ふじむら掲示板

副島系掲示板の"補集合"としての役割
ジョー(下條竜夫) 投稿日:2024/11/07 14:19

【465】伊藤さんの疑問に答えて

伊藤睦月様

拙本をお読みいただき、かつ丁寧な講評をいただき、どうもありがとうございます。ご質問に対して、わかるかぎり簡潔にお答えします。

質問1 卑弥呼のような高貴な女性がなぜ、倭国に渡来してきたのかその渡来目的は何か。

これについては、確かな証拠がないので本には何も記しませんでした。しかし、個人的には、金や鉄を堀っていた四川省付近の金堀集団が、日本に来たのち(日本は火山国なので金銅鉄がマグマで噴き出すため多くとれます)、「我々も五斗米道の教祖に日々教えを請いたい」と呼びよせたと思います。だから、もちろん布教もしただろうと思います。ただ、その証拠は何も残っていないので、「その道教の教えが現在の神道のもとなのだろう」という間接的な証拠しかありません。

ちなみに副島説では道教=五斗米道にキリスト教が入っていることになっています。卑弥呼の弥呼(みこ)は巫女だとしましたが、本当は神子(=イエスキリストのこと)なのではないかと思います。

質問2岡田英弘博士は、古事記を平安時代初期につくられた偽書だと断じて、日本古代史を語る史料として採用していない(『日本史の誕生』)はずですが、下條さんは、古事記も採用しているように思えます。その理由は。

私も偽書説を支持していますが、偽書にしても、古事記は、日本書紀かそのもとになる蘇我時代の歴史書を参考にして書かれたのではないかと考えています。そういう意味で、古事記も参考にしました。

質問3 下條さんは、最近「重たい掲示板」でスピリチュアルについて、興味深い文章を投稿されていますが、その中でスピリチュアルを「信じる人」「信じない人」という言い方をされていますが、信じる信じないにかかわらず、スピリチュアル(霊魂=マインド)は「ある」ものではないか、どう思われますか。

このあたりは副島先生から厳しい批判を受けました、「お前はキリスト教の神のような普遍のものを信じているのではないか」と。

スピリチュアリズムには1.自分の外に霊(spirit)(神や祖先の霊)が存在して、2.それを信じることで幸福になれる、という信念があるように思います。しかし、私には霊はみえない、感じられない、だから1.の自分の外に霊が存在するか私にはわかりません。そういう意味ではスピリチュアルを信じられない人です。つまり、私がこの文章を書いた背景に、霊(spirit)とは本当は何なのか、という疑問がありました。

しかし、最近、伊藤さんが指摘するように霊=霊魂なのだろうと考え直しています。自分の霊魂=思考が霊(spirit)を感じさせているのだろうと思っています。この点についてはウイリアムジェイムスの『宗教的経験の諸相』の「人間の潜在意識(subconsiusness = フロイトのいう無意識nonconsiusness)がそう感じさせている」という考えが参考になります。

また何かありましたら、ご質問ください。

下條竜夫拝

伊藤 投稿日:2024/11/06 13:58

【464】下條達夫氏への質問(細かくて恐縮です)

伊藤睦月です。本日は、11月6日13:16です。

 先ほど、下條さんの著書「物理学者が解き明かす邪馬台国の謎」を読了しました。本日起床時、通勤時間、昼休み、4時間ほどで一気読みしました。面白かった。所説への賛否は保留しますが、「真理の対応説」「真理の整合説」、「卑弥呼の本名は玉(依)姫」など素敵な考察が並んでいて、大変勉強になりました。そこで細かくて恐縮ですが、とりあえず、3点ご教示いただきたい。

質問1 卑弥呼のような高貴な女性がなぜ、倭国に渡来してきたのかその渡来目的は何か。岡田英弘説を勘案すると、いわば華僑の現地駐在員の宗教的支柱として、当初は派遣されたように思えますが、その後後世の仏教やキリスト教のように布教活動を行ったのか、またその痕跡があるのか、ご見解あれば、お聞かせいただきたい。

質問2岡田英弘博士は、古事記を平安時代初期につくられた偽書だと断じて、日本古代史を語る史料として採用していない(『日本史の誕生』)はずですが、下條さんは、古事記も採用しているように思えます。その理由は。(私の読み違えならすみません)

