気になる記事の転載掲示板
新設されたこの掲示板(BBS)は、私、副島隆彦宛ての読者からの個人メールの転載サイトです。私の「今日のぼやき」ではとても対応できない状態になりましたので、このように拡張しました。
学問道場への入門許可の意味も含みます。別に自分は入門したい訳ではないという人もいるでしょうが。私宛てに挨拶を兼ねた簡略な自己紹介文を寄せてくれた人々と、ここの先進生たちとの情報共有の意味と更なる情報開示方針決定に従う趣旨もあります。以後は積極的に各掲示板の方へ書き込み投稿して下さい。(2001年4月1日記)
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Loginはこちら【45】近年稀に見る悪夢
会員番号4655の佐藤裕一です。
本日は2010年10月16日(土)です。
私はコンスタントに文章を書いて投稿するということが出来ない性質らしく、ぐちゃぐちゃと書き散らしているうちに横道に逸れてしまうので、悩んでいます。
植田信氏はすごいなぁ。公開掲示板だけでも、どうやってあれだけの文章を、毎日毎時間のように投稿出来るのでしょうか。昨日、一昨日と氏の発表文章が1本でいつもより少ないなぁと思ったら、私なんて気付いたらここ一週間、何も書き込めなかった。こんなことなら阿修羅掲示板から優秀な記事を転載貼り付けしていればよかったのですが。
どうも書き溜めている文章をじっくり検証しようとし過ぎるのですが、それを理由にして怠けようとしてしまう根性があるみたいです。ところが時事的な話題は旬が過ぎていくと、どんどん投稿する意味が失われていくのでお蔵入りという悪循環です。
それで昨日だらしなく惰眠を貪っていたら、いまのところ今年一番かという悪夢を見てしまいました。夢なので言葉で細部まで表現するのは難しいのですが、嫌に現実感があったためハッキリ覚えているので、おおまかな内容は以下の通りです。
副島先生の講演会が終わる際に、壇上の先生から「この警視庁外事課の手先が! いい加減にせんと許さんぞと内田に伝えろ!!」と怒鳴られて、私が狼狽していると先生が私の席の横まで来て睨みつけながら「お前、このあいだの講演会でも近くに座って、私をずっとスパイしてたろうが」といった感じで詰問されたのです。その後廊下を足早に歩いていく先生に追いすがって行って、私が「違います、先生! これを見て下さい」と戸籍抄本を手渡しました。先生は立ち止まってしばらく戸籍抄本を見ているのですが、その場にかなり気まずい空気が流れました。私は「気になる記事の転載掲示板にいつも書き込んでいる、佐藤裕一という者です!」と必死に弁明するのですが先生が認知されているかどうかは微妙で、そのうち先生が「ふん、まぁいい。分かった」といった様子で、何故か私の戸籍抄本をそのまま持って行ってしまい、私は「あ……あれ、就活で使うのに……」と呆然となってしまいました。その後先生は同じ建物の一室で、おそらく講演会の反省会のような会議を開いているのですが、私はドアの前あたりでウロウロしながら逡巡したあげくに先生の心証を害するのを恐れて、返してほしいと言えずにそのままトボトボ帰るのです。
以上です。いくら私が意志薄弱で優柔不断な性格をしていることを反映しているとはいえ、なんとも情けない結末の悪夢です。先生を恐怖の対象とする潜在意識が吹き出たものなのでしょう。
何故、いまだに一度も見たことがない自分の戸籍抄本(戸籍謄本ではない)が夢に出てくるのか、そんなものを講演会場に準備しておいている人間なんて余計怪しいし、身元を証明したところで警視庁外事課の職員ではないことを証明出来るわけでもないし、就職活動に戸籍抄本を提出することが必要な職場に面接する予定なんてないのですが。
それにしても夢とはいえ、あまりに酷過ぎる仕打ちですよこれは。
まぁ戸籍抄本や運転免許証を提示したからといって、本当に本人確認が出来るわけでもないでしょうが。盗まれていたらどうする、顔を整形されていたらどうする、指紋を削ぎ落として張り付けていたらどうする……だからDNA認証か。嫌な世の中です。だいたい「自分がスパイではない」ことって、どうやったら証明出来るのでしょう。「悪魔の証明」の一種ではないのでしょうか。無実を証明し疑いを晴らすことを被疑者が要求されるという、最悪の気分を夢で味わいました。
この夢の最後のあたりになると、半分夢であることに気付いていたと思うのですが、そうなるともう同じ夢を見続けることを止めてしまうのです。意識して夢をハッピーエンドになるよう物語を強制して、自分と話す人物の言動を操作したりしても、馬鹿らしいし虚しいからです。夢は意識せずに見るからこそ夢なのだと思いました。
次の講演会ではなるべく壇上から遠くの席に座ろうと決意致しました。
【44】「科学」という言葉を使い続ける限り日本に本当の近代学問は無い
会員番号4655の佐藤裕一です。
● 故・小室直樹先生は社会学問者であり、日本に数少ない近代学問者だ
前出の新聞なのですが、その日の新聞に故・小室直樹先生の訃報が載っていました。
これでようやく公式報道に出ていたことを確認しました。亡くなったのは9月4日、死因は心不全だそうです。ネットのニュースにも出て、ウィキペディアも更新されました。ただその小室先生の訃報について、少々気になるところがありました。
故人の肩書きというか職業紹介が、評論家となっていて、ネットのニュースでもまず評論家となっています。多作だったし多くの日本人の認知は著作を通してですから、確かに評論活動をしていらした評論家であり著作家であることは間違いないでしょうけれども、私は多少違和感を覚えました。あくまでも第一番目には生涯の天職としての、学者と解説すべきではないのでしょうか。
日本人で学者と称するに値する人間が果たして何人いるのか知りませんが、真に学者である人物が第一に学者と呼ばれないのは何かが歪んでいるといえます。
日本の象牙の塔というか、特殊日本的繊細文化に沿って細分化された、閉鎖学界だか学会だか学芸会だか学術団体だかお遊戯会だか知りませんが、まぁそんなところが小室先生の業績をどれだけ認めているのかどうかなんてどうでもいい。
小室先生はもちろん学者です。もっと詳しく言うと社会学者なのですが、それだと社会学専門に限定されて受け止められてしまいます。小室先生は経済学や政治学でも成果を収めています。社会科学の各分野にわたって業績をあげているのですから、「科学」という日本語を使うことを前提にして問題無しとするのならば、社会科学者でいいでしょう。
私は個人的には勝手に小室先生のことを社会学問者、もしくは近代学問者などとお呼びしたいのですけれども。学問者などというのはいかにも言い難くてダサい日本語であり、科学者という言い易くてかっこいい響きにはならないですね。
● 小室先生でさえが最期まで「科学」という日本語を使い続けた
現代(近代ではない)日本社会の空気が、まだ「科学」から「学問」に変更することを受け付ける気配が、微かにも見られません。「科学」という言葉を廃して、この「学問」という言葉に置き換えて、それを正しい言葉遣いとして使うという副島先生の素晴らしい主張と決断は、広く認知されてはいないのです。
この学問道場ですら覚束ない有様です。一度定着した言葉の訂正運動というのはそれくらいの至難の道のりです。その言葉が社会で通用しているという既成事実がありますから、そこに挑戦するにはあえて意図して使っていかなければならない。
小室先生でさえが「科学」という言葉にはあまり抵抗しなかったのでしょう。日本人相手には日本語の枠の中でしか何事も成せませんから、小室先生でさえ日本語との付き合いには折り合いをつけて臨んでいたでしょうが、天才的頭脳の思考においてはさぞかしもどかしく、辛かったことでしょう。
それでも日本語で日本人に論理を説くことを小室先生は止めなかったのです。小室先生の「学問」に対する真剣な姿勢、真摯な態度こそを、私のような若輩者でも見習いたいものです。
「科学」という言葉のまずさを本格的に指摘したのは英語研究をしている副島先生でした。外国語が分かるようになると、母語のまずさもよく見えてくるようです。
英語については副島先生が日本において、最先端かつ最も肝心なところでの第一人者です。改革者どころかまさに開拓者と呼ばれるべきですが、今現在に至るまで重要な諸提言は無視されています。
● 科挙の学だから「科学」。それでいいのか?
