各紙の朝刊に「男友達に同情して“プリンセス”心中行ー元満州国皇帝のメイ家出」という見出しなどで記事が出る。オサトら学習院の同級生や地元の消防団が警察と共に伊豆での捜索に加わる。

 オサトらは4日の夕方に修善寺駅から2人を乗せたタクシーの運転手の証言を聞いた。
 「天城山トンネルまで行ってくれ」と言われ、女性の方は「帰りましょう、ねえ、帰りましょう」「今なら、まだ間に合うから、帰りましょう」と言い続けていた。午後5時頃に下車し、運転手は「日暮れも近い事から、待っていましょうか」と声をかけると、男は「この辺りはよく知ってるから」と即答した。

 女性は「ああ!こんな時間!」と言って2人は八丁池に通じる道を登っていった。不審に思った運転手は、その後湯ヶ島の警察に通報した。慧生はこの登山道に沿って学習院のサークルチラシをちぎっていき、目印を残していた。

 12月8日、2人の足跡が八丁池(はっちょういけ)方面 三つ叉道付近で発見される。霧が深く立ちこめて視界がきかず、捜索打ち切りが決定され、同級生らは帰京した。夕方、O家と嵯峨家の話し会い が持たれ、2人に関する一切を穂積に一任し、穂積は新聞・ラジオを通じて「姿を現せば2人の交際を認める」と呼びかけた。

 12月9日、伊豆に残った学生らが樹木の古株の中で着替えや靴などの遺留品を発見。 12月10日、午前9時半頃、天城山頂トンネル入り口から八丁池へ登るコースを登った標高900mの雑木林の中で、山道から20mほど入った窪地で地元消防団員が2人の遺体を発見。

 百日紅(さるすべり)の木の下に2人が並んで横たわっていたとするが、近年になって遺体の第一発見者が、慧生は木の根元に凭(もた)れかかるようにして死んでおり、武道は1mほど離れたところに倒れていて、2人は別々に横たわっていたとする証言もある。

 凶器になった銃はOの右手に握られていた。慧生の遺体は左こめかみに銃弾の穴があり、右利きの彼女は明らかに撃たれて死亡しており、右頬には銃弾が掠めたような深くえぐられた傷跡があった。死亡診断書には「他殺。銃弾による頭部貫通(かんつう) 」と記された。銃はOが八戸の実家から持ち出した軍用拳銃で、父親の弥三郎が満州で憲兵をしていた時代のものだった。

慧生の最後の手紙
  慧生は最後の手紙を4日の午前8時頃に学生寮長の穂積宛に記し、その日の午後に投函したと見られる。末尾に12月3日夜8時5分と記されたこの手紙は便箋(びんせん)5枚にわたるものだったが、穂積から預かった嵯峨家が焼却してしまったため、以下は穂積の記憶に基づく。

 「 なにも残さないつもりでしたが、先生(穂積)には気がすまないので筆をとりました。Oさんからいろいろ彼自身の悩みと、生きている価値がないということをたびたび聞き、私はそれを思い止まるよう何回も話しました。二日の日も長い間Oさんの話を聞いて私が今まで考えていたことが不純でOさんの考えの方が正しいという結論に達しました。

 それでも私は何とかしてOさんの気持を変えようと思い先生にお電話しましたが、おカゼで寝ていらっしゃるとのことでお話できませんでした。私がOさんと一緒に行動をとるのは彼に強要されたからではありません。また私とOさんのお付き合いの破綻やイザコザでこうなったのではありませんが、一般の人にはおそらく理解していただけないと思います。両親、諸先生、お友達の方々を思うと何とも耐えられない気持です」 ・・・・

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。あとの文も、まだ読みたい人は、以下の ウイキURLを 開いて読んで下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD

こうやって、こうやって、この事件から、石川さゆりの 国民的な歌謡曲がある。 
そうだ。私は、今、決めたのだが、私もこの天城山トンネル(隧道)の脇から入って八丁池の方まで、今度、行ってみる。そして、ふたりが覚悟の死を遂げた場所を、なんとか自分で探り当てて、そこで焼香をしてくる。そうすると、私は決めた。 ふたりの霊魂(れいこん)が、今も、屹度(きっと)その辺りをさ迷(まよ)っているいる。私は、ふたりの霊魂に、必死で語りかけたい。

 作詞家の吉岡治と作曲家の・・・は、この現地の山の中を歩き回って、そうやって「天城越え」が作られた。そう考えないと辻褄(つじつま)が合わない。これからは日本国民が、天城越えを、カラオケとかで歌う時は、「こういう事件が、本当にあったんだったてさ」と話しながら、歌うべきだ。 

 私、副島隆彦は、生れながらの知識人だから、清朝(しんちょう。大清=だいしん=帝国)の最後の皇帝である、宣統帝(せんとうてい)であり、その後、満州国(日本政府が傀儡=かいらい=で作った)の皇帝となった、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の一族のことも、たくさん知っているので、別の時に書きたい。

 実は、「天城越え」(あまぎごえ)は、別に、松本清張(まつもとせいちょう)が書いた、別の事件を扱った短編小説がある。1959年12月に、1983年に松竹で映画化されている。

 それは、「刑事警察参考資料」(1922年発行)の「天城山に於ける土工(どこu)殺し事件」が本作の根拠資料であると、松本清張自身が認めている。16歳の少年坑夫である近田耕作(ちかだこうさく)が、金銭目的で起こした殺人事件である。この事件を、松本が創作で、天城山トンネルの出口で、道端(みちばた)で売春をしていた女を殺した話に作り変えている。立ちん棒(ぼう)と呼ばれる、最下層の売春婦だ。

 だから、私の考えでは、普通言われるような、松本清張のこの小説(1959年。心中事件のわずか2年後 )が、名曲「天城越え」(1985年、吉岡治 作)の原形になったとは、思わない。ここには、何らかの国家的な隠蔽(いんぺい)の臭(にお)いがある。あくまで、愛新覚羅慧正(あいしんかくらえいせい)と、学習院の男子学生との心中事件が、この曲の原形だ。以後は、皆で、そのように、国民規模で、訂正しないといけない。

 石川さゆりが、あと何年、この歌を、NHK紅白で歌い続けるだろうか。私は、自分の最後の年までこの歌を見れるだろうか。

昭和天皇裕仁(ひろひと)は、この天城山の尾根道の登山道を、戦前と戦後の2回、登っている。孫の徳仁(なるひと)現天皇も、おじいさんに薦(すす)められたのだろう、この道を歩いている。 今は、事件の現場の丁度、下の方に、昭和の森公園という恩賜(おんし)公園があるようだ。 私、副島隆彦も、必ず、心中した二人の霊魂に会いにゆく。

 実は、もうひとつ、重要な心中事件がある。それは、戦前の1932年(昭和7年)に起きた、「5.15事件」の軍隊叛乱の事件の、直前に起きている。

 それを、坂田山(さかたやま)心中という。場所は、湘南(しょうなん)海岸の大磯(おおいそ)の、今のJR大磯駅の、裏山である。ここで、若い男女が死んだ。だから、天城山心中よりも、25年前である。間に戦争を挟んでいる。