質問3 下條さんは、最近「重たい掲示板」でスピリチュアルについて、興味深い文章を投稿されていますが、その中でスピリチュアルを「信じる人」「信じない人」という言い方をされていますが、信じる信じないにかかわらず、スピリチュアル(霊魂=マインド)は「ある」ものではないか、どう思われますか。

以上、とりあえず3つ。先に「賛否保留中」としたのは、ご著書に引用されている、主要文献を現在入手中であり、それとの照合、検証が終わっていないからです。またそのときなにか出てくれば、ご指摘、質問させていただきます。大変ご多忙中と存じますので、何かの折に、コメントいただければ、うれしいです。

以上、伊藤睦月拝

追伸:下條さんのご著書は、論文の書き方としても大変参考になります。副島隆彦先生や小室直樹博士のスタイルは、なかなかまねできない、下手にまねすると学識不足がたちまち露呈して、大惨事になる。守谷健二氏も、下條本をモデルに自説を組み立てなおしたら、少しは迫力でるのに、と思います。

以上、伊藤睦月筆

 

 

  

 

伊藤 投稿日:2024/11/02 08:41

【463】引用参照文献リストの追加と守谷健二氏への警告

 伊藤睦月です。本日は2024年11月2日土曜日、7時41分です。福岡は雨です。実朝の歌を思いながら、書いています(八大龍王、雨やめたまえ…だったか)

 まずは、引用、参照文献の追加です。ふじむら掲示板【454】の27本に、次を追加します。なお、私が挙げている、参考文献は、誰でも容易に入手、参照できるものばかり、です。

(28)古田武彦『法隆寺の中の九州王朝(古代は輝いていたⅢ)』(朝日文庫1988年、単行本1985年)

(29)大津徹編『日本史の現在2 古代』(山川出版社2024年)

(30)斎藤忠『701年、倭国滅びて日本国建つ』(アマゾン電子本2020年、紙版2022年)

(31)米田良三『法隆寺は移築された 大宰府から斑鳩へ』(新泉社2007年)

です。ここで、守谷健二氏に申し上げる。

 君の、古事記に関する、「重たい掲示板」への投稿には、上記リストにあるような先行研究の、データ、知見が豊富に取り入れられています。いちいち指摘するのも忍びないので、ここではしません。

 特に「吉村武彦」、吉村説を発展させたと自認している「斎藤忠」氏の上記著作からの明らかな引用や知見を同一とする、箇所が複数見られます。

 その一方で、守谷氏が挙げている参考文献には、大野晋『日本語はいかにして成立したか』(中公文庫)1冊しかあげられていません。(「ほか」と書けば許されるものではない。) これは、人文学系の論考として許容の範囲を超えている、そこで、私、伊藤は守谷氏が釈明、引用リストの作成、引用個所の明記など、可及的速やかに、何らかの措置を講じることを強く要求します。「いや全部自分の頭で考えた」などという言い訳は通じないと思います。

 この副島系掲示板への投稿は、「市場価値のない」文章だから「著作権」は発生しないと、この掲示板開設時に副島先生が言っておられました。私や守谷氏の投稿など、その程度だということは、自覚しています。しかし、そうであるからこそ、学問的な内容の論考については、執筆者が、自らを律し、自己の学問的良心にしたがって、投稿するべきです。僭越ながら、守谷氏をはじめとする当掲示板の投稿者各位には、そう期待します。ご意見、反論あればいつでも受けて立ちます。こればかりは譲りません。

以上伊藤睦月筆

追伸:当掲示板の管理人の方へ。伊藤睦月です。多分ないでしょうが、もし将来、守谷氏の論考について、関係者からなんらかのクレームが来た場合、あくまでも、守谷健二氏個人の所為であり、副島系掲示板には全く関係ないことを、私、伊藤睦月は、証言します。

伊藤睦月拝

 

 

 

 

 そうしないと、上記論者たちから、「盗作」との指摘は、免ればいと私、伊藤は考えます。

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/28 07:40

【462】「勉強不足というのは、決めつけだ」「そうです。決めつけです。でもそれが何か?」

 伊藤睦月です。今日は、10月28日月曜日6時42分、です。退院しました。術後養生中です。私の入退院の顛末、ここ半年余りの悲喜劇については、話がひと段落したら、「医療掲示板」にでも投稿させていただきます。

 さて、総選挙後の物情騒然としたなかだが、能天気な私は、病を養い、自身の生活をなんとかしながら、好きな学問(歴史学など)や文章修行を追求していきます。(私は「顔淵タイプの」貧乏書生らしく、もうこれは死ぬまでなおりませんね。でも後悔はありません)