しかしながら「科学」のまずさ加減は、英語の「サイエンス」との対応関係においてだけの話ではありません。化学(かがく)と同音異義語で紛らわしくて、わざわざ化学(ばけがく)と呼ばなければ会話で区別しにくくて煩わしいということだけでもありません。「科学」という言葉がそもそも日本語として意味不明なのです。
「学問」はそのまま、学び、問うですね。学習なら学び、習う。学修は学び、修めるで、ちゃんと意味が通ります。「科学」は何でしょうか。科の学(?)、科を学ぶ(?)。それぞれの科目を学ぶという意味合い? それならば学科でいいでしょう。学ぶ科目、です。
「科学」が二字熟語としての意味が不明確どころか、意味を成してないのに熟語として構成されているという、最悪のまずさが根本の元凶にあることを、副島先生は明確に指摘されました。ここ、副島隆彦の学問道場が、もし副島隆彦の科学道場だったら、私は会員になろうとは思いません。
もっとも、意味不明瞭のまま成立している熟語は日本語に沢山あります。それらを1つ残らず訂正せよということではありません。物事を根本から明らかにしなければならない「サイエンス」の訳語が、「科学」などという何だか分かったような分からないような言葉でいいのかということです。
それとドイツ語には「ヴィッセンシャフト」という言葉があり、日本語でいうところの「科学」と比較的近い感覚の用語だそうですね。私はここを掘り下げたところで何か有意義な発見があるとは到底思えないのです。所詮「科学」存続の言い訳になる程度でしょう。
元々、中国の科挙の学が「科学」の由来の大元らしいですが、日本は科挙をついに導入しなかったのですから、わざわざこの言葉を意味を改めてどうする、ということです。日本国憲法第9条における自衛権保有解釈のように、無理矢理に捻じ曲がった解釈をしながら意味をこじつけて「科学」を使い続ける必然性などないはずです。
もっとも小室先生によれば、明治以降の日本の高級官僚制度は愚劣なる隠れ劣化版科挙官僚であり家産官僚ですから、それに向けて使うのならば公務員試験とお受験勉強だけを「科学」とでも称していればよろしいのです。似非儒教体制は本当に害悪です。確かにこの意味でいえば、日本人がやっているのは「学問」ではなく「科学」でしょう。実態に合っているといえば、そうです。
その儒教の開祖と言ってもいい孔子は正名を説きましたが、正名運動は現在日本の言葉にこそ必要です。政治のためにでもありますが、それよりは「学問」のために必要です。英語に対応した新語に造語時点での失敗が多くてそれを引き摺っている。
● 有害無益の失敗訳語、「科学」と「哲学」
西周、井上哲次郎、森有礼ら明治維新と開国の頃の、大翻訳運動の当事者の努力には功罪あるでしょうが、やはり失敗訳語や失敗造語の害は大きい、今に至るまで響いているなぁと判定しなければいけないでしょう。文法に抵触しないところの、1つ1つの失敗単語ぐらいは、直ぐに訂正していきたいものです。
学問用語における失敗訳語でも、最低最悪の部類に入るのが「科学」と、「フィロソフィー」の訳語である「哲学」でしょう。
形而上学とか形而下学とかいうのもありますが、こういう字面を見るだけでウンザリして思考停止するような日本語の方が、普段から頻繁に使うというわけでもないし、まだ訂正し易いと感じます。
繰り返しますが「科学」と「哲学」は言い易く、見た目と音の響きが良いので一般受けしました。国民意識にまで深く根付いて定着してしまったため、そうそう簡単には変更を受け付けないのです。
「フィロソフィー」が、知を愛する学で、副島先生が「愛知学」とすべきであったと指摘していますが、あまりに言い難いだけではなく、こっちも日本においては地名に愛知県があるという固有の事情もあって訂正困難です。愛知県を詳しく学ぶ地域学なのか、となってしまいます。
失敗単語をたかが言葉ではないかと侮ってはいけません。言葉は現に法律に使われるし(法律用語からして無理がある翻訳語が多いことでしょう)、政治は言葉によって語られ、戦争は言葉1つの解釈の違いで引き起こされ、人間の性格は普段から使用する言葉から形作られ、時には人生を決定的に左右します。
「科学」の場合は、その研究者・学者が、最初の出発点からその思考が濁らされるという、最悪の効果効用がもれなく人生についてまわります。その学者が学問者ではなく科学者になり果てるのです。大元の言葉が思考を混濁させる元凶、原因なのだからそうなって当然です。
「哲学」もそうです。「哲学」を学べば学ぶほど愛知学者ではなく哲学者になっていきます。
それが表面上は目に見えないから言葉は恐ろしいのです。言霊信仰者でなくても言葉の重要性は片時も疎かには出来ません。使う側のはずの言葉に振り回される人間、主客転倒です。
別に疎外ではないのだから経済の話ではあるまいし、単語ぐらい訂正すればそれでいい話であって。疎外というよりも正しく明瞭な理解を阻害するのが失敗訳語です。だから間違った失敗言語を放置しては駄目なのです。
別に唯名論とかの議論にまで入っていくことまでしなくていいから、駄目な言葉はさっさと捨て去って死語にして、古語辞典に入れてしまうべきです。それが前近代科学の惨状から離脱して、近代学問に少しでも近付く第一歩となります。
暗い世情のなか、慶賀すべきノーベル章の日本人受賞に沸き返ることに水は差すつもりは毛頭ありませんが、日本語の「科学」を捨て去ってしまえば受賞者を称揚するよりも、将来的にはよっぽど良い効果が期待出来るでしょう。
【43】テレビ業界はもっと競争にさらされるべき
会員番号4655の佐藤裕一です。
私の投稿[43]「●●●●新聞の読後感想文」文中において、読み返したら少々失敗していたことが判明。後で書き加えるつもりでそのまま忘れてしまった部分がありました。まずは失敗原文をそのまま転載、その後抜け落ちた文章を追記致します。
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)
●●テレビ、テレビ●●、●●●、●●テレビ、テレビ●●。伏字にしてみたらニューズ報道の質については、どれも全部似たようなもので新聞と同じです。テレビ局を区別する必要がありません。取り立てて素晴らしいところなんてないんですもの、仕方ない。どんぐりの背比べです。私は民放各社の放送免許を停止しろとか剥奪しろとは言いませんが、
(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)
「とは言いませんが、」で終わってしまいました。大変失礼致しました。この後に続けて言いたかった内容の趣旨は何かというと、私は基本的に資本主義者なので自由競争を肯定します。
なので私営企業の有り様に対して、監督官庁である総務省の総務大臣という国家権力者が、あまりにひどい謀略報道を続けるからといって免許を召し上げるぞ、更新停止処分にするぞという警告や威しに出ることには、例えその指摘と目的は正しくても、率先して賛成は出来ないのです。言論の自由と公権力の介入という問題があります。まず総務大臣はともかくとして、総務官僚なんかにはマスゴミ批判資格なし。
だからクロスオーナーシップの法規制実施についても、私は大賛成ではありません。私営企業の経営形態に対する国家権力の命令、干渉に該当するからです。
公共の電波という観点からすると、といっても公共の電波なんていう本当に実体があるのかないのか、よく分からない概念ではありますが。現状は確かにひどすぎますから是正の必要はあるでしょう。それでもその法規制を総務大臣が言い出すなら、国民の代表の意見だからある程度は許容出来ます。総務官僚が言い出すのは我慢ならない。
さて、何故こんなにもテレビが、新聞もですが腐臭漂う現状になってしまったかと言えばそれは単に権力の走狗、手先になってしまったというだけではなく、会社が淘汰されないからです。
いついつまでもぬくぬくと我が身は安泰で、ふざけきっていられるのです、潰れないと思えば。それが経営者や社員の態度となって表れてくるわけです。上に逆らう行為をしなければ安全なわけです。
つまりこれ、官僚と同じ体質なのです。官僚組織という共同体の原理に違反するはみ出し者以外はクビを切られない官僚と同じだということです。遡っては旧ソ連と同じ閉鎖社会。
なので私企業における競争原理をきちんと働かせるのであれば、もっとちゃんと風通しを良くせよということです。事業参入と退出の自由を確保しなさいということです。需要と供給の原理を貫徹させよ、というのは以前にも投稿しています。
それを今のテレビ局が、特殊既得権益でもって新規事業者を妨害するなんてもってのほかなのです。技術的な問題や手続きなど、その他瑣末なことを考える前にやるべきことがあります。現状は番組制作会社ばかりが競争しているんじゃないですか。
競争があるから駄目になるんじゃないのです。競争がないから腐り果てて共倒れになり、最終的にはみんな駄目になるのです。呆れた実態が判明した排他的互助組織の見本である、日本記者クラブと検察庁みたいな鬱屈した島国根性丸出しの身内庇い合いの閉鎖性が、結局日本を駄目にするのです。現在の視聴率競争なんてのはとてもじゃありませんが競争のうちに入りません。
外国で普通に百何十社が競争しているところもあって、脱落と参加による入れ替わりが激しいというが、よっぽど健全だと思いますよ私は。業界人はもっともっと冷酷な競争にさらされろ、ということです。あとはテレビ局の方向性に特色をつけろ、右へ倣えで同じことばっかりやるなつまらない、ということです。
【42】Re : [41]外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)
菊地研一郎(会員番号2555)です。
この「転載掲示板」の投稿 [41](投稿日2010年10月1日)への追記、
あるいは、1960年代後半日本の核兵器開発姿勢について。
上の投稿の中で、孫崎亨『日本人のための戦略的思考入門』から
次の文章を引用しました。
>長く外務省で極秘文書とされたものを二〇一〇年
>一月二十七日付東京新聞が報道した
図書館へ行って東京新聞2010年1月27日24面を
コピーしてきたのですが、ついさっき
全文転載しているwebページを発見、
少々がっかりしました。
「石田望のメルマガ インターネット版」、
というwebページです。URLは以下。
http://www.geocities.jp/ishidanz/10_03_01.html
この掲示板へ全文転載すると著作権的に問題があるので、二箇所だけ一部分を引用します。
> この「大綱」の色彩はタカ派ともハト派とも色分け
