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Loginはこちら【1894】[2254]今こそ姥捨山の復活を11
(途中で間違えて送信になってしまいました。失礼しました。続き)民だが(インテリエリ―トでも無い、身分の高い家に生まれたわけでもない)、しょ民的な人間ではない(しょ民的な人間なら、学問道場の会員になっていないだろう)。私は『掃き溜めに鶴』に、生まれついているんだな―と、半世紀近く生きて来て、別にうぬぼれでなく、思う。三島由紀夫の『美徳のよろめき』という不倫小説がある。この中に、こんな文がある「男が憧れるのは、裏長屋の美女よりも、それほど美しくなくても、優雅な女の方であるから」これでいけば、私は『裏長屋の美女』タイプだよな―である。
世の中には、重要な事が2つある。「人間的な事」と「ただの事実」だ。「ただの事実」でしかないものを、インテリ階層の人間は、ゴタイソ―なものと錯覚しがちだ。私はそんな、下らない上昇志向には呑まれない。ある時期迄凄かった人が、ヘンな上昇志向から、道を誤った例は、歴史上多い。以前、定例会で副島先生が「私は皆さんを読書人階級と名付けた」「読書人階級は知識人ではない」という意味の事を仰っておられたが、2251では『マツクス・ウエーバーも知らないような人間は、インテリ読書人ではない』みたいな事を書いておられる。『読書人階級とは知識人(インテリ)とは違う』と仰っておられたのが『読書人階級にも、インテリ読書人と、そうでないのとがいる』って、おかしいでしょう。
本題。「この生ゴミ、いつまで生きてんだ」という老人が多い中『天使のように可愛いおばあちゃん』『品のある、美しい老婦人』というのは、現実に存在する(男の場合も同様)。こういう人は、老人施設でも、職員に人気がある。以前、非常に遠慮がちな女性がいて(今から10年以上前の話で、当時で90歳を過ぎた,大正生まれの人だった)、育ちの良い人なんだろうなと思い「学校どちらですか?」と聞いたら「東京女子大」との答えだった。人間の、生まれ持っての品性やら、人間性というのは、死ぬまで変わらないんだな、と思ったのを覚えている。
【1893】[2253]今こそ姥捨山の復活を11
私は、もう30年近く、紅白など見ていない。年末も年始も、仕事だった。昭和43年生まれの私が子供の頃は、紅白とレコ―ド大賞は、日本民族のお祭り、日本の歌手誰もが目指す、輝かしいものだったが、多分それは、寺尾聡の『ルビ―の指輪』が大ヒットした頃迄の話だろう。今の日本の一般人の多くは、時代遅れな紅白など見ない。そんなもん見る暇もなく、年末年始も働いている。私は、どう見ても、しょ
【1892】[2252]古都弁蔵です
昨年は俗に第4次産業革命 すなわち 人口知能AI ロボット インターネット等通信技術のさらなる革新 EV電気自動車・自動運転 無国籍通貨 などの発展が大きく取り上げられた年であった。
これらの進展が経済にどのような影響を与え、生活がどのように変わり、労働の場がどのように変ってゆくかを考える1年だったと思う。今年もこの流れがさらに加速してゆくものと思う。
すでに副島先生が指摘しているように、銀行業務が大きく縮小してゆきそうである。三大メガバンクの人員削減もしかり、地銀の統合によって今の職員数の1/3は削減されそうである。銀行業務はAIにとってかわられやすいようである。さらに今後無国籍通貨の進展はさらに銀行業務を変えてゆきそうである。
銀行の行員の就職先が少なくなるということは、文系の大学の学生 文系の大学にとっておおきな痛手となる。私の文系の大学を卒業したものとして、文系の知識の活かし方でずっと悩み続けたが、後輩である文系の学生の将来を心配している。工業高校卒のブルーカラーの生徒も今後、今後工場のロボット化に伴い合理化されやすい。なんとかがんばってもらいたいものである。
AI ロボットの進展により、今後20年間ぐらいで、現在の仕事の3割から多い場合には7割の仕事がなくなるという。本当かという思いがある。非常に気になることである。
「定型的な業務はAI ロボットに任せる、人間は創造的な仕事に従事してもらう」ということを論者は言う。
最近の発表によると、大手娯楽施設運営会社H社は、その主力娯楽施設の職員を今後3年で1/3にする計画を考えているようだ。定型業務はすべてAI ロボットに任せるそうである。職員は人間にしかできない創造的な仕事をしてもらうという発言をH社の社長している。
この発表を見て聞いて、やはり来たなと感じた。
今後 「定型的な業務はAI ロボットに任せる、人間は創造的な仕事に従事してもらう」 という言葉 特に人間は創造的な仕事な仕事をおこなってもらうというところが重要である。これはいくらでも解釈可能である。この曖昧な表現が独り歩きの危険をはらんでいると考える。これを定義するのは、資本家、経営者であり権力者だからだ。しかし、考えると 定型的な業務はAI ロボットに任せるとうことは勤労者にとって大変なことだと考える。なぜならば、定型的な業務をこなすことが、勤労者の大きな仕事だからだ。
これを失うことは大変なことだと思う。
資本の側が言う「人間は創造的な仕事に従事してもらう」とはなにかかがだいたい見えてきた。
現在ある仕事をAI ロボット置き換えるエンジニアこそを想像的な仕事と考えているようである。今後この分野が大きな雇用が生まれる。年収は1000万円から2000万円の層が出現する。
この分野が人手不足となる。これを政府は、我が国は雇用があり人手不足と宣伝するであろう。
これらの問題を残しながらも、今後第4次産業革命が続いてゆく。
非常に長期に続く。これの特徴は国策を担っていること、資本主義最後の産業革命の可能性があること、アフリカの奥地が一定程度達成するまで続く可能性があることが挙げられる。
つぎに中国のことである。
中国については、この問題の権威である副島先生の本で勉強していただきたい。
昨年のトランプ政権による安全保障政策ならびに年末に来日した元大統領首席補佐官の発言を聞いていると、アメリカ政権の本音が中国、ロシアを潜在的な脅威とみていることがよくわかる。中国をたやすく覇権国家にすることをよしとしない政策が見えてくる。日本をアメリカの出先機関として利用し、中国の拡張の防波堤として利用する。
アメリカは金がないから、同盟国よ貢いでくれ。ということだ。
最近は出版物で中国崩壊論は少なくなった。今後は中国脅威論にかわってゆくであろう。日本におけるこれらの論者は、アメリカ保守派と連携している。これらの論者が東アジアにおける、副島先生がいつも言う 「アジア人同士戦わず」 という理想を打ち砕く勢力であることが見えてくる。
問題なのは、そうしているうちに我々の生活がどんどんまずしくなっているのだ。国税庁の調査でも、年収300万円世帯が一番多く、次に200万円世帯が続くという。これでも、我々は貢ぐ君を続けるのかということだ。
国民は自分の生活の実態、本当の姿を発信する必要がある。もう見栄をはっている場合ではないのではないだろうか。
(終わり)
【1891】[2251]今年もよろしく。 私は、ユダヤ教とイスラム教のことを、ずっと今も調べています。
副島隆彦です。 今日は、2018年1月1日です。
あけましておめでとうございます。 今年もよろしく。
私は、昨晩は、NHK紅白歌合戦を、ちらちら見ながら。 ユダヤ教 ( Judaism =ユダヤ思想 とも訳せる) と イスラム教の 歴史をずっと今も調べていて、このふたつの 大宗教の絡(から)まり方、こんがらがり方(かた)に、驚きながら。
こんなにユダヤ教ととイスラム教の大知識人、思想家たちが、絡まり合っていたら、どうしても複雑な話になる。これに 例の 「ユダヤ教が、ユダヤ民族およびその神 ヤハウエ、Yahweh = Jehovah と共に 創作、発明 された 3200年前=紀元前1200年 から」という問題なので、これを大きく解明するのは、大変だ。 でも、私、副島隆彦は それを今、やっている。
紅白歌合戦は、日本民族の祭典だ。敗戦後の焼け野が原から復活した日本が、国営放送局NHKを中心に、国民が纏(まと)まって、この番組を支えてきた。 もう65回になるとう。 あの 黒柳徹子(くろやなぎてつこ)の チビで小太りの、大(だい)婆さんは、もう出すな。 見苦しい。第1回目からずっとNHKのアナウンサーで、現場にいた、のだと自分で話していた。
私は、今年65歳になるから、おそらく物心(ものごごろ、=記憶力 )がついた5歳からずっともう60回、紅白を見ていることになる。 これが、日本人だ。日本人の団結だ、と思いながら。
私の友人のインテリは、小さいときから、紅白が大嫌いで、家族が見ているのを、自分の部屋で、耳を塞(ふさ)いで、外国語の勉強をしていた、という。私は、そういうことは無くて、この民族(=国民)と 同化しているから、なんともない。
今年の紅白で、私の判定では、一番、輝いていたのは、渡辺直美(わたなべなおみ)というデブの芸人、歌手と、同じく お笑いのような、ブルゾンちえみ とか言う、押しの強い個性派の芸人だった。デブの渡辺直美が、レイディー・ガガ Lady Gaga の、Poker Face 「ポーカー・フェイス」の局を歌った。
アメリカの庶民の若い女たちも、こういう不細工の、実感の籠(こ)もった、自分たちと同じ、寸胴(ずんどう)の芸人に強い親近感を持つのだ。
今、アメリカで一番、輝いている女は、 日本の渡辺直美と同じような、 「 ドスコイ 女相撲(おんなずもう)」の ホワイトハウスの 報道部長の、サラ・ハッカビー・サンダースだ。 この 「ドスコイ 女相撲」という コトバは、私が、近刊の『世界権力者 人物図鑑 2018』で、彼女に与えた冠(かんむり)だ。
サラ・サンダーズは、腐れ切った、偽善リベラルの、ホワイトハウス(米大統領官邸)に“常駐”の、恐ろしい、名うての手練手管の、経年記者どもからの、質問攻撃を、がっつんがっつん、もの見事に撃退している。
