気になる記事の転載掲示板

◆巻頭言◆

新設されたこの掲示板(BBS)は、私、副島隆彦宛ての読者からの個人メールの転載サイトです。私の「今日のぼやき」ではとても対応できない状態になりましたので、このように拡張しました。

学問道場への入門許可の意味も含みます。別に自分は入門したい訳ではないという人もいるでしょうが。私宛てに挨拶を兼ねた簡略な自己紹介文を寄せてくれた人々と、ここの先進生たちとの情報共有の意味と更なる情報開示方針決定に従う趣旨もあります。以後は積極的に各掲示板の方へ書き込み投稿して下さい。(2001年4月1日記)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/23 09:42

【25】アジア政治経済掲示板から転載貼り付け2

会員番号4655の佐藤裕一です。

途中で切れてしまって失敗した。どうもリニューアル後、容量オーバーエラーが表示されなくなったようだ。やはり無理せず、ある程度でわけた方がよさそうだ。

前回最後の続きからそのまま、アジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。

【佐藤裕一による転載貼り付け始め】

フランス国籍のアメリカのアルタイ学者デニス・サイナー(一九一六年生まれ、インディアナ大学名誉教授)である。サイナーは一九六三年、フランス文の『中央ユーラシア研究入門』を出版したが、この書物の内容は、まず大きく「言語」の部と「歴史」の部に分かれている。

「言語」の部はさらに「ウラル諸語」と「アルタイ諸語」の二部に分かれる。「ウラル諸語」に数えられるのは、ハンガリー語をはじめとして、ウゴル諸語、フィン語、サーメ(ラップ)語など、中部ヨーロッパからシベリアにかけて分布する言語である。「アルタイ諸語」は、オスマン語をはじめとするトルコ(テュルク)諸語、モンゴル語、ツングース語、女直語、満州語をふくむ。これらは東部ヨーロッパから東北アジアにかけて分布する言語であって、これらをあわせてウラル系・アルタイ系の言語が話される範囲が中央ユーラシア(フランス語ではウーラジー・サントラール)であるということになる。

一方、「歴史」の部は、四つの時代に区別する。「古代」では、西方ではスキュタイ人、サマルタイ人、東方では匈奴、月氏(月支)、トロイカ人、烏孫、鮮卑、拓抜氏をあつかう。「中世」では、東方では蠕蠕(柔然)、エフタル、吐谷渾、突厥、トクズ・オグズ、カルルク、ウイグル、キルギス、契丹、女直、党項、西方ではフン、アヴァール、サビル、オン・オグル(オノグル)、ブルガール、ハザール、ハンガリー人の先史時代、カラ・ハーン朝、ガズナ朝、オグズ、セルジューク朝、ペチェネグ、コマン(クマン)、カイをあつかう。つぎはいよいよ「モンゴル時代」で、これが中央ユーラシア史の頂点であり、最後は十四世紀以後の「頽廃の時代」で締めくくっている。

このデニス・サイナーの『中央ユーラシア研究入門』は、資料と研究文献の解題という性質の書物であるから、中央ユーラシアという地域を著者がどう定義しているかについては正面から説くことは少ないが、それでもだいたいのところはうかがえる。

しかし、ウラル系・アルタイ系の言語を話す諸民族がかつて活躍し、今なお占拠している地域が中央ユーラシアだとすると、同じ地域はまたほかの系統の言語を持つ民族、ことにインド・ヨーロッパ諸語を話す諸民族の活躍の舞台でもあったのであるが、この人びとは中央ユーラシアの民族史の対象にはならないのか、ということが問題になる。この点について、サイナーは「序説」のなかで、「古アジア人や、中央ユーラシアのインド・ヨーロッパ人や、あるいはチベットをふくめないのは、自分の不得意な分野だからである」とことわっていて、ウラル系・アルタイ系だけが言語の面で中央ユーラシアを代表すると考えているわけではないことを示している。

中央ユーラシアの起源

ここであらためて、中央ユーラシアという概念を、歴史の見地から見直してみよう。

地図をちょっと眺めるだけですぐわかるように、中央ユーラシアという地域は、その周辺に、中国文明、インド文明、メソポタミア文明、地中海文明という、古代世界の四大文明の発祥地をもつ地域である。たんに周辺にもつばかりではない。これらの古代文明が発展して現在の中国や、インドや、西南アジアのイスラム諸国や、ソ連や、ヨーロッパ諸国になる過程で、中央ユーラシアから四方にむかって放射する力が、決定的な影響をあたえたのである。現在でこそ、中央ユーラシアは中国とソ連という二大国によってその大部分を支配されているが、こうした形勢は十七世紀以後のものであって、中央ユーラシアの歴史のうえではごく最近の現象にすぎない。それ以前の中央ユーラシアには、中央ユーラシア独自の歴史があり、土着の諸民族がその主人公だったのである。

中央ユーラシアがその周辺の世界の歴史に影響を及ぼした最初の事件は、なんといっても前三千年紀にはじまるインド・ヨーロッパ語を話す人びとの移住である。彼らはこの時期に、中央ユーラシアのどこかにあったと考えられる原住地を離れて、西方及び南方にむかって移動を開始した。つぎの前二千紀の初めには、ギリシア人がバルカン半島を南下して現在のギリシアの地に定住し、同時にアナトリアでは、ヒッタイト人が古王国を建設した。こうして地中海世界とメソポタミア世界に姿を現わすのとほぼ同時に、インド亜大陸では、同じインド・ヨーロッパ系の言語を話すアーリア人がイラン高原から南下して、ドラヴィダ系のインダス文明を滅亡させた。

(引用終わり)『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、岡田英弘著、90~92、94~97項)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

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[1445] アジア・アズ・ナンバーワン 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/06(Fri) 03:33:31

会員番号4655の佐藤裕一です。

この掲示板設置時点の2002年1月27日は、アメリカは9・11事件発生後、既にアフガニスタンのタリバン政権とアルカイダ(実際にどの程度いたのか不明だが)に報復攻撃を仕掛けていたと思います。

9・11の本土テロ攻撃(誰がテロ攻撃したの?)によってアメリカの威信は表面上は揺らいだように見えるものの、90年代から継続して世界覇権国家として絶頂期(の最終部分、下り坂の手前)にある事は間違いありませんでした。

日本の小泉政権やイギリスのブレア政権はじめ、当時の親米政権の国々はアメリカ一辺倒の外交姿勢を、程度の差こそあれ保っていた。明確にアメリカを中心にして世界政治が回っていたわけです。

あるいは大雑把ですが、イラク戦争からの「中東、アラブ・イスラム圏世界」対「アメリカ・キリスト教圏(主に宗教右派とネオコンが中心)イスラエル・ユダヤ教連合」の対立軸が世界政治の中心に見えました(アフガン自体は中東ではなく、中央アジアから南に位置していますが、イスラム教圏)。

中東は、ヨーロッパからみて東の中東アジア(日本からすると西に感じられるので違和感がある)であり、トルコなどはヨーロッパとアジアの狭間ですが、やはりアジアに属すると思います。

サミュエル・P・ハンティントン(Samuel Phillips Huntington)の言うところの『(諸)文明(間)の衝突』(The Clash of Civilizations)ですね。概念の表現としては使い易い言葉ですね、私は翻訳した本を1回通して読んだだけですが。「日本文明」なる言葉を置き土産にしてくれました。ネット検索してみると、日本は他に例をみない孤立文明だとかなんだとか。欧米の有名学者によるお墨付きを得たわけです。まさにありがた迷惑です。

さて2000年代前半は、アジアの政治と経済における地位と役割が拡大してきたとはいえ、相対的には低い事に変わりはありませんでした。「アジアの時代」というフレーズは、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と同じ美辞麗句の褒め殺し、建前上の社交辞令で、この頃だとその様にしか感じられなかった。結局は政治・外交・軍事的に押さえつけられ翻弄されていて、決定権が無いのですから、何の実感もわきませんでした。アジアは鬱屈しているので経済成長と発展に励むしかなかった(日本はそれすら出来なくなりましたが)。

あれから住宅バブル崩壊などを経て、世界的不況が訪れています。本番はこれからの可能性も有ります。アメリカの世界覇権後退(世界は健康体?)に伴って、更にその先には、占領地域からの全世界的撤退が始まる事が予想されます。

この過渡期にあって、「アジアの時代」が現実味を帯びてきました。[1444]でも書いた通り、BRICs(ブリックス)のうち3ヶ国、ロシア(の大部分)、インド、中国がアジア圏です。ブリックス以外でも、カザフスタン(中央アジア)やモンゴル、インドネシア(アジア最南端)など潜在力がある国々があります。それでもやはり「チャイナ・アズ・ナンバーワン」といわれる中国が伸びるんでしょうね。

オーストラリアとニュージーランドは、おそらくアジアに入らない(入れない)のでしょう。英連邦を離脱し自治領である事を止めて共和国になり、先住民のアボリジニが大統領にでもなればアジアと認められるでしょうけれども。マレーシアのマハティール元首相はじめアジアの政治指導者達にそんな嫌味をチクチクと言われ続けるよりは、白人としての優越感と存在意義を優先させる、と言われる通りになると思います。

それに対してフィリピンはキリスト教国であり、国名の由来や国内政治支配者層からしてアジア的ではなかったですが、それも独立以来貧困国のまま右往左往するうちに、段々と政治意識も変わってきたのではないでしょうか。位置からしても明確に極東アジアです。

日本もアジアの極東にあります。日本は戦後の高度成長経済で、他のアジア諸国より一歩先に輝かしい時代を向かえて過ごしてしまったので、当然上り坂があれば下り坂がきます。他のアジア後進工業国は「どうやったら時代の波に乗れるのか、乗り切れるか、乗り遅れないようにするか」という課題がありますが、日本の場合は先進工業空洞国(産業空洞化国家)になってしまったので、後進国なみの低賃金に後戻りするわけにもいかずにグズグズすることになります。失われた20年、日本病の発症です。

かつてのアメリカに対するヨーロッパのように、全ての先進国が通る道ですから、日本だけが避けて通れるわけがありませんので、仕方のないことです。日本の国民感情として、どのような精神状態でこれからの時代を迎え対処・対応出来るのか、今から考えなければと思います。

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[1446] 阿修羅掲示板からゲーツ国防長官来日についての投稿文を転載します 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/09(Mon) 18:15:14

会員番号4655の佐藤裕一です。

阿修羅掲示板から転載します。転載内容よりもTORAさんという投稿者のコメントの方が優れています。

(転載貼り付け始め)

米国との合意の再交渉を求めた日本の新政権に対し、ゲーツ国防長官は総理大臣に屈辱を与えた。米国の対アジア政策は間違っている

http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/486.html

投稿者 TORA 日時 2009 年 11 月 06 日 15:20:03: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu203.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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米国との合意の再交渉を求めた日本の新政権に対し、ゲーツ国防長官
は総理大臣に屈辱を与えた。米国の対アジア政策は間違っている。

2009年11月6日 金曜日

◆きしむ日米関係、ほくそ笑む中国 11月6日 宮家 邦彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2080?page=1

迷走を続ける日米安保関係について、中国政府は今も沈黙を守っている。これまで何度試みても微動だにしなかった日米同盟が、ようやく、しかも日米双方の事情から混乱し始めた事実は決して小さくなかろう。今回は、最近の日米間の確執を中国の立場から検証してみたい。

日本で報じられなかったワシントンポストの報道部分

日本の大手マスコミは10月22日付ワシントンポスト紙の記事を大きく報じた。同紙が引用した「米国はこれまで対アジア関係で日本を『不変要素』と考えてきたが、現在最も困難(the hardest thing)なのは中国ではなく、日本である」との米国務省高官の発言が注目されたからだ。

予想されたこととはいえ、米政府内の対日懸念の大きさを象徴するこの発言は日本側安保関係者に少なからぬショックを与えたようだ。しかし、同記事の本質は同盟関係に関する日米間の確執の深刻さを伝えることだけではない。

記事を書いたのはワシントンポストの元北京特派員で、中国語にも堪能な敏腕記者である。筆者は8年前の北京駐在時代に知り合った。中国人を配偶者に持つ中国専門家ながら、ジャーナリストとしてのバランス感覚の高さには大いに敬服したものだ。

彼の記事の中で日本のマスコミが報じなかった部分を一部抜粋してみよう。

○オバマ政権は、もし日本の新政権が中国の台頭に対応する米軍再編計画に関する合意を反故にすれば重大な結果を招くと警告した。

○基地再編計画は、中国海軍に対抗すべくグアムの米軍基地を増強し、中国と北朝鮮の強力なロケット部隊を相殺すべく米軍のミサイル防衛能力を向上させることにより、増強を続ける中国軍事力と対峙するために練り上げられたものだ。

オバマ政権の対日政策批判

日本ではほとんど報じられていないこの部分こそが、ワシントンのアジア安全保障問題専門家の「常識」である。この友人は中国の軍事的脅威について比較的穏やかに書いているが、米国の反中・保守派ともなれば、その対中批判はさらに手厳しい。

例えば、10月30日の米フォーブス誌では中国批判で有名なゴードン・チャン氏がオバマ政権の対日政策を次のように痛烈に批判している。普天間移設問題は米国の対中軍事戦略と直結しているのだ。

○最近中国は米国の衛星を攻撃し、米国防総省に対するサイバー攻撃を行い、今年には南シナ海の米海軍艦船が曳航中のソナー装置を切り離し、盗もうとする「戦争行為」すら犯している。これら不当な行為に対し米国は公の場で何も発言していない。

○これとは対照的に、米国との合意の再交渉を求めた日本の新政権に対し、ロバート・ゲーツ国防長官は総理大臣に屈辱を与えた。・・・米国の対アジア政策は基本的に間違っている。

沈黙を守る中国

当然ながら、中国側も米軍再編問題を日米の対中軍事戦略の一環と考えている。最近の日米関係の迷走は、まさに中国の望むところであろう。しかし、賢明な中国政府関係者は、内心ほくそ笑みつつも、余計なコメントは避けているようだ。(中略)

チャンス到来

この調査を見る限り、最近の日米確執に関する中国側の見方は驚くほど冷めている。要するに、(1)米国の対日強硬姿勢は虚勢に過ぎず(2)中国を仮想敵とする日米同盟は今後とも続くが(3)中国の影響力には限界があり(4)当面現行の政策を変える必要はない、ということだ。

もちろん、これらは中国のネット使用者の意見でしかない。しかし、人民日報系の「環球時報」が報じていることを考えれば、中国政府の見方もそれほど大きく違わないと考えてよいかもしれない。

そうだとすれば、現在の中国側の沈黙もそれなりに理解できるだろう。建国以来、日米安保は中国にとって常に潜在的脅威であった。それが鳩山新政権になって混乱し始めたのだから、中国にとってはまさに千載一遇のチャンスなのである。

中国側が、ここは慎重ながらも、確実に日米間に楔を打ち込まなければならないと考えている可能性は高いだろう。中国が12月にも、次期総書記として最有力視される習近平国家副主席の訪日を検討しているとの最近の報道も、こうした文脈で理解すべきである。

「環球網」のアンケート調査が示すとおり、日米安保関係に対する中国の影響力には自ずから限界があるが、今後中国側が日米同盟関係の混乱に乗じて、民主党新政権に対する中国の影響力を拡大しようとすることは間違いなかろう。

報道によれば、習近平氏訪日の準備のため、楊潔?外相など中国側要人が今後相次いで訪日するとも言われる。11月の米大統領訪日と12月の中国国家副主席訪日を、日米、日中外交だけではなく、日本を巡る米中間の水面下での熾烈な外交の一環として考える視点を忘れてはならない。

◆ゲーツ国防長官はなぜ自衛隊栄誉礼を辞退したのか――日米同盟の危機?! 10月26日 古森義久
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1290009/alltb/

ワシントンの日米関係政策コミュニティーでは「ゲーツ氏の辞退」が少なくとも重大な出来事として論議の対象となっています。その論議の背後にあるのは「日米同盟は危機を迎えつつあるのか?」という疑問です。

ワシントンでゲーツ長官の外交儀礼を欠いたかのような態度が最初に話題となったのは、ワシントン・ポスト10月22日の記事が契機でした。この記事はジョン・パンフレット記者とブレイン・ハーデン記者との共同執筆です。

ハーデン記者は東京駐在のようですが、パンフレット記者は元来は中国報道で名声を確立したベテランです。いまはワシントン駐在で、部長級のエディターとして取材も執筆もするという感じです。ちょうど私の北京駐在時代にパンフレット記者も北京にいて、知己を得ました。

その両記者の長文の記事はゲーツ長官の訪日にからめて鳩山新政権のアメリカや日米同盟に対する態度にオバマ政権がいらだちを深めているという趣旨でした。見出しは「アメリカは軍事パッケージに関して日本に圧力をかける」「ワシントンは東京の新リーダーたちが同盟を再定義しようとすることに懸念を抱いている」でした。