>しにくい。その双方が混合している。
>
> 例えば、核武装については「当面(日本は)核兵器は
>保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的
>ポテンシャル(能力)は常に保持するとともにこれに
>対する掣肘(せいちゅう)(干渉)をうけないよう配慮
>する」と非核三原則に触れかねない視点に貫かれている。
> 六六年に外務省入省の元国際情報局長、孫崎享さんは
>「『大綱』は当時の外務省主流の考え方。六九年当時は
>モスクワ勤務だったが、この文書に関連してか、
>上司から意見を求められたことがあった」と振り返る。
(以上、東京新聞 平成22年1月27日 24面)
前者では、核兵器保有せず、しかし、製造能力は維持する、という大綱の方針が。
後者では、「当時の外務省主流の考え方」と孫崎氏の証言が。
偶然ながら、前者の核兵器開発に関する事柄を、
山田宏哉氏がブログで取り上げていました。
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2710)
NHKスペシャル「”核”を求めた日本」要約
http://hiroya.web.infoseek.co.jp/john2710.htm
1964年に中国が核実験を行い、それに脅威を感じた日本が
西ドイツと極秘に核兵器開発について話し合ったというもの。
私が一番気になったのは、次の箇所です。
> 日本と西ドイツの秘密協議は人目を避けて、箱根の旅館で行われた。
>
> 日本側の出席者は、鈴木孝(国際資料部長)、岡崎久彦(分析課長)、
>村田良平(調査課長)。西ドイツ側は、エゴン・バール(政策企画部長)、
>ペア・フィッシャー(参事官)、クラウス・ブレヒ(参事官)。
何かと話題な“岡崎久彦”の名前がリストにある。
この1960年代後半日本の方針と、現在の岡崎久彦氏の説く
日米関係の緊密化という考えとの間には、無視しがたい違いがある。
その点を追求することは、次の機会に行いたい。
【41】「サイバー官僚」の蠢動
会員番号4655の佐藤裕一です。
前回の書き込み文章と一緒に書いていた文章なのですが、バランスが悪くなったので投稿を2つにわけました。クラウド・コンピューティング事業について、関連して思ったことを書きます。
クラウド・コンピューティングは、今流行りのあの人がテレビで解説していたから、最先端の表面だけ眺める感じの庶民にも認知されてきたのでしょうね。
個人単位ではまだ身近な話じゃないし、すぐには関わりのある話題ではないでしょう。私も、概念が雲のようにモヤモヤしていて、あまりよく掴めないのです。スパコンが巨大サーバーみたいになって情報保存装置として甦ったみたいな話でしょうが、違うでしょうか。
とにかく商売として成立するのであれば、外野が文句を言う筋合いでもないのでしょう。そんなに持ち上げるほど革新的な事業かなぁ、とは正直感じますが、一般にまで普及浸透してくると生活スタイルに影響するから、そうなってはじめて実感するのでしょうね。利便性向上の流れには逆らえません。
技術の進歩によって、人類社会にインターネットの現出という、確かに面白い現象が起こる世の中ではあります。しかし自己表現がし易くなる一方で、集中管理化という嫌な流れも並行して続いています。
『すでに世界は恐慌に突入した ――デリバティブとドルはあと数年で崩壊する!!――』(船井幸雄、朝倉慶著、ビジネス社刊、2009年12月1日第1刷発行)にあるWEBBOT(ウェブボット)って、そういう監視システム作成の一環じゃないのかな。人間行動を機械で予測しようという試みというか、無条件で礼賛しようとは思えませんが、今も活動しているんでしょうか。話題が耳に入って来ないのでよく分かりません。
もちろんそうそう簡単に陰謀完了、完全なる情報支配社会の到来、なんてのはまだまだ程遠くて、これからもぐちゃぐちゃと紆余曲折するのでしょう。最終的には官僚達が管理統制を主導するのです。
先生の会員用の今日のぼやき「1160」「グローバル・ビューログラット・ユナイテッド(世界官僚連合)というものが存在する。現在の政治情勢と金融(為替)やふわふわとした匿名でのネット言論についての私の考えを載せます。副島隆彦記 2010年9月30日」は重要です。
世界官僚連合、グローバル・ビューログラット・ユナイテッド(Global Bureaucrat United)、GBUの正体、実態がどういうものなのか、おいおい先生が話をされるでしょう。
それにしても略称が頭文字をとって、GBU。ゲーペーユーならぬ、ゲーベーユーでしょうか。より下衆っぽくて薄汚い語感がしますから相応しい感じですが、言い難いから普通にジービーユーでいいですね。
インターネットにおいては、多国籍ネットワーク企業の陰謀なんかよりも、インターネットの誕生とともに少しずつ出現してきた警察の「サイバー官僚」が定着する方をこそ、より警戒すべきです。
ネット犯罪撲滅を大義名分にして、「サイバー官僚」達が勢力を強めています。更には法的根拠と政府のお墨付きを後ろ盾に、「サイバー官僚」が影の職場どころではなく堂々と専門の役職と居場所を構えて、国民を監視しようという動きです。最近も一斉摘発などで締め付けを強めています。
前田充浩さんという情報社会学者が早くから「サイバー官僚制度」「サイバー官庁制度」設立構想を提唱していたようです。あくまで氏の意図は効率化と人員削減のようですから、私が勝手にこういう使い方をしていいのか分かりませんが、どう考えてもまず実行力と強制力ある「サイバー官僚」と化すのは総務官僚や警察官僚です。ネット犯罪防止、ネットにも治安対策をとかいうスローガンを叫びだす。
情報収集活動と治安維持こそ彼らの仕事であり生きがいであり、こっち方面では法務官僚や公安調査庁、検察官僚達よりも熱心でしょう。それから防衛官僚ですが、そっちはまぁいいですよ。対外的な諜報活動、防諜活動といった防衛行動こそが主な任務なんだから。対内的な国民に対する警察官達の管理統制を第一に警戒すべきです。
それにしても目に見えていることは、これからも引き起こされるであろう不愉快な事態です。もうやることはテロ、戦争と同じで、仕組まれたサイバー戦争が起こされるのですね。今までよりも大規模なサイバーテロやサイバー攻撃がかの国から仕掛けられて大騒ぎにして、マッチポンプで日本も諸外国に遅れをとらず、本格的なサイバーテロ対策が必要ということになるのです。
あとはインターネットを利用して起きた現実の大犯罪をもっと起こして、わざとらしく過剰宣伝するんでしょう、犯罪予告があったらもっと即座に取り締まろうとか、心の闇とかどうとか吹聴して回って、こいつらは。そういう世界的な流れを作り出して、それに従うように日本もこれからも誘導されて乗せられていくのでしょう。そのために自作自演で検閲・管理と摘発強化を謳いだすわけです。
重掲の、黒瀬祐子さん投稿[93]「ネット言論検閲に対抗を! アクセスを強制的に遮断する「ブロッキング(検閲)」の試験運用が、警察庁の研究調査事業により10月開始[93]ネット言論検閲に対抗を!」による注意喚起に賛成致します。
インターネットも広義の放送に当たるから放送法(電波法じゃない方か)が適用されるとまで言い出して、統制強化をしたがる連中までいて、何かと蠢いている。くたばれお前ら。断固阻止!
そのうち裏方の専門部署だけじゃ飽き足らず、冗談でも比喩でもなく正式に「サイバー官庁」を創設しようと言い出すでしょう。「サイバー官僚」本人達が増長するだけじゃなく、政治家が率先して必要なんだ説き出して追認するどころか、こんなところで政治主導を発揮する始末になるまで行き着くでしょう。ふざけるなよ。まーた国民の自由を妨害しながら、新しい税金の無駄使いの言い訳を作るつもりか。この国は中国なのか。
では、本当に行われ蔓延しているネット犯罪について放置せよというのか。ほとんどのネット犯罪者が逮捕されずに野放しになったままの現状でいいのか? それもこれから先において国内海外問わず、うじゃうじゃネット犯罪が増えていきこそすれ減ることのないであろう世界は、一体全体どうするのか? 無法の荒野のままにせよというのか?
答えはまず最初に、その行為によって直接生じた犯罪被害者が、実際に存在するかどうかが判断材料になる、ということが言えます。不当な仕打ちを受けた被害者が実在するのならば、公正なる捜査をしなければならないでしょう。あとは人が何をしようが本人の自由だから国家権力は干渉するな。放っておけ。被害者がいないところについて、ネット犯罪取締りという見込みのある成長市場があるからといって、勝手に嘘犯罪を作り出すなよ「サイバー官僚」ども。
しつこく繰り返しますが、実際に犯罪被害者がいる犯罪行為への対応は個々の事例に合わせて捜査して取り締まり、違法捜査がなくして、明白なる証拠をもって、裁判で有罪となれば処罰すればいいと思います。それについては明確な罰則基準と適切な量刑を設定することが必要であることまでは否定しません。あとは脱税とかマネーロンダリングとかの、ようはカネの流れを追跡して掴むという話で、これは昔っからあることだから形態がかわっているだけですね。
恐ろしいのは捜査体制の名目でも監視強化、管理統制の方ですが、現行法規では対応出来ない事態の出現とか喧伝されていって、法改正もさせられるのでしょう。なし崩し的に自由が制限されるのを阻止したい。それを防げる国会議員達には本当に、軽々しく安易な判断をしないよう申し上げたいです。
日本の民主党はアメリカの民主党と対応する位置関係にあり、実は左翼・革新政党の亜種でから、そういう全体主義的傾向があり、管理統制に対して元来からの親和性があります。
それでも民主党政権に求む。「サイバー官僚」の中でも、真面目に捜査している部署の人員達はいいとして。小泉政権以降特にひどかった警察の中の、おぞましいネット謀略実行部隊や撹乱情報展開部隊として、愛国派政治家、官僚、財界人追い落としのために害毒情報撒き散らし活動に従事した公務員どもは氏名を特定して、現職でも公務員である者は即座に罷免せよ。
逮捕や訴追については命令した側はともかく、命令された側は公務員の服務規定で忠実に職務を実行したということだから、時効などもあり判断に迷うところだ。罷免については判断を迷わない。1人残らずクビを切れ。
それにしてもこういう治安維持対策、犯罪防止や取締り対策名目で、国民も仕方ないと首肯する状況、情勢を作り上げられて、いつも都合よく騙される。何やらかっこ良くて目新しいからといって、何でもすればいいというものではないということです。悪質なる「サイバー官僚」達が定着出来るような居場所がなくなるような社会運動を盛り上げたいものです。
