映画なんでも文章箱
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【21】ゴダール高速ハイウェイ
大城義和です。
ゴダール高速ハイウェイ、という、映画評論を書きます。
ゴダール映画史を、視覚する知覚のパーソナル性、アーキテクチャ・コンポジションによる、シネマ・グラフィックデザインの前衛性、すなわち、ゴダール映像は、超高速関数的建築を暗喩するプロセスにおける、記号プログラミングである。映画史での記号論は、ナム・ジュン・パイクの、未来TVをイメージさせる、その音響的シニフィアン/シニフィエは、ゴダールという、パーソナルな声と、構成的な音声を、ネットワークし、エレクトロニック・ダイアローグする、電子機械的思考で構築する。ゴダールは、映像を音楽する、シネマというコード、それは、ハイウェイ連想する、そして、ハイテクノロジーと連結する、音楽的映像建築の暗喩である。ゴダールの映画史は、モダン・サイエンスの方法論で、シネマが再構築され、また、再構成される、そういう、速度やスピードのゲームでもある。知覚を視覚する、イメージとハイ・イメージの、オーガニックは、建築的関数と近似する超高速記号論である。
大城義和拝
【20】電子言語=テクノ構成言語での、ジャン=リュック・ゴダール
大城義和です。
映画映像論を書きます。
電子頭脳パーソナル・コンピューターによる、オーガニック・ネットワーク思考は、ジャン=リュック・ゴダール映像を、リアルタイムMIX/RIMIX処理する、そんな、知性の海アーキテクチャ・プログラミング・ゲーム。知性とは、分類作業において、法則性を発見する、つまり、アンドレイ・タルコフスキーのノスタルジアやサクリファイス、惑星ソラリスと、ジャン=リュック・ゴダールのウィークエンドや気狂いピエロ、ゴダールの映画史、ベルナルド・ベルトルッチの1900年、暗殺の森、ラスト・タンゴ・イン・パリは、パーソナル・コンピューター・メディアでの、建築映像における、電子言語=アーキテクチャ構成言語のGraphical User Interfaceとして、ヨーロッパ・シネマが成立する。ヨーロッパ映画は、パーソナルなメディアの、コンピューター・シミュレーションを可能にし、過去-現在-未来ハードウェア/ソフトウェア/ネットワークにおける、情報=データのアーキテクチャ=サブジェクト・オブジェクトでの、ハイテク・パーソナル・システム、すなわち、ヨーロッパ・シネマとは、そういうことだ。ルキノ・ヴィスコンティの、地獄な堕ちた勇者ども、イノセント、家族の肖像、これらは、立体的思考における、3D眼のイメージと、時間軸/空間軸の、インフォメーション・テクノロジー・イメージが、複雑に再構築され、超複雑に再構成され、共同幻想を解体する、パーソナル・メディア・イメージの、仮想Central Processing Unitの、プログラミング・モデル=リアルタイムMIX/REMIX、つまりは、感覚と感性の情報通信革命=ハイ・イメージである。ジャン=リュック・ゴダール知性の速度は、超関数的高速度だ。
大城義和拝
【19】2012年アカデミー賞受賞式をみて
2012年アカデミー賞授賞式概況をNHK再放送でみた。
すべて字幕が丁寧に作成されていた。
助演女優賞は、「ヘルプ-心がつなぐストーリー-」のオクタヴィア・スペンサーという黒人女性だった。
感動的な受賞シーンが終わった後、
なにか不自然さ、違和感を覚えたのは、この受賞シーンの直後の、一見、おちゃらけた小話であった。
白黒画面に変わり、昔の、なぜか、「オズの魔法使い」の試写会の設定で、
「オズの魔法使い」がTheEnd、となった画面から始まり、
この映画を視聴した後の、紳士淑女に今みた映画の感想を質問する
シーンが映し出された。
紳士淑女は、「なぜ大人をださないのかしら」、「最初に出てきた農民を途中でも出すべきだ」、
「猿をだすべきだ」、「猿も今後、出るようになるんじゃないのか」、猿、猿、Monkey、monkey
を連発している紳士がいた。
monkeyはおそらく日本人をさしている。(と、感じた)
黒人女性が受賞した後は、今度は、日本人じゃないのか?、とでもいいたげなストーリーライン。
なぜオズの魔法使いか、また、monkeyという言葉が多発する意味合い、
これは副島隆彦先生著ハリウッドで政治思想を読む、を読んでいれば分かることだ。
このアカデミー賞のストーリーラインに、いろんな視点をもつ人間を意識していることがよく分かる。
黒人女性が受賞をすることに対してまだ大きな抵抗を感じる層がいるということなのだろう。その人たちに対するフォローなのかな、などと思った。
また、差別という意識をしたとたん、monkeyがでてくるくらい、人々はmonkeyに対する、強烈に意識をしている、ということなのではないか。
