気になる記事の転載掲示板

◆巻頭言◆

新設されたこの掲示板(BBS)は、私、副島隆彦宛ての読者からの個人メールの転載サイトです。私の「今日のぼやき」ではとても対応できない状態になりましたので、このように拡張しました。

学問道場への入門許可の意味も含みます。別に自分は入門したい訳ではないという人もいるでしょうが。私宛てに挨拶を兼ねた簡略な自己紹介文を寄せてくれた人々と、ここの先進生たちとの情報共有の意味と更なる情報開示方針決定に従う趣旨もあります。以後は積極的に各掲示板の方へ書き込み投稿して下さい。(2001年4月1日記)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/01 00:19

【115】新年のごあいさつ

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 新年明けましておめでとうございます。学問道場の更なる飛躍と発展をお祈りしています。今年もよろしくお願い申し上げます。

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/31 09:19

【114】共通感覚論

 李漢栄さんへ

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 李さんのブログサイト『異端医師の独り言』におかれましては、身に余る叱咤激励の「応援プレッシャー」を与えて下さいまして、誠にありがとうございます。これからは全てにおいて危機意識を持って臨まなければならないと強く自戒する次第であります。現時点の私には来年の抱負を述べる資格すらもなく、一から精進して参る所存でございます。

 李さんが翻訳された学術論文等を掲載されていますが、私の最大の敵であり克服課題は2つありまして、1つは「睡眠欲」です。どうしても「睡眠欲」に勝てないのです。例えば、李さんに返礼投稿の文章を即座に書くべきだったのですが、眠ってしまうと平気で十数時間眠れます。下手すると丸一日眠っていられます。もう1つは「集中力」のなさです。私は分散思考型、拡散思考型のようです。これが遅筆に繋がっているのでしょう。

 李さんが挙げられた『パラレルワールド』、『エレガントな宇宙』、『宇宙を織りなすもの・上下』は早速に自作の「将来的には読みたい本のリスト」に加えました。私は既に『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体『現代物理の死角』復刻補強版』を読んだ後ということになるので、比較読みをしたいと思います。

 ただ私は遅筆でありますが遅読でもありまして、速読や飛ばし読みが出来ません。「将来的には読みたいの本」がそれはもう凄まじい数になっています。それも私は外国語文献が読めないので、日本語著作物に限っての話です。考えるだけで茫然自失となってしまいます。「おいおい、まだ読んでないのかよ」「これも読んでなかっのか!」という本がリストに沢山並んでいます。

 なので[118]のランキングではありませんが、やはり読書にも優先順位をつけなければいけないと考えています。普通に本棚や押入れに収まる本の様子を眺めると、本当に情けない感情に囚われます。私には菊地研一郎さんのような芸当は到底不可能です。諦めをつけました。

 もはや私は、本当に優れた名著・大著しか読んでいる場合ではありません。それでも駄作・駄本の類には、精神状態が不安定になっている時に自分を安心させる作用があります。経済学者の故・森嶋通夫の言であり、故・小室直樹先生が紹介した「無能教授の効用」は講義だけではなく本であっても言えます。

 これの反対がいわば「有能教授の副作用」で、あんまり素晴らしい本を読んでしまうと自分の駄目さ加減が自分の中で際立ってしまい、絶望的な気分になってくることもあります。しかしそんなことは言っていられません。前進しなければならないのですから。

 さて、李さんが宇宙論の本を読んで、正直な感想で「読めば読むほど、訳が分からなくなり」となるのは、もっともなことかと存じます。私もそうです。

 李さんは専門分野である「医学」「医療」において確固とした自論・自説をお持ちでしょうし、学界内・業界内の様々な対立のことも把握していらっしゃるでしょう。世の中の大多数の、騙されまくる患者達や騙しまくる医師のことを知っておいでです。玄人が「苦労」しても、素人はなかなか「知ろうと」しない人達です。医師も頑固なら患者も頑迷、両者動かしがたし、というところでしょうか。

 どうしても玄人・専門家以外の素人・門外漢には全然分からない、伝えようとしても伝わらないことがあります。医療や宇宙に関わらず、どの分野でもそうなのでしょう。

 副島隆彦先生は玄人・専門家の抱える嘘や欺瞞を暴露してまわる「暴き系」です。先生自身は法学者ですから法関係分野では山口宏弁護士と共に玄人・専門家側からの実態暴露ですが、他では素人・門外漢側からの真実追及派ということになります。その際に玄人・専門家側にも人騙しに憤慨する少数派のかたがいらっしゃって、協力しあうこともあります。

 コンノケンイチさんの『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体『現代物理の死角』復刻補強版』では先生が後ろから協力する形となっています。医学・医療関係では協力暴露が立ち消えになった経緯があるそうです。学問道場にも「近代医学・医療掲示板」がありますね。人騙しを暴いてしまうと商売に差し障りがありますから、一気に敵が増えることになります。

 李さんが「常識とは?」という率直な疑問を抱くのも、まさしく当然だと思います。

 私は普段、自分の文章において「常識」という言葉をほとんど使わないことにしています。当掲示板への書き込み文章でも、私の投稿では引用文や転載文以外において「常識」はほぼ出てこないはずです。書き言葉としてだけではなく、日常会話においてもあまり単語自体を言いません。

 日本語の中には沢山の失敗訳語や質の悪い単語がありますが、私はこの「常識」という言葉も劣悪な部類に入ると判断しています。

 日本語の「常識」という言葉は「常に意識されるもの」「常に認識されている」というような仏教用語もどきの語義ではなく、その実「常に識者に騙されている」という語義で、「常識者」は「常に識者に騙されている者」のことではないかと思います。

 アンブローズ・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce)の『悪魔の辞典』(The Devil’s Dictionary)には、二語にわたるせいか「Common sense」の項目はありませんでした。なので私が『悪魔の辞典』風に真似て書くとすると、以下のようになります。

 

COMMON SENSE 【常識】 玄人・専門家の騙し加減と素人・門外漢の騙され具合が安定して一致している状態。知識・情報市場における需要と供給の均衡点。なお、玄人・専門家自身も騙されていたり、むりやり自己暗示にかかって頭から正しいと思い込んでいる場合もある。

 

 私が持っている『悪魔の辞典』(アンブローズ・ビアス著、奥田俊介、倉本護、猪狩博訳、角川文庫、昭和五十年四月十日 初版発行、昭和五十八年七月三十日 十九版発行)は、かなり古い方ですが重宝していますが、この文章を打っている際に手と本の上に淹れたてのコーヒーをこぼしてしまいました。

 A・ビアス風の皮肉っぽくするとこうなるのですが、真面目に書くと副島先生が著作物で言及されることがありますが、「Common sense」は「常識」ではなく「共通感覚」が訳として適しているのでしょう。未読ですが中村雄二郎さんというかたが『共通感覚論』と題する本を書いていますね。またはマイケル・オークショット(Michael Oakeshott)による「常識」の定義のように、「ある時代を支配している社会通念の束」でもいいでしょう。

 トマス・ペインの『コモン・センス』は日本語題名がそのままで良かったといえます。もしこれを『常識』などとやっていたら最悪でした。

「それは常識だよ」「そんなことは常識さ」などと言ってみたところで、物事を説明したことにはなりません。「常識」で答えを安易に済ませようとするその姿勢・態度が人生の敗北の始まりなのです。特に学者・研究者は「常識」を知ってはいても根拠にしてはいけません。「トンデモ本」だ「疑似科学」だと、物事を深く考え抜くこともせずに、無根拠のレッテル貼りに終始している人は、自分では何も生み出さない人生の敗北者です。彼等はよき反面教師です。

 ある社会で、あるいは世界全体で、みんなでそうだと思い込んでいる、というだけのことです。それが「常識」の正体であり、「共通感覚」でも「社会通念」でも「固定観念」でも「既成概念」でも「集団幻覚」でも吉本隆明先生風に「共同幻想」であるとも表現出来ます。

 みんながみんな信じ込んでいて間違い、全員がものの見事に騙されるということが、大いに有り得るのだ、ということなのです。「常識」に安心しきることはかえって危険であることもあります。

 医療・医学と宇宙論・宇宙物理学の違いは、医学は実験・経験・体験学問なので、実際どうなのかということが結果として分かるということです。なにしろ人体のことですから、いくらごまかそうとしても段々分かってきます。

 対して宇宙論が正しいか間違っているかは、実体験しようとしてもどうしようもありません。今現在自分も宇宙の中にいるということは分かっていても、それによって宇宙全体がどういう構造になっているのか、宇宙の起源はいつどうなって起こったのか、宇宙の果ては? ということなど、外宇宙に行ける技術が完成しているわけでもなし、体では体験しようがないのです。空想するしかありません。

 だから李さんや私のような、宇宙論関係の素人・門外漢のとるべき姿勢・態度としては、まず「常識」を疑うべきだということです。もちろん片一方の「非常識」に簡単に飛びついて信じたりもしない。「常」に注意深く疑ってかかるのです。

 そうすると、いろいろと思考が明瞭になってくることがあります。

 例えば、私はコンノケンイチさんの『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体『現代物理の死角』復刻補強版』は物凄いし素晴らしいと思いますが、コンノさんの自論自説が正しいとは私にはまだ断定・言い切りは出来ません。しかし「定説がおかしい」ことはかなりの程度で分かってきます。ということは一から考え直すべきだ、となるわけです。どちらを信じる・信じないの前に疑いを、ということです。

 宇宙論とは違って、人間の行為が争点である「人類月面着陸の有無」の方は、それこそ「Common sense」が大事でしょう。時代のなかでの人生で体得した知識・経験を総動員した「共通感覚」で、想像力を働かせれば分かってくることがあります。何十年も前の人類が持つ技術で、生きた人間が何度も月に行って往復して帰ってこれるかどうか。何故、2010年もの現代においてサッサと月に行かないのか、あぶく銭のような予算を日本からふんだくっておきながら莫大な予算がかかるから? この何十年かで進歩しているはずの人類から「失われた技術」とはどれほどのものか。

 李漢栄さん、来年も良いお年を!

 

異端医師の独り言
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/

異端医師の独り言 【愛読有料サイト】 から転載 2010年12月29日10:27
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/51781866.html

 

Amazon.co.jp: パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ ミチオ カク, Michio Kaku, 斉藤 隆央 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4140810866

Amazon.co.jp: エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する ブライアン グリーン, Brian Greene, 林 一, 林 大 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4794211090

Amazon.co.jp: 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上 ブライアン・グリーン, 青木 薫 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4794217005

Amazon.co.jp: 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下 ブライアン・グリーン, 青木 薫 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4794217013

Amazon.co.jp: 宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体 『現代物理の死角』復刻補強版 (超☆わくわく) コンノケンイチ 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4905027055

Amazon.co.jp: 悪魔の辞典 (角川文庫) アンブローズ ビアス, 奥田 俊介, Ambrose Bierce 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4042364012

Amazon.co.jp: 共通感覚論 (岩波現代文庫―学術) 中村 雄二郎 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4006000014

Amazon.co.jp: コモン・センス 他三篇 (岩波文庫 白 106-1) トーマス ペイン, 小松 春雄 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4003410610

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/29 05:00

【113】佐藤裕一による2010年・年間読書ランキング ベスト10

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 本日は2010年12月29日です。いよいよ年の瀬も押し迫って参りました。

 今回は私が今年はじめて読んだ書籍の中から、年間ランキングでベスト10冊を選びます(ワースト10は、選ぶほど読んでいませんので止めておきます)。私の独断と偏見なので購読を推薦するということではありません。

 なお、副島隆彦先生や小室直樹先生・岡田英弘先生・片岡鉄哉先生・吉本隆明先生関連の本を入れると埋め尽くされてしまうので、あらかじめランキングから除外しています。

 

第1位  コンノケンイチ著 『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体『現代物理の死角』復刻補強版』

第2位  遠藤周作著 『沈黙』

第3位  今西錦司著 『生物の世界』

第4位  小沢一郎著 『日本改造計画』

第5位  世川行介著 『泣かない小沢一郎が憎らしい』

第6位  内藤湖南著 『東洋文化史』

第7位  梅棹忠夫著 『文明の生態史観』

第8位  ダン・ブラウン著 『天使と悪魔』

第9位  田中清玄、大須賀瑞夫著 『田中清玄自伝』

第10位 土居健郎著 『「甘え」の構造』

 

 なんと今年の新刊本としては、第1位(復刻版ですが)と第5位の2冊だけという結果になりました。

 第1位のコンノケンイチさんの『宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体『現代物理の死角』復刻補強版』は、それこそ21世紀現代におけるコペルニクス的転回としか表現のしようがありません。現時点では私の理解力において到底把握出来ていないので、批評などは控えます。とにかくインパクトと面白さ抜群で、ぶっちぎり断トツの1位獲得です。

 第2位の『沈黙』は読めば読むほど気が滅入ってくる小説ですが、カトリックでありながらにして教会離脱者の姿を真正面から描き、真の信仰とは何であるかをつきつめる遠藤周作の姿勢には最大限の敬意を払います。小説部門を設けたとしたら迷いなく1位でした。映画完成を待望中。

 同じくキリスト教が中心の小説で第8位にランクインしたのがダン・ブラウン原作の『天使と悪魔』。こちらは主にヴァチカン市国が舞台ですが、娯楽推理小説としては面白かったです。ビッグバン理解について衝撃を受けたことも評価に入っています。映画は……地上派で放送されたら観ます。

 第3位は今西錦司の『生物の世界』。今西は第7位『文明の生態史観』の著者である梅棹忠夫の先生格にあたります。『文明の生態史観』については確かに著者畢生の大作であり素晴らしいのですが、私と意見・見解が異なる部分が多いために抑えめで7位としています。

 第4位『日本改造計画』では、改革者としての国民政治家・小沢一郎の原点を見る思いがしました。第5位の世川行介著『泣かない小沢一郎が憎らしい』と合わせて、私の小沢理解が進みました。

 第6位は内藤湖南の『東洋文化史』がランクイン。

 第9位。田中清玄、大須賀瑞夫著『田中清玄自伝』は文庫版の方を読みました。獄中転向者である田中は山本玄峰の弟子となり、前出の今西錦司のことも尊敬しています。戦中・戦後における田中の人脈と影響力が実際どのぐらいあったのか、先生の本や学問道場でも言及されることが少なく、いまいち掴めていません。

 第10位は土居健郎著『「甘え」の構造』。後日取り上げる予定。

 本来は小説・文芸作品と一般書籍とでは評価方法が異なってくるので別にするべきなのですが、今年はじめて読んだという小説は10冊もなかったので仕方なく一緒に致しました。小説2作品を外せば次点の近藤誠著『患者よ、がんと闘うな』、三井環著『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』などが繰り上がります。

 さて、おまけで「佐藤裕一による2011年に読みたいランキング ベスト10」を、発表する意義はありませんが個人的に「読むぞ」という決意を込めて発表致します。除外対象条件は読書ランキングと同じです。実はほとんど積読ですが。

 

第1位  植草一秀著 『日本の独立』

第2位  マルティン・ハイデッガー著 『存在と時間』

第3位  李漢栄著 『癌患者を救いたい PSA検診の嘘』

第4位  エミール・デュルケーム著 『自殺論』

第5位  羽仁五郎著 『都市の論理』

第6位  渡部富哉著 『偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊』

第7位  トーマス・マン著 『魔の山』 

第8位  高橋昌一郎著 『ゲーデルの哲学』

第9位  スピノザ著 『エチカ』

第10位 ダン・ブラウン著 『ロスト・シンボル』

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 08:21

【112】[116]訂正箇所あり

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 書き込み後に読み返したら、[116]「独立した「I」」文中で、1箇所おかしいところがありました。●「「あなたにとっての自分」と「あなたにとっての私」の違い」後半です。

 

 誤↓

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

 対して「私」は違います。「私」という言葉は、口に出して発声したその人物以外だけを指すのです。書き言葉としても基本的に「私」と書いているその人物だけを指します。本であればその著者です。この世には「私」という人間は常に1人であり、他にはいません。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

 正↓

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

 対して「私」は違います。「私」という言葉は、口に出して発声したその人物だけを指すのです。書き言葉としても基本的に「私」と書いているその人物だけを指します。本であればその著者です。この世には「私」という人間は常に1人であり、他にはいません。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

誤文では「以外」が余計でした。こんな肝心要の文章で間違うなんて……。言葉の失敗1つで意味が真反対になってしまいます。大変失礼致しました。

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 08:00

【111】独立した「I」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 今回は「文書の倉庫」「(8)言語学関係・英語もの」に保存されている、Imanishi Harukiさんというかたの投稿「2~3日前に気付いたこと(投稿遅れ)」について私が感じたことを書きます。

 投稿日は2000/12/01(Fri) 21:48なので、もう10年が経過しています。この投稿者のかたが今現在も学問道場にいらしているのかどうかは分かりません。「文書の倉庫」URLを貼り付けますが、すぐ下の投稿[115]にも転載貼り付けしてありますのでご覧下さい。上から2番目の転載文章です。

 

 文書の倉庫 (8)言語学関係・英語もの
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8

 タイトル:2~3日前に気付いたこと(投稿遅れ)
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8&no=2&reno=no&oya=2&mode=msg_view

 

 ● 独立した「I」

 英語の一人称「I」についての大変優れた考察です。英語が構成上、一人称を省略出来ないのではないか、という主旨です。

 私も英語駄目人間なりに、漠然とした疑問を抱いていたものです。Imanishiさんの見解が完全に正しいと断定はしませんが、かなり共感を持ちました。私の場合、全くの英語出来ない派の立場からみた疑問と視点になるしか他にないので、お読み頂けるかたは、あらかじめご了解下さい。

 私は、中学校の英語の授業に最初からついていけませんでしたが、英語の「I」についてもいろいろと不思議に思っていました。

 まず最初に浮かんだ疑問は、何故一人称の「I」(アイ)だけは文中どこに使われても大文字のままで、小文字にしないのか? ということです。冠詞の「a」だって一文字ですが、文頭でなければ小文字にしますよね。これについて英語教科書に書いてあった記憶はありません。

 誰にも教えられることがなかったので、小文字の「l」(エル)があって紛らわしいせいだろうと勝手に納得していました。筆記体だとどうだか分かりませんが、大文字の「I」を書く場合は上と下にチョンチョンと付けなければいけない決まりなのでしょうか。これも混同防止のためなのでしょうかね。

 大文字の「I」と小文字の「l」、アラビア数字の「1」がみんな似たような形をしているので、本当にややこしいなぁとずっと思っています。下手すると「7」も、書き方によっては同じ様になってしまいます。そこで「7」の中に線を入れて、分かるようにすることがありますが、日本では馴染みが薄いですね。

 さらには日本語の伸ばし棒の縦の「ー」です。これは正式には長音符とか呼ばれている、便利な記号ですね。縦書きと横書きで、形状が縦と横に変わるのですが、それは記号だからいいんでしょうね。文字であれば縦書きでも横書きでも形状は変わらないはずです。今、この文章を書いているのはエディターというもので、縦書きで書いているのですが、コピペして横書きの掲示板に投稿すると自動的に「ー」が横になっているんですね。むしろ縦のままにしたくても出来ないのではないでしょうか。横になると今度は漢数字の「一」やマイナスの「-」と似てきます。

 私は小学校で伸ばし棒の「ー」はカタカナにしか使わないと習いましたが、みんな平気で平仮名に「ー」を使っていますよね。「ー」も、踊り字の「々」も記号なので、基本的に前の字の音を繰り返して読みますが、それそのものだけの話を声に出してしようとすると、結構困ってしまいます。単独で言おうとしたら記号の名称を言うしかないのですね。

 まぁ文字も記号の一種ということなので、そんなに区別して考えなくてもいいみたいですね。苗字の佐々木さんとかは「々」、それから日本に帰化したカタカナの名前の人は「ー」などを使っていますが、別に普段から記号だと思って、認識しているわけではないでしょう。普通に文字だと思ってますよね。

 Imanishiさんの投稿によると、アメリカ人は普段「I」をそんなに強く発音しないのではないかという指摘がありまして、強く主張したい時以外はそうなのではないかと、私も想像で思っています。

「I」は日本語表記にしてみると(アイ)になりまして、これは日本語と英語でも、そんなに発声に違いは少ないほうだと思います。日本語の(アイ)と発声する言語は沢山ありますが、「愛」が一番メジャーだと思います。
 
 Imanishiさんの、英語の組み立て方から構造上、第一人称を省略しにくいということも、その通りなのではないかと思います。

 私はそれに加えて、「I」の(アイ)という発声方法が、単に簡単明瞭だからではないかと、率直に思います。「アイ」というのは口に出して言いやすいです。

「私」の(わ・た・し)というのは計3音ある上に、わざわざ子音を明確にして言わなければなりません。もっと発声しやすい言葉だったら日本語も少しは違ったでしょう。いちいち(わたし)と発声しなければならない面倒くささが、日本語の日常会話において主語を定着して置かずに話すことを促進してしまい今日に至ったのではないでしょうか。