そのためにはまず国民大多数が肯定しない、積極的に否定するということが必要で、国民の総意という背景がないと政治家も官僚押さえ付けに動かないし、よく分かってる政治家であっても有権者の固い支持が少ないと当然ながら動きにくい。
国民感情に対して揺るぎない決意表明、意思の明確化などを求めても仕方ないのだが、この点は大人の態度であるいつもの、仕方ない、を止めたい。仕方ないという台詞を言わないで、自由への侵害は許せない、という意思表示を明確にしたい。
【40】●●●●新聞の読後感想文
会員番号4655の佐藤裕一です。
私は普段、新聞や日刊紙、週刊紙などを買いません。親が家でとっている新聞や雑誌はたまに読みます。
中退する前の大学生時代には1人暮らしでしたので、ラテ欄のこともあり新聞をとりましたが、確か1年程度で止めてしまいました。
その後にも新聞拡張団だか訪問販売員の勧誘が来て、契約がどうとか粗品の回収がどうとかで、あまり良い思い出はありません。それでもまぁ、企業の営業努力の一種であって、不愉快極まりないNHKの受信料半強制集金体制よりは余程マシでしょうが。今思い起こすだけでも忌々しい失敗をしたんですが、引越し大学一年生狙いの集金巡回員が来やがって、アパートの扉を開けたら、奥にテレビデオが置いてあるのを見られてしまったんです。あれは不覚でしたね。畜生。
とにかく私は、コンビニや駅の売店に置かれている新聞を、わざわざ買いたいと感じたことがありませんでした。
それがこのあいだ、多分ですが生まれて初めて、職場近くのコンビニで●●●●新聞を買いました。
理由というか動機は、パソコンでやった占いで、私のその日のラッキーアイテムが、●●●●新聞と指定までされたものですから。常日頃なら「ふ~ん」で終わりなのですが、現在の個人的な閉塞状況、鬱屈した日常生活からむなしさが募り参っていたので、いつもと違うことをしなければという衝動に駆られたのです。
●●●●新聞の日付けは2010年9月29日(水)。本日はもう10月4日(月)です。それなりの読後感というか雑感をいろいろ書き込もうと考えていたのですが、あれこれ億劫にやっているうちに時期を逸してしまいました。そうなると一気に新鮮味を失いますね話題として、時事的な性質からして当然ですが。私も文章が冗長になるものだからグズグズと書き込みが遅れてしまい、他人のことが言えた立場ではありませんね、自戒すべきでしょう。
なので今回は強い新聞批判は控え、自己検閲、自主規制を致します……そんなわけはありません。そういう殊勝さというか、日本的物分りの良さが日本を駄目にするのですから。新聞は批判精神がモットーのはずですから、当然ながら批判されてもいいわけです。
それで●●●●新聞なのですが、まぁ伏字にするほどのことはないんですけど。大手紙で、経済関係の記事をメインにしているスタンスの新聞社の新聞です。
昔の新聞紙面を今更読み返してもしようがないので思い返してみると、なんだかやたらとクラウド・コンピューティング事業を宣伝しているのが目につきました。その印象ばかりが強烈です。
金と銀の価格が高騰している記事があったことも記憶していますが、地味な感じの話題で隅っこに追いやられていて、話題としては敬遠されている感じです。でもこっちの方が余程重要でしょうよと。第一面もレアアースの話で国家として輸入元を中国に頼らないようにすると。レアメタル確保とかもそうですが、大きくは実物資産、実物経済はもはや無視出来ない不可避の流れだなと実感しました。ペーパーマネーやら国債なんかは、所詮紙切れだから信用出来ない。同時に新聞も紙切れだから信用出来ない。……あまり上手くなかったですね。失礼。
まぁこのように、私が買った日付けの●●●●新聞の記事は巷に聞く程の、謀略報道で紙面が穢れて埋め尽くされているというような悲惨な状態ではありませんでしたので、少々肩透かしでした。特捜検事逮捕による検察の組織防衛批判、追求も一面でやっていて、それなりに中身もありました。クラウド・コンピューティングのやかましい宣伝以外は、ごく普通。これだったらきっと他紙の方がひどいはず。
政治や国際情勢については、あれが主筆の●●新聞とか、私が大学時代にとってた●●新聞とか(ここにはもっと良心的な報道を期待してたのに、残念)、あれがオーナーの●●新聞とか、カタカナなのか漢字でも略すのか略さないのかハッキリしない感じの●●新聞とか、全国紙なのか地方紙なのか中途半端な●●新聞よりも、比較的マシな報道をしているんじゃないかと思った次第です。
それにしても伏字にしてみて改めて実感したが、もはや右も左も保守も革新もないな新聞は。●●●●新聞は経済主眼だからおのずと特徴あるけど、その他はたいした特徴もなければ特長はもっとないから、ちゃんと区別する意味もない。各社横並びで一斉に無駄な世論調査を連発するし、都合が悪くなったらピタリと止める。新聞なんて全部一緒だから、十把一絡げで結束ヒモでまとめて問題なし。
まぁ謀略にも他紙と歩調合せたり役割分担したりで、緩急つけなきゃですからね。経済系の新聞ですけど、もうネット見れば済むわけで。私は地球環境が~というのが嫌いなので、地球環境のために森林を伐採して新聞作るの止めたら? という強烈な皮肉はあまり言いたくありませんが、今の体たらくでは言われても仕方がないでしょう。山田宏哉さんの見解に概ね賛成致します。
新聞業界は宅配制度と、頑強に残り続ける定期購読者層に守られて、謀略報道として占める役割も低下し、テレビほどの影響力は及ぼせなくなってしまいました。需要逓減に歯止めがきくとは思えませんが、需要ある限りでやったらいい。ネットで、活字離れじゃなくてただの新聞離れだよと指摘されています。手厳しいがこれも事実でしょう。
若者の活字離れなんて表現は、さすがに馬鹿にしすぎです。直接ペンを握って書くという機会が若い人ほど減っているのは間違いないでしょうが、単にキーボードで打つようになったということであり、閲覧する方は目で見て読むことに何ら変わりありません。現代日本で新聞の原稿を手書きで執筆している記者は何人いることやら。
字が読めなければまともにインターネット閲覧など出来ないですし、情報の交換だってそうです。最低限の日本語が出来なければどうしようもないのは、ネットでも現実でもさほど差はないでしょう。漢字については変換機能に頼ってしまうため、直接書けなくなってきているという悪影響があるのは確かでしょう。それから意思疎通能力の低下についてもネットの害がありますが、これは新聞とは関係ありません。
新聞も紙じゃない何かの材質で、未来新聞っぽい斬新な何かを作るとかすれば起死回生があるかもですが、そりゃもう新聞じゃありませんね。あとは映画のハリポタみたいな、写真が動いて立体になる新聞とか?
個々の職業と仕事の話じゃなしに、本当に1つの業界そのものが存在意義が低下していき、徐々に衰退し、いずれ消滅していくということはあるものです。ラジオと同じ道のりで、これからもどんどん飽きられて無力化していくでしょう。ラジオと同じようには経営出来ないでしょうけれども、地方紙なら特色を出せるので生き残りがあるのかな。
さて、新聞が無力化していくということは、同時に無害化していくのも世の常で、役目が終わっていくとすれば、謀略の元締めや広告主達から宣伝効果無しで、無用の道具として使えないとなって相手にされなくなるのに連れて、やっと本来の社会の木鐸という、真実の報道と真の警鐘を鳴らすという仕事が出来るようになるんじゃないでしょうか。
翻って似たような性質の通信社大手はどうでしょうか。経営実態は知りませんが、●●通信と●●通信は情報提供元の方ですから、本当に有益な情報を供給し続けて、需要側を満足させなければ今後は生き残れないでしょう。
全国紙と経営が繋がっているテレビ業界の方は、終焉はまだ先の話ですね。映像の力がある。新聞を切り捨てても進めるし、新聞の方がテレビより先に誕生したから格上だったりするという、実勢に合わない関係の状態も解消したらいいでしょう。
●●テレビ、テレビ●●、●●●、●●テレビ、テレビ●●。伏字にしてみたらニューズ報道の質については、どれも全部似たようなもので新聞と同じです。テレビ局を区別する必要がありません。取り立てて素晴らしいところなんてないんですもの、仕方ない。どんぐりの背比べです。私は民放各社の放送免許を停止しろとか剥奪しろとは言いませんが、
以前も述べた私見ですが、民放は捏造曲解ニューズ報道と不公平言論番組をスッパリ捨て去ればグンと良くなるでしょう。お笑い馬鹿番組と、日本の文化であるアニメ番組、後はドラマや映画放送、美しい景色紹介というような映像作品で、提供元の映像産業の分野と協力して、視聴率とコマーシャルとってやっていけばいいと思うのです。
朝っぱらから醜悪なワイドショーとか、結論が決まっているやらせ討論番組などうんざりで、どんどん国民から嫌われていっているのです。不偏不党で真実の報道なんてどうせ期待出来ないんだから、この際言論と報道をさっさと諦めてしまって、ネット言論・ネット報道と棲み分ければいいです。ネタが無いからといって、とりあえず政治家を批判攻撃しておけばいいというのは最低の姿勢です。別のことをやればいいのですテレビは。
まぁそんなこんなでテレビの有害な謀略放送は当分続くことでしょう、スポンサーで根元から牛耳っている●●支配も健在なことですし。
しっかしNHKだけでも一足先に解散させるか完全私営化させるか出来んものかね。教育の方は面白かったりするんだけど。総合が何ともねェ。●●支配を受けていないからって、さしてたいした報道してないよあんたら。民放と違って真面目だという、つまり大真面目であのザマだ。半公務員どころかその実まんま公務員の木っ端役人だから、真の体制権力者の権威と命令に刃向かえるわけがない、だから危険な真実など報道出来るわけもないという道理。即ち税金で運営するほどのもんじゃない代物。たまに質の良い特集番組を組んだりするぐらいじゃ、さっぱりもとがとれてないよ。すぐさま徴収やめろ。
それにしても寂寥感漂うのは新聞です。国民文化としても段々捨て去られて、顧みられなくなる。そのうち過去の遺物になってしまう。新聞記者や編集者、経営幹部達は、支配者から見放されて解放されラジオと同じような立場になった時に、せめて真実の一切合財暴露で有終の美を飾ればいいと思いますよ。それが私の●●●●新聞、読後感想でした。
【39】Re:[41]外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)