・サラ・サンダース Sarah Huckabee Sanders
「(トランプ)大統領は、そんなつもりで言っていません」 「あら、そうかしら」と、サラ・サンダーズが、このド迫力で、切り返したら、あ意地悪の極みの、老練の記者たち揚げ足を取れなくて勝てない。自分の方が凹(へこ)まされてしまう。
まさしく、「ドスコイ 女相撲」だ。 幕府(徳川氏)に禁止されるまで、本当に、女歌舞伎、女相撲が全国で、興行されていたのだ。 今も、全国の浜辺の漁村では、今でも、女相撲の格好をした威勢のいい婆さんたちが、「 どすこい、どすこい 」と、並んで、相撲甚句(すもうじんく)を唄う。 さすがに、これは、NHKの 新日本風土記(しんにほんふどき)でもやらない。 やれよ。
おい、日本相撲協会( まだ、ここはいい。本当の業界人たちだから) と、 横綱審議会(よこずなしんぎかい) 。お前たち、自民党べったりの、奇っ怪な出世人間たちが、どうして、相撲取りたちの生き方の中にまで、善悪、正義を持ち込むのだ。
横綱審議会や高野連(こうやれん)に入るような審議委員たち、というのは、本当に、文部行政(もんぶぎょうせい)のヨゴレ人間たちだ。相撲(すもう)というのは、「撲(なぐ)り相(あ)う」と書いて、本当に殴(なぐ)り合(あ)うのだ。どうして、お前たち、バカ官僚化した、見苦しい、「民族精神の、 国技の、伝統の」と偉そうなことを言うのか。
相撲取り(スモウ・レスラー)たちの自治にまかせて勝手にやらせろ。政府、国家、役人が口出しするな。警察が入ることでも無い。 私は、不愉快だ。
日本に、この間、サラ・サンダーズが、トランプに随行で来ていたときに、あの歳で、ミニスカートを穿(は)いて、象のような足を丸出しにしていたに、私は驚いた。こういう元気な女たちの時代が来たのだ。サラ・サンダースの父親のハッカビー州知事は、次の大統領選挙に出てもおかしくないぐらいの有能な政治家だ。
紅白で、欅坂(けやきざか)46 という 若い女の子たちの集団歌謡をやっていて、これが、今の小キレイな、田舎の不良女子中高生たちの代表なのだと、分った。
演出家たちが、不良少年、少女(学校や教師たち=動物園の飼育係 = の命令を拒否する )の反抗心の、 暗ーい感じを、徹底的に意図的に作っているのが分って、大変、良かった。
これで、AKB48? の 同じくチビの女たち(何を、その容姿で女優、歌手 を気取っているんだ) が、吹き飛んだ。乃木坂なんとか、というのは、その中間でどうも旗色が悪い。 一品(いっぴん)で、歌( 歌唱力でその場を支配する力)や美貌で勝負する芸(能)人と、チビのそこらの女たちをマスゲームで並べて。
それで、日本の国民歌謡を、若い世代向けに作る、というのも、もう終わりにするべきだ。 秋元康(あきもとやすし)ら、自民党演劇団も後退、交替させるべきだ。
Xジャパンの ヨシキ という、もう長いこと、自民党、右翼、暴力団がらみの芸人(もう若くないなー)、ライジング、とかバーニングとかだろう、このヨシキ(ピアノがうまいんだ) が、「本当の安倍首相が(自分の応援に)来てくれるのか、と思った」と発言したのが光っていた。 NHKが、組織の全力を挙げて、自民党からの圧力と、忖度(そんたく)の強要に抵抗していることを、今年の紅白は、「基本コンセプトとして」、よく表していた。
平尾昌晃(ひらおまさあき)が79歳で死んでいた。 彼のことを、まるで演歌とポップスの作曲家のように扱っていたが、私は、(実は、私よりも10歳上の人たちの世界だが)、 “日劇(有楽町にあった) ロカビリー・ショー ” と “ 和製のエルビス・プレスリー” が、平尾昌晃の、大ヒットの、日本の芸能史での役割だった。 それを記憶している人たちは、まだ、老齢でたくさんいるだろうに・・・。
紅白歌合戦の話なんか、ずっとやっていたら切りが無いので、やめる。私は、風俗史や芸能史のことも書かせたら、いくらでも書けるんだぞ。
私は、「今日のぼやき」で、正編、続編で、最新で、2回載せた、「トランプが、エルサレムをイスラエル国の首都と承認」問題の 徹底解説の文のあとも、ずっと、気になって。
ユダヤ人=ユダヤ教 の歴史と、 それと強い 関係で、やはり、「骨肉の争い」としか言い様がない(人種は、全く同じ Semite セマイト、セム族だ) アラブ人=イスラム教( Islam イスラーム)の、長い、長い歴史のことを、今も調べている。
私が、気になっていた、2005年に、私が弟子たち6人 と出した、記念となる、「第1回のSNSI論文集」としての、 『金儲けの精神を ユダヤ思想に学ぶ 』( 祥伝社、2005年2月刊)を、ずっと読み直していた。
実にいい本だ。今からでも復刊、再刊したい、優れた内容だ。
この本は、 英文名は、 “ The Spirit of Jewish Capitalism “ 「ザ・スピリット・ オブ・ジューイッシュ・キャピタリズム」 そのまま、直訳すれば、 = 「ユダヤ資本主義の精神」である。 出版のときに、この版元(はんもと。出版社のこと)の会長が、「直截(ちょくせつ)、ユダヤ資本主義の精神 の方がいいのではないか」と、助言されたが、私の判断で、「いや。金儲けの精神・・・」とします、と決めた。出してからもう13年になる。
この本は、 『マックス・ヴェーバーの犯罪』(羽入辰郎 著、 ミネルヴァ書房、 2002年刊) に触発されて、私たちが纏(まと)まって書いた論文集だ。20世紀初頭まで生きた、ドイツの大(だい)学者のマックス・ヴェーバーの名前も知らないような、ほとんどの今の日本人に、なんと言って説明したらいいか、困る。
それでも、私、副島隆彦の本を、インテリの読書人として読んできた人なら、知っている。生来(せいらい。生まれついて)のインテリで無い人は、知らない。ここの区別は大事だ。ここで人間は、いくら 「私は副島隆彦の本を(楽しんで)読んでいる」と言っても、明確に差別(さべつ)される。
このドイツの大(だい)学者のマックス・ヴェーバー(歴史派経済学 と社会学) を、「ヴェーバーは、重大な学問犯罪を犯している」と、証拠の文献資料をたくさん上げながら、激しく糾弾した、自分自身も日本のマックス・ヴェーバー研究学者で有りながら、こういう 恐るべき本を書いた、羽入辰郎(はにゅう たつろう)という 学者は、 大変な人なのだ。今も青森の田舎大学で、教授をしていると思う。私とほとんど同年の学者だ。
この『マックス・ヴェーバーの犯罪』(2003年に、PHPの山本七平賞を貰ったので、騒ぎになった)という、稀代の名著を、その後の、日本の学問、知識社会は、煙たがり、無視して、葬り去った。
私は、今からでも、青森まで、ここに書いた弟子たちを誘って、羽入氏に、尊敬の気持ちと大きな真実を追究する日本知識人としての共感、連帯の気持ちを込めて、会いに行きたい。羽入氏の奥さんも、彼の同志として重要なのだ。 私は、あの頃、羽入氏とメールのやり取りをしたのだが、その後の、自分の人生の忙しさで、互いに忘れてしまった。
私は、弟子たちとの、この 『 金儲けの精神を ユダヤ思想(Judaism 、ジュダイズム、=ユダヤ教とも訳せる))に学ぶ 』の中身を、今からでも、学問道場の会員に、読んで貰いたい。でも、 この本も読め、あの本も読め、ばっかりでは、みんなが大変だ。このことも分る。
私たちは、みんな、自分の人生(=生活)に追われていて、そんな、本なんか悠長に読んでいる暇は無いよ、ということだ。私は、このことを、腹の底から分っている人間だ。だから、皆さんに、無理強(むりじ)いはしない。だから、そのうち、この本の中身を、少しずつ、会員に読めるように、ネット上の文として載せます。
私は、ユダヤ教の成立の歴史を調べていて、「今から3200年前に、エジプト人であるモーセたちが、強烈な自立心を起こして、ユダヤ教、ユダヤの神を発明、創作した」のだ。
私が、ここの「今日のぼやき」の 「2009番」と、「2011番」に書いたことの、続きとして、
(すでに、「旧約聖書」の中味、全体像を説明する。これで「旧約聖書」という本に大きくは、一体、何が書いてあるのか、が、副島隆彦の解説で分る、私は、だいたい書き上げている。それに比して「 聖書の後半」である、「新約聖書」というのは、「イエス・キスという、神がかった、強烈な人類救済を唱えた、アホな男の、36歳の生涯の物語」である。この理解で十分だ )
、紀元後の(=西暦) 220年からの、ユダヤ人僧侶 rabbi ラビ たちによる、口伝(くでん)トーラー( Torah 、モーセ5書)である ミシュナー( これが、後に、タルムード 解釈書 、ユダヤ人たちの生活規範 になる)
からあとの。
あーあ、むずかしいかなー。 私のこの書き方は。
西暦830年に、バグダッド(アッバース朝イスラム帝国の首都)に出来た「知恵の館」(バイト・アルヒクマ)での、ギリシア思想=アリストテレスの思想=を、アラビア語に移し替える仕事。そして、それが、のちにどんどん、スペイン(当時は、アンダルスと呼ばれた)の “翻訳王国” コルドバ(後ウマイヤ朝)で、ヘブライ語、ラテン語に、11世紀(1200年代)に翻訳し、ドカーンと、ヨーロッパ(西洋)の知識人階級に大きく、広まっていった。
この辺(あた)りのことを、私、副島隆彦は、ずっと、調べているのです。
そして、ついに、私は、大きな大発見をした。大きく、大きく、ユダヤ思想、ユダヤ民族とは何か、が、分った。解明された。 きっと私は、このことを一冊の本にするだろう。
バグダッドの「知恵の館」 サーディア・ベン・ヨゼフ“ ガオンの中のガオン” (バビロニア・タルムードの学院長)が、926年に、スペインのコルドバに行き、大変な学問伝授を、それ以降の西洋白人にもたらした。
それから、アヴィセンナから、アヴェロエスへ、そして、マイモニデスへ。 十字軍戦争の時だ。 これらのことを、今から、私、副島隆彦が、日本人に、大きな大きな全体像で、ガッツーンと、徹底的に分かり易(やす)く、説明するでしょう。