 そこで、以前、この掲示板でも、取り上げましたが、私の言だけだと「素人のたわごと」だと思われてもナンですから、プロの研究者(歴史学)の言葉を紹介します。そうしますとまた、「権威主義者」とよばれそうですが、なんの肩書もない私の発言を揶揄している人間のほうが、よほどの「権威主義者」だと思う。

(引用開始)

(1)歴史学は決して大学の専有物というわけではなく、すべての人に開かれた学問である。歴史の関心を持っている人や勉強してしてみたいと思っている人にとっても、本書が「学問としての歴史」とはどのようなものかを知るための断行になればうれしい。

(2)歴史学というのは、すでに知られている史料をよみなおしていく中で、それまで気づかったことに気づいたり、見落とされていたことがはっけんされたりして、歴史を見る新しい視点や切り口が見いだされ、進歩していくものだ。

(3)(学術論文は)まず先行研究を無視したものは、論文とは言えない。自分の思いや夢を語るのではなく、自分が取り組もうとしているテーマについて、これまで他の人がどのような研究をしてきたかを踏まえ、それに何を新しく付け加えることができるかが問われる。

(4)だから、そもそも現時点における研究の到達点を把握していなければ話にならない。

(5)とにかく、学問というのは積み重ねのうえになりたっている。これまで多くの人が積み重ねてきた研究成果には敬意を払いつつ、それを批判し、修正することで、学問は前に進んでいくものである。

(引用終わり:村上紀夫(奈良大学文学部史学科教授)「歴史学で卒業論文を書くために」(創元社2019年))

伊藤睦月です。この本は、卒業論文がまともにかけない、教え子に業を煮やした村上センセイが、毎年4月の卒業論文ゼミの冒頭で紹介していた、メモがSNSや学会で評判になって、単行本になったそうだ。同趣旨で、少し気取っているが東大生向きに書かれたのが、上野千鶴子「情報生産者になる」(ちくま新書2018年)がある。宮台真司なら、こちらの方を勧めるだろう。特に(3)は、譲りません。「いや、卒業論文書いているわけじゃねーし、学問道場に思い入れ強すぎね」とかほざいている輩(やから)には、「大喝」をいれてやろう。

 とにかく、「私の決めつけ」の基準は、上記に尽きている。だから、以上及び本全体を読んだうえで(200頁ほどの小冊子で、アマゾンで簡単に入手可能。多分大学図書館や村上のブログでも見れるのでは?)なお私の指摘を、「決めつけ」といわれるなら、さらに詳細に指摘する用意がありますので、どうぞこの掲示板上に投稿してください。その際、私の指摘と同等かそれ以上の質量を求めます。そうでなければ・・・。私は「長い、しつこい、めんどくさい」オジサン、です。

以上、伊藤睦月筆

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/28 06:38

【461】}

 

 

かたせ2号 投稿日:2024/10/23 13:23

【460】【どらえもん2さん】財務省の裏金_ BRICS首脳の晩餐会でも日本の裏金が話題に。

https://x.com/matsudadoraemo1/status/1848861798700880230
本日、2024年10月23日午前8時(JST)の、音声ファイルの投稿です。
(数分後から実際の音声が始まります)

【どらえもん2さん】財務省の裏金④ BRICS首脳の晩餐会でも日本の裏金が話題に。

この裏金の存在が、
日本で周知とされる前に、これから「(日本を除く)世界の常識」になっていくでしょう。

かたせ2号拝

かたせ2号 投稿日:2024/10/19 11:47

【459】どらえもん2さん情報【財務省の裏金】日本政府の隠し資産はスイスに800兆ユーロ。ただし口座の名義はCIA関係者。

かたせ2号です。

どらえもん2さんが、
衆議院議員選挙中の、いまのタイミングを狙って、以下の爆弾を投下してきました。

https://x.com/matsudadoraemo1/status/1847354384075948356
午前4:09 · 2024年10月19日

(引用開始)
(泉)房穂さん。やっと見つけたよ。
私(どらえもん2さん)が(西暦2000年代前半に結成した)国会Gメンで(石井)紘基さんと探していた”財務省の裏金”。
国の隠し資産は、スイスでユーロ建にして隠されていた。その現在高800兆ユーロ。
(運用益の率は)2%以上で回っているから、運用益を一般会計に毎年入れるだけで、消費税はゼロにできる。
CIAからそのカギを取り戻す交渉が必要。
(引用終わり)