会員番号4655の佐藤裕一です。
菊地研一郎さん、投稿「[41]外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)」をありがとうございます。こういう文章が既に公表され、記事になっていたとは存じ上げませんでした。
外務省職員にも秘かなる対米自立思考の方々がいたのですね。もちろん外交戦略として大々的に打ち出せるような話ではないでしょうけれども。属国の現役外交官達にもそれくらいの気概は抱いてほしいものですね。
【38】外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)
菊地研一郎(会員番号2555)です。
私はこの「気になる記事の転載掲示板」に、
[2]『保守主義の政治哲学要綱』(昭和35) を
投稿しました。投稿日は2010年6月9日です。
そこには、小沢一郎の持つ政治思想のルーツを
辿ってみよう、という意図がありました。
本日、その第二弾として、
外交政策企画委員会
「我が国の外交政策大綱」
(昭和44年月25日)
を貼りつけます。
孫崎亨の著作(後述する)からの
孫引きになりますが、
もともとは東京新聞の
2010年1月に載ったものです。
内容について、私が注視したのは、
〈米国依存を減少させ、自国の防衛力を高める、
かつ国連との協調を図ることを原則としている〉
という点です。
小沢一郎『日本改造計画』は毀誉褒貶ある著作ですが、
国連重視の姿勢を言う箇所は特に世評が今ひとつです。
この国連重視という案の意図は何であり、
どこから出発していたのか、
以下の文章を読んで、私はやっと腑に落ちた
という感覚を得ました。
では、孫崎亨の著作である『日本人のための
戦略的思考入門――日米同盟を超えて』から、
「我が国の外交政策大綱」を説明している
部分を引用します。
〈かつて対米自立派が外務省中枢にいた
「外務省」と言えば「対米一辺倒」、これが今日の姿である。多くの人は「対米一辺倒」を唱えない“まともな”外務省員はいないとすら思っている。
手元に一つの文書がある。長く外務省で極秘文書とされたものを二〇一〇年一月二十七日付東京新聞が報道した。
「政策企画報告(第一号)
我が国の外交政策大綱
昭和44年9月25日
外交政策企画委員会
(以下内容の一部を要約)
・わが国国上の安全については、核抑止力及び西太平洋における大規模の機動的海空攻撃及び補給力のみを米国に依存し、他は原則としてわが自衛力をもってことにあたるを目途とする
・在日米軍基地は逐次縮小・整理するが、原則として自衛隊がこれを引き継ぐ
・国連軍(国際警察軍)、国連監視団に対する協力をする。状況が許せば平和維持活動のため自衛隊派遣を実施するよう漸進的に準備を進める。
・軍縮においては日本が米国の走狗であるとの印象を与えることの絶対ないよう配慮する」
これが外務省の書類と知って、多くの人は驚く。今日の若手外務省員だって驚くだろう。「在日米軍基地は逐次縮小・整理する」、「米国の走狗にならない」という考えを、外務省が持っていたのか。
しかも、この文書は、一人の人間が書いたのではない。外務省の要職にある人物が集まり、協議して作り上げた。この外交政策企画委員会とは何だったのか。この委員会の任務は、重要外交案件の審議・政策企画を行なうことにあった。次官ないし外務審議官(事務方ナンバー2の地位)を委員長とし、局長、参事官などごく少数の幹部で構成した。当時の外務省中枢が参画した。この動きの中心に斎藤鎮男(官房長、駐インドネシア大使、駐国連大使、故人)がいる。
文書は対外的に発表していない。参画した人の胸の内にしまわれた結論と言ってよい。関与した人がほとんど故人になった今、外務省関係者でこの文書の存在を知っている人は、ほとんどいない。
この「我が国の外交政策大綱」の文書は、米国依存を減少させ、自国の防衛力を高める、かつ国連との協調を図ることを原則としている。この理念は、今日の外務省とまったく違う。〉
(孫崎亨『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』、祥伝社、2010、pp.206-208)
【37】アジア政治経済掲示板から転載貼り付け16
会員番号4655の佐藤裕一です。
アジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。これで以上です。
投稿[1463]は5月1日に投稿しています。「米・官・政・業・電」の悪徳ペンタゴンという既得権益保守勢力による、6・2反小沢クーデターと鳩山首相辞任が起きる前です。この時点では私は自民党の復権を強く警戒し心配していましたが杞憂でした。しかしながら、それどころか党内反動勢力に政権をのっとられ、主導権を握られてしまった。
日本の欠陥政治メトロノームは未だに直っていないのだ。4年~8年くらいの間隔で首相交代や政権交代が定着するのが、一番望ましいという私の考えは変わっていない。日本は首相在任期間が短すぎ、政権交代が起きない期間が長すぎるのである。
但し、どんな首相だろうが在任期間が短いという理由のみで交代すべきでないなどという単細胞でもない。肝心の政治の中身が駄目なら、もちろん時期などにかかわらず交代すべきである。
【佐藤裕一による転載貼り付け始め】
[1463]振り切れたメトロノーム 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/05/01(Sat) 22:01:34
会員番号4655の佐藤裕一です。
まず、今回の投稿文章は、当たり前と言えば当たり前のことばかりを書いていますので、必ず読んで下さいとは言えません(普段から言ってはいませんが)。もしお読み下さるかたがいらっしゃいましたらどうぞ、ということに致しますので、どうかご宥恕をたまわりたく存じます。
それから、アメリカのDemocratic Partyの日本語表記である民主党と、日本の民主党の名前が同じで非常に紛らわしいので、以降の本文では混同・混乱を避けるため、日本の民主党のことをここでは便宜的に、「日本民主党」と表記致します。
日本の民主党は、結党時から既に名前で自由民主党に負けているのが弱点の1つだなと、ずっと思っていました。自由民主党は自由でもあり民主でもある党、民主党は民主はあるが自由がない党、などと言われる原因になってしまいます。自由党を吸収合併した時に「日本民主党」とすれば良かったのでしょうけれども。しかし、自由民主党がこれからどんどん意義の無い政党として終わっていってしまって、党名変更などの悪あがきをしながら分裂・解体・消滅していくとすれば、民主党という名称のままでもいいかと今では思っています。そうなると別の政党が民主党と競うことになるということです。
では以降、「だ・である口調」の文体でいきます。
● 反体制派知識人の短期的思考
次の参議院選挙において、日本民主党を敗北させるため立候補者を多数落選させるべきだと説く、主観的には剥き出しの善意の塊のような日本知識人がいる。予測なのか希望的観測なのか分からないが日本民主党の大敗を予想している。
この知識人は、他の有象無象の、アメリカとテレビ・新聞・電通の手先の似非知識人・御用評論家・茶坊主学者・手先言論人・ポチ保守とは違って、日本では珍しいタイプの、本物の反骨精神あふれる知識人・評論家であるとは思う。常に在野で反体制派言論の立場にいる。
以前は当時野党の日本民主党を支持・応援していたご意見番のような存在であったが、あの奇怪な裏のありそうな大連立騒動以来は反民主、特に反小沢に転じた。未読だが反小沢になる前に小沢本も出しているらしい。
元々左翼体質の平和主義者であろうから、憲法や自衛隊のあり方(小沢氏の国連待機軍構想など。この知識人の意見とは何の関係も無いが、私は現時点ではあまり賛成出来ない)についても見解を無理にあわせていた感は否めなかったし、小沢氏とは肌合いが合わなかったので、あの騒動がなかったところで、どうせいつかは決裂していたのであろう。
この知識人の主張は、概ね以下のようなものであると認識している。生母からの大金贈与を知らないと言う首相や、政治資金で土地を購入して反省もなく辞任しない傲慢幹事長といった金権体質の政治家に率いられ続け、しかも日本民主党議員は唯々諾々と従い指導体制批判をせずに沈黙し、政権を取った途端に堕落し、さらに居丈高になり目に余るほどに日本民主党議員は驕り高ぶっている、というものである。両院の決議にある政治倫理綱領を遵守せよ、さもなくば議員辞職せよと声高に叫んでいる。
だから日本民主党を選挙で叩き落さなければならない、民意を正しく突きつけなければならないということである。その他、日本民主党の多くの政策、政治手法にも反対している。
この人のサイトの投稿文章を毎日のように読んでいて少し考えた。私はもとより個人主義者であるから、特殊日本的リベラルと特殊日本的中途半端保守がごちゃまぜになった烏合の衆であり、それを束ねるための小沢幹事長強権体制の全体主義体質政党である日本民主党は本来から、好きではない。
そしてこの知識人自身も根っこが左翼なだけあって、実は隠れ全体主義体質であるから同様にあまり好きではない。全体主義の方向や手法・主張の仕方が、この知識人と日本民主党とは違ってきたということである。全体主義者と全体主義者は向いている方向が違うと激しく対立するのが宿命である。だから私が日本民主党を批判しようとする角度が不一致なので、私がこれから反民主に転じることがあったとしても、この知識人の主義主張に共感することはない。
私はこの知識人の一部主張について理解出来る部分もあるし、賛成したいところもあるのだが、やはり今のままでは大きい部分で賛成出来ない。
● 健全に定着出来ない日本の二大政党政治と政権交代
それはつくづく思い知らされていることではあるが、アメリカにおける共和党と民主党の対応関係と二大政党制・政権交代の歴史を、そのまま日本における自由民主党と日本民主党の対応関係と二大政党制・政権交代の現状に当てはめて考えることは、到底出来ないという現実があるからなのだ。日本は二大政党政治が「健全に」定着していないからだ。
アメリカの共和党(保守)と民主党(リベラル)の関係は、日本の自由民主党(特殊日本民族的保守)と日本民主党(リベラルっぽい)の関係と類似しているというか、関係性を類推して考えることが、とりあえずなんとか可能ではある。またはイギリスの保守党(保守)と労働党(リベラル)の関係と比較してみることも出来る。先生も専門であるアメリカの保守とリベラルの政治的対立の分析においても、ひとまずはこれを提示される、大きくて一般的な理解の仕方だ。世界普遍価値からの見方を当てはめるところから始めるからであろう。
