重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【1817】[2170]「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!まず知識・思想から」をぜひ読んでください
5月25日に発売された「ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ!まず知識・思想から」の感想を書きます。
なぜ書評が遅れたのかというと、あまりにも少部数であったために、駅の書店や近所には置いていなかったからです。7月に東京日本橋の丸善書店でやっと入手できました。
二階の隅にあるコーナーの「オカルト」という棚の一番端に一冊やっと探し当てたのです。
「ニーチェに学ぶ」は哲学書の棚に置いて然るべきなのですが、なぜかオカルトの棚に一冊だけでした。
副島隆彦の新作は平置きという思い込みでずっと探していたのですが、丸善でさえも隅のオカルト本の類と一緒に、ほんとに隅に一冊だけあったのです。カバーが擦れてヨレヨレですから、たぶん多くの人が手にしてくれたのでしょう。そのヨレヨレのカバーの本をレジに持ち込んで、読みました。
副島先生から伺ったのでここで公表しますが、初刷りはたったの5000部なんです。
5000部では首都圏の大規模書店でさえ、平積みにはならないという現実です。2万部ぐらい刷って貰わないと、地方中心都市の書店では並ぶことさえありません。平積みされるのは私の感覚では4,5万部はなければならない。
今回の新著は少部数だと伺っていたので、覚悟はしていましたが、新大阪駅のキオスクにもなく、地方都市の大型書店でも取寄せ扱いでした。そして上梓から一ヶ月も経ってやっと東京日本橋の丸善で一冊買えたのです。しかし哲学ではなくオカルトの類とされたことに、私は丸善に幻滅を覚えました。
「ニーチェに学ぶ」の横には我々の論文集「蕃書調所の研究」も同じオカルトの棚に置かれていました。
正直いえば、悔しいです。
(ここで、副島隆彦の割り込み、加筆。2017年8月8日。 六城くんは、勝手に、私のニーチェ本の
初刷り(発売部数)は、5千部だと、書いている。 5000部というのは、六城くん、君の本が出るときの部数だ。私の本は、そんなに少ない部数ではないよ。
出版社の名前が悪いので、オカルトのところに自動的に置かれてしまうようだ。出版社の社会的な、信用と格付け(レイティング)というものは、有るものだ、と私も改めて思った。
それでも、私、副島隆彦が、必死になって書き上げて、「まるで黒沢明(くろさわあきら)監督の映画を見るような、筋立て(ストーリー)の分かりやすさと、明確さ」で、まるで、「映画監督が事前に作る、シナリオライター(脚本家)よりも早く出来る、コンテ絵=映画全体の構成=20枚ぐらいに相当する、図版(画像)をはじめの方で、徹底的に描いて見せた。これが、副島隆彦の生き方であり、出版物作成戦略だ。この本を読む気になって、手にとって本の中を開く、読み手だけは、全体に、捕まえて花座無いぞ。絶対に、分からせてやる、という私の深い決意がある。
ドカーンと、ニーチェという人類の思想家であり、超ブランドである、思想を、読み手のひとりひとりに突きつける。分かり方は、その人それぞれの、知能と知性のレベル(水準)に依(よ)る。それでいい。
映画を見る感じで、読み手=お客を惹(ひ)き付けなければいけない。私、副島隆彦のこの深い決意を
分かる者は少ない。
お客、観客、消費者、参加者 として 人生をおわる人間と、 舞台の上で、自分の踊りを踊ったり、役を演じたり、歌を歌ったり、スポーツの競技という肉体演技を見せたり、そういう 見せびらかし人間たちの、深い決意を分からない者たちの人生を、向こう側に見つめて、演技者、表現者たちは、生きている。
すべては、出しゃばり根性。見せびらかし、目立ちたがりの精神である。これを、英語では、
show off ショウ・オフ という。 見せびらかし、こそは、人間(人類)がやってきた行動の中心に有るものだ。このことを、いやがったり、謙虚そうに見せかけたり、「自分なんかたいしたことないから」と、人前に出ることいやがったり、と、そういう人間たちを、はね飛ばして、「オレが、オレが」と、人をかき分けて前に出て、演説をしよう、歌を歌ってやる、ということをしないような人間は、そうやって、歴史の藻屑(もくず)の中に消えてゆけばいいのだ。
目立ちたがること、ひけらかすこと、着飾(きかざ)ること、自分の裸体をわざと衆人(しゅうじん)の目に晒(さら)すこと、こそは、女たちの主要行動であり、男たちの権力欲の源泉だ。
これを、ソースタイン・ヴェブレンは、衒示的消費(げんじてきしょうひ)、conspicuous consumption
コンスピキュアス・コンサンプション という。 「私を見て、キレイでしょ」と「どうだ、すごいだろ」と着飾って、見せびらかすためにこそ、人間(人類)の行動の根源がある。
食べるために生きている、生きるのがやっとだ、次に、人類がやってきたことは、すべて、この衒示的な消費、見せびらかしだ。 私、副島隆彦は、、今や絶滅種(ぜつめつしゅ)に近い、死にかかっている産業である、花街(かがい)、料亭文化の、芸者(芸妓、げいぎ。黒留め袖、か 紋付き)を数人引き連れて、ぞろぞろと、パリのシャンゼリゼ通り や、パリ・オペラ座のあたりを、何の意味も無く、歩きたい。それが、私の人生の残りで、やりたいことだ。 ただし、チンドン屋や、コマーシャルの宣伝と間違われることを怖れる。 他に、生きていて、何をすることがあるか。
見せびらかし、自己顕示、オレがオレがの精神以外に、人類(人間)は、一体、何をすることがあったか。みんな、本気でこういうことを考えなさい。それが、ニーチェの思想を分かり、リヒャルト・ヴァーグナーと奥さまのコジマ(当時、ヨーロッパ最高のピアニストだったフランツ・リストの実娘)と、ニーチェが、スイスのトリープシェンの館で、3人で、4年間、一緒に寝て過ごしたか、そして、その後、決裂して、激しい憎しみの関係になっていったを、分かることだ。
六城くん。君の、その軟弱な、「オレなんて、どうせ」と恥ずかしがり屋の性格が、自分の人生を低く、低くしているのだ。出しゃばり、目立ちたがり、「どうだ、おれの考えはすごいだろ」と、見せびらかす精神を今こそ、大事にしないと、本は書けないぞ。 何十度言ったら、分かるんだ。 この、奴隷の卑屈な、根性を、自分で叩(たた)き直せ。 卑屈な人間が、何か、ニーチェを分かったようなことを、書いて、それで満足するな。
私が、一昨日、彼に、「本は進んでいますか。原稿はどうなってるの」と電話したら、栃木県(しもつけ、下の毛の国)の足利市(あしかがし)の足利学校の前を、自転車を漕いでいる、とのことだった。
「帰ったら、先生のニーチェ本について書きます」と言いやがった。馬鹿が、何を考えてるんだ。
頭はいいのだかから、さっさと自分の思想、考えを纏(まと)めろ。
私、副島隆彦が、舞台で、踊っているときに、観客席から、「つまらねえなあ、下手だなあ」という者がいたら、私は、即座に、舞台から下りていって、そいつの胸ぐらを掴(つか)んで、「それなら、お前が踊ってみろ」と、舞台に引きずり出そうとする人間だ。 このことを、私は、弟子たちに、ガンガン、指導している。「お前が、人前で、踊れ、歌え、演説せよ。いつまでも、観客席から、ぐだぐだ言っているな。分かったか」と、厳しく叱るから、だから、彼らは私に逆らわない。今にも、舞台に引き釣りださされそうになると、彼らは分かっているからだ。 副島隆彦割り込み、加筆、終わり 。ふん )
さて気を取り直して、副島先生の新著の紹介をさせていただきます。
本書は前半だいたい3章から4章あたりまではニーチェという人物と関係者(とくにヴァグナー)による思想の解説です。