 人間の男女の思い詰めた、愛の行動は、当時の、不安なの世情(せじょう)を反映したものである。揺れ動く日本国民の、その最も過敏なところで、心中事件は起きる。それに連れて、同じように、死を選ぶ者たちが、あとを追って、なんと、200人(100組)とか出る。

 この坂田山心中事件は、その直後の猟奇(りょうき)問題でも騒がれた。ここでは、そのことはもう、ここでは、私は書かない。 私は、自分の、『預金封鎖(よきんふうさ)の続編』(2003年刊、祥伝社)の中で、この坂田山事件(1932年、昭和7年)のことを、編集長とふたりで詳しく書いた。この事件が、すぐに映画になって、「天国で結ばれる恋。神様だけがご存じよ』 となって大ヒットした。 

 私が、この事件を「昭和恐慌(しょうわきょうこう)、昭和5年から8年」のことを説明するために、この本に書いたときには、 まだウィキペディアの説明文は無かった。

 今では、有る。だが、読んでみたが、こっちの方は、あまり出来が良くない。つまらない説明文だった。私が自分の本に書いた文の方が、ずっと優れている。だから、簡単にこの事件の概要だけ簡単に載せる。

(転載貼り付け始め。ウィキ )

坂田山(さかたやま)心中
  1932年5月9日午前10時、地元の青年が、岩崎家(三菱の)所有の松林の中で若い男女の心中死体を発見した。男性は慶應義塾大学の制服姿で、女性は錦紗の和服姿であった。前日の5月8日夜に現場に到着、昇汞水(しょうこうすい。塩化第2水銀、猛毒) を飲んで服毒自殺を図ったものと思われた。・・・・

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。この事件も騒がれた。
(ここに、ウィキに載っている 新聞記事を貼ってください)

東京日日(にちにち)新聞 の  当時の記事

古村治彦(学問道場) 投稿日:2022/12/28 19:28

【3018】[3511]2022年度会員期限のお知らせ(学問道場・古村)

※↓この投稿の前の副島先生からの文章を必ずお読みください↓※

SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2022年12月28日です。

私どもでは現在、2023年度会員継続を受け付けております。2022年度の会員の期限は、「2023年1月31日」までとなります。残り1か月ほどとなりましたので、会員継続を希望される方は年会費をお振込みいただきますよう、お願いいたします。

年会費振り込みの際には、会員登録された氏名でのお振込みをお願いいたします。やむを得ず、会社名や別の人の名前で振り込みをされた場合には、私どもまでご一報ください。ご一報いただきませんと、どなたからの振り込みかが分かりません。よろしくお願いいたします。

【連絡先】
副島隆彦の学問道場
電話:048-788-1837
ファックス:048-788-1854
Eメールアドレス:snsi@mwb.biglobe.ne.jp

本年も多大なるご支援、ご指導をいただきまして、ありがとうございます。2023年もまた、世界規模では厳しい戦いの状況が続きますが、引き続き、ご支援、ご指導をたまりますよう、よろしくお願いいたします。2023年が皆様に取りまして、良い年となりますよう、祈念申し上げます。

副島隆彦の学問道場
古村治彦拝

副島隆彦 投稿日:2022/12/28 14:19

【3017】[3510]ロシア・ウクラナイ戦争の最新の、戦場の様子の報告記事を2本載せる。 

副島隆彦です。今日は、2022年12月28日(水)です。

 まず、今日のぼやきの方に、 私が書いた、今日28日発売の 中国本の宣伝をしています。例によって、まえがき と 目次と あとがきを載せています。 読みに行ってください。書名は、「習近平独裁 は 欧米白人(カバール)を 本気で打倒す」(ビジネス社刊)
です。

※「2030」 副島隆彦著『習近平独裁は 欧米白人(カバール)を本気で打ち倒す』(ビジネス社)が発売 2022年12月24日↓
https://www.snsi.jp/tops/kouhou/2358

 ただし、今日28日発売、と言っても、アマゾンだけが先行発売する。一般書店での販売は、なんと相当に遅れて、正月(1月)の2週目だ。ということは、10日ぐらいからだ。何ということだ。アマゾンよりも2週間も遅れてしか、本が本屋に並ばない。これが日本の出版業界の現実だ。

 こんなにも、本の配送をする 取次(とりつぎ)という全国の書籍、雑誌の配達の仕組みが、弱体化して衰退して、今のも死にそうな感じだ。私の本だけがこういう取り扱いをされるのではない。書籍も雑誌ももう書店機能が限界状況だ。

 みんなスマホ文化に移行したから、本屋で自分で本を買って読む、という生活習慣を持っている人は、本当に、日本国民の1%(120万人)にまで減っている。
金融・経済本をずっと書いてきて統計数字に煩(うるさ)い、この私、副島隆彦が、このように書くのだから、信じなさい。

 だから、私の本の読者で、今も、夜、普通の人たちなら、とっくに寝ている時に、ベッドの中とかで、私の本をじっくりと、楽しみながら、ニヤニヤ、時にゲラゲラ、笑いながら読んで下さる 皆さんは、本当に、貴重です。 
日本人として、貴重です。貴種(きしゅ)、稀人(まれびと)に属する人たちです。私の本を、読む喜びを知っている人たちは、今の日本でひとりひとりが生来、相当に頭のいい人です。ご自分の能力に自信を持ってください。

 ここの学問道場に集まって来る会員を中心とする人たちです。私にとっては、本当にありがたい人たちだ。皆さんが買ってくれる一冊の本の価格の、一割(10%)の160円ぐらいを貰って(そこから15%税金が引かれる)それで、私の生活が成り立っています。

 今の日本で、本を書いてその収入(私は、印税=いんぜい=というヘンなコトバを使いたくない)。本当に、明治時とかは、本の最終ページに印紙があ貼ってあって著者が印鑑を押した。昔の本は、著者の住所が奥付に書いてあったりした。鷹揚(おうよう)な、ゆったりした時代だったのだ。

 今は、ついに、アマゾンの売り上げが、本(書籍)の総売り上げの、実に、25%にまでなっている。5年前は、15%ぐらいだった。もうここまで来た。書店は、全国で、まだまだ廃業、倒産している。大型書店以外は、ほとんと消えた、と言ってもいい。それでも、住宅街や、眼がスーパーの中に書店が残っている。

 漫画とアニメ作品のDVDのようなものが、郊外店では主流だったのだが、それさえも、もう紙(ペイパー)の漫画の本が、どんどん消えて、電子出版(オンラインデダウンロード)で、指を、ぴゅーぴゅ―横に滑らせる読み方になっている。

 この出版業界の現実に、逆らいようもない。アマゾンこそは、独占禁止法違反だから、雨損を日本政府が規制すればいいのに、それをしない、出来ない。やったら、アメリカから、日本の官僚と政治家(自民党)が、電話が、掛かって来て怒鳴られて、大目玉を食らって、シュンとなる。 これも 「 帝国 ― 属国 」問題そのものの、一場面だ。私は、唖然として現状を眺めている。他にどうしようもない。