その記事でとくに興味深い部分は以下の記述でした。

「外交儀礼が重要性をにじませることの多い(日米同盟)関係で、

ゲーツ長官は自分自身のスケジュールに(米側の受け止め方を)語らせた。長官は防衛省高官たちとの夕食会と防衛省での歓迎の儀式への招待をともに辞退したのだ」

このことは日本側では少なくとも読売新聞が報じていました。しかしごく小さな扱い、しかも他の解説記事のなかの短い言及という感じでした。産経新聞もワシントン・ポストの報道を受ける形で25日付で報じています。「ゲーツ長官はいったんはセットされていた北澤防衛相との夕食を断った」というのでした。

ゲーツ長官は明らかに鳩山新政権への不満のために、あえて会食も栄誉礼歓迎式もボイコットしたのです。こんなことは日米安保関係の長い歴史でもまず例がありません。アメリカ側はそれだけ現状を重大だと認識し、不満や抗議の念を強めているのでしょう。

オバマ政権がこのように強硬に、しかも臆するところなく不満を表明するという現実は、日本の安全保障にとっても深刻です。米側の硬化は今回は夕食と歓迎式の辞退、あるいは拒否だけに留まったようですが、安全保障でのこうした負の変化は必ず経済面にまで波及します。そうなると安保面での悪影響を認めたがらない日本側の特定勢力も、さすがに経済面での悪影響は認めざるを得ないことになるでしょう。そういう流れが少なくとも過去のパターンでした。

オバマ政権がこうして強硬な姿勢を打ち出してきたことの理由や経緯はまた回を改めて報告しましょう。

今回、強調したいことは、たかが夕食会とか歓迎式といって、軽視をすると、全体図の不吉な変化の予兆をまったく見逃すことになるだろうという点です。日米同盟は破棄したほうがよい、という立場を取るのなら、またアプローチはまったく別になりますが。

(私のコメント)
アメリカのゲーツ国防長官の高圧的な態度は、古森記者が書いているように異例のものですが、それくらい今のアメリカ政府は日本の民主党政権に苛立ちを覚えているのでしょう。従来の自民党政権の時では考えられないほど日本政府の態度が硬いからですが、親米ポチ保守の記者はアメリカ様がお怒りだと言う事なのでしょう。

沖縄の普天間基地の問題は、自民党政権以来の10年にも及ぶ問題であり、地元との調整に手間取っている。しかし自民党でも踏み切れなくなったのは、新たな基地を建設するのに4000億円もの費用がかかると言う事であり、外国の軍隊の為にどうしてそんな負担をしなければならないのでしょうか? 岡田外相が言うように嘉手納基地に移転すればたいした費用もかからない。

ゲーツ国防長官の態度は失礼千万な態度であり、日本の防衛大臣がアメリカに行って国防総省の栄誉礼や幹部との会談を拒否したらどういう事なのか分かるだろう。しかし日本の新聞にはこの事実がほとんど報じられなかった。たいした事じゃないから報じられなかったのではなくたいした事でありすぎたから日本のマスコミは報じなかったのだ。

この事はもはや従来の日米の力関係では考えられなかった事なのですが、アメリカはリーマンショック以来国力を大きく失ってしまってプレゼンスが無くなってしまった。中国に対するアメリカ政府の卑屈なまでの態度は日本から見てもアメリカの権威を失わせるものであり、クリントン国務長官もぺロシ下院議長も北京に行っても人権問題を言う事は出来なかった。それくらいアメリカは中国に権威で負けてしまったのだ。

アメリカ自慢の国防力でも、中国が衛星を打ち落として宇宙にゴミをばら撒いてもアメリカ政府は一言も抗議しない。国防総省に中国からのサイバー攻撃を仕掛けても国防総省は何の反応も返さない。米海軍のソナーを曳航したロープも切断しても米海軍は何も出来ない。アメリカの中国に対する弱腰は日本を不安にさせますが、アメリカはもはや中国の軍事的脅威にアジアでは対抗できなくなっているのだ。

戦争はもはやミサイルが飛びかう戦争ではなくて、経済力や情報戦争が主な舞台になってきている。アメリカがいくら核ミサイルを持っていた所で使えなければ何の意味も無いのであり、現代の戦争ではミサイルよりもドルやユーロや元が飛びかう戦争になっている。ソ連は滅びたのもソ連経済が破局したからですが、アメリカが滅びるのも経済破綻が原因となるだろう。だから「株式日記」ではそれに備えろと書き続けてきました。

このような状況では、アメリカのゲーツ国防長官が圧力を掛けても鳩山首相はハトが豆鉄砲食らった程度のダメージしかないのであり、アメリカの一極覇権主義の時代はイラクやアフガニスタンで負けたことで終わってしまったのだ。後はアメリカが何時イラクやアフガニスタンから撤退するかの段階であり、撤退が遅れれば遅れるほどアメリカの滅亡の時は早まる。

その事に気がつかないのは自民党でありマスコミだ。古森記者もその一人なのでしょうが、確かにアメリカ国内にいればアメリカは豊かな国であり、その風景は昔と変わらないだろう。しかし一歩海外に出ればアメリカの威光は失墜してアメリカの影響力は急激に弱まってきている。アメリカの中国に対する媚びへつらいはその象徴のようなものだ。

アメリカは日本にとっての巨大市場だったのですが、リーマンショック以降は対米輸出は四割も減ってしまった。だからトヨタもホンダも大幅に減益か赤字で、市場を中国やEUに求めざるを得なくなった。そしてアメリカの消費が回復する事は不動産価格が元に戻らなければ無理だ。こうなれば日本にとっても背に腹は代えられないから「アメリカさんさようなら、中国さんEUさんこんにちわ」にならざるを得ない。金の切れ目が縁の切れ目であり、アメリカからは金をたかられるだけであり、同盟国としてもメリットも少なくなる一方だ。

◆上海協力機構という存在-ユーラシアの地政学の新局面 8月号 寺島実郎
http://mgssi.com/terashima/nouriki0908.php

注意深く見つめている数字がある。今年に入っての日本の貿易構造の変化を示す数字である。二〇〇九年一~五月の輸出と輸入を合計した貿易総額における相手先の比重において、米国との貿易が占める比重はわずか一三・五%となり、中国との貿易比重は二〇・三%と、ついに二割を超した。また、アジアとの貿易比重は四八・五%となった。短期的要因としては、中国依存の景気回復に傾斜する日本ということであり、長期的構造要因としては、通商国家日本が「米国との貿易で飯を食う国」から「中国を中核とするアジアとの貿易で飯を食う国」へと変質していることにほかならない。

さらに、欧州やロシア、中東を含むユーラシア大陸との貿易という視点でいえば、実に日本の貿易の七五%はユーラシアとの貿易となった。より踏み込んで凝視すれば、上海協力機構(準加盟国を含む)の国々との貿易が、日本の貿易総額の二六・〇%を占めるまでに拡大していることに気付く。米国との貿易比重が一三・五%と、八年前の半分にまで落ち込み、上海協力機構との貿易比重が八年前比で倍増しているところに、二一世紀日本の国際関係の基盤の変化が凝縮されている。

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2009・11・6「米テキサス州、米軍基地で軍医が銃乱射し12人死亡」とのニュース。
沖縄の米海兵隊員にも「事件」が多く、海兵隊基地を引き受ける都市がないとか。在日米軍基地内は米国憲法下にあるが、「日本の領土」を米軍が守る義務はないと聞く。もし日米安保と「思いやり予算」が釣り合わないなら、見直すのがふつうではありませんか?アジアの戦闘から米が引き上げる方が、今の米にも有益ではないでしょうか。EUは「日本が米にジャブジャブマネーを貸したので世界不況を起こした」と怒っている。オバマ大統領に聞いてほしいです。「米の日本への過度な内政干渉を、大統領は本当に不快に思っておられますか?」と。
2009/11/06 16:47
 また古森か、と、古森義久を阿修羅検索してみるとでるわでるわ。
こやつ統一協会に属しているとしか思えへんで。
2009/11/06 17:48
バカなネウヨどもが日米同盟が無くなればさも日本が無くなるかのようなアホコメントをたくさん出しているが、この連中は純粋に日本人ではないのと違うか?
2009/11/06 21:55
小沢が言うように、米、中国、日本の三者鼎立テことなのか。
 まもなく覇権国は中国にとって替わるダロウから、少し前の中国軍事パレード、はたまた航空母艦自国建造を具体化させること等により、米に対して中国を武力で打ち倒すことが出来ないことを米に充分自覚させておいて、米ドルの崩壊前に、ドル売りをしかけて、米を滅ぼすつもりだ。
 武力でこれを防ぐことは出来ない米だから来年、再来年ソノ後には確実にこうした事態が出来すると目される。
 鳩山政権はこれを見越して、日米同盟は主軸と口でいいつつ、中国といい関係を築いていく所存であろう。中国と一緒にドル売りを出来る立場に日本を持っていく必要がある。民主党政権下こうした変動の時代がおこることは確実だろう。コノぐらいのことが出来なくて、コノ国が、欧米に「日本みたいになりたくない。」といわれ、特に米国にいわれて、黙っているなら、クソだ。

2009/11/07 00:29

(転載貼り付け終わり)

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[1447] 岡田英弘歴史掲示板から副島隆彦先生による投稿を転載します 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/18(Wed) 20:32:24

会員番号4655の佐藤裕一です。

岡田英弘歴史掲示板から、副島先生の投稿(転載文章)を再掲載します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

[66] 岡田英弘論を、ネット上で見つけましたので転載します 投稿者:副島隆彦 投稿日:2002/02/05(Tue) 12:29:38

副島隆彦です。 岐丸君にご挨拶するのは初めてです。
ネット上で、岡田英弘先生の著作を論じた文章を見つけましたの
で、転載します。ワーカーズ・ネットとありました。

(転載貼り付け始め)

真性保守から「日本文明」派に放たれたキッーイ一発
近代学問は個々の政治的思惑を易々と打ち砕いていく
――岡田英弘氏『歴史とはなにか』文春新書に学ぶ

岡田英弘氏といっても、一般の人で知る人は少ないであろう。しかし、歴史に関心のある人なら、彼の名前は、まさに逸することができないものがある。
 
 岡田氏は、モンゴル史・満州史の世界的権威にして、日本古代史と中国史の権威としても学会では知られているが、この世界では、徹底的と言っていいほど無視されてきたが、近代学問の実力で、ここ二十年ぶりに復活してきたばかりか、今や大いに注目されるまでになっている。
 
 そもそも、一般書におけるデビュー作は『倭国』1977年、姉妹本として『倭国の時代』1976年の二冊があるが、これらの本の内容は、日本の平泉澄ほどの皇国史観の頑迷派でなくとも、日本文明派のいう民族の尊厳や自信を打ち砕くのに充分なものがあり、その根拠とされた中国の正史のもつ本来的な政治性やいい加減さを容赦なく暴ききったために、日本史学会や中国史学会から追放に等しい扱いを受けたといわれている。
それほど、学会とは陰湿な世界なのである。前置きはこのぐらいにして本論に入ろう。

この本は、「岡田史学」の入門書とも言うべき本で、単なる新書版でありながら、実にコンパクトに、岡田理論が展開されている。

第一部は、「歴史のある文明、歴史のない文明」という岡田史学の原論である。彼によると、歴史のない文明の代表は、インド文明と後で地中海文明に巻き込まれていくことになるイスラム文明と現在と未来にしか関心がないアメリカ文明が挙げられている。

それに対して、常に「正統」の継承性のみを問題にして、世界の変化を認めない中国文明の歴史観と、二つの勢力が対立し最後に正義が勝って終わる地中海文明の歴史観があるという。また、歴史があっても借り物で、歴史の弱い文明があるとして、先にあった文明から文化要素を借りてきて独立した文明を「対抗文明」とし、日本文明を中国文明の対抗文明とした。

こうした論断は、日本文明派には許せざる所行であろう。さらに、まとめとして、「閉鎖的な日本の性格は、中国の侵略に対して自衛するという、建国をめぐる国際情勢が生みだしたもので、反中国が日本のアイデンティティなのであり、そうしたアイデンティティに根拠を与えたのが、『日本書紀』が創りだした日本文明の歴史観だった」と日本文明の成立事情を、大胆に説明しているのである。まさに、日本文明派にとっては、ゆるすべからざる発言ではあった。

第二部は、「日本史はどう作られたか」というもので、「神話はどう扱うべきか」、「『魏志倭人伝』の古代と現代」、「隣国と歴史を共有するむずかしさ」の各章で、先の日本文明の成立事情を具体的に補足する形で展開されており、西尾幹二ら日本文明派にとっては、一大痛打が浴びせられている。

彼によれば、『古事記』は偽書で、『日本書紀』は、天皇という君主の正当性を保証するために作られたとし、「天武天皇」以前の天皇の実在性を否定した。それ以前の天皇、たとえば神武天皇や日本武尊などは、天智天皇・天武天皇兄弟と両親の時代に起こったことを下敷きにして筋書きが決められているという。これだけでも保守反動側には大打撃である。さらに、中国正史の政治性といい加減さを暴くことに欠けても徹底しており、反動に対する武器となること請け合いである。また最後に、隣国と歴史を共有する難しさについて語り、自己の正当化は、歴史のおちいりやすい落とし穴であると忠告している。是非精読していただきたい。

第三部は、「現代史のとらえかた」と題して、「時代区分は二つ」、「古代史のなかの区切り」、「国民国家とはなにか」、「結語」の各章が展開されている。ここも山場であり、岡田史学の世界性を示している。中でも、国民国家に対する議論は、新鮮なものがあり、「国家」とか「国民」という枠組みを使って、十八世紀以前の歴史を叙述するのは、時代錯誤だという彼の主張は正しい。

また、十九世紀になるまで、中国人はいなかったという彼の主張は、彼が排撃される原因となったが、このことは、日本文明派が、『国民の歴史』などという怪しげな本を押し立てて策動していることを考えると全く正当な主張である。

「こういう枠組みを取り払って、まったく新しい術語の体系をつくって、歴史の叙述をはじめなければならない」とする岡田史学に、私は共鳴する。関心がある人は、先に紹介した『倭国』・『倭国の時代』、さらに『日本史の誕生』を検討いただきたい。

最後に,彼を師と仰ぐ人物に「属国・日本論」の副島隆彦氏がいるが、副島氏への批判とも読める205ページの「朝貢冊封体制」論批判を引用して終わろう。
 
 「朝貢冊封体制」というのは、第二次世界大戦後の日本で発明されたことばだ。これは どういう説かというと、「中国は世界(当時の東アジア)の中心であって、そこに異民族 の代表が朝貢し、貿易を許される。皇帝からもらう辞令(冊)によって、異民族の代表の 地位が保証される。こうして、中国の皇帝を中心として、東アジアには、朝貢と冊封に 基づく関係の網の目が張りめぐらされていた。これが東アジアの秩序を保証していた」 というものだ。ところが現実には、そんなことはぜんぜんなかった。

このように、朝貢に対する誤解に対する反感を露わにする岡田氏と、『天皇がわかれば日本がわかる』との本でも一貫させたように、「冊封体制」を、世界覇権国家と属国との関係とするとの副島氏の認識との明確な違いについては、彼の出藍の誉れかどうか、今の私には判断がつかないが、機会があれば直接本人に確かめてみたいと考える。

それはともかくとして、是非読者に一読を勧めたい本ではある。(直)

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

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[1448] 岡田英弘歴史掲示板から「天皇がわかれば日本がわかる」についての投稿を転載します 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/18(Wed) 20:33:47

会員番号4655の佐藤裕一です。

続けて、法制史学者の斎川眞さんの著作「天皇がわかれば日本がわかる」の引用文章の投稿を転載します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

[133] 陛下・殿下・閣下という言葉の役割 投稿者:会員番号2003 投稿日:2004/10/26(Tue) 12:24:27

“「天皇がわかれば日本がわかる」斎川 眞 著”から引用します。
(引用はじめ)

陛下の「陛」とは、「きざはし」、すなわち宮殿に昇る階段のことである。
だから、陛下とは、文字通り読めば、「階段(きざはし)の下」ということであるが、それは、「階段の下にいる君主の側仕えの臣下」を指す言葉である。

この臣下が何をしている人物かというと、君主への取り次ぎをやっているのである。
君主に直接言上したり、直に文書や何かを渡すことが、恐れ多いということである。
その言葉が転じて「陛下」とは、「自分(たち)は、この階段の下にいる貴方様の臣下です」という意味になったのである。尊敬の対象である天皇を直接指し示さないことによって、へりくだって敬意を表しているのである。

いまでも、これと同じことが、手紙の脇付けにかすかに残っている。
 宛名の「何々様」の脇に、「侍史」(書記役・祐筆)あるいは「足下」などと脇付をつける-今では書く人はごく稀であろう-ことが、現在かろうじて残っているのは、昔の慣行の名残である。つまり、「この手紙を書いた私は、宛名の貴方に敬意を表して、貴方の名前を直に指し示すことを憚り、脇に仕えている人から渡してもらうという気持ちでおります」というのである。

「殿下」という言葉も、同じように、「自分(たち)は、この御殿の下にいる貴方様の臣下です」という意味である。
 陛下は、英語では、国王に対する呼びかけの敬称であるユア・マジェスティ(Your Majesty)に当たる。

殿下は、ユア・ハイネス(Your Highness)に相当する。
 ついでに言うと、「閣下」という言葉も、台閣や楼閣という言葉から連想されるように-名曲「荒城の月」にでてくる「春高楼の花の宴」の「高楼」である-高殿にいる高官を指す言葉である。この言葉も、「自分(たち)は、この高殿の下にいる、高官である貴方様の臣下です」という意味である。