かたせ2号です。

上記の内容に
https://x.com/matsudadoraemo1/status/1846868629561934007
午後7:59 · 2024年10月17日
で、どらえもん2さんが述べていた内容を追加すると、概ね、以下のようになります。

日本の貿易で輸出超過の年度は、「外国為替特別会計」は黒字になる。
→長年の輸出超過によって黒字が累積される
→この口座を(どらえもん2さんが)ついに発見した(発見していた)。
→ここに、米国債の金利(運用益、約2%)も振りこまれる。
→国の隠し資産は、スイスでユーロ建にして隠されていた。
→その現在高800兆ユーロ。これが「財務省の『裏金』」
→運用委託先は三井住友信託銀行。
→口座名は、CIAの担当者名、CIAが管理している。
→当然ながら運用益も含め、日本国は自由には使えない。

(補足)中国は日本に次ぐ、隠し資産大国、その額、700兆ユーロ。

かたせ2号です。
事実ほど、恐ろしいものはありません。
どらえもん2さん、ありがとうございました。
自民党議員の「裏金」暴きに続いての、見事な、財務省「裏金」暴きでした。

そして、どらえもん2さんが、石井代議士のような横死をせず、無事にこの情報を日本国民に開示できたことに
時代の変化を感じます。
日本はおそらく、良い方向に進みつつあるのでしょう。

以上

かたせ2号 投稿日:2024/10/18 16:01

【458】伊藤さんに唱和します。

伊藤睦月さんへ。

かたせ2号です。

ワタシも同じく、次の言葉に感銘を受けた人間のひとりでした。

副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』第4章(講談社アルファ文庫1999年、初出『現代アメリカ政治思想の大研究 世界覇権国を動かす政治家と知識人たち』1995年)から。

(引用開始)
「議論する」とはどういうことかをわかっていないのだ。
議論とは、相手を言い負かすことでなくて、自分の弱点を徹底的に考える、といことである。
(引用終わり。)

かたせ2号です。
ワタシは、上の言葉に出会ったせいで、自分自身を甘やかすこともできなくなり、かなりしんどい思いをしましたが、現在では、この訓練によって、分析力は自分の満足のいくレベルまでつけることができたなと感じている次第です。

なお、上記の内容は、ワタシの依って立つ人生観が(リンカーンの)「With malice toward none」であることにより、以下のワタシの考察内容と接合します。

自分の気にくわない相手なら、傷つけてもいい。そういう心得違いをした人間が、世の中にはたくさんいます。しかし、だからと言って、彼らの言っていることが百パーセント間違っているわけでもありません。彼らの言っている言葉の中にも酌(く)むべき言葉はあるはずです。彼らは、立っている場所が、考え方の立脚点が違っているかも知れませんが、しかし彼らの言う意見の中にも一片の真理はあるのです。それはそれで反省材料として、受け止めなければならないはずです。こうしたものだと思います。

ワタシはこういう心がけで生きてきました。

まあ、これは、これで、いいのですが、
しかし、副島先生の説く政治的枠組みに従って世界を読む解くうち、
世界を覆うような強烈な「悪意」の存在に、うすうす感づいていくにつれて、
最近になって思い至ったことがあります。

「100%の間違いを言える人など世の中にはいない」、
これが、世の中の真実であるからこそ、
世界に降りる「闇の帳(とばり)」は、ますます深く、かつ、濃くもなってしまうのです。

そんな中に、「本来悪なし」(谷口雅春)なんて到底いえなくなるような、巨大な「悪意」が、伏在してきたからです。

難しいところです。

そんなことを最近になって思い至り、副島隆彦先生の思想に接してから怒涛のごとくに過ぎ去った、直近30年近くのワタシの人生を、呆然としながら、振り返っているところです。

かたせ2号拝

伊藤 投稿日:2024/10/13 07:53

【457】しばし、小休止します。運が良ければ、執筆再開します。そして、私の「座右の銘」について

 伊藤睦月です。本日は2024年10月13日午前6時45分です。(この書き方も久しぶりだな)