5章以降はニーチェ自身の(44歳で)死に至るまでの足取りです。
つまり前半は適菜収「キリスト教は邪教です!現代語訳アンチクリスト」(2005年 講談社α新書)をさらに理解を深めるための副読本(理解を進めるための教材)という体裁です。適菜氏の著作を読んでいなくても十分理解できるでしょう。
ところが後半は副島先生にニーチェが乗り移ったかのように、ギリギリの苦しみの状況と発表した著作を時系列で解説されています。
いわばニーチェの代弁を120年後の今、ニーチェの魂をなぞるかのように書き記している感じがしました。普段の文体とは異なっていて性急な文章なんです。
それだけ一気呵成に書き上げた副島先生の熱気を感じます。
弟子の私が解説しますが、後半はドイツ哲学に精通している編集者の小笠原豊樹氏によるものだと思いました。
副島先生のそばで見てきましたが、副島先生の数いる編集者の中でも小笠原氏ほど卓越した人はいないと私は思っています。
本来なら(博識の)小笠原氏も書き手側ちゃうんかい!と二人の関係を眺めてます。
つまり小笠原氏は副島隆彦と同じく「ニーチェの狂気」を分かち合える希有な編集者なのです。
だからこの「ニーチェに学ぶ」は前半は副島先生、後半は小笠原氏による<実質は>共著なんじゃないのかなあと弟子の私はそう感じながら読みました。
「ニーチェに学ぶ」は狂気の著者と編集者による魂の叫びである
この本は副島隆彦先生と小笠原豊樹氏の狂おしいほど「わかってくれ!」という叫びなのです。
ざっと目を通して、私はよくわかります。そしてニーチェ本は適菜収氏とこの「ニーチェに学ぶ」の2冊で十分な破壊力があります。
どうかこの文章をおよみの皆様、「ニーチェに学ぶ」をお近くの書店で(陳列はされていないので)注文して下さい。
もっと売れて欲しいと心底思います。(現実には丸善でさえも一冊しか置いていません)
以下、簡潔に感想を述べます。
私が心に留まった箇所は、ニーチェ(とヴァーグナー)が捉えていた「ギリシア的なもの」です。
ヨーロッパ人(とくにフランス人)がホメロスとかギリシャ神話に憧憬をもつ理由が分かります。
それは言い換えればキリスト教的なるものが全く「人類の解放」にはなっていないことの証左なのでしょう。
ディオニュソス的(すなわち乱交パーティ)がギリシア芸術の根幹だと言い放ったことでしょう。
216ページ
ショーペンハウアーは、「この人間世界は、グチャグチャの非理性と、盲目的に突撃する意志で覆われており、人の人生は愚かな欲望に振り回されるものなのだ」と考えた。欲望に振り回されるから人の一生は苦痛である。この苦痛からの救済は精神をしっかりすることだ。そのためには自分の意志を否定して、無私に徹して、そうすることで永遠の理想と向かい合うべきだ。だからショーペンハウアーにとっては、芸術、哲学、宗教はこの盲目的な意志からの開放である。それが苦痛からの開放の道となる。前半生のニーチェはこのショーペンハウアーに学んで、ギリシャ芸術を賛美し、美しいギリシャ彫刻を、人間解放の道とみなした。
ギリシャ人は、なんと「最もよきことは、この世に生まれないこと。だから次善は、早く死ぬことだ」という至言を生み出した民族だ。「人は生まれなければよかった。だからさっさと死ぬべきだ」という恐ろしい言葉をギリシア文明は一方で隠し持っている。この苦痛ばかりである一生を耐えうるものにするためには、ぞっとする死の深淵と関わること。そして、終わることのない生命(生活)の苦痛があるからこそ、ギリシア人は明るく輝く芸術の神殿を建てた。芸術こそは、人間の生を生きる値にするものにするための企てである。このようにショーペンハウアーは組立てた。この思想の基本骨格をニーチェもヴァーグナーも初めは強く支持し受け容れていた。
だから、ニーチェはディオニュソス的とアポロ的の、二つの、すなわち退廃(淫靡)と健康(光輝)の二つの芸術がギリシア悲劇の中で対立したまま融合していることを『悲劇の誕生』で証明した。
この勢いで坊主の思いつきに過ぎない宗教的規律を強いるローマ・カトリック教会へと批判が進みます。
ああ、ここでニーチェが存在している現世は「愚かな悪意と愚行の連続」であり、それが歴史となることに気付いたということです。
220ページ
ニーチェ2冊目の本は、『反時代的考察』(1873-1876年、29-32歳)である。ニーチェはこの本で、ヘーゲルがやったように、歴史の問題を過激な刀で切り裂いて見せた。
世界史という、人類の血だらけ泥だらけの歴史が持つ意味は、あの威風堂々の劇作家であるシラーが見抜いたとおり、善悪のどちらであれ、人間の歴史はその偉大さの記念碑であるとする。常に決断を迫られる、人間の生のエネルギーを弱めるものは、すべて否定されるべきだ。その代表がローマ・カトリック教会である。彼ら坊主たちが、人間に忍従と我慢と謙虚さを強いてくるとき、人間の生のエネルギーは弱められる。
1870年ぐらいまでは、ショーペンハウアーの哲学とヴァーグナーに、ニーチェは狂ったように心酔して入れあげていた。ショーペンアウアーにとって歴史とは、ひとりの天才が出現したときにだけ素晴しい、とするもので、あとは愚かな人間達の悪意と愚行の舞台に過ぎないとする。
ニーチェはキリスト教の唱える「真理」に異議を唱えます。見ることも存在すらもわからないのに「真理」があるとするキリスト教に懐疑を抱くのです。キリスト教の神=真理だという教義、さらに真理により善悪が決まるという欺瞞にニーチェは120年前に真っ向から立ち向かったのです。
291ページ
『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Bose)では、なぜ人間は真理(ヴァールハイト)を欲するのか、とニーチェは問いかけている。真理を求める意志は、生(生きること)にとって真理が有用だからだ。ところがニーチェは、ここで、「真理とはウソの尺度である」というとんでもなく矛盾する定式化を行った。なぜなら、ウソの尺度がなければ、真理を求める生命そのものも存在しないからだ。
ニーチェは、生命(生き生きと生きること)を自分の思想の中心に置いている。その際、毒もまた健康によいということを、彼は知っている。スイスの新聞が、ニーチェの哲学を指して「ダイナマイト」と名付けた。「丈夫で堅いヨーロッパの偽善的キリスト教というイデオロギーの容れ物をニーチェは爆破しようとしている」と書評したのだ。「どうせ落ちて腐る物を落ちるに任せるだけではいけない。突き壊すべきだ、とニーチェは主張している」と評した。この評論(評価)は今読んでも優れている。
上記の抜粋箇所が後半の要点だと私は感じました。
適菜収氏の「現代語訳アンチクリスト」と併せて、副島隆彦著「ニーチェに学ぶ」を読むと、より深く時系列でニーチェがどのように影響されて、また思想を深めていったのかがわかるでしょう。そして私は読了後どのように考えたのかを申し上げるとニーチェは無神論者として葬られましたが、無神論者(atheism エイシイズム、エイシイスト)ではないでしょう。
(六城。当たり前だ、だから、ニーチェは、自分こそは、イエスだ、自分こそは、ゾロアスター(すべての世界規模の救済宗教の元祖)だ、と、考えて、あの「ツアラトウストラ(ゾロアスター)、かく語りき」の大著を書いたのだ。)
むしろ(キリスト教的ではない)神の存在を信じて真理を追究して日夜没頭する人、今で言えば現代物理学者や天文学者、数学者といった人たちです。ニーチェは有神論者(theism シイイズム )だということ。だからこそ無政府主義(アナーキズム、 秩序破壊活動者 )という裏の顔をもつキリスト教を憎んだのです。そして欲望・快楽を否定することが真理だという人間性のない危険思想に警告を出し続けたのです。
5000部という希少本(図書館にも並ばない自費出版に毛が生えたレベルの部数)で終わってしまうのは惜し過ぎる!