 そして「I」はどの単語からも独立(孤立)しています。「I’m」のようにしない限りは前後は空白で、しかもそびえ立つような形をしています。常日頃から「I」を見続けている英語圏の人々が個人主義者となり、自立心旺盛なのも分かる気がします。

 それに対して漢字の「私」という文字は、いくら眺め続けても自分勝手・気ままという負の印象しか湧いてきません。この字面からは誇りが生まれません。これが何百年、何千年単位での違いとなると隔絶したものがあります。

 印刷した時に「I」と他の字の違いを分かり易くするために常に大文字になったというのも本当の理由でしょうけれども、人間精神への影響も見逃せないものがあります。

 

 ● 「あなたにとっての自分」と「あなたにとっての私」の違い

 ※以後文中にて、私が単に私とだけ書いた場合は、それは間違いなくひとえに私、佐藤裕一のことを指します。他人を指すことは一切ありません。言葉そのものとしての「私」については、この投稿文章ではややこしいので混同防止のため、「私」とカギカッコで括っています。カギカッコ内の言葉は、一般的な言葉を指すものとしてであるか、台詞としてのものです。

 一人称の話では、英語は基本的に呼称は「I」のみですね。英語と違って日本語には沢山の一人称が有ることについては、広く知られているところです。

 その中で話し言葉としても書き言葉としても一番多く使われ、かつ正統性を持つと捉えられているのが「私」です。ところがこの「私」でさえ、読み方は(わたし)の他に、元々の読み方の(わたくし)と言ったりします。更に変化した女性言葉の「あたし」や「あたい」「あっし」などがあります。

 それこそ私事で恐縮なのですが、私は小学校高学年か、中学生くらいまで「僕」(ぼく)と言っていましたが、そのうち「俺」(おれ)に変わっていきました。それから他に「わて」とかいう、他の地方の方言でしょうか、なぜかこれを結構使っています。

 初対面かあまり面識の無い人と話す時は、ほぼ「私」(わたし)で通し、たまに話の流れで「自分」(じぶん)と言ったりもします。一人称として使う「自分」はかつて軍隊用語だったとのことですが、私としてはそんなに違和感なく使えます。

「私」ばっかりだと、我を張っている印象というか、つっぱっている感覚がする時があるんですね。この抵抗感こそが、主体性を明らかにすることへの抵抗の表れです。ある言葉を発声したり書いたりする際の責任の所在を明確にするということを妨害するんです。これが言葉をすっきりさせる上での厄介な敵です。

 主体をはっきりさせないということを奥ゆかしい、遠慮深い、慎み深い日本文化の表れなどといえば聞こえがいいですが、実は自分で言ったり書いたりしたことについて結果責任をとりたくない、ということなのです。言論責任を曖昧にしておいて後で逃げられるように、言い訳出来るようにしておきたい、ということです。

 ところで英語の「I」と日本語の「私」の単純比較に、「自分」などという言葉が出てきて思考を妨げるので、片付けたいと思います。なにしろ他の「僕」「俺」「わし」「己」(おのれ)などの、いわば俗語に近い呼び方と違って、「自分」は正規の、といったら変ですが、正しい使い方がある言葉だから、入ってこられると混乱の元となるので放っておけません。

 元々普通名詞であった「自分」を人称代名詞として、つまり呼称で実際に使うようになったのが何時なのか、有史以来使ってきたのか知りませんが、「自分」と実際に発声して「私」の意味で呼んで使っている人がいる。前述した通り私もなのですが。

 例えば電話している相手に対して、

「自分は今、そちらに向かっているところです」

 などと言ったりします。相手の立場が上である場合が多いでしょう。

 これに対して「他人」は、呼び掛ける時に使いませんね。

「おーい、他人。ちょっと待ってて、今行くから」

 なんてのは、冗談としてふざけて言う場合にしか考えられません。「他人」はそのままで「自分」だけが呼称に使われるようになってしまったということです。ちなみにここで書くところの「他人」とは「自分以外の人間」を指します。「自分」以外は親子であっても親戚であっても、全て「他人」にあたります。

 さて、普通名詞と人称代名詞の垣根が崩れたとなると、残りの「私」と「自分」の根本的な現代用法の違いは、「自分」には「その人自身」という意味を持つことが有る、ということだと思います。使い分けはそれにつきる、とまで言えるのではないでしょうか。

「私」と違って「自分」には、自分だけを指す使い方があり、自分も他人も含める使い方もあり、他人だけを指す使い方もあるのです。例えば、学校の運動部の顧問が、

「練習を続けるべきなのか止めるべきなのか、自分で考えろ」

 などと、へたばっている部員に向かって、言い放ったりしますね。その場合の「自分」は明らかに言っている顧問本人ではなく、言われている部員を指すわけです。この台詞を、

「練習を続けるべきなのか止めるべきなのか、私で考えろ」

 などと言ったら、一気に意味不明になりますね。こんなことを口走ろうものなら、後に影で生徒達に物笑いの種にされます。結局、顧問本人が答えを出すんじゃんっていうことになりますよね。

「自分」にはその人自身としての、「自分自身」という意味合いが含まれているのです。「あなたにとっての自分」ですね。これが「自己」や「自我」になると愛知学的になるし、これは文章語ですが、やっぱり、指されているその人自身を表したりします。

 私は方言に詳しくありませんが、関西地方の方言で、自分から向かって相手のことを「●●しろや、自分」とすごんで呼んだりするのは、この「自分」という言葉が持つ性質に由来していると考えます。

 他にも「手前」「てめぇ」「お前」「おめぇ」など、第一人称と第二人称の垣根が低くなって、どんどんごっちゃになっていった経緯のある呼び方があります。これには「貴様」などに見受けられる、敬語・敬称のインフレや反転なども、ぐちゃぐちゃになって絡んできます。

 それどころか、たまに人類全体を含む人間、各自1人1人を一気に指す時の「自分」という使い方まである始末です。「我々」みたいな感覚です。

「人類は地球環境を他人事ではなく、自分自身のこととして考えなければならない時にきていのではないでしょうか」

 などのような気色悪い感じで使います。

 このように「自分」という言葉の悪い部分は、このように日常会話で人称代名詞として使ってしまうと、誰のことを指しているのか一義的には分からないところです。その場の状況や使い方で分かる、書き言葉や文章としての台詞であれば前後の文脈で分かる、ということになりますが、意味不明瞭になりがちなところがあります。

 そして「自分」という言葉の良いところは、相手にも「自分」というものがあるのだから、相手の主体性や意見というものも尊重しなければならない、ということが分かることです。地球上に沢山いる「私」以外の人間達は単なる登場人物ではなく、それぞれに「自分自身」というものがある「自分」と同じような人間であるということです。

「自分」は物事を常に客観視出来る言葉です。「自分」というのは「人類」・「人間」の中の1個体として「自分」もあるということです。「あなたにとっての自分」は「あなた自身」となります。

 対して「私」は違います。「私」という言葉は、口に出して発声したその人物以外だけを指すのです。書き言葉としても基本的に「私」と書いているその人物だけを指します。本であればその著者です。この世には「私」という人間は常に1人であり、他にはいません。

 これを他の人間にも「私自身」がある、などと言おうものなら、たちまちおかしな事態になります。他の人間が発声者と同一人物であるということになるからです。まるで映画『マトリックス』THE MATRIX(1999)のエージェント・スミスのように。

 なので「あなたにとっての私」というのは、話している相手に向かって一体「私」はどういう人間に映っているのかを問うているということです。具体的に言えば恋人間や夫婦間で「あなたにとって私は何なの? 大切に思ってるの? 本当に愛してるの?」ということになります。発声者の意識は常に世界の中心にあります。

 だから私、佐藤裕一がこの文章を書くのにも、わざわざカギカッコをつけて辞書に載っている一般的言葉としての「私」と明確に区別しなければならないのです。辞書のように「私」という言葉そのものを説明する際にだけ、仕方なく「私」を客観視することになります。「私」という言葉は常に主観的な用法であり、主体性を明白なものにします。

 英語の人称代名詞「I」に対応するのは、現代日本語において「私」(わたし)であるべきであり、正式の一人称として、実際に呼称して使用するに相応しいということです。「私」は常に会話や対話として使われます。本などに書く「私」も、いわば読者との対話ですから、読み手側が「あなた」ということになります。

 では「自分」の反対語は何かというと「他人」ということになりますが、それは普通名詞の「自分」の反対が「他人」であるということです。使い方によっては「自分」には相手や全体を含む意味を持つ時もあるということです。

 そして英語にもそういう、紛らわしい用法がある言葉があると思います。この分野においても日本の先駆的開拓者であり日本最高峰である先生が書いています。『完結・英文法の謎を解く』(副島隆彦著、筑摩書房刊、1998年8月20日 第1刷発行、1999年4月30日 第2刷発行)の第一章「「人、人間」を表す one と a person」です。

 それから基本的な二人称の「you」は「あなた」、三人称「he」は「彼」、「she」は「彼女」でいいのですが、日本語も英語もいちいち厄介さを抱えているようです。

 人間全般を指す「you」があったり、漢字にするかどうかとか「貴方」「貴女」、「彼」(彼氏)・「彼女」には付き合っている人間を意味することがある混乱とか、ジェンダーにおける女性詞・男性詞・中性詞(ドイツ語?)などの世界的な訂正運動の問題(日本語の場合、「彼」を無理やり「彼男」(かのだん)と呼称するように訂正するとか?)など、いろいろあります。

 ただについては、日本ではあまり盛り上がらなかったので、大して巻き込まれずに済んで良かった。別に訂正運動なんてしなくても、今の若い世代は男も女もみんな同じ様なしゃべり方をしています。

 

 ● 「漢字」という元凶にして日本語の元

 タイトル:何故、日本語キーボードは使いづらいのか
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8&no=4&reno=no&oya=4&mode=msg_view

 

 Imanishiさんの投稿「何故、日本語キーボードは使いづらいのか」による日本語の根本問題の指摘も重要だと思います。[115]では上から4番目の転載文章です。

 日本語の漢字仮名交じり文章は、単語と単語の間に空白(スペース)を作って区切っていくということがありません。

 文中で区切るとしたら句読点の読点「、」ということになります。それもあえて区切るとしたらということであって、読点を打たずにズラズラ長文を書こうと思えばいくらでも書けます。日本語の文法がどうだこうだと国語の先生方はおっしゃいますが、ハッキリ言ってどのくらいの頻度でどの箇所に読点を打つかは書き手個人の感覚に任されているとしか言いようがありません。

 翻って英語は基本的に単語間に空白を置きます。多分ですが筆記体というのは区切りの面倒を避ける手段として発達したのではないでしょうか。筆記体以外で普通に単語を全部繋げていったら、何を書いているのかわけが分からなくなるでしょう。

 Imanishiさんの言う通りで、日本語では漢字仮名交じり文だから空白による区切りなくしてズラズラ書きが成り立ちます。たまに日本語文章においても、書いている一文が偶然に平仮名ばかりでしか書けない時に、「読みにくいなぁ……でも漢字表記できないし……」と感じることがあります。そういう場合、不自然ではあるものの頻繁に読点を打つか、文章自体をわけるかすることもあります。

 漢字と平仮名、片仮名が適切な頻度で配置されているから、日本語は空白なしのズラズラ書きが成立しています。読みやすく美しい日本語とはそういうことであり、文法は二の次ということになります。文章の技巧、上手さというのは名人芸です。下手でもそれなりになんとか文意が伝わります。

 漢字こそがキーボード入力における「変換作業」強制の元凶です。平仮名と片仮名だけならばなんとか直接入力出来ますが、どうせ漢字変換があるならば英数入力を選ぶことになります。半角と全角もいちいち分けなければなりません。

 漢字廃止運動が起こるのも心情的には理解出来ます。といってもまだまだ理想だけで実現は程遠いでしょう。ハングルとは違い、平仮名も片仮名も成り立ちからして漢字が元ですから、漢字抜きでは最低限の論理的な文章ですら書けません。韓半島やヴェトナムのようにはいかないのです。日本語の悲劇は美しさと共にあるともいえましょう。

 

 ● 参考サイト

副島隆彦の論文教室 「0075」 論文 存在構文と存在論哲学 副島隆彦(そえじまたかひこ)筆 2010年3月2日
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun078.html

英語で「私」はなぜ大文字でIなのか?大文字、小文字はどうして出来たのか? Jackと英語の木-ウェブリブログ
http://jack8.at.webry.info/201012/article_2.html

英語のI(私は)は、なぜ文の途中でも大文字で書くのでしょうか? – Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1126647401

何故英語の「I」(私は・・・)だけ、文の途中でも大文字になるのですか? Iが大文字に… – Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232987527

LINGUIST List 9.253 Pronoun I again
http://linguistlist.org/issues/9/9-253.html

変な質問ですが、なぜ私“I”だけがいつも大文字なのでしょうか?日本人的 OKWave
http://okwave.jp/qa/q6077778.html

一人称のIはなぜ大文字? – 歴史 – 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1518859.html

雑学ENGLISH #83 ■なんで「私」だけいつも大文字なの? [英語の「試験に出ぬ雑学ENGLISH」] – メルマ!
http://www.melma.com/backnumber_125292_3253322/

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:23

【110】文書の倉庫 (8)言語学関係・英語もの (9)翻訳 転載貼り付け

 会員番号4655の佐藤裕一です。

「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。これで完了です。

 北伯氏が投稿「anarchism/無政府主義」で紹介している参考URLの中にある「アナキズムFAQ」は「アナーキー・イン・ニッポン」というサイトの一部で、英語サイトを翻訳した夥しい量の日本語文章が掲載されている模様です。一気に全部読むのはとても無理なので、気が向いたら少しずつ読んでいきたいと思っています。

アナーキー・イン・ニッポン
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/

アナキズムFAQ
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/

 

 文書の倉庫 (8)言語学関係・英語もの
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/08/03(Thu) 16:10
投稿者名:管理人
タイトル:副島著「道具としての英語」を参照して作られたプログラム

自己紹介

こんにちは、(hello のつもり)

 私は、****といいます。本を出したことはありませんが、今西春樹という筆名を使っています。
 最近、このサイトを見つけました。ずいぶんと精力的に活躍しておられますね。
副島さんの1日分の記事のあまりの多さにびっくりしてしまっています。とても読み通すことは出来そうにありませんが-(すいません)。
 理科系人間です。---こんなことを言うのは馬鹿だと自分でも思いますが、とりあえず、超お忙しそうな副島さんに興味を持ってもらうには最適なフレーズであると思って、ほんのギャグ程度に使わせていただきます。また、プログラマでもあります。
 私は、「道具としての英語」という本で副島さんに興味を持ちました。今でも副島さんの意見には賛同する部分が多いです。
 私は、自分自信が世の中に対して表現したいと考えていたことを、あるプログラムとして実現しました。その時、副島さんの、「道具としての英語」という本が大変参考になりました。また、その中の考えを多く利用させていただきました。
 大体5年ぐらいかかったのですが、その時考えていたことの雛型とも言うべきプログラムを作ることが出来ました。多分、日本の文科系人間には決して評価されることの無いプログラムであろうと思っています。でも、副島さんには、是非とも評価していただきたいと思う気持ちがありましたので、このメールを書かせていただきました。そのプログラムのヘルプファイルの最後には副島さんの、「道具としての英語」という名前も出させていただいております。
 できましたら、次のサイトを是非ご覧になって、時間がかかるかもしれませんが、プログラムをダウンロードして使ってみてください。ぜひご意見をお聞きしたいと思います。プログラムの名前は Katakana Japanese Editor といいます。

アドレスは、(佐藤裕一による註:個人サイトURLを省きますが、既に無効であり飛べません)です。

 でも、まだまだ不完全なものでもあることもご理解下さい。
 注意として、このサイトは、米国のWindowsユーザー向けのものです。
つまりアメリカ人が、アメリカの機械で見て見れるように作られています。
インターネットエクスプローラで見る場合、もし文字化けしていたら表示のエンコードを、西ヨーロッパ言語に指定する必要があります。
 プログラムもアメリカ向け(機械的にです、内容は超日本的かもしれません)なのですが、日本の機械でも問題無く動きます。

 ご活躍を期待しています。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/12/01(Fri) 21:48
投稿者名:Imanishi Haruki
タイトル:2~3日前に気付いたこと(投稿遅れ)

今日、はっと気付いたこと。

 今日、はっと気付いたことを述べます。
 もしかしたら、このことは自分が(副島先生の本も含めた)何かの本で読んだり、あるいは聞いたりした事で、忘れていたのが表面に浮かんだのかれ知れませんが、その場合はお許し下さい(または、指摘して下さい)。
 実は今日(11月27日)はっと気付いたことです。
 会社の帰りに地下鉄の中で、何気なくアメリカ人は“I”をそんなに強くは発音しないのではないか、と考えていたのです。その時、突然思いついたことは、『日本語では第一人称が省略されることが多い』と言われているが、本当は逆で真実は『英語では第一人称が省略されないことになっている』という考えの方が本当なのではないか、と思ったのです。すると、みるみる考えがふくらんできました。
 本来、自分が言うことに関して、わざわざ「自分は…」と言う必要はないのではないだろうか?
 そうだ、日本語が『私は』という第一人称を省略しているのではなくて、実は英語が省略出来ないのだ。なぜなら「命令形」になってしまうからだ。
 例えば、“Ok,I go.”と言うとする。日本語なら『うん、ぼくも行く』という意味である。その第一人称を略すと、日本語は『うん、行く』となるのに、英語の方は“Ok,go.”となるから『よし、行け』あるいは『よし、行こう』になってしまうのである。
 『英語では格を位置情報として持っているので、第一人称を省略出来ないでいる』
というのが真実の答えだと思ったのです。
 もし省略できるのならば、省エネを指向する人間の傾向(実はずぼらな傾向)からして、英国人であろうとも、当然に省略が行われていたのではないかと思えるのです。
 間違っているでしょうか?
 もし正しいとするならば「日本人は、奥ゆかしくて自己主張を控える傾向を持っているから、第一人称を省略することが多いのだ」という美談めいた説明は、根本的に問い直す必要があることになります。
 なんとなく自分なりに、面白いことだと思ったので書いてみました。

 私は、”Katakana Japanese”というホームページを開いていますので、もし興味がありましたら、訪問して見てください。このサイトは驚くなかれ
アメリカ人に日本語を書かせようというサイトなのです。でも、それは二次的な応用であって本当の意図は、日本語を従来とは全く異なった視点から捉え直そうとすることなのです。

(佐藤裕一による註:個人サイトURLを省きます)

Imanishi Haruki
(佐藤裕一による註:個人Eメールアドレスを省きます)

 副島先生、あるいはスタッフの皆様。もしこの記事が価値の無いものと思われるなら削除お願いします。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/12/30(Sat) 15:58
投稿者名:Imanishi Haruki
タイトル:コンピューターコマンドの二通りの表現方法

コンピューターコマンドの二通りの表現方法

 コンピュータを操作するものに『コマンド』というものがあります。ウインドウズやマッキントッシュではマウスによって操作しますが、大型のコンピュータや、UNIXなどで、よりプログラムの製造の分野や、コンピュータの内部的な情報を扱う場合には、英語に近いコマンドをキーボードから叩き込んでコンピュータを操作します。
 command とは「命令」という意味ですので、コンピューターに対して「命令する」というイメージになります。Windows にも実際は、そのようなコマンドが用意されています。COPY コマンドは多分多くの人が知っているのではないでしょうか。AというファイルをBへコピーするなら次のように書きます。

COPY A B

COPYという命令の後ろに続くA,Bをパラメータと言います。Windows には、比較的に簡単なコマンドしか在りませんが、普通の業務で使っているコンピューターのコマンドは色々の機能を持っているので、パラメーターが多くなります。すると、次のように書かれるようになります。

コマンド A,B,C,D,E,F

人間はコンピューターより記憶力が弱いので、何番目のパラメータに、どのような内容の値を置けば良いかについて正確に覚ておくことは出来ません。また必要の無いパラメータを省略しようとすると、

コマンド ,,,D,,F

などと見にくく書かなければなりません。要するに機能が増えるにつれてコマンドが使いづらくなってしまうのです。それは、パラメータの位置そのものに意味が在るからそうなってしまうのです。
 そこで、次のような書き方が工夫されるようになりました。

COPY SOURCE(A) TARGET(B)

つまり、パラメータを、その内容を示す単語で括って記述するようになって
きたのです。こうすると、パラメーターの順番は関係無くなりますし、必要
の無いパラメーターは自由に省略出来ます。(ここで前回の話につながりま
した。位置に意味が有る言語においては、(主)語の省略が難しいという話
です)
 ここからが本題です。
 前者の位置情報を使う方法は英語の文の構造に近く、意味語を使う方法は日本語の文の構造に近いことに気付かれると思います。我々が5文型を習う理由はここにあったのです。(英語に自信はありませんが)例を挙げてみます。

Taro gave Hanako a flower.