みなさん、来年もよろしく、と、馬鹿みたいなことを書くしかない。

 さて、今日は、このあと、ロシア・ウクライナ戦争 の 現状を伝えてくれている、現地の戦場の様子を描(か)いている最新の記事を、2本だけの載せます。
 始めの一本は、「ロシアが強いので、ロシアが勝つだろう」という 客観分析の記事だ。なかなか優れた記事だ。これを読むだけで、現状の ロシア軍と ウクライナ軍の動きが、大きく分かる。 今も、最前線では、両軍の兵士、軍人( 下士官 petit officers から上の職業軍人を、軍人と言う)が、毎日、双方の野戦砲(多連装ロケット砲)の攻撃、ドローン攻撃、小部隊の突撃で、100ぐらいずつ死んでいるようだ。悲惨なものだ。

 世界は、こういう現実を、自分の生活中心で、忘れて、それどころではないので、関心が薄らいている。日本国内でも、7月8日の 安倍晋三の死(殺害、処分)のことさえも、どんどん忘れて、まるで遠い昔のことのように考えて生きている。

 時々は、ロシア・ウクラナイナ戦争が、今、戦場ではどうなっているのかを、知ることが必要だ。だから、私は、以下に2本だけ戦況報告の文を載せる。あとの2本目は、ウクラナイ軍が頑張っている様子の戦場からの報告の文だ。

 今は、ウクライナ戦争は、ウクライナのド真ん中あたりの、ドネツク州の バフムト(バフームト)という都市の奪い合いが、中心になっている。ここが、天王山だ、と言うぐらいに、両軍が、最大級の兵力を結集して、戦っている。
それを、両軍のそれぞれの様子を報道文から、何とか大きく理解することが出来る。

 もし、このバフムートが、ロシア軍に奪い返されて、ロシア軍の大攻勢が、2月までにあって、凍り付いた畑や原野をロシアの戦車隊が大前進することになって、クラマトルスクというドネツク州の西部の都市を制圧したら、それが、プーチンの目標としている、東南の4つの州のロシアへの併合、という戦争目標を達成することになる。 

 それで、停戦交渉( peace talk ピース・トークス)無しの 自然な停戦( cease- fire シース・ファイア)になって、両軍が、睨み合ったまま、動かなくなる、ということが予想される。 南部戦線 は、ドニエプル川を自然な境界として、自然な停戦になる可能性が強い。 

 ウクライナ側も、ロシア軍のドローンと、イランから買って来たドローンで、大都市のほとんどの電力設備と市民のガス暖房、それから工場群のエネルギー供給に大きな支障が出ているので、これ以上の戦争の遂行は、国民が疲弊して、電気が止まり、ガスもなく、寒さに震えながら、もう、我慢できないという状況になっている。

 人間は、トイレが使えなければ、バケツで用便をするしかなくなる。女の人は、一週間も髪を洗えなくなれば発狂しそうになる。これが、現実の戦争国の姿だ。

 日本のテレビ各局にこの半年、ずっと出演して、さんざん、「ウクラナイが大攻勢、大反撃に出て、勝利する。ロシアは負ける」と、言い続けた、 自衛隊の 防衛研究所の 高橋杉雄、山添博史、千々和泰明、 それから、東大先端研の 小泉悠ちゃん(奥さんはロシア人) たちは、これから、どうするんだろう。 
 「ウクライナが、今も勝ちつつある」と言わなければ気が済まない、筑波大学=統一教会大学の 中村なんとか、とか、東野なんとか(女)の狂ったコメンテイターたちに、慶應大学の 広瀬陽子、この女学者も、ムーニー(Moonies ,統一教会員)だと、よーく、分かった。そういう育てられ方をしたのだ。  もう、こいつらには、言うコトバが無い。 

あとは、以下の記事をしっかり読んで下さい。  副島隆彦 記

副島隆彦注記。 一本目は、すばらしい記事だ。私は、この文の書き手の、きっと自衛隊の指揮所詰めの 幹部上がりの、 軍事評論家だろう 矢野 義昭(やのよしあき)のこと を何も知らない。この人は、極めて冷静に戦況を分析している。  

〇 「 本格攻勢に出始めたロシア軍と崩壊寸前のウクライナ軍 」
2022年12/21(水)  JB press  矢野 義昭

(ここに記事の画像を貼る)

 最激戦地のバフムートでは新たな墓が毎日のように作られている(12月18日、写真:AP/アフロ)
 12月12日頃からロシア軍(露軍)の本格的な冬季攻勢が開始された模様である。  今冬で露軍が勝利しウクライナ戦争に決着が着くかどうかの分岐点に差し掛かっている。

■ 東部ドンバスの要衝バフムートの攻防  
 東部ドンバスのバフムートは、かつては人口7万人のワインと岩塩採掘で有名なドンバスの中心都市の一つであった。  しかしバフムートは、2014年のマイダンクーデター以降、8年間にわたりNATO(北大西洋条約機構)の支援を受け要塞化されてきた。  
 ここで私がマイダンクーデターと呼びマイダン革命と言わないのは、選挙で合法的に選ばれた親露派のヤヌコーヴィッチ大統領を武力により放逐した「民主革命」の名を騙った実質的なクーデターであったからである。

( ここに、 下の記事から、移して、ウクライナの戦争地図を載せる )

 
 2013年12月に起きたユーロマイダン広場でのデモ隊の民衆と当時のヤヌコーヴィッチ政権側の警備部隊の間に、極右武装勢力が銃弾を撃ち込み、デモ隊に潜入した過激派がデモ隊を暴徒化させ、その後親露派のヤヌコーヴィッチ大統領をロシアに逃亡させるに至った経過も判明している。  

 同クーデターを企画し支援したのは、当時のビクトリア・ヌーランド米国務次官補などであり、彼女が現地に入りデモ隊を激励しているビデオも、クーデター後の新政権の指導者人事を指名しているウクライナ駐在米大使との電話内容も確認されている。  ヌーランド自身も米議会で、電話内容を否定していない。

 同市の市街地は、コンクリートで固められた地下掩体壕が張り巡らされ、要点には戦車や火砲、ミサイルなどが配備され、堅固な要塞と化している。  そのバフムートは、ウクライナ軍(宇軍)の砲兵部隊の司令部がかつて所在していたが、現在は東部ドンバスの宇軍防御陣地帯の中郭拠点、補給中枢となっている。  バフムートは交通の要衝でもあり、市の西側には鉄道が南北に走り、高速道路も東西に走っている。  

 今夏以来の露軍の猛攻に耐えて、バフムートが持ちこたえてきたのは、備蓄された膨大な弾薬、装備、食糧などと、それを背後から支えてきた兵站補給線が確保できたためであろう。  バフムートには兵員も多数増援のため送り込まれた。守備兵力は約2万人だったが、当初守備していた宇軍正規軍は大規模な損害を受け、増援兵力がヘルソン正面などから増援された。
  しかし、増援兵力の多くは市街戦に不慣れな特殊部隊と訓練不足の予備役兵のため損害が続出し、それを補うためNATO各国の軍人が数千人規模で契約軍人などとして宇軍の戦闘服で戦闘員として送り込まれた。  