こんな少部数ではブックオフの中古本ではまずこの部数では出てこないです。
どうか流通している間にお読み下さることを私は切に望みます。
【1816】[2169]今こそ姥捨山の復活を 3
去年の米大統領選後、私の友人(彼女も介護福祉士)が「ヒラリーは、顔に生気が無くて、何だかヘンだった」「2度も落選してるもんね、人気無いよね」「トランプの方が(ヒラリーより)年は上だけど、元気そうだったね」と言った。政治知識など無い一般人でも、テレビを見ただけで、この程度の事は、分かる者は分かる。まともな一般人が、より増える事が重用だ。別の友人が「まともな人って、どういうのがまともよ」と言ったので「現実把握能力がある人」と答えた。
本題。狂暴なボケ老人達が、面会に来た家族の前ではおとなしい、という現象が、しばしば見られる。これは、介護の現場で働く者は、みんな知っている。で、みんな言う「ボケたふりしてんじゃないの?」と。以前、女優の、故高峰秀子が、ボケたとばかり信じこんでいた養母が、実はボケたふりをしていた事がある時分かり、この時程、養母を憎いと思った事は無い、と書いていた(高峰秀子は、日本の歴史上、名子役から大女優になった、稀有な女優として名高い。高峰秀子には、子役時代から養母がステージママとして張り付き、この養母との愛憎関係は有名)。私も、80とかまで生きたら、都合が悪くなったら、ボケたふりをするだろうな―と思う。老人の特権だ。多分ボケ老人ならぬボケたふり老人の数は、相当だろう(彼らも、国からのカネで生きている)。
『俗ニーチエについて 付記』続き
女は『奥さん、お嬢さん』『ミス、ミセス』『マダム、マドモアゼル』と、結婚しているか、いないかで区別される。男に、そんな区別はない。つまり、女は男しだい、という前提に、世界中の女は平気で立っている。この1点で「女は総じてバカ」という副島先生の言葉は事実だ、と『2166』で書いた。が、それでトクをしているのは、男だ。
私は自分を、絵本『ベロ出しチヨンマ((作画は、切り絵の滝平二郎氏)』の、過酷な年貢米の取り立てを訴えて磔にされた百姓の類の人間だ、と規定している、と書いたが(自分は死ぬことが怖いか、と考え、死ぬことより、苦しんで死ぬことが恐いのだ、と気付いた。だからこの例えすら、不遜ではあるが。もう一つ、余談だが、この『ベロ出しチヨンマ』のタイトルは、一家揃って磔にされたその時、怖がって泣く妹に、隣の磔台のお兄ちゃんが、舌を出して面白い顔をして見せた、からきていた、と思う。副島先生加筆の『ベロ出し』の話は、これで、初めて知った)、もう一つ、私は『猿の惑星』のチヤ―ルトン・ヘストンだ、と規定している。「人間の原型は女であるという事実」を認識している私は、猿の支配する惑星で、猿に人間狩りされる人間の中で「ここは地球だったのか!」と、一人叫ぶ人間(もともとは猿でなく、人間が支配者だった事を知っている人間)と同じだ、と。
【1815】[2168]ああ、終わったよ・・・・
相田英男です。
状況がひと山越えたみたいです。
(引用始め)
産経新聞 8/1(火) 8:45配信
米電力会社が原発建設を断念 WH経営破綻で
【ワシントン=小雲規生】東芝の子会社だった米原子力大手ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)の経営破綻に関連し、サウスカロライナ州の電力会社スキャナは7月31日、WHに発注していた原発2基の建設を断念すると発表した。今年3月のWHの経営破綻を受け、「完成までに必要な費用が支払い可能な額を超える」と判断した。
スキャナは同州で建設を進めてきたV・Cサマー原発2、3号機の工事を即時に中止する。米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、直近の試算では総工費は250億ドル(約2兆8千億円)を超えるとみられ、これまでの140億ドルを大きく上回っている。
またWHの破綻の結果、2020年が目標とされてきた工事の完成時期は24年以降になる見通し。スキャナはこの場合、原発建設に関連した減税措置を受けるための稼働期限に間に合わなくなるとしている。
東芝は28日、原発2基の債務保証として、スキャナに21億6800万ドル(約2400億円)を支払うことで合意したと発表していた。スキャナはこの支払いを受け取ったとしても、建設コストは高くなりすぎるとみている。
一方、電力会社サザンがジョージア州でWHに発注した別の原発2基の建設工事は現在も継続中。ただしサザンは完成までにかかるコストなどの試算も進めており、その結果をみたうえで建設を続けるかどうかを決定するとしている。
(引用終わり)
アメリカでAP1000の建設をWEC(ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション)に発注していた電力会社2社のうち、スキャナが遂に建設を断念するという。総工費は2基の原発で約2兆8千億円以上というから凄まじい。原発1基が1兆円を超えたら流石にいかんだろう。何でこんなに高くなるのか、これまでの報道ではさっぱり見当がつかない。
福島事故の余波で対策費が膨らんだと言われるが、中国の4基のAP1000の方は、殆ど出来上がっているでは無いか。作ろうと思えば、作れない事はないのではないか?中国では安全対策をケチっているとか思うかもしれないが、アメリカと同様にモジュール構造で作られるため、中国の方がモジュールの製造も、現地での据付工事も、きちんとやれているのではないか?少なくともヤツコがケチをつける前の、2006年設計版ではきちんと作れる事を、中国は証明してしまっている。
アメリカもいよいよ終わりが近い。自らが開発した輝かしい誇るべき、軽水炉原発を作る能力も、遂に失ってしまったのだ。
取り敢えず、ザマアみろ、とだけ言っておこうか。
あんまり東芝を痛めつけすぎなのだ。
相田英男 拝
【1814】[2167]朝日新聞の現地ルポ 「トランプ王国、冷めぬ(アメリカ国民の)熱狂」 を載せる。
副島隆彦 です。 今日は、2017年8月1日 です。
以下に載せるのは、朝日新聞の 金成(かなり)隆一 という記者の、アメリカの「トランプ政治」の現地ルポだ。 7月25日の、トランプが、オハイオ州、ここは、 ”ラストベルト、rust belt 、錆び付いた州” と呼ばれる不況業種の失業者の多い州のひとつだが、ここの地方都市で、トランプが演説した様子を、この朝日の記者が現地ルポルタージュした内容だ。ここには10枚ぐらいの写真が、載っていたので、私、副島隆彦は、これらも貼り付け転載した。
これで、今のアメリカの国民(民衆、庶民)の様子がよく分かる。
日本では、トランプ政権の主要スタッフたちの辞任(解任、クビ)が相次ぐので、相変わらず、
「トランプさんて、大丈夫なの。おかしな人じゃないの。この政権は長持ちしないのではないか」という
評価が、広まるように、意図的に、テレビ、新聞の 報道が続いている。
報道官 (spokes person )の ショーン・マイケル・スパイサーが更迭されて、続いて、アンソニー・スカラムッチという不作法な、口のきたないNYの実業家が、広報部長( communication director )が、たったの10日で、「こいつではダメだな」ですぐに引っ込めとなった。その前に、ラインス・プリーバス 大統領首席補佐官(チープ・オブ・スタッフ)が辞任した。 トランプは、7月28日に、「ラインスは、いいやつだ。よく仕事をした」と見送った。 プリーバスは、実は、ヒラリー捜査、裁判起訴、そして米議会への喚問に反対していた。
プリーバスは、大統領選挙中は、共和党の全国委員会(RNP、党本部)の委員長だった。日本のウソ、フェイク、インチキ・メデイアたちは、共和党本部は、トランプを支持していない、と書き続けた。が、そんなことはなくて、プリーバスは、ポール・ライアン下院議長と同じ、ウイスコンシン州の政治家なのだが、トランプを懸命に賢明に支え続けた。
このあとは、脅しに弱くて ”軟弱な” ジェフ・セッションズ司法長官(アトーネイ・ジェネラル、A.G. 中世イギリスなら「国王の大法官」。日本でなら、法務大臣の他に 最高検の検事総長も兼ねる)を、更迭して、もっと、根性のある男に変えるだろう。 そこに、「ヒラリー追及で 最強の男」、あのジュリアーニが、”最後のご奉公”で出てきたら。 さあ、お待ちかね、だ。ヒラリーを 裁判に掛けて、議会でも公開調査(実質、裁判だ)に掛ける、動きになる。 いよいよ、である。