とにかく、直に相手の名を呼びかけないというのが、陛下・殿下・閣下という言葉の役割である。

(引用おわり)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

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[1449] 阿修羅掲示板から転載します。「中美共治」とは? 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/19(Thu) 08:43:55

会員番号4655の佐藤裕一です。

阿修羅掲示板から転載貼り付けします。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「中美共治」という言葉が中国のマスコミに登場した。「G2」とは米中で世界を統治するという意味であり米国の衰退を鮮明にした

http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/916.html

投稿者 TORA 日時 2009 年 11 月 18 日 14:13:02: GZSz.C7aK2zXo

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu204.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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「中美共治」という傲慢な言葉が中国のマスコミに登場した。「G2」とは、
中国と米国で世界を統治するという意味であり、米国の衰退を鮮明にした

2009年11月18日 水曜日

◆オバマ米大統領の訪中、さらなる米中「蜜月」? 11月16日 サーチナ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1116&f=column_1116_005.shtml

「1979年の国交正常化から30年、米中関係はこれから第二段階に入る。そこにはルールブックはない。キーワードは、『互相幇助、互相発展』(相互に助け合い、相互に発展する)だ」

8月に着任したばかりのハンスマン駐中アメリカ大使は、先日、流暢な中国語で私にこう語った。

11月15日(昨晩)深夜、オバマ大統領が中国へやってきた。歴代のアメリカ大統領の中で、就任以来、最も早い訪中である。しかもオバマ氏にとっては初訪中で、アジア歴訪8日間のうち、実に半分の4日間を中国で過ごす。貿易摩擦、通貨統制、地球温暖化、北朝鮮・・。オバマ訪中で取り上げられる議題は多々あるが、米中ともに、より高次元で両国関係を捉え始めている。中国の外交関係者が明かす。

「9月24日、アメリカのスタンバーグ国務副長官が、『今後の米中は、‘戦略的保証‘(Strategic Reassurance)の関係になるべきだ』と発言した。『アメリカは中国の台頭を歓迎し、中国は他国の安全と利益を脅かさない。米中は共に戦略的に保証しあうべきだ』というのが主旨だ。以来われわれは、オバマ政権の提起した『戦略的保証』の概念の真意を探ろうと、あらゆるルートを通じて研究を開始した。これはブッシュ前政権が中国を『利益相関者』(Stakeholder)と提起して以来、アメリカ政府の4年ぶりの方向転換を意味する」

少し説明が必要だろう。2005年9月に、当時のブッシュ政権随一の親中派と目されていたゼーリック国務副長官が、「今後アメリカは中国を利益相関者(Stakeholder)とみなす」と発言。これが中国外交当局者の間で、大きな波紋を呼んだ。つまり、これまで自分たちを敵視しているとみなしてきたアメリカが、初めて「利益を共有する者」と評価してくれたと受け取ったからだ。実際この「ゼーリック発言」以降、中国のアメリカ外交は大きく協調路線に転換していった。

そして今回、オバマ政権は新たに、「戦略的保証」なる外交方針を掲げたわけだ。これは冒頭のハンスマン大使の発言にも連なる、「30年ぶりの対中政策の大方向転換」を意味する可能性があるのだ。だが中国は、警戒心を解いていない。前出の中国の外交関係者が続ける。

「確かに『戦略的保証』の概念は、21世紀にふさわしい中米関係の構築という意味で、大変重要である。いまや米中関係は、単に2国間の関係から、よりグローバルな全地球的な関係へと進化・発展しつつあるからだ。しかしその一方で、『戦略的保証』の概念は、『我明彼暗、我優彼劣、我対彼錯』(我が方は明るくて優位で正しい、先方は暗くて劣っていて誤っている)というアメリカの伝統的な中国蔑視政策から抜け出ていないという指摘も、われわれの中である。中国が今回、オバマ大統領を手放しで‘熱烈歓迎‘しているわけではないのも、まあしばらく様子を見てみようということだ」

9月11日にオバマ大統領が中国製タイヤに3年間の報復関税をかけると宣言して以来(これを中国の外交関係者たちは「9・11事件」と揶揄している)、米中は貿易問題に関して、水面下で‘死闘‘を繰り返してきた。中国メディアは「オバマとの60日戦争」と煽動するなど、マスコミを巻き込んだ‘総力戦‘となっている。

そんな中、訪中したオバマ大統領に対して、中国はアメとムチをそれぞれ用意した。まずアメとは、上海ディズニーランドの許諾だ。米企業としては史上最大の35億ドルを初期投資して、上海万博後のオープンを目指す。今回オバマ大統領が超多忙のスケジュールの中、わざわざ上海まで足を伸ばしたのも、この一件が大きい。「中国のディズニー」を、アメリカの金融危機の救世主にしようというわけだ。他にも、アメリカの航空技術投資を決めている。

逆にムチとは、オバマ大統領訪中直前に、温家宝首相をアフリカに派遣したことだ。11月8日、温首相はカイロにアフリカ49ヵ国の代表を集め、対中債務の免除と、新たな100億ドルの借款を約束し、アメリカの度肝を抜いた。「遠交近攻」(遠くの国と組んで近くの国を攻める)とは、古代からの中国外交の常套手段だ。中国は、アフリカを取り込んで、国連を始め多国間外交においてアメリカを包囲しようという長期戦略を抱いているわけだ。

いずれにしても、世界を遍く巻き込む米中外交が、ますます「日本抜きで」進んでいくことだけは確かだ。。

◆宮崎正弘の国際ニュース・早読み 11月18日
http://www.melma.com/backnumber_45206_4675678/

米中新時代のどこか「新しい」のか。オバマ訪中の意義とは?
オバマの米国も「中国様」に平身低頭。「中美共治」という美辞麗句も登場

オバマ大統領の訪中は「多大な成果」を挙げられず、12年ぶりの「共同声明」を出して終わった。「戦略的信頼」を謳った米中共同声明の中味に新味はなく、1998年の米中共同声明を塗り替えただけのものである。
 これでは日本の媚中外交も霞んでしまいそう。

米国は人権批判もチベットもウィグルも議題に持ち出さず、唯一、共同声明に「人権で意見の相違がある」と文章化したのみ。

地球温暖化との協力を一応は提議したが、もっぱら専心したのは「人民元」「貿易不均衡」だった。ただし、北京での記者会見の席上、オバマは「台湾関係法」の維持を明確に言い切った。

「周到に慎重に手配された」(ヘラルドトリビューン、11月18日付け)中国訪問だったが、オバマがのぞんだ「民主活動家」「ブログの言論人」「学生活動家」らの対話は実現せず、上海でのタウン・ミィーティングは共産党が指名し、動員された「やらせ」の聴衆だった。
 中国のマスコミは、いつものように都合の良い報道しか許可せず、北京の学生は、上海で行われた大統領との対話集会を知らなかった。

「つまり自由民主をのぞむ学生、知識人との対話や軍視察、研究所視察というオバマの事前の訪問希望はすべて断わられ(警備の都合という理由がついた)、かわりに用意されたのが紫禁城と万里の長城見学。これで合計六時間。まるで観光旅行に終わった」(ディビッド・シャンボー、前ブルッキングス研究所シニアフェロー、IHT=11月18日コラム)。
 
 「中美共治」という傲慢な言葉が中国のマスコミに登場した。
文字通りに解釈すれば「G2」とは、中国と米国で世界を統治するという意味であり、ロシアもEUも、もちろん日本も入らない。
 「米ソ冷戦」から「米中共治」。
嗚呼、米帝国の衰退によって状況はかくも鮮明に変貌した。

(私のコメント)
米中関係の力の変化は今回のオバマ大統領の中国訪問でも現れてきている。アメリカは債務国であり中国は債権国なのだ。日本もアメリカに対する中国に次ぐ債権国なのですが、軽視されて全く相手にされていない。民間も含めれば日本はアメリカに対して400兆円以上のドル債券を持っており、それらが売りに出ればアメリカ経済は破綻する。

しかしアメリカは日本を軽視し中国を重視している。それくらい日本はアメリカにバカにされているのですが、そうさせているのは日本の政治家とマスコミだ。日本の政治家は田中角栄のようになりたくなければアメリカの言う事を聞けといった脅しに屈してアメリカに従属政治を行なってきた。中曽根政権や小泉政権のように対米関係がよければ長期政権となり、悪ければ短期政権になる。

アメリカに対する貿易摩擦問題でも、日本に対してはスーパー301条をかざしながら制裁を辞さない圧力外交できましたが、中国に対してはアメリカは及び腰だ。今回のオバマ訪中でも人権問題や民主化問題は全くスルーされて台湾との関係も中国は一つといった事が再確認されてクリントン大統領以上の媚中ぶりだ。

人民元のドルペッグに対してもこれと言った成果が見られず、貿易不均衡は酷くなる一方なのにオバマ大統領は「戦略的保証」と言った中国を喜ばせる美辞麗句を連発した。「戦略的保証」が何を意味するかは謎ですが、ステークホルダーをより強化したものだろう。アメリカの国力の衰えを中国の力を利用する戦略なのでしょうが、中国の周辺国にとっては迷惑な話だ。鳩山首相がアメリカ離れを模索するのは当然であり、米中の力関係が変化している以上は当然だ。

90年代頃まではアメリカの第七機動艦隊は中国の沿岸を悠々と航行する事ができましたが、今では米機動艦隊の周りには中国の潜水艦が出没するようになった。通常型の潜水艦でもリチウムイオン電池の実用化で1週間程度の潜行活動が出来るようになって発見が難しくなったのだ。その事によって南シナ海は中国の内海化している。

アメリカの軍事力はこれ以上の増強は無理であり、イラクやアフガンで陸上戦力は釘付けにされている。イラクやアフガンでアメリカ軍の陸上戦闘能力の限界を見せており、中国の周辺地域ではアメリカ軍は中国軍に勝つ事は出来ない。だから日本は今までならアメリカ様さま外交で用が済んでいましたが、アメリカは戦略的に東アジアから撤退せざるを得なくなっている。

そこで問題になるのが沖縄の普天間基地問題であり、鳩山首相の抵抗がアメリカ政府をビックリさせている原因だ。鳩山首相はアメリカ抜きの東アジア共同体を構想している。このような鳩山政権の構想はアメリカにとっては大きな痛手であり、「G2]構想そのものも成り立たなくなる事になる。アメリカが中国に「G2]と言えるのも日本がアメリカについていればの話であり、日本が中国に付けばアメリカは西太平洋インド洋から追い出される。

それでアメリカからゲーツ国防長官がやってきて日米合意を守れと高圧的な脅しをかけてきましたが、鳩山民主党政権はぬらりくらりと引き伸ばしを図っている。鳩山首相がこのような強気でいるのはアメリカの奥の院と裏取引があるからだろう。アメリカにしても東アジアから軍を退くには軍部の抵抗がある。それに対して日本政府が出て行けといえば軍縮派としては渡りに船だ。

アングロサクソンの伝統的な戦略は分断して統治する事ですが、中国をこのまま強大化して日本を弱体化させることはアメリカとしても得策ではないだろう。自民党政権時代のようにアメリカに従属的なら「思いやり予算」などでアメリカが直接関与できますが、鳩山内閣では「思いやり予算」も見直しの対象だ。「思いやり予算」がカットされれば米軍基地は縮小されていくだろう。

つまり日本の3000億円あまりの「思いやり予算」がアメリカの「G2」構想を支えるものであり、沖縄の普天間基地問題が今後の日米中の力関係を左右するものになりかねない。中国から見れば鳩山政権の動きは中国の超大国化に力を貸すものかもしれないが、中国にとっては痛し痒しであり、アメリカに対しては「思いやり予算」中国に対しては「ODA]と金で米中を操っている事になる。

◆中国は世界最強国になりうるか、鍵を握るのは日本の民主党政権? 9月7日 サーチナ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0907&f=column_0907_005.shtml

昨年あたりから、米中の2大国首脳が定期会談を行い国際社会をしきっていこうという「G2論」が一部米国の専門家の間で話題になり、チャイナメリカという言葉もできた。辛亥革命から約100年、新中国建国から60年。中国の大国崛起物語は最終章に入ったという見方は国内外で広がっている。

次期外相の岡田克也氏は「中国重視でいく」と言明している。アメリカと距離をはかり、米軍の太平洋におけるフォーメーションの要である沖縄の普天間基地を県外移設したい考えも持っている。これに加えて中国が着々とすすめている「真珠の首飾り」戦略(インド洋をめぐる港建設・増築計画、中国海軍の制海権強化が目的とされる)が完成した暁には、中国も米国と肩を並べる軍事的影響力をもつかもしれない。

かりに日本が中国の同盟国にでもなれば、今のアメリカの地位に中国を押し上げることは可能かもしれない。鳩山由紀夫氏が月刊誌に書いた“反米論文”に対して米国側が示した過剰なまでの反応は、日本人に自分たちがキャスティングボートを握りうる立場にあることに気付かせた、かもしれない。

問題は、独裁国家・中国がそういう形で世界最強国になったとしても、世界中の誰ひとり、日本人はもちろん中国人ですら、おそらく喜ばないだろうということだ。民主党政権はくれぐれも血迷わないでほしい。

(私のコメント)
「株式日記」ではアメリカが唯一の超大国でいられるのは日本がアメリカについているからであり、大英帝国が最強だった時も日英同盟が支えていた。もし日米が普天間問題で拗れて日米同盟が解消されればアメリカは急速に超大国の地位から転落していくだろう。中国はドルの基軸通貨体制を批判しているし、日本もそれに同調すればドルは紙切れになる。それくらいアメリカにとっては日中が同調する事は脅威になる。

アメリカ政府が必要以上にナーバスになっているのは鳩山首相が何を考えているかが読めないからだ。鳩山首相はもともと自民党議員であり自民党と同じと考えていたのだろう。しかし鳩山論文を読めば自民党とは異なり脱アメリカの政策だ。日米同盟が機軸とは言っても敵にはならないと言う意味だけだ。90年代からの日本軽視と中国重視の政策が日本のアメリカ離れを促すものであり、アメリカの中枢にはこのような考えがあるということだ。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/23 09:31

【24】アジア政治経済掲示板から転載貼り付け

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 学問道場の隠れ掲示板群はどうやら復活しそうにないので、アジア政治経済掲示板も諦めてそのうち消える前に、私の文章を投稿順にまとめてこちらに移して保存しておきます。

 アジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。

 【佐藤裕一による転載貼り付け始め】

[1431] 「アジア政治経済掲示板」の再出発 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/08(Thu) 07:00:02

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 この「アジア政治経済掲示板」の管理人さんは、現在でも[1]を書いた岐丸さんというかたなのでしょうか。単純にワード検索をかけると、2003年11月あたりが岐丸さんの最後の投稿のようですが、もしくはハンドルネームを変更されているのでしょうか。現在の管理状態は、どなたがどのようにされているのでしょうか?