 中でも多数を占めたのがポーランド軍だが、損害も多く約5000人の死傷者が出たとの見方もある。  ウクライナ戦争での各国軍人の死傷率について、ポーランド軍は4%とみられている。  

 また、HIMARS(High Mobility Artillery Rocket System=高機動ロケット砲システム)などの米軍の最新装備は主に米軍人により操作されており、派遣された米軍の死傷率は1割に上るとの見方もある。 (“What Country Lost the Most Volunteers in Ukraine” @HistoryLegends, December 10, 2022)

 11月以降、露軍は堅固なバフムート要塞に対し東側から引き続き攻撃を加えつつ、南北の市街地近郊地域から後方連絡線に対する両翼包囲攻撃を行っている。  12月に入り南翼から包囲した部隊は、バフムート西方の丘陵地帯の制圧を進め、後方連絡線の鉄道に迫っている。

 露軍は正規軍だけではなく、傭兵、ワグネルなどの民間軍事会社、刑務所などからの徴収兵なども投入してバフムート攻略を進めている。  12月15日付のバフムートの戦況については、次のような分析がある。
 「バフムートは、半年間にわたる塹壕戦や砲撃の応酬、正面攻撃を伴う激戦により、『肉ひき機』と呼ばれるようになった」  「同市を攻撃しているロシア部隊は、傭兵や刑務所からの徴集兵、新たに動員された兵士で構成されているとみられる。ウクライナ兵の多くは市内とその周辺で、容赦ない砲撃にさらされる泥まみれの塹壕などで抗戦を続けている」  

「(中略)軍事アナリスト、セルヒー・ズグレツ氏は、『(双方が)特別な技術的手段なしに戦う標準的な戦術を取っていることから、この戦闘は第2次世界大戦と比較できる』と分析している」  だがロシア側の目標は、バフムートの占領にとどまらないようだ。  
 戦闘に参加しているロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者で、ロシア政府指導部と関係を持つ実業家エフゲニー・プリゴジン氏は、ワグネルの部隊は主にウクライナ軍の破壊に注力していると説明した」と報じられている。  (『JIJI.COM』2022年12月15日)

■ 宇軍に大損害をもたらした露軍の消耗戦略  
 露軍は、今夏から意図的組織的に消耗戦略を採用し、成果を挙げつつある。  カナダの有名な狙撃手が義勇兵として宇軍に参加し、今年5月に帰国した。彼は、東部ドンバスの戦場を「地獄だった」、建物がミサイル攻撃で瞬時に破壊され、建物を逃れても戦友が狙撃や砲撃などで次々に死んでいったと語っている。  

 ジャベリンの射撃クルーだった同僚の2人のウクライナ兵は、戦車の正確な砲撃を受け即死したが、一人は下半身を吹き飛ばされた。ジャベリンは射程不足で敵戦車から一方的に撃たれるだけだった、カナダは武器の支援などはしても戦闘には参加すべきではないと証言している。  (“Canadian Fighting in Ukraine Describes the ‘Hell’ He Witnessed,” CBC/Radio-Canada, May 6, 2022)

 今年5月の時点で既にこのような状況だったことは、当時のメディア報道の内容と食い違っており、後述する西側の戦時プロパガンダの実態が浮き彫りにされる事例である。  また、米軍のジャベリンに対し露軍戦車はその射程外から射撃し、屋根をかぶせるなどの対策を採り、その威力を封じている。  スティンガーなど米製の対空火力についても、その射程外からのスタンドオフミサイルによる精度の高い攻撃により、回避している模様である。  

 宇軍は今年9月から10月にヘルソン西部やバフムート周辺で反復攻勢を行ってきた。  しかし、その攻勢は十分な対空・対地火力の掩護も戦車その他の装甲車両の支援もなく、歩兵主体で行われ、大規模な損害を出したと思われる。  特にヘルソン西岸での攻勢は、航空掩護もないまま、隠れる場もない平坦開豁地で強行されたため、大規模な損害を招いたとみられている。  露軍は意図的に消耗戦略の一環として後退行動とその後の遅滞行動をヘルソンとハリコフで行ったとみられる。

 計画的な後退行動をとったことは、捕虜、遺棄死体、遺棄兵器の少なさから裏付けられる。敗退したのであれば、大量の捕虜などが出るはずである。  また遅滞行動と呼ばれる、地域の確保にかかわらず地域を捨てて後退し、有利な地線からの遠距離火力により敵の戦力を阻止減殺し戦力を消耗させ、戦力比を有利にし、あるいは守りやすい態勢に再編する目的で行われる戦術行動もある。
 
 遅滞行動は、モンゴル軍などの遊牧民を相手に長年戦ってきた露軍が得意とする戦術の一つである。  露軍は、ヘルソンではドニプロ川東岸から西岸に砲撃を加え続け、ハリコフ州では攻勢に転移している。 宇軍の航空戦力は、劣勢に立たされている。  
 開戦当初のミサイルの集中射撃により大損害を受け、戦闘機数は開戦前の125機から56機に半減したとみられ、残余の航空機もポーランド領内に退避しているとみられている。  航空機の活動は、露軍が1日100~200出撃に対し宇軍は10出撃以下であり、現在はNATO供与の攻撃ヘリと無人機が宇軍の航空攻撃の主力となっている模様である。  

 ただし、露軍の対空ミサイル網は世界で最も濃密と言われ、電波兵器の性能も優れている。  このため、開戦当初はトルコ製の無人機「バイラクタルTB2」などの活躍が伝えられたが、宇軍の無人機は露軍の電波兵器による無力化と対空火網による撃墜によって、その後目覚ましい戦果は挙げていない。  
 他方、イラン製ともイラン製に基づきロシアが数千機を量産しているともみられている1機約3万ドルの安価な露軍の無人機は大量に使用され、弱体化した宇軍の対空火網に飽和攻撃をかけ、戦果を挙げている模様である。

■ 崩壊寸前の宇軍兵力の実態  
 宇軍の地上軍の損耗については、今年3月21日からウクライナに義勇兵として赴き、英国に戻った英国軍人は概要以下のような証言を行っている。  「ポーランド国境から20キロの国際協力センターに約千人の豪・伊などの兵士と駐留していたところ、露軍の500キロ弾頭の3M-54巡航ミサイルの集中攻撃を受け、建物は粉々になり大量の装備・弾薬は破壊され約千人の死者が出た」  
 「30人の小隊には小銃3丁と短機関銃2丁しかなかった。ミサイルは各建物に正確に命中した。前線の塹壕戦は悲惨で、食糧も水も不足し1週間で病気になった」  (“Back from the Front: a British Volunteer in Ukraine” http://audible.com/lindybeige as of November 30, 2022 as of December 10, 2022)

 3月時点で既に、宇軍は露軍のミサイルの精密攻撃によりこのような被害を受けていた。  6月2日のユーチューブによれば、セベルドネツクでは大量のウクライナ兵が投降したが、その原因は、食糧、弾薬、重装備の補給が途絶え車両も破壊され、負傷しても救護されず死ぬしかなく、士気が極端に低くなったためとされる、投降兵のインタビューなどが報じられている。
  また、6月1日に、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が1日60~100人のウクライナ兵が戦死し約500人が負傷していると発言していることも報じられている。  (“Ukraine Admits Heavy Losses in Donbas,” @Hisorylegends, June 2, 2022)