日本では、唯一、私、副島隆彦だけが言い続け、書き続け、日本に報告し続けた。 ” Lock Her Up ! “ 「ロック・ハー・アップ ! 」 「ヒラリーを 逮捕、投獄(とうごく)せよ!」 に 向かいつつある。
このヒラリーを捕まえて、裁判に掛けて、投獄せよ、こそは、アメリカ国民の 腹の底からの願いであり、熱意である。 このことが分からないような人間が、あれこれ、世界政治のことをしゃべるな、書くな、考えるな。土人のくせに。
日本国内の、「安倍政権は、どうなるの? 」にでも、しがみついていなさい。こんな、低脳の、ヒドい指導者たちしかいない、チビコロ、チンコロ国家のことなど、世界は、まったく相手にしない。 島国に立て籠もって、ひたすら、人口を減らしながら、衰退に衰退を続けて、こじんまりと生き延びてゆけ。
下の朝日新聞のルポの写真の中に、トランプ演説会場の中で、 ” Drain the Swamp ! ” 「ドレイン・ザ・スワンプ !」のポスターを掲げている 人たちがいる。 この「 ドレイン・ザ・スワンプ」と「ロック・ハー・アップ !」こそは、アメリカ国民、民衆、大衆、一般国民の、真の要求項目であり、血の叫びの、本物のアメリカ人たちの、怒号だ。 このことを、まだ、分からないような、日本人とは、私は、口もききたくない。 私、副島隆彦が、何百回、言ったら、分かるのか!
朝日の以下の写真の説明文では、「このドレイン・ザ・スワンプ !」は、「ヘドロをかき出せ」となっている。これ以上の説明はない。日本人のニューヨーク派遣の新聞記者でも、この程度の知能と、知性と、教養、学識しか無い。NHKでも同じようなものだ。他の、私は英語がよく出来る、と自惚れているインテリや、アメリカ研究学者たちでも、この程度だ。 大きな政治の動きを、その全体像で見る、分かる、ということが出来ていない。 私が、副島隆彦だけが、今も、孤軍奮闘している。
だから、せめて、ここの、私たちの学問道場に集まっている人たちだけでも、このアメリカ国民、民衆、本当の優れた、真面目な、我慢づよい、正義の人々の声を聞きなさい。 副島隆彦だけが、本当のことを、日本国内に、伝え続けているではないか。 違うのか。
ヒラリー裁判が始まる。このことが、私たちの敵どもにとっては、死ぬほど、イヤなことなのだ。これだけだ。アメリカ政治、そして、世界政治の、 本当の中心、 本髄 は、これなのだ。
長年、アメリカのリベラル派(民主党勢力)を代弁してきたニューヨーク・タイムズ が、どれほど、変質して、おかしくなって、奇っ怪な宗教団体に取り込まれているか。同じく、首都ワシントンの、官僚ども、そしてロビーストと呼ばれる政治利権屋どもが、どれほど、群れをなして、悪魔の宗教集団に取り込まれていることか。日本も同じだ! この恐るべき真実を、まだ、見抜かない、分からないような人間は、
生来の知能の低い人間だから、どこか他に行け。 勝手にラインやら、インスタグラムで、「今日、私が食べた 料理」でも、貼り付けて、仲間内で、遊んで、日本土人の人生を、このまま生きてゆけ。
以下に貼り付けた、初めの3枚の画像(写真)は、ものすごく大事なものだ。
ここの、今日のぼやき「1982」番で、7月に入ってから広報して、販売を開始した、私たちの
定例会(5月28日開催した)での、私たちの講演DVDの 内容であり、この中に入っている。今からでも買って、真剣に見なさい。 ものすごく重要な内容ですから。
(転載貼り付け始め)
〇「トランプ王国、冷めぬ熱狂 集会「ヒーロー凱旋だ」」
2017年7月31日 朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/ASK7Z5Q4NK7ZUHBI00T.html?rm=959
*集会で支持者らにガッツポーズを見せるトランプ米大統領(左)と手を振るメラニア夫人=7月25日、オハイオ州ヤングスタウン、ランハム裕子撮影
*オハイオ州で開かれた集会で演説を終え、手を振るトランプ米大統領
7月中旬、(引用者、加筆。私、金成隆一 が、朝日新聞の)ニューヨーク支局で仕事中、携帯が鳴った。画面が示す。「フランク@オハイオ州ジラード」
出ると、いつもの大声が響いた。「もう聞いてるか? ビッグニュースだ。トランプが来週、ヤングスタウンに来るんだ。ヒーローの凱旋(がいせん)帰国だぞ」
ジラードは一帯で製鉄業や製造業が廃れた田舎町。隣町ヤングスタウンは、全米に知られる労働者の街だ。大統領トランプが政権半年の節目の集会場所に選んだのは、自分を熱狂的に支えたラストベルト(さび付いた工業地帯)だった。
電話の主は、大工のフランク・ビガリーノ(43)。トランプの選挙戦に没頭し、政権の半年を絶賛する支持者の一人だ。
*トランプ大統領に歓声を送る支持者。プラカードには「トランプ支持の女性」「ヘドロをかき出せ」と書いてある=7月25日、オハイオ州ヤングスタウン、金成隆一撮影
「トランプは有言実行の指導者だ。世界中の圧力にさらされても、パリ協定や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を約束通りに決めた。そこらのナイーブな政治家じゃ、こんなことできない」
トランプの評価となるとますます声が大きくなる。
*「米国の一番輝かしい時代を見てくれ」。トランプを支持するフランク・ビガリーノさんは、1980年代の「偉大な米国」の復活を望んでいる。トランプ大統領を押し上げた世論の変化に刺激を受け、自分も地元の選挙に出る準備を進めている=オハイオ州トランブル郡、金成隆一撮影
特に感激したのは、地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」からの離脱表明だという。国際社会が世界2位の温室効果ガス排出国なのに無責任だと批判する中、トランプはかまわずオバマ前政権の国際公約を葬った。
フランクは30歳代になって大学で石炭火力発電を学び、苦労が実って電力会社に就職した。クリーンエネルギーの時代に入ろうとしていたが、この地域では長らく石炭は安定した雇用の代名詞だった。ところが環境規制に厳しいオバマ政権下で発電所が閉鎖され、2009年に解雇された。
「一党独裁の中国の排出削減をどうやって確認するっていうんだ。協定で損をするのは米国。だから脱退するんだ。トランプ流の米国第一主義だ」
(ところが、これとは対照的で)ニューヨークでは、雰囲気が全く異なる。酒屋前にこんな看板がある。「彼(トランプ)のツイートを読む前に飲んでおこう」。 酔っ払わないと、好き勝手に周囲を罵倒するトランプ大統領 の言葉など見られないという意味だ。 都市部では今もトランプは冷笑の的だ。政権発足から半年の支持率も36%と歴史的な低さ。抗議活動もやまない。主要メディアは政権の問題を連日伝える。
別の国かと錯覚するほどの落差。電話を切って、しばらく考えた。かつて取材したトランプ支持者たちの今の思いが知りたい。トランプの集会を目指した。この日、集会開始の半日前から長い列が出来ていた。元製鉄所勤務のマーク・ラプマード(60)もいた。
*製鉄所の閉鎖で失業したマーク・ラプマードさん。トランプ大統領の演説に聴き入る=25日、オハイオ州ヤングスタウン、金成隆一撮影
マークはかつて製鉄所の溶鉱炉で汗だくになって働いた仲間ジョセフ・シュローデン(63)と来ていた。2人は民主党を支持する典型的な労働者だったが、昨年の大統領選で初めて共和党トランプに投票した。
トランプが夫人メラニアと登壇した。会場は歓声に包まれ、無数の「米国を再び偉大に」「ヘドロをかき出せ」などのプラカードが揺れる。トランプは選挙中と同じ調子で民主党を批判し、メディアを「フェイク」とこきおろす。現職大統領の集会にしては異様な雰囲気だ。
トランプは1人の男性を壇上に導いた。「彼は生涯ずっと民主党員だったのに、私に投票したんだ」
マークやジョセフとそっくりだ。2人はまるで自分が褒められているような表情で舞台を見つめている。
トランプはすかさず雇用重視の姿勢を示す。「仕事を取り戻す」「工場をフル稼働させる。もしくは(古い)工場は潰して、新品の工場を建てましょう」
