気になる記事の転載掲示板

◆巻頭言◆

新設されたこの掲示板(BBS)は、私、副島隆彦宛ての読者からの個人メールの転載サイトです。私の「今日のぼやき」ではとても対応できない状態になりましたので、このように拡張しました。

学問道場への入門許可の意味も含みます。別に自分は入門したい訳ではないという人もいるでしょうが。私宛てに挨拶を兼ねた簡略な自己紹介文を寄せてくれた人々と、ここの先進生たちとの情報共有の意味と更なる情報開示方針決定に従う趣旨もあります。以後は積極的に各掲示板の方へ書き込み投稿して下さい。(2001年4月1日記)
会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/05 15:57

【145】阿修羅掲示板から転載「沢はなぜ離党も辞職もしないのか (日刊ゲンダイ)小沢が狂ったように大マスコミに叩かれ理由 小沢が消えて得する連中の陰謀」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

小沢はなぜ離党も辞職もしないのか (日刊ゲンダイ)小沢が狂ったように大マスコミに叩かれ理由 小沢が消えて得する連中の陰謀
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/404.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 2 月 03 日 17:30:46: igsppGRN/E9PQ

小沢はなぜ離党も辞職もしないのか (日刊ゲンダイ2011/2/2):日々坦々」の資料ブログ
http://ameblo.jp/asuma-ken/entry-10788024333.html

小沢起訴 大マスコミ報道に重大疑問 なぜあれほどデカデカと記事にするのか

予想されたこととはいえ、いやはや、驚いた。「小沢元代表 強制起訴」と大騒ぎする大新聞のことだ。朝刊各紙1面トップのデカデカの見出しや、社会面まで埋め尽くす洪水のような記事を見ると、戦争でも起きたのかと錯覚してしまう。

言っておくが、小沢起訴は予定通りのこと。多くのメディアが「今月中に強制起訴」「週明け31日に起訴」と自分らで報じていたのだから、その通りになっただけのことである。特別、大騒ぎする話じゃない。それがなぜ衝撃の大事件のごとく扱われるのか。
大マスコミの卑しい狙いはミエミエだ。「強制起訴」「土地取引 虚偽記載」「離党に期待」といった仰々しい大きな見出しを躍らせ、「小沢は犯罪人」の印象をあらためて読者に植え付けたいのである。そうやって、2年前から小沢を犯罪人扱いしてきた自分たちの報道を正当化し、小沢を政界から追放したいのだろう。

しかし、繰り返すが、そもそも小沢事件なるものは、世の中がひっくり返るような大事件なのか。だれか犠牲になったのか、殺されたのか、著しく行政がネジ曲げられたのか。いま国会で話が進んでいる予算組み替えや消費税増税よりも、国民に大事なニュースなのか。大新聞に教えてほしいものだ。
しかも、小沢の有罪や刑務所入りが確実なら騒ぐのも分かるが、実際はその逆だ。検察が総力を挙げて立件を目指しながら、東京地検特捜部が2度も不起訴にせざるを得なかった事件である。無理に裁判をやったところで、たかが記載ミス事件。たいしたことのない話なのだ。

◆有罪でも罰金だけの小さな事件

「小沢氏が問われているのは政治資金規正法違反の虚偽記載ですが、まあ、報道を見る限り、有罪にするのは限りなく難しいでしょう。政治資金管理団体の代表者である小沢氏は、秘書の会計責任者の記載操作に深く関与していない限り、無罪。少し関与したから有罪だと判断されても、罰金でしょう。仮に全部がクロと判断された場合、つまり虚偽記載の理由がウラ献金隠しであり、悪質性が証明されたとしても、最悪で禁錮1年・執行猶予付きだと思います。ただ、最悪なことになる可能性はほとんどありません」(日大名誉教授・板倉宏氏=刑法)

おまけに弁護士が、新材料もなく「検察官役」をやらされる無理な裁判。検察のOBたちさえ「無罪」と口をそろえる事件なのである。そんなことは、大新聞は百も承知だ。だから朝日新聞は「有罪立証、困難も」なんてアリバイ記事も載せていたが、その横の記事では「党員資格の停止 執行部検討」なんて、小沢を干上がらせようとしている。
大マスコミの姿勢は、無罪になるかどうかは裁判所が決めることで、それまでは「推定犯罪人」だから、トコトン叩いておけ、クロの印象を強めろということだ。そこには良識のカケラもない。

検察のデッチ上げに協力して大失敗した「村木厚子・元厚労省局長」の冤罪事件の教訓や反省など、これっぽっちもないのだ。

◆小沢が狂ったように大マスコミに叩かれる理由

「小沢さんの事件は、つきつめれば、水谷建設からのヤミ献金1億円があったかどうか。それだけが焦点の事件」と語るのは、検察に詳しいジャーナリストの魚住昭氏だ。
「もっと言えば、時期からして、衆院議員の石川知裕元秘書に全日空ホテルで5000万円が渡されたかどうかです。しかし、検察はこの核心疑惑で立件できなかった。見立ては失敗したのです。5000万円の授受が証明できない限り、騒ぎ立てる事件ではありません。ましてや、国会で予算審議や景気問題よりも小沢さんの証人喚問要求を優先させたり、民主党内で処分だ離党だとやり合うのは、本当にバカらしいことですよ」

それなのに悪意に満ちた大新聞は、野党に証人喚問をたきつけ、一方で民主党執行部の尻を叩いて、小沢を離党や議員辞職に追い込もうとしている。肝心の疑惑のシロクロを検証することを放棄し、火もないのに煙だけあおっているのだから狂気の沙汰だ。新聞じゃない。小沢が「無罪だから、離党も辞職もない」と言うのは当然だし、説得力があるのだ。

大マスコミ記者の報道だけでは本当のことが伝わらないと、既存の記者クラブとは別のクラブができたが、その「自由報道協会」代表でジャーナリストの上杉隆氏がこう語る。
「小沢さんは私のインタビューで、なぜ狂ったように大メディアに叩かれるのか語ってくれた。大メディアはビジネスの仕組みそのものがさまざまな規制で守られていて、旧体制の中でも一番既得権を持っている。それに対して、記者クラブのオープンなど、小沢さんは旧体制を変えようとしたから、ケシカラン敵だと、何をやっても叩かれるんだと。その通りだと思います。付け加えれば、小沢さんの世話になった番記者たちが、新聞社の幹部や評論家になっていますが、彼らほど小沢さんに攻撃的です。なぜか。既得権の問題で小沢さんと対峙したとき、昔のことをバラされるんじゃないかと、勝手に怯えている。それで小沢さんを権力の座から追放し、早く消えてもらいたいのです」

◆小沢が消えて得する連中の陰謀

なるほど、だから「小沢=犯罪者」のガセ報道をあふれさせ、リンチや公開処刑のようなことを平気でやれるのだ。検察審査会というえたいの知れない集団や法律無知のシロウトを「市民の判断」などと権威付けして、小沢追放劇に利用しているのである。

正体不明、平均年齢34歳の検察審査会の議決は絶対で、神聖にして侵すべからずみたいになっているが、これはファシズムそのもの。それを裏で支えているのが、私利私欲の大マスコミという構図だから怖いし、あくどい。
「小沢さんがいない民主党政権は、どうにでも操れるし、いつでも潰せる。官僚組織、保守勢力、大マスコミ、アメリカといった旧体制が手を組んで小沢事件をつくり上げたのは間違いないでしょうし、現実はそうなっている。菅政権まで、その陰謀に加担して小沢排除に走っているのだから、みんな正気じゃありません。せめて、まともな国民だけは冷静でいないと、この国は大変なことになってしまいますよ」(政治評論家・本澤二郎氏)

小沢裁判は、強制起訴を受けて、これから公判前手続きに数カ月を費やす。本当の公判開始は早くて今年後半からとされる。検察もグルになった旧勢力の狙いは、小沢を半永久的に「被告」席に座らせ、手足も口も封じることだが、冗談じゃない。政権交代の立役者がなぜ、寄ってたかって葬られなければならないのか。

民主主義国のやることなのか。こんなデタラメ事件、リンチ報道が長続きするはずがない。

そこに正義と正当性はないのだから、破綻させなければいけないのだ。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/04 19:01

【144】八百万のお上が八百長報道をさせる国、日本 阿修羅転載その2

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 継続して相撲関連の投稿記事を阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

偽相撲-c
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/199.html
投稿者 asy8 日時 2011 年 2 月 02 日 19:31:55: 3ati27iqg4fYY

「八百長国技」日本の国技である相撲について、八百長が幅広く長期間にわたり伝統的に行われていたことが判明した。八百長というのは、相撲の試合で故意に負ける事である。本来は強い力士であっても、事前に話し合いにより、誰が勝って、誰が負けるかということが決められていた。そんな事をして、本来試合に勝てる力士に何の得があるのかというと、当然金である。勝てる試合でも、故意に負ける事により、裏金を受け取るのだ。どうしてそういうことが行われるのかというと、影で相撲の試合でばくちをやっている連中がいるからである。博打では、他の競輪、競馬、競艇のように、強いとされる選手が買っても、配当金が少ない。強い者が勝つのは、当然だからだ。しかし、公正な試合では、微妙な周囲の環境とか、選手の体調とか、些細な事で勝敗が分かれる事が多い。それでもやはり強い者が勝つ確率が高い。そこで、もしも本来負けるはずの弱い選手が勝利したときには、高い配当金が支払われる。それでギャンブルが成立する。普通は誰でも安全策を取って、勝てる見込みが高い選手に賭ける。しかし、それは配当金が少ない。かってもあまり面白くもない。そこで、負ける可能性の高い弱い選手に賭けるのである。すると、めったにないことだが、たまに弱い選手がたまたま勝利すると、それに賭けていた者が、多額の配当金を獲得し、一瞬で大金持ちになるということだ。ただし、そういうことはほとんどないので、決してギャンブルをしてはならない。相撲の勝敗で博打をすることは違法である。しかし、賭け事は幅広く行われていた。相撲協会の主催する相撲もいんちきであり、事前に勝敗が決まっていた。もちろん暴力団組織が深く関係しており、暴力団の資金源となっていた。そんな事は何も知らない純粋無垢な一般人は、本気で必死に応援していたのである。ところが日本相撲はすべていんちきであり、八百長の嘘っぱちだった。この衝撃は大きい。つまり、今まで応援してきた人々は、完全に無視され、馬鹿にされてきたのである。八百長が行われていることを承知していた相撲協会は、何も知らないふりをして嘲笑していたのである。これはあまりにもひどい話だ。もはや日本の国技は相撲ではない。日本の相撲は完全消滅し、日本からも全世界からも消えてなくなるだろう。すべての力士は失業する。これらからは八百長のないまともな国技を見つけなければならない。相撲観戦は、閣僚だけでなく、皇族も応援していたし、外国からも見物に来ていた。つまり、それらすべての人を侮辱したのである。こんな国技は必要ない。まったくの茶番劇であり、お芝居であり、要するにお遊戯大会である。作られた偽物の試合であり、馴れ合いのじゃれあいである。しかも相撲博打の金が暴力団の資金源となっていた。日本相撲協会は、暴力団組織と密接な関係を維持していた。これは恐ろしい事である。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 
 
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

相撲八百長・鳥インフル・斉藤投手おまけにKARAまで使って…小沢起訴の虚構性と菅政権のお粗末ぶりから目を逸らせる。
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/461.html
投稿者 新世紀人 日時 2011 年 2 月 04 日 12:23:22: uj2zhYZWUUp16

糟塵(マスコミ)宣伝機関は、国民に政治テーマについて関心を持たないように、関心を高めないように誘導する事に必死だ。

大相撲八百長疑惑なんてとっくに桜田門は掴んできているのではないのか。
プロ野球だって八百長はあるかも知れないのではないのかい?
ナベツネは野球人気の低落に危機感を持っているだろうから、プロ野球八百長が暴露されたら瀕死の重傷になるだろうな。

鳥インフルは渡り鳥が移したなんてことは怪しいのだ。
これは、人のインフルエンザの蔓延に繋がる事を心配する人達が少なからず居るからこの意味でも無視できないのだ。

日ハムの斉藤投手を不自然に宣伝しまくって「ゆうちゃん」などと宣伝しまくって韓流の如き扱いで特に女の人達の頭脳を麻痺させようとしている。
「小沢は黒い疑惑なのよ。菅首相はあんなものよ。」と済ませてしまうように中年・実年・老年を誘導するのだ。

挙句の果ては沢尻エリカ様のようにKARAを扱って若い男女の頭脳までも麻痺させようとしている。

そのうちにまた、酒井法子さんや押尾くんのようにボロボロにされて使われるタレントがピックアップされるのかもしれない。

小沢強制起訴の実態と本質 そして 菅政権の裏切り売国実態に国民が気がつくことを出来る限り阻止する事がテレビ・新聞・ラジオに与えられた使命なのだ。
利益に関係なくこれを彼らはやらせられるのだ。
なぜならマスディアの本質は経営体ではなく支配機関であるからだ。官僚組織と同様に任務に従って行動する。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

野球賭博、相撲賭博、八百長相撲 (リチャード・コシミズ・ブログ)
http://www.asyura2.com/10/senkyo88/msg/857.html
投稿者 いさむ 日時 2010 年 6 月 20 日 10:26:38: 4a1.KLUBdoI16

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201006/article_52.html
2010/06/20 08:29

野球賭博、相撲賭博、八百長相撲

「現役大関が、野球賭博をネタにやくざに脅されて300万円を口止め料に払った…。」で、「それは良くない。反省しなさい」と相撲協会が関係者をちょっと処分して一件落着。で、いいんですか?そんなもの、野球賭博だけで済むはずもなく、やくざは当然、力士の弱みに付け込んで「ねぇ、今度の取り組み、負けてくんない?」と打診。その通り負ければ、相撲賭博の胴元のヤー公が300万どころか10倍20倍のぼろ儲け。「相撲賭博」「八百長相撲」に世間の目が向くのを恐れた相撲協会は、大至急関係者を処分してけりをつけたいでしょうし、やくざも大事な飯の種を失いたくないから、ひたすら沈黙。警察幹部に顔のきく自民政治家や統一創価邪教豚にも必死の仲介依頼。中曽根や小泉あたりが裏で動いてもみ消し。だろうな。カスども。

●口止め料交渉 大嶽・時津風親方が同席 恐喝被害、数カ月前から把握 2010年6月20日(日)08:00
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20100620047.html

大相撲の野球賭博問題で、大関琴光喜関(34)=本名・田宮啓司=が暴力団関係者の元力士から賭博関与の口止め料として現金を要求された際、大嶽(おおたけ)親方(42)=元関脇貴闘力、本名・納谷忠茂=と時津風親方(36)=元幕内時津海、本名・坂本正博=の2人が、話し合いの場に同席していたことが19日、捜査関係者などへの取材で分かった。指導的立場にある親方らは当初から琴光喜関の恐喝被害を把握していたことになる。

一方、警視庁は19日から豊ノ島関(26)=本名・梶原大樹、豪栄道関(24)=本名・沢井豪太郎、豊響関(25)=本名・門元隆太=ら、日本相撲協会に野球賭博を自主申告した複数力士から一斉聴取を始めた。

琴光喜関は昨年末、賭博の仲介者である床山を通じ、同じ胴元に借金がある幕下力士に野球賭博の「勝ち金」500万円を求めたが、幕下力士の兄の元力士から賭博関与の口止め料として、現金約300万円を脅し取られたとされる。

関係者によると、元力士は約300万円の受領後も、琴光喜関に対して「さらに1億円を支払え」と、執拗(しつよう)に現金を要求してきた。

このため琴光喜関は同じ仲介者の紹介で野球賭博を始めた大嶽親方と時津風親方に恐喝被害を相談。琴光喜関と大嶽親方、時津風親方の3人は今年3月ごろ、元力士と面会し、金銭要求をやめるよう交渉の場を持ったという。

交渉には、元力士の弟の幕下力士と、暴力団関係者を名乗る男も同席。元力士側は交渉の場でも改めて口止め料を求めたうえ、以降も琴光喜関への金銭要求を続けたとされる。

これまでの警視庁の事情聴取に対し、琴光喜関、大嶽親方、時津風親方は賭博への関与を認めている。

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(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

伊藤滋座長は「パチンコ団体」の理事長だった。相撲協会外部理事から永久追放すべきじゃないのか!!! 山崎行太郎の『毒蛇山荘
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/516.html
投稿者 行雲流水 日時 2010 年 6 月 30 日 06:15:27: CcbUdNyBAG7Z2

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100629/1277826414

2010-06-29 00:46
伊藤滋座長は「パチンコ団体」の理事長だった。パチンコ業者が作った警察の天下り団体「社会安全研究財団 」の理事長だと。なんなんだ? この男は・・・。(笑) まず、日本国民として、この公営ギャンブル擁護のインチキ座長こそ、相撲協会外部理事から永久追放すべきじゃないのか!!!