 掲示板への書き込みが[1430]の2008年8月23日からストップしているのは、学問道場サイトトップの表面に、掲示板入り口が表示されていないからでしょう。詳しい経緯は存じ上げないのですが、レイアウトの改変や一部掲示板の削除などがあった際に、表示されなくなったのでしょうか。

 今はサイト上部のプルダウン選択項目からわざわざ入ってこなければなりません。非常に億劫な作業で、しかも今は基本的に会員しか投稿出来ませんから、これで過疎化しなければ嘘です。学問道場には既に死んだ掲示板や幽霊掲示板が結構あります。

「読者からの個人メールの転載掲示板」の[495]でも書きましたが、他にもトップに入り口が表示されない、主要掲示板に含まれない各掲示板があります。トップの掲示板一覧下の空白部分にはまだまだ余裕があり、全部表示しても余りそうです。入り口を少し増やして表示したところで容量を大量に消費するとも思えません。今からでも一旦全ての掲示板を表示した方がいいのではないでしょうか。

 それらの中には確かに理解に苦しむ内容の掲示板があります。過去ログだけ保存して、後は閉鎖して整理処分した方がいいような掲示板がありますが、放棄していなければ管理者の判断次第でしょう。

 もしくはシステムを担当している人が直接作業を行うのでしょうか。半ば形式上は管理者であっても、実質上放置している場合もあるでしょう。もしくは始めから管理者が会員ではなかったか、管理権限の引継ぎを行わないまま会員としては退会してしまい、管理者不在になっている可能性も考えられます。

 他にも、主題が他と重複していて書き込みが分散してしまっている掲示板、主に文献情報を保存するための掲示板、そして設置当初の意義が薄れてきてしまった掲示板など、頻繁に投稿・閲覧する性質が低い掲示板もあります。

 ところが逆に設置当初と比較すると、むしろその意義が大きくなってきたように見える掲示板もあります。今、アジアがどんどん重要になってきて、世界政治と世界経済の中心に近付いてきています。この「アジア政治経済掲示板」は存在意義があるのではないでしょうか。あるいは、アジアの政治と経済は単発で掲示板を立てる程の論題ではない、という考えもあるでしょうけれども。

 私はサイトトップの主要掲示板一覧に「アジア政治経済掲示板」を加える事を希望します。掲示板の管理人さん、いかがでしょうか。

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[1432] 大トルキスタン国家 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/09(Fri) 00:03:28

 会員番号4655の佐藤裕一です。
 2002年当時の当掲示板にあった投稿記事が目に留まりましたので転載・再掲載します。もう7年経過しているのに、カザフスタンのナザルバエフ大統領もウズベキスタンのカリモフ大統領も、いまだに現職です。

 大トルキスタン構想は、イスラム教の宗教的連帯というよりも、トルコ系の人種的連帯という視野から見た国家統合、国家建設構想のようです。ただ中央アジア地域諸国に限るとは思います。対外政治的な、外交上の一種の牽制で、アメリカやロシアなど上から政治的に干渉してくる諸勢力に対して、理念・理想を表明しておくという事だったんだとは思います。

 これから中央アジア諸国が統合されて、大トルキスタン国家が誕生する可能性はあるのでしょうか。まだ近代国家制度が出来てからですらそんなに経っていないし、中央アジア諸国は旧ソ連から独立してからも20年も経過していません。彼等の国家意識は固まっているのでしょうか。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

[609] 大トルキスタン構想 投稿者:Rss-K 投稿日:2002/09/13(Fri) 17:52:53

このニュースは、個人的には、けっこう重要かも
と思いましたが、国内の主要紙では見かけなかったなぁ…
(貼り付け開始)

http://www.worldtimes.co.jp/w/rosia/news/020910-064704.html

大トルキスタン構想が浮上、現実化に
カザフスタン大統領、ウズベキスタンとの将来の統合を表明

 【モスクワ9日大川佳宏】カザフスタンからの報道によると、同国のナザルバエフ大統領は九日までに、「カザフスタンとウズベキスタンは将来的に統合する必要がある」と述べ、両国統合に向けた意向を表明した。首都アスタナで行われたカザフスタン、ウズベキスタン両首脳の共同記者会見で明らかにしたもの。

 ナザルバエフ大統領は「われわれは両国の友好だけでなく、両国民の将来を考えなければならない」と統合の必要性を強調。一方、ウズベキスタンのカリモフ大統領は「これは専門家による慎重な協議の結果であり、両国は歴史的な合意に達するだろう」と述べている。

 タジキスタンを除くカザフスタン、ウズベキスタンなど中央アジアの国々はトルコ系民族が主体であり、民族作家や一部文化人などの間で、これら国々を統合する大トルキスタン国家建設が唱えられている。

(貼り付け終了)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 ウズベキスタン国内の西部には「カラカルパクスタン共和国」という自治共和国があるそうです。身の回りで話題に上ったのを聞いた事がありません。中央アジアは、まだまだ日本人には馴染みも薄いし興味関心も低い地域なのでしょう。

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[1433] アジアから世界の平和に貢献するカザフスタン共和国 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/09(Fri) 17:00:03

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 カザフスタンは世界で9番目に大きい国らしいです。それでは阿修羅掲示板から転載します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

アジアから世界の平和に貢献するカザフスタン共和国

http://www.asyura2.com/09/asia13/msg/408.html

投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 8 月 25 日 21:27:09: YdRawkln5F9XQ

http://www.yomiuri.co.jp/adv/kazakhstan2/

議長のコメント

文明間の対話・時間の論理

わが国は独立以来、宗教人と宗教全体に対する姿勢を根本的に変更し、「信仰と宗教団体の自由に関する」法律を旧ソ連諸国で最初に採択しました。40宗派に属する130民族集団の代表がカザフスタンで平和的に共存しています。この点で、アスタナが多様な宗派指導者たちの対話のための会合場所と開催指定地になったことは偶然ではないのです。

カザフスタンで世界伝統宗教の指導者たちの会議を主催するというヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の構想は、世界中の地域社会から広く支持されました。このフォーラムの目的は、世界伝統宗教の普遍的指導原理を探求すると共に、多様な信仰と文明間の対話の促進のために定期的に活動する国際的宗派間機関を確立することです。

「宗教の対話から文明の和解まで」と題する第1回会議が2003年9月にアスタナで開催されました。イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンズー教、道教およびその他宗派を代表する17宗教団体がフォーラムに参加しました。参加者の善意とフォーラムの人道的考え方には世界中から賞賛が集まりました。

その3年後、第2回サミットがカザフスタン首都に特別に建設された平和と協調の宮殿で開催されました。この重要な宗派間フォーラムには、欧州、アジア、中近東、アフリカから29宗教代表団が集いました。
神社本庁統理久邇宮邦彦王が率いる日本代表団も会議に出席しました。国家、国際団体、宗教指導者からの挨拶に加え、全日本仏教会理事長安原晃師からのメッセージも受け取りました。

第2回会議の議題は、宗教間のパートナーシップの育成に重点が置かれました。フォーラムへの挨拶で、ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、近代文明の価値を守り向上させるパートナーシップ強化の必要を力説しました。

大統領は、ほとんどすべての大陸で時折生じる複雑な争いは、政治や武力による手段だけでは解決できないことを強調しました。この点、大統領は、近代世界の異宗教間対話に関する原理の概要を示し、これは会議で採択された共同公式文書「宗教間対話の原理」に盛り込まれました。

それらは総じて、相互理解の原理と位置付けることができます。すなわち、対話は、誠実、忍耐、謙遜、相互尊重に基づくべきであり、その最も重要な原理は、他者の神聖な分野へ侵入することを意識的に放棄することです。

ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、「イランの聖職者とイスラエルのラビ(師)、インドとパキスタンの精神的指導者、その他宗教界の大物の代表たちが1つの交渉テーブルに就き、その会議で起きた精神世界の指導者たちの対話が、際限ない争いに巻き込まれたすべての人たちの間で開催されるなら、相互理解と和睦は間もなく達成されるでしょう」と語りました。

第2回会議において、「対立のイデオロギー」を「平和の文化」に代えるという世界のニーズを反映した共同宣言が採択されました。宗教界の指導者たちは、文明の不可避な衝突という神話を克服し、宗教間のパートナーシップを強化して、近代世界に異宗派間対話の共通原理を適用すべきであることを全員一致で認めました。
アスタナの精神的指導者会議は、多様な宗派代表者が建設的な努力を結集する試み全てが、宗教の相互理解と協力に向けた一歩であり、世界の緊張克服に大いに役立つとことを理解し、知る一助となりました。

日本代表団の一員である薗田稔がこうした考え方を支持し、大いに賞賛したことを知り嬉しく思っています。彼は、アスタナで始まった宗派間対話をあらゆる国で継続すべきであると強調しました。

カザフスタンがすでに2回の宗教指導者会議を主催したことは、注目に値します。それは、広く複雑な地政学的地域において、忍耐と協調の見本となる国が平和と安定の確保に決定的要因となることの強力な証拠です。これに関し、ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、国連での演説で、この重要な組織の主催による世界伝統宗教指導者の第3回会議を開催するよう提案しました。

2010年を文明和解の国際年と宣言するカザフスタンの新イニシアティブは、2008年1月にマドリッドで国連が主催した第1回文明間同盟フォーラムで賞賛されました。昨年11月、国連総会で国連組織の参加と技術的支援による第3回会議を開催する決議が採択されましたが、これは国際紛争を解決し、グローバルな脅威に対処し、外国人嫌いと不寛容を克服する世界の宗教の精神力活用に向けたさらなる一歩でした。

7月初め、世界の宗教指導者たちは、カザフスタンの首都で第3回会議を開催し、忍耐、相互尊重および協力の世界を構築する問題について議論します。日本側がアスタナでこの重要なサミットを開催するイニシアティブを支持してくれたことを感謝しています。
カザフスタンと日本は、あらゆる形とマニフェストで民族宗教的過激主義も受け入れず、かつ阻止していますが、これは私たち両国民の日常生活の規範となっていることは言及に値します。たとえば、異民族間と異宗派間の協調に関するカザフスタン社会の原理は、相手側宗教の信条を排除しない忍耐を説く、仏教と神道という2つの宗教を共存する日本のユニークな経験と一致します。

日本代表団の一員である薗田稔がこうした考え方を支持し、大いに賞賛したことを知り嬉しく思っています。彼は、アスタナで始まった宗派間対話をあらゆる国で継続すべきであると強調しました。

ユーラシアの中心と大陸中央部に位置し世界で9番目に大きな国であるカザフスタンは、アジアとヨーロッパをつなぐ懸け橋です。このことが、わが外交を形作り、バランスのとれた政策アプローチを選択する決定的要因となっていました。

それが、独立早々にわが国が平和外交の原理遵守を宣言し、国の安全保障を確保する問題と、宗教と世界の双方における相互信頼と協力の環境を作り出す問題とを結びつけてきた理由です。

わが国は、国際社会の責任ある一員であることを証明しました。つまり、カザフスタンは、自主的に世界で4番目に大きな核兵器工場を放棄し、世界最大のセミパラチンスク核実験場を閉鎖しました。こうした前例のない運動は、国際安全保障の向上に貢献し、一般国際社会とりわけ日本から賞賛されました。

カザフスタンは、欧州、北米、中央アジアの56カ国からなる欧州安全保障・協力機構(OSCE)の今後の議長職を、多極化した世界において安全保障構造モデルを求める重要な一歩であると見ています。欧州安全保障とカザフスタンを欧州機構に段階的に統合する機会の実現を支持するため、文明化された東西の一部である「欧州に向う道」プログラムが策定されました。

わが国は、偉大なシルクロードを回復するこの途上にある分裂路線を排除するため、一致協力し努力してきました。
カザフスタンと日本は強い関係で結ばれており、その特徴として、相互尊重および友好、パートナーシップ、協力に対する情熱があります。

カザフスタンの統合プロジェクトと核不拡散条約加盟ならびにアジアで交流・信頼創出対策会議を開催する私たちのイニシアティブを支持する日本の積極的姿勢は、両国が同様のアプローチを持つことを証明しました。さらに、日本は、カザフスタンが国連安全保障理事会の非常任国として日本選出を後押しした事実を歓迎しました。

カザフスタンと日本の緊密な協力を促進する日本のユーラシア外交の論理的継続は、核兵器不拡散、民主主義および安定化を通じ、地域における政治的対話と経済協力の進展、平和の推進を目的とするシルクロード外交でした。

2008年6月、ヌルスルタン・ナザルバエフ・カザフスタン大統領による日本公式訪問は、両国関係を著しく強化しました。訪問中に、軍縮進展に対する傑出した貢献、国際安全保障と平和、忍耐および国際的調和強化に関する世界的イニシアティブに対し、国家元首に日本の最高位の勲章、大勲位菊花章が贈られました。

日本国天皇には、両国間の友好と相互理解強化への貢献に対し、外国指導者に付与されるカザフスタン最高位の勲章、アルチン・キラン章が贈られました。

カザフスタンと日本の貿易と経済協力は増大してきました。カザフスタンの首都の基本計画は日本の著名な建築家、黒川紀章が設計し、またアスタナ国際空港は日本の援助で建設されました。

議会間の連携も強化されてきました。わが国の意向に十分沿う国会議員からなる推進会議である、カザフスタン・日本議会同盟は、10年以上活動してきました。
同時に、カザフスタン上院には日本との協力に関するグループがおり、下院であるマジヒリスが同グループを設置しました。

第3回世界伝統宗教指導者会議に招待された神社本庁と全日本仏教会の指導者、江田五月上院議長を迎えることを楽しみにしています。

カザフスタンと日本の緊密な協力を促進する日本のユーラシア外交の論理的継続は、核兵器不拡散、民主主義および安定化を通じ、地域における政治的対話と経済協力の進展、平和の推進を目的とするシルクロード外交でした。

きたるアスタナのフォーラムに向け周到な準備を行ってきました。世界伝統宗教の指導者と代表者、欧州、アメリカ、アジア、アフリカ、中近東からの名誉あるご来賓が活動に参加します。成熟した対話の促進と、フォーラムで採択される勧告の策定を手伝う参加者の中に著名な政治家たちもおりますから、きたる会議はこれまでとは異なるものになるでしょう。

フォーラムに先立つ会議事務局の会合では参加者からのすべての提案を検討し、会議では、忍耐、相互尊重、協力の世界を構築する宗教指導者の役割に関する問題を議論することに決定しました。部会の名称は「道徳と精神的価値、世界倫理」、「対話と協力」、「特に危機の時代における連帯」です。

こうして、カザフスタンの首都は、国際的議題の最も切迫した課題に関する世界宗派代表者の対話のための、伝統的開催指定地になりつつあります。きたるフォーラムは、忍耐、相互理解、対話と協力の原理を強化する国際社会の努力にもちろん貢献し、地球の平和と協調を推進する着実な一歩となるでしょう。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

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[1434] マハティールと東アジア経済共同体 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/09(Fri) 18:15:47

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 東アジア経済共同体について実質上の元祖提唱者である、マレーシアのマハティール元首相が当然支持しています。オーストラリア、ニュージーランドの除外は実にマハティール氏らしいですね。

 共同通信の記事を転載します。

(転載貼り付け始め)

2009/10/08 – 9:31

東アジア経済共同体の実現に期待

 【クアラルンプール共同】マレーシアのマハティール元首相は7日、共同通信のインタビューに応じ、東アジア共同体構想を掲げる鳩山由紀夫首相の下で日本外交が「米国の支配」を脱し、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国による「東アジア経済共同体」の実現に指導力を発揮するよう期待を表明した。同氏は鳩山首相がアジア重視や対等な日米関係を掲げていることを「支持する」と言明した。

共同通信社

http://www.swissinfo.ch/jpn/news/international/detail.html?siteSect=143&sid=11323319&ty=ti&positionT=2

(転載貼り付け終わり)

 次に東京新聞の記事を転載します。

(転載貼り付け始め)

日本の米支配脱却に期待 マレーシア元首相

2009年10月8日 17時00分

 インタビューに答えるマレーシアのマハティール元首相=7日、クアラルンプール近郊(共同)

 【クアラルンプール共同】マレーシアのマハティール元首相(83)は7日、クアラルンプール近郊で共同通信のインタビューに応じ、東アジア共同体構想を掲げる鳩山由紀夫首相の下で日本外交が「米国の支配」を脱し、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国による「東アジア経済共同体」の実現に指導力を発揮するよう期待を表明した。

 政治、経済など幅広い分野で連携し、東アジアの共存と繁栄を目指す同構想は、マハティール氏が1990年代初めに提唱した「東アジア経済会議(EAEC)」が原型。同氏は鳩山首相がアジア重視や対等な日米関係を掲げていることを「支持する」と言明し、「われわれは日本が米国に支配されているとの印象を持っていた」と述べた。

 東アジア共同体の枠組みについて、日本の前政権などは中国の影響力を薄めるため、ASEANプラス3(日中韓)にインド、オーストラリア、ニュージーランドを含めるよう主張。これに対し同氏は「オーストラリアとニュージーランドは除外するべきだ。欧州人の国で政策も欧州諸国と同じ。心はアジアにない。含めれば、米国主導のアジア太平洋経済協力会議(APEC)と同じになる」と強調した。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009100801000486.html

東京新聞

(転載貼り付け終わり)

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[1435] 核使用条件緩和 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/16(Fri) 05:50:15

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 地域紛争などの局地戦でも核兵器を使用したとなると、ロシアは原爆投下国としてアメリカと道義上同列になってしまうので、実際には使用しないと思いたいのですが。

 紛争地域といってもチェチェンなどで爆発させるのは、国内で使ったという事なので内戦という事になりますから自国民大量虐殺になります。独立を認めないという理屈からいえば、チェチェン人は自国民という事になるはずですから。いくらロシアが歴史的に虐殺と粛清慣れしているといっても、時代が違います。

 それにしてもこの時期に核による先制攻撃を国是とするとは皮肉としか思えませんね。アメリカも先制攻撃の方針を正式には撤回していないと思いますので対抗上そうなりますから、アメリカ政府には批判する資格がありませんから。

 Yahoo!ニュースから転載します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091014-00001110-yom-int

露が核使用条件緩和へ、地域紛争で先制攻撃も

10月14日22時49分配信 読売新聞

 【モスクワ=緒方賢一】ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記は、14日付のイズベスチヤ紙に掲載されたインタビューで、年内にメドベージェフ大統領に提出する新軍事ドクトリンでは、核兵器による先制攻撃を行う条件として地域紛争への対応を新たに加える方針を明らかにした。

 核を使用する条件を緩和するもので、核廃絶を求める国際的な流れに逆行するとの批判を招くことになりそうだ。

 軍事ドクトリンは国防政策の基本文書。ロシアは現行ドクトリンで、自国や同盟国が核をはじめとする大量破壊兵器による攻撃を受けた場合と、通常兵器による大規模な侵略を受けた場合に核を使用できる、と明記している。

 地域紛争でも核兵器を使用する可能性を警告することで、ロシアは南オセチア問題で敵対するグルジアなどに対し、軍事的な圧力を高める狙いと見られる。

最終更新:10月14日22時49分

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

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[1436] 人文学の分類の中では歴史学が最も大切 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/25(Sun) 22:49:50