とは、次のような意味だったのです。

actor(Taro) action(gave) target-man(Hanako) target-obj(a flower)

日本語はまさに、そのようになっていたのです。わざとカッコを使います。

(太郎)は (花子)に (花)を 上げた。

 上の語の順序をどのように変更しても、意味は同じであることを試して
みて下さい。
 実は格助詞と言われるものが、先のコマンドパラメーターの意味語に相当していたのです。先のコマンドについて考えれば分かるように、両者は全く同じ機能を持っています。しかし、先程のコマンドにあるのと同様な性能の違いが出てきます。

前者は…簡潔、明瞭である、構造に柔軟性が無い、長文に向かない、等。
後者は…複雑、?????、構造が柔軟、長文にする事が出来る、等。

 明瞭さについて?を付けたのは、後者はむしろ意味があいまいなのではなくて、あいまいと見えるほどだらだらと文を続けることが出来るのであって、同じ長さの文なら、むしろ後者の方が明瞭かも知れないと思ったのです。
 このように考えるとき、英語よりも日本語のほうがあいまいであるという議論自体間違いなのではないかと思えるのです。日本語がこのような構造になっている事をはっきりと知っている人なら、日本語を使って英語と同じぐらい意味の明瞭な文を作ることは可能なはずです。(コマンドの例で言えば、ある意味では後者の方がむしろ高級なのです)
 さらに話しを進めれば、コンピューターで言語処理をする場合、後者の方がより解析し難いという話しは当たらないと思えるのです。英語に合わせて解析しようとすると難しいかもしれないが、その文自体の意味を追うとしたら、格助詞と言う意味語の付いた日本語は、英語より解析し易いかもしれないのです。
 それでは、なぜ日本語が難しいと世間では言われているのでしょうか。長くなりましたので、その話しは次回に回します。でも、私の次のサイトを見れば答えは分かりますよ。

 私は、”Katakana Japanese”というホームページを開いていますので、もし興味がありましたら、訪問して見てください。このサイトは驚くなかれアメリカ人に日本語を書かせようというサイトなのです。
でも、それは二次的な応用であって本当の意図は、日本語を従来とは全く異なった視点から捉え直そうとすることなのです。

(佐藤裕一による註:個人サイトURLを省きます)

Imanishi Haruki
(佐藤裕一による註:個人Eメールアドレスを省きます)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2002/01/03(Thu) 23:47
投稿者名:Imanishi Haruki
タイトル:何故、日本語キーボードは使いづらいのか

何故、日本語キーボードは使いづらいのか
 コンピュータで日本語を入力するのに『日本語IME』というソフトウェア
を使うことはご存知と思いますし、実際に使っていると思います。ワープロの
時代からそうでしたが、キーボードを使って日本語を入力することは、大変に
難しいことのように思えるのですが、どう思われますか?
 もう馴れてしまっている方は「これが普通なのだ」と思っているので、そん
なに感じないでしょうが、日本語IMEの動作に苛立ちを覚えたことはきっと
あると思います。また、自分が始めてそれに出くわした時のことを思い出して
みて下さい。さらにまた、実際にパソコンを教える立場になったりしたら、
日本語IMEの難しさを、きっと実感されることと思います。
 今はそんなことを言っていられなくなりましたが、日本人のキーボード嫌い
の原因はきっとここにあるように思われます。そこで、なぜ日本語IMEによ
るキーボード入力が難しいかを考えてみたいと思います。

 洋画では、パソコンにコマンドを打ち込んでコンピュータと対話している
シーンが見られます。日本では、恐らく成り立ちにくいシーンです。
 英語を入力することを想像して見て下さい。

 英語入力と日本語入力とでは、決定的に違う点があります。英語は、キーボ
ードからアルファベットとして入力された時、すでに文書は完成しているので
す。ところが日本語では、そうならないのです。何故でしょう?
 多くの人々は、それがキーボードというハードウェアの仕組みにあると考え
がちで、事実日本語入力の効率化を考える人はキーボードに目がいきがちです。
ところが彼らは、非常に根本的かつ最も重要な点を見逃しているのです。
 英語がキーボードから入力された時点で、そのまま文書となっているのは、
実は、英語の表記法が空白を挟んで単語を区切る分かち書きになっているから
なのです。
 英米(西欧)人は、その分かち書きの文の要素に単語を当てはめる事に
よって文を組み立てているのです。対して日本人は文の要素に漢字を当て
はめる事によって文を作っているのです。しかもさらに悪いことには、日本人
には文の要素とか、文の構造とかに関する認識が全く欠けているのです。
 こういうことです。日本語IME(imput method 何とか)という名前が
付けられているが、それは「日本語入力システム」などと呼べてものではな
くて、実際には、超高度に作られている「漢字選択システム」に過ぎないの
です。
 日本人の文章は、キーボードから入力した時点では文章になっていない。
何故なのだ…!これは、あまりにもおかしなことであると思いませんか?
変だとは思いませんか?我々は会話をするとき、“あ”とか“い”とかいう
音素だけで十分に話しが通じています。ところが、キーボードから入れた
ままの“あいうえお”が文章にならないのは、あまりにもおかしい。
 結論を言います。その原因の一つは文章に漢字が使われていることであり、
その二は、文が分かち書きされていないことなのです。そして、この漢字が
使用されていることと、日本語が分かち書きされていないこととには、密接な
関係が在ります。
 日本語においては、分かち書きの原理が、漢字とかなの組み合わせの中に
職人芸的に組み込まれているのです。
 だから、欧米人が空気を吸うようにして、自然と考えを進めてきた、文の
構造、つまり文の組み立て方に関するような研究が日本では育って来なかっ
たのではないでしょうか。(自分はこの分野では素人ですので、知らない
だけかもしれません、専門家の方はお許しを)
 ある事項を明確に示すのに、『どのようにして主語と述語を組み合わせる
べきか』と考えるより、数千年の積み重ねの文庫の中から『もっとも適切、
あるいは、もっとも人々を驚かせるような素敵な漢字を当てはめる』ことの
方に価値を置いていたのが、日本の知識文化だったように思えます。その
一点の素敵な漢字を際立たせる見返りとして、文章の構造は軟弱になって
しまわざるを得ません。

 極端に結論付けてしまえば、日本語キーボードが使いづらい本当の原因は、
キーボードというハードウェアや、日本語IMEというソフトウェアにある
のではなくて、「漢字と仮名を混在させる表記法」という誰もが空気のように
当たり前の存在であると思いこんでいるソフトウェアにこそ根本的な原因
(欠陥)が在るのではないか、ということなのです。
 恐ろしい事だと思いませんか。日本人の知識の土台となっている文章の
組み立て方の中に、実は『日本語は論理的な思考には向かない』と指摘され
て来続けていた原因となる欠陥が在るとしたら。

 私は、”Katakana Japanese”というホームページを開
いていますので、もし興味がありましたら、訪問して見てください。この
サイトは驚くなかれアメリカ人に日本語を書かせようというサイトなのです。
でも、それは二次的な応用であって本当の意図は、日本語を従来とは全く異
なった視点から捉え直そうとすることなのです。
 最近、”Katakana Japanese Editor”というプログラムを新しくしたので
久しぶりに、このサイトに書き込みしてみました。2001-1-3

(佐藤裕一による註:個人サイトURLを省きます)

Imanishi Haruki
(佐藤裕一による註:個人Eメールアドレスを省きます)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2006/11/06(Mon) 09:55
投稿者名:Imanishi Haruki
タイトル:源氏物語は本当に難しい本なのか?

こんにちは、
 少し前ですが、このサイトを尋ねて見て、まだ自分のつたない文書が残されているのを見て、大変にうれしく思いました。スタッフの皆さんに感謝すると共に、何か結論めいたものを書いてみたいと感じていました。

 今回書き込みをするのは、前回までに書いたこと(というより、自分が今まで考えてきたこと)を実証しようとして、あるインターネットページを作ったところ、自分自身非常に興味深いものがあるのを感じたので、まだテスト段階ですが、ぜひ皆さんに紹介したいと思ったからです。(というのも、この副島さんのサイトは日本でも最先端を行く優秀な方々が見ておられるのではないかと思うからです)

 また、自分は卒業以来プログラムを作る仕事についていますが、仕事柄、機械翻訳に興味を持って、自分なりに色々なことを調べてみました。そして、あるアイデアにより実際に具体的なものを作ってみようとした、そのまさに始まりの時に、本当に偶然に副島さんの「道具としての英語」を書店で見出したのです。その中に書かれていたことは、まさに自分が必要としていた知識にピタリと符合していました。それがヒントとなって、このような日本語の仕組みにまで範囲が及ぶ非常に興味深い研究(ほとんど趣味ですが)が出来たのです。それも、ここに紹介したいと思った理由です。

 そのページの導入に述べてあるものを以下に転載してみます。

<転載始め>

 源氏物語は、女子大学生でもその全体を読んだことのない難しい書物とされています。
 しかし、更級日記の作者、藤原高標[フジワラノタカスエ]の娘は少女の時から源氏物語を読んでいました。また私は、新聞でアメリカの女性が、少女の時に源氏物語を読んで、その耽美的な世界に不思議な思いをした、と語っているのを見たことがあります。
 なぜ彼女たちは、難しい源氏物語を読めたのでしょうか…?

<転載終り>

 人によって感じ方も違うので、はっきりとは言えませんが、自分が特に感じたのは、平安時代のものと現代のものを比較してみたとき、日本の言葉は思ったよりあまり変化していないのではないか、ということです。

 以下のりンクから直接そのページに行けますので、是非ご覧になってみてください。2006-11-4

(佐藤裕一による註:個人サイトURLを省きます。ここのURLは、転載時点で有効のようです)

今西春樹
(佐藤裕一による註:個人Eメールアドレスを省きます)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

 文書の倉庫 (9)翻訳
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=9

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2004/04/29(Thu) 03:19
投稿者名:北伯
タイトル:natural law/自然法

 The Norton Dictionary of Modern Thought より
【natural law】

 Rules of law laid down by nature. Though many theorists through the ages have recognized the importance of natural law, and have often arged that human law is subordinate to it, they have interpreted what it is and how it has been derived in many different ways. Aristole believed that natural laws were universall recognized, e.g. the law of murder, and never changed. The Stoic philisophers considered natural law to be based on rational thought. St Thomas Aquinas arged that it was the reflection of divine wisdom in human beings, and many Christian philosophers have asserted that human laws and even national sovereigns are subornate to the law of God. International law (see PUBLIC INTERNATIONAL LAW), regulating relations between independent states, has been influenced by natural law theories. Locke based his idea of life, liberty and estate upon NATURAL RIGHTS, which also influenced the French Declaration of Rights, 1789, and the United States Declaration of Independence 1776, and Bill of Rights 1791. The effect of natural law theories upon practical English law is seen in the development equity by the Court of Chancery, the doctrine of unreasonableness as the test of negligence (see COMMON LAW and TORTS), parental rights in FAMILY LAW, the rules of national justice, and civil liberties (see HUMAN RIGHTS). Natural law ideas are often about an ideal, e.g. the Universal declaration of Human Rights.The English jurist H.L.A.Hart believes there is a minimum content of natural law, but few today think that natural law is immutable.

For further reading: J.Finnis, Natural Law and Natural Rights (1980).

【抄訳】
 自然に存在する法の原則。長い期間を通じて、多くの識者が自然法の重要性を認識してきたにもかかわらず、彼等は時折人間の法は自然法に従属すると主張し、その存在と関係を多くの点で理解した。アリストテレスは自然法を普遍的に認識されるものと信じ、例え死刑にされようともその考をを変えなかった。ストアは哲学者たちは、自然法とは合理的判断を基礎とすると信じた。聖トマス・アクィナスは、自然法を人間に内在する神智の顕現であると主張し、キリスト教徒の哲学者たちは、法と王権も神の法の下にあると断じた。独立国家間に結ばれる国際法(参照:PUBLIC INTERNATIONAL LAW)もまた自然法理論の影響を多分に受けてきた。ロックは生涯の思想である自由と所有を、自然権に基づくものとした。それは1789年のフランス人権宣言、1776年のアメリカ独立宣言、1791年の権利章典に影響した。実効性のある英国法における自然法理論の効用は以下に見られる、つまり大法官法院による衡平法の発展、怠慢の証明である不条理の信条(参照:COMMON LAW and TORTS)、家族法における両親の諸権利、自然公平の原則、そして市民の自由(参照:HUMAN RIGHTS)。自然法の思想は時に、国際人権宣言のような理想となる。イングランド人法学者H.L.A.ハートは、自然法の内容は最低限であると信じたが、今日では自然法が不変であると信じるものは少ない。

 参考文献: J.Finnis, Natural Law and Natural Rights (1980).

【雑感】
「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった」ヨハ1:1

 ヨハネによる福音書の最初の一節だ。この[言]の部分、ギリシャ語の原文ではlogosで、本来はは[論理]もしくは[構造]と訳すのが正しい。前ソクラテス期哲学者たちはlogosを、自然界を貫き秩序を保つ[理法]の意味で使っていた。ラテン語のratio、英語のreasonつまり[理性/合理性]。キリスト教の神といわれるとイエスの様な人格をもった存在を想起しがちだが、実際はもっと冷酷で自動的だ。ある法則に従って強固に積み上げられた[論理/構造]。そしてその[論理/構造]を貫徹する厳格な法則。つまりthe law of natureこそが神そのものに他ならない。そして人間社会に於ける神の遍在が、natural lawとなって示される。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2004/05/03(Mon) 06:08
投稿者名:北伯
タイトル:anarchism/無政府主義

 The Norton Dictionary of Modern Thought より
【anarchism】

 A political movement advocating the the abolition of the state and the replacement of all forms of gorvernmental authority by free assocication and voluntary cooperation of groups and individuals. Anarchists disagree about what specific relationships the future society is to be based on, and how it is to be achieved. Contemporary libertarian writers (see LIBERTARIANISM) describe themselves as ‘anarchocapitalists’ and base their hostility to the STATE on the inviolabikity of each individual’s ownership of himself and his property. Historically, anarchists have been hostile to private property as ordinarily understood. The first English anarchist, Willam Godwin (1756-1836), was uninterested in political action and wished ‘EUTHANASIA of government’ to result from individual moral reformation; more commmonly, anarchists have advocated some form DIRECT ACTION. Their MARXIST critics have complained that this is inimical to good organization and effective tactics. Proudhon (1809-65) and Blanqui (1805-81) divided the allegiances of 19th-century anarchists in France, the former wanting peaceful change, the latter an advocate of spontaneous insurrection. Bakunin led the anarchist wing of the First INTERNATIONAL; his quarres with Marx and Engels destroyed the organization in 1876. Bakunin’s enthusiasm for insurrection and spontaneity degenerated into the romantic and suicidal craze for ‘propaganda by the deed’ which swept Europe and America at the turn of century. Johann Moser’s obsession with the criative possibilities of dynamite was characteristic of this period, but even Malatesta, kropotkin and Emma Goldmann were tempted by the thought that assassinating the rich and powerful would leed to a workers’ revolt and thence to the anarchist utopia (see UTOPIANISM).
 After 1900, anarchism ceased to make much impact on the politics of developed countries. In revolutionary Russia, however, Makhno defied the Bolshevik armies (see BOLISHEVISM) for most of the Civil War, while anarchiests held power in Catalonia during the Spanish Civil War. In France, the hold of anarchist ideas on the LEFT has never quiet died out; ANARCHO-SYNDICALISM was a powerful force in TRADE UNION circles until after World War ?, and in the ‘events’ of MAY 1968 anarchism rather than orthodox Marxism ruled the day. the TERRORISM which the far left practiced during 1970s was based on an orthodox hatred of CAPITALIST society, but theexpegtion of insurrection was anarchist. Of much greater intellectual interest has been the continuing revival of INDIVIDUALIST American anarchism associated with writers such as Murray Rothbard and Robert Nozick.

For futher reading; G. Woodcock, Anarchism and Anarchists: Essays (1992).

【抄訳】

 国家の廃止、及びあらゆる形態の統治権力を自由な結合と集団と個人による自発的な強調によって置き換えることを主張する政治運動。アナーキストは将来の社会が基盤とすべき明確な関係性や、その関係を達成する方策に対して異なる意見を持つ。現代のリバータリアン著述家(参照:LIBERTALAINISM)は自らを‘アナーキスト的資本主義者’と表現し、その国家への敵意は個人の所有権と財産権に基づいている。歴史的に、アナーキストは既成事実として常態化した私有財産と対立してきた。最初のイングランド人アナーキスト、ウィリアム・ゴドウィンは政治行動に興味はなく、個々人の倫理的改心の結果が‘国家の安楽死’となる事を願っていた。より一般的に言えば、アナーキストは個人が何の影響も受けることなく行動した結果成立する社会形態を支持してきた。マルクス主義者の評論家は、その思想が優れた組織と効果的な戦術に対して、有害であると説いた。プルードン(1809-65)とブランキ(1805-81)は、19世紀フランスのアナーキストたちの忠誠を、前者は平和的変革を望み、後者は自発的反乱を擁護することによって分裂させた。バクーニンは第一インターナショナルのアナーキスト一派を率いたが、マルクスとエンゲルスに対する不和が1876年にその組織を崩壊させた。反乱と自発行動へのバクーニンの執着は、世紀の変わり目にヨーロッパとアメリカを傾けていた’実行によるプロパガンダ’を、理想主義的で自滅的な狂気へと堕落させた。モゼールの持った社会攻撃の創造的可能性への妄執はこの期間に特徴的なものだったが、マラテスタ、クロポトキン、そしてエマ・ゴールドマンは金持ちと権力者を暗殺し、労働者の暴動とそれに続くアナーキストたちの楽園を導くという思想にとらわれていた。
 1900年を過ぎてからは、アナーキズムは発展した国家に大きな衝撃を与えることを止めていた。しかし革命ロシアでは、マフノがボリシェヴィキ(参照; BOLSHEVISM)を市民戦争での最大多数であると定義し、スペイン市民戦争ではアナーキストがカタルーニャの権力を掌握した。フランスでは、左翼へのアナーキスト思想の呪縛は決して消え去ってはいなかった。第一次世界大戦の後まで、貿易組合の中ではアナーキスト組織主義は強い勢力を持っていたし、1968年の‘事件(5月革命)’の間は政党はマルクス主義よりもアナーキズムが支配的であった。1970年代、極左が実行したテロリズムは、資本主義社会への通俗的な嫌悪の基づいており、反乱を期待するのはアナーキストであった。より知的な支配力は、マレイ・ロスバードやロバートノージックといった著述家と結びついたアメリカアナーキズムのような個人主義者の再生を続けさせる。

参考文献; G. Woodcock, Anarchism and Anarchists: Essays (1992).

 続けて、The AMERICAN HERITAGE dictionary 4th edition より

【anarchism】

 1. The theory that all forms of government are oppressive and should be ablished.
 2. Terrorism against the state.

【抄訳】

 1. すべての政治形態とは抑圧であり、排除されるべきであるとする理論。
 2. 国家に対するテロリズム。

 もう一つ、 OXFORD Advanced Learner’s DICTIONARY 5th edition より

【anarchism】

 the political belief that there should be no laws and government.

【抄訳】

 法律と統治は、存在すべきではないとする政治信念。

 最後にもう一度、The AMERICAN HERITAGE dictionary 4th edition から

【anarchy】

 1. Absence of governmental authority or law.
 2. Disorder and confuse.

【抄訳】

 1. 統治権力、若しくは法の不在。
 2. 無秩序と混乱。

【雑感】

 [anarchy]という語の意味はかなり混乱していて、一般的な意味と学術的な意味で、さらに学術用語としてヨーロッパとアメリカでそれぞれ意味が異なり、時代によっても若干異なるニュアンスを持つ。anarchismの意味は一般的には無政府主義や単に反政府思想として扱われるが、政治用語としては反統治主義若しくは無秩序主義となる。
 『OXFORD Advanced Learner’s DICTIONARY』はanarchismを[the political belief that there should be no laws and government.]としている。lawsは複数形なので、これは人定法一般を指す。つまり特定の統治行為者と法律を破壊し尽くした後でも、自然法は残る。この意味で、アナーキストは極端な自然法派であると言える。『The AMERICAN HERITAGE dictionary』はニューヨークのDell Publishingの辞書、Random Houseの子会社のようだ。こちらでは[anarchy]を[Absence of governmental authority or law.]としている。このlawは無冠詞単数なので自然法を意味している。アナーキストは欧州では自然法派に、アメリカでは人定法派に属している。
 Nortonはこの項の中で、リバータリアンが自らを[anarchocapitalists]と表現すると書いている。リバータリアンは、統治と法が不在でも自発的に市場原理を組織するという信念を持っている。

副島隆彦の国家戦略論の背景
http://soejima.to/souko/strategy/index.html

アナキズムFAQ
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/contents.html

ウィリアム・ゴドウィン
http://bunken.ih.otaru-uc.ac.jp/yosho/Y_wiriamu.htm

ピエール・ジョセフ・プルードン Pierre-Joseph Proudhon
http://cruel.org/econthought/profiles/proudhon.html

ルイ・オーギュスト・ブランキ Louis-Auguste Blanqui
http://www2.ienohikari.or.jp/WebApl/KJinRyaku.nsf/WebApl/KJinRyaku.nsf/CD6D653E43EAF940492568E00000C8B8?OpenDocument

ピョートル・クロポトキン
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ku/kuropot.html

エマ・ゴールドマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/エマ・ゴールドマン

ネストロ・マフノ
http://www.nestormakhno.info/

ロバート・ノージック
http://www.arsvi.com/0ww/nozick.htm

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:21

【109】文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問 転載貼り付け2

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=7

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/20(Tue) 00:21
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”月の石”は日航機で受取り

毎日新聞 朝刊 1969年10月2日 17面(14版)
(転載貼り付け始め)

“月の石”を受取りに
久城講師が渡米

 アポロ11号が持帰った”月の石”を米航空宇宙局(NASA)から受取るため、東大理学部久城育夫講師は一日午後五時羽田発の日航機で渡来した。十五グラムのチリと岩石四個(計14グラム)を受取り。五日午後六時ごろ帰国の予定。またすでに渡米中の東大理学部永田武教授はチリ5グラムと十六グラムの岩石一個を持って十日ごろ帰国するとの連絡があった。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月2日 17面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:37
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号着陸船を月面に衝突

毎日新聞 夕刊 1969年10月4日 1面(4版)
(転載貼り付け始め)

用ずみの着陸船を衝突させ
月面に地震を起こす
アポロ12号の計画を発表

 【ケープケネディ三日ロイター=共同】十一月十四日に予定されている米国アポロ12号の月飛行計画が二日、発表された。
 これはケネディ宇宙センターでの記者会見でアポロ12号で月着陸するアラン・ビーン飛行士が明らかにしたもので、それによると月着陸船の上昇部分(重さ二・二六トン)が月から離れて司令船とドッキングし、宇宙飛行士が司令船に移ってから、再び切離し、わざと月面に衝突させる。その結果起こる人工地震を測定することによって、月の内部構造を調べることができるという。
 このほか、この日の記者会見は、アポロ12号計画での月面歩行計画は三時間半ずつ二回にわたって行なわれ、そのもようは初めてカラーテレビで地球に送られることが明らかにされた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月4日 1面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:39
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号以降は未定だった?