読者からの情報(コメント)によると、以下の通り。この「パチンコ団体理事長」は、警察、検察 と親しい関係にあるということだろう。このパチンコ理事長にとっては大相撲よりパチンコが大事なのだろう。笑うべし。

■「痛いテレビ」ブログ

http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51476466.html

■ななし 2010/06/29 21:43

この御仁、パチンコ業者が作った警察の天下り団体の理事長やってるんだから笑える

■悲しいです 2010/06/29 22:19

「痛いテレビ」というブログによると↓↓↓http://zarutoro.livedoor.biz/

『相撲協会の野球賭博を追及している特別調査委員会の伊藤滋座長が、パチンコ関係の団体「社会安全研究財団 」の理事長をしていることが分かった。「社会安全研究財団 」は、寝ててもパチンコ台の特許料が転がり込んで来る、警察天下り官僚癒着の総本山と、週刊ポストで溝口敦さんが指摘していた団体』

・・・とのこと。伊藤滋さんは学校の先生なのに、警察官僚の天下り先で理事長をしながらパチンコギャンブルは守り、相撲協会を叩いていたのですか。このダブルスタンダードを生徒たちにどう申し開きするのか。

そんな伊藤滋さんが相撲協会を断罪し、ヤメ検元官僚の村山弘義さんが理事長代行に就任するとしたら、警察・検察の出来レースに見えてしまう。

角界の賭博騒動で正論を吐く伊藤滋さんの素顔が見えてきた。

厚顔無恥・盗人猛々しいという言葉の意味を辞書で調べておきます。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

週刊現代を巡るメディア支配の裏側(大相撲八百長報道と小沢一郎民主党代表の金脈
http://www.asyura2.com/09/senkyo60/msg/833.html
投稿者 taked4700 日時 2009 年 3 月 27 日 13:40:24: 9XFNe/BiX575U

 講談社が発行している週刊誌である週刊現代が大相撲の八百長疑惑を報道したのは、昨年2008年春であった。そして、八百長には何人もの証言者と関係者の会話の録音テープが証拠としてあげられた。(これについては、次のサイトを参照:http://www.narinari.com/Nd/2007067537.html「大相撲八百長疑惑、「週刊現代」が“証拠音声”をネットで公開」を参照のこと)

 しかし、これらの証拠があるにも関わらず、3月26日、東京地裁の「中村也寸志裁判長は『取材は極めてずさんというほかない』と同社側の姿勢を厳しく批判した」という。そして、この種の名誉毀損裁判では極めてまれな金額の4290万円賠償命令を講談社などに命じた。(この投稿の最後に記事を引用)

 そして、八百長報道が一段落してから始まったのが、小沢一郎民主党代表についての金脈追求疑惑報道なのだ。八百長報道の次に力士の大麻汚染報道が始まり、昨年2008年の9月から「小沢一郎民主党代表の金脈を撃つ」という松田賢弥の連載記事が始まる。

 同じく講談社発行の月刊現代という雑誌は昨年2008年末に廃刊になっている。一応2009年1月号で休刊としているが、実質的には廃刊だ。

 新潮社が出していた写真週刊誌「フォーカス」が廃刊になったのは2001年8月7日。廃刊の約2年前の1999年、フォーカスは、埼玉県の桶川ストーカー殺人事件で、警察より先に犯人を特定し報道。その後、埼玉県警が被害者から告訴状を受理しながら、ほとんど捜査をしていなかった事実も暴いた。桶川ストーカー殺人事件の犯人を特定した記事を担当していた清水潔記者の娘さんは、その後、事故死していることが、清水記者の著書に記されている。フォーカス以外の写真週刊誌は、FLASH、FRIDAYとも存続している。

 政治関連のスキャンダル報道で、名誉毀損判決を出し、高額な賠償金を命じたら、多分、世論から非難を浴びるだろう。しかし、大相撲の八百長報道での高額賠償金なら、そう言った非難はあまり起こらない。しかし、メディアは、萎縮してしまい、告発記事を書くことをためらうはずだ。

 週刊誌側が、裁判の行方を心配して、権力者側におもねり、小沢一郎金脈疑惑追及の連載を始めたと見ることが自然ではないだろうか?そして、金脈追求報道があまり効果を上げていないことにいらだって高額賠償命令が出されたと言うわけだ。

http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200903260260.htmlより引用:

講談社などに4290万円賠償命令 大相撲八百長報道
2009年3月27日3時0分

大相撲の「八百長」疑惑を報じた雑誌「週刊現代」の記事をめぐる名誉棄損訴訟で、東京地裁は26日、発行元の講談社(東京都文京区)などに計4290万円の支払いと、記事を取り消す内容の広告を同誌に掲載するよう命じる判決を言い渡した。中村也寸志裁判長は「取材は極めてずさんというほかない」と同社側の姿勢を厳しく批判した。

 横綱・朝青龍ら力士30人と日本相撲協会が約6億2千万円を求めていた。判決は、力士全員と協会への賠償を命令。最高額は「八百長を頻繁にしていた」と報じられた朝青龍の1100万円で、協会は660万円だった。

 八百長疑惑報道をめぐって同社側が名誉棄損を認定されたのは、北の湖親方が原告となった訴訟の判決(今月5日)に続いて2件目。今回の判決の賠償額は、雑誌の記事をめぐる名誉棄損訴訟で命じられた賠償総額としては過去最高とみられる。

 問題となったのは、同誌が07年2月3日号から連載した「横綱朝青龍の八百長を告発する!」など3本の記事。

 判決は、記事を書いたフリーライター武田頼政氏(50)が「関係者から八百長について聞いた」と主張したことを「八百長の合意や金銭の授受についての具体的な内容を明らかにしておらず、真実であると裏付けられない」と指摘。証人として出廷した元小結・板井圭介氏の証言も裏付けにならないと判断した。

 そのうえで、70万部を超える雑誌の連載で社会の注目を集めたことなどの背景を挙げ、「八百長が認められるなら力士生命に直接かかわるもので、黙認した協会も存立の危機になりかねない」と高額の賠償を認めた理由を説明。「被害回復は損害賠償だけでは十分ではない」として取り消し広告の掲載も命じた。(河原田慎一)

以上引用終わり。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

八百長考察 [EL PARQUE ~Sports & Outdoor! ~]
http://www.asyura2.com/0610/news4/msg/479.html
投稿者 white 日時 2007 年 3 月 13 日 18:13:16: QYBiAyr6jr5Ac

(回答先: 朝青龍連敗に騒然=影落とす八百長報道-大相撲春場所2日目 [時事通信] 投稿者 white 日時 2007 年 3 月 13 日 02:05:03)

□八百長考察 [EL PARQUE ~Sports & Outdoor! ~]

 http://elparque.cside1.jp/sports/kon/pre_c7.html

八百長考察
ジャンル:相撲

さて、昨今、板井圭介氏(43、大相撲元小結)が、「相撲界には八百長がある」と外国人記者クラブで公表して話題を呼んでいますが、八百長というものは今に始まったことではありません。私は八百長という行為が絶対に間違っていると考えているわけではありませんが、ともあれその起源と経緯を探ってみました。なお、コラム3の「力士対戦の変遷と今後の展望」を参照していただくと、よりわかりやすいと思います。

1. 八百長の起源と大相撲の礎

相撲が公式的な行事となったのは、江戸時代中期、「力士」と呼ばれる強者たちが、各藩に抱えられ、藩の交流を目的に対戦したのが始まりである。
そこにおいて存在した、藩の力関係が今に言われる「八百長」の起源とされる。力の弱い藩の力士が、強い藩の力士に勝つことは、時と場合によっては許されないことがあり、そこで金や物を与えて、あらかじめ勝負の行方を決めておく、ということがあったという。
加えて言うのであれば、弱い藩にいながら、実力のある力士は、より高い褒賞を与えることを約束に、強い藩に抱えられる、といったケースもあった。そこで動いていたのはやはり、金銭や高価なものであった。
19世紀中頃には江戸幕府が崩壊し、藩という存在がなくなると、力士たちは途方にくれた。そこで時の権力者、とりわけ旧幕府にあたる者たちが動いて、東京市に設立したのが「東京大角力協会」である。これが現在の「日本相撲協会」の前身にあたる。
が、しかし、後ろ盾を失った「相撲」という行事は次第に小規模化し、その存在も希薄になっていった。その証拠に、明治元年(1868年)から明治30年(1897年)までの間、横綱はわずか5人しか出ていない。加えて、東京以外にも、大阪、京都に相撲協会が設立され、各協会ごとに「別物」として場所を開催していたのである。明治後期まで、その状態は続いた。
しかし、ある人物の登場で、「相撲」が、「行事」ではなく、「競技」というものになった。

2.「出羽海部屋」 黄金時代

板垣退助は無類の好角家として知られていた。大横綱として知られる太刀山峰右衛門(第22代)を相撲界にスカウトしたのも彼だし、「大日本角力協会」の援助も積極的に行ってきた。
その彼が東京市両国(現在の東京都墨田区両国)に国技館の建設を提案し、実行に移されたのである。今までは旧幕府の名残であった「土俵」で行われてきた相撲であったが、「相撲専用競技場」を作ることにしたのである。
それと同時に彼は、数字的な部分を整えた。
記録を公式化し、優勝制度を作り上げ、安定しなかった本場所の開催日数を10日と決め、現在の基礎となる形を作り上げたのだ。
そんな中で生まれてきたのが「出羽海部屋」である。
相撲の現在の制度の基礎が確立したときに第一人者として君臨していた常陸山谷右衛門(第19代横綱)は引退後、「出羽海」というちっぽけな部屋を継承し、まったくのゼロから弟子探し、弟子育てをはじめた。
そして板垣退助の死後、協会の大ボスとして君臨し、元横綱としての人脈の広さ(彼は認知した子供だけでも30人以上いると言われ、各地方に多くの親族、知人がいた)、豪放磊落なその性格、「御大」と呼ばれたカリスマ性で、出羽海部屋は瞬く間に角界ナンバー1の部屋となり、横綱大錦(26代)、栃木山(27代)をはじめとして、100人以上の幕内力士を輩出した。
そして番付の片側を独占し、実質は出羽海部屋が幕内の星勘定を支配するようになる。そこで再び「八百長」の色が再浮上してきた。 大正11年(1922年)の彼の死の前後から、今度は「出羽海と出羽海に取り入る者」と「その他大勢」という図式が濃くなり、激しい対立軸が発生した。現在の金銭の支払いや制度に不満を持つ出羽海勢と、西方の番付を独占し、好き勝手に勝敗を引っ掻き回していたことに対する不満を持つその他大勢。協会内で「高砂」という強い新勢力も発生し、いつ爆発するかもしれない状態で、本場所は開催されていた。 そんな中で翌年初頭、力士の待遇改善を求めて、横綱大錦をはじめとする出羽海勢が篭城事件を起こした。これが「三河島事件」である。
調停は不調に終わり、大錦は責任をとって引退したが、これが「八百長」の存在に大きく影響することになる。対立のおかげで、表立った八百長が減少したの だ。そして同年9月の関東大震災により、壊滅的なダメージを受けた「東京大角力協会」は、経営不振の続く「大阪大角力協会」と合併、「財団法人大日本大角力協会」とし、ようやく安定期に入ったかのように見えた。
しかし、東京場所と関西場所では別の番付とし、東京場所は東京場所での成績、関西場所は関西場所の成績で番付を作るなどの不条理が発生するなど、なかなか思うように軌道に乗らなかった。出羽海部屋は相変わらずの大所帯だったものの、玉錦(第32代横綱)や清水川(大関)といった、出羽海に対抗する勢力が生まれたり、常陸山の弟子と、次の出羽海である横綱常ノ花(第31代)の弟子という派閥が発生するなど、相変わらず問題は多く、加えて「天竜と武蔵山の大関昇進問題(先代の弟子である天竜を、次代出羽海の弟子である武蔵山よりも先に大関に上がるらせるべきだと盛んに八百長が行われていた)」で、武蔵山(後33代横綱)が天竜側から様々な妨害を受けたにもかかわらず、天竜よりも先に大関に昇進した。これは権力の強い出羽海と、協会とが生み出した対立軸で、これが後に大事件の発生につながる。
そこで起きたのが、昭和7年(1932年)1月6日に起きた「春秋園事件」である。出羽海部屋の関取が東京市外大井(現在の東京都品川区外大井)の「春秋園」に立て篭もり、協会に改革を迫ったのである。
しかしこれは建前で、実際は大関に上がれなかった天竜に、武蔵山偏重の協会に対する反感も相重なって同情が集まったことにより、「三河島事件」でも不調に終わった力士待遇改善を「ついでに」行ったものである。 果たして、交渉が不調に終わると、2月12日、関脇天竜(後解説者)、大関大ノ里をはじめとした出羽海部屋の西方力士、関係年寄などは協会を脱退、東方力士の一部も同調して脱退し、それぞれ「新興力士団」と「革新力士団」を設立し、双方で「大日本相撲連盟」を設立、協会はそれら力士、年寄を除名処分とした
ここに、中軸がもぬけのカラとなった「大日本大角力協会」は大打撃を受けたが、後年には天竜の高すぎる理想についていけない力士が相次いで帰参することとなり、まもなく廃れていった。
天竜と大ノ里はその後、満州の大連に渡り、細々と相撲興行を続けたが、大ノ里は現地で結核にかかって非業の死を遂げ(享年45歳)、天竜は戦後に帰国して、解説者を務めることになる。
ともあれ、「出羽海」という軸が一回抜けた以上、そこから帰参した力士に対する協会の扱いは極めて辛辣なもので、ここに出羽海黄金時代は終焉を遂げた。

3. 双葉山

「春秋園事件」で大量の関取が抜け、カラとなった番付。そこで協会に残った幕下、十両の力士が繰り上げで幕内に昇進した。その中に彼はいた。
彼の名は「双葉山定次」。後に相撲界全体を背負っていく人物である。
連勝を続け、事件で落ちた相撲人気が爆発的なものになるにつれ、いわゆる「スポーツマンシップとしてのライヴァル意識」が生まれるようになった。玉錦(二所ノ関部屋)と双葉山(立浪)、羽黒山(第36代横綱、立浪)と名寄岩(大関、立浪)、他にも照国(第38代横綱、伊勢ケ浜)や安藝ノ海(第37代横綱、出羽海)などがしのぎを削り、八百長などまったく囁かれなくなった。
しかし昭和21年11月の双葉山の引退後、出羽海とその他大勢という派閥は細分化し、立浪系統、高砂系統、出羽海系統、二所ノ関系統と、より複雑になり、そこでの派閥争いは激化した。とりわけ、出羽海理事長時代(元横綱常ノ花が昭和32年5月まで)は衆議院でその体制について審議されたり、問題の多い時代であった。
土俵の上ではというと、栃錦と若乃花の栃若時代が展開されるなど、華やかで、人情で負けてやるというようなことはあっても、あからさまで悪意のある八百長はほとんど展開されない、古き良き時代であった。
その様相が変わってきたのが柏鵬時代中期からである。

4.現代の八百長の方法論が露呈される

そもそもは昭和38年(1963年)9月場所、それまで3場所休場(うち2場所全休)していた横綱柏戸が、千秋楽に全勝同士で当たった横綱大鵬を一気に寄り切った相撲に対して、作家の石原慎太郎(現東京都知事)が新聞紙上で痛烈に批判したことがきっかけである。
「見る人間が見ればわかるよ、相撲協会さん。千秋楽の優勝決定、あれは一体何ですかね。中継のアナウンサーも、柏戸優勝と声を震わせて見せるのに苦労したろう。アナウンサーにまで芝居をさせるとは、協会も罪なものだ。
あの日、冷静で目の届くところに座っていたテレビ数百万の観客がいる。テレビというものの恐ろしさを相撲協会さん、あなたは考えたことがあるか。
協会は横綱までをよく飼い馴らしたつもりでも、観客を飼い馴らすことは出来ない。お前さんたちが千秋楽の土俵に上げた二人が大根役者なのはみんなが見て知っている。
大鵬君、北葉山(注、14日目、対大関)をもろくも土俵にひねりつぶした君の力が、なぜ柏戸に向かって全く出ずに終わり、あんなにもろくも敗れるのだ。人を愚弄するなと言いたい。八百長で保たれる横綱の権威なんてものは全体、スポーツとは何の関係もない。
あんな相撲がどうして国技なのか、あれが日本の精神ですか。尊い国歌をあんなつまらぬ八百長のショーの後にぬけぬけと歌わないでくれ。」
これが当時花形の作家の物言いということで、大反響を呼び、ひそかに内在していた八百長に対する議論がにぎやかとなったのである。
工作相撲が起こるケースとは、当時も今もいっしょである。十両や幕下に落ちるか否か、もしくは逆のケース、三役、大関、横綱、優勝などが絡んでくるとき、である。
簡単に言えば、前頭10枚目ほどで8勝6敗の力士と前頭13枚目くらいで6勝8敗の力士が千秋楽にあたる場合、前もって13枚目は10枚目にいくらかの金を払い、「星を買う」のである。これがいわゆる「注射」である。もちろん、別の場所で、13枚目が10枚目に返す機会があるときに返すのである。それが重なりに重なって八百長が横行し始めたのが昭和40年代の中頃である。
大鵬が衰え、しきりに星を買いに走ったことと、北の富士(現解説者、第52代横綱)と玉の海(第51代横綱)が台頭してきたことが主な要因だが、タニマチ(後援者)に強い者がいる北の富士は、実力は関脇並なのに、大関になる前からしきりに星を買っていたことは有名で、彼が軸となって、昭和40年代の相撲は八百長地獄に陥った。
そんな中で横綱玉の海はガチンコ(真剣勝負)で通し、やがて病のために早逝することになると、ますます八百長がはびこった。
表沙汰にはならなかったが、この時代に八百長が大きく拡大したことで、「見るものが見ればわかるよ」と石原慎太郎が言ったとおりに、観客動員は激減した。
昭和49年(1974年)7月場所に北の富士が引退し、北の湖(現北の湖親方、第55代横綱)が土俵に君臨するころにはそれほど盛んには「注射」が行われなくなっていたが、北の富士の弟子である千代の富士(現九重親方、第58代横綱)が台頭してからは、再び八百長地獄に陥った。
見てもわかるとおり、八百長の軸は九重部屋である。九重部屋は「高砂一門」に属し、ほかにも井筒部屋、高砂部屋、大鳴戸部屋などがあるが、そこを軸に昭和50年代後期から、平成初期にかけて八百長が展開されたという。
そこで冒頭に登場した板井(大鳴戸部屋)は、師匠(元関脇高鐵山)が北の富士の手先として八百長を仕切っていたこともあって、千代の富士の手先として八百長を取り仕切った。実力は相当なものといわれながら、小結どまりだったのはそのためだという。本人は言及していないが、八百長組の対立軸である藤島(現二子山)、三保ヶ関、放駒、時津風などの力士を痛めつけたらしい。
とりわけ板井が大乃国(放駒部屋、第62代横綱)をテーピングでグルグル巻きにした張り手で土俵に沈めたのは有名で、この頃は「千代の富士(か板井)に取り入るか否かで相撲人生が決まる」とまで言われた。
しかし、平成3年(1991年)5月場所の千代の富士の引退で一気に沈静し、さらにガチンコとして有名な二子山部屋の力士が土俵に君臨したことで拍車がかかり、現在に至っている。

ともあれ、板井氏が今頃になって「八百長」があったなどと大々的に言い出しましたが、私は現在は相撲自体のレヴェルが下がっているとしても、八百長の存在はほとんどなく、あるとしてもごく些細なものでしかないと思っています。とりわけ、ガチンコが上位を占めている現在では、幅を利かせようもありません。
力士は「プロ」ではなく、月給制の「サラリーマン」ですので、ほかの専門プロ選手よりもはるかに収入が少ないのが現状で、古くからの慣習で、弟子に大盤振る舞いをしたりするとはいっても、金銭的にそう余裕があるわけではありません。ですから星の売り買いも存在するのでしょう。力士は「相撲のプロ」というよりも、「相撲の商売人」なのではないかと私は思います。
ですから、星の売り買いは、相撲界で生きていくための「手段」であって、八百長、八百長と大仰に騒ぐ前に、その辺から議論を突き詰めていったほうが、より建設的でもあるし、実際に八百長があるとしたら、そのほうが追求しやすいのではないかと思います。
もちろん八百長が正当ということではありません。数百年も続く慣習(伝統ではなく)を排除するには、ただ現実を暴露して非難するだけでなく、相撲界の本当の仕組みも知っておかなければいけないでしょう。もし協会が「八百長はない」といえば、いくら証人がいても、あくまでそれは具現物ではない言葉であって、実際の証拠はないのですから、マスコミはよりこのことを追求したければ、もう少し相撲の歴史を勉強しなければいけませんね。<了>

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/04 19:00

【143】八百万のお上が八百長報道をさせる国、日本 阿修羅転載その1

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 以下、本文は基本「だ・である」口調の文体でいきます。

 毎度おなじみワンパターンで「芸能界」→「角界」→「芸能界」→「角界」→「芸能界」→「角界」のスキャンダルや不正行為の発覚報道。さすがにマンネリ過ぎて飽きがくる。

 自分達の不都合な真実を覆い隠すために都合よく謀略報道を垂れ流して、スケープゴートにさせられた人間達の、八つ裂きにされた人生のことを少しは考えないのか? この国の八百万の上々(かみがみ。植草一秀氏の表現を借りれば「官・業・政・電」の人々。「米」はもっと上なので対象外)よ。赤い血も流れる涙もないのか貴方達は。

 

八百長メール認めた千代白鵬ら3人 史上初の永久追放へ…6日にも除名処分:相撲:スポーツ:スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20110204-OHT1T00016.htm

東京新聞八百長問題 協会、初の除名検討スポーツ(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011020490070755.html

時事ドットコム:相撲協会の除名と解雇
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011020400360
 
 

「これまでの問題とは質が違う。一部の人間の行為で何百人が迷惑を被っているのか。それを考えると、協会から追放するしかない」とある理事は憤った。だと。除名処分、永久追放の検討だと。いくら組織の論理で動くとはいえ、口を拭ってこんなことを。

 疚しくないのかね。各人の私的行為に帰してトカゲの尻尾切りで。一体全体、誰に批判・非難・弾劾する資格があるの? それに史上初のって、あの弟子を稽古で痛めつけて、殺したも同然で死なせた件が何年か前にあったけど、あれはどういう処分になったんだっけか。除名になってないの。バランス感覚おかしくない?