でも、「パレスチナ(=イスラエル)と、パキスタンの区別もつかない」、あなた(貴女)に、分るかなー? 「イラク(バグダッド、バビロン)とイランはちがうんだー」と分ったあなた(貴女)に、重要なヒントをあげます。 大平原であるイラク(今は、ほとんど砂漠)に 「ドドドの 馬の大群で」、ドドドと、西の方へ、大草原から、歴史上、何十度も、攻め下ってきたのが、イラン(=ペルシャ族)。 この「ドドド 」と 、それから、「ドカーン」の「大爆発」の 歴史観(大きな れしき の 見方)で、どうですか。
ユダヤ人は、ユダヤ教という強烈な思想(だからジュダイズム、 Judaism )で、大離散(だいりさん。世界中に散らばった)以後は、大国=強国=帝国の 首都で、強い国王や、皇帝に、べったり、くっついて、金儲けと、利殖、と税金取り立て(だから、ひどく嫌われた)で、有能な高官と成り、 財政家=財務大臣とか、宮廷銀行家、となって、強国の王や、皇帝たちにとってどうしても居て貰わないと困る存在になったのだ。
これが、中世からの西洋の各(かく)王国でも、宮廷ユダヤ人( court Jews コート・ジュー、金融家、両替商)となっていった。だから、ユダヤ人=ユダヤ教=ユダヤ思想は、 国家の寄生虫(きせいちゅう。パラサイト)となって、無くてはならないものとして、ずっと。ずっと存在した。
この冷酷さが、本当に、ユダヤ人=ユダヤ教(思想)を分る、ということだ。 他の大(だい)宗教が、キリスト教も、仏教も、イスラム教も、ほとんどは貧乏人の大衆である、民衆=人類を救済(きゅうさい。サルベーション)することを目標にして(でも、出来はしない)、ドカーンと、世界中に広まった (でも、出来はしない)。
それなのに、それに較(くら)べて、ユダヤ教は、冷酷な、非情な 国家経営、国家管理の思想として、「無くてはならないもの」として、人類史の中に、べったりと、しつこくしがみついて、強国(帝国)にとって無くてはならない、寄生虫(パラサイト)として、強烈に存在し続けた。そして、今に至っている。
ユダヤ人の財務大臣(財政家) 「王さま、王さま。どうぞ、戦争をしてください。憎い敵を打ち負かしてください。そのための、資金は、私が都合をつけましょう」 国王 「 おお、何という、忠義者よ。お前こそは、私が、最も頼りにする者ぞ。他の奴らは、当てに出来ない」 宮廷ユダヤ人「王さま。そのかわりに、私めに、新しい税金を取り立てる権限をください。それだけで、十分でございます」と。
これが、真実の人類(人間)の歴史だよ。大きな、大きな人類史の真実だ。
人類(人間)は、企業、組織、団体、そして国家の経営 で、どうしても、残酷に、冷酷に非情にならないと、やってゆけない。「病弱な貧乏人どもは、福祉と医療で、カネをくれ、カネをくれ、でうるさい」「その代わり、ちょっと元気な貧乏人ども=労働者=大企業サラリーマンどもからは、税金を、搾(しぼ)り取ってやる」となる。
私が最近、知ったことだが、さる大企業の幹部社員(50歳前)の、冬のボーナス
が、250万円 出たそうだ。そしたら、税金の天引き( 源泉徴収=げんせんちょうしゅう=)が 100万円で、手取りは、150万円ぐらいだった、そうだ。給料からだけでなく、ボーナスからも、4割も税金で、持って行く。それは、あんまりだろう。
さすがに、会社の為に死ぬほど働くことで、自分の人生を燃焼させている、この大企業エリートサラリーマンでも、体の深いところからの怒りが、フツフツと沸き起こっただろう。
副島隆彦に依(よ)れば、だから、重税サラリーマンが、全国から、財務省=国税庁の前に結集して、抗議して、暴れ出して、石を投げればいいのだ。 サラリーマンたちが、「これじゃ、あんまりだろ」と、激しく抗議すれば、権力、体制側も、ビビって、うしろに退くのだ。こういうことが、今の日本人は、分らない。 江戸時代の、全国各地での、一揆(いっき)の伝統を忘れてしまっている。
一昨日に、あのイランのテヘラン他で、若者たちが、石を投げ始めたように。
・・・でも、日本では、まだ、「まだ、な」 無理だ。 そのうち、な、みんな。やろうぜ。
国民は、重税国家の現状に対しても、国(くに)もいろいろと、福祉とかカネがかかるからー と、バカの一つ覚えで、「大人になって」 、「仕方が無いなー。どうしようも無いよー。俺たちは、バカだからー 経営は出来ないし。お上(かみ)には逆らえないよー」で。これで、またしても、弱者(じゃくしゃ)ほど、国家、役所、福祉に頼って、集(たか)って、「カネくれー、福祉くれー」と、メーメー羊のように「エサくれ、エサくれ」で騒ぐのだ。
宮廷ユダヤ人たち こそは、今の、財務官僚=国税庁=税務署 (その一番下の、下級の税務署員たちの中に、本当に、かつてのエタ(穢多)非人階級の人間たちを、国税庁は、本当に、たくさん採用している。これが、「御用だ、御用だ」の、岡っ引きどもだ。私は、自分が、国税庁と闘ったときに、私が、対決した、下級の税務署員たちが、本当に、エタ非人(=部民という)の出の者たちだと、証拠付きで知った。
銭形平次(ぜにがたへいじ)も、半七捕物帳(はんしちとりものちょう)も、彼ら、岡っ引きは、
非人階級の人間たちで、 当時の、江戸庶民から、ひどく、嫌われ憎まれて、そして恐れられたのだ。
なぜなら、 町人(=商人)たちは、岡っ引き(同心という、下層の足軽階級の武士 のさらに、その配下))たちから、「20両よこしな」 と、脅され、強請(ゆす)られ、カネをせびられたかからだ。
銭形平次たちが、正義の味方の 訳はないのだ。 犯罪取り締まりとやっている者たちの方が、真の悪党で、犯罪者たちなのだ。 この、歴史の真実を知ることが、真に、お頭のいい人間の道だ。
なぜなら、私は、税務署長(わざと、今も、全国でほとんどが高卒)と税務署員たちたちの家まで、「話がしたい」と出かけたからだ。向こうから見たら、暴力団が攻めてきた、と思ったようだ。このとき、国税庁全体が、震え上がった。本当だ。自分たちは、金持ち(資産家)、経営者の自宅まで押しかけて、「社長。いい家具ですね。高かったでしょう 」とやるくせに。 自分たちの家に来られると、金玉が縮(ちち)み上がるのだ。
こういう真実も、そのうち、私は、もっともっと書く。書いて、すべてを明らかにする。 これが、副島隆彦だ。 権力者ども、私の死ぬまでの、激しい戦い方を、甘く見るな。ここの会員たちも、私、副島隆彦の生き方を甘く見ないように。
それで、です。
私は、「今日のぼやき」の 「2009番」で、「 今のパレスチナ人=ペリシテ人(旧約聖書)=パリサイ人(新訳聖書)、ファラシー だ」。3200年前から、ずっとここ=パレスチナに居たのだ 今も居る。
だから、今もユダヤ人と、同居、共存、混住している、と 暴き立てた、 イスラエル国の国立大学である、テルアビブ大学の現職の歴史学の教授 シュロモー・サンド 教授の 衝撃的な新聞記事 を、 私は、探し出そうとして調べた。そうしたら、この人はこのことを書いた本を出していた。2008年刊のようだ。 日本語訳も、2010年に出ていた。
(アマゾンから、 転載貼り付け始め)
「 ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」
シュロモー ・ サンド 著 出版社: 武田ランダムハウスジャパン (2010/3/26)
( 副島隆彦割り込み、注記。この本は、最近、筑摩書房 から文庫で出ている。
(副島隆彦注記。 どうして、この本「ユダヤ人の起源」 の 副題を 「歴史はどのように創作されたのか」とするのか。 ここが、日本の出版社の、編集者たちが、アタマが悪い、か、臆病者の事なかれ主義者であるか、だ。
この本の英語の原題(げんだい)は、 はっきりと、「ユダヤ人(ユダヤ民族)は、インヴェンション invention 発明、創作、作りだし された」と書いてある。
どうして、それを、「歴史はどのように創作されたのか」とするのか。「ユダヤ民族が自分たち歴史をあれこれ、創作した」ということではない。そうではなくて、 ユダヤ人(ユダヤ民族)そのものを、彼ら自身が、全くないところから、発明(インヴェンション)、創作した」ということなのだ。
“ The Invention of the Jewish People “ (英語) ペーパーバック ? 2010/6/14 発売
Shlomo Sand (著),? Yael Lotan (翻訳)
The Most Controversial and Interesting Part Gets The Least Page-Time.
投稿者Matthew W. Quinn2017年12月31日 – (Amazon.com)
I bought it because I was interested in the most controversial parts of his thesis–that modern Jews are largely descended from converts and the Jews of the Bible remained in the Middle East and eventually became the modern Palestinians–but the majority of the book is focused on the transformation of the Jewish people from a primarily religious group to an ethnic one.
The most interesting parts were the couple of chapters dedicated to Jewish proselytism and whether or not there was a mass expulsion of Jews from Judea. The parts of the book about Jewish ethno-nationalism in the 19th Century were far less interesting.