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

月着陸、来年は3回
米航空宇宙局 アポロ20号まで発表

 【ワシントン五日共同】米航空宇宙局(NASA)は、十一月のアポロ12号以後に予定される20号までの月着陸予定を明らかにした。
 五日付けのワシントン・ポスト紙がミュラーNASA次長の話として伝えるところによると、12号あとのアポロ計画では七〇年に3回、七一年に二回、七二年に三回、次のよな打上げスケジュールで月着陸を試みる。
 ▽13号=七〇年三月九日▽14号=同年七月七日から十四日の間▽15号=同年十一月▽16号=七一年四月▽17号=同年十一月▽18号=七二年二月▽19号=同年七月▽20号=同年12月
 NASAはいままで12号以後の月着陸計画について、アポロ計画以後の米国の宇宙計画が決まっていないこともあって、20号までの発射予定は未定としていた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:44
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月に原子力を持っていく???

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

12号では原子力観測ステーションも

 【ケープケネディ四日UPI】アポロ12号は十一月十四日打上げられ、コンラッド船長とビーン飛行士は同十九日、月面に着陸(ゴードン飛行士は司令船に残留)し、打上げ十日後に太平洋上に着水する予定である。
 コンラッド、ビーン両飛行士は、各三時間半の月面歩行を二回行なう。第一回では、月の地震、磁力、太陽風活動および月のきわめて希薄な大気などの観測データを少なくとも一年間地上に送り続けられる月物理学ステーションを設置する予定。同ステーションの動力は原子力である。
 二回目のときは、行動半径を八百メートルまで延ばして、岩石および土砂の標本を採取する。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:06
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”月の石”とUSスチール

毎日新聞 朝刊 1969年10月16日 18面(14版)
(転載貼り付け始め)

月の石第二陣
永田教授持帰る

 アポロ11号が月面で採取してきた”月の石”を持った東大理学部、永田武教授は、十五日午後八時三十分、東京羽田着の日航機で帰国した。月の石は五日、久城育夫東大講師が持帰ったのに続く第二陣。
 永田教授は、ヒューストンの店で買ったという黒皮製のカメラ用ショルダーバッグの中に、岩石のかけら二個(計十三・五グラム)と砂五グラムのはいった二本のガラスビンを納めていった。
 永田教授の話では、アポロ11号のアームストロング船長が、月着陸船から数メートルの範囲内で記録採取した岩石と砂で、岩石には「一〇〇八四―八九」、砂には「一〇〇二四―二二」と米航空宇宙局(NASA)が通し番号をつけてあるという。
 二日、ヒューストンの月面資料研究所でアンダーソン博士から石を手渡された永田教授は、その後、ピッツバーグ市内にあるUSスチール会社研究所で、岩石と砂を窒素入りの二つのビンに分けて密封してきた。同教授は、十六日から共同研究者の伊藤宗造東大宇宙航空研究所助教授ら四人と、月の岩石を磁気的に調べるための方針を検討、来年の一月五日にヒューストンで研究報告する。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月16日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:07
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号のスケジュール

毎日新聞 朝刊 1969年10月19日 18面(14版)
(転載貼り付け始め)

来月19日月面着陸
アポロ12号

 【ワシントン17日USIS】NASA(米航空宇宙局)は十七日、来月打上げられるアポロ12号の月面飛行の時間表を発表した。主な内容は次のとおり。
 ▽打上げ=十一月十五日一時二十三分▽テレビ放送=(三十分間)十六日七時五十三分▽月周回軌道にのる=十八日十二時五二分▽着陸=十九日十五時五十八分▽テレビ放送=(三時間半)同二十時三分▽第一回月面歩行開始=同二十時八分▽第一回月面歩行終了=同二十三時十八分▽第二回月面歩行開始=二十日十四時四十二分▽テレビ放送=(三時間半)歩行開始と同時刻▽サーベイヤー3号を点検=同十六時四十二分▽第二回月面歩行終了=十七時五十二分▽月面離陸=同二十三時十七分▽着水=二十五日六時六分

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月19日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:09
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号が積みこんだプルトニウム

毎日新聞 夕刊 1969年10月20日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

アポロ12号にプルトニウム積載

 【ワシントン十九日AP=共同】AEC(米原子力委員会)は十九日、来月打上げられるアポロ12号にプルトニウム238のカプセルを積込むが、これは核実験を除いては宇宙空間に打上げられる放射性物質としては最大量であると発表した。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月20日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:11
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:もう宇宙ステーションは中止

毎日新聞 朝刊 1969年10月24日 3面(14版)
(転載貼り付け始め)

宇宙ステーションは時期尚早

 【ワシントン二十二日UPI】NASA(米航空宇宙局)は、七月生物衛星で八日目に回収されたが間もなく死亡したサルのポニー君の実験を調査していたが、二十二日、この実験結果から「長期間にわたって人間が安全かつ効果的に活動できるような大型宇宙ステーションをつくる準備はできていない」と発表した。NASA当局は、最低一年間飛行する宇宙ステーションを計画しているが、今回の報告から、このステーションの建設は時期尚早であるとの結論がえられた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月24日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:53
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:NASA内の内部対立?

毎日新聞 朝刊 1969年11月3日 3面(14版)
(転載貼り付け始め)

外電メモ

NASA有人飛行部長が辞任へ

 ワシントンの消息筋によると、NASA(米航空宇宙局)のジョージ・ミュラー有人飛行部長は一週間後に辞任する。同部長はジェミニ計画とアポロ計画の責任者だが、ペインNASA新局長と意見が対立しているといわれる。また、ロバート。シーマンズ氏が、空軍長官に転出して以来空席のNASA新副局長にはジョージ・ロウ博士が昇格する予定である。
(AFP、DPA=時事)

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月3日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:54
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号の飛行計画

毎日新聞 朝刊 1969年11月6日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

月面活動は二回
15日打上げのアポロ12号
あらしの太陽着陸 観測装置五種セット

【ワシントン五日久野特派員】米航空宇宙局(NASA)は五日、二度目の人間月面着陸をめざすアポロ12号の飛行計画の詳細お発表した。計画によると、チャールズ・コンラッド船長(三八)、リチャード・ゴードン(三九)アラン・ビーン(三七)の三飛行士が乗るアポロ12号は米東部標準時間十四日午前十一時二十二分(日本時間十五日午前一時二十二分、以下すべて日本時間)にケープケネディ基地から打上げられる。そして打上げ百十時間三十一分後の十九日午後三時五十三分、月面西にある”あらしの大洋”に着陸、月に三十一時間半とどまり、この間コンラッド船長とビーン飛行士が二回の月面活動をすることになっている。人間の月面着陸そのものは、すでに七月のアポロ11号で達成されているので、12号の計画は11号でみられたようなショー的要素は薄れ、きわめて実務的なものになっている。アポロ計画の有人探査はこの12号から本格的にスタートするといえそうである。

 12号が11号と違うところは、①着陸地点が西に移って”あらしの大洋”となり②滞月時間が三十一時間と長くなり③この間の二人の宇宙飛行士がそれぞれ二回の月面活動を行い④アイソトープ電池を使う本格的な月面観測装置を初めて月面にセット⑤着陸地点の近くにすでに着陸してる無人月探査機サーベイヤー3号を調べ、出来ればその部品を地球に持帰ること⑥離陸後、月着陸船を月面に落下させ、月面に人工地震を起こさせること、などである。
 さらに12号では月着陸船にカラーテレビを持込み、月面からカラー放送する予定になっているが、電源などの関係で実現できるかどうかはわからない。
 アポロ12号は打上げ後、前の11号とほぼ同じ経過をたどって月に向かう。十八日午後零時四十七分に月を回る軌道に乗り、約一日月を周回飛行してからコンラッド船長とビーン飛行士の二人が月着陸船に乗り月に向かう。月着陸船のコールサインはイントレビット(勇猛という意味)。司令船操縦士ゴードン飛行士は母船「ヤンキー・クリッパー」に残り待機する。
 月面着陸は十九日午後三時五十三分、場所は”あらしの大洋”にある第七地点(南緯二・九四度、西経二三・四五度)で11号と同じ海の部分である。この地点は11号が降りた”静かの海”の西約千五百四十キロのところ。着陸隊員は月面に三十一時間半滞月するが、これは11号より約十時間長い。
 十九日午後八時八分のコンラット船長を皮切りに二人の宇宙飛行士は、この滞月時間内にそれぞれ二回ずつ着陸船の外に出て、月の石を採取、写真撮影など行うが、この様子は11号同様にテレビ中継される。コンラッド船長の月面活動時間は二回、合計約六時間二十分で、これは11号のアームストロング船長の月面活動のざっと三倍。ビーン飛行士も二回で約五時間の月面活動をする。
 12号の着陸予定地点は一九六七年四月にサーベイヤー3号が着陸した地点とわずか三百メートルしか離れていない。もし12号がうまくこのサーベイヤー3号の着陸地点近くに着陸できれば、着陸隊員は二度目の月面活動のとき、このサーベイヤーの着陸地点まで足をのばし二年七ヵ月間にサーベイヤー3号がどうなったかを調べ、できればテレビ・カメラなどをと取りはずして持帰ることになっている。
 アポロ12号が月面にセットする観測機器は地震計、磁力計など五つの測定機から成り、ALSEP(アポロ月面実験装置)といわれるもの。ALSEPは11号で使われるはずだったが、間に合わず、こんどの12号で初めて使われる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:55
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:今度はカラー中継

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

月面歩行、今度はカラー中継
アポロ12号

 【ケープケネディ五日UP】十四日(日本時間十五日)に打上げが予定されているアポロ12号乗組員の月面歩行はカラーテレビで実況中継されることが五日明らかにされた。これで地上のテレビ視聴者は七月のアポロ11号のさいよりさらに鮮明で劇的な月面の映像を楽しめることになる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:56
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:猿回しの猿、帰国

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

アポロ三飛行士帰国

 【ワシントン五日AFP】日本を含む世界主要諸国を歴訪していたアポロ11号の三飛行士は五日、ワシントンに帰着した。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:59
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月の石の組成:口外できない???

毎日新聞 朝刊 1969年11月8日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

ナゾ深まる月の石
永田、久城両氏が中間報告
三つの鉱物を確認
地球とは違う”磁石”も

 アポロ11号が持帰った月の石を分析中の永田武東大教授と久城育夫東大講師は七日、東大宇宙研で開かれた「月・惑星シンポジウム」と、これに続く記者会見で中間報告を行い、久城講師は「米国ヒューストンでの予備分析ではっきりわからなかった燐灰石、とろイライト、純粋なチタン鉄鉱の三つの新鉱物を確認した」と研究成果の一端を発表、また永田教授も「月の角礫岩は非常に中途半端な磁気を帯びており、地球上とは全く違った仕かけで”磁石”が出来たのだろう」と述べた。さらに久城博士は「同じ石の中におそろしく成文の違う鉱物が”同居”していたり、含水鉱物が全く見られないなど、注目すべきことが多い」と報告、研究が進むにつれて月成因のナゾがますます深まっていくことをほのめかした。
 両博士の研究を含めた世界中の分析結果は来年一月五日、米テキサス州ヒューストンの有人宇宙センターで開かれる第一回の月の石シンポジウムで公表され、討議かかわされるが、両博士がこの日報告したのは、研究成果のアウトライン。両博士はすでに八分どおり”仕事”を終えているが、NASA(米航空宇宙局)当局からデータ公表を禁じられたため奥歯にものがはさまったような発表。このため久城博士はしばしば「そのデータはいえません」と断りながら発表を続けたが、参加者や記者団の質問に答え①燐灰石、一〇〇パーセント純粋なチタン鉄鉱、トロイライトの三鉱石を新たに確認した②一つの小さな岩石の中に、元素の成分比が非常に違う鉱石が同居しており、マグマ(溶岩のモトになるドロドロの物質)の組成が急速に幅広い変化行なったらしい③岩石をつくるモトとなったマグマでは初めからチタンが多く、酸素が不足していたとしか考えられない④月の石は一般的にいって、地球の玄武岩でチタンと鉄、クロムなどを多くし、ナトリウムを少なくしたような岩石と思えばよい⑤鉱物の組織からみて、月では結晶の成長が非常に遅かったと考えられる⑥月のチリは三万気圧の下では先数百度で溶けることがわかったなどを明らかにした。
 また永田教授は①角礫岩のなかには、地球の岩盤などに比べれば弱く、何かの”汚染”と考えるには強すぎる中途半端残留磁気(三原山の溶岩に比べ三〇分の一ないし五〇分の一)を帯びたものがある②月物質の磁気の”担い手”は岩石中に含まれる自然鉄である③月の岩石の”磁石”は地球上のものに比べて、非常に不安定である。④月物質の”磁石”をつくるしかけは、地球上では考えられない全く新しいものとしか考えられない――と述べた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月8日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/16(Mon) 01:36
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号、着陸地点を発射直前に変更

毎日新聞 朝刊 1969年11月9日 3面(14版)
(転載貼り付け始め)

サーベイヤーから90メートルの地点に
アポロ12号の着陸点変更

 【ワシントン七日共同】米航空宇宙局(NASA)はアポロ12号の発射を目前に控え、月着陸船の着陸地点をいままでよりも、サーベイヤー3号に近いところに変更することをこのほど決定した。
 NASA当局者が七日明らかにしたところによると、現計画の着陸地点はサーベイヤー3号から約三百四十メートル離れた場所だったものを、同3号が着陸しているクレーターぎりぎりの約九十メートルしか離れていない地点に移した。これはアポロ12号の月面活動でサーベイヤー3号の部品回収を容易にするのが目的で、着陸計画の検討の結果クレーターのふちから四十五メートル前後のむずかしい地点にも着陸出来る自信を深め、この予定変更に踏切ったものとみられる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月9日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/17(Tue) 00:42
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号打上げ時の記者は激減

毎日新聞 夕刊 1969年11月14日 10面(4版)
(転載貼り付け始め)

「あァ、いつものアポロ」といった調子
打上げ基地
11号の熱狂はなく
記者団も10分の1に

 【ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)十三日久野特派員】いよいよ、アポロ12号の打上げは今夜(日本時間十五日午前一時二十二分)だ。「ヤナギの下にドジョウは二匹までいる」といった人がいたが、「アポロの下のドジョウは二匹まではいない」ようだ。打上げ基地のケネディ宇宙センターはあの「11号」に比べなんとなくさびしい。

 打上げ日の人出は七十五万人には達しないだろうというのが基地の警察やホテル関係者の一致したヨミである。アポロ11号のときは全世界十億の人々がテレビを見たり百万人の見物客が泊まりこみでこの基地に殺到した。二十五万台の車が基地に向かう道路を南下し三千隻以上のランチやモーター・ボートが基地をはさんで流れるバナナ川とインディアン川の岸辺にイカリを下ろした。そして、ざっと三百機の飛行機が車のひしめく地上を避けて空中見物に舞上がった。それからわずか四ヵ月で。人間月着陸といっても二回目ともなれば、早くもケネディ宇宙センターで打上げられる数多い発射のほんの少しばかり大きなものの一つになってしまったらしい。
もっともわかりやすい数字が取材に集まった記者の数。11号のときは、それこそ世界のすみずみから集まった報道人は三千五百人といわれた。それがこんどの12号の場合は、これまでに正式に登録したものが二百九十九人。「もちろんまだ登録していない人も多数いるだろうが、いったい何人集まるか、アイ・ドント・ノーだ」とNASA米(航空宇宙局)の係官はクビをすくめて見せた。
 もっとも、テレビ関係はさすがに準備に忙しく、12号が打上げられる第39常発射台から約五キロ離れた報道席の近くには、中継車などが多く駐車し、テレビのコードがヘビのよにうねっていた。
 一方、ホテルの関係者も「11号のようにはいかない」と覚悟を決めている。「まあ、ふだんの打上げと同じですな」と基地のレストランを持つグレーフ氏はいう。この基地の空の玄関であるメルボルン空港そばのモテルでは、打上げ日にそなえて九部屋あけておいたが「もう部屋をあけておくのはやめようと思っている」と支配人が語っていた。
 だいたいこのモテルには打上げ前夜に泊まる客の予約がまだ一つもないという始末。もちろん客がフルに入っているモテルやホテルはあるのだがその数は少ない。「だいたい、オフシーズンだからね」とケープ警察のウィネット署長はいう。おかげで警察は大助かり。百万人の人出をさばいた経験からすれば「七十万人くらいなら楽なもの」というのもむりからぬところ。
 もっとも心配されているのは地上よりもむしろ空の交通整理。小型機の発着するケープ近くのチコ空港の航空管制は打上げ前日と打上げ当日の二日間は朝七時から夕方六時まではフル操業を覚悟、人を増やす方針だ。「飛行機だけは11号なみだ」と予想されるからだ。
 それと、この日からはじまった第二回の”反戦行動”――人々はこっちの方に関心があるようだ。遠い月よりもベトナム戦の方がはるかに切実な話題というわけか。さらにニューヨークでは爆弾騒ぎがあちこちで続発、新聞も爆弾事件で埋まっている。反戦デモに目を奪われ爆弾騒ぎに肝を冷やして、ニューヨーク市民は今のところ「月どころではない」といった感じである。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月14日 10面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:20

【108】文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問 転載貼り付け1

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/11(Sun) 04:14
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号搭載の日本製品

毎日新聞 朝刊 1969年7月18日 18面(14版)
(引用始め)

月へお供、日本の技術
煙感知器・テープレコーダー・レコーダー

 アポロ11号で、日本製品が活躍中――。十七日明らかにされたところによると、イオン式煙感知器(ニッタン)テープレコーダー(ソニー)露出計(ミノルタカメラ)が宇宙を飛んでいる。
 「わが社のイオン式煙感知器は純国産技術によるものですよ。それが月に向かって飛んでいるとは愉快ですね」というのは、火災探知機メーカーのニッタン株式会社(本社・東京都渋谷区幡ヶ谷、資本金一億六千八百万円、板倉緑社長)。年商三十三億円、探知器メーカーとしては、わが国で二-三位という”中堅企業”だけに、自社技術を認められたのがいかにもうれしそう。
 このイオン式煙感知器は、火災によって煙が発生すると同時に、放射線の作用で感知器の中を流れている電流が変化して警報を出す装置。アポロ11号に積まれたものは「NID-18」(国内価格は一万二千五百円)という型で、アメリカとスイスの火災報知器メーカーの製品とNASAで比較で比較テストした結果、ニッタン社製のものが高性能のうえ軽く(六百五十グラム)て小型(直径9センチ、高さ12センチ)なため採用されたという。
 ソニーはテープレコーダーが積みこまれた。このテープレコーダーは重さ六百グラムという超小型「TO-50」で、アポロ10号に積込まれているのをテレビ放送で発見、今回NASAにたしかめたもの。貴重なデータを記録すると同時に、地球から持っていった音楽テープを再生し飛行士を慰めるのに使われる。同社では「アポロ用に特別に作ったものでなく、一般に市販されているレコーダーが積込まれた」ことを強調している。
 ミノルタカメラの場合は同社で開発した特殊露出計「ミノルタスペースメーター」がアポロ11号で使用されている。この露出計は、NASAの要請により、一般に市販されていた「ミノルタオートスポット1゚」を宇宙空間でも使用できるように改良した。すでにアポロ8号、10号で、宇宙飛行士がTV放送や撮影する際の露出測定に使用されており、アポロに搭載されるのは今回で三度目。