 相撲は国技であると法で定めているわけではないらしいが、伝統競技としての日本文化であることは相違ない。角界は日本の縮図なので土壌、風土も日本人組織人間の行動様式そのままだから、風通しも最悪だろうことは容易に想像がつく。

 今回の件は捏造・でっち上げかどうか知らないが、事実であったとしても驚きなどない。常態化している実情が露見「させられた」だけの話だろう。露呈する「時期」を選定する前まではネタを「とっておく」わけだ。

 横綱白鵬の連勝記録がストップしたことから分かるように真剣な試合もあるのだろうが、今まで八百長が無かったなんていう公式見解は馬鹿らし過ぎる。その無理が2011年になって吹き出てしまっただけ。

 まぁそれは元から観客相手の商売でありエンターテインメントなんだから、私は冷め切っているので怒りなんて一向に沸いてこない。プロレスなんてヤラセで盛り上げているし、面白ければ全然問題ない。八百長は相撲だけに限ったことでもない。賭博やら暴力団とも、相撲との関係が深いということはあるが、他のスポーツは関係していないということもないだろう。多かれ少なかれあるさ。

 政治的目くらまし報道の犠牲者にされた芸能人や力士の各人には同情するが、芸能界や角界自体には軽蔑の念しかない。上はみんなヤクザや官僚、新聞テレビや広告業界のスポンサー、政治屋達とグルだろうから下っ端を生贄にする。横審なんてどうしようもないよ。検審みたいなもんだ。

 もはや芸能界や角界の上の方からは、力が失われてきているのだろう。不正「発覚」圧力を跳ね除けられなくなってきているので、業界全体を守ることが出来ない。お上の尻拭いを業界にさせられてしまって、世間も敵にまわしているから忍従の屈従をしている。だから業界トップですら一人一人が生き残るしかない状態だろう。

 21世紀、こういう時代なんだから、これを機会にもっとサッパリしたらいいんじゃないの? 娯楽なんだから、そりゃヤラセくらいあるでしょうよ。それも分かった上でお客様もいらしてくださいね、と。お互いに大人なんだから。

 新聞テレビなんて、1年365日、全部が全部ヤラセばかりじゃないの。誰それコメンテーターやら茶坊主知識人やら似非文化人に批判されるなんて冗談じゃないよ、と正直に言ったらいい社会に向かっていると判断する。

 どうせだったらこの際、朝青龍を理事全員が平身低頭で呼び戻したら一気に相撲が面白くなるんじゃないの? 例の暴行事件については、詳しい背景など知らないが、事実だったのなら確かに法の処分を受けてしかるべきだと私も考える。暴言やら素行不良なんて笑えるもんだが、暴行は断じてそうはいかない。むしろもっと断固たるべきで例外があってはならないと考える。だがそれは司法と裁判の話であって、分かっていることは朝青龍を批判出来るほどの人間は角界内部にはそうそういまい。

 元々そういう世界なんだからと思えば別段、違和感もない。復活した悪役、悪玉そのものである朝青龍を投入して善玉・白鵬と激闘するとかね。嫌われ者は必要だから生かす道をとるべきじゃなかったか。

 それでは関連投稿記事を阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。記録保存のためでもあるので全て読む必要はないかと存じます。2回にわけます。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

八百長メール 元小結ら13人 取り口も打ち合わせ
http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/291.html
投稿者 めっちゃホリディ 日時 2011 年 2 月 02 日 16:52:12: ButNssLaEkEzg

毎日新聞 2月2日(水)15時0分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000030-maip-soci

 大相撲の力士による八百長疑惑で、警視庁が押収した携帯電話で八百長をうかがわせるメールをやり取りしていた力士は13人で、昨年3~6月に約50回に上ることが分かった。内訳は幕内・十両力士各4人、幕下力士と引退した力士が計5人で、引退力士には元小結、元十両の親方2人も含まれていた。金銭で勝ち星を売買していたほか、場所ごとに勝ち負けをやりとりする内容が含まれていたことも判明。「まっすぐ突っ込んでいく」「こういうふうに倒れてくれ」などと取り口の記述も詳細で、警察庁は2日午前、メールの内容を文部科学省に伝えた。

 高木義明文科相は2日、事実関係を調査するよう日本相撲協会に指示。文科省から情報提供を受けた協会は午後から、臨時理事会を開き対応を協議することを決めた。協会の放駒理事長(元大関・魁傑)は報道陣に「今後のことは、情報を収集してから考えたい」と述べるにとどまった。

 捜査関係者によると、八百長を打ち合わせる内容が残っていたのは、警視庁が摘発した野球賭博事件に絡んで押収した十両力士数人の携帯電話メール。大半は昨年5月の週刊誌報道後に消去されていたが、警視庁は携帯電話メーカーの協力を得て、メールの送受信記録を復元して解析を進めていた。

 メールは力士同士で頻繁にやり取りしていたとみられ、数十万円単位で勝ち星を売買している実態のほか、場所ごとに金銭を伴わずに勝ち星をやり取りする内容もあった。

 また、八百長当日の取り口を立ち合い以降の最初の一手から入念にシミュレートする内容まで残っていたという。

 文科省担当者によると、メールには「20」「30」「50」など八百長で授受した金額を示すとみられる数字や、銀行口座も記されていた。「まっすぐ突っ込んでいく」など取組手順を打ち合わせるような記述もあった。

 協会は72年、「故意による無気力相撲懲罰規定」を施行し、無気力相撲を指摘したうえで当事者らに注意をした。だが一貫して、八百長と無気力相撲は別だと主張してきた。

 警視庁は相撲を賭けの対象とした相撲賭博の可能性もあるとみて裏付け捜査を進めたが、暴力団関係者の関与や賭け客の存在は浮上しなかったことから、賭博罪での立件は見送られる公算だ。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

菅内閣の八百長と大相撲の八百長では、どっちが深刻か? 決まっているだろう、菅内閣の八百長と検察・マスコミの八百長こそ重大
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/467.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 2 月 04 日 13:57:40: FjY83HydhgNT2

菅内閣の八百長と大相撲の八百長では、どっちが深刻か? 決まっているだろう、菅内閣の八百長と検察・マスコミの八百長こそ重大問題だろう。 – 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110204/1296769331

今や大相撲は、「検察、マスコミ、政府」の「オモチャ」にされているようで、「検察、マスコミ、政府」が都合の悪いことになると、それを隠蔽し、争点をずらすかのように、必ず大相撲スキャンダル発生(笑)……という定式が出来上がっているようだが、今回も、すでに昨年夏の捜査で力士たちの携帯を押収し、専門家に依頼し、分析、解明した時点で判明していた「メール賭博」事件を、今日まで隠しておき、小沢一郎の「検察審査会起訴(強制起訴)」騒動や国会開会で検察批判やマスコミ批判が沸騰するのにタイミングを合わせるかのように、暴露し、事件化したというわけだろう。ミエミオなのである。そして、いてもいなくても、どうでもいいような三流の国会議員や総理大臣までが、しゃしゃり出てきて、大相撲を存在意義がないとか、徹底調査すべしとかなんとか言って、大相撲を文科省認定から取消し、結果的に解散に追い込むかのような思いあがった発言をしているようだが、われわれ日本国民にとっては自民党や民主党のチンピラ政治家こそ、存在意義のない、どうでもいい存在なのであって、大相撲はそうではなく、大相撲が滅びれば日本民族が滅びる、というほどの必要不可欠な民族的な儀式の一つなのである。好き嫌いは別として、大相撲なんて知らないよ、大相撲がなくなってもわれわれの生活とはなんの関係もないよ、と考えている日本人がいたとしたら、そんな日本人は「日本人失格」と言うべきだろう。今、進行中の「エジプト革命(政変)」が教えてくれるのは欧米発の民主主義なるもののルールの「八百長」性であるが、その八百長は、大相撲の八百長とは悪質性においては桁が違うし、また日本の「検察、マスコミ、政府」の「八百長」と比べても、大相撲の八百長など可愛いものである。僕の小さいころ、日本国民の多くはプロレスと大相撲とプロ野球が大好きだったが、八百長や賭博は、お祭りにヤクザが不可欠なようにこ、これらのプロスポーツにはつきものだろう。プロレスと大相撲とプロ野球……から八百長や賭博を排除したら、金魚鉢から水を抜くようなもので、それこそ、存在意義がなくなってしまうだろう。問題は程度問題ということであって、八百長や賭博は、公然とはあってはならないが、しかし実質的にはなくてはならないもの、つまりわれわれの日常生活には不可欠なものなのであり、一種の必要悪とでも言うべきものだろう。繰り返して言うが、「大相撲賭博メール事件」なんて、新聞やテレビが大騒ぎするような大問題ではない。優勝決定戦に八百長があってはならないが、たかが十両力士たちの相撲である。むろん、新聞やテレビが大騒ぎするところを見ると、何かを隠そうとしているな、と思うのは当然だろう。大手マスコミは、小沢一郎の検察審査会起訴と同時に沸騰し始めた「検察スキャンダル」と「マスコミ・スキャンダル」、つまり検察とマスコミの合作である「小沢一郎バッシング捏造報道」スキャンダルでも隠したいんじゃないのか。
(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「相撲スピン」で小沢一郎氏に有利なニュースが吹っ飛んだ(低気温のエクスタシー)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/523.html
投稿者 七瀬たびたび 日時 2011 年 2 月 02 日 17:31:59: bo2NmpzpRHGO6

http://alcyone.seesaa.net/article/183803036.html

株式会社 日刊現代
http://twitter.com/#!/nikkan_gendai/status/32648870529863680
日刊ゲンダイ 【小沢強制起訴】
石川知裕議員 水谷建設元会長を「証人申請」 
これで小沢無罪は証明される

☆陸山会事件 石川被告側が水谷建設元会長を証人申請へ
(産経新聞。14時31分配信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000552-san-soci

http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/325.html

関係者によると、水谷元会長は東京地検特捜部の任意の事情聴取に、同社の元社長(53)を通じ、小沢被告側に平成16年10月と17年4月に5千万円ずつ計1億円を提供したとの趣旨を供述。しかしその後、周囲に「元社長が小沢被告側に渡したかは分からない」などと話したという。

また弁護側は、同社の元運転手も証人申請する。元運転手は特捜部の任意聴取に、元社長が石川被告に5千万円を渡したと供述した16年10月の裏献金の際、元社長を受け渡し場所となった都内のホテルまで送迎したと供述したが、現在は「記憶がない」などとしているという。

株式会社 日刊現代
http://twitter.com/#!/nikkan_gendai/status/32646047545171969
日刊ゲンダイ 【集中連載】
検察捜査のスタート「西松建設ダミー献金事件」はなぜ消えた 
ここでも崩壊した特捜部シナリオ 
[国民は騙されている 小沢「強制起訴」の虚構]

               ↓

☆八百長メール 元小結ら13人 取り口も打ち合わせ
(毎日新聞。15時0分配信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000030-maip-soci

http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/291.html

大相撲の力士による八百長疑惑で、警視庁が押収した携帯電話で八百長をうかがわせるメールをやり取りしていた力士は13人で、昨年3~6月に約50回に上ることが分かった。内訳は幕内・十両力士各4人、幕下力士と引退した力士が計5人で、引退力士には元小結、元十両の親方2人も含まれていた。

Hajime Shimokawa
http://twitter.com/#!/hajime_shimokaw/status/32695939709796352
大相撲の八百長事件が今頃出てくることに要注意!エジプトの革命騒動より相撲の八百長が重要か?沢尻・海老蔵・大相撲は、目くらまし。相撲の技なら”猫ダマシ”。

             ↓

《夕方の民放テレビニュース》

259 名前:名無しさんにズームイン![sage]
投稿日:2011/02/02(水) 16:54:57.15 ID:YpeBXYZ/ [2/3]
どのチャンネルもトップは相撲か

275 名前:名無しさんにズームイン![sage]
投稿日:2011/02/02(水) 16:56:18.82 ID:1pU4sVZ3
実名出してそいつらだけ処分して終わりだな

285 名前:名無しさんにズームイン![sage]
投稿日:2011/02/02(水) 16:57:03.46 ID:/jowDHde
相撲うぜーな
エジプトやれ

578 名前:名無しでいいとも![]
投稿日:2011/02/02(水) 17:02:17.92 ID:m03dzWDp
ハンカチとか相撲とか、こんなどうでも良い話題のときに
民主党がこっそりととんでも法案通しそうで怖い

821 名前:名無しステーション[]
投稿日:2011/02/02(水) 17:08:59.36 ID:y9dBWej3 [2/2]
こりゃ夜も相撲ステーションだな

☆スピン (パブリック・リレーションズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/スピン_(パブリック・リレーションズ)

他にも、悪いニュースの公表を遅らせて、より重要もしくは良いニュースや事件の陰に隠れて目立たないようにするテクニックもある。2001年9月11日にイギリスの政府広報担当者ジョー・ムーアが送信した電子メールの中で、「今日は、葬り去りたいニュースを発表するには絶好の日だ」と書いたのも、このテクニックに言及した有名な例である。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

村木さん事件:『私は屈しない』 今回の大相撲八百長報道は検察を守るための世論誘導である
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/427.html
投稿者 みちばたの蝶 日時 2011 年 2 月 03 日 22:07:56: JxOH7lIi5LSzQ

長いタイトルで申し訳ありません。しかし、松阪市議会議あ員ははっきり言ってくれました。さー、村木事件の闇に注目です。鍵は「塩田部長」です。

              転載責任 井ノ子俊一@長崎県島原半島

http://mmatusaka.exblog.jp/15863837/

2011年 02月 03日
村木さん事件:『私は屈しない』

http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201102/03/76/c0052876_19352962.jpg

1月末日、いわゆるテレビの2時間サスペンス枠で、例の村木さんがモデルの実話を元にしたフィクションが放映され話題を作った。江川紹子さんが取材を元に原案を立てたとの触れ込み。本人もちゃっかり法定場面の傍聴席に映っていた。江川さんは要所要所できちんと発信する数少ない本物ジャーナリストの一人である。島原の普賢岳災害も取材し、オウム事件で一躍超有名ジャーナリストに名を連ねた。
 実はこの村木裁判は、2時間でまとめるためにかなりの部分が端折られている。しかし、政治や司法に関心の無い層に、「これは実話が元になっているんだってさ。」と広まることは大いに結構なことで、彼ら(検察・官僚・マスコミなど体制を形成する連中)にとっては脅威であろう。視聴率との駆け引きの中で誕生したドラマで、大きな影響(脅威)はないとの判断だったろうが・・・その翌日事件が進展した。

 フロッピー改ざんは前田の単独犯ではなく、組織ぐるみの隠ぺい工作だった。と。しかも前田の「ついうっかり」で押し通そうとしているが、故意であったことは明白でそれを承知でモミケシ緘口令まで敷いたと。新聞報道はこれまでになく、情報源を明らかにしつつ、「最高検の見立てによると・・・」などと慎重な表現で報じている。かといって、何人か登場する(見立てられた)罪人たちに裏取りの調査をした形跡は全くなく、報道記者にあるまじき、相も変らぬ『検察リーク』の垂れ流しである。

 この検察内部の泥試合(大阪特捜vs最高検)はその情報源が双方の検察リークでデタラメは承知の上で受け取っても、簡単に言えばどちらかは完全なデタラメ機関であることがばれてしまう。

 おいおい、よりによって、国民的人気女優田中美佐子扮する村木さん事件のドラマが多くの国民に見せられた翌日に何やってんだよ。ひょっとして、最高検としては『大阪特捜』をトカゲのシッポきりして、検察機構だけは温存しようという暴挙に出たんじゃあるまいね。

 実は、村木事件には未だ闇があって、多くの国民が、口利き国会議員と村木本課長の間に存在していたはずの塩田部長が全く出てこなかったのが不自然だなあと思っていたはずである。この塩田部長を追及すれば口利き国会議員は民主党石井一代議士ではなく、この塩田部長今は瀬戸内海小豆島の政治家に納まっている。その瀬戸内海(香川県)を地盤とする自民党の大物政治家につながっていく、芋づる連鎖が待っている。
 
 どうもバカじゃない国民がこのことに気づき始めたようだ。これは大事をとって、話題をそらそうではないか。そこで登場したのが「大相撲八百長事件」である。とっくに分かっていたことで、いつ表沙汰にしようかと様子を見ていたのであった。松坂の深読みは、今回の大相撲八百長報道は検察を守るための世論誘導である。国民の皆様だまされないでくださいね。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「相撲スピン」で枝野幸男官房長官の疑惑も都合良く吹っ飛んだ(低気温のエウスタシー)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/524.html
投稿者 七瀬たびたび 日時 2011 年 2 月 02 日 18:32:36: bo2NmpzpRHGO6

(回答先: 「相撲スピン」で小沢一郎氏に有利なニュースが吹っ飛んだ(低気温のエクスタシー) 投稿者 七瀬たびたび 日時 2011 年 2 月 02 日 17:31:59)

http://alcyone.seesaa.net/article/183808679.html

☆枝野官房長官 義理の親から2650万円の「子ども手当献金」
(週刊ポスト2月11日号)

http://news.livedoor.com/article/detail/5308683/

http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/145.html

しかし、である。枝野氏のように、最初から政治献金として政治団体に届けていれば、課税対象にはならず、贈与税はゼロ。しかも寄附した側は「寄附控除」で税金の還付を受けることもできる。

(略)

もちろん、政治献金は政治活動以外には使えないから、枝野氏は義父母からの2650万円を私的な出費に充てることはできない。だが、枝野氏は収入の大半を自身の政治活動に注ぎ込んでいるから、義父母からの献金は、枝野氏本人の出費を軽減して私生活を支えていると見ることもできる。