今、アメリカの行き場がなくなりつつある今のアメリカにおいてmonkeyは、人々の意識下で、結構、大きな存在、なのかもしれない。
あるいは、アカデミー協会の、”to be continued”のメッセージなのかも。次は、日本人ですよという。
経済的に大きな負担をかけてきてこれからも負担をお願いする日本に対して、そのくらいのことは考えているよ、ということなのかも。
・・・と、いろいろ考えさせられる、ワンシーンでありました。
【18】「オリエント急行の殺人(2010年英米合作版)」について
アガサクリスティ原作の「オリエント急行殺人事件」が2012年2月9日(木)10時~NHKBSで放映されたのをみた。今回放映されたのは、2010年に米英合作でとりなおしたものだったようだ(終わりのテロップに以下の記載があった。
「制作 ITVスタジオズ/WGBHボストン アガサクリスティー・リミテッド(イギリス・アメリカ2010年)」)。
なぜか邦題は、「オリエント急行の殺人事件」と「の」が付け加えられていた。
昔見た「オリエント急行殺人事件」では、最後の場面で、ポワロは、殺人のあった客車内の12人の乗客たちの前で、殺人の手口の概要を講釈したあと、12人の乗客たちを無罪放免する。警察に引き渡すようなことはしなかった。
(ねたばれ)
12人の乗客たちが、一人1刺しずつ、12の刺し傷で殺した、者は、凶悪なヤクザ者であり、マフィア等の検察等への根回し等によって罪を免れた極悪人であり、この殺人は、その極悪人に殺された、被害者の友人、親戚、また検察側の家族等による、復讐劇であった。
2010年英米制作版では、ポワロは、12人の乗客達を救うようなことはしない。そのまま「法の手で裁かれるべきだ」として突き放し、警察に概要説明をしてその場を立ち去る。
まさに「法に基づく支配を強化するためのプロパガンダ用」として制作された版なのだな、とあからさまに思える作品であった。
【17】2001; A SPACE ODDESEY and 2010
上田浩之です。今日は8月27日です。アーサー・C・クラーク原作・スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」とその続編「2010」DVDをみての簡単な感想です。
2つの作品を視ようと思ったのは『図解でわかるニーチェの考え方』富増章成作・中経文庫でとりあげていたからです。
まず「2001年宇宙の旅」(原題:2001; A SPACE ODDESEY)です。まるで猿いや猿人の惑星が出現、人類の夜明けとして描かれます。まるで反進化論=ファンダメンタリストの人達を挑発するかのように水争いのシーンが続く。最初観た瞬間「これ猿の惑星か?」でした。似てますね、「カプリコーンワン」や「猿の惑星」のトーンに、真実暴露ならぬ真実吐露ムービー。シナイ山のような山々をわざとスタンリー・キューブリックがワンカットで入れたシーンも見受けられました。
ある猿人のグループリーダーが牛の骨を武器に出来ることを発見し、別のグループのボス猿ならぬ猿人をぶち殺して雄叫びを上げた後にR・シュトラウス「ツァラトゥストラ」の名曲が流れる。クラシックの名曲を「2001年宇宙の旅」ではかなり使っていて重厚さを感じさせます。モノリスという謎の落下物に反応する猿人達。
キューブリックはこの作品のためにアポロ月面着陸映画を撮ったのだ。彼自身フランスのテレビで『あれはNASAから頼まれて撮ったんだ』と暴露、それをたけしの番組で観たのを覚えています。根は正直な人間ですね。今でもこの作品にあまり古くささを感じませんでした。
キュービズムを生かした彼のデザインソファーは今でも古くない。ホリエモンもこの作品を見たんでしょう。ショバから出たら宇宙旅行?この映画をみたら今起こっているフクシマの真実隠蔽も驚きません。「適切な条件付けなしに事実を公表したら全世界はパニックに陥るだろう」とはよく言ったものです。世界のワルどもがこの一言でその本性が割れる。キューブリック自身もこの若かりし頃の作品はかなり思い入れがあるはずです。ハリウッド映画思想本でオリバー・ストーン出世作『ウォール街』共々言及が無かったのが今でも残念です。「2001年宇宙の旅」はアポロ暴露本に言及されているんでしょう。この作品を観て後悔どころか更にああ嫌だな気付きたくない事・真実に気づいちゃった嫌だなというのが私の率直な感想です。
オリバー・ストーンの『ウォール街』だって公開いやビデオ化した時、酷だがまだデビューしてない副島隆彦含めた日本知識人・思想家共はバブルに浮かれハシャいで分析しなかったことに対して全責任を負え!震災で友達とも思っちゃいないアメリカ様から「トモダチ作戦」などと小馬鹿にされてシュンとなるようなソフトバンク犬国だ。今や『猿の惑星』どころか『犬の惑星』!