何故このような、各国家・国民の社会的特殊性や歴史的経緯・事情の相違や、言葉の意味のねじれまでを無視した乱雑な一般的理解を一旦はしなければならないのかというと、もちろん現状でも右と左の対立関係が未だに世界を覆っているからだ。ソ連が崩壊してからもこの政治対立の図式はしぶとく滅び去っていない。だからそういう枠組みの大雑把な見方を、思い切って一度はしてみなければならない。
それにも関わらず、やはりどう考えても日本とアメリカでは政治制度や意識どころの話ではなく、人種も宗教も社会も文化も思想も歴史的背景も何もかもが違いすぎる。この彼我の差はとてつもなく大きい。
前提がほとんど共通していないのであるから比較も大変難しいわけで、社会学上及び政治学上の分析には大胆と慎重、両方の態度をもって臨む必要がある。西欧近代国家同士ならまだしも、日本と西欧諸国の政治実態を、そのある一部だけを取り出して比較してみたり統計をとったりすることが一体どこまで有効で有益なのか、はなはだ疑わしいと言わざるを得ない。
それにしても二大政党は日本には合わないのであろうか。例えば、太平洋戦争敗戦後※の日本において政権交代が定着していないし、二大政党制が未だに根付いていないということである。
※私は戦中、または戦前の明治維新以降の帝国議会史・憲政史を、デモクラシーが行われていたというのは疑っている。民政党と政友会の二大政党と政権交代の歴史もまた近代国家のそれと同等なものとはみなしていない。私は憲政の常道と呼ばれるものも胡散臭い感覚があり信用していない。弱腰の議会政治家が、統帥権の独立を振りかざす軍部(特に陸軍)につけ込まれて戦争への道を突き進んだのだという認識も、真実の表層、一部の側面であろう。だから大日本帝国が、途中からどんどん天皇の意思が通るとは限らない立憲君主国になっていったという解釈も、当然とらない。この点で小室直樹先生の見方と私は相違がある。私は大日本帝国は明治維新から敗戦までずっと実態は専制君主国だったのではないかと疑っている。立憲君主国は見せ掛けだったのであろう。だがこの点については私はもう少し勉強しなければならない。
●日本社会党の存在価値は護憲的ブレーキのみ
片山哲内閣、芦田均内閣以後の五十五年体制成立後の政治状況下においては、一見すると自由民主党と日本社会党の二大政党制に見えるが、ついに社会党は政権交代を自力では起こせなかった。これは日本共産党がいてもいなくても同じだったのであろう。先生は浅沼稲次郎が山口二矢に刺殺されなければ、あの時には確実に社会党内閣が誕生していたとおっしゃっているが、私にとっては歴史上の出来事なので自分で見聞きした事もないし、時代の空気を吸っていないので、これについては何とも言えない。
日本における左の存在価値というのは、単に右の暴走を牽制・阻止し、しがみ付いて足を引っ張るブレーキの役割でしかなかった。その役割自体は適切な「国内の」政治バランスを保つためにも期待されるものだから、決して全否定すべきことではない。欧米の政治体制にもそういう側面がみられる。
アメリカの大統領選挙などと違って日本は議院内閣制を採用していることもあり、首班指名においては基本的に衆議院第一党から内閣総理大臣が選出されるのだから、第一党の座にずっと同じ政党が居座っていれば、首相を誰にするのかも自然と与党内の互選が先決されるようになってしまうのである。
首相公選制(国民投票による直接選挙)を採らない以上、政権交代をするには衆議院総選挙での勝敗が政権交代の鍵となる。内部権力抗争による分裂を誘導したり、大連立を成立させるなどして、政略を用いて政権交代を実現することも可能だが、選挙による民意の反映の方がより健全であり望ましい姿であることは言うまでもない。ただし私は前述の知識人と違って、政略の入る余地を完全否定まではしない。
ところが欧米にとっての左の諸政党とは違って、日本にとっての左(社会党・共産党)は単なるブレーキ(護憲、反戦平和)でしかなかった。自民党はアクセル(改憲派、自主憲法制定理念)とハンドル(政権運営)とブレーキ(安保体制維持)をみんな持っていたから旧社会党の役割は限定的だ。
それに加えて社会党だけではないが、まともな政治綱領や政策綱領がないということがある。アメリカ・西欧の左派政党(極左以外)は、いくら表面上の理想的(空想的)な政治目的・目標を選挙公約に掲げてはいても、それなりに実行・実現可能な政治綱領や政策綱領を作成して持っているだろう。それが議論の上での合意としてきちんと成り立っている。日本社会党からは、本当に真剣でまともな政策が国民に見えてこなかったのだと思う。しかも後で簡単に捻じ曲げ、結党の信念も投げ捨てて恥じなかった(しかも今に至って自覚が薄いのだから始末に負えない)。
欧米の左派政党と日本社会党の違いは他にもある。「国外要因」が内政に与える影響の強弱である。欧米の左派政党は、あくまでも民主政体を維持した上での左であって、一党独裁が目的ではない。例え左派政権が樹立されても即座にソ連の東欧の衛星国のように組み込まれるわけでもないし、あくまでも体制の枠内での左である。
西ヨーロッパには地続きのソ連との政治軍事的緊張があったから、各国の保守派に警戒心はあっただろうことは分かる。この点ではソ連とは海洋を隔てているアメリカの方がより穏やかであろう。アメリカの左である民主党政権は冷戦期間中に何度も成立しているが、だからといって大統領が当選直後にソ連の軍門に降る宣言を出す、などという事態が訪れるはずがないからだ(マッカーシーのアカ狩り旋風のように、事態を想定して警戒していた人々はいただろうけれども)。欧米の左翼政治勢力は基本的に民主政体の放棄を掲げていないのである。
● アメリカの要請と世界情勢が自民党に存在理由を与えてきた
対して冷戦中の日本社会党には、単独もしくは日本共産党と一緒に政権を樹立したとしても、東側陣営につかない、米軍を追い出さない、さらにはソ連軍を国土に引き入れて西側陣営との対立に入らない、という確実な保障はなかった。
少なくとも日本を戦争で痛めつけた過去を持つアメリカの政府と官僚は確信出来ないはずである。いくら社会党が反戦平和と護憲をお題目のように唱えてはいても、野党だから言っていることであって政権を奪取したら豹変する恐れが拭い去れない。社会主義的な自主憲法を制定して民主政体を放棄する可能性がある。そうなったら日本は牙をむく再軍備となるのである。アメリカによるアジアの対総合政策・戦略が根底から瓦解してしまう。
社会主義者の故・向坂逸郎は、護憲・非武装中立政策は日本が資本主義の間だけ唱えていることであり、社会党政権になれば当然社会主義憲法に改訂・軍備を持ってワルシャワ条約機構に加入する、そういった主旨の発言をしたという。
だからあの時代の世界情勢では、とてもじゃないが米ソ世界覇権競争の対立時代(これがいわゆる冷戦だが、実際に両国軍が直接交戦したことなどは、ほとんどないはずだ。代理戦争ばかり)の真っ只中で、社会党などに政権を渡すわけにはいかなかったわけだ。日本は西側陣営、特にアメリカにとっての反共の防波堤であり不沈空母であった。社会党は、自民党の掲げるマッカーサー元帥と占領軍が付与した憲法第九条の改正及び自主憲法制定だけは断固阻止出来たが、結局はアメリカの望みどおり、最後までそれだけの批判野党であり続けた。
だから戦後日本政治は、政権交代によってではなく、与党自民党内の派閥力学・権力闘争による結果として政策の修正や方針転換なども行われてきたわけであったことは、もはや多くの国民が認める事実である。どの派閥から首相が出るのかが重要であり、首相や多くの閣僚を出せない非主流派・反主流派の派閥の領袖が伝統的に党内野党党首の役割を果たしてきた。これで多くの国民の不満も吸収出来ていたし、能無し左翼を尻目にして何事も丸く収まっていた。冷戦が終わらないで平和を維持できることと、経済・産業が万事うまくいくことが免罪符であった。
吉田茂以来の歴代の老練な現実主義的保守政権担当者たちは、社会党・共産党はじめ国内左翼勢力が存在すること、それ自体すらもアメリカに抵抗するための外交交渉カードとして使ってきた。アメリカがあまりに自民を痛めつけ過ぎてしまうと、反共の防波堤であるはずの日本に左翼政権が発足し、社会主義陣営に組み込まれてしまうという悪夢が現出する可能性を、ちらつかせることが出来た。アメリカはその万一の悪夢が払拭しきれない。
保守派も含め経済成長に邁進する大方の日本人の方がかえって安易に、そんな事態は来ないだろうというのが実感だったと思う。極左や過激派は操られながらも散発的な闘争を続け(内ゲバ含む)、革命を諦めていなかったが、どんどん大多数の国民から見放され、相手にされなくなっていき先鋭化・孤立化していった。
こうやって、アメリカに対してダダをこねる(安保タダ乗りなど。実際はタダなわけないが)抵抗・脅迫作戦で属国の平和と繁栄を達成してきたのだから、今となってはそれはそれで評価すべきである。そしてソ連崩壊後、当然このソ連カードの価値は失われた。全て先生が政治本で書いて指摘している通りである。今の日本はせいぜいが反中の防波堤、反北の防波堤が関の山である。それらの外交カードの効果はもはや極めて低いと言わざるを得ない。
● 擬似民主制国家日本
植草一秀氏が普段から主張している通り、政権交代が起きないで何十年も経過するような政治状況では例えいくら大きい政党が二つ有ったとしても、二大政党制などと呼べる代物ではない。それは見せ掛けだけの、擬似民主制国家である。
日本人が、アフリカや中南米、中東・その他アジア国家など外国の政治実態を伝える情報や解説を見聞きする時、その国でやたらに長い任期を誇る大統領が君臨していたり、特定政党の多数による議会政治支配が数十年にわたって公然と続いていると知れば、あぁその国は体裁だけの嘘っぱち民主国家なんだなとすぐに分かるだろう。だが実は、日本も似たような擬似民主国家だったのだ。自分の顔を自身の目で直接見ることが出来ないように、自分達自身のことは意外と見えないわけだ。鏡を使わなければならない、つまり比較することが理解にとって大切である。