(引用終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月18日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/12(Mon) 01:12
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:日本にある「月の石」

毎日新聞 朝刊 1969年7月25日 18面(14版)
(転載貼り付け開始)

月の”お石さま”やってくる
日本にも9月に”おすそわけ”

宝石なみ 研究室でもこっそりと
公開ダメ 紙より薄く削ってある

 アポロ11号が月面で拾ってきた石は、九月下旬ごろ日本にも”おすそわけ”される。科学者たちの期待はもちろんのこと、素人にも興味シンシン。「ぜひわが方で展示会を」とあちこちから名乗りが上がっているが、日本で月の石研究者に選ばれた三人の博士は「とんでもない」とひたすら断っている。税関には入国のさいのフリーパスを申請、研究室ではだれにも分からないところにコッソリかくして……と宝石以上のあつかいだ。

 三十数キロの”月の石”は、11号の着水後、三飛行士と一緒にヒューストンの米航空宇宙局有人宇宙船センター内にある「月資料実験施設」へ運ばれ、厳重な検疫ののち日本を含む世界各国の学者約百五十人に同センターで手渡される。日本で石をもらうのは、東大理学部の久野久、永田武両教授、東大地震研究所の金森博雄助教授の三人。三年前、世界中から応募した約四百人の学者の中から米航空宇宙局が経歴、研究内容、実験設備などを参考に審査して約百五十人を選んだ。日本からは五人申請して三人が”パス”。
 久野教授は、岩石学の立場から顕微鏡や新しく二千六百万円で入れたX線マイクロ・アナライザー(電子ビームを石にぶつけて発生するX線の特性を調べ、それによって組成を判断する)で石の中身を研究、永田教授は磁気的性質、金森助教授は地震学的に弾性的性質を調べる。三人の研究を結合すれば日本の研究陣としての一応の結論が得られるわけだ。これによって、たちどころに月の内部の鉱物のようす、ひいては月の成因や地球と月との関係がわかるかどうかは「富士山のてっぱんの石ころを取って”これが地球だ”というようなもの」(永田教授)と疑問視するひとも多いが、ともかくこの”石ころ”地球と太陽系を見直す出発点になることはたしかである。
 研究は約三ヵ月かけて念入りに行い、来年一月三日に百五十人の学者が全員ヒューストンに集まって発表と討論の会を開く。
 ところで、石は拾ったままのナマの形ではなく、月資料実験施設で直径一・五センチ、厚さ百分の三ミリぐらいの薄板に削り、表面をみがいてわたされる。「一般の方がごらんになっても何のヘンテツもないしろもの。公開は、どうかごかんべんを」と、久野教授。 しかし、”ヘンテツ”はなくとも、初めて持帰る他の天体の”一部分”とあってみれば、人目見たいというのが人情というものだが、そうはいかない。おカネの話しをすれば、アポロ計画全体の経費が八兆六千億円だから、石ころ1グラム当たりの”値段”は約二億四千万円ナリの超貴重品。
 米航空宇宙局もひどく心配して「複雑なカギのかかる金庫に入れ、公式の機関で管理してほしい」と再三念を押してきた。金庫のほうは”しかるべきところ”に置くことになったが、”身元引受け”機関は「そんな大それたものは……」とどこもシリ込みして、文部省-東大-日本学術振興会とタライ回し、結局、久保亮五東大理学部長が引受けることで落着いた。
 さて月の石はできるだけ”下界”の空気にふれさせないでモトのまま見たい、とねがうのが学者の気持。三博士は羽田の税関でもフリーパスを申請することになり、たぶんOKだろうという。”そこのけ、そこのけ、お石さまが通る”である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月25日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/12(Mon) 01:15
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:「月の石」と地震計

毎日新聞 朝刊 1969年7月27日 1面(14版)
(転載貼り付け開始)

「月の石」初めて肉眼に
アポロの採集物 点検始まる

 【ヒューストン有人宇宙船センター二十六日高榎特派員】アポロ11号が持帰った静かの海で採取した月面サンプルは米中部夏時間二十六日午前十一時半(日本時間二十七日午前一時半)すぎヒューストン宇宙センターの月資料受入れ施設で開かれ、初めて”月”を手に持って見る実験が開始される。
 このサンプルは二つの軽金属コンテナに納められ、二十五日、ヒューストン宇宙センターの受入れ施設に空輸された。
 持帰られた月面サンプルは合計約五十ポンド(約二十二・五キロ)月資料受入れ施設で予備的調査を受けるに先立ち、二十五日にコンテナの点検、洗浄、消毒が行われたが、最初の箱は重さ三十三・三ポンド(約十五キロ)で、十五ポンド(約六・八キロ)の月の岩石や砂が含まれている。またコア・サンプラーで採取された深さ二十センチまでのサンプルもこの中に入っている。

月物質入れた箱に茶色の斑点

 箱の外側には五セント硬貨、二十五セント硬貨ほどの大きさの灰色がかったいくつかの茶色の斑点が発見されたが、耐酸処理にもかかわらず消えなかった。
 月物質受入れ施設のキング博士は11号をケープケネディから打ち上げる前に、塩水がかかったのが原因ではないかとみている。同博士はこの観点から、斑点は月のホコリではないと判断している。

地球に似て地層状?

 一方、二十日、月面に設置されてまもなく、月面のナゾの震動記録した地震計は、耐熱設計が悪かったのか、その後摂氏九十以上に温度が上がっているが、観測をつづけており、二十五日までに第一回と同様な震動をその後二回にわたって記録した。これは波の形が初めに波長の短い波が来、ついで波長の長い波に変わるもので、地球上の普通の地震の波形とちょうど逆になっている。
 マサチューセッツ工科大の地球物理の権威ブレス博士は、この震動の強さから隕石の落下ではなく地震によるとみていたが、まだ原因は明らかにされていない。しかしNASAはこの震動の波形の観測から月の内部は均質ではなく地球のような地層状のような構造になっているのではないか、とみている。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月27日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/13(Tue) 00:37
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号の前に失敗したサル衛星

毎日新聞 朝刊 1969年7月9日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

“サル衛星”のボニー君に死ぬ
回収後に 体温低下が原因?

 【ホノルル八日UPI】七日午後一時(日本時間八日午前七時)ハワイ沖の海上で回収された生物衛星3号のサル、ボニー君は現地時間八日朝死んだ。米航空宇宙局の発表によると、ただちにボニー君の詳細な検視を開始した。
 ボニー君は長時間宇宙旅行の生物に与える影響などを研究するため、三十日間地球を回る予定だったが、食料分配器が故障、またボニー君は食欲減退などを起こし、健康が悪化したため、九日目百三十周で回収されたが「新陳代謝の低下とカプセルの温度が最低限度まで下がった」ため、ボニー君の体温は低下したといわれる。
 米国は生物衛星をこれまでに二回打上げているが、いずれも植物とこん虫を乗せたもので、動物を乗せたのは3号の”サル衛星”が始めて。最初の二回のうち一つは地上へ戻るためのロケットがうまく作動せず回収に失敗。他の一つは予定より一日早く回収せざるをえなかったが成功した。

人間の場合心配いらぬ

 自衛隊航空医学実験体長、横堀栄空将補の話 解剖結果と、宇宙船からのテレメーターによるボニーの脳波、心電図、呼吸などの生態情報を合わせてみなければわからないが、ボニーが死んだ原因は、二つの側面から考えられる。
 第一は宇宙船の故障。地球へ降りてくるとき、成層圏に近いところでは氷点下五三-五四度くらいの寒さだから、船内の温度維持装置がこわれていればたちまち体温が低下してしまう。人間だったら警報が鳴って、こわれた装置を直すこともできるが、サルにはそれができない。酸素計がこわれて酸素が少なくなったとも考えられる。
 第二はサル自体に原因があること。条件反射で食事をとらされていたはいいが、食べすぎて体の調子をわるくし、サルの意思能力がなくなり体調が低下したこと。おそらくこれらの原因が重なって衰弱し、死んだものと思う。サルだから起こった事故で、このことで人間の場合もありうるのではと、心配するのは不要だと思う。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月9日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/13(Tue) 00:52
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号設置の月地震計の寿命

毎日新聞 朝刊 1969年7月24日 3面(14版)
(転載貼り付け開始)

数回の震動を記録
月地震計 損傷で寿命を短い?

 【ヒューストン二十二日ロイター=共同】ヒューストンのNASA(米航空宇宙局)当局者が二十二日明らかにしたところによると、アポロ11号の月着陸船が月面に設置した月地震計が、月着陸船の離陸後”数回の地震性震動”を記録した。この震動がなんであるかは今のところ明らかではない。
 また当局者によると、月地震計をおおう断熱材がその効果を発揮していないようである。これは月着陸船の離陸時のエンジン噴射のショックで断熱材の被膜が損傷したためとみられ、月地震計の温度が上昇している。ある当局者は月面の温度が摂氏百一度に達する二十六日の正午すぎまで、もちこたえられないのではないかとみている。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月24日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/13(Tue) 01:15
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”サル衛星”失敗の原因はやっぱり故障?

毎日新聞 夕刊 1969年7月8日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

サル衛星を回収
ボニー君無事 健康検査へ

 【ホノルル七日UPI】サルのボニー君が乗った生物衛星3号は七日午後一時(日本時間八日午前七時)ハワイのカウアイ島北方四十キロの海上で回収された。
 ボニー君は三十日間地球を回る予定だったが、百三十周だけで終わった。
 【ホノルル七日AP=共同】ハワイ沖で七日回収された”サル衛星”のボニー君は、カプセルをホノルル・ヒッカム空軍基地に運んで調べたところ、生きていることが確認された。同基地では直ちにボニー君の健康状態の検査を開始した。
 ボニーの乗ったカプセルは、はじめ米空軍C-130が空中回収する予定だった地点から約百六十キロ離れた太平洋上にパラシュートで着水した。予定地点をそれたことについて米科学者は、大気圏再突入用ロケットの噴射がミスしたのではないか、と語った。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年7月8日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:01
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月のチリで成長促進?

毎日新聞 朝刊 1969年9月1日 3面(14版)
(転載貼り付け開始)

月のチリふりかけると
野菜の成育促進?
米で実験報告

 【ワシントン三十日DPA=時事】当地の植物研究所のホッゾ主任が三十日明らかにしたところによると、トマト、きゅうりその他に月のチリをふりかけたところ、成育が促進されるという実験結果が出た。
 同主任によると「月のチリをまぶしたものは、ほかのものに比べて一層力強く成育し、緑色が濃くなった」といわれる。しかし、その差はごくわずかであるため、この実験からはっきりした結論を引出すのは尚早という。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月1日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:02
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月のホコリ、実はガラス

毎日新聞 朝刊 1969年9月2日 3面(14版)
(転載貼り付け始め)

月面のホコリ半分はガラス
米紙が分析結果発表

 【ワシントン一日共同】アポロ11号が月から持帰った岩石の分析について最初の合同報告が十二日ごろ米科学専門誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス」に発表され、分析にたずさわった科学者の記者会見が同日ワシントンで行なわれる予定だが、一日付ワシントン・ポストが伝えたところによると、いままでの分析で次のようなことがわかった。
 一、月表面のほこりは五〇パーセントがガラスであり、表面を歩いたアポロ飛行士が大変すべるといったのも、飛行士がとった写真を調べるとガラスの”破片”の上を歩いたことがわかった。
 一、月表面の下は割れ目のある大きな球で、深さ百キロないし千キロに達する割れ目で巨大なかたまりに分けられている(ちょうど割れたつぼのようなものニューヨーク州パラセーズの地質研究所のガリー・レーサム、モーリス・ユーイング同博士はいっている)。 
 一、月表面が驚くほど多くのガラスの”ホコリ”でおおわれていることは、非常な高熱が作用したことを物語っている。しかしそれがいん石の落石によるものか、内部の火山活動によるものかは、結論が出るまでにかなりの時間がかかりそうだ。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月2日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:05
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月面物質の分析結果・速報

毎日新聞 夕刊 1969年9月11日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

地球と同時期に誕生
生命認められず、土壌も無害
月面物質の分析結果

 【ヒューストン十日AP=共同】ヒューストンの月帰還対策センターの科学者たちは「月は地球と同じ時期に出来たが、間もなく活動を停止し、”静寂の世界”化した」と判断している。
 この結論は、科学者達が、アポロ11号が持ち帰った月の岩石やチリを分析調査して打出されたもので、NASA(米航空宇宙局)は十五日にワシントンで記者会見し調査結果を発表する予定である。
 月物質の分析から得られた主要な結論は次の通りである。
 一、月に生命の存在を示すものは全くなかった。
 一、月面物質を植物、魚類、ネズミ、小鳥など地球上の生物にさらす実験を徹底的に行ったが、月の土壌に細菌や病原菌が存在する兆候はなく、地球上の生物に有害でないことが証明された。
 一、分析の結果は、月が地球と同様に、約三十億年前はドロドロのかたまりだったことを示している。月は地球と同じく生成期にはものすごく熱く、ドロドロした溶岩の球体であった。
 一、地球が発展して生命を生み出したのに対し、月の方は誕生から約五億年後(現在から推定約二十三億年から三十七億年前までの間)に、最後の火山活動を終え冷たくなった。月はそのとき生命のない墓石になったわけである。
 一、月が活動していた時期に、月面にぶつかった”なにか”が月面地図作成者が”海”と呼ぶ平らな平原を作った。
 一、月の火山活動は、”海”を溶岩とちりでいっぱいになった。
 一、月の表面を保護する大気がないため、月面には無数のイン石が衝突、これが月面の特徴的な状態を形成した。
 一、月の岩床はイン石の衝突で、深部まで破壊され、クレーター(火口状地形)が作られた。アポロ11号が着陸した静かの海にあった岩石の一つは、一億五千万年前にできたものである。
 一、イン石は絶え間なく月面に落下した。衝突された月面物質の一部はガラス状物質となった。静かの海のチリの五〇パーセントが、ガラス状態の物質である。
 一、月面物質は、地球上で発見される再古代の岩石とほぼ同年齢で、チタニウム、ジルコニウム、クロミニウムといったなかなか熱に溶けない元素を多く含み、鉛、ポタジウム、ソジウムなどはほとんど含まれていなかった。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年9月11日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:07
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月の石の配布開始!

毎日新聞 朝刊 1969年9月14日 15面(14版)
(転載貼り付け始め)

月の岩石を配布

 【ヒューストン十二日UPI】アポロ11号が地球に持帰った岩石標本が十二日、米、英両国の六人の科学者に手渡された。有人宇宙船センターから初めて標本を受取ったのは、米アーゴン国立研究所の地球化学者ジョージ・リード博士らである。

日本では三学者
 【ヒューストン十二日AP=共同】日本人三科学者への配布分は次のとおり。
 金森博雄(東京大学)チリ十グラム。岩石二個計二十六グラム。弾性係数決定のため。 永田武(東京大学)チリ五グラム、岩石一個十六グラム。磁気特性を決定するため。
 久城育夫(東京大学)チリ十五グラム、岩石四個計十四グラム。岩石学的研究のため。
(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月14日 15面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:08
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:早くも有人火星探査は中止

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

火星飛行お預け
代わりに大型ステーション建造
米宇宙政策 作業班が勧告か

 【ワシントン十四日高榎特派員】アポロ11号の月着陸に続き米政府が今後どのような宇宙政策を打出すかが注目されているが、十四日ワシントンで伝えられているところによれば、ニクソン米大統領の支持でこの春以来、本格的な宇宙計画の再検討を急いできたアグニュー副大統領ら米政府宇宙作業グループはこのほど今後の宇宙開発の主柱として論叢を呼んできた”八〇年代の火星旅行”は打出さず、代わって七五年打上げをメドに大型宇宙ステーションを建造することを決定、十五日ホワイトハウスで開かれる会議でニクソン大統領に勧告するといわれる。
 この勧告はアグニュー副大統領を中心にシーマンズ空軍長官、ペインNASA(米航空宇宙局)長官、デューブリッジ大統領科学補佐官、シーボーク原子力委員長ら十四人の手で作成されたもので、その内容は向こう十年間の米宇宙開発の基本的方向を決定づけるものとして六一年ケネディ大統領に七〇年代の月飛行を勧告した文章以上の重要性をもつことになるとみられる。
 アポロ以後の宇宙計画をどう決めるかはジョンソン政権時代からの懸案だった。
 しかし、火星計画は少なくとも十二ヵ年計画で六百四十億ドル以上を必要とすると見積もられているだけに有力科学者筋に批判が強くバン・アレン放射帯の発見で知られるバン・アレン・アイオア大学教授らは、むしろ無人ロケットによる惑星探査を主張、一方議会でも多数の議員がいま直ちに火星飛行計画に着手することには難色を示し、ミラー下院科学宇宙委員長も”バランス”のとれた宇宙計画を唱えていた。こうした中で十五日ニクソン大統領に提出されるといわれる勧告は今後十年間の宇宙計画の柱として火星飛行計画は正面に出さず、かわりに七五年打上げをメドに大型宇宙ステーションを建造することを目標にしているといわれる。
 にもかかわらず、この勧告で注目されるのは、米国が今後核ロケットの開発を促進すべきであるとし、今後十年間ソ連の出方など情勢の変化によっては途中からでも八〇年代の火星飛行実現に移れるよう”含み”を残している点である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/18(Sun) 03:09
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:11号の着陸点が分かったのは地球に帰還してから?

毎日新聞 夕刊 1969年7月30日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

正確な月着陸地点わかる

【ヒューストン二十九日ロイター=共同】NASA(米航空宇宙局)は二十九日、アポロ11号の月着陸船から撮影した写真と一六ミリムービー・フィルムを初めて公開したが、これを見た科学者たちは月の地形から月着陸船の着陸地点を正確に計算することができたと語った。
 この計算によると、着陸地点は北緯零度三八分五〇秒、東経二二度三〇分十七秒である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年7月30日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/18(Sun) 03:45
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:原子力エンジン開発中!

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 3面(14版)

(転載貼り付け開始)

原子力ロケットエンジン実験も
米原子力委

 【ワシントン十八日AFP】米原子力委員会(AEC)は十八日夜、原子力ロケット・エンジンがネバダ州の地上実験場で過去数ヵ月間成功のうちに実験されたと
発表した。AECによると、このエンジンは推力五万ポンドで、三月以降二十八回噴射実験が行なわれ、延べ噴射時間は三時間四十八分に達した。これらの実験は推力七万五千ポンドのナーバ型原子炉の開発に使われるが、同型原子炉は最終的には飛行テストされる。
 原子力ロケットは、米国は一九八〇年代に開始するはずの火星飛行にとって必要になろう。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/20(Tue) 00:20
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号は着陸精度800メートル?