☆枝野幸男官房長官 総選挙の年の生活費は295万円だった
(週刊ポスト2月11日号)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110201-00000009-pseven-pol

http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/273.html

資産公開を見ると、政権交代を賭けた総選挙の前年大晦日(2008年12月31日)には、預貯金(定期口座)の残高がゼロだった。不動産や有価証券もなく、資産は車3台だけである。この数字を見ると、台所は火の車だったと想像される。

(略)

不思議なのは、総選挙が行なわれた2009年には収入の8割を寄附し、その差額、つまり生活費は407万円だったはずなのに、投開票日の8月31日には預貯金が前年末の0円から、112万円に増えていることだ。

他に収入は報告されていないから、この年は生活費を295万円に切り詰めたことになる。そこから家賃や食費、教育費、光熱費を支払えば……一体、どうやって生活していたのだろうか。

国会議員には、歳費とは別に毎月100万円の「文書通信交通滞在費」が議員の個人口座に振り込まれる。非課税で使途報告義務のない「掴みガネ」とされるが、公式には、「公の通信や文書の発送など議員活動のために支給され、個人の収入にはできない」(衆院事務局広報課)。

              
☆枝野官房長官、9年間に1億円超の自己資金を関係政治団体に
(地獄への階段)
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/14834076.html

公開された彼の資産は、定期預金たった80万!郵便貯金32万だって。あり得ネー(笑)

普通預貯金と現金は対象外のため、タンス預金が公開されないという、資産公開法の抜け穴を上手く利用した資産構成ですネ。(笑)

             ↓

きっこ(ジャコビニ流星打法)
http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/32525545254166528
枝野ちゃん、1年間の生活費が300万円以下なのに、どうして自家用車を3台も維持できるのかな?もしかして自家用車の維持費は(以下省略)

              ↓

☆八百長メール 元小結ら13人 取り口も打ち合わせ
(毎日新聞。15時0分配信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000030-maip-soci

http://www.asyura2.com/09/sports01/msg/291.html

大相撲の力士による八百長疑惑で、警視庁が押収した携帯電話で八百長をうかがわせるメールをやり取りしていた力士は13人で、昨年3~6月に約50回に上ることが分かった。内訳は幕内・十両力士各4人、幕下力士と引退した力士が計5人で、引退力士には元小結、元十両の親方2人も含まれていた。

Hajime Shimokawa
http://twitter.com/#!/hajime_shimokaw/status/32695939709796352
大相撲の八百長事件が今頃出てくることに要注意!エジプトの革命騒動より相撲の八百長が重要か?沢尻・海老蔵・大相撲は、目くらまし。相撲の技なら”猫ダマシ”。

ryuichi kuzumi
http://twitter.com/#!/ran1280/status/32723450296537088
12ch以外のキー局全部で相撲の八百長問題を報道している。みーんな一緒の横並び。

             ↓

きっこ(ジャコビニ流星打法)
http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/32722241531674624
それにしても相撲って政治的に重要なニュースが出てきそうになると不祥事が発覚するなあ。これで枝野の政治資金の問題なんて飛んじゃったもんな。

きっこ(ジャコビニ流星打法)
http://twitter.com/#!/kikko_no_blog/status/32724414218903552
どうして自民党は枝野の政治資金の問題を追及しないのかな?あんまり突っつくとブーメランになっちゃうからなのかな?(笑)

☆スピン (パブリック・リレーションズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/スピン_(パブリック・リレーションズ)

他にも、悪いニュースの公表を遅らせて、より重要もしくは良いニュースや事件の陰に隠れて目立たないようにするテクニックもある。2001年9月11日にイギリスの政府広報担当者ジョー・ムーアが送信した電子メールの中で、「今日は、葬り去りたいニュースを発表するには絶好の日だ」と書いたのも、このテクニックに言及した有名な例である。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「相撲スピン」で枝野は笑って小沢は泣いた
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/335.html
投稿者 七瀬たびたび 日時 2011 年 2 月 02 日 18:34:59: bo2NmpzpRHGO6

「相撲スピン」で小沢一郎氏に有利なニュースが吹っ飛んだ(低気温のエクスタシー)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/523.html

「相撲スピン」で枝野幸男官房長官の疑惑も都合良く吹っ飛んだ(低気温のエウスタシー)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/524.html  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

2、今の大相撲のシステムは、TBS方式で金を配れば、貴亀田でも若亀田でも亀闘力でも簡単に横綱になれます。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/695.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 2 月 02 日 16:02:46: 4sIKljvd9SgGs

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/giin/1296572149/l50
805 :無党派さん:2011/02/02(水) 15:31:38 ID:SA2C9wa7
「相手に突っ張るだけ突っ張らして胸で受け止め、最終的にはすくい投げあたりがベストだと思いますよ~」
「○○さん(力士名)は貸しを移行してほしいみたい。△△(同)とあたったら、コケてもらいたい」
「来場所ですが、もらえるならくれませんか?ダメなら20万は返してもらいたい」
「相撲の内容はどんな感じですか」
「今日はまっすぐあたります」

モロすぎワロタ

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/03 17:55

【142】阿修羅掲示板から転載5本

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「自由報道協会」発足直後から財界他から支援申入れが殺到。情報開放が日本の市民社会を動かし始めた革命的な出来事(山口一臣)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/520.html
投稿者 クルテクと森の仲間たち 日時 2011 年 2 月 01 日 13:19:42: Z7xl4Cth248vg

週刊朝日2011年2月11日号の
山口一臣編集長の「編集後記」を転載します

—–
ジャーナリストの上杉隆さんらを中心に、フェアな報道の場を提供するための非営利組織「自由報道協会」(仮称)が発足しました。

政府など公的な記者会見は一部のメディアに限定されるべきでなく、オープン化すべきだという運動の延長で、27日には、同会主催で小沢一郎氏の会見が開かれました。

驚くのは、会の発足直後から財界をはじめ各層各分野から支援の申し入れが殺到していることです。

SNSなどの普及による情報の開放が、日本の市民社会を動かし始めた、まさに革命的な出来事ではないでしょうか。
—-

●「自由報道協会」設立準備会の公式サイト
http://fpaj.exblog.jp/14067698/

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

明らかにエジプトや中東の出来事を誰かが恐れている
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/309.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 2 月 02 日 12:48:11: vebXXayRfpINQ

エジプトでのムバラク退陣要求を叫ぶ無数の民衆の姿は過去にない広がりを国中に及ぼしている。もはやムバラクは9月の大統領選挙を前に辞任せざるを得ないだろう。30年にわたる独裁による官僚機構の腐敗と、国民への適正な分配なき政策に対して民衆の怒りが爆発したのだ。チュニジアにおけるジャスミン革命に端を発した市民革命は中東にどんどん広がるだろう。

我が国はどうなのだろうか? 「ジャスミン革命は日本で起きるか」という投稿をしたが、驚いたことに意図的に趣旨を変えようとする多数のコメントに晒された。明らかに誰かが組織的かつ意図的に小生の投稿内容を捻じ曲げようとしていた。暴力革命や自衛隊の決起など何も記載しないのに、わざと論点をそちらに誘導する内容のコメントばかりだったのには本当にあきれさせられた。

いずれにせよ、中東各国の独裁と言われている政体の長さは一番長いものでも40年くらいである。それに比べればわが国の官僚独裁の期間は戦後以来ずっと続いているのであるから65年という驚くべき長期になっている。国民は見せかけの民主主義に騙されて、戦後のわが国は民主主義国家だと思わされているが、実態は「官僚社会主義国家」なのである。その事は何度も投稿しているが、敢えて繰り返すなら、三権分立が何も機能していない事、特に立法行為が実質的に官僚に委ねられている「閣法制度」の存在で明らかである。さらに司法機能も「判検交流」という憲法違反の人事交流が行われている事から、官僚の恣意的な取り締まりと裁判が長年にわたり続いている。その最も良い例は小沢一郎に関わる陸山会事件などに見られるものや、有罪率が99%以上という世界的に見ても異常と言える数字に表れている。

これらの事実を認識し始めている国民に対して、ここ数週間に起きた中東におけるネットを通じた市民革命の成功に対して、明らかに日本のマスコミは報道が少ない。海外のマスコミは大々的に報道しているにも拘らず、その報道の少なさ、専門家の評論の無さについては異常ともいうほど少ない。誰かが裏で操作している事が透けて見える。

我々も声を挙げよう、マスコミの世論操作に負けることなくネット上で、ツイッター、FaceBook、その他のあらゆるツールによってこの国の実態を討論するべきである。阿修羅のような誰でも投稿可能なサイトがある事はとても素晴らしい事なので、多数の人々が多末の意見を投稿するべきだと思う。現象だけを見ないで、その本質にあるものを考えて我々が覚醒すれば、必ずわが国を本当の意味の民主国家に変える事が出来ると信じている。マスコミによる下らない政治家の醜聞などに惑わされずに、官僚独裁の実態を本当にこのまま許していいのか、しっかりと考えるべきである。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

議会制民主主義を守れ! (参議院議員 森ゆうこ )
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/324.html
投稿者 純一 日時 2011 年 2 月 02 日 16:25:53: MazZZFZM0AbbM

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2011/02/post-b3f1.html

2011年2月 2日 (水)

大阪府知事橋下徹(はしもととおる)氏が検審起訴について、twitterで下記のように述べています。

――――――――――――――――――――――――――――――

【t_ishin】

小沢元代表強制起訴の件について、メディアは大騒ぎしているけど国民としてはもっと冷静にならないといけないね。
民意で有罪にはできません。
有罪にできるのは法と証拠のみ。

今回は、民意で裁判の手続きに乗せただけ。
裁判で有罪か無罪か白黒つけましょうと。
だから検察官起訴よりも、推定無罪の原則はより強く意識しなければならない。

そもそも検察審査会の議決による強制起訴は、推定無罪の原則が働くからこそ、審査委員は一般の感覚で起訴相当と判断できる。
迷ったら裁判に乗せてしまえと。

もし検察官起訴と同じような有罪であろうという社会的雰囲気となれば、検察審査会は責任を感じ相当慎重な判断をすることになる。
そうなると、国民の一般的感覚で起訴を認めようとした強制起訴制度の趣旨に悖る。
検察審査会の強制起訴は、推定無罪の原則をより強く認識しなければならない。

(引用終わり)

――――――――――――――――――――――――――――――

検察審査会の起訴は推定無罪の原則をより強く認識するべきものである。
「検審起訴」と同時に何らかの処分が党や、国会で行われるようなことになれば、憲法で保障された国会議員の自由な政治活動を阻害することになり、議会制民主主義の根幹を揺るがすことになる。

この問題は小沢氏一人の問題ではない。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

森ゆうこ議員への脅迫事件と日本の民主主義
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/246.html
投稿者 wordblow 日時 2011 年 2 月 01 日 17:07:03: 0b5D99uguBdUI

民主主義を大切にしたい皆さまへ。

■ある検察幹部が発言、森氏に「鉄槌を下してやる」、「不祥事」を捜している――と司法記者が森氏に伝えた。
(民主党、森ゆうこ参院議員のツイッターより)

——————————————————–

上のリンクから読めますが、詳しい内容を以下に再録――。

「ある検察幹部が、私の調査に相当ナーバスになっているらしく、「鉄槌を下してやる」と言って、「不祥事」を捜していると司法記者から聞いた。「不祥事」は何でも、いつでも捏造できる。そして、私のやっている事は司法に対する政治介入だとキャンペーンを記者たちに行っているとのこと。気をつけなきゃ」

民主党の森ゆうこ議員は、いろいろ問題が多すぎる「検察審査会」について調べていることで有名。最近の議員のホームページでは、「検察審査会」が違法をおこなっていると告発しています。また、森氏は各検察官が適格かどうかを審査する「検察官適格審査会委員」のメンバーでもあります。

ある検察幹部が「鉄槌を下してやる」と発言した、という司法記者からの伝聞は、このあたりの文脈で理解できます。可能性としては次の2つでしょう。

1.ある検察幹部が、森氏を脅迫した。
2.司法記者が伝聞を捏造し、森氏を脅迫した。

みなさんの中には、民主党を支持しない方がいらっしゃるでしょう。民主党は支持するが、小沢氏はどうもと敬遠される方もいらっしゃるはずです。それで当然、いや健全な政治意識とさえいえます。一党独裁やワンマン政治は、この日本にあってはなりません。

しかし、というより、だからこそ、民主主義の発達は重要課題です。

みなさんの中には、共産党や旧社会党の支持者もいらっしゃるでしょう。ですが共産党も旧社会党系の議員も、国会議員・森氏への脅迫事件については沈黙していますが、理解できなくはありません。共産党、旧社会党系議員たちにとって民主党は政敵であり、たとえ森氏が危機に立たされても(暗殺されても)、政治的には自分たちに有利だろうと推論しているのでしょう。

これが、日本における民主主義勢力の現状です。

明治以来、もっとも早くから言論の自由について戦ってきたのは、板垣退助らの「自由民権」運動と、その流れを受けついだ(または挫折を乗り越えようとした)玄洋社などの右翼と、水平社などに見られる左翼運動だったでしょう。現在の共産党や旧社会党は、水平社など大正期に発生した左翼思想とも無縁ではないはずなのですが、政敵どうしの潰しあいなら、たとえ日本の民主主義が問題化している事件だとしても大歓迎なのです。残念なことに、いまの日本には右翼思想を受けつぐ政党は見あたりません。自民もみんなも(そしてもちろん街宣ウヨクも)違うと、ここでは結論的に述べておきます。

森ゆうこ氏のツイッターに現れた脅迫事件は、日本の民主主義に深く関係する事件です。特定の検察幹部にしろ、司法記者にしろ、国民の代表である国会議員を脅迫して、その政治活動を封殺しようと意図しているからです。これは民主主義政党を自称する弱小政党の無視にかかわらず、国民的なスケールの問題です。国家に巣食った、国民の意思を代表しない闇の第二権力が、国民の意思に挑戦しているのです。

一般に、民主主義とは何でしょうか。その語源にあたる「デモクラシー」は、紀元前1000年くらい前のギリシャに発生した民主制のことだといわれています。当時のギリシャはポリスと呼ばれる都市国家の集合体であり、それぞれのポリスでは、主権をもつ市民を「デモス」と呼んでいたらしい。デモクラシーの意味はデモス主義ですね。女性や奴隷などがデモスでなかったのは、歴史的な制約です。

民主主義とは、国民(デモス)主権のことです。国として重要な事項を国民が決めるのです。法律も税もふくめ、国のあり方を国民が決めます。国民が多数になれば、ポリスと違って代表制も生まれてきます。

ですから、民主主義にもとづく国の制度や具体的な現れは、国によって違ってきます。これもまた国境をこえた民主主義の特徴であり、どの国も同じシステムで成り立つのがベストと考えるグローバリゼーションは、この点で民主主義に反しています。

私たち国民は、日本に最適な民主主義を戦いとるべきであり、日本的な非民主主義勢力と戦うべきであり、いまの場合は、森ゆうこ議員のツイッターに暴露された国会議員への脅迫事件と戦うことが、日本的な民主主義を発展させる重要な努力であると考えます。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

陸山会事件を冤罪と叫んでも何も変わらない
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/367.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 2 月 03 日 06:32:02: vebXXayRfpINQ

「何も変わらない」とは言い過ぎかもしれないが、根本が変わらなければ意味はないという事でそのような題名をつけた。根本とは官僚側にある権力の集中の実態を変える事である。小沢一郎や元秘書達の事件で彼らが無罪となっても、検察も裁判官も検察審査会も誰も責任は取らないから痛くもも痒くもないのが事実だろう。傷をこうむった側は負わされ損で済むだけではないのか? しかも裁判は3審制なのだから、だらだらと最高裁まで引き延ばされたら無罪確定までは果てしない年月になる事も考えられる。判決が確定するまでは被告の身のままでいなければならない事は明らかであり、その間はどのような非難にも耐えなければならないのが事実である。百歩譲って、小沢一郎や元秘書達の無罪が確定しても、現行の制度のままなら、同じような事が他の国会議員たちに起きないという保証はどこにもない。

本当に大事な事は検察特捜に許されている「捜査権」「逮捕権」「起訴権」という権力の集中を無くさなければならない事だ。その意味では特捜という組織を法律と共に改正して廃止する事だろう。冤罪を防ぐために必要な事は完全可視化と証拠の全面開示、判検交流の廃止等々があるが、これらは誰が決めるのか。国会議員たちは又しても立法行為や規制を官僚に丸投げするつもりなのだろうか? なぜ有識者会議など検察関係者が入っているようなまやかしが設定され議論などが必要なのか、そんなものは不要ではないか。過去の冤罪ですでに必要な事は全て立証されているのに、何でわざわざ有識者などという形だけの時間稼ぎと、本質の矮小化を図るようなやり方が取られるのか。国民はいつもこのようなやり口で騙されてきたのに、まだ気づかないのだろうか。必要なら国家手議員たちの立法作業の過程で参考人招致すれば良いのだ。大事な事は「国会議員自身が立法行為をする」と言う事である。

検察審査会法の酷さで分かるように、官僚に立法行為を許していても何にもならないし、完全に憲法違反である。なのに何故、誰もこの事実を叫ばないのか。人員や組織が足りないというなら、それこそ法律を作って国会の中に独立した組織と必要な人員を揃えればいいだけの事ではないか。内閣法制局などという閣法制度のための憲法違反の組織や制度は禁止し、衆参の「議員法制局」を一つにして、現行の官僚制度から完全に独立させた、議員たちが行うべき立法のための組織と人員を作らなければ何も変える事は出来ない。それこそが憲法で規定されている権力の集中を行わせないための三権分立なのである。

小沢一郎の裁判とか、秘書達に関わる検察の問題という表面的な事を騒いでも何も変わらない。もういい加減に国民も、何が本当に必要な事なのかを自覚するべきなのだ。一刻も早く三権分立を確立させなければ、せっかく明確にされた数々のこの国の不具合を直す事ができない。そのためにも国会議員たちが本来の業務をしなければならない。彼ら、彼女らをつかまえて、事あるごとくこの問題を実行することを求めなければならない。全ては我々が声を挙げ、それが実行されるまで国会議員たちに働きかけ続ける事にかかっている。その意味では、小生は同じことを何度でも投稿する、「閣法制度」こそがこの国の癌である。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/02 16:41

【141】阿修羅掲示板から転載「マスコミで「ヤメ検」たちの言葉が同じことを言っている」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

マスコミで「ヤメ検」たちの言葉が同じことを言っている
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/206.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 2 月 01 日 09:18:05: vebXXayRfpINQ

昨日の小沢一郎に対する検察審査会の議決による起訴について、テレビに出てきた全ての元検察出身の弁護士、いわゆる「ヤメ検」たちの言葉が判で押したように同じである事に驚いた。

曰く、「小沢一郎は有罪になるでしょう」、「難しいけれど有罪の確立は非常に高いと思う」、等々で統一的と思える見解を全員が述べている。断っておくが彼らは民間の弁護士の資格で述べているのである。それが全員、同じ結論を言っている事に驚くし、予定通りなのかと納得もしてしまう。要するに今朝のテレ朝のスーパーモーニングで大澤というヤメ検が最後にポロっと洩らしたように、裁判までには時間がかかるでしょう、という一言で全てが計画的である事を露呈している。