副島隆彦注記。こういう本である。 以下に載せるのは、この本へのアマゾンの書評の数本である。これらを読むと、シュローム・サンド Shlomo Sand 教授 の考えがよく分る。
もう、これ以上長く、私が、書くと、アタマ(頭、おつむ =思考力) が生来、弱い人は、ついて来れなくなって、放り出すから、あと少し我慢して、以下の優れた書き手たち(本読みさん)の 書評を読みなさい。
副島隆彦記
(転載貼り付け始め)
○「 シオニズムとは何かを理解できる書でした 」
投稿者 河童の川流れ ベスト500レビュアー 2012年6月6日 形式: 単行本
著者のシュロモー・サンド氏が、イスラエル人で、テルアビブ大学のイスラエルの歴史学者だから驚いた。 本書は内容が難しく、歴史や宗教の知識の乏しい私には、読み進むのに苦労した。が、このような本を出版する氏の勇気に敬意を表し、労作であり良書であると高く評価する。
第一次世界大戦が終結し、パレスチナはイギリス軍が占領した。19世紀終りから世界中に離散したユダヤ人たち(シオニスト)のパレスチナでの土地購入によりユダヤ人の入植が始まり、シオニズムの台頭をイギリスも容認したことから現代までの紛争が続くことになった。
著者は、モーセの『出エジプト記』から始まり、イスラエル建国までの膨大な資料(学者の論文や古代遺跡などから証明されたことなど)を引用しながら、シオニストたちが標榜している歴史や民族の純血性などにたいして多くの科学的な証拠を提示しながら反証をしている。
第二次世界大戦前から始まったヒットラーによるナチスのユダヤ人の迫害が吹き荒れるようになり、パレスチナへのユダヤ人入植者が急増した。
戦後、ホロコーストの悲劇などから世界の同情がユダヤ人に追い風となり、ますますパレスナへのユダヤ人の入植が加速され、1948年には独立してイスラエルが建国が強行された。1949年には国際連盟に加盟して承認され、ますますイスラエルでシオニストたちのアラブ人への迫害が加速したことから、アラブ人の反シオニスト運動は激しくなり現代まで紛争が続いている。
シオニストたちの哲学が形而上に於いても形而下に於いても正当なものとして世界が認めるならば、アメリカの先住民族であった人たちが、たった400年ほど前に失ったアメリカを返してほしいという論理も成り立つのではないかと夢想した。
2000年という気の遠くなるような年月を経ているというのに、パレスナの地がユダヤ民族の故郷なのだと、神話(聖典)を唯一の論拠として、他民族の住みついた地を侵食するという不条理は、私の理解の範疇を超えていると思いながら読み進んだ。
○「 創られたユダヤ人 」
投稿者 MIYO 2014年11月25日 形式: 単行本
ユダヤ人とはディアスポラの後、欧州や中東各地を彷徨いイスラエルの建国をもって帰還したというのが定説ですが、本書はそれをひっくり返す本です。
実は現在のユダヤ人とは古代イスラエルの地にいたユダヤ人とは血縁的にはなんのつながりもなくハザール人などの民族がユダヤ教に改宗しそれをもってユダヤ人となったというのが本書の主張。
そして、イスラエルという国を創立するためにこれらのかぎかっこつきの「ユダヤ人」たちを真のユダヤ人となすためにさまざまな神話がつくられていくことになった(例えば彷徨えるユダヤ人というイメージも創作で、実際は定住していたことなど)。
シオニズムを根底から揺るがしかねない主張で、よくこんな本がイスラエルで出版できたなと正直、感心した。
○ 「 真実のユダヤ人、真実のユダヤ民族とは 」
投稿者 閑居人 殿堂入りベスト1000レビュアー 2011年12月18日
形式: 単行本|Amazonで購入
この書物は、「シオニズムとイスラエル国家成立」、「アメリカに於けるイスラエル・ロビー」の活動など、現代の中東情勢と古代からのユダヤ史の論点が理解されていないと、読者には分かりにくいものであるかも知れない。
例えば、「1世紀のユダヤの反乱の後、ローマ帝国による『ディアスポラ』(ユダヤ人追放と民族離散)は、本当に史実か」 「北アフリカからヨーロッパでのユダヤ教布教と進出の実態。実在したポエニ人のユダヤ国家はなぜタブー視されるか」
「『バビロン補囚』 後もバビロニアを拠点に存在し続けたユダヤ人居住区が、7世紀のイスラムの発展とともにどのように拡大していったか 」
「アラブからコーカサスに至るユダヤ教の布教はいかにおこなわれたか」「ビザンチン帝国の盛衰と関わったユダヤ教に改宗した遊牧民族国家『ハザール』の民は、アウシュビッツの犠牲者の大半を占めた東欧ユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)の祖先か」 「東欧ユダヤ人のイディッシュ語の成立過程」・・・
少なくともこうした問題意識を持ってユダヤ問題に関心を持ってこなかった読者には、著者の主張のどこがセンセーショナルなのか分かりにくい。著者は、アーサー・ケストラーが「ユダヤ人とはだれか」で展開した「タブー化された、東欧ユダヤ人のハザール民族起源説」の妥当性を認め、同時に「ディアスポラ」はユダヤ教の宗教的伝説から発生したもので、史実ではない、という立場に立つ。
こうした歴史認識は、「定説」もしくは「多数派説」であるシーセル・ロスの「ユダヤ人の歴史」や山本七平が理解していたユダヤ史と大きく異なるものである。だが、巷間ささやかれていた「東欧ユダヤ人ハザール起源説」が、見ようによって中央及び東欧ヨーロッパ世界におけるユダヤ人の人口数や自然な成り立ちを説明するように見えるのも事実なのだ。
英仏等西欧にいた100万人に対して、ドイツ以東には900万人近いユダヤ人が住んでいた。
ただ、この認識は同時に「シオニズム」や「イスラエル」の近隣諸民族との抗争の妥当性を懐疑的なものにしてしまう。現在、「イスラエル」という国家とそれを支える「イスラエル・ロビー」は、東欧系ユダヤ人で90%占められている。「ハザール起源説」に立つならば、本来「ディアスポラの民」でない中世にユダヤ教に改宗したボルガ川河畔の遊牧民の子孫が、なぜ、かくもパレスティナに拘り続けなければならないの か、という別な問題を提起してしまうのだ。
これまで「アシュケナージ系ユダヤ人」はドイツ経由で東欧スラブ世界でシュテートル飛ばれる町( 「屋根の上のバイオリン弾き」に見られるようなユダヤ村落) や都市に、ゲットーを作って住み着いたとされてきた。
中世に於ける「十字軍」がきっかけになり、ポーランド王国がユダヤ人厚遇政策をとったため、大量のユダヤ人が移住したと言われてきた。これが「定説」である。
しかし、著者は、それを否定する。「歴史学上の事実としてそのように大量のユダヤ人がライン川を越えて移住した証拠は存在しない」と 。むしろ、ライン川のさらに東側のドン、ボルガ流域から 西の方に流浪してきてきた数百万人の、ユダヤ教に改宗した遊牧民の子孫が、スラブ系の諸民族の間で独自のユダヤ世界を営み、常に地域の支配民族の側について金融業を営んだことが微妙な民族的対立関係を生んでいったと言う。
また、彼らが用いた「イディッシュ語」は、80%の語彙をドイツ語から借りているようにドイツ文化と関係が深いラビ(ユダヤ教僧侶)によって作られている。だが、生活の基幹語はスラブ系であり、その出自を示唆するように「祈る」という言葉はトルコ語起源である。そのように著者は主張する。著者は、「ユダヤ人」「ユダヤ民族」の定義について、再検討を迫る。この書物は国際政治の実際に影響を与えかねない、その意味では極めて論争的な書物である。
○ 「ユダヤ人の歴史」が「創られる」過程を丹念に追った傑作
投稿者 カロン VINEメンバー 2010年9月7日 形式: 単行本
本書は、「ユダヤ人」「ユダヤ民族」にまつわる「真実」とされている事柄について、根本的な疑問を提起した本だ。
曰く、ダビデ王やソロモン王に関する聖書の記述は、真実なのか。彼らは、「実在」したか。曰く、ユダヤ人がかつての住処であった「イスラエルの地」を追われ、2000年もの間世界中を放浪したという「神話」はどこまで本当か。
曰く、どうして、今のイスラエル歴史学は、イエメン、カスピ海沿岸に、かつてユダヤ教を国教とする王国が存在していた事実を無視したがるのか。
そして、民族としての「ユダヤ人」「ユダヤ民族」なるものは、本当に存在するのか。著者は、最後の質問に対し、「NO」と答える。そして、「ユダヤ人」は、近代に入ってから作られた「神話」であると喝破する。
本書は、約460ページと分量が多く、訳文も直訳調ですし、世界史の基礎知識があることを前提にしているため、決して読みやすくない。にもかかわらず、「ユダヤ人の歴史」という「真実」が創られていった過程を巡る本書の記述は、最後まで読まずにいられないと思わせる迫力に満ちています。最近読んだ歴史の本の中では、一番の傑作だ。
○「 私には難しかった。」
投稿者100名山VINEメンバー 2010年7月17日 形式: 単行本|Amazonで購入
466頁に2ヶ月が過ぎてしまいました。冒頭の50頁は著者の自伝であり、さっと読めた。
これは通勤電車1週間だと思ったら、「ネイションをつくりあげる」で知らない人物名のオンパレードで閉口。「神話=史」では思わず銀座の聖書図書館に出かけ、「追放の発明」では世界史年表・地図を脇に置かなくてはならない。「沈黙の地 失われた時を求めて」では、自分の地中海周辺諸国の歴史の無知に嘆き、「区別」でイスラエルの現行法を自分が全く知らないことに気が付きました。
聖書を通読し、北アフリカから東欧の歴史を知る人には読みやすいのでしょうか。ただ、章により訳者が変わるようでリズムが整えにくかった。また、誰が誰に向かって考えを述べているのかが時々分からなくなり、混乱した。
メジャーな映画や書籍や最近では演劇でさえ、ユダヤ民族の悲劇を声高に謳うが、「ユダヤ」て、なーにと思い始め、幾つかの本を読み、本書をドンピシャと思い購入しました。
友人は私より先に読み始めていましたが、今も悪戦苦闘しています。初版から2ヶ月で2刷発行される書籍に、書評が私で二人目というのは、読みにくさに原因があるのではないか。本書の内容は人類全てに通じる普遍的命題とも言えるでしょう。
だが、結局のところ誰がユダヤと名指し、何故ユダヤを自認するのでしょうか。シンジケートと言う言葉を当てはめたくなります。読みづらかったけれど放棄できない内容でした。
○「 著者、出版社の勇気に敬意 」
投稿者31456 2010年5月16日 形式: 単行本
どの国家も民族も、近代に形成された神話だが、それぞれ神話の作り方、作られ方はちがう。ユダヤ民族やイスラエルも近代の神話だという事実を、イスラエル在住のユダヤ人がヘブライ語によって書いたこと。そして、イスラエルで出版され、反論も多かったものの、ベストセラーになったこと。そのことの意味が大きい。