毎日新聞 夕刊 1969年10月1日 10面(4版)
(転載貼り付け始め)

「サーベイヤーの破片持ち帰る」
アポロ12号船長談

 【ケープケネディ(米フロリダ州)三十日UPI】十一月十四日に打上げ予定のアポロ12号のコンラッド船長は三十日記者会見して「月着陸のさいには最高八百メートル月の地上を歩いてサーベイヤー3号の着陸している地点を訪れ、サーベイヤー3号の四つの破片を持帰りたい」と語った。
 四つの破片とは二年半前に打上げられたサーベイヤー8号のテレビ・カメラ、アルミニウム管、殺菌した針金および熱反射器とした用いられたガラスの破片であり、もし、これらの破片が地球へ持帰れるなら、月面上に置かれた機械がどのくらいの期間で影響を受けるかを調べるための貴重な資料となると期待されている。
 コンラッド船長は、ビーン飛行士とともに月面上に一日半とどまり、三時間半ずつ二度にわたって月面飛行を試みる予定であるが、三十日の記者会見で、どのくらい遠く月着陸船から歩けると思うか、との質問に対して同船長は、八百メートルぐらいだろうと述べ、もしアポロ12号がこれ以上の距離のところに着陸したら、サーベイヤー3号の発見は出来ないと思うと語った。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月1日 10面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:19

【107】文書の倉庫 (6)歴史研究・日本属国史研究 転載貼り付け2

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (6) 歴史研究・日本属国史研究
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=6

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2001/03/29(Thu) 00:51
投稿者名:かたせ
タイトル:副島先生が注意深くウオッチしていたイタリア人、ついにムッソリーニの政治思想を日本に初めて紹介

副島隆彦先生の著書「ハリウッドで政治思想を読む」から引用します。映画「コーザ・ノストラ」の解説の部分です。
まず、151ページから。
(引用開始)
 どうやら、イタリア・ファシスト党を率いてドイツ・日本と組んだイタリアの政治指導者であったベニト・ムッソリーニという男は、政治思想的にも相当に大きくて未だに深いものをもっている人物らしい。それは、中世以来のイタリアのカトリシズムの長い伝統に裏打ちされたものであるらしい。ロマノ・ヴルピッタというイタリア人外交官が、そのことを、それとなく私たちに伝えようと、長いこと日本に駐在している。日本には、まだほとんど、その偉大さは伝えられていない。ムッソリーニの思想は私たちには全く解読されていない。彼は一九四五年四月に、逃走中の北部イタリアで、パルチザンにつかまって、愛人と共に絞首刑にされた。
(引用終わり)

次に94ページから。
(引用開始)
 ムッソリーニは、一九四三年七月に、首相の座を追われ、一九四五年四月に、イタリア・パルチザンゲリラに、北部の山中を逃亡中につかまり絞首刑にされた。そのときの写真は今も残っている。ムッソリーニはイタリア・ファシスト党の党首であり、ファシズム運動の党首であった人物だが、中世ヨーロッパ最大の伝統を引くイタリア政治思想の優れた思想家であったらしい。バチカンの僧侶知識人たちによるムッソリーニ研究が、今なお連綿と続いている。現代イタリア人を私たちが本当に理解しようと思ったらムッソリーニを研究しなければならないようだ。
(引用終わり)

 ここで紹介されているロマノ・ヴルピッタ氏が、日本語で本を著(あらわ)しました。
「ムッソリーニ (一イタリア人の物語)」(中公叢書、2000年12月初版、中央公論新社)です。http://www2.chuko.co.jp/new/200012/003089.shtml

 副島先生の文章の内容から逆算すると、この本によってはじめて、ムッソリーニの優れた思想を日本人は理解できるようになり、そして現代イタリア人を本当に理解する重要なきっかけが与えられるはずです。そのくらい大切な本のはずです。

 ところで、そうするとそもそも現代イタリア人のことを私たち日本人はまだ理解できていないことになってしまうのですが、本当でしょうか。「イタリア?良く知ってるよ。サッカーに、ルネサンスに、パスタ。いい国だよ。イタリア人は明るくて陽気だし。人生を楽しんでいるのが、うらやましいよ。」と反論をしたくもなります。

 この本の、「後記」から引用してみましょう。
(引用開始)
 現在、イタリアは日本で人気のある国に違いない。しかしそのイメージは地中海料理、ブランド物やデザインや美術やオペラやセリエAやスポーツカーなどである。総じて言うと<甘い生活>に関わるものである。けれども、ひょっとすると働き蟻の日本人は、遊び好きなキリギリスのイタリア人を羨ましがりながらも、心の底では蔑視しているのかもしれない。
 ともあれ、あの<甘い生活>の裏にある、統一国家になってからの約一世紀半の間、イタリア民族が経験した激動の歴史について、ほとんどの日本人は知るところがない。ムッソリーニはある意味で、この希望と挫折の歴氏を象徴しているのである。彼の大いなるドラマの背景には、イタリア国民の大いなる季節がある。そのことを私は、日本人にも知ってもらいたかった。とりわけ、絶望のなかにあって多くのイタリア人が、思想の正否を別にしても、どのように自分の志を貫いたかを。そのためにこそ私は、日本では余り知られることのないイタリア最新の研究成果を踏まえて、独断的ではあるかもしれないが、これまでのステレオタイプと異なったムッソリーニのイメージを紹介することにしたのである。今年イタリアでは、「ベニート・ムッソリーニとともに第三ミレニアム」という二〇〇〇年のカレンダーが、八十万部というカレンダーとしてはトップのベストセラーとなった。新しいミレニアムを迎えるイタリア人にとって、ムッソリーニはいまだに不思議な魅力を発揮しているのだが、その根底には民族の歴史への深い認識があるのではないだろうか。勝者の論理をもって歴史を判断しがちな日本人に、この事実についてよく考えてもらいたい。
(引用終わり)

 以下、私見です。
 最後の部分は、考えさせられる発言です。ムッソリーニと同時代、司馬遼太郎の小説も避けて通る戦前のあの時代、アメリカに敗北したあの時代、現代の日本人がまったく評価していないあの時代を再評価できるかが問われているのだと思います。そして、その時代を代表するのは、近衛文麿だと思います。まだまだ、時間がたたないと再評価は難しいのでしょうか。私は残念ながら、まだまだ力量不足です。
この本と通して、日本人とイタリア人がより深く理解できる手がかりは得られそうです。話が飛びましたが、以上、私見でした。

なお、ファシストの再評価などにつきあうヒマのない忙しいみなさまにも、序章「ムッソリーニというイタリア人」だけはお読みいただく値打ちはあると思います。「その評価をめぐって」「政治思想について」「ドゥーチェとして」の副題があり、ムッソリーニの人となりや政治思想の成り立ちなどについてわかりやすく記述されています。20ページ程度の分量ですから、ぜひ本を手にとってみてください。

その中に書かれてある、同時代の人物のムッソリーニへの評価を箇条書きにします。
(1) チャーチル(イギリス首相):「ローマの精神を具現化した現在の最大の法律制定者」と称賛。その法制度を「世界の発展の座標」であると断言。戦後も著書「第二次世界大戦」で為政者としてのムッソリーニの功績を褒めたたえている。

(2) フランクリン・ローズベルト(アメリカ大統領):「現代の最大の問題を理解し、かつ解決する方法を」を示したと評価。

(3) ヒトラー(ドイツの独裁者):一生彼を師匠として彼を尊敬。

(4) ガンディー(インド独立運動指導者):ファシズムに敵意を抱きながらも「ムッソリーニは祖国の発展を望む、私欲のない政治家である」と認める。

(5) モーリヤック(フランスの小説家):「ムッソリーニによってローマの歴史は今も継続している」

(6) ゴーリキー(ロシアの小説家):「ムッソリーニは優れた知性と意志を備えた人物である」

(7) ストラヴィンスキー(ソ連の作曲家):「世界でムッソリーニをもっとも尊敬しているのは自分だ」

(8) エジソン(アメリカの発明家):「ヨーロッパ最大の人物」

(9) フロイト(オーストリアの精神分析家):「文明の英雄」

(10)パレート(イタリアの経済学者):自分の理論の実践者として、ローマ進軍を歓迎。

(11)ミヘルス(イタリアで活躍した政治学者):「寡頭制(オリガーギー)の鉄則」を発見する中で、イタリアン・ファシズムに傾倒。

ね、読みたくなったでしょ?読んだあと、とても人間味のある、魅力的な人物であったことがよくわかりました。

最後に、この本の見開きから、ロマノ・ヴルピッタ氏の略歴を紹介しておきます。
ロマノ・ヴルピッタ(Romano Vulpitta)
1939年、ローマに生まれる。ローマ大学法学部卒業。1964年イタリア外務省に入る。駐韓イタリア大使館二等書記官。駐日イタリア大使館二等書記官。後に一等書記官を務める。1972年~75年、ナポリ東洋大学院現代日本文学の担当教授。75年、欧州共同体委員会代表部次席代表。現在、京都産業大学経営学部教授(ヨーロッパ企業論、日欧比較文化論)。著書に「不敗の条件-保田與重郎と世界の思潮」他。

以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/11/09(Sun) 18:58
投稿者名:よしかわ邦弘
タイトル:親鸞等の浄土宗系の仏教宗派に対するキリスト教の影響、およびキリスト教の伝来時期について

1.はじめに
副島隆彦氏が著書「ハリウッドで政治思想を読む」の中で、親鸞の教説がキリスト教の影響を受けているとの指摘があります。以下に引用します。
(128ページから引用開始。副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」)
『スター・ウォーズ エピソード1』で、一番光っていたのは、やはり東洋的な惑星ナブーの女王であるクィーン・アミダラ役を演じたナタリー・ポートマン(Natalie Portman)であろう。
(略)
女王アミダラというのだから、これは中国仏教の浄土門における阿弥陀如来(アミダニョライ)からとった人物像であろう。タイやチベットの仏教には阿弥陀信仰はないだろうが、似たような女神ならいるだろう。如来は、シャカムニの姿の一つ(化身)だから女の仏はいないはずなのだが、観音菩薩などは、どう見ても女神像。五~一二世紀の中国で栄えた阿弥陀如来の流れである。
おそらく、阿弥陀如来は、本当は、キリスト教のマリア信仰が、トルキスタン(中央アジア)を越えて中国にやって来たものだろう。その途中で、仏教の中に変形されて取り込まれた信仰である。それらは日本の最高学問機関であった比叡山に仏典の形で多くもたらされた。こうして日本までたどりついた時に、法然や親鸞の日本浄土宗になった。親鸞上人は、比叡山で修行僧だった時に、この浄土教の仏典を読んだが、その中に、他の経典の中に紛れこんでマリア信仰が中国的に変形して中国語(漢文)仏典になっていたものがあったのだろう。たとえば親鸞上人は、「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」で知られる。これは、「善人なほもて往生を遂ぐ。いわんや、悪人をや」という例の文句で有名である。善人であれば極楽浄土へ行くことができる。そうであるならば、あればなおさらのこと現世で悪行を重ねた者は、極楽浄土(天国)に行けるのである、という強度に逆説的な理論である。浄土宗では、人間は、現世ではただひたすら念仏をとなえさればよしとする。この親鸞の「悪人正機説」は、日本の知識階級に何世紀もの間支持されてきた思想だが、どう考えてみても、これはキリスト教、とりわけパウロの説教である。
 だから日本の浄土宗の原型は、中央アジア経由のマリア信仰であり、キリスト教の変形したものである。この考えは、おそらく日本の仏教研究学者たちの間でも長い間、密かに語られてきた事実であろう。私は、まだその手の仏教学の裏の論文に行き当たったことがない。しかし、もうすぐ捜し出すだろう。
(128ページから引用終わり。副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」)

2.本の紹介
よしかわ邦弘です。東方キリスト教(景教)が、親鸞に直接影響を与えていることを示す本をみつけたので紹介します。
 「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」(著者:久保有政、ケン・ジョセフ、徳間書店、2000年2月29日初版)という本です。内容の一部を引用します。

(121~122ページから引用開始。久保有政、ケン・ジョセフ「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)
 日本では、一〇世紀になると「称名念仏」の信仰が広がりはじめ、一二世紀には、法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏を大衆化しました。
 「南無」とは、「帰依する」とか「信仰する」という意味で、「南無阿弥陀仏」は、「阿弥陀仏を信じます」とか「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この念仏を唱えるならば、誰でも浄土(基督教でいう天国)に生まれることができることができ、救われると説いたのです。
 こうして仏教思想が、“神的存在者(阿弥陀仏)の名を唱え、信仰を表明するならば、誰でも救われる”というかたちになっていったのは、新約聖書・使徒の働き二章二一節の、
「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」
という原始基督教および景教の信仰が、様々なプロセスを経て、仏教思想に影響を及ぼしていった結果にほかなりません。
(121~122ページ)

よしかわ邦弘です。副島隆彦氏の主張と同じ主旨のことが述べられています。
では次に、浄土宗系の考えに基督教がダイレクトに影響を与えていた証拠について記した文章を、引用いたします。

(171~171ページから引用開始。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)
 京都、西本願寺には、親鸞上人も学んだという景教の、『世尊布施論』があります。現在は公開はしていませんが、宝物として保管されています。親鸞上人も、景教の書物を読んでいたのです。この『世尊』とはシャカではなく、イエスのことです。
 これは中国で、七世紀に景教徒によって漢語に訳された景教の経典です。それが日本にも持ち込まれていました。内容は、イエスの「山上の垂訓」(マタイの福音書五~七章)等に関するものです。その冒頭の部分を少し現代語訳してみましょう。
 「世尊(宇宙の主、イエス)はこう言われた。人に施しをするのであれば、施しをする前に、まず神にそれを捧げ、それからそれを人に捧げなさい。あなたの左手がする施しを、右手に知らせないようにしなさい。あなたの礼拝が、人に見せるためであったり、人に聞かせるためであったりしないように気をつけなさい。…・・
 あなたに罪を犯している人がいるなら、その罪をあなたが赦すなら、聖なる方も、あなたの罪を赦して下さいます。…・・あなたの宝を地上にたくわえるのはやめなさい。殺人や強盗に略奪されたり、きず物になったりしてしまいます。あなたの宝は天国にたくわえなさい。そこではこわされることも、失われることもありません。…・・」
 『世尊布施論』はその後、アダムの創造と堕落、イエスの降誕、生涯、教え、さらに基督教的救い等についても述べていきます。こうした『世尊布施論』を、親鸞が何時間もかけて学んだということは、興味深いことです。
 実際、クリスチャンが親鸞の教えを学んでみると、そこには非常に基督教に似たものを感じることがあります。用語は仏教的にしてあるけれども、思想的には「これは基督教の教えじゃないか」と思わされるようなことに、しばしば出会うのです。
(引用終わり。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」

よしかわ邦弘です。
 浄土教系の教えというのは仏教の形をとりながら実際はキリスト教の教えであると、私は考えます。「絶対他力」という考え方などは、自力での修行のベースに置くそれまでの仏教の考えからは大きく逸脱し、むしろ「異端」の領域に入っていると考えます。
浄土教の教えが説かれはじめた当時のことをよく知る慈円の著書「愚管抄」から引用します。既成仏教の側からの敵意を目の当たりにできます。

(279~281ページから引用。慈円「愚管抄」巻第六。「日本の名著、慈円・北畠親房」中央公論社。1983年初版)
 建永年間[西暦1206年]のこと、法然房(源空)という上人があった。京の市中に住んで、近年になって念仏宗を立て、専修念仏と称して「ただ阿弥陀仏とだけ唱えるべきである。それ以外のことは、顕密の修行[奈良仏教のような顕教、あるいは天台・真言のような密教]はするな」ということをいい出したのである。
 ところがこの専修念仏の教えは、異様な、理非もわからず知恵もないような尼や入道によろこばれ、ことのほか繁盛に繁盛を重ねて、教団は急速に大きくなりはじめた。その仲間に安楽房(中原師広、遵西)という者がいた。[略]住蓮と一組になって、六時礼賛(一昼夜を六つに分け、各時に仏を礼拝し懺悔する行)は善導和上(唐の浄土教家)の教えられた行法であるといって、それを布教の中心とし、尼どもの熱烈な帰依を受けるようになった。
 ところが尼どもは教え以上のことをいいふらし、「専従念仏の修行者となったならば、女犯を好んでも、魚鳥を食べても、阿弥陀仏は少しもおとがめにならない。一向専修の道に入って、念仏だけを信ずるならば、かならず臨終の時に極楽に迎えに来てくださるぞ」といい、京も田舎もすべてにこのような教えがひろまっていったのである。そうするうちに[略]、[後鳥羽上皇妃などの皇族の女性の方々が]いっしょになってこの教えを信じ、ひそかに安楽房を呼び寄せて、その教えを説かせて聞こうとしたので、安楽房の方も同輩を連れて出かけていくようになり、夜になっても僧どもをとどめておくようなことが起こったのである。それはあれこれということばもない有様で、ついに安楽・住蓮は首を斬られたのであった。
 法然上人は流罪となり、京の中にいてはならぬと追われてしまった。流罪のことも、後鳥羽上皇のしかるべき御処置があったのに、法然を支持する人々がすがって少し手心が加えられたように思われる。しかし、法然の味方はあまりに多く、赦免されてのちついに東山の大谷(京都市東山区)というところで亡くなった。その時にも、往生だ極楽往生だといいたてて人が集まったが、しかるべき往生の証拠はあらわれず、臨終に際しての振舞にも増賀上人(有名な往生者)などのようにとりたてていうべきことはなかったのである。 
 しかしこのように臨終に人が集まったりしたので、この教えは最近まであとをひいて、いまだに大方の魚鳥を食い女犯を行う専修念仏の禁止ができないのであろうか、比叡山の衆徒が決起して空阿弥陀仏(法然の弟子)を中心とする念仏の信者を追い散らそうとし、念仏の信者どもが逃げまどったりしているようである。[略]
 法然の弟子といって魚鳥女犯のようなことなどをはじめたのを見ると、本当にそこに仏法が滅びていく姿があらわれていることは疑いない。これを考えて見ると、悪魔というものには、人々を従わせていく悪魔と、物ごとにさからう悪魔とがあり、ここでは人人を従わせていく悪魔が悲しくもこういう教えをひろめているのである。阿弥陀仏の教えのみが広がり、それによって得られる救いのみがましていうことが真実であるような世には、本当に阿弥陀仏の救いで罪障が消えて極楽へ行く人もあるであろう。しかし、そのような世にはまだなっておらず、真言と天台の教えが盛りであるべき時に、悪魔の教えに従って救いを得ることのできる人は決してありえない。悲しむべきことである。
(279~281ページから引用。慈円「愚管抄」巻第六。「日本の名著、慈円・北畠親房」中央公論社。1983年初版)

よしかわ邦弘です。
 当時の既成の仏教(奈良仏教、天台・真言密教)からは、浄土宗が異端の宗派として見られるのはいたしかたないと考えます。そうしたものが、キリスト教の教理の影響を受けていても不思議はなく、上記のような物的証拠が発見できたときも、わたしはそれほど驚きませんでした。

3.キリスト教が以前から流入していた証拠(その他)

(1)墓石から
(172~173ページから引用開始。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)
ほかにも、ザビエル以前の日本に基督教が入っていたという、多くの証拠があります。
たとえば吉田元(よしだはじめ)博士(関東学園短大教授)は、中国の景教徒の墓に見られる紋様と同じものが、しばしば日本の古い墓に見られることに着目しています。
 中国の景教徒の墓を見ていると、たいてい景教の十字架の下に、「なつめやし模様」とみられるものが描かれています。一見、「七枝の燭台」(メノラ)にも似ていますが、下部に根があることから見て、なつめやしだと吉田博士は考えています。
この模様は、たとえば中国の刺桐城の景教徒の墓や、房山県の旧十字寺の景教徒の墓石、その他にも描かれています。それと同じものがしばしば日本の古い墓石に見られるのです。
たとえば、群馬県利根郡川場村の門前に「半三郎の墓」というキリシタン墓石があります。そこには中国の景教徒の墓のものと同じ「なつめやし模様」が、はっきりと刻まれています。この模様は、キリシタン墓石に多く見られます。そして中には、ザビエル来日以前のものも少なくないのです。たとえば福島県郡山市如宝町の板碑は、一二〇八年(承元二年)と刻まれています。
(172~173ページから引用終わり。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)

(2)雅楽から
(170ページから引用開始。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)
日本雅楽会会長・押田久一氏は、今も毎年宮中で演奏されている雅楽の「越天楽」(えてんらく)は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と言明しています。また、福岡県に伝わる民謡「黒田節」は有名ですが、これはじつは「越天楽」の編曲からできたものです。
(170ページから引用終わり。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)

4.キリスト教の日本への伝来はいつまで遡れるか

上記のような証拠から考えると、「キリスト教の伝来は、西暦1549年の、イエズス会士、フランシスコ・ザビエルの日本来航による」というのは、事実としておかしいことになります。
それでは、キリスト教の日本への伝来はいつまでさかのぼれるのでしょうか?
文献で確認できるのは、実は、西暦七三六年です。ちょうど奈良時代。聖武天皇・光明皇后の時代です。

(166~167ページから引用開始。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)
 日本に来た景教徒に関する最初の公式記録は、『続日本紀』(しょくにほんぎ)(八世紀)にあります。[略]西暦七三六年六月、景教徒であり医者でもあった「李密翳」(りみつえい)というペルシャ人が、日本にやって来たと記録にあります。また彼と一緒に、「皇甫」(こうほ)という景教の教会の高位の人物と思われる人もやってきました。
 またその一一月には、彼は天皇から位を授けられています。滞在六ヶ月にして位を授けられているところをみると、皇室とペルシャ人景教徒・李密翳らとの間には深い関係が出来たもののようです。
 李密翳は宣教師でしたから、皇族に対し基督教の伝道をしたようです。実際、以後宮中の記録に、それまでに見あたらない「景福」という景教用語が散見されるようになります。七四一年(天平一三年)の「国分寺建立の詔(みことのり)」の一節にも、「あまねく景福を求め…・・」
とあります。「景福」は「大いなる幸福」あるいは「景教的幸福」を意味し、「大秦景教流行中国碑」にも見られる景教用語なのです。
 李密翳が日本に来たときの天皇は、「聖武天皇」(七〇一~七五六年)であり、その妃は「光明皇后」(七〇一~七六〇年)といいました。
 光明皇后は、景教の宣教師・利密翳との出会いの後、貧しい人々のために病院を建てたり(療病院)、無料で薬を恵んだり(施薬院)、孤児院をつくって孤児たちを養ったり(悲田院)とうい、たいへん慈悲深いことを数多く行なうようになりました。
 奈良の法華寺には、光明皇后が患者の膿(うみ)を吸って吐き出したという浴室が残されています。彼女自身、看護婦として働いたのです。ナイチンゲールやマザー・テレサのしたようなことを、今から一二五〇年も前の日本人が行なっていたのです。この光明皇后は仏教信者であったと、一般には説明されています。
 ところが、貧しい人や病人、孤児たちを助けるというのは、昔から景教徒が盛んに行なってきたことでした。シルクロードのどこでも、景教徒たちは光明皇后のようなことをしていたのです。一方、こうした慈悲や福祉活動は、当時の仏教徒が行なっていないことでした。当時の仏教は国家安泰・鎮護のための宗教だったからです。
(166~167ページから引用終わり。「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」)