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 私が岡田英弘先生の事を知ったのは、副島隆彦先生の著作を通してでした。その名前をはじめて意識して目にしたのは、『属国日本論を超えて』(副島隆彦著、五月書房刊、二00二年九月一0日第二刷発行)の文章からです。思い出深いこの本が副島先生の著作とのはじめての出会いだったので、間違いありません。当時は岡田先生の本はもちろん1冊も読んだ事がありませんでしたので、優れた歴史学者であるという、それだけの情報しか知りませんでした。

 私はその後、副島先生の本を貪り読むようになりました。それから段々と他の人の本を読む際には、副島先生が高く評価する人物の本や、推薦なさっている本を読むようになりました。私は遅読なので、自分の人生時間の事もありますし、どうしてもそうなってしまいました。小林よしのり氏の漫画は読まなくなりました。

 副島先生の本を読むにつれ、先生のそのまた先生・師匠である数少ない人物の中で、小室直樹先生の著作はかなり大量に購入出来ましたので、手当たり次第読みました。故・片岡鉄哉先生の著作は目にとまる事が少なく、また吉本隆明先生の著作は当初から読む気になりませんでした。

 それで岡田先生の著作は読んでいるかというと、何とも中途半端でお恥ずかしいのですが、数えてみたら現時点でたったの計5冊でした。

1 『日本史の誕生 千三百年前の外圧が日本を作った』(岡田英弘著、弓立社刊、一九九四年一0月三一日第一刷) 初版ですっ!! ……大きい声では言えませんが、某新古書店最大手で入手致しました。岡田先生、申し訳御座いません。そして手放した以前の持ち主よ、ありがとう。

2 『この厄介な国、中国』(岡田英弘著、ワック出版刊、2001年12月10日第2刷)(クレスト社刊『妻も敵なり』の改訂版)

3 『やはり奇妙な中国の常識』(岡田英弘著、ワック出版刊、2003年8月8日第3刷)(新書館刊『中国意外史』の改題・改訂版)

4 『誰も知らなかった皇帝たちの中国』(岡田英弘著、ワック出版刊、2006年9月21日初版発行)(原書房刊『皇帝たちの中国』の改題・改訂版)

5 『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(岡田英弘著、ワック出版刊、2007年5月24日初版発行)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

 以上です。岡田先生の全著作はリストアップしていますので、遅きに失した感は否めませんが、これからでも手に入れて読んでいきたいと思います。特に『世界史の誕生』(単行本と文庫版がある模様)という本が、題名からしてかなり気になっているところです。

 さて1の『日本史の誕生』なのですが。どうも何年か前の私は、最初に『日本史の誕生』を読んだ時に、そのもの凄さがピンと来なかったようです。おそらく岡田先生の記述の仕方がかなり学術的だった事もあると思いますが、私の頭脳の方が追いついていかないため、その壮大さに気付けず通過してしまい、よく全体を把握して理解出来なかったのだと思います。

『日本史の誕生』を読み返すのも課題なのですが、凄すぎる本というものは読み進め易いとは限らないわけです。そこで読み返すにしても、もっと手頃な本から徐々にの方がいいなぁと思いまして、今所有している中で探しました。2の『この厄介な国、中国』と3の『やはり奇妙な中国の常識』は岡田先生の中国本ですから、これはどうしても岡田先生の中国嫌いが前面に出てしまいます。

 4の『誰も知らなかった皇帝たちの中国』は中国本ですが、岡田先生の専門であるモンゴル史や満州との関わりがありますので、また読んでみようと思っています。そして5の『日本人のための歴史学』も中国の話がかなりを占めているようですが、読者向けに歴史学を説明しているようなので、1つの教科書としていいのかなと思っています。

 近年、副島先生は共著も含め歴史関係の著作と歴史漫画を世に出しています。最近になって歴史学が大切だとおっしゃっていたと思います。歴史学は人文学の1つの分野です。それでも人文学の代表である文学始め言語学、教育学、芸術学その他一般教養と比較してみると、歴史学はおおいに学ぶ価値を見出せます。個人にとっても全体にとっても、本当の歴史が認識されれば大変に有益であると思います。

 この学問道場には「岡田英弘歴史掲示板」がありますが、私はあの掲示板の表示方法がどうも苦手なので、この「アジア政治経済掲示板」に投稿したいと思います。

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[1437] 歴史とは言葉であり、決して、外界に存在する実体ではなく、何かの事件が起こったときに成立するものでもない。 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/26(Mon) 00:06:35

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『日本人のための歴史学』で岡田先生は、最初の著者の言葉の欄から、いきなり「歴史とは何か」とぶっています。さすがです。

『日本人のための歴史学』から著者の言葉全文を引用します。

(引用始め)

 歴史とは言葉であり、決して、外界に存在する実体ではなく、何かの事件が起こったときに成立するものでもない。歴史を創るのは英雄でも人民でもなく、歴史家である。歴史家が文字を使って世界を記述したときに、歴史が創り出されるのである。その意味で、歴史は思想であり、文化の一種である。

 著者

(引用終わり)『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(岡田英弘著、ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、引用個所は表紙の著者の言葉)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

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[1438] 考古学は歴史ではない 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/28(Wed) 17:35:12

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 岡田先生の『日本人のための歴史学』では、「はじめに」で考古学と歴史の違いを明快に説明しています。副島先生も歴史の話題になると折に触れて、歴史学と考古学の区別を書かれています。歴史学も考古学も、ともに人文(ヒューマニティーズ)に属するとはいえ、その中でも明確な違いがあるということになります。

(引用始め)

 考古学は歴史ではない――はじめに

「魏志倭人伝」にでてくる、有名な邪馬台国の話を読むと、だれしも、いったい考古学者はどうしているんだ、と思いたくなる。 

(中略)

 ここでは、邪馬台国の位置問題をとりあげよう。

 これには、二つの派がある。一つは畿内大和説であり、一つは北九州説である。

 日本で一番古い史書の『日本書紀』の編者は、もちろん畿内説であったと見えて、その「神功皇后紀」の三十九年(西暦二三九年)、四十年(二四0年)、四十三年(二四三年)の項に、なんにも断らないで『魏志』(通称「倭人伝」を所載する史書)を引いているし、六十六年(二六六年)の項には「普起居注」を引いて、「倭女王遣重訳貢献」としている。

 しかし「魏志倭人伝」の本文を見ると、実はこの間の二四七年には卑弥呼は死んで、台与が立っている。だから二六六年の「倭女王」は卑弥呼ではないことになるが、『日本書紀』はその矛盾をほっかぶりしている。

(中略)

 ここに日本の特殊事情がからんでいて、考古学者といえども、多かれ少なかれ、文字の史料に縛られているのだ。

 日本では、文字を刻んだ遺物が出ることは、まずない。あくまでも、土器や石器の出土だ。土器も、石器も、いやというほどふんだんに出るが、それに伴って、文字らしいもの、銘文らしいものが出ることは、めったにない。

 それに反して、『日本書紀』や『古事記』の確固たる伝承がある。あまりに確固としているので、ついついそれに頼りたくなる。『日本書紀』の紀伝には批判的でも、その伝承には、いくらか態度に差があっても、多かれ少なかれ、利用せざるを得ない。

(中略)

 いままで日本の考古学は、「大和朝廷」などという、『日本書紀』の主張に煩わされ過ぎた。もういい加減に、『日本書紀』を卒業するべきときだ。

 そういうわけで、『日本書紀』の歴史のイメージをさっぱりとぬぐい去って、あらためて考古学の成果だけを問題にする。それはなかなか大変だが、考古学者として、そうするのが正しい態度というものである。

 そこでさっき言った、日本では文字を刻んだ遺物がほとんど出土することはない、ということが問題になる。それは天武天皇陵や、持統天皇陵でもそうだ。ましてそれ以前の陵墓は言うまでもない。

 結局、考古学は歴史の史料にはならない、と言わなければならない。

 考えてみたまえ。考古学は物を扱う学問だ。考古学が扱う土器や石器は、それに文字が刻んでない限り、だれの物やらわからない。かりに名前があったとしても、その名前を持つ人が、どういう言葉をしゃべっていたのか、どの社会のどういう集団に所属していたのか、その集団のなかで何をしていたのか、その集団がよその集団にどのように見られていたのか、およそ見当がつかない。ただ土器や石器が、どのようにして発展してきたかがわかるだけである。

 例えば縄文時代が、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六期に分かれる。といっても、その分け方は縄文土器の形式によるものである。その途中にどんな重大な事件が起こっても、それが外敵の侵入によるものであっても、土器の形式に変化がない限り、時代の分け方には反映しないわけだ。 

 そこへ来ると、歴史は、文字で書かれた史料をもとにしている。文字史料は、土器・石器と違って、社会の有り様を記録する。これがつまり、歴史上そのものである。

 そういうわけだから、考古学は歴史ではない。考古学は考古学で、独立した学問である。

(引用終わり)『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、岡田英弘著、9、11~14項)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

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[1439] 専門化・細分化の害毒 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/28(Wed) 18:16:07

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『日本人のための歴史学』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。

(引用始め)

 専門化・細分化の害毒

 それはともかく、幸か不幸か、日本の学問一般の特徴の一つである過度の専門化・細分化のおかげで、「社会経済史」でも時代別の分化が極度に進んでいて、漢代なら漢代だけ、唐代なら唐代だけ、宋代なら宋代だけ、明代なら明代だけでそれぞれ閉鎖的な学界が出来上がってしまっていて、それぞれの内部だけでしか通じない符牒を使って、いとも瑣末の問題を論じ合うようになってしまっている。

 そのためいつのまにか、こうした問題はこの時代はこの時代だけの特色なのだ、と何の理由もなく思いこむようになり、例えば明代の兵制の特色とされる軍戸・民戸の区別は、清代にもあれば元代にもそうであり、宋代も同じなら唐の府兵制だってやはり変わりなく、その他少なくとも三国までは全然変わりなく遡れるものだ、ということにも仲々気がつかないし、均田制にしてからが秦から清に至るまで、いや人民共和国でも、歴代施行された、ごく当たり前の制度であって、何も隋・唐の特徴ではないことも、皇帝の独裁権が強いのも何も宋代に始まったわけではないことも、まるで分かっているとは思えない。

 中国では秦の始皇帝以来、今日に及ぶまで、何ひとつ変わりもしなければ進歩も発展もしていないこと、世界の他のどの国とも同じであって、ただ一つ時代とともに変わったことと言えば、人口の増加のために都市化と環境の破壊が進行したことだけである。

 ともかく「東洋史」を構成するいろいろな要素は、ここに列挙したように、どれもこれもわれわれにとって最も重大な問題である中国とその文化の核心に迫るものではない。

(引用終わり)『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、岡田英弘著、29、30項)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

 ↓の[1438] 引用文の終わりから2文目、「歴史上そのものである。」は誤りです。「歴史そのものである。」が正しいです。失礼致しました。

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[1440] 日本は世界の一部 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/29(Thu) 15:52:32

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『日本人のための歴史学』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。傍点は省きます。

(引用始め)

 それに不都合なことに、「世界史」には、今や「国史」から改称された「日本史」が含まれないのである。これは「東洋史」と「西洋史」が合体したのだから当然だが、その結果は、日本抜きの世界を日本の学校で日本人が学習する、というこになってしまう。まるで日本は世界の一部ではないみたいであり、日本は世界史に何の関係もなく、何の影響も与えない、あってもなくても変わりない存在であるみたいではないか。

 これは単に、世界における日本の位置が不明瞭になる、というだけのことではない。世界に限らず、歴史に限らず、およそどんなものにも観点というものがある。世界史を叙述するのに、どこ中心でもない、人類全体に共通、普遍妥当の世界観に立つ、などと言うのは、もし意識して主張する人があれば狂人に相違ない。イギリス人にはイギリス人、フランス人にはフランス人、ドイツ人にはドイツ人の、それぞれ自国民の歴史的立場を中心としての世界があり、それを不完全にミックスして出来上がったのが「万国史」であり、それに基づいたのが「西洋史」であってみれば、今の「世界史」の西の部分が近東=ギリシア=ローマ=ゲルマン=英・独・仏「正統」論に立っているのも不思議でない。

(引用終わり)『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』(ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、岡田英弘著、33、34項)(弓立社刊『歴史の読み方』の改題・改訂版)

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[1441] 中国の「皇帝」とは何か。「皇帝」と「アウグストゥス」の違い 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/30(Fri) 19:26:33

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『誰も知らなかった皇帝たちの中国』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。

 (引用始め)

 中国文明には、もっとも基本的な要素が三つある。「皇帝」と、「都市」と、「漢字」である。このなかで最重要の要素はもちろん皇帝なのだが、この、皇帝という言葉自体が誤解を招きやすいので、ここでひとこと説明しておきたい。

 日本のヨーロッパ史学界では、「古代ローマ帝国」や「ローマ皇帝」という言葉を何気なく使っているが、ここに用語の混同があり、世界史の複雑な問題を含んでいるのである。

 厳密に言うと、古代ローマには「皇帝」はいなかった。したがって、古代ローマを「帝国」と呼んでも、それは「皇帝が統治する国家」がという意味ではない。

 古代ローマの初代「皇帝」として君臨したのはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の甥のガイウス・オクタウィウス(伯父の養子になってガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと改名)だが、彼の正式な称号は「アウグストゥス」であって、「インペラートル」(英語のエンペラーの語源)ではなかった。

「アウグストゥス」とは、内戦に勝ち残ってローマ市を制圧した将軍に対して元老院が捧げる称号である。ローマの長老会議にあたる元老院には法律を制定する権限があるが、アウグストゥスは元老院で議員の最上席を占め、元老院の審議で決まらない事項はアウグストゥスに決裁を仰ぐことになっていた。つまりアウグストゥスの本質は「元老院の筆頭議員」であって、元老院があってはじめてアウグストゥスが存在するのである。

 これにひきかえ中国には、ローマの元老院にあたる機関が存在したことはない。この点でそれ自体が中国世界の中心である「皇帝」は、ローマの「アウグストゥス」とはまったく性質が異なるのである。
 
 それにもかかわらず、十九世紀の日本の学者が「アウグストゥス」を「皇帝」と訳したのは、先祖代々慣れ親しんできた中国史の枠組みでヨーロッパ史を理解しようとしたための誤訳だった。

 では、中国の皇帝とは何か。これについて詳しく述べていくことにする。

 皇帝の「皇」という字は、火偏をつけると「煌々」の「煌」になるのでわかるように、きらきらと光り輝くという意味がある。

 いっぽうの「帝」という字は、下部(脚)に「口」を加えれば「敵」「嫡」「適」などの旁となる。「帝」のもともとの意味はこれらの字と同じで、「対等の相手」という意味をもつ。このことからわかるように、「帝」の本来の意味は「配偶者」である。

 では「帝」が配偶者だとすると、相手は誰になるのだろうか。ここで、中国世界の成り立ちに触れる話になってくる。

(引用終わり)『誰も知らなかった皇帝たちの中国』(ワック出版刊、2006年9月21日初版発行、岡田英弘著、19、20項)(原書房刊『皇帝たちの中国』の改題・改訂版)

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[1442] 「皇帝」という称号の誕生 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/30(Fri) 19:28:04

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『誰も知らなかった皇帝たちの中国』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。

(引用始め)

 諸王国を平定し、天下を統一した秦王政が自分にふさわしい称号をつけるために臣下たちと相談したくだりが、『史記』の「秦始皇本紀」にある。

 臣下が答えて言うには、
「いにしえには天皇があり、地皇があり、泰皇があり、泰皇がもっとも貴かったと申します。臣らは恐れながら尊号をたてまつり、王を『泰皇』とし、そのお言葉は『制』とし、その御命令は『詔』とし、天子の自称は『朕』といたしたく存じます」

 これに対して秦王は答えた。
「『泰皇』の『泰』を取り去り、『皇』を着け、これにいにしえの『帝』という称号を取り合わせて、『皇帝』という称号にしよう。そのほかは答申通りにする」

 ここにはじめて「皇帝」という新しい称号が誕生したのである。

(引用終わり)『誰も知らなかった皇帝たちの中国』(ワック出版刊、2006年9月21日初版発行、岡田英弘著、23、24項)(原書房刊『皇帝たちの中国』の改題・改訂版)

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[1443] 皇帝は中国最大の「資本家」だった 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/10/31(Sat) 00:00:02

 会員番号4655の佐藤裕一です。

『誰も知らなかった皇帝たちの中国』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。

(引用始め)

 都市でいちばん重要な場所は、中央に位置する県役所と市場である。夜が明けて城門が開くとともに市場も開いて人が集まり、交易は正午で終わった。市場の入場料が商税で、これが皇帝の収入となる。地方の県では、首都から送られた商品や、城内で生産された商品を市場で交易して、その地方の特産品を集めた。地方の特産品は首都の市場に送られ、各地から集まった商品との交易が行われた。こうした商品にかけられる商税は、皇帝の収入になった。また、国内の要地には関所があり、そこを通る商品にかけられる関税も皇帝の収入になった。

 皇帝は中国最大の資本家である。資金が必要な者は皇帝が開いている窓口へ行き、金を借りることができた。もちろん高利貸しであるから金利は高い。

 また、皇帝は工場の経営者でもあった。中国特産の陶磁器や絹織物といった高価な商品については、民間の工場もあるが、上質で技術の高いものをつくる工場は皇帝の直営だった。この制度は、はるか後世まで続いた。