腕を組んで聞いていたマークがつぶやく。「彼はがんばっているね」。異端児が首都に乗り込み、ベテラン議員やメディアに非難されながらも、平然としている姿勢がいいという。
集会後、記者は帰宅する2人の車に同乗した。トランプの公約の多くが頓挫していること、資質が疑われていることを列挙し、「本当に失望していないのか」と(私は)重ねて聞いた。世界からの米国の評価が落ちていることも(彼らに)伝えた。
ハンドルを握るジョセフが言った。「この街で暮らす俺たちは、政治家がやるといってやらないことに慣れている。トランプが約束の1割でもやれば十分だよ 」 敬称略(オハイオ州ヤングスタウン、金成隆一)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
【1813】[2166]今こそ姥捨山の復活を 2
医療サイドが、介護業に無茶を押し付け、知らん顔をしている(全部介護業のせいにしている)一例を挙げる。老人は、本当に、食べない。食ベたいという自然の本能が、消滅している。という事は、もうお迎えが近い、という事だから、食べないままにして、静かにその時を待っていれば良い。しかし、これを現代日本社会は「介護放棄」「老人虐待」と言う。だから、医療サイド(医者や看護師)は、食べない老人に「食事介助しろ(食べさせろ)」と言う。どうしても食べたがらない老人に、介護士が食べさせているのを医療従事者達が見て「無理矢理食べさせている」「虐待だ」「利用者(介護サービスを受けている人の事)を、人間扱いしていない。物として扱っていると言う(笑)。
『2161俗ニーチエについて 付記』続き
私は「私は愚か者」などと、何度も言わない。そういう言い訳は、私はいちいちしない。あと、「こういうミケランジェロへの讃辞は、他に書く人が、きっとたくさんいるだろうと私は思った」は「こういう副島先生のニーチエ本への讃辞」の間違いである。
市川崑の映画『破戒』の話に戻る。猪子の妻のような女像(どんな自分であっても、受け入れ、肯定してくれる女)を男が理想とする事を指して「マザコン」と言う、と、私は何度も書いた。これは別に、私の恣意的な考えではない。客観的に見て、そうとしか言いようがない。が、この事は、一先ずおく。丑松と、猪子の妻の考えと、どちらが妥当か?どう見ても、どちらも妥当だ、と私は考える。これは、相補って完全、という種類のものだ、と。
「女の中の頭の良いのは、他人を突き放している。他人は自分の思い通りにはならない、という真実を受け入れている」と、私は書いた。副島先生の言うように『結婚制度に守られている女』に限らない。『人間は、母親の体内にできた最初は、皆女だった。それが途中で男に変化したり、女のままだったり、で、生まれてくる』『男女は、体が違う』この2点のみが、男女についての『事実』で、この2点以外の「女はこうだ」「男はこうだ」は、所詮、それを言う人の思い込みに過ぎない(だから勿論、前述の私の考えも、恣意だ)。随分昔「女性をミス、ミセスと言わず、ミズと呼ぼう」というコマーシヤルがあった(こんなCMがあった事、今では誰も覚えていないだろう)。日本では、女は、結婚したら「奥さん」と呼ばれる。結婚してなきゃ「おじょうさん」だ。だから私のように、結婚していない50前後の女など、なんて呼んで良いのか、皆困っている(笑。このあいだ職場で、或るボケ老女が私に「オ―ルドミス!」と、なつかしい言葉を言った。ボケ老人がこういう差別用語を使う分には、お咎め無しである)。先進国と言われている欧米も『ミス、ミセス』、フランスなら『マダム、マドモアゼル』と、女を結婚しているか、いないかで区別する。男に、そういう区別は無い。つまり「女は男しだい」という前提を、世界中の女が今だ受け入れている、この1点で「女は総じてバカだ」という副島先生の言葉は事実だ。
【1812】[2165]今こそ姥捨山の復活を
このタイトルの由来は、今回は言わない。私の職業、介護の本質を言う。それは「医療の尻拭い」「医療の奴隷」だ。去年の障害者施設の大量殺人やら、ボケ老人施設の虐待事件の類は、今後も続くだろうが、その根底にあるのは、介護という過酷な仕事ゆえのストレス、なんてものだけでなく(介護とは、土方仕事だ。これが介護業の、もうひとつの本質だ)、医療従事者側の、自分達が到底出来ない無茶な汚れ仕事を介護業に押し付けて知らん顔をしている、この事を、よく覚えておいて頂きたい。
私の荒い小文『2161俗ニーチエについて』を、忙しい中、加筆修整して下さり、副島先生、ありがとうございます。ただ、最後の方の『ニーチエが狂った理由を云々』以降は、副島先生の考えですね。私はこういう書き方はしていません。これは副島先生の「ニーチエが狂ったのは、他人は自分の思い通りにはならない、という、カンタンな真実を受け入れられなかったからだ、などと不遜な事を、お前ごときが言うな。他人を説得しようと本気で思う事は、お前のような凡人の女には到底太刀打ち出来ないことなのだ、それを認めろ」というお叱りだと思う。なので、これに答える(尚、私はニーチエの著作は読んでおらず、ニーチエの思想について云々する能力は無い、語学力もゼロだ。なので以下は、飽くまでも『俗ニーチエについて 付記』である)。
私は市川崑の映画が大好きで、一番好きなのが『破戒(島崎藤村の原作は、あまり良くないと思う)』である。この中で、部落出身で、その解放運動家の猪子連太郎(三国連太郎)が暗殺された後、主人公の部落出の瀬川丑松(市川雷蔵)に猪子の妻(岸田今日子)が「夫は恨みを忘れられない可哀想な人だった」「世の中は差別を言い立てるのでなく、もっと自然に変わって行くべき」という意味の事を言う。これに丑松は「私に先生の後を継ぐなと言うのですね」と言う。猪子の妻は、「はい」と答える。しかしラストで、出自を告白して村を出る丑松が「私はやはり、先生の後を継ぎたいと思います」「先生のお後を追って生きたいという気持ちを、抑える事が出来ません」と言う。これに猪子の妻は、こう答える「私には、あの人の勝ち誇った顔が見えるような気がします」「男の心意気を見たか、女などには分かるまいと」多分副島先生は、或いは三島由紀夫も、日本人でないから分からないが、或いはニーチエも、女から、このように肯定される事を、根底で望んでいるのではないか、と思う(ちなみに市川崑映画の多くは、妻の和田夏十が脚本を書いていおり、『破戒』もそうだ)。 私のパソコンは、長時間メ―ルを打っていると、しばしば画面が止まってしまうので、勝手ながら、今回はここまでとする。
【1811】[2164]今こそ大政奉還を 10
繰り返し言う。特例法は、間違いだ。皇室典範を改正(天皇の譲位を認める。女性天皇を認める)せぬまま、現皇太子が即位する事は、皇太子一家の悲劇を助長するものだ。特例法のもとに、皇太子一家が天皇家になったら、雅子様の病の悪化、愛子様の不安定な状態の悪化になるのではないか?そうなった場合、その責任の全ては、現安部政権にある、と、私は言っておく。
【1810】[2163]最新の記事を貼り付けます。短く評言(コメント)だけします。
副島隆彦です。今日は、2017年7月19日です。
私が、以下に列挙して、貼り付ける最近の(最新の)記事たちは、私の判断で、重要だと私が判断するするものです。 それぞれの新聞記事が、長いので、あまり評論は出来ません。評言(ひょうげん。コメント)程度で、短く評価、判断をしておきます。
●「旧統一教会(とういつきょうかい)幹部ご一行を“歓迎”した菅(すが)官房長官、高村副総裁らの思惑 」
2017年7月13日 週刊朝日 (週刊朝日 2017年7月21日号)
https://dot.asahi.com/wa/2017071200011.html?page=1
旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が全世界に配信したネット番組の内容が波紋を呼んでいる。
同会の幹部が菅義偉官房長官から首相官邸に招待されたり、自民党本部で高村正彦副総裁ら幹部と面会したりと大歓迎を受けたと発言したのだ。
これらの発言は同会所有の放送局「 PeaceTV 」が、5月19日、韓国で放送した「天地人真の父母様主管 韓・日・米 希望前進大会 勝利特別報告会」という番組内で飛び出した。番組は同会の金起勲(キムギフン)北米大陸会長らが信者に向け、活動報告をしている様子を韓国から生中継したもので、以下の発言があった。