よしかわ邦弘です。
 日本国の正史に、はっきり書かれてある内容ですから、「キリスト教の伝来は遅くとも、736年。」と考えてもよいと考えます。ササン朝ペルシャのお椀が日本にまで伝わって、正倉院の御物として残っているのですから、状況的にも、遅くとも奈良時代には東方キリスト教が日本という文明周辺国にまで伝来し、日本の歴史が並々ならぬ影響を受けてきたことを認めても、格別問題はないと考えます。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/11/15(Sat) 22:15
投稿者名:よしかわ邦弘
タイトル:映画インディー・ジョーンズのあらすじからわかること―――フセインのイラクも、戦前の日本も、現在の北朝鮮も、「政治体制はすべて同じ」と見られている。

2003年にアメリカはイラクに侵攻した。それ以前から、戦後イラクの構想を練っていた2002年10月、アメリカから以下の新聞記事が発信された。この記事と、副島隆彦著「決然たる政治学への道」(弓立社、2002年8月初版)にある映画「インディー・ジョーンズ」のあらすじ分析とを使って、以下のことをわたしは主張したい。
 「『外なる世界』からは、フセインの統治したイラクと、戦前の日本と、現在の北朝鮮とはほぼ同じに見えている。」
まず、アメリカの考えていたフセイン・イラク崩壊後のイラク統治構想について引用する。
【引用開始、『朝日新聞』2002.10.23 朝刊 】
「フセイン後」米が検討本格化 イラク版「GHQ」探る
 (ワシントン=石合力)ブッシュ米政権が、イラクのフセイン政権転覆後の構想作りを本格化させている。米軍主体の占領が一定期間必要になるとみて第2次大戦後の日本を想定したイラク版「連合国軍総司令部(GHQ)」モデルを検討、反体制派への軍事訓練の実施も承認した。ただ、民族や宗派間の対立が激しいイラクに日本モデルを当てはめることには疑念の声も出ている。

 米政府は、国連安保理決議の行方をにらみ、外交的な配慮から政権転覆への言及を控え気味にしているが、武力攻撃の準備は着々と進めている。ブッシュ大統領は、反体制派5千人を対象に、来月から軍事訓練を実施、予算措置として9200万ドル(約115億円)を支出することを決めた。戦闘や通訳要員にイラク人を使うもので、政権転覆に向けた具体的な準備と言える。国内のイラク人が呼応する保証はないが、「民衆は、抑圧から解放されることを望んでいる」(フライシャー大統領報道官)。

 国務省は今年4月から、イラク国外にいる反体制派の指導者、学者らと「イラクの未来プロジェクト」を開始。新政権の構想づくりを始めた。財閥解体や民主化、教育改革などを進めたGHQの占領政策を意識したものだ。米軍主体の占領軍が全土の大量破壊兵器を完全に廃棄。極東軍事裁判同様にイラク軍幹部らを軍事法廷にかけ、反体制派主体の暫定政権を樹立、民主化を進めるというシナリオだ。米政府には、同じく大量破壊兵器を抱える朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への「占領オプション」はなく、イラクの「特殊性」(ブッシュ氏)を際立たせる対応になっている。
【引用終わり、『朝日新聞』2002.10.23 朝刊】

よしかわ邦弘です。
さて、日本人はこの新聞記事から何を思いいたすべきか。
それは、アメリカは次のように日本のことを冷酷に見ている、ということ、
「現在のフセイン政権のイラクと、戦前の日本は同じようなものである。」

それでは具体的に、どのような点で同じように見えているのかという点について考えてみる。副島隆彦著「決然たる政治学への道」から引用する。

【145ページから引用開始。副島隆彦「決然たる政治学への道」】
日本人はあまり気づいていないかもしれないが、イラクの独裁者サダム・フセインと日本の天皇は、ジョーンズ博士的視点からすれば、全くの同じものだ。何も違いもない。イラク国民のフセインに対する忠誠心の厚さは、日本国民多数派の天皇に対する素朴な敬愛の念と変わるところはない。(A)からすれば、フセインも天皇も、全く同じアジアのまじない師(呪い師)であり大神官(グランド・マジシャン)であるに過ぎない。
【145ページから引用終わり。副島隆彦「決然たる政治学への道」】

よしかわ邦弘です。
下線部にある「ジョーンズ博士」うんぬんについての説明を続けて引用する。ジョーンズ博士とは、映画「インディー・ジョーンズ」の中で俳優ハリソン・フォードが演じた役柄名である。
実は、次の引用内容がそのまま、イラクにも、戦前の(ソーシアル・エンジニアリング前の)日本にもあてはまる、ということになる。この点について、目をそらさずに考えてみたい。そして、多分、北朝鮮にも同じくあてはまると付け加えておく。

【142ページから引用開始。副島隆彦「決然たる政治学への道」】
 ここに、一つ、格好の具体例がある。それは、映画『インディー・ジョーンズ』(原題は「インディアナ・ジョーンズ」)である。この映画シリーズの中の、例えば、『魔宮の伝説』などは、アジア人、東洋人に対する欧米人の典型的な理解像である。このシリーズものの映画の中では、インド北部あたりの東洋専制国家が舞台である。ある土侯の国の民衆が、奴隷労働を強制されて苦しめられている。その民衆を救い出す役割が、ハリソン・フォード主演のジョーンズ博士に与えられる。密林の奥や地下の洞窟の中の巨大空間の祭壇に、魔神の偶像が祭られている。その手前に、狂信的な呪術(マジック)に支配された奴隷たちの群れが平伏して狂気の祈りを捧げている。
【142ページから引用終わり。副島隆彦「決然たる政治学への道」】

よしかわ邦弘です。
まず、下線部前半の風景について考えてみる。
「ある土侯の国の民衆が、奴隷労働を強制されて苦しめられている。」
イラクではサダム=フセインが自分を崇拝させながら、イラクの民衆が苦しんでいる、というのが対応する。
北朝鮮では、金日成・金正日の個人崇拝のもと、民衆が飢えに苦しんでいる、というのが対応する。なんだ、結構あたっているな、と私は思う。
というわけで、戦前の日本では、「天皇に忠誠を違いながら、日本人はとても苦しめられていた。戦前の治安維持法違反は最高で死刑であった、特高警察等が思想の取り締まりを行なっていた、自由主義思想も糾弾されていた」、というのが、これに対応することになる。
これは奇しくも、日本社会党・日本共産党の見方と一致する。

下線部後半の内容について
「民衆を救い出す役割が、ハリソン・フォード主演のジョーンズ博士に与えられる。」
これは、イラクでは、ブッシュ政権に与えられる役割になるのだろう。
そして、戦前の日本でこれに対応するのは「I shall return」と言って、その言葉を実現させたダグラス=マッカーサーになるのだ。マッカーサーは日本で何がしたかったのか?
日本人の民衆を救い出したかったのだ。それが、ニューディーラー将校の願いでもあり、マッカーサーの願いでもあったのだ。これこそがソーシアル・エンジニアリングである。獰猛な日本が今後アメリカに歯向かわないように牙を抜くという目的以外の、「民衆を救い出す」というSCAPの熱意によって、日本へのソーシアル・エンジニアリングは正当化される。

映画のシナリオを、引き続いて引用する。
【142ページから引用開始。副島隆彦「決然たる政治学への道」】
そこに、生け贄にされる囚われの白人女性が連れてこられ、危機一髪のところで大乱闘の末に白人男の英雄によって救い出される。この時、奴隷たち(現地の民衆)を魔術にかけていた悪者の呪い師(マジシャン)が殺されて、奴隷たちはめでたく解放されて、自分たちの部落に帰って行く。
【142ページから引用終わり。副島隆彦「決然たる政治学への道」】

よしかわ邦弘です。
ここでも下線部について考えてみる。
「奴隷たち(現地の民衆)を魔術にかけていた悪者の呪い師(マジシャン)が殺されて、奴隷たちはめでたく解放されて、自分たちの部落に帰って行く。」
イラクの場合は、アメリカのイラク攻撃と戦後の再建ということになる。
日本なら、アメリカ占領軍によるソーシアル・エンジニアリングが完了して、ということになる。

ここで再び新聞記事を引用する。
【引用開始、『朝日新聞』2002.10.23 朝刊】
国内のイラク人が呼応する保証はないが、「民衆は、抑圧から解放されることを望んでいる」(フライシャー大統領報道官)。
【引用終わり、『朝日新聞』2002.10.23 朝刊】

よしかわ邦弘です。
「解放されることを望んでいる」民衆とは誰のことか。
イラクの場合、アメリカの思惑とおりサダム=フセインが排除されるとなると、「解放される」民衆の代表とは、フセインに反旗を翻した反政府組織で構成した新政府になるであろう。
 これを戦前の日本の場合にあてはめてみる。「解放される」民衆の代表とは誰のことか? イラクの場合の類推で考えると、これまでの戦前の日本政府に目のかたきにされていた政治犯・反政府系の政治団体ということになろう。それが日本共産党や日本社会党を作った人脈である。これが、日本共産党・日本社会党をSCAPが支援した理由であろう。

 さらには民衆の中には、自分たちが解放されたことを喜ぶ人たちもいるであろう。それが、敗戦直後の日本では、それが日本的左派とでも呼ばれる人たちである。ソーシアル・エンジニアリングを喜ぶ階層である。

 映画「インディー・ジョーンズ」の筋書きでもって、マッカーサーのしたかったこと、日本的左派がSCAPに支持された理由、等がわたしには、よく見えてきた。
アメリカ映画はすばらしい。 ただし、その裏側にある恐ろしさを、ほとんどの日本人はいまだにわかっていないと私は思う。

最後に、参考として、フセイン政権崩壊後の、イラク暫定政府の状況についての新聞記事を引用する。
【引用開始、共同通信2003年9月1日記事】
 (バグダッド1日共同)イラクの暫定政府には、多数派のイスラム教シーア派組織から共産党、クルド人組織まで、イラク国内の主義主張の違うさまざまな宗教組織や民族組織、政党から入閣し、新生イラクの基礎固めを目指すことになった。
 このため「寄り合い所帯」の感は否めず、反フセイン体制では一致していた各派が戦後復興や治安の回復という難題を意思統一を図りながら解決できるかどうか存在意義が問われることになる。
 米軍主導の下で発足した統治評議会は当初、八月上旬にも暫定閣僚を任命する予定だったが、閣僚ポストをめぐる調整が難航。米軍という“重し”により、辛うじて維持される暫定内閣とも言え、今後、新政府の樹立に向けて各派の主導権争いの激化も予想されそうだ。
 シーア派イスラム教徒が閣僚の過半数を占めるが、シーア派内でも複数の団体が同協議会に参加し、一枚岩ではない。このため、旧政権下で弾圧を受けてきたシーア派教徒が新政府樹立に向け、政治的主導権を握るかどうかは予断を許さない。
 また、バグダッド大学の教職員、学生らを対象にした世論調査では、62%が統治評議会は国民の意思を反映しておらず、79%が同評議会には独立性がないと回答した。
 暫定内閣についても「国民の代表」というより「米軍の傀儡(かいらい)」との印象を持たれる可能性が強く、今後どこまで国民の支持を得るか不透明だ。
(了) 09/01
【引用終わり、共同通信2003年9月1日記事】

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:17

【106】文書の倉庫 (6)歴史研究・日本属国史研究 転載貼り付け1

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (6) 歴史研究・日本属国史研究
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=6

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/10/26(Thu) 12:47
投稿者名:かたせ
タイトル:(証拠発見)親鸞に対するキリスト教の影響について

副島隆彦先生の「ハリウッドで政治思想を読む」の中で、親鸞の教説がキリスト教の影響を受けているとの指摘があります。
128ページから引用します。

(引用開始)
『スター・ウォーズ エピソード1』で、一番光っていたのは、やはり東洋的な惑星ナブーの女王であるクィーン・アミダラ役を演じたナタリー・ポートマン(Natalie Portman)であろう。
(略)
女王アミダラというのだから、これは中国仏教の浄土門における阿弥陀如来(アミダニョライ)からとった人物像であろう。タイやチベットの仏教には阿弥陀信仰はないだろうが、似たような女神ならいるだろう。如来は、シャカムニの姿の一つ(化身)だから女の仏はいないはずなのだが、観音菩薩などは、どう見ても女神像。五~一二世紀の中国で栄えた阿弥陀如来の流れである。
おそらく、阿弥陀如来は、本当は、キリスト教のマリア信仰が、トルキスタン(中央アジア)を越えて中国にやって来たものだろう。その途中で、仏教の中に変形されて取り込まれた信仰である。それらは日本の最高学問機関であった比叡山に仏典の形で多くもたらされた。こうして日本までたどりついた時に、法然や親鸞の日本浄土宗になった。親鸞上人は、比叡山で修行僧だった時に、この浄土教の仏典を読んだが、その中に、他の経典の中に紛れこんでマリア信仰が中国的に変形して中国語(漢文)仏典になっていたものがあったのだろう。たとえば親鸞上人は、「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」で知られる。これは、「善人なほもて往生を遂ぐ。いわんや、悪人をや」という例の文句で有名である。善人であれば極楽浄土へ行くことができる。そうであるならば、あればなおさらのこと現世で悪行を重ねた者は、極楽浄土(天国)に行けるのである、という強度に逆説的な理論である。浄土宗では、人間は、現世ではただひたすら念仏をとなえさればよしとする。この親鸞の「悪人正機説」は、日本の知識階級に何世紀もの間支持されてきた思想だが、どう考えてみても、これはキリスト教、とりわけパウロの説教である。
だから日本の浄土宗の原型は、中央アジア経由のマリア信仰であり、キリスト教の変形したものである。この考えは、おそらく日本の仏教研究学者たちの間でも長い間、密かに語られてきた事実であろう。私は、まだその手の仏教学の裏の論文に行き当たったことがない。しかし、もうすぐ捜し出すだろう。
(引用終わり)

東方キリスト教(景教)が、親鸞に直接影響を与えていることを示す本をみつけたので紹介します。
「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」(著者:久保有政、ケン・ジョセフ、徳間書店、2000年2月29日初版)
170ページから172ページの内容を要約すると以下の通りです。

「世尊布施論」という経典が京都・西本願寺に宝物として保管されています。非公開。新約聖書「マタイの福音書」五~七章の「山上の垂訓」を中心に、キリスト教の教義が記されています。ここでの「世尊」とはイエス・キリストのこと。経典の写真が掲載されていました。漢文で書かれていて、いわゆるお経と同じ体裁をとっていました。
詳細は、上の本を参照ください。

また、この本には、奈良時代の光明皇后が東方キリスト教(景教)の強く、影響を受けていたことの論証等も含まれています。

以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/10/31(Tue) 20:31
投稿者名:志村
タイトル:『日本の秘密』内「丸山真男の死」

(自分の意見始まり)
「丸山真男の死」は、丸山論である以上に、戦後民主主議論、戦後知識人論として読ませていただきました。

(自分の意見終り)

(副島隆彦の本文始まり)

  丸山真男の死

 日本の戦後を代表したとされる政治学者の丸山真男が死んだ記事は、一九九六年八月十九日に載った。朝日と日経で読んだ。十五日に死んでいたのだという。丸山の死に対して、そのときの私には、たいした感慨はなかった。ああ、遂にこの人も逝ったのか、ぐらいのものである。不思議なぐらいに感慨が湧かない。私の丸山真男に対する判定は、大きく言えば、結局は彼はソビエト共産主義の手先の役割を日本で長年に渡って果して来た人であった、というものである。「前衛」ではなくて、『後衛の位置から』(一九八二年)という彼の本のタイトル自体にこのことがよく表れている。丸山の『現代政治の思想と行動』(一九五六―五七年)と『日本政治思想史研究』(一九五三年)とそれから岩波新書の『日本の思想』(一九六一年)は学生時代に読んだ。書棚からひっぱり出せば、赤線がたくさん引いてあるだろう。
 学問としての政治思想が幅をきかす時代では全くなくなっている。特に、左翼政治思想は、ほとんど死滅したに等しい。一般の政治評論でさえ、たいして有難がられることはない。政治思想や政治に関係する学問について、強いあこがれを感じた世代の末尾に私は属する。本はたくさん読んだつもりだ。しかし、あれから二十五年。私自身にとって、たくさん読んだあれらの本は、そしてそのために投入した数千時間の人生時間は、有効な投資結果を生んだのか、と自問すると、答えは、否定的である。生まなかった。残念な話ではあるが。
 あの頃の丸山の本が、せめて今、私が実際に生きている現在に対して、教養や知識として、何かの役に立っているか。おそらく、たいして役に立っていない。

 私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい秀れた大思想など生まれることは、ありえないのだ、という結論に達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に於て、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。奈良・平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうだった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の輸入学問であった。私にとっては、これは、もう確信だ。
 日本の伝統――それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、私は今でも信じている。
 最近の、この十年間の吉本、とりわけ最近の五年間の吉本からは離れてしまった。もういい加減、書くのはやめてくれ。「あなたの書くものは、もはや読むにたえないよ」と感じていた。この八月初めに吉本が西伊豆の海で、海水浴の最中に溺れて、死にかけたという事件があった。あのときにも、私は不思議に驚かなかった。自殺ではないのか、と疑念が起こったぐらいのものだ。編集者のO氏に連れられて病院まで見舞いに行ったが、面会謝絶で会えなかった。もういいよ、もう吉本の本は読まなくてもいい、という気持ちだ。同じく丸山の本にしてもそうだ。もう読む必要はない。知識と情報としても、もはや、何の足しにもならない。それよりは、アメリカとイギリスの政治評論雑誌に載る向こうの一流どころの知識人の英文評論文をコツコツと読む方が、ずっと為になる。日本の知識人や学者の書く文章など、読む必要などない。
 丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これには笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
 新聞の追悼文は、次のように結んであった。

  文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきました。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。

 ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指しているのだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知識人」だと考えていることになる。何の理想か? 人類のあるべき理想か? 大江のこの肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまったとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひとくくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロシア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎて、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。しかしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たちはまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだったと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうやら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
 丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれなかったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師のような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つまり、人だましが上手な言論商売人だった。
 一九四五年八月の敗戦と共に、多くの日本の知識大衆は、激しい思考停止状態に陥った。あるいは軽い精神錯乱状態に入った。あんなに自分たちが信じ込み、正しいと教えられた天皇体制と神国日本はガラガラと崩壊した。戦争中に受けた軍国主義教育に激しく怒った知識大衆は、何と、あろうことか、その直後に、東京神田の神保町にある岩波書店の前に列を作って、今度は岩波共産主義のとりこになったのである。そして、岩波・朝日のソフトな共産主義(日本的リベラル)の思想的従僕となってこの数十年を生きた。この岩波知識人・東大教授の筆頭が丸山真男であった。
 とんでもない話とはこのことだ。軍国主義教育にだまされたと気づいた。そのすぐあとに、今度は、岩波共産主義というソビエトの手先の思想に自らすすんで洗脳されに行った。つくづく遅れた国の知識階級というのは救われない。
 吉本はどうなのか。吉本は、かつては、「自立しろ。知識人として自立しろ」と書いたから、やっぱり昔の吉本は正しい。私自身は、なんとか知識人として、筆一本で喰べられるようになったから、自立した。だから私は、「負け組」という自分の旗を潔く立てながらも、まだ持続してゆける。誰を恐れることもなく、何に媚びる必要もない。他の、自立できなかった自分とよく似た知識大衆たちのことを考えることがあるが、どうにもならない。それぞれの人生が過ぎ去っていった、としか言いようがない。

 人は人生の年月の中で、五年、十年の単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、しっかりと記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように変わって、こう考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で書いて確認してゆく作業をすることである。それが、知識・思想・学問なのだ。人間は年を重ねるにつれ考えが変わってゆく生き物だから、それでいい。それが成長するということなのだ。だから、知識・思想・学問というのは、何か新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分勝手に改作、変造して日本語で適当に売りさばくこと、なのではない。

 今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。昔の吉本はやっぱり偉かった。
 しかし、吉本のいけない点は、誰もが吉本のように、筋を通して孤高を守って、市井の片すみで、コツコツと自らを自動書記機械と化して、思想家として立て篭って生きれる、のではないことを、吉本自身が自覚しなかったことだ。この点で、吉本思想は決定的に間違っている。吉本の真似なんかして生きたら、とんでもないことになる。その唯我独尊を雰囲気として真似ただけでも、周りから嫌われて、煙たがられて、損な生き方になるに決まっている。私自身が、そのような協調性のない損な生き方をして、ずいぶんと損をした。もう、吉本主義者と呼べるような人々も、三千人ぐらいしか残っていないだろう。やがて消えていなくなる。そういうものだ。私は、そろそろ、『さらば吉本隆明』という本を書こうと思っている。その中で、丸山真男の思想についても、ついでに冷酷な業績判断を下すつもりだ。