 皇帝の事業はこれだけにとどまらない。外国貿易にたずさわる商人にも、皇帝は商品や資本を貸し付け、もどってきたら利息をとって稼いでいた。

 これらの事業のほかに、漢の武帝の時代には塩や鉄の専売もはじまった。

 いってみれば皇帝は、県という商業都市を支社、支店として営利事業を営む総合商社の社長のごとき存在であり、その営業の及ぶ範囲が「天下」、今で言う中国だったのである。

 では、このようにして蓄えた富を、皇帝は何に使ったのだろうか。

 第一には外交と戦争である。国家というものがまだなかった当時、国家財政と宮廷財政の区別もなかった。外交や戦争といった臨時の出費は、官庁の経常費ではなく皇帝のポケットマネーでまかなわれていた。

(引用終わり)『誰も知らなかった皇帝たちの中国』(ワック出版刊、2006年9月21日初版発行、岡田英弘著、30、31項)(原書房刊『皇帝たちの中国』の改題・改訂版)

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[1444] BRICs(ブリックス)と中央アジア、中央ユーラシア 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/11/04(Wed) 21:05:42

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 ルーパ・プルショサーマンという、元ゴールドマン・サックス社社員の女性が作ったBRICs(ブリックス)という造語は、世界政治及び実際の世界経済の勢力図用語としても定着したようです。

 よくよく考えてみたらBRICsの新興4ヶ国のうち、中国とインドは極東アジアと南アジアですし、ロシアも極東地域を含めてシベリアなど侵略して併呑した地域の大部分がアジア圏ですから、3ヶ国がアジアにありユーラシア大陸にあります。この前に五輪開催が決定したリオデジャネイロという都市があるブラジルだけが南米大陸ですね。ユーラシア大陸の政治・外交・軍事・領土・経済などの諸問題についてブラジルは局外中立的立場で国家間の中に立って、調停出来る国になるのではないでしょうか。 

 ですからブラジルは置いておくとして、北のロシア、南のインド、東の中国に囲まれた最重要な地域が中央アジアという事になるでしょう。確かにカザフスタンのナザルバエフ政権が、政治的安定を求めて全方位外交に徹する理由も理解出来ます。島国や海洋国家には内陸国の心情がなかなか想像しにくいですが、常に最低限の緊張はあるのだと思います。

 ただインドは中央アジアからみると正確には東南に位置しているので、真南はパキスタンですから、インド洋に出られますね。いくら北極海の氷が溶けているといっても、ロシアを通って北極海を通過して物資その他の運搬するというのは無理があると思います。やはり海運はパキスタンから抜けるという事になると、インドがパキスタンを押さえるのは中央アジア各国にとって許せないのではないでしょうか。ただアフガニスタンがありますからね。アメリカは何かとこの中央アジア地域に嫌がらせをしているように見えるのは気のせいでしょうか。

 さて中央アジアの西はというと、広い意味でヨーロッパ圏に入るロシアと、その向こうにヨーロッパという一大勢力圏(しかし旧勢力)が西にあります。アジアではありませんが、地続きのユーラシア(ユーロ・アジア)大陸ですからね。

 それから中近東ですが、BRICsに匹敵する程の一国での大国はありません。これはオスマン・トルコ帝国が滅亡して、トルコが大国ではなくなったからなのでしょう。トルコはヨーロッパに含める場合もありますが、やはりどう頑張ってもアジアなんだと思います。

 中東には他にもイラン、イラク、サウジアラビア、エジプト(アフリカですが)、そしてイスラエルなどの強力で我の強い国々がありますが、これらが1つにまとまる見通しは今のところほとんどないので、中央アジアにとっては宗教的な事柄も含め影響は限定的だと思います。ただ中央アジアの人種的な起源である、トルコの影響はどのくらいあるのか分かりません。

ウィキペディア(Wikipedia) 中央アジア5ヶ国(西トルキスタン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/中央アジア

中央ユーラシア
http://ja.wikipedia.org/wiki/中央ユーラシア

「中央アジア」というとどこからどこまでを指すのか、地域の定義が変遷していたようですが、今では専らカザフスタン、キルギス(何故か「スタン」を外した)、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国を指すようですね。

「中央アジア」と違い「中央ユーラシア」の方がもっと広い概念のようです。

 中央ユーラシアの定義について岡田先生の『日本人のための歴史学』から引用します。読み易いように段落ごとに改行しています。もとの文章の執筆当初はソ連崩壊以前だったようです。

(引用始め)

 中央ユーラシアの歴史世界
 ――民族大移動の波が世界史を作った

 中央ユーラシアとは、地球上のどの地域をさすのであろうか。まずユーラシアからはじめよう。

 ユーラシア(英語の発音ではユアレイジャ、またはユアレイシャ)ということばは、いうまでもなく、ヨーロッパ(英語でユアラプ)とアジア(英語でエイジャ、またはエイシャ)の合成語である。このことばは十九世紀の中ごろにはじめて現われ、最初はヨーロッパ人とアジア人(ことにインド人)の混血児を英語でユアレイジャンと呼んだ。のちにはヨーロッパ人と東南アジア人(マレー人、インドネシア人、ヴェトナム人)との混血児をもこう呼ぶようになった。

 第二の意味は、旧世界のうち、スエズ地峡より西のアフリカ大陸をのぞいた、ヨーロッパ大陸とアジア大陸を一つの大陸とみなしてユーラシア大陸と呼ぶものであって、このほうの意味では、最も早い用例は英語では一八六八年(明治元年)にさかのぼる。

 そういうわけで、ユーラシアということばは、ヨーロッパがアジアの前にきていることからもわかるように、ヨーロッパ人が世界を支配していた時代の産物であり、ヨーロッパ人の立場からみて、アジアをヨーロッパの付属地域とみなす見方を表現したことばである。

 もっとも、ヨーロッパとアジアの境界線をどこに引くかは多分に歴史の産物であって、地図を眺めただけでは、アジアとアフリカを隔てるスエズ地峡のようなわかりやすい地形は、ヨーロッパとアジアの間には存在しない。現在ではだいたいにおいて、ソ連領内のウラル山脈以西、カフカズ(コーカサス)山脈以北をヨーロッパとし、その外側をアジアとするが、これはヨーロッパ人の見解であって、実際にはこの境界線の左右で気候や風土が顕著に違うということもない。

 つきつめていうと、ユーラシアにということばは、ヨーロッパとアジアの宿命的な対立というヨーロッパ人の伝統的な歴史観がまずあって、その上でヨーロッパ人がついにアジアを征服したという時代の世界観を表現したことばなのである。

 ヘーロドトスが語る宿命的対立

 ヨーロッパとアジアの宿命的な対立という歴史観は、前五世紀に在世したギリシアの歴史家、「歴史の父」ヘーロドトスにはじまる。ギリシア人にとって、ヨーロッパとアジアの境界は、黒海と地中海を連ねるボスフォラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海峡の線であったが、黒海の北岸のウクライナ(ギリシア語でキンメリア、のちにスキュティア)や東岸のカフカズ(ギリシア語でコルキス)については、それらがヨーロッパに属するのか、アジアに属するのか、判然とはしていない。

 ヨーロッパは、ギリシア語エウローペのオランダ語読みである。エウローペーは「幅の広い眼」を意味し、天地の神ゼウスの妃とされる女神の名前である。この女神にかんする伝承はいろいろあるが、普通に知られた神話のかたちでは、フェニキアの王女で、ゼウスに愛され、ゼウスが化した牡牛の背に乗せられて海を渡り、クレータ島にいたり、そこでクレータ王ミーノースを産んだということになっている。これに対してアジアは、前七世紀中ごろから前六世紀中ごろまで小アジア(アナトリア)を支配したリューディア王国にアシアという都市があり、その名前がひろがって小アジア全体(すなわち本来の意味のアジア)をさすようになったとされる。

(中略)

 中央ユーラシアとは何か

 それでは、そのユーラシア大陸のなかで、中央ユーラシアとはとくにどの部分をさす名称なのであろうか。

 このことばをはじめて使った人は、ハンガリー生まれの

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/22 09:59

【23】阿修羅掲示板から転載「「ネガティブキャンペーンにより失った独立の機会 イギリスの属国であったアイルランドの歴史」 小野昌弘氏ツイート 晴耕雨読」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「ネガティブキャンペーンにより失った独立の機会 イギリスの属国であったアイルランドの歴史」 小野昌弘氏ツイート 晴耕雨読
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/516.html
投稿者 行雲流水 日時 2010 年 9 月 20 日 15:53:10: CcbUdNyBAG7Z2

http://sun.ap.teacup.com/souun/3334.html
2010/9/20

「ネガティブキャンペーンにより失った独立の機会 イギリスの属国であったアイルランドの歴史」小野 昌弘氏のツイートより。

日本は今こそ、他国の歴史に学ぶべき時期であると思います。

メキシコ、インドもしかりですが、今日はアイルランドについて少しつぶやきます。

私の好きな本のひとつに、Dubliners(「ダブリンのひとびと」, ジェームズ・ジョイス)があります。

この本は、20世紀初頭のアイルランド首都に暮らす人々の日常を繊細に描いています。

それを通して、アイルランドの歴史、属国としての矛盾した感情、人間の本質まで表現しています。

長くイギリスの属国であったアイルランドは、類い稀なる政治家であるパーネル(Charles S Parnel)によって、1880年代後半に独立のチャンスを手にしかけます。

しかし、パーネルは、私生活の些細なことをスキャンダルとして大々的に取り上げられ、それを機に失脚してしまいます。

「ダブリンのひとびと」は、多面的な小説です。

政治という切り口でみると、パーネル失脚の後、祖国独立の希望を失った愛国者や、イギリスによる統治の肩をもつことで生計を立てているひとたちの、日常にある矛盾した想い、祖国に対する複雑で屈折した感情 そして、政治的に前向きな状況を望めないあきらめが描かれます。

パーネルを知る年長者たちは、パーネルの時代を懐かしみつつ、現実に改めて落胆しています。

「ダブリンのひとびと」は、日本の状況を考えるとき参考になる小説です。

アイルランドはパーネルの失脚から40年の年月の後、武装蜂起による独立戦争を経て、北アイルランドを除いた部分がアイルランド共和国として独立しました。

しかし、パーネルが失脚しなかったとしたら、ひょっとしたら、より早い段階でのより平和な独立、あるいはより完全な独立がありえたのかもしれません。

パーネルの失脚とその後の状況は日本の状況に重なるところがあります。

しかしながら、鳩山や小沢が、これだけのネガティブキャンペーンによっても、まだパーネルのような完全な失脚に至っていないのは、やはりTwitterなどで情報統制に風穴があいているおかげだと思います。

そして、もし、現状を乗り越えて日本の状況に進歩があったなら、それは世界史的レベルでの進歩だと思います。

> 小野先生こんにちは。

> アイルランドの譬えは参考になりました。

> メディアをも支配下に置く官僚機構とこれをコントロールする米国。

> 政治主導による官僚機構の掌握が、真の政権交代と独立への乗り越えなければならない分厚い壁なんですね。

その通りです。

更にもっと身近な問題と捉えてみては。

現状で利益を得ている一部のひとがいます。

また、現状に不満だがあきらめているひとがいます。

どちらも素直な未来への希望がくじけている。

しかし、国民の多数が真に変化を求めたとき、それを止めるのは困難なはずです。

パーネル(Parnell、lは2つでしたね)の「スキャンダル」とは手続き上の問題でした。

長年事実婚として伴侶であった彼の妻は、以前別の代議士の妻でした。

その代議士とは財産の問題で離婚が成立していなかったため、正式な結婚ができませんでしたが、パーネルとの間には子供も複数いました。

パーネルの事実婚は有名なことであったにも関わらず、アイルランド改革の機運が高まったときに、突如問題として挙げられ、党大会での弁明も功を奏さず、党は分裂、パーネルは失脚してしまいます。

この件については、アイルランドがカトリック国であったため、パーネルを直接は知らない人に対しては効果的な、絶好のスキャンダルであったと見ることもできます。

この「スキャンダル」は次の2つの特徴があります。

1)実際には問題がなくとも、手続きが複雑であり理解しにくい、

2)事情を直接知らない人に聞こえが悪く宣伝しやすい。

まさに最近日本でよくみる「スキャンダル」ですね。

投稿者: 早雲

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会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/22 09:58

【22】阿修羅掲示板から転載「ウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」(小沢一郎論)の全文。 文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

ウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」(小沢一郎論)の全文。 文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/554.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 9 月 21 日 11:15:54: GqNtjW4//076U

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100921/1285030033
2010-09-21 09:47
投稿者注) 「■小沢の価値」部分赤字表示

ウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」(小沢一郎論)の全文。 

読者のコメントにより、中央公論に掲載された「小沢一郎論」を含むウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」の全文を読むことが出来たので、そこで、拙ブログにも、そのまま全文を引用しておく。是非、この問題に関心のある方は、ご一読いただきたい。前にも書いたが、僕は、カレル・ヴァン・ウォルフレンの様々な「日本社会構造論」、いわゆる構造改革論に一貫して反対であり、批判的であったが、このウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」を読みながら、日本の政治評論家や政治ジャーナリストのその頭脳の余りにも軽薄で、悲惨な現実と対比して、ウォルフレンをちょっと見直した。ウォルフレン論文に全面的に賛成するわけではないが、少なくとも、ウォルフレンが、マスコミのバッシング報道に追随し、付和雷同するのではなく、自分の頭で考え、物事を深く根源的に考えようとしていることは評価してよい。それに対して、我が国の政治評論家や政治ジャーナリスト等の軽薄さは、度し難い。くだらない新聞や週刊誌に反乱する低レベルの、要するに芸能週刊誌レベル以下の、小沢一郎に対する批判・中傷に終始する集団ヒステリー的な「小沢罵倒論」を読む暇があったら、このウォルフレンの「小沢一郎論」を時間をかけて、じっくり読んだ方がいいと思われる。テレビなどで、訳知り顔で、通俗的な政治漫談を繰り返している新聞記者や政治ジャーナリスト、たとえば朝日の「星某」、毎日の「与良某」、読売の「橋本某」、「三宅久之」「」等が、いかに政治的に無知無学で、ジャーナリストとしても凡庸で、人間としても愚鈍であるかがわかるはずだ。いずれにしろ、権力の手先となり、批判精神の欠如した日本の「政治評論家や政治ジャーナリスト」の奴隷根性、植民地根性が、日本の政治を、後進国並みに後退させ、沈滞させている。

有料メルマガ『週刊・山崎行太郎』(月500円)の配信を開始しました。毎週、日曜日配信。テレビ、新聞、雑誌、週刊誌等で、幼稚で浅薄な言説を撒き散らすクズ評論家やクズ・ジャーナリストどもを(「テリー伊藤」(笑)から「立花隆」「福田和也」「カン・サンジュン」まで…)メッタ斬りにします。登録はコチラからお願いします。(↓↓↓)

http://www.mag2.com/m/0001151310.html

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ウォルフレン論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」 *保存用(長文)

「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」(カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 2010年3月19日 中央公論 (全文)

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 いま日本はきわめて重要な時期にある。なぜなら、真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっているからだ。いや、それ以上の意味がある。もし民主党のリーダーたちが、理念として掲げる内閣中心政権を成功裏に確立することができるならば、それは日本に限らず地球上のあらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになるからである。それは我々の住む惑星の政治の流れに好ましい影響を与える数少ない事例となろう。

 しかしながら、それを実現させるためには、いくつもの険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。いま本稿で民主党の行く手を阻むそうした内実について理解を深めることは、よりよい社会を求める日本の市民にとっても有益なのではないかと筆者は考える。

■政権交代の歴史的意味

 各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。だが、民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。

 まず現代の歴史を振り返ってみよう。第二次世界大戦に続く三〇年に及んだ輝かしい経済発展期が過ぎると、日本は目標を見失い停滞し始めた。自分たちの生活が改善されているという実感を日本の人々は抱くことができなくなった。日本の政治システムには何か重要なもの、これまで歩んできた道に代わる、より希望に満ちた方向性を打ち出すための何かが、欠落しているように筆者には見えた。一九九三年のごく短い一時期、行政と政治的な意思決定が違うことをよく理解していた政治家たちは、日本に政治的な中心を築こうと改革を志した。しかしそのような政治家はきわめて少数であり、行政サイドからは全く支持が得られなかった。ただしいい面もあった。彼らは同じ志を持つ相手を見出した。そして後に政権の座に就く、信頼に足る野党の結成へと動き出したからである。

 九三年、日本社会にも新しい意識が広がっていった。これまで長く求められてはいても実行されずにいた抜本的な改革が、実現可能であることがわかったからだ。以来、影響力のある政治家や評論家、ビジネスマンたちは、機会あるごとに、抜本的な政治改革の必要性を訴えるようになった。

 小泉純一郎が大方の予想を裏切る形で自民党の総裁に選ばれた際、それがほぼ実現できるのではないかと、多くの人々は考えた。ところが、首相という立場ながら、セレブリティ、テレビの有名人として注目を集めた小泉の改革は、残念ながら見掛け倒しに終わった。結局のところ、日本の政治に、真の意味で新しい始まりをもたらすためには、自民党も、それを取り巻くあらゆる関係も、あるいは慣例や習慣のすべてを排除する必要があることが明らかになった。