本来、検察審査会の2回目の議決によって速やかに起訴手続きに入らなければならないのに、なんで3ヶ月もかかったのか、そして裁判までなぜ時間がかかる必要があるのか。誰も納得できる説明をしていない。これは明らかに時間をかける事で世論操作を目論んでいるとしか思えない。ヤメ検達の口裏を合わせたかのような小沢一郎有罪発言には、明らかにマスコミを利用した世論操作の意図が透けて見える。

森ゆうこ議員が述べているように大久保元秘書が起訴されている「西松事件」はすでに存在していない。検察は仕方なく訴因変更を行い、裁判所は不当にもこれを認めている。「水谷建設事件」における石川衆院議員元秘書についても虚偽記載と言う事実の認定は検事の誘導があった事を録音したものの証拠採用が決定されており、小沢一郎氏への起訴議決になった原因が消滅する自体になっている。ヤメ検達がこれらの情報を知らないはずは100%ないのに、全員が小沢一郎は有罪発言している異常さがここでも浮き彫りになる。しかも裁判も始まっていないのに、推定無罪と言う原則を無視して弁護士と言う資格で何故、彼らが一様に有罪発言するのかにも異常性を見る事が出来る。

やはり以前に投稿した通り、検察と裁判官は明らかに裏で画策し、裁判を意図的に遅らせる事でマスコミを使い、世論操作で小沢一郎の政界からの排除を目論んでいる事が見えてくる。彼らは裁判での有罪、無罪は関係なく、単に官僚組織に対する目の上のたんこぶを何がなんでも排除したいのだ。例え一審で無罪が出ても、屁理屈を付けて控訴がなされて裁判を延々と長引かせる事が今から予想できる。この国の司法制度がいかに腐っているのか、これから次々に明らかにされるだろう、しっかりと見ている必要がある。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/01 16:43

【140】阿修羅掲示板から転載3本

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 李さん、「インド奥地で未知の言語見つかる 使用者わずか800人」のニューズは初めて知りました。ありがとうございます。この21世紀に現在でも使用されている言語が新たに「発見」されるというのは驚愕です。

 文字が無く話者も少ないとなると、奔流・洪水のようなインド社会の中では全然気にされないのでしょう。現在の人口が推定11億だか12億でしたか。インドと中国は「ポン!」ってな感じで軽く1億人くらいはすぐに増えますから。日本人は唖然呆然とするしかありません。

 

異端医師の独り言 【雑学】
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/51792407.html

 

 それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。「鉄槌を下す」という表現は、自分達こそは「正義」であると思い込んでいるから出てくる言葉です。公務員の中でも検事という職業は税吏や警吏や刑吏と並んで、本来からして因業深いものなのでしょう。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

検察幹部が森ゆうこ議員に「鉄槌を下してやる」 (森ゆうこTwitter)
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/150.html
投稿者 otoppi 日時 2011 年 1 月 31 日 18:54:22: cUHXG0u8x2am6

検察幹部が森ゆうこ議員に「鉄槌を下してやる」
森ゆうこ on Twitter 2011年1月31日 18:40
http://twitter.com/moriyukogiin

ある検察幹部が、私の調査に相当ナーバスになっているらしく、「鉄槌を下してやる」と言って、「不祥事」を捜していると司法記者から聞いた。「不祥事」は何でも、いつでも捏造できる。そして、私のやっている事は司法に対する政治介入だとキャンペーンを記者たちに行っているとのこと。気をつけなきゃ

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

小沢一郎「強制起訴」の虚構に踊る政治家たち ( 有田芳生)
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/121.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 1 月 31 日 13:02:17: gS5.4Dk4S0rxA

有田芳生の『酔醒漫録』
2011/01/31

小沢一郎「強制起訴」の虚構に踊る政治家たち

 1月31日(月)小沢一郎元代表に対する「強制起訴」が今日にも行われると報じられている。第5東京検察審査会が小沢一郎元代表に対して「起訴議決」したことについて、私は昨年10月の法務委員会で質問した。検察審査会の意義を認めつつ、改正された審査会法に問題があることを具体的に問うたのだ。審査員の平均年齢が2度の人選ですべて異なるはずなのに、なぜか34・55歳と発表されたことなど、統計上はありえないことも専門家からの取材で明らかにした。何よりも議事録がないことには驚いた。そこで何が議論されたかも不明だ。あえていえば審査補助員である弁護士の誘導があった可能性もある。それは当人が新聞記者の取材に暴力団と政治家が同じようなものとの趣旨を審査員に語っていたからだ。昨年から今年にかけては森ゆうこ議員の執拗な追及によって各種書類が明らかにされた。2度目の審査事件票に「切り貼り」が行われたのではないかという指摘もある。疑惑はさらに深まっている。私は法務委員会の質疑でさらにこの問題を取り上げていく。制度上何が問題なのか。それは検察審査会の構成、議事内容などの不透明さはもとより、そもそも「嫌疑不十分」なケースまで「強制起訴」できる仕組みである。「週刊朝日」(2月4日号)は「小沢強制起訴やっぱりヘンだ!」という特集を組んだ。そこでは「事件」の重要証拠の信憑性が疑われているため、議決の根拠が崩れる可能性があることが明らかにされた。この特集のなかでは、強制起訴権限の制度設計にも携わった高井康行元特捜部検事・弁護士が〈「嫌疑不十分」の事件は強制起訴から外すべきだ〉と主張している。高井さんは「証拠があり有罪はほぼ間違いないが、情状などを勘案して不起訴とした」起訴猶予に対して「嫌疑不十分」についてこう語っている。「嫌疑不十分というのは、検察官が証拠を精査した上で『証拠が足りない』と判断したもの。検察官がそう判断したものを、プロでない審査員が証拠を精査しないで有罪だというのは不合理でしょう」。検察が1年以上も捜査をしたうえで2度も不起訴処分にした小沢ケースは、新しい証拠もないもとで、いくら強制起訴されても無罪になることは確実である。しかし頑迷固陋あるいは「小沢憎し」の本音を理屈で隠して権力闘争に利用する姑息な政治家たちは、詳しい事情を伝えない既成マスコミに影響された「世論」なる不確実な実体に依拠している。「酒を飲めば8割は小沢さんの悪口ばかり」の政治家が、小沢排除の急先鋒なのである。

http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/01/post_27d0.html

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

エジプトの騒乱を正確に報道しない日本
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/108.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 1 月 31 日 09:04:07: vebXXayRfpINQ

前回投稿した「ジャスミン革命は日本で起きるか」という主張で提起したように、独裁体制にある官僚側とその宣伝機関であるマスコミは現在起きているエジプト、もっと大きく言えば中東全体の民衆の改革を叫ぶ行動を黙殺しようとしている。これらの報道に見られるものは単なる映像の提供だけで、専門家や知識人と言われる人々の議論は一切出てきていない。海外のマスメディアはほぼ24時間、この問題を詳細に分析し、議論して報道を続けている。

明らかに日本の権力側は「国民の覚醒」という事態を恐れているとしか思えない。過去から続く独裁体制で何も変わらないという国民の不満は、そのまま日本に当てはまる。我が国のエジプトの報道に見られるような、騒乱とか無秩序、治安の悪化は単なる副次的な問題にすぎない。本質は国民の権利の主張の爆発である。それから目を背かせるため、マスコミ報道は明らかに意図的に問題をそらせ、報道そのものを制限している。

この問題を議論すればするほど日本国民は自分たちの置かれている立場が、ある意味では同じ状態である事に気が付くはずである。小沢一郎の陸山会問題と言われているものの本質や、不当な冤罪の存在、それに関わる警察、検察、裁判所の腐敗、国民に対する情報開示なき予算の使われ方、増税と社会保障の問題、地方自治の在り方、等々のどれをとっても国民に対して満足な答えが提示されていない。その本質は、我が国が民主国家ではない「官僚社会主義」という国家形態である事実が隠されていた事にあるのだ。その存在や弊害が、今回のエジプトなどに見られる国民の覚醒という現象で明らかにされることを誰かが恐れている。

我々も覚醒しようではないか、そしてこの国が本当はどのような国であるかを多数の人々と機会あるごとに話し合うべきである。そうすることが結局、本当の意味の民主国家に変えるための近道につながるはずである。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/31 22:01

【139】百年の功徳

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 李さん、アマゾンのカスタマーレビュー消失と復旧の件ですが、「アマゾン」「レビュー」「削除」「消える」などでキーワード検索すると、結構あることのようです。私はネット通販利用を頑なに拒んでいますので(しかし、もう限界にきてるか)事情に疎く、勝手に復活した仕組みはよく分かりません。本投稿時点でも元通りのままのようで、良かったです。

 

異端医師の独り言
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/

Amazon.co.jp: 癌患者を救いたい―PSA検診のウソ 李 漢栄 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4901609297

 

 それでは以下、本文は基本「だ・である」口調の文体でいきます。

 

 書き込むタイミングを外してしまったのだが、1911年1月24日に幸徳秋水らが大逆事件で一斉に刑死してから(荒畑寒村と離婚した管野スガは翌25日処刑)、今年2011年で、まるまる100年が経ったことになる。

 私は幸徳本人の経歴や思想、大逆事件と検挙の背景、裁判の経緯などについて詳しくないが、ほとんどが濡れ衣・冤罪であり、しかも国策遂行の元に弾圧され処刑されていったらしい。当時の松室致検事総長はリベラル派なんだと。ウィキペディアの「幸徳事件」を見ると「1967年7月5日 最高裁、再審請求を棄却」とあるから、今現在においても確定されている判決ということだろう。

 数人には何らかの関与があったのだという。それにしたって死刑にするほどのもんじゃないわ、そんなもの。平沼騏一郎さんよ。

「アナーキー・イン・ニッポン」というサイトがあって、幸徳の文章が掲載されている。無政府主義者の考えることだから愚かにして短絡・矯激なものかと思いきや、全然そんなことはない。文面を見てみれば確かに当時の言葉だから判りにくいところはあるものの、頭脳明晰で論理的に物事を考えることが出来る人が書いた文章であることは、現代日本人の水準と比較してみても明らかである。主義主張や思想の賛否は別問題で、素晴らしいものをいろんな箇所においてその文意から感じ取れる。

 その幸徳が書いた「大逆事件の陳弁書」を、上記サイトで今日はじめて読んだ。現代語訳文にしてあるものだと思う。一部を引用させて頂きます。読み易いように、段落ごとに改行致します。

 

幸徳秋水 1
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku01.html

(佐藤裕一による引用始め)

聴取書及び調書の杜撰

 私ども無政府主義者は平生今の法律裁判という制度が完全に人間を審判し得るとは信じないのでしたけれど、今回実地を見聞してさらに危険を感じました。私はただ自己の運命に満足する考えですから、この点についてもはや呶々したくはありませんが、ただ多数被告の利害に大なる関係があるようですから一応申上げたいと思います。

 第一、検事の聴取書なるものは、何と書いてあるか知れたものではありません。私は数十回検事の調べに会いましたが、初め二、三回は聴取書を読み聞かされましたけれど、その後は一切その場で聴取書を作ることもなければ、したがって読み聞かせるなどということもありません。その後予審廷においてときどき、検事の聴取書にはこう書いてあると言われたのを聞くと、ほとんど私の申立と違わぬはないのです。たいてい、検事がこうであろうといった言葉が、私の申立として記されてあるのです。多数の被告についてもみな同様であったろうと思います。そのときにおいて予審判事は聴取書と被告の申立と、いずれに重きを置くでしょうか。実に危険ではありませんか。

 また検事の調べ方についても、常にいわゆる「カマ」をかけるのと、議論で強いることが多いので、このカマを看破する力と、検事と議論を上下し得るだけの口弁を有するにあらざる以上は、たいてい検事の指示するとおりの申立をすることになると思われます。私はこの点について一々例証を挙げ得ますけれど、クダクダしいから申しません。ただ私の例をもって推すに、他のかかる場所になれない地方の青年などに対しては、ことにヒドかったろうと思われます。石巻良夫が、「愚童より宮下の計画を聞けり」との申立をなしたということのごときも、私も当時聞きまして、また愚童をおとしいれんがために奸策を設けたなと思いました。宮下が爆弾製造のことは、愚童、石巻の会見よりはるか後のことですから、そんな談話のあるはずがありません。このことのごときはあまりに明白ですぐ分りますけれど、巧みな「カマ」には何人もかかります。そして「アノ人がそう言えば、ソンナ話があったかも知れません」くらいの申立をすれば、すぐ「ソンナ話がありました」と確言したように記載されて、これがまた他の被告に対する責道具となるようです。こんな次第で、私は検事の聴取書なるものは、ほとんど検事の曲筆舞文、牽強付会ででき上がっているだろうと察します。一読しなければ分りませんが。

 私は予審判事の公平、周到なることを信じます。他の予審判事は知らず、少なくとも私が調べられました潮判事が公平、周到を期せられたことは明白で、私は判事の御調べにほとんど満足しています。

 けれど、いかに判事その人が公平、周到でも、今日の方法制度では完全な調書のできるはずはありません。第一、調書は速記でなく、一通り被告の陳述を聞いたあとで、判事の考えでこれを取捨して問答の文章を作るのですから、申立の大部分が脱することもあれば、言わない言葉が挿入されることもあります。ゆえに被告の言葉を直接聞いた予審判事には被告の心持がよく分っていても、調書の文字となって他人が見れば、その文字次第で大分解釈が違うてまいります。

 第二は、調書訂正の困難です。できた調書を書記が読み聞かせますけれども、長い調べで少しでも頭脳が疲労していれば、早口に読み行く言葉を聞き損じないだけがヤットのことで、少し違ったようだと思っても、咄嗟の間に判断がつきません。それを考えるうちに読声はドンドン進んで行く。何を読まれたか分らずにしまう。そんな次第で数か所十数か所の誤りがあっても、指摘して訂正し得るのは一か所くらいに過ぎないのです。それも文字のない者などは適当な文字が見つからぬ。「こう書いても同じではないか」と言われれば、争うことのできぬのが多かろうと思います。私なども一々添削するわけにもゆかず、大概ならと思ってそのままにした場合が多かったのです。

 第三には、私初め予審の調べに会ったことのない者は、予審は大体の下調べだと思って、さほど重要と感じない。ことに調書の一字、一句がほとんど法律条項の文字のように確定してしまうものと思わないで、いずれ公判があるのだからそのとき訂正すればよいくらいで、強いて争わずに捨ておくのが多いと思います。これは大きな誤りで、今日になって見れば、予審調書の文字ほど大切なものはないのですけれど、法律裁判のことにまったく素人なる多数の被告は、そう考えたろうと察します。こんな次第で予審調書もはなはだ杜撰なものができ上がっています。私は多少文字のことに慣れていてずいぶん訂正もさせました。けれど、それすら多少疲れているときは面倒になって、いずれ公判があるからというのでそのままにいたしたのです。いわんや多数の被告をやです。

 聴取書、調書を杜撰にしたということは、制度のためのみでなく、私どものかかることに無経験なるより生じた不注意の結果でもあるので、私自身は今に至ってその訂正を求めるとか、誤謬を申し立てるとかいうことはいたしませんが、どうかかの気の毒な多数の地方青年のために御含み置きを願いたいと存じます。

 以上、私の申し上げて御参考に供したい考えの大体です。なにぶん連日の公判で頭脳が疲れているために、思想が順序よくまとまりません。加うるに、火のない室で、指先が凍ってしまい、これまで書く中に筆を三度も取り落したくらいですから、ただ冗長になるばかりで、文章も拙く、書体も乱れて、さぞ御読みづらいでありましょう。どうか御諒恕を願います。

 とにかく右述べました中に、多少の取るべきあらば、さらにこれを判官、検事諸公の耳目に達したいと存じます。

(佐藤裕一による引用終わり)

 

 一読してこの文章の内容は、到底100年前のものだとは感ぜられないことが分かるだろう。今現在の検察に関することとして固有名詞を入れ替えたら、そのまま通用してしまうのではないか。これは悲劇だろうか喜劇だろうか。惨たらしい悲劇から100年経って何の進歩もない国というのは。

 検事にしても判事にしても、とんでもない恥知らずの上にバランス感覚の欠如した法匪連中だ。軽蔑しこそすれ尊敬する気持ちなど毛ほどもない。確かに旧憲法や下位法が時代錯誤の欠陥まみれであったという同情の余地はあるが、それを考慮しても軽蔑の念は到底払拭されない。誰かいるの? 旧憲法下の検事や判事どものうち、尊敬に値する人って。津田三蔵を死刑に処すのに反対した児島惟謙か。

 遅過ぎるとはいえ今からでも関係した検事と判事どもを、国民会議で不名誉決議を採択すべきだ。その上で幸徳らの名誉を回復を決議採択せよ。

 100年。

 それも、60年以上も前に、敗戦まで経ていての100年! いくら世の中ゆっくりとしか良くならないと分かってはいても、それにしても日本政治の歩みが遅過ぎはしないだろうか? 新憲法が施行されてからも、相変わらず法匪どもはのさばっている。

 これは遅きに失したどうこうの話ではない。マッカーサー元帥は去っても官僚制度はかなりの程度で温存された。内務省(無い無償と変換されてしまう)は分割され、解放軍は軍部支配から日本国民を解放したが、軍部を除く官僚支配から日本国民を解放はしなかった。

 占領軍は占領政策で官僚と共存した方が便利で近道だから妥協していった。今も現に属国管理共同運営の方針で大筋は妥協している。妥協は政治家の専売特許ではない。官僚は折り合いを付ける際に硬直的態度と柔軟な態度を、相手が強者と弱者の立場によって使い分ける弾力性を持っている。

 その弾力的な官僚主導政治が最近行き詰っている。官僚・役人と国民・政治家が、共存共栄(寄生)出来ない関係に入ってきている。20年かかって徐々に判明してきている。それでもまだ、政治主導にならない。

 この日本政治の体たらくを田中良紹氏のように「百年の孤独」※という、なんだか少しカッコイイ言い方をしてみてもいいが、これは取り残されてしまったという結果自体の表現である。原因は、高級官僚を後生ありがたがる「百年の功徳」という国民の習い性が、いまだに改まらないせいである。

 ※ちなみに私は高級焼酎「百年の孤独」を飲んだことはない。それからノーベル文学賞受賞者、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』を読んだことはない。以前に書店で1つあるのを見かけたのだが、購読するか迷っているうちに売れてしまったようだ。

 無論「百年の功徳」等と書いたところで、お受験エリート試験通過(日本版科挙官僚であり似非儒学の家産官僚)高級官僚なるものを恭しく崇め奉っても何の功徳も無い。戦後、一時期の愛国的通産官僚達が、企業群を導く形で高度経済成長を実現させた功績という例外的事例はあるが、成功すると同時に役目を終えてしまった。