聖書の時代から中世、近代において、ヨーロッパやその他地域との関係の中で、ユダヤ教をどう考えそれがどう変化してきたのか。そして、近代のユダヤ人が近代の産物である国家や民族をどのように考えたのか。また、シオニズムがどのように変質し、成長し、「真実」を作り上げていったのか。
歴史がこの本の内容だが、その歴史の後にある現在に対して、著者は結論や主張、提案を提出せず、ただ、問いかけをして締めくくっている。
現在イスラエルが行っているアパルトヘイト政策が正しいとは、たぶん多くのイスラエル人でさえ、思っていない。だけれども、元難民の子孫にとってはイスラエルだけが祖国である。
著者は、そのような解決が困難な政治的問題のなかで、イスラエルはこれからどこへ行くのだろうか? という問いかけをしている。それはイスラエルに正気に戻れといっているようだ。この本が出版されたことが、パレスチナ地域の将来に向けて重要な一歩になることを願う。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
【1890】[2250]俗ニーチエについて 付記 続き
2211『膣ケア本2冊についての警告 2』で「セツクスの本質とは、他人同士が仲良くなる為にあるもの、コミユニケ―シヨンの方法の一つ、或いは単純に、子供をつくる為にするもの」と言ったが「子供をつくる為にするもの」の後に「男女の場合」と付け加える。膣ケア本2冊のうちの一つ『ちつのトリセツ』の中で、作者が、看護師兼助産師さんに、女性のトルソーの膣の中に、指を入れてみなさいと指示されて戸惑い、実際に指を入れてみて、衝撃を受ける場面がある。で、私は断言する「やっぱり女には、肉体関係を伴う同性愛の経験が、本当は必要だ」と(膣ケア本の作者には、ここ迄の認識は、到底無理だろう。が、私は、中途半端な理解では済まさない)。はっきり言うが「女は男とセツクスする事によって一人前になる(処女でなくなる)」なんてのは大嘘だ(笑)。
副島先生が、ニーチエとワグナ―の関係について「同性愛だ」と断言されている事について、私は2161『俗ニーチエについて』で「人類の歴史に、同性愛は不可欠なものだ。副島先生が人類最高の芸術家と呼ぶミケランジェロだってホモだった(ついでにここで付け加えるが、ダ・ビンチだってホモですね。だからミケランジェロもダ・ビンチも、女と結婚していない)。この事について副島先生は、どう思っているんだろう?自分がホモじゃないから興味ないのか?と思っていた」と言ったが、本当は、ニーチエ本以前に、副島先生の映画評論本の『アレキサンダー』という米国映画についての記述の中に『古代世界では、ホモセクシユアリテイ(同性愛)はごく自然なものだったようだ。それをキリスト教時代以降の善悪観で描いて大いに驚いてみせるのは、現代アメリカ的だ。』とあるのを見つけてはいた。ホモに限らず、女の同性愛も、歴史上、当たり前に存在している、というのが本当だが、ホモが衝撃的なものとして語られる事が多いのに比べ、女の同性愛には、人は、何故かあまり衝撃を受けない。これは「人間の原型は女であるという事実」を、皆、漠然と感じているからじゃないか(男イコ―ル女の変種どうしの結び付きはグロテスクだが、女イコ―ル原型どうしが結びついても当たり前)と、私は何となく思う。大方の男は、女について「男に愛されたがっているもの、愛されなきゃ嫉妬するもの」程度の、オメデタイ、間違った認識しか持ってないからな―、である。
で、2161『俗ニーチエについて』で私が「私が愛した或る女性」と書いた部分を、副島先生は『私が愛した同性愛者の或る女性」と書き換えておられたが、「私が愛した或る女性」は、『同性愛者』ではない。私以前に、同性とどうのこうのという経験は全然無い、そういう意味では、ありきたりの『異性愛者』だった人である。それが、私という『同性愛者』に惚れ込まれて引きずられた、である。世間には、こういう『同性愛関係』が、あるんですよ。
【1889】[2249]今こそ姥捨山の復活を 10
藤森かよこ先生の『施設が老人を寝たきりにさせているのは、その方が管理しやすいから』発言に関する話を、続けて、例として、取り上げさせて頂く。
『施設が老人を云々』の伏線として「隣の奥さんは、元体育の先生である。週に1回老人施設に行き、体操の指導をなさっている。ところが入居者が、どんどん元気がなくなっていく(略)何とかならないものだろうかと思うのですがと、隣の奥さんは悩ましげに語る」という話を、藤森先生はお書きになっている。はっきり言うが、この「隣の奥さん」のような、たまに老人施設に来て、短時間、ラクな仕事をしている人種というのが、一番タチが悪い。この程度で「私は介護の現場を知っている」と思い上がって「何とかならないものだろうかと思うのですが」などとカツコつけた、偽善的な事を言う。なぁにが「悩ましげ」だ、ふざけるな(私は本当に、怒りのあまり、こう書いていて息が上がってくる)。この『週1回老人施設に行き、体操の指導をなさっている元体育の先生』が、その老人施設に介護士として就職して、毎日8時間、夜勤で16時間、老人介護の現場で働けば「何とかならない」理由が、いやというほど分かります。シモーヌ・グエーユ(ウに、点々のカタカナが出ないので失礼)という学者は、労働者を本当に理解したいと、現実に工場労働や、農作業をした人だそうだが(それだって、所詮インテリが、上から降りて来てやった事だろうが)シモーヌさんを見習って、どうぞ是非、介護の仕事を、毎日8時間、夜勤で16時間、して下さい。でなきゃどうせ、こういう人は、理解出来ないんだから。以前働いていた特養(特別養護老人ホームの略)に、民生委員というのが来ているのを見たことがある。それが施設の老人と話しているのを見て「あんな人がたまに来て、ボケ老人と話して、何が分かるのかしらね」と、介護士仲間でせせら笑った。そして、こういう「たまに来て、ラクな仕事して帰って、それだけで、現場を知っている」とカン違いしている方々なんですね「介護士が老人を虐待している」とカン違いしている方々も。
【1888】[2247]「エルサレムを首都と認める問題」の 続編(後編)を読みに行ってください。
副島隆彦です。 今日は、2017年12月27日です。
私は、今日のぼやきに「トランプの 、エルサレムをイスラエル国の首都と認める問題」の 続編(後編) を 今日のぼやきに、今朝、載せたので読んでください。 ものすごく 勉強になりますよ。
この、碩学(せきがく)副島隆彦が、渾身の作として、書いているのだから、読む方も威儀(いぎ)を正して読みなさい。
あまりに歴史年表の、歴史の話( この3200年間の 中東、アラビア世界の話)
で、いっぱい歴史の年号(と言うと、元号のようだが、ここでは違う)が、出てきて、自分の脳(頭)では、とてもついて行けない、脳(思考力)が堪(た)えられない、という人も、我慢して、読みなさい。自分の脳を、強くしなさい。
歴史のことに詳しくて、世界史のこともよく知っている人で、私、副島隆彦の記述で、明らかな間違いや、誤文、誤記がある、と気づいた人は、どんどん、私に連絡してきて(メールを)ください。
私、副島隆彦の世界史への 洞察力の 恐ろしいまでの、切れ味が、分った人は、私から徹底的に、学びなさい。大きく、この世界の真実を知りなさい。
私は、もう、この頃は、「私から、しっかり学びなさい」と平気で、言えるようになった。相手が、どんな人であっても、私は、「私、副島隆彦から学びなさい」と言えるようになった。 そして、「私、副島隆彦に、何か教えることがある人は、私が、優れた内容だ、思想だと、認めたら、私の先生です、と認定する」と言う。
副島隆彦の世界(史)理解は、そろそろ冴(さ)え渡って来た、と自分でも思う。ただ、日本土人の知識層では、ちょっと付いて来れるのかな、と心配だ。
だが、もう、そういう心配もしていられない。私が、先頭を切って、どんどん先に進まないと、この低脳国家=被(ひ)洗脳国家では、朦朧(もうろう)と闇(やみ)がちっとも晴れない。私がこの暗闇を払う。
それでは、「今日のぼやき」を読み行って下さい。丁寧に、ゆっくりと読みなさいよ。
今日は、ついでに、以下に「人類の月面着陸は有ったのか」問題に、関連する記事を載せる。 トランプ大統領が、「人類を再び月へ」だそうだ。
馬鹿言うな。月になんか、あと100年かけれも人類(人間)は行けないよ。と、
私、副島隆彦が、言ったら、あなたは、仰反(のけぞ)るか、か、それとも、
はー? 何のことですか、と 白(しら)けまくるか。どっちだ。
トランプは、現職のアメリカ大統領だから、「大統領、実は、アメリカ軍(NASAは全部、軍人だ)月には行っていません。1969年の飛行士の月面着陸は、虚偽(ウソ)です 」と、就任直後に、報告を受けている。それでも、『アメリカの国家の決断として、ウソをつき続けることになっています。どうか、この国家としての態度の継続をお願いします」と、 担当の官僚に言われたのだ。
トランプは、「分った、分った。オレもそれでいいよ」と決断して、それで、以下の記事のようになる。 馬鹿じゃなかろか、のみっともない奴らの姿だ。トランプを含めて、大嘘つきどもめが。
トランプは、何でも、自分のトゥィッター real Trump Twitter に書いて、アメリカ国民(だけでなくて、世界中に)知らせる人なのに、この「NASAの
人類を月への再開、火星へ、土星へ」のことをトウィイターしていない。
今は、トランプのトウイッターは、毎日、世界中で、4千4百万人にが、フォローしている。ということは、その3倍の人が、見て読んでいるから、1億2千万人だ。 これでは、もう、NYT(ニューヨークタイムズ紙) や、Wapo (アハハ。ワ・ポだって。ワシントンポスト紙のこと)や、CNN などの、fake news たちは、本当に、会社が、潰れてしまうよ。 よかったなー。ヒラリー派の、ゴロツキ・リベラルの、Moonie ムーニー =統一教会 の 馬鹿野郎どもめ。
トランプ Twitter のURL
https://twitter.com/realDonaldTrump
それと、一緒に、日本人で、上手な訳で、トランプのトウィッター文を翻訳している「三島堂」という、立派な人のサイトも、URL。 この人の努力は、すばらしい。
https://twitter.com/Mishimadou
副島隆彦記
(転載貼り付け始め)
「 米大統領「人類を再び月へ」 月面基地など新計画 」
2017/12/12 日経新聞
【ワシントン=川合智之】トランプ米大統領は11日、人類を再び月へ送ると明記した新たな宇宙計画を発表した。ホワイトハウスで開いた署名式で「米国人宇宙飛行士を再び月へ送る重要な一歩だ」と述べ、「最終的に火星やその先の世界へ向かう基盤をつくる」と宣言した。ただ発表では具体的な予算措置などには触れておらず、実現には不透明感も残る。