 チャンスは昨年八月、民主党が選挙で圧勝したことでようやく巡ってきた。そして九三年以来、結束してきた民主党幹部たちは、間髪を入れず、新しい時代を築くという姿勢をはっきりと打ち出したのだった。

 民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(一八三八~一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。

 山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。

 山県は、ビスマルク、レーニン、そしてセオドア・ルーズベルトと並んで、一〇〇年前の世界の地政学に多大な影響を与えた強力な政治家のひとりとして記憶されるべき人物であろう。山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。

 いま民主党が自ら背負う課題は、重いなどという程度の生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、何らかの、そして時に激しい抵抗に遭遇する。ただし彼らに抵抗するのは、有権者ではない。それは旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。まさにそれこそが民主党が克服せんと目指す標的なのである。
 

 明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は、日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。そして現在、政治主導によるガバナンスを可能にするような、より小さな機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。

 彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。官僚たちの根強い抵抗や、政策への妨害にてこずる首相官邸は、民主党の主張を伝えるという、本来なすべき機能を果たしていない。民主党がどれだけの成果を上げるかと問われれば、たとえいかに恵まれた状況下であっても、難しいと言わざるを得ないだろう。しかし、旧体制のやり方に官僚たちが固執するあまり、生じている現実の実態を考えると、憂鬱な気分になるばかりだ。

■官僚機構の免疫システム

 明治以来、かくも長きにわたって存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。一年ほど日本を留守にしていた(一九六二年以来、こんなに長く日本から離れていたのは初めてだった)筆者が、昨年戻ってきた際、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。

 なぜか? それは日本の官僚機構に備わった長く古い歴史ある防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。ここで一歩退いて、このことについて秩序立てて考えてみよう。あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。実質的な権力システムは、憲法のようなものによって規定され制約を受ける公式の政治システムの内部に存在している。そして非公式でありながら、現実の権力関係を司るそのようなシステムは、原則が説くあり方から遠ざかったり、異なるものに変化したりする。

 軍産複合体、そして巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この一〇年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。もちろんアメリカ憲法には、軍産複合体や金融・保険企業に、そのような地位を確約する規定などない。

 第二次世界大戦後の長い期間、ときおり変化はしても、主要な骨格のほとんど変わることがなかった日本の非公式なシステムもまた、非常に興味深いケースである。これまで憲法や他の法律を根拠として、正しいあり方を求めて議論を繰り広げても、これはなんら影響を受けることはなかった。なぜなら、どのような政治取引や関係が許容されるかは法律によって決定されるものではないというのが、非公式な日本のシステムの重要な特徴だからだ。つまり日本の非公式な政治システムとは、いわば超法規的存在なのである。

 政治(そしてもちろん経済の)権力という非公式なシステムは、自らに打撃を与えかねない勢力に抵抗する。そこには例外なく、自分自身を防御する機能が備わっている。そして多くの場合、法律は自己防御のために用いられる。ところが日本では凶悪犯罪が絡まぬ限り、その必要はない。実は非公式な日本のシステムは、過剰なものに対しては脆弱なのである。たとえば日本の政治家の選挙資金を負担することは企業にとってまったく問題はない(他の多くの国々でも同様)。ところがそれがあるひとりの政治家に集中し、その人物がシステム内部のバランスを脅かしかねないほどの権力を握った場合、何らかの措置を講ずる必要が生じる。その結果が、たとえば田中角栄のスキャンダルだ。

 また起業家精神自体が問題とされるわけではないが、その起業家が非公式なシステムや労働の仕組みを脅かすほどの成功をおさめるとなると、阻止されることになる。サラリーマンのための労働市場の創出に貢献したにもかかわらず、有力政治家や官僚らに未公開株を譲渡して政治や財界での地位を高めようとしたとして有罪判決を受けた、リクルートの江副浩正もそうだった。さらに金融取引に関して、非公式なシステムの暗黙のルールを破り、おまけに体制側の人間を揶揄したことから生じたのが、ホリエモンこと堀江貴文のライブドア事件だった。

 いまから一九年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるやたちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。当時、何ヵ月にもわたり、株取引に伴う損失補填問題を巡るスキャンダルが紙面を賑わせていた。罪を犯したとされる証券会社は、実際には当時の大蔵省の官僚の非公式な指示に従っていたのであり、私の研究対象にうってつけの事例だった。しかしその結果、日本は何を得たか? 儀礼行為にすぎなくとも、日本の政治文化の中では、秩序回復に有益だと見なされるお詫びである。そして結局のところ、日本の金融システムに新たな脅威が加わったのだ。

 検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。民主的な手続きを経てその地位についた有権者の代表であっても、非公式な権力システムを円滑に運営する上で脅威となる危険性があるというわけだ。

 さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

■超法規的な検察の振る舞い

 日本の検察当局に何か積極的に評価できる一面があるかどうか考えてみよう。犯罪率が比較的低い日本では、他の国々とは違って刑務所が犯罪者で溢れるということはない。つまり日本では犯罪に対するコントロールがうまく機能しており、また罰することよりも、犯罪者が反省し更生する方向へと促し続けたことは称賛に値する。また検察官たちが、社会秩序を維持することに純粋な意味で腐心し、勇敢と称賛したくなるほどの責任感をもって社会や政治の秩序を乱す者たちを追及していることも疑いのない事実だろう。しかしいま、彼らは日本の民主主義を脅かそうとしている。民主党の政治家たちは今後も検察官がその破壊的なエネルギーを向ける標的となり続けるであろう。

 日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎(一八六七~一九五二年、司法官僚・政治家)である。彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。マルクス主義、リベラリズム、あるいは単に民主的な選挙といった、あらゆる現代的な政治形態から国を守り抜くべきだと考えていたのである。

 一九四五年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、さまざまな点で超法規的な性格を持つ日本の司法制度の改革は阻止された。ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。

 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。より軽微な犯罪であれば、容疑者を追及するか否かを含め、その人物が深く反省し更生しようという態度を見せるのであれば、きわめて寛大な姿勢でのぞむこともある。このようなやり方は、法に背きはしても、刑罰に処するほどではないという、一般の人々に対しては効果的であり、いくつかの国々の法執行機関にとっては有益な手本となる場合もあるだろう。

 しかしある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。たとえば、合法的な節税と違法な脱税の境界がさほど明確でない国もある。ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。

 これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。

 体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが煽り立てるスキャンダルに他ならないからだ。検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし本稿で指摘しているように、検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

■小沢の価値

 日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。

 いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれるあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。商業的な利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信頼に足る存在ではなくなってしまった。日本の新聞はその点、まだましだ。とはいえ、日本の政治がきわめて重要な変化の時を迎えたいま、新聞が信頼できる監視者の立場に就こうとしないのは、非常に残念なことだ。これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
 

 なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。

 かつてタイで起きた軍事クーデターについて取材していた時、筆者はことあるごとに、バンコックに駐在していた日本人の記者仲間に意見を求めることにしていた。タイ軍内部の派閥抗争にかけて、日本人記者に匹敵する識見をそなえていたジャーナリストは他にいなかったからだ。したがって、鳩山政権が成立後、連立を組んだ政党との間に生じた、現実の、あるいは架空の軋轢に、ジャーナリストたちの関心が注がれたのは不思議ではなかった。まただからこそ、日本のメディアは民主党の閣僚たちの間に、きわめてわずかな齟齬が生じたといっては、盛んに書き立てるのだろう。自民党内部での論争や派閥抗争がジャーナリストたちにとって格好の取材ネタであったことは、筆者にもよく理解できる(筆者自身、角福戦争の詳細で興味深い成り行きを、ジャーナリストとして取材した)。なぜなら日本のいわゆる与党は、これまで話題にする価値のあるような政策を生み出してこなかったからだ。

 小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。

 彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。ところが官僚たちによる行政上の決定とは、過去において定められた路線を維持するために、必要な調整を行うためのものである。つまり行政上の決定は、新しい路線を打ち出し、新しい出発、抜本的な構造改革をなすための政治的な決断、あるいは政治判断とは完全に区別して考えるべきものなのである。こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。

 このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。

 そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。

 小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。

 
 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?

 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。

 もし非公式な権力システムの流儀に影響されて、民主党の結束が失われでもすれば、その後の展開が日本にとって望ましいものだとは到底思えない。第二次世界大戦前に存在していたような二大政党制は実現しそうにない。自民党は分裂しつつある。小さな政党が将来、選挙戦で争い合うことだろうが、確固たる民主党という存在がなければ、さまざまな連立政権があらわれては消えていく、というあわただしい変化を繰り返すだけのことになる。すると官僚たちの権力はさらに強化され、恐らくは自民党政権下で存在していたものよりもっとたちの悪い行政支配という、よどんだ状況が現出することになろう。

■踏み絵となった普天間問題

 民主党の行く手に立ち塞がる、もうひとつの重要な障害、日米関係に対しても、メディアはしかるべき関心を寄せてはいない。これまで誰もが両国の関係を当然のものと見なしてきたが、そこには問題があった。それはアメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった。この事実は、以前のような状況に戻ることは二度とない、ということを意味している。

 しかしオバマ政権はいまだに非自民党政権を受け入れることができずにいる。そのような姿勢を雄弁に物語るのが、選挙前後に発表されたヒラリー・クリントン国務長官やロバート・ゲーツ国防長官らの厳しいメッセージであろう。沖縄にあるアメリカ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。

 アメリカ政府を含め、世界各国は長い間、日本が国際社会の中でより積極的な役割を果たすよう望んできた。日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。「経済大国であっても政治小国」という、かつて日本に与えられたラベルに諸外国は慣れてしまった。そして、そのような偏った国際社会でのあり方は望ましくなく、是正しなければいけないと新政府が声を上げ始めたいまになって、アメリカ人たちは軍事基地のことでひたすら愚痴をこぼす始末なのだ。

 日本の検察が、法に違反したとして小沢を執拗に追及する一方、アメリカは二〇〇六年に自民党に承諾させたことを実行せよと迫り続けている。このふたつの事柄からは、ある共通点が浮かび上がる。両者には平衡感覚とでもいうものが欠落しているのである。

 長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。

 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。

 普天間基地の問題を巡る対応からして、アメリカの新大統領は日本で起こりつつある事態の重要性に全く気づいていないのがわかる。オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。

 当初は、世界に対する外交姿勢を是正すると表明したのとは裏腹に、オバマ政権の態度は一貫性を欠いている。このことは、アメリカ軍が駐留する国々に対するかかわりのみならず、アメリカの外交政策までをも牛耳るようになったことを物語っている。しかも対日関係問題を扱うアメリカ高官のほとんどは、国防総省の「卒業生」である。つまりアメリカの対日政策が、バランス感覚の欠如した、きわめて偏狭な視野に基づいたものであったとしても、少しも不思議ではないわけだ。

■何が日本にとって不幸なのか

 中立的な立場から見れば、きわめて些細なことであるのに、それが非常に強大な存在を動揺させる場合、それはあなたが非常に強い力を有している証左である。いま日本の置かれた状況に目を向けている我々は、権力とはかくも変化しやすいものだという事実を考える必要がある。昨年、日本では、一九五〇年代以来、最大規模の権力の移転が起きた。そして民主党は、いくつかの事柄に関して、もはや二度と後戻りすることができないほどに、それらを決定的に変えた。しかしながら、だからといって民主党の権力が強化されたわけではない。民主党はこれからもたび重なる試練に立ち向かわねばならぬだろう。

 もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。

 民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。小沢が初めて検察の標的になったのは、昨年の五月、西松建設疑惑問題に関連して、公設秘書が逮捕された事件であり、彼は民主党代表を辞任し、首相になるチャンスを見送った。

 そのとき、もし検察が「同じ基準を我々すべてに適用するというのであれば」国会はほぼ空っぽになってしまうだろう、という何人かの国会議員のコメントが報じられていたのを筆者は記憶している。確かに検察は、理論的には自民党政権時代のように、たとえば国会の半分ほどを空にする力を持っていた。だが、もし検察が本当にそのような愚挙に出たとしたら、そんな権力は持続性を持つはずはない。そのような事態が発生すれば、新聞を含む日本の誰もが、検察の行動は常軌を逸していると断じるだろうからだ。
 

 このように考えると、ここに権力の重要な一面があらわれているように思われる。権力とは決して絶対的なものではない。それはどこか捉えどころのないものである。はっきりした概念としてはきわめて掴みにくいものなのである。それはニュートン物理学に何らかの形でかかわる物質によって構築されているわけでもない。権力の大きさは測ることもできなければ、数え上げることも、あるいは数列であらわすこともできない。権力を数値であらわそうとした政治学者が過去にはいたが、そのような試みは無残にも失敗した。これは影響力とも違う。影響力は計測することができるからだ。権力は、主にそれを行使する相手という媒介を通じて生じる。対象となるのは個人に限らず、グループである場合もあるだろう(相手があって生じるという意味で、権力はともすれば愛に似ている)。

 近年の歴史を見れば、そのことがよくわかる。冷戦が終結する直前の旧ソ連の権威はどうなったか? 強大な権力機構があの国には存在していたではないか。そして誰もがその権力は揺るぎないものと見なしていたのではなかったか。その力ゆえに、第二次世界大戦後の地政学上の構図が形作られたのではなかったか。

 ところが小さな出来事がきっかけとなってベルリンの壁が崩れた。ほどなくして、長きにわたり東欧諸国を縛り付けてきた、モスクワの強大な権力が消失した。それが消えるのに一週間とかからなかった。なぜか? なぜならモスクワの権力とは人々の恐怖、強大な旧ソ連の軍事力に対する恐れを源として生じていたからだ。ところがミハイル・ゴルバチョフは事態を食い止めるために武力を行使しないと述べ、現実にそれが言葉通りに実行されるとわかるや、旧ソ連の権力は突然、跡形もなく消え失せた。

 いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。

■日米関係の重さ

 日米関係に目を転じるならば、そこにもまたきわめて興味深い権力のダイナミクスが存在しており、日本に有利に事態の解決を図ることができると筆者は考えている。世界の二大先進パワーは、きわめてユニークな形で連携している。日米関係に類似したものは、世界のどこにも存在しないだろう。

 鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。鳩山政権は、これまで自民党が一度として直視しようとはしなかったこの現実に取り組む必要がある。

 誰もがアメリカと日本は同盟関係にあると、当然のように口にする。しかし同盟関係の概念が正しく理解されているかどうかは疑わしい。同盟関係とは、二国もしくはそれ以上の独立国家が自主的に手を結ぶ関係である。ところがアメリカとの同盟関係なるものが生じた当時の日本には、それ以外の選択肢はなかった。第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。また最近ではアメリカは日本に他国での軍事支援活動に加わるよう要請している。実質的な保護国であることで、日本が多大な恩恵を被ったことは事実だ。日本が急速に貿易大国へと成長することができたのも、アメリカの戦略や外交上の保護下にあったからだ。

 しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には政治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。民主党の主立った議員も、そしてもちろん小沢もそのことに気づいていると筆者には思われる。だからこそ政権を握った後、民主党は当然のごとく、真なる政治的中枢を打ち立て、従来のアメリカに依存する関係を刷新しようとしているのだ。

 だが問題は厄介さを増しつつある。なぜなら今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。

 かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、一九八九年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。

 筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。

 まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。

 そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。

 この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。

 日本のメディアはどうかと言えば、無意識のうちに(あるいは故意に?)、現政権が失敗すれば、沖縄の米軍基地問題に関して自国の主張を押し通せると望むアメリカ政府の意向に協力する形で、小沢のみならず鳩山をもあげつらい(やったこと、やらなかったことなど、不品行と思われることであれば何でも)、彼らの辞任を促すような状況に与する一方である。しかし彼らが辞任するようなことがあれば、国民のための主権国家を目指す日本の取り組みは、大きな後退を余儀なくされることは言うまでもない。

 日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。このような歴史的な経緯があったからこそ、有権者によって選ばれた政治家たちは簡単に脅しに屈してきた。

 ところで、前述のクリントンとゲーツが日本に与えたメッセージの内容にも、姿勢にも、日本人を威嚇しようとする意図があらわれていた。しかし鳩山政権にとっては、アメリカの脅しに屈しないことが、きわめて重要である。日本に有利に問題を解決するには、しばらくの間は問題を放置してあえて何もせず、それよりも将来の日米関係という基本的な論議を重ねていくことを優先させるべきである。

 アメリカがこの問題について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。

 それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。

 日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。

訳◎井上 実

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http://www.mag2.com/m/0001151310.html

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/21 07:59

【21】外側視点の日本文化論

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 菊地研一郎さんへ

 投稿[20]「デパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイックス(人類・言語学部)」をありがとうございます。

 アメリカで発達した新しい学問運動による、ヨーロッパ既成学問に対する勝利(暫定)については、重要な政治的背景があるということですね。下火になったとはいえ未だに闘いの最中なのでしょう。国家として独立するだけではなく、学問においても抜け出していって、ついでにヒトラーの優生学利用のやらせ暴走でもってヨーロッパを地面に叩き落したのですね。先生の『属国日本論を超えて』という目立たずに凄い本があって、そこに学問の巨大な対立図式について詳しく書いてありますけれども、どっちにしろ近代同士の衝突であって前近代は蚊帳の外です。