 一日千秋のごとく「百年の功徳」を求めて、官僚達が難局的事態を打開することを待望して、搾取と増長と権限肥大化を強める高級官僚がより一層肥え太らせるだけの結果を招いていることに気付くが先か、新興カルト宗教団体の末端信者を馬鹿に出来た義理ではないことに気付くが先か。

 カルト宗教よりよっぽど古色蒼然たる日本の律令官僚教は一般大衆に支持され、明治維新で区切ってさえも、太政官政府と山縣有朋以来の歴史を誇るから、実際は140年近い。

 教祖の役職名は紆余曲折、時とともに変わっていったが、現代では法務事務次官と検事総長が共同教祖で、最高幹部は最高裁事務総長と次長検事以下検察首脳、警察庁長官以下警察首脳、財務事務次官、財務官、主計局長と主計官、後はいきなり離れたところで日銀総裁と幹部といったところか。地位と権力とに肥え太った現代の大僧正どもの姿を見よ。果たして国民政治家を引き摺り下ろすことに懸命になるのが公僕のあるべき姿なのか。

 政治が良くなれば国全体が良くなるので最終的に民にも良さが齎されるという、孔子と儒教の全体救済は素晴らしい。但し、官僚・役人を除いて理想の国が実現出来ればという前提条件付きであれば。

 さて、何故こうも変化が遅いのか。1つ目に国外環境要因があり2つ目に国内環境要因もある。それらは地球上、常にあるわけだから、そればかり気にしていても進歩がない。すると3つ目の阻害要因として、人そのものの考えがあげられる。なにしろ前近代人だから、考え方も前近代なのである。よって法意識や政治意識も前近代の段階にある。

 人々が正しく現状を認識し、更には意識が高まり、変化し、新たになっていてすら、実際の目に見える変化は急激にではなく漸進的に訪れる場合が多い。人々が誤って現状を認識し、更には意識が低いまま、変わらず、旧ければなおのこと、変化は緩慢としている。

 それどころか緩慢であればまだいい方で、往々にして停滞することもあり、最悪の場合は逆戻りすることもある。それは人々が現状誤認を続け、旧態依然とした意識のまま、流れに身を任せ続けるからであろう。改革・前進の潮目が変われば反動・後戻りの流れに流される。

 国民政治家であり政治指導者だけが確固不抜の信念を持ち、不撓不屈の精神を持っていても、肝心の国民が断固として後押ししなければ、どのような変革も成功は覚束ない。

 たとえ政治信条や理念、支持政党は違っても、政策に反対であっても、国民政治指導者を冤罪によって投獄しようとしたり、官僚支配の力を借りたり、検察や検審の策謀に乗ったりしてはいけない。政敵であっても政治家は国民の代表なのである。

 全野党よ。勝利するために、選挙で勝つために、官僚の増長や暴走を利用しようとするのは官僚政治事始である。もちろん与党にもいえる。政党政治を健全に定着させるためには官僚の力を利用しようとするべからず。与野党ともに官僚政治は抜きにするべきだ。

 国外阻害要因、即ちアメリカとジャパン・ハンドラーズ妨害要因という内政干渉を除けば、日本の支配者層はいまだに律令官僚が形成し、支配権を握り締めている。三権は東大法学部卒に簒奪され、首相は盥回しにされている(している)。天皇(玉)の直属の臣下(認証官)としての律令意識(無意識?)をもった官僚(東大法学部卒が頂点)が日本の律令体制支配を維持し、日本を律令国家のままにしている。植田信氏のご指摘通りである。

 日本人の「お上」意識と政治無関心・無気力が律令官僚をのさばらせている。日本の「法」は全て国会を通って成立するのに、実際のところ法案作成官僚の作文をろくな審議や議論もせずに素通りして通過させている。

 その律令官僚の作文が「法」を装った「律令」の条文なのである。国会(衆議院と参議院)はずっと「立法府」ではなくてその実「律令府」だったのだ。上がってきた律令条文をただただ承認するだけのお飾り機関である。お飾りは天皇のはずであったが政治家もまたお飾りであった。法案作成官僚は律令意識そのままの「天皇の官僚」であるから出来た条文もみな律令意識の反映であり駄文である。

 やっと日本にも小沢一郎という、日本の苦しみを一身に凝縮したような体現者が国民政治家が政治指導者として出現したのだ。小沢という変革者は、既存の秩序体制側にとっては凶器(狂気)の反逆者のように映るのである。

 小沢は所属政党や連立政権を壊しては作り直すクラッシャー(破壊者・壊し屋)という蔑称というか異名をとるが、私もある意味では確かに破壊者だと考える。大きくは律令体制破壊者だ。彼は元々律令体制内部の側にあって反対に動いた人だ。ほかの日本の反体制派は一切合財現実味がない。社会党は馴れ合いで野合するだけ、共産党は万年野党、過激派は先細り。

 戦後日本の律令支配体制は単なる自民党というだけではなかった。もちろんアメリカの支配を常に受けているが、それだけでもない。田中角栄が誰に謀られ陥れられ、小沢が紆余曲折を経ながらも何と戦っているのかを理解することが、日本国における政治の現状を明瞭に理解していく最良のきっかけなのである。往々にして正義の法は正当な権限の形をとって、既存の支配体制、国家権力に尽くし、とことん利用し利用されるものなのだ。

 小沢と比較対照的するとほぼ正反対なのは小泉純一郎元首相である。小泉と小沢とでは破壊の方向や方法、対象が違う。小泉は日本の国民生活を破壊し自民党を延命させた上で自滅に導いたが、律令官僚支配には構造改革のふりをして乗っかっていただけで正面から立ち向かってなどいない。

 だから竹中平蔵を前面に出して戦わせたが表面だけで実がない。社会階級も液状化した上で固定化した。天木直人氏が指摘しているように従米も固定化した。郵政民営化のように、官僚より上であるアメリカの支持と命令がある部分でだけ官僚攻撃が出来ただけの話である。全て先生や植草一秀氏の言うとおりである。

 小沢は国民生活を護り政治主導(国民の代表である政治家が正しく権限・権力を握る)を実現しようと奮闘している。そのために必要なら政党も破壊しなければならなかったろうし、現状の官僚支配の壁にしてもそうなのである。

 日本における秩序・律令体制という観点からだけみれば、小泉が改革者などちゃんちゃらおかしい。頭のてっぺんからつま先まで既存の体制従属者である男が改革者であるわけはない。誠実さの欠片もないかわりに、パフォーマンスと国民扇動の才能がすごかった。小沢一郎と真反対の男である。あのような男が改革者として登場したことの国民的誤解はすさまじい害悪を齎さずにはおかなかった。

 滑稽なのは、つい最近こそ官僚が国家権力を握っていることが国民にも知られてきたものの、ずっと悪の政治家と正義の官僚が対決しているように認識されていたことだ。検察官僚は正義と真実の代表であり、悪の政治家の圧力に屈せず戦っているように見られていた。

 それが本当はまるで逆なのである。権力を持っているのは官僚だったのだから。敗れ去り投獄される政治家は正義と真実を知っている。

 官僚こそは国家支配権力を持つ悪の律令体制の体現者そのものであり、政治家は官僚の暴走攻撃に怯え、遠慮し、ご機嫌を伺う。正義の国民政治家は痛めつけられる。どうせ新聞テレビが真実を国民に伝えない。官僚と報道機関は嘘八百で同盟を組む。だからますます政治家は萎縮する。検察官僚が正義と真実そのものとみられる国はこうなる。

 最近突如として官僚が劣化したわけではなく、ずっとそうだったことが思い込みの生で見えなかった。やっと覆い隠しきれなくなってきたので、どうしようもなく露見・露呈してきたというだけのことだろう。

 私達は最近、二つ木魚を叩き意味不明のアホだら経を唱える葬式仏教の住職や倅や坊主達を、ありがたい御方だなどと思わなくなってきた。それと同じで、いくら律令官僚を神のごとく崇拝してみたところで「百年の功徳」どころか何の御利益もないことを悟るべき時がついにきたのである。

 

アナーキー・イン・ニッポン
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/

幸徳秋水 2
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku02.html

幸徳秋水 3
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku03.html

幸徳秋水 4
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku04.html

 

幸徳秋水 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸徳秋水

管野スガ – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/管野スガ

荒畑寒村 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/荒畑寒村

幸徳事件 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸徳事件

平沼騏一郎 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/平沼騏一郎

松室致 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/松室致

津田三蔵 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/津田三蔵

児島惟謙 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/児島惟謙

ダグラス・マッカーサー – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ダグラス・マッカーサー

山縣有朋 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/山縣有朋

田中角栄 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/田中角栄

百年の孤独 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/百年の孤独

ガブリエル・ガルシア=マルケス – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガブリエル・ガルシア=マルケス

百年の孤独 (焼酎) – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/百年の孤独_(焼酎)

 

 それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

百年の孤独 ( 田中良紹の「国会探検」 )
http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/104.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 1 月 09 日 08:36:45: gS5.4Dk4S0rxA

田中良紹の「国会探検」
2011年1月 9日 00:49

百年の孤独

 正月に高級焼酎「百年の孤独」を飲みながら百年前の世界を考えてみた。

 1911年の日本は、その前年に韓国を併合し、朝鮮半島を領有して帝国主義列強に伍す存在となり「東洋唯一の一等国」と言われた。しかし国内では平民が中心の政治を訴える社会主義への弾圧が強化され、1月に大逆事件で幸徳秋水らが死刑となり、8月には警視庁に特別高等警察課が設置されて「特高」と呼ばれる秘密警察の活動が始まった。

 中国では共和制を訴える辛亥革命が起こり、清朝が倒れて孫文が中華民国初代臨時大統領に選出された。辛亥革命を支持する団体の多くは日本国内で組織され、多くの日本人が中国の革命運動に参加した。右翼思想家・北一輝もその一人である。メキシコでは映画「革命児サパタ」で有名なエミリアーノ・サパタが「土地は人民のもの」と主張して政府との武装闘争を開始した。

 そしてこの年イギリスでは下院(庶民院)が上院(貴族院)より優越するという議会法が制定され、「国民主権」の政治が始まった。議会法の成立過程は、「ねじれ」に悩む日本政治にも参考になると思うので少し詳述する。

 イギリス議会は「議会制度の母」と言われる。1265年(文永2年―鎌倉時代)、戦費調達のための重税政策に反発した貴族が、貴族や聖職者、騎士などによる「諮問会議」を国王に開かせたのが起源とされる。議会のメンバーにはその後市民の代表も加えられ、1341年(暦応4年―南北朝時代)には生涯貴族や聖職者からなる上院(貴族院)と騎士や市民で構成される下院(庶民院)の二院制が確立した。

 上院と下院の違いは前者が非民選議員であるのに対し、後者は選挙で選ばれた議員で構成される。ただ性別や納税額などの制約がない「普通選挙」が実施されるのは20世紀に入ってからだから、当時の市民は今の市民と同じではない。

 議会の起源が戦費調達のための重税政策に対する反発だったことからもわかるように、議会の重要な使命は税金の使い道を決めることである。その税金を稼ぎ出して収めるのは国民だから、税金に関わる法案については貴族院よりも下院に優越権があると考えられた。17世紀の半ばから財政法案については下院に優越権が認められている。

 とは言っても、イギリス議会の長い歴史は貴族院と下院との闘いの歴史である。下院議員は権力を持つ国王や貴族に逆らう発言はやりにくい。別々に分かれて協議をし、下院の決定を貴族院議員のいる本会議に出向いて伝える役を下院議長が行ったが、議長は権力者から睨まれる危険を覚悟しなければならない。そのため今でも下院議長に選ばれるといったんは就任を嫌がる仕草をするのが慣習になっている。

 1909年(明治42年)、自由党のアスキス内閣の蔵相ロイド・ジョージは、ドイツに対抗するための莫大な軍事費と社会福祉の財源を捻出するため、地主に増税する予算案を議会に提出した。地主貴族が多数の貴族院はこれを通常の予算案と認めず、社会革命法案だとして否決した。それまで自由党内閣は213法案のうち18法案を貴族院の否決で潰されていた。

 アスキス内閣は貴族院と全面対決する。対決の方法は下院を解散して民意を問うことであった。1910年1月に行われた総選挙は政府与党の勝利となり、貴族院は譲歩を迫られ、やむを得ず予算案を可決した。しかし政府はそれで矛を収めなかった。さらに貴族院の権限を制約する議会法案を議会に提出して下院で成立させた。当然、貴族院はこれに大幅な修正を加える。下院はこの修正案を否決し、再び政府が伝家の宝刀を抜いた。

 こうして1911年8月、議会法が成立し、下院を通過した法案は貴族院の承認なしに成立することになった。貴族院は下院の決定をチェックすることはできるが決定する権限を失った。事実上の一院制になったと言っても良い。それが百年前のイギリスである。

 戦前の大日本帝国議会はイギリス議会を真似て作られ、貴族院が圧倒的な力を持っていた。大日本帝国憲法下の33人の総理はほとんどが貴族院出身で、国民に選ばれた衆議院出身は原敬、浜口雄幸、犬養毅の3人だけである。貴族院は「不偏不党」を掲げて政党政治を嫌い、国民から選ばれた政治家の政治を抑圧することを目的とした。

 その貴族院出身の松本丞治が戦後の新憲法を作る担当大臣となり、GHQの反対を押し切って参議院を作った。この時GHQは「イギリス議会の長い混乱を日本は繰り返すことになる」と反対したが、松本の抵抗で最後は世襲にしないことを条件に参議院を認めた。これがイギリスよりも複雑な「混乱の政治構造」を生みだす。

 総選挙で選ばれた与党は内閣を組織する。ところが参議院選挙で過半数を失うと、衆議院で可決した法案が参議院で否決され、不成立になる。これを覆すには衆議院の三分の二の賛成が必要で、それは極めてハードルが高い。衆議院の可決が民意なら参議院の可決も民意だから、日本の政治は民意で真っ二つに分断される。

 そこにイギリス流の「マニフェスト選挙」が加わってさらに複雑になった。衆議院選挙のマニフェストを選んだ国民が、それと対立するマニフェストを参議院選挙で選べば、どちらの政策も実現できないことになる。与野党が話し合って妥協しろと言っても、異なるマニフェストにはそれぞれ支持する国民が付いているから妥協も簡単でない。「政局よりも政策」と言うのが馬鹿に思えるほど、「政策よりも政局」を何とかしないと何も始まらない仕組みなのである。

 その政治構造を熟知して手を打てる政治技術がない限り、いかなる政策も、いかなる目標も「絵に描いた餅」に過ぎない。ところがそれをわかっているとは思えない政治家の発言が相次いでいる。年初以来の菅総理の発言も谷垣自民党総裁の発言も、まるで現実をわかっていないと私には思える。現在の日本政治を病気に例えれば重篤というのが私の診断だ。

 ただし菅総理が言った「政治とカネの問題にけじめをつける」は、総理とは逆の意味で望むところだ。ロッキード事件以来の「政治とカネ」のマインドコントロールで日本は民主主義の根本を見失った。その「愚民状態」から早く脱しないと重篤は危篤になる。

 議会は国民の税金の使い道を決めるところである。いかに国民生活を守るかを議論するところである。それを官僚任せにして「政治とカネ」の議論に終始してきたわが国の国会の馬鹿馬鹿しさを私はこれまで嫌というほど見てきた。証人喚問だの、議員辞職だのとさんざん騒いで大事な国民生活に背を向けてきたこれまでの阿呆な政治には反吐が出る。

 百年前から「政治とカネ」が官僚権力の民主主義を抑圧する仕掛けであったことに気付かないとこの国は沈没する。その意味で今年はぜひ「政治とカネ」にけじめをつけ、「国民主権」の政治が始められるようにして欲しい。「百年の孤独」を飲みながらそう思った。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/01/post_243.html

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/31 22:00

【138】阿修羅掲示板から転載「大逆事件(幸徳秋水事件)への流れ【れんだいこのブログ綴り】」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

大逆事件(幸徳秋水事件)への流れ【れんだいこのブログ綴り】
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/150.html
投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 7 月 13 日 22:02:53: sypgvaaYz82Hc

大逆事件(幸徳秋水事件)への流れ【れんだいこのブログ綴り】
(最新見直し2006.10.10日)

 これより以前は、「日本社会主義運動の前史、平民社活動史」

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「日本社会主義運動の前史の二期」は、1906(明治39)年2.24日の「日本社会党」の設立より始まる。ところが「日本社会党」も、穏和系運動と急進主義運動へと分岐する。急進主義の先頭に立ったのは幸徳であった。

 ところが、幸徳らは1910(明治43)年、「大逆事件」により検挙され、翌年刑死する。「大逆事件」は日本の社会主義運動に壊滅的打撃をあたえた。その後に社会主義を守りつづけたのは、堺利彦を中心としたきわめて少数の人びととなる。ここまでの流れを二期とする。以下、検証する。

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【第一次西園寺内閣の「社会主義取締りの新方針」】
 1906(明治39).1月、山県有朋系の桂軍閥内閣が日露講和条約をめぐる騒動の責任をとって総辞職し、代わっていくらか自由主義的な色彩を帯びた政友会総裁・西園寺公望を首班とする内閣が登場した(第一次西園寺内閣)。西園寺内閣は成立と同時に「社会主義取り締まり」の新方針を発表して、社会主義もまた世界の一大風潮であり、みだりに弾圧すべきでなく、その穏健なものは善導して、国家の推運に貢献さすべきであるとの態度を明らかにした。

 この気運に乗じて『光』派の社会主義者たちは1月中旬、「普通選挙の期成を図るを目的とす」を綱領に掲げた「日本平民党」の結社届を提出したところ、受理された。意を強くした社会主義達は堺利彦らを中心として、1906(明治39)年2.24日「日本社会党」の結社届を出してみたところ、これもまた難なく許可された。「日本社会党は社会主義を主張す」との党則を掲げており、してみればこれが我が国における最初の社会主義政党が認められた瞬間であったことになる。

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【「日本社会党」が設立される】
 1906.2.24日、両党合同の形式で日本社会党の創立大会を開き、ここに日本で初めての合法的な社会主義政党が誕生することになった。大会は、「本党は国法の範囲内に於いて社会主義を主張す」との党則を決定、評議員として堺、片山潜(1月に米国から帰国)、西川、山口、田添鉄二、森近運平ら13名を選出した。正式党員は約200名であったといわれる。

 生まれたばかりの日本社会党が直面したのは東京市街鉄道三社の電車運賃値上げ問題であった。党は運賃値上げ反対運動に乗り出し、3月11日と15日には山路愛山の国家社会党と共同で「市民大会」を日比谷公園で開催した。15日の大会終了後は、有楽町の市街鉄道会社、東京市会に向けてデモをかけたが、群衆は3000名にも膨れ上がり、中には投石する者も現れるなど、大荒れとなった。このため、党員は暴動化を懸命に制止したにも関わらず、凶徒聚衆罪で西川、山口、大杉栄ら10名が逮捕、起訴された。