友達とも思っちゃいねえ奴に友達呼ばわりされるいわれはないし、友達と言われるほどムカつく事は無い!とにかくこの作品は一見の価値有り!ただのニーチェ哲学をSF解釈したとか宇宙旅行の願望を夢見た作品とかそんな上っ面の解釈はすべきでない。
D・ロックフェラーもスターチャイルドになって死んでゆく、ただそれだけだ。この作品にあった宇宙船から地球への通信は衛星回線やインターネットによって実現した。キューブリックの未来予知というか未来予測力には脱帽ものでした。次の作品「2010」は見なくていい、同じ事のリフレインだから。
とにかく原作者;アーサー・C・クラークもアポロ月面着陸の真相を知っているんだな。作品の中に巧くデフォルメして溶かして隠し込む事が出来るこういう才能を持つキューブリックやオリバー・ストーンのような天才を巨匠=マエストロというのだ、違うか!
では、来月2日福岡でお会いしましょう。フクシマ隆彦先生。
【16】トランスポーター3 アンリミテッド
人気のシリーズ映画に「トランスポーター」というのがあります。その名の通り、どんな荷物も運ぶ運転手の話で、頼まれれば必ず届ける、途中で荷物を奪おうとする悪者に襲われるが、最後はその悪者を倒して任務を完了する、というありがちなアクション映画です。
このシリーズの第3作は「トランスポーター3 アンリミテッド」という題で、ある国の環境大臣の娘を無事に「運ぶ」というストーリーでした。この大臣は放射性廃棄物の輸入許可権限を持つので、「娘の命と引き替えに許可証にサインしろ」と脅かされるわけです。主人公が、この娘を救って、放射性廃棄物は上陸しませんでした、めでたしめでたし、という結末です
実は、この「ある国の環境大臣」のある国とはウクライナのことです。私はなぜウクライナか、当時はさっぱりわからなかったのですが、今回の福島原発事故でわかりました。チェルノブイリ原発事故があったのは、当時はロシアでしたが、現在のウクライナなのですね。
ここから、原発事故と放射性廃棄物ビジネスが微妙に結びついているのがわかります。
原発事故のあった福島はどうでしょうか?前書いたように、チェルノブイリに比べれば、放射性物質の放出は多くはありません。今の程度の土壌汚染なら、日本は雨が多いから、これらを洗い流してくれそうです。また、汚染した土壌の上の部分を削り、ひまわり(セシウムを吸収しやすいらしい)を植え、その後で、放射性物質のない作物をつくることも可能でしょう。年月がかかっても元に戻る。放射性廃棄物ビジネスなど関係ありません。
しかし、原発20km圏内が、永久に立ち入り禁止になったらどうでしょう?