しかし例えそういう擬似民主制国家であっても、煩わしい外国という存在を常に無視は出来ない。国際社会からうるさい批判をあまり受けたくないし、貿易や産業・経済における対外取引上の関係もあるし、自国民の不満もガス抜きせずに溜まりすぎると安定統治に悪影響を及ぼしてくる。下手をすると内乱や紛争に発展したり、世界覇権国から何やら言い掛かりをつけられる口実を与えてしまい、平和維持部隊と称する軍事介入を招く恐れだってある。だから、その国の既得権益を握りしめる支配者層は、民主制・民主化を全く考慮に入れないというわけにはいかない。それで言い訳程度に中身のない出来レースの不正集計選挙を実施し、申し訳程度の御用野党の立候補者に何人か議席を与えたりもする。それだけならまだいい方で、その議会自体にも実質的な立法権さえなかったりする。当然、司法の裁判所などは言うに及ばず、現体制にお墨付きの承認を与えるだけの白々しい存在である。支配者一族と与党、それに軍部と行政官僚機構だけが実際の権力を握っている。憲法も単なるお飾りのことが多い。
戦後日本の自民党単独長期政権も、諸外国からそのような目で見られていたということを考慮しなければならない。すなわち中国をはじめとして、現在でもあるアジアの後進国の開発独裁体制と似たり寄ったりの政治体制がずっと続いていたと外側世界から見られている可能性があるのだ、ということに日本人はなかなか思い当たらない。日本の場合は天皇を思考から除外すると一人の専制的独裁者はいなかった。戦後は高級官僚政治(行政幹部政治)と自民党実力者の折衷権力政治支配体制であった。実に日本的な集団指導体制である。
ここで西欧人に反発というか言い訳してみせることも出来るだろう。西欧人が抱く日本に対するイメージは悪意のある誤解に他ならない、他の開発発展途上国とは違って、日本は本当に公正・公平な選挙を実施して結果としてそうなっていただけなのだ、日本の自民党長期政権の特徴は他のどの独裁国家のそれとも類似し共通するものは見当たらない、首相も頻繁に交代している、自民長期政権は当時の国民による率直な民意の表れであったに過ぎないのだ、と。このように主張するのは簡単であろう。確かに日本は衆議院を首相が解散させることが可能なので、しょっちゅう総選挙を実施している。それなのにこの有様なのだからもう笑うしかない。
だから選挙法制度の不備の問題はかなり大きい。あるいは米ソ冷戦構造のせいであり、無責任野党の社会党のせいであり、日本共産党のせいであり、アメリカの政治的裏工作のせいであり、成長経済育成・保護産業振興政策の成功体験のせいであり、戦後欠陥教育のせいであり、未熟な政治意識のせいであり、日本人が前近代人であるからであり、そして日本文化のせいである。
● 作為の契機がないのに擬似民主政体国家
この辺りが民主(デモクラシー)国家と、外部からの社会工学(ソシアル・エンジニアリング)の手法を使って文明化外科手術を施された強制的民主化(デモクラタイゼーション)国家の違いであり、悲哀であろう。
日本は仕方なく開国し、仕方なく近代国家の憲法典や諸制度を導入し、仕方なく擬似民主化をしたのである。外国から無理矢理そうさせられたのであって、そこに主体性はない。作為の契機はない。この点が重要である。擬似的政治体制である上に、自分達が作為した結果ですらない。職業でもなければ、日本人が政治や法律というものを真剣に考えることすら避けたがる理由がここにある。茶化すことしか出来ない。
全て先生の言う通りである。民衆が自らの意思と実行によって勝ち取った政治制度や、自らが考え出した理念による法律ではないために愛着も湧かない。憲法の条文なども護憲の主張もどこか空々しい、他人のうわ言のようである。だからなかなか定着しない。
● ソ連崩壊後も政権交代のチャンスは何度も悪徳ペンタゴンに潰されている
ソ連崩壊によって、東西対立時代は確かに終焉した。ソ連の理想主義の行き着いた果ては、大粛清と強制労働と農奴搾取と潜在的失業と飢えと貧困と収容所群島であった。近い将来に日本が収容所列島と呼ばれる事態にならないよう祈る。
共産主義体制をとる国家群の退潮は火を見るよりも明らかで、中国、北朝鮮、キューバなど残存勢力は少ないし、もはや統一された陣営というわけでもない。しかも現在では周知のとおりであるが、経済実態は建前である共産主義の理念からは到底かけ離れている国家ばかりであり、続く一党政治支配はそのなれの果てだ。鄧小平の先富論などは、まるで資本主義社会の発展の仕方の話であり、その標語みたいなものである。到底共産主義の一部修正などで済ませられる範囲にはない。
支配者層の既得権力維持と保身だけが目的と成り果てた似非理想主義者の集団に率いられる国家ほど無様極まりないものはない。壮大な社会実験が一億人以上の犠牲者の屍を野原に晒して、ようやく終了した。だのに未だにこの連中を精神的に支持し、加担し、盲従してきたことを認めず、問題意識も政治思想転向した意識すらもない無自覚な元左翼や崩れ左翼が掃いて捨てる程多いのだから呆れ果てる。
ソ連が自滅していったことによって、ようやく日本においても政権交代が許される政治情勢となった。もはや統一された東側陣営はないのだから、安心して政権交代が出来る。その冷戦崩壊後の第一回目の機会は失敗に終わった。小沢反乱で自民党分裂による細川護熙内閣発足、羽田孜内閣(片山哲内閣、芦田均内閣の九十年代ヴァージョン?)という短期間の政権交代が無残に瓦解・失敗していき、社会党と自民党が組んだ村山富一内閣を経て、またぞろ長期間にわたって自民第一党の連立政権が続いた。
みんな初体験状態だったため、あまりに不慣れだったのである。小沢さんの性格の災いと社会党の恥知らずな裏切り行為については、もういっぱい言われていることなのでここでは繰り返さない。きっと外側からの政治謀略もあったのだろう。竹下登の勝利であった。その後竹下は死去。残りの橋本派は要となる指導者を失い、結束力が弱まっていった。
それでついに森嘉朗内閣である。ところがここで政権交代によらない擬似体制変革が起きてしまった。作り上げられた小泉・田中旋風を計画的に利用した、アメリカと官僚、マスコミによる自民延命工作があったのであろう。
植草氏の言葉を借りるならば、小泉・竹中政権は、アメリカ支配者層及びジャパン・ハンドラーズ(外)と日米官僚(官)と新聞・テレビ・広告業界(電)と大資本(業)と自民(政)の、悪徳ペンタゴン五者による妥協の産物である。特に(外)と(官)が、(電)をこき使って主導して(政)を支援した。(業)は様々で一概には言えないが。それら既得権益保有者同士の利害が一致する均衡の上に小泉は祭り上げられて立っていただけのヤジロベエだったのである。
日本安保体制堅持・対テロ戦争協力と、アメリカによる財産巻き上げ・郵貯吸い上げ・雑巾搾り・隷属体制の維持・促進を担当させるための小泉・竹中政権であった。思い返せば小泉は自民の伝統政治を破壊したこと以外には、そんなに画期的な何かをなしていない。政権途中で田中眞紀子外務大臣(当時)をはじめとする愛国派の政治家達が、そのあまりになりふり構わない売国政権の方針についていけず、脱落・辞職・離党・更迭・失脚・落選・引退・逮捕・投獄・放火・死亡・自殺・他殺など様々な謀略手法によって排除されてしまい、多くが表舞台から去っていった。
小泉・竹中政権は自民の延命、その後の安倍・福田・麻生の各政権は短命内閣で総理順送り総裁たらい回しの惰性である(度合いは違えども小泉・竹中売国政権と比較すれば愛国的であった)。構造改革は先送りするばかりで、成果など何かあっただろうか。郵政三事業民営化か。自民党は官僚支配体制を終焉に導いたであろうか。安穏と官僚に担がれて乗っかっていただけではなかったか。
● 欠陥政治メトロノームを捨て去ろう
それで二〇〇九年八月三〇日の衆議院総選挙後における、日本民主党の鳩山由紀夫内閣誕生まで待たなければならなかった。まだ政権交代から一年も経っていない。
自民党が政権与党をとって以来単独か連立かの違いはあれども、こんな有様で二大政党制が機能していたと判断することなど出来ない。二大政党制と政権交代は二つで一つ、表裏一体の関係である。戦後政治史において自民党が政権を明渡している期間はほんのごく僅かである。政権交代が起きて「しまっている」、その一時期は戦後日本政治にとっての例外的な状態であって、それは「非」自民政権という軸で常に語られてきた。
この自民党への極端な揺り戻し期間の長さ、反動の振幅の著しい偏りは、政権交代が定着しているアメリカを始めとする近代国家の代議制民主政体国家の政治実態とは明らかに違う。
ピアノなど、針が一定の間隔で刻むリズムに合わせて、音楽の練習をするために置くメトロノームという物がある。振り子が左右に振れるのだが、戦後日本議会史におけるの政治状態はずっと右にばっかり寄っていて、たまに中央から少しだけ左に戻ったかと思うと、またビーンと右にばっかり向き続ける。これが日本の欠陥政治メトロノームである(不良品)。
日本人は平衡感覚を取り戻さなければならない。片方が数十年、片方が数ヶ月から一年かそこら。これは正常な政権交代ではない。大体、四年から八年くらいまでの間で首相や政権が交代するのがバランスがとれていて望ましいだろう。これが十年になると、もう長過ぎる。弊害の害悪部分が大きくなり益が少なくなる。その段になったら私は例え時の与党が支持政党であろうと反対派にまわる可能性がある。権力は必ず腐敗することを忘れてはならない。ソ連が崩壊した現在、もはや日本人には壊れた政治メトロノームは必要ないのだ。
【佐藤裕一による転載貼り付け終わり】
【36】アジア政治経済掲示板から転載貼り付け15
会員番号4655の佐藤裕一です。
続けてアジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。私の投稿[1462]は今年の2月3日に書き込んでいます。民主党は理想と国民の期待を裏切ってはいけないと書いたのに……。返す返すも残念である。
社会民主主義や修正資本主義などは個人的に嫌いだが、民主党が旧社会党と同じ末路を辿らないためには、いま一度国民の生活第一のマニフェスト理念と原点に立ち返るべきだろう。
【佐藤裕一による転載貼り付け始め】
[1461]新年のごあいさつ 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/01/01(Fri) 12:11:35
会員番号4655の佐藤裕一です。
新年明けましておめでとうございます。学問道場の更なる飛躍と発展をお祈りしています。今年もよろしくお願い申し上げます。
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[1462]自由民主党と日本社会党を反面教師として民主党が学習すべき事 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/02/03(Wed) 20:29:58