宇宙計画に署名したトランプ大統領(11日、ワシントン)=AP
月の周回軌道への宇宙基地建設を目指していた現行計画を修正するもので、月への着陸が実現すれば1972年以来となる。米国が初めて月に宇宙飛行士を送ったのは69年のアポロ11号が初めてで、72年の6回目の月面着陸を最後に有人宇宙探査は途絶えている。最後に月に着陸したハリソン・シュミット宇宙飛行士も署名式に同席し、トランプ氏は「彼を最後にはしない」と強調した。
米国の有人宇宙計画はアポロ計画以降、スペースシャトルや国際宇宙ステーション(ISS)に重点を移した。米航空宇宙局(NASA)の現行計画では2020年代にまず月の周回軌道上に基地をつくり、30年代に火星に飛行する際の中継地にする考えだった。現行計画には日本やロシアも協力を表明していた。
ただ、今回のトランプ氏の発表では具体的な工程や予算措置には触れられていない。04年にブッシュ(子)政権が月への再着陸を目指す計画を発表したが、資金不足で打ち切られた経緯がある。月着陸に必要な巨額費用を負担できるかどうかが課題となる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。それでだ。もう一度、元気よく、行ってこいよ。49年ぶりで(大笑い)、だ。
スペースシャトル計画も、スペースシャトルが発車後に爆発したりして、大変だった、で、アポロ計画の終了(1972年)どころか、スペースシャトル計画も消えてなくなった。今は、ロシアのソユーズ( アメリカは、さんざん、ソユーズをボロ・ロケットとあざけった)が、日本人の飛行士まで乗せて、あの、ドラム缶を繋(つな)いだ 国際宇宙ステーション(地表からの高度400キロ。これ以上は、人類は、行けないのだ) に、到着している。
すると、中から、必ず、長期滞在の ロシア人の ぼーっとした、しかし極めてタフな、飛行士がふたり、出てきて、やーやー、そうこそ、と 挨拶をしている。 これが世界の現状だぞ。
アメリカは、有人飛行船で、地球の軌道上を周回させるだけの技術も、資金も失って、・・・・何が、火星へ、土星へ、だよ。まったく。笑い話にもならない。
月までは、36万キロあるんだぞ。どうやって、行って、どうやって、着陸して、どうやって、月面から再発射して、どうやって無事、帰ってくれると思ってるのか。バカも休み休み、言えよ。
この 「宇宙への夢」(こんなコトバは、今の少年たちから消えたよ。こいつらは、真実に気づいている)で、「科学少年」(古臭いコトバだな)になった、日本のJAXA=昔はNASDA(奈須田さん、茄子だ、か? NASAの中に、Sを入れて、作ったので、みっともなくて、それで、JAXAに変名、解明した。
私は、このJAXA(ジャクサ)の中に居る、「アポロ計画を疑う人間たちを打ち消す係のバカ学者がいる。私、副島隆彦をウォッチしている。それから、バカ科学官僚を、とっちめに、出かけていった。いい思い出だ。
こういうことも、私、副島隆彦は、2004年に出版した、 「人類の月面着陸は無かったろう」(徳間書店刊)に、全部、あれこれ、全部、書いた。
この本を読めば、真実はすべて分る。
今は、以下の アマゾンの 電子書籍で、買えます。買って、ダウンロードして読んでください。
https://goo.gl/fC6E6k
私のこの本を読んで、心底、ゾッとしたい人は、するがいい。「そんな危ない本には、私は、近寄りません」という人は、それはそれでいい。だが、「おい、副島、お前のアタマは、おかしいぜ。みんなで笑おうぜ」と、私を嘲笑した者たちは、そのうち、自分の脳に、ヒビが入って、大きな真実が露見する日に、死ぬほど、苦しむから、待っていなさい。
私、副島隆彦は、ここの勝負でも勝つ。 必ず、勝つ。 読んでいない人は、この本を読みなさい。そして、私に何か、書いてきなさい。私の「人類の月面宅陸は無かったろう」本が出て、大騒ぎになって、あれからもう、13年がたった。いろいろなことが、私のまわりでは起きた。全部、私は、記録として書き留めている。
以下の 日経新聞の科学記者の文で、アメリカは、中国が、月探査を、本格的にやることで、焦っている。 中国が、月面の真実、 を もうすぐ、あと数年で満天下に(すなわち、世界に)暴き立てるだろう。ロシアや、ヨーロッパとは、秘密条約で、「アメリカの、月面着陸ナシの 真実隠蔽 を守ってね」となっている。日本政府もこれに加担している。それでも中国は、どうも、これに加わっていない。
私は、8年ぐらいまえに、中国調査で、中国人の大学教授で日本語の通訳もする人に、「アメリカの有人月面着陸をどのように、中国では教えているのか」と、尋ねた。そうしたら、この教授は、辺りを見回したあとで、「月には、人間は行っていない。しかし、学生たちに、教えるときは、アメリカ人の飛行士が、月面に降り立った、(1969年から、6回、12人。副島隆彦、大笑い)と教える」と言った。
そうしたら、横にいた、中国人のババアの通訳で、ガイドの女が、中国語で、その男の教授に、「あなた、そんなことを、日本人に、教えていいの」と、激しく叱っていた。 何なのだ、いやな、女だなあ、と、私、は、そのとき思った。 これが、実情だよ。
みんな、自分の頭で、考えなさい。人に聞けることではないからね。あとは、
私、副島隆彦の この大著(たいちょ)を読むしかないですね(笑)。
副島隆彦記。 以下に、くだらない記事だが、これまでのアメリカのアポロ計画やら、宇宙計画の概要が書いているので、読んでください。
(転載貼り付け始め)
「 アポロ計画と何が違う 米国、50年ぶり人類を月へ 」
科学記者の目 (科学技術部シニア・エディター 小玉祥司)
2017/12/26 日経新聞
1969年にアポロ11号が月に着陸してからおよそ50年、人類を再び月に送る計画が動き出した。12月11日にトランプ米大統領が、月への有人探査をNASAに指示する文書に署名。中国なども積極的に月探査に取り組んでいて、日本も米国の有人探査計画に参加していく方針だ。
人類を再び月へ トランプ計画の狙いと展望
トランプ米大統領が有人月探査の新計画を指示する文書に署名した。人類を再び月へ送り込む狙いと展望を科学技術部の小玉祥司シニア・エディターが解説する。
■アポロ計画では6回着陸 今回は火星への中継拠点に
アポロ計画では、1969年に11号が初めて月に着陸、アームストロング船長が人類史上初めて月に足跡をしるした。その後、72年の17号まで、事故で引き返した13号を除いて6回の着陸に成功し、12人の宇宙飛行士が月に降り立った。これまでに人類が地球以外の星に到着したのは、この時だけだ。
月面に立てた米国の国旗とアポロ11号のオルドリン飛行士(NASA)
( 副島隆彦注記。 本当に、この写真は、笑える。見てみろ。ボーと旗の前で突っ立っている、月面の?飛行士の 手前の、大きなワラジ(草鞋)のような痕を。何なのだ、これは。面白いことをする人たちだなー、ホントに )
アポロ計画は月に人類を送ること自体が目的だった。しかし今回は、すでに公表されている火星探査など、より遠くの星々へ向かう足ががりとして月に拠点を設ける。
米国では、オバマ大統領時代に人類を火星に送る構想を打ち出していたが、今回は、そうした計画の前段階として、月への有人探査を追加した格好だ。トランプ大統領も「月面に旗を立てるだけではなく、火星探査への基盤を築く」と説明している。
NASAは2030年代中ごろに火星へ人類を送る構想を進めている。その足がかりとして月を回る宇宙ステーション「深宇宙ゲートウェイ」の建設構想にも取り組んでいて、ロシアとも協力することを確認済みだ。そうした一連の流れのなかで、月面に宇宙飛行士を降り立たせるとともに有人拠点を建設。深宇宙ゲートウェイとともに、火星などへ向かう拠点にしようというわけだ。
月に宇宙飛行士を送ることをNASAに指示する文書に署名するトランプ米大統領(NASA/Aubrey Gemignani)
地球から直接、火星などに向かおうとすると、大量の燃料を積んで出発しなければならず、打ち上げに大変な費用や労力がかかる。月の基地や宇宙ステーションにいったん必要な燃料や機材を運び、そこから火星などに出発すれば、必要な燃料を抑えることができる。
基地ができれば、月に眠る資源の開発にもつながる。これまでの探査で月に水やアルミニウムなどが存在することなどがわかっていて、水は酸素や水素に分解してロケット燃料などにも使える期待もある。日本の探査機「かぐや」が月の地下に巨大な空洞があることを見つけたが、月に基地を造るときに利用できるのではないかと、米国も関心を寄せている。
■中国は13年に無人探査機の着陸に成功
月の探査に熱心なのは米国だけではない。なかでも中国は13年に、米国と旧ソ連に続いて3番目に月に無人探査機「嫦娥(じょうが)3号」を着陸させることに成功した。
2017年11月打ち上げの予定は延期されたが、無人探査機「嫦娥5号」を着陸させ、サンプルを地球に持ち帰る計画も進行中だ。具体的なスケジュールなどは公表していないが、有人での月面着陸を視野に入れて探査計画を進めていることは間違いない。
独自の有人ロケットを持たない日本は、12月に宇宙基本計画の工程表を改定し、米国の探査計画などに参加して、月や火星の有人探査を目指すことを決めている。
地球温暖化対策に消極的な姿勢をとるなど科学分野には関心が低いトランプ大統領だが、宇宙開発に関しては大統領選挙中から前向きな発言をしていた。特に有人探査を推進する姿勢は強く、今回の月へ宇宙飛行士を送る方針もその流れに沿ったものといえる。またアポロ計画は米国民にとって過去の大きな栄光でもあり、支持率が低迷するトランプ大統領にとって人気回復策のひとつとみられることも否めない。
NASAが開発を進めている大型ロケット「SLS」(NASA)
とはいえ、米国はすでに、火星探査などに向けて大型ロケット「SLS」や新型宇宙船「オライオン」などの開発を進めている。民間企業のスペースXも、アポロ宇宙船の打ち上げに使われたサターン5型を上回る大型ロケット「BFR」を開発して、火星の有人探査を目指すことを公表している。月に人類を送る計画でも、こうした技術が利用されるはずだ。
一方で、アポロ計画の時は、旧ソ連との激しい宇宙開発競争の中で、ケネディ大統領が「1960年代のうちに人類を月に到達させる」と宣言。米国が国の威信をかけて資金を投入した。今回は、月に着陸する具体的なスケジュールは決まっておらず、予算をどう手当てするかといった課題も残っている。再び人類が月に立てるかは、技術よりも資金の問題が大きいかもしれない。(科学技術部シニア・エディター 小玉祥司)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1887】[2246]自分達が言っていることをわかっているのか?