立ち入り禁止になって、地元民が移住すれば、地元の人はいなくなります。地元の人がいなければ、反対者もいなくなる。また、福島には海があり、港があります。だから、海から直接運べるし、運べば何が運搬されたかわからない。さらに、「原発事故で漏れた放射能に比べれば、微少ですから!!」といわれれば、その放射性物質を受け入れるのも無理はないでしょう。
「原発とは、うんこを流さないトイレのようだ」とか、なんとかかんとか言った人がいるそうですが、本当にそうです。使用済みウラン燃料は放射性廃棄物となりますが、持って行くところはどこにもありません。仕方がないから、各原発の貯蔵庫に置いてあります。新たにでてきた使用済みウラン燃料をただ積んでいくだけです。青森の六ヶ所村に廃棄施設を拡張しようとしていますが、うまくいかないようです。
これは世界中で起きていることです。どの国もそれなりに廃棄するのに苦労しています。
もし、福島で、放射性廃棄物の最終処理をしてくれたら、それは日本以外では朗報でしょう。ビッグビジネスです。でも持ち込まれる福島の人と日本人は、たまったものじゃない。勘弁してほしい。やめてほしい。とんでもないことです。
私の杞憂かもしれません。でも、「福島原発の近隣にはもう住めない」という流れが気になります。というよりも、首相自らそう言っている。そして、もしそうなら、それを止めようとしてがんばっているのは、現在の日本では副島先生しかいないことになります。
下條竜夫拝
【15】3本の映画
ウォール街続編〔イオンモール倉敷内:ムービックス倉敷〕
さすがにオリバー・ストーンですが、ちょっと最後はがっかり。ゲッコーはゲッコーらしく、つまりは我が娘に対しても鬼であって欲しかったと思います。
告白〔DVDを借りて見ました〕
原作の小説は、話題になっていたときに読みました。
しかし、映画の世界の方が原作より上を行っていました。たいてい文芸作品は原作に劣ることが多いのですが、見事です。
ラジオ深夜便で、詩人で直木賞作家のねじめ正一が「夫婦で見に行った。見た後二人でコーヒーを飲みながら『やり過ぎじゃないか』『そんなことはない』などと結構会話が続いた。」と言っていました。
中島監督は前回の「パコと魔法の絵本」で失敗(といってもそれはそれなりに面白い)を糧にした様な気がします。
中学校の教室=社会の縮図と私は受け止めました。イジメも生存競争もあります。
余談。ラジオ深夜便にはあまり感心しませんが、NYの市況を伝えてくれるのと、時間が分かるのでよく聞きます。
ソーシャルネットワーク〔岡山メルパ:進研ゼミのベネッセが経営しています〕
面白かった。
物事が動き出すと、もう止められないという図です。
遊び半分ではありますが、劇の脚本と演出を受け持ったことがあります。劇が始まってしまえば、もうその劇は脚本家のものでも演出家のものでもない、と感じたことを思い出しました。
【14】NHK大河ドラマ「龍馬伝」
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
さて、先日NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が終わりました。
このサイトを見ている人は、「坂本龍馬はジャーディン・マセソン商会とアーネスト・サトウと深く関係していた」という副島先生の説を知っていると思います。だから、脚色してつくられた坂本龍馬の伝記ドラマなど、あまり興味がわかないかもしれない。
しかし、私は、NHKなりに、「ひとりで維新の改革を成し遂げた偉人・坂本龍馬」のイメージを損なわず、真実をいくつかいれていたと思います。副島先生の書いた「属国日本論」の真実が、ざわざわと世の中に伝わっているというひとつの証(あかし)です。
例えば、ドラマには、アーネスト・サトウが登場しました。坂本龍馬がアーネスト・サトウに向かって、「薩摩と長州のうしろにはイギリスがいるのでしょう」と啖呵(たんか)をきって、パークスやアーネスト・サトウらを慌てさせる場面があった。「おいおい、薩長連合をつくったのはおまえってことになっているんだろう、そんなこと言っちゃあ、いかんぜよ」とつっこみを入れたのは私だけではなかったと思います。ちなみに、アーネスト・サトウこそが倒幕の裏にいたイギリス外交官です。