会員番号4655の佐藤裕一です。
今回はタイトルの通り、自由民主党と日本社会党を反面教師として民主党が学習すべき事、それから日本社会党と同様に自由民主党が政治の主役から退場すべき事について書きます。以下、「だ・である口調」の文体で書きます。
バブル崩壊が到来し、経済を回復させられなかった上に消費税導入、小沢氏の反乱と離反などが重なった事で、高度経済成長神話という錦の御旗を失った自由民主党は敗北した。当時の保守的な多くの有権者にとっては衝撃的な事態であったろう。私は小学生くらいだったので、あまり臨場感を持って書けない。
自民党は一時与党から転落・下野した野党時代の僅かな期間に、もの凄く下卑た当時の政権与党批判(細川護煕政権・羽田政権時代)を連発したという。
与党連合が分裂解体すると日本社会党(当時)を騙して取り込み、社会党出身の内閣総理大臣(村山富一)を上に戴く事すら厭わずに、恥も外聞もなく無理矢理政権与党に復帰した。だが社会党が政治の主役に踊り出たのは、戦後間もない頃の片山内閣と同様に、本当に束の間であった。
社会党が旧ソ連よろしく人類の理想を裏切って自民党と組み、全ての期待を踏みにじって国民から顰蹙と軽蔑と失望を一手に買い集め引き受けた。
アメリカの内政干渉も裏ではあったのだろうが、基本的には自民党の粘り勝ちであった。待ちの政治家と呼ばれる佐藤栄作首相以来の伝統と資金源を引き継いだ竹下登王朝が院政を敷いていたのであろう。竹下失脚は表面だけでアメリカからの攻撃さえも凌ぎきった。
金丸信の失脚も関連して小沢一郎が政権交代を目指して飛び出したわけだが、アメリカの一部財閥と政治勢力の後押しを受けていたから出来た事でもあった。
それにも関わらず政治の一新・刷新が失敗していったのは、国内政治に関してはアメリカよりも竹下の方が一枚上手といったところであろう。日本とは付き合い続けなければならないのだから、その後アメリカも嫌々ながらに手打ちをしたわけだ。この辺は先生の研究がものすごく詳しい。著書で真実の経緯、属国・日本が辿った政治の軌跡を書いている。いかに属国の国王(竹下)といえども、自分が失脚させられるとなったら帝国相手にでも抵抗する。
それで、民意を裏切ったのは自民党ではなく社会党だと当時の国民の目に映ったのである。確かにそれも事実ではある。
自民党は元来が民族主義的ではあるが現実主義者(国内で使用される普通の意味)の集団であり、保守合同・五十五年体制成立後はその出生の性質通りに、あらゆる政治を派閥の力学と妥協の産物で執り行なってきた。
社会党の自論すら良い部分があれば取り込んでしまうご都合主義の固まりではあるが、米ソ対立の冷戦時代の隙間で国民を生き延びさせた。自民党は戦争をしなかった。飢えから脱出し、国家主導の経済成長と官民あげての産業政策によって、国民生活は豊かになり、食べていけるようになった。これについては一定の評価をする。私は統制経済と国家主導の産業保護などの指導行政が大嫌いだが、あの時代では仕方あるまい。
対する社会党は建前が社会主義者の政党であり、理想主義者が集まっている政党であると見られていた。
自民党は国民の理想を裏切っても、それは強かな国家戦略があり、例え支持者の声を無視しても国益上の観点から、止むを得ない措置や政策を実行する責任政党であると認識する事が出来る。現実主義の政党だから、現実に合わせていくらでも節操なく軌道修正が出来る。無節操・変節漢の集団である。
ところが理想主義の政党である社会党が理想を裏切ったら、これは許されない。現実主義政党にとって理想を掲げる事は一つの手段であるが、理想主義の政党にとって理想とは、人々を惹きつける力の源泉であると同時に命にも等しいものだからだ。それをかなぐり捨てたら激怒されるに決まっているし、失望されて支持者はどんどん離れ去っていく。致命傷とはこの事である。
自民党の当時の最高幹部連中は、事前に事態がどのように推移していくのかを的確に予測していたんだろう。自民の政治家お得意の、待ちの戦略の勝利である。現在の、息も絶え絶えで見る影もなくなった自民と違って、往年の自民はまだまだ余裕があり忍耐強い。
案の定、社会党は壊滅的に崩れた。もはや取り返しがつかないまでに党勢は落ち込んだ後で、共産党と同じ批判野党に戻って名前を社会民主党に変えてみても、手遅れもいいところである。そんな変わり身を有権者が支持するはずがない。これで社民党は二度と政権主体政党になれなくなった。後世まで語り継がれて物笑いの種にされるだろう。
私は子供だったので、あまりよく記憶していない。漠然とした思いであったが、後に私は一時期かなり思想上保守化して、当時の弱体連合与党の情けない実態と、旧社会党の裏切り行為にひどく怒りを覚えた。政治改革を潰し、日本に政権交代が根付く千載一遇の機会を妨害した旧社会党が憎たらしい、唾棄すべき存在であると思った。旧社会党のせいで、それから十数年も政権交代が阻止され封印されたのである。
だが、今では少し考えが変わった。私は全体主義政党が大嫌いである。旧社会党が失敗してくれたおかげで、政権交代の相手側が常に社会主義政党であるという状態を防いでくれた。新しい選択の幅、複数の選択肢が出来たのである。
旧社会党はどうせ時代遅れだったので、あのまま足を引っ張ったり裏切ったりしなくても、早晩行き詰まっていたであろう。いずれ切り捨てて政界の主役としては退場させなければならなかった。早めに滅び去ってくれて助かった。
そんな旧社会党をボロ雑巾のように使い捨てた上で、公明党と離合集散する保守勢力(自由党、保守党など)と組みながら自民党は連立政権の主体でこれまできた。旧社会党といつまでも一緒にやっている必要はなくなったのだから、何かと注文をつけてきてうるさい左翼政党と組むよりも、政権に入りたくて仕方がない宗教政党と弱小保守と組んだ方が政権運営がやりやすい。もちろん憲政の常道に従って最大多数の自民党から内閣総理大臣を出してきた。
それでも、自民単独で両院の過半数を制する事は出来ない。小沢革命、政権交代の失敗による大きい保守への反動が起きていたが、それでも自民一辺倒にはなかなか戻らなかった。あの小泉・竹中旋風の嵐の時期でさえそうだったのである。参議院の事も念頭に入れなければならない。
自民党の凋落傾向は押し留めようもない程であった。高支持率の小泉純一郎政権の登場によって、少しだけ息を吹き返したが、アメリカがてこ入れをして手先内閣の延命を計ったというそれだけの現象であった。歴然と落ち目であったはずが、意図して作られた小泉旋風で国民が騙されて隠されてしまった。それで自民がまた盛り返した。
当時から小泉政権と構造改革を絶賛していた似非知識人連中の名簿と文章を残して、言い逃れ出来ないように後々まで証拠とすべきであろう。私も一時期は訳も分からず小泉支持者であった。社会の閉塞感と、それから個人的な事情での閉塞状況が作用していたように思う。田中眞紀子外務大臣(当時)の更迭ぐらいまでは漠然と支持していたような気がする。
小泉の後の安倍・福田・麻生の順送り政権でもって、自民党は本当にぶっ壊れてしまった。むしろ私はこの安倍・福田・麻生の期間もずーっと小泉にやってもらいたかった。そうすればさすがに小泉のおかしさが国民にも認知されて議論が活発になったであろう。
私は小泉から安倍に政権がかわった時の頃のテレビの言論の奇妙さをよく覚えている。ほとんど小泉長期政権に対する総括がなかったのだ。引退した今でも小泉を批判する人物が表面に出てくる事は少ない。麻生前首相だけがおかしい、訳がないではないか。彼は最後に総裁・総理を務めたというだけの話である。敗因は自民の時代が終わったという事、そのものである。小泉元首相の引退とともに政治の主役から退場すべき時がきたのだ。
自民党は支持基盤が脆弱になってきて、どんどん元支持者が離れていっている。さすがに馬鹿らしくなってきたのであろう。信仰上、強固な支持母体を持つ宗教政党との違いもある。何故か自民支持で今まで来た、奇妙な宗教団体もこれからは自民支持を見直していくだろう。民主党も烏合の衆であるが、自民党だってそうである。利権で繋がった幽霊政党。金の切れ目が縁の切れ目とはこの事。
当時の細川・羽田の弱体連合与党を計略をもって瓦解させた悪事から、十数年経過してやっと自民党は復讐を受けたのである。これと小泉・竹中の先延ばし手先内閣の2つが、遠因(政権交代を「延引」させた事)となっている。旧社会党は裏切った事が誰の目にも明らかであったから、すぐに復讐され責任をとった。
自民党は社会党と組めば、その後彼らがどうなるかを知っていて「裏切らせた」という、一見すると傍目には分かり難いが「裏切った」と同等の薄汚い行為を働いた。有権者、国民への詐術的行為である。その復讐を受けてやっと瓦解した。大変長い時間がかかった。
だから現在の民社国連立政権の鳩山内閣と小沢一郎氏も気をつけるべきだと考えるのだが、理想主義者と目されている人達が理想を裏切り、踏みにじってはいけない。社民党は自らの経験を持って民主党にそう言うべきである。体験談なのだから説得力がある。これが日本社会党が反面教師となるお手本というか、負の見本である。
それから、大連立は民主党から持ち掛けたりするべきではない、という事である。長い目で見ると、思わぬ所から復讐を受ける事になる。行き過ぎた権謀術数は良くない。民主党は堂々とした国民政党になればいい。自由民主党の姑息さを国民は覚えている。これが自由民主党を反面教師にすべき点なのである。民主党は失敗の先例から学習しなければならない。
自民党もしくは自民党の一部などから政権に参加させてほしいと寄ってくるのであれば、それはそれで構わない。もうその人達は、二大政党制の一翼を担うというつもりも気概もない訳なのだから。政務官ポストでも1つか2つ恵んでやればいい。
私は民主党のリベラル・全体主義体質が嫌いだから、肌に合わない。だからといって自民党はもう駄目である。もはや自民はあまりに汚れ過ぎた。歴史的役目を果たし終えたと見ている。次の総選挙では原形をとどめないように完膚なきまでに叩きのめすべきだ。
そして自由民主党にかわって民主党に対抗し二大政党を担い得る、完全に新しい政党が誕生する事を強く望む。未来永劫、民主党が政権を握り続けなければならないと考える人も愚かである。
歴史の潮流と呼ばれるものがあると思う。その新しい「何か」がこれから出現してこなければならない。それが国民にとって恐ろしいものになる事を深く憂慮するが、杞憂だと祈り信じたい。日本に今度こそ本当のデモクラシー(代議制民主政体)が定着する事を願う。
【佐藤裕一による転載貼り付け終わり】