相田です。
しつこいと思われるだろうが、伊方原発の稼働停止の裁判に関して書く。私の本を読まれた方はご存知だろうが、あの本の最後にはカルデラ噴火の話を載せている。あれを書いている時は、こんなふざけた裁判が進行中だとは知らなかった。その判決もまた、技術屋としては、あまりにふざけているとしか思えないものだ。以下は毎日新聞の社説を引用する。
(引用始め)
伊方原発差し止め命令 噴火リスクへの重い警告
毎日新聞2017年12月14日 東京朝刊
原発の安全性への疑問が、司法界に広がっていることの証しだ。国や電力会社は重く受け止めるべきだ。
昨年再稼働した四国電力伊方原発3号機(愛媛県)について、広島高裁が運転差し止めを命じる仮処分決定を出した。高裁では初となる。
伊方原発から約130キロ西に阿蘇がある。四電は噴火で約15センチの火山灰が積もると想定したが、決定はこの想定を過少だと判断した。そのうえで、伊方原発を安全審査で合格させた原子力規制委員会の判断は不合理だと結論付けた。世界有数の火山国である日本は、原発と共存することができるのか。そんな根本的な問いかけが、司法からなされたと言えよう。
東京電力福島第1原発事故を受けて定められた新規制基準に基づき、電力会社は、原発から160キロ圏の火山の影響調査を義務づけられた。原発の運用期間中に噴火が起きて、火砕流や溶岩流が到達する恐れがあると評価されれば、立地不適格で原発は稼働できない。
阿蘇は約9万年前に巨大噴火(破局的噴火)を起こし、世界最大級の陥没地形(カルデラ)ができた。
四電は、より小規模の噴火を想定し、火砕流などが阿蘇から到達する可能性は十分に低いと評価した。規制委も認めた。一方、広島高裁は、現在の火山学には限界があり、過去最大規模の噴火を想定すべきだと指摘。原発の敷地に火砕流が到達する可能性は低いとは評価できない、と判断した。この決定に従えば、現在稼働中の九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)も停止の対象となるだろう。
周辺には、阿蘇のほか鹿児島湾など、複数のカルデラがあり、巨大噴火の影響を受ける危険性が全国の原発の中で最も高いとされる。九電は四電と同様に、運用期間中にそうした噴火が起きる可能性は十分低いと評価し、規制委も了承していた。日本で巨大噴火が起きるのは1万年に1回程度とされている。だが、頻度が低いからといって対策を先送りすれば、大きなしっぺ返しを受けることを、私たちは福島第1原発事故で学んだはずだ。
政府や電力会社は、原発の火山対策について、さらに議論を深めていく必要がある。
(引用終わり)
毎日新聞とは、東スポや日刊ゲンダイなどのタブロイド紙ではなくて、日本を代表する本格的(?)な新聞紙だと、私はかねてから思って来た。しかしである。上の社説の文章の内容は、どういうことだろうか?この社説を読んで、「ふーん、そうなのか」と、納得する方々が、日本には大勢いる、ということなのだろうか?
社説には「カルデラ」、とか「破局的噴火」という文言が使われている。これを書いた毎日新聞の人物は、カルデラ噴火に対する認識は持っているのだろう。しかし、毎日新聞のカルデラ噴火の理解は、あまりにも浅すぎる。こんな社説など、とても書いてはいけないレベルの、浅すぎる理解である。
私は、自分の本を書く前に、カルデラ噴火について、ネットから幾つか文献を拾って読んでみた。わかったことは、カルデラ噴火が起きたならば、原発が壊れる前に、日本人の殆どが死んでしまうということだ。私の認識は大袈裟ではない。私は火山学の素人だ。が、この分野の第一人者である、神戸大学の巽教授が、次のようにコメントされている。
(引用始め)
伊方原発3号機の運転停止の仮処分: 司法判断の意味とマグマ学者からの懸念
巽好幸 神戸大学海洋底探査センター教授
(中略)
テレビで放映された映像を見ていると、原告団は「歴史的判決」と意気揚々である。ヒロシマという悲劇の地に暮らす人々の原発への思いは十分に理解できるものがある。一方で、火山の息遣いやマグマの動きに注目するマグマ学者としては、この高揚感に一抹の懸念がある。それは、今回の判断が「原発反対」の道具だけに使われはしないかということだ。
もちろん私は原発賛成派には属さない。そもそも世界一の地震大国、火山大国に原発はふさわしくないと感じる。私の危惧は、感情的原発反対論者の多くが、巨大噴火で原発が破壊された場合の危険性のみに注目していることである。冷静に考えていただきたい。巨大カルデラ噴火が一度起きて原発が火砕流で被害を受けるような場合には、その領域に暮らす人々の日常生活はすでに高温の火砕流によって破壊されているだろう。
そればかりではない、数十キロメートルの高さまで立ち上がった巨大噴煙柱から偏西風に乗って運ばれる火山灰は、日本列島の大部分を覆い尽くしてしまう可能性が高く、その場合は列島の大部分でライフラインがストップする。今回の伊方原発問題で想定された阿蘇山巨大カルデラ噴火が起きると、広島には恐らく火砕流は到達しないであろうがほぼ確実に1メートルもの厚さの火山灰に街は埋没し、人々の日常はほぼ完全に崩壊すると予想される。
巨大カルデラ噴火の危険性を根拠に原発再稼働に反対すること自体は正当であると思うが、それ以前に(少なくとも同時に)巨大カルデラ噴火そのものの試練に対する覚悟を持つべきであろう。もちろん、覚悟は諦念ではない。いかにこの火山大国で暮らしていくかを考えることこそ覚悟である。
(引用終わり)
海を隔てた九州で起きた、巨大な噴火の影響で、愛媛県の原発が破壊される状況で、原発の周囲で生活する愛媛県の方々は、その生命は、原発さえなければ安全に保たれるのだ、と、毎日新聞の記者は認識して、社説を書いたのだろう。上の社説を読んだ私には、そのようにしか理解できない。
「別にそれで良いではないか。原発のような恐ろしい機械を止めるならば、多少は論理的におかしな主張でも、許されるのだ」と、原発反対派は考えているのだろうか?
そうだとすれば、それは、大きな間違いだ。
自分の信念を貫くために、論理が破綻した主張を繰り出して、相手を押さえつけるのならば、同じやり方で、自分たちも斬られる事を覚悟しなければならない。伊方原発を止めた原告と裁判官は、戦時中に治安維持法で左翼達を大勢検挙して、獄殺した、日本政府の振る舞いと、何ら変わらない。そのことを、原発反対派は、よくよく理解するべきである。
返す刀で、自分達も斬られても、文句は言えないのだ。考えてもみないのか、お前らは!?