「私どもは5月7~12日に日本を訪問した」 「訪日初日に自民党本部に行き、高村正彦(こうむらまさひこ)副総裁、田中和徳(たなかかずのり)同党国際局長が歓迎してくれた」 「京王プラザホテルで開催した(同会関係者との)シンポジウムに国会議員6人が参加した」
「日米安保の権威、安倍首相に毎日、報告する政府要職者とも会った」 「最終日には菅義偉官房長官が首相官邸に私どもを招待してくれた」
同会の宗教行事「国際合同祝福結婚式」は、歌手の桜田淳子(さくらだじゅんこ)らが1992年に参加して、日本で物議をかもしたこともある。事実なのだろうか? 同ネット中継では、金会長一行と会談する高村副総裁と田中議員らの画像も流されていた。
金会長一行が初日(5月7日)、自民党本部で会ったという高村副総裁は弁護士出身で、過去に同会の訴訟を担当したと報じられたことがある。
同席した田中議員も昨年10月、川崎駅構内で同会と関係が深い日刊紙「世界日報」を名刺とともに配布したと報じられ、関係が取り沙汰されたことがあった。高村副総裁を取材すると、「党本部の要請でお会いした。米国の議員団と聞いていたが、どういう団体なのか、よくわからなかった。国会議員になる前、旧統一教会の弁護をしたことは事実だが、いまは関係ない」と答えた。
田中議員は「党からの要請で国際局長としてお会いした。(昨年、世界日報を配ったのは)他の郵便物と誤って配っただけ」と回答した。
金会長は報告で「私ども」と話していたが、同会ホームページなどの記述から推測すると、「ワシントンタイムズ財団」(2012年に死去した文鮮明(ムンソンミョン)教祖が96年に設立した財団)、昨年、同会が主導して世界各地に設立した世界平和国会議員連合の「アメリカVIP」が一緒だったと推測される。
続いて国会議員6人が参加したとされるシンポジウムについて調べると、「9日に日本の国会議員たちと『日本─アメリカ国会議員 有職者懇談会』」という記述が同会ホームページにあった。しかし、参加した国会議員の名前は判明しなかった。次に金会長らが面会した「安保の権威、首相に毎日、報告する政府の要職者」は誰なのか。
同会と関係がある要職者として浮かび上がるのは、萩生田光一(はぎうだこういち)官房副長官だ。萩生田氏は党総裁特別補佐を務めていた14年10月、都内で開催された日本統一教会会長・徳野英治(とくのひではる)氏の講演会で来賓挨拶したことが判明している(本誌同年12月5日号)。
萩生田氏に金会長らと面談したか、取材したが、「その事実はございません。私の地元には(略)ご質問の宗教の信者さんもいらっしゃることは存じ上げています」との回答だった。そして最終日、金会長ら一行を首相官邸に招待したと名指しされた菅官房長官に取材を申し込むと、加計疑惑の国会答弁のような菅話法で回答があった。「ご質問中の当議員に関わる事象は、一切承知していません」
同12日には同会の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁(文鮮明の夫人)が来日。東京・有明コロシアムで同会が14日、主催した1万人信者イベント「天地人真の父母様 日本特別集会─孝情文化フェスティバルin
Tokyo─」に登壇した。
同イベントには自民党の山本朋広衆議院議員と宮島喜文参議院議員が来賓挨拶した。
「日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長をはじめ皆様には、我々自民党は大きなお力をいただいています」(山本議員)、「昨年7月の参議院選挙で皆様方の応援をいただき当選させていただきました」(宮島議員)と発言(両議員は取材拒否)。
旧統一教会に取材すると、以下の回答があった。「金会長及び『ワシントンタイムズ財団』による訪日団の日程、行動の詳細は存じておりません」
大惨敗した7月2日の都議選を見据えた両者の接近だったのだろうか。 (鈴木エイト/本誌取材班)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。上の週刊朝日の記事は、重要だ。この記事を書いた、鈴木エイトというジャーナリストが、 「やや日刊 カルト新聞」 というウエブサイトを主宰していて、大変、優れた文章を精力的に発表している。
「やや日刊 カルト新聞」
http://dailycult.blogspot.jp/
● Senate Investigating Loretta Lynch’s Alleged Interference in Hillary Clinton
Email Probe
Jun 25, 2017 TIME (タイム誌)
http://time.com/4831849/loretta-lynch-hillary-clinton-fbi-senate/
Senate Judiciary Committee leaders on Friday said they are seeking information about former Attorney General Loretta Lynch’s alleged interference in Hillary Clinton’s private email investigation.
The bipartisan group is inquiring about Lynch’s communication with Clinton campaign aide Amanda Renteria - whom Lynch reportedly assured that the FBI’s investigation wouldn’t “go too far” - as well as documents and information indicating whether the agency probed that alleged conversation.
Judiciary Chairman Chuck Grassley (R-Iowa), along with other lawmakers including 2016 presidential candidate Sen. Lindsey Graham, sent letters to Lynch earlier this week with the request.
A spokesman for Lynch said the former attorney general “will cooperate fully with this inquiry and respond directly to the Senate Judiciary Committee.”
“Ms. Lynch is a committed public servant who has dedicated much of her career to the Department of Justice and led the department as attorney general in the fair and impartial administration of justice,” a spokesman said in a statement Friday.
The inquiries about Lynch’s communication are part of a larger examination of President Donald Trump’s dismissal of FBI Director James Comey, who was overseeing the Clinton probe at the time.
In a testimony before the Senate Intelligence Committee earlier this month, Comey said that Lynch during the Clinton probe told him: “Don’t call it [an investigation]. Call it a matter. Just call it a matter.”’
“It gave me a queasy feeling,” Comey said in the testimony.