 それにしても菊地さんの引用文中での対談で触れられているように、ルース・ベネディクトの『菊と刀』に対する当時の日本人学者達の反感は、相当なものがあっただろうなということは私にも理解出来ます。

 名誉ある立場にいる日本人の男であれば、あそこまで自分達が日本列島の原住民として素っ裸にされてしまえば面目丸つぶれで、そりゃ怒り出しますよ。しかしなにしろ現実で敗戦しているものだからブツブツ言っただけでしょう。それが学問の力でも実際に敗北していたのだから何ともむごい追い打ちです。

 日本固有の「高く深い文化」を、もったいぶった高級文化論に仕立て上げたところで、『菊と刀』を超えるどころか対等に渡り合えるわけもありません。というか歯が立たないし、足元にも及ばないでしょう。

 それでも「日本人だから日本のことが外国人よりもよく分かる」という特権で、日本人によるそれなりの日本文化論や日本人論は出ているでしょうが、それは内から見る視点を脱せていない。だから外側からの冷酷な生態観察で透視するという『菊と刀』には太刀打ち出来ないし、同じ日本文化論であって同じ土俵にあがれません。

 日本人によってその外側視点をはじめて導入して本格的な日本文化論を書いたのが先生の『属国・日本論』だということです。

 ところで先生の『属国日本論を超えて』の前書きによると、敗戦後の『菊と刀』から、各年代に発表された日本文化論の大作は以下の通り。

(佐藤裕一による引用始め)

 50年代『菊と刀』(ルース・ベネディクト著、1946年)
 60年代『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、1967年)
 70年代『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン=山本七平著、1970年)と『甘えの構造』(土居健郎著、1971年)
 80年代『ザ・ジャパニーズ』(エドウィン・ライシャワー著、1977年)、『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』(エズラ・ヴォーゲル著、1979年)
 90年代『日本/権力構造の謎』(カレル・ヴァン・ウォルフレン著、1990年)

(佐藤裕一による引用終わり)『属国日本論を超えて』(副島隆彦著、五月書房刊、二〇〇二年八月一八日第一刷発行、二〇〇二年九月一〇日第二刷発行、引用第2頁)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/20 09:56

【20】羽田孜政権のこと

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 スターリンの言葉「票を投じる者が決定するのではない。 票を数える者が決定するのだ」は今現在も生きている、デモクラシー(代議制民主政体)の理想・理念に対する現実・実践上の弱点の1つである。

 アメリカ合衆国でさえが選挙の公平・公正さについてはあの体たらくである。日本国などは勿論そうなのだということを再認識するとはいえ、さすがにここまで露骨にやられるとウンザリしてくる。いくら一政党の内部事情とはいえ酷過ぎないか。

 こうなっては『泣かない小沢一郎が憎らしい』(世川行介著、同時代社刊、2010年8月30日初版第1刷発行)を読むか、フテ寝するしかない。

 私の記憶にボンヤリ残っている最初の日本国内閣総理大臣は宮澤喜一であったが、自分なりに明確な政治に対する自意識を持ってして見始めたのは小泉純一郎内閣からである。それくらい同世代と比較しても自我の芽生えが遅い人間であった。

 だから私は、小泉以前の平成政治に対する認識が弱い。昭和にまで遡るともはや歴史に入ってくるからそのつもりで学べばいいが、90年代から2000年ぐらいまでの平成は歴史というには近過ぎて、私の中で抜け落ちている部分である。「失われた10年(政治)」である。

 その中で細川護煕内閣、村山富市内閣のことは何とか当時の時代的背景から、その位置付けを少しは理解出来ていたが、羽田孜内閣のことが私にはサッパリ分からなかった。

 保守合同・55年体制成立前の片山哲内閣・芦田均内閣や、最近の鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣のような「非自由民主党政権」という、戦後日本の「例外的政治状況」に細川・羽田等の立ち位置も相当する、というくらいの認知しかなかった。細川内閣と同じで、ただ単に担ぎ上げられた人なんだろう、と。

 それが『泣かない小沢一郎が憎らしい』のおかげで、羽田内閣と羽田孜という政治家のことが少し分かった気がする。読み始めて最初は「なんで小沢一郎を主たる題材に取り上げているのに、羽田孜の名前が頻出するんだろう?」と感じたが、読み終わったら「あぁ、羽田孜元首相って、そういうことだったのか!」という思いである。

 私にとっては『泣かない小沢一郎が憎らしい』は、小泉以前の生々しい平成政治を勉強するのにも良書とさせて頂いた。

 それにしても菊地研一郎さんが筑波の集積倉庫でバイトしてたら面白かったのに。

 菊地さんの投稿[20]「デパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイックス(人類・言語学部)」についての私からの書き込みは次回に致します。

 

 世川行介放浪日記
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke?sess=aec0ab9e375a1b4dd00a9be072ad3b65

 Amazon.co.jp: 泣かない小沢一郎が憎らしい 世川行介 本
http://www.amazon.co.jp/dp/488683681X

菊地研一郎(会員番号2555) 投稿日:2010/09/19 07:09

【19】「デパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイックス(人類・言語学部)」

会員番号2555の菊地研一郎です。

副島隆彦の論文教室「0101」(鴨川光)に対して。

言語学者の鈴木孝夫と田中克彦の対談を引用して、
アメリカの「文化人類学」とは何か、
鴨川論文とは別の角度から光を当てます。

19?20世紀のアメリカンズ(主に英独からの移住者)は、
行動主義という新方法によってインディアンズ(未開の先住者)を研究し、
ヨーロピアンズ(主に英仏独)からの独立を試みる。

そして我々日本人は広い意味では研究対象となったインディアンズの一員である。

〈鈴木 (略)
 服部(四郎。引用者注)先生は当時(1950年。引用者注)、構造言語学的なご自身の素養があるにもかかわらず、アメリカ言語学にすごく批判的で不満だった。服部先生はヨーロッパ的な意味論と音韻論とテーマが両方あったのですね。ところが、アメリカはご承知のように当時は行動主義の全盛時代で、意味なんてそんなわけわかんないものは言語学で扱わない。だから、言語学は口から出て他の人の耳に到達する音波だけを研究するので、頭のなかで何が起きているかは心理学か哲学かにお任せする、という純客観主義のアメリカ構造言語学の最盛期だったのです。だから服部先生は意味の研究ができない。
 構造言語学は、インディアンの無文字社会をアメリカ社会が取り込むために、とにかく言葉がわからないといかん、そのためには文化もわからないといけないというので、文化人類学という学問と同時にアメリカで発達した。インディアンというヨーロッパ文明、ギリシア・ラテン語ではどうにも説明できない異質の言語、文化、それを理解しようというのが文化人類学なのです。
 ですから、アメリカの言語学は相当長いあいだ言語学科としては独立していなかった。言語人類学科だったのです。だからどこの大学でも「デパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイックス(Department of Anthropology and Linguistics)とたいてい書いてありました。
 私が一九七〇年代にエール大学へ行ったときも、教えた学部はデパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイツクス。言語学はアメリカの大学のなかでまだ独立はしてなかったのです。

田中 その文化人類学は、まだ一度も歴史が書かれなかった無文字の民族の文化を主として研究した。それで成功したのがルース・ベネデイクトのアポロ型とデイオニソス型というパターンを利用した文化の研究で、その経験をもって日本の文化の研究をやったのです。そのようにして書かれた『菊と刀』は日本語に翻訳されてずいぶん読まれた。そして文化人たちの議論の的になった。非常に多くの人が怒っちゃったのですね。
 つまり、歴史を自分で書いたことのないような歴史のない、文字もない異民族の文化研究の方法を、そのまま日本に適用したというのでね。日本のような高く深い文化のある国を文字のない文化と同じ方法で研究するのはけしからんという派がいた。柳田国男は、彼の民俗学のある方法論を補強してくれると考えていたようだけれど。そのほか折口信夫、和辻哲郎なんかも入っていたかな、いろいろな人が寄ってたかって文化人類学を問題にした時代があるのです。
 それはアメリカ言語学の方法論を問題にしたというのとよく似ていて、面白いですね。言語学のほうは服部さんのような人がいたから、おおむね素直に受け入れられて成功した。これは当時のアメリカの学問の言語および文化研究を代表するアスペクトだったと思うのです。〉
鈴木孝夫,田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店、2008)pp.12-14

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/17 10:01

【18】ルース・ベネディクトが来日したことはあるか

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 副島隆彦の論文教室において、鴨川光氏が発表している「サイエンス=学問体系の全体像」と題する一連の投稿論文は、およそ無料公開のWEB掲載文章とは思えない質の、水準の高さを示し続けている。

 題名の通り学問体系の全体像を大きく把握してみせようという試みであるが、近代学問に至るまでの歴史的経緯、各時代各分野における先駆的開拓学者達の業績と思想をも詳述している。

 であるから、ただの年表の羅列などではなく、捉えるべき重要箇所は細部にわたり説明しているし、さほど重要ではないと判断する部分についてはザッと流したり、飛ばしている(と思う)。冗長かつ散漫な文章に陥らない所を私は見習いたい。常日頃から反省せねばならないと自覚しているのだが、なかなか習慣が改まらない……。

 それで私は、鴨川氏の文章が掲載される度に拝読しているのだが、最新の論文は社会学問の分野の1つである文化人類学の解説に入っているので、勉強させて頂いている。

 但し、一点気になった。現時点での最新論文「0101」の最後の部分、文化人類学者のルース・ベネディクトについて、日本に滞在し生活したとあるが、彼女は生涯を通して、日本の土を踏んだことはついに無かったと聞いている。

 私が読んだ文庫版の『菊と刀』(ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳、講談社学術文庫)における解説者の川島武宜がそのような前提の認識で書いており、それを覆す話は今までに聞いたことがない。

 太平洋戦争当時、対日情報分析・攻略のための、実質上の国家戦略学者として起用され、米政府及び軍諜報機関に協力したであろうルース・ベネディクトによる、すさまじいまでの本質を見抜く洞察力によって日本人は何もかも透視され、真っ裸にされたことを先生も著書で書いている。

 考え方の傾向、性質、一定の条件を与えた際の意識変化過程に至るまで、全て見透かされてしまった。無意識の底まで、全て一切合財、見抜かれてしまった。あの日本文化論が、日系移民と日本人捕虜を取り調べただけで、全て書き上げられたのだという事実が恐ろしい。

 もし彼女が日本に来日してじっくり研究して生活を共にすごし、日本人の生態観察を実地で行っていたという事実が新たに判明すれば、私はかえってホっとするだろう。

 

 副島隆彦の論文教室
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/

 副島隆彦の論文教室「0101」 論文 サイエンス=学問体系の全体像(21) 鴨川光筆 2010年9月13日
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun105.html

 ルース・ベネディクト – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルース・ベネディクト

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/16 09:57

【17】9・11事件総括のかわりに9・11関連映画

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 本日は2010年9月16日(木)です。

 私は9・11事件(私は同時多発「テロ」事件という名称すら騙しであるから使わない)について、自分の現時点での見解を書くつもりだったのだが、すっかり時期を逸してしまった。

 こういう過去に発生した歴史的事象を振り返り総括する文章というのは、発表するタイミングも重要である。やはり9月11日でなければいけなかった。

 もちろん最重要なのは文章の中身が優れているのかそうでないのか、に決まっている。それでも内容が素晴らしいのに、時期を外してしまったがために注目されずに、素通りされてしまい反響なし、ということが結構ある。

 私の文章などは誰も注目しないのだから、いつ発表しようが関係ないではないかとも思うのだが、どうしても本格的にやる気が起きない。正しい言葉の使い方なのか分からないが、モチベーションが上がらない、というやつだ。

 それは投稿時期を逃してしまったという私的事情だけからではなく、9・11事件の真実暴露の機運が国内外ともに、さほど盛り上がっていないように見受けられるからだ。何といっても世界がこういう時、一番盛り上がらないのは日本であると相場が決まっている。悲しいかな、日常生活の切実な現実の方が大事なのである。

 なので今回は、9・11関連の映画を思い出してみようと思う。といっても観たことがあるのは結構少ないのだが。

 このあいだの9月11日にテレビで放送された洋画は、9・11事件と関係のない『デイ・アフター・トゥモロー』だったが、あらためて観る気は起きなかった。あれも私は公開当時に映画館で観たが、半分裏があるような、半分真実を追究しているような映画だったと記憶している。最近は『9・11アメリカ同時多発テロ最後の真実』や『ワールド・トレード・センター』のような無難な映画すら放送しなくなった。

『ZERO:9/11の虚構 私たちはまだ何も知らない』という真相に迫る映画があるらしいが、私の住んでいる近辺では残念ながら上映しているところはない模様だ。学生ドキュメンタリー映画の『911の子どもたちへ』も、とっくに完成して公開されていたとは知らなかった。

 注目していなければ目や耳に入ってこないということは、あまり話題になっていないということだ。当然、実態は言論統制下にある日本では意図的に報道で無視されているということもあるだろう。他にも『ルース・チェンジ』などがあるが、なんというか果敢に挑んでいく人々とそうでない人々の温度差、意識の落差が激しいことばかりを実感する。あとはマイケル・ムーア監督の『華氏911』か。

 日本人には、マイケル・ムーア監督の映画を受け入れない素地、土壌がある。あのマイケル・ムーアの体当たり方式の映画は、日本国内の「秩序」においては完全に拒絶される。日本では本当の意味での秩序逸脱及び破壊行為は、映像表現世界においてすら許されない。

 マイケル・ムーアという、外国人が作っている映画であるという前提があるから、日本でも気楽に視聴することが出来る。どんなに変人であってもアメリカ人だからだ。日本人があの手法で映画を製作しても、出来たものの度合いにもよるだろうが、結局は嫌われるだけだろう。

 そういう日本秩序の逸脱者や破壊者が出現した時は、日本人はよってたかって認めない、みんなで無視して潰しにかかるという行動をとる。所詮はそれが日本人の文化程度の現状である。

 最後に『ユナイテッド93』である。映画製作陣の取り組み、姿勢については立派だと素直に受け止めてもいいと思うのだが、なにしろ実際のユナイテッド航空93便「テロ」事件の方が、そもそも根本から疑われている。あと無名俳優を集めたという乗客の出演者の中に、デイヴィッド・ロックフェラーに似ているおじいさんがいたなぁと思った。

 さて、次の2011年9月11日でちょうど10年経過なので、総括文章は次の機会にしたいと思っているが、その前にアメリカ政府が公式に9・11事件の真実を認定すれば別の展開になる。

 だけど人類月面着陸詐欺のような、真実公開すれば信用失墜するものの政府崩壊にまでは至らないような過去の恥すら正式に認められないような状態では到底無理だろう。オバマもヒラリーも全部何もかも知っているはずである。

 華氏911
http://ja.wikipedia.org/wiki/華氏911

 ルース・チェンジ – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルース・チェンジ

 ワールド・トレード・センター (映画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ワールド・トレード・センター_(映画)

 ユナイテッド93 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユナイテッド93
 
 ユナイテッド航空93便テロ事件 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユナイテッド航空93便テロ事件

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/13 05:59

【16】阿修羅掲示板から転載「田中真紀子議員:「アメリカのネオコンとその手下のマスコミが小沢先生を総理大臣にしないようにしている」」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

田中真紀子議員:「アメリカのネオコンとその手下のマスコミが小沢先生を総理大臣にしないようにしている」 (RK blog)
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/861.html
投稿者 いさむ 日時 2010 年 9 月 09 日 10:58:06: 4a1.KLUBdoI16

※(画像)Richardkoshimizu’s blogより 

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201009/article_23.html
2010/09/09 10:16

田中真紀子議員:「アメリカのネオコンとその手下のマスコミが小沢先生を総理大臣にしないようにしている」

有志からの情報で、9月7日、埼玉県の川越駅前の応援演説で、田中真紀子先生が。。。。

「アメリカのネオコンとその手下のマスコミが小沢先生を総理大臣にしないようにしている」

と明言されたとのこと。まさに、民主党代表選の背後関係を的確に明言されています。つまり、真紀子先生は、世界の真の構造をはっきりと理解されているということです。さすが、角栄さんの娘です。菅さんあたりとは、格が違います。

(画像)http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/1804.jpg
※(画像)Richardkoshimizu’s blogより 

日本の政治家に、物事の本質がわかる方がおられたと分かり、とても嬉しい一日が送れそうです。小沢政権誕生の際には、真紀子先生に是非とも要職中の要職を!

以下、「小沢総理誕生阻止計略と米国勢力の関わり」についての初歩的知識です。

●「反小沢」報道・策謀の黒幕は、日本の対米隷属の継続を願う米国金融勢力である。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201009/article_17.html

●「検察審査会」を使って「小沢首相」誕生阻止を狙っているのは、米国金融勢力である。 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201009/article_18.html

●「検察審査会に小沢不起訴不服を申し立てた人物」らが威力業務妨害容疑で本日逮捕されます。 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201009/article_21.html

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)