 しかし、戦傷者数は通常戦死者の約3倍であり、戦場医療が不十分とすれば、この6月1日のゼレンスキー発言の戦死者数は過少で、戦傷者が約500人とすれば戦死者は1日170人程度と見積もるべきかもしれない。同じ6月の時点で、ゼレンスキー大統領顧問のポドリャク氏は、毎日100~200人のウクライナ兵が亡くなっていると話している。  (BBC News, December 2, 2022)  

 8月頃のウクライナ側の発言によれば、戦死者、戦傷者、逃亡者を含め人的損耗は、平均1日約1000人という見積もりも出されている。この数値は、6月頃以降ロシア側が消耗戦略を採用し、砲爆撃による死傷者が増加したとみられることから、ほぼ妥当な見積もりとみられる。その場合、戦死者は1日約250人となる。  2月24日の開戦から8月末までの約200日間に損耗は約20万人となる。  

 8月のヘルソンの攻勢では、宇軍の戦死者が1日600人から1000人に増加したと露軍は発表している。低い数字600人をとっても約2.4倍に増加したことになる。戦傷者等を加えた1日当たりの総損耗は、戦死者が600人としても2400人程度となる。 9月初旬から11月末までの3カ月間約100日に約24万人の損耗が出たことになる。  開戦以来の損耗は約44万人となり、宇軍の開戦時の正規地上軍14.5万人と予備役90万人の計104.5万人の約42%に上る。

 11月27日付「ニューヨークタイムズ」紙のバフムートの戦闘に関する現地報告では、宇軍側の泥と血にまみれた戦死傷者が同市東部の唯一の野戦病院にひっきりなしに担ぎ込まれる状況が描写されている。  宇軍は塹壕戦が続く中、寒気と塹壕内の水による「塹壕足」に悩まされ、露軍の航空攻撃、優勢な砲撃に曝されている。
  同報告では、宇軍、露軍ともその死傷者数は(11月11日のマーク・ミリー統合参謀本部議長発言に基づく)米国防省の約10万人との見積もりも紹介されている。  

 他方で、宇軍は弾薬不足にも陥っているとみられる。宇軍は「米国の武器補給は無限にあるとの誤った仮定に立ち、持続不可能な速度で弾薬を射耗している」と米国防省が懸念しているとも述べられている。  (“Ukraine, Bakhmut Becomes a Bloody Vortex for 2 Militaries,” New York Times, November 27, 2022)

 また前記のポドリヤック氏は、12月1日、ウクライナ軍の戦死者数は最大1万3000人と述べたと12月2日のBBCは報じている。  ただし、この米国防省のウクライナ軍の損耗が約10万人とする見積もりや戦死者数が1.3万人との見積もりは過小評価とみられる。  

 ダグラス・マグレガー退役米陸軍大佐は、宇軍の12月初旬の残存戦力は、ポーランド軍、米英の傭兵などを除き、約19.4万人と見積もっている。また、露軍1人に対する宇軍の戦死者数は8~10人に上るとも述べている。  (“Larger Escalation of The War in Ukraine,” @DouglasAMacgregor, December 17, 2022)  

 この数は、約44万人の損耗との見積もりに近い。宇軍予備役の実質的な兵力は約70万人との見方もある。後備役の質も考慮すれば約70万人が実態に近いとみられる。  約70万人を前提とすれば、残存戦力は約23万人となり、約19.4万人とのマグレガー退役大佐の見積りがより実態に近いとみられる。

 いずれにしても、宇軍は予備役も含めほぼ壊滅状態と言えよう。 そのような中で、露軍の冬季攻勢に対峙することになる。本来ならば、これ以上戦争を継続しても露軍にさらなる国土占領を許す結果になるのではないかと危惧され、停戦交渉に応ずるべき時期にきていると言うべきであろう。しかし、ゼレンスキー大統領は、占領地域全域を奪還することを主張しており、交渉に応ずる気配はない。

■ 今後予想される深刻な戦死傷者と難民増加  
 現在前線で主力となり戦っているのは、約4万人のポーランド軍、3万人のルーマニア軍など計約9万人のNATO軍であり、彼らは宇軍の戦闘服で戦闘に参加している。
 また英国はウクライナ兵を英国内で訓練して送り返し、ウクライナの戦場に投入している。しかしその多くが予備役兵で訓練期間が短く、十分な戦力にならないまま、露軍の砲火の犠牲になっているともみられている。(“Odessa Falls and Ukraine Becomes a Landlocked Country” @DouglasAMacgregor, December 12, 2022)  

 ウクライナ戦争に義勇兵、契約軍人などとして参加したNATO等各国兵士の損耗率は、英軍豪軍仏軍は3%、ポーランド軍4%、韓国軍5%、米軍は10%に上っているとの情報もある。  (“What Country Lost the Most Volunteers in Ukraine” @HistoryLegends, December 10, 2022)  

  マグレガー退役大佐は、米軍人はHIMARS、対戦車ヘリなどの最新の米製装備の操作も行っていると述べており、米軍はそれだけ死傷率も高いものと思われる。露軍はウクライナの電力系統や鉄道などの交通インフラに精度の高いミサイルの集中射撃を意図的に行っている。  
 その結果、宇軍は兵站組織が機能しなくなり、慢性的な装備、弾薬・ミサイル・燃料・食糧、水などの欠乏に陥っている。  ゼレンスキー大統領は、電力需要の約50%が止まり、給水も15の地区で止まっていると発言し、その非人道性を非難している。(BBC News, November 24, 2022)  

 数百万人のウクライナの一般国民も物流の停滞と停電、断水に悩まされ生活が困難になっている。特に寒冷期を迎え、暖房用燃料が不足して凍死者が出る恐れも高まっている。停電、水、食糧、医療の不足などにより、数百万人単位の国内避難民が生じ、今後冬季に入り、ウクライナからポーランドなど周辺国に400万人以上の新たな難民が流入するのではないかと危惧されている。 戦後復興とともに、難民の支援とその後の処遇も問題となるだろう。

  なお、国際的には報道されることはほとんどないが、ロシア側にも数百万人以上の難民が流入している。  このような一般国民の生活基盤を破壊するような意図的な全面破壊は、第2次大戦の都市に対する無差別爆撃、コソボ紛争におけるカーボンフィラメントによる電力系統破壊なども行われてきた。  コソボ戦争では、NATO空軍の攻撃によりセルビアの総電力の80%が遮断された。  (Washington Post, May 25, 2019)  

 非人道的な行為ではあるが、戦時にはよくみられる戦法でもある。  冬季を迎え、塹壕戦内で凍死しあるいは低体温症、飢餓で死亡する兵士が宇軍に多発し、一般市民も同様の深刻な事態に追い込まれ、大規模な難民や死者が発生することが危惧される。    矢野 義昭

(転載貼り付け始め)

(副島隆彦注記。以下の記事は、日経が、どこの通信社から買って来たルポルージュ記事なのか、その明示が無い。問題だ) 