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このタイム誌の記事の中に、出てくる、ヒラリーを、いよいよ、米議会が、犯罪捜査する動きがあって、その議員たちの中で、
Judiciary Chairman Chuck Grassley (R-Iowa), 「米下院の司法委員会 の 委員長の チャック・グラスレイ (共和党 アイオワ州選出)」という議員が重要だ。彼は、謹厳実直で、非常に慎重で用心深い人だ。このグラスレイ議員が、動き出した、ということは、アメリカの議会が、ついにヒラリーの国家犯罪の容疑を、多くの明確な証拠をたくさん集めたので、いよいよヒラリー・クリントンを、議会が行う裁判に掛ける準備を始めた、ということだ。
トランプの、悪口ばっかり言って、「トランプさんて、大丈夫な人なの。支持率が急落」などと、ウソ八百の、バカ報道を、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ケーブルテレビ・ネットワークのCNNなどが、血走って、狂ったようになって報道して、それを、日本のNHKまでが、その尻馬になって、血相を変えて、トランプたたきを、日本でもやっている。 お前たちの脳(頭)は、本当に大丈夫なのか? 追い詰められて、断末魔の、今にも経営破綻しそうな、日本「も」の、テレビ局、新聞社どもだ。
私、副島隆彦は、冷酷に事態の推移を見守る。 次の記事は、日本の横須賀に、10聻近くもいる、米海軍の 「最強のはずの」イージス艦の中の一隻が、みっともないことに、フィリピンの貨物船(カーゴ船)に、真夜中に、伊豆半島の先で、ぶつかって、艦橋(かんきょう)が大破した事件、事故だ。 本当にみっともないったら、ありゃしなかった。
何が、最新鋭の、最強のイージス艦だ。 お前たちの軍事力などは、その程度の、ポカーンと穴が空いているものなのだ。 イージス艦の方が、左に舵を切って、相手を避ける衝突回避の義務があると、海難事故の専門家たちでなくても分かる事故だった。
(転載貼り付け始め)
●「大損傷した米イージス艦 起こるはずのない衝突」
AERA オンライン記事 by 田岡俊次 更新 2017/6/24
https://dot.asahi.com/aera/2017062300066.html?page=1
今年の米第7艦隊は事故続きだ。1月31日には巡洋艦アンティータム(約1万トン)が母港横須賀の港口付近で浅瀬に乗りあげてプロペラを損傷、油圧作動用の油約4トンが流出した。5月9日には韓国・浦項(ポハン)沖の日本海で巡洋艦レイク・シャンプレイン(同型)が韓国漁船と接触している。
そして6月17日には駆逐艦フィッツジェラルド(約8300トン)が伊豆半島・石廊崎の南東沖約20キロで日本郵船が雇っているフィリピン船籍(乗員20人も同国人)のコンテナ船ACXクリスタル(2万9千トン)と衝突、同艦は艦橋下の右舷と水線下に重大な損傷を受け、乗組員7人が死亡、艦長ブライス・ベンソン中佐ら3人が負傷した。
●船底を突き破られた
この3隻の米軍艦はいずれも「イージス」対空ミサイル・システム搭載艦だが、それは当然で米海軍の巡洋艦、駆逐艦計85隻のうちイージス艦でないのは1隻だけだ。
軍艦と貨物船が衝突して、軍艦の被害のほうが大きかったことに驚く人も多いが、軍艦は船体に多くの肋骨を入れ、薄い外板を張る障子のような構造で、軽くて波浪に強いが、側面からの衝突には脆い。商船は船価を安くするため肋骨を少なくし、厚い外板で強度を保っている。フィッツジェラルドは破片などから高価な電子装備を守るため、引っ張り強度が高いケブラー繊維を固めた装甲約70トンを使っているが、それが付いているのは艦の一部だけだ。
多くの商船は船首の水線下にずんぐりとした突起物「バルバス・バウ」を付け、船首が波を立てる際の抵抗を減らして燃費を良くしている。ACXクリスタルが衝突した際は、その船首の上部が駆逐艦の右舷艦橋近くまで破壊すると同時にバルバス・バウが船底を突き破ったから、下士官、水兵の居住区に水が流入、7人が水死したが、各区画を閉鎖して沈没は免れた。
だが、艦橋の下の水線下には、「戦闘情報センター」があり、コンピューターが集中する。1千数百億円以上するイージス艦の価格の半分近くは電子装備だから、海水に漬かっていれば大損害。艦齢も22年だけに、修理せずに廃艦になるかもしれない。
●見張りの怠慢で衝突
米海軍は事故から5日たっても、当時の駆逐艦の行動について一切発表せず、フィリピン船員の事情聴取をした海上保安庁も口を閉ざしている。だが名古屋港から東京港に向かっていたコンテナ船の航跡は「船舶自動識別装置」で記録されている。これによれば、同船は衝突前は東北東に航行、午前1時30分ごろに衝突した後、右転して南東に向け6分間、約3キロ移動している。左側から接近した駆逐艦と衝突し、船首を押されて右に曲がったか、あるいは衝突を避けようとし、直前に右に舵を切ったかと思われる航跡だ。
2隻の船の針路が交差し、衝突コースに入った際には右側に相手を見るほうがよける義務があり、右舷が衝突した駆逐艦のほうが基本的には分が悪い。仮に駆逐艦が低速でほぼ同方向に進んでいて、コンテナ船がそれを右側から追い越そうとしていれば、追い越す側に避ける義務がある。だがコンテナ船は駆逐艦の右舷の緑燈を見て、自船の針路を横切ろうとする相手のほうが避ける、と思った可能性もある。夜間には他船の動きはわかりにくいが、天候は良かったし、航海レーダーには周囲の船の針路も表示されるから、どちらかが肉眼とレーダーでしっかり見張っていれば衝突は避けられたはずだ。
これは米軍の公務中の事故だから、米軍人に対しては地位協定で米国に第1次裁判権があるし、そもそもどの国の軍艦も他国の管轄権外だ。とはいえ、日本領海内での事故だから海保も捜査し、もしフィリピン船員に過失があれば日本側で訴追することになる。だが、米軍の全面的協力がなければ原因の解明は困難だ。(軍事評論家・田岡俊次)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。時間が無くなりました。あと、10本ぐらい記事を貼り付けようと思ったのですが、出来ません。近いうちにやります。
副島隆彦拝
【1809】[2162]副島先生ご推薦 映画「ひかりのたび」について
澤田サンダーと申します。
会員番号6666です。
映画監督をしております。
現在、埼玉県川口市で開催されている
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて、
私の作品である映画「ひかりのたび」が国際長編部門にノミネートしております。
本作では、実は副島先生にコメントと長文評論を寄稿していただいています。
私はこの映画を、バブル崩壊後20年間以上地獄の苦しみを味わった、
もしくは、その辛さ、重さがわかる方々に見て頂きたいと思っています。
きっと、癒しやそこまで行かなくても、何がしかの前向きなビジョンが見える
そんな作品になったのではないかと思います。
みなさま、ぜひご来場ください。
上映は7/17の17時、20の10時から二度あります。
もし気に入っていただけたら、観客賞もある映画祭なので
投票していただけると幸いです。
では、副島先生のコメントを添付させて頂きます。
(以下引用)
大きな泥臭いお金の話を正直にしないで作られて来た、これまでの社会派映画の限界が、この映画で明らかになった。人間の営み(人生)のあらゆる場面に、こういう交渉ごとと掛け引きがある。企業で働き続ける人間にも企業(経営者)や上司、同僚との日々の掛け引きがある。幼い頃から、そういう親の姿を見ながら、子供は自分の人生環境を運命(与件(よけん)。既に与えられてしまったもの)として引き受けながら生きてゆく。
副島隆彦/評論家
(引用終わり)
予告編(可能であれば再生画面を貼り付けて頂きたいです)