私は断言するが、今回の裁判の判例を支持するかどうか、その判断は、自然科学現象を論理的に考えて、受け止められるかどうかの試金石であり、踏み絵になる。日本の知識人達のSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)の理解度を試す、リトマス紙なのだ。この判決についてのコメントは、後々まで記録されて、各自の理解力評価を下される証拠となると、覚悟するべきだ。以下に、その証拠となる記事の一つを載せる。
(引用始め)
「伊方原発の運転差し止め」を決めたベテラン判事の本音を読み解く
町田徹 現代ビジネス 12/19(火) 6:00配信
(中略)
現在の火山学の知見では、阿蘇カルデラの火山活動の可能性が十分小さいと言えず、噴火規模の推定もできないことから、約9万年前に起きた過去最大の噴火VEI7を想定して、伊方原発の立地の適切性を評価せざるを得ない、と決定は指摘。
四国電力が行った地質調査や火砕流シミュレーションから、火砕流が原発の敷地に到達する可能性が小さいと言えないので、原発の立地として伊方原発は不適切だと断じたのだ。
加えて、下級審が、そのような規模の噴火が原発の運用期間中に発生する可能性が示されない限り、安全確保策を示さなくても問題ないと差し止め請求を棄却したのは誤りで、司法がそのような限定的な解釈をすることは許されないとも述べている。
(中略)
裁判所のヒエラルキーを勘案すると、期間限定に関する広島高裁の言い様は、下級審にフリーハンドを与えたものとは思えない。むしろ、同高裁の論理だてを熟考するよう下級審の判事にプレッシャーを与えたものと解釈した方が素直だろう。
また、後述するが、原発再稼働の是非の判断を原子力規制委員会に丸投げにして、選挙のたびに脱原発が基本政策のような印象を有権者に与えながら、一向に脱原発や縮原発の戦略を描こうとしない安倍政権にも圧力をかけたものと思われてならない。
仮処分が電力各社に与えた衝撃も大きい。出張先を本拠地とする電力会社を取材した。予想した通り、この電力会社の幹部は、深い苦悩の色を浮かべて、次のような危機感を吐露した。
「日本列島全体で発生の確率が『1万年に1回程度』とされる超巨大噴火の可能性を根拠に立地の是非を論じたら、日本中探しても原発を建設できる土地などない。わずか40~60年という耐用期間中に、そうした超巨大噴火が原発を直撃する確率となるとほぼゼロに近いのに、あまりに乱暴な判断ではないのか」
「こうなると四国電力1社の問題にとどまらない。まずは関西電力がマスコミ対応などを含めて全面的なサポートに入るだろうが、これは原子力発電所を保有する電力会社に共通の問題である。われわれは一致団結して、社会的な理解を求めていかなければならない」――といった具合である。
福島第一原発事故前は日本に50基以上の原発が存在したが、30年後には少なければ1~2基、多くて5~10基くらいしか、日本に原発が残らないかもしれない。自らは決して口にできないが、それが電力会社の本音だと筆者は取材で感じている。
そんな電力会社の衝撃緩和策としての最小限の原発稼働のシナリオを粉々に打ち砕き、各社の収益を圧迫して、最終的に経営危機に追い込みかねない、そんな悪夢のシナリオとして、広島高裁の仮処分が下ったというのが、電力各社の受け止め方となっている。
そこで求められるのが、広島高裁の野々上裁判長の目から見ても納得できるであろう、政府主導の脱原発もしくは縮原発の明確な青写真作りである。
(引用終わり)
広島高裁の野々上裁判長を「論理的に納得させる」ことは、私には不可能だ。
相田英男 拝
【1886】[2242]「米のエルサレム首都承認」問題 を徹底的に解説した。
副島隆彦です。 今日は、2017年12月19日(火)です。
トランプ米大統領が、12月6日に、「エルサレムをイスラエルの首都と、アメリカ政府は承認する」という声明を出した。
これは、1995年に出来たアメリカの「イスラエル首都法」という法律を、ようやくトランプ大統領が、実施したものである。だからアメリカの民主党の議員たちでさえ何も騒いでいない。
このことで、アラブ、イスラム諸国は大騒ぎになっている。日本でも、すぐに訳も分からず、動物的な勘だけで、「また戦争が起きるんじゃないの」と、言い出す人たちが出ている。そういうことは無い。
何にも知識がなくて、新聞記事を読んだ程度で、すぐに、自分はインテリで世界のことを知っている、と思い込む。私は、この際だから、エルサレムが作られてからの、3200年間の あの地域の 歴史の 全体像を、日本人に大きな理解を与えようと思い立った。それで、すぐに準備を始めた。
最新の今日のぼやき「2009」番で、私は、徹底的にこの問題を解説したので、読みにいってください。私たちは、もっと歴史を勉強をしなければいけない。
いつも、歴史年表と 世界地図帳(日本地図も) を手元に置いて、気になったことがあったら、すぐに、自分で調べる、という癖(くせ)、生活慣習 habit を身につけないといけない。
ネット(ウエブ上)の記事を、適当に読み散らして、それで分かった気になるな。
コツコツと、自分の頭で、丁寧に、 歴史事実の 概要を、大きな見方でいいからしなければいけない。 今回は、「イスラエル、パレスチナ 問題」とは何々かを、私、副島隆彦が、徹底的に、長い歴史( 3200年前からの)を遡(さかのぼ)って解説したので、じっくりと読んでください。 読み飛ばしをしてはいけない。
しっかりと、1行ずつ、文章を読んで、自分の頭を使って考えて、「本当にそうなのか」と疑いながら、そのとを確認しよう(他の文献や、年表で確認する)として、自分でメモを取りながら、歴史事実を確認しながら読みなさい。 この丹念な作業が出来ない人は、 ただのお庶民で、人生を終わる。 それでいいじゃなか、という人は、もう、ここの学問道場には、寄り付かないようになった。
もっと歴史の勉強をしなさい。 自分の気に入った小説を読み飛ばして、それで、自分は読書人(どくしょじん)だと、思い込まないように。
(転載貼り付け始め)
「 エルサレム“首都”抗議デモで3人死亡 」
2017年12月16日 日本テレビ
イスラム諸国、対抗して「東エルサレムはパレスチナの首都」
中東・エルサレムやパレスチナ自治区では15日、アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認めてから2回目となるイスラム教の集団礼拝を迎え、抗議デモが相次ぎ、衝突で3人が死亡した。
エルサレムの旧市街では、集団礼拝の後、抗議デモが行われ、排除しようとするイスラエルの治安部隊と小競り合いとなった。また、パレスチナ自治区では各地でデモ隊と治安部隊が衝突。デモ隊が石を投げると、治安部隊は催涙ガスなどで応戦した。一連の衝突で、パレスチナ人3人が死亡、260人がケガをしたとイスラエルメディアは伝えている。
トランプ大統領の決定から1週間以上経過したが、パレスチナ側の反発が収まる気配はなく、依然、緊張が続いている。来週には、大統領の決定を説明するため、ペンス副大統領がエルサレムを訪れる予定で、抗議行動がさらに激しくなる恐れもある。
○ 「東エルサレムはパレスチナの首都」と宣言
2017年12月14日 日本テレビ
アメリカのトランプ大統領が中東・エルサレムをイスラエルの首都と認めたことに対抗して、イスラム諸国は13日、「東エルサレムをパレスチナの首都」と宣言する声明を取りまとめた。
世界50か国以上のイスラム諸国の首脳らが13日、トルコのイスタンブールで緊急会合を行った。出席したパレスチナ自治政府のアッバス議長は、トランプ大統領の決定を「最大の罪だ」と非難し、アメリカはイスラエル寄りで、和平協議の仲介役として不適格だと述べた。
アッバス議長「アメリカがこれ以上、和平協議で役割を果たすことを受け入れない」 会合では、トランプ大統領の決定を非難する共同声明を発表した。さらに、声明では「東エルサレムはパレスチナの首都だ」と宣言し、すべての国に、これを認めるよう呼びかけた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1885】[2241]お市の方についての小考
市川崑監督の映画『破戒』を、先日、20数年ぶりで観たが(私が『破戒』を観るのは、これで3回目か4回目だ)、2165で、引用した主人公の言葉「先生のお後を追って生きたいという気持ちを、抑えることが出来ません」は「先生に導かれて生きたいという気持ちを」の間違いだった。
本題。山田風太郎氏の『妖説太閤記(昭和53年 講談社)』という小説がある。私は、これが、豊臣秀吉を、一番実像通りに描いている、と思っている。『妖説太閤記』では、1秀吉の目的はお市の方だった(天下人になったのも、ひたすらその為だった)2信長を殺したのは秀吉だった 、と描かれている。2については、副島先生の『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』を読み、山田説より副島説の方が、より、真実だろう、と考えるようになったが(もし山田氏が生きていて、副島先生の「信長はイエズス会に殺された」説を知ったら「あっ!!」と思っただろう)、1に関してはやはり山田説が最も鋭い、と、今だに思っている。秀吉がお市の方を狙っていた、というのは、歴史上でも定説、フィクションの世界でも定番になっているが、秀吉のような偉人が、女ごときに執着していた筈が無い、秀吉がお市の方に横恋慕していたというのは、メロドラマ的なフィクションだ、と言う人もいるが、私はそれは、浅薄な見方だと考える。人間は皆、他人が知ったら「エッ!?まさかー」とゾッとするような、とんでもなく気持ち悪い目的を隠し持って、行動しているものだ。凡人がそうなら、偉人と呼ばれている人間は、もっと「そう」だろう。副島先生が、秀吉については、本当の事が伝えられている(徳川が意図的に、そうした)、なので、あまり自分は、秀吉については言う事が無い、と、仰っておられたと思うが、秀吉についての本当の事というのは、よく知られている、猿そっくりの物凄いブ男だった、とか、物凄い女好きだった、生まれが卑しかった、等の事だろう。秀吉のお市の方ヘの横恋慕を「メロドラマ的なフィクション」などと言ったが、例えばの話、薄汚いホ―ムレスの男が本気で、誰か皇室の女性を「いつかあの女をものにしてやる」と、画策していたら、と、想像してみれば良い、真底ゾッとする。秀吉のお市の方ヘの横恋慕とは、そういうものだ。で、なぜお市の方は、日本の歴史上、名高い女性なのか。織田信長の妹で、絶世の美女だった、というだけで、こんなに有名にはならない。お市の方は「嫌いな男(秀吉)の言いなりになるくらいなら死ぬ」という女の真実を、体現している女性である。お市の方の偉大さは、この点に尽きる。