 とはいえ、この結果、3銭から5銭への均一運賃の値上げは撤回され、市街鉄道を市有化する決議を市会で通すことにも成功した。このように運賃値上げ反対運動が大きな高揚をみせた背景には、日露戦争後も継続された増税や物価高騰に苦しむ大衆のうっ積した怒りがあった。結党直後の社会党はこの大衆の不満を組織し、緒戦を飾ったのであった。そして、これが社会主義政党が公然と指導した日本で最初の大衆運動であった。

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【幸徳秋水の帰国と党内への衝撃波】

 こうした状況を見て、滞在先のサンフランシスコが大地震に見舞われたこともあって6.23日、幸徳秋水が滞米半年余で急遽帰国した。秋水は6.28日の帰国歓迎会で「世界革命運動の潮流」と題して帰朝第一声を上げた。秋水は、次のように第一声を挙げた。

 「過去一年余の入獄と旅行とは、予の主義理想に何らの変化も与えざりき、予は依然として社会主義者なり。ただその主義理想は変化なしといえども、これを実現する手段方法は変転することなしと言うべからず。今や欧米における同志の運動方針は、まさに一大変転の機に際せり、我が日本の社会党たる者もまたこの新潮流を看取するを要す」。

 続いて次のように述べた。

 概要「ドイツではビスマルクが普通選挙の制を採用して民間不平の安全弁となすや、ドイツ社民党は議会・選挙闘争に全力を注ぎ、『我らは議会に多数を制し、もってその志を行うべきのみ。社会党運動は平和的なり、立憲的なり、合法的なり』と揚言するようになった。そして、第二インターの諸党も皆これにならい、我が日本の社会党も、従来議会政策をもってその主なる運動方針となし、普通選挙の実行をもってその第一着の事業となせり。だが、その結果はどうか。

 三百五十万の投票を有せるドイツ社会党、九十人の議員を有せるドイツ社会党、果たして何事を為したりや、依然として武断専制の国家に非ずや。依然として堕落罪悪の社会に非ずや。投票なるもの甚だ頼むに足らざるに非ずや。代議士なる者の効果、何ぞ甚だ少なきや。労働者の利益は労働者自ら掴取(かくしゅ)せざるべからず。労働者の革命は労働者自ら遂行せざるべからず。これ近時欧米同志の叫声なり。

 それ社会党たる者、一に議会政策にのみ重きを置かば、その勢力を得たる際において来たり投ずる者の多数は必ず常に議員候補たらんと欲する者のみ。彼の地位、名誉、権力の利益のために来る者、ひとたびこれを得れば直ちに腐敗し、堕落し、少なくも譲歩し沮喪せざる者まれなり。而して、その為したるところは、わずかに某法律の制定、某条項の改廃に止まりて、いわゆる社会改良論者、国家社会党の為す所と何の差違ある事なきに至らん。しかり、社会党の理想目的たる今の社会組織の根本的革命に至りては、到底これを議会内の賛否に求むべからずと、これ近時欧米同志の盛んに論道する所なり。

 ここにおいてか、欧米の同志は、いわゆる議会政策以外において社会革命の手段方策を求めざるべからず。而して彼らはよくこれを発見せり。何ぞや、爆弾か、合口か、竹槍か、筵(むしろ)旗か。否、これらは皆十九世紀前半の遺物のみ。将来革命の手段として欧米の同志の執らんとする所は、しかく乱暴の物に非ざるなり。ただ労働者全体が手を拱して何事も為さざること、数日もしくは数週、もしくは数月なれば即ち足れり。而して社会一切の生産交通機関の運転を停止せば即ち足れり。換言すればいわゆる総同盟罷工(ゼネラル・ストライキ)を行うにあるのみ」。

 幸徳の演説は党員たちに天地のひっくり返るような激しい衝撃を与えるものであった。というのは、普通選挙制を獲得して、議会に多数を占めることで政権を握り、社会主義革命を遂行するという「議会政策」論、すなわち合法的なブルジョア議会主義の路線を、これまで彼らは誰一人としていささかも疑うことなく信じて来たからである。以後、党内は若い同志を中心に寄るとさわるとこの話で持ちきりになるという状態であった。

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【日刊平民新聞発行の動き】
 幸徳の帰国をきっかけに日刊新聞を発行する計画が持ち上がり、準備が進められていった。彼らは「新紀元」派にも協力を呼び掛けた。木下尚江は結党後まもなく社会党に加入したが、石川三四郎は後に彼が行き着く無政府主義的な個人主義の立場から「政党不信」を表明して堺らの入党要請を拒否していた。その石川も最終的には協力することになり、こうして両派は年内をもってそれぞれの機関紙を廃刊し、再び合同して翌年1月を期して日刊平民新聞を発行することになった。岡山の平民社同人だった山川均が編集部入りを請われて上京するのもこの時である。なお、木下はこれを前後する母の死を契機に「心境の変化」を来たして隠遁生活に入り、社会主義運動から身を引いてしまった。

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【幸徳がクロポトキンの「直接行動の思想」を称揚し始める】
 この頃幸徳は、クロポトキンの「直接行動の思想」を称揚し、これによる無政府主義的な労働組合主義が支持を増していった。幸徳はゼネストを重視し、議会主義的な運動を批判した。同時に反軍闘争を指揮した。

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【雑誌「社会主義研究」が創刊され、マルクス主義文献の翻訳を始める】
 1906(明治39)年に刊行した雑誌「社会主義研究」には、エンゲルスの「空想的社会主義から科学的社会主義へ」を翻訳しており、ドイツ社会民主党の諸文献や活動状況を報告している。

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【日刊「平民新聞」創刊、華々しく紙上で論戦される】
 1907(明治40).1.15日、日刊平民新聞が刊行された。創刊号は秋水の筆になる「宣言」が掲げられ、次のように力強く宣明された。

 「吾人は明白に吾人の目的を宣言す。平民新聞発行の目的が、天下に向かって社会主義思想を弘通するにあることを宣言す。世界における社会主義運動を応援するにあることを宣言す」。

 新聞創刊から1カ月後の2月中旬には日本社会党の第2回大会が予定されていた。大会を10日後に控えた2.5日付の平民新聞第16号に、幸徳秋水は「余が思想の変化(普通選挙について)」を発表し、大会に向けて「直接行動」論を提起した。幸徳は、前記の「世界革命運動の潮流」と同様に次のように述べた。

 概要「代議政体は『ブルジョア政治に固有の形式』であり、故に労働者出身の議員といえども議会に入ると同時にブルジョア政治に感化され、堕落し去るのは当然である。社会党の議員はまじめで、民意に背く恐れはないと言われているが、いかなる党派も逆境にある間はまじめである。しかし、議会の多数を占むるを目的とした政党がその目的を達するや否や、直ちに腐敗し去るは当然である」。

 (以下、発言は堺、田添のを含めてすべて大意)と喝破したうえで、こう強調する。

 「労働者階級の欲する所は、政権の略取ではなくて、パンの略取である。法律ではなく衣食である。故に議会に対してはほとんど用はないのである。法律の改廃のみに依頼して安心するほどならば、これらの事業は社会改良論者や国家社会党に一任して可なり。これに反して、真に社会革命を断行し労働者階級の地位、生活を向上し保存せんと欲せば、議会の勢力よりもむしろ全力を労働者の団結訓練に注がねばならぬ。労働者自身も議員、政治家などに頼らず、自身の直接行動でその目的を貫く覚悟がなければならぬ」。

 そして、次のように提起した。

 「我が日本の社会主義運動は今後議会政策を執ることを止めて、一に団結せる労働者の直接行動をもってその手段方針となさん」。

 幸徳の「直接行動」論には直ちに二つの批判が現れた。一つは堺利彦、もう一つは田添鉄二のものであった。堺は2.10日付の平民新聞に「社会党運動の方針」を発表し、自分は「大体の考え方」で幸徳と同じだが、「異なるところは全然議会を否認すると、これを併せ用いることにあるのみだ」として、こう述べる。

 「社会党の議員が議会に出て、議会をして真に平民労働者の噴火口たらしめるためには、我々は実力を持って政府と政党に肉薄して、普通選挙権を獲得しなければならぬ。そこに直接行動の必要がある」。
 「今後、社会党運動の大方針としては、一方に議会政策をとり、一方に労働者の団結をはかり、議会の内と外と常に相呼応して平民階級の活動につとめるにある」。

 この堺の折衷的な併用論に対して、田添は幸徳の主張に真っ向から対決し、2月14、15日の2号に渡って「議会政策論」を展開した。

 「余は労働者階級をもって現代社会の革命的動力であると信ずる。しかし単にパンに対する自覚、すなわち生活そのものに対する自覚だけでは、直ちに社会を根本から改革する勢力となるものではない。パンを直接に獲得するというだけなら、労働者は政治意識なき労働組合運動にとどまり、ストライキやその他の武器を擁して資本家に肉薄する行動も、賃金労働者の位置を改善するに止まるに過ぎない。現代社会の組織の欠陥を政治的に意識し、さらに新社会建設を人類の正義の観念の上に意識するに至り、すなわち労働者が階級意識に覚醒した時、はじめて社会の根本的改革を遂げ得る動力となるのである。そして、この点からすれば、議会政策も直接行動もともにこの階級意識覚醒の有力なる方便と見ることができる」。
 「社会党の運動は決して単純ではなく、ひとすじみちではない」。
 「社会改革を志すものの往々陥りやすい謬見は、社会革命が一活劇の下に実現しうるという観念である。……社会は人為の創造ではなくおのずからなる進化であり、原人時代の過去から進化してきた現在の社会が一個体、一有機体として新社会に入るまで進化せず、その用意が成熟せず、社会進化を構成する一動力すらも不用意である以上は、たとえいかなる天才英雄が焦っても、いかなる有力な団体の活動をもってしても、社会革命は行われない」。

 こうして三者三様の見解が出揃ったところで、2.17日、日本社会党はその歴史的な第2回大会を迎えることになった。

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【「日本社会党」の党内論争】
 1907(明治40).2.17日、日刊平民新聞紙上での「直接行動か議会政策か」を廻る前哨戦を経て、これを決する日本社会党第2回大会が開かれた。議会主義を守ろうとする田添鉄二、片山らと、無政府主義的な直接的行動に訴えようとする幸徳、山川、大杉栄らと、その中間派の堺ら三派が論争を為し、政府は安寧秩序を害するとして結社禁止となり、この政党も僅か1年でその活動を閉じることになった。

 この大会の模様を考察する。まず党則第一条「本党は国法の範囲内に於いて社会主義を主張す」を「本党は社会主義の実行を目的にす」と改めた後、決議案の審議に移った。

 堺の提案した評議員会の原案は、第一項に「我が党は労働者の階級的自覚を喚起し、その団結訓練につとむ」と謳い、第四項で「左の諸問題は党員の随意運動とす」として、これまで「社会主義運動の第一着手」とされてきた「普選運動」を、治安警察法改正運動や非軍備主義運動や非宗教運動と同様に「党員の随意運動」に格下げするというもので、一見、両派に配慮した形のものであった。

 予期されていたとおり、決議案には二つの修正案が提出された。一つは田添からのもので、第一項の後に、第二項として「我が党は議会政策をもって有力なる運動方法の一なりと認む」を入れ、「随意運動」の項から「普選運動」を削除するというものである。もう一つは幸徳からのもので、第一項の「我が党は」の後に「議会政策の無能を認め専ら」と加え、同じく第四項から「普選運動」を削除するというものであった。

 田添と幸徳は持論に従い熱烈な弁舌を振るって、それぞれの修正案を擁護した。そして他の代議員の賛否の発言を含めて三時間余を討論に費やした。かくて、議会主義を守ろうとする田添、片山らと、無政府主義的な直接的行動に訴えようとする幸徳、山川、大杉栄らと、その中間派の堺ら三派の論争が繰り広げられた。

 採決に移り、田添案2票、幸徳案22票、評議員会案28票で、原案が可決成立した。原案が通ったとはいえ、これまで党の一枚看板であった普選運動を今後は党としては取り組まず、やりたい人がやるというのだから、その内容は本質的には幸徳案寄りであり、採決の結果は実質的には「直接行動」派の圧倒的な勝利を意味していた。

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(私論.私見) 【秋水の「直接行動」論解析、秋水の「直接行動」論提起の歴史的意義】

 社労党の町田勝氏は「マルクス主義同志会」の「マルクス主義入門」の「日本社会主義運動史」中で次のように記している。

 秋水の「直接行動」論が理論的に見れば基本的にアナルコ・サンジカリズム以上のものでないことは明らかである。彼が「直接行動」論に傾斜していった直接の契機としては、滞米中のI・W・W(世界産業労働組合、幸徳の渡米に先立つ半年ほど前の1905.6月にヘイウッドらによって結成された)の急進組合主義者やロシアの亡命社会革命党員との交流、折からの第一次ロシア革命におけるゼネストの蔓延、さらには獄中で読んだクロポトキンなどの無政府主義的文献の影響等々をあげることができる。

 しかし、その根底には数年来の認識の深まりの中で明確となってきたドイツ社民党の議会を通じての革命という俗悪なブルジョア的議会主義に対する深い幻滅、ベルンシュタイン主義をはじめとする第二インター諸党における修正主義の台頭と、これに口先では抽象的・原則的な批判を浴びせつつも、実践的にはこれに妥協・追随するベーベル、カウツキーらの欺瞞的な正統マルクス主義派への激しい反発があった。秋水の持って生まれた革命的な性情・気質はこれらに敏感に反応したのであった。

 「直接行動」論の提起で秋水が意図した核心は、これまで彼らがお手本としてきたドイツ社民党流の議会主義、合法主義、改良主義の路線を克服し、日本の社会主義運動を革命的な方向へと転換させることにあった。その限りで、秋水の提起は全く正当であり、歴史的な意義を持つものであった。実際、秋水の議会主義、改良主義に対する仮借ない批判は、あたかも戦後の社共のブルジョア的な腐敗、堕落を見通して、それを完膚無きまでに暴露しているかのようである。

 しかし、彼がブルジョア的な議会主義、改良主義に対置したものはマルクス主義的な戦略・戦術論ではなく、「ゼネストによるパンの略取」というアナルコ・サンジカリズムでしかなかった。議会で多数を占めることで合法的にプロレタリア革命を実現するという議会主義のナンセンスは秋水の強調する通りである。それは究極的には労働者階級の組織された力、蜂起に至る革命的大衆行動によるブルジョア権力の打倒とプロレタリア権力の樹立によってのみ可能である。しかし、秋水の「直接行動」論では、労働者の革命的大衆行動がその一つの形態に過ぎないゼネスト(しかも多分に自然発生的な)に一面化されており、プロレタリアートによる権力の奪取という課題についてもあいまいであった。

 また、こうしたアナーキズムに独特な見解と関連して、そうした革命闘争を最終的な勝利に導くために、労働者階級をいかに組織し、鍛え上げていくのか、そのためには何が必要かということ、つまり理論的にも組織的にもマルクス主義に基礎を置いた強固な革命的な党組織(合法的あるいは非合法的な)を作り上げていくことが何よりも必要だという観念も希薄であった。そしてこの点は「ガラス張りの組織」を自慢としてきた明治期社会主義者の特徴で、そのおおらかさを示すものであると同時に、またその致命的な弱点でもあった。

 もっともこの点でひとり秋水を責めるのは酷であろう。というのは、ドイツ社民党および第二インターの修正主義、日和見主義に鋭い革命的な批判を浴びせたあのローザ・ルクセンブルクでさえも、そのゼネスト論に見られるように、大衆の自然発生的な革命性を過大視し、その結果、組織的にも日和見主義者と一線を画して独自のプロレタリア革命党を建設するという任務を軽視する、サンジカリズム的な偏向に陥っていたのだから。当時、この課題を一貫して追求していたのはロシアのボルシェヴィキだけであったが、レーニンの党組織論などはまだ日本に伝わってはいなかった。

 我々はその限界をあげつらうことよりも、むしろ日本の社会主義運動もまた、第二インターの醜悪な修正主義、日和見主義に反対する国際的な革命的潮流に連なる健全な一翼を生み出し得たことをこそ誇るべきであろう。レーニンはローザの死に際して、彼女は様々な誤りを犯したが、それでもなお彼女は決してニワトリではなく、大空を高く飛ぶワシ(革命家)であったと評したが、これに倣って言えば、秋水もまた確かにワシであった。

 これに対して、田添の「議会政策」論は、なるほど個々の論点においては、秋水の「直接行動」論の急進組合主義的な狭さや一面性を鋭く衝いたり、秋水が議会主義に反発する余り議会の利用を一切否定してしまったのに対して、議会を労働者階級に対する宣伝・扇動・組織化の一手段として革命的に利用するという観点を押し出すなど、現実的で正当な主張も少なくない。しかし、全体としてのそれはブルジョア議会主義を明確に否定するものではなく、むしろそれを温存し改良主義と日和見主義に道を開くものであった。

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【西園寺内閣が平民新聞を発売禁止にするとともに、社会党に解散命令を下す】
 さて、党則の改正や「直接行動」派の勝利など日本社会党の左旋回に驚いた西園寺内閣は、大会での幸徳の演説要旨を掲載した2.19日付けの平民新聞を発売禁止にするとともに、22日には社会党に安寧秩序を害するとして結社禁止処分に付し解散命令を下した。こうして日本で初めて合法的に存在を許された社会主義政党は一年ほどの短命に終わった。

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【平民新聞廃刊に追い込まれる】
 その後も平民新聞に対する弾圧は続き、3月には山口孤剣の「父母を蹴れ」、クロポトキンの「青年に訴う」(大杉栄訳)を掲載した各号が相次いで発売禁止とされ、前者の新聞紙法違反事件では4月13日、筆者の山口が禁固3カ月、編集発行人の石川が同6カ月、新聞は発行禁止の判決が下された。このため、日本で最初の日刊社会主義新聞は財政難も相まって翌14日、この世にあることわずか3カ月、第75号をもって廃刊に追い込まれたのであった。

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【日本左派運動の分裂促進する】
 6月に入ると、東京では片山、田添、西川が週刊「社会新聞」を、大阪では森近運平が半月刊の「大阪平民新聞」(後に「日本平民新聞」と改題)を創刊し、前者は「議会政策」派、後者は「直接行動」派を代表する機関紙の役割を果たすことになった。こうして05年の平民社解散に伴いキリスト教社会主義派とマルクス社会主義派に分裂した日本の社会主義運動は、今度はマルクス派内部が日和見主義的改良派(軟派)と急進主義的革命派(硬派)へと再分裂することとなった。

 この頃より両派は「軟派」、「硬派」とも呼ばれるようになった。当時、片山潜や田添鉄二らは議会活用論を唱えたが、幸徳秋水の直接行動論の方が人気があった」。8月に開かれた社会主義夏期講習会が両派の協力した最後の事業であった。しかし、講習会は両派の激しい論戦の場と化し、分派闘争をますます激化させる契機となった。その後、両派は組織的にも分裂を遂げ、軟派が社会主義同志会を結成し、日曜研究会を開催し始めたのに対抗して、硬派は金曜会を結成し、社会主義金曜講演会を設けた。そして、11月27日付けの「社会新聞」には電車運賃値上げ反対闘争で堺、幸徳が電車会社から買収されていたかに誹謗する西川の文章が載るなど、両者の対立は感情むき出しの泥仕合の様相さえ呈してきた。一方、軟派の内部でも、片山の頑固一徹の性格とその余りの卑俗さ(例えば彼は労働組合の組織化を促すために無尽で反物を与えたらどうかなどと盛んに提案した)に反発する若い人たちの突き上げで、片山は社会主義同志会から除名されるという始末であった(08年2月)。