また、坂本龍馬暗殺の下手人として、それとなく、長州藩の存在を示唆していました。坂本龍馬夫人のおりょうの夢として、長州人に暗殺される場面を映し出していた。また、大政奉還をもくろむ坂本龍馬は、薩摩藩・長州藩にとっては邪魔者でしかないという史実をきちんと描いていました。
最近、NHKは、ドラマの中で、さりげなく、少しだけ真実を暴露するという手法をとっています。白州次郎の伝記ドラマでも、彼とキャノン機関とのつながりを、新聞記者のことばとして暴露していました。白州次郎はキャノン機関をつかって裏の仕事をさせていたようです。
また、この「龍馬伝」の中で、いろいろな歴史の事実が確認できたのがよかった。
例えば、金と銀の交換比率がちがうために日本の金が海外に流れ出したという事実、および、これが志士たちが攘夷に走る理由であることをきちんと伝えていました。久坂玄瑞と坂本龍馬の会話として描いていました。
そして、文久3年5月10日の尊王攘夷決起も確認できた。この日、志士たちは皆、苦労して画策してきた尊王攘夷の活動が、ついに成就するのだと心待ちにしていた。ところが、藩からは何の命令もない。彼らは本当に落胆した。これらのことが確認できました。
坂本龍馬がなぜ大政奉還に走ったかは副島先生が詳しく論述しています。アーネスト・サトウが坂本龍馬の後ろで暗躍していたということが属国日本論を読めばわかる。「船中八策」という坂本龍馬が書いた明治維新の骨格方針はアーネスト・サトウがジャパン・タイムズに寄稿した「英国策論」がもとになっています。アーネスト・サトウは、「日本の元首は天皇であり、そのもとに諸雄藩の連合政権をつくるべきだ」と書いているそうですから、これが大政奉還のもとのアイデアでしょう。したがって、坂本龍馬もこの案のとおり動いている。これはアーネスト・サトウが土佐藩を訪問した直後に後藤象二郎が薩摩藩に大政奉還をかけあっていることからもわかります。
ところが、大政奉還に走った坂本龍馬が暗殺されたことから、急激な状況の変化が起きたことがわかります。いったい何がアーネスト・サトウに起きたのか?
裏読みすれば、最初から騙すつもりだった、大政奉還させて、その後、薩長土肥の軍事力で制圧する筋書きが前もってあったと考えられる。または、フランスの出方によって、2つの場合を想定して、どちらにも対応できるようにしていたのかもしれない。
ただ、アーネスト・サトウの行動を好意的に解釈するならば、彼自身が急激なイギリス本国の方針転換に振り回されたのではないかという理論も成立します。坂本龍馬が暗殺された1867年ですが、その前の3年間というのは世界史でも希(まれ)な激動の時代です。ヨーロッパからアメリカ・アジアまで、いろいろなことが起こっている。オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)の誕生などいろいろありますが、特に記しておかなくてはいけないのが、「南北戦争の終了(1865年4月)」と「太平天国の乱の終息(1864年)」です。
これによって、武器商人であるジャーディン・マチソン商会は在庫をかかえたまま、武器が売れなくなったはずです。こういう急激な経済環境変化に普通はついていけない。そこで、イギリス本国とトーマス・グラバーが協力して、日本を内乱に導いて武器の在庫を一掃しようしたのではないか、そのため大政奉還の方に走っていたパークスやアーネスト・サトウを転向させ、また坂本龍馬を捨てゴマにしなければならなかったのではないか。これは典型的な「逆コース」といわれるパターンです。第二次世界大戦後の日本でもありました。
副島先生の話だと、イギリスのどこかにこれらの資料がまだ隠されているそうですから、いずれ、真実が明らかになるでしょう。
このドラマをみると、岩崎弥太郎がつくった三菱という会社は、坂本龍馬暗殺によって生まれたことがわかります。実は、いろは丸事件というのがあって、紀州藩が海援隊に8万両(本当は7万両らしい)の賠償金を払ったことになっています。ドラマでもきちんと取り上げていました。しかし、このお金は、いろは丸所有の大洲藩には行っていないらしい。つまり、岩崎弥太郎か後藤象二郎が賠償金を掠(かす)め取ったということです。ちなみに、坂本龍馬が暗殺されたとき、なぜ京都にいたかというと、この賠償金をとりにいったらしい。これらのことは津本陽という人の本で明らかになっています。
これが本当に歴史的な事実なら、いろは丸の賠償金で岩崎弥太郎は大もうけをしたということになります。坂本龍馬が生きていたらそうはならなかったわけで、岩崎弥太郎が創設した三菱は、坂本龍馬暗殺の上に成り立つ会社ということになります。