〇 「ワグネル主力は手ごわい」 ウクライナ東部守備隊兵士
  2022年12月25日   日経新聞  

(この記事の画像を 貼ってください)

 コードネーム「クサナダ」を名乗るウクライナ軍の兵士(右端の背中を向けた人物、一部画像処理済み)

 ウクライナ東部ドネツク州の要衝バフムートは同国を巡る紛争で最大の激戦地の一つだ。侵攻を続けるロシア軍は民間軍事会社「ワグネル」の要員も投入し、制圧を目指す。ウクライナ側はゼレンスキー大統領が20日に前線を訪れ、死守する将兵を鼓舞した。作戦に参加するウクライナ偵察部隊の兵士が現地のフリージャーナリスト、イローナ・マケドン氏の質問に答えた。

 取材に応じた31歳の兵士のコードネームは「クサナダ」。ウクライナ軍第120分離偵察大隊に所属する。オンラインで送った質問に12月中旬、回答してきた。ワグネルの主力部隊は手ごわいが、現状では持ちこたえているという。主なやり取りは次の通り。

――2月にロシアがウクライナ侵攻を始めた後、バフムートは最大の激戦地の一つだといわれています。
「その通りだと思う。市街戦が続き、郊外や近隣の集落でも迫撃砲や多連装砲を使った戦闘が起こっている。(9月に併合を宣言した)ドネツク州全体の占領を目指すロシアにとって、バフムトの制圧は不可欠だ。そのため(ウクライナ南部)ヘルソン州の占領部隊から絶えず援軍を送り込んできている。ワグネルの要員も投入している」

――ロシア軍の司令官はバフムト攻略の期限を設定しているといわれています。
「ロシア側の期限について明確な情報はない。ロシア軍は数カ月前から攻略作戦を続けているが成功していない。バフムートをウクライナ軍は手放さない。(近くで幹線道路が交差する)重要な都市だからだ。仮にロシア側にバフムートを明け渡せば、コスティャンチニフカ、クラマトルスクといったドネツク州のほかの主要都市を攻める足がかりにするだろう。ロシア軍の士気を高めることにもなる」

――ロシア軍の作戦は適切なのでしょうか。
「ロシア軍の計画はうまくいっていない。侵攻開始時にはウクライナ軍の能力を正確に把握できていなかった。足元でも誤算があり、ウクライナの都市や地域を攻略するプロセスが遅れている。そのため大きな損害を被っている。最近では(訓練の足りない)動員兵やワグネルが刑務所で募った志願兵を前線に立たせ、ウクライナ軍の弾薬をわざと使わせたうえで、後方の戦闘能力の高い兵士を活用する作戦に切り替えた」

――米国はワグネルが1万人の雇い兵と4万人の受刑者の計5万人をウクライナに派遣したと推計しています。ロシアのプーチン大統領の側近、プリゴジン氏が創設したワグネルは北朝鮮からも武器を調達しました。戦闘力をどう評価しますか。
「ロシアの刑務所で募った受刑者は訓練や経験に乏しく、軍事上の技術もゼロに等しい。一方、ワグネルのなかでも経験豊富で近代的な武器を備えた部隊は手ごわい。要所要所でウクライナ軍の防衛ラインを突破してくるのは、こうした主力部隊だ」

(ここに画像を貼る)

バフムトを走るウクライナ軍の車両(21日)=AP

――ウクライナ軍には、ロシアがウクライナ領クリミア半島の併合を一方的に宣言した2014年から同国側と戦っている百戦錬磨の「サイボーグ」と呼ばれる兵士も参加しています。バフムート防衛戦にも従軍していると聞いています。

「サイボーグは特定の部隊を形成しているわけでなく、様々な旅団や大隊に分散して組み込まれている。彼らはまさしく『鋼鉄』のような兵士で、これまでの経験をほかの将兵と共有してウクライナ軍の強化に役立っている」
――バフムート守備隊への補給は十分ですか。
「バフムートではすべてが順調だ。食料、冬服、寝袋、防寒靴など、カナダを含む欧米諸国が援助してくれる物資もたくさん供給されている。薪(まき)もあり、いまのところ、寒さはそれほどこたえていない。ほかの地域での状況は知らない」

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦 拝

土井としき 投稿日:2022/12/24 15:38

【3016】[3507]私の切実な課題

「切実な課題」

 平和な戦後70年って言うが、今は「どん詰まり」の状況が続いている。

 例えば、自衛隊を正規な軍隊という認識だという平和の最後の状況だ。

 つまり、「国民の主権」を捨てて、普遍的な国際性に滑り込んでいけると思う認識方法だ。

 これは、戦無派の現在の若い人にも、この課題が突きつけられていることだ。被爆者二世の私にも重要な課題だ。客観的な意味で「どん詰まり」な気がする。

 なので、若い人たちは切実になっていないと思うかもしれないが、本当は国際性という普遍性に相当に追いつめられているのだ。私的には怖い感じなのだ。

 私は新聞も読まないし、テレビを見てても、この頃は食い物とお笑いしかない、ロクな内容ではない。 →だから、「勉強(頭脳思考)」と「感受性(内蔵思考)」を「自由」に横断する、「生命記憶を辿る旅」(三木成夫)=「アフリカ的段階」(吉本隆明)が重要に思えたのだった。

会員 投稿日:2022/12/20 13:00

【3015】[3505]ジャカルタ生まれで「元ミス日本」伊藤千桃さん

会員です。匿名で失礼します。
昨年、内部連絡網のメールで、副島先生が『「元ミス日本」伊藤千桃さん』のことを紹介されました。私は、このメールを読んで、伊藤千桃さんに興味がわきました。つい先日、伊藤さんのイベントが開催されたので参加してきました。
ホームページで紹介されているとおりの上品で美しい女性でした。千桃さんは、神奈川県の葉山町の山の上にお住まいです。その山の道は、隣の秋谷(横須賀市)に繋がっているそうです。その山道の頂上付近に警備が来ると、葉山の御用邸に皇室一家がいらしているのだな、と地元の人たちには分かるようです。千桃さんは、犬の散歩のときに、何度か葉山の海岸で美智子上皇后と立ち話もされたそうです。
(以下、転載)

From:*副島隆彦<****@nifty.com>
Sent:* Saturday, June 12, 2021 4:54 AM
To:* *****@****.com
Subject:「元ミス日本」伊藤千桃さん。「老後の貯金は無いけれど、お葬式もお墓も無くていいと思っています」

副島隆彦注記。 この女性は、今、70歳か。私よりも 2,3歳上だ。 父親は、インドネシア人 の 将校だったようだ。その写真が、残っていて、以下の記事の中にある。
このインドネシア人の青年には、宗主国(そうしゅこく。コロニアル・マスター)のオランダ白人の血が入っている。 だから、この女性は混血だ。

母親の日本人は若くして彼女を生だがなじめず帰国して、日本のインドネシア大使館の前に、彼女を置き去りにした。

このことが新聞に出て、「私が引き取る」と現われた養母が、 今のこの 葉山の高台の家(この頃は、ここらに家を建てる 米軍人たちがかなりいた)はその養母が残してくれた家だ。
養母が、気の利いた人で、彼女を、女優にしようとか、ミス日本(第5回)に応募させて当選した。