https://youtu.be/6lv4NuZLh0M
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭 紹介ページ
http://skipcity-dcf.jp/films/films04.html
澤田サンダーインタビュー
http://skipcity-dcf.jp/interview/002.html
【1808】[2161]俗 ニーチエについて
私は自分を、絵本『ベロ出しチヨンマ』の、過酷な年貢米の取り立てを訴えて、磔(はりつけ)にされた百姓、の類の人間だ、と規定している。( 副島隆彦加筆。 十字架に縛り付けられて、下から槍で脇腹から心臓を突き刺して殺す刑や、獄門さらし首や、首つり自殺 では、死者の口から舌(した、ベロ)がはみ出した状態になることが多い。これを、「ベロだし」と江戸時代の民集が、小塚原=今の南千住 や、大森、烏森の刑場に、街道沿いに、見せしめで何日も放置してある死体の姿から、呼ぶようになった。副島隆彦の割り込み加筆終わり )
まぁ、私だって、磔にされるのは嫌だが。だからこの例えすら、カツコ良すぎるだろうが。
介護福祉士という下層労働者である自分の現実を、学問道場の会員であっても、私は忘れていない。
下のナカヤマ氏の投書を読み、自分の本業の介護の現実について、ここで本格的に発表させて頂きたいと、ずっと思っていた。そうでありながら、他の事についてばかり投書してきてしまった事に焦りを感じている。
私は一生、雇って貰う側だろうし、雇う側になりたいとも思わない。雇う側の人間を、尊敬してもいない。
はっきり言う。 副島先生の『 隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか? 』(2012年、PHP研究所刊)の中で、三島由紀夫の遺作『豊穣(ほうじょう)の海』(全5巻、新潮社刊、1970年)について小室直樹氏が、つ次のように書いていた。
「最も適切な仏教入門である」、「法相宗(ほっそうしゅう、副島隆彦加筆。中国経由でインドから日本に伝わった南都六宗 のうちの一つ。一番古い宗派。本当のゴータマ・ブッダ(お釈迦様)の考えを伝えている。あとは、副島隆彦の本を読むべき。副島隆彦の加筆終わり )の徹底的解説である」、
「(第一巻の主人公、松枝清顕(まつがえきよあき)の友人で、この松枝清顕の恋人であった綾倉聡子(あさくらさとこ。のちに出家して奈良の尼寺の門跡になっていた。この女性のモデルは、三島由紀夫がまだ若い大蔵省の職員時代に、お見合いをした、現在の皇后、正田美智子と言われている )が、本田・・・から尋ねられて、「松枝清顕という人は、もともといらはらなかったんやないですか」、綾倉聡子が、答えた。この 言葉の意味は、人間は輪廻転生(りんねてんしょう)しない、という事だ」 という説を、『隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?』から私は、知った。
確かに、綾倉聡子(あやくらさとこ)の寺は法相宗(ほっそうしゅう)と、はっきりと『豊穣の海』に書いてあった。この事を思い合わせて、私は、雷に打たれたような感動を覚えた。色々な人が、三島由紀夫の自殺の真相について書いた。しかし、これこそはそのものズバリだ。
三島由紀夫は、来世(らいせ、あの世)も前世(げんせ)もない、人の一生は一度きりである。だから他人からどう言われようが、思われようが、やりたい事をやって死のうと、私は思った。
三島由紀夫の思想を本当に理解した人間は、小室直樹氏一人きりだった。この事実に、私は暗澹(あんたん)となった。来世も前世も、そして現世(げんせ、現実の世界)さえもない。そして人生は一度きりである、という法相宗(ほっそうしゅう)の説く真実を知って、私は以後、迷わなくなった。
それ以前は、時に、病的な孤独感に苛(さいな)まれる事もあった。
「若かった20才の自分に戻りたい」などと言う人に、私は言う。「 それは、今までの自分の人生に不満だからでしょう。そういう人が、何回20才に戻っても、同じ生き方しかできない。やり直す力のある人なら、20才に戻らなくても、今やり直す」。
本題。 副島先生のニーチエ本を読み、「 昔は本物の知識人は、最後は精神病院で死ぬ」を覚悟している人種だった。今は、そういう本物の知識人がいない。 副島先生が遂に、同性愛問題を正面から書いた。
人類の歴史に同性愛(ホモセクシュアリティ)は不可欠なものだ。副島先生が人類最高の芸術家と呼ぶミケランジエロだってホモだった(89歳で死)。それについて副島先生はどう考えてるんだろう? 自分がホモじゃないから、関心ないのか、と思っていた。
こういうミケランジェロへの讃辞は、他に書く人がきっとたくさんいるだろうと私は、思った(、が、誰も書かない)。 私はここでは、週刊誌的な下劣な立場から、自分の感想を言う。私はこれまでニーチエについて、その著作を読んだ事は無い。だが、週刊誌的な興味から、この有名な思想家について、色々知っていた。
澁澤龍彦(しぶさわたつひこ。フランスのマルキ・ド・サドを研究した。小説家)は、ただの耽美(たんび)主義者だと思っていた。ところが、澁澤氏が書いた、『ババリアの狂王(きょうおう)』という、ルートビヒ2世(副島隆彦加筆。バイエルン国王(首都ミュンヘン)のルードヴィヒ・デア・ツヴァイゼ。リヒャルト・ヴァーグナーの終生の愛人。一歳違いのニーチェがその後を継いだ )についての小文は、ひょっとして、ルートビヒ2世 について書かれた物の中で、日本で一番良いのではないか? と思う。
私は副島先生が、ニーチエのように、最後は孤独地獄の果てに発狂するのではないか。現代風に言うと、ボケ老人になるのではないか、という危惧を覚える。副島先生がボケたら日本の損失なので、私のエゴから敢えて言う。
ニーチエが狂った理由を、誠実に考え詰めた天才だったから、で終わらせてはいけない。ニーチエが狂ったのは、 「他人は自分の思い通りにはならない」という簡単な真実を受け入れられなかったからだ、と、愚か者である私は、勝手に考えた。この程度の知能しか、私にはない。
ニーチェは、自分の文章で、他人を説得しようと本気で思ったからだ。女の中の頭の良い、悪賢い者たちは、たいてい、本心は、他人を突き放している。 他人はどうせ自分の思い通りにはならない、という事を受け入れている。( 副島隆彦注記。そして、この悪賢い女たちは、極めて上手に、男を一人、自分の奴隷にして、この男に寄生して、楽をして一生を終える。男と競争して、自分の力で生きようなどとは、金輪際、思わない。この手の悪賢い女は、自分の力で生きる、という考えで、必ず苦しい人生になる労働者の女たち=職業ウーマンたちを、腹の底から、見下している。副島隆彦の妻がそうである。副島隆彦の割り込み加筆、終わり)。
しかし男の場合は、生まれながらに相当に頭の良い者は、自分の考えを人に押し付けようとする。人を自分の思い通りにしたい、という欲から抜け出せない。自分のような凡人の女には、到底、太刀打ちできない人々だ。
天才的な人間は、確かに実在する。しかしそういう天才も、普通の人だ。特別な人間などいない、例外は一人もいない。私はこの事を、自分の失恋から学んだ。私が愛した同性愛者の或る女性は、私が、天才というものを、初めて現実に見た、人だった。この人となら、生半可な恋ではすまないだろう、きっと私式の愛し方が通じる人だろう、と、思い込んだ。そして10年がたって、私は、自分が愛したこの女性から、「重荷で重荷で息がつまる」「あなたと付き合っていると、胃は痛いし、仕事もできない」と突然言われた。
それから大分たった。私はつくづく彼女も普通の人だったのだ。それなのに、自分が、勝手に、この人を理想の男性だと思い込んだことを、大変、申し訳ない事をした、とわかった。 この人は天才だからと、彼女に依存しきっていた自分の愚かさを深く反省した。私が本気で自分の人生を反省したのは、この時だけだ。 私は愚か者である。