この掲示板でも、ちらちら書いてきましたが、明日から入院します。執筆再開時期はわかりませんが、

 早くて、来月になると思います。2054さん、温かいお見舞いの言葉ありがとうございます。私の入院のことは、副島先生にも報告済みで、それで1昨日、先生から激励のメールをいただいたところです。というようなことを書くと、また守谷のような馬鹿から、「権威主義者」とよばれそうですが。そうなると、「権威者」は副島先生ということになりますが、苦笑するしかない。なぜなら、副島隆彦ほど、この40年間、そして今も、世の中の「権威者」と闘い続けている人はいないから。私は、1990年の「英語辞書大論争」以来の、「副島ファン」です。読者というにはおこがましい。私は、「副島学」に傾倒していても、「副島教」には帰依していないので、守谷のような発言に接すると、どうも「既視感」がぬぐい切れないのです。またか。私が20年間サボっていた間でも、副島先生は、倦まず飽かず相手されてきたのか、と思うと、おもわず背筋が伸びます。

 それはともかく、今回は、私の座右の銘、2本紹介します。まず、1本目

 子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば、殆(あやうし)。(論語為政第二)

 日本語訳は、宮崎市定訳が一番好きです。

(宮崎訳)子曰く、教わるばかりで自ら思索しなければ、独創がない。自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ、大きな落とし穴にはまる。

 伊藤睦月です。この言葉、この宮崎訳に出会ったのは、私が20歳のとき、45年前です。注釈はしません。論語自体2500年前の書物と言われていますから、私が苦笑しているのも、わかる人には、わかるでしょう。

また、これには、宮崎にしては珍しく、注釈をつけています。のでそれを引用します。これ以上付け加えることはない。

(引用はじめ)この言葉は教育、研究の妙諦(みょうてい)を言い当てたもので、千古に通ずる真理である。教育とは要するに全人類が進化してきた現在の水準まで、後生を引き上げてやる手伝いをすることである。言い換えれば個体が系統発生を繰り返すに助力することである。もしこういう助手の存在意義を軽視して、全く独自の力でやろうとすれば、大きな時間と精力のロスに陥る危険がある。

 昔ある農村の青年が非常に数学が好きで、小学校を終えたあと、農業に従事しながら十年かかって数学上の大発見をしたと、町の中学の教諭に報告してきた。なんとそれは二次方程式の解き方であった。中学へ入って習えば、1時間ですむことなのだ。独力でそれを発明する力をもっと有効にほかに使えば、本当に有益な研究ができたかもしれない。

(引用終わり。『現代語訳論語』(岩波現代文庫2000年、初出『論語の新研究』1974年))

伊藤睦月です。2本目です。

(引用開始)「議論する」とはどういうことかをわかっていないのだ。議論とは、相手を言い負かすことでなくて、自分の弱点を徹底的に考える、といことである。

(引用終わり。副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』第4章(講談社アルファ文庫1999年、初出『現代アメリカ政治思想の大研究 世界覇権国を動かす政治家と知識人たち』1995年)

伊藤睦月です。この言葉は、35歳の時、今から30年前に出会って以来、ずっと私を公私両面で支えてきた。そのおかげで、時には、つらい目にもあったけど。(苦笑) この言葉に会えて、本当に良かったと、65歳を超えた今、そう思います。

皆様のご多幸をお祈りします。

伊藤睦月拝

 

 

 

 

伊藤 投稿日:2024/10/12 11:11

【456】(2)守谷論文は、実証史学の立場からすれば、「不可」である。(2)遣隋使、遣唐使の「不都合な真実」

1)伊藤睦月です。当時の世界覇権国中国と属国群(東アジア世界)において、王権の正当性を認めてもらうためには、

(1)宗主国(歴代中国王朝)に「朝貢」する。(あいさつに出向く)

(2)宗主国から冊封を受ける(官職を授かる、ハンコをもらう(印綬))

(3)中国正史に記載してもらう。(現時点では私、伊藤が初出)

ことがいわば必要条件、武力とか財力、呪術力などは、十分条件

2) 伊藤睦月です。当時の王権(大和王朝)は、すでに冊封を受けた、「倭の五王」の後継政権を称していたこと、国王(スメラミコト)は、国内豪族に姓(かばね)を与えて自らの姓をもたなかたっとされる(つまり、国内的には至高の存在として認知されていたこと)、ことの成否はともかく、天皇家だけが、訪中し、中国皇帝に拝謁が実現していること)から、少なくとも、遣隋使以降王権の正当性はすでに確立していたもの、とみるのが妥当。したがって、守谷の見解は最初から破綻している、と私、伊藤は判断します。