三菱という会社は、「三菱ゼロ式戦闘機」でわかるとおり、脈々とつながる武器商人でもあります。ドラマでは、そのことを、岩崎弥太郎のことばとして、「戦争こそが金儲けのビッグチャンスだ」といわせていました。
下條竜夫拝
【13】ハンターSトンプソンの映画公開
「GONZO-ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて-」が2011年2月19日から公開されるようです。gonzo-eiga.com
【12】是枝裕和(これえだひろかず)監督作品を見て
「誰も知らない」
これは私が沖縄市に住んでいた頃、公開されたフィルムです。主演の柳楽優弥(やぎらゆうや)が主演男優賞を獲ったり、この作品自体もキネマ旬報で1位になっていますからご存じの方も多いでしょう。
那覇で見損ね、どうしても見たくて、今はなくなっていますが名護シアターという沖縄本島北部の映画館で見ました。往復の高速代金とガソリン代、駐車料金、入場料でかなり散財しました。が、その甲斐あってか傑作でした。
時間の経過がこの映画の見せ所です。
最初と最後で次男坊の顔つき体つきが違っています。かなりのリアリティです。いっぺんに撮影せず、何回かに分けて撮られたと云うことですが、それだけに作り手の本気度を感じます。
母親に新しい彼氏(旦那)が出来、子ども4人をほったらかして出て行ってしまいます。何とか生活して欲しいので、機会あるごとに長男にお金を渡しに来ようとしますが、続きません。長男が「お母さんは帰ってくる」と下の子たちに言い聞かせているものの、それぞれ成長して長男の嘘を見破ります。
‘こういう映画が見たかった’と手を叩きたくなります。
クリスマスケーキを安く手に入れるために、投げ売りが始まるのを待っているとか、カップ麺の残り汁をご飯に浸して食べるシーンなど説得力を持っています。
良くできた映画です。私は日本映画の記念碑と言って良いくらいだと思います。
「幻の光」
それぞれ子どもを抱えた男女が再婚で一緒になり、落ち着くまでを描いた映画です。
監督の処女作、また江角マキコの初主演作品です。
江角マキコ演じる女の元の亭主が自殺する以外は特に大きな事件もなく、淡々と話は進みます。だからといって決して退屈な話ではなく、味わいのあるものに仕上がっています。
欠点としては江角の生活感の無さでしょうか。元々モデルで顔もスタイルも美しい。普通の主婦に見えません。漬け物にするであろう大根を洗いながら近所の人と挨拶を交わすシーンなどで、嫁ぎ先である能登に溶け込ませようという意図は見えますが、空振りに終わっています。私は殆どTVをつけませんが、1度「ショムニ」という彼女主演のドラマをたまたま見ました。やっぱり容姿が奇麗で、周りの女優とは明らかに違う。OLに見えません。手足が長いのです。調べてみると彼女は身長170cmなので、やはり相方には183cmの内藤剛志(たかし)でないと釣り合いがとれなかったのでしょう。
撮影場所を捜すのに時間をかけたのではないかという感じがします。能登の季節感、風俗とかそういったものを出そうと苦心しているなと思いました。
「歩いても歩いても」
力作です。見て約1週間経ちますが、心の中で反芻しています。
さりげない登場人物たちのやりとりが巧く描けています。「幻の光」よりも更に監督の力量がついてきたな、と感じさせます。前述の江角マキコの様に、浮き上がった存在がいません。
長男の法事に故郷に戻ってきた妹一家、弟一家、両親が接する2日間と、短い後日譚だけの話ですが、人物各々の悲喜こもごもが良く出ています。
夏川結衣(ゆい)が非常に上手い演技をしています。阿部寛(ひろし)演じる弟の妻役です。初婚ではなく、先立たれた夫の連れ子を持ち、夫の家族に後ろめたさを感じている。それだけに気をつかって義理の両親、姉の家族に溶け込もうとしている姿がよく表現されていました。
最近、映画誌などに目を通していないので分かりませんが、是枝監督は小津安二郎を意識しているのではないか、と思います。日常的な描写から登場人物の心情を描き出そうとしているところから想像しました。
是枝監督は、「下妻物語」「嫌われ松子の一生」を撮った中島哲也監督と共に、期待している監督です。※中島監督の「告白」は今ひとつという評判ですが…(なんでかなさん、感想を投稿していただけると幸いです。)