 続いて八月十九日夕刊(朝日)に、丸山真男の語録が載っていた。「日本は、タコツボ型である。ササラ型でない」。たった一行の言葉であるが、これは、スゴイ言葉であった。私は、この一行に於て、丸山に今でも頭を下げる。この思想は『日本の思想』(岩波新書)の中で書かれ、しゃべられたものだ。日本の文科系の学者の世界は、思考に共通の土台を持たず、ひとりひとりがバラバラに書いている後進国型の知識制度であるタコツボ型である。それに対して、西欧知識人の世界は、さかのぼってゆけば、思考と知識に共通の土台を持つササラ式になっている。このことを丸山は鋭く見抜いた。日本の文化・知識・学問の劣等性を、これ以上にはっきりと語ったコトバは今だに無い。
 この他はもういい。『超国家主義者の論理と心理』(32歳)(「世界」一九四六年五月号)が、政治学者の丸山の記念碑的な代表作である。この論文が日本人の代表的知識人の業績として、ハーバード大学のニューディーラー=グローバリスト、日本管理・対策班である日本研究学者たちの間で無理やり評価されて、英文にもなって認められただけのことである。その中身は「東条英機以下の戦争責任者たちは、日本を無謀な軍国主義に導いた人々であり、有罪である。天皇中心体制は、誰も責任をとらないアジア的な無責任の体制である」とするもので、今でも世界で通用する日本についての議論の仕方だ。世界で通用する議論だから、丸山は偉い、ということになる。アメリカのグローバリストに承認されていることが、丸山の強みであった。他の学者たちのように、日本民族主義の肩をもって、国内にたてこもって、日本語で、ゴモゴモ書いてみたって、何にもならなかった。丸山が欧米の日本学者から政治学者として認められた筆頭の日本人だったのもやはり当然だろう。しかし、欧米は、丸山を、日本人の代表として、ワールド・ヴァリューズ(world values 世界普遍価値)=ウェスタン・ヴァリューズ(western values 西欧的価値観)が一応分かっている人物、と認定しただけなのであって、丸山がそれ以上に、秀れていると扱われたわけではない。丸山を含めて、日本の学者・知識人など、欧米の一流どころからは、本気で相手にされない。日本語という言葉の壁があるからでもあるが、このことはこのことで、仕方がない。
 丸山の本で、一番出来がいいのは、案外、『「文明論之概略」を読む』(岩波新書、一九八六年)であろう。この本で、丸山は、福沢諭吉を淡々と論じながら、日本国の悲しい切実な「欧米化」を描き出して、相当に高い水準に達している。新聞に載った丸山語録には、他に、

  憲法第九条というものが契機になって、ひとつの新しい国家概念、つまり、軍事的国防力というものを持たない国家ができた、ということも考え得るんじゃないか。

 というのがある。これが、やはり、丸山の決定的な最後の言葉だろう。この日本国憲法=人類の理想の最先端を行く憲法、という考え方は、吉本隆明も強く推す考え方だ。この点では、丸山と吉本は、同じところに到達している。戦後の五十年間を生き延びて、この二人は、結局、共通の結論に至っている。この二人の日本左翼思想家は、自分たちが条件付きで礼賛し謳歌した「戦後民主主義」なるものが、アメリカのグローバリストたちによる「日本国民洗脳空間」であったことにまで、遂に考えが及ばなかった。この二人の限界はここだ。
 ここでは、吉本隆明の『丸山真男論』については言及できない。吉本が丸山をどのように批判していたのか、この本を引っぱり出さないと内容を全く覚えていないからだ。
 私は、この二人とは全く逆のところに至りついてしまった。日本国憲法の第九条の戦争放棄・非武装・戦力(国防軍)不保持というのは、ダグラス・マッカーサーという男と、その部下のフランクリン・ローズベルト時代に始まるニューディーラーという隠れ社会主義者たちが、敗戦直後の日本に制服者として乗り込んで来て、日本国民に作って与えた、よく言えば理想主義の憲法である。悪く言えば、日本国民を上から強制的に人格改造した。異様な統率力を持つ、狂暴な性質を併せ持つ東アジアの一種族である日本人が、再び暴れ出してアメリカに軍事的に反抗し、アジア覇権を求めないようにと、ガッシリと枠をはめるために作って与えた憲法である。
 日本国民は、この日本国憲法と日米安全保障条約と、その付属条約である日米地位協定(アメリカ軍駐留条約)の三つによって、完全にアメリカの支配下に置かれた。私は、今は、この考えを信じている。大きな世界史的事実からすれば、こっちにならざるを得ない。だから、私は、戦後の自民党(民族主義保守党)がずっと、党の綱領(ポリティカル・プログラム)の中に保持して来た、「アメリカの押しつけ憲法を廃して、自主憲法を制定する」という考えと、今ごろになって一致した。というか、やっと数十年遅れで、追いついた。ところが、そうしたら、何と自民党自体が、その「自主憲法制定」という自分たちの政治綱領を隠してしまって、表に出さない状態である。どうやら自民党そのものも、内部から、妙な勢力に乗っ取られてしまっているようなのだ。
 だから、今の憲法を守ろう、死んでも守ろう、即ち、「護憲」など、私は全く言う気がない。それは、この日本国憲法の第九条が、世界に冠たる秀れた戦争放棄理想だなどという考えを、世界中の人々の方は、全く相手にしない、評価しない、鼻もひっかけない、ということを、よく知っているからだ。アメリカや西欧諸国どころか、世界中のどこのリベラル派、反体制派の人々でも、日本国憲法を読んだとして、その九条を読んで理解したり共感したりする人など居はしないことを、私は知っている。そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、そうなのだ。日本の平和憲法が、諸国に先駆けた優れた憲法だなどと考える外国人は存在しないのだ。その理由は、一体、誰が、この憲法を作ったのか? という一点にかかっている。作ったのは、日本人ではない。この一点からして、絶対に、立派な憲法典のわけがない。

 私の思想と確信は、はじめの方で書いたとおり、日本が世界に先駆けて何か新らしい思想・知識・学問を作ることは、ありえない、というものである。イギリス、フランス、アメリカにもまだ無いものを、日本が先に作るということはありえない。この考えに立つから、理想的な憲法、などと言われても、それを信じるわけにはゆかない。
 もっとはっきり言う。日本はやがて、憲法九条の第二項を改正して、自衛隊を改編し、国防軍(国軍)を創設するだろう。それから、将来起きるアメリカ軍の撤退に合わせて、自衛武装せねばならないから、故に、核を保有することになるだろう。日本は中国の核の傘の下に入ってしまうから、その事態に我慢できる日本人は、ほとんどいないからだ。だから憲法九条を改正するだろう。どうせ、そうなるのだ、どんなに反対しても、世界史の中の日本として、そうなるのだ、と、私は書くしかない。
 私は、あとから生まれた若い世代の知識人として、ここで丸山真男と、吉本隆明に対して、あっきりと対決することになる。広島・長崎・沖縄の人々が、どんなにいやがっても、日本は、この道を選ぶのだ、放っておけば必ずこうなるのだと、私は考えている。
 日本だけが、勝手に、世界の現実、即ち、国家と国家の利害のぶつかり合いを中心として動いている現在の世界、を廃止へ向かわせる、などと考えること自体がおかしい。
 国境線を取りはらって、国家を消滅に向かわせて、人間の移動が自由になる、などというのは、あと少なくとも百年ぐらい先の話であって、今、実現できることではない。国民国家(nation state ネイション・ ステイト)と、主権国家(sovereignty ソブランティ)という考えは、まだ当分は死なないのだ。そして、この考えが死に始めるのは、やっぱり、西欧諸国からであって、極東の日本からではない。
 私は徹底的に、西欧近代追随主義者である。日本社会を近代(モダン)だ、などと思ったことなど一度もない。
 だから、丸山の発言の中にある、「小沢一郎ばりの『普通の国家』論でいえば、軍備のない国家はないんだけれども」のとおりなのだ。私は、一九九三年ぐらいから、小沢一郎の政治改革路線を熱心に支持して来た。小沢はすごいと思って来た。小沢のどの発言も、日本の置かれているみじめな現実を前提にした、きわめて明瞭なものである。そのまま英語に直しても、欧米で誤解されないで通用することが分かる。それは、小沢一郎は、実は、アメリカが見込んで育てた「日本国王」だからなのだ、と他所で書いた。

 丸山真男の死に際して、頭をよぎった書くべきことを書き留めておこうと思って、このように走り書きした。自分の青年期に入れあげた、丸山の本から、自分も離れて久しい。しかし、私の本棚の上の方の、奥の偉そうなところに、丸山の本は、このあとしばらくは居すわりつづけるだろう。自分が読んだ本から影響を受ける、ということはつくづくイヤなことだ、と思った。

(副島隆彦の本文終り)

副島隆彦『日本の秘密』/_My Country, Right or Wrong_, 弓立社、1999年5月、pp.117-128.

 ※次の2箇所は、誤植だと思われたので下記のように訂正してあります。ご確認ください(第1刷による)。(1)126頁の「憲法九条の第 三項」→「憲法九条の第二項」、(2)「(sovereinity ソブランティ)」→「(sovereignty ソブランティ)」。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/12/10(Sun) 02:12
投稿者名:かたせ
タイトル:日本の仏教は本当に仏教か

日本のお坊さん(仏教各派)たちへ、以下のような、痛烈な批判がなされています。
まず、「アメリカの秘密」114ページから引用します。
この本は、ハリウッド政治映画の解説本です。この本に巻かれた帯には「世界一危険な政治+映画論」と銘うっています。映画「薔薇の名前」の解説の中から。

(「アメリカの秘密」 発行:メディアワークス、発売:主婦の友社、1998.7)

(引用開始)
 現在、日本の既成仏教の各仏教教団は、実はすべて、本物のインド発祥の世界基準の仏教Buddismから見れば、恐るべき破戒集団である。本物の仏教では絶対に許されることのない戒律破壊を行っている。「無所有と禁欲」はキリスト教同様に仏教の僧侶にとっても厳しい戒律である。仏僧である限り、「肉食・妻帯」など言語道断であり、世界基準の本物の仏教は絶対にこれを許さない。タイやビルマやベトナムや台湾や韓半島や中国の本物の仏僧たちは、実は、日本の腐り果てた仏教教団のありさまに目を剥いて驚いているのである。特殊日本化した、日本だけで通用する仏教を許してもいいのだろうか。
 日本でもほんの僅かだが、この戒律を守っている僧たちがいる。本物の仏教の戒律に従って仏教を修する者は、やはり一切の財産や世俗の欲を棄てて、山の中の修行寺に行くべきだと思う。どうしても肉食・妻帯せざるを得ないというのであれば、それは僧侶に向かないのだから、山を降りて俗人になるべきだ。生まれた子供を大学まで出したいという人々は、俗人になって普通の暮らしをせよ。この意味で日本の僧のほとんどは、本当の仏僧ではない。
 だから私は、あのオウム真理教の、どうしても信仰に走らねばいられないタイプの青年たちをあそこまで暴走させた真の責任は、日本の既成の仏教教団各派にあると考えている。日本の仏教が、あの若者たちを真の信仰者として受け容れる力がないから、彼らをあのような破滅へと向かわせたのだ、日本では他にこのことを言う者がいないから、私だけがはっきりとひるまずにこの真実を書く。
(引用終わり)

次に「日本の秘密」から引用します。2箇所。
この本の帯には次のようにあります。
「日本の最大の秘密は、占領期以降の日米関係の中にある。今、初めて、吉田茂から60年安保闘争までの政治の真相が明かされる。現在の金融不況も、その源は、ここに検証され、今につながる政治がそこにある」。本の内容は、日本の戦後政治が中心ですが、以下のような文章も含まれています。

(「日本の秘密」 出版 弓立社(ゆだちしゃ)、1999.5)

まず、217ページから。

(引用開始)
 日本の坊主の大半は、くされ坊主である。あんな連中を宗教者などと呼びたくもない。代々のお寺の息子が、檀家の意向を受けてかつ本山の許可を得て、その寺の跡を継ぐという珍妙なことに、いったいどうしてなったのだろうか。自分の子供を大学に出すために、仏教を営業にして戒名料やら墓石管理料で一件につき何百万も徴収するというのはあんまりだ。寺の敷地で幼稚園を経営したりして、メルセデス・ベンツを乗り回している坊主はいくらでもいる。そもそも中世の高僧たちには墓がない、と瀬戸内寂聴(じゃくちょう)尼がどこかで書いておられた。仏教と墓石は本来、関係ないのである。寺の坊主たちは、檀家制度を楯にして、人質(ひとじち)ならぬ墓質(左の熟語に傍点)を取って、民衆から自分たちの生活費分をまきあげているのである。私は日本の習俗としての先祖崇拝には従うので、墓参りはする。しかし不幸にして敬愛できる僧侶を持たない。
(引用終わり)

次に、220ページから。

(引用開始)
私は、浄土門(本願寺派)の親鸞や蓮如が、苦悩の末に、「煩悩(ぼんのう)、断ちがたく」と正直に告白して、肉食妻帯をした、という事実を知っていても、やはり肯定しない。それは、世界宗教のひとつとしての仏教を、日本で勝手に破壊したことになるのである。日本国内では通用するとしても、世界では絶対に通用しない考え方なのだと我々日本人は、思い知るべきなのである。
(引用終わり)

以下に、私(かたせ)の感想を述べます。

「私は、浄土門(本願寺派)の親鸞や蓮如が、苦悩の末に、「煩悩(ぼんのう)、断ちがたく」と正直に告白して、肉食妻帯をした、という事実を知っていても、やはり肯定しない。それは、世界宗教のひとつとしての仏教を、日本で勝手に破壊したことになるのである。」

「私は、あのオウム真理教の、どうしても信仰に走らねばいられないタイプの青年たちをあそこまで暴走させた真の責任は、日本の既成の仏教教団各派にあると考えている。日本の仏教が、あの若者たちを真の信仰者として受け容れる力がないから、彼らをあのような破滅へと向かわせたのだ」

「私は日本の習俗としての先祖崇拝には従うので、墓参りはする。しかし不幸にして敬愛できる僧侶を持たない。」

 私は、上の主張に素直に同意できました。みなさんはどうでしょう?
 日本の仏教各派、古くから続いてきた団体の高く評価されるべきは、新興宗教ではない点にあります。

皮肉です。

以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2001/01/28(Sun) 14:18
投稿者名:かたせ
タイトル:「近代資本主義」・「憲法体制国家」・「デモクラシー」の成り立ちにおける、三面等価の原則

「ハリウッドで政治思想を読む」(副島隆彦著、2000.8、メディアワークス)の、映画「エル・ノルテ 約束の地」の解説の中から引用します。225ページ。
副島先生が、ある大きな事実を紹介されております。
(引用開始)
 南米世界がいつまでたっても貧しいのは、このような一五世紀以来のスペイン帝国に起源する、マーカンティリズム(重商主義思想)に淵源する。そして、このマーカンティリズムを否定したのがプロテスタンティズムである。プロテスタントの牙城国であるイギリスやオランダ、北ドイツでは、一六世紀から近代資本主義(市場経済主義、モダン・キャピタリズム)が興った。この近代資本主義という経済システムは、同時に、政治体制としてのデモクラシー(代議制民主政体)と、近代憲法体制(リミテッド・ガヴァメント、憲法典によって規制される政府という考え方)と、個人主義(インディビジュアリズム)、株式会社制度などと、ほぼ同時に生まれたのである。だから、経済(学)的な側面である(1)近代資本主義と、法(学)的な側面である(2)近代憲法体制と、政治(学)的な側面である(3)デモクラシーは、実は、大きくは同じ事柄の各場面のことなのである。
 日本に知識人層は、この百年間、知識としては一番大切で超重要なこの大きな事実を、理解してこなかった。これは致命的である。再度書くが、(1)近代資本主義(市場経済ともいう)、(2)憲法体制国家、(3)デモクラシーの三つは、スペインやフランス(ルイ十四世と宰相コルベールが主導した)の重商主義思想との対決の中から生まれてきたのである。
 市場経済(マーケット・エコノミー)とは、略奪経済ではなくて、自分で作った商品作物を、市場で売ってお金に換え、そのお金で別の必要品を買うことで成り立つ経済体制である。モノ(商品)とお金が社会をぐるぐると回ることで社会に豊かさが生まれる経済システムのことである。そこには暴力的なあるいは強制的な略奪のプロセスが一応ない、という点に意味があるのである。あるいは、不必要な管理統制経済もない。
(引用終わり)

上記文章の中の事実をまとめます。副島先生が、日本に初めて紹介・導入したと判断してよいと考えます。

(1) 近代資本主義、憲法体制国家、デモクラシーは、同じ事柄を3つの角度から捕らえなおしたものにすぎない。
(2) (1)とは、プロテスタント国家(イギリス・オランダ・北ドイツ)が、カトリック優勢である国家(スペイン・フランス)の重商主義思想に対抗しつつ興ったものである。
以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2001/02/07(Wed) 02:35
投稿者名:かたせ
タイトル:日本人はポルトガル人によって発見された。

一五四三年にポルトガル人によって発見されたのだ、私たちのご先祖様は。しかし、これでは、コロンブスに発見されたアメリカの原住民と同列の扱いではないのか?
副島隆彦先生の著書「ハリウッドで政治思想を読む」(2000.8、メディアワークス発行、角川書店発売)231ページで、標題の指摘がなされています。
(引用開始)
 南米を扱った映画『ミッション』には、スペインとポルトガルが南米大陸で領土的な権利の争いを起こし、それを歴史的に調停した、両国間の、一七五〇年のマドリッド条約のことや、カトリック内部の「鉄の思想集団」であり、カトリック内改革派でありながら、侵略の尖兵でもあるイエズス会のことなどが描かれている。このスペインとポルトガルの領土境界線紛争は、同じくアジアでも繰り広げられている。
 ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが、一四九八年に、アフリカ南端回りでインドのカリカットに到達してインド航路を開拓した。このポルトガルの船団が、更に東方に切り開いていった先に、中国のマカオがあり、マカオからつながる線が日本にまで伸びたのである。日本にはじめて到着した南蛮船は、ポルトガル船である。日本では、一五四三年を、「鉄砲伝来」(種子島の藩主が、ジャンク船に乗ったポルトガル人から銃二丁を買った)と言う。
この一五四三年をもって、世界歴史(学)上は、「日本発見」とされる。我々の日本は、このとき、世界史にはじめて登場したのである。私たちは、「発見」されたのである。ジパング(黄金国)は伝説だが、こちらは史実である。それから、現代世界史に日本が登場したのは、一九〇五年に、日露戦争(Russo Japan War)に、日本が勝利したときだ。これが世界史(ワールド・ヒストリー)だ。世界史というのは、山川出版社の「高校・世界史」の教科書のことではない。このあと、ポルトガルが切り拓いて国力を傾けて防衛したこの航路(シーレーン)を利用させてもらって、イギリスとオランダのアジア地域への進出があったのである。
(引用終わり)

 なぜ、このことに私は気づかなかったのでしょう。高校時代の私は、社会科の科目で世界史を選択していて、まじめに勉強していたのですが。。。原因は、以下の2点だと推定します。

(原因その1)社会科科目「世界史」の欠陥
岡田英弘先生「世界史の誕生」(1999.8、ちくま文庫、筑摩書房発行)の前書きおよび第7章の一部を要約して紹介します。
(要約開始)
明治時代の日本に、「国史」「東洋史」「西洋史」の3つが別個の学問領域として成立した。それぞれ、日本・地中海世界・中国世界という異なる歴史に対応している。
第二次世界大戦後の学制改革で、このうち「東洋史」「西洋史」が合体して「世界史」とななった。「世界史」からは「国史」(現在の「日本史」科目)が抜け落ちたため、日本抜きの世界を日本人が勉強することとなった。まるで日本は世界の一部ではないかのごとく、日本が世界に影響を与えないかのごとき内容を、勉強することとなった。
(要約終わり)
以下は私見です。
このため、一四九二年のコロンブスによるアメリカ(西インド諸島)発見と、一五四三年のポルトガル人の日本人との接触とは、統一的に捉えるべきところ、そうした視座が出てくるはずもなく、事実、山川出版社の「詳説・世界史」にこうした記述は一切ありません。一五四三年の種子島での出来事は、「国史」(日本史)の側で、「鉄砲伝来」という位置付けでしか捕らえられず、矮小化されてしまいました。

(原因その2)日本人がアメリカン・インディアンと同列の扱いを受けるはずがないという思い込み。
 事実を大づかみに捉えるなら、世界歴史(学)においてアメリカのインディアンと日本人とが同列に扱われることには合理性があります。私にこういう発想がまったく出なかったのは、そのように教えてくれる人がいなかったことと、上のような思い込みによるものと思います。これだけこの国は経済的に繁栄していますし。
 しかし、21世紀初頭を生きる現在の日本人も、「発見した」側では、アメリカ・インディアンと同列のみなし方をしているのでしょう。世界歴史(学)の捕らえ方の奥から、そのことが、ほの見えてきます。プライドの高い日本人としては目をそむけたくなります。
「日本は発見されたのだ」という事実。これは、副島先生が日本にはじめて導入した、世界レベルの知識の一つだと考えます。
一方で、「日本が近代化された国民だと、欧米人は誰も考えていない」という副島先生のご指摘、それの「世界史バージョン」であると私は考えます。
以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)