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◯「元ミス日本」伊藤千桃さん。「老後の貯金は無いけれど、お葬式もお墓も無くていいと思っています」
2021年6月11日 https://kunel-salon.com/post-20812

葉山の山の上で貸し切りレストランとケータリング業を営む伊藤千桃さん。「お金は無くても、何とかなるわよ」が口癖ですが、その精神はどこからくるのでしょう?お金について伺いました。


◇伊藤千桃さん

「お金はね、それはあるに越したことはないです。でもね、無いからといって悲観したり、焦ったりは全然しません。よく『老後の貯えは何千万円必要』とかTVでいっているでしょう?みなさん、そんなにお持ちなの?!って本当びっくりしちゃう。もちろん、我が家にはそんな貯金は無いですけども」
そういってニコニコ笑う千桃さんは実に大らか。一般にはなかなか話題にしづらいお金のことですが、「なんでも聞いて」と話します。
「老後のお金どうしよう?って不安に思っているお友達の話など聞くと、『そんなに不安を抱えていたらそこから鬱々とした気持ちになってかえって病気になっちゃうわよ』って思っちゃう」
人生についてどこか達観している千桃さんですが、山あり谷ありの人生を歩んできたからでしょうか?


◇自然に囲まれた葉山の山の上の家。

「親も事業に失敗して、お金が無くて苦労しながらもなんとかやっているのをそばで見ていたからかしらね。人生なんとかなるんだなって思えるんです。離婚して貯えも仕事もないなか、娘と息子と子どもふたりをよく育てたな~。私どうやってやりくりしてきたんだろう?っていまでは不思議なくらいです」
「貯金なんて全然ない!」とあっけらかんと語る千桃さんですが、病気になったら?とか、不安にならないのでしょうか?と尋ねると……。

「保険も最低限しか入っていないんです。『じゃあ大病したらどうするの?』って聞かれるんですが、子供たちには私が病気になったら延命治療しないでって伝えてあります。それで、亡くなったら献体してもらうつもりで、もう登録してあるんですよ。解剖して医学の役に立ててもらい、火葬してもらって骨になって戻ってくるんです。

お葬式もしなくていいし、お墓には納めずに、遺骨は海に撒いてってお願いしているんです。お墓があると遺された人たちが管理が大変ですし、海に還っていると思うと、どこにいても祈れるでしょ。調べたら、そういう団体で手続きをすれば海洋散骨していただけるんですって」
人や世間がどうではなく、自分がどうしたら心地よいかを知り、それを実践している千桃さん。その生き方は本当に清々しく、凛々しいのです。

◯  2021.01.28 (木)
願えば叶う。「元ミス日本」マダム・伊藤千桃さんが辿った数奇な運命ストーリー。~ジャカルタの父編~
https://kunel-salon.com/post-20812

伊藤千桃さん ヒストリー
新しく〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーに加入となった「桃花源」主宰の伊藤千桃さん。『クウネル』本誌にも何度か登場し、そのたおやかな佇まいと、自然のなかでお金をかけずに豊かに暮らす姿勢が多くの読者の共感を得ています。そんな伊藤さんの波乱万丈な人生について、まずは伺いました。→前編「日本の母編」からの続きです。

インドネシアの父とは2歳で別れ、実の母とも生き別れ、養母に引き取られ、葉山の山の上での暮らしをしていた伊藤千桃さん。24歳のときに結婚し、一男一女を設けましたが、40代後半のときに離婚を決意しました。

「生活感覚の違いがあったりいろいろと『あれ?』と思うことが重なって……。旦那さんの悪口をどこかでいいながら生きていくのは嫌だなって思って、私から別れを切り出しました」

お子さんがまだ学生のころで、お金の心配もありましたが、「まあ、何とかなるでしょ!」と、そこは持ち前の豪胆さを発揮。当時、定期的な収入があったわけではなかったのですが、女手ひとつで子ども二人を育てることとなりました。(そのときの顛末はまた、別の機会に……)。

無我夢中で子育てをし、子どもたちも独立した十数年前、千桃さんは運命的な旅をします。それは、生まれてすぐに別れたジャカルタの父へと辿り着く旅。


◇この写真を手掛かりに、ジャカルタの父を探すこととなった。

この写真を手掛かりに、ジャカルタの父を探すこととなった。


◇アルバムには幼いころを知る貴重な記録。
親族に巡り合って以降、定期的にジャカルタを訪ねている。

「父とは幼い頃に別れ、記憶に全くなく、消息不明のまま。今のままでも自分としては幸せだし、いいかとも思っていたのですが、私の子供たちにルーツを残してあげたいと思ったんです。それで、残された写真などわずかな手がかりから、父を探し出そうと決めたのです」

インドネシア大使館に連絡をとったものの、「探すのは困難」との返事。それでも諦めず、何度も何度もコンタクトを取り続けていました。そして遂に! ジャカルタの父は見つかったのです。

知らせを受け、千桃さんはすぐにジャカルタへと飛びました。残念ながら父は亡くなった後でしたが、親族たちに会うことができました。実父もずっと千桃さんを探し出そうとしていたことを知りました。そのときに巡り合った従兄弟・サトリア ウィラは、フラワーアーティスト。緑に囲まれた美しい家で自然とともにある暮らしに共感し、血のつながりを感じたと振り返ります。以来、ジャカルタの親族たちとは交流が続き、子どもや孫たちと何度も訪れています。
遠い国に、深いつながりを持ち、千桃さんの人生はより豊かなものに。探すことを諦めずにいてよかったと話します。

事実は小説より奇なりといいますが、千桃さんのライフヒストリーはまさに波乱万丈。でも、決してほかの人と比べて悲観したり、現状を嘆いたりしません。運命は受け入れつつも、改善の余地があるならば失敗を恐れずに前に突き進む。そんな姿勢はしなやかで、かっこいい。「一歩前に踏み出してみよう」そんな勇気をもらえます。


◇現在の葉山の家。 葉山の家は養母から受け継いだ千桃さんの宝。

2021.05.24 (月)
経験ゼロから始めたケータリング業。「お金は少しでも、知恵と工夫でなんとでも」
https://kunel-salon.com/post-30030


◇伊藤千桃さん お弁当

葉山の山の上で貸し切りレストランとケータリング業を営む伊藤千桃さん。「私にできることはなにかしら?」と経験も知識もゼロから十数年前に始めました。いまでは娘さんと二人三脚でおいしいごはんをつくり、デリバリーしています。

『桃花源(とうかげん)』 の屋号で、自宅を拠点にケータリングや、B&Bを営む伊藤千桃さん。その始まりは、かなり手探りなようでした。

「40代後半で離婚したとき、長女は高校一年生でした。私はその時、仕事をしていなくて、周囲には『どうやって子ども二人を養うの?』とすごく心配されましたね。でも、私自身はそんなに心配していなくて……。『どうにかなるでしょ』と思っていました」