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【赤旗事件】
 1907(明治40)年の天長節(11月3日の天皇誕生日)に天皇暗殺をほのめかすビラがサンフランシスコの日本領事館の正面玄関に貼られるという事件が起こり、政府に強い衝撃を与えた。元老山県はこれを西園寺内閣打倒に利用しようと策動した。こんな状況の中で、翌08.6.22日、「赤旗事件」が起った。

 1908(明治41).6.22日、神田錦輝館に数十名の社会主義者、無政府主義者が集まり、筆禍事件で一年余の刑を終えた山口孤剣の「出獄歓迎会」が硬軟両派合同で開かれた。閉会間際に、大杉栄や荒畑寒村らの青年が「無政府共産」と赤字に白く抜いた大旗を三本振り回し「ああ革命は近づけり」と高唱しながら、軟派の人々の周りを練り歩いた後、戸外に飛び出したところ、警察官ともみ合いになり、大杉、荒畑らはもちろん、止めに入った堺や山川らも逮捕検挙された。世に「赤旗事件」と云われる。

 この時、大杉栄、堺利彦、大須賀、菅野スガらは東京錦町署に留置され、警察当局から拷問された。大杉は、左胴腹を靴で蹴飛ばされ、荒畑は裸にされてリンチされ、悶絶させられた。大須賀、菅野ら3婦人にも生傷歴然たるものが認められている(「二六新報」)。

 事件の内容自体はこのような他愛もないものであったが、陸軍の大御所山県派はこれを好機と倒閣工作に乗り出した。7.4日、西園寺内閣は、事件の責めを負う形で総辞職に追い込まれた。世に言う「西園寺内閣の毒殺」である。代わって登場した山県直系の第二次桂内閣は社会主義運動に対する強硬な取り締まり方針を打ち出した。厳罰主義はさっそく実行に移された。

 8.14日、赤旗事件の被告に判決が言い渡されたが、治安警察法違反、官吏抗拒罪を問われ、大杉が重禁固2年半、堺と山川が同2年、荒畑が同1年半と前例をはるかに上回る重刑であった。彼らは千葉監獄に下獄した。

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 1908(明治41)年、田添が極貧のなか32歳の若さで世を去る。
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【赤旗事件以降の取り締まり強化】
 この頃、足尾銅山に工夫暴動が起り、軍隊出動で鎮圧した。加えて、アメリカの日本社会革命党から檄文が寄せられ、それには露骨に明治天皇の名前を呼び捨てにした上で、政府の社会主義に対する迫害を糾弾し、他日必ず復讐を加えることを誓った文面となっていた。檄文を手にした山県は次のように指示した。  「この責任は、悉く先の西園寺内閣が不穏な言論の取り締まりに寛大過ぎた結果だ。進んで国家の主権に危害を加えようとする社会主義者の如きは一人残らず打ッタ斬るがいい」。

 桂首相は、次のように豪語した。  「俺の目玉の黒いうちに、必ず日本に社会主義者を無くしてみせる」。

 こうして、赤旗事件以降、官憲の弾圧は過酷を極め、幸徳らには四六時中、尾行が付けられ、彼らはその一挙手一投足まで監視下におかれた。大杉らの本拠「平民新聞社」は壊滅に近い有り様となった。翌09(明治41).5月、幸徳と菅野スガが発行した「自由思想」もたちまち発禁処分となり、まさに手も足も出せない状態に追い込まれてしまった。

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【「白樺派」旗揚げ】
 1910(明治43)年、有島武郎らが「白樺派」を旗揚げしている。

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【「大逆事件」発生】(「大逆事件(幸徳秋水事件)」)
 こうして為す術もなく孤立感を深める中で、彼らはアナーキズムへの傾斜をいっそう強め、幸徳秋水を理論的、精神的支柱として管野スガをはじめ幸徳家に出入りする宮下太吉(甲府)、新村忠雄(信州)、新村善兵衛、新田融、古河力作、奥宮健之らの間で天皇暗殺計画が持ち上がった。伝聞されるところに拠ると、岡山で挙行される予定の特別大演習を狙って天皇陛下に爆弾を投げつけようというものであった。菅野は、1908(明治41).6.22日の赤旗事件で捕まりリンチ的取調べを受け、無罪にはなったものの国家に対する復讐の怨念に燃えていたと云う。

 幸徳自身はこのテロリズムに乗り気ではなく、4人は幸徳抜きで連絡を取り合っていた。この年11.3日、宮下は長野県明科の山中で爆破の効力試験に成功したが、この爆弾製造の一件が翌1910(明治43).5月に警察に探知された。

 1910(明治43).5.25日、桂内閣は、時の権力者・山県有朋と意思疎通しつつ、検事総長・平沼騏一郎の指揮の下で宮下らを逮捕するとともに、これを幸徳らが陰で糸を引く天皇暗殺の大規模な陰謀に仕立て上げ、全国各地の主だった社会主義を一網打尽に検挙し、社会主義運動の息の根を止めようと謀った。これは世界にも類を見ない大規模なフレームアップであり、世に「大逆事件」と云われる。

 「大逆事件」で、幸徳秋水、森近軍平ら26名が、全国で数百人の社会主義者が検挙された。各地の社会主義者は労働組合主義であるか議会政策派であるかを問わず、ことごとく無政府主義に繋がるものとして、厳重な取調べを受け、些細な理由でも爆弾事件の関係者であると認定され、投獄された。

 6.2日、新聞社各紙が初めて事件を報道した。事件が世情に伝わるや国民の恐怖と嫌悪を呼び、社会主義運動は一時表面から姿を消すことになった。日本における社会主義運動の暗黒時代がはじまることになった。

 12月、事件の公判が一般傍聴禁止の非公開で進められ、弁護人側が申請した証人は一人も認められないまま、連日の開廷により、大審院のみの一審制という、近代史上、最大の暗黒裁判により開始から一カ月で、憲法第1条「天皇は、神聖にして侵すべからず」、刑法第76条の「天皇一家に対し、危害を加え、又は加えんとしたるものは、死刑に処す」(いわゆる大逆罪)、爆発物取締罰則に基づき26名が起訴され、大審院の特別審理に移された。刑法73条が初めて適用された事件となった。経緯から見て、「幸徳中心の全体計画なるものは完全なフレームアップ」であった。

 大審院特別裁判所公判も一般傍聴が禁止され、全くの秘密裁判となった。被告の殆どは事件に無関係であることを述べ、今回の事件は無政府主義者の陰謀と云うよりもむしろ検事の作為陰謀であると弁難した。翌1911(明治44).1.18日、大審院の特別法廷(鶴丈一郎裁判長)が開かれ、起訴からわずか1カ月のスピード審理で被告26名のうち24名に死刑が宣告された。死刑宣告された24名とは、幸徳伝次郎、菅野すが、森近運平、新村忠雄、宮下太吉、古河力作、坂本清馬、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、高木顕明、峯尾節堂、崎久保*一、成石勘三郎、松卯尾一太、新美卯一郎、佐々木道元、飛松与次郎、内山愚童、武田九平、岡本*一郎、三浦安太郎、岡林寅松、小林丑治。新田融は懲役11年、新村善兵衛が8年の有期刑に処せられた。大逆罪の裁判は一審即決で、控訴も上告も許されなかった。

 翌19日、天皇の恩赦の形で坂本清馬ら12名が無期懲役に減刑、他の2名は長期の刑に処せられるという措置が採られた。早くも一週間後の1.24日、東京監獄で、幸徳(41歳)、森近(31歳)、松尾(33歳)、新美(33歳)、内山(38歳)、宮下(37歳)、古河(28歳)、奥宮(54歳)、大石(45歳)、成石(30歳)、成石弟(30歳)の11名の死刑が執行された。翌1.25日、管野スガが処刑された。立ち会った教誨師は沼渡政憲。

 赤旗事件に連座した荒畑寒村は、「日本社会主義運動史」の中で、大逆事件の真相を次のように語っている。  概要「この事件は要するに、宮下、菅野、新村、古河が陰謀の中心であったが、その陰謀はただ天皇暗殺の消極的な目的にとどまり、それ以上はいかなる積極的、具体的な計画も立てていなかった。宮下、菅野、新村の3人が初めから積極的にこの計画を立てていたことは争えないとしても、幸徳氏の如きは途中から全く無関係となり、その他この事件に連累した被告たちは、単に話を聞いていわゆる大言壮語、それは面白かろうといったくらいの程度に過ぎなかったであろう。大逆財の予備というほどの計画でさえも無く、且つこれに連座した被告の間に共通の意図や統一ある連絡というようなものは到底認めることができない。結局この事件は全然政府、裁判所の捏造によったものではなく、多少の根拠はあったにしても、大部分の被告は政府の手によって無理矢理に一つの事件に纏め上げられてしまったと見ることができよう」。

 大逆事件の弁護に当った今村力三郎氏は、「幸徳事件の回顧」の中で次のように述べている。  概要「私は今に至るもこの24名の被告人中には多数の冤罪者が含まれていたと信じています。天下の耳目を蠢動したあれ程の事件に、弁護人の申請した証人は残らず却下して、全被告を死刑に処したのですから、裁判所は予断を抱き、公判は訴訟手続き上の形式に過ぎなかったと、私は考えていました。厳刑酷罪をもって皇室に忠なるものとする固陋な裁判官には、弁護人の弁論なぞ耳に入らないのであります」。

 神崎清の「革命伝説」が個々の被弾圧者の実像に踏みこんだうえで「大逆事件」の全体構造を物語っている。作家の徳富蘆花は、幸徳らが処刑された1週間後の第一高等学校雄弁部主催の講演会で、「謀反論」と題して次のように述べている。  「天の目から正しく謀殺ー謀殺だ。それに公開の裁判でもすることか、風紀を名として何もかも闇中にやってのけてー死の判決で国民を脅して、12名の恩赦でちょっと機嫌をとって、他の12名はほとんど不意打ちの死刑ーいや死刑ではない、暗殺ー暗殺である」。
 「諸君、幸徳らは、時の政府に謀反人とみなされて殺された。が、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となることを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である」。

 皮肉家として知られるバーナード・ショーは、次のように述べている。  「日本は今や明らかに欧米列国に伍する文明国となった。その証拠には、12名の無政府主義者を死刑に処したではないか」。

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【「大逆事件」その後の動き】
 堺利彦、山川均、荒畑勝三(寒村)らは赤旗事件で検挙されていたために、難を免かれた、と信ぜられる。危うく難を免れたものの処刑に前後して出獄した彼らを待っていたのは文字通り四面楚歌の閉塞状況であった。堺は10年暮れに「売文社」を設立し、山川らはその社員となり、代書業で糊口をしのぎながら、再起を期してこの社会主義の厳しい冬の時代を耐え忍ばなければならなかった。

 他方、軟派の西川光二郎は同年「社会主義者の詫証文」と称される「心懐語」を発表して、運動から手を引いてしまった。片山潜は、田添亡き跡も「社会新聞」の発行を続けたが、普選が実現すれば天皇制と帝国憲法のもとでも議会に多数占めることによって社会主義を実行することは「容易」だと述べるなど、ますますひどい無原則主義に陥っていった。

 志賀義雄氏の著作「日本革命運動の群像」で、この頃の動きを次のように述べている。

 概要「片山君はその頃労働組合主義の立場をとっていた。幸徳君はアナルコ・サンジカリズムの方へ傾いていった。そこで私(堺利彦)が両者の中間に立って社会民主主義でなければいけないと主張した」、「片山、堺、幸徳は、日露戦争の時、これに反対した人々であり、当時の日本の労働者階級や進歩的文化人などの意向を代表し、国民の戦争に対する苦しみと不信などを取り上げて、その先頭に立った人であります」。
 
 つまり、我が国左派運動の草分けは「片山、堺、幸徳」の3名を指導者として挙げることができるということになる。
 大逆事件以降、社会主義運動と労働組合運動は全く押さえつけられてしまった。その後は、堺、山川、荒畑の凡俗トリオが指導者的地位にあった。この凡俗性は卑下するために冠しているのではない。それらを乗り越える指導者が現れなかったという痛苦として表現している。

 荒畑寒村が「自伝」に次のように記している。

 概要「大逆事件以後、吹きすさぶ真っ黒な反動の嵐の中に運動はまったく火が消えたようで、同盟の半ばは散じ、半ばは枯骨の感なきを得なかった。この空白の時代は第一次大戦の末期までつづき、その間における政府の圧迫はほとんど正気の沙汰とも思えなかった」。「社会主義の冬の時代」の到来となった。

 「大逆事件(幸徳事件)」は日本の社会主義運動に壊滅的打撃をあたえたが、そのもとに社会主義を守りつづけたのは、やはり、堺利彦を中心としたきわめて少数の人びとであった。

 「石堂清倫 /米田綱路(聞き手・本紙編集)」には次のように記されている。

 概要「こうして大杉栄の直接行動論は日本では潰えたが、中国の革命家たちがこれを継承していくことになる。彼らは、『直接行動とは軍事的な反乱を起すことだ、そのためには武器弾薬を集めねばならない』と考え実行に移した。上海や香港を経由して武器弾薬の密輸入を始め部隊を形成して、清朝の権力に対して武装蜂起を企てていった。それがやがて辛亥革命となって、清朝は滅びる。その後にできた軍閥政権を、孫文たちが出てきて国民革命で打倒する。さらにそれから二〇年経たないうちに、今度は毛沢東たちが新民主主義革命を行うわけです。このように、中国の人たちは、自分たちの状況に応じて変革を具体化していくだけの力があったのに対して、日本ではそうはいかなかった。日本の社会主義者の理論と実践には距離がありすぎた。その原因が問題です」、「中国の社会主義運動は日本では想像もできない残酷な迫害を受けながら、だんだん大きくなっていく。ついに1935年に日本の党組織は壊滅し、中国では遵義会議のあと抗日統一戦線の飛躍的発展が始まる」。

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【「特別高等警察」創設される】
 8.21日、警視庁の官制改正により、特別高等課が庁内新設された。それまで警視庁高等課の中にあった特別高等課と検閲係が、高等課から分離され、新しい課として独立した。警視庁特高課のスターと時点での仕事は、1・同盟罷工(労働者のストライキ)に関する事項、2・爆発物に関すること、3・その他特別高等警察に関する事項、4・各種不穏文書・図書・新聞記事の検閲に関する事項の4分野に、内偵取締りの目を光らすことであった。新設当初の特高課は、課長1名、特別高等係7名、検閲係6名、計14名からなる小さなセクションであった。

 「日本の暗黒 五色の雲」(森村誠一、下里正樹、宮原一雄、新日本出版社)の17Pは次のように述べている。  「まさか、この総員14名の小さな課が、やがて全国各府県にもれなく設置され、猛烈な自己増殖を遂げながら全警察機構を特高化し、日本の民主主義と平和を圧殺する怪物になろうとは、生まれた当時誰一人として予見した者はいなかった」。

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【「青鞜社」結成される】
 1911(明治44)年、白樺派に続き、平塚雷鳥らが「青鞜社」を結成するなど新たな文芸思潮が起こってくる。

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【片山潜が東京市電のストライキを指導】
 1911(明治44)年の終わりから翌年の1月まで、東京市電の6千名の運転手と車掌によるストライキが打たれた(東京市電争議)。片山潜がこれを指導した。

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【美濃部達吉の憲法講話】
 1912(明治45)年、 美濃部達吉が、憲法講話の序文で次のように記した。  「専門の学者にして憲法のことを論ずる者の間にすらも、なお言を国体に借りてひたすらに専制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下にその実は専制政治を行わんとする主張を聞くこと稀ならず」。

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 これより以降は、「大正ルネサンス運動その陽と陰」

http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_taigyakugiken.htm

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/30 21:35

【137】元に戻っている

 会員番号4655の佐藤裕一です。

[142]から4時間半ほどしか経過していませんが、レビューが「復旧」?しています。何だったんでしょう、よくあることなのでしょうか。

Amazon.co.jp: 癌患者を救いたい―PSA検診のウソ 李 漢栄 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4901609297

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/30 17:00

【136】阿修羅掲示板から転載「なぜマスコミは小沢氏強制起訴が週明けと報道しているのか」

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 李さん、私も確認致しましたが、アマゾンのレビューが本当に消えていますね。何故でしょうか。せっかく素晴らしい書評が幾つも寄せられていたのですが……もったいない。システム上の一時的問題か何かで、元に戻るといいのですけれども。

Amazon.co.jp: 癌患者を救いたい―PSA検診のウソ 李 漢栄 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4901609297

 

 それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

なぜマスコミは小沢氏強制起訴が週明けと報道しているのか
http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/770.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 1 月 29 日 07:12:52: vebXXayRfpINQ

又してもマスコミが同じ報道を開始した。時事通信も朝日も同じで週明けに強制起訴という報道である。明らかに誰かが意図的に情報をマスコミにリークしている。今朝の朝日新聞の見出しでは副題として「市民の判断で法廷へ」とまで書いているひどさである。

昨日、投稿したように、マスコミは市民の判断とは何だったのかを問うていない。小生が問うたのは「被害者は誰であったのか」と「具体的被害はあったのか」さらに「誰が被害者であるのか」という検察審査会法の条文に基づく疑問の説明のなさである。すでに森ゆうこ議員が検察審査会の2回目の議決のインチキ性を追求して、それが明らかにされつつあるので、小生は敢えてその補完の意味で根本的な検審事務局の責任を問うたのだ。表面的に進められた事が事実のよう扱われ、それが大騒ぎになっているが、法治国家である以上、ましてや裁判所が管轄する検察審査会事務局である以上、法律に従った手続きに従って全てを行う事は当然の義務のはずである。裁判所までもが恣意的に物事を判断して検察審査会の審査を決定するのであれば、もはや検察審査会法そのものの意味がなくなっている。

マスコミは本当に今朝の朝日新聞のような、恥も外聞もない記事を書いて国民に対する世論操作をまだ続けるつもりなのだろうか。いまや大久保、石川議員らの元秘書への裁判でさえ当初の被疑事実が完全に揺らぎ、訴因まで変更されているという事実を報道もしないで、一体、彼らの倫理観はどこに消えたのだろうか。

最後に、昨年の3月に公認会計士が行った、陸山会の政治資金報告書の正当性を専門家の視点で述べている記事を紹介しておこう。ここでも政治資金報告書の方法が単式簿記というインチキな方法であるから問題が明確にされない事を詳細に分析している。そして陸山会事件が虚構であることも見事に結論している。

「公認会計士の目から見た陸山会政治資金事件」
http://bit.ly/hvoG2B  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)