3)では、前回の続き、なぜ、「中国皇帝」の前で「天皇」号が使えなかったか、もうおわかりであろう。その時の702年第7回遣唐使で、粟田真人が拝謁したのは、「則天武后」という人物、「天皇」号を初めて名乗った女帝だ。いくらなんでも、ご本家の前で、「日本天皇の使者」を名乗ることは、さすがにできなかった。下手すれば粟田は、生きて故国の土をふめない。では、なんと名乗ったのか。

4)その前に、粟田真人の第7回遣唐使が、なぜ702年だったのか。守谷はその時点で「日本書紀」の大半が完成していたので、それをもっていったのだと言っているが、実証性(記録)がないので、採用できない。西嶋をはじめとする、実証史学は、もっと実証性のある、見解を出している。

(5)それは、701年に「大宝律令」が完成したからだ。大宝律令の「儀制令」には、いわゆる天皇称号を使える時と場合を定めている。同令によると、いわゆる天皇の称号として、「天子」「天皇」「皇帝」「陛下」「太政天皇」「乗輿」「車駕」の7種があり、中国、新羅、に対する国書には、「天子」「天皇」「皇帝」の3種のなかから、選ぶ」と決まったのだ。これで、遣唐使に持たせる国書が決まった。これが中国側に受理されたら、中国から使用許可がでた、ということにはならなかった。どうなった?

(6)「天子」「天皇」、「皇帝」いづれの称号は国書に書かなかった。これらは、中国の恐ろしさを知らない癖に、国内だけで虚勢を張っている「内弁慶君」がきめたのであろう。こういう無意識に国を危うくする、「馬鹿者」は、いつの時代でもときどき出現する。苦労するのはいつも現場、である。ともかく、「天子」は遣隋使でしくじっている、「天皇」は則天武后に殺されにいくようなもの、ましてや「皇帝」とはもってのほか、と粟田以下、遣唐使スタッフは、考え、知恵を絞った結果、当初国書に記載されていた、「明神御宇日本天皇」を「明神御宇日本主明楽美御徳」と書き換えた。「主明楽美御徳」と「スメラミコト」と読む。そう「天皇号」ができる前の王に対する尊称である「スメラミコト」に漢字の音を当てたのだ。粟田選手、大ファインプレーだ。そしてそれに対する中国側の回答国書には「勅日本国王書」とある。「勅」とは宗主国が属国に対する命令のこと。「国王」は宗主国が属国の王に授ける官位のひとつ。もっともこの名称が記載された文書は、日本側の記録にはないし、中国正史(旧唐書日本)には、謁見した則天武后が機嫌よく粟田を歓待したという記録しか残っていない。

(7)なお、その後、遣唐使に対する中国皇帝の国書は、「勅明神御宇日本主明楽美御徳」と表記されているが、たまに中国側から出てくる、「勅日本国王」という国書は「勅日本国皇(こくおう)」と書き換えられている。

(8)また、中国に対しては、上記のとおりであるが、新羅に対しては、「天皇」号を使用しているから、相も変わらず、隣国を見下した、「ダブルスタンダード」の二枚舌外交をしている。

(9)伊藤睦月です。私は「日本書紀」も少なくとも遣唐使は中国に持ち込まなかったであろうと考えている。なぜなら、「天皇」という称号を使用しているからだ。「年代記」のような歴代天皇の名簿くらいは持参した可能性はある。

(10)「新唐書日本」には、神武、綏靖、安寧、・・・光孝天皇(平安時代)までの名がみえるが、それらはすべて、「その王の姓はアメ氏、自ら言う、・・・」から始まっている。彼らが「天皇」と表記されるのは、次の「宋書」からだ。唐が滅んで、則天武后の呪縛が解けたからであろう。

(11)私伊藤は、第6回遣唐使(670年)から、第7回遣唐使(702年)まで30年の空白の理由を「白村江のほとぼりが冷めるまで見送った」としたが、それに加えて、律令制度が整った時期にあわせて、派遣した、という実証史学の成果にも賛意を表する。したがって、守谷論文は、言い過ぎを承知でいえば、少なくとも現時点では、実証性に乏しい、「個人の妄想」にすぎないと断ずる。(12)伊藤睦月です。これで守谷論文の根幹は崩壊した、と考えるが、次回からはそのほかの不都合な個所を指摘、批判することにする。

以上、伊藤睦月筆