今の自分に「何ができるか?」と考えた千桃さん。周りを見渡し、自分の強みは亡き養母から受け継いだ、豊かな自然に囲まれた家ではないかと思い至り、この家で何かを始めようと決意しました。

取材の日、撮影スタッフ用にと『桃花源』のお弁当を頼んだ。
近くの漁港で買った魚のフライに、旬野菜のマリネなど、季節のおいしさが詰まっている。


◇自家製山椒の実とちりめんじゃこのおむすび。

「料理も好きだったこともあり、山の上の家のレストランを始めたんです。しばらくひとりで切り盛りしていて、それなりに成り立っていたのですが、やはり大変な部分もあって……。こんな田舎で一日数組のお客様だけでやっていて、そんなに高いお料理を出すわけではないし、これじゃ採算が合わないわねとなったんです」

結婚して家を出ていた娘さんが、離婚をして戻ってくるタイミングで、まだ日本では黎明期だった民泊を始め、料理の方はケータリングへとシフトしました。

「葉山、逗子、鎌倉、三浦、横須賀地域限定ですが、テレビや映画の撮影のお弁当などを配達しています。あとはご近所の方から、『ホームパーティをするからいくらくらいの予算でお料理をつくって』とかのご依頼があったり」

千桃さんの庭でとれた野菜や果実、野草を使ったお料理は、見た目も味もバラエティに富んでいて、旬のおいしさがふんだんに盛り込まれています。素材の味を生かした料理は、食べ終わった後に心と体が満たされる健康的な力を宿しています。

庭で採れた野草や果実は干したり漬けたりして、日々の食卓で活用。

◇庭のビワの葉を干してお茶に。

「お金は、たくさんはないけれど、なければないで何とかなるものだし、その分、頭と手を使って工夫するのが楽しいんです」

いまある幸せに感謝し、あるものを最大限に活かすことを考え、心を込めて手を動かす。千桃さんのモットー「贅をつくさず、精をつくす」の精神に学ぶことは多くあります。

◯ぶれない心。「元ミス日本」マダム・伊藤千桃さんが辿った数奇な運命ストーリー。~日本の母編~*
https://kunel-salon.com/post-20797
新しく〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーに加入となった伊藤千桃さん。『クウネル』本誌にも何度か登場し、そのたおやかな佇まいと、自然のなかでお金をかけずに豊かに暮らす姿勢が多くの読者の共感を得ています。そんな伊藤さんの波乱万丈な人生について、まずは伺いました。

『桃花源(とうかげん)』 の屋号で、自宅を拠点にケータリングや、B&Bを営む伊藤千桃さん。インタビューを何度かしていますが、お話を伺う度に「ええー!」と、驚くことばかり。オープンになんでも話してくださるのですが、その内容が毎度あまりにもドラマティックで、目を丸くしてしまう筆者です。驚きのストーリーをニコニコと、さもないことのように話す千桃さんはただものではない!そんな千桃さんの胆の座った生き方を、本サイトで少しずつご紹介してまいります。まずは生まれたときの話から……。

「生まれたのはいまから70年前、インドネシアのジャカルタです。日本人の母とインドネシア人の父の間に生まれました。といっても、インドネシアにいたのはほんの少し。インドネシアになじめなかった母は、2歳の私を連れて日本に帰国したのだそうです」


◇赤ちゃんのときの写真。

アルバムを見せてくれる千桃さん。
だから、父の記憶は全くないという千桃さん。かといって、母の記憶もほとんどありません。というのは、子育てがうまくできず若かった母はインドネシア大使館に幼い千桃さんを置き去りにしたまま、いなくなってしまったというではありませんか!
このことが当時の新聞に載り、とある女性が引き取り手として名乗りをあげ、養母となってくれました。

「養母は誰も近寄れないほど独特な雰囲気の人で、とにかくみんなから恐れられていました。私も最後まで敬語で話していたものです。会社を経営していて羽振りもよく、私は子守りの女性をつけてもらい、ごはんをつくってもらったり、遊んでもらったりという記憶はまずなくて。あまり養母に育てられたという感じではなかったですね」

しかし、調子のよかった養母の事業もあるときから立ち行かなくなり……。お金で苦労する様子を近くで見ていました。「お金は無いなら無いで何とかなるもんよ」が口癖の千桃さんですが、それは、どん底を経験しているからこその境地なのだといいます。

「ミス日本」になったのは1972年のこと。第五回ミス日本コンテストに養母が応募し、見事グランプリへと輝きました。それからの1年間は「ミス日本」として、世界中を訪問。海外旅行が珍しかった当時、貴重な体験をしたのだそうです。その前には、なんと映画デビューもしている千桃さん。1969年に行われた東宝映画『華麗なる闘い』のオーディションに養母が応募し、最終選考の7人に残り、映画に出演。ただ、自分に自信が持てなかったという千桃さん、女優としてのお仕事はこのとき一度限りで辞めたのだそうです。あのとき、女優続行を決断していたら、全く別の人生を歩んでいたかもしれません。

初の著書『千桃流・暮らしの知恵』
http://shufunotomo.hondana.jp/book/b477869.html(主婦の友社)には、
自然の恵みを活用して暮らす知恵やアイデアが多数紹介されています。
ドラマティックな人生ヒストリーの記述も。

◯ 2020.03.31 (火)
「元ミス日本」という輝かしい経歴の素敵なマダム。伊藤千桃さんのおもてなしに感激。
https://kunel-salon.com/post-6854


◇伊藤千桃さん

クウネル5月号にて取材した伊藤千桃さん。神奈川県・葉山でケータリングや民泊サービスを行っています。打ち合わせの時も、取材時も手作りのランチでおもてなしをしてくださいました。

『桃花源』という屋号でケータリングや民泊などを行っている伊藤千桃さんを取材しました。いまから40年以上前、第五回目の「ミス日本」グランプリ受賞という、輝かしい経歴を持つ素敵な女性で、神奈川県・葉山の山の上にある一軒家で自然に囲まれて暮らしています。打ち合わせで伺う約束をしたところ「ごちそうはありませんが、我が家でお昼を食べながら打ち合わせしましょう」との素敵なお誘いが。そうして用意してくださっていたのが本当においしく豊かな食卓でした。近隣の漁港で買ってきたといういわしの自家製パテ、野菜たっぷりのポトフ、デザートのプリンまで!


なんと、慌ただしい撮影の日にも用意してくださり、自家製フォカッチャとポテトのパイなどをスタッフ一同ごちそうになりました。

取材を通して印象的だったのは、「お金はあるにはあった方がいいけれど、無ければ無いで”なんとかなるようにしよう”と頭を使って、工夫をするようになり、それが面白い」というフレーズ。その「工夫」から、庭や家の周りにある自然の恵みを存分に生かした暮らしを営んでいらっしゃいます。そんな伊藤千桃さん流・暮らしの知恵について、ぜひ本誌をご覧になってください。

千桃さんに教えていただいた、金柑のシロップ煮レシピの記事
https://kunel-salon.com/post-5765 もご覧ください!

より詳しくご覧になりたい方は著書『千桃流・暮らしの知恵』(主婦の友社)を!